絶え間なく展開する変拍子のはざまに、「曦(あさひ)」という文字が落ちる。乾いたドラミングと硬質なギターの音の上で「春」という字がにじむ――詞のカードを見てみてほしい、そこには旧カナを散りばめ文語体でつづられたうたの言葉が、近代詩のような佇まいで並んでいる。
これがインドとビートルズと沖縄をルーツに持つ文体だと知ったときに、筆者の凝り固まった観念は激しく攪拌された。なんというミクスチャー。
エスニックの意匠をいたずらにかけあわせたり、性質の異なるものを無邪気に混ぜ合わせたりするのではない。それらが、ひとりの人間の生きてきた時間とその経験体験のすべてのなかにたくしこまれるかたちでミックスされたものであることに感動してしまった。ダウニーの中心人物、青木ロビンはそのリスペクトすべき人格もふくめて非常に魅力的な人物だ。その彼の内側から波を打って広がっていく異形のヴィジョンを、緻密に構築されたバンド・アンサンブルが支え、展開させていく。それがこのバンドの非常に強力な柔構造なのではないかと思う。青木裕、仲俣和宏、秋山タカヒコ、石榴、各メンバーはそれぞれが別のプロジェクトや名だたるアーティストたちのサポート・メンバー、プロデューサー、映像作家としても活躍する磐石のプレイヤーたちだ。インプロ・パートの安定感とダイナミズムなど、それだけでもじゅうぶんに素晴らしく、9年の空白をものともしない熱心なファンがいることの理由がよくわかる。
![]() downy 第五作品集『無題』 Felicity |
そう、ダウニーは2000年の結成以降4枚のオリジナル・アルバムを残し、2004年から約9年もの活動休止の期間を迎えていた。ポストロックという言葉が国内において実体を備え輪郭を現しはじめる、その黎明のなかにいたバンドである。輝かしい軌跡のなかのその空白部分についてはこのあと語られるわけだが、すでに「ポストロック」という言葉が歴史の項目のひとつに格納されてしまっている時代、彼らはそこから歌と人生とを引き出した。もちろんダウニーはダウニーなので、演歌でもフォークでもない。ギターはソリッドでポストパンク的な荒涼感があるし、爆ぜるようなドラミングにもそのプロダクションにも殺伐という表現が似つかわしい。エレクトロニクスにもさえざえとしてドライな覚醒感がある。しかし「僕のなかでかなり温かい作品なんです」(青木ロビン)と語られるその温かさとは取りも直さず、人生の熱ではないだろうか。
筆者があまりテクニカル系の「ポストロック」に親しみを感じてこなかったのは、閉塞的なテクニカル信仰をよんだり、折衷性(メタ性)を評価されるわりにベタにロマンチックだったり、エモーションの扱いが粗雑だったりする悪い例をたまたまいくつか目にしてきたせいかもしれないけれども、それは単にシーンが若かったということなのかもしれない。テクニックこそは人間の生きる長さとともに意味を増していくものなのかもしれない。ロックが仮に青春期以降を乗り越えられずにゾンビ化しやすいものだとすれば、ポストロックはむしろそのあとの時間において真価を発揮するものなのかもしれない。――そのようなことをこのダウニー5枚めの復活アルバムで感じさせられた。これまでの作品を否定するのではない。筆者が手ぶらの一般リスナーとして、とても親身な思いでこれを聴いたということに共感していただけるだろうか? 趣味や好みを越え、敬意をこめて聴いた一枚だ。日本のポストロック第一世代バンドがそれぞれどのような2010年代を迎えているのか詳しくはないけれども、この作品はひとつの感動的な例を示しているのではないだろうか。
9年という時間
単純に僕は、メールの書き方も知らない人間だったんだな、というようなことに気づかされましたね。
■今回9年ぶりの新作ということなんですけれども、そう聞きますと、「マイブラ22年ぶりの新作」みたいな感じで、妥協しないからこそリリースしないというような、非常にストイックな印象も受けます。実際のところはどうなんでしょう?
青木:単純に活動を休止していたので、その間、制作する気がなかったっていうだけなんですけどね。で、いざ電話して「やりましょうボチボチ」っていう流れなんです。
野田:やる気を失った理由っていうのは何なんですか?
青木:いやー、9年前のことなんでドンピシャで覚えてないんですが、単純にやりたいことがもっといろいろあってですね。それは音楽以外のことも含めて。いちど音楽から解放されたいというか、音楽を普通に聴く耳に戻りたいというか、そんな気持ちがありました。
■ああー、切実ですね。
青木:なんか何を聴いても、「どう作ってるのか」とか、そういうふうにしか聴けなくなっちゃっていたので。食あたりじゃないですけど(笑)、「聴けない」みたいになっていました。
■とすると、いつか再開する予定を立てながら休んでいたというよりも――。
青木:そうですね、ほんとに無期限で。何度かタイミング的にはターニング・ポイントがいくつかあったんですけれども、「まだかなー」みたいな感じだったんですよ。
■なるほど。
青木:まあメンバーとちょこちょこ連絡取り合ったりとか、彼らの出す音源はもちろん聴いていたし。3年ぐらい前から「いつやるかねえ」みたいな話はしてたんです。2年前に「やりますよ」って電話をちゃんとして、「やりますか!」ということになって。
■最後に背中を押したものというか、決め手みたいなものって何かあったんですか?
青木:何でしょうかね。これは訊かれると思ってたんですけど、とくになくて(笑)。「いまだな」って思っても、自分のタイミングとみんなのタイミングがちょっとずれたらできなくなりますから。みんな各々アーティストとして頑張っているんで……。ほんとにたまたまだと思います。電話してみたら「そうかもね、いまかもね」みたいな感じでした。
■なるほど。10年ぐらいのけっこうな時間ですけど――。
青木:そうですね、はい。
■漠然とした質問なんですが、どういった9年間でしたか?
青木:僕個人としては、ほんとにやりたいことをあれこれ仕事して。会社作って、飲食店やって、ほんとにいろんなことをしました。子どももできていたので、子育てして。で、新しく友だちができて、みたいな(笑)。海外での仕事もしていたので、いろいろ土地も回って。
野田:海外の仕事ってどんなの?
青木:アパレルですね。
野田:へえー。
■なるほど。音楽活動からはずいぶんと変化した時間だったんですね。
青木:変化というか、単純に僕は、メールの書き方も知らない人間だったんだな、というようなことに気づかされましたね(笑)。
■(笑)生活のなかに、社会ってものがせり出てきたんですね!
青木:そういう意味でも、「音楽だけ」ってことになるのが、最後らへんはイヤになってきていたというのもあって。4枚目のアルバムくらいのときには、服の会社をもう立ち上げてやっていたんです。でも、最近感じるんですが、いま若いバンドマンなんかといっしょに曲を作らせてもらう機会があると、みんなすっごい丁寧ですね。
■ああ、なんかちょっとわかります。
青木:「俺こんなじゃなかった」とか思いながら。みんなすごいな、と思って(笑)。
■いまの若い方が、アーティストとしてのエゴよりも、そういったものを大切にされてるなっていうのは、わたしもすごく感じますね。
青木:そうそう。大事なことですよね。単純に印象がいいですからね(笑)。
■ははは……
青木:俺が印象悪かったなって(笑)。
■そうなんですか(笑)? お会いして、すごく丁寧な方という印象を受けましたけども。
青木:いやいや。いまはこうなりました。
■はははは。9年のひとつの成果というか(笑)。
青木:ひととだいぶ喋れるようになったので。オープンにはなったと思います。
[[SplitPage]]踊らない身体
僕はだから、踊らないんですよ。
■なるほど。いっぽうで音楽的な意味でこの10年を見てみますと、2000年代の初頭は、まだポストロックっていう言葉が機能していたと思うんですけども、その状況は変わりましたね。つい最近だったらアンビエントとかドローンとかダブとかに影響力があるように、構築性の高さやバンドのセッションのダイナミズムみたいなものよりも、どちらかといえば、そういうものを解体していく流れっていうのがこの10年を作ってきたようにも感じます。ダウニーの方向性と世間の流れみたいなものとを比べたり、あるいはそこで迷ったりってことはありましたか?
青木:新作に関してってことですか?
■そうですね。
青木:3年ぐらい前から、僕はもう一回曲作りしようと思って――まあもとからちょこちょこ家で触ったりはしてたんですけど、ほんと趣味程度にはやっていて。なんというか、音楽をほんとに「聴く」耳にやっと戻ったんですね。自分の飲食店で流す音楽を、当時は絶対聴かなかったカフェで流れるような音楽にしたりとか。やっぱり心地いいんですよね、そこでコーヒーを飲むと(笑)。それが居心地の良い空間を作ってあげるという、自分のひとつのデザインであり、作品でもあるので……。飲食店という仕事においては、ですが。沖縄に移り住んで、海沿いでレッチリ聴いたりして、「気持ちいいなー、レッチリ。やっぱ海沿いなんだなー」とか(笑)。
■(笑)
青木:なんだろうな、ほんとに作り手の耳ではなくなって。沖縄ではクラブ関係者の友だちが多いんですが、その子たちのイヴェントに行っても、「いまかかったの何!?」じゃなくて、「あー気持ちいいなー」みたいな、やっとそういう風に音楽が聴けるようになってですね。僕は、自分で音楽をやろうと思ったときから、聴き方が全部「あれは何の音だ、何のエフェクターだ」っていうふうになっていたので……。ほんとに単純に、子どもといっしょに子どもの音楽を聴いたりして、「俺もこんなの聴かされたんだろうな」とか思ったりするようになったし、音楽って、みんなにとっては生活にもっと密接したものだし、そのときそのときでチョイスするものなんだっていうことがようやくちゃんと理解できて。
ダウニーの制作の話に戻ると、僕の作る音楽はもともとやりたいことが明確にあるので、最初は全部打ち込みで作ったものをメンバーにやってもらおう、ぐらいのつもりで、デモをバーッと作りました。じつはEDMの要素も少し入っていたんですけど、メンバーと話して、ダウニーってバンドでそれをやると、なにか古い音楽になってしまうんじゃないかっていうことで、一回解体して。で、今度はスタジオ・セッションをメインに構築していきました。だけど、それはそれで前のままじゃないかと。それで、いまの形になりました。データのやり取りをする。僕が、もらったデータをどんどん曲にしていって、投げて、もう一回作り変えてもらって、みたいなやり方です。
肉体とエレクトロニックの狭間といいますか、そういうものを作りたくてですね。今回悩んだってところは、すごくボツったことですかね。30曲ぐらい書いて、残った曲でやっているんです。もはやネタになってますけど、自分のなかでは7枚目のアルバムにしたいぐらいの心境です、はい。
僕らメンバーがいちばん「ダウニーはこうだ」って決め込んでいるのかもしれません。
■へえー! いまエレクトロニックっていう言葉が出てきましたけど、たしかにキーになっている音楽性ですよね。65デイズオブスタティックとかは、やっぱり一時代を作ったと思うんですけど、ポイントだったのはやっぱりそこにエレクトロニックなものが介在していたことです。ポストロックって、エモに行くものもあれば、フィジカルをストイックに追求したマス・ロックみたいなものもあれば、ハードコア・パンクの流れ――ビッグ・ブラックとか、シェラックとか――から続くものもありますよね。そんななかで、65デイズオブスタティックはすこし違う身体性を持ってたと思うんですよ。あるいは、ダウニーっていうバンドも。そのエレクトロニックっていう部分に寄っていったきっかけというか、アイデアみたいなものについてお訊きしたいです。何かに触発されたものなんですか?
青木:僕が若い頃からクラブにしか足を運ばない人間になっていたので、結局自分の身体に入ってくるものがすんなり出てくるんですね。父親がヒップホップのお店をやっていたりとか、いろいろ経緯もあるんですけど。
野田:すごいですね、それ。お父さんが?
青木:そうですね(笑)。インド人なんですけど。
野田:へえー!
■青木さんは沖縄で育って、お父様がインドの方で、ヒップホップのお店をやってらっしゃってという、けっこうルーツとしては複雑な方なんですよ。
野田:すごいよ。
青木:そうなんです。で、母がビートルズの追っかけだったんで。家では小さいときからビートルズやドアーズが流れていました。そのあたりの洋楽は普通に……まあ5歳まで香港に住んでいたので、イギリス圏だったということもあって、テレビでずーっとビートルズとかのPVが流れているようなチャンネルがあったので。それ観て、意図せずにそうした音楽が入ってきましたね。
で、クラブ・カルチャーにすごく傾倒する時期があって、自分はバンドマンとしてどうやってそれを表現していくかっていうことを、すごく考えたんです。それが結果としてダウニーの曲の作り方になっていますね。けっこう早い段階から、僕らは周波数の場所を決めてアレンジしていこうとか、そういう考え方をしていたので。当時、時代はシューゲイザーがガーッと音の壁を作って、みたいな感じだったんですけど、それはげんなりしていました。もっと音数が少なくていい。で、やっぱりミニマルですよね。それが大事だった。それを生でやるからこそ、体感できるリズムやノリがあるし、重ねれば重ねるだけ熱量が上がっていく。まあ、いまはPCでもそれができるんですけど、昔はもっとダンス・ミュージックの熱量が楽器によってプラスされていましたね。人間だからできることというか。僕らはずっとそれをやり続けて、いまに至っています。
■ダンス・ミュージックがいかにダウニーの音楽にとって大きな要素であるかということはわかったんですが、たとえばダウニーの変拍子とかって、もっと身体をがんじがらめにするようなものなのかなってイメージがあったんですね。もともとすごくストイックなバンドという思い込みがあったので、そういうクラブ的なルーツには意外な感じがしました。
青木:僕はだから、踊らないんですよ。
■あ、そうそう! わかります(笑)!
野田:(笑)
青木:とりあえず聴いていればいい、っていう、なんかそんな感じでした。
■ああー。先ほどから、青木さんがすごくしっかりとしたお考えと哲学をお持ちの方なんだということに感銘を受けまくっているんですが、遊び心みたいなことでいうと、あんまり感じないというか、すごくマジメな印象を受けますね――。
青木:そうですね(笑)。それが悪いところでもあり(笑)、まあいいところでもあると思うんですけど。
■実際に悪いと思ってらっしゃるんですか?
青木:そうですね。
■へえー。
青木:遊びの成分を入れてみたりするんですけどね。
■その遊びが「音の周波数」だったりすると、あんまり遊びって感じじゃないですけど(笑)。
青木:今回クラップが途中まであったんですけど、やっぱり結果的に「うーん、いらない」ってことになって。ミックスの最後の最後になくなっちゃったりとかしましたね。
■それを削いでいくのはやっぱり、みなさんのマジメさなのでしょうか?
青木:まあたぶん、僕らメンバーがいちばん「ダウニーはこうだ」って決め込んでいるのかもしれません。
■ああ、なるほど。
青木:「これはダウニーじゃない」「これはダウニーだ」みたいな。とくに彼らはずっと東京でミュージシャンをやってきて、周りからの反応をずっと感じてるんだと思うんですね。「こうだった、こう思ってた」とか。僕は逆にずっと離れていたので、そうでもありませんでした。まあ、ほんとにたまに、沖縄の店にも「ダウニー好きだったんですよ」って言って来てくれる子がいたりするくらいで。ダウニーTシャツを着たお客さんが来て、「カフェ、こういう感じなんですね」みたいなひとコマがあったり(笑)。なんかちょっと違う、みたいな顔されたりするんですけど(笑)。
■はははは! ちょっと開放的な感じとかが。
青木:自分はそこまでないんですが、メンバーのほうにはもうちょっと「ダウニーらしさ」っていうものがあるみたいですね。ダウニーっていうのはこうです、って。
■じゃあほんとに、この9年というのは、自分たちを客観的に見て対象化するとともに、音楽とも出会い直すような時間だったんですね。
青木:そうですね。そうだったと思います。
[[SplitPage]]Downyの漢字仮名世界
僕はなんせ日本語が喋れないで日本に来ちゃったんで。
■なるほど。さんざんストイック、ストイックという言い方をしてしまいましたが、そのいっぽうで、エモーショナルでロマンティックな音楽でもあると思うんですよね、ダウニーの音楽というのは。ご自身がロマンティストだな、と思ったりすることはあります?
青木:いや、僕まったくないでしょうけどね。
■あ、そうなんですか? でも、たとえばこの、歌詞の漢字仮名使いというか、旧漢字・旧仮名・擬古文調の言い回しを使いながら、文学の香りみたいなものを立ち上らせていくところは、ダウニーのすごく重要なイメージだと思うんですよ。大正ロマンとか明治ロマンっていうことを言うつもりはないんですが、こういう雰囲気はロマンティックだなーと感じるんですけどね。
青木:ロマンティックですかね(笑)。いや、わかんないです。そうなのかもしれないです(笑)。自分では感じないだけで。
■へえー! これはどこからやってきたものなんですか? 好きな文学作品があったりとか、そういうことなんでしょうか?
青木:そうですね、僕はなんせ日本語が喋れないで日本に来ちゃったんで、最初すごく苦労したというか、イヤな目に遭ったというか。
■そうなんですか!
青木:ものすごく勉強したんです、単純に。誰よりも漢字を知りたかったし。本を漁っているなかに好きな作家がいたりですね。詩ってこんなふうに書いていいんだ、とか、文章ってこんな形があるんだなって。ずっと自分なりにそういうふうな表現ができたらいいなと思って、闘っているというか、書き続けてるというか。
■へえー! 言葉に対する不器用が生んだ一種の器用、みたいな感じなんですかね!
青木:そうなんですかね(笑)。
■これ、完全にダウニーという世界を作っているじゃないですか。
青木:そうですね。
■しかも観念的な作風というか。たとえば“下弦の月”って曲がありますけど、これは下弦の月を実際に見て書いたんじゃないだろうなって思うんです。いや、見て書いたのかもしれないですけど、それとは違う「下弦の月の世界」が頭のなかにあるんだろうなっていうふうに、すごく感じるんですよ。
青木:そうですね。自分しかわからないって言うと残念なんですけど(笑)、映像があって、イメージがあって、それに音をつけて、歌詞をつけてって感じですね。まあ、結果的にライヴだったら映像がついて、そのイメージをひとに伝えることができるようになるんですけどね。この歌詞の字面(漢字旧仮名表記)も含めてなんですけど、まあこういうイメージなんですね(笑)!
■はい、すごくわかります。でも、ライヴじゃなくてもばっちりイメージで来ますよ。あるときあるひとが見た、事実としての月があるんじゃなくて、もっと観念的に構築された世界があるんだろうなって、すごく感じるんですよね。それがダウニーという、すごく特徴的な世界観を作ってもいて。
青木:(小声で)ありがとうございます。
■ああ、でもなんかすごく意外でした。日本語ができない段階でいらっしゃったというのは、何才ぐらいのことですか?
青木:小1ぐらいです。そのくらいで日本語が喋れないと、もうすごいストレスというか。すごくイライラしてたのを覚えています。
野田:いきなり日本に来て日本人と同じ学校? インターナショナル・スクールとかじゃなくて。
青木:そうですね。親もなかなかなんですけど(笑)。
■はははは!
青木:最初は東京だったんです。それが幼稚園の最後ぐらいで、やっと言葉を覚えたと思ったら、今度は沖縄に行って、「なんじゃこりゃ!」ってなって。何を言っているか全然わかんなくて……。
野田:ああ、方言だから。
青木:「イチから俺これやんの?」と思って(笑)。すごくイヤだったのを覚えています。
■いちおう小学1年も「あいうえお」から学びはじめますけど、ネイティヴな子たちが基本だから、スタート・ラインがぜんぜん違いますよね。
青木:そうですね、ずっと怒ってましたね。「シャラップ!」ってずっと言ってたのを親が覚えていて(笑)。
■はははは!
青木:「シャラップ」しか言ってなかった(笑)。
■でも、それは幼い頃だと――
青木:そうですね、ダメージがけっこうね。
■ねえ。でもそういう頃から、おうちに帰れば音楽が鳴っている環境だったんですか?
青木:そうですね。父親の部屋ではインド音楽が流れ、母親の部屋ではロックだったり、ジョージ・ウィンストンが流れてたり(笑)。ムチャクチャな感じでした。
■なるほど(笑)。わたしはほんとに思い込みで、この文語っぽい感じっていうのは、中学とかで文学的な嗜好が強い男の子が傾倒する表現かなって思っていたんですよ。――なんというか、一種の青さとロマンティックさが強い文学性と結びついて生まれるような、エネルギーの高い文語表現。そういうものがこの歌詞世界の後ろにあるのかなと思ったんです。……それが、インド音楽とビートルズとネイティヴじゃない日本語話者から立ち上がってきたものだとわかると、全っ然、見え方が変わりましたね。
青木:自分の通過してきたものよりも、聴いたことのないものをやりたいという性分でして。歌詞もそういうことなんだと思います。まあ僕はこの歌詞の書き方しか知らないんで……。他がわかんないので、ちょっと何とも言いがたいんですけど。
野田:とくに好きだった作家はいますか?
青木:えっと、最初ほんとに「これは!」ってなったのは、萩原朔太郎。石原吉郎も「えー!」っていう。
■朔太郎! じゃあどっちかって言うと、詩に寄っている側っていうか。
青木:いまでも、何でもかんでも本は読むんで。そのあたりを小学校ぐらいでカッコいいなーって思ったのを覚えてますね。
■はあー。その最初の感動を、ダウニーを通してわたしも感じる気がします。
青木:そうですか(笑)。
■なんかわかります。追体験しちゃいますね、小学校の頃、教室で詩集を読んだの。メンバーの方が詞を作るってことはないんですよね?
青木:ないですね。
■たぶん他のひとからすると、この言葉の作られているテンションっていうのは高いもの――エネルギーの高い詞だと思うんですね。で、演奏があるわけですけれども、最初は、ダウニーのアンサンブルや変拍子って、詞のテンションの高さを解体するものとして働いていると思ったんです。だけど、もしかすると加速してるのかもしれないですね。どうなんでしょう、みなさんは詞にインスパイアされて、って感じなんですか?
青木:イメージは最初に伝えるので、共通していくものがどんどん出てくると思います。シンプルに“雨の犬”だったら、「雨の犬」っていう仮タイトルがあって、イメージがあって。わりとみんな長くいっしょにやっていたんで、それですぐ伝わったりはするんですけどね。どうかな、そこまで歌詞のこと考えてるかな、みんな(笑)。考えてるのは俺だけかもしれない(笑)。ただ、「どこの部分が好きだ」とかは言ってくれますけどね。たぶん、歌詞に関しては一任されてるんじゃないかな。
■なるほど。それぞれスキルのある人々がやっているセッションですから、歌詞があろうがなかろうが、やろうと思えばどこまでも続くでしょうし、いくらでもできるでしょうし。だから言葉や歌はそこにふわっと乗ってくるだけ、という側面もあるんでしょうね。
青木:とくに今回、歌ものにしたいっていう思いがあったんですが、それはあまりダウニーのやってないところでもあったんですね。ずっと自分で歌を歌うのがイヤだったので。ほんとに、別のひとが歌ってくれればいいのにってずっと思ってたんですけど、これまではあんなにパーツの少ない歌のためにヴォーカルに立ってくれるひとはいなかったし(笑)。
■ああ、なるほど(笑)。
青木:結局自分がやるほうが早かったりしちゃうんで。でもこの9年、子どもたちと歌ったりですね、なんだろうな、シンプルな歌ものとか……もちろん形とか方向性は違うんですけど。
僕にしかできないメロディがあって、僕にしか出せない言葉があるなら、もっと明確にそれを伝えていってもいいかなっていうのが今作にはあって。なんか……そんな感じですね(笑)。
柔らかくなりあたたかくなること
いま思うと、昔はいろいろ相容れないというか、「自分は発散するけどひとのものは容れない」っていうタイプだったのかもしれないですね。いまはわりとシンプルに入ってくるし、それをまた出していけるし。
■すごくいいお話です。曲はギターで作る感じですか?
青木:いや……? メロディが先な場合もありますし、トラックを作ってそれに歌を乗っける場合もあります。それに付随してコードを変えていったりとか、アレンジを変えてアンサンブルを変えていったりとか。ここでもっと盛り上げたいとか。ここはノイジーなんだとか。みたいなことは伝えますけどね。
■ああ。ひとりで趣味で曲を作っているとおっしゃっていたので、もしギターを爪弾きながら曲が出てくる感じだったとすれば、それはそのままサッドコアみたいなものになるかなーと思ったんですけど。
青木:曲によりけりですね。“燦”とか“雨の犬”だったら、ギター弾きながら歌って作って、メンバーに送って、メンバーが楽器をつけていくって流れだったり。曲によっては完全にリズムから先に組んじゃって、それを叩いてもらってアレンジしてもらってとか。全然まるで変えてきちゃったりするんで、彼らは(笑)。メンバーが3人でスタジオに入って作ってきたものを僕に投げて、僕がそれをまた構成立ててっていうのもあれば、いろんなかたちがあります。
■なるほど。さっき、ライヴだと映像でちゃんとイメージが提示されるってお話がありましたけど、映像でもダウニーは際立った作家性を残されているっていう印象があります。それは作られているメンバーの方が――
青木:zakuroです(笑)。
■(笑)zakuroさんに一任されている感じなんですか?
青木:もちろん彼も作るんですけど、彼はディレクターみたいな形かな、いまは。いちばんわかりやすく言うとそんな感じです。あとは現場のVJですね。ひとの紹介だったりとか、僕が何人か挙げていったひとたちのパイプ役をやってもらっていて。そのあたりのイメージがわりと共通している。僕のことをすごく理解してくれています。いまは、これはないよね、これはあるよね、みたいなことをやってもらっていますね。もちろん本人もPVを作りますし。でも、今回は9年のなかで出会ったひとたちがいて、彼らとやってみたいなっていうのがあるので、オファーしているところです。いま数人でいろいろ作っていますよ。
■あ、なるほど。映像も歌詞に負けず劣らずというか、けっこう思索的な内容を含んだものだなーって感じるんですよ。過去のもので、“漸”とか、“形而上学”とかの、ずっと扉が開いていくイメージ。あの正解のなさみたいなものを突きつけてくる感じっていうのはzakuroさんの個性だったりするんですか?
青木:“形而上学”は小嶋さんって方にやってもらったんですけど、それも当時僕の頭にあるものを無理矢理具現化するみたいなところがありましたね。当時は「この手法を試してみたい」とかって思って、自分でもカメラ持ちましたし、編集も立ち会いましたし。「もっと画角を」とかですね(笑)、そんなことを言ってたんです。今回は大人になって寛容になったので、向こうが言っているものが良かったりもするって、気づきました。いいものをどんどんオッケーしていけばいいなーと思ってます。
■あ、じゃあその寛容さっていうのが一種の歌心みたいなものを引き寄せたりもしてるんですかね?
青木:そうなのかもしれないですね。自分では自分のことなのであんまり考えてなくて、インタヴューされてはじめて考えることのほうが多いんですけど。やっぱりいま思うと、昔はいろいろ相容れないというか、「自分は発散するけどひとのものは容れない」っていうタイプだったのかもしれないですね。いまはわりとシンプルに入ってくるし、それをまた出していけるし。ふたつのアイデアなら、1たす1は2じゃなくて、3以上にしなければいけないわけですし。それができるようになったのがいまの強みなのかなとは思っていて。考えもしなかったんで……たとえばひとに曲を書くとかですね。なんか、できるようになりました(笑)。
■はあー、なるほど。本当にいいお話です。いろんな自分のなかの扉みたいなものが開かれていく感じだったんですかね。
青木:まあ、揉まれましたよね(笑)。
■なるほど(笑)。
青木:いや、やっぱ優しいひとにいろいろ出会って。みんな優しいなと思って。自分もですけど、子どもを見る目としてこんな気持ちになるんだなっていうのが強くあって。何て言葉にしていいかちょっとわからないんですけどね(笑)。もちろん自分の大事なものは絶対守んなきゃいけないですし、自分の正解は必ず残すんですけど、もっといろんな見方があって、その見方を受け入れることができなかったら逆に向こうも受け入れてくれるわけがないというか……。現時点ではそこにいるんだと思います。
■ハッピーだからハッピーな曲になるとか、そういう単純な表現をしないわけじゃないですか。一見重たくて厳しいような感触がありますが、今回の作品にはおそらくそういうふうなものが溶け出ているんでしょうね。
青木:はい。そうだと思います。今作は自分のなかでめっちゃ明るいんですけど。めっちゃ明るい曲ばっかり並んでるなーと。だけど、いままでダウニー好きなひと大丈夫かなー、みたいな(笑)。
■へえー! それすごく太字で書きたいです(笑)。
青木:明るいって言われるんじゃないかなと思ってたんですけど、どうやらそうは思われないみたいなんで、それはそれで良かったと思うんですけど(笑)。
5人が5人とも、いろんな経験をしてきたところで、単純に人間性がにじみ出た作品だと思うんですね。だから僕のなかでかなり温かい作品なんです、今回は。むしろ暑苦しいなと思っていて。
■ははは! 明るいというか、プロダクションがすごく綺麗に整えられてる、角とかガサガサしたものが削られてるという感じは受けましたけどね。元々すごくソリッドなギターの音だったり、それこそポスト・パンクっぽいっていうような、ラフさみたいなものがあったと思うんですけど、今回はすごくクリーンというか音響的に透き通っているというか。ジム・オルークとまで言うと何なんですが(笑)、そんな印象を受けました。そのあたり、考えていたことはあるんですか?
青木:でも元々ダウニーは、ひずみ、ブーストするのがイヤなんで。
■あ、そうなんですか? さっき言っていたようなシューゲ否定みたいな感じがあったわけですか。
青木:そこまでは言わないですけど(笑)、ひずませればいい、みたいなのがなんかね……。誰でもできるし。もっとアンサンブルで凶暴さを出すってことですね。リズム・セクションとして凶暴さというか、僕らの持っている闘う姿勢を出していけたらいいなと、いつも思ってやってます。あんまり姿勢としては変わってないんですが、やっぱり僕らも年を取ったし。5人が5人とも、いろんな経験をしてきたところで、単純に人間性がにじみ出た作品だと思うんですね。だから僕のなかでかなり温かい作品なんです、今回は。むしろ暑苦しいなと思っていて。どう映るかはちょっと置いといて(笑)。
■あー、でもそれはすごくいい話です。
青木:いまの僕らにできること。だから無理矢理冷たくすることはやっぱりいまの僕らにはできないですし、怒ってないのに無理矢理怒ることもやっぱりできないです。ほんとに、いま僕らのあいだにある人間関係が生み出したものなんじゃないかなと思います。
だからわりと楽しく作って――まあもちろんキツいんですけど。ダウニーっていうのは制作自体がほんとに何回でもボツりますし、何回でもやり直すし、正解がどこにあるのかほんとにわかんなくなるときもあるぐらい悩みながら、トラック・メイキングしていくっていうバンドなんです。それをしかも、PCという選択肢もあるのに、わざわざ自分たちで弾き直してやるので。すごくキツい作業ではあるんですけど、わりと楽しくというか、またこのバンドでできるっていう喜びをちゃんと味わいながらやれていたとは思います。
■その楽しさとか温かさ、柔らかさ、それから10年分の成長なり、音楽との出会い直しとかっていう新しい要素のいっぽうで、これまで一貫してきたものとして、いま「闘う」っていうキーワードが出てきましたね。それは、何との闘いってことなのでしょう?
青木:やっぱり自分たちの作ってきたものを、10年経っても聴いてくれるひとがいて、音源を出してくれるレーベルがいてくれるというだけでも、「どれだけ信頼してるんだよ」って――愛してもらってるんだなって思うので、そのひとたちに「ダウニーはやっぱりまたスゲーの作るな」と思わせなきゃいけないですよね。
だから、いちばんの敵は自分たちだし、自分らは前作を超えなきゃいけないですし。そこについては、メンバーがみんな一貫して「ダウニーっぽい」っていうイメージを持ち続けていたのが――首を絞めもしましたが(笑)――結果やりやすくなったんじゃないかなと思います。まずレーベルのひとたちがカッコいいって言ってくれないとはじまらないですし、僕ら自身もそうですし。
■自分たちが闘いの対象だというのも、ダウニーのストイックな部分のひとつだと思うんですけれども、もうちょっと社会的な部分で、外に向かう闘いみたいな、そういうことはあんまりないんですかね?
青木:まあ、べつにシーンに一石を投じるとか、そこまで大仰なことは僕も思っているわけではないんですが……。9年のブランクがあって、僕はいわばルーキーなんですよ、いま。イメージとしては学生ぐらいの感じなんで(笑)。ほんとにギター持ったばっかりの頃の初心に戻っているので、そこまでおこがましいことは思っていないですね。まあでも、ファン以外の人にも聴いてもらうわけですから、他のバンドに「あいつらと対バンしたくねー」ぐらいに思われることはやんなきゃいけないと思います。自分らの音楽が、いまのところの自分らの正解であるというところまでは、ちゃんと作り上げたいので。
社会に対して、という部分は、僕ら元々そういうスタンスでもないですから。もっと単純に、「こういう表現がしたい」っていうことを突き詰めているバンドだと思います。僕に至っては、自分の頭にあるものを映像でも何でもいいから吐き出していくというだけですしね。そこを目的にしています。
沖縄という場所
■なるほど。それはとてもよくわかります。でも、音楽にする必要はさらさらないんですけど、沖縄にいらっしゃると内地では見えなかったことが見えたりする部分もあるんじゃないですか?
青木:そうですね、たとえば基地の問題なんかは根深いです。誰も欲しいとは思っていないけど、依存している部分もあると思います。なければ実際に沖縄の経済が支えられないというような現実もあって。
■ああ、なるほど。産業って観光くらいなんでしょうか。沖縄って、シングル・マザー率が高かったり、所得の水準が低かったり、常夏の楽園ではない、暗い部分を抱えていたりもしますよね。地震のあとはこちらから移住する人もけっこういたんじゃないかと思うんですが。
青木:そうだと思います。ただ、沖縄もそれぞれのコミュニティは小さなものなので、そこで元々の住民と分離せずに馴染んでうまくやっていけるかどうかというところでは、必ずしもうまくいっていないところもあるのかもしれません。
■ああ……、今後ますますくっきりと明暗の出てくる問題なんでしょうね。逆に東京から距離をおいたことで、東京を客観的にとらえて見えてくるところもあったのではないかと思いますが、何か問題や欠点みたいなものは見えますか?
青木:そうですね……。沖縄では、子どもを夕方家に連れて帰ってくるときなんかに、いっしょに近所の子の面倒もみたりするんですよ。気軽に声をかけて、ちょっと注意したり、連れて帰ってきたり。そういうことは、東京だとできないことかもしれませんね。
■ああ、地域社会が機能しているんですね。青木さんは、本当にきちんと沖縄という土地に住まわれているんですね。わたしも、実家の方はまだそんな感じだと思います。
青木:田舎はそうですよね。沖縄はやはり田舎でもあるので、アーティストがあまり来ないんですよ。ライヴ公演が少ないんです。モトを取れるほど集客ができないので……。そのかわりクラブがとても盛んですね。
■ああ! なるほど! 田舎であるがゆえに、持ち寄り文化というか、自分たちでてきるパーティが主流になると。
青木:DJだったらひとりですし、呼びやすいですからね。僕の店でもいろいろやってるんですよ。
■あ、それは素晴らしいです。
青木:レイ・ハラカミさんも、ご生前最後にライヴをされたのがうちの店なんですよ。
■ええー、そうなんですか! 地方で、ご自身のやれることをちゃんとマネタイズしながらも純粋にやって、地元の音楽の現場もきちんとあっためて、子育てもして……、すごい10年だったんですね。新作も、錆びるどころか、本当にそうした人としての充実までが音に結びついているということがよくわかりました。お人柄もふくめて感服いたします。では、活動が再開したからといって、東京には引っ越されないんですかね。
青木:いまのところはそうですね。
■ぜひ、お店に『ele-king』置かせてください!
青木:ぜひ!
■わー、ありがとうございます!