「Nothing」と一致するもの

J Mascis - ele-king

 J・マスキスよりもJ・マスシスと発音するほうがしっくりくる世代のものです。なので、ここではあえてJ・マスシス表記で統一させていただこうと思うのですが、いかがでしょう? ま、どちらでもいいんですが、なかなか思い入れもありまして。J・マスシスといえば、もちろんダイナソーJr.その人であり、個人的な話になるけれど、ダイナソーをリアルタイムで聴いた最初の作品が『ホエア・ユー・ビーン』(1993)なので、ハードコア上がりの疾走感と爆発力を携えた名作『バグ』(1988)、ゴージャスさを増したメジャー・デビュー作『グリーン・マインド』(1991)らに比べるとずいぶんレイドバックしたところから入門しているわけで……。が、しかし、トレードマークの轟音は健在で、翌94年の『ウィズアウト・ア・サウンド』リリース時の来日公演(@新宿リキッドルーム)では、高く積み上げられたマーシャルアンプから繰り出される音の壁に耳をつんざかれ、興奮状態で朦朧とした意識のなか、胸を焦がすこよないバラード“ゲット・ミー”に身をゆだねながら、当時はまだ止めていなかった煙草に火をつけて悦に入っていたものだ。

 そんな話はさておき、97年のダイナソーJr.解散以降、さまざまなバンド・プロジェクトのほか、J・マスシス+ザ・フォッグ、J+フレンズなどの名義でソロ作品をリリースしてきたJであるが、ずばり「J・マスシス」名義のものとなると特別である。前作『セヴェラル・シェイズ・オブ・ホワイ』(2011)では、全編アコースティック&ドラムレスという予想範囲内の(しかし、これまでにない歌のおセンチっぷりは、はるか予想外!)静かな作品を用意してくれたが、3年ぶりの本作も基本路線は変わらず。前作の1曲めには、“リッスン・トゥ・ミー”(俺の言うこと聞いてくれ)なんて謙虚な(?)タイトルをもってきていたが、本作1曲めでは“ミー・アゲイン”(もう一度俺を)などとさらに切実なタイトルからはじまる(Jの歌詞にはやたらと「Me」が出てくるんだな)。しかし、その内容に押しつけがましさなどまったくなく、前作において多分に含まれていた湿り気をいくらか運び去り、からっと晴れ渡る爽快さに満ちあふれている。“エヴリ・モーニング”では、J自身による跳ねまくる軽快なドラムも導入され、彼のトレードマークであるビッグマフ(ファズ)を踏みこんだ太っとく歪むギターソロも飛び出して耳を奪われる。“ヒール・ザ・スター”では、ティラノザウルス・レックスよろしく、Jが心酔するインド文化の影響が垣間見えるラガーでオリエンタルなギター&パーカッションの混沌が現れ、続く“ワイド・アウェイク”では、一変して広大無辺のアメリカーナな景色が広がり、ゲスト参加のショーン・マーシャル(キャット・パワー)の乾いた歌声とともに優しく静かに枯れ落ちる。さらにダイナソーの隠れた名曲“フライング・クラウド”を彷彿とさせるサイケデリック・フォーク“スタンブル”、刷毛でなすったような渋いファズ・サウンドがアコースティック・ギターの背後を薄雲のように流れる“カム・ダウン”など、ラフな作りのなかにも、思わず二度見、三度聴きしてしまう気の利いたアレンジが詰めこまれ——平均年齢80歳のコーラス・グループ=ヤング@ハートのメンバー、ケン・マイウリによる装厳なピアノ演奏もじつに巧妙——パンキッシュなパワーコードと複雑なアルペジオが織り成すリズミカルなギター、そして、なにより、しこたま気が抜けているのに不思議と力強い抑揚をもつ声&メロディの妙がいかんなく発揮されていて、ぐいぐいと惹きつけられる。

 「ダイナソーのアコースティック版」と言ってしまえば、じつにわかりやすくてそれまでの話になってしまうが、ここでは85年のダイナソーJr.デビュー以来、およそ30年に渡って繰り広げられてきたJ節がなんら変わらずに展開されている。しかし、ただのヴィンテージ趣味に終わらないこだわりの歪み、曲の緩急、リズム、声色の高低、ポジとネガ、ピッキングの強弱、ファズの軋みからノイズの取り扱いまで、やる気があるのかないのかまったくわからない感情の起伏に従って、ころころと変わる楽曲の表情の豊かさはこれまでの作品のなかでもピカイチであり、いつになく愛らしくもある。前作同様マーク・スパスタによるソフトでサイケな色づかいと、もふっとした質感の(得体の知れない)ゆるキャラが仲良くたたずむ幻想的なアートワークも、おとぎ話のように浮世離れしたJの音楽をうまく表していて、まるで、手に取りやすいのに捕まえにくい彼の生態そのもののようである。そして、緑と紫に発色し(ダイナソー時代からやたら好んで使われている色の組み合わせ)、苔のごとく生え広がる少しばかりの憂鬱もブレンドされ、そのメランコリアはじわじわと心のひだに沁み入り、胸の内奥をしっとりと濡らしてくれる。

ストリートで遊びつかれるための21冊 - ele-king

 重版出来! 在庫僅少となっておりました磯部涼・九龍ジョー『遊びつかれた朝に──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』ですが、そろそろ復活いたします。発売から3ヵ月ではやくも品薄となり、発売から3ヵ月たってもまだまだオーダーをいただけているele-king booksの人気作、購入を迷われていた方はぜひこの機会にお買い求めください。

 また、紀伊國屋書店新宿本店さんで開催中の「ストリートカルチャーフェア」内にて、著者のおふたり、磯部涼さんと九龍ジョーさんの選書コーナーが展開されています。
 ストリート・カルチャーについてさまざまな角度から考え、実際にそのなかで“遊びつかれる”ための21冊。売り場では選書リストの載ったリーフレットも配布中。ぜひ足をお運びいただき、良書の数々をめくってみてください!

■ストリートで遊びつかれるための21冊
──磯部涼・九龍ジョーによる選書フェア
紀伊國屋書店新宿本店にて開催中の「ストリートカルチャーフェア」内にて

開催場所:紀伊國屋書店新宿本店 7階芸術フロア
開催期間:8月中旬より開催中



Tower Amazon

語られていないことが多すぎる!
磯部涼×九龍ジョー、
ライヴハウスからネット・ミュージックまで、
音楽と“現場”のいまを考える対話集。

磯部涼と九龍ジョー。
音楽やそれを取り巻く風俗を現場の皮膚感覚から言葉にし、時代を動かすアンダーグラウンド・カルチャーをつぶさに眺めてきた人気ライター2人が、これからの音楽の10年を考える連続対談集『遊びつかれた朝に──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』、ついにリリースとなります!
2010年代に、音楽はどのような場所で鳴っているのか、それは政治や社会とどのように関係しているのか……。
過剰な情報に取り巻かれながら、いまいる場所に希望を生むための、音楽のはなし。

●まるで問題集。考えるためのヒントがぎっしり!
日々おびただしい音源とニュースが行き交う音楽シーン。しかし、「話題」はあふれていても、「問題」はぼんやりとそのなかに埋もれてしまっているもの。小さなシーンやコミュニティの豊かなあり方から、隣国韓国インディの現在や風営法や原発をめぐる運動、あるいはシティ・ポップ再評価を通した東京と都市の考察まで、インターネット上も含めたさまざまな「現場」を軸として、見えない問いに色をつける4つの対話を収録。もっともっと考えたくなる、音楽カルチャーのいま。

●すぐに誰かと話したい! いまならではのトピック、ふたりならではの考察。
銀杏BOYZが残した本当のインパクト/日本にインディが根づくとき/音楽に可能な“下からの再開発”/ミュージシャンと政治の関係/風営法は何を守るのか/「すべてをかける」音楽の終わり/アートと倫理/韓国インディのいま/世界標準か、「ガラパゴス」か/「ずっとウソだった」──ヒットソングが示すもの/2万字インタヴュー再考/東京とシティ・ポップ/圧縮情報のシャワー/なぜ音楽のなかで社会について語ろうとするのか
……などなど既視感を越えていく充実の議論。

■磯部涼
音楽ライター。1978年生まれ。主にマイナー音楽、及びそれらと社会との関わりについてのテキストを執筆し、2004年に単行本『ヒーローはいつだって君をがっかりさせる』(太田出版)を、2011年に続編『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)を刊行。その他、編著に風営法とクラブの問題を扱った『踊ってはいけない国、日本』『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』(ともに河出書房新社)がある。

■九龍ジョー
編集者、ライター。1976年生まれ。ポップ・カルチャーを中心に原稿執筆。『KAMINOGE』、『Quick Japan』、『CDジャーナル』、『音楽と人』、『シアターガイド』、などで連載中。『キネマ旬報』にて星取り評担当。編集近刊に、坂口恭平『幻年時代』(幻冬舎)、岡田利規『遡行 変形していくための演劇論』(河出書房新社)、『MY BEST FRIENDS どついたるねん写真集』(SPACE SHOWER BOOKS)などがある。

■磯部涼+九龍ジョー・著
『遊びつかれた朝に
──10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』

ISBN:978-4-907276-11-9
価格: 本体1,800円+税
並製 256ページ


interview with Simian Mobile Disco - ele-king

 シミアン・モバイル・ディスコ(以下SMD)は、2年ぶり4作目となるニュー・アルバム『ウァール』において、それぞれ一台ずつのモジュラー・シンセとシーケンサー、そしてミキサーだけを用いるという制約を自らに課した。その結果、レコーディングする場所が自ずと開けていったという。スタジオから屋外、それも砂漠のど真ん中だってOK! まさしくバンド名そのもの「モバイル・ディスコ」を実現させたのだ。

 SMDの名前を最初に聞いたのは「ニュー・レイヴ」が流行していた2007年頃だという方も多いかもしれない。熱しやすく移り気なUKの音楽シーンとジャーナリズムのもとで、括られ、もてはやされることによって消費されていくバンドもいれば、それを動力に変えて成長していくバンドもいる。クラクソンズ、CSS、ニュー・ヤング・ポニー・クラブなどと世に出る時期を同じくしたSMDもまた、「ニュー・レイヴ組」の中心アーティストとしてもてはやされた。しかし彼らは、その当時から「ニュー・レイヴ」のコンピレーションをむしろ代表してミックスしたり、メンバーのジェイムス・フォード(もじゃもじゃのほう)はクラクソンズの『近未来の神話』のプロデュースを手がけたりと、すでにシーンをまとめる、動かす、作るというネクスト・ステップへと進んでいた。ジェイムスはその後も、プロデュース業を続け、とくに2000年代以降のUKロック・シーンの代表ともいえるアークティック・モンキーズの4枚のアルバムを手がけて全英1位に送り込んでいることは彼の才覚を表すのに象徴的な出来事だろう。自身の作品でも、2000年代のUKインディ・シーンにおいてロックとクラブ・ミュージックの再接近に大きく貢献したのちは、ヨーロッパ・テクノの一角としてさらにスケールを大きくしている。今年の春にリリースされたシングルでも、ジャーマン・テクノのトップ・アーティストであるオルター・エゴのローマン・フリューゲルとのコラボレーションを披露している。


Simian Mobile Disco
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Anti / ホステス

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 本作『ウァール』では、進化と探求を止めないエレクトロ学者のような彼らの、新たな挑戦となった。前述のようにミニマムな機材に制限することとし、どこでも演奏できるということで、砂漠でレコーディングすることが決意された。そして今年2014年の4月に本当に砂漠へ繰り出し、リハーサル、ジャム、ライヴで3日間にわたってレコーディングが行われた。限られた機材と引き換えに、彼らには無限に広がる空と地平とその音を調和させるチャンスが与えられたのだ。その無限の空間でのフィジカルな作業だから、疲れるまでやっていたいし、時にはビートだって抜きたくなるし、結果としてすごく人間的な自由さにあふれるエレクトロ・サウンドになっている。チルアウトともまた違う、体内のリズムと合わさったような人肌の程良さだ。そして、クラウトロックとも邂逅する。

 今年6月の〈ホステス・クラブ・ウィークエンダー〉でも、アルバム・リリースに先駆けて『ウァール』の再現ライヴが行われた。そのために来日をしていたジェームス・フォード(もじゃもじゃ)とジャス・ショウ(めがね)のふたりに話をきいた。

■Simian Mobile Disco / シミアン・モバイル・ディスコ
元々シミアンというバンドで活動していたエレクトロ・デュオ。現在までに3枚のアルバムを発表。07年のデビュー作が各メディアで年間ベストにランクインし、ロックとエレクトロを接続する当時のシーンのモードを体現する存在としても大きなインパクトを残した。ジェイムスはプロデューサーとしても知られており、アークティック・モンキーズの全英1位獲得アルバム4作品を手掛けている。


システムを作ること=アルバム作りだったと言ってもいいくらい、システムをデザインすることがある意味曲作りでもあったし、アルバム全体の美意識の確立にもつながったんだ。(ジェイムス)

今回のアルバムについて、レコーディングのプロセスを見せる試みにしようと思ったのはなぜですか?

ジェイムス:今回は、アルバム作りのプロセスとして非常に変わったやり方をしたので、それを見せて説明しないと、みんなにも馴染まないんじゃないかなと思ったのがひとつの理由だよ。今回はいわゆるポータブル・システムっていう考えでアルバムを作ったんだけど、システムを作ること=アルバム作りだったと言ってもいいくらい、システムをデザインすることがある意味曲作りでもあったし、アルバム全体の美意識の確立にもつながったんだ。たとえばキック・ドラムのモジュール一つ選ぶのでも、それがアルバム全体のキック・ドラムの音として確定する。だから本当にシステムを作っていくということがアルバム作りそのものだったので、その過程をみんなに見てほしかったんだ。

PCを取り入れずに各一台ずつのモジュラー・シンセとシーケンサーだけを使用するというミニマルな手法で見えたものは?

ジャス:制約があるんだけど、ある意味自分の創造性というものを逆に刺激することになったんじゃないかなと思うよ。音のパレットとして使える機材は小さくなり、選べる絵の具は少なくなったということで、これは制約でもあると同時に自分たちにとってはその機材だけでどこへ行っても同じことができるという別の可能性が開けた部分もある。実際に自分たちもこうして飛行機に乗って外へ出て行くとなると、持ち出せる機材の数も本当に限られていて、スーツケースで4つか5つくらい。じゃあどうする? って考えると、モジュラー・シンセは小さくていろんなことができるからこれはまず欲しいよね。だけど実際はモジュラー・シンセって小さいわりにいろいろめんどくさくて、すぐ壊れるし、いろいろ手入れが大変だし……という面もあるんだけど(笑)。
 でも今回はとにかく自分たちふたりでモジュラー・シンセを1つずつ、それと編集したりいろいろいじるためのシーケンサーを1つずつ、あとはミキサーがあれば、これでどこへ行ってもできるだろう、と。で、そういうシステムを一回作っておこうというのが発想の根本だったんだ。ここ(『ele-king vol.11』)に出ているようなバンドが作ったようなアルバムだって、考えてみれば使ってるのはそういう機材なんだよね。これは絞り込んだからここまで小さくなっただけで、彼らのやってることも結局はおんなじことだよね。彼らはスタジオでやっている、僕らはそれを外に持ち出しているというだけで。だから、絞ったんだけど逆に可能性が見えてきたっていうのが今回の結論かな。

今回はとにかく自分たちふたりでモジュラー・シンセを1つずつ、それと編集したりいろいろいじるためのシーケンサーを1つずつ、あとはミキサーがあれば、これでどこへ行ってもできるだろう、と。(ジャス)

アナログっぽい音にこだわったというわけではないんですか?

ジェイムス:アナログっていうことに関して言えば、いままでずっとスタジオでもアナログ・シンセを使っていたので、そこをあらためて今回追求したというわけではないよ。スタジオで使っているアナログ・シンセは大きくて古いから、言ってしまえば今回はそれを小型にしたっていうことになるよね。いちばん頭にあったのは、コンピューターを使いたくないっていうことだったんだ。いままではコンピューターでシーケンスして音をまとめてっていう使い方をしていたんだけど、今回は音のすべてをアナログ・システムで作ろうということで、すべてをコンピューターなしで作るためにオプションがだいぶ限定されたんだ。
 コンピューターでやるとなるとすべてが指一本で片付いてしまうんだけど、それがないっていうことになるとけっこう肉体を使った作業になるんだよね。大げさだけど、ワンステップ余計にかかって、座ったままパッとやれることが自分で動かないとやれないという部分があって。あっちへ行ってつながないといけない、とかそういう作業が入ってくるから、それがある意味自分たちにとっては楽器を演奏しているような、肉体性を伴った作業になったような気がしているよ。

砂漠でレコーディングしたというイメージであったり、“Z・スペース(Z Space)”“ダンデライオン・スフィアズ(Dandelion Spheres)”“カシオペア(Casiopea)”などビートを抜いている曲も目立ち、クラブよりももっと自然の空間に出たような印象を受けました。そういった曲が今回多く含まれるようになった経緯は?

ジェイムス:今回レコーディング・システムをこういうものでやろうと決めて──つまりどこでもレコーディングできるよねっていう状況になったときに、スタジオではなく自分の好きなところでやれるということにすごく開放感を味わって。じゃあどこでやろう? ってなったときに、今回ジョシュア・ツリー(国立公園)でやろうっていうアイデアが出てきたんだけど、そこでやろうって決めたときにまずそこでのギグをブッキングしてしまったんだ。その段階でじつはぜんぜん曲ができていなかったんだけど、今度そういうところでギグができるんだ、レコーディングできるんだ、っていうことが頭にある状態で曲を書きはじめたんだよ。だから、砂漠であったり自分たちが出ていく外の風景というのが曲作りのときに頭にあったことはたしかだよ。

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意味としては「渦巻き」っていう言葉だけど、今回のアルバムのプロセスである、シーケンサー2台が関わり合うっていう動きにもつながるかなと思ったし、それで僕らの音作りのプロセスの説明にもなるかなと思ったよ。(ジェイムス)


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タンジェリン・ドリームなどクラウトロックや、ピンク・フロイドなどプログレッシヴ・ロックのようなサウンドにも感じたのですが、そのあたりのシーンや時代は意識しましたか?

ジェイムス:ほんとに? それはグレイトだね!

ジャス:そうだね、僕らの前作においてもサイケデリアの影響って大きかったと思うんだけど、ステップ・シーケンサー云々っていう説明をこちらからしておいてタンジェリン・ドリームっていうと、ぜんぜん合致しないって思うかもしれないけど……。でも合致しないから好きじゃないっていうことでは決してないよ。音的にイメージがちがってもけっして嫌いってことではないからね(笑)。

ジェイムス:初期のクラウトロック、とくにクラスターとかは大好きだったな。

ジャス:いわゆる電子楽器や電子機器が、必ずしも金持ちじゃない普通のミュージシャンでも手が届くようになった時代の音楽、ということで言うと、すごくクリエイティヴな人たちがおもしろいことをやっていた時代だったんだろうなと思うよ。僕はそういうパイオニア的なミュージシャンにはすごく興味を持って聴くんだ。遡れば50年代からそういう人たちはいたわけで、どの時代にもおもしろいことをやっていた人たちがいるということになるけれど、出はじめの頃のクラウトロックのおもしろさっていうのは、やっぱりエレクトロと生楽器の融合というところに創作意欲を発揮した人たちが多かったからだと思う。これは言うほど簡単なことではなくて、やった人はたくさんいるけど間違っている人も大勢いるからね。

アルバムタイトル『ウァール(WHIRL)』に込めた意味は?

ジェイムス:意味としては「渦巻き」っていう言葉だけど、今回のアルバムのプロセスである、シーケンサー2台が関わり合うっていう動きにもつながるかなと思ったし、それで僕らの音作りのプロセスの説明にもなるかなと思ったよ。あと自然界を見ても、たとえば人間の指紋とか、花が開いていく様子なんかも渦を巻くように開いていくよね。そんなところにもつながっているよ。まあ言ってしまえば好きな言葉だからっていうのがいちばんかな。

曲名で“ダンデライオン・スフィアズ(Dandelion Spheres)”や“タンジェンツ(Tangents)”など、数学的だったり幾何学的な曲名も見られるんですが、大学の専攻やこれまで学んだ学問がそういった曲名をつけるときに関係していたりしますか? いつもどうやって曲名をつけていますか?

ジェイムス:ははは、僕は生物学専攻だよ。

ジャス:僕は哲学科だよ。

ジェイムス:単純に自分たちとしては好きな言葉とか本を読んでいるときに気になった言葉をリストにして挙げていて、曲ができたときにそれとフィーリングが合致したものだったり言葉をつなげてみたりしてつけていくのでとくに深い意味はないよ。〈デリカシーズ(Delicacies)〉ってレーベル名にもなっているんだけど、世界の珍味の名前なんかも僕らの興味の対象としてリストにしてあるよ(笑)。最初は仮のタイトルとして、曲を作った日にちがシーケンサーに残っていたので、「3月3日の4曲め」とか「2月2日の2曲め」なんていう感じでついていて、進行状況もわかるしそのままでおもしろいかなと思ってタイトルにしようかとも思ったんだ。でも自分たちでも覚えづらいのでタイトルをあらためて考えてつけ直したんだよ。

あの時期が一種のターニング・ポイントだったんだろうなとは思うよ。(中略)演奏をしたロック系のハコにはデッキが一台も置いてなくて、そのままそこでDJをやることができなかったんだ。(ジャス)

古い話なんですが、あなた方のデビュー当時に「ニュー・レイヴ」というシーンがおこりつつあって、あなた方もその中のアーティストとしてとらえられていたと思うんですが、そのシーンやネーミングに対してはいまどう思いますか?

ジャス:まったく実態がなかったと思うよ! クラブ系の音楽っていう意味合いだったんだと思うけど、とくにバンドを背景に持っている人たちによるクラブっぽい音楽っていう感じで、LCDサウンドシステムやホット・チップやクラクソンズのようなアーティストたちがいて、それをまとめて何と呼ぶかっていうところでそういう名前が出てきたんだろうね。
 でも音楽的にも出身地もみんなバラバラで、リンクするものはぜんぜんなかったよね。ただ、いまにして思えば、あの時期が一種のターニング・ポイントだったんだろうなとは思うよ。自分たちがまだシミアンと名乗ってバンド編成でツアーしていた当時、どこへ行っても僕らはレコードを買うのが好きで、とくにテクノ系のものに興味を持っていたので、レコードを買いに行ってそのまま夜DJもやりたいっていうことが多かった。でも演奏をしたロック系のハコにはデッキが一台も置いてなくて、そのままそこでDJをやることができなかったんだ。それで、あっちにクラブがあるからあっちでやればって言われて遠くのクラブまで出かけていったりね。まだそういう時代だったけど、いまはどんなロックの会場でもデッキの一台ぐらいは必ず置いてあるし、バンドの演奏が終わったらそこで朝までDJが回してるっていうのはごく普通のことだと思うけど、たぶんあの当時を境にしてだんだんとロックとクラブ・ミュージックの分け隔てがなくなっていったのかな。
 聴く分にはみんなロックもクラブもどっちも聴いている人が多くなっていた時期だと思うんだけど、まだ会場がそれに追いついていなかったと思うよ。だけどフレーズ的にはやっぱり「ニュー・レイヴ」ってナンセンス! クラウトロックのはじめの頃みたいなものなんじゃないかな。だってクラウトロックのシーンの半分ぐらいの人はお互いに知らなかっただろうし、お互いのことを好きでもなかったかもしれないし。

ジェイムス:それぐらい幅の広いものをひっくるめてああいう風に呼んでいるのは、ジャーナリストの都合だと思うよ。

ジャス:そう、なんでもそうだけどシーンがいったんおさまったあとにそういう名前がついてくるよね。後づけの説明だと思うよ。

2006年のNMEの付録で『ダンスフロア・ディストーション(Dancefloor Distortion)』っていうコンピレーションがありましたけど、そのようにロックとダンスが再び密接にクロスオーヴァーしはじめた当時のUKのムーヴメントを記録した、重要なコンピだったと思います。SMDはそのミックスを手がけていましたよね。いまそれについて思うことは?

ジェイムス:そういうふうに評価されると不思議な気がするなあ(笑)。当時そういったシーンの一員だと僕らも言われるようになっていて、できるだけそこから離れよう、離れようとしていた時期だっただけに、いまにして思うと違和感があるよね。ただあのコンピに入っていた連中の一部が後のEDMと呼ばれるシーンを作っていくことになるわけだし、その様子を僕らも見ていて。アメリカで派手な照明を使ってライヴをやったり、音楽もどんどんつまらなくなっていくのを見ていると、やっぱり違っていたんだなと思うよ。それが実際のところかな。

第22回:フットボールとソリダリティー - ele-king

 夏休みにうちの息子を初めてフットボール・コースに通わせた。
 これはブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFCという地域のクラブが運営している小学生向けのコースで、夏休みとかイースター休みとかには必ずやっているのだが、働く親には送り迎えがたいへん不便な時間帯に行われているので、これまでうちの息子は通えなかったのである。

 が、今年はどうにか送り迎えの都合がつくことになり、フットボール狂のうちの息子は喜び勇んでコースに行ったのだが、初日からどんよりした顔つきで帰って来た。
 「どうしたの」
 「ジャパーンはシットだって言われた」
 ああ。と思った。グラウンドに彼を送って行ったときに、それはちょっと思ったのである。子供たちのほとんどは、ブライトン・アンド・ホーヴのキットを着ていた。地元クラブ運営のコースなので当前である。少数派として、チェルシーやマンUなどの定番人気クラブのキットを着ている少年たちもいたが、日本代表のキットなど着て行ったうちの息子はマイノリティー中のマイノリティーだ。しかも、そのチームがまた、どちらかと言えば強くないことで有名である。そりゃからかわれる標的にはなるだろう。
 「明日は日本代表のは着たくない」
 「ほんなこと言ったって、あんたブライトン&ホーヴのキット持ってないじゃん」
 「ウエストハムのキットを着る」
 「いや、それもブライトンじゃ超マイノリティーだよ。強いわけでもないし」
 「ウエストハムなら何と言われてもいい。“僕のチーム”だから」

               *****

 ある日、食事中にうちの息子が、妙に青年っぽく潤んだ瞳で言った。
 「こないだ、父ちゃんとロンドンに行った時、ウエストハムのリュックを背負って行ったんだ。地下鉄を降りて、プラットフォームを歩いていたら後ろから男の人がいきなり僕のリュックをパンチした。で、彼は言ったんだ。『ウエストハム・フォー・ライフ』って」
 わたしは黙って聞いていた。あれほど熱っぽく、しかし静かな息子の微笑は見たことがなかった。8歳児があんな顔するのかよと思った。

 またある時、息子は言った。
 「母ちゃんは実用的なことを教えてくれるけど、父ちゃんは人生について話してくれる」
 「例えば、どんな?」
 「僕たちは一度このクラブをサポートすると決めたら一生変えないんだとか、そういうこと」
 要するにフットボールである。
 うちの息子がウエストハムのサポーターである理由は、ロンドン東部で生まれ育った連合いのローカル・クラブがウエストハムだったからであり、彼の「ウエストハム・フォー・ライフ」はいわば世襲のものである。フットボールには「世襲」だの「帰属」だのといった風通しの悪いコンセプトがつきまとう。そもそも、「○○・フォー・ライフ」などという思い込みの迸りは限りなく愛国精神じみているし。フットボールがウヨク的と言われる所以だろう。

                *****

 『Awaydays』という映画があった。例によってこれも日本には輸入されていないようだが、『This Is England』のフットボール版と言われた映画で、1979年の英国北部の若者たちを描いた作品である。

サッチャーが政権に就いた年の灰色の北部の街で、ちょうど『This Is England』の主人公ショーンがナショナル・フロントに惹かれて行ったように、『Awaydays』の主人公はフーリガニズムに惹かれて行く。『Awaydays』もサブカル色が強く、ここに出て来る北部のフットボール・フーリガンたちは、いやにモッズである。アラン・マッギーが初めてグラスゴーのライブハウスでオアシスを見た時の印象を、「そこら辺を破壊して暴れ出しそうな不良のモッズが隅に陣取っていた。はっきり言ってビビった」と語っているのを読んだことがあるが、モッズにはどうしたって地方のヤンキーという側面がある。この流れを現代に汲んでいるいるのが、スリーフォード・モッズだろう。ああいうおっさんたちは、ブライトンの職安の前に行くとけっこういる。
 『Awaydays』はポストパンク・ミュージックをふんだんに使い、フーリガンたちがワイヤーやマガジンを聴いていたり、主人公の部屋にルー・リードのポスターが貼られていてたりするのだが、これは連合いの世代の人びとに言わせれば、「フーリガンはポストパンクじゃなくて、ディスコかジャズ・ファンクを聴いていた」という時代考証的な矛盾があるらしい。
 が、本作の主人公は、もともとおタクっぽいレコード・コレクターで、田舎のヤンキー文化には溶け込めなかった。そういう青年が何故かフーリガンたちの世界に憧れ、自ら飛び込み、やがてグループの中で最も凶暴なメンバーになるというのは、面白い構図だ。ポストパンクとフーリガンは相容れない世界だったとしても、その境界を飛び越えて行った人もいた筈だ。
 男子が暴れたくなる理由はホルモンの暴走とかいろいろあるんだろうが、この映画では、閉塞や孤独やノー・フューチャーな感じ、禁じられた同性愛などの対極にあるものへの渇望。が満たされない故に疾走する行為として描かれている。そして、あの徒党感。「族」を描く映画には欠かせない、「横並びに共に立っている」という感覚である。それはうちの息子が駅でウエストハムのリュックをパンチされた体験を語る時の、潤んだ微笑でもある。


              *******

 過日。
 若き左派論客オーウェン・ジョーンズがガーディアン紙ですすり泣いていた。この人はダイハードな左翼ライターとして有名で、左派のわりには全くヒューマニティーを感じさせないほど沈着冷静、皮肉屋で残酷。眉ひとつ動かさずにバサバサと右派を斬る人なのだが、その彼が『Pride』という新作映画を見て「僕はすすり泣いた」などと新聞に書いている。
 同作もサッチャー時代の話らしい。炭鉱労働者たちのストライキをサポートするために同性愛者コミュニティーが立ち上がる。という実話ベースの話だそうで、これを見てあのオーウェン・ジョーンズが泣いたというのである。
 「サッチャーが殺すことができなかった伝統がある。それは英国人のソリダリティーだ。どれほど彼女が個人主義の鉈を振り下ろしても、この伝統だけは殺せなかった」
 と彼は書く。うーむ。これも「横並びに共に立つ」というアレだよなあと思った。

 思えば、例えばこのアラフィフのばばあが育って来た時代から現代まで、西洋文化にかぶれた日本人にとっても、ソリダリティーというやつは最もダサいもので、憎むべきものであった。個人主義こそがクールで、おまえはおまえで俺は俺。群れる奴らは弱いとか、団結はおロマンティックなバカどもの幻想だとか言われてきた。わたしなんかも、すっかりその洗脳にやられて生きて来た老害ばばあである。

 最近、UKでは頻繁に「サッチャー」という言葉を耳にする。ひとつのキーワードになっていると思うが、この国で育った人間たちは今つらいのだと思う。組合は駄目、フーリガンは駄目、福祉国家は駄目(この駄目というのは、禁止という意味ではない。「もはやお話にもならないもの」ということ)、人間が結束することを全て駄目化する形で庶民は分割統治されてきた。自力本願が花開く上昇の時代ならそれでも良い。が、人が支え合わなければ生き残れない下降の時代になっても個人主義という基本は変わらない。それでもソリダリティーに惹かれてしまう者は、それこそ左から右にジャンプするしかないというか、ポストパンクからフーリガンに飛び込むしかなかったのだ。
 けれどもそこはやはり人間が繋がることが駄目化された社会なので、『Awaydays』でも主人公のひとりは自殺するし、もうひとりは「やっぱ結束なんてクソだよな」とフーリガンを抜ける。『Pride』のほうだって、炭鉱労働者たちが現実にどうなったかを考えると「勝利」みたいなハッピーエンドではないだろう。が、きっと人間のソリダリティーを否定しない形で終わった映画だからこそ、オーウェン・ジョーンズのような人まで泣いたのではないか。 
 ソリダリティーはいいことなんだよ。と言ってくれる人はこれまでいなかったから。

 サッチャーからはじまった個人主義の果てにあった修羅の如きブロークン・ブリテンに、きっとみんな疲れているのだ。だからちょっとソリダリティーとか言われたら泣いたりする。
 アホか。
 ゲット・リアル。
 とはわたしはもう思わない。
 次の時代は、意外とそういうところからはじまるかもしれないからだ。

interview with Rustie - ele-king


Rustie
Green Language

Warp records / ビート

CrunkHip HopElectronic

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 上半身裸の男が壁をよじのぼる光景はなんともクレイジーだった。ラスティが故郷であるスコットランドのグラスゴーでギグをやるといつもこんな感じらしい。やはり素晴らしいミュージシャンを生み出す街と、パーティを楽しむ人びとはセットなのである。
 インタヴューでも本人が触れているグラスゴーのレコード店であるラブ・ア・ダブはレーベル運営もしている。そのうちのひとつ〈スタッフ・レコーズ〉から2007年にリリースされたEP「ジャクズ・ザ・スマック」がラスティのデビュー作品だ。ダブステップの重さとヒップホップの軽さが混在したリズムと、エレクトロの暗いメロディが彼のスタートになった。
 翌2008年にはブリストルのヤンキー・ダブステッパーであるジョーカーとコラボレーションしたシングル「プレイ・ドゥ / テンパード」を〈カプサイズ〉からリリース。現在、ラスティもジョーカーもその類希なメロディ・センスで人気を集めているが、そのスタイルの原型はこのシングルに見出される。
 ここ日本でも注目されるようになったのは、〈ワープ〉と契約してリリースされた2010年の「サンバーストEP」からだ。イントロの“ネコ”で流れるヒロイックな、というかヒーロー映画で流れても違和感のない大胆な構成は、ダンス・ミュージックの領域ではかなり特異なものだった。翌年のファースト・アルバム『グラス・ソーズ』はそれをさらに押し進め、より複雑なリズムとカラフルな音色で彩られている。
 今回のセカンド・アルバム『グリーン・ランゲージ』では、いままでのラスティの作品でありそうでなかったラッパーやシンガーの客演も聴き所のひとつだ。とくにダニー・ブラウンとの“アタック”が素晴らしい。トラップ直球のリズムとハスキーで噛み付いてくるようなラップと、それに劣らない鮮烈なフレーズ が随所でリスナーを刺激する。自分以外の主役を引き立たせられるプロデューサーとしても彼は着実に進化を遂げているのだ。
 前作からの3年に間にラスティはDJとしてツアーで世界を飛び回っていた。来日も果たし、アメリカも周り、冒頭にあるように故郷のグラスゴーのフロアも大いに湧かせた。その間に作られたのが本作『グリーン・ランゲージ』だ。最近の活動の様子から、自身のルーツまで多くのことをラスティは語ってくれた。

いまの時代は以前のように、ずーっと耳を傾けたり集中しなくてよくなってる。そういう意味では俺の音楽はそれを反映してるのかもね。

あなた自身の生活のなかで、今年の夏は、去年の夏とどのように違っていますか?

ラスティ(以下、R):そこまで大きな違いはないけど……。アルバムがリリースされるし、プレスや色々準備があるから、去年よりは忙しくしてる。去年はここまで忙しくはなかったと思うな。それくらい(笑)。

5年前と現在とでは?

R:5年前って2009年だよね? 初めてワープと契約した年だ。だから、自分にとっては新たなスタートって感じの年だった。2007年が初めて作品をリリースした年だったけど、ワープと契約したことでまた気分が変わったんだ。

5年前といまじゃ全然違いますか?

R:全然。当時はリミックスを沢山やったりしてたな(笑)。

通訳:当時より、自分のスタイルが確立されていたり、自信がついていたりはしますか?

R:そうだね。自信はついてると思うし、スタイルも出来てきてると思う。前よりも作業の経験を積んでるし、音楽制作の流れもベターになってきた。ミュージシャンとして、いまのほうがハッピーでもあるよ。

通訳:5年前は何歳だったんですか?

R:25。あ、26かな。いま31歳だから。

通訳:31歳! 見えませんね。欧米の人にしては珍しく若く見えます(笑)。

R:ベビー・フェイスだから(笑)。25歳のときはそれが嫌だったけど、いまはいいかなって思ってる(笑)。

さて、まずはニュー・アルバム『グリーン・ランゲージ』について聞かせてください。アルバムの完成には時間がかかりましたね?

R:まあね。制作には2年かかったよ。理由のひとつは、『グラス・ソーズ』のあと、半年間ハード・ドライヴがダメになってしまって、しばらく曲を作れなくてさ。それがなければ1年半で完成していたのかも。あまり自分を急かして作りたくなかったっていうのもある。自分が満足いくものを作りたかったからね。俺は完璧主義者なところがあって、ひとつひとつを納得できるものにしつつ作業を進めたかったんだ。」

通訳:思ったより長くかかりました?

R:少しね。自分の中では完成は1年後くらいのつもりでいたから。でも忙しくて。ツアー中に作らないといけなかったし。

今作はタイトルやフラミンゴのジャケットから察するにテーマとして自然があるようです。自然をテーマにした理由は?

R:自然や宇宙、動物にはいつもインスパイアされてるから。だから普通なことだったんだ。

通訳:動物は飼っていますか?

R:前は猫を飼ってたけど、もういない。子供の頃の話だよ。いまはちょっといいかな(笑)。

通訳:はは(笑)。アルバム・ジャケットはなぜフラミンゴなんですか?

R:自然や動物をカヴァーにしたかったんだ。だからそれを友だちに伝えてアートワークの制作を頼んだらあのデザインが返ってきた。

通訳:アルバムのテーマと繋がったものを頼んだってことですよね?

R:そうそう。タイトルは鳥の言語っていう意味だしね。だからアルバム・カヴァーはそれと関係あるものにしたかったんだ。で、たくさんあった選択肢のなかであのアートワークが一番それと繋がりを感じたから選んだ。『グラス・ソーズ』もクリスタルだったしね。あれはもっと人工的でアニメーションっぽかったけど、今回はそこからちょっと前進してリアルになっているのもいいと思う。

あなたはPCやネットがカジュアルな世代で、私たちはデジタル情報化社会に生きています。よくよくあなたの音楽は、そうした今日の情報化社会の反映に喩えられますが、あなた自身もそう思いますか?

R:人がそう言うのもある意味理解は出来る。俺は集中力がなくて、3、4分以上の曲を作れない。オンライン・メディアみたいにピンポイントというか、必要なものだけをサッとって感じ。いまの時代は、前みたいにずーっと耳を傾けたり、集中しなくてよくなってる。そういう意味では俺の音楽はそれを反映してるのかもね。

“ワークシップ”や“レッツ・スパイラル”のように壮大な曲がありますが、あなたはドラマチックな展開が好きですよね? ミニマルな人生は嫌いだから?

R:いや、シンプル・ライフも好きだよ。忙しいときは、そこから離れて何もない場所に行きたくなったりもする。あまり質問の答えになってないかもしれないけど(笑)。ドラマとかパッション、エモーショナルなものを音楽に入れるのは好きだね。曲をエキサイティングにしたいから。綺麗な曲もすごく好きだけど、やっぱり人を引き込むくらいエキサイティングなものを作るのが好きなんだよね。

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俺にとってトラップっていうのはヒップホップ・ミュージックなんだ。スリー・シックス・マフィアとかグッチ・メインとか、そういうトラップは好きだね。

表題曲“グリーン・ランゲージ”はピアノのアンビエント曲でラストにふさわしい曲ですね。あなたがアンビエントを作るのは意外でした。これはアルバムのコンセプトとどのような関係があるのですか?

R:「グリーン・ランゲージ(Green Language=鳥の言語)」っていうのはスピリチュアルだから、それが反映されてるんだと思う。だからこのトラックがああいった雰囲気を持っているのは自然なことなんだ。

通訳:アンビエント・トラックはよく作ったりするんですか?

R:うん、作るよ。ドラムのないトラックとか、クラシックっぽい音楽も作る。そこにいろいろ加えてもっとエキサイティングにしていったり、サンプルしたり。

『グラス・ソーズ』をより発展させたのが『グリーン・ランゲージ』なのでしょうか? 

R:うーん。発展でもあるし、新しいチャプターのような作品でもある。全く違うわけじゃないけど、やっぱり違いはあるよ。『グラス・ソーズ』はもちろん反映されているし、要素も繋がりはある。だけど、エナジーみたいなものが違うね。

『グラス・ソーズ』をいまでも聴きますか?

R:DJのときだけ。一度作り終わってリリースすると、俺は自分の音楽って聴かないんだよね。2、3年経たないと聴く気になれないかも(笑)。

通訳:それは何故? 変な感じがするんですか(笑)?

R:いや、心地良くないとかそういうわけじゃないんだ。ただ前に進みたいからだよ。

作曲のときもラップトップをメインで使用するそうですね。前作よりも多様な音のシンセが使われていますが、機材環境に変化はありましたか?
 
R:いや、そんなに。作るときよりもレコーディングのときの方が色々使ったかもしれないな。ツアー中にレコーディングしたから、色んな場所でそこにあるものを使ってレコーディングしたよ。でも基本はラップトップ。特別なものは使ってない。とくに変化はないよ。

レディーニョとの“ロスト”や“ドリーム・オン”においてR&Bトラックを披露していますね。今回はどうしてヴォーカル・トラックに挑戦したのでしょうか?

R:ヴォーカルの入ったトラックが好きだから。それだけだよ。『グラス・ソーズ』でもやりたかったんだけど、チャンスがなかった。でもずっとやりたいことだったんだ。構成もヴォーカルやメロディの入ったものが好きだしね。

先行発表された“アタック”では、トラップを連想させるビートにダニー・ブラウンのラップが最高にマッチしています。あなたの作るラッパーのためのトラックと、ヒップホップのトラックメイカーの作る曲はどこが違うと思いますか?

R:そうだな……。ラッパーのために作るトラックとそうでないトラックの違いなら。ラッパーのために作るときは、そこまでハードに作業しなくてもいい。ラッパーやヴォーカリストがリードをとってくれるから。メインのフォーカスはラッパーだから、バックグラウンド・ミュージックを作るような感じで作るんだ。でもインストとなると、初めから面白いものを意識して作らないといけない。インストだけで聴く価値のあるものをね。メロディが主役だからさ。ラッパーやヴォーカリストがいなくても、インスト・トラックとしていいものを作らないといけないから、もっと注意が必要なんだ。

ハドソン・モホークとルナイスによるプロジェクトのトゥナイトはトラップに焦点を当てていますが、あなたの作品でもトラップのリズムを聴くことができます。やっぱ好きなんですか?

R:EDMのトラップに関してはわからないけど、俺にとってトラップっていうのはヒップホップ・ミュージックなんだ。スリー・シックス・マフィアとかグッチ・メインとか、そういうトラップは好きだね。

ダンス・ミュージックの多くにおいてフレーズのループがじょじょに展開していくパターンが多いですが、あなたのトラックは部分的にメロディが使い分けられており、ポップ・ミュージックの構成に似ています。従来のダンス・ミュージックとはなぜ違ったスタイルを取るのでしょうか?

R:さっきも言ったように、俺の曲は短い。ダンス・ミュージックでは7分間のトラックなんかもあるよね? でも俺はそこまで長いトラックだと退屈してしまうんだ。もっとグッと引き寄せられるような音楽が好きなんだよ。DJするときもそう。素早く集中したエナジーで、次から次に進む方が得意だね。

その曲構成も含め、 あなたの曲の多くはリズムもとてもユニークですが、その反面、フロアでDJがどのようにそれらの曲をミックスするのか想像するのが難しいです。DJのために曲を作ることはあまり意識していないのでしょうか?

R:DJのことはあまり考えない。自分が聴きたいと思う音のことだけを考えてるよ。俺自身もDJだけど、あまり長いトラックはかけない。俺はそういうDJセットが好きなんだ。

自分の曲がEDMと呼ばれたら違和感は覚えますか?

R:自分ではそうは思わないけど、人っていつも新しい言葉を作って何かしら呼びたがるし、別に気にはしないよ。もう慣れたね。そういうのは言葉に過ぎないから。

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もちろんグラスゴー出身だしグラスゴーが好きだけど、そこまでアイデンティティは強くないね。

今年の7月から8月にかけてアメリカをツアーしていましたが、現場での反応はいかがでしたか? 

R:そう。2、3日前に帰って来たばかりなんだ。すごく良かった。最高だったよ。新しいトラックへの反応も良くて、昔のトラックでも盛り上がってくれたよ。

通訳:アメリカとイギリスで受けいられ方が違ったりするのでしょうか?

R:そうだな……。イギリスの方がもっと違うジャンルにハマってると思う。いまイギリスではハウスがきてるんだ。ハウスとかディープ・ハウスとか。アメリカではそこまで流行ってはない。アメリカでは俺の音楽をかけるとフロアはクレイジーなるけど……。イギリスもそうではあるんだけど、もっとハウス寄りのものに反応がある気がする。

あなたは数年前にグラスゴーからロンドンへ引っ越していますが、生まれ育った地元のシーンやあなたのバックグラウンドについても教えてください。少々前の話なのですが、僕は2001年の9月から1年間グラスゴーに住んでいました。シティ・センターにあるクラブ、ステレオで行われた前作『グラス・ソーズ』のリリース・パーティにも行ったんですが、大変盛り上がっていましたね。DJブースの前で人が重なり合い熱狂するなか、自身の曲とベース・ミュージックのチューンを混ぜ合わせ、ハドソン・モホークの“フューズ”をラストにかけていたのが印象的でした。グラスゴーは現在も特別な場所なのでしょうか?

R:あの夜はすごく楽しい夜だった。グラスゴーは人もいいし、勢いもあって、みんなパーティが好きなんだ。楽しい時間を過ごすのが好き。だからたくさんのバンドやDJが、ここでプレイするのが好きだって言ってるよ。グラスゴーのオーディエンスは熱いからね。

ジャックマスターやスペンサーなどの実力派のDJたちの活躍も目覚ましいですが、近年のグラスゴーのシーンについてどう思いますか?

R:昔に比べてより多くの人がシーンに関わっていると思う。〈ラッキー・ミー〉とか〈ナンバーズ〉はいまも忙しくしているよ。でも悪いことじゃないんだけど殆どのアーティストがロンドンに引っ越していたりで、全体的にちょっと静かになったかな。だから前より面白くないんだ。ハウスだらけでちょっと退屈……。でもそれらのレーベルの作品には面白いものが多いよ。でも最近のグラスゴーのシーンは前ほどエキサイティングではないかな。

通訳:グラスゴーで育ったことは、自分の音楽にやはり影響していますか?

R:シティ・センターのレコード店、〈ラブ・ア・ダブ〉でレコードを買ったりしてたから、影響はあるよ。テクノ、エレクトロ、ヒップホップとか、色々なタイプの音楽が揃っててそれらに影響を受けたんだ。すごく折衷的で、ディスコ、シカゴ・ハウス、ロックやパンクもあった。だから、全ての種類の音楽から影響を受けることが出来たんだ。

『ピッチフォーク』などメディアからは、「グラスウェイジアン(グラスゴー人の意)」や「グラスゴーのラスティ」と出身地を強調されることがあります。自分自身がスコットランド人であることやグラスゴー出身であることを意識しますか?

R:いや、そんなに。自分がスコットランド人だってことはあまり意識してない。国家主義者でも何でもないからさ。もちろんグラスゴー出身だしグラスゴーが好きだけど、そこまでアイデンティティは強くないね。

グラスゴーにあってロンドンにないものは何ですか?

R:グラスゴーはヴァイブが違うんだ。独自のユーモア・センスがあって、人がもっとフレンドリー。他人によく話しかけたりね。ロンドンに比べると、そういうエナジーが漂っていると思う。

現在契約している〈ワープ〉が輩出したエイフェックス・ツインやボーズ・オブ・カナダなどのプロデューサーからあなたは大きな影響を受けたそうですが、改めて彼らの魅力について教えてください。

R:エイフェックス・ツインよりはボーズ・オブ・カナダに影響を受けてる。エイフェックスはもちろん好きだけど、そこまで大きな影響ってわけじゃないかも。影響ではボーズの方が大きいね。ボーズ・オブ・カナダのメロディやクールな音楽に魅了されたんだ。自分が初めて聴いたワープのアーティストだと思う。2002年くらいだったかな? 音の質感が単純に美しかったのをいまでも覚えてる。

通訳:ボーズ・オブ・カナダはいまでも聴きますか?

R:去年のニュー・アルバム『トゥモローズ・ハーヴェスト』は聴いたよ。良い作品だね。でもやっぱり聴くのは昔のものが多いかな。『ミュージック・ハズ・ザ・ライト・トゥ・チルドレン』(1998年)とか『ゴーガッディ』(2002年)とかね。

音楽をはじめたきっかけは何ですか? そこからどのようにダンス・ミュージックと関わるようになるのでしょうか?

R:作りはじめたのは2002年。その前からDJはやってたんだけど、フルーティー・ループスのコピーを手に入れてから、それを使って音楽を作るのに中毒的にハマったんだ。15歳のときヒップホップが大好きだったからスクラッチの仕方やターンテーブルを勉強したくて、使い方を教えてくれる人を常に探してた。だけど、みんな幅広いダンス・ミュージックにハマっててさ。彼らが教えに俺の家にくる度ににそういった音楽のレコードをもってきてかけくれたんだ。だから、俺もダンス・ミュージックに興味を持つようになったわけさ。

お兄さんから作曲用音楽ソフトを貰い、お母さんのレコード・コレクションからいろいろ学んだそうですね。ミュージシャン、ラスティのレコードはあなたの家族のレコード棚にはあるのでしょうか?

R:そうなんだよ。親のレコードからも影響を受けてる。プログレッシヴ・ロックの影響なんかはそこからだね。俺のレコードは実家のレコード棚にあるよ(笑)。母親も気に入ってくれいてるよ。まだニュー・アルバムは聴かせてないんだけどね。

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 これは挑戦です。ロック・サウンドの実験です。よし、試しにやってみようじゃないか。そうだ、やってしまおう。飼い慣らされる前に、飛べ。
 化石となったロック・バンドを尻目に、しかし、バンド・サウンドにはまだ開拓の余地があるとオウガ・ユー・アスホールは考えています。彼らはマーケティングに支配された音楽シーンをささーと駆け抜けます。
 彼らはこの3年のあいだ、『homely』、『100年後』という2枚の重要なアルバムを残しました。それらの作品で、彼らは、細かく分解されたクラウトロックとAORの部品を新しく磨き、あらためて組み立てました。皮肉たっぷりの歌詞と甘美なサウンドで、彼らはリスナーをいろいろな場所に連れて行きました。そして、いまでも彼らはそのことを止めません。
 今年の10月15日、オウガ・ユー・アスホールは『homely』『100年後』に続くニュー・アルバムをリリースします。タイトルは『ペーパークラフト』。すでにライヴではお馴染みで、ele-kingの12インチ・シングルとしてリリースした「見えないルール」のオリジナル・ヴァージョンも収録されています。
 『ペーパークラフト』は、いままで以上に甘いアルバムです。同時に、毒々しくもあります。DJのENAのインタヴューでも話題にしていますが、いま「ノっているんだけど、醒めている」「興奮しているんだけど、冷ややか」な感覚がダンス・ミュージック、とくにUKのテクノの世界では急速に拡大しています。必要以上に上がりもしなければ、必要以上に絶望もしない。オウガ・ユー・アスホールがいま鳴らしている音は、そんなテクノの現在性とも重なっています。
 『ペーパークラフト』の初回限定版は、特別ボックス仕様で、カセットテープが付きます。セッションを録音した音源で、ダウンロードのナンバー入りです。

※10月2日、恵比寿リキッドルームにて、オウガ・ユー・アスホールのライヴあります。

LIQUIDROOM 10th ANNIVERSARY ele-king night
「オウガ・ユー・アスホールvs森は生きている」

■OPEN / START 18:00 / 19:00
■ADV ¥3,500(税込・ドリンクチャージ別)
■LINE UP OGRE YOU ASSHOLE/森は生きている
■TICKET チケットぴあ [232-675] ローソンチケット [79610] e+ ■INFO  LIQUIDROOM 03(5464)0800  


Syro - ele-king

 ひとつには、UKのテクノが面白くなっているという背景もあるのだろう。テセラ、アコード、ラッカー、アクトレス、アントールド、スペシャル・リクエスト、アンディ・ストット、ダムデイク・ステア……等々、そしてここにベテラン勢も加わると。
 もちろん、彼は変わってはいない。アルバム・タイトルの『Syro(サイロ)』、いつものロゴマーク、エイフェックス・ツインの音楽に意味はない。曲名から極力物語性をはぎ取ってきたのも、彼の特徴である。“ Analog Bubblebath”、“Xtal”、“Tha”、“Quoth”、“Quino - Phec”……『アンビエント・ワークスvol.2』では、唯一の既発曲である“Blue Calx”以外は、綺麗なまでに曲名がない。
 ご存じのように、公表されているアートワークには、曲名と制作費用の内訳、そして、リチャード・D・ジェイムスのバイオが掲載されているが、よく読めばわかるように、バイオはメチャメチャだ(笑)。アー写に関しては、いつものリチャード・D・ジェイムスといったところでしょう。

Spoon - ele-king

 この夏はヴィンセント・ムーンの作品集の爆音上映を観に行ったのだが、いかにこの映像作家が2000年代なかばから末にかけてのインディ・ロックの隆盛に彩りを添えていたかに感じ入ってしまった。彼が手がけた名シリーズ『ア・テイク・アウェイ・ショウズ』も一部上映されたが、町の雑踏、その喧騒のなかで活写されるミュージシャンたちの演奏姿は、たとえばカメラを持って街に飛び出したヌーヴェルヴァーグの作家たちの作品群さえも想起させた。それは「いま」音楽を演奏する様をいかに親密に、生々しく記録することができるかという実験が、ひとびとが生活するすぐそばでまさに演奏するという行為によって生命を得る瞬間を捕らえていたからだ。
 その膨大な『ア・テイク・アウェイ・ショウズ』のなかにはスプーンのヴァージョンも当然のようにあるのだが、ほかの多くのミュージシャンと違って室内での撮影となっていたことが興味深い。それは彼らの音楽が、つねにどこか密室的な様相を備えているからではないか。そんな彼らは同時代のインディ・シーンの重要なピースでありながら、どうにも浮いていたようにも感じられる。先ほどの喩えで言うならば、ヌーヴェルヴァーグ以降のロケの特性も当然知りながらスタジオ主義のよき伝統も忘れず、そこに現代的な文脈を与えることに腐心しているというか……スプーンは、時空を超えることのできるロックンロール・バンドだ。

 2010年の前作『トランスファレンス』はバンドの録音に対するこだわりを突き詰めたアルバムであり、この新作は前々作『ガ・ガ・ガ・ガ・ガ』のブルーズやR&Bに根差したソングライティングが戻ってきた作品だとの評判だ。が、タイトル・トラック“ゼイ・ウォント・マイ・ソウル”において、鉄線のようにソリッドなギターが左右のチャンネルに細かく分かれて飛び込んでくるソロ・シークエンスにゾクゾクせずにはいられないことを思うと、あるいは、“ノック・ノック・ノック”で不意に差し込まれる「無音」部分に思わず息を飲むと、やはりそのプロダクションの妙、その実験、その遊びこそバンドの魅力なのだと言いたくなる。そんなロック・バンドが他にどれだけいるだろう? ブリット・ダニエルのしゃがれ気味の声に象徴されているように、ともすればスプーンは男くさい色気を備えたブルージーなロックンロール・バンドだが、それが過去の遺産をなぞっているだけの存在に堕していないのは、紛れもなく彼らが出す音そのものが持つ暴力的なまでの迫力によるものである。録音物が再生されたときにだけ息づく生々しさ……スプーンはそれを思い出させてくれる。できるだけ集中できる環境で、できるだけ良い音が鳴る機材で、できるだけ大きな音で聴きたい。繰り返すが、そんなロック・ミュージックは稀有である。
 とはいえ、たしかに本作ではポップ度が増しているのも事実だ。キャッチーなイントロではじまる”ドゥ・ユー”は初期のパワー・ポップも思い出させる3分台のコンパクトなナンバーになっていて、『トランスファレンス』で目立っていたクラウト・ロック的反復の緊迫感とはかなり趣が違う。そのどちらもスプーンの魅力であるものの、本作はダンサブルな要素もかなり増しており、通して聴いているといい感じに肩の力が抜けてくる。このあたりは、下積み時代の長かったベテラン・バンドの余裕といったところだろう。デイヴ・フリッドマンというこちらもベテラン・プロデューサーの力も借りつつ、厚みのあるドリーム・ポップとなった”インサイド・アウト”など、ディープなナンバーにしても前作のような張りつめ方はない。

 ある意味で、『ゼイ・ウォント・マイ・ソウル』はもっとも親しみやすいスプーンのアルバムとなるのかもしれない。そう思うと抜きん出て愛おしくなってくるのは、初期の楽曲だというラストの“ニューヨーク・キッス”のダンサブルでチャーミングなロック・チューンだろうか。なぜなら、過去の時間軸を巧みに操りながらソウル、R&B、ブルーズ、パンク、クラウト・ロック、パブ・ロック……を行き来する熟練のバンドたるスプーンの飾らない姿がここに出現してしまっているからだ。「いまならわかる いつかなんてない」。スプーンは20年間、いま、この瞬間叩きつける音で誰かの耳と心を奪うことを欲望しつづけたのだ。

KAKU - ele-king

東京出身 アメリカ・ミシガン州在住のDJ/トラックメーカー 。
BUSHMINDの実兄。1990年頃からDJを始め、1997年アメリカに活動の場を移す。デトロイトの音楽シーンで活動する唯一の日本人として現地で数々のライブ、DJを行う。

KAKU / LIVE AT DETROIT 2000
2014/8/27 on sale
himcast.com

KAKUインタビュー
https://www.himcast.com/2014/08/kaku.html

Chart


1
Substance - CR 18

2
Deep Chord - DCV 08

3
Convextion - Matrix 1

4
Deep Chord - DCV 09

5
Brooks Mosher - Coming Back ( Kevin Reynolds Remix )

6
Echo Inspectors - Lunar Shadows ( Luke Hess Deep Labs Remix )

7
Mosaic - Mcspl 05

8
Bluetrain - Factory Dubs

9
Strange Attractor - Phono 01

10
Kevin Reynolds - Anonymous Room At The Corridor Of Last Night

『ブリングリング』 - ele-king

大金持ちの子どもたち やりたい放題
大金持ちの子どもたち 偽物の友だちしかいない
本物の愛 求めているのは本物の愛
フランク・オーシャン“スーパー・リッチ・キッズ”

 そう、『ブリングリング』はそんな話だ。その歌が使われていても不思議ではない。甘やかされて育ち、ぼんやりとした孤独と退屈があり、生活に困っているわけではなくて、そしてセレブリティの家に侵入して服や宝石を強盗する、そんな子どもたちがいたとして彼/彼女らだけに罪はないのだろうし、この時代になんとなく漂う行き止まり感を表象した映画だと言えるだろう。もう子どもたちは夢を見ていないし、強奪するにせよひと山当てるにせよカネを得ることは目的ですらなくなっている。映画のメインの舞台となるパリス・ヒルトンだかリンジー・ローハンだかのブランドものの服や靴が並ぶクローゼットは資本主義が召喚した虚無そのものだが、「キッズ」の居場所はそこにしかない(あるいは、そこにあるのだと思いたがっている)。そしてそこは、インターネットで検索すれば見つけることができるのだ。サウンドトラックの選曲のオシャレさには定評のあるソフィア・コッポラだが、本作ではなかなか先鋭的なセレクトになっているとはじめは思った。しかしながら、彼女はかつてエイフェックス・ツインの楽曲を使用していたが、それと同じことがテン年代の『ブリングリング』におけるOPNのダニエル・ロパティンとして反復されていると見なせばそう驚くことでもない。
 同じこと……。『スプリング・ブレイカーズ』における頭の弱い女子大生たちの春休みを美しいと思った僕が、『ブリングリング』におけるセレブリティ・カルチャーへの逃避をただ眺めてしまうのは、ソフィア・コッポラがどうも同じことを繰り返しているように見えるからだ。『ヴァージン・スーサイズ』(99)、『ロスト・イン・トランスレーション』(03)、『マリー・アントワネット』(06)……そこには、自分の居場所が何となく見つからないガールばかりがいなかったか。本作は、自分のからっぽの人生に呆然とする俳優をふんわりと描いた前作『SOMEWHERE』(10)を逆サイドから描いていると言え、そして気がつけばそれはシームレスに繋がっている。パソコンの画面のなかの華やかなセレブリティたちの世界と、そこに行けば何かが変わるかもしれないと憧れた子どもたちの世界、そのふたつにそのじつ大した違いはない(そのことは『ブリングリング』のラストで明らかになる)。その虚しさを繰り返すことがもしフランシス・フォード・コッポラという偉大すぎる父の娘として生まれたソフィアの宿命であるならば……彼女をかばいたいくもあるがしかし、それを何度も見るのは侘しいものだ。

 変わらないと言えば、ソフィア・コッポラの元夫であるスパイク・ジョーンズ『her/世界でひとつの彼女』もそうだった。siriのように話せば優しく答えてくれる人工知能との恋。と言われても、ここには生身の感情のやり取りや生々しい手ざわりはどこにもなく、それは『マルコヴィッチの穴』(99)でジョン・マルコヴィッチの脳内に入ってはじめて「世界」を感じることができたことととてもよく似ている。淡い映像で包まれた映画には切ない気分が終始漂っているが、触れれば血が噴き出すような傷は見つからない。
いや、『her』には人工知能のガールフレンドに対比させるように、現実世界の「ボクの思い通りにいかない女たち」もきちんと登場する。だが、それ以上にOSサマンサの柔らかい肯定感――ぬるま湯感と言おうか――がそれらをたやすく上から色づけして隠してしまう。パステル・カラーで。生身の官能がないセックス・シーンが強烈な皮肉だったらいいのだが、たぶんにここでは一種の「夢」として描かれている。それは避妊も性病予防も体液の交換もなく、面倒で気持ち悪いベトベトやネチネチのない、とてもクリーンで、後腐れのない性愛である。だが、そこにエクスタシーは本当に存在するのだろうか。

 気になるのは、『ブリングリング』も『her』もインターネット・その後が強く意識されていることだ。どちらの主人公たちも自分が許される場所を求めていて、そして無限に広がる情報の海のどこかにそれがあるのかもしれないとぼんやりと信じているようだ。回答を見つけるためではなく、見つけないために検索をかけ続けるかのようだ。すなわち、「居場所はない」のだという現実を。

 『ヴァージン・スーサイズ』や『マルコヴィッチの穴』の頃のトレンディな装いを引きずったまま、ソフィア・コッポラとスパイク・ジョーンズはここまで来てしまったのではないか……「この世界」を受け止めないままに。ということを考えたとき、強引であるのは承知した上で、同じく90年代から映像派として鳴らしたデヴィッド・フィンチャーを僕は補助線としたい。
 たとえば『セブン』(95)、たとえば『ファイト・クラブ』(99)はそれぞれ時代をえぐった傑作とされているが、僕はあくまで彼の最高傑作は『ゾディアック』(07)だと言い張ろう。それまで映画のなかにゲーム的世界を入れ子構造的に用意していた彼が、そこではじめて現実世界に向けてそのような遊戯を「諦めた」と言えるからだ。(それまでフィンチャーが題材にしてきたような)猟奇的事件は解決せず、謎に近づけば近づくほど関わった人間たちは自らの人生を狂わせ、ただひたすら無為に時間ばかりが過ぎていく……。確実にそこでフィンチャーは何かを掴んだ。そして、インターネットばりの更新速度でシェイクスピアをやったような……つまり古典的な物語がたしかに息づいていた『ソーシャル・ネットワーク』(10)では、結局ソーシャル・ネットワーク・サーヴィス上には「誰もいない」ことをあっさりと認めてしまっていた。しかしだからこそ、映画の終わりではロウなコミュニケーションの可能性が示唆されるのである。彼の新作『GONE GIRL(原題、14)』が、妻の失踪を機に人間性を疑われる男を描いていると聞けば、不可解で理不尽な現実を彼がいまでははっきりと見据えていることがわかる。

 切実な表現がいつも素晴らしいと言いたいわけではない。だが、フランク・オーシャンはその歌の正直さにおいて、「スーパー・リッチ・キッズ」を皮肉りながらも、たしかに本物の愛を求めていたのだとわかる。が、『ブリングリング』の子どもたちは……どうなのだろう。本当にこの歌がこの映画のサウンドトラックになるのだろうか? だが、僕はその答えを検索しようとは思わない。


『ブリングリング』予告編


『her/世界でひとつの彼女』予告編

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