ドクター西村(Discossessio、悪魔の沼……ほか)は、いまでこそイタロ・ディスコ/コズミック博士およびDJとしての顔が知れているが、実はこの人、90年代はバロン・レコードなるカルトなレコ屋の店頭で、セオ・パリッシュやムーディーマンを日本で最初期に売っていた人で、シカゴの超マイナー・レーベルからフレンチ・ハウスあたりの目配せに関しても先駆的なものがあった。00年代のシスコ・ハウス店時代は、ご存じ、リンドストロームを日本に紹介したのはこの人だったと言っても過言ではない。ハウス全般に関する博士だ。そんなドクターが、ネット・ショップを開いた! 名前はサンライン・レコーズ(https://sunlinerecords.jp/)。
彼の貴重なコレクション(?)が売られているのかどうかはわかりませんが、さまざまなジャンルのレア盤ばかりです。レコード好きは、チェックしよう!
悪魔の沼の最新ミックスCDは、ブラックスモーカーから3月初旬発売予定。また、現在ドクター西村は近刊『ハウス・ディフィンティヴ』の執筆のほうでもがんばっていただいています。こちらもご期待下さい!
「Nothingã€ã¨ä¸€è‡´ã™ã‚‹ã‚‚ã®
かつてキャトル・プレス(Cattle Press)とゆー恐ろしいバンドがおりまして、トゥデイ・イズ・ザ・デイ(Today is the Day)やクライシス(Crisis)、ディスアソシエイト(Dissasociate)などの恐ろしい仲間たちとともに90年代のニューヨークの地下シーンを形成しておりました。キャトル・プレスやらヘムロック(Hemlock)、ダイング・ライト(Dying Light)にも参加していたLino Reca氏が率いるヴィレインズ(Villains)には、過去10年間聴いた邪悪なバンドの中でつねにもっとも興奮させられているのであります。
昨今のテクノ界隈のアーティストがブルズムやらクロマグスのTシャツを着用するトレンドとは対極に位置しながらも、どこかしらリンクしてしまうのは、このバンドが持つニューヨークらしい都会的でニヒルなセンスゆえであろうか。
バソリー(Bathory)を彷彿させる非ゴスなブラック・スラッシュとブラック・フラッグ的(Black Flag)なアメハが共存するヴィレインズの、結成から10年間追求しつづけたストリート・メタル・ノワールはここにひとつの完成を披露する。前作『ロード・トゥ・ルイン(Road to Ruin)』から顕著に表れはじめた西海岸パンク/ハードコアなブレイク・ダウンは本作品ではさらにフィーチャーされ、ニューヨーク特有の、冷たく、血なまぐさいスラッシュと不気味に共存している。いつのまにかLino Reca氏がギター/ヴォーカルとなったのもあってか、いままで以上にひねくれたリフが全編通してウネりまくる。抗うことができないヘドバン衝動に身を委ねれば日頃の鬱憤で酒に我を忘れ、ブルックリンの場末のバーでチャンネーを巡るトラブルに巻き込まれるであろう。ニヒリスティックな男のロマンがここにある。
立ち上げから現在まで徹底してヴィレインズをプッシュしてきた〈NWN! プロダクション〉による美しいパッケージは今回も素晴らしく、このバンドの歴史とともに振り返る〈NWN!〉の軌跡へのリスペクトを忘れてはなるまい。
というわけで2013年のUSパンク・ハードコアで若手ハイライトはホアクス(Hoax)──解散したっぽいのだが──、ベテランはヴィレインズでした。
2013年度イヤーズ・エンド・リストに入れ忘れたのでここに記しておきます。
断言しよう。2014年、最初の衝撃である。本作によってわたしたちの耳はモード・チェンジした。
痙攣と震動が同時に生成する。耳と肉体が感電する。震える。驚異的な現象としての音響=音楽の炸裂。メロディはない。リズムはつねに変化する。変化、持続、切断、生成。そして震動。これらはまるでショータヒラマのライフ=人生そのもののように感じる。彼が生きている、暮らしている、聴こえている、触れている、震動している、そして感じている、ラヴとヘイトに満ちた世界のありようが、この電子音にたたみ込まれている。この快楽的で痺れるような電子音の震動は、一人の音楽家が体験する瞬間や衝動だ。それはストリートの光景や音のように刹那に通り過ぎていく音=ドキュメントでもある。電子音楽、電子音響、パンク、ビート、リズム。鼓動。つまり生きているということだ。ライフ・ミュージック・オブ・サウンド!
このショータヒラマの3枚めのアルバムのタイトルは『ポスト・パンク』と名づけられている。これまでも『サッド・ヴァケイション』、 デュサレイ・アダ・ネキシノとのスプリット・シングル『ジャスト・ライク・ハニー』など、パンク以降のロック史上の名作を思わせる名前が付けられていたが、それらは単なる引用ではないはずだ。歴史と個人史が交錯する地点がそこにあったから、そう付けられていたとわたしは理解している。
とすると、この『ポスト・パンク』もまた、ポスト・パンクという単語から思い浮かぶであろう、あれやこれやのアーティストやアルバムやそれやこれやの歴史的事実を、いちど、知った上で忘却してしまった方がいい。そう、何より、2014年の「ポスト・パンク」なのだから。
事実、この音を耳にした者は誰しも直感的にその事実を理解するだろう。高速で流れ行く音の光景。ノイズとビートの瞬時的な変化と生成。その音響は聴く者に、中毒的な耳の快楽をひきおこす。弾け飛ぶビート。脳髄に直撃するノイズ。すべてはその瞬間に生成し、打ち抜き、変化を繰り返す音の運動だ。わたしたちは、そのサウンド・マッサージを鼓膜に浴びる。
これらはまるで、流れ行くストリートの光景や音を、電子音響にトランスフォームした音の姿だ。そしてショータヒラマはそれらの音を極めて肉体的なリズムで「演奏」してみせている、この痙攣、この震動、このリズム、この運動、この衝動は、ショータヒラマの体から湧き出るリズム=衝動そのものではないか。
わたしは、ここに、ショータヒラマがこれまでのアルバムで実験を繰り返してきたフィールド・レコーディングとサウンドのコンポションに対する大きな跳躍を感じた。音を採取し加工しマッピングするようにコンポジションすることを通じて作品を生み出してきた彼は、本作において、自身の内にあるリズム/ビート/衝動を、楽曲に注入し、自身の作品のアップデートを図ったのではないか、と。もちろん、前作『ジャスト・ライク・ハニー』で既にその兆候を聴き取ることはできる。そう、既にビートが導入されているのだから。だが、本作の跳躍はさらに圧倒的なのだ。
曲を再生する脳内を飛び散るようなビート。それは接続と変化の中で音の姿を変えていく。そのコンポジションのみならず、音色の素晴らしさは筆舌に尽くし難い。乾いた、しかし、物質的な手触りを感じさせる音の粒が耳を刺激する。そこに透明で純度に高い透明な層のような電子ノイズが次々にレイヤーされ、聴く者を痺れさせていくのだ。音響は次々に変化し、一度や二度聴いただけでは全体を把握することが不可能なほどの驚異的な音響密度。
この震動と痙攣と圧縮感覚は、まるでアート・リンゼイ、イクエ・モリ、ティム・ライトらによるDNAの痙攣的にリズム/ビートの遺伝子を引き継ぐかのようである。昨年、イクエ・モリのツアーに同行し、衝撃的なライヴを披露したというのも納得である(ちなみに初回特典のCD-Rには、イクエ・モリ・ツアーでのライヴ・トラックが収録されている。ライヴらしい躍動感のみならず、アルバム・ヴァージョンにはないエレクトリック・ギターまでもが導入されている! これがまた最高・最強のトラック。クールな熱情がみなぎっている。なくならないうちに購入されることをお勧め)。
だが、わたしはここであえて歴史の焦点を絞ってみたい。グリッチ・ミュージックとの接続である。例たとえば90年代中盤以降から00年代頭にかけてグリッチ・ミュージック創世に尽力したレーベル〈メゴ〉は、ラップトップ・コンピューターによる電子音のエラーを積極的に活用していくことで、テクノ以降の電子音楽のパンク化を実現した。ここに壊れた音(電子ノイズ)の快楽と摂取が実現したのだ。たとえばピタのアルバム『セブン・トンズ・フォー・フリー』(1996)、『ゲット・アウト』(1999)、『ゲット・オフ』(2004)などを本作を聴いたあとに聴いてみてほしい。(ポスト・)デジタル・ミュージックの清冽さと、エラーを活用する「失敗の美学」を聴きとることができるだろう。
ショータヒラマは、そんなグリッチ以降の電子音響の歴史をアップデートしようとしている。グリッチは電子音響のパンクであった。ゆえに本作はポスト・パンクとはいえないか。何が違うのか。デジタル・ミュージックに、自分の衝動と人生と震動と鼓動と視覚と聴覚をすべて電子音に畳み込もうとしているからではないか。それは理屈ではない。コンセプトでもない。一種の衝動である。その衝動=震動が織り込まれた電子音楽/音響として生成すること。そしてそれを2014年的な圧倒的な情報密度で作品化すること。つまり衝動と密度の多層的生成。いや、もともと彼の音楽にはそのような驚異的な圧縮/解凍感覚があったのだ。ゆえに収録時間が20分程度で十分なのだ。織り込まれた音の情報や層がクロノス時間を越えている。時間が縦に圧縮されている、とでも言うべきか。
断言しよう。本作はショータヒラマが成しえた驚異的な音響的達成の成果であり、最高傑作である。聴くほどに耳と脳が震える。聴くほどに音を求める。アディクトとコンポジションとインプロヴィゼーションの彫刻=超克。驚異的な情報密度の圧縮と解凍。「聴く=効く」の交錯。まさに電子ノイズ・ビート・ミュージック・サウンドの全く新しいカタチである。
繰り返そう。本作は、2014年、最初の衝撃である。さらにこうも言い換えよう。本作は、最後からはじまる最初の挑戦でもある、と。そして、本アルバムの名前として付けられた言葉を、もう一度、つぶやいてみよう。そう、「ポスト・パンク」と! わたしたちは、みな「以降」の時代を生きている。だが、衝動や衝撃や震動は収まることはない。世界に音が満ちており、ストリートの光景や音も終わることなく、わたしたちの耳から記憶に刻み込まれているのだから。生きていること。つまりライフ・ミュージックだ。本作は電子音楽/電子音響がライフ・ミュージックであることを堂々と告げている傑作である。
たしか2009年の秋から冬に変わる頃、ワタクシは自宅の台所のテーブルにノートパソコンを置いて、宇川直宏の電話の指示に従いながらオープンしたのが、web ele-kingでございます。懐かしいですね、まだDOMMUNEがオープンする前でした。そこからなんとか、いろいろな人たちの助けや、いろいろな世代との出会いもあって、こうしてやってこれているわけであります。まだまだ理想には遠いと思ってはいますが、はじめた頃に比べたらずいぶん幅広く読まれるようになったと実感しております。
さて、それでweb ele-kingはじまって以来の、スタッフ募集です。デスク業務です。ワタクシと橋元の机に挟まれながら作業しなければならないという、おそろしい環境ですが、とにかく音楽の話が好き、文章を読んだり書いたりするのが好き、CDやレコードを買うのが好き、音楽メディアと編集業務に興味がある人、そして気持ちがある人、待っております。編集部の菅村君から「ファッションやアート、ライヴ好きの方もヨロシク!」とのことです。とはいえ、おそらく皆様が思っている以上に地味な仕事ですが、どうぞよろしくお願い申し上げます。(野田)
【職種】
デスク
【仕事内容】
書籍・WEB編集補助業務
(資料作成及び発送、データ入力、原稿整理、画像整理)
【求めるキャリア・スキル・応募資格】
・基本的なPC操作
・基本的なWORD、EXCEL操作
・幅広く音楽に興味をお持ちの方
・基本的なPhotoshop、Illustrator操作できる方、優遇。
【雇用形態】
アルバイト(学生歓迎 ※大学生以上)
【勤務地】
東京都渋谷区 本社
【交通】
JR線 「渋谷」駅より徒歩6分
【勤務時間】
週2~5日(月~金)10:00~18:00(原則)
【給与】
時給 870円以上
【待遇条件】
交通費全額支給 (学生の場合は通学定期の経路外を支給)
試用期間2ヶ月
【休日休暇】
完全週休2日制(土・日)、祝日、夏季・年末年始休暇
【募集人員】
若干名
【応募方法】
履歴書(写真添付、Eメールアドレス明記)及び職務経歴書(書式自由)を同封の上、下記宛先までご郵送ください。
※好きな音楽等も明記ください。
【書類送付先】
<郵送>
〒150-0031
東京都渋谷区桜丘町21-2 池田ビル2F
株式会社 Pヴァイン 人事担当宛て
※履歴書在中の旨、ご明記下さい
<メール>
job@p-vine.jp のアドレス までお送り下さい。
【応募締切】2014年2月10日
※書類選考の上、面接対象者のみ、当社より締め切り後2週間以内にご連絡いたします。
※応募書類はご返却いたしません。ご了承下さい。
※応募書類につきましては今回の採用選考にのみ使用し、同意なくそれ以外の目的に利用したり、第三者に提供する事はございません
みんな大好きDOMMUNE宇川直宏の「セレブリティー1000人の偽サイン展」、そう、「偽サイン」です。覚えていらっしゃる方も多いことでしょう。宇川直宏いわく「降霊術」によってセレブを自らに「憑依」させてサインを描くという、その1周回ったいかがわしさ、オリジナルを超えた偽物のリアリティといいますか、当たり前の価値観をカオスの海に放り投げながら笑っているといいますか、とにかく、5年前の500人の偽サイン展から、宇川は、日々偽サインを忘れることなく、その数ついに1000人に到達したのであります。
そう、先週から山本現代において、その完結編として「UKAWA'S TAGS FACTORY(完結編)~宇川直宏によるセレブリティー1000人の偽サイン展」がはじまっています。2月22日まで開催しているので、ぜひ、観に行きましょう。あまりの「うまさ」(いろいろな意味で)に驚くはず。そして、その1000人の人選には、宇川直宏らしさが思い切り出ています。開催中には、トークショーも予定されているそうで、楽しみです。
なお、開催中には、「FREE DOMMUNE ZERO」にて話題となった「夏目漱石/THE UNIVERSE」も展示されます。
■~2月22日 @山本現代?宇川直宏 個展【2NECROMANCYS】
=「UKAWA'S TAGS FACTORY(完結編)~宇川直宏によるセレブリティー1000人の偽サイン展」
&「夏目漱石/THE UNIVERSE(re-turns)」with やくしまるえつこ(朗読)!
https://www.yamamotogendai.org/japanese/exhibition/index.html
たぶん、これを読んでいる人はビートルズ以前のフランスの音楽、シャンソンが世界の人びとを魅了した音楽だったということを知らないだろう。
エディッド・ピアフはビヨンセのように誰からも愛され、ジャック・ブレルはフランク・シナトラのような偉大なシンガーだった。
ビートルズの初めてのフランス公演は、シルヴィ・ヴァルタンの前座としてだった。この公演中にビートルズは自分たちの曲がアメリカで初のナンバー・ワンになったことを告げられた。それは、エンターテインメントの世界の音楽がロックへと変わった瞬間であり、ロックの本質を本当に理解しているアメリカ、イギリスだけが世界の音楽を牛耳っていくはじまりだった。
アメリカ、イギリス以外の国の音楽が世界の隅に追いやられていったのは、それらの国のエンターテインメント界が旧来のままだったことがいちばんの理由だと思うが、ミッシェル・ポルナレフのようなロック世代の大スターも出てきはしたが、しかし、それまでは世界の音楽をリードしていたフランスの音楽が他の国のチャートに顔を出さなくなったのは不思議で仕方がなかった。ジャズの終わりを看取った国、アフリカン・ミュージックを発信してきた国にしてはフランスの音楽の低落ぶりは不思議で、だから、フレンチ・ハウス、テクノが世界的に評価されたとき、さすが、フランスだと思った。フランス音楽の低迷は言葉の問題だったのかと思っていたら、ついにフェニックスがグラミー賞をとり世界的に認められた。なぜ、フェニックスが世界的に認められたのか、訊いてみた。今月行われた来日公演の楽屋にて、答えてくれたのはギターのローラン・ブランコウィッツとベースのデック・ダーシーだ。
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僕たちはいいプレイヤーじゃない、でもいいリスナーだと思っている。僕たちが目指しているのはアメリカのゴールデン・エラと呼ばれた時代の音楽だ。75年とか、MIDIが使われる前の音楽だ。(ローラン・ブランコウィッツ)
■グラミー賞をとったことは驚きましたか?
ローラン:僕らはどんな賞ももらったことがなかったから、驚いたよ。初めてもらった賞が、権威ある賞だったから、嬉しかった。でも、長いこと賞ももらわずにやってきたけど、それはそれでよかったよ。
デック:新しい経験で、いままで感じたことない感覚だったね。
ローラン:いい経験だったと思う。
■なぜ、グラミー賞をとれたと思いますか?
ローラン:なぜ? 成功はいろいろなものの積み重ねだよね。いろんなひとたちがいいね、と言ってくれるようになって、成功をしたんだと思う。
■僕がなぜこんな質問をしたかというと、昔のフランスの音楽って、普通に世界レベルの音楽だったじゃないですか。それがビートルズ以降、ただの地域の音楽になってしまったと思うのです。そんななかであなたたちは久々に世界に認められたフランスのアーティストだと思うのですが、それはなぜかなということを訊きたかったのです。
デック:いい質問だね。
ローラン:ミッシェル・ポルナレフは日本でもポピュラーだったの?
■はい、ビートルズより人気がありましたよ。
ローラン、デック:へー。
■僕の両親の時代ですけどね。
ローラン:(ふたりでフランス語で相談しながら)なぜ、そんなことになってしまったかはまったくわからないんだけどね。僕らふたりの見解だとフランスの音楽産業のせいだと思う。フランスの音楽業界は間違った道を歩いてしまったんだ。これがフランスの音楽業界が衰退した理由の一つだと思う。僕らの世代は旧来の音楽産業とは関係ないところでやっている。だから僕らは成功したと思う。僕らの世代は自分たちのベッドルームでレコードを作っている。だからそういう古いフランスのシステムの影響を全く受けずにすんだ。
■それは僕も同じことを考えていて、びっくりしました。
ローラン:フランスの音楽シーンの復活にはテクノジーの進歩もとっても重要だ。僕たちはテクノジーで古いシステムから解放され、自由を手にしたんだ。
■なるほど、だから、フランスのシーンはまずハウスやテクノから成功していったのですね。フレンチ・ハウスやテクノの人たちとの共通点を感じますか?
ローラン:そうだね。音楽がぜんぜん違っても、ほとんど同じ機材を使っているよね。サンプラーなど。そして、何より同じような古いレコード(音楽)を愛している。ハウスの人たちも、ヒップホップの人たちも、当時の最高のギター、ドラム・サウンドを一日中聴いている。僕らもそうだ。そして、それらからまったく新しい音楽を作ろうとしている。それがいまのカルチャーだ。これが共通点だよね。僕らはもっとソングライティングに力を入れているというのが違う部分かな。そうしようとしているんじゃなく、僕らはそういうのが好きというくらいなんだけどね。これがフェニックスだね。
■おー、僕はフェニックスというのは、70年代のアメリカン・ロック、映画『ヴァージン・スーサイド』に使われたような当時のアメリカの郊外のキッズが聴きそうなスウィートなアメリカン・ロックを、現代のヨーロッパの若者たちに置き換えたようなサウンドを目指しているのかと思っていました。
ローラン:僕たちはいいプレイヤーじゃない、でもいいリスナーだと思っている。僕たちが目指しているのはアメリカのゴールデン・エラと呼ばれた時代の音楽だ。75年とか、MIDIが使われる前の音楽だ。
■産業ロックになる前の音楽ですね。
ローラン:アメリカのいろんなジャンルの音楽の天才が集まって、素晴らしい機材とたくさんのお金を使って作っていたような時代の音楽を、ベッドルームで、正確に言うと、狭い地下室で、安い機材で、サウンド・エンジニアの知識もなく、スティーリー・ダンのような音楽を作ろうとしていたんだ。
■うわっ、スティーリー・ダンですか、感動しました。前作『ウォルフガング・アマデウス・フェニックス』が商業的に成功したので、『バンクラプト!』はスティーリー・ダンのようなお金をかけた制作もできたと思うのですが、前作と変わらない感じがしますね。
デック:たしかに同じようなプロダクションだね。でも、僕たちがやっていることは新しい音楽を作ること、同じようなプロダクションでも、やり方はとってもランダムだね。
ローラン:僕らはみんなを驚かせたいんだ。リスナーに誰か違う音楽を聴いているような感覚を与えたいと思っている。今回は、ランダムにやりながらそれをどういうふうに完成させるかというプロセスを理解できたね。
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ヌーヴェルヴァーグも僕たちも、アメリカとコネクトしていたが、距離があった。だから僕たちはアメリカの音楽にファンタジーや妄想を感じながら、大きくなった。リアルよりもね。
■フェニックスというとおしゃれで、時代の空気を読み取って、マーケット戦略もばっちりみたいなバンドだと思っていたのですが、まったくそんな感じじゃないんですね。
ローラン:そうだよ。『ウォルフガング・アマデウス・フェニックス』は成功したアルバムになったけど、完成したとき、すごく変なアルバムを作ったと思った。少しの人にしか気に入られないんじゃないかと思ったよ。だけど、たくさんの人が気に入ってくれた。だからマーケットなんか気にしなくっていいと思って、『バンクラプト!』は『ウォルフガング・アマデウス・フェニックス』と同じアティチュードで作ったんだ。僕らが思うにフェニックスを好きな人は驚かされるのが好きで、ラジオでかからないような曲を聴くのが好きなんだろうな感じる。だから、そういう方法論で作っていくんだ。普通はファンに寄り添っていくとダメになると思うけど、いまのフェニックスとファンの関係はいい関係だね。
■ロック黄金時代のバンドとファンの関係のようですね。
ローラン:僕らがフェニックスをはじめた頃は僕らのような音楽を好きな人たちは少数派だったけど、いまはいい耳を持った人たちが増えているよね。フェニックスをはじめた頃の音楽シーンは酷かったけど、いまはどんどんよくなっていっているよね。
■フェニックスを含むフランスの新しい音楽全般についてうかがったのですが、僕はフランスの音楽はイギリスやアメリカの音楽と比べると、エレガントで、スウィート──というのは偏見のようにとられるかもしれないですが──あたたかさやノスタルジーを感じるんですが、なぜでしょうか?
ローラン、デック:うーん、いい質問だね(難しい質問だね)。
■あっ、すいません、フェニックスは自分たちのことはフランスぽくないと思っているんですか?
ローラン:そんなことないよ。僕たちも君が思うようなことを思っているよ。音楽でこうだというのは難しいね。フランス映画にたとえて話すと、フランス映画もまた音楽のように、アメリカ映画と違うよね。フランス人はいろんな感情をミックスするのがいいと思うのかもしれない。フランス映画はコメディだと思っていると、突然悲しいシーンが出てきたりするよね。フランス映画はそういうことができる。
■ゴダールやトリフォーのように。
ローラン:そう。完全なる自由だよね。
デック:突然、話が脱線したり。
■「これは映画ですよ」と観客に話しかけたり。
ローラン、デック:そう、そう。
■ヌーヴェルヴァーグもアメリカの映画に影響されて、独自な映画になりました。あなたたちの音楽もまさにそのような感じですね。
デック:そのとおり。ヌーヴェルヴァーグも僕たちも、アメリカとコネクトしていたが、距離があった。だから僕たちはアメリカの音楽にファンタジーや妄想を感じながら、大きくなった。リアルよりもね。
■日本人といっしょですね。フェニックスが日本で人気があるのは、同じ感覚を持っているからでしょうね。
ローラン:そしてもう一つ、ヌーヴェルヴァーグと僕たちが似ているところは、ヌーヴェルバーグも僕たちもハリウッドのような機材を持っていないけど、エレガントな姿勢を保っていたことだね。何か違うかなと思ったら、マスター(先人)の作品を見て、作り直せるところ。ヌーヴェルヴァーグと僕たちは似ていると思うけど、僕が好きなのは初期の作品だよ。アヴァンギャルドよりも、クラシックなときのほうがいいと思う。アヴァンギャルドな部分は古くさい感じがするね。
■フランス映画もヌーヴェルヴァーグ以降、落ち込んでいたのが、80年代に『ディーバ』『サブウェイ』『ベティ・ブルー』で盛り返しましたよね。いまのフランスの音楽シーンはそのときと同じような熱気を感じるんですが、どうでしょうか?
ローラン:えーっと、言いにくいんだけど、僕には『ディーバ』や『サヴウェイ』のような映画はヌーヴェルヴァーグの上澄みだけで作ったような映画のような気がするんだよ。音楽で言うとMIDI以降というか。
■あー、すいません。なるほど。でもフェニックスのことがよくわかりました。『サブウェイ』などの映画にはヌーヴェルヴァーグがリスペクトしたアメリカ映画への熱いリスペクトがないですよね。フェニックスはとってもフランスのバンドかもしれないけど、そこにはアメリカ音楽の黄金時代への憧れと尊敬の熱い血が燃えていますよね。
ローラン、デック:そのとおり。
楽しくて、ダンサブルで、爆弾みたいなカタコトのライヴを見たとき、「これはトラブル・ファンクの再来か」と思ったが、しかし、カタコトのカセットテープ「今夜は墓場でヒップホップ」や配信のみのEP「MARYOKU EP」を聴くと、「これはビースティー・ボーイズの『チェック・ユア・ヘッド』だ」と思った。ラップあり、ローファイ・ロックあり、ファンクあり、パンクあり、弾き語りあり、涙も笑いもなんでもあり、彼らが言うように、「これは玩具箱」ではないか。
カタコトには、すでに"まだ夏じゃない"という秋を歌った名曲があり、"魔力"という『楽しい夕に』の頃のRCサクセションのようなアシッドな名曲がある。たとえ惑星が地球に衝突しようと、カタコトこそ、今年の日本のブラテストホープ、ナンバー・ワンであることは間違いない。
――野田努(ele-king)
ジャンルは未定! でもいちおうヒップホップということで! MCとバンドとアートがフリーキーに結びつくブライテスト・ホープにしてダークホース、「カタコト」のデビュー・アルバムが今月ついにリリースされる。
曲名やアートワークだけでも十分に伝わってくるだろう。彼らが何を好み、何に影響を受け、何をよしとしているのか。そして何かがはじまろうとしているということが……! すでにライヴを目撃している人がどのくらいいるのかはわからないが、あのバチバチと放電しているような空気感を目の当たりにすれば、まだ手垢のついていないものに触れるあの期待感を知れば、このアルバムを聴かないという選択肢は生まれないはずだ。
はちゃめちゃフリーキーなヒップホップ・バンド、カタコトのデビュー・アルバムが2月19日にリリース! ラップをイケてるバンド・サウンドに乗せてご提供!
これは和製ビースティー・ボーイズか? 2MC、ギター、ベース、ドラムから成るヒップホップ・バンド「カタコト」のデビュー・アルバムにしてベスト版『HISTORY OF K.T.』が2月19日にリリースされます。
ラップにローファイ・ロック、ファンク、パンク、メタル……とさまざまな音楽性を巻き込んだ、遊び心たっぷり痛快愉快なミクスチャー・サウンド。ポップなのにアグレッシヴ、ファンキーでかつフリーキー、生音とラップのアガる組み合わせに、聴けばたちまち心踊る、100%フレッシュなごった煮チューンが詰まった堂々のデビュー・アルバムの登場です。ele-kingブライテストホープ賞も楽々かっさらう要注目バンド「カタコト」、そのポテンシャルは未知数、ご期待ください。
■PROFILE:
カタコトってなンだ!? メンバーは、 RESQUE-D(MC)、MARUCOM(Guitar)、YANOSHIT(MC)、KKC(Bass)、 FISH EYE(Drum)という映画グーニーズさながらの好奇心旺盛な謎の5人組。パーティ感を前面に出したフリーキーかつファ ンキーな楽曲群はもちろん、アコースティック・ギターに歌心が沁みる曲やピアノを大胆にフィーチャーしたスタンダードなポップスまで、バリエーション豊かで、そのポテンシャルは無限大!得体の知れないツイートや、サイトに 散りばめられた奇妙なアートワーク、メンバーそれぞれのバンド外での意外な活躍……ナゾは多いが、異端こそがポップ、色物だと思ったら大損こくのは必至です。 2014 年、カタコトが異形のマスターピースを世に放つ。今宵もバンドは気の向くまま、新たな計画を企んでる。
カタコトHP: https://katakoto.info/
カタコトTwitter: https://twitter.com/katakoto5
カタコトsoundcloud: https://soundcloud.com/katakoto
![](https://www.ele-king.net/upimg/img/3194.jpg)
■カタコト / HISTORY OF K.T.
PCD-22373
定価:¥2,200+税
トラックリスト
1.「扉を開けてしまった男」
2.Man In Da Mirror
3.HELLO KATY
4.ハーフ&ハーフ
5.「リスからの手紙」
6.からあげのうた
7.Starship Troopers
8.夏じゃない(チルドルームサマー)
9.「殺人鬼のヒットソング」
10.Gooonys
11.デス!プルーフ
12.リュックサックパワーズ feat.VIDEOTAPEMUSIC
13.Super Natural Communication
14.G.C.P
15.「悪魔はどっちだ?」
16.ピアノ教室の悪魔
17.魔力
復讐バーボン。私は酒場の暗がりでひとり杯を傾ける男の内面にうずまくものを思わせるタイトルにシビれながら、しかしそこに70年代的なデカダンスを見てシビれているなら、ゴールデン街で昔話に花を咲かせながらトグロまくオヤジたちと同じではないかと思ったが、友川カズキの歌を聴いて我に返った。
「花ではない 黄色が拡がってる
永遠とは 刹那のことである
とっくの昔に明日は終わった
静かならざる狂おしい夕暮れに
したたかにあおっているのは
しあさっての復讐の
復讐のバーボンのロック」(“復讐バーボン”)
すでに終わっている「明日」のさらに先の「しあさって」のために呷るバーボンのロックは、過去の仇を討つ復讐という言葉の指向性にもかかわらず虚無に向いている。友川カズキの詩は現代詩的な方法意識をことさら表に出しはしないけれども保守的ではなく、言葉はイメージで色彩豊かに結合していくが、つねにぼくぼくとしている。そんなことはとっくのとうにわかっていたつもりだった。ところが新作を聴くたびに目がさめるのは、私のモノ忘れがひどいのもあるにちがいないが、友川カズキの言葉は歌になることでさらに凄絶さを増す。アコースティック・ギターをかかえ膝をそろえイスに坐り、ツバキを飛び散らしながら文末を食いちぎるように鋭くカブリを振る歌いぶりから一転、朗々と歌い上げる友川カズキの姿をこのアルバムを聴きながら思いだす。同時にあの舞台の上の人を食ったユーモアも。その落差に人は狂気のようなものを目のあたりにした気になり目を逸らし、その実、耳はそばだてるから歌の余韻は残る。いや、余韻などと余裕綽々とはしてはいられないおそるべき残響である。
このアルバムにもそれがある。いままで以上に、といってもいい。『青いアイスピック』(PSF)から3年ぶり、スタジオ盤としては通算21枚目のアルバムである『復讐バーボン』は“順三郎畏怖”のアコースティック・ギターの大きなストロークからはじまる。順三郎とは戦前からモダニズム~シュルレアリスムの旗手であった西脇順三郎のことで、この曲は西脇の詩を元に友川が歌にした。友川カズキといえば、4作目『俺の裡で鳴り止まない詩』でとりあげ、後にアルバム1枚まるまる使った中原中也(『中原中也作品集』)を思いださないわけにはいかないが、友川は詩人(実作者)であるとともに一遍上人から山頭火から葛西善蔵から住宅顕信から、他者の言葉(と存在)に触発される人でもある。受け手でもあるのだ。それも流行に右顧左眄しない。『復讐バーボン』でも西脇順三郎のほかにもソニーロリンズ(“兄のレコード”)、ジャンポール(“『気狂いピエロ』は終わった”)、新吉高橋(“ダダの日”)など、人名がちらほらある。もっとも引用で何かをほのめかそうとは友川は狙ってはいない。詩に迷いこんだ他者が詩を異化するのを丸抱えしながら存在するから、ディランでもスプリングスティーンでもなく、朝靄をぬって走る滝澤正光様に私は――競輪はズブの素人ではあるけれども――胸を撃たれるのである。
資質という、わかったようないい方をしていいかわからないが、その側面では友川カズキの音楽は変わりようがない。変わりようがないことは代わり映えしないのではなく変わらないものが不意を突いて眼前に突き出してくる。『復讐バーボン』がとくにそうなっているのは演奏のすばらしさもあるだろう。頭脳警察/シノラマの石塚俊明、パスカルズの永畑雅人、金井太郎、坂本弘道、松井亜由美といったレギュラー陣にNRQ/前野健太とDAVID BOWIEたちの吉田悠樹(二胡)、さらに2009年の友川のドキュメンタリー映画『花々の過失』で共演したギャスパー・クラウス(チェロ)を加えた演奏陣は、曲ごとに組み合わせを変えながら歌を支えるだけでなく、このアルバムでは歌をひっぱっているところもある。資料には「完全一発録りの前例を破り、初めてスタジオ・リハーサルを行った」とある。これってわざわざ特記することなんだろうかと聴く前は思ったが、特記すべきでした。これまでは歌に対して演奏は即興(的)だったので、反応が事後的―といっても、譜面に記せないほどのものなのだが、そしてそれは一部のブルースマンのやり方と同じともいえるのだが―になることもあったが、『復讐バーボン』では事前に音を合わせることで音は不即不離になっている。もちろん緊張感がないわけではない。“わかば”の坂本弘道とギャスパー・クラウスの二台のチェロによるメロディと軋み、“馬の耳に万車券”の即興空間、あるいは“夜遊び”の後奏において私は友川バラッド(ワルツ)とでも呼ぶべき一連の三拍子系の曲の大陸的な音楽性―これはまた縄文的な三上寛とは好対照だと思うが、それについては別稿をもうけたい―がすんなり腑に落ちた。
そして『復讐バーボン』は1977年の3作目『千羽鶴を口に咬えた日々』に収録した“家出青年”の36年ぶりの盤上の再演で終わる。歌詞の一部を書き換えているとはいえ、この歌に歌われる「家出青年」の内面は36年前のこととは思えない。彼は「蒲団に潜る時『このままでええや』」と思い、「蒲団を蹴る時『このままじゃダメだ』」と思う。その煩悶は時代とは関係なく、ある世代にかぎらずとも、誰もが思いあたる節の嵌りこむ穴であるだろう。友川カズキはセルフ・カヴァーで、生きるに手いっぱいの青年の夜更けに頭をもたげる悩みと、「原発だろうと何だろうと/イヤなモノはイヤだと声を成せばいい」という問題意識を重ね合わせ、歌をなまなましくよみがえらせる。というより「『次世代のため』なぞと言うから滑稽になっちまう/『負の遺産』なぞと括るからたいがいになっちまう」と、過去と未来、以前と以後を峻別したがる人たちと、それにすらとりあわぬ人たちのおためごかしに、友川カズキは再生することで生まれる音楽のなかから、過去でも未来でも以前でも以後でもない現在から叫ぶのである。それでさえ「歌は平気でウソをつく」(“『気狂いピエロ』は終わった”)かもしれないけども。虚構がそうやって真理をつかまえることはいうまでもない。
![]() 快速東京 ウィーアーザワールド felicity |
「僕たちは悪者だから」と一ノ瀬雄太は取材の最後にぽつりと言った。
快速東京は悪者ではない。が、そう言いたくなる気持ちもわからなくもない。彼らは、いまの日本では確実に少数派だろう。涙もろく、猫も杓子も「がんばれ」のこのご時世、快速東京の切り込み方は例外に思える。「ムダじゃん、ムダじゃん、いいじゃん」とか、「あー、ムダじゃん、絶望なんて」とか、ニヒルな言葉を撃ちまくる。いまどき、こんなパンク・ソングなんて誰が聴こうか。
快速東京は浮いている。ふざけているし、ナンセンスを面白がるような、ある種プリティ・ヴェイカントな感性が、真面目腐った日本で素直に受け入れられるとも思えない。思えば、セックス・ピストルズも出て来たときはアレルギー反応を示した人が多かった。時代は変われど、世のなかに何となく生まれるもやっとした情緒にあらがう小さな存在の扱いとは、だいたいそんなものでしょう。が、こういう人たちが切り拓くところには、いつの日か心地良い風が吹くものでもある。
2013年の1年を通して、個人的にもっと数多く見たライヴが、快速東京だった。レーベルの担当者よりも多く見た自信がある。彼らが演奏するライヴ会場に行けば若い子たちが踊っている。そして、筆者よりじじいなストーンズやキッスの10倍の速さで福田哲丸が踊っている。ミック・ジャガーとマイケル・ジャクソンを高速で動かしたような面白い踊りだが、いつぶっ倒れてもおかしくない運動量で、ときにそれは「面白い」以上の迫力を見せる。
哲丸が自らの音楽を「娯楽」とエクスキューズするわりには、その規模はまだ小さい。大きければいいってものではないのだが、彼らは規模の大きなバンドを好んでいる。筆者なんぞは、彼らが尊敬するキッスにもメタリカにも関心を持たない人間であるのだが(ブラック・サバスだけは別)、快速東京の「いま」には共感するところがある。
以下のインタヴューからは、その歴史性を失ってからのロックの現在が読み取れるかもしれない。彼らが実は2000年代の東京のハードコアに影響を受けていたこともわかる。これはリアルな話だ。筆者でさえもその時代はハードコアのライヴハウスに足を運んだものだ。彼らがまだ10代の頃、西荻のライヴハウスで会っていたかもしれない……取材には、ギターの一ノ瀬雄太、ヴォーカルと踊りの福田哲丸、ベースの藤原一真が参加してくれた。
「“ムダ”。暗いよね、これ」(哲丸)
「暗い」(一ノ瀬)
「実はさ、これ、希望なんだけどね」(哲丸)
なんでもいいワケじゃないぜ
どうでもいいだけなのだ
ムダじゃん ムダじゃん いいじゃん
“ムダ”
■先日のクアトロのワンマンが大盛況だったんだってね。良かったという評判しか聞いてないんだけど。
一ノ瀬:ほー。
■あんなにたくさんのお客さんがいるのがすごかったと、行った方々が言っててね。自分たちでも、ようやく快速東京が受け入れられてきた実感はありますか?
一ノ瀬:クアトロでワンマンをやると決めて、直前になってゲスト枠を増やすとか、そういうことをしなくて良かったなとか(笑)。
哲丸:人が増えてるなーとは思うけど。でも、増えてるからどうのとは思わない。
■冷静だねー。
哲丸:増えてんなー! ぐらい(笑)。
■1年ちょい前に快速東京と知り合って、それ以来、何回もライヴを見させてもらって、つくづく思ったのは、日本の音楽文化というか、シーンのなかでは、ホントに、似たものがいない。良い悪いの話じゃないんだけど、浮いているよ。
哲丸:へへへへ!
■ある種逆風のなかで活動しているっていうかさ。いまの日本のシーンで、快速みたいなことをやってオーディエンスを増やしていくのって、すごいよ。この面白さを理解してもらうのが、こんなに大変だったとはねー。
哲丸:ハハハハ!
一ノ瀬:キリンのCMはそこを逆手に取って、コレを見たら気になる人も増えるだろうと思ってやってるんだけど、クアトロのワンマンも、それまで普通にワンマンやるとチケット売り切れるんで、キャパを少し広くしていかないとお客さんに悪いなって気持ちでやったから。クアトロでやりたいって思ってやったわけじゃなく、クアトロでやらないと入れない人に悪いなって気持ちでやったんですよ。
哲丸:やったらできたみたいなね。
■そういうスタンスだと思うし、作年末の踊ってばかりの国との「東京ダンス」じゃないけど、まずは楽しんでもらいたいってことをやっていると思うんだけど、それがストレートに伝わらないという、変な状況もあるでしょう。
哲丸:それでもやりゃあいいじゃんってスタンス。
■クアトロのライヴでの哲丸君のダンスはどうだったの?
哲丸:いやね、正月明けで、怠惰な生活がたたってか、カラダが重たくて(笑)。
■いつものキレがなかった(笑)。
一ノ瀬:僕らは演奏しているから、哲丸の動きはよく見えてないんですよね。映像を見ると、「動いてるな、この人」って思うんだけど。
哲丸:(動くしか)やることないからね。
■で、新作『ウィーアーザワールド』、すごく良いアルバムだと思ったし、この表現は快速にしかできないと思うんだけど、ただね、今回のひとつの関心としては、いろんなことが出来たと思うんだよ。
哲丸:そうだね。
■3枚目だし、音楽性をどうするかって言ったときに、いろんな選択肢があったじゃないですか。
哲丸:流行っていたんだよな。
一ノ瀬:そうそう。
■何が?
一ノ瀬:来日ラッシュがあったんですよ。ブラック・サバス、メタリカ、キッスと。けっこうメンバー全員行って。
■ハハハハ、その流れすごいね。
一ノ瀬:オレ、去年ブラック・サバス死ぬほど聴いたし、まあ昔のアルバムだけど。
■ああ、たしかに昨年もTシャツ着てたもんね。
一ノ瀬:ホントにそれだけ(笑)。
■いや、でもスタジオ録音なわけだし。仮にブラック・サバスだとしてもスタジオ録音だからこそできることを追求するとか、いろんな選択肢はあったと思うんですよ。でも、大雑把に言って、ライヴ演奏とそう大差ない作品に仕上がったよね。
哲丸:ライヴのことしか考えていないからだよ。
■ああ。
哲丸:曲作りの段階でライヴのことしか考えていないから。
一ノ瀬:そうそうそうそう。
哲丸:短くて速くて、明るくてポップで、軽快な曲はいっぱいあるから、あのセットリストに足りないモノを、なんとなく考えながらやった。
■なるほど。あくまでライヴありきの楽曲なんだね。
一ノ瀬:他の楽器を入れるっていう発想は一回も出なかったすね。
哲丸:そうだね。
一ノ瀬:ギター的には、ライヴではできないことやっているところがあるんですよ。2本録ってそれぞれ違うことやってるっていう。
■それは初めて?
一ノ瀬:やってたかな。ギターに関しては。
哲丸:やってたけど、今回のほうが激しいわな。
一ノ瀬:そうね。
■哲丸君と一ノ瀬君ふたりの友情関係は大丈夫だったの?
一ノ瀬:いや、もう、最初から一回も仲良くないから。
■ハハハハ!
哲丸:いや、変わらないよ。ずっと一緒。
一ノ瀬:永遠に仲悪いから。
■ハハハハ、面白いな-(笑)。本当に仲悪いからね。なのに、しっかり作品作れるからすごいよ。
哲丸:そこは櫻木さん(※レーベルのボス)の仕事だから。
一ノ瀬:オレらはね、ワイワイやってればいいから。
■仲良しで「良いね」「良いね」なんて言い合ってるようじゃダメでしょう。喧嘩ぐらいしなきゃ良い物なんてできないよね。偉大なバンドはみんなメンバー仲悪いじゃん。
哲丸:今回はね、来日があったことが大きかったかも。
一ノ瀬:大きいよ。
哲丸:険悪な関係でも、キッスが来たら一緒に行くとか(笑)。
一ノ瀬:そう。
哲丸:ブラック・サバスが来て、雄太だけ行って、その感想を聞いて「良いなー」って思うとか。
一ノ瀬:こいつ、来日アーティストに高い金払って見に行くって発想なかったから。
哲丸:でもキッスは行かないと。
一ノ瀬:オレはガキの頃にオヤジにストーンズとか連れて行かれてるから、そういう発想があるんだよ。
哲丸:こういう、仲が悪くても好きなモノが一緒だから、好きなモノの話はできるじゃないですか。
一ノ瀬:いやでもね、見方が違う。
哲丸:ホントに見方が違う。
一ノ瀬:感想の話とかすると揉めるもんな。
哲丸:へへへへ!
一ノ瀬:面倒くさい!
■哲丸君はホントに面倒くさいよ。
哲丸:いいんだよ!
[[SplitPage]]オレらがバラードを作ることはないってことだけはわかっているんですけど。「やらない」ことははっきりしているんだけど、「やりたいこと」はわりとほんわかしていて。
![]() 快速東京 ウィーアーザワールド felicity |
■リリースが予定よりも遅れたじゃない。それは何でだったの?
一ノ瀬:あれはね、googleのキャンペーン・ソングとかあったからだもんな。
哲丸:いろいろやってたから。
■キリンのCMもね。
一ノ瀬:ああいうのがあったり、いろいろあったから、レコーディングを遅らせてもいいかという話になったんです。
■哲丸君は昔から歌詞を書くのが早いと評判だけどさ。
哲丸:オレ、遅かった。今回は遅かった。
一ノ瀬:なんか、最後の最後まで、ごにょごにょやってたよな。
哲丸:書き方を変えたんですよ。みんなちょっと変えたように、オレもちょっと変えたいと思った。オレは楽器持ってないから、変えられるのは歌詞の書き方だけだって。
■歌い方も変わったよね。
哲丸:ホント?
一ノ瀬:メロディが出現しているんですよね。
■あと、歌い方がよりパンキッシュになった。
一ノ瀬:ほー。
哲丸:へー。
■それない?
一真:ジョニー・ロットン風味になった。
■ねえ?
一ノ瀬:それもねー、さも考えているようだけど、実は考えていないから。全然そんなことない。
哲丸:ハハハハ。
■でもオレは、今回のアルバムでアンガー(怒り)をより強く感じたんですよ。
一ノ瀬:そこはね、オレは哲丸も大人になったなと思ったところがあったんだけど、でも、ちょっと説教臭いんじゃない?
■えー、全然説教臭くないよ。むしろ、快速東京は、情緒とか、詩情とか、日本人が好きなウェットな感情をホントに取り入れないじゃない。
哲丸:入れないね。
■それを売りにしないというか、そこが素晴らしいと思うんだよ。
哲丸:娯楽だから。
一ノ瀬:その解釈はすごいね。たしかにそうかも! そういうものは全然オレらにはないですね。
■娯楽って言ってもね、ビジネスを考えれば、しんみりした音楽のほうが売れるわけだよ。
哲丸:そこを考えてないから。
■わかってて逆らっているのか、はなっからそれがないのか。
哲丸:はなっからないんだと思う。
■そうなんだ。
哲丸:音楽をやる理由がそこにない。
一ノ瀬:だけどね、意外とオジー・オズボーンやメタリカは詩情を出しているときもある。キッスにはないけどね。
■オジー・オズボーンはなんかわかる。
一ノ瀬:子供が生まれたときに優しい曲を書いているんですよ。けっこう、可愛いヤツなんですよ。
哲丸:生まれたらオレだって書くかもよ。
一ノ瀬:ブラック・サバスで最初あんなダークなアルバムを作ったのも、当時ゾンビ映画を作っていて、ただそれだけだっていうね。
■あの人たちは工場の町の労働者階級に生まれ育ったから、その環境に影響されたとも言ってるけどね。
哲丸:それはわかる。そこへいくとオレたちは、まあまあ幸せな家庭に育っているから、そんなヤツらが「生活が-」とか歌っても説得力ないじゃん。
■そうは言うけど、哲丸君の言葉には何か訴えるものがあると思うよ。今回も“ハラヘリ”とか“ダラダラ”とか“ムダ”とかさ、良い歌詞がいっぱいあって、さらに言葉の力も強まっていると思ったけど。
哲丸:お、“ハラヘリ”っていま言ったよ(笑)。
一ノ瀬:すげー、“ハラヘリ”に言及した(笑)。
■面白いよ、あれ。
哲丸:だよねー。ほらー、ハハハハ!
一ノ瀬:やっぱ虚無感みたいなもの(笑)?
■哲丸君がいちばん気に入っている歌詞はどれ?
哲丸:いや、別に、歌詞はぜんぶよく書けているでしょう。今回は、たくさん書いて、削って作っているの。このことは、原爆オナニーズのタイロウさんとの対談が関係しているんだけど、ま、それはいいとして、歌詞かぁ。
一ノ瀬:気に入ってる曲は何よ?
哲丸:オレは“ヤダ”とか好きだよ。
一ノ瀬:“ゴハン”がいいって言うのは?
哲丸:“ゴハン”は、曲における歌詞という意味では、いちばんハマったなと思ってる。僕のなかのパンクというぼんやりしたもののなかに、“ゴハン”という曲はばっちりハマった。書いて、「わー、パンクだ、これ」と思った。
■一ノ瀬君は?
哲丸:知らないだろ、歌詞なんて。
一ノ瀬:いや、こないだも久しぶりに聴いたけどさ。オレはやっぱ“メタルマン”がね。
哲丸:ハハハハ。
■“メタルマン”と“あくまくん”が好きなんだ。
一ノ瀬:ていうか、“メタルマン”はオレの曲で、オレが種を撒き、「お前ら触るなー」って育てているわけですけど。で、“メタルマン2”の歌詞を書いたとき、哲丸もやっとオレが言ってることがわかってきたなと思って。それは、歌詞の内容じゃなく、アクセントの置き方とか、そういうところで、他の曲は、オレが思っていたアクセントとは違っているところがいっぱいあるわけ。だけど、“メタルマン”は、アクセントが良い感じで入っている。
哲丸:一真はどれが好き?
一ノ瀬+哲丸:思い出して!
一真:……。
■ここに歌詞カードあるよ。
一真:……。
■もっとも哲丸らしいなと思うのはどれ?
一真:……。
■“ダラダラ”なんか哲丸節って感じじゃない?
一ノ瀬:これは説教臭さがないですよね。
哲丸:あれは時間がかかってない歌詞だね。
一ノ瀬:“アトム”なんかは哲丸にしては……。
哲丸:いや、あれはいろいろあんだよ。
■ポリティカルだしね。
哲丸:ハハハハ。
一ノ瀬:そういうことは出さないほうが、あんときは格好いいと思っていたんだけど……
一真:“ムダ”。
哲丸:“ムダ”。暗いよね、これ。
一ノ瀬:暗い。
哲丸:実はさ、これ、希望なんだけどね。
一ノ瀬:とにかく、哲丸の変化は感じてましたね。
哲丸:いいじゃん。
一ノ瀬:難しいことを言うようになったとは思いましたね。
一真:「じゃん」って言い方が哲丸らしいよね。
哲丸:ハハハハ!
一ノ瀬:腹立つよね。
■え、なんで(笑)?
一ノ瀬:うーん!
哲丸:ハハハハ!
一ノ瀬:まあ、歌詞はこいつの聖域だから、よほど迷っているときぐらいしか、オレらにも相談しないし、せいぜい「どっちが1番がいい」ぐらいだよね。
哲丸:そうそう。
■音楽的な主導権は一ノ瀬君なの?
一ノ瀬:いや、それは全員。
哲丸:「このあとどうしたら格好いいかな」とか、「キッスだったらこんなにドラムを細かくしないよ」とか。
一ノ瀬:意外とみんなで話しているんですよ。オレが主導権を握ったのは“メタルマン2”ぐらいで、あとはみんなで話し合ってやってますね。誰かが主導権握って、ひとりの頭で作れば、スタジオ代1/4で済みますよ。必ず、音を出して、確認するんですよ。オレがギターを弾いて、それをみんなで聴いて、そこからリズムを考えてって。時間がかかるんです。
哲丸:意外と建設的だよね。
一ノ瀬:全員が「いい」ってなると、「ヨシ!」ってね。
■しかし、今回は3作目だしさ、何か仕掛けてくるかなという期待もあったんだけどね。変化球とかさ。
哲丸:やらんね。
一ノ瀬:オレら、そんなにクレバーじゃなかったんでしょう。
■いや、賢さっていうか、バンドの信念みたいなものがあるのかな?
一ノ瀬:実は、信念もそんなないし……いや、オレらがバラードを作ることはないってことだけはわかっているんですけど。「やらない」ことははっきりしているんだけど、「やりたいこと」はわりとほんわかしていて。将司がおそいリズムを叩きたいと言ったのも意外だったし、あいつがキッスを聴き出したりとか。メタリカも遅い曲あるし。みんながステージに上がってやりたいことをやる、で、一真だけが一段上から見下ろしているっていうね。
哲丸:(一真が)いちばん冷静な判断をするからね。
■一真君もキッスやメタリカが好きなの?
一真:好きですけど……。
哲丸:ハハハハ。
■強制されたの?
一真:いやいや、そういうわけじゃないですけど。高校のときに聴いてたけど、最近は聴かないですね。
■だってさ、世代的にはおかしいでしょ。キッスはオレが小学校のときだったし、メタリカだって80年代からいるバンドだし。
一ノ瀬:メタリカやストーンズを好きなのって、僕らよりも下が多くて。
意外なんだけど。
東京のリアルってハードコアだったんですよ。哲丸もやっぱそうだし。東京人はみんな聴いていたんだよな、ハードコア。
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■ずっと思っていたんですけど、快速東京のお客さんは本当に若いじゃない。若い人が多いよね。
一ノ瀬:オレらの世代は、せいぜいニルヴァーナとか。もうちょっとリアルタイム感があったんですよ。90年代の音楽だったりとか。でも、いまの子たちは、ネットのせいなのか、マジで時間がフラットなんですよ。2000年以前はぜんぶ一緒くたに考えているから。
哲丸:「昔の音楽」みたいな。音楽の時間軸がない。
一ノ瀬:アナログ・レコーディングもエフェクトのひとつぐらいにしか考えてないから、悪い音でも素直に聴けてしまっているんだよね。オレらよろ上になると、80年代以前は古くさくて聴けないみたい人もいるんだけど、(中尾)憲太郎さんとかそうだよ。うちのプロデューサーです。ナンバー・ガールのベースやっていた。「オレらのときは、ニルヴァーナより昔の音は古くさくて聴けなかったけどね」って言ってたよね。リアルタイム感があるんですよ。
哲丸:ロックにまだ時間軸があったときだよね。
一ノ瀬:いまではもう歴史になってるから。いまロックが生まれている実感がない。
■まあ、言い方変えれば、ブラック・サバスと競り合わなければならないわけだ。
一ノ瀬:そうそう。新しいものを目指すとロックから離れなければならないという、この矛盾を抱えながらやっている。最近メジャー・レーベルがやっているのは、みんな、裏打ちの速いリズムで、そこに日本人ぽいメロディが乗るっていう。それってでも、日本にしかないから、新しいんですよ、サビでハモっちゃたりして。
■ちょっとエモな感じ?
一ノ瀬:90年代のエモの影響は大きいですよ。でも、イギリスなんかは、アークティック・モンキーズみたいに、ちゃんとブルースの影響が残っているところが面白いなーと思いますね。
哲丸:日本にはロックがなかったからさ。
一ノ瀬:メロディがさ。
哲丸:歌謡曲みたいになっちゃうんですよ。
一ノ瀬:アメリカ人がロックやると、そうはならない。
哲丸:生活にロックがある感じがするんだよね。
一ノ瀬:生まれ育ったところのメロディが違うんだよね。
■みんな、同世代のなかでも浮いてたでしょ?
一ノ瀬:どこで?
■学校とかで。
一ノ瀬:多摩美時代には、テクノ好きばかりだったね。
■マジで?
一ノ瀬:ホント、そうすよ。オレの入ったときは、『トレインスポッティング』世代が多くて、みんな“ボーン・スリッピー”から入ったみたいな。
週末はアゲハに行くみたいな(笑)。そんなヤツばっかりで、オレなんかが「ギター弾いてるんだよね」って言うと、みんなピンと来ないっていうか。やっとテクノ・ブームが終わりつつあるよ。東京人からすると、東京のリアルってテクノじゃないんだよね。オレが高校のときは、みんなバンドだった。銀杏ボーイズも人気あったけど、東京のハードコア・バンドに詳しいヤツ、いっぱいいたもん。で、大学に入ったら、田舎もんがいっぱい来て、「東京はテクノだね」って。
■それ何年の話?
一ノ瀬:8年前ぐらい?
■『トレインスポッティング』って1996年の映画だよ、多摩美のその子らが時代錯誤だっただけでしょう。
一ノ瀬:そうそう、田舎もんなんですよ。
■“ボーン・スリッピー”なんてもうかなり昔だよ(※1995年)。テクノのDJ、いまさらそんなものかけないから。
一ノ瀬:だから音楽好きじゃないヤツらが、テクノとかって言いだして、アゲハ行ってって、そんな感じだったんですよ。
■それはダサ過ぎるよー。
一ノ瀬:ですよね。まあ、それはとにかく、東京のリアルってハードコアだったんですよ。哲丸もやっぱそうだし。東京人はみんな聴いていたんだよな、ハードコア。
■オレでさえSFPを聴いていたからね、2000年代の東京がハードコアだっていうのは理解できる。みんなはどんなハードコアを聴いていたの?
哲丸:僕はレス・ザン・TVですよ。僕は、どしゃーと社会的なことを歌うのは耳が痛いってなってしまうんですけど、レス・ザン・TVの面白さは、客がみんな爆笑しているんですよ。だからあの人たちがやっている音楽にはユーモアがある。だけど、「それがどんな音楽か」と訊かれれば、ハードコアとかパンクとしか答えようがない。その現象が、僕にはハードコアだと。
一ノ瀬:ポリティカルなヤツらって、ハードコアにいなかったよね。
哲丸:いなかった。
一ノ瀬:BREAKfASTの“VOTE!!”が出たときは、すごかった。革命を感じたね。そこを歌ってしまうんだ! って思った。
哲丸:あれはすごかった。面白かったもん。
■へー、ちょっと意外。でもさ、BREAKfAST聴いている子なんて、同世代で言ったらかなりの少数派でしょう。
一ノ瀬:そりゃそうですよ。
哲丸:みんな、くるりとかさ、ナンバー・ガールとか、アジカンとか。
一ノ瀬:ハイスタの残り香のあるようなのとか、そういうのはいたけど、オレがクラプトンのライヴに行くことを理解できる友だちはいなかったです。
哲丸:オレもひとりでレス・ザンのライヴに行っていたから。
一ノ瀬:そういえば、高校のときもメタリカ聴いてたヤツなんかいなかったなー。
■だから一ノ瀬君が高校生のときなんか、メタリカのピークは過ぎていたでしょ。
一ノ瀬:そうっすね。
哲丸:オレらの世代だと、まわりは、洋楽自体をもうあんま聴いてなかったもんな。
一ノ瀬:グリーンデイぐらいじゃない。オフ・スプリングとかね。
哲丸:ああ、そういうのはいたね。
一ノ瀬:そこを入口に深いほうに行くヤツはいたよ。
哲丸:オレのまわりにはいなかったな。
■いまの、ハードコアが背景にあるのは面白い話だと思ったんだけど、快速東京のライヴでもみんな笑ってるじゃん。
哲丸:やっぱそうじゃなきゃ、意味ないもん。
一ノ瀬:楽しむことがいちばん大切なのに……、楽しくないライヴ多いよね。
哲丸:ライヴを聴いて、次朝起きて曲を思い出して、そして思いを深めてとか、止めて欲しい。オレらのライヴが終わったら、それはそれまで。オレらの話なんかしなくていい。
一ノ瀬:そこは見に来た人が勝手に考えることだろ。
哲丸:ぜんぜんそうなんだけど、僕がやりたいのはそういうこと。
■余韻を残すようなことはしたくないだよね。
哲丸:その瞬間に「イエー!」で。
■ユーモアとか反抗心とか、いろんなもんが吐き出ているんだけど、スカッと終わる。
哲丸:娯楽だから。
一ノ瀬:エンターメインメントだから。
■ところが日本のロックって、なんかちょっとトラウマがないとっていう。
一ノ瀬:そうそう。
哲丸:あれなんでなの?
一ノ瀬:演歌だからね。不倫のカルチャーでしょ。
哲丸:やべー(笑)。
■なにそれ?
一ノ瀬:不倫の歌って多いじゃないですか。でもオレ、“孫”とか売れたときに晴れやかなものを感じて、演歌も進化してんなーと思ったことがある。
哲丸:氷川きよしもいいよな。♪やだねってら、やだね~。
一ノ瀬:あれ、ロックだよ。ジェロも良いよね。でも、“天城越え”とか言われると「ちょっとなー」って。
■“天城越え”、いい曲じゃん(笑)。
哲丸:良い曲なんだよ(笑)。でもなー。
一ノ瀬:「越えられてもなー」って(笑)。
■ハハハハ。
一ノ瀬:オレら、わりと真面目に音楽聴いてるんですよ。演歌だってちゃんと聴いてる。
■そうだよね、“天城越え”なんか君らの世代は知らないものね。
一ノ瀬:アイドル文化の歌詞には最近は違和感を感じね。「みんな元気を出しましょー」とか。なんか、気持ち悪いんだよね。アイドル・カルチャーこそ本来はエンターテインメントであるはずなのに。
哲丸:ありゃ-、また別モノだからな。
■銀杏ボーイズの峯田君が、アイドルよりもこっち(ロック)のほうが格好いいよってことは言いたいみたいな話をしてて。たしかに、オレも正月帰省して同世代のヤツらと会ったりして、同世代のいいオヤジがアイドルに夢中になっている様を見ると、ちょっとマズいかもって思っちゃうよね(笑)。
一ノ瀬:合法ロリっていうか、海外ではNGじゃないですか。レディ・ガガがあれを批判的にやってるってことを気づけてないこともすごくダサいし。アンチテーゼってことが理解できてないんじゃないのかなって思いますね。
哲丸:お国柄かな。
一ノ瀬:励ましソングもいいけど、実際に励ますとき、励ましの言葉じゃない表現もあるじゃないですか。「元気出せよ」じゃなくて、「ふざけんなよ、おまえ」っていうのも励ましだったりするわけですよ。そういうことが理解できなくなっちゃったんですよ。
哲丸:みんな疲れちゃってんだよ。
一ノ瀬:疲れかぁ?
哲丸:だって、満員電車に乗ると、隣のサラリーマンのイヤホンの音がもれてくるわけですよ。そうするとさ、西野カナとか、慰めている曲を聴いているわけですよ。「がんばって」とか。「大丈夫だよ」とか。「なんとかなるよ」とか。そういうのばっか聴いてる。みんな、余裕がないですよ。ロックは、余裕がないとできないと思っているから。
■心の余裕だよね。
哲丸:そう、心の余裕。
一ノ瀬:金銭的な余裕がまったくないのも問題ですけどね。
哲丸:余裕がないんだよ。
一ノ瀬:オレ、そこだけじゃないと思うけどな。そこもあるんだけど、やっぱアンチテーゼを理解できないってことも大きいと思うよ。たとえば会田誠の絵を見てさ、あれはただのロリ好きのおじさんって本気で思っちゃってるじゃない。
哲丸:思ってるね。
一ノ瀬:でも違うじゃん。あれはアンチテーゼじゃん。そこが理解できないのよ。その裏側に何があるのかってことを。
哲丸:だから、考える余裕がない。
一ノ瀬:ま、それもそうか。
哲丸:見たまんま理解しちゃってるから。
一ノ瀬:宮崎駿の作品でさえ批判があるのに、なんでアイドルにはそれがないのかって。
■別にその人の趣味だったらどうでも良いけど、2~3年前までロックについて書いていたような、偏差値高そうな連中まで本気で論じちゃったりとかね(笑)。
一ノ瀬:昔のちゃんとしたアイドルとはまた別モノだからね。海外にもアイドルいるけど、歌うまいし、曲も自分で書いたりしているし。でも、日本では、なんかおっさんに踊らされてるっていうか。小学生や中学生の女の子は憧れらるからなりたいと思うじゃないですか。
[[SplitPage]]会田誠はそのあたりうまいよね。アンチテーゼをうまく出せていると思う。直接的な言い方はしないけど、めちゃくちゃ批判しているっていうね。
![]() 快速東京 ウィーアーザワールド felicity |
■踊ってばかりの国もそういうところがあるけど、哲丸君の歌詞にはトゲがあって、でも、いまの日本ではそのトゲを見ないようにするっていう風向きが強いよね。
哲丸:ハハハハ。
一ノ瀬:会田誠はそのあたりうまいよね。アンチテーゼをうまく出せていると思う。直接的な言い方はしないけど、めちゃくちゃ批判しているっていうね。
■傷つけ合うのが恐いみたいな空気感があると思うんだけど、快速東京は良いよ、ふたりが仲良く喧嘩しててさ。
一ノ瀬:銀杏ボーイズみたいに(売れている)数字もあって、知らない人はいないような存在でさえも、なんかメインストリームからははじかれるっていうか。アイドルって、結局、無害で、いっさいの苦情が来ないような、綺麗なことしか歌えないようなカルチャーになってしまっているわけですよ。あの子たちもすげーがんばって、だんだん人気も出てって、それで会場も大きくなっていって、ももクロじゃないけど、日産スタジアムでどかーんって。それを記録して、見せて……で、それって、キッスとどこが違うだ? って言われれば、「同じじゃん」とも思うんだけど(笑)、でも、それを気持ち悪いって言う人間がひとりもいない状況は絶対に良くないよね。
哲丸:まあ、アイドル自身は悪くないからな。
一ノ瀬:でも、人生のいちばん大切なときに勉強しないでさぁ、どうするんだろうなぁって思うよ。
■日本のロック・バンドにがんばって欲しいよ、マジで。
一ノ瀬:がんばったほうがいいすよね。まあ、オレの読みでは、もうすぐロック・ブームが来るので。
■どこに根拠があるの(笑)?
一ノ瀬:いや、もう流れがきてますよ。僕の世代では、モーニング娘が下火になったときに、銀杏が出てきている。だから、AKBがそうなったときに(ロックが)出てきますよ。まあ、これだけアイドルの時代が続いてるんだから、そろそろ下火になっていくでしょう。
■今日は、せっかく一真君がいるんだし、彼の話を聞こうよ。
一ノ瀬:いいね!
■一真君から見て、いまバンドはどう?
一真:どうって?
■この1年で、どう飛躍したのか、どう変化したのか、どう……。
一真:どう変化?
■なんか感想あるでしょう?
一真:あんま変わってないですね。最初からこんな感じですよ。
■バンドにとってベースは重要だよね。
一ノ瀬+哲丸:ハハハハハ!
一真:ホントは、もっとうまく演奏したいんですけど、できないんで……。
一ノ瀬:いいよ、ルート弾きが似合っている人もあんまいないから。
哲丸:一真はそこにいるだけで格好いいんだよ。
一ノ瀬:ここにめちゃくちゃうまいヤツが来ても面白くないから。
哲丸:そんなじゃ、やる気なくなっちゃうよ。
一ノ瀬:オレ、絶対にソロ弾かないよ。
一真:ホントはね、フーみたいなベースを弾きたいんですけど。
一ノ瀬+哲丸:おいおい!
哲丸:すごいの出すね-(笑)。
■志は高いほうがいいでしょ。いずれベースソロが聴けそうだね。
一ノ瀬:ルート音のベースソロね。♪だらだだ~。
哲丸:格好いい~、格好良いね。
■今回の『ウィーアーザワールド』は、資料には「東京から世界へ」って書いてあるけど、本気で世界進出を意識しているの?
一ノ瀬:前作が『ロックインジャパン』だったから、今回は「ワールド」ってことで広くなるのと。
■ハハハハ、「ジャパン」の次に「アジア」とか、それはなかったの?
一ノ瀬:たまたま“ウィ・アー・ザ・ワールドを聴いたんですよ。「これだ!」って。で、後付けの意味としてはだんだん広くなっている。意味ありげなね。オレらがそれを言ったら、マイケル・ジャクソンの“ウィ・アー・ザ・ワールドとは別の意味を持てるだろうって。『ロックインジャパン』のときも、オレらが同じ言葉を使えば、あのフェスとは別の意味を受け取る人もいるはずだと。発言者によって意味が変わって聞こえる有名な単語。
■オレは深読みしちゃって。
哲丸:それはしてくれたほうが良いね。
一ノ瀬:深読みしやすいタイトルだからね。
■「オレたちが世界だ、おまえたちに見えてない世界がここにある」っていう風に。
一ノ瀬:あ、それ良いね。
哲丸:そうしよ。
一ノ瀬:良いタイトルだな。
哲丸:それで決まりだな。
■ところで今回のデザインは何? 不評だった、カッターで切らないと開かない仕様をまたしても踏襲しているけど。
一ノ瀬:いや、これは意志持ってやっているんだから! 中古対策なんで
す。BOOK OFFに持っていっても、ジャケが破けているから、値段が下がるはずでしょ。
■売るなと。
一ノ瀬:そう。あとは自分で開ける感動だよね。一回PCに取り込んでもう開かれないCDじゃなくて、友だちにデータ送るんじゃなくて、モノとしてこのCDを貸してやって欲しい。
■デザインは一ノ瀬君の聖域になっているの?
一ノ瀬:いや、ベースはオレが考えているんですけど、歌詞カードは前作の倍の大きさにしたいってい意見があって。
■歌詞カードの文字もでかいしね(笑)。
一ノ瀬:だから重いんだよ。
哲丸:重いCDっていいじゃん。モノ感があって良いよ。
一ノ瀬:オレは紙のケースが良かったんだけど、意外なことに哲丸がプラケースが良いって。
哲丸:オレはデジパックでも良かったけど、雄太のアイデアがデジパックでなければいけないほどのものじゃなかったから、じゃあ、プラでいいんじゃない? って。
■細かい話だけど、『ウィーアーザワールド』のこの書体は?
一ノ瀬:ハハハハ、それは勘亭流っていういちばんダサい書体で、そのダサい書体をどう使うのかっていうのが自分のテーマとしてあって。
哲丸:これだけはオレも一発で良いなって思ったね。
一ノ瀬:説明しちゃうと、段ボールに「取り扱い注意」ってステッカーが貼ってあるイメージなんです。
■いちいち理由があるんだね。
哲丸:ハハハハ。
一ノ瀬:そう、ぜんぶ理由があってやっているから。
(了)
美しき誤解の乱反射
それが家族だろうと恋人だろうと友人だろうと、他人の心のなかなんてついにはわかるはずもなく、僕たちは他人の振る舞いを見ながら、「この人はこういう人なんだな」とか思ったりする。近しい人でさえそうなのだから、たとえば、べつに親しくないクラスメイトなどに対しては、ほんの一瞬、断片的な振る舞いを見ただけで、「あいつはああいうヤツらしい」とか決めつけたりする。でも、そんな断片的な振る舞いは、本人からすればもちろん自分の一部に過ぎないし、決めつけはそもそも誤解だったりする。じつは僕、職場が中学校・高校なのだが、学校の教室というのはまことに、「あいつはああいうヤツらしい」をめぐる闘争の場になっているようだ。自分はどのように見られたくて、実際はどのように見られているのか。そんなつもりじゃなかったのに。そこでは、誤解にさらされつづける断片的な振る舞いたちが乱反射している。
奥田亜紀子の初単行本『ぷらせぼくらぶ』(IKKIコミックス)は、中学校を舞台にした連作短編集で、岡ちゃんと田山というふたりの女子中学生を中心に細やかな人間関係を描いた、みずみずしい青春マンガである。とは言え、青春と言うほど爽やか一辺倒でもない。むしろそこでは、「そんなつもりじゃなかったのに」というすれ違いが執拗に描かれている。思っていることがなかなか伝わらない。むしろ、思ってもみないことが伝わってしまう。『ぷらせぼくらぶ』にひしめくめくるめく誤解が、痛くも面白い。たとえば、岡ちゃんの気持ちは、なかなか田山に伝わらない(「ぷらせぼくらぶ」)。たとえば、田山は知らず知らずに香川を傷つける(「運命のプロトコル」)。たとえば、先生のほめ言葉は、とても無神経に響く(「ぷらせぼくらぶ」)。たとえば、岡ちゃんは武庫島が土屋をいじめていると思い、「このド腐れメガネ河童。河で流れてろ」と言い放つ(「放課後の友達」←ここでの岡ちゃんの武庫島へのあたりのきつさは最高だ!)。断片的な振る舞いからしか判断できず、断片的な振る舞いでしか表現できないから、大事な気持ちが全然伝わっていかない。それがもどかしい。
でも逆に、断片的だからこそ良いこともある。武庫島が土屋のことをうっとうしがる、まさにその武庫島の態度に土屋は感動するし、駅のホームで見せる大場くんの演劇への思いは、岡ちゃんにとってかけがえのないものとして映る。僕たちは、思いもよらず人を悲しませることもあるけど、思いもよらず人を喜ばせることもある。すれ違いや誤解は、もどかしくもあるが、輝かしくもあるのだ。とくに、「運命のプロトコル」のラストに示されるすれちがいの、なんと感動的なことよ!
それこそ作品の断片から想像するしかないのだが、作者はもしかしたら、自分の気持ちが他人にきちんと伝わるなんてことを信じていないのかもしれない。『ぷらせぼくらぶ』には、安直な和解など全然描かれない。誤解やすれ違いばかりである。でも、だからこそ『ぷらせぼくらぶ』は同時に、たんなる誤解でしかない喜びに対しても、敏感に視線を向ける。そして、そのような誤解に満ちた振る舞いたちの乱反射は、たぶんとても美しいのだ。土屋は「と、友達が笑っただけで、世界が輝きだしたぞっ」と、泣きながら、鼻水を垂らしながら言っていた。武庫島の安いへらへら笑いが、土屋の世界を輝かす。『ぷらせぼくらぶ』の世界は、土屋が見た景色のように、まことに美しく輝いている。この美しく輝いた世界をぜひ確認してほしい。わかりやすい感動でも、わかりにくい機微でもない。ほんの一瞬の、断片的な輝きである。
誤解ばかり間違いばかりで、うまくいかず、しんどい毎日である。でも、もしかしたら、そのうまくいかなさが世界を輝かしているのかもしれない。そんなふうに考えると、明日もまた頑張れそうである。