「Nothing」と一致するもの

Groundislava - ele-king

 リドリー・スコットが『ブレードランナー』(1982年)を再映画化するという話はどうなっているのだろう。同監督の『エイリアン』(1979年)の前日譚だという『プロメテウス』(2012)を観たときに、いや、いまこの壮大なSFをやるんだったら『ブレードランナー』をやってしまえば思いっきりインなのに、と思った記憶がある。80年代をリアルタイムで知らない世代の、後追いの記憶によるいくぶんノスタルジックなリヴァイヴァルに、当時なら見事にハマったはずである。『プロメテウス』と同時に『ブレードランナー』を再見したのだが、そこには記憶にあったよりもずっと朗らかな近未来が描かれていた。キャッチーなディストピアとでも言おうか、『プロメテウス』の徒労感や空虚さに比べてよっぽど愉快なものに感じられたのだ。

 シュローモやバスとも交流があるLA拠点のプロデューサー、ヤスパー・パターソンによるプロジェクト、グラウンディスラヴァによるサード・アルバム『フローズン・スローン』はサイバーパンクの影響下にあるという。たしかに言われてみればタイトルからしていかにもだが、それで思い出したのがヴァンゲリスによる『ブレードランナー』のあの大仰なサウンドトラックである。24歳のパターソンにリアルタイムでの記憶はないだろう、が、いわゆる名作として幼少期に80年代SFに触れている可能性は大いにある。『フローズン・スローン』はおそらく、そのおぼろげな記憶とインターネット以降のビート・ミュージックの知識が合体したものである。
 はじめはいまの若いビート・メイカーらしく、多彩なリズムによる完成度の高さに耳を引かれた。基本ハウス・ビートが多いものの、“ターミネイト・アップリンク”でドラムンベースがさらっと出てくる辺り、語彙の豊富さを窺い知れる。が、それよりも耳に残るのはよく歌うメロディだ。それはゲスト・ヴォーカルのスムースな歌だけではなく、いやそれよりも、クセのあるシンセ。オープニングの“ガール・ビハインド・ザ・グラス”からして、メランコリックやアンニュイというよりは過剰にドラマティックに響くシンセ・サウンドは、なるほど音そのものよりもエモーションの込められ方が80年代シンセ・ポップを思わせる。前作『フィール・ミー』のバスが参加していた“スーサイド・ミッション”(……タイトルがいかにもバスだ)のようなナイーヴさよりも、全編にわたって参加しているレア・タイムスのヴォーカルによるアダルト感が前に出ていることもあるだろう、これまでよりもリヴァイヴァル感は強く、そして腰が砕けそうにキャッチーだ。ミニマルなハウス・トラック“オクトーバー パート2”のセクシーな歌と軽々しいシンセの絡みは華やかというかもはやチャラいが、だからこそ踊る足取りも軽くなる。いまの20代にとってディストピアはこの現実世界に探すよりも、80年代SFに見つけることのほうが愉しいことなのかもしれない。ラスト、“スティール・スカイ“は「鋼の空」という重々しいタイトルとは裏腹に、その空を突き破っていくような開放感に貫かれたハウスである。

KOHH - ele-king

 噂の発端は、2012年末から立てつづけにリリースされた、たった2枚のミックステープだった。全身にタトゥーを施し、ナンセンスでスキャンダラスなジョークをあっけらかんと口にする、まだあどけなさの残る若い男。インタヴューやリリックの端々には、実父との死別、母親の薬物中毒、生活保護、乱交的な性関係、犯罪や貧困といった、いわゆる「アンダークラス」的なバックグラウンドが見え隠れする。東京都北区王子の都営団地出身、弱冠24歳のKOHHは、東京のアンダーグラウンド・シーンにハイプを生み出すには格好のアイコンだった。

 だが、届けられたKOHH初のオリジナル・アルバムは、驚くほどストレートなものだ。国内外の気鋭のビートメイカー陣によるトラックは、USで隆盛を極めるトラップ・ミュージックの影響下にありながらも、独特のストイシズムを漂わせている。基調となっているのは濃いメランコリアと、ひどく率直なKOHHの心象スケッチ。言葉を憶えたての子どものような、一音一音はっきりと発語される日本語のライムは、どこか北野武の映画『HANA-BI』に登場する絵画──武がバイク事故後に描いたとされる、拙いが鮮烈な印象を残す奇妙な点描画──を思わせる。

 アルバムを通しての白眉は中盤、PVも制作された“貧乏なんて気にしない”。心臓の鼓動とピアノの旋律が絡み合う叙情的なビートに乗せて語られるのは、幼少時からKOHHを取り巻く「貧困」に対する、愛憎入り混じるアンビヴァレントな感情だ。iPhoneを片手にレコーディングするKOHHの姿、首都高沿いの車窓から覗く王子の夜景、タトゥーだらけの強面の男たちの人懐っこい笑顔が交錯するPVは、温かく感傷的な空気に満ちている。だが、「昔からみんなよく言ってる/お金よりも愛」という言葉に続くのは、「わからない」という逡巡の呟き。さらに、子ども時代の困窮と差別の記憶、それと裏返しの物質的な成功への渇望が描写される合間には、宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(「農民芸術概論」)を思わせるフレーズまで差し込まれる。周囲の喧噪への苛立ちと悪意、母親との初めてのドラッグ体験、身体改造への欲望、アシッド・トリップの果てのマルセル・デュシャンとの邂逅……これまで同様の危険なモティーフも健在だが、KOHHはここで間違いなく、より普遍的なテーマに向き合おうとしている。

 事実上のラスト・ナンバーは、胸の焦燥をなだめすかす夜風のような静謐なブルーのエレクトロニクスに乗せ、KOHHがそのハードワーキングな哲学を開示する“NO SLEEP”。そして、思わず笑ってしまうほど唐突に挿入されるボーナス・トラック的な“LOVE”の、少年漫画じみた底なしのポジティヴィティの渦に巻かれて、アルバムは幕を閉じる。これは、バブルの狂騒の記憶すら持たず、かつての繁栄がもたらしたハコモノの廃墟の片隅で、社会がミシミシと軋む音をBGMに育った新たな世代による、紛れもない、この世界への祝福だ。

 限りなく膨らむ子どもじみた欲望と夢、家族や仲間や恋人への愛情、それらを縁取る深いメランコリアの影と、果てない生命力。ここには、圧倒的な自由の感覚がある。目の前のグラスには指二本分の酒、灰皿にはマリファナ。iPhoneを震わせる女たちからの着信は無視。今日もまた眠らずに、遊ぶように働こう。産まれて、生きて、死ぬだけ。それでも、この世界は素晴らしい。眠る時間も惜しいほどに。濃い煙の陰影で描かれた心象スケッチが、たとえあなたから見て異形の装いを纏っていたとしても、そこに嘘はない。彼も、あなたと同じ、この世界の苦難を生き延びた者なのだ。


文:泉智

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 “Drugs”は、文字通りドラッグについての曲だが、Kohhのラップはとことん乾いている。はったりも、享楽も、酔いしれるセンチメントも感じさせない。ああ、なんて冷めた「Lucy in the Sky with Diamonds」だろう。ハードボイルドとも違う。まずもって、これは、昔からアメリカでよく引用されるチャック・Dの言葉「CNNのゲットー・ヴァージョン」の優れた一編である。昔、もし日本にブロンクスがあるとしたら、それは北区になるだろうと予言した人がいるって本当? 僕の前でレヴューを書いている泉智なる男(本サイトにこのアルバムを取りあげさせた何人かのうちのひとり)は、この作品について僕と語っているなかでディジー・ラスカルの名前を持ち出したが、そう言いたくなる気持ちも理解できる。

 それにしても、あの手この手でゴシップ好きまで巻き込んでおいて……、これか。お望み通りのKohhを見せつつも、『MONOCHROME』は返す刀で切る。トラップを意識したトラックもいま風でクールだが、僕にはKohhのラップ/リリックが興味深い。「もし俺が金持ちになっても誰かは貧乏/自分ひとりだけじゃなくって/いろんな人たちと幸せになるのが理想」という“I'm Dreaming”は、読み方によっては、「平等」なるコンセプトについての曲であり、社会を描こうとする日本の音楽がもっとトピックにしておかしくないはずの「金」についても向き合った曲だと言える。
 『MONOCHROME』にわかりやすいポリティクスが表現されているわけではない。しかし聴いていると、音楽は広がって、社会のいろいろな場面に突き刺さる。『Illmatic』を初めて聴いたアメリカ人の感動もこんなだったのではないだろうか。
 “No Sleep”は「自由」についての曲だ。「自由」──この、いまやもっともアンビヴァレントな響きの言葉、自由に生きたいとかの曖昧な「自由」、新自由主義の明確な「自由」、経済は自由で人間は不自由、自由は企業社会のもの……と、Kohhがこんなことを言っているわけではないが、僕の頭のなかではこのように意訳されうる曲が“No Sleep”である。Kohhが口にする「自由」には、「金」には、「ドラッグ」には、哀しみが漂っている。その哀しみは、感情のおもむくままに描かれたものではない。「貧困」という生々しい主題に立ち向かいながら、そこには距離感がある。都営団地での自らの経験を語りながら、ある種のストイシズムというか、何かに溺れている風ではない。

 たびたび描かれる母親との関係は、初期のエミネムのそれというよりも、やれやれと思いながらも断ち切れない「仲間」や「連れ」みたいなものに感じる。「親子」という関係性はひとまず終わり、生まれ変わっているようだ。「ママに吸わされた初めてのマリファナ」というフレーズを聴いて僕が思い出したのは、初めて欧州を旅した1991年、道中で知り合った青年のごくありふれていそうな家庭の、母親は吸って息子は吸わないという日常的なひとこま、である。こっちはやっぱすげーなーと印象深く残っている。が、もう変わったのだ。いろいろなことが。10年前に日本を出て行った人がいま日本に帰ってきてこのアルバムを聴いたら驚くだろう。なんて紹介しよう。彼は、格好いい服を着て、格好いいタトゥーを入れて、格好いい音楽をやっている若者だと、言うべき言葉を持っている若者だと、そう言ってあげよう。(thanx to MUTAI-KUN)

文:野田 努

interview with TOWA TEI - ele-king


TOWA TEI
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 テイ・トウワがニューヨークに渡った時代は、クラブ・カルチャーにとって、細分化をまだ知らなかったという意味では幸福な時代だった。ヒップホップはハウスと手を組んでいたし、どちらか片方だけを追求するオーディエンスもまだいなかった。UKジャングルなんていうのも、実を言えばヒップホップとハウスを両方聴いていた耳が作り出したもので、ヒップホップ(ブレイクビート)を45回転のプラス8でかけたら面白かったというわけだ。

 なんにせよこの原稿で重要なのは、テイ・トウワとは、そんな無邪気な時代の空気を思い切り吸って吐いていたひとりである、ということだ。
 1987年、ニューヨークに渡ってDJ活動をはじめると、彼はスーパー・ポップ・ハウス・グループのディー・ライトに参加している。1990年の「グルーヴ・イン・ザ・ハート」は、ナイトクラブでも街中でも、そしてお茶のでも流れた大ヒット曲だが(全米4位/全英2位)、このブレイクビート・ポップ・ハウスではブーツィー・コリンズがベースを弾いてQティップがラップをしている。メイシオ・パーカーはサックスを吹いている。ディー・ライトは、華やかで、デイジーな時代を象徴するポップ・アイコンだった。そして当時のテイ・トウワは、どこか別の惑星で売られているコミックの世界からやって来たかのような、ピカピカの青年だった。彼は輝いていた……いま輝いてないわけではないが、1990年の時点では最高に眩しいポップの住人のひとりだったのだ。

 今年2014年は、1994年に彼が最初のソロ・アルバム『フューチャー・リスニング!』を出してから20周年にあたる。ディー・ライトを脱退してからもテイ・トウワは順調にリリースを重ね、ソロ活動を展開している……と言っていいだろう、端から見ている分にはそう見える(人知れない葛藤や苦難があったと思うが、それを前面に出さないのがテイ・トウワでもある)。
 去る7月末には、彼の曲のベスト・リミックス・アルバム『94-14 REMIX』(いろんな人たちにリミックスされた楽曲のベスト盤)をリリース、9月には五木田智央のアートワークによるベスト・カヴァー集『94-14 COVERS』、そして同時にベスト・アルバム『94-14』をリリース。また、20周年を記念した対談集『HATACHI』も刊行した。

 筆者の10歳ほど年下の友人には、「グルーヴ・イン・ザ・ハート」のお陰で人生をクラブ・ミュージックに捧げてしまった人が少なくない。また、打ち込みをしている日本の人に話を聞くと、好きなプロデューサーでよく名前が挙がるひとりはテイ・トウワだ。ポップとアンダーグラウンドを股にかけるとはよく言われることだが、それを長年実践するのは容易なことではない。
 今回は、YMOチルドレンのひとりだった10代からNY時代、帰国後の東京から軽井沢への移住など、これまでの経歴をざっと回想してもらった。ダブル・ディー&ステンスキーの「レッスン1,2,3」の話など若い世代にはピンと来ないかもしれないが、他人曲を盗んで(カットアップして)新しいモノを創作するという、サンプリング・ミュージックの最初期のクラシックであり、いま聴いても名作なので、ぜひチェックして欲しい。 

ひとつ言えることは、ネガティヴがあってのポジティヴだと思うし、つらいことがあってのハッピーだと思うんです。人生がハッピーだけの人っていないと思うんだよね。絶対に陰影というか、光があるところには影がある。

初めてテイさんと取材で会ったのが、『サウンド・ミュージアム』(1997年)のときでしたね。ゲストがすごくて、ビズ・マーキーとかモス・デフとか、カイリー・ミノーグとか参加してて、リミキサーにはQティップもいて。この頃は、テイさんがドラムンベースを取り入れた時期でしたよね。

テイ・トウワ(以下、TT):“エヴリシング・ウィ・ドゥ・イズ・ミュージック”の1曲だけそうですね。

よく覚えているのが、ドラムンベースはハウス以来の衝撃だったと答えていたことです。

TT:そうです。それ以降は2ステップもちょっとハマりましたけど、ドラムンベースほどでもなかったです。自分のなかで2ステップはドラムンベースのテンポが違うものという認識でしたね。

実はテイさんって、2000年ぐらいの早い段階で、2ステップやUKガラージをやっているんですよね。

TT:早かったと思います。リファレンスがなかったので。

MJコールをリミキサーにしたりとかね。

TT:野田さんほどではないかもしれないですけど、そのときはクラブ・ミュージックのトレンドを先取りするアンテナが自分に生えていたんです。興味がなくなっちゃうのはそのあとですね。

そうですよね。

TT:「そうですよね」って言われてしんみりしちゃう人が多いと思うんですけど、全然僕はそんなことなくて(笑)。もっと積極的に……。

積極的に、20年間もコンスタントに作品を出されているじゃないですか(笑)。

TT:結果的にそう言われますね。

それはすごいことだと思いますよ。エイフェックス・ツインの新作も13年ぶりだったし……。テイさんは自分のなかでマンネリ化したり、煮詰まったりはしなかったんですか? 

TT:まだ何もやってはいないんですけど、小山田くんと砂原くんと一緒にOSTっていうプロジェクトを作ったんですよ。名前を決めてから2年くらい経っちゃったんですけど。
 その話が出たころ、砂原くんは何度作っても制作が終らないっていう時期でしたね。で、YMOの打ち上げで3人が一緒になることが多くて、「そういえば小山田くんも出してないよね」、「ていうか、このなかでテイさんが一番出してるよね」みたいな話になったんです。僕は彼らの音楽を聴きたかったから、では、どうしたらいいんだろうって考えたとき、3人でやればいいと、で、3曲くらい持ち寄ればEPにはなると。アルバムだったら何曲だろうって訊いたら、「6曲じゃないですか」って言うんですね(笑)。

少ない(笑)。

TT:それは初期のクラフトワークとかの話だろって(笑)! 「それこそコンピ気分で3人が3曲ずつ持ち寄れば立派なアルバムじゃん」という話をみんなでして。そのときには、3人でアルバムを作るということが心の支えになりましたね。

誰かの取材のときにその話聞きました。

TT:で、まりんはめでたく10年ぶりに『リミナル』(2011年)を出して、それ以降は活動が活発になりましたよね。ライヴもしているし、DJもやっている。この前、僕のパーティでやけにアゲアゲのDJがいるなって思ったら、まりんでした(笑)。
 いまはそんなに新作が聴きたい人っていないんですよ。エイフェックスにも興味はあったけど、13年もリリースがないと、どうしたのかなって不安に思いますよね。でも、この13年のあいだにエイフェックス・ツインのことを思い出したのは2回くらいしかなかったんじゃないかな(笑)。でも、こうやってみんな世代交代していくんですよ。それでいいと僕は思うんです。結論を言えば、誰かのために作っているわけじゃないし、自分が聴きたいから作っているのだから。

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その頃は、レッド・アラートが週末ラジオやっているのを知っていたので、毎週エアチェックをしていました。朝から晩までPファンクを聴いたり。学校にも行かずにレコード屋でダンクラとかPファンクを買って、ブレイクビーツものだとか、「レッスン 1-3」に入っているようなネタを全部集めたりとかね。


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テイさんの場合はもともと……。

TT:もともとは電通にいきたかったから(笑)。

はははは、最初はグラフィック・デザイナーになりたかったんですよね。10代の頃のヴィジョンとしては、音楽で生活するのは無理だろうからグラフィック・デザインをがんばろうっていう。でも、結果、音楽を頑張っちゃったっていう感じなんですよね。

TT:最近不定期でやっているMETAFIVEという僕とまりんと小山田くんとかがメンバーのバンドは、高橋幸宏さんがリーダーなんです。幸宏さんは僕より一回り上ですが、僕らよりも飯を食うし、酒を飲むし、スケジュールも埋まっているし。そういう特殊な人の影響で、僕やまりんは音楽に興味を持ってしまったから、幸宏さんはいつまでも追い越せない先輩だと思っていますね。

でもトーフ・ビーツみたいな若い世代からしてみれば、テイさんだってそういう存在だと思いますよ。まあ、今日は20周年記念取材なので昔のお話も訊いてみたいと思います。YMOで人生が変わったという話は有名ですけど、YMOからDJカルチャーへアプローチしたのはどういう流れなんですか?

TT:自然な流れだったんですよね。『HATACHI』のなかの五木田(智央)くんとの対談にもけっこう出ている話だと思いますが、ニューヨークに行った理由も美大だったんです。それまで短大に2年行ったけど、いろいろあって編入できなくて、ブラブラしていました。YMO周辺の〈MIDI〉の人たちからレコードを出さないかとオファーがあったけど、それも断ったり。ヴィジョンが描けなかったんです。
 そんなとき、親も「男が4年制を出てなくてどうすんだ?」って、お金を出してくれると言ってくれて、じゃあ海外行ってみるかと。最初なんとなくロンドンかニューヨークがいいんじゃないかと思いました。ロンドンにはホックニーがいるけど、ニューヨークに決めたのは、バスキア、ウォーホール、ラウシェンバーグとか好きな人が多かったからです。美大だったらそっちの方がいいのかなという軽いノリで決めました。

それが87年でしたっけ?

TT:そうですね。87年の2月に行きました。当時僕は少しヒップホップにかぶれていましたね。日本で、高木完ちゃんとか近田春夫さんがインクスティックとかで着ていたアディダスがカッコよくて、自分も持ってましたから。さらにコム・デ・ギャルソン着てみたいな(笑)。で、現地でエリックB&ラキムとかEPMDのライヴに行くと、日本人はぼくたち3人しかいない(笑)。
 その頃は、レッド・アラートが週末ラジオやっているのを知っていたので、毎週エアチェックをしていました。朝から晩までPファンクを聴いたり。学校にも行かずにレコード屋でダンクラとかPファンクを買って、ブレイクビーツものだとか、「レッスン 1-3」に入っているようなネタを全部集めたりとかね。
 ハウスにハマったのは、フランキー・ナックルズを見てからですね。あるときマントロニクスを見に行ったんだけど、フランキーもDJやっていて。まだ彼のことは知らなかったんですけど、すごい気になる曲があったからブースまで行って話しかけたんです。向こうからしたらかわいい東洋人だったろうし、フランキーはゲイだったから、「おいで〜」って呼ばれて、レコードをいろいろ見せてくれたんですね。それを一生懸命ナプキンにメモって帰りました(笑)。

ハウスとヒップホップが一緒だった時代、ハウスとヒップホップとのあいだに今みたいな溝がなかった時代ですよね。そこを往復していたという意味で、テイさんはすごく幸運だったと思いますよ。

TT:それぞれの頂点にいる人たちが、お互い毛嫌いしてやっているわけではなく、たとえばレッド・アラートが0時00分くらいで終ったら、トニー・ハンフリーズやフランキーとかに「お疲れ〜よろしくね〜」ってバトンタッチする。こういう感じのシーンを目の当たりにしてましたから。

いろいろあるなかで、とくに好きだったのは何ですか?

TT:最初はネタとか、ブレイクビーツにすごく興味を持ったんですよ。ダブル・ディー&スタンスキーの「Lesson 1-3」とか、グランドマスター・フラッシュの「ジ・アドヴェンチャー・オブ・グランドマスター・フラッシュ・オン・ザ・ウィールズ・オブ・スティール」(1981年)のネタをひとつずつ調べていったりとか。ちょっとオタク的なところがあったんです。コレクターとは違うんですけどね。コレクターって、イギリス盤とアメリカ盤があって、ちょっと番号が違うとか書体が違うだけで買ったりするけど、そういう感覚は僕にはない。聴ければいいんですよ。

ネタを知ったときの喜びってありますよね(笑)。

TT:DJして、汗をかくときって、曲を作っているときと違って速弾き感がないというか、筋肉の動きが見えないというか。ちょっと逸れちゃうかもしれないんですけど、ハウスにいたってはレーベルの色や書体だったり幾何学模様だったりで覚えていたけど。デトロイト・テクノも金色のレーベルとかで覚えてたり。そこにヴィジュアルがついたのがディー・ライトだったんじゃないですかね。

はっきり言って、ディー・ライトで人生を間違えた友だちは多いですよ(笑)。

TT:そうですか(笑)。

それまでポップスしか聴いてなかったのに、あれを聴いたおかげでハウスが好きになっちゃったっていう。

TT:そのころ自分たちはハウスのなかにどっぷり浸かっていたものの、ディー・ライトの3人のなかで僕だけがヒップホップのネイティヴ・タンのところを出入りしていたりとか。ブーツィーとやれたらいいよねって思っていたしね。実現出来てラッキーだったし、それがいい時代だったとか言うと「死ね」とか言われそうだけど(笑)。でも本当にそう思うんですよ。

はははは。テイさんはディー・ライトで大成功して、ポップのスターダムというと嫌かもしれないけれど、そういう高い場所までいってしまいましたからね(笑)。

TT:嫌じゃないですよ! それをやろうと思ってエグザイルの格好で踊っている人たちがいっぱいいるわけじゃないですか。そう思ってもないのに経験できたわけですから(笑)。

でも、結果、活動に疲弊して日本に帰ってきたということは、アメリカの音楽業界の派手な部分と同時に、業界の嫌な部分も全部見たわけですよね?

TT:そうですね。当時全米ナンバーワンのポルノ女優の……

はて?

TT:名前が出てこない……宇川君だったら即答するような……

誰でしょう?

TT:トレイシー・ローズ!

ああ!

TT:そうだ、トレイシー・ローズ。彼女が家に来ましたからね。マネージャーと一緒にデモテープを持って。そのときは何て答えればいいのかわからなかったですが(笑)。

何歳のときだったんですか?

TT:ディー・ライトのときに26歳だったので、27歳とかですかね。そのときはもう、他のメンバーはツアーに出かけて、僕は「やーめた」ってなって。メンバーやマネージャーに「トウワはひとりでプロダクションをどんどんやりなさい」って言われても、できなかった時期です。トレイシーさんにも会ったけど、デモテープを貰っただけで何もやらなかったですし。他にも夢のようなオファーはあったんですけど、ひとつもやらなかった。
 そのころ、立花ハジメさんとちょっと知り合いだったんですけど、立花さんからある日、ロスでディーヴォと会ってきたって連絡があって、その流れでニューヨークで会うことになったんです。それまでそんなに仲良くなかったんですけど(笑)。で、そのときに“バンビ”っていう曲を作ったんですけど、契約上僕は曲を出せなかったんですね。ソロはワーナー・エレクトラとの契約だったので。結局、クレジットは、「プロデュースド・バイ・ハジメ&トウワでいいです」ってなったんですけど。
 ソロになって最初に仕事をしたのは、坂本龍一さんと立花さんなんです。教授に手伝ってと言われたときは「僕にそんなことできるかよ」って思ったけれど、教授にしても、立花さんにしても、ふたりを通してぼくはシーンを知ったようなものだから、がんばって仕事を引き受けようと思いました。でも、ディスコグラフィーを見るとわかるんですが、そのころは全然作品を作ってないんですよ。いま思うと、当時は元気じゃなかったかも。

帰国直前ですよね?

TT:そうですね。『フューチャー・リスニング!』(1994年)の前ですね。このアルバムを作ることによってだいぶ治ったというか。『フューチャー・リスニング!』は全部ニューヨークで作りました。日本盤は94年に出たのかな。帰国したのは95年ですね。

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その引っ越しのときにいろいろ捨てたものもあったんですよ。10時にこれから飲み会やるよって言われても行けないわけですから。子供が生まれた95年くらいから朝方になったり。とにかく、軽井沢はやっぱり大きいです。


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『フューチャー・リスニング!』は、その年の海外メディアの年間ベストに選ばれていましたね。それにしても、日本で活動している人からしたら海外に出たいっていう声も多いんだと思うんですけど、テイさんに場合はそこが逆ですよね。最初に海外で成功してしまって、それでむしろ……

TT:たとえばNOKKOちゃんは日本ではスーパー・アイドルだったけど、ニューヨークではまだデビュー前で、彼女が作品を出すときとか僕が手伝ったりしててね。そうこうしてるうちに、ゲイシャガールズの話もきたり。だんだん日本からオファーが来るようになって。で、しかも日本からのオファーはわりと好きにやらせてもらえたんです。それで面白くなってきたときに、奥さんが妊娠して日本に帰るっていうから、僕も帰ることにしました。息子が4月に日本で生まれる直前のことですね

気が付いたら音楽家になっていた感じですか?

TT:はっきり覚えていますけど、87年の秋からDJで食っていました。その年の2月にニューヨークへ行って、10月か11月にレギュラーDJになったんです。その時期は密度が濃かったかもな。最初は英語の学校に行ってて、その次に美大に行くんですけど。とにかく、DJになりたくて……。
 で、作ったミックステープを渡したのが、DJのディミトリとアマンダって人で、そうしたらディミトリが会おうって連絡をくれました。こういうバンド(ディー・ライト)やっているから手伝って欲しいと。そして、クラブをやっているから来いよって言ってくれたり。
 面白いのが、ディミトリがそのクラブでプレイ中、トイレに行くからって、僕がDJを代わったんですよ。そうしたら、彼がなかなか帰ってこなかったんです。でも、僕は「楽しいな〜」って、そう思いながら、時間を忘れてDJを続けていた。そうしたら、「来週から来てくれるかな?」ってなったんです。「いいとも」って答えました(笑)。
 その後、ディミトリは〈レッド・ゾーン〉という新しいクラブへ行くことになって、僕は〈40ワース〉というところでDJをはじめました。そのあとよく通っていた、〈ネルス〉というクラブでも金曜と土曜にDJをするようになった。88年の1年はずっとDJです。たまにおいしい話がきて、「ビッグ・オーディオ・ダイナマイトが前座のDJ探しているからやれやれ」って言われて(笑)。まぁ、声がかかる程度の町の人気DJにはなっていたんでしょうね。日本でいうとダイシ・ダンスくらいには(笑)。

はははは。テイさんって挫折ないでしょ? どん底を味わったこととか。

TT:いっぱいありますよ。言わないだけで、挫折の毎日です。そこは自分のポリティクスだと思ってますね。それは、ディー・ライトで培ったことかもしれない。

テイさんの音楽にはダブステップのような暗いものがないですよね?

TT:暗いものも好きなんですけど、作るとなるとそれを何回も聴かなきゃいけないでしょう。ディー・ライトをやる前は暗い曲が多かったと思いますよ。手癖でやるとマイナー調の暗い曲が増えちゃうんですけど、ディー・ライトは少なくとも、意識的にネガティヴな要素を排除して、楽しいことを増やしていたわけですから。

90年ぐらいですか、ディー・ライトやデ・ラ・ソウルは、サマー・オブ・ラヴのヴィジュアル・アイコンにもなりましたよね。

TT:それは戦略的だったのではなくて、時代の空気だったし、ネガティヴあってのポジティヴだと思っていたので。デ・ラにはプリンス・ポールがいたし、僕ら3人には、苦労とか嫌なことがあったなかで学んだ「ポジティヴなことにもっとフォーカスしていけば、ポジティヴが広がるんじゃないか」的なポリティクスというか、哲学がありました。そのあとずいぶんとネガティヴなことを連中に言われましたけどね(笑)。

内側ではいろいろあったんでしょうね(笑)。

TT:はっきり言って、有名にはあまりなりたくないんですよ。

それはどういうような意味ですか?

TT:いつ何ときもフルチンで露天風呂に入っていたいですからね。幸宏さんとか別に入らないからね(笑)。

はははは。

TT:タイコ・クラブのときは入ってましたよ。「テイくん、お風呂どうだった?」って尋ねてきた、「悪くないですよ! でも幸宏さんが入る感じじゃ……」って答えたんです。そうしたら、あとから小声でボソッと「いいお湯だった」っておっしゃってました(笑)。 
 僕は美大でマーシャル・マクルーハンの『メディア・イズ・マッサージ』も勉強していたんですが、「露出」することがいいわけでもないんです。ブームは終っちゃうと思うし、情報過多になったら飽きられちゃう。人気が緩やかに右肩上がりでも、世のなかに普通に露出してたら、「人気ないね、最近」となっちゃう。そういう緩急というか、プライベートをお金に換金するひともいると思うけど。

消費のされ方ですよね。テイさんはそこもコントロールしようとしているんですか?

TT:コントロールというか、サヴァイヴ術ですよね。ジャングルのなかで明日の飲み水どうしよう。なくなる前に葉っぱに水滴貯めとこうとか。

やはり恐怖を感じます?

TT:それはディー・ライトでさんざん味わったから。恐ろしかったですよ(笑)。

それは、自分たちが違うものになっていく感じですか?

TT:オフの日に買い物にいったら、ジープに乗ったヒップホップな奴らがディー・ライトを歌いながら近づいてきたりして、路地裏に逃げたこともありました。ヘア・メイクの人にロン毛のカツラを貸してもらったりとか。いつ軟禁されるかわからなかったというか、ノイローゼだったと思います。エグザイルみたいにダンス教室に通っていたわけじゃないから、ああいうふうになりたいっていうヴィジョンがなかったんです(笑)。ただ手伝うよって言ったのが、いきなり有名になっちゃったわけだから、やっぱり戻れないし。ただ、自分の音楽がもっと有名になってほしいし、もっとなってもいいとは思います。

たとえば、2000年に出た「マーズ」を聴くと、ほとんどが2ステップ・ガラージなんです。でも、UKのシーンはそこからよりダークな方向へいきます。だからテイさんは、そこから離れたのかなと思いました。2005年の『フラッシュ』を聴くと、「マーズ」のころとはまったく違う方向性の作品になっているじゃないですか?

TT:そのころは正直、ダブステップのシーンのことはよくわかっていなかったですね。ただ、僕の方向転換の理由のひとつを言うと、2000年の引っ越しですよ。初めて田舎に住んでみて……。それは絶対に大きいと思います。

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3.11っていうのはみんなに降り掛かった悲劇だし、試練だと思っています……。毎日国会の前でデモをするっていうスタンスもあると思うし、急にいままで以上に政治に興味や不信感を持った人もいると思うんですよ。僕もそうです。けれど、結局は、自分がいまやれることをやるしかないだろうというところに帰結するんです。


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軽井沢ですよね。いろいろ田舎があるなかで、なぜ軽井沢に住もうと思ったんですか?

TT:温泉がいつくかある。車で40分いけば、日本最高峰の万座と草津がある。あと、自然。家の窓からほとんど緑しか見えないです。たまに来る人の別荘の明かりとかが少し見えたりするくらい。南側はいまのところ建物はないですね。そういうところで音楽がやりたくて引っ越したんですが、「こんな天気がいい日に打ち込みをするやつはバカだ!」って思うようになりました(笑)。
 けど、その引っ越しのときにいろいろ捨てたものもあったんですよ。10時にこれから飲み会やるよって言われても行けないわけですから。子供が生まれた95年くらいから朝方になったり。とにかく、軽井沢はやっぱり大きいです。東京にいるときも、しょっちゅうサウナにも行ってましたし、たぶん僕は水が好きなんです(笑)。水派です。サウナとか、温泉とか、プールとか。五木田くんから昨日メールがあって、「テイさんと僕の共通項はYMO、胃潰瘍、温泉だということがよくわかりました」と言ってました(笑)。
 トレンドのダンス・ミュージックのフォームは、もはや自分が熱くなれるものではなかったんです。それまでは、ハウス、ヒップホップがあって、ドラムンベースがあって2ステップがあって。で、エレクトロニカもあった。マウス・オン・マーズとか惹かれたんですよ。惹かれたものの、フランキーやレッド・アラートのDJほど熱くなることはその後なかったんですね。エレクトロニカは僕にとっては内省的過ぎたし、メディアがすごいって言う理由もそこまでわからなかった。「ただ複雑なだけじゃん」っていう、違和感もありました。で、自分なりにエレクトロニカのテクスチャーを吸収して、それをポップスに解釈したいと思ったのがスウィート・ロボットだったんじゃないですかね。
 実は、マウス・オン・マーズのところまで行って、教えてもらったりしたこともあったんです。プログラムの使い方も教えてもらったんですけど、すごくバギーだし、肩が凝る。で、軽井沢に引っ越して、ミックスをやろうとしたら「あれ、違うな?」と思ったんです。02年に完成するまですごく時間がかかった。できた瞬間に、もうやめようと思って、プログラムのリアクターとか、それを動かすために使っていた黒いマックブックとか全部捨てました。そこからアナログ楽器を出してきて、ノブをいじったりして、音楽の作り方を昔に戻したんです。別にノスタルジックになったわけではないですけど。答えになってましたか(笑)?

半分以上になってました(笑)。なんにせよ、DJってナイトライフ文化だから、軽井沢行くとなると決心がいりますよね。

TT:日本に帰ってきたときのほうが大きな決断だったんですけどね。ほとんどのクラブに顔パスで入れるし、ニューヨークにいたときのほうが、クラブという意味ではセレブだったかもしれない(笑)。いや、日本でセレブっていうと槇原敬之くんとかをいうのかな(笑)?

はははは。ニューヨーク時代があったからこそ成し遂げられたことを教えてください。

TT:一番大きかったことのひとつは、クラブです。クラブの黎明期にはディスコがあったけれど、もっと、音楽で体がビリビリ揺れるものとして、ヒップホップもハウスもあったんです。ヒップホップには言葉遊びという違う次元もあるけれど、広い意味での音響系というか、クラブ・ミュージックにどっぷりでしたね。YMOもポップスという形を借りながら、音響系をやっていた先駆者だったと思うんですけど、あまりにも好きすぎて、そのころは、いったんYMOから離れているんです。

テイさんがYMO以外に衝撃を受けたものはなんですか?

TT:だから、ニューヨークで聴いた音楽全部ですよ。

クラフトワークにはいかなかったんですか?

TT:クラフトワークもYMOと同じくらい好きでしたよ。

でもYMOなんですよね?

TT:YMOのが先、でしたね。これは自慢話なんですけど、YMOがクラフトワークと飲みいくときに、小山田くんと僕を誘ってくれたんです。僕はラルフの隣に座って、で、話しているうちに、誰かが僕を元ディー・ライトだって紹介したら、「おー!」っていう声が上がって。そしたらメンバーのひとりが「俺はディー・ライトのプロモーターやってた」って言ってきました(笑)。

(笑)

TT:それで思い出したんです。ドイツの高いタワーでディー・ライトがライヴをやったときにすごく揺れて、一回演奏を止めてお客さんに踊らないでくれって言ったのは俺だって(笑)。地震みたいで怖かったので、僕もそのライヴのことをよく覚えていました。そのときの彼はインディペンデントのプロモーターだったから、「ディー・ライトを売ったのは俺だ!」くらいな勢いでしたよ。で、その話をしたら、ラルフもディー・ライトのライヴを見ていてくれたことがわかったんです。
 その飲み会で嬉しかったのが「ジャパニーズ・ファイネスト・アーティストのTOWA TEIとコーネリアスだ」って、教授が紹介してくれたことです。教授に褒めてもらったことは、デモテープ以来かもしれないな。

テイさんは、『フラッシュ』以降、「ラッキー」、「サニー」みたいな明るい単語をタイトルに持ってきています。そこは意識しているんですか?

TT:意識していないと言葉もメロディも出てこないんじゃないんですか?

やっぱりそこは、軽井沢に引っ越してからの活動を説明する上では、的確な言葉なんですね?

TT:ひとつ言えることは、ネガティヴがあってのポジティヴだと思うし、つらいことがあってのハッピーだと思うんです。人生がハッピーだけの人っていないと思うんだよね。絶対に陰影というか、光があるところには影がある。影があるから光にフォーカスしたいというか。そういう意味で3.11っていうのはみんなに降り掛かった悲劇だし、試練だと思っています……。毎日国会の前でデモをするっていうスタンスもあると思うし、急に今まで以上に政治に興味や不信感を持った人もいると思うんですよ。僕もそうです。けれど、結局は、自分がいまやれることをやるしかないだろうというところに帰結するんです。そうなると、言霊としてキャッチーな「サニー」とか「ハッピー」とか「ラッキー」とか、そういう言葉よりも強い言葉が見当たらないというか。昔はいろいろひねっていたけど、いまはそうはせず、出てきたものを使っているっていう感じです。

それは、円熟に向かっているから言える言葉じゃないですか?

TT:いやいや、老成(笑)? 26歳ではじめたときに、ゴールド・ディスクを取って、グリーン・カードを取れて、税金をたくさん払ったアメリカで取りあえずやっとこうと思いました。30歳とか40歳のときは何もヴィジョンがなかったんですよね。子供ができたらできたで帰ってきたし。帰ってもどうにかなるかと思っていたら、どうにかなった。だから表現として、日々あった嫌なことや怒りをツイートしたりとかっていうタイプではないということですかね。

ツィッターの世界も、相手を叩き潰そうとヤッキになっている感じが見えたり、変な人も多いし。

TT:「テイ・トウワのアルバム、ぼちぼちだったな」でもなんでもいいですよ、好きに言えば。僕は作り続けるだけで、ネガティヴは無視(笑)ポジティヴ返しだなと思う。人の悪口を匿名でパブリックに書いたりしても、それを発信しているのは自分なんだから、それ全部本人に返ってきますよ。宇宙の法則です。 

90年代という10年間はテイさんにとってどんな10年間でしたか?

TT:音楽として印象に残っているのは、ミュージシャン同士がコラボレーションしたり、ファッション・ブランドとミュージシャンが一緒にやったりする文化というか。リミックスみたいに「ゼロからやらずに、あるものの上に乗っかていく発想が大事だぜ」みたいな。

なるほど。さっき言っていたサンプリングみたいな話ですね。

TT:サンプリングにしてみても、どうサンプリングして最後にどうやってフィルターをかけるかとか、どうチョップするかでセンスが出ますからね。そこで僕が一貫しているのは、自分なりのモラルでやって、必要なところでシンセを使うっていうことを繰り返しているんです。自分は作る側なので、作った本人も気付かないだろうなっていうサンプリングに自信があります。だから、サンプリングされていることに気が付いてもそんな使われ方ならば俺だったら喜ぶな、みたいな勝手な解釈があります。
 90年にデビューして95年に日本に帰ってきているので、10年が真っ二つに分かれているんですけど。20代にしてみても、22歳から30歳までニューヨークにいたので、いずれにしてもだいぶ昔のことですね。元気で体力もあるときにニューヨークに行けてラッキーだったと思います。いま行けって言われても行けないですからね。
 それにニューヨークに美味しい漬け物なんてないですよ。これだけ美味しい和食が世界のどこでも食べられるようになったらいいですね。漬け物は真っ黄色なきゅうりだったり、たくわんだったりするので、日本は住みやすいなと思います。

Foxes in Fiction - ele-king

 ドリーム・ポップとされる音楽がだんだんと苦手になってきている。いや、嫌いではない。いまも折に触れて若い世代のそれらのバンドは聴くし、彼らの源泉にあるとされるコクトー・ツインズやディス・モータル・コイルといったバンド、あるいはその後輩にあたる90年代に人気を獲得したラッシュ(ミキちゃんエマちゃんの方)などは当時から大好きだった。もっともそのころはドリーム・ポップなんて言い方はまだなかったわけだが、その幽玄の美を讃える幻想的なサウンドは、カッチリとしたプロダクションで形成されるポップスのマジョリティへのカウンターとして重要な役目を果たしていたからだ。オブスキュアな演奏で、アレンジ面でも極端なヴァリエイションがなかったとはいえ、メロディを軸にしたコンポジションがしっかりとしていたのも武器となっていたわけし、ティム・バックリィやビッグ・スターといったアーティストを再評価する先鞭をつけたのもこの第一世代だった。

 しかしながら、結論を先に書いてしまうと、ここに届いたフォクシーズ・イン・フィクションのニュー・アルバムは、おそらく今回もドリーム・ポップとして語られることだろうが、久々にカウンターとしての役割、離れた世代の音楽との繋ぎ役などいくつもの複合的なファクターを持った作品だと感じる。

 初来日時に取材で話を聞いたディアハンターのブラッドフォード・コックスは、シューゲイザーやドリーム・ポップと言われる音楽が表面的な心地良さ、快楽で聴かれることに抵抗を示していた。いわく、エスケーピズムとされる感覚がシューゲイザーやドリーム・ポップの根底にあるとしても、一体どこからどこへ逃避するのかをしっかり提示しないといけないのではないか、と。それについてはもう全面的に同意するところで、轟音やノイズに包まれていても、そこを歌詞と演奏で明確にカタチにしているからこそディアハンターは魅力的なのだし、このフォクシーズ・イン・フィクションの新作からもその意識が伝わってくるのが何よりいい。もちろん、ただいたずらに気持ち良い音楽があってもいいんだけども、ぼんやりしていたり、崩れ落ちそうだったり、煙にまかれそうだったりする音楽には、音作りの現場での哲学や思想が、ぶっとい柱のように鎮座してもらっていた方が絶対におもしろいと思うのだ。それこそ、心地よいクセにアクのつよいブライアン・イーノの作品のように。

 そこで、このフォクシーズ・イン・フィクションの新作『オンタリオ・ゴシック』に注目してみると、まず今作最大のトピックはオーウェン・パレットがストリング・アレンジで全面参加をしているということだろう。もともとこのフォクシーズ・イン・フィクションは、カナダはトロント出身で現在はブルックリンに拠点を置くウォーレン・ヒルデブランドが15歳の頃にサンプル・コラージュ・プロジェクトとしてスタートさせたユニット。2010年に、まずはダウンロード販売され、その後、〈ムードガジェット(Moodgadget)〉から発売されたファースト・アルバム『スワング・フロム・ザ・ブランシェズ(Swung From the Branches)』で注目を集めたこのフォクシーズ・イン・フィクションだが、当時それほど愛聴するに至らなかったのは音作りの焦点が絞れていないように感じたからだ。コラージュという手法からヒントを得た音の歪みを心地よい響きへと昇華させるアイデアはたしかに興味深かったが、まだメソッドから得られる感触にのみ終始している印象もあった。だがこの2作めは、オーウェンが手がけた壮大なストリングスがクラシカルな音の広がりを見事に讃えているばかりか、怪奇的とさえ言える頽廃様式美にしっかりと寄り添った仕上がりに導かれている。たとえばそれは、スティーヴン・キング、フィッツ=ジェイムズ・オブライエン、そしてもちろんエドガー・アラン・ポーといった小説家たちの作品の持つダーク・ロマンティシズムに近いかもしれない。女性ヴォーカルを多く配した曲自体は、一聴すると、儚い美しさや幻覚的な快感をオーウェンのストリングスによって見事に表現してはいる。その意味ではオーケストラル・ポップの新しい動きとみることもできるだろう。

 だが、それ以上に、病や死をモチーフにした超絶主義に根ざした作品のようにさえ感じるのだ。聞けば今作、16歳で亡くなったというウォーレンの弟の喪失感に向き合いながら、徐々に立ち直っていくプロセスを一つのテーマにしているのだという。こうしたゴシック的喪失感をこれまでルー・リードやティムとジェフ・バックリィ親子、ジョニー・キャッシュら多くのアーティストたちが漆黒の悲しみを孕ませて作品にしてきた。本作はそういう意味では、サウンド的には異なるためやや乱暴かもしれないが、それらダーク・ロマンティシズムの潮流で聴かれるべき作品なのではないかと思うのだが、どうだろうか。

Back To Chill 〜8th Anniversary〜 - ele-king

 ことダブステップのシーンにおいて、アニヴァーサリーはかなりブチ上がるものとされている。10月に来日するデジタル・ミスティックズの〈dmz〉では、ブリクストンにある会場前には長蛇の列ができ(チケットはいまだに5ポンドである!)、ヴィヴェックの〈システム・ミュージック〉もチケットと限定Tシャツがネットで即ソールド・アウトするという事態だ。アニヴァーサリーでしか体験できないセットとメンツのために、ひとびとが集まることはシーンが健全な証拠である。
 前回の〈バック・トゥ・チル〉100回記念も素晴らしかった。平日木曜だったにも関わらず、フロアには踊る人、揺れる人、叫ぶ人、じつに多彩なサポーターたちが集結。個人的にとても印象に残っているのが、中心人物のゴス・トラッドとパーティ開始時からのレジデントDJである100madoとのB2Bでのクラシック・セットである。あらためて過去の作品を聴くと発見が必ずある。曲の良さの再発見もそうなのだが、なんだかんだ、みんなローファー、ディスタンス、スクリームが大好きなのだ(終止叫んでライターを灯し、一番前で知らない人と肩を組んで踊っていたのは僕です)。
 さて、そんなバック・トゥ・チルだが今年はなんと記念パーティが2回もあり、きたる9月22日は8周年アニヴァーサリーだ。今回のプログラムもレジデントとゲストによるB2Bをメインに予定している! 今秋にはパーティ史上初のコンピレーション・アルバムの発売(噂によるとかなりのビッグ・ネームも参加予定!)と、それに伴いレーベル〈バック・トゥ・チル〉の始動も発表された。つまり、パーティのクルーたちは現在、ノリにノっている状態なのである。
 ゴス・トラッドは初の南米ツアーとクロアチアで開催された〈アウトルック・フェスティヴァル〉から戻ってきたばかりで、世界を通過したセットがどんなものなのか、身をもって体験することができるだろう。
 先日、本誌でもインタヴューを行なったエナはもうすぐ海外ツアーに旅立ってしまうので、9月に彼のプレイを見られるのは最後かもしれない。当日はなんとゴス・トラッドとエナのB2Bが披露される予定! セカンド・アルバム『バイノーラル』が10月27日に発売されるというし、先行EPも視聴できるので要チェックだ。

ENA - Dirt EP - Samurai Horo

 8年間〈バック・トゥ・チル〉を支えてきた100madoのプレイも見逃せない。最近、UKダブステップ界の最重要ホープとダブのやり取りがあったらしい。どんなセットをCITY1とのB2Bを披露するのか期待がふくらむ! 先月の〈バック・トゥ・チル〉での100madoのプレイ音源はここからダウンロードできるので、予習してくるのもいいでしょう。うれしいセット・リスト付き!(https://100mado.info/post/96455798464/2014-08-07-btc-100mado-djmix

https://100mado.com/audio/100mado_20140807_BTC.mp3
100mado - DJ mix - 100mado 2014.08.07 - BTC

 ほかにもダブトロとヘルクトラムのB2Bがあったり、D.J.フルトノが大坂から参戦したり、ゴス・トラッドとムロチンのユニットであるバーサーカーのライヴがあったりと、かなりユニークでスペシャルな内容になっている。サウンド・システムも最高ですよ! 祝日前! ガン・ファイヤー!

■Back To Chill -8th Anniversary-
2014年9月22日(月・祝日前)
23:00 開演
会場:club asia
入場料:
DOOR:3000yen WF:2000yen GIRLS:1000yen 
ADV(前売りチケット)2000yen

出演:
Main Floor:
GOTH-TRAD
D.J.Fulltono (Booty Tune)
BERSERKER [LIVE]
100MADO
ENA
DUBTRO
CITY1
Helktram
π

Visual :
DBKN

2nd floor:
"Hangover vs Topology"
----------------------------
[Hangover]
KEN
SHIGE
SATOSHI

[Topolozy]
H Shiratori
Tack
Lynne
----------------------------
メメ
yuitty

1F FLOOR:
dahama
もんだいがい
pripri
kurara
and more,,,

Back To Chill 公式サイト
https://backtochill.com/

club asia 公式サイト
https://www.clubasia.co.jp/


Chihei Hatakeyama - ele-king

 ここ数年、日本のアンビエント・シーンはエレクトロニカ以降の世代によって大きな潮流が作られている。その音楽性は海外のそれとはやや違い、「穏やかな時間=日常性」を礎としつつ、しかし不意に聴き手の心と耳の深い所に作用する穏やかな強さを持っていたように思える。日常性と静寂と鎮静の音響音楽。その意味で、いまやアンビエントやドローンを実験音楽というカテゴリーに封じ込めることはできない。アンビエントは、私たちの生活の傍らにある音楽になったのである。
 畠山地平は、その新しいアンビエント・シーンにおいて、極めて重要なアーティストだ。彼はデジタル/アナログの機材を駆使し、美しくも穏やかな音の層を生成する。そして、その音には深い沈静作用がある。

 まず、畠山地平の経歴を簡単におさらいしておこう。彼は2006年にファースト・アルバム『ミニマ・モラリア』を名門〈クランキー〉から発表する。以降、2008年に〈マジック・ブック・レコーズ〉から『ザ・シークレット・ディスタンス・オブ・トーチカ』を、2009年に〈ルーム40〉から『サウンター』を、2010年に〈ホーム・ノーマル〉から『ア・ロング・ジャニュアリー』を、2011年に〈ルーム40〉から『ミラー』を、2012年に〈ホーム・ノーマル〉からアスナとの共作『スケール・コンポジションズ』リリースするなど、国内外のレーベルで数多くのアルバムを発表してきた。さらに2011年にはヨーロッパ10箇所をまわるツアーを敢行し、あのティム・ヘッカーなどとも競演。その名は海外のアンビエント・ファンに知られている。

 すでに豊富なキャリアを誇る畠山は、現在ドローン/アンビエント・シーンの旗手ともいえる音楽家だが、自らのキャリアに固執することなく、伊達伯欣(イルハ)とのデュオ、オピトープではエレクトロ・アコースティック、ヴォーカリストの佐立努とのルイス・ナヌークではフォーク・ミュージックを奏でるなど、ジャンルやフォームを越境していく活動を繰り広げている。また、レーベル〈ホワイト・パディ・マウンテン〉を自ら主宰し、自身のアルバムや、マシーンファブリック、アスナ、シェリングなど国内外のアーティストの作品をリリース。アンビエント・リスナーから絶大な支持を得ているのである。

 その畠山地平、待望の新作が発表された。もちろん、〈ホワイト・パディ・マウンテン〉からのリリースである。その名も『ウィンター・ストーム』。まさに「冬」の音楽である。全71分の大作だ。この作品は本当に素晴らしい。アルバムを再生したその瞬間から、その音世界に一気に吸い込まれていく。絹のような音の持続、大らかな旋律、繊細なサウンド・レイヤー。耳の肌理に触れるかのような柔らかい音。全4曲、どの曲も一級の工芸品のように細部まで磨きあげられているのだ。

 〈マーマーレコード代官山〉のクロージングパーティーで演奏された1曲め“ドント・アスク・ホワット”の降り積もる雪のような素晴らしさ。澄んだ空気のごとく透明なアンビンエトの2曲め“ウィンドウ・トゥ・ザ・パスト”の繊細さ。畠山地平がトルコを旅したときの雪の記憶とリディア王国へのイマジネーションを結晶させた3曲め“リディア”の慎ましやかな雄大さ。2014年2月に東京に降った大雪の記憶から生まれた4曲め“ウィンター・ストーム”の美しさ。まさに「冬のイマジネーション・アンビエンス/アンビエント」とでもいうべき作品に仕上がっているのである。
 個人的には1曲め“ドント・アスク・ホワット”の冬の温度を視覚的に思い出すような大らかなメロディアス・ドローンに惹かれた。また4曲め“ウィンター・ストーム”は、繊細なサウンド・レイヤーと嵐のようなノイズの蠢きから生まれる音響の美しさに惚れぼれとしてしまった。

 ドローン・サウンドの中にゆったりと大らかな旋律が浮かび上がり鳴り響く。それが人の心を鎮静させる。近年、これほどまでに沈静効果のある音楽も稀ではないか。かといって「癒し」のような表面的な音楽性ではない。心と体の深いところに効くアンビエント音響=音楽なのだ。その意味で本作の穏やかさは、本質的な強さを持っているようにも思える。
 このアルバムには、才能溢れる音楽家が感じている/生きている時間=記憶の豊穣さが、見事に圧縮されている。そして私たちが彼の楽曲を聴く=効くというのは、その豊かな時間を、耳と心に解凍していく大切なひとときになるだろう。
畠山地平の音響/音楽は、聴き手の記憶の風景や時間を、ゆっくりと解凍してくれるのだ。あのときの風景。あのときの季節。あのときの空気。あのときの雪。あのときの冬。そのときの記憶。そしてまたあのときの風景。円環する時間。巡り来る季節。大らかさ、静けさ。繊細さ。柔らかさ。鎮静。音響的結晶。アンビエント/ドローン。ブライアン・イーノによるアンビエント・ミュージックの提唱から36年もの月日が流れ、これほどまでに心に効くアンビエント・ミュージックが誕生したことへの驚き。

ともあれ、秋から冬というメランコリックな季節に、じっくり耳を傾けたいアンビエント作品である。さあ、柔らかい音の層に包まれて、71分の「記憶」の旅にでかけよう。

RAVE TRAVELLER - ele-king


清野栄一『RAVE TRAVELLER - 踊る旅人【デジタルリマスター版】』
太田出版

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 都ホテル東京のドアを開けた時、ロラン・ガルニエは机に置いたノートパソコに向かい、その日の夜にプレイする曲をCD-ROMに焼いている最中だった。フランスに生まれ、1980年代から今までずっと第一線で活躍し続けている、テクノ界の生き字引のようなDJのひとりだった。
 そのガルニエが、2004年に出版した四百ページもある半生記とでもいうべき『エレクトロ・ショック』(翻訳は2006年・河出書房新社)を読んで、まさにショックを受けた僕は、興奮も冷めやらぬうちに、監修者の野田努氏と翻訳者のアレックス・プラット……パリ生まれで日本育ちの彼もまた世界各地でDJをしている……の仲介で、この本、『Rave Traveller』を抱え“てガルニエの元を訪ねたのだ。
 ビデオカメラをまわしながら『エレクトロ・ショック』の話を口にするなり、「あれは自分で書いたわけじゃないよ」とガルニエは言った。

 「インタビュアに喋りまくった話を、編集者がまとめてくれたのさ」

 1988年の9月……イギリスのマンチェスターからフランスに戻ったガルニエが本格的にDJをはじめた時、僕はちょうどパリに住みはじめたばかりだった。パラスやレックスやロコモーティブといったクラブの、革命前夜のように発狂していたダンスフロア! ……忘れもしない。今でもありありと脳裏に蘇ってくる。『エレクトロ・ショック』を読みながら、僕は自分が書いた『Rave Traveller』と重ね合わせずにはいられなかった。
 ホテルの部屋を訪ねた僕に向かって、ガルニエは、「いちばん大事なのは、こいつだ!」と言いながら、自分の胸元のあたり片手でたたいてみせた。ハート、ソウル、エナジー……そこにどんな言葉をあてはめてみてもよかったはずだ。ガルニエは僕に続けた。

 「テクノもハウスも、とっくの昔に音楽の一ジャンルになってしまった。今の若い連中は、テクノが好きならテクノしか聴こうともしない。でもいいか? 俺がジミー・ヘンドリックスをかけようが、古いアシッド・ハウスをかけようが、最新のテクノをかけようが、ダンスフロアにはオープンハートなパーティのヴァイブレーションが流れてるんだよ!」

 『エレクトロ・ショック』の中でガルニエはこう語っている。

 「テクノはたしかに前世紀の最後の音楽革命だった、しかしそれも15年前の話だ……現在はひとつのサイクルの終わりに来ている。もはや未来の音楽ではない。新しい勢いを見つけるために、自らを新しい他の音楽に解放して、ふたたび自らを発見していかなければならない」
 「存在のために変わる。さらに変化する。新しいサイクルをはじめる」

 最後のページには短い一行が記されていた。

 「パーティは続く」

 僕が『Rave Traveller』を書いてから、もう20年近くがたった。はじめてパリのクラブで踊った時から数えると、30年近くが過ぎようとしている。
 20世紀と21世紀の境目をまたぐその間に、世界情勢や経済や文化は加速度的な変化をとげた。複雑怪奇な金融工学と、ソーシャル・ネットワーキングと、携帯電話やスマートフォンが、グローバリゼーションと表裏一体の金融ショックや、世界じゅうで多発する民主化革命や、紛争やテロや報復を引き起こした。60年代にアンディ・ウォーホルが「誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」と予言した未来を、追い越そうとしている。テクノに限らず、「ひとつのサイクルの終わり」が来ないわけがない。でも、ガルニエの言葉を借りれば、これだけは断言できる。
 
 「それでもまだ、パーティは続いている」

 僕がこの本を書こうと思い立った頃、日本語で読めるダンス・カルチャー関連の本といえば、『クラブ・ミュージックの文化誌』(野田努編・JICC出版局)だけだった。それから約2年間にまたがる旅行の後に、半年たらずで書きあげたこの本の読者の多くは、自分と同年代のパーティ・ピープルやトラヴェラーといった人たちだった。いや、そう思い込んでいただけなのかもしれない。

 僕が記憶している限り、最初の書評は社会学者の毛利嘉孝氏によるもので、この本は現代のオン・ザ・ロードでありセリーヌの旅する物語である、といった内容の一文が記されていた。僕の作家としての未来を暗示するかのように。
 同じ年にハキム・ベイの『TAZ──一時的自律ゾーン』(インパクト出版会)が出版されると、『Rave Traveller』とともに論じた書評が雑誌に掲載された。僕が書いた旅の物語は、文化研究(カルチュラル・スタディーズ)の文脈からも読まれるようになったのだ。やがて研究会や大学に招かれ、レイヴ・カルチャーについて人前で喋ることになるとは思いもしなかった。2005年には、その第一人者とでもいうべき研究者だった(とあえて過去形で書いておくが)上野俊哉氏が、『アーバン・トライバル・スタディーズ ─ パーティ、クラブ文化の社会学』(月曜社)を出版した。

 やがて僕は、『Rave Traveller』と相前後して書き続けてきた一連の小説を「ロード・ノヴェル」と名付け、『デッドエンド・スカイ』をはじめとする何冊かの本を出版した。その一方で、自分でもDJをして、パーティを開くようになり、実にたくさんの人と出会った。時には、見知らぬ若者から「あの本を読んで自分も旅に出ました」と言われていささか複雑な思いにとらわれたり、「卒論の参考文献にした」という大学生と出くわして驚いたり、本にサインを求められて、「ほんとうに著者なんですか?」と言われ免許証を見せたりしたこともあった。

 『Rave Traveller』は著者である自分自身にとっても、一連のロード・ノヴェルの最初の一冊になった、という以上の、もっと重要な問題をはらんでいた。僕はこの本の中で、ガルニエが胸に手を当てながら言おうとしたこと……パーティのダンスフロアで感じた、体の芯から湧きあがり、あふれでてくる「何ものか」について、ジョルジュ・バタイユや井筒俊彦の著作を引用しながら説明を試みている。
 今思えば、この本を書いていなければ、バタイユの『内的体験』や井筒の『意識と本質』を、体をともなった体験を通して読み返してみることなどなかったはずだ。その新たな「出会い」は、長い時を経て、今の自分が小説家として書き続けている作品の本質的な部分へとつながっている。

 こうして、僕は今でも作家でありながら、パーティでDJやライヴを続けている。そして、ふとした瞬間に、ホテルの部屋で胸元に手をあてていたガルニエの姿や、この本の冒頭でも引用したセリーヌの言葉を思い出すのだ。つい先月も、そんなことがあった。僕はこの本を書いていた頃に知り合った友人が主催するパーティに招かれ、凍えるように寒い真夜中にDJをして、やがてダンスフロアで朝を迎えた。

 「僕たちは、またこうして、お互いに、しっかりと生きてきたことを、確かめ会うのだ。」(『夜の果ての旅』生田耕作訳・中央公論社)

 この本を書きはじめたのはちょうど、日本で野外のレイヴ・パーティがはじまった頃だった。『Rave Traveller』という題名は最初から決まっていたが、出版するにあたって、英語だけでは意味が伝わらないだろうということになり、「踊る旅人」という日本語の副題をつけ加えた。やがて、レイヴやトラヴェラーという言葉を、僕は説明もなしに原稿の中で使うようになった。そして、20年後にこうして原稿を書きながら感じるのは、バブルが崩壊し、「失われた十年」と呼ばれた90年代の日本で、噴火のように涌き起こった、熱狂するダンス・ミュージックとレイヴ・パーティへのなつかしさのようなものだ。パリのダンスフロアではじめてそれを感じた80年代の末が、やがて「セカンド・サマー・オブ・ラヴ」と呼ばれたのと同じように。

 『Rave Traveller』は、そのダンスフロアでひたすら踊りながら、ダンス・ミュージックやレイヴ・カルチャーとは何なのか? を探求し続けた、めくるめく旅の物語なのだ。そして、僕がはじめて出会った真の写真家であり、生涯の友となったジェフリー・ジョンソンの、深く研ぎ澄まされたまなざしの記憶でもある。
 今回の「デジタルリマスター版」の製作にあたり、僕とジェフは書籍にはなかった写真を新たにつけ加えることにした。厖大なフィルムの中から200枚もの写真を選ぶうちに、一冊の写真集にも匹敵する作品ができあがった。パーティや旅というものが、常に過ぎ去ってゆく「今ここ」の連続であるならば、これほどの瞬間を切り取って写真におさめ、ひとつのまとまった作品ができたのは驚くべきことだ。僕とジェフは、20年前に出版した本の冒頭に、それらの写真をまとめて挿入することにした。

 踊り、そして書き綴ること。旅をして、写し撮ること。その果てで交錯する言葉とまなざしが、この本に、旅行記や小説のような物語として、あるいは文化研究のテクストとして、そして90年代のストリート・カルチャーを写した作品として、長年にわたり読み継がれてきた多面性を与えている。そして、まだ20代だった僕とジェフが、あの時にしか成し得なかった、何ものにもかえ難いかけがえのなさが、この本を他に類のない独得な作品にしている。

 それはとりもなおさず、今なお脈々と続いているダンス・ミュージックやレイヴ・カルチャーが持ち続けてきた多面性であり、パーティで朝の太陽がのぼってくる時の、あの何とも言い難い、ありありと迫り、そして過ぎ去ってゆく、今ここにある世界と、それを感じ、生きている、自己と他者そのものなのだ。

■清野栄一
『RAVE TRAVELLER - 踊る旅人【デジタルリマスター版】』

太田出版 Amazon



Arca - ele-king

 エイフェックス・ツイン、フライング・ロータスの新作リリースで、すでに「文化の秋」なんてのんきに言ってもいられないシーズンの到来ですが、もうひとりのビッグ・ネームが追加された。アルカの新作『ゼン(Xen)』が10月29日に発売される。リリースもとは、なんと先日ニュー・オーダーとまさかの契約を果たした〈ミュート・レコード〉!(いや、これ自体すごい話なんですけど)

 ニューヨークからロンドンに移り住んだこの24歳ベネズエラ出身の男は、カニエ・ウェストの『イーザス』(2013年)への参加でメジャーに媚びることなく、イギリスのアンダーグラウンドに漂着した。
前作『&&&&&』(2013年 / 〈ヒッポス・イン・タンクス〉)は、ヤバい音楽に出会ったときに使う言葉がいくらあっても足りない作品だった。5月の来日公演も素晴らしかったですね

 「『これが僕自身だよ』と自信を持って言える初めての作品」とアルカが語るように、『ゼン』はリスナーに容赦しないものになっている。アルバムに先駆けて公開された「シーバリー」の彼のルーツであるカリビアン・サウンドとねじ曲げられたシンセサイザーは、容易に説明できないアルカ自身を体現しているようだ。

Arca – Thievery – Mute Records (2014)


 あの一度見たら文字通りトラウマになる映像を作ったジェシー・カンダが今回もジャケットを担当している。ジェシーは14歳のときにオンラインのアート・コミュニティーでアルカと出会い、現在も活動をともにしている。2013年にアルカがプロデュースしたFKAツイッグスの『LP 1』のデザインもジェシーの仕事だ。
 生と死の狭間にいる人間の姿を絵がいているようなアート・ワークは、今作のジャケットにおいても健在である。当初、情報が回ってきたときはジャケットにはモザイクがかけられていたが、最終版では女性の形をどうにか保っている物体が表れた。
 前作を聴き、「未来はノックもせずにやってくるのか」と言ったのは竹内正太朗だが、『ゼン』の日本盤ライナー・ノーツを担当した彼が今作に何を思ったのかも要チェック! 日本先行発売!


Amazon Tower

Arca
『Xen』


2014年10月29日日本先行発売(海外は11月3日)
全16曲(うちボーナス・トラック1曲)
定価:2100円(税抜)
Mute Records / Traffic
TRCP-178

トラック・リスト
1. Now You Know
2. Held Apart
3. Xen
4. Sad Bitch
5. Sisters
6. Slit Thru
7. Failed
8. Family Violence
9. Thievery
10. Lonely Thugg
11. Fish
12. Wound
13. Bullet Chained
14. Tongue
15. Promise
+ボーナス・トラック

Arca
アルカ(ARCA)ことアレハンドロ・ゲルシ(Alejandro Ghersi)はベネズエラ出身の24歳。現在はロンドン在住。2012年にNYのレーベルUNOよりリリースされた『Baron Libre』、『Stretch 1』と『Stretch 2』のEP三部作、2013年に自主リリースされたミックステープ『&&&&&』は、世界中で話題となる。2013年、カニエ・ウェストの『イールズ』に5曲参加(プロデュース:4曲 / プログラミング:1曲)。またアルカのヴィジュアル面は全てヴィジュアル・コラボレーターのジェシー・カンダによるもので、2013年、MoMA現代美術館でのアルカの『&&&&&』を映像化した作品上映は大きな話題を呼んだ。FKAツイッグスのプロデューサーとしても名高く、『EP2』(2013年)、デビュー・アルバム『LP1』(2014年)をプロデュース、またそのヴィジュアルをジェシー・カンダが担当した。2014年、契約争奪戦の上MUTEと契約し、10月デビュー・アルバム『ゼン』 (“Xen”)をリリース。

LITTLE TEMPO - ele-king

 秋と言えば祭りの季節、祭といえば、カリブ海のリディムを中央線に衝突させて、得意な前向きさを創出したリトル・テンポだ。東京におけるポートベル・ロードと呼ばれる国立経由の、ご機嫌で、いかしたバンドだ。
 そのリトル・テンポがプロデュースする恒例のライブ企画、「ワイワイ祭り」と「レジェンドシリーズ」が合体!『ワイワイレジェンド祭り』と題して開催されることが決定した。リトテンが、親交のあるゲスト・ミュージシャンを招き、絶対ここでしか見ることができない、一夜限りのスペシャル・セッションを繰り広げる!
 
 今回のゲスト陣は、リトテンのリーダー土生"TICO"剛がハナレグミのアルバム「だれそかれそ」に参加したことが縁でハナレグミの出演が決定。
 また、そのハナレグミも参加したカヴァー・アルバム『青春レゲエ・パート2』を7月にリリースしたTico & icchieの市原"icchie"大資(exデタミネーションズ)も出演。レジェンドとして、80年代、伝説的なイベント「東京ソイソース」で活躍したexトマトスの松竹谷清も参加。
 さらにレゲエ Sax奏者、西内徹を迎えて、豪華3管編成のライブ・アレンジでお披露目する!
 まさに歌って踊って楽しい、純度100%の音楽祭りとなること請け合いだ。毎度々オーディエンスを、ノッティングヒル・カーニヴァル的享楽と金魚すくい、ええじゃないか的馬鹿騒ぎへとビッグバンさせる、その最高のグルーヴに包まれる至福の時を、是非この機会に体感してほしい!!

LITTLE TEMPO 『ワイワイレジェンド祭り』
"リトル・テンポのワイワイ祭りとレジェンドシリーズが合体! 消費増税反対!"

出演: LITTLE TEMPO 
https://www.littletempo.com/jp/top.html

ゲスト:
ハナレグミ (Vocal, Guitar) https://www.laughin.co.jp/hanare/
松竹谷清 (Vocal, Guitar) https://d.hatena.ne.jp/matsutakeya/
市原"icchie"大資 (Trombone) https://www.busrecords.net/icchie/i_top.html
西内徹 (Tenor Sax, Flute) https://ja-jp.facebook.com/techaaan.sax

渋谷クラブクアトロ https://www.club-quattro.com/shibuya/
9月18日(木)  開場:18:30 / 開演:19:30

料金:
前売り券:¥3,800 / 当日券:¥4,300
*整理番号付/ドリンク別

チケット販売中:
・チケットぴあ:Tel: 0570-02-9999 [Pコード:239-545]
・ローソンチケット:Tel: 0570-084-003 [Lコード:78462]
・e+(イープラス): https://eplus.jp

お問合せ:渋谷クラブクアトロ
・Tel: 03-3477-8750
https://www.club-quattro.com/shibuya/

企画制作:Sunshine Records
協力:P-Vine Records


■LITTLE TEMPO
スティールパンの光の音! 太陽の様なサウンド! 夏を呼び込むダブ・パラダイス! 
レゲエを軸に据え、ライブ現場で鍛えながら独自の音楽を営み続ける気さくで愛すべき9人の野郎共。スティールパン、ペダル・スティール・ギターのきらめくメロディ、絡むサックスと鍵盤はメロウかつフリーキーに、そして多幸感をエスカレートさせる重低音リディム・セクション、それらを四次元に実体化するダブワイズの炸裂! 最高のグルーヴでオーディエンスをええじゃないか的馬鹿騒ぎ大宴会へとビッグバンさせる事はもうご存じの通り。そんなフェスには欠かせないお馴染みのバンド、リトル・テンポ。
メンバー公認による初のベストアルバム3枚組『Golden Deluxe』が只今発売中!
https://www.littletempo.com/jp/top.html

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■ハナレグミ
永積 崇(1974年11月27日、東京生まれ)。

高校2年の頃よりアコースティック・ギターで弾き語りをはじめる。1997年、SUPER BUTTER DOG でメジャー・デビュー。
2002年5月、”永積タカシ”名義で、はっぴいえんどのトリビュート・アルバム『HAPPY END PARADE?tribute toはっぴいえんど?』に参加。同年、夏よりバンドと併行して、ハナレグミ名義でひっそりとソロ活動をスタート。同年10月、1stシングル『家族の風景』、11月には1stアルバム『音タイム』をリリース。 ギター片手に単身、全国のライヴ・ハウスを廻る。
2004年、2ndアルバム『日々のあわ』をリリース。全国ツアーはNHKホールを含む全公演がソールドアウト。
2005年、完全自宅録音による3rdアルバム『帰ってから、歌いたくなってもいいようにと思ったのだ。』をリリース。夏にはSUPER BUTTER DOGの代表曲をタイトルにした竹中直人氏監督映画「サヨナラCOLOR」が公開となり、エンディング・テーマとして忌野清志郎氏とのデュエットも披露している他、サントラも担当する。 同年9月、初のベスト・アルバムをリリース。その10日後の9月24日に東京・小金井公園にてワンマン・フリー・ライヴ『hana-uta fes.』を開催。台風の影響による大雨から一時は開催自体が危ぶまれたものの、なんと2万人もの観衆が会場に集結。予想以上の大成功を納めた。
2009年、シングル「光と影」・アルバム『あいのわ』をリリース。4年半ぶりとなる全国ツアーでは12公演を遂行し、ファイナルの日本武道館では約1万人の観客を圧倒するステージを披露した。
2010年3月「TOUR あいのわ「タカシにはその器はないんじゃないかしら…」と母は言ったのであった。@日本武道館」をリリース。10月には全国Zeppツアーを遂行。
2011年は、FUJI ROCK FESTIVAL’11/GREEN STAGEをはじめ、RISING SUN ROCK FESTIVAL 2011 in EZOへは大トリとして出演、ARABAKI ROCK FEST.11では初日のトリとして多彩なゲストを迎えセッションを披露するなど各地の観衆を魅了した。9月に5thアルバム「オアシス」をリリース、2012年1月からは全国ツアー「TOUR オアシス」を開催。 現在、サントリー「角ハイボール」のCMソングとして、ハナレグミによる「ウイスキーが、お好きでしょ」がオンエア。
2013年5月には、時代を越えて歌い継がれる12の名曲を、多彩なゲストミュージシャンを迎えてレコーディングしたハナレグミにとって初となる待望のカバーアルバム『だれそかれそ』をリリース。
2014年1月29日には、茂木欣一(スカパラ/FISHMANS)、加藤隆志(スカパラ/LOSALIOS)、柏原譲(FISHMANS/Polaris/OTOUTA)の3人によるバンドSo many tearsと各地180分を超える熱演を繰り広げた伝説のツアーのライブ盤、ハナレグミ・So many tears『どこまでいくの実況録音145分』をリリース。
その深く温かい声と抜群の歌唱力を持って多くのファンから熱い支持を得ている。
https://www.laughin.co.jp/hanare/

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■松竹谷清 
1957年、北海道・札幌市生まれ。80年代から90年代初頭に掛けて”TOMATOS”のリーダーとして活躍。メンバーには、じゃがたらのNABE CHANG(Bass)、EBBY(Guitar)やミュート・ビートの松永孝義(Bass)、今井秀行(Drums)らが在籍。TOMATOSは、80年代にじゃがたら、ミュート・ビート、S-KENと共にTokyo Soy Souceというライブ・イベントを企画、シリーズ化して、それまでの日本のロックとはまた違った新たな音楽シーンを作った。彼らの活動がベースにあった上で、後にリトル・テンポやフィッシュマンズが生まれたといっても過言ではない。又88年には、スカの創始者ローランド・アルフォンの初来日公演 "Roland Alphonso meets Mute Beat"でサポート・ギタリストとして参加、後世に語り継がれる感動のライブとなった。その後、ローランド・アルフォンとは2枚のアルバム『ROLAND ALPHONSO meets GOOD BAITES with ピアニカ前田 at WACKIES NEW JERSEY』、『Summer Place』を一緒に作り、リリースした。
近年は、"吾妻光良&The Swinging Boppers"、“西内徹バンド”、“松永孝義”のアルバム等に参加。その天真爛漫な存在感、ブラック・ミュージックの粋なエッセンスを日本語に置き換えた唄は、キャリアと共により味わい深さを増している。
https://d.hatena.ne.jp/matsutakeya/

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■市原大資 (icchie)
1990年代から関西で音楽のキャリアをスタート。京都のFUNKバンド"UNIT-4"、大阪のオーセンティックSKAバンド "DETERMINATIONS"のトランペッター、DUBバンド"BUSH OF GHOSTS"のリーダーを経てソロ活動を開始。また、キーボード奏者YOSSYとのYOSSY LITTLE NOISE WEAVERも始動。RICO RODRIGUEZ、EDDIE TANTAN HORNTON、Cool Wise Man、U-ROY 、STRANGER COLE、LITTLE TEMPO、PRINCE BUSTER、DENNIS BOVEL、mama!milk、ハナレグミ、CARAVANなど多くの音楽家と共演、サポート。
https://www.busrecords.net/icchie/i_top.html

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■西内徹
レゲエのフィールドを中心に数多くのライブ、レコーディング・セッションに参加しているサキソフォン&フルート奏者。2012年リリースのファースト・アルバム「西内徹バンド」につづき、今年はそのダブ盤、「西内徹DUB」をリリース。合言葉は「やまんです!」
https://ja-jp.facebook.com/techaaan.sax

BioMechanica JAPAN TOUR 2014 - ele-king

 30年以上におよびスペインのアンダーグラウンド・ミュージック・シーンの最前線で活躍しているふたりのミュージシャン、アルトゥーロ・ランス(Esplendor Geometrico)とフランシスコ・ロペスによる最新ユニット「BioMechanica(バイオメカニカ)」が10月に初来日公演をおこないます。

 アルトゥーロ・ランスといえば、スペイン初のインディ・バンド、エスプレンドー・ジオメトリコの創設メンバーとして、1980年代の初頭から直球インダストリアル・サウンドを作り続けるノイズ界の重鎮。日本にも過去4回の来日公演を行っており、D.A.F.のロベルト・ゲアルやピーター・クリストファーソン(ex.スロッビング・グリッスル)、CoH(a.k.a.イワン・パブロフ)との共演や、日本が誇るキング・オブ・ノイズ、非常階段とのコラボレーション「E.G.階段」も実現している。
 一方のフランシスコ・ロペスは、四半世紀にわたり140タイトル以上の作品をリリースし、数十カ国にもおよぶツアーをこなす孤高のエレクトロ・ミュージシャン。古くから目ざとい音楽ファンからは注目されていながら、その実態が謎に包まれた人物として知られていた。現在ロペスはスペインではなくオランダのデン・ハーグを拠点に活動を行っているという。
 ランスとロペスは30年以上に渡って親交があったが、共作としては2012年に結成したバイオメカニカが初めて。エレクトロ・シーンの進化/深化をリアルタイムで過ごした彼らが生み出すサウンドは、その名のとおり有機的な息吹を宿した機械の律動音であり唯一無二のアンビエント・ノイズだ。パワフルでアグレッシヴなランスのセンスと、術策的で繊細なロペスのアレンジが生み出すサウンドは実験とテクノの融合であるが、時にその姿勢は聴衆に対して挑発的だ。
 なお日本公演の会場限定で『Japan Tour Remix』と題されたCDの販売も予定されているので、彼らのスタジオ・ワークもぜひその耳で確かめてほしい。
 今回のツアーでは大阪出身の話題のバンドGEZANとの共演であり、大阪ではさらにオシリペンペンズも参戦。エモーショナルな日本勢のバンドとバイオメカニカの有機的インダストリアル・サウンドとの異色のコンビネーションをお見逃しなく。(小柳カヲル)

総合インフォメーション:https://suezan.com/Bio/


Arturo Lanz (Esplendor Geometrico) + Francisco Lopez from SPAIN


10/6 Mon
西麻布 新世界 https://shinsekai9.jp
BioMechanica / GEZAN

10/7 Tue
大阪心斎橋 CONPASS https://conpass.jp
BioMechanica / GEZAN / オシリペンペンズ

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