「Nothing」と一致するもの

interview with Fennesz - ele-king


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 途轍もない傑作である。「電子音響のロマン派」とでも形容したい『ブラック・シー』(2008)から6年の月日を経て、クリスチャン・フェネスが放つ待望の新作ソロ・アルバム『ベーチュ』には、90年代後半以降の電子音響/グリッチ・ミュージックの歴史をアップデートしてみせたような圧倒的な音のきらめきが満ちている。

 前作『ブラック・シー』は名門〈タッチ〉からのリリースであったが、本作は『エンドレス・サマー』(2001)以来の〈メゴ〉(現・〈エディションズ・メゴ〉〉からの発表だ。その全体を包みこむようなエモーショナルな曲想は明らかに「アフター・エンドレス・サマー」といった趣。私は先に6年ぶりと書いたが、『エンドレス・サマー』から13年ぶりとでもいうべきかも知れない。そう、「永遠の夏」はまだ終わっていなかったのだ。デジタルなレイヤーの層に圧縮された記憶が、ギターの響きとデジタルなノイズの交錯によって解凍されていく。

 だが、急いで付け加えておかなければならないが、この作品は断じて「続編」ではない。音響的精度や密度は驚くほどにアップデートされているからだ。さらに強靭になった電子ノイズの奔流が渦巻き、フェネスのギターはより生々しく、感情的に耳に迫ってくる。
 さらに注目すべきゲスト・ミュージシャンだ。マーティン・ブランドルマイヤー、ヴェルナー・ダーフェルデッカー、トニー・バック、セドリック・スティーヴンスの演奏・音色がアルバムの色彩を、さらに特別にしている。フェネスのギターとともにデジタル・プロセッシングと拮抗するような演奏が楔のように打ち込まれているのだ(しかもマスタリングは、話題のラシャド・ベッカー!)。

 本作において、2000年代中盤以降、いささか停滞してきたグリッチ・ミュージックが、いままたアップデートされている。音。構造。音響。空間性。音楽。誰の「記憶」も刺激する誰も聴いたことのない音響空間。

 今回、この『ベーチュ』を生み出したフェネスから貴重な言葉をいただくことができた。彼の簡潔な言葉にはアーティストの思考と決意と自信が圧縮されている。ぜひ『ベーチュ』を聴きながら、フェネスの言葉を何度もたどっていただきたい。『ベーチュ』をより深く知る=聴くためのキーワードがここには埋め込まれている。

■Fennesz(フェネス)
1995年にオーストリアの電子音響レーベル、〈ミゴ〉から12インチ「インストゥルメント」でデビュー。ギターをコンピューターで加工し、再/脱構築した綿密なスタジオ・ワークで注目を集める。1997年のデビュー・アルバム『ホテル・パラレル(Hotel Paral.lel)』(ミゴ)以降も順調にリリースを重ね、2001年のサード・アルバム『エンドレス・サマー』(MEGO)は、ジム・オルークの〈モイカイ〉からのシングル「プレイズ」(99年)をさらに発展させたサウンドで各方面から絶賛された。コンピューターで加工したアコースティック・ギターの音色と、温もりのあるグリッチ・ノイズを絶妙のバランスで編集/ブレンドして叙情感溢れるサウンドスケープを完成させている。ほかにデヴィッド・シルヴィアンとの仕事のほか、ジム・オルーク、ピタことピーター・レーバーグとのトリオ、フェノバーグや、キース・ロウのエレクトロアコースティック・プロジェクト、MIMEOへの参加などのコラボレーションなども評価されている。今年2014年、新作『ベーチュ』を〈エディションズ・メゴ〉からリリースした。


レーベルを変えたわけじゃないんだ。僕たちはみな友人だし、僕が『ベーチュ』を〈エディションズ・メゴ〉からリリースすることは、〈タッチ〉にとって問題じゃなかった。

新作アルバム『ベーチュ』のリリース、おめでとうございます。その圧倒的なクオリティに心から感激しました。

CF:ありがとう。

前作『ブラック・シー』より6年ぶりのアルバムですが、フェネスさんはその間も、EP『セブン・スターズ』(2011)やサウンド・トラック『アウン』(2012)をはじめ、坂本龍一さんやYMO、デイヴィッド・シルヴィアンさん、フェノバーグとしての活動などなど、さまざまなアーティストとコラボレーションを活発に行ってきました。それらの多彩な活動やリリースが、本作の制作に与えた影響などはありますか?

CF:そうとは言えないな。ソロの作品とコラボレーション作は分けて考えるようにしているんだ。でも、ミュージシャンとしてどのコラボレーションからも影響を受けているよ。

『ヴェニス』(2004)、『ブラック・シー』、『セブン・スターズ』は〈タッチ〉からのリリースでしたが、今回のリリースは〈エディションズ・メゴ〉からですね。

CF:レーベルを変えたわけじゃないんだ。僕たちはみな友人だし、僕が『ベーチュ』を〈エディションズ・メゴ〉からリリースすることは、〈タッチ〉にとって問題じゃなかった。2002年に〈メゴ〉が経済的な問題に直面したとき、おそらく3枚めのアルバムを作ることはできないだろうなと思っていたんだ。そのうちに、ピーター・レーバーグがすばらしい方法でレーベルを建て直して、3枚めのアルバムを作る機会が巡ってきたんだ。

今回〈エディションズ・メゴ〉からのリリースということもあり、『エンドレス・サマー』の間に何か繋がりのようなものを考えていますか? そして『ブラック・シー』と本作の違いなどは?

CF:思うに、僕のレコードはそれぞれちょっとずつ違う。『エンドレス・サマー』を作ったとき、僕のスタジオはとてもシンプルだった。ラップトップと数本のギター、いくつかのペダルと小さいミキサーがあるだけだったんだ。いまのスタジオはずっと広いところで、プロダクションもより複雑なものになった。サウンド・デザインとミックスの手法に関しては、おそらく『ブラック・シー』がもっとも複雑な作品だね。一方、『ベーチュ』ではよりダイレクトなアプローチを取ったんだ。

アルバム名『ベーチュ』は、ハンガリー語で(フェネスさんの故郷でもある)「ウィーン」を意味する言葉ということですが、なぜハンガリー語を用いたのでしょうか?

CF:『ヴィエナ(Vienna)』はすでにウルトラヴォックスに取られていたからね。

サウンド・デザインとミックスの手法に関しては、おそらく『ブラック・シー』がもっとも複雑な作品だね。一方、『ベーチュ』ではよりダイレクトなアプローチを取ったんだ。

マーティン・ブランドルマイヤーさんとヴェルナー・ダーフェルデッカーさんが参加されています。1曲め“スタティック・キングス”の冒頭で、突如として鳴り響いた彼らの音に驚愕しました。また、ドラムとしてザ・ネックスのトニー・バックさんも参加されていますね。

CF:うめくようなサウンドは、オシレーターが内蔵されたカスタムメイドのディストーション・ボックスを使ったものだよ。3人とも前に共演したことがあって、長い即興のセットをいっしょにやったから、お互いのことがとてもよくわかっていた。彼らにベーシック・トラックを渡して、そこに音を重ねてもらったんだ。すばらしい結果になってとてもうれしいよ。

同じくゲストに、セドリック・スティーヴンスさんがモジュラー・シンセで参加しておられますね。“Sav”で共作もされています。

CF:セドリックはブリュッセルのいい友人で、このアルバムには彼にどうしても参加してほしかったんだ。彼自身、すばらしいレコードを作っているけれど、より多くのオーディエンスに聴かれるべきだと思っている。彼は僕のスタジオに自分のモジュラー・シンセサイザーをすべて持ってきて、2日間、ジャム・セッションしたんだ。

今回、特徴的な方法でベースとドラムスを取り入れたことによりご自身のサウンドは変化したと思いますか?

CF:このアルバムには少しロックンロールな感じを入れたかったんだ。

フェネスさんにとってビートとは?

CF:アブストラクトなビートを持った曲が好きなんだ。その曲が呼吸しているときがね。

“ザ・ライアー”の冒頭のシンセ(?)によるリフはまるでブラック・メタルのように聴こえました。ブラック・メタルなどをお聴きになりますか?

CF:ブラック・メタルはあまり聴く方じゃないね。でも、スティーヴン・オマリー、KTL、ウルヴェルといった人たちは好きで聴くよ。

近年のドローン・ブームを、どう捉えていますか?

CF:どうだろう? おそらく、すぐに変化がやってくるんじゃないかな。『ベーチュ』はドローンだとは思わないよ。『ブラック・シー』はそうだったかもしれない。

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僕はアナログのサミングのファンなんだ。ミックスはすべて、APIミキサーとコンプレッサーを通してやっているんだ。それが深みと明瞭さを生むんだよ。

前作に比べて、強靭で、かつ解像度の高いノイズが暴れまくり、耳を刺激し、聴きながら恍惚となってしまいました。今回のアルバムにおいて、何か特別な意思を持ってノイズ・サウンドに取り組みましたか?

CF:何年もかけて機材のより効率的な使い方を学んだんだ。それから、スタジオも以前よりもっとハイエンドになった。僕はアナログのサミングのファンなんだ。ミックスはすべて、APIミキサーとコンプレッサーを通してやっているんだ。それが深みと明瞭さを生むんだよ。

この作品に限らずフェネスさんの作品は「記憶」を刺激されてしまいます。フェネスさんにとって「記憶」とはどのようなものでしょうか?

CF:記憶といっしょに制作することは僕にとってとても重要なことだ。僕の音楽を聴いて、みんなそれぞれ自分の記憶を見つけ出してほしい。僕はずっとクリス・マルケルという映画監督の大ファンで、彼の作品から多くのことを学んできたと思う。

まるで電子のウォール・オブ・サウンドのように、一度では聴ききれないほどの音が高密度に重ねられおり驚きました。

CF:何重にもサウンドを重ねていくと、ときどきメタ・メロディのようなものが生まれてくるんだ。倍音のことだね。それが好きなんだ。それについては探求すべきことがまだたくさんあるよ。

ノイズの要素と同じくらい、今回のアルバムではフェネスさんのギターがとても生々しく感じられました。

CF:ギターはいつも僕にとっていちばんの楽器なんだ。今回はそれを比較的加工しないままにしたんだ。そのとき、そうすべきだと感じたんだ。

フェネスさんは、以前、好きなギタリストにジョージ・ハリスンとニール・ヤングを挙げておられましたが、彼らのプレイのどんなところには惹かれますか?

CF:彼らはふたりとも音色がすばらしい。ジョージ・ハリソンはポップで「数学的な」スタイルで、一方のニール・ヤングは完璧なエモーション。アコースティック・ギターを弾く彼の右手はすばらしいと思う。

“スタティック・キングス””““ザ・ライアー”“パラス・アテネ”という曲名について教えてください。

CF:“スタティック・キングス”は大切な友人のマーク・リンカスへのオマージュなんだ。悲しいことに、彼は2010年に自ら命を絶ってしまった。僕たちはノース・カロライナにある彼のスタジオでよく仕事をしたんだけど、そのスタジオの名前が“スタティック・キング・スタジオ”だったんだ。
 “ザ・ライアー(嘘つき)”。それは僕のことだよ。“パラス・アテネ”は19世紀につくられたユーゲント・シュティールのドアの上部分に書かれていて、その先にはここウィーンの僕のスタジオがあるんだ。

“パラス・アテネ”はまるでバロック音楽が電子音響化したようなサウンドでした。フェネスさんは西洋の古楽(バロック音楽/ルネサンス期の音楽)は聴かれますか?

CF:ああもちろん。バッハ、ヘンデル、モンテベルディ、ヴィヴァルディ、ダウランド。

ほかによく聴いていた音楽などはありますか?

CF:制作中には何も聴かなかったね。さもなければ、聴きなれた音楽、ジャズやブラジル音楽、アフリカ音楽を聴くよ。ザ・ネックスが大好きなんだ。〈タッチ〉と〈エディションズ・メゴ〉からリリースされているものはすべて聴いているよ。

今回の『ベーチュ』には『エンドレス・サマー』以来、ポップ・ミュージックの遺伝子を感じました。フェネスさんにとってポップ・ミュージックとは?

CF:ポップ・ミュージックはいまでも大好きだよ。いかにもな、クリーンなポップ・アルバムを作りたいとは思わないけれど、そのエッセンスには興味があるよ。

“Sav”はアルバム中でも穏やかなサウンドでしたが、冒頭から鳴っているカラカラとした乾いた音にも惹かれました。あの音は何の音なのでしょうか? また、“Sav”とはどのような意味なのでしょうか?

CF:「Sav」はハンガリー語で“アシッド”という意味なんだ。あの音は、セドリックが彼のモジュラー・シンセを通してラップトップで演奏したインプロヴィゼーションだよ。

即興と作曲の違いとは、どのようなものでしょうか?

CF:僕の作品の多くは即興演奏の産物だ。作曲は、そのなかから使えそうな破片や部分を見つけたところからはじまるんだ。

フェネスさんの作品は、つねに音質がいいので何度聴いても飽きません。今回の『ベーチュ』でもさらに高解像度になっており非常に驚きました。フェネスさんにとって「音のよさ」とは、どのようなものですか?

CF:自分にとってその重要さは日に日に増しているよ。最近のデジタル機器は、高解像度のサンプルやビット・レートのおかげで以前よりも格段にすばらしいものになっているね。

僕のホームタウンであり、浮き沈みはあるけれど普段は豊かな生活を送ることができる。生活水準は高く、文化生活も最高だね。

「ウィーン」という土地に対する思いが強くアルバムに出ているように思います。フェネスさんにとってウィーンという街は、どのような思いのある土地でしょうか?

CF:僕のホームタウンであり、浮き沈みはあるけれど普段は豊かな生活を送ることができる。生活水準は高く、文化生活も最高だね。

マーティン・ブランドルマイヤーさんのラディアン、トラピスト、もちろんフェネスさんなど日本の音楽ファンにはウィーンの音楽シーンが気になっている人も多いのですが、現在のウィーンのエクスペリメンタルな音楽シーンはどのような感じですか?

CF:正直なところよくわからないんだよ。クラブにはほとんど行かないんだ。「シーン」のなかで知っているのはブルクハルト・シュタングル、マーティン・ジーベルト、マーティン・ブランドルマイヤー、そしてもちろん、ピーター・レーバーグ。

リリースが〈タッチ〉から〈エディションズ・メゴ〉になったことで、アート・ディレクションがジョン・ウォーゼンクロフトさんからティナ・フランクさんになりました。彼女と久しぶりにアートワークを制作するにあたって、何かコンセプトのようなものはありましたか?

CF:いや、彼女の好きなようにやってもらった。信頼しているから。

日本盤にはボーナストラック“アラウンド・ザ・ワールド”が収録されていますが、この曲の成立過程などについて教えてください。

CF:当初はデイヴィッド・シルヴィアンに歌ってもらう予定だったんだ。でも、彼が声を悪くしてしまって、結果的にスロウなギター・トラックになったんだ。

フェネスさんはライヴなどで世界中を訪れていると思いますが、印象に残った国などはありますか?

CF:これはお世辞でもなんでもなく、日本に滞在するのは大好きだよ。食べ物や人、文化がね。イタリアもすごく好きだね。最近ではロンドンもかなり楽しんだよ。

今後のご予定を教えてください。

CF:まずは休みを取る予定だよ。来週、ギリシャに行くんだ。夏にヨーロッパでいくつかショウがある。それから秋にヨーロッパと日本(11月22日、東京の〈UNIT〉)を回る予定なんだ。冬にまた新しい作品に取り掛かるかもしれない。今回はあまり間を開けないつもりなんだ……。

『ベーチュ』は本当に素晴らしく、その圧倒的なクオリティと音楽性の高さに、心から感激しました。この作品はフェネスさんの音楽人生において、どのような位置づけになりますか?

CF:ありがとう。ただ自分のいちばん新しいレコードという位置づけだね。いまは次の作品に取り掛かるのを楽しみにしているんだ。

「4分33秒」論──音楽とはなにか - ele-king

ジョン・ケージの核心に迫る!
「サイレンス」とは可能なのか、なぜ4分33秒なのか、そこでは何が起こっているのか? 刊行が待たれていた問題作、ついに登場!

世界でもっとも有名な「現代音楽」作品のひとつであるジョン・ケージ『4分33秒』。1952年の初演以来、60年以上を経てもなお新鮮に響く(否、響かない)この作品は、多くの音楽家たちにインスピレーションを与え続けている。
批評家・佐々木敦が全5回、10時間以上にわたり様々な視点から「4分33秒」について語り尽くした伝説の連続講義「『4分33秒』を/から考える」がついに書籍化! 1冊まるごと「4分33秒」という前代未聞の一冊です!

Ben Watt - ele-king

 たとえば4曲め“ゴールデン・レイシオ”のイントロを聴いて、『ノース・マリン・ドライヴ』に収録されている“サム・シングス・ドント・マター”を思い出した、という人もいるだろう。たしかにこの曲のボサ・ノヴァ調のアコースティック・ギターは、31年前にリリースされ、いまなお定番として聴きつづけられているあのファースト・ソロの2曲めの風合いによく似ている。結局ベンはジョアン・ジルベルトに魅せられてギターを手にし、ジャズ・ミュージシャンだった父の影響でコール・ポーターを聴くようになった第一体験に帰っていったのだ、という見方もやむなしだろうし、かつてロバート・ワイアットをゲストに呼んだ10代のマセた少年が、50代にしてこれまたかつてのヒーローなのかデイヴ・ギルモアを招いたりしている事実からは、エヴリシング・バット・ザ・ガールを中断させてまで心酔したここ20年ほどのDJ、リミキサーとしてのアグレッシヴな活動を打ち消しているかのようだ、という感想が聞こえてきても仕方がない。

 だが、クラブ・ミュージックなどとはいっさい縁のない、曲によってはフォーク・ロックのようでさえある本作が伝えているのは、決して原点回帰などではなく、むしろ年齢を重ねていくことの真理ではないかと思う。音の指向は変わっていなくとも、ベンの歌声には明らかな枯れがうかがえるし、メロディと歌に纏わっている特有のダークな色彩もどっしりとした重みが増している。これは成熟なのか? いや、そんな都合のいいもんじゃないだろう。単純に「老い」だ。もっと言ってしまえば「死」への道程だ。それならそれで、いっそ31年前の第一歩と同じスタイルでその老いを思いきり赤裸々に見せてもいい。音的な情報量の多くはないこの作品でベンがやろうとしたことは──それは無意識なのかもしれないが──そんなやや自虐的な行為、老いを恐れない勇気ある行為ではないだろうか。

 人はいつか死ぬ。実の妹を喪い、年老いた両親についての本を執筆、出版したことで時の流れを実感したというベンがたどり着いた結論がこうした厭世的なものなのかどうかはわからない。だが、50代を迎え、うぶな心持ちなど自然となくしてしまったベンの言うに言えない淋しさと、それゆえのしたたかさは間違いなくここから聴き取ることができる。そういえば、ベンは小津安二郎の『東京物語』を見て深く感銘を受けたという。日本人からも愛されているあの映画をパートナーのトレイシー・ソーンと見ていたのかどうかは知らないが、若い世代と接することで、いずれ訪れる死と別れをどこかで意識しながら、ベンはこの作品の制作に向かったのかもしれない。デイヴ・ギルモアだけではなく、後輩世代のバーナード・バトラーが本作に参加していることが、より一層、そんな気にさせるのだ。

MARU (MELLOW YELLOW) - ele-king

MIX CD『MARU HOUSE MIX vol.3 - Vivid Summer Traces -』完成しました。過去のはフリーで聞けますのでこちらで。Twitter,FBのリンクもあります→https://soundcloud.com/maru_mellow-yellow

DJスケジュール
5/30(金) 神泉Mescalito
6/11(水) 三軒茶屋 天狗食堂 「Powder & Herb」
6/13(金) 代官山AIR 「MARK E "Product Of Industry" Release Party」
6/20(金) 渋谷Relove 「Let Me In Vol.2」
7/19 (土)-7/20(日) 千葉県 金谷base 「Life」Open Air Party

64歳になっても家で聞きたくなるであろうダンスミュージック12inch single record(順不同)


1
Eddy & Dus meet Lilian Terry - 'Round About Midnight - Mo'Smog Records

2
Axel Boman - Die Die Die!! - Parmanent Vacation

3
Fertile Ground - Let The Wind Blow(Oneness Of Two Mix) - Counter Point Records

4
Bjak - Your Love featuring Janet Cruz(main mix extended) - Deep Explorer

5
Crossroads featuring Deborah Falanga - Sunday Afternoon(Soulpersona Remix) - BeYourself Recordings

6
Rah Band - Questions - s.o.u.n.d recordings

7
Cory Daye - City Nights/Manhattan Cafes - Blue Chip Records

8
Asia Love - You Should Be Here(Mass Mix) - Nu Groove

9
Lama - Love On The Rocks - Numero Uno

10
Sound Of Inner City - Mary Hartman, Mary Hartman(Instrumental) - West End

  世界でもっとも有名な「現代音楽」作品のひとつであるジョン・ケージ『4分33秒』。1952年の初演以来、60年以上を経てもなお新鮮に響く(否、響かない)この作品は、多くの音楽家たちにインスピレーションを与えつづけています。

 なぜ4分33秒なのか、そこでは何が起こっているのか。そして、「音楽」とはなにか。

 批評家・佐々木敦が全5回、10時間以上にわたり様々な視点から「4分33秒」について語り尽くした伝説の連続講義「『4分33秒』を/から考える」が『「4分33秒」論』としてついに書籍化! 一冊まるごと「4分33秒」という前代未聞の内容です。

■佐々木敦著
「4分33秒」論──「音楽」とは何か

本体 2,500円+税
上製256ページ
2014年5月30日発売
ISBN 978-4-907276-05-8

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~目次公開!~

一日目 『4分33秒』とは何をするのか
イントロダクション/「『4分33秒』を/から考える」ということ/『4分33秒』の初演とその時代/無響室の体験/「音」と「音楽」/なぜ四分三三秒なのか/ホワイトペインティング説/『4分33秒』が企図するもの/「あんなの音楽じゃない」/人間は慣れる/「HEAR」と「LISTEN」/「音」から「音楽」へ/耳はフォーカスできる/「聞こえている」ことの豊かさ/現前性・一回性・不可逆性/『4分33秒』を聴く/『4分33秒』を録音するということ/時間の設定/『4分33秒ダブ』/ダニエル・シャルルとの対話/「音」の収奪/作曲なんかいらない?/『4分33秒』は常に流れている/『4分33秒』の後で作曲するということ

二日目 「無為という行為」と「時空間の設定」
否定形で語られる『4分33秒』/ネガティヴがポジティヴに変換する/「意図」の所在/『4分33秒』を「音楽」たらしめるもの/『4分33秒』の理想の有り様/二回目以降/四分三三秒の間に起きていること/意図の介在しない芸術/音楽が不要になる?/それは芸術の範疇なのか/「音楽」vs「音」の不可能性/時空間の設定・限定/「無為」を成立させる条件/アートと音楽/『4分33秒』のオムニバスを聴く/角田俊哉とサーストン・ムーアによる『4分33秒』/参加できなかった理由/リダクショニズム/「無」が語る

三日目 『4分33秒』をめぐる言説
音楽史における「サイレンス」/マイケル・ナイマン『実験音楽』/「偶然性」と「開かれた経験」、そして〈生〉の肯定/近藤譲『線の音楽』/「外聴覚的音楽」/「音楽だと思ったら音楽」なのか/「聴覚的音楽」に回収される/器としての世界/常にそこにある沈黙/庄野進『聴取の詩学』/『4分33秒』がまとう権威性/『4分33秒』と「レディメイド」/「枠」と「中身」/『4分33秒』の続編/若尾裕『奏でることの力』/フルクサスとの関わり/「オーヴァーピース」と「アンダーピース」/コンセプチュアル・アートと『4分33秒』/室内楽コンサートとヴァンデルヴァイザー楽派/『One11 with 103』/ケージとフランク・ザッパ/次回予告

四日目 『4分33秒』以降の音楽
『ヴァリエーションズⅦ』/「枠」と「出来事」/指示の零度と百%の狭間/出来事性を再認識させる/映像における「枠」と「出来事」/構造映画(ルビ:ストラクチュラル・フィルム)/カメラがパフォームする映画/ほとんど何もない/『4分33秒』への回答/ミニマル・ミュージックとの接点/特権化が神秘化へ向かう/ヴァンデルヴァイザー楽派/聴取ではなく体験、官能ではなく認識/『セグメンツ』/『セグメンツ』で起きていたこと/コンセプトの理解と聴取体験/コンセプトは理解されるためだけにあるわけじゃない/体験が重要なのか/『4分33秒』を/から「考える」こと/即興/聴取の解体

五日目 「聴取」から遠く離れて
三つの『4分33秒』/第二の『4分33秒』/第三の『4分33秒』/「聴取」だけが問題なのか/枠と出来事を再考する/枠とは何か/純粋なタイムマシン/自分の時間が外にある/純粋に時間が流れる/映画におけるフレーム/純粋小説?/『エウパリノス』/「体験」でいい/質疑応答/無駄なことが贅沢だという感覚/『4分33秒』と「人間が生きているということ」/美学に拠らないこと


Mr. Scruff - ele-king

 映画で描かれるクラブの場面といえば、いたって淫らで、不健康で、クラバーは、享楽を貪っているだけの、おおよそ道徳心などない人間として描かれる。そのお決まりの構図は、ある意味では当たっているが、まったくはずれてもいる。
 僕が20代後半のとき、この文化を好きになったのは、友だちとスピーカーや機材を運んでDIYのパーティをはじめたことが契機となっている。音楽好きが週末のフロアを借りてやっただけのことだった。ナンパもなかったし(内心はしたかったが、度胸がなかっただけのことだ)、暴力もなかった。純粋に音楽を楽しむ若い男女がいただけだった。
 そんな出自を持っている人間からすると、映画で描かれるクラブ・シーンは腹立たしいものだが、僕と同じ気持ちの人間はたくさんいて、たとえば音楽を作っている人なら作品によって「違い」を訴える。そうじゃない。これは、純粋に音楽に恋している音楽なんだ。マンチェスターのミスター・スクラフもそうした潔癖派のひとりである。
 
 6年ぶりの彼の新作『フレンドリー・バクテリア』は、ネオソウル系の、穏和な中年(といってもまだ40代とも言えるのだが)DJによる充実のダンス・ミュージック集である。ハウス・ミュージック界の大ベテランのロバート・オウエンズをはじめ、デニス・ジョーンズやヴァネッサ・フリーマンといった歌手を招き、大幅に生楽器(チェロ、サックス、ピアノ、トランペット、ダブルベース)を取り入れつつ、大人なダンス・ミュージックを展開している。
 僕の家の壁には、昔彼が来日した際に手書きで書いてくれたイラストが長いあいだ飾ってあった。よく知られた可愛らしい絵で、それはいままで彼のアートワークに使われてきたし、彼の音楽のユーモラスな側面を表象してもいた。が、『フレンドリー・バクテリア』に可愛らしさはまずない。明らかにダークだ。かつてはイアン・デューリーのパブ・ロックから古いジャズ/ブルースまでと、様々なレトロな音源をネタにしてきたスクラフだが、今回はその手のわかりやすいサンプリングもない。先述したように、生演奏を大きくフィーチャーしている。
 とはいえ、今回は微妙にスクウィーもどきのエレクトロが入っているし、ベース・ミュージックをまったく気にしていないとは言えないウォブルなベースラインも入っている。ちょっとずれている気もするが、若いトレンドも気にしているのかもしれない。
 それでも、2曲目の“Render Me”のように、ときには重たい雰囲気のなか、ジャズの響きと力強いビートをブレンドしつつミスター・スクラフらしいエモーションが顔を出す瞬間が『フレンドリー・バクテリア』の醍醐味だ。綺麗なアコースティック・ギターとピアノの演奏とキレのあるファンクのベースラインが重なる“Thought To The Meaning”も悪くない。雄大なトランペットが耳にこびりついて、たまらなくビールが飲みたくなる“Feel Free”も僕は好きだ。

 四十路を越えたDJがこの先どんな音楽を作るのだろうと考えたことがある。どんなに体調管理をしても、人間40も越えれば身体は動かなくなっていく。若い頃と違って身体を動かして音楽を楽しむことに無理を覚えるようになるのだ。それでもダンス・ミュージックは聴いていて楽しい、ということを50を越えた僕は知ったばかりである。ちなみに、当時は(宇川直宏調で)ヤバイ!!!と言われた、モダンDJの始祖であるフランシス・グラッソと彼の〈サンクチュアリー〉の光景は、1971年のジェーン・フォンダ主演の映画『コールガール』で見ることができるのが、いまの感覚では大人しく見える。本作とはぜんぜん関係のない話だが。
 

interview with Kazuki Tomokawa - ele-king


友川カズキ
復讐バーボン

モデストラウンチ

FolkRock

Review Tower Amazon

 お食事中の方にはもうしわけない。
 10年前に友川さんに取材したとき、インタヴューが終わり、川崎駅のホームを東京方面へ歩いていくと階段の影のデッドスペースで中年の男がかがんでウンコをしている。私は彼の背後から追い越すように歩いていたので、突き出した尻の穴から太めのソーセージのような糞が出てくる、まさにその瞬間に立ち会うことになった。ひとは日々排泄しても排泄する自身の姿を見ることはできない。私はとくにそういった性癖があるのではないので、ひとが大便をするのをまのあたりにしたのははじめてだった。尻は白くすべすべしていた。桃尻といってもそれは白桃なのである。
 私がウソを書いていると思われる方もおられよう。ところがこれは事実である。同行したS氏に糺していただいてもいい。事実は小説よりも奇なりという、その奇なりは物語などではなく現実の物事の不可解さなのだと、私はそのとき思ったというと大袈裟だが、友川カズキを思いだせばそのことに自然に頭がいくわけでも当然ない。ただこのたび、友川さんに会って話を訊くにあたり10年前のことを思い返すにつれ思いだした。思いだすと書かなければいけない気になった。その日の友川さんの飄々としたたたずまいとユーモアと訥々しながら不意に核心に急迫するただならぬ語り口に聞き入ったあの取材のそれはありうべき「細部」だったからといったら失礼だろうか。

 今回も、といっても、取材したのは2月21日なので3ヶ月も前だが、友川さんの語り口はむかしのままだった。歌と言葉と音とが三者三様の強さを示すのではなく重なり合うことで見せた、彼のキャリアのなかでもおそらくはじめての作品である『復讐バーボン』をものした友川カズキは代官山の駅の改札をくぐり、こちらにくる途中売店に立ち寄って、ロングコートに身をつつみハットをかぶってやってきた。頭髪に白いものが目立ったほかは時間の経過を感じさせない。取材はその日ライヴをすることになっていた〈晴れたら空に豆まいて〉の楽屋でおこなった。
 内容はご覧のとおりだが、取材後ライヴを観ながら私は友川カズキと同じ時代に生まれた私たちこそ、それを奇貨とすべきだとまた思った。

■友川カズキ
40年以上にわたって活動をつづける歌手、詩人。1975年にファースト・アルバム『やっと一枚目』にてデビュー。〈PSFレコード〉からの『花々の過失』が評判になったのちは同レーベルからのリリースが意欲的につづけられ、なかでも1994年発表のフリー・ジャズのミュージシャンとのコラボレーション『まぼろしと遊ぶ』は新境地として注目される。画家としても活躍するほか、映画出演や映画音楽の制作、海外公演などいまなお活動の幅を広げている。最新作は『復讐バーボン』(2014年)。


私は友川さんを取材させていただくのは10年ぶりです。前回は三池崇史監督の『IZO』に出られたときでした。それ以降、とくにさいきんは友川さんのことを若い世代も聴くようになった気がしますね。

友川:これはね、はっきりいってインターネット時代だからですよね。口コミというかね。むかしだってそんなに人気なかったし、ひとが入らなかったけど、ここんとこずっと満員ですからね。アピア(40/渋谷から目黒区碑文谷に移転した老舗ライヴハウス)なんか毎回満員札止めだからね。それはインターネットの時代だからですよ。あとはほら、ラジオでナインティナインが私の曲をずっとかけたりしてくれて、それがまたインターネットで口コミみたいになったんですね。私はね、インターネットはやらないんですけどね。ケータイもないから聞いた話ですけどね。いまの時代だから世界の独裁者も斃れる。ネットの時代だからですよ。

友川さんはデビューされてそろそろ40年近くですが、インターネット以後お客さんが変わってきたところはありませんか?

友川:私が若かった時分は同年代のひとたちが聴いてくれていたのが多いんですけど、彼らが社会的に地位があがったり家庭をもったりするともう動かないんだね。いつの時代も若いひとたちですよ、行動力と好奇心があるのは。家庭をもったひとは好奇心がないとは思わないけれども、優先順位がちがってくるんですね。ひとを育てているから自分で自分を育てるようなところにはいかないんだ。だってひとりで行動しているということは自分で自分を育てるということだから、優先順位がちがうんですよね。

他者、子どもをまず育てなければならない。

友川:という立場になっているから。大人になったのに私を聴きにくるひとはそうとう家庭不和かその一歩手間か、ほんとうに好奇心があるかですよ(笑)。

私は家庭がありますが友川さんを聴きたいと思いますし家でも聴きますよ。

友川:それはおかしい! 家庭で聴くような歌じゃないでしょ。ああそうか! こうなったらいけないという反面教師か! 私の歌を聴くと家庭はより結束がかたまるということか。隣の家が火事だと家族全員でバケツで水を運ぶあの感じでしょ。

『復讐バーボン』には「ダダの日」とか、この曲には元歌がありますが、こういった曲は子どもうけもよさそうですよね。

友川:子どもがいきなりダダを知るのは不幸ですよ。

ダダは子どもに近くはありませんか?

友川:ない。

あの破れた感じとか。

友川:それはそうかもしれないけど、子どもは破れちゃダメだよ。

歌詞はどのようにつくられるんですか?

友川:説明はうまくできないですよ。ただ今回の“順三郎畏怖”については石原吉郎(1915~1977年、戦後詩の代表的詩人)の歌をつくろうとして、たしかにむずかしくて、私にはわからない詩がほとんどなんだけど、なんか感じていてね。1年か2年ずっとやっていてね。石原吉郎をなんとかかたちにしたいとステージでもよくしゃべったもんです。
 私はもうずっと本は買わなくて図書館なんですよ。年だしいずれ死ぬし、本が部屋にあってもしょうがないから。図書館で借りて本を読むんです。たまたま石原吉郎の仕切りを見ていたら西脇順三郎の本が何冊かあったんですよ。西脇順三郎も読んでいたけどやっぱりわからなくて、でも彼の絵が好きなんですよ。絵が載っている本もちらちらあったから借りてみようと思ってね。そうしたら塚本邦雄が西脇順三郎のことを書いた文章があって、そこに「間断なく祝福せよ」という一行があった。それがあんまりよかったから曲にしたんですよ。

図書館には言葉を探すために通う感じですか?

友川:そんなことない。いちばん借りるのは動物図鑑とか、『世界のホタル』とかそういうのですよ。10冊くらい借りられるんですよ。でっかい美術書とか。無料だから。あんないいことないね。図書館は最高ですね。

『復讐バーボン』をつくろうとしたなりゆきから教えてください。

友川:それは〈MODEST LAUNCH〉小池さんのおかげですよ。小池さんが新しいのをやりましょう。ということで、私はもうつくらなくてもいいかなと思っていたの。年だし、いままでつくったのでいいかなと思っていた節もあるの。前はかたちをつくると元気が出て、次に行けたんですけど、もう大丈夫じゃないかなと思っていたから。

レコードというかパッケージはもう充分だと?

友川:かたちっていうのはよくないと思ったこともあったからね。だいいち時間もないしね。競輪も忙しいし。それがいざやったら元気が出ちゃってね。いいのつくってくれたの。それでまた(次に)行ける感じがしたんですよね。

かたちはもういい、というのはライヴだけでやっていこうということですか?

友川:ライヴもね、もうだいたいでいいなと思っていたの。ただほら、彼らに迷惑をかけているから。歌詞集(友川カズキ歌詞集 1974-2010 ユメは日々元気に死んでゆく/ミリオン出版)を出してくれた佐々木さんがいて、映画(ヴィンセント・ムーン監督『花々の過失』)のDVDも出て、そこそこ売らないとただ世話になっただけじゃ悪いなと、それだけ。私は義理人情にはあつくはないけど、中くらいはあるのよ。あつくはないよ、そういうことは信じないし。絆とか、ああいうのは信じない。「おもてなし」と「絆」は死語ですよ。寺の坊主が暮れにあそこで字を書いたら、その字は全部死語ですよ。いらないですよ。こけおどしだもの。あんなふうに言葉に集約される時代や人生なんかどこにも誰にもないですよ。

清水寺のやつですね。

友川:そうそう。墨を垂らしながね。あれは墨のムダだ。それをまたマスコミが伝えるでしょ。あんなバカなことあります? その字に向かって生きているひとなんかいないし、その字でなにかあったとかなかったとか、そんなひといません。字なんかそんなに重くない。

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それは詩が甘いんじゃないね。人間が甘いんですよ。簡単な話。詩を語ってはダメなんです。ひとを語れば詩になるんです。そのひとに詩があるかないかは、そのひとと語ればいい。詩を真ん中に置いて語ると詩に墜ちる。

しかし友川さんは言葉を生業にしているところもありますよね。

友川:ない(と断言する)。言葉を遊んでいるだけ。蹴飛ばして口笛のように吹いているだけ。生業ではいっさい、ない。寺山修司の名言がありますよ。「詩人という職業はない」詩を書けば誰でも詩人なんですよ。

さっこんの詩については甘いものも多い気がしますが。

友川:それは詩が甘いんじゃないね。人間が甘いんですよ。簡単な話。詩を語ってはダメなんです。ひとを語れば詩になるんです。そのひとに詩があるかないかは、そのひとと語ればいい。詩を真ん中に置いて語ると地に墜ちる。

わかりやすい詩を求めている人も多くいますよね。それを詩と呼んでいいのか、ポエムと呼ぶべきかはわかりませんが。

友川:私も平明な詩がいいとは思っているんですよ。詩も絵もそうだけど、むずかしくするほうが簡単なの。

そうでしょうね。

友川:平明に誰でもわかる言葉で伝えるほうがむずかしい。けっこう気をつかうんですよ。

詩というものは現代詩に象徴されるように難解になっていった歴史というか経緯はありますよね。

友川:現代詩なんて何年も読んだことない。このまえどこかで『現代詩手帖』をわたされましたよ。若いひとでそこに詩を書いている方がいらした。何十年も前に私はずっと投稿していたんですけど一度も載ったことはない。デビューしてからは何度か載りましたけどね。

そうなんですね。

友川カズキ:諏訪優(1929~1992年、詩人。バロウズやケルアックなどビートニクの翻訳者であるともに紹介者であり、レナード・コーエンの歌詞集の翻訳なども手がけた)さんという方と親しくしていたから、諏訪さんが私の詩を2、3回載せてくれたけどね。それだってコネですよね。

諏訪優さんだって友川さんの詩がよいと思うから推薦してくれたんだと思いますよ。

友川:そうそう、私、諏訪さんに助けられたことがあるんですよ。ライヴハウスでケンカになって路上で血だらけで倒れていたところ、たまたま通りがかった諏訪さんが助けてくれたの。私はそのときアレン・ギンズバーグはもう読んでいたけど、そのひとが諏訪さんだとは知らなかった。諏訪さんは学生といっしょで、助けられてどこかに店に入って名刺をもらったら諏訪さんだとわかったのよ。それから何度か連絡をとりあってね。最後は東北の旅をふたりでやりましたよ。彼の詩の朗読と私の歌でコンサート・ツアーをね。彼が死んだときは、私も歌いましたから。福島さんの寺でやったの。

福島泰樹さんですか?

友川:そうそう。

そういう奇縁があるんですね。出会いといいますか。

友川:諏訪さんの場合はあまりにも奇異な出会いだけどね。だからひとですよ、私の場合は。

ひととの出会いでなにか変わるものがありますか?

友川:誰とでもというわけではもちろんないですよ。私は飲んでひとと出会って変わってきた感じがありますね。だってどこも出かけないから。とくにいまは。むかしだって、ただゴールデン街を飲み歩いていただけだから。ああいうところで出会っていった感じがしますね。たとえば中上健次さんあたりにもゴールデン街を連れて歩かれたのよ。嵐山光三郎さんとかね。そういう人間と出会ったからでしょう。

レコードをつくるのもひとつの縁かもしれませんね。

友川:そうそう。ステージとはまったく別の次元のものだからね。

そういうふうにレコードはいいかと思いながらも、『復讐バーボン』が思いのほかよかったから先に進めると思ったんですね。

友川:松村さんも書かれていたけど、はじめて練習したのよ。私、最初小池さんのこと怒ったの。みんなプロなのになんで練習なんかしなきゃいけないのって。それがやったらクセになっちゃってね。ぜんぜんちがうの。私じゃないですよ、まわりがちがうんです。いつもの即興でお願いします、というあれがどれだけ失礼かがわかったの。

長いことかかりましたね。

友川:40年かかったね。いくら技術があってもテンションがあっても、会ってすぐは知らない曲はできないよね。


『復讐バーボン』レコーディング風景
Kazuki Tomokawa "Vengeance Bourbon" Recording Footage

2013.10.11 at APIA 40
歌:友川カズキ“兄のレコード”
共演:石塚俊明(drums)、永畑雅人(piano)、金井太郎(guitar)、
ギャスパー・クラウス(cello)、坂本弘道(cello)、松井亜由美(viol­in)、吉田悠樹(nico)
撮影:川上紀子


トシ(石塚俊明)さんにしろ永畑雅人さんにしろ、彼らの即興はまたすごいと思いますけどね。

友川:彼らはいつでも私に合わせてくれるの。それに私はオンブにダッコだったわけです。バンドにははじめて会うようなひとだっているわけで、曲を知らないこともあるじゃないですか。それを即興で、というのはムリなところもあるし、だいいちつまらない。上っ面をなぞるだけで終わっちゃうから。

そうですか。

友川:曲がわかったうえでそこからのアレンジや即興で壊すと本人が考えるのはいいんだけどなんにも知らないで参加させられた日にはちょっとつらいと思うな。小池さんにはほんとうに勉強させられました。叱った私がバカでした。

私も長らく友川さんの音楽は聴かせていただいていますが、練習することでこれだけ変わるものなんだなとは思いました。

友川:変わる余地は私にはいっぱいあるんです。うぬぼれで生きてきたから。ひとと折り合おうという気はまったくないから。トシとか雅人さんはむかしから会っていて、気心が知れているから合わせてくれていたわけよね。ギターをまちがえたところも、わかっていて流してくれたりしていたんですよ。ところがはじめて会うひとに甘えるのはキツい。それにそれは音楽にも出るんです。

練習というのは友川さんがコード進行を書いてメンバーにわたしたんですか?

友川:歌詞を渡してコード進行をわたしました。佐村河内と同じで譜面は書けないからね。

佐村河内は余計なひとことだと思いますが。

友川:佐村河内は興味があるね。まぁ、MCのネタとしてですけどね。そういう仕込みには怠りないんですよ、私(笑)。文春も毎週のように買っちゃった。

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枷のなかでの飛び跳ね飛び散らかりじゃないと自由じゃない。自由というと手足を伸ばしてだらだらしている状態だと思うひともいるけど、あれじゃあないんですよね。

そうですか。でもそうやってコード譜を書いてバンド・メンバーにわたすというのは、それまではやっていなかったということですか?

友川:それはやっていましたよ。

今回はレコーディングの前にリハーサルをやったということですね。

友川:そう。ふだんドラムのひとやピアノひととも音楽の話はしないから。ライヴの前にラーメン屋に入っていても音楽の話なんて出ませんよ。私が知らないのもあるんだけど、それが今回スタジオで音楽の話をしたりしてね。

具体的にはどういうことを話したのか憶えていますか?

友川:ギターのひとがイントロはこういう感じでいいですか、とかそういうことを活かしたり、いろいろでしたね。そしたらちゃんと技があるんだよなあ。それがおもしろかったですね。

バンドには長くいっしょにやられてきたメンバーも多いですが、それまで友川さんはメンバーのどこに信を置いてお願いしてきたんですか?

友川:お願いするということでもないよね。

それも縁のようなものですか?

友川:そうだね。トシはね、あのテンションだね。私、頭脳警察のファンだったんですよ。前座も何回かやらせてもらってね。トシのコンガがよくてね。バンドをやるならいっしょにやりたいな、と思っていたのがもう何十年にもなっているだけですよ。

テンションというのは?

友川:狂気ね。表現というのは悪魔と天使、大胆さと繊細さがないとダメだと思うんですよ。トシには見事にそれがある。その量が大きいのよ。悪魔も大きければ天使も大きい。それがすばらしいバランスなのよ。すごく凶暴だしすごく繊細。どっちかひとつだったら誰にでもあるのよ。こいつは悪魔は大きいけど天使は小さいなとか、天使はすごいけど悪魔はないなとかね。その量が(どちらも)すごいの。キンタマも大きいけどね。2倍だよ。

なんの2倍なんですか(笑)?

友川:ポイント2倍(笑)。いや、あれは大きい。

キンタマの話はさておき。

友川:いやね、松村さん。話というのは枝葉末節のほうがおもしろいのよ。

おっしゃるとおりです。細部というのはなににおいても大切だと思います。

友川:ディテールね。

なぜ英語でいいかえたんですか。

友川:どこかに英語をいれとかないとね(笑)。

天使と悪魔の配分の話ですが、友川さんとしては一方だけはものたりないということですね。

友川:つまらないんですよ。

友川さんの表現もそういうものだと思います。

友川:私は自分のことはわからないけどひとのことは見えますからね。こうやって話していても見えるでしょ。ただ自分のことって意外とね、見えないからわからない。誰でもそうでしょう。

自分のことは見えないということは自分なりの確たる方法論もおもちではない?

友川:方法論ということではないけれども、さっきからの話を集約すると、またひとの言葉になるんだけど、寺山修司が「枷のない自由は自由じゃない」といっているんですよ。枷のなかでの飛び跳ね飛び散らかりじゃないと自由じゃない。自由というと手足を伸ばしてだらだらしている状態だと思うひともいるけど、あれじゃあないんですよね。

枷というのは、歌をつくるときの枷というのはどういうものだと思いますか?

友川:3分半で歌詞は3番までとかね。20分30分する歌もあるかもしれないけど、生理的に3分から5分が限界だと私は思いますよ。

それが友川さんにとっての決めごとになるんですか?

友川:そういったことは……考えたことないなあ。むしろ自然にやっちゃっている感じがある。ただこの言葉はマズいなというのはあるんです。“一人ぼっちは絵描きになる”という歌があるんですが、これはもとは“一人ぼっちは画家になる”というタイトルだったの。ところが「画家」だと「バカ」に聞こえるのよ。これはマズいと思って“一人ぼっちは絵描きになる”に変えたの。だから歌詞の語呂がちょっとおかしいんだよね。気をつけるのはそういうことだね。書いた詩で読んでもらうなら「画家」でいいんだけど私の場合耳から入る詩だからね。あとはむずかしくてわからない言葉でもいいやというのはいっぱいある。わからなければわからないでぜんぜんいい。さっきの平明な言葉と矛盾するかもしれないけど、わからなくてもいいんです。総合的に感じるか感じないかであって、あの言葉はわからないからこの歌はダメだということにはならない。

書く言葉と歌う言葉は――

友川:完全にわけている。私はいまは書きませんけど、むかしは書いていましたから書く詩はなんでもいいわけ。歌はまずひとに聴いてもらう前提があり、歌うという前提があり、人前に出るという前提がある。書いた詩は人前に出なくても読もうが読まれまいが関係ないという気持ちで書くし、読むひとの顔もみえない。歌は見えるんです。聴いているひとの顔が。コンサート会場ではなくともね。

書く詩はなんでもいいわけ。歌はまずひとに聴いてもらう前提があり、歌うという前提があり、人前に出るという前提がある。書いた詩は人前に出なくても読もうが読まれまいが関係ないという気持ちで書くし、読むひとの顔もみえない。歌は見えるんです。聴いているひとの顔が。


友川カズキ
復讐バーボン

モデストラウンチ

FolkRock

Tower Amazon

歌詞をつくるのは時間がかかりますか?

友川:私はなんでも早いですよ。粘ったりしないの。すぐできないのはできないの。絵もそう。できるときはすぐですよ。

でも絵を描くのは地道なコツコツした作業のような気もしますが。

友川:それは絵描きによるし、どういう絵かにもよるね。私は努力とか嫌いだし、地道なんて一刀両断に切って捨てたい言葉だね。

地道に歌いつづけていらっしゃるじゃないですか?

友川:それはちがうな。歌だって2年くらい止めていた時期があるんだから。もういいやと思っていたんだから。飽きっぽいしそういうのはないの。そうしたら渋谷時代の〈アピア〉にあるファンから電話がきて、「友川さんにまた出てほしい」と。毎日のように電話がくるんだっていうのよ。それでまたやることになったんですよ。(お客さんが)10人以下になったらもう止めるとも決めていたんですけどね。それがいつも12、13人だったりするのよ(笑)。これがむずかしいところですよ。

それこそ神の差配なんじゃないですか?

友川:いやいや、神なんかいるもんか。

それでも、すくなくとも10人以上はお客さんはいたわけですよね。

友川:そうだね。これだけ長く歌っているといろんなひとがいるね。

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変わる余地は私にはいっぱいあるんです。

私も〈アピア〉でも何度も聴きました。

友川:滝澤明子さんといういまイギリスに住んでいるカメラマンの方は日本に帰ってくるたびにコンサートにずっときてくれてたんだって。そのときは顔も名前も存じませんでしたが、私がロンドンでライヴをしたときに、彼女がきてくれて、知り合いになった。そういうこともありましたよ。

海外でも友川さんの歌が評価が高いですが、言葉が通じない場所で聴かれていることをどう思われますか。

友川:私だってローリング・ストーンズを聴いたりするわけだしね。しかしどういった感覚なんだろうね。

スタッフの佐々木氏:ロンドンでは〈cafe OTO〉というところでライヴしたんですが、滝澤さんによれば、あんなに話し声がしない〈cafe OTO〉ははじめてだということでした。イギリスではお客さんは演奏中もしゃべっていることが多いらしいんですが、友川さんのライヴはシーンとしていたとおっしゃっていました。

友川:ロンドンでは私は(曲間に)ほとんどしゃべらなかったんですよ。英語しゃべれないから。次々と歌だけ歌ったんです。

それをみんな真剣に聴いていたんですね。

友川:そうそう。

感想は訊かれましたか。

友川:訊くもなにも、話せないから、ただ飲んでいただけ。

私も18、19歳でヨーロッパに行ったとき、友川さんの『初期傑作選』のCDを、当時はCDウォークマンでしたからそれにいれて旅していたんですけど――

友川:つらい旅だ。

いろいろ思うところがあったんでしょうね(笑)。フランスに寄ったとき、知り合った同世代の男性に聴かせたらほしいというもんであげた憶えがあります。私もフランス語はできませんでしたから、いいと思った理由はよくわからなかったですが、言葉の壁を越えて伝わるものが友川さんの歌にはあるのかもしれませんね。

友川:フランスからロンドンに私の歌を聴きにきたレオナルドという男がいたんだけど、彼は私のレコードを全部もっていたからね。ヘンな男だったよ。なんの仕事やってるって訊いたら、無職ですって。アンコールも彼がたちあがってアンコールかけたもので全員仕方なく手を叩きはじめたんだけどね。

そういう熱狂的なファンがいるんですね。

友川:あちこちに、そういった危ない感じのひとがいるのよ(笑)。フランスには多いですよ。

言葉の響きの問題ですか?

友川:関係ないでしょ(笑)。

『復讐バーボン』にも訳詞がついていますし、海外でも聴かれるといいですね。

友川:そうね。

友川カズキ“馬の耳に万車券”
Kazuki Tomokawa "A Lucky Betting Slip to Deaf Ears"

2014年1月29日 in 大阪『復讐バーボン』レコ発ライヴ
友川カズキ、永畑雅人、石塚俊明、ギャスパー・クラウス


言葉にしろ曲にしろ、演奏しても『復讐バーボン』はこれまでの友川さんの作品のなかでも頭ひとつ抜けていると思いました。

友川:それはうれしいね。いつまでも『初期傑作集』じゃね。

初期は初期ですばらしいと思いますよ。前に原稿でも書きましたが、変わっていくもののなかに一貫しているところがあるのも友川さんだと思うんですね。

友川:松村さんはそう書いていたけど、私もそう思う。一昨日の私ではダメなのよ、明後日の私がつねにここに坐っているような感じでないと。なにかないと。

そうありつづけるひとも多くはないと思いますけどね。

友川:いや表現者にはいっぱいいますよ。

そういう表現者がいっぱいいれば日本はもっと住みやすいと思いますけどね。

友川:偉いこといったな、あんた(笑)。ちょっと政界にでもいってきてよ。(ライヴハウスの店員に)じゃあ、ビールとあとカレー3つ。


(後編につづく)


BACK DROP BOMBというBANDでguitarを弾いたり、
歌舞伎町のドープオアシスSPOT BE-WAVEで色々とやっております。
DJ nameはDJ TASAKAと同様の発音でお願いします。
BAND活動20周年を記念してTRIBUTE ALBUMを作りました。
20周年特設サイト(https://bdb20th.com/)

DJ&LIVEスケジュール
6/3 DJ BAKU PRESENTS "MIXXCHA"VOLUME ONE"@中目黒solfa(DJ)
6/7 歌舞伎町be-wave 8Anniversary party@be-wave(DJ)
6/9BACK DROP BOMB特別番組@DOMMUNE(Talk)
6/14 Broccasion Live@六本木ex-theater(Live)
6/15rega「2014tour discuss」@仙台MACANA(Live)
6/22HOLYDAYS@LOUNGE NEO(DJ)
6/27Broccasion Live@大阪BIGCAT(Live)
まだ他にも決まっているlive等有ります。こちらでチェックプリーズ(https://backdropbomb.jp/

最近DJで良くかける曲10


1
PAPER,PAPER... (MxAxD) - BRON-K feat.NORIKIYO

2
Animal Chuki - Capicúa

3
Mastered - A-Trak feat.Lupe Fiasco

4
Rathero - Semilla

5
Buraka Som Sistema - Zouk Flute

6
Dillon Francis - I.D.G.A.F.O.S. (Neki Stranac Cumbia Digital Rework)

7
Liliana (Dengue Dengue Dengue! Refix) - Los Demonis del Mantaro

8
FISSA - UFO!&Hoodie

9
Snake (Neki Stranac Moombahton Mix) - Blasterjaxx

10
Lagartijeando aka Mati Zundel - Doña Maria - El Pescador (Lagartijeando Remix)

Thomas Ankersmit - ele-king

 トーマス・アンカーシュミット。ベルリンのサウンド・アーティストである。1979年生まれ。彼はサージ・アナログ・モジュラー・シンセサイザーを用いて音の運動/残響を作品として提示する音響作家だ。演奏活動をはじめる以前からインスタレーション作品を中心に創作してきたアーティストでもあった。しかも彼はサックス奏者でもある。

 録音作品としては、ジム・オルークとのスプリット盤『ウェールジン/オシレータズ・アンド・ギターズ』(2005)、ライヴ盤『ライヴ・イン・ユトレヒト』(2010)、人気レーベル〈パン〉からヴァレリオ・トリコリとの競演盤『フォーマII』(2011)などをリリースし、電子音楽家としても知る人ぞ知る存在であった。昨年、フィル・ニブロックとともに来日し、ライヴ演奏を繰り広げたことでも知られる。
 今回のリリースは、UKの実験音楽レーベルの名門〈タッチ〉から。ジョン・ウォーゼンクロフトによるクールかつ瀟洒なアートワークに包まれてはいるものの、音の方は極めてハードコアな電子音楽作品に仕上がっており、マニアには堪らない作品といえよう(今回は彼の演奏するサックスは入っていない)。その電子音の快楽は、ノイズ・ミュージック・ファンにも十二分にアピールできるはずだ。

 本作は、2011年から2012年にかけて、ロスアンジェルスのカルアーツ・エレクトロニック・ミュージック・スタジオに招かれたトーマス・アンカーシュミットが、完全復元されたブラック・サージなるシステムを用いることで演奏・録音された。よって、このアルバムには、サージ・アナログ・モジュラー・シンセサイザーの音しか(たぶん)入っていない。ここにあるのは電子音マニアを狂喜させるノイズの横溢だ。アルバムは計36分52秒、長尺1トラックのハードコアな構成となっている。
 この電子音・ノイズの運動/生成が、あるシステムに則ったコンポジションなのか、それともあるルールの上でのインプロヴィゼーションなのか、それはわからない。デジタル・エディットはされていないという。しかし音は複雑に変化と変形を重ね、いくつものノイズが折り重なっていくのである。まるでエディットされているかのように精密に、かつ大胆に。となれば、これはサージ・アナログ・モジュラー・シンセサイザーの機能をフルに活用し、生まれたサウンドだといえるはずである。

 では、この作品はサージ・アナログ・モジュラー・シンセサイザーのパフォーマンスを録音として凍結した一種のパフォーマンス・アート作品なのだろうか。音の実験・実験の音のように、である。だが、電子音楽の聴き手であればあるほど、本作を再生した瞬間から溢れ出てくる、鋭く、透明な電子音の横溢に、これは「ノイズ/音楽」であると確信するはずだ。
 ループされる電子音に、透明で強靭なノイズがレイヤーされ、その電子音が生成し拡張する。何かを握り潰すような音、早回しのモールス信号のような音、暴風のようなノイズ。砂の音のようなサラサラと乾いた音。静謐な響き。ノイズによる耳のマッサージ。さらに後半に差し掛かると、鏡に反射する光のようにさらなる電子音が生成しはじめる。ああ、これは単なる音の運動ではない、音響的聴取を目的とした「演奏」であり、その「録音」であり、「音楽」だ。即興の生成と音の構築が同時に行われているのだから。まさに、電子の「ノイズ/音楽」!

 デジタル・エディットを使わずに制作されたというが、その音の運動には圧倒的な情報量が圧縮されているように思えた。そして、これが重要なのだが、ポスト=デジタル・ミュージック以降の精密な聴取にも耐えうる密度と運動感を備えているのだ。
 そう、1979年生まれのトーマス・アンカーシュミットは、70年代のアナログ・シンセサイザーを用いながらも、2000年代以降の電子音響、つまりポスト=デジタル時代のエレクトロニクス・ミュージックを生み出している。本作が「現在進行形の電子音楽作品」たるゆえんはそこにある。その情報量の圧縮と速度感において(音楽のフォームはまるで違えども)、shotahiramaの『post punk』を思い出した。時代と共に疾走するような「音楽」を生み出すためには、即興と作曲が同時に巻き起こり、ノイズと速度が拮抗しあうような密度が必要になるからだろうか。私見だが、この2作品はまるで兄弟のように似ていると思う。
 もしかすると現在においては、「ノン・エディットによって生まれる情報の圧縮感覚」は重要なタームなのかも知れない。情報の圧縮と解凍の速度こそが、本作を旧来の電子音楽やノイズ・ミュージックを分け隔てる点ではないか。

 さらにはノイジーな音響に挟まれるように、静謐な響きへと変化するパートも素晴らしい。まるで澄んだ空気のような、もしくは美しく乾いた砂時計のような美しい高音の持続。もしくは虫の音のような響き。そしてアクセントのように鳴り響くノイズ。この時間が凝固と解凍を往復するようなクリスタル/ノイズなアンビエンスは、アルバム全体に横溢する電子音の中で特別なきらめきを持っているように思えた。
 同時にそのような持続感覚を楽曲=演奏の中盤に持ってくるトーマス・アンカーシュミットの音楽家=演奏家としてのセンスのよさにも唸らされた。また後半、サウンドがダイナミズムを再生する展開も、単なるノイズの暴発になっていない点はさすがだ。

 もしかすると本盤は、ここ数年の間に〈タッチ〉がリリースした作品の中で、もっともハードコアかつ重要なアルバムかもしれない。あのブルース・ギルバート&BAW『ディルーバイアル』(2013)に匹敵するほどに。つまりは本年のエクスペリメンタル・ミュージックの重要作という意味だ。実験電子音楽に興味をお持ちの方ならば絶対必聴の盤である。

Seahawks - ele-king

 ポスト・チルアウト〜シンセウェイヴの隆盛もずいぶんと落ち着いて、いったん引き波モードに入りつつあるように感じられる今日このごろ。あっちへふらり、こっちへふらり。そんな移ろいやすいシーンのど真ん中にいながらも、太陽よりも高く、海よりも深く、どこまでも孤高に。そして、変わらないバレアリック・オーシャン・トリップで、現実のタガをゆるめ、見たことのない色遣いで、日常をビカビカとテカる極彩色に染め上げるロンドンのベテラン・デュオ、シーホークスの新作が漂着した。

 変わらない、といってもそれは彼らが捕らえて引き延ばした永遠の電子パラディーソ感覚のことであって、そこにたどり着くまでの冒険心はまたもや新しい表情を見せ、今作でも一段上の鮮度を約束してくれる。
 相変わらず深い靄に包まれたノスタルジックなシンセが跳ね回り、水しぶきを上げ、照りつける太陽の光を反射しながらコズミックにクルージング。これまでにもバンド編成で柔らかくも力強い演奏を聴かせてくれたが、今回のフル・バンドは特別だ。ベースとギターにホット・チップ〜LCDサウンドシステムのアル・ドイル。ドラムとギターにホット・チップの初期メンバーであり、現在グローヴスノー名義で活動しているロブ・スモウトン。そして、キーボードにホラーズのトム・ファースらを迎えたサウンドは、前作『アクアディスコ』で披露した「溶けろ! リアリティ〜!!」と言わんばかりの誇大妄想エキゾチカよりも心もち(生音が多いせいもあり)現実味を帯びたアーバニズムを聴かせてくれる。そして、特筆すべきは曲だけでなくアルバム全体のムードを先導するアルのベースである。スペーシーなうわものから独立した、もっこり野太くフュージョンチックなベース。タメを効かせ、スムースに波打つ余裕がじつにいやらしい、この、リズムとねっとり絡みあう魅惑のベースラインだけでも聴きごたえ十分ではないか。

 さらに、もうひとつのトピック。これまでジ・オーブばりのヴォイス・サンプルこそ多用していたものの、情緒あるサウンドのみで胸焦がすドラマを演出してきたシーホークスだが、なんと今作には明確な言葉がある。さまざまなゲストを迎えた歌がある。そしてこれが、シーホークスの世界がもつより具体的なイメージを露わにしてくれるのかと思いきや、またしても靄の向こうではぐらかし、僕たちを未開の海に放り出す。美しい……この手に届きそうで届かないもどかしさがたまらなく美しい。海辺のフィールド音と弾けるハウシーなビート、マリア・ミネルヴァの「rainbow sun...electricity...」というささやきからはじまる1曲め“レインボウ・サン” なんて、その言葉選びと発声だけで眩しくて視界くらくら。つづく、ティム・バージェス(シャーラタンズ)の渋みを帯びながらもふわふわ漂う歌声が心地よい夢想歌“ルック・アット・ザ・サン”は、ヨット・ロックなんてスノッブ気取り(?)ではなく、まるで10ccかロキシー・ミュージックの『アヴァロン』ばりのスメルズ・ライク・アダルト・オリエンテッド・スピリットがもわ〜んと匂い立ち、ホーン、トランペットの挿入からサックスのソロが立ち現れる瞬間なんて止まらないロマンチックに浮揚しながら哀愁にむせ返らぬばかりだ。さらに、ピーキング・ライツの奥方インドラ・ドゥニスをヴォーカルに迎えたエコーたっぷりのサイケデリック・オーシャン・ダブ、“ドリフティング”。これまでのシーホークス節を踏襲したインスト曲にしてタイトル曲“パラダイス・フリークス”など、しなやかな突起もたくさんだ。そして、極めつけは、80年代に2枚のシングルだけを残して音楽界から姿を消した——知る人ぞ知るエレクトロ・サイケデリック・ポッパー——ニック・ナイスリーをフィーチャリングした“エレクトリック・ウォーターフォールズ”である。まるでアニマル・コレクティヴが2005年のEP『プロスペクト・ハンマー』において、60年代に活動していた伝説のフォーク・シンガー、ヴァシュティ・バニヤンをゲストに迎え、再び彼女の存在に光を当てたように(じつはヴァシュティが引退後にはじめてレコーディングしたのはピアノ・マジックの2002年作『ライターズ・ウィズアウト・ホームズ』でだったりするのだが、この際それは置いておこう)、シーホークスはニック・ナイスリーを現代に蘇生させてともに手を取り、光輝くトロトロの電子の滝へとダイヴするのだ。

 シーンの波が引いてすべてが泡になろうが、通りすがりの享楽者が安易な叙情をまき散らし、そこをゴミで埋めつくそうが、シーホークスには関係ない。匿名性の高いシーンのなかで、彼らの一歩は誰もが見惚れる美しいフォームで、しなやかに、そして着実に新しい足跡を残す。水木しげる、田名網敬一らとのコラボレーションも納得できるヴィジュアル・アーティストのピート・ファウラーと、〈Lo Recordings〉を主宰し、80年代後半からクラブ・シーンの最深部でキャリアを築いてきたジョン・タイ。そんなふたりの創造主は、意識こそこちらを遠く離れ、ジ・アザー・サイドで、すすすい~と泳ぎ回っているものの、身体は現実世界にしっかりと足をつけ、いたって沈着に遊泳の舵を握る。
 そう、彼らはくそったれの現実から逃避するのではなく、それを解きほぐしてこちらがわりにたぐり寄せる。こっちの水も甘〜いぞ、と。そんな香りに誘われて、白んだ夜を彷徨う明け方4時ごろのレイヴァーたちは、シーホークスに連れられ、迷うことなく、優しく深いあいまいな海へと還るのだ。

 もうすぐ夏がやって来る。

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