「Nothing」と一致するもの

Francisco Franco - ele-king

 ダックテイルズやウッズのウォーミーでドリーミーな、きりもなくつづくギター・アンビエントに、リズムマシーンで簡素なビートを加えたのがフランシスコ・フランコの音だ。いずれも3分から5分の枠に収まるようなトラックだから、きりもないということはないけれど、ミニマルで反復的、展開がほぼないというニュアンスでとらえていただきたい。ノイ! に比較されている。エメラルズというよりもマーク・マグワイヤに近い牧歌性、そしてイナー・チューブのガレージ感や躍動がある。マニュエル・ゲッチングという感じではない。スピリチュアルな要素も薄いように思う。恍惚や忘我ではなく虚脱や弛緩──トランシーなのではなくレイジーな音の波に、心地よくさらわれる体験。

 かといってダックテイルズのようにずぶずぶにならないのは、やはりリズムトラックのためだろうか? “アベル・マナー”の生のドラムのようにも感じられる2ビートのほかは、みな何の工夫も、フィルインさえない単調なプリセットのパターンがオートマティックにつづくだけなのだけれども、硬めのプリンみたいに、音がちゃんと立っている。レイジーともいえるしクリティカルともいえる。そして、ビートを抜いて考えてみても、どこかこのトリオにはスタイリッシュに締まったところがあるように思う。“ホテル・バイ・ザ・レイルロード”のシンセなんか洒落ている。弛緩しながらもポイントをついて、目立たず引き算をする。構築的というか駆け引きがあるというか、それが本当にさりげないレベルで心憎い。
 “ウィターリス”は可愛い。“ワンショルダー・マン”なども、クラウド・ナッシングスから、ちょっと飛んで〈モール・ミュージック〉のパスカル・ピニョンなんかを好きな人まで聴けるのではないだろうか。すごいぞ、どんどん聴ける。何周かすると、全体の構成にも、アンビエントやドローンの作品の方法論ではなく、どちらかといえばポップ・アルバムのルールに近いメリハリや勾配が感じられてくる。

 というこのアルバムを作っているのは、プルリエントやあるいはピート・スワンソンにも似た、ハーシュノイズ吹き荒れるダンス・アルバムを〈ホワイト・デニム〉からリリースしているM Ax Noi Machことロブ・フランシスコと、エア・コンディショニングのメンバーとして活躍するマット・フランコのデュオ。現在はトリオのようだが、フランコでもフランシスコでもないネイト・デイヴィスもアンチェインというノイズ・プロジェクトで活動している。つまり完全にインダストリアルの文脈から出てきたノイズ・ミュージシャンたちで、〈ニュー・イメージズ〉のサイトによれば「よりメロディックで、耳障りでないものをつくりたい」から結成したということだけれど、どういうことだよというくらい対照的な音を作っている。

 ダック・テイルズ=マシュー・モンダニルが主宰の〈ニュー・イメージズ〉からリリースされているのは、音楽性からも人脈としても納得できる。ただ、筆者はフランシスコ・フランコのように手練感のある存在よりも、ディープ・マジックの昨年作(『リフレクションズ・オブ・モスト・フォーゴットン・ラヴ(Reflections Of Most Forgotten Love)』、プリザヴェーション)のような、文芸的な色彩とピュアさをたたえた、才能あふれる感じが好きで、レーベルは違えどディープ・マジックの方に〈ニュー・イメージズ〉の進化形のようなものを勝手に感じたりもする。とはいえ、何度も繰り返し聴くことになるのは間違いない、本当に本当に心地よい作品だ。好きなアルバムとよく聴くアルバムはちょっとちがう。

Vince Watson - ele-king

 スコットランド……といえば、サー・アレックス・ファーガソンである。苦戦しているがモイーズもスコットランド人だ。プレミア・リーグにはスコットランド人監督が多く関わっているが、やはりあの昔気質の面倒見の良さが活きるのだろうか? 
 スコットランド……それもグラスゴーとなると、クラブ・カルチャーも熱く、ことデトロイト・テクノの人気はすさまじい。かつてURはロンドンは避けてもグラスゴーではライヴをやっていたほどだ。その寒くて熱い街、グラスゴー出身のデトロイト・フォロワー、ヴィンス・ワトソンの来日公演が週末にある。テクノ/ハウス好きは、ぜひ、覚えておいて欲しい。

1/31(金) Vince Watson

 Francois K.やJoe Claussellなど数々の著名DJが楽曲をこぞってプレイしたことで世界的に一躍有名になり、Carl Cox、Laurent Garnierからも高く評価されるハウス/テクノ・プロデューサー、Vince Watsonが表参道ORIGAMIだけの来日公演をおこないます!
 さらに、ドイツの〈Kompakt〉からのKaito名義の作品で知られるHiroshi Watanabe(aka Kaito)も出演決定!
 他に、Shinya Okamoto、Ko Umehara、Kyohei Saitoと、VJには HAJIME が一晩を演出します。

 疾走感漲るリズムに、叙情的でメランコリックなシンセ・ワークで、スケール感の大きな繊細なアルペジオ・シンセが軽やかに浮かび上がってくる楽曲は、デトロイト・フォロアーとしての高いクオリティで、際立った存在感を放っている。Vince Watson(ヴィンス・ワトソン)は、現在アムステルダムを拠点に活動し、自身のレーベル〈BIO〉を中心に、グラスゴーの〈HEADSPACE〉やデトロイトのCARL CRAIGが主宰する〈PLANET E〉からも作品を出している。

 オンリーワンのサウンドシステムを持つORIGAMIで鳴らされるデトロイト・テクノを継ぐ者=ヴィンス・ワトソンの久々のDJプレイは見逃せない! 

[日程] 1/31(Fri)
[公演名] Vince Watson
[OPEN] 24:00
[PRICE] Door:3,000yen

[出演]
MAIN FLOOR:
Vince Watson(Bedrock/Planet E/Pokerflat/Ovum/Amsterdam)
Hiroshi Watanabe aka Kaito (Kompakt)
Shinya Okamoto(Foureal Records)
Ko Umehara(-kikyu-)
Kyohei Saito(Ourhouse)

GALLERY FLOOR:
dsitb (BLAFMA / invisible / Snows On Conifer)
Satoshi Onishi (strobo)
Aiko Morita 
Kamekawa (MTCP / Daytona / Drop) 
Nao (inception) 

[会場名] ORIGAMI
[住所] 〒107-0062
     東京都 港区 南青山 3-18-19 FESTAE表参道ビルB1F(表参道交差点)
[電話] 03-6434-0968

[facebook イベントページ]
https://www.facebook.com/events/469506413161295/


VINCE WATSON (BIO MUSIC/PLANET E/DELSIN/AMSTERDAM)

 スコットランド、グラスゴー出身、現アムステルダム在住のエレクトロニック・ミュージック・プロデューサー、VINCE WATSON。

 彼はハウス/テクノのダンス・ミュージックからアンビエント・ミュージックまで幅広く楽曲を制作し、デトロイト・テクノ・フォロワーとして注目されているアーティストである。

 VINCEは、10代の頃にDJをはじめた。主にHIP-HOPや初期のHOUSEをプレイしていたという。ハービー・ハンコックやジャン・ミッシェル・ジャール、デリック・メイが創り出す音楽に影響され、自らも楽曲制作を開始する。1995年にはデイヴ・エンジェルのレーベルである〈Rotation〉からデビュー・シングル「Innovation EP」をリリース。そしてグラスゴーのクラブ、アリーナでレジデントDJとしてそのキャリアをスタートする。当時Jeff MillsやLuke Slater、Kenny Larkinといった著名なアーティストと共演する。

 ハウス~テクノとクロスオーヴァーな音楽性を追求する彼は、1999年、〈Aloha Records〉より1stアルバム『Biologique』を発表。そこに収録されていた"Mystical Rhythm"はシングルとしてもリリースされ、今でも色褪せないテクノ~ハウス・クラシックとなった。
 発表当時Francois K.、Joe Claussell、Derrick May、Carl CraigといったDJがヘヴィー・プレイしたこの楽曲は世界的大ヒットを記録し、一躍彼の名は注目を集めている。
 2002年には2ndアルバム『Moments in Time』を〈Ibadan Records〉からリリースしているが、こちらはCarl CoxやLaurent Garnierからも高く評価された。その後2005年には『Sublimina』、『Echos From The Future:View To The Past』、2006年には『The eMotion Sequence』、『Live At Kozzmozz』と好調にハイ・クオリティなアルバムをリリース。今やシーンにとって欠かせないアーティストとなった。

 昨年には傑作アルバム『Every Soul Needs A Guide』をリリース。彼独特の美しい旋律が胸を打つ素晴らしい内容のアルバムで、世界的に絶大な評価を得ている。今回の来日ではDJとしてではなくLIVEを披露。彼の本領発揮となる素晴らしいパフォーマンスが聴ける絶好の機会だ。

https://www.vincewatson.com/


#1 Cherry Brown - ele-king

■サウス×アイドル×アニメ=Cherry Brown

「彼女ですか? いるわけないじゃないですか! 僕、人見知りだから初対面の人と会話ができないんですよ(笑)。『なに話したらいいんだろう?』ってなっちゃう」

 Cherry Brownは大きな目を見開いて笑いながらそう話した。彼は正直な人間だ。

「どのジャンルだから聴かないとか、そういう壁みたいなのは薄れちゃいましたね。もともとはサウスのヒップホップが大好きだったけど、『らき★すた』がきっかけでアニメにハマって。時期は高校を卒業したばかりの3月で、とくにすることもなくいつものようにネットを観てたんですよ。ちょうどその頃、ネットで『らき★すた』のオープニング曲の「もってけ! セーラーふく」がヤバいって話題になっていたんです。それで興味を持って観たら、一発でやられちゃって(笑)」


“もってけ! セーラーふく”

「アイドルだって、昔は大っ嫌いだったんですよ。モーニング娘。とかがラップっぽい曲とかやってるのとかも“ダサー”って思ってたし。 偏見がなくなったいちばんのキッカケはPerfumeにハマったこと。『チョコレイト・ディスコ』ですね。当時通ってた音楽の専門学校で仲良くなったさつき が てんこもりが僕に教えてくれたんですよ。あの曲が良すぎて、それまでアイドル・ソングに対して持っていた偏見や壁みたいなものがなくなってしまった。そしたらどんどんいろんな曲が自分の中に入ってきて。ももクロもZになる前までが好きでした。あの頃のほうが単純に曲が良かった。しおりん(玉井詩織)に関しては別ですけど(笑)。ずっと好きです」

「好きなものからの影響って自然に出てきちゃうんですよ。“サウスとアイドルを混ぜてやったら(表現したら)クールだろう”とかそういう意図はぜんぜんなくて、自分の中にあるものを表現したら自然とこういう形になっていきましたね。僕がヒップホップのトラックメイカーだからといって、アニメやアイドルが好きなのを隠してサウスのトラックしか作らないのは、それこそ不自然だと思います」

 この考え方は彼のリリックにも表れている。

NΣΣT“All That I Can Do feat. Cherry Brown”

NΣΣT“All That I Can Do feat. Cherry Brown”抜粋

まぁぶっちゃけると好きな子がいるんだ
正確にはいた そう、今は違うさ
久々だった本当あんな夢中になったのは
いつも気づいたら想ってた君を脳内でうつしてた
キモいのはわかってるけどメールがない時迷いながらもツイッター覗き見
どうしようもなかった本当に 超考えてたよ付き合ってもないのに
でも特に何も変わらず過ぎてた半年 1歩近づくと5歩は離れるの繰り返し
いいかげんそういう君にしたようんざり


チェリー・ブラウン
エスケーピズム

ビクターエンタテインメント

Tower HMV iTunes

 この曲について彼はブログで「聴けばわかると思うんだけど歌詞がストレートすぎるというか・・・剥き出しというかwww これはなーーって思ったんでお蔵入りしてたんだよね」と綴った。

 ヒップホップは「お題」に対してどれだけ面白い/カッコいいことを言えるかを競うコンペティションのような側面がある。実体験をもとにしていれば、他のラッパーが言えないディティールをリリックに入れ込むことができる。それは説得力のある強いラインにつながる。つまりラッパーにとっては自身の「リアル」をどう定義するかが、非常に重要であると言えるだろう。

 以前AKLOはこんな発言をしていた。「日本のヒップホップシーンには不良で面白いやつはいっぱいいるけど、もうその枠は供給過多なんですよね(笑)。USのヒップホップシーンはそれこそいろんなキャラクターがいっぱいいるんですよ」。

 AKLOの言う通り現在の日本のヒップホップ・シーンには不良が多く、彼らの主張の多くは「ラップでのし上がる」というものだ。しかし、それはUSヒップホップのリアルであって、日本ではなかなか受け入れがたい考え方のような気がする。

 たとえば、アメリカでは街角のギャングから億万長者になったJAY-Zや、冴えない音楽オタクから一躍ヒップ・スターとなってしまったPharrellのようなアーティストが実在している。しかし日本にはまだそういった例が存在しないだけに、若者が「ラップで人生の一発逆転を狙う」と言っても説得力に欠ける気がするのだ。それこそ、「なんで日本人がヒップホップなんて」という、もうB-BOYなら耳にたこができるくらい言われてきた常套句を聞かされるのがオチだ。

 日本のロック・シーンにさまざまなアーティストがいるように、ヒップホップにだっていろんなアーティストがいるべきだ。MSCやANARCHYのようなギャングスタ・ラッパーも、5lackのようなマイペースなのに繊細なラッパーも、AKLOのようなUSヒップホップを意識的にトレースしたようなラッパーも、THA BLUE HERBのようなストイックなラッパーも。もっともっと、ラッパーの数だけリアルがあっていい。そしてそのすべてが正解なのだ。その数が増えれば、USヒップホップとは違う、日本のヒップホップの形がもっと見えてくる。

 Cherry Brownの存在は、ある意味で日本のヒップホップ・シーンが到達した“幅”の突端でもある。

DUPER GINGER“Dubwise Madness feat. Cherry Brown”

DUPER GINGER“Dubwise Madness feat. Cherry Brown”抜粋

週末 外には出ず 今夜もひとり家でチル
モニター通して聞こえてるみんなの声 まただぜ
どこか遊びに行けばよかったとひとりつぶやいて
わけわかんねえこと考えて 勝手にひとりで落ち込んで
(中略)
とくになんもすることないから 自分の部屋ベッドの上座ってる
お酒はチビチビ飲んでる そして適当な場所トリップ遠足

「この曲は普通に実話です(笑)。僕がこんなに引っ込み思案になった原因ですか? うーん……。女の子との関係性をうまく築けないという部分が、(僕の引っ込み思案の)根っこにあるかもしれません。小学生の頃はお調子者で「ちんこ、まんこ」とか言ってみんなを笑わせてました。でも、女子に対する積極性みたいなものはなかったんですよ。それを思春期にこじらせちゃって。積極性がないというよりも、むしろ引っ込み思案な人間になってしまった。そうなってしまう直接のきっかけや明確なトラウマみたいなものはないんだけど、小学生の高学年くらいからは女の子の視線も自分を嘲笑しているように感じてしまったし、そういう子たちの笑い声も自分に向けられているような気になってしまってました。まあ、いま考えれば被害妄想が激しかっただけだと思うんですけどね」

 こういった吐露をするアーティストは多い。だが実際には、彼らは大抵モテる。彼らの弱音はただのカッコつけツールなのではないか。ステージに立つ華々しい姿に反比例するかのような弱々しい自分を見せることで異性の興味を惹こうとしているのではないか……そうだとすれば、ずるいし、うらやましい。そもそも意識的にそんなギャップを作れる時点で、もしくはそれを女性の前で開陳できる時点で、「あなたは弱くない」と言いたくなる。
 そういった疑念は、もちろんCherry Brownにも持っていた。だから訊いた。「でも、彼女いるし、モテるんでしょ?」その答えが冒頭の発言につながる。「もちろん、昔よりはマシになってきてますけどね(笑)」。やはりCherry Brownはリアルだ。

■歴史

「生まれたのは横須賀の米軍基地の中です。先輩にも基地内で生まれた人がいて、その人いわく(基地の)中で生まれた人はLA出身になるらしいんですよ、神奈川県横須賀市ではなくて。でもそういうのを除けば、僕は横須賀生まれです。物心つく前には父の仕事の関係でアメリカで暮らしていたこともあったらしい。お父さんはマリーンでした」

 横須賀といえば、SIMI LABのMARIAが思い出される。彼女は自身の幼少期をこう語る「当時は基地のなかに住んでたの。なかにも学校はあるんだけど、あたしは外の小学校に行っててさ。お父さんは基地内のアメリカの学校に行かせたかったんだけど、お母さんはあたしが基地内の学校に進学するといずれアメリカに行っちゃうと思ったみたいで、日本の学校に行かせたのね。あたし、こう見えてほとんど英語力がないの(笑)。日常会話程度。だから小学校では“あいつ外人なのに英語しゃべれない”とか言われて、友だちはできなかった。当然、基地内の子とも学校が違うから仲良くなれない。だからあたしはいつもひとりだった」。この経験は彼女の人格形成に大きな影響を及ぼし、リリックにもそれが如実に表れている。ではCherry Brownはどうだろうか?

「MARIAとは同い年なんですが、当時はまったく接点がありませんでした。僕は(お父さんが)小学校に上がるタイミングで軍を辞めちゃったから、ほとんどアメリカ人のコミュニティの中で育ってないんですよ。小学校も公立の学校だけど、人種の問題でいじめや差別をされた経験は別にそんなないかな。友だちとケンカしたときに『このガイジン』って言われるとか、そんな程度ですよ。あと、当時はサッカーやってて、結構真面目にJリーガーを目指してました」

「ヒップホップに興味を持ち出したのは、けっこう昔です。アーミーだったお父さんがギャングスタ・ラップ好きだったこともあって、家や車で普通にヒップホップが流れているような環境だったんですよ。ラップをはじめたのは中学3年の頃からかな。当時はミクスチャーロックの全盛期で、MTVでいろんなバンドのPVが流れてたんです。そういうのを観て僕もミクスチャーのバンドをやりたくなって。でもいっしょにやる人がいなかったんで、ひとりでラップを書きはじめたんです」

「中高生の頃はMTVばっかり観てましたね。サウスが好きになるキッカケとなったリュダクリスもMTVで知りましたし」

 現在25歳のCherry Brownが中学3年生の頃となると、だいたい2000年代初頭。ISDNがどうしたこうしたと言っていた時期なので、インターネットで動画を観るなんていうことは夢のまた夢。そんな時期に洋楽のPVを観るにはTVK(テレビ神奈川)などのローカル局か、MTVやスペーシャワーTVのようなCS放送に頼るしかなかった。拙著『街のものがたり』でPUNPEEもこう語っている。

「ヒップホップをちゃんと認識したのは中2~3くらいですね。スペシャ(スペースシャワーTV)のナズ特集みたいなので、「ナズ・イズ・ライク」のPVを観て“うわー!”ってなったんですよ。その頃、スペシャとかではティンバランドとやってたミッシー(・エリオット)のPVとかもかかってたから、“こういうのがヒップホップなんだ……”みたいな感じで。(中略)あの頃はいろんな音楽がストリート系みたいな感じで括られてましたよね。だから俺もヒップホップだけを強く意識して聴いていたわけじゃなくて、ベックとかブラーとかも同時に聴いてました。当時スペシャでやってた『メガロマニアックス』って番組とか、TVK(テレビ神奈川)でやってた『ミュートマ』とかでかかってる音楽はなんかイケてる感じがしてて、そういうのを聴いてました」

 彼もミクスチャー・ロックにハマってスペースシャワーTVをよく観ていたというが、彼は当時の同局が志向していたオルタナティヴ路線を自ら突き詰めていき現在のスタイルに辿り着き、Cherry BrownはMTVのカラーであるUS色に染まっていく。メディアの打ち出していた姿勢が、その後のミュージシャンたちにここまで色濃く表れるというのも興味深い。

「ライヴをやることになったのは、RICHEEさんと知り合いになったからです」

 RICHEEとはCherry Brownが所属するJACK RABBITZのメンバーで、BIG RONの実弟でもある。

「RICHEEさんはもともとウエッサイの有名人で。それで僕が高校生の頃にバイトしてた居酒屋に飲みに来たんですよ。僕は人見知りなんで、面識のない人に自分から声をかけたりはしないんですが、このときは勇気を出して「僕、ラップやってるんです」って話しかけたんですよ。そしたら、「じゃあデモテープちょうだい」と言ってくれて。」

「RICHEEさんに渡したデモは何も考えないパーティ系の「盛り上がろうよ〜」みたいなラップでした。でもそれより前のいちばん最初は社会派だったんですよ(笑)。「戦争やめろー」とか言って。でもなんか違うなって気がしてきて、今度はいろんな人をディスしまくったんです。当然それもハマらなくて、自分がハマる感じを探して、いろいろやるうちにけっこう自然といまのスタイルになったんですよ」

■Soulja BoyとLil B

 Cherry BrownはAKLOと同じくインターネットのミックステープのシーンから登場したアーティストだ。

「インターネットは高校生くらいから好きでずっとやってるんです。僕の制作環境がPCに移行するきっかけもじつはインターネット経由で。僕はメジャー・デビューする前からSoulja Boyが大好きで、彼のMyspaceプロフィールを細かくチェックしてたんです。そしたら、そこで“FL Studio”って言葉を見つけたんですよ。「なんだろうなー」と思って調べてみたらそれが作曲ソフトだということがわかったんです。当時の僕の制作環境はリズムマシーンとSP404というサンプラーだったんですけど、そこからPCで制作するようになりました」

 Soulja BoyがCherry Brownに与えた影響は、もちろん機材だけではない。Cherry BrownはSoulja Boyからインターネットを活用したセルフ・プロモーションのメソッドも学んだという。

「インターネットの使い方はかなりお手本にしています。あの人はガンガン新曲作って、すぐにネットでフリー・ダウンロードできる形で公開してって感じでしたよね。自分も当時はそういうのをすごく意識してて、もういっぱい曲を作って、どんどん発表してくしかないって思ってました。そのイズムはいまもあって、作ったら気楽にポンって上げちゃうっすね。曲ができたら、すぐにみんなに聴いてもらいたいというのもあるし」

「あとはLil Bっすね。Myspaceのプロフィールを死ぬほど作ったり(※違法アップロードを繰り返してすぐに削除されてしまうため)、自分で工夫したネットのセルフ・プロモーションだけでどんどん知名度を広めていきましたからね。彼はめっちゃ頭いいアーティストだと思います。リリックも普通にすごいですから。しかも実際は超ラップうまいのに、あえてああいうショボい感じでやったりもして。でも話題が話題を呼んでじゃないっすけど、なんかクチコミでどんどん広まって“なんだ、こいつは?”的に広まってったみたいな。」

 Cherry BrownがLil Bを意識して作った曲が“I’m 沢尻エリカ”だ。

Cherry Brown“I’m 沢尻エリカ [Prod.Lil'諭吉]”

 ブログでは「ある日歯医者の帰りにその曲(「I’m Paris Hilton」)聴いてて、パリス・・・パリス・・・日本だったらエリカ様!って思いついて。とりあえずその日のうちにちゃちゃっとトラックと1ヴァースだけ書いて数日後に最後のヴァース書いて週末にレコした感じです。まぁ面白いからって感じで作ってみた。アメリカのLil Bが作ったパリスヒルトンに対して日本からちぇりーが沢尻エリカさんでアンサーだ的な感じかなww」

 Cherry Brownは計算というより、本当にノリで楽しみながら活動しているのだろうが、Lil Bと同じく「めっちゃ頭いいアーティスト」であると言えるだろう。彼が優れているのはラップ・スキル、トラックメイキングのみならず、他の誰とも違うという点だ。日本はもちろん、世界を見渡してもCherry Brownと同じアーティストはいない。つねに自分に正直に、楽しいことを妥協なく追求した結果が、現在の彼のポジションを作り出している。

■Escapism


チェリー・ブラウン
エスケーピズム

ビクターエンタテインメント

Tower HMV iTunes


巻紗葉
街のものがたり―新世代ラッパーたちの証言

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 彼のメジャー・デビュー・アルバムとなった『Escapism』。“現実逃避”と題された本作は、そんな彼のパーソナリティ、サウンド、ラップ・スキルが詰め込まれている。

「もともと別のインディ・レーベルからずいぶん前にリリースする予定だったんですよ。でも結局はその話が流れちゃって。だから今回のアルバムはコツコツとブラッシュ・アップできたという部分がありますね。最近は原点回帰じゃないですけど、また二次元がアツくて。アニメとか超観てるんですよ(笑)。『Angel Beats』というアニメがあるんですけど、そのオープニング(“My Soul Your Beats”)とエンディング曲(“Brave Song”)がいいんです。とくにエンディング曲が好き。そういうのとか、あとまたサウスをすごく聴いてたりしてて。そういう気分もアルバムにはすごく反映されてますね」

 タイトルにはどんな意味があるのだろうか?

「最初のほうにも言ったけど、被害妄想が激しいところがあって。(精神的に)落ちるときはホントめっちゃくちゃ落ちるんですよ。アルバムの1曲めの“Loop”なんかは、まさにそういう曲。あぁ、またこの感じがきちゃったなぁって。そういうときにうわーって二次元とかに行っちゃうんですよ」

「確かに僕にとって音楽が現実逃避という部分はあると思います。音楽だったら普段できないことでもなんでもできちゃう。たとえば「C.H.T.」なんかは日本語ラップのシーンのことを歌っていて、僕がやっていることにああだこうだ言うやつとか、ちょっと名前が売れてきたらすり寄ってくるやつとかを全員ぶっ殺すみたいな感じなんです。こんなの実際は絶対にできないけど、音楽だったらできる。ライヴもそう。普段は人見知りで知らない人とは話せないようなやつだけど、ステージに立つとスイッチが入っちゃう」

Cherry Brown“Escapisms”抜粋

俺はムズカシイ事を考えるのはもう止めた
未来を心配するのも止めた 面倒な事は
美少女の笑顔の下に埋めた ごちゃごちゃうるさいよ俺の手は
お菓子で手一杯 好きな事を考えるので精一杯
今日からは楽しいことで目一杯

 これまた偶然なのだが、PUNPEEも以前こんなふうに話している。

「俺は何も背負いたくない。ナイトオウルみたいに世界がどうとか考えてないんですよ。好きな人といっしょに世界の終わりとかも関係なく、楽しく生きていたい無責任な男なんです。たとえば“CHRONO TRIGGER”のサビは基本的にただの言い訳なんですよ。“こんなデカい時代の一部なら この際もう開き直っちゃえばいいじゃん”とか、超カッコつけた開き直り(笑)」

 アーティストとは元来クリエイティヴのことだけを考えていれば良いのだろう。売り上げがどうした、セルフ・プロモーションがこうした、ヒップホップ・シーンがうんぬんかんぬん……。そういったことは彼らを支える人間が考えればいい。彼らはただただ絶対的な力を持った音楽を作り出すことに注力すればいい。たとえ彼らの作った曲が負から生まれたものだとしても、そこには僕らを笑顔してくれたり、スカッとさせてくれたりするエナジーが込められているのだから。

Collections of Colonies of Bees - ele-king

 クリス・ロゼナウは僕が見たなかで、楽しそうに演奏するギタリストの5本の指に入る。彼はおよそライヴちゅう、ゴツい体を揺らしながらずーっと笑っている……それは、ゼロ年代初頭から半ばころにはそのほとんどがジャンル化してしまったポストロックのしかめっ面とはかけ離れた表情に思えた。実験のための実験、堅苦しいテクニック信仰、妙にナイーヴな自意識や感情表現……といったこの国における一部のポストロック受容の窮屈さとは無縁の笑顔だ。
 おそらくギターのコードだろうか、ただ"G(F)"、"E(G)"、"B(G)"と記号的なタイトルがつけられた楽曲からは、バンド・アンサンブルが楽しくて仕方ないプレイヤーたちの歓びが聞こえてくる。とても伸び伸びした大らかな演奏で……いや、それにしても、こんなに大らかなバンドだっただろうか? ペレを前身としたコレクション・オブ・コロニーズ・オブ・ビーズは、ジョン・ミューラーとクリス・ノゼナウを支柱としたバンドであったが、2010年の日本ツアーを最後にミューラーが脱退。どこか思索家の佇まいを持ったミューラーがペレ以来の実験主義を担っていたため、『セット』は非常にノゼナウ度数が高いものとなっているようだ(ミューラーはソロでドローン・アーティストとして、実験主義の道をさらに突き進んでいる)。ガチャガチャした演奏が次第にひとつになって高揚していくダイナミズムはこれまでと同様だが、しかし決定的にムードが変わったようにも思う。少なくとも、共通するメンバーを3人持つヴォルケーノ・クワイアとは鳴らされるエモーションの質が全然違う。ヴォルケーノが秘めた熱を噴出させる火山ならば、コロニーズはもっとあけすけであっけらかんとしていて、シンプルで、チャーミングだ。たしかにミツバチのように動物的に機敏であるとも言える。ドローン~アンビエントではじまる"D(F)"もその柔らかさに潜っていくことはなく、いつの間にか8ビートが駆け出してすぐに躍動するアンサンブルへとなだれ込んでいく。

 僕はこのバンドの音のアタックを聴くのが好きだ。ラストの"F(G)"、裏拍でビタッと揃えられる、「ン、ダーン」という呼吸には音楽のプリミティヴな興奮が宿っているように感じる。ノゼナウが弾くギターはとても叙情的だが、まるでめそめそしていない。湿っていないし、豪快だ。長い間実験を重ねてきた結果、実験そのものがシンプルにFUNになってしまったような茶目っ気たっぷりの本末転倒とでも言おうか、その生きた感覚があるのならば、まだポストロックは更新できる余地があるのかもしれない。
 来日が決定しているそうなので、ぜひともバンドのアタックの呼吸を感じたい。僕はとくにライヴ至上主義者ではないけれども、コロニーズがライヴを観てこそのバンドというのは大いに同意するところだ。クリス・ロゼナウはあのひとのよさそうな顔で、ビール片手に「カンパーイ!」と言うだろう。

CONGO NATTY JAPAN TOUR2014 - ele-king

 「92年はどこにいた?(Where Were U In '92?)」が合い言葉となって久しい。92年とは、UKレイヴ・カルチャーすなわちジャングルが爆発した年です。私はその年クボケンと一緒にロンドンのレイヴ会場で踊っておりました。ジャングルのパーティで。
 で、ブリアルの新作にも如実に表れていたように、紙エレキングでも紹介したブリストルのドラムステップがそうであるように、ジャングル・リヴァイヴァル(そしてそのニュー・スクール)は、目下、UKのアンダーグラウンド・ミュージックの台風の目になっている。
 来る2月14日と2月15日、ジャングルの本場からシーンのパイオニアレベルMCことコンゴ・ナッティが来日DJを披露します。UKならではのサウンドシステム文化ばりばりの、迫力満点のオリジナル・レイヴ・ジャングル・サウンド、この機会をお見逃しなく!
 主催はいつもの〈DBS〉。2月14日(金曜日)は大阪CIRCUS。2月15日(土曜日)は代官山ユニット。「ジャングルってどんなもの?」って興味がある人たちにとっても気軽に入れるパーティです。
 来日を記念して、オーガナイザーの神波京平さんが「ジャングル・クラシック20選」を書いて下さいました。以下、ジャングルの歴史をおさらいして、コンゴ・ナッティの来日を待ちましょう!

■JUNGLE CLASSIC 20選 (神波京平・編)
1.CONGO NATTY - Jungle Revolution
[2013: Big Dada]
ジャングルのパイオニア、コンゴ・ナッティ/レベルMCの最新アルバム。オリジネイター達のMCや数々の生演奏をエイドリアン・シャーウッドと共にミックスしたニュー・クラシック!
UK All Stars
2.TRIBE OF ISSACHAR Feat. PETER BOUNCER ‎– Junglist
[1996: Congo Natty]
レベルMCの変名リリース。レイヴ期から活動するシンガー、ピーター・バウンサーをフィーチャーした、まさにジャングリスト・アンセム。
https://www.youtube.com/watch?v=yXVrwuJo-6Q
3.BLACKSTAR Feat. TOP CAT ‎– Champion DJ
[1995: Congo Natty]
これもレベルMCの変名。UK屈指のラガMC、トップ・キャットをフィーチャーしたビッグチューン。
https://www.youtube.com/watch?v=SPAPDltCrIA
4.Barrington Levy & Beenie Man ‎– Under Mi Sensi (Jungle Spliff Mix)
[1994: Greensleeves]
UKレゲエ・レーベルからレベルMCによる名作のジャングルREMIX。
https://www.youtube.com/watch?v=-YQX1jnFT0I
5.CONQUERING LION ‎– Rastaman
[1995: Mango]
メジャーのIsland/Mangoからジャマイカのビーニ・マンをフィーチャーしたレベルMCのプロジェクト。
https://www.youtube.com/watch?v=J8TRMgfb7aU
6.LEVITICUS ‎– Burial
[1994: Philly Blunt]
ウェアハウス/レイヴ期から中心的DJとして活動するジャンピング・ジャック・フロストのレーベルよりフロスト自ら手掛けたアンセム。
https://www.youtube.com/watch?v=z5NMTyAuPMk
7.M-BEAT Feat. GENERAL LEVY ‎– Incredible (Underground Deep Bass Mix)
[1994: Renk]
10代からハードコアとラガをミックスしたジャングルの原型的サウンドを作ってきたMビートの全英大ヒット曲。
https://www.youtube.com/watch?v=rQGUJ7KZ7hU
8.UK APACHI With SHY FX ‎– Original Nuttah
[1994: Sour]
Mビートの"Incredible"と共にラガ・ジャングルの代名詞となる、当時10代のシャイFXによる大ヒット曲。
https://www.youtube.com/watch?v=ACCDZlLLV0I
9.POTENTIAL BAD BOY ‎– Warning (Remix)
[1994: Ibiza]
ラガ・サンプルと銃声等のSEでギャングスタ・ジャングルを完成したポテンシャル・バッド・ボーイの名作。
https://www.youtube.com/watch?v=uimZmQCptjE
10.PRIZNA ‎– Fire
[1994: Kickin' Underground Sound]
レゲエ・サウンドシステム直系のジャングル・コレクティヴ、プリズナがMCデモリション・マンをフィーチャーしたアンセム。
https://www.youtube.com/watch?v=WApv8H5RzXQ
11.TOM & JERRY ‎– Maxi(Mun) Style
[1994: Tom & Jerry]
4ヒーローのジャングル・プロジェクト、トム&ジェリーの名作。4ヒーローならではエモーショナルなセンスが光る。
https://www.youtube.com/watch?v=af9hXricyv0
12.MORE ROCKERS ‎– Dub Plate Selection Volume One
[1995: More Rockers]
スミス&マイティのロブ・スミスがピーターDと結成したブリストル・ジャングルの中核ユニットの1st.アルバム。ソウルフル!
Your gonna
13.SOUND OF THE FUTURE ‎– The Lighter
[1995: Formation]
ハードコア期からFormation Recordsを主宰するDJ SSによるアンセム。フランシス・レイ作曲のイントロから一転爆発!
https://www.youtube.com/watch?v=R8jvWnXEGJM
14.FIRE FOX & 4-TREE ‎– Warning
[1994: Philly Blunt]
ロニ・サイズの変名リリース。トリニティ名義のディリンジャ、グラマー・ゴールド名義のクラスト等、Philly Blunt作品はどれも要チェック。
https://www.youtube.com/watch?v=qfMepn9dzn4
15.DEAD DREAD - Dred Bass
[1994: Moving Shadow]
アセンド&ウルトラヴァイブ名義でも知られるコンビによるハードコア〜ハードステップの名門、Moving Shadowからの重量ベース・チューン。
https://www.youtube.com/watch?v=Uj7EO2uVfDQ
16. DJ ZINC - Super Sharp Shooter
[1995: Ganja]
DJジンクの名を知らしめた爆発的大ヒット・チューン。DJハイプが主宰するGanjaはジャングル〜ジャンプアップの必須レーベル。
https://www.youtube.com/watch?v=bwX6d4wZcso
17.THE DREAM TEAM ‎– Stamina
[1994: Suburban Base]
ビジーB & パグウォッシュのデュオ、ドリーム・チームが名門Suburban Baseから放ったメガヒット!
https://www.youtube.com/watch?v=pNGddllF7AA
追記: ドリーム・チームはやがて自らのJoker Recordsからジャンプアップ・ジャングルの名作を連発。Joker日本支部のDJ INDRA氏から推薦の1曲。
THE RIDDLER - Rock 'n' Roll
[1998: Joker]
https://www.youtube.com/watch?v=nzuPL_W1j-Q
18.KEMET CREW ‎– The Seed
[1995: Parousia]
Ibiza Recordsと共に初期からアンダーグラウンドを牽引したKemetクルー。BMG傘下レーベルにライセンスされたアルバムからのカット。Jungle will never die!
https://www.youtube.com/watch?v=h8myXqa7J6c
19.REMARC ‎– R.I.P
[1994: Suburban Bass]
バッド・ボーイ・ディージェイの代表格、マッド・コブラのヒットを極悪ジャングルに再生したリマークの代表作。
https://www.youtube.com/watch?v=qMYAiVZ-vNQ
20.D.R.S. Feat. KENNY KEN - Everyman
[1994 Rugged Vinyl]
プロダクション・デュオ、D.R.S.がジャングルのトップDJ、ケニー・ケンと組んだディープ&ドープな傑作。
https://www.youtube.com/watch?v=vFLYMXU1C2k

JUNGLE REVOLUTION 2014!!! 最新作『ジャングル・レヴォリューション』でコンシャスな音楽革命を提示したジャングルのパイオニア、レベルMCことコンゴ・ナッティが実息コンゴ・ダブスを引き連れDBSに帰還! 2014年、Congo Natty Recordings創立=ジャングル音楽20周年のセレブレーション! Get Ready All Junglist!
JUNGLE REVOLUTION 2014.......ONE LOVE
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CONGO NATTY JAPAN TOUR 2014

2014.2.15 (SAT) @ UNIT

feat.CONGO NATTY aka REBEL MC
CONGO DUBZ

with.DJ MADD(Roots & Future, Black Box - HU), DJ DON, JAH-LIGHT, JUNGLE ROCK, PART2STYLE SOUND,

open/start: 23:30
adv.3500yen door 4000yen
info.03.5459.8630 UNIT
https://www.unit-tokyo.com
https://www.dbs-tokyo.com
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Ticket outlets:NOW ON SALE!
LAWSON (L-code: 78063)、
e+ (UNIT携帯サイトから購入できます)
clubberia/https://www.clubberia.com/store/

渋谷/disk union CLUB MUSIC SHOP (3476-2627)、TECHNIQUE(5458-4143)、GANBAN(3477-5701)
代官山/UNIT (5459-8630)、Bonjour Records (5458-6020)
原宿/GLOCAL RECORDS (090-3807-2073)
下北沢/DISC SHOP ZERO (5432-6129)、JET SET TOKYO (5452-2262)、
disk union CLUB MUSIC SHOP (5738-2971)
新宿/disk union CLUB MUSIC SHOP (5919-2422)、Dub Store Record Mart (3364-5251)
吉祥寺/Jar-Beat Record (0422-42-4877)、disk union (0422-20-8062)
町田/disk union (042-720-7240)
千葉/disk union (043-224-6372)

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CONGO NATTY JAPAN TOUR 2014

2/14 (FRI) 大阪CIRCUS (問)06-6241-3822 https://circus-osaka.com/
       OPEN 21:00 ADV&MEMBERS: 3500/1d DOOR: 4000/1d
2/15 (SAT) 東京 UNIT (問) 03-5459-8630 https://www.unit-tokyo.com/
      
Total info〉〉〉 https://www.dbs-tokyo.com

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★CONGO NATTY aka REBEL MC
 ルーツ・レゲエを根底にヒップホップ、ラガの影響下に育ったレベルMCは、'80年代後半からスカとハウスのミックス等、斬新なブレイクビートサウンドで注目を集め、『BLACK MEANING GOOD』('91)、『WORD, SOUND AND POWER』('92)でジャングルの青写真を描く。また92年にボブ・マーリーの"Exodus"のリミックスを手掛ける。〈Tribal Bass〉、〈X-Project〉レーベルを経て、JJフロスト、DJロンと共にCONQUERING LIONとして活動、ラガ・ジャングルの中核となる。'94年にジャングル・ファミリーの母体となる〈Congo Natty〉を設立、自らもコンゴ・ナッティを称す。『A TRIBUTE TO HAILE SELASSIE I』 をはじめ、数多くのリリースを重ね、'02年にはMCテナー・フライをフィーチャーした『12 YEARS OF JUNGLE』を発表、初来日を果たす。'05年は足跡を伝える『BORN AGAIN』、'08年には入手困難なシングルをコンパイルした『MOST WANTED VOL.1』をリリースし、新世代のジャングリストを狂喜させ、レベル自らDJとして新たなパフォーマンス活動に乗り出す。
近年は息子のDJコンゴ・ダブス、ヴォーカルのナンシー&フェーベらファミリーも広がり、'13年にニンジャ・チューン傘下の〈Big Dada〉と電撃契約、待望の最新アルバム『JUNGLE REVOLUTION』(日本盤:BEAT RECORDS)をリリース、オリジネイターたちのMCや数々の生演奏をエイドリアン・シャーウッドと共にミックスし、ルーツ・レゲエとジャングルのヴィジョンを深く追求する。レーベル名の"CONGO"はアフリカの民族音楽の太鼓、"NATTY"はラスタファリアンに由来し、彼らの音楽のインスピレーションは主にこの2つの要素から来ており、真のアイデンティティーはもちろんJAH RASTAFARIである。

https://www.facebook.com/CongoNattyOfficial
https://twitter.com/CongoNattyRebel


sei and music - ele-king

 サイレント映画で役者の声を音もなく聴くように、音盤を前にした聴取者が目にするのは歌声が喚起する身体性、つまり肉声を通してたち現れる歌い手の姿である。レコードという「聴くこと」がそのまま「居ること」であるような環境から脱して音を日常的に持ち歩くことができるようになったわたしたちは、しばしば物質的なイメージに囚われることなくそうした姿と出くわすことになる。だから機械仕掛けの「声」でさえ生身の肉体と同じだけの強度をもって現前するのだ。しかしながら歌い手と作り手という親密でミニマムな関係の上に構築される身体のことを考えるとき、ひとつの声がひとつの楽曲と撚り合せられることで他者性を確保しながら極限まで純化されたひとつの身体が生まれることを考えるとき、合成音声装置が跳梁跋扈する現代社会において肉声がなし得ることのひとつには、この純化された身体の唯一無二性を示すこと、同一人物であっても再現不可能な身体性を喚起し続けることがあるのではないだろうか。その意味でこの二者関係とはシンプルな形態でありつつもすぐれて現代的なものなのだと言えるだろう。

 sei and musicはヴォーカリストseiのソロプロジェクトである。彼女は2003年に「のっぽのグーニー」としても知られるコンポーザー・田中淳一郎とju seiというユニットを結成し活動を行ってきた。そこで魅せる歌声は旋律的なものから声と音の境界をゆくものまでさまざまであり、先の考えを踏まえて言えば複数の身体がひとつの肉体に同居しているかのようでもある。しかしこのユニットが生まれるきっかけとなったのは「のっぽのグーニー」の音源があったからだとsei自身が述べるように、ここでわたしたちの眼前に現れるのはひとりの女性が田中淳一郎の才能によって彩られた姿、ある肉体がみせる種々の素振りなのではなかろうか。それは肉声というよりも音声を操作することによって形づくられた楽曲のありようであり、いわば声というものを道具として用いることで編みあげられたアンサンブルなのだ。ある人物に固有な歌声を音楽の要素として駆使すること、それは電子的な「声」と同じ土俵の上に立って楽曲を創出するすぐれた試みではあるものの、歌い手が作り手と溶け合うようなこの場所において聴こえてくるのは音声の清々しさなのであって肉声の生々しさではない。

 このように考えたときソロとして最初にリリースされた本作品とju seiのあいだに横たわる断絶を、前者が徹底的に旋律的であること、どこまでもポップな歌モノとして構成されていることにこそ見いださねばならない。肉体そのものが楽曲という完結した入れ物に押し込まれることによって生まれるのは客体化しえないひとつの歌声であり、そこから紡ぎ出されるひとつの身体であるからだ。聴かれるように本作品に収められているのは辺境の音楽ファンを唸らせる11人の作曲家の各々がseiと取り結んだ濃密な関係性である。楽曲はそのどれもが趣を異にしており、往年の歌謡曲を思わせるものもあれば昨今のポップ・ソングを模したようなものもある。それらに寄り添うようにして吹き込まれたseiの歌声はひとつとして同じものがなく、まるで複数の歌い手が参加しているようでもある。しかしながらすべての楽曲はあくまで歌唱として構成されており、ju seiにおいてみられたような歌い手の固有性は、ここにおいては誰もが繰り返すことが可能な形式の中で際立つ歌い手の独自性となっている。

 興味深いのはそうした多様な歌声がそれぞれどこか既聴感を伴ってあらわれているということだ。戦後日本に滔々と流れる女性ヴォーカリストの系譜を拾い上げるようにして表現された歌声の数々は、楽曲と共犯関係を取り結ぶことでより馴染み深い顔立ちをみせる。それに立ち会うとき、まず目にするのは私わたしたちの記憶を身に纏ったseiの佇まいであり、次に訪れるのはそれを剥ぎ取ることで明瞭となる彼女にしかあり得ない身体のありようなのだ。ここに生々しさがある。それをイミテーションと呼ぶにはあまりにも彼女の個性は強い。だからユーモアよりもさきに官能が訪れる。引用の美が異化効果にあるのだとすればここにあるのは圧倒的な純度の身体がもたらす美しさ、それも複数に分裂してみせるしなやかな肉体のあらわれなのである。わたしたちはこのアルバムでseiに潜在する能力の奥深さを知る。ならば幾年か経ったのちにこの稀有な歌い手の里程標として振り返ることができるように、この音楽を記憶にとどめておく必要があると思われる。

『すべすべの秘法』The Secret to My Silky Skin - ele-king

 「日本で現在、ゲイネスを作中に潜ませたエッセンスやくすぐりとしてでなく、ナラティヴを作り続けているのは、我田引水ながら自分らの他には思い当たりません」というのは、今泉監督とのパートナーシップで映画を作り続けておられる音楽担当の岩佐浩樹さんの言葉だ。彼らの作品は海外の映画祭を中心に上映されており、新作『すべすべの秘法』(“The Secret to My Silky Skin”)のワールドプレミアも日本ではなく、2013年ベルリン・ポルノ映画祭だった。
 真正なるゲイ映画というのは、確かに現代の日本で市場が成立するのかは不明だし、発表の場もごくごく狭い箱の中になるのだろうが、例えば昨年。今泉監督がピンクのバナーを掲げて反韓デモにカウンターをかけに行っておられる写真を見た時には、勇ましげに中指を突き立てる人びとや、白地に黒文字のプラカを手にした人びとが並んだ新大久保の街に、ピンクのバナーがひっそりと、力強く存在しているイメージが頭に浮かび、彼らの映画も日本映画界のピンクのバナーだ。と思った。

               ********

 『すべすべの秘法』はゲイ漫画家、たかさきけいいち原作のコミックの映画化だ。そのせいか、日本におけるカミングアウトや同性婚、「社会改革がリアリティになるのは、よその国の話よね」みたいな日本人の当事者意識の無さ、といったポリティカルな問題をやんわり微笑しながらナイフで斬ってみせた『初戀』(拙著収録の書き下ろしレヴュー参照)とは違う。もっと王道のゲイ日常記というか、京都から東京のヤリ友(ファック・バディー)に会いに来たあるゲイの数日間をまったりと描いている。
 今泉監督は1990年からピンク映画の俳優としても活躍しておられ、2013年ベルリン・ポルノ映画祭では、彼の過去の出演作品と『すべすべの秘法』の上映を合わせた特集プログラム「RETRO : KOICHI IMAIZUMI」が組まれた。ポルノ映画祭で上映されたからには、セックスシーンがばんばん出て来て描写が露骨なんだろう。と思ったが、実はセックスシーンは少ない。露骨。という点でも、そのものズバリを見せているという点ではそうだろうが、そういう派手な言葉は似合わない。
 にも拘わらず、今回の今泉作品でもっとも印象に残っているのは性描写である。
 なぜだろう。
 ゲイ映画をストレート(とくに女子)が見る場合、「いったい男どうしが褥で何を、どうやって致しているの?」的な好奇心があるのは当然であり、BLとかやおいとかの存在もそこに無関係であろう筈がない。わからないもの、自分ではけっして経験で征服することができないものには人間は必要以上にそそられ、ファンタジーすら抱くものだからだ。
 が、そうした映像消費者のBL的期待や、それを満足させようとする市場の常識を打ち砕くかの如くに、『すべすべの秘法』の性描写は日常的で当たり前だ。
 なんかこう、炬燵で蜜柑を食べているようなセックスシーンなのである。
 が、一部のフェティッシュ好きの方々がプロに金を払って行うスペシャル・セッションでもない限り、人間が営んでいる性行為などというものはやはり炬燵で蜜柑を食べているようなものだ。生活の一部であるセックスで、いちいち大袈裟なエロスが毎回展開されることはない。それは性的指向がどうであれ、同じことだろう。
 だのにゲイのセックス描写となると、何か特別なもののようにいやらしく美しく演出されたり、激しいもののように描かれがちなのは、それは作り手(&受け手)の意識にそれが「倒錯したもの」だという前提的感覚があるからではないか。

 そこへいくと『すべすべの秘法』の性描写は見事なまでに倒錯感がない。ったく人間ってやつは、男女だろうと男男だろうとやることは同じなのねー。と微笑ましくさえなる。この日常的で健康的な性描写は、「倒錯したもの」という暗黙の了解の上に成り立つゲイの性描写へのアンチテーゼではないか。何かそこには、ピンクのバナーを掲げて新大久保の街角に立つ今泉監督の姿が透けて見える気がするのだ。

 今日も勤務先の保育園で、子供たちを相手に、「ダディとマミイがいる人、手をあげてー」「はーい」「じゃ、ダディとダディがいる人ー」「はーい」「マミイとマミイがいる人ー」「はーい」「うちのマミイは服を脱いでシャワーする時はダディになるから、どっちなのかわかんない」「うーん、そりゃ微妙だね」みたいな話をしたばかりだ。
 わたしの住むブライトンは同性愛者が多い地域ではあるが、英国では、同性愛者の存在はもはや炬燵の上の蜜柑のようなものになりつつある。

 日本もそのうち、ある日気がついたらそうなっている。
 『すべすべの秘法』の風呂場のラストシーンからはそんな声も聞こえたような気がする。

※第8回ベルリンポルノ映画祭特集プログラム凱旋上映
 RETRO 今泉浩一×佐藤寿保
 2014年2月5日(水)から8日(土)まで渋谷UPLINKで行われます。
 『すべすべの秘法』を含めた4作品に『家族コンプリート』を加えた特別凱旋上映です。
 2月8日(土)15:00〜上映後には田亀源五郎×今泉浩一のトークショーがあります。
https://www.uplink.co.jp/event/2013/21607


Opitope - ele-king

 かつては理屈っぽい特殊なジャンルだったアンビエントも、今日ではすっかり感覚的かつ曖昧なジャンルとして欧米のいたるところから量産されるようになった。需要も高まっているのだろう。アンビエントはいまやカジュアルなジャンルである。
 三田格の調査によれば2006年が史上3度目のピークだというが、現在あるのは90年代のクラブ・カルチャーのサブジャンルとして拡大したアンビエントとは別の潮流だ。とは言うものの……、期待を込めて書かせてもらえば、かつてのクラブ・カルチャーを特徴付けた匿名性(スターはいらない)、共同体の再構築(その質を問う)、場の意外性(まあ、お寺とか、普段行き慣れていない場)という視座を継承している。何にせよ、相変わらずうるさい音楽が好きな人間が多数いる一方で──僕もうるさい音楽を聴いてはいるが、しかし、このところ密かに、多くの人間がうるさくない音楽のフォーマットに可能性を見ているのである。
 それこそその昔、「ハウス」と名が付けられさえすれば、あとはもう何でも好きなように音を工夫できたのと似て、「アンビエント」もすっかり雑食的な分野になった。インダストリアルでもコズミックでも、メタルでもダブでも、ギャグでもシリアスでも、素人も大勢参加して、何でもありだ(ということを三田格の『アンビエント・ディフィニティヴ』は言っている)。アンビエトはマニアのためのジャンルであることを超えて、時代のうねりのなかの切り拓かれた場となり、手段となった。

 実際、日本でもアンビエント系のクリエイターの作品は後を絶たない。そうしたアンビエントの時代において、伊達伯欣と畠山地平は、とくに2005年以降、国内外での評価をモノにしてきた人たちで、シーンの今後を占うという意味でもキーパーソンだ。
 日本のミュージシャンは「静けさ」を表すのがうまいと感じることが多々ある。彼らの「静けさ」が自分の好みに合っただけのことかもしれないし、伊達伯欣と畠山地平のオピトープを国民性になぞって紹介するのは無粋だとは思うのだが、素晴らしい「静けさ」が録音されている彼らのセカンド・アルバム『ピュシス』の収録曲は、とくに捻りもなく、ずばり率直に、自然をテーマにしている。曲名に出てくる「雫」や「朝露」や「冬の森の温かさ」は、日本で暮らしている彼らが感じている自然だろう。同じように、たびたび自然をテーマにしたエメラルズとは明らかに違った感性が広がっている。英国風ユーモアもフランス風のウィットもないが、自然と人間とを結びつける宮沢賢治的コスモロジーがあり、僕の耳には彼らのアンビエントがよどみもなく入ってくるのだ。

 2006年にシカゴの〈クランキー〉からデビューした畠山地平は、すでに20枚近くのアルバムを発表し、海外でもライヴ・ツアーをしている。自身が主宰するレーベル〈White Paddy Mountain〉では、アンビエント的感性を基調にしながらもその枠組みに囚われず、多様な音楽作品を出している(最近は、ASUNAによる美しい『Valya Letters』を出したばかり)。また、畠山地平はフットボール好きでもある。アンビエントとフットボールの両立とは、ただそれだけで実はかなり価値があるのだ。
 そして、いっぽうの伊達伯欣は、コリー・フラーとのイルハ(Illuha)でブルックリンの〈12K〉(タイラー・デュプレーのレーベル)から作品をリリースしつつ、Tomoyoshi Date名義のソロ作品も出している(彼の2011年の『Otoha』は、『アンビエント・ディフィニティヴ』においてはその年の代表作に選ばれている)。今年はイルハの新作、坂本龍一とのライヴ・アルバムなども控えているそうで、彼の音はさらに多くの耳にとまりそうだ。ちなみに彼は、某医科大学に勤務している医者でもあり、免疫学の研究者でもある。

 バイオを見るだけでも個性的なふたりによるオピトープだが、作品には、ほどよい緊張感がある。静けさのなかにも、音の「間」が際立つような、ささやかだが、衝突とためらいがある。『ピュシス』は、ただいたずらに心地良いだけの、多幸症的な音楽ではないのだ。それでも僕はこのアルバムにもっとも近いのは、『ミュージック・フォー・エアポート』ではないかと思っている。重厚さを回避していくような、音の間の取り方も似ているし、何よりも極上の静けさがある。どこかメランコリックな気配を持たせながら、とめどくなく広がり、そして決して破綻することのない平静で穏やかな雰囲気も似ている。
 録音が2008年~2011年とあるが、古さは感じられない。アンビエント/ドローンの2000年代を駆け抜けた世代のクオリティの高さというか、初期はラップトップをトレードマークとした彼らは、現在、アナログ機材──高価なヴィンテージ・シンセのことではない。オルガン、テープ、弦楽器、ミキサー等々──を使っているが、その響きは実に瑞々しいのだ。それはスキルの問題でもあるが、同時に、なにかしら社会生活で生じる抑圧から逃れたいと願う気持ちによって磨かれるものだろう。僕は長いあいだ環状八号線の近くに住んでいた。窓を開ければ昼夜問わず車の騒音が入ってくるようなところだった。ジョン・ケージのように、そうした騒音を「素晴らしい」と言えれば良かったのだが、しかし、ケージのレトリックとは別のところで、現代では騒音は拒まれることなく広がっている。アンビエントのピークは、まだまだこの先にあるのだろう。


※今週、30日、青山CAYにて、アルバム発売記念のライヴがあり。ぜひ、彼らの生演奏を見ていただきたい。

時間:OPEN 18:30 / START 19:30
料金:予約 2,500円 当日 3,000円 
☆ドリンク、フード、マルシェに使える700円分のショッピングチケット付き
席種:着席または立見
会場:CAY(スパイラルB1F)
〒107-0062 東京都港区南青山5-6-23 ACCESS MAP
出演 :Opitope、テニスコーツ+大城真、HELLL、Yusuke Date、佐立努、aus(DJ)

第4回:馬に恋する女の子たち - ele-king

 ドイツで女の子を育てている旧友から、ドイツの女児には昔から馬が人気らしいと聞きました。おもちゃコーナーでも絵本コーナーでも、馬キャラものが大プッシュされているとか。


ファンシーな馬グッズ売り場


絵本コーナーにも馬キャラがいっぱい

 なるほど、馬とふれあう機会の多い国では、馬がファンシー・キャラ扱いされることもあるんですね。そういえばうちの子も、ファンシーな仔馬たちが活躍するアメリカの女児アニメ『マイリトルポニー〜トモダチは魔法〜』(ハズブロ・スタジオズ)を喜んで観ていますし。

 などと言っていたら、ファンシー・グッズだけじゃないとのこと。女児向けの馬DSゲーム、馬ボードゲーム、馬ポスター付きの馬のグラビア雑誌などが、普通に販売されているといいます。

 明らかにこれは私の理解を超えた世界。ゆるふわエアリー・ヘアのイケメン馬たちが、あたかもティーン・アイドルのようにセクシーにこちらを見つめているではありませんか。白馬の王子様ならわかりますが、馬そのものを王子扱いするなんて聞いたことがありません。いったい何が起きているのでしょうか。

 左はドイツの少女向け馬雑誌『WENDY』。8~14歳の女の子が対象読者で、ドイツのほか、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーで発行されています。馬を愛するイギリス人少女の冒険マンガ『WENDY』、6人の少女が登場し、その飼い馬同士がおしゃべりする日本のジュエルペットのようなコミック『Horseland』、2匹の馬が主人公のギャグマンガ『Snobben & Skrutten』の3本のコミックがメイン・コンテンツだそう。

 真ん中の『LISSY』も、馬マンガがメイン・コンテンツであるドイツの少女雑誌。チェコでも販売されているようです。対象読者は7~13歳の女の子。乗馬学校や馬の育て方に関する美しい馬の写真付きレポ、読者投稿ポエム、ポスターなども掲載されています。

 右の『Min Häst(私の馬)』は、スウェーデンの馬雑誌。対象読者は7~14歳の女の子。公式サイト(https://www.minhast.se/)をのぞくと馬と少女がチュッチュしているイメージが散見され、言葉はわからないながらもただの愛玩動物雑誌ではないことが察せられます。

 これらの雑誌に共通しているのは、前思春期の女の子を対象としていること、コミックがメイン・コンテンツであること、ポスターや写真も多く、馬の美しさがフィーチャーされていること。日本のような少女向けコミック市場はよその国にはないんじゃないかと思っていましたが、あるんですね。(少なくともスウェーデンでは、少女向けの中でも馬マンガは冒険マンガに次ぐ一大ジャンルを成しているようです)。

 それにしてもなんでまた、馬なんでしょう。海外のYahoo! 知恵袋的なサイトでもそんな質問がいくつか寄せられていたので(1, 2, 3)、かいつまんで見ていくことにしましょう。

 「男の子がなんで車が好きかって訊くようなもんだよ」「男の子がアクション・フィギュアやヘビを好むのと一緒じゃない? 遺伝子に組み込まれてるのよ」「カワイイからに決まってる」「馬は金持ちしか飼えないだろ。女の子が好きなのは本当は金持ちなのさ」「メディアの刷り込みでしょ」「マンガの中でかわいく描かれてるから」「犬猫と違ってウンチが臭くないからじゃないかな。草食だし」

 女の子が馬好きというのは疑うまでもない当たり前のことらしく、質問の答えも相当ぼんやりしています。少なくとも、アジア圏の私にはピンとこないものばかり。「私は少女時代、馬なんか好きじゃなかったけど」という反論もちらほら見受けられます。そこで、馬好きであるという少女たち自身の回答を拾ってみることにしました。

「馬は私の背中に鼻を押しつけて休んだり、たとえエサを持っていなくても私を見て興奮するの。そんな家畜ほかにいる?」
「美しくて、勇敢で、雄大な動物。馬に乗っていると自由を感じる」
「どんな男の子よりも正直だし、女友だちみたいに陰口をたたいたりしないから。馬と私は対等なの」
「思春期前に女の子が恋をする疑似ボーイフレンドという説もあるみたい。思春期に入ったら男の子が馬に取って代わるんですって」
「説明するのが難しいけど、馬に乗り風を切って走るとき自由だと思えるの。馬と私の間には破れない絆がある。私にはない翼を貸してくれる存在」
「男性的な姿形。危険から守ってくれそう。信義に厚く、勤勉で、誠実(たぶん)」

 「疑似ボーイフレンド」「男性的」。犬猫ウサギではなく、馬でなくてはいけない理由が見えてきました。馬とは自分より大きく男らしく、かつ自分に危害を与えることなく、いついかなるときも自分を愛し守ってくれる誠実な存在。と書くと、まるでお父さんのようです。いくらお父さんが居心地のよい存在であったとしても、いつまでも家庭の中で守られているわけにはいきません。7~8歳といえば、親の束縛が煩わしくなり、家庭の外にある自由やときめきへの憧れも芽生えるお年頃。でも本物の男の子はまだ怖い。そんな少女たちにとって、自らより大きくてたくましい馬こそが、そうした憧れを満たしてくれる対象となるのではないかと推察できます。いわばイケメン馬とは、「お父さん」と「ボーイフレンド」の橋渡しをしてくれる存在なのかもしれません。

 一方、日本の少女たちは同時期、ジャニーズなどの中性的な美少年アイドルや、線の細い男の子が登場する少女マンガ・BLに入れ込むのが一般的です。なぜ日本には体毛ボーボーで筋肉ボーンな男性性に憧れる少女が少ないのか。もしかしたら、男性の育児参加率の低さに原因があるのかもしれません。母親、祖母、幼児教育・保育従事者といった女性ばかりに取り巻かれて育つ日本の女児は、大人の男性から無条件の愛情を与えられるという機会をしばしば逸してしまいがちです。そのため異性に興味を抱く年代になっても男性性を忌避し、男の子に女性性を求める……あながちありえない話ではなさそうです。

 ところで、馬雑誌のコンテンツはコミックがメイン。イケメン馬写真以上に、馬との物語が重視されているようです。いったいどのような物語が好まれているのでしょうか。できればすべて取り寄せて中身を確認したいところですが、私の語学力と財力では難しいので、物語の類型を収集しているサイト「tvtropes」(https://tvtropes.org/pmwiki/pmwiki.php/Main/PonyTale)で調べてみます。同サイトによれば、少女と馬の物語には、以下のような共通点があるのだそうです。

  • ・環境にうまく順応できない少女が主人公。イギリス発の物語ではなくても、舞台はイギリスであることが多い。

  • ・ひょんなことから馬に出会い、馬術を通して成長していく。

  • ・ヒロインは馬のための努力はしても、女子力アップには無関心。化粧はせず、ドレスを着ることを厭う。

  • ・ヒロインは学校で男子の存在を意識することはない。

  • ・社交やデートにいそしむ級友たちとなじめず、学校に居心地の悪さを感じている。

  • ・ライバル女子騎手と争う競技会や自分を忠実に愛してくれた馬の喪失を経て成長し、トラウマを抱えた馬たちを癒す特別な女性となる。
  •  おそらくキーとなるのは、性的存在であろうとする自意識を持たない無垢なヒロイン像。女児がピンクやプリンセスにどっぷり浸かる4~7歳は、俗に「プリンセス期」と呼ばれます。この時期を過ぎると、女の子たちは家族・保育者・友達だけで完結していた狭い世界から、徐々に社会を意識するようになっていきます。女の子でありさえすればプリンセスになれると信じていた女の子たちは、性的存在として値踏みされる視線を感じはじめるのです。だからといって皆が皆、そうした視線に合わせた振る舞いができるようになるわけではなりません。他人の欲望に合わせて意識的に媚びることは、無垢であった自己像を傷つけます。親に大切に育てられた女の子ほど、この落差に苦しむであろうことは想像に難くありません。そこで性的存在ではなくても、愛情の相互作用が期待でき、自分という存在を受け入れてくれる馬というファンタジーが必要とされるのではないかと想像します。すべてを受け入れてくれる父性的な存在は、いつかは訣別しなくてはならないもの。馬を失った少女は、馬の弱さを受け入れる側となる。そうしたフィクションをいくつも読んでいくことで、現実へと踏み出す強さを身につけていくのでしょう。

     4~7歳の女の子が好むものは、世界的に共通しているように見えます。ハローキティもミッフィーもバービーも『マイリトルポニー』も、国境を越えて女児に愛されています。しかし社会を意識しはじめる年代の少女文化にはそれぞれの国の事情が反映され、先鋭化していくのが面白いところ。ところで最近、女子小学生向けマンガ冊子の付録にも「そのまんまの自分でモテたいなんて甘い!」「ちょっぴりおバカなフリで男子を落とせ!」といったフレーズが踊るようになってきたとか。もはや少女マンガの世界も安住の地ならず。そろそろ我が国でも、イケメン馬がさっそうと少女を救いに現れる頃合いかもしれません。

    ギークマム 21世紀のママと家族のための実験、工作、冒険アイデア
    (オライリー・ジャパン)
    著者:Natania Barron、Kathy Ceceri、Corrina Lawson、Jenny Wiliams
    翻訳:星野 靖子、堀越 英美
    定価:2310円(本体2200円+税)
    A5 240頁
    ISBN 978-4-87311-636-5
    発売日:2013/10 Amazon

    interview with GING NANG BOYZ (Mamoru Murai) - ele-king

     銀杏BOYZから新しいアルバムの構想を聞いたのは2007年末のこと。しかしその制作は難航を極めた。あれから月日は流れ、いつしかメディアへの露出も減り、傍目にはバンドの存続すら危ぶまれるようになった2013年秋、突然ニューアルバム完成の報が入った。オリジナル・アルバム『光のなかに立っていてね』とライヴ・リミックス・アルバム『BEACH』の2枚同時リリース。
     ニュースはそれだけではなかった。すでにギターのチン中村とベースの安孫子真哉が脱退、さらにアルバム発売日をもってドラムの村井守も脱退するという(ちなみに今回の発売日となった1月15日は、村井の誕生日でもあり、2005年に銀杏BOYZが初めてリリースした2枚のアルバムの発売日でもある)。つまりアルバムの完成と引き替えに、銀杏BOYZはフロントマン・峯田和伸以外のメンバーを全員失った。
     この数年間、銀杏BOYZになにが起こっていたのだろうか。峯田と高校からの同級生で、前身バンドのGOING STEADY時代から音楽活動をともにしてきた村井に、彼がよく飲んでいる街・吉祥寺で会って話を聞いた。表情はずいぶん晴れやかだ。いつものおしゃべり好きな“村井くん”がそこにはいた。

    “愛してるってゆってよね”のイントロとかは「曇ったところから突き抜ける」っていうメモがあって、それを元にヴァージョンを20個ぐらい作ったかなー。


    銀杏BOYZ - 光のなかに立っていてね

    〈初回限定仕様〉 Tower 〈通常盤〉 Tower HMV


    銀杏BOYZ - BEACH

    Tower HMV

    村井:いやぁ~、(アルバムが)できましたよ!

    できましたね。ホント待ちましたよ(笑)。もしかしたら完成しないかもって頭によぎったことは?

    村井:ちょっとは……ありましたねぇ(笑)。

    いちばん危なかった時期は──?

    村井:アルバム収録曲のレコーディングが本格的にはじまったのが2009年で、2010年にはそれまで使っていた下北沢の〈トライトーン〉が使えなくなり、スタジオも変わったんですけど、実際にはそのずっと前から曲は録りはじめてたんですね。没テイクも入れると、スタートは2007年で。その2007年から2009年までの時期は、もう足下がおぼつかないというか、バンドとしてはふんづまりでしたね。

    具体的にはどんな状況だったんですか。

    村井:メンバー同士がシビアになりすぎちゃって。2005年にアルバムが出て、ツアー回るんですけど、そのツアーが尋常じゃなくて。それが終わった反動もあると思うんですけど、DVD(『僕たちは世界を変えることができない』)の編集があったり、峯田が本(『恋と退屈』)を出したり、あとオレもムック(『GING NANG SHOCK!』)の編集があったりで、それぞれちょっと違う方角を向いているような感覚になって。それをもう一回、同じ船に乗ろうって作ったのがシングルの「光」だったんです。でも、そこから「じゃあ、アルバムを……」ってなっても、わりとお互いシビアな感じでぶつかり合っちゃう、みたいな。その状況から抜け出せたのが、2010年ぐらいで。遠藤ミチロウさんのカヴァー・アルバム(『ロマンチスト~THE STALIN・遠藤ミチロウTribute Album~』)に参加して、さらに劇伴音楽の話も来て。

    三浦大輔作・演出の舞台『裏切りの街』ですね。

    村井:そう、どちらも依頼されてのことだからモードも変わるし、わりとまたみんな同じ方角を向けるようになってきたんです。しかも、劇伴のほうは打ち込みでやってみようってことになって。もともと打ち込みの曲は前から作ってみたくて、でもなかなか手が出せなかったんです。だから、ちょうどいいタイミングかもってことで、みんなで機材を買ってやってみたら、案外やれちゃった。で、やれたらやれたで、どんどん楽しくなり——。

    制作中のアルバムにも思いっきり影響して。

    村井:ホント楽しかったんですよね。あのキックの音ってこういう感じかなぁ? とか。それこそ、『サンレコ(サウンド&レコーディング・マガジン)』とか『ele-king』も読みましたよ。インタヴューが参考になるので。

    村井くんの場合、ドラムっていうパートの性格上、打ち込みが増えることで演奏の機会は減りそうですけど、そこは気になりませんでした?

    村井:そこは抵抗なかったですね。やっぱり普段から聴いてるのも打ち込みの曲が多かったし。それに銀杏BOYZの場合は生演奏かどうかは関係なくて、やっぱり“歌”なんですよね。歌を活かせたらいいわけで。ただ、ライヴどうすっかなぁっていうのは思いました。そしたら峯田が「ステージ上で立ってるだけでいいやぁ、お前うたも歌えないし」って(笑)。実際、東北ツアーでの“I DON'T WANNA DIE FOREVER”とかは、ステージの前に行って「ワーワー」やってました。けっこう出たがりですからね、オレ(笑)。

    アルバムを聴くと、「打ち込み」と同時に「ノイズ」の導入も顕著ですよね。こちらもかなり研究したんじゃないですか。ノイズ・コアのライブなんかも観にいってたみたいだし。

    村井:みんなもともと好きでしたからね。そう、NERVESKADEの来日公演があって、東京公演がちょうど震災の翌日だったんですよ。それで中止になっちゃって。翌3月13日に愛知県の岡崎BOPPERSでもライブがあるっていうから、あびちゃん(安孫子真哉/ベース)とクルマで観にいったんですよ。そしたら高速道路で上りのクルマはほとんどなくて、自衛隊の車両とばかりバンバンすれ違って。あれは忘れられないですねえ。そんなことやってるうちにあびちゃんもチンくん(チン中村/ギター)もオレもどんどん音作りにハマっていき、それを峯田が軌道修正して。

    逆に峯田くんは新しい音楽をまったく聴かないようにしていたみたいですね。

    村井:峯田がよく言っていたのが、「○○っぽいやつを作ってもしょうがない」ってことで。そりゃ、オレらがテクノ畑の人たちに対抗してもしょうがないわけで。オレらにしかできないものを作るべきだと。

    最終的に峯田くんが聴いて判断するわけですか?

    村井:うん、オレらは技術担当で、監督は峯田だから。峯田が判断してオッケーした音が銀杏BOYZになる。みんなで和気あいあいっていうバンドもいいと思うんですよ。でもオレらの場合は、ブレない峯田っていうのが絶対的な存在としている。そのぶんオレら3人はブレてもよくて、そうやって作ったものを最終的に峯田にジャッジしてもらうっていう。峯田んちにチボリってメーカーのステレオがあって、音がめちゃくちゃいいんですよ。今回はそのステレオを基準に音を作りました。ただ、そうやって「1曲、完成した!」ってなっても、別の曲を仕上げているうちに1年ぐらいして、「そういやあの曲のアレ、もうちょっとやれたんじゃねえの?」ってなって、またやり直すっていう(笑)。

    そこで1年経っちゃうのがおかしい(笑)。

    村井:もうね、時間の流れが、早い!

    一方で、“ぽあだむ”みたいにほとんど一発録りでいけた曲もあるわけですよね。しかも峯田くんに言われるまで気づかなかったんですけど、あの曲のドラム、生音なんですね?

    村井:そう、オレ叩いてるんですよ。“ぽあだむ”は3日間ぐらいでできましたね。


    “ぽあだむ”

    「ストーン・ローゼズが最初のイメージであった」って峯田くんは言ってましたね。

    村井:うんうん、聴いてましたね。3人で峯田がいないところでカヴァーしたりして。DVDも何回か見たんだけど、何回見てもわからない(笑)。

    そうやって峯田くんの最初のイメージをそれぞれが発展させるって感じですか?

    村井:そうですね。まず峯田がベーシックを作って、チンくんとあびちゃんとオレでさらに発展させます。それが峯田の思ってる最初のイメージを超えないとダメなんですよ。

    イメージは具体的なんですか?

    村井:具体的な曲もあれば、そうでない曲もある。たとえば“愛してるってゆってよね”のイントロとかは「曇ったところから突き抜ける」っていうメモがあって、それを元にヴァージョンを20個ぐらい作ったかなー。あびちゃんなんかはLogicってソフトが使えるようになったので、できることがどんどん増えるんですよ。極端な話、あびちゃんがオレに音を聴かせる時点で100パターンぐらい作ってくるんです。それをオレも一緒になって「これはいい、これは悪い」って絞ったものを峯田のところに持っていき、そこからまた峯田の意見を訊いて作りかえて……って、そりゃ時間かかるわ~(笑)。

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    当然さみしいですよ。ただ、どこかでいつか戻ってくるだろうっていうのもあったし、それ以上にアルバムの完成が見えてきたから、とにかくその進行を止めたくなかった。

    2011年の初夏、東北ツアー(〈スメルズ・ライク・ア・ヴァージン・ツアー〉)の頃にすでに村井くんはバンドを辞めようと思ったことがあったそうですね。

    村井:ええ、たまたまその時期だったっていうだけで、ツアーが関係しているわけじゃないんですけどね。あびちゃんが中心になって進めていたライヴ盤のほうが具体的に曲順も決定して、タイトルもいまとは違うんですけど決まり、それからスタジオ盤のほうも曲がほぼほぼカタチになって、両方とも着地点が見えてきたなってときに、ふと辞めることを考えたんです。それがたまたま東北ツアーの時期だったっていう。でも、その気持ちは自分の中でなかったことにした。気の迷いだと思って。

    その気持ちを他のメンバーに伝えることはなく、やがてチンくんがバンドを離れますね。

    村井:怪我でギターが弾けなくなってね。2012年の夏か。

    チンくんは精神的にも追い詰められていた?

    村井:それもあったと思います。ただ、そのことにオレは気づいてあげられなかったってことを最近すごく思うんですよ。チンくんとはよくふたりで飲みに行ったりもしたんですけど、飲み方が尋常じゃないときが何度かあって。思い詰めてたのかなぁ……って。

    それでも2007年から2009年にかけての時期よりは、バンドの状況はよかったわけですか。

    村井:うん、なんかもうトンネルは抜けたなっていうのはあった。ようやく足並みが揃ってきたと思ってたんだけど……いま思うと、たぶんチンくんはそうじゃなかったんですよね。

    その後、チンくんと話をしました?

    村井:最後に会ったのが2012年の秋かな。「他のメンバーやスタッフとは会えないけど、村井くんとは話したいわ~」って連絡がきて、吉祥寺の喫茶店で会って。で、顔見たらやっぱわかるんですよ。「ああ、もう続けていく気はないな」って。これがまだ一緒にやってた頃なら、「アルバムも、もうすぐできるからさ!」ってハッパをかけられたんだろうけど、そのときはもうバンドのことはほとんど話さずに、エロビデオの話とかでゲラゲラ笑って、30分ぐらいで別れましたね。峯田にも、「チンくんの顔見たら、やれる感じじゃなかったわー」って報告して。

    2013年の春に、今度はあびちゃんもバンドを離れますね。

    村井:あびちゃんは何年も前からたまに体調が悪くなるときがあって——。

    よく、霊に取り憑かれてるんじゃないかなんて冗談で言ってましたもんね。

    村井:そうなんですよ。でも、それがここにきて作業に参加できないぐらい体調が悪化して。蕁麻疹とか出ちゃうんですよ。で、しばらく家で休んでもらってたんだけど、その後もなかなかよくならない。喫茶店とかで会うんですけど、毎回、「もうちょっとしたらよくなるから……」って。で、あびちゃんも顔色を見ると、チンくんと一緒で、スイッチが切れちゃってる感じなんです。やっぱり、ずーっと集中して作業をしてきたので、ちょっと時間を置いたら、プッツリ切れちゃったんだろうなって。

    そうやってメンバーがひとり減り、ふたり減り……村井くんとしてはどういう心境だったんですか?

    村井:当然さみしいですよ。ただ、どこかでいつか戻ってくるだろうっていうのもあったし、それ以上にアルバムの完成が見えてきたから、とにかくその進行を止めたくなかった。だからチンくんが戻ってこれなくなったとき、峯田とあびちゃんに「(アルバムの制作を)進めよう」って話したのはオレだったし、あびちゃんの体調が悪くなったときにも、やっぱり峯田に「進めよう」ってメールして。オレはとにかくアルバムを出すことが目標になってたから。


    村井がアルバムのレコーディングで使っていたノート。その混沌とした筆致から制作の難航ぶりがうかがえる

    銀杏BOYZというバンドを外から見ていると、村井くんはムードメーカーというか、メンバー間の調整役を担う局面もあるのかなって思ってたんですけど。

    村井:いや、それぞれ峯田との関係性もありつつ、峯田以外の3人でもわりとシビアにぶつかることが多かったですね。なので、オレがそれぞれの間を取り持って、って感じではなかったです。

    どういうところでぶつかるんですか?

    村井:たとえば事務所であびちゃんが泊まり込んで作業をしていたとして、オレが横で「この音、あまり面白くないわー」って言っちゃうんですよ。あびちゃんが数日間かけて作った音なのに。あびちゃんからすると、「なんで打ち込みができない村井さんにそんなこと言われなきゃならないんですか?」って。

    それは言い方の問題?

    村井:そうです。そんなレベルですよ、オレらが揉めるのって(苦笑)。ま、オレがパットを使って音をつけて、あびちゃんはあびちゃんでLogicで音を作って、そこでディスカッションがあったりもするわけですけど、でも、ぶつかり合ったりするのはもっと些細な言葉遣いとかなんですよ。

    まあ、ずっと顔を合わせてますしね。

    村井:だって……ねぇ? 恋人や夫婦だってそうじゃないですか。最初は楽しかったのが、だんだん相手のイヤな部分も見えてきて。一個の音を作るにしても意地の張り合いなのよ、全員が。それはいい悪いの話じゃなくて、意地張っちゃうんですよ。それで進まなくなる。そのうちゴールも見えなくなって、「オレらどこに立ってるんだろう?」って。それはみんなキツかったと思います。

    生活の大半を事務所での作業に費やしている感じだったんですか?

    村井:事務所にいる時間はあびちゃんがいちばん長かったですね。オレはちょくちょく帰ってたし、チンくんも自宅のProtoolsで音を作ってたから。だから、夕方ぐらいにフラッと事務所に来て、「じゃあ、あびちゃん聴かせてもらっていい? ……うん~、なんか違うねこれは」って、そりゃムカつきますよね(笑)。

    峯田くん以外は家庭もありますよね。

    村井:チンくんとあびちゃんは子どもいるし。でも、オレはそういう面で生活が厳しいと思ったことは一度もない。チンくんとあびちゃんからも、そういう話は一度も聞いたことがないですね。逆に峯田は言いますけどね。「お前らは奥さんがいる。その違いはデカい」って。でも、奥さんがいても、彼女がいても、音楽を作るときにそこは関係ないと思ってましたね、オレは。ま、ウチの奥さんは「どうぞ好きなことやってください」っていう人なので、あまり干渉もされないし。で、また峯田が言うんですよ、「こんな生活してたら、お前が知らないだけで、浮気されてるに決まってっから」って(笑)。

    はははは! ちなみに村井くんは奥さんには脱退することは相談したんですか?

    村井:しましたね。「もう銀杏辞めて、違うことやるわ~」って。そしたら「辞めてもいいけど、次もやりたい仕事をやってね」って言われました。自由にさせてくれるのはありがたいですよ。

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    峯田にしてみたら、オレらだったらイチから説明しなくても感覚はわかるから、そこは早いんだと思う。またオレらも、やれねえクセに「やれるやれる、やろう」って言っちゃう(笑)。

    アルバムが完成した達成感によって、バンドを脱退したいって気持ちが吹き飛ぶことはなかったですか?

    村井:うん。すごくいいアルバムができたっていう達成感はあっても、だから続けていこうっていうふうにはならなかったですね。マスタリングが終わったってときにはもう、「これで辞めよう」っていう気持ちが止められなくなって、すぐに峯田に言おうと。でもすぐには言えなくて、言うか言わないかで1ヵ月半ぐらい悩みました。

    それは峯田くんの気持ちを考えて?

    村井:ええ、そりゃあ、考えますよ! ずーっと一緒にやってきたんだもん。それで別れようって話ですからね。“ぽあだむ”のミュージック・ヴィデオの撮影もあったりしながら、1ヵ月半ぐらい考えて、でもやっぱり気持ちは変わらなかったので、11月4日に峯田に「バンドを抜けたい」ってメールしたんです。そしたら「すぐ会って話そう」ってことになって。峯田はビックリしてましたね。チンくんやあびちゃんがいなくなったときに、それでもアルバム作業を続けようって言ってたオレが、まさかそのアルバムが完成したタイミングで「辞めたい」って言い出すとは思わなかったって。峯田とオレとあと新しいメンバーを入れて、新生銀杏BOYZでやれたらいちばんいいって。だから考え直しなよって。

    11月15日にチンくんとあびちゃんの脱退が発表されますね。

    村井:そう、その時点ではまだオレのことは決着がついてなくて。ただ、やっぱりオレも気持ちが変わらないから、改めて話したら、今度は峯田も受け入れてくれた。それで12月22日のUSTREAMでの脱退発表になったんです。

    辞めたあとのことは考えてます?

    村井:まーったくなんも考えてない! いま(注:取材日は昨年12月27日)はまだ“ぽあだむ”のミュージック・ヴィデオの編集があったり、わりと目の前にやることがあるんだけど、ひと段落したら一気にリバウンドがきそう(笑)。

    ミュージック・ヴィデオといえば、“東京終曲”もなかなかヘヴィで面白かったです。

    村井:あっちは峯田が監督・脚本・主演で、オレは制作……っていうか完全に雑用(笑)。テント組んだり、機材借りてきたり、ケータリング用意したり。


    “東京終曲”

    ポツドールの米村(亮太朗)くんややっぱりポツドールの舞台でおなじみの古澤(裕介)くんも出てますけど、以前、村井くんが古澤くんの人となりを絶賛してたのが印象に残ってるんですよね。

    村井:なんか話が合うんですよー、古澤くんは。米村さんもすごく気が合いますね。

    彼らは彼らで演劇界の銀杏BOYZというか、ちょっと通じる雰囲気がありますよね。

    村井:「なんでもいいから面白いことやりたいんすよ~」って言ってて、オレらもそうなんですよね。ただ過剰にやりすぎちゃうっていう。

    やっぱりそのへん過剰だって自覚はあるんですか?

    村井:ある(笑)。いい作品を作るためなら、いつからいつまでとかそういう時間感覚がなくなっちゃいますからね。そういう意味ではほかの人には頼めないんです。で、結果的に全部、自分たちでやるっていう。オレらだけなら時間を気にせず、納得いくまでやれますからね。

    また、“ぽあだむ”のミュージック・ヴィデオのほうはすごい数の女の子が出演してますよね。

    村井:投げキッスの素材が、撮影したものとバンドのHPで募集して送ってもらったものを合わせると1400人分ぐらいあるのかな。編集がもう大変ですよ。使えるのはひとり0.5秒とか1秒とかですけど、それぞれ素材は3分ぐらいあって、その中のいちばんキラキラしている部分をチョイスするわけですからね。仮編集だけでもとんでもなく時間かかってます。最終的には1283人、入れました(笑)。

    その作業を自分たちでやるわけですよね。

    村井:そっちのほうが早いから。いや、でも機材の使い方をいちいち覚えたりして……けっきょく時間はかかってるか(笑)。ただ峯田にしてみたら、オレらだったらイチから説明しなくても感覚はわかるから、そこは早いんだと思う。またオレらも、やれねえクセに「やれるやれる、やろう」って言っちゃう(笑)。

    『僕たちは世界を変えることができない』の編集のときも1000本以上ある素材DVテープのシーンをあびちゃんとチンくんがノートに全部書き出したりしてましたもんねえ。ハードディスクにキャプチャした映像データが消えた! とか言って大騒ぎしたりして(笑)。

    村井:「パソコン、落ちた~!」とかね(笑)。それを何回も繰り返して。すごいことになってましたよね。でも、やっぱり楽しいからねぇ。やりたがりなんでしょうね、みんな。いや~、でも“ぽあだむ”は女の子の撮影ができたから楽しかった(笑)。カメラ持つと、オレもキャラ変わりますからね! 一日中撮影してると、最後は慣れてきて、「ちょっと耳にかけましょうか」なんて言いながら髪を触ったりして(笑)。

    長澤まさみさんもいいですね。あの撮影も村井くん?

    村井:いや、あれは峯田!

    村井は髪触るから危ないって(笑)。

    村井:長澤さんにそんなことするわけないじゃないですか! でも撮影はホント面白かったっすよ~(笑)。

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    やっぱり辞めるって言ったら、「村井おつかれ」って言われて、それから「オレはバンド続けていくよ」って。それを聞いたときに救われたと思いましたね。「オレたちが作ってきたことを、ここで終わらせない」っていう言い方も峯田はしていて。

    最終的に辞める意志を伝えたとき、峯田くんから「オレは銀杏BOYZ続けるよ」って言われたそうですけど、どんなことを思いました?

    村井:さみしいっていうよりも、救われたって感じですね。最初、峯田は「お前が辞めるなら、オレももう音楽辞めるわ」って言ってて、オレとしてはその一言が重くのしかかったんですよ。でも、オレも自分の気持ちに嘘ついてまでバンドはできないから、やっぱり辞めるって言ったら、「村井おつかれ」って言われて、それから「オレはバンド続けていくよ」って。それを聞いたときに救われたと思いましたね。「オレたちが作ってきたことを、ここで終わらせない」っていう言い方も峯田はしていて。「もっと上手いドラムいれるわー」とか(笑)。

    村井くんはそれこそ山形の高校時代から、上京、GOING STEADY、銀杏BOYZ……と、ずっと“峯田和伸”っていう人を見てきたわけですけど、峯田くんは変わりましたか?

    村井:いや、オレの周りでいちばん変わってない人ですね。高校のときは昼休みとかひとりでウォークマンを聴いてるような感じだったから、バンドを組んでみんなの前で演奏しはじめたときはこんなに前に出られる人なんだっていう、そういう状況の変化はありましたけど。基本的な部分はなにも変わってないですよ。まず中心に音楽があって、それで友だちを喜ばせるのが好きな人なんです。オレが通ってた専門学校のグチとか、自分のモラトリアムとかそういうモヤモヤした話をすると、かならずその晩、留守電が入っていて、それが曲だったりするんです。そうやっていつもオレを喜ばせてくれた。そこはいまも変わってないです。バンド・メンバーも喜ばせるし、さらにもっともっと大勢の人も喜ばせる。だからバンドを辞めてまた元の友だちに戻る感じですよね。いままでずっと峯田の背中を見てきたから、これからはいちリスナーとして銀杏BOYZを聴いてみたい。

    でも、まだあの4人以外の銀杏BOYZっていうのは想像できないんですよね。

    村井:おそらくアルバムも1年に1枚出ますよ。峯田は上手い人を入れたいって言ってたから、「こんなラクなんだね、バンドって!」ってことになると思います(笑)。

    つくづく過剰なバンドだと思うんですよ。

    村井:やってるほうは「こういうもんだろう」と思ってやってますからねえ。ただ一時期、チンくんとあびちゃんが楽器をケースに入れず裸の状態で持って24時間生活しているときがあったじゃないですか。

    ありましたねえ。2007年頃、一緒に大阪行ったときも肌身離さず提げてましたね。

    村井:あの頃、チンくんと練習のあと一緒に電車に乗ってたら、酔っ払いのおじさんがいたんですね。そしたらチンくんが「あの人、酔っぱらって電車乗るなんて迷惑だよね!」ってギターを弾きながら言うんですけど、お前のほうがよっぽど迷惑だろ! って(笑)。

    よく肛門の匂いを嗅ぎ合ったりするようなヒドい罰ゲームとかやってましたけど、ああいうノリってその後もずっと続いてたんですか?

    村井:続いてましたよ(笑)。2010年頃かな、あびちゃんと飲んでるときに「“カレー味のウンコ”と“ウンコ味のカレー”どっちなら食えるか?」って話で意見が分かれて、酔っ払ったあびちゃんが、「これ究極の問題ですよ。村井さん、そこまで言うんなら、ウンコ食えるんすか?」って。そこも意地の張り合いだから(笑)、「いや、食えるっしょ」ってなって。それから何日かしてスタジオであびちゃんとリズム隊の練習してるときに、いい感じでハイになってきたので、「あびちゃん、オレ、今日だったらウンコ食えるよ」って。で、あびちゃんも1時間ぐらい歩いたらウンコ出るって言うから待ってたら、「いまウンコ出ます!」「やれやれー!」つって、紙皿にウンコして。ま、食うよね。言ったからには。

    食べたんだ。

    村井:箸でつまんで(笑)。

    もはや“カレー味”、関係ないじゃないですか(笑)。

    村井:たしかにそうだ! そしたら、それを見ていたあびちゃんが吐きながら、「こういう話はもう他でしないでほしい。オレが犯された感じになるんで」って。あびちゃんの方がショック受けちゃって(笑)。

    はははは! かつてはよくビデオカメラを回してましたけど、そういうのは?

    村井:ウンコ食ってるのは、木本(健太/映像ディレクター)がたまたま事務所にいたので撮ってますね。「ムリっす、止めます」とか言って(笑)。この話、いろんな人に話してるんですけど、前にミノケン(箕浦建太郎/画家)にもしたんですよ。そしたらミノケン、マジなスイッチが入っちゃって、「そういうの面白いと思って話してるだろうけど、そんなことしてるからアルバム進まねぇんだよ!」って、真剣な顔で言われた(笑)。

    ミノケンは毎日、絵を描いてますからね。

    村井:「村井くんって、なんかそういうのも活動のひとつみたいな感じで言うじゃん? だから出ねぇんだよ」って。

    正論ですね(笑)。『光のなかに立っていてね』のデザインにはこれまでもずっと関わってき川島小鳥くんとミノケンの作品が使われてますけど、彼らの仕事としても一段階ステージが上がってるような印象を受けました。

    村井:この何年間かで、みんなも動いてるのを感じましたねぇ~。それでまた一緒にできるんだから嬉しいですよ。

    けいくん(坂脇慶/デザイナー)の力も大きいですね。

    村井:峯田とすごく気が合うっていうか。ミュージック・ヴィデオのテロップのフォントまで関わってくれてましたからね。

    『光のなかに立っていてね』はパッケージまで含めて、“いまの時代”っていうよりはもっとタイムレスな名盤の薫りがするんですよね。

    村井:ただただもうメンバーと向き合い、音と向き合って作ったのがこれで、時代性を意識してっていうのはなかったですからね。暗い洞窟のなかで4人でずっと作ってきて、最後に完成したアルバムを聴いてたら、そりゃいろいろありましたけど、そういういろいろあったことは全部忘れて、音だけがすうっと入ってきたんです。「いいアルバムだな」って思えて。だから、みんな……っていうか“あなた”っていう言い方をしますけど、あなたに聴いてもらいたくて曲を作っていた。それだけがすべてなんですよ。

    峯田くんはアルバムができてからあびちゃんともチンくんとも連絡をとってないって言ってましたけど、村井くんも?

    村井:とってないですね。だから打ち上げとかもないんですよね。

    いつかしたい?

    村井:うん、できる気がしますね。それでもう一回ウンコ食う! ぜってえ、その話にはなると思うから(笑)。レコーディングして曲ができたときはもう、「オレら無敵だ!」っていうのがすごくあった。その「無敵だ!」っていう念がアルバムには詰まってます。

    銀杏BOYZに影響を受けてバンドをはじめたとか、そういう若い人たちに会ったりしませんか?

    村井:ちょうど岡崎にNERVESKADEを観にいったときに、愛知ってわりとグラインドとかハードコアが強いんですけど、革ジャンにモヒカンみたいな子がずっとこっちを睨んでて、歩いてきたから「うわ、いびられんるじゃねぇかこれ」って思ったら、「銀杏BOYZ、大好きなんです。銀杏の影響でいまグラインドやってます」って。びっくりしましたけどね。そういう声はちょくちょく聞きますね。

    脱退が発表されてから、ミュージシャンとして声が掛かったりは?

    村井:そんなのあると思います? 『リズム&ドラム・マガジン』からだって、一度も話がきたことないですよ(笑)。チンくんとあびちゃんが抜けるって発表されたとき、ネットに「あれ、村井が残ってどうすんの?」ってコメントがついてましたもん。ナメられてますわ~(笑)。

    新しい人生がはじまるワクワク感はありますか。

    村井:それはある! すっごいある。ずっと音楽聴いてなかったのが、上京して峯田とライヴに行くようになり、でバンドをはじめてっていう、そのノリがここまで続いて。次もノリではじめたことがこんなふうに続くのかもなっていう根拠のない自信があります。峯田には「そんな社会は甘くないぞ」って言われてますけど。「なにより音楽やってないお前のこと、奥さんは嫌いだと思うよ」って。ヒドいもんですよ(笑)。

    ホントおつかれさまでした。今後の村井くんの動きも楽しみです。

    村井:いや~、ホントありがとうございました!

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