![]() Plastikman EX Mute/トラフィック |
プラスティックマンが11年ぶりに新作を出すのは、何かそうさせる機運が、彼を後押しする気配がこの時代に潜んでいるからだろう。それは本人の知るところではないかもしれない。が、カイル・ホールが俄然大きく見えることとも、ピンチがテクノを手がけることとも、V/Vmが『レイヴの死』などという、20年前も聴いた言葉を繰り返し新作の題名に使うこととも無関係ではないのだろう。
僕はプラスティックマンが1993年当時、いかに革新的で、いかに衝撃的で、しかも、それがいかにバカ受けたしたのかを伝えなければならない。が、ラマダンマンを聴いている世代に“スパスティック”を聴かせても、普通に良い曲/使えるトラックぐらいにしか思わないようだ……(そうなのか? 高橋君?)。
たしかに最初、ミニマル・テクノで重要だったのは、ジェフ・ミルズ、ベーシック・チャンネル、プラスティックマンの3人だったが、我々はこの20年ものあいだ、「繰り返し」の音楽がひとつのスタイルとして確立され、四方八方へと拡散していくさまを見てきているし、多くのミニマリストによるこのジャンルの多様性を見てきている。「繰り返し」はトランスさせるし、トランスしたがっている人はつねに少なくないことも知っている。
1993年から1998年までのプラスティックマンはすごかった。新作の『EX』が11年ぶりのリリースになってしまうのも無理はない。彼はすでに多くのことをやってきているのだ。
2004年から2008年はミニマル・テクノの当たり年で、ハイプ・トレンドになった年だ。僕はハイプ・トレンドになる前からミニマル・テクノをやっていた。ハイプ・トレンドのあいだもずっとミニマル・テクノをやっていた。ハイプ・トレンドが去った後も、変わらずにミニマル・テクノをやっている。
■ベルリンにお住まいですか?
リッチー・ホウティン:いま現在の僕はイビザにいてね、イビザに居つつ、ベルリンで過ごしたり、世界中を旅したり……、こうなるとどこに住んでいるとは特定しにくい状況なんだ。
ベルリンはずいぶん変わってきたけれど、それは街が大きく変貌していってるだけで、そこに住む人たちは何も変わっていない。いまでも刺激的だし、インスパイアされる。それは10年前と何も変わっていない。むしろ良くなっているとも言える。人が増えたからそれだけ面白い人も増えた。クラブも増えたしね。アンダーグラウンド系、スクワッド、バー、いろいろあって面白い。ベルリンはいまでも、世界でもっとも面白い都市のひとつだと思うよ。
■プラスティックマンは、あなたにとってメインのプロジェクトです。1993年、初めて“Spastik”が出たときには相当な衝撃がありました。『Consumed』も当時としては挑戦的な作品でした。あらためてプラスティックマンというプロジェクトのコンセプトについて話してください。
RH:プラスティックマンのコンセプトはイコール、リッチー・ホーティンのコンセプトだと思う。新しいアイディアを積極的に実現していく。だけどそれは、いまの時代にはどんどん難しいものになってきている。音楽を作って25年、エレクトロニック・ミュージック・シーンでずっとやってきて、この長い年月のあいだにほとんどのことはやり尽くされた感がある。何か新しいもの、自分らしい個性を見つけて爆発させるって簡単なことではなくなった。
プラスティックマンのプロジェクトを10年ぶりに復活させた理由のひとつはそこにある。ここ数年実感していたんだけれど、いま、シーンにある既存の音楽、たくさんの音楽が溢れてるなかで、プラスティックマンの音楽性とは、他の何とも同じではないと思った。だからみんなにもっと聴いて欲しい。衝撃的だと言われたファースト・アルバムから連続性のある発展を遂げてきたものだから、それを5枚〜6枚と聴いて欲しい。と同時に、僕自身のサウンドは他の人たちがやってることと比較しても個性的で遜色ないものだと自負してるし。
■〈M_nus〉からシングルは出していましたが、アルバムというと、2003年の『Closer』以来の11年ぶりとなります。今回の作品を発表するに当たっての、いちばんのモチベーションは何だったのでしょう?
RH:モチベーションはたくさんあった。ここ数年のあいだ、新しくて良い音楽がたくさん世に出てきていると思う。そのなかでプラスティックマンのサウンドというのは、テクスチャーがユニークだと思うし空気感が独特だと思う。それをさらに発展させて新しいものを作っていきたいと思った。
■2007年、あなたは〈M_nus〉から“Spastik”のリミックスをリリースしました。また、2010年には過去の楽曲を集めた『Kompilation』、CD9枚組のボックスセットしても『プラスティックマン – Arkives 1993 - 2010』もリリースしています。プラスティックマン名義での大がかりなライヴ・ショウも試みています。あなた自身がプラスティックマンの本格的な再活動に着手するにいたった経緯を教えてください。
RH:それはライヴ・ショウをやるのと同じ理由、プロセスだと思うんだ。2008年、2009年、2010年と、僕にとっては音楽活動20周年ということでいろんな企画があった。新しいリスナーがたくさん流入してる実感があるんだよね。新しいリッチー・ホーティンのファンがたくさん増えてると思う。新しいファンはリッチー・ホーティンの歴史をあまり知らない人も多いし、僕がいままでやってきたプロジェクトを全部知っているわけではない。それらのストーリー、歴史、僕の音楽にまつわるさまざまな情報を知らせるためには、プラスティックマンのアーカイヴは有用だった。僕がいままでやってきた事を理解してもらうのにとても役立つと思ったんだ。
2010年、2011年のライヴでプラスティックマンのアーカイヴをプレイしたのもそれが理由だった。それに僕にとっても、ずいぶん昔に具現化したアイディアを再訪するのはとても楽しい行為だった。エレクトロニック・ミュージック・シーンて変化の速度はとても速い。基本的に過去を振り返るのは好きじゃないし、いままでやったことを忘れてしまうときさえある。だけどそういう、自分でも忘れていたことをあらためて見てみると、それがいい刺激になったりもする。過去の再訪、そして過去からの継続。つまりアーカイヴ・プロジェクトは再始動の序章だよ。それをきっかけとしてニュー・アルバム『EX』に繋がっていったんだ。
■近年では、UKのポスト・ダブステップのラマダンマンのように、90年代のプラスティックマンの再解釈が見受けられましたが、ご存じでしたか?
RH:いや、意識したことはない。ただ、プラスティックマンはさまざまなところに影響を与えてるとは思う。長年かけてやってきてるから。君もさっき言ってたように、初期の作品はとくに影響力が強かったと思う。でも僕自身は、音楽を作っていくことを楽しんでるだけだ。誰かに影響を与えたいとか与えようなんて思ってない。いつも考えてるのはプラスティックマンイコール、リッチー・ホーティンのサウンドになるようにってことだけ。
[[SplitPage]]たしかに『Sheet One』にはユーモアがあって『Consumed』には暗さがあった。そして、今回のアルバム『EX』は表現力があると思う。演奏がより際立っていて、僕が10年ぶりにスタジオでプラスティックマンのサウンドを爆発させようと思った、その航海なんだ。
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■『EX』は、昨年11月の、NYのグッゲンハイムでのライヴになりますが、これは作品としてリリースすることを前提でやったのですか?
RH:そういうわけでもなかった。前回のショウのオファーがあったとき、当初は既発の作品でやって欲しいという前提だった。しかし、それではつまらないと僕は思った。だから新曲を書こうと思ってね。それで1回のショウに足りる分くらいの曲を書こうと思って書きはじめた。それがいい感じにフロウしてきたら、ライティング・プロセスもレコーディングも楽しくてね。終わってみたら、これはすごく良いと確信したんだよ。だからリリースすると決断するのは至極当たり前の流れだった。
■何故、ライヴ録音という手段を選んだのでしょう?
RH:もともとプラスティックマンのレコーディングというのは、プラスティックマンのライヴ・レコーディングと同じプロセスだからね。ライヴで人前でライヴ・レコーディングをするにしても、スタジオでレコーディングするにしても、結局僕ひとりでレコーディングするわけだから。マシンはずっと動かしっ放しだった。ちょっとアレンジしたり、コンピュータを動かしたり……。グッゲンハイムでのライヴは、普段のレコーディング・プロセスとほとんど同じだったよ。
■90年代、テクノはヨーロッパでは受け入れられていましたが、アメリカは最初ヨーロッパほどこの音楽に積極的ではありませんでした。今回のアルバムがNYでのライヴということ、フランク・ロイド・ライトの建築物であるというは、あなたにとってどんな意味があったのですか?
RH:これはとても重要なポイントだった。エレクトロニック・ミュージックの現在は、北米ではこれまでにないほどとても支持されている。ただ、いまでも、やはりアートのひとつとしては捉えられていない。それが音楽史の一部として考えると面白いところでもあるんだけど。
君の言うように、初期のエレクトロニック・ミュージックは北米ではあまり受け入れられていなかった。最近のエレクトロニック・ミュージックは、ほぼEDMと受け取られている。グッゲンハイムをプラスティックマンで再訪するというのは北米のマーケットに、エレクトロニック・ミュージックはレイヴ・ミュージックだけではない、EDMやダブ・ステップだけでもない、アーティストがいてDJがいて、世界中にあるものだと、世のなかに溢れているんだというね。
エレクトロニック・ミュージックはさまざまな場所に溢れてる。ホールで、車のなかで、レイヴで、パーティで……。それだけではない美術館とか、そういった施設のなかでも流れてるものだからね。
■スタジオでは、どの程度の手を加えたのでしょうか?
RH:ポスト・プロダクションは多少やったね。イマイチ気に入らなかった曲は1曲削除したし、全体のフロウをよくするために曲をちょっと短めに編集したりとか、そういった調整はした。ただ、ライヴ体験となるべく同じ状態でリリースしたかったから、そこは念頭において作業をした。だからちょっとしたミスやヴォリュームの問題なんかは、敢えていじらなかった。それは人間らしい息づかいを感じる部分というか、単なる機械に囲まれてるんではないという部分だから。
■今年のソナーでも大がかりなライヴをやられていますし、いまやプロジェクトには、照明やヴィジュアルなどの、何人かのアーティストが関わっています。プラスティックマンというプロジェクトは、いわばチームとして再編され、総合的なアート、大きなプロジェクトに発展しているのですか?
RH:音楽的にはプラスティックマンはイコール、リッチー・ホーティンであり、僕自身なんだけど、ライヴではチームで動いている。とても親密な関係性を構築しているよ。僕の友だちのアリー・デメロール、日本人のイタル・ヤスダ、僕たちは一緒にヴィジュアルを作っている。チームワークでのクリエイティヴ・プロセスだよ。
それは他のアーティストがやっているやり方とは違う。他のアーティストはそこに人間関係があるわけではない、よく知らないアーティストにヴィジュアル作品だけ依頼して作ってもらう。そういうやり方ではいいものは生まれないと思う。だけど僕たちはチームだ。僕たちがやってるのはひとつの家のなかで、お互いにアイディアを共有して音楽とヴィジュアルが融合したときにパワーを持つような、そういうものを作っている。ライヴで観たときにそれが体感できる何かである、ひとつの体験になるようなそういう作品を作っている。
■あなたはデジタル・テクノロジーを積極的に取り入れていることでも知られていますが、とくに今回試みた新しい技術があったら教えてください。
RH:今回はプラスティックマンとしては、初めて、100%デジタルで作ったアルバムだ。303などのデジタル・プラグ・インを使ってるんだけど、そうすることでもっと自由度が増したと思う。全体の空気感がいままでよりも良い。メロディもよりメロディックなものが作れるようになったし、サウンドもより深みのあるものが生まれた。以前よりも広がりが生まれたと思う。音と音の空間もより広がった。
■『Sheet One』(1993年)にはユーモアがありました。『Consumed』(1998年)には暗さが反映されていました。そして、『EX』は、ライヴ演奏であり、曲名をすべて“EX”ではじまる単語に統一していますね。この意図するところは?
RH:たしかに『Sheet One』にはユーモアがあって『Consumed』には暗さがあった。そして、今回のアルバム『EX』は表現力があると思う。演奏がより際立っていて、僕が10年ぶりにスタジオでプラスティックマンのサウンドを爆発させようと思った、その航海なんだ。初期の頃のサウンドを思い出しながら、新しい領域へと踏み込んだ、その実験が最初から最後まで詰まっている。最初の曲は『Sheet One』に入っていてもおかしくないような関連性を感じる。その一方で、最後の曲は新しい領域、メロディックな領域に足を踏み入れている。それが僕の冒険であり、『EX』が辿った道筋だ。
■あなたが今回のプロジェクトをやる上で、大いに参考になったことがあったら教えてください。
RH:このアルバムの重要な要素となってるのは、グッゲンハイムという建築物の傑作だね。それとインスピレーションになったのは僕のベルリンの家の暗いリビング・ルームだ。ベルリンの暗い夜に、ひとりで、部屋に座って曲を作ろうと思ったことだ。
[[SplitPage]]エレクトロニック・ミュージックの成功と熱狂的に支持された理由のひとつは、ここ10年くらいで考えると、デジタル・ディストリビューションとデジタルDJテクノロジーが先行した部分にもあると思う。デジタル・ディストリビューションはエレクトロニック・ミュージックを活性化するひとつのアドヴァンテージだと思っている。
■あなたがいままで経験した他のアーティストのライヴのなかで、とくに印象に残っているものがあったら教えてください。
RH:最近は、あまり他のアーティストとコラボレーションしていない。あまり興味がないんだ。プラスティックマンとしてのライヴで良かったのは、1995年のグラストンベリーかな。プラスティックマンの新しいサウンドにみんなが熱狂し、大きなインスピレーションを与えた。それとソナーやグッゲンハイムも素晴らしかった。2〜3年前のモントリオールのミューテック・フェスティヴァルでのショウも印象に残っている。僕の誕生日で、地元カナダだったから、友だちがたくさん集まってくれた。
■ここ数年、アシッド・ハウスやテクノの需要が上昇していると思いますが、あなたは時代性とか、シーンの変化ということにどこまで意識的なのでしょう?
RH:全然意識していない。音楽シーンはすごいスピードで変化し続けている。だから僕は、DJとして音楽をプレイし続ける限りは自分が好きなように冒険していければいいと思っている。自分でこれが良いと思うものをやればいいと思っている。それがたまたまトレンドとして盛り上がったらそれはいいかもしれない。だけどわざわざトレンドに乗る必要はない。
■ミニマル・テクノのスタイルの音楽がポピュラーなものとなり、かれこれ20年以上も人びとに求められている理由は何だと考えますか?
RH:ミニマル・テクノはトレンドからどんどん遠ざかっていると思う。ただ、ミニマル・テクノ、ミニマル・ハウス、ミニマル・ミュージックは、ほどほどのバランスを保って人びとの注目をある程度集められるくらいの情報量があって、それで熱心に聴いてる人たちがある程度いるということだと思う。だけど、熱心に聴いてる人はそんなに多くはいないと思うよ。みんなが熱心に聴く、そのときにトレンドが起こる。みんなが熱心に聴いて口コミが広がり、話題に上って……そうしてトレンドの隆盛が繰り返されていく。しかし、音楽というのは、そこに愛があって作られる。音楽とは、そうあるべきだと思うんだ。そういう音楽が僕は好きだし、そういう音楽を僕は追っている。
■ミニマルは、この10年で東欧にも広がっています。興味深いレーベルやアーティストがたくさん出てきていますよね。
RH:たしかに2004年から2008年はミニマル・テクノの当たり年というか、ハイプ・トレンドになった年だと思う。もうそういうトレンドがやってこないとは言わないけれど、それ以降の年はトレンドとは逆の方向にいったと思う。だけど僕はハイプ・トレンドになる前からミニマル・テクノをやっていた。ハイプ・トレンドのあいだもずっとミニマル・テクノをやっていたんだ。ハイプ・トレンドが去った後も、変わらずにミニマル・テクノをやっている(笑)。それでいいと思う。それが僕だから。自分の個性を見つめながら少、しずつその個性を発展させていけばそれでいいんだよ。
東欧のシーンは、他の欧州のシーンと同じように変わり続けている。発展し続けてると思うけど、ロシア、ウクライナはとくにエレクトロニック・ミュージックが浸透していってる気がする。だけどピンポイントでは語れないな……もっと広い目で見ると、こっちでは浸透していきつつ、こっちでは廃れているみたいな、ひとつのスタイルがこっちで人気になっていると思うと、あっちではそのスタイルが廃れていくみたいな……。波と同じで、行ったり来たりだ。満ち潮もあれば引き潮もある。太陽と同じで、昇ったり沈んだりしている。だから結局、自分の道を進むしかない。自分の道を進んでいくなかで同じ道を、同じ場所を共有する人に出会う。それでいいと思う。
■〈M_nus〉では積極的に新人(もしくはあまり知名度のない)アーティストを紹介されていますが、彼らはどのような基準で選ばれているのですか?
RH:僕にとって面白くてインスパイアされるアーティストで、この先成長するだろうアーティストを少しでも手助けできたらと思っている。探してるのは、自分の個性を大事にしている人たち。デリック・メイみたいなサウンドとかリッチー・ホーティンみたいなサウンドを目指すんではなくて、自分のサウンドを大事にしている人たち。
だけど、そういう音を探すのは難しいんだ、誰だって最初は誰かの模倣からはじまるから。だけど、そこから試行錯誤して、自分のアイデンティティを見つける。そこからだね、僕の出番は。そういう人たちと接するとすごく刺激を受けるよ。
■〈M_nus〉の最近のシングル作品に関して、ヴァイナルでのリリースがなくなっていますが、それはアナログをカットする魅力/必要性を感じなく なったからでしょうか?
RH:そういうわけではない。より多くの人に届くには、どうすればいいかと考えるとデジタルになる。デジタルの方がディストリビューションがしやすいし、デジタルならどこでもダウンロードできる。
エレクトロニック・ミュージックの成功と熱狂的に支持された理由のひとつは、ここ10年くらいで考えると、デジタル・ディストリビューションとデジタルDJテクノロジーが先行した部分にもあると思う。アナログみたいにNYのレコード屋に行かないと買えないってものではなく、iTunesでも買える。デジタル・ディストリビューションはエレクトロニック・ミュージックを活性化するひとつのアドヴァンテージだと思っている。ヴァイナルはいまでも支持してるし、いまでもヴァイナルでプレイするのが好きなDJはたくさんいるから、今後もなるべくリリースしていくつもりだよ。だけどそれ「だけ」ってわけにはいかない。CDだけとか、デジタルだけとか、ヴァイナルだけとか。すべてを駆使して少しでも多くの人に届くように、そして少しでも多くの人に楽しんでもらえるようにというのが本来の目標なんだから。
■日本でもライヴの予定はありますか?
RH:実は10月にRedbull Music Academyで来日予定なんだ。京都や東京でもライヴができたらいいなと思ってる。
■現在あなたとDEADMAU5とのコラボレーションが噂されており、意外な組み合わせだと思う人が多いと思います。それは偶然意気投合したの か、それともあなたのなかで以前からアイデアとしてあったものなのでしょうか?
RH:ジョーは同郷のカナダ人だから、もともと交流もあったし、去年のSXSWでも一緒にDJした。楽しかったから、また一緒に何かやりたいねって話をしている。ふたりの違うタイプのカナダ人が一緒に何かやったら楽しいだろう。彼も忙しいし、僕も忙しいから実現できるのかどうかよくわからないけど。でも、意外な組み合わせに見える人脈を見せるプロジェクトは良いと思う。積極的にやっていきたい。
■そういう意味ではEDMには肯定的なんですね。
RH:EDMは良いと思うよ。ここ数年、人びとがEDMに注目することで、エレクトロニック・ミュージックに興味を持つ人が増えているんだから。作り手として、僕たちはいつも新しいものをシーンに持ち込んで、新しい人たちに門戸を開いて、僕たちのシーンに、僕たちのスタイルに呼び込んでいる。EDMのアーティストは新しいエレクトロニック・ミュージック・ファンを呼び込んでいる。そして彼らがドアを開けたら、僕は彼らとは別のドアを開く。そういうことなんだろう。