「Nothing」と一致するもの

interview with How To Dress Well - ele-king


How To Dress Well- What Is This Heart?
Weird World / ホステス

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 「人生を豊かにしようと、意味のあるものにしようとしているんだ」。ハウ・トゥ・ドレス・ウェルの音楽を語るならば、その言葉に尽きる。デビュー作(『ラヴ・リメインズ』)の、割れていびつに増幅されたゴーストのような音像は、セカンド(『トータル・ロス』)においては驚くほどなめらかに整えられ、ポップ・アルバムとしての輪郭を得ることとなった。ひたすらエコーしていたループ・コーラスは、旋律として彫琢され彩色をほどこされて唄のかたちに結実した。R&Bの新世代を象徴するような見られ方をするようになったのはこの頃だ。──ノイズがスムースなR&Bに変化したことを「進化」ととらえるのはあまりに単純・短絡的かもしれないが、クレルにとってそれはおそらく、そのくらいシンプルなことなのではないだろうか。前作のインタヴューからもうかがわれるが、ファーストとセカンドの間には、混乱と克服(整理)という明確な対比がある。ジャケットに自身の顔がフィーチャーされるようになったのもこのことと無関係ではないだろう。音を楽しむのではない、生を豊かにしようというのが彼の音楽であればこそ、クレルは敬虔なまでに思索をつづけ、己れの姿を鍛えようとするのだ。

 インディR&B、オルタナティヴR&B、チル&B。ともあれこれはあたらしい時代感覚を持ったR&Bなのだ、という主張とともに見いだされるようになったアーティスト群は、ザ・ウィークエンドしかり、インクしかり、たいていがシンガーとプロデューサーを兼ね、ベッドルーム規模のR&Bを発信することを出発点としていた。それがまさに「インディ」「オルタナティヴ」と冠される彼らのリアリティのひとつであったわけだが、クレルが共有するのはそうしたスタイルや時代感覚であって、R&Bというフォームはむしろ偶然的な要素にすぎないようにみえる。いや、ここまで書いてひっくり返すようだが、彼らはみなそうなのかもしれない。初期においてはウィッチ・ハウスとも交差し、クラムス・カジノらとも比較されるベッドルーム・プロデューサーとして注目を集めたクレルを筆頭に、彼らはブラック・ミュージック史にとっては客人にもひとしいのだろう。しかし、それぞれの出自と、現ポップ・シーンのヘゲモニーたるR&Bとの境界で、彼らはおのおのの領域を拡張しつづけている。

 さて、ハウ・トゥ・ドレス・ウェルのサードとなる最新作『ホワット・イズ・ディス・ハート?』がリリースされた。インタヴュー中でも繰り返されるように、本作のテーマは愛、というか本作自体が愛をめぐる思弁そのものである。ピアノが好きだと言っていたが、本作のやさしいピアノは、音楽であるよりもまずクレルの愛の観念をつまびらかにするものだ。ノイズは歌へ、歌は愛へ。アルバム3枚を重ねるなかで、まるで塵と芥から球体の星がひとつできあがるように、彼の生は求心力を得、すべやかに鍛えられている。

 よくわからない闇夜のジャケットは、自身の顔の彫像へ、そしてさらにシンプルなポートレートへと変わっていった。こんなふうにパーソナルで尊い心の鍛錬が、普遍的なオルタナティヴとして鳴っていることに筆者は何万度も感動する。

■How To Dress Well(ハウ・トゥ・ドレス・ウェル)
ベルリンを拠点に活動するトム・クレルによるソロ・プロジェクト。新世代のR&Bを象徴的する存在としても注目される。2010年にデビュー作『ラヴ・リメインズ』を〈レフス〉から、2012年にセカンド・アルバム『トータル・ロス』を〈ウィアード・ワールド〉からリリース。2年ぶりとなる新作『ホワット・イズ・ディス・ハート』では、前作にひきつづき共同プロデューサーとしてロディ・マクドナルドを起用。デビュー当時ウィッチ・ハウスにも比較されたミステリアスな音楽性は、アルバムを重ねるごとに歌ものを主体としたポップな相貌を見せるようになっている。

どんな成長も、失うものと新しく得るものの組み合わせなんだよね。剥ぐこと、進化すること、作り出すこと、生み出すこと、探求すること、認めること、否定すること。

以前にインタヴューさせていただいた折、黒沢清監督の映画『回路(英題:パルス)』に出てくる、人の思念の痕のようなシミと、『ラヴ・リメインズ』(2010年)の音像が似ているというお話をしました。あの彷徨う影のような思いのかたまりは、いまはずいぶんと磨かれて、くっきりとかたちを持つ魂のようになったと感じます。この4年ほどのあいだに、あなたの音と精神生活も、洗練されたり整理されたりしてきたのでしょうか?

トム・クレル:間違いなく『ラヴ・リメインズ』以来成長したとは思うよ──時は過ぎていて、時とともに僕も動いているからね。人生を豊かにしようと、意味のあるものにしようとしているんだ。

むしろその過程で失ったように思うものはありますか?

TK:どんな成長も、失うものと新しく得るものの組み合わせなんだよね。剥ぐこと、進化すること、作り出すこと、生み出すこと、探求すること、認めること、否定すること。

このアルバムにおいては、構成や曲順をどのように行っていますか?

TK:どの作品も同じなんだけど、この作品も直感に頼って、非概念的な、「生きた」過程を通って生まれた作品なんだ。曲が揃った時点ですでに順番は見当がついていたよ。

7曲め“ポー・シリル(Pour Cyril)”の子どものモチーフは具象的なものですか?

TK:具象的であって、具象的ではない。「Broken Child(壊れた子供)」がいてはいけないって僕は本当に信じているからね──壊れた世界なんて世界のあり様じゃないだろ? それから、僕が歌う子ども、「Sweet little life(可愛い小さな命)」は真実、簡潔さ、愛、そして意味を象徴している隠喩なんだ。

子どものモチーフは他の曲にも散見されますが、人の父になることについて考えるのですか?

TK:もちろんさ──。小さい頃から自分の子どもが生まれることは想像していたよ。子どもが大好きなんだ。バカ正直だし、とにかくおかしい。

あなたのうたう「愛」は「人類愛」のニュアンスとも少し異なるように思いますが、かといって対象が特定できるほどパーソナルなものですか?

TK:愛はすべてだと思うよ。つねに僕はそれについて歌っている。愛は僕にとっていちばん大切で、ふだん忘れられがちだけど、人間が持つパワーのひとつだと思っている。

とくにこの曲であなたの特徴でもある過剰にコンプレッサーをかけるようなプロダクションを用いるのはなぜです?

TK:コンプレッサーはそんなに使っていないよ──最近出てきている音楽に比べれば、僕の音楽はグラスのよう、あんまりコンプレッサーにはかかっていない。

愛はすべてだと思うよ。つねに僕はそれについて歌っている。

以前ココロージー(CocoRosie)のTシャツを着ておられましたがジョアンナ・ニューサム(Joanna Newsom)も好んで聴かれるそうですね。彼女たちのサイケデリックでフォーキーな音楽性は、あなたが「新世代のR&B」というふうに目される以前の音を思い出させます。彼女らへのシンパシーについておうかがいしたいです。

TK:彼らはヴォーカルの先駆者だよ。独特な声で歌い上げるところがとても気に入っているんだ。ココロージーもジョアンナ・ニューサムもとてもディープで考えさせられる歌詞を書くんだよね。

11曲め“ヴェリー・ベスト・フレンド(Very Best Friend)”などの軽やかなビート感覚がとても新鮮に思われました。詞のシンプルさからみても、ポップスとしての整った輪郭をもった曲だと感じます。こうした曲の誕生には、ロディ・マクドナルド(Rodaidh McDonald)氏のアイディアやアドヴァイスなどもあったりするのでしょうか?

TK:そうでもないんじゃないかな。この曲は一日で書き終えたんだ。とても簡易だけど、「合って」いたんだよね。「Ya it's dumb but sometimes it's just right(間抜けだけどときどきそれが正しいこともある)」って曲中歌っているんだけど、その歌詞こそがこの曲に対しての思いを表しているよ。

“プレシャス・ラヴ(Precious Love)”では、たとえばマーヴィン・ゲイとダイアナ・ロスを思い出しましたが、この曲や“ワーズ・アイ・ドント・リメンバー(Words I Don't Remember)”など、スムースな手触りのシンセ・ポップやソウル・ナンバーも、前作から発展的に生じた新機軸のひとつではないかと思いますが、いかがですか?

TK:僕の中で“プレシャス・ラヴ”はマーヴィン・ゲイよりもバックストリート・ボーイズなんだよね。とにかくいろんな音楽を聴いてきて、そのすべて(エヴリシング・バット・ザ・ガール、バックストリート・ボーイズ、インフィニット・ボディ、リッチ・ホーミー・クァン、アントニー、ブライアン・マックナイト、スピリチュアライズド、etc.)が、僕の作曲のプロセスに反映されているんだ。

音楽の豊かさには、それをつくる人間自身の充実や豊かさが直結すると思いますか?

TK:そうとは限らないんじゃないかな。充実していて豊かな人生っていうのを手に入れるのは難しいことだし、人それぞれ捉え方が違うものだからね。

あなたが音楽において意図するものは、聴き手に十全に通じていると思いますか? また、あなたは、あなたの音楽を通して世界になんらかの変革がもたらされることを望みますか?

TK:聴き手から自分の音楽について学べることがたくさんある。変革をもたらしたいとは思っていないよ。

ドイツでの録音ということですね。他の場所ではなくその地を選んだ理由を教えてください。

TK:ベルリンに住んでいたからそこでレコーディングしただけさ。

たくさんのミュージシャンたちと仕事をしたいと思いますか?

TK:もちろんだよ! ドレイクと作曲したいね。グルーパー(Grouper)とコラボレートもしたいし、アントニーと演奏したい! 話しはじめたらキリがないよ!

The Body - ele-king

 8月突入ということで2014年上半期の書き損じを記させていただきたい夏真っ盛りな今日このごろ、みなさまはいかがお過ごしだろうか?

 私は〈スカル・カタログ/スペンディング・ラウド・ジャパンツアー〉に全生命力を浪費し尽くし、一度ゲル状になり、再び人間らしい形を取り戻しつつある。そのなかでもとくにグッタリさせられたのがサウンド・チェックへ向かう車内や本番直前に必ずおこなっていたDJスカル・カタログ、というか彼のiPhoneのプレイリストを爆音で聴かされる儀式で、基本的にはメタルとビートの素晴らしい選曲ではあるのだけれど、おでこにサーチ・アンド・デストロイとか書いてある北斗の拳のキャラクターのようなノリノリの男を乗せて、そんなものを垂れ流しながらボロボロのハイエースを転がしていればつねに職質への警戒を怠ることはできぬし、イヴェント中に唐突にはじまる、「アイツの後でDJやるぜ!」みたいな対応に追われ溶けかけたりしていた。とはいえ自身のモチヴェーションを高めることを主としたミックスなのでそのアゲ作用も半端ではなく、とくにわれわれの話題にあがっていたのがコレであった。

 活動歴15年、米国はロードアイランド州プロヴィデンスで結成され、現在はポートランド州オレゴンを拠点に活動するジ・ボディ(The Body)と、電子音楽・メタル・デュード最右翼、ハクサン・クローク(Haxan Cloak)による今年度もっともオサレだけども重い一枚。永久に存在しているんじゃないかと思うほど長きに渡ってストイック極まる独自のドゥーム/スラッジを追求してきたデュオ、ザ・ボディは、かつて〈アット・ア・ロス(At A Loss)〉などのクラスト~ドゥームの流れを汲む、遅くておっもい、ダーク・クラストな感性を持つレーベルに発掘され、2011年発表の『オール・ザ・ウォーター・オブ・ザ・アース・ターン(All The Water Of The Earth Turn)』では総勢24名の女性コーラス隊、アッセンブリー・オブ・ライトとのとんでもないコラボレーションでわれわれの度肝を抜いた。Youtubeでいま見ることのできるそれは、思わず笑ってしまうが。

 これだけのインパクトをもった存在を、ゼロ年代以降のエクストリーム・ミュージックに対してインディへの架け橋を提示してきた〈スリル・ジョッキー〉が放っておくわけがない。コーラスやオーケストレーション、時にポスト・プロダクションによる大胆なインダストリアル的エディットを用いて孤高のサウンドを構築してきた彼らは、〈スリル・ジョッキー〉からの前作『クライスツ、レディーマース(Christs, Redeemers)』で、より大きなフィールドを得たのだ。そこに目を光らせたのが現在進行形インディ界随一の天才プロデュース・レーベル〈リヴェンジ・インターナショナル(RVNG Intl.)〉のマット・ウェルス(Matt Werth)である。彼はハクサン・クロークことボビー・ケリック(Bobby Krlic)をロンドンからニューヨークへ呼び出し、一週間スタジオに閉じ込めてジ・ボディのレコーディングのリミックスをおこなわせた。

 リミックスという表現は的確ではない。それはハクサン・クロークの前作『エクスカヴェイション(Excavation)』で証明された彼の職人芸とも呼べる天才的なリ・エディット術を今回も我々に存分に堪能させてくれる。ローファイにフラット化されるザ・ボディの断末魔の叫び、スロッビング・グリッスルなベースライン、ブーストされた拷問ドラムのディケイと打ち込みビートの絡み合いは最高に心地よい。ギター・リフとわかる状態で並べた展開の一部だけはチョイダサいけども、そのあたりも自身のメタル・バックグラウンドをアピールしたいボビー・ケリックの思いととれば微笑ましいではないか。解体、再構築によって両アーティストの才能と経験が加算ではなく乗算された、近年まれにみる好例だ。

 ザ・ボディを結成間もなくからつねに側で見守ってきた〈リヴェンジ・インターナショナル〉の敏腕プロデュースなくしては生まれなかった、最新型スタイリッシュ地獄絵図。「我ここに死すべし」にこめられた肉体の終焉と意識の宇宙的拡張を巡る漆黒の大スペクタクルにオサレ・ゴス・キッズも油ギッシュなノイズ/メタル・デュードも全員首と拳を振り下ろせ!

 スカル・カタログが漏らしていたザ・ボディの乗り物恐怖症伝説──具体的にはある時ヨーロッパ・ツアーをブッキングされたが飛行機が怖すぎて船によって東海岸からヨーロッパへ渡ろうと試みたものの、出航後に恐怖で発狂。救命ボートで陸に引き返したというすさまじい逸話があるらしい。祈来日! ぜひともがんばって克服してほしい。


JOLTが東京(マチ)にやって来る! - ele-king

 〈JOLT〉はオーストラリアを拠点に活動するサウンド・アートの先駆的組織で正式名称を〈JOLT Arts Inc.〉といいまして、これまでも2012年の〈EXTREMITIES〉フェスティヴァルとのツアーでも話題を集めてきた、そのJOLTと日本を代表するサウンド・アーティストとのジョイントがこのたび実現します! 

 といってピンと来ない方のためにさらに説明をつづけますと、今回の来日公演には、JOLTからボルト・アンサンブルとアンプリファイド・エレファンツのふたつのグループが参加し、JOLTのディレクターでもありメルボルン大学の研究者でもあるジェイムス・ハリック率いるエレクトロ・アコースティック・アンサンブルである前者と、知的障害者へのアートライフ・プログラムとしてスタートした後者が合体し、“THE NIS”と題したマルチメディア作品を上演する予定です。インタラクティブ・スクリーン・プロジェクション、ロボット・メカニズム、映像などを盛り込んだ舞台がどうなるかは、なかなか説明が追っつきませんが「現代音楽のサウンドとパフォーマンス・アートとを完璧な形で融合し、アーティスト全員が必要不可欠なパートを担当し、ともすれば障害という観点から語られがちな状況に陥ることなく、聴衆を融合型作品の境地へと連れ出す」と評されたそのパフォーマンスは聴き手である私たちをふくめた音楽の新しいかたちとして予測するより前に体験すべきものであることはいうまでもでもありません。

 またオーストラリアのJOLTと日本のTest Toneの共催となる今回は、日本側からも秋田昌美×千住宗臣、鈴木昭男×齋藤徹、中村としまる×広瀬淳二×山本達久――といったふだん目にすることのない組み合わせも予定されておりますので、ありきたりなフェスやイベントやパーティにバテ気味の方々はぜひ! かならずやあなたの耳をひらく二夜になることうけあいです。

公演情報

■2014.8.7 (THU)
@渋谷WWW
https://www-shibuya.jp/schedule/1408/005212.html

open/start: 19:00/19:30
adv/door: ¥3,000/¥3,500
(税込 / ドリンク代別 / オールスタンディング)

MERZBOW×千住宗臣×ROKAPENIS
THE NIS(feat. The BOLT Ensemble & The Amplified Elephants from Australia, w/ 波多野敦子、イガキアキコ、千葉広樹、ヒュー・ロイド、白石美徳& more)
パードン木村×BING aka カジワラトシオ×Cal Lyall+中山晃子(alive painting)

■2014.8.9 (SAT)
@西麻布 SUPERDELUXE
https://www.super-deluxe.com/room/3703/

open/start :18:30/19:00
adv/door: ¥2,800/¥3,300
(税込/ドリンク代別)

鈴木昭男+齋藤徹
中村としまる+広瀬淳二+山本達久
IF I COULD SING(feat. The BOLT Ensemble, from Australia)
永田砂知子+chiharu mk+中山晃子(alive painting)

企画・制作: Jolts Arts Inc. / Test Tone / SuperDeluxe / WWW
問い合わせ: joltarts2014@test-tone.com
INFO: joltarts.org | test-tone.com | sdlx.jp | www-shibuya.jp


若尾裕 - ele-king

 小学3年生のときの担任の先生を、私たちが暴力パンダと渾名したのは、みんな大好きなパンダによく似た丸っこい顔のやさしそうな先生(男性)なのにすこぶる暴力的だったからだが、彼は音楽を偏愛し音楽の授業への熱の入れようは尋常でなく、全盛期の山下洋輔ばりに鍵盤をぐわんぐわん叩くものだから音楽室のぼろぼろのアップライトはいまにもばらばらになりそうである。合唱コンクールや学芸会なぞちかづこうものなら、国語や算数の授業そっちのけで練習にかかりきり。指導方法は「でかい声を出せ」の一点張りで血管が千切れるほど絶叫するか、喉から血ヘドを吐くか、トチった者が木琴のバチで側頭部を殴打されるか、いずれにせよ血を見なければおさまらない。ハーモニーはおろか男声女声おかまいなし、基本的にユニゾン、いやほとんどトーン・クラスター状態であり、私は後年グレン・ブランカの音楽になによりまず懐かしさを感じたのはこのときの体験の賜物ではないかと思うのだが、ともかく、その年の合唱コンクールの課題曲は“行きゅんにゃ加那節”という奄美では誰でも知っているシマ唄だった。ほんらいファルセットを多用し別れの哀切を歌う切々たるこの唄を私たちは教えられた通り絶叫した。叫ぶ詩人の会でもあれほど叫んだことはあるまい。結果は憶えていない。優越感も落胆もなくただ解放感だけがあった。私たちはそうそうに帰路についた。夏は終わったのだ。夏ではなかったかもしれないが。

 私はながながとおもいで話をしたいのではない。『新しい音楽の教科書』と題したこの本の第一章「こども用の音楽」で、若尾裕は幼稚園/保育園では「なぜこどもたちにあんなにも大きな声で歌わせるのか、なぜ小さな声ではいけないのか」と疑問を投げかける。私はこの原稿をある神社の裏手のマンションの一室で書いているが、その神社には付属の幼稚園があり、まさにいまこの瞬間も園児たちが唱歌を怒鳴るのが聞こえる。これはこの神社が軍神を奉っているからではない。幼稚園や保育園はどこもかしもそうなのだ。若尾裕はそれを「おとなたちが考える『こどものあるべき姿』のひとつなのだ」という。理想像をつくりあげ全体をそこに漸近させる。もちろんすべての園児が理想像に完全に一致するわけはない。個別の分布があり、そこから平均値が生まれ、上方であれ下方であれ偏差はいずれにせよ少数派として捨象され、理想像はおもむろに平均値にすりかわる。あらゆる教育現場に横たわる問題を背景に若尾裕は音楽を語りはじめるが、それは音楽が身体に直接訴えかける形式だからだろう。幼稚園では歌を歌い、絵も描く、お遊戯もするが、文字はまだ教えない。彼らは芸術は身体にあらかじめ内在すると見なしているかのような教育方法をとる。ということは、教化する主体によっては身体を制度化できる。なかでも音楽は明治を期に伝統を切断し、人為的に近代西洋音楽にもとづいた教育法を導入したので、日本の音楽の現状を考えることはある体系の受容と定着の深度をはかるかっこうの題材である――だけでなく、私たちが信じて疑わない音楽上の価値観もこのわずか百年あまりの慣例にすぎない(かもしれない)と、視点をあげることをうながすのである。

 たとえば演奏技術の巧拙、高尚な芸術音楽と俗謡、障害者と健常者の(ための)音楽。誰もが知る教則本『バイエル』はハ長調の練習曲ばかりで欠陥がある――というのをはずかしながら私は娘が通うピアノ教室の先生にいわれるまで考えもしなかった(練習とはそういうものだと思っていた)のですが――にもかかわらずなぜあれがあれだけ重宝されたのかといえば教える側の都合でしかない、と若尾裕は喝破する。ところがひとはそれをよそにあらゆることに日々馴化し「音楽は楽しいものだよ。なにせ、音を楽しむ、と書くのだからね」とまで宣うまでに単純化する。私は書き落としたが、本書の正しい書名は『親のための新しい音楽の教科書』である。「親のための」となっているがからずしも子どもがいるひとのために、ということではない。すっかり常識となった誤解を解くための教科書であり考え直すための端緒であり、固着した脇に置くためのヒントであるとともに、支配や従属によらず「親にとっての子ども」の他性を尊重する。あるいは上記の二項対立を「解決」――というのは音楽的に協和な状態を指す言葉でもある――するのではなく、世界の広がりと深さをはかるためのモノサシにするために、若尾裕はプラトンからアドルノ、レヴィ=ストロース、サイードらの思想、彼のいい方にならえば先達の「ナラティヴ」をふまえ、『奏でることの力』や『音楽療法を考える』をはじめとした彼の先験的な臨床音楽学で培った知見をそこに加え、徹底して相対的であるとともに対話的なナラティヴを提示する。それさえもポストモダン状況を一歩も出られない――というのがポストモダンであるのだから――なかでは陥穽に陥るおそれはなくもないとしても、また音楽を語ることそのものが作曲家~演奏家~聴衆の分業体制が確立した近代の産物であることからくる切断線を秘めるにしても、この教科書は多用に応用可能なまことにやわらかい思弁です。

Molly Nilsson - ele-king

 モーリー・ニルソンの低い声、知性的な声は、エラ・オーリンズを思い出させる。「低い声」というのは、虚飾のないヴォーカルと言いかえてもいい。「知性的な声」には、高い精神性が感じられるとつけ加えてもいい。ただ歌うことに長けているというのではない、人間の深さが歌の姿としてあらわれてくるような、そんな迫力の押しこめられた歌が彼女の歌だ。ニコに比較されているのを見かけるけれども、較べるべきはエラ。冷戦期のポーランドの貧困を目の当たりに育ち、ペンデレツキの幽霊とダーティ・ビーチズとが交差する地点でヒス・ノイズとたわむれる、あの徹底して理性的で懐古的なエラの白昼夢こそ、ニルソンのコアに共鳴するものではないだろうか。絶対に翔ばない、酔わない、嬌態を見せない、どこか男性的ですらある彼女のスタイルには、しかし抹香くささではなくクールさとよぶべき魅力がたしかにそなわっている。

 スウェーデンのシンガー/プロデューサー、モーリー・ニルソン。2008年のデビュー・アルバム『ディーズ・シングス・テイク・タイム』がこのたびアナログ盤でリリースされた。もともとは自主盤のCD-Rのみで流通していたもののようだ。
 エラとの違いで言えば、ニューウェイヴィな、あるいはヴィンテージなシンセ・ポップがトラックのベースとなっているところだろうか。電子音楽の黎明期を連想させるような音色からリヴァービーなスネアの響くエイティーズ調まで、審美的に、ストイックに選ばれ配置されていて心地がいい。同時期に登場し活躍した宅録シンセ/ドリーム・ポップの才媛たち──エラをはじめとして、マリア・ミネルヴァ、U.S.ガールズ、メデリン・マーキーにナイト・ジュエルまで──の種の優れた部分ばかりが抽出されたような……彼女たちのイイトコどりが、きわめて抑制的に行われているような、じつは、じつに、洗練された作品なのではないかと思う。寡聞にして当時はスルーしていたが、2010年の『フォロー・ザ・ライト』や2011年の『ヒストリー』からは、ちょうどそのあたりのタイミングでジョン・マウスのアルバムにソング・ライターとして参加していたりという活躍もあり、彼女の存在感も徐々に増してきた。一連の流れが俯瞰され整理され、彼女たちの「次」を見守る時期にあるいま、このデビュー作があらためて認識され直すことは、ニルソン自身や作品自体にとっても幸福なことだと言えるだろう。
 本作中もっとも浮遊感のあるものはと問われれば、まさにそのジョン・マウスへの提供曲である“ヘイ、ムーン!”だろうか。このシンセのアルペジオが作中マックスのテンションだ。まったく月影のようにおだやか。ルー・リードを思わせるようなフレージング、そして「ヘイ、ムーン」という歌いぶりもかっこいい。女であることをうち捨てるのではなく、するっと抜けていく感覚とも言おうか。概してチルアウトなシンセ・ポップ・アルバムだけれど、根底にはブルーズもある。そのあたりは遠い軌跡を描きながらセント・ヴィンセントにも接続していくかもしれない。

 もう一作はその名も『ザ・サマー・ソングス』。こちらは新作だが、まったく変わらない低体温ぶりで恰好の避暑盤となるだろう。“サマー・キャッツ”は跳ねているが、ビートはごくタイトで、ベースのグルーヴも艶消しプロダクションによって相殺されている。“ブルー・ダラー”なども同郷エール・フランスやタフ・アライアンスを換骨奪胎する、バレアリックと呼べなくもない「サマー・ソング」だけれども、やっぱり地べたと木陰を離れない。
 これは「ソロ・パライソ」なのだから。夏を支配するどのようなムードにも中てられない、わずらわされない、ひとりの楽園をこのEPとともに築いたらいいのだ。ジャケットに浮かび上がる猫の影。影こそは光の強烈さをもっとも正確に写しだす。このアートワークにおいてそれは、一匹でいることの自由さともなり、また、おぼろに、いずれは過ぎ去ってしまうだろう楽園の時間の喩ともなり、際立った印象を残している。昼には、装飾の少ないこの空間的な音と楽曲は涼しく思われるだろうし、夜には砂地に残る熱も感じられるだろう。当人はこの夏ブエノス・アイレスにいるとかいないとか、かの地の山並みにインスパイアされたりされていなかったりするだろうということだが、そんな彼女にチャネリングしてみるというデュエットな聴き方もいいかもしれない。

山下達郎 - ele-king

 映画『ビッグ・ウェイヴ』のサウンドトラックとして作られたこのアルバムのカヴァーは、大波を颯爽とすり抜けていくサーファーの写真とアルバム・タイトルのみ。『フォー・ユー』(82年)のジャケットにもなった山下達郎のグラフィカルな表象といってもいい、『FMステーション』の表紙を彩り続けた鈴木英人のイラストさえない。しかも全曲が英語で歌われている。が、そこから聞こえてきたのは紛れもなく達郎の歌声だった。収められているのは彼の書きおろしの曲と、ビーチ・ボーイズを中心とするカヴァー・ソングのカップリングなのだけれど、全曲がオリジナル・アルバムであるかのように聞こえるほど、すべての曲を自家薬篭中にしている。

 しかし、どうしてこのアルバムはこんなにビーチを思い起こさせるのだろう。アルバム・ジャケットのせいだけではないはずだ。それは観念としてのビーチ。白い砂浜があり、真っ青な海に波が打ち寄せる浜辺。だからといって具体的にどこの海が思い浮かぶわけではない。例えば、それが桑田圭祐の歌う海なら、湘南の海が見えてくるのに。

 ひとつには、当人が語っているように、ビーチ・ボーイズが彼の10代の頃からのアイドルだったというのもあるだろう。そのことは彼の作品全体に大きな影を落としているはずだ。
 そして、彼が10代の頃といえば、もちろんインターネットもないし、誰もが気軽に海外に行ける時代でもなかった。なにしろ1ドル=360円という固定レートだし、格安航空券なんてものもない。そんな時代にラジオから流れてくるビーチ・ボーイズの音楽は、彼にはまるで美しい写真が印刷された絵葉書のような別世界を想像させたにちがいない。そして、彼のなかでイメージされたビーチの情景が、後に作っていく彼の音楽に色濃く表れていったのだろう。
 憧憬という名の風景……

 山下達郎に限らず、彼らの世代の作家には、同様の傾向があると思う。分野は違えど、村上春樹の文学も、20世紀米文学から深く影響を受けている。初期の作品、特に処女作の「風の歌を聴け」(79年)の下敷きになっているのは、レイモンド・チャンドラーのタフな世界観であり、スコット・フィッツジェラルドの喪失感だ(余談だが村上春樹もビーチ・ボーイズの大ファンである)。作品で描かれているのは日本の地方都市だが、見えてくる海岸沿いの街の風景もだが、そこはまるで絵葉書のなかの異国の風景のようだ。

 高度経済成長期を通過して、バブル経済に突入、日本が金を持つようになって、実際にアメリカの不動産を買ったり、企業を傘下に収めたりできるようになった頃に、世に出はじめた山下達郎たちの作品は、想像に明け暮れたティーンエイジを通過した結果の、現実にはどこにも存在しない、それでいてどこかにありそうな世界を呈するようになる。
 この傾向は、山下達郎に限ったことではなくて、音楽に関して言えば、まず先陣を切ったのは日本のジャズだった。渡辺貞夫の『カリフォルニア.シャワー』(78年)しかり、日野皓正の『シティ・コネクション』(79年)しかり。前者はその名の通りカリフォルニアだし、日野のほうはニューヨークが舞台だけど、賭けてもいいが、当時のそれらの場所で、彼らの演奏したようなジャズは流れていなかったと思う。金の力でやっと海外のスタジオとミュージシャンを使えるようになった日本のレコード会社がリリースする日本人によるジャズの最初の作品だと思うが、実際に演奏されたのは、当時、本場を席巻していたフュージョンやロックとクロスオーヴァーしたようなジャズではなく、日本人の感性が「これぞアメリカ」と思うような観光地で売られている絵葉書のようなジャズだった。
 そういった現象は70年代後期から80年代中期の短いあいだに産み落とされたもので、実際にアメリカが身近になってアーティストの目指すものが、もっと本場志向になるにつれ消えていった。あるいは、一方でもっと日本の風土に即したオリジナルな進化を遂げていくことになるのだけど。

 それでも、僕はこの一瞬の間に起こった、憧憬という名のどこにもない風景をこよなく愛している。それらはあまりにも短い間に起こったことだから、潮流のようなものを生むことはなく、文化の文脈なかでは孤立しているように思えるけれども、少なくとも自分のなかではモニュメントのようなものとして残っていった。
 なぜなら、それが純粋なロマンチシズムと、エキゾチシズムによって産み出されたものだから。いつだって想像力は模倣を凌駕するものだから。
 というわけで、僕は夏に限らず表象としての海が恋しくなるたびに、この『ビッグ・ウェイヴ』を聴きつづけることになるのだろうと思う。それが表象でしかないとしても、美しくはかないことには違いはないから。

Various Artists - ele-king

 2004年にスタートした〈ハイパーダブ〉も今年で10周年。レーベル主宰者のスティーヴ・グッドマンは、かつてはオンライン・マガジンを運営していたダブステップの理論家である。ブリアルを見いだし、自らのプロジェクト、コード9名義の諸作によって、ダブステップにディストピック・ヴィジョンを持ち込んだことでも知られている。
 〈ハイパーダブ〉は、それから、ファンキー、フットワーク、ダブ、テクノ、グライム……と、アーティストで言えば、ゾンビー、ローレル・ヘイロー、キング・ミダス・サウンド、クーリー・G、テラー・デンジャー、そしてなんと言ってもカイル・ホールにDJラシャドと、ダブステップにこだわらずに多彩なリリースを続けている。
 ちなみに、2008年、スティーヴ・グッドマンはもうさほどダブステップへの興味は無いと語っているが、〈リヴィティー・サウンド〉や〈オシリス・ミュージックUK〉といった、ダブステップの現在進行形を体現するレーベルはほかに存在している。むしろスティーヴ・グッドマンは、積極的にダブステップ以降の音楽に焦点を当てていると言えるだろう。
 
 『ハイパーダブ10.1』には、シーンの最先端で動いている音楽が36曲収録されている。マーラの重低音(マーラの参加は意外だったが、ここにはコード9のダブステップへの愛が感じられる)、UKグライムのフロウダンの魔術的なラップ、DVAやクーリー・G、アイコニカらに混じって、『10.1』においてまず印象に残るのがフットワークのトラックだ。DJラシャドをはじめ、DJアール、テイソー、ヒーヴィー、スピナらの曲が、このコンピの色を特徴付けるかのように、ずらっと並んでいる。
 そして、彼らのトラックには、フットワークの多様な表情がある。これらは、たしかにダンスフロアでステップを踏む音楽だが、同時に、それだけの音楽ではない。とくにDJスピナの新曲“オール・マイ・テックライフ”は白眉で、パーカッションの連打と休止のあいだに広がる空間は、是非とも聴いていただきたい。
 スティーヴ・グッドマン自身も、コード9として、“シンフー・ルー”(実際に上海にある道、幸福路の意)という、ポリリズムを持った、瞑想的な曲を収録している。あたかも、シカゴのストリートとベッドルームを繋げる橋渡しをしているかのような曲だ。

 このような、フットワークにインスパイアされた音楽をさらに一歩押し進めているのが、カイル・ホールによる“ガール・ユー・ストロング”だ。繰返されるサンプリング音に周回遅れて追いつくキックとコズミックなメロディは、従来のフットワークよりも遅いスピードで再生される。そこには、ジャングルのブレイクビーツの感覚もある。もちろん、この曲に合わせて人がどう踊るのかまったく予測がつかない。ともかく、アメリカで生まれたフットワークがイギリスに渡って、そしてまたアメリカに戻ってさらに発展するという文化の渾融をカイル・ホールはやっている。彼の才能をあらためて思い知る曲である。
 
 2006年に発表されたブリアルのファースト・アルバムの収録曲“スペースエイプ”も収録されている。8年前に発表された、荒廃した未来都市で響いているかのような音楽は、今日聴いてもまったく古くなっていない。この退廃的なビートは、なおも未来から我々に語りかけているようなのだ。

How To Dress Well - ele-king

ぼくに力はない
でもここに存在する限り
愛したい“ア・パワー”

 もしこの5、6年ほどでチルウェイヴやシンセ・ポップが本当に男たちのフェミニンな側面を引き出したとすれば、その功績は大きかったと言わざるを得ない。ちょっと見渡しただけで、クィアな男ばかりではないか! チルウェイヴでアメーバ状に広がった感性を引き継ぎ、かつ最近ではインディR&Bと呼ばれるものを切り拓いたのがハウ・トゥ・ドレス・ウェルだったということは、トム・クレルがそのファルセット・ヴォイスで喉仏=男性性をはじめから捨てていたことからもわかるだろう。彼はアルバムを重ねるごとによりオープンに自らのクィアネスを晒しているように見えて、その点では新作『“ホワット・イズ・ディス・ハート?”』に言うべきことは何もない。ロディ・マクドナルドとの共同プロデュースによってプロダクションはよりメジャーに、ポップになり、そしてジャケットにもあるようにより自分自身を露わにしている。彼自身……その弱さ、ナイーヴネス、感傷と痛みを。

 エリック・サティを思わせる神経症的なピアノの和音が導入となる“2イヤーズ・オン(シェイム・ドリーム)”はアコースティック・ギターによるバラッドで、彼の声はそのオープニング・ナンバーですでに丸裸だ。『ラヴ・リメインズ』の歪みや靄、あからさまなノイズはもうない。「痛みは決して消え去ることはない」……ふとゴッホの遺書のなかの有名な言葉を思い出す(「悲しみは永遠に消え去らない」)。そうしたカギカッコつきの「アーティスト」のある種ベタな繊細さを真っ向から引き受けていること自体に彼の勇気――開き直りと言ってもいい――を見る思いがする。あるいは、前作『トータル・ロス』収録の開放的でリズミックな“&イット・ワズ・ユー”のようなナンバーは、本作において愛を謳いあげるダンス・トラック“リピート・プレジャー”へと引き継がれている。メロディが何度もシンコペートするそのトラックには驚くほど開放的なグル―ヴがある。が、そこでも感情のハイライトとなるのは「喜びは何度も何度も繰り返す、壊れた心だとしても!」とおそろしく懸命なファルセットで叫ばれる瞬間だ。彼にとって重要なのは喜びが繰り返される=ダンス・トラックということ以上に、それが壊れた心から生まれているということなのだろう。歌唱力はない。声量もない。ただ声に込められたロウな感情、その狂おしさがある。
 前作のレヴューにマライア・キャリーの生霊を感じると書いたら本家が本当に大復活して驚いたが、もちろん彼女のようなゴージャスなプロダクションによる安定感はなく、メジャー感が増したとは言っても中心に立つ彼自身の危うさは変わらない。ライナーノーツに掲載された本人の発言を読むまで本作がジミー・イート・ワールドなどのエモの影響下にあることは嗅ぎ取れなかったが、しかしこの過剰なドラマティックさを思えば納得する話である。エモとはおそらく、エモーションをEMOと大文字に変換することによって、その青い迸りに枠組みを与えることだった。と、考えるとそれはハウ・トゥ・ドレス・ウェルが試みていることそのものでもある。クレルの曲がどんどんポップになっていくのは、彼自身が手に負えなかったであろう内側の激流を手なずけていくためであるだろう。ただいっぽうで、分厚いストリングスとともにリズムなしで歌い上げる“プア・シリル”などは彼の震える歌唱があまりにも苦しそうで、これが果たして音楽として成功しているのかわからなくなってくるが、もちろんそこでは完成度の高さなんかよりも切実なものが優先されている。

 本作に用意された3部作のヴィデオは若い男女の愛と死にまつわる苦悩を描いているのだが、そこにどうしてもトム・クレルが出演せねばならないことに彼の業があるのだろう。たとえどんな普遍的な物語や文脈が宿ろうとも、すべては彼自身、その壊れた心からやってきていることを彼は忘れてはいないし、もちろんわたしたちも知っている。ベスト・トラックを問われれば、僕は中盤のひたすらアンニュイでスウィートなシンセ・ポップ“ワーズ・アイ・ドント・リメンバー”だと答えるだろう。そこではトム・クレルの内側の混乱した愛が、「きみ」という他者に、そして聴き手たるわたしたちに遠慮なくぶつけられているからだ。「きみの人生からいなくなる方法も教えられない」……このポップでトレンディなはずのR&Bは、しかしおそろしく聴き手と親密な関係を結びながら鳴らされることを望んでいる。

Derrick May - ele-king

 ちょうど今頃、MAYDAY名義の1987年の作品が再発されて、地味に話題になっているデリック・メイのギグが、今週土曜日に代官山AIRであります。ダンス・ミュージック、ハウス・ミュージック、テクノ・ミュージックといったものに興味があって、デリック・メイのDJをまだ聴いたことがない人がいたら、週末はチャンスですよ。DJとしての技術、知識、アイデア、そしてアティチュードにおいて、いまだずば抜けていると思います。デリックの両脇を固めるDJたちも、ヒロシ・ワタナベ、ゴンノをはじめ、クラシック・セットを披露するDJワダなど最高のメンツ。

■7月26日(土)
Hi-TEK-SOUL

代官山AIR | July 26th, 2014

開催日時:
2014年7月26日(土)
OPEN / START 22:00

開催場所:
代官山AIR

出演:
Derrick May (Transmat from Detroit)
Hiroshi Watanabe a.k.a Kaito (Kompakt, Klik Records)
Gonnno (WC, Merkur, International Feel)
DJ WADA (Co-Fusion)
DJ YAMA (Sublime Records)
Ken Hidaka (Hangouter, Lone Star Production)
Milla
Naoki Shirakawa
C-Ken
Shade Sky
Gisu
mick

料金:
¥3500 Admission
¥3000 w/Flyer
¥2500 AIR members
¥2500 Under 23
¥2000 Before 11:30PM
¥1000 After 6PM


Morrissey - ele-king

 Swaggerという言葉がある。
 英和辞書には「威張って歩く」とか「ふんぞり返って歩く様」とか書かれている。が、わたしがSwaggerという言葉を聞いて連想するのは、リングに入場する時のボクサーの姿だ。肩をいからせ、ゆらりと相手を威嚇しながら歩くボクサー。
 Swaggerという言葉を思い出したモリッシーのアルバムが、これまでに2枚あった。
 『Vauxhall & I』と『You Are The Quarry』である。で、『World Peace Is None of Your Business』は3枚目にあたる。どこからでもかかって来やがれ。と、にやにや笑いながら崖っぷちに立っているようなSwaggerを感じるのだ。
 なぜだろう。誰もが不安になってライトウィングにレフトウィングに文字通り右往左往しているこの時代に、モリッシーは力強くなっている。

            ++++++++++

 『World Peace Is None of Your Business』という象徴的なタイトル(アベ政権下の日本でもそうだろうが、イラク戦争の合法性が再びクローズアップされ、ブレア元首相が連日メディアに叩かれている英国でだって壮大な嫌味に聞こえる)の本作は、音楽的には灰色の英国を歌うモリッシー・ワールドから完全に剥離している。強烈にカラフルなのである。
 スペインのフラメンコ・ギター、トルコ音楽のコブシ、ポルトガルのアコーディオンとピアノの絡み。などを随所に織り込み、ヨーロッパ大陸万歳!みたいなサウンドになっているので、ユーロヴィジョン・ソング・コンテストを見ているような感覚にさえ陥る(そらピッチフォークは嫌うだろう。ははは)。しかし、アンチEUの右翼政党UKIPが勢力を伸ばしている英国で、モリッシーがここまでヨーロピアンなサウンドを打ち出してくるとは面白い。
 が、これは単なる偶然だろう。というのも、このアルバムを作っていた時点で、モリッシーが2カ月前のEU議会選と地方選で起きたUKIPの大躍進を予想していたとは考えづらいし、過去にはモリッシー自身がUKIPのシンパであることを表明したこともあったのだ。
 けれども2014年7月にこのアルバムを聴くと、UKIPの大躍進や排外主義に対するアンチ・ステイトメントに聞こえてしまう。
 ラッキー・バスタード。
 とは言いたくないが、周期的にモリッシーにはこういう時期がくる。彼自身が言っていることは30年間まったく変わってないのに、英国の歴史のほうで彼を痛切に必要とする時期があるのだ。
 で、もちろんモリッシーはそのことをよく知っている。だからこそ本作にはSwaggerがあるのだ。

            ++++++++++

 世界平和なんて知ったこっちゃないだろう
 決まり事に腹を立てちゃいけない
 懸命に働いて、愛らしく税金を払え
 「何のため?」なんて訊いちゃいけない
 哀れで小さい愚民
 ばかな愚民
World Peace Is None of Your Business

 モリッシーが「人類は仲良くすることはできない」、「基本的に人間は互いが大嫌いだ」といった発言をする時、英国人は笑う。みんなそう思っているからだ。思っちゃいるが、だけど何もそこまで言わなくても。といったおかしみを感じるので笑ってしまうのだ。モリッシーのユーモアの本質はそこにある。
 正義だ平和だイデオロギーだと大騒ぎして喧嘩している貴様ら人間自体が、そもそも何よりくだらない。といった身も蓋もないオチが彼は得意だ。
 が、第二次世界大戦でもイラク戦争でもいい。戦争をはじめたのは、独裁者でも政府でも首相でもなかったのだ。その気になって「やったれ!」、「いてこましたれ!」と竹槍を突き上げはじめた一般ピープル(モリッシー風に言うなら、ばかな愚民)だった。そして、もし仮にまた戦争があるとすれば同じ経緯で起こるだろう。

 モリッシーが政治を歌う時は凄まじい。それは、例えばU2のように人差し指を振りながら「これはいけません。ノー、ノー、ノー」とシャロウな説教をするのではなく、人間の根源的な醜さや絶望的なアホさといった深層まで抉ってしまうからだ。

            ++++++++++

 「歌詞という点でいえば、モリッシーと同格に並べられるのはボブ・ディランだけ」
 と言ったのがラッセル・ブランドだったかノエル・ギャラガーだったか、はたまたブライトンの地べた民だったかは思い出せない。ずっとこういう英国人のモリッシー礼賛には反抗してきたのだが、「僕たちはみんな負けるー」と50代半ばの男が反復する“Mountjoy”を聴いていると妙な気分になってきた。

 Swaggerは内側の怖れを隠すため
 このルールによって僕たちは息をつく
 そしてこの地球上には
 去ることが悲しいなんて思う人間はいない
Mountjoy

 この人はディランのように60になっても70になってもポピュラー・ミュージック界の老獪詩人として疾走を続けるのかもしれない。
 米国にボブ・ディランがいるように、英国にもスティーヴン・パトリック・モリッシーがいた。とわたしにも思えるようになってきてしまった。
 (後者は間違ってもノーベル賞候補にはならないだろうが)

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