「Nothing」と一致するもの

トム・アット・ザ・ファーム - ele-king

 わたしたちは眩い才能が開花する瞬間に立ち会っている。グザヴィエ・ドランの話だ。1989年生まれ……25歳。初監督作は19歳のときに撮られた。わたしたち日本の観客の多くが彼の映画にはじめて出会ったのは長編3作め『わたしはロランス』だったが、それは、ある日「女になる」ことを決めた青年が痛切に愛を求めて彷徨する姿が鮮烈で幻惑的なイメージと甘いポップ・ミュージックに彩られつつ描き出されたもので、観る者の胸を激しくかき乱したのだった。そこにはたしかに狂おしい若さと、それを飛翔させるだけの大胆さと詩情があった。ゲイであることを公言しているこのハンサムな青年は、すでにアイコニックな存在として――「神童」などと言われながら――未来を嘱望されている。



 ドランの4作めとなる『トム・アット・ザ・ファーム』は、自身が脚本・主演・編集を務めながらも、彼のこれまでの作風とやや距離を置く心理スリラーだ。ジャンル映画と言ってもいい。しかもミシェル・マルク・ブシャールの戯曲を基にしているため、はじめて他者の原作に由来する物語を扱っており、結果としてこれまでのやや過剰なセンチメントは抑えられ、非常に醒めた一本となっている。そして、驚くほどに明確に「同性愛者として生きること」がどういうことかを突き放してえぐり出している。
 戯曲を下敷きにしているため舞台はほぼ田舎の農場に限定されている。ドラン本人演じる主人公トムは、交通事故で喪った同性の恋人ギヨームの葬儀に出席するため彼の故郷の農場を訪れるが、ギヨームは生前、母に自分の存在を隠していた。事情を知るギヨームの兄・フランシスに「母に真実を語るな」と脅され、やがてトムはフランシスからの暴力に晒されるようになっていく……。ブシャールの戯曲には序文で「同性愛者は、愛し方を学ぶ前に、嘘のつき方を覚える」と書いているそうだが、まったくもってその通りで、恋人ギヨームが自分の存在を隠していたことにトムは傷つくが、そのこと自体は別段驚くことではない。カミングアウトを受け入れない土壌が根強く残っていることは、日本で暮らしていればじゅうぶん理解できることだ。
 この物語で問題となっているのは、トムと恋人の乱暴な兄・フランシスとの関係だ。「真実を告げる」と言うトムに、フランシスは物理的な暴力で「黙らせる」。ここでのフランシスはホモフォビアの表象である……たしかにそうだろう。しかしながら、トムは同時にフランシスに強く惹きつけられてもいる。フランシス演じるピエール=イヴ・カルディナルはヒゲを生やした筋肉質な体格の男として最初の登場シーンでは上半身裸で現れ、度々トムに息のかかる距離に接近してみせる。また、幾分唐突にフランシスとトムがタンゴを踊るシーンの官能性は、映画の色気そのものになっている。自分たちに嘘を強要し、精神・肉体両面に対して暴力をふるう存在あるいは社会に、同性愛者たちが自らすすんで囚われの身となってしまうことを、『トム・アット・ザ・ファーム』は一種エロティックにあぶり出しているのだ。嘘をつき続けていたほうが楽だということを自分の幸福と錯覚し、あまつさえ、そうした状況と「契り」を交わすようにすら、なる。

 だからこそ、本作は後半で脱出もののスリラーとなるのだ。トムは逃げなければならない。フランシスの暴力から、非寛容から、あるいは、重ね続ける嘘から。そうした社会的なアングルはブシャールの戯曲の時点ですでに確立してはいただろうが、ドランがここでやっているのは、ヒッチコックが比較に挙げられるような「映画」的な文法にそれを乗せることである。弛むことのない緊張感。パーソナルな度合いが強かったドランのフィルモグラフィのなかで、明らかに『トム・アット・ザ・ファーム』は自分自身と、世の同性愛者が置かれた状況を異化して見つめることでそのフォルムの完成度を高くしている。
 ラストで流れるのはルーファス・ウェインライトの“ゴーイング・トゥ・ア・タウン”だ。「僕はアメリカにはうんざりなんだ」……。その歌声はそこで、逆説的に希望として響いている。「自由」はもしかしたら囚われの身でいることよりも困難で、不安なことかもしれないが、だからこそ踏み出す価値がある。逃げなければならない、僕たちは逃げなければならない……。

予告編

interview with Bok Bok - ele-king

 今年の元旦だっただろうか。リンスFMでの〈ヘッスル・オーディオ〉の番組でベンUFOとピアソン・サウンドとのB2Bに招かれたのは他ならぬボク・ボクだった。〈ヘッスル〉のふたりがダブステップをかけまくるなか、〈ナイト・スラッグス〉のリーダーはグライムで対抗。レコード屋の壁一面がダブステップだったゼロ年代初期、店員がヤングスタだろうがそこへグライムを求めに通っていたという男は、最後までけっして折れなかった。まさに現代版のセロニアス・モンクとマイルズ・ディヴィスによる喧嘩セッション。2014年のはじまりは血塗られていたのである(ちなみに、この3人はとても仲良しで後日にもB2Bをしています)。


Bok Bok
Your Charizmatic Self

Night Slugs / ビート

ElectronicDubstepGarageGrime

Tower HMV Amazon iTunes

 こんな出来事を紹介してしまったが、ボク・ボクは決してグライム原理主義者というわけではない。彼はロウ・ハウスからときにヒップ・ホップやジュークへと展開もさせられる技術と、あらゆるジャンルへの感受性と柔軟性の持ち主だ。〈ナイト・スラッグス〉のアーティストが集結するパーティのフロアに一時間立っていれば、彼ら全員がこの素養を持つフロアから「モテる」DJだという答えにたどり着く。ひとつのジャンルを一晩流しつづけるシリアスなパーティも最高だが、〈ナイト・スラッグス〉が持つどこにでも行ける「軽さ」(もしくはいい意味での「チャラさ」)もなければシーンのバランスが取れなくなってしまうのかもしれない。

 だがボク・ボクがグライミーでありつづけていることもたしかだ。EP『ユア・カリズマティック・セルフ』にはR&Bやファンクがある。〈ナイト・スラッグス〉の姉妹レーベルである〈フェイド・トゥ・マインド〉から2013年にアルバム『カット4ミー』をリリースしたアメリカのアンダーグラウンドの歌姫、ケレラが参加した“メルバズ・コール”。「ベース系」といわれるジャンルでは珍しくスラップ・ベースが使われている“ファンキエスト”。いままでボク・ボクがプロダクションであまり見せてこなかった姿がここにはあるものの、BPM130-140付近の曲の早さや空間を際立たせる技法、そしてベースの使い方はグライムである。自身のルーツとDJで培った「モテ感」が絶妙な作品だ。

 さて、このあたりでそろそろご本人に登場してもらいましょう。レーベルの過去と未来について、ロンドンの思い出、ディジー・ラスカルからDJラシャドまで、ボク・ボクは多くの質問に軽やかに答える。そして、最後まで読むといいことがあるかもしれません……。
(テキスト:髙橋勇人)

Bok Bok / ボク・ボク
音楽からファッションまで注目を集めるロンドンの若手クリエイター集団、〈ナイト・スラッグス〉の中心人物。そのネットワークはニューヨークにまで及び、姉妹レーベル〈フェイド・トゥ・マインド〉とともにアンダーグラウンド・シーンにおいて強い発信力と存在感を誇っている。自身のプロジェクトにおいては2011年の「サウスサイド」が脚光を浴び、本年リリースの『ユア・カリズマティック・セルフ』へは、デビュー・アルバム『CUT4 ME』(2014)が『ガーディアン誌』の年間アルバム・チャート7位にもなったヴォーカリスト、ケレラをフィーチャーするなど、先進的な動きをオーガナイズする嗅覚と手腕にも長けている。


建築って、建てられた時代によって当時の技術が反映される。なおかつ建築のプロセスでアナログ、つまり人力が使われないことはない。そういった感じで、自分たちは現在のテクノロジーをアナログの手法を取り入れながら音楽で表現したいという気持ちがある。

今日はあなたにプレゼントを持ってきました(『ele-king vol.12』を見せる)。この号では〈フェイド・トゥ・マインド〉を特集したんですよ。このグラフィックはキングダムがデザインしたものなんですよね?

ボク・ボク(以下BB):ワオー、ありがとう! このロゴをデザインしたのは僕なんだけど、背景のコラージュとかはキングダムがやっているよ。すごいね、見開きが4つも!

この会場(代官山〈UNIT〉)でDJしたことってありましたっけ?

BB:日本には何回か来ているんだけど、ここは今回が初めてなんだよ。この楽屋には友だちのサインがたくさんあるね(笑)。お、ヤングスタのサインがある。彼がロンドンのブラック・マーケット・レコードで働いていたときによくレコードを買いに行ったよ。2004年とかだったと思うけど、そのときにフロアで売っているレコードのほとんどがダブステップで、そんななか僕はグライムを買いによく店に行っていた。僕が聴きたいグライムのレコードを「この曲はクソだな! 俺が作るんならプロダクションはこうする」とかヤングスタは言っていたよ(笑)。

おお(笑)。それがいつの話ですか? 僕は店名がBMソーホーになってから行ったんですが、ダブステップはあくまでお店の一部という感じでした。

BB:それが2004年くらいかな。〈dmz〉とかがはじまった年でダブステップが盛り上がってくる時期だったんだよ。

以前、この部屋でアンディ・ストットとデムダイク・ステアにインタヴューをしたんですよ。デムダイク・ステアの「テスト・プレシング #5」はグライムみたいでしたよね。

BB:グライムが登場してからもう10年は経つけど、いまになってシーンに外のプロデューサーたちがグライムを取り入れたりしている印象だな。僕が最初にグライムを聴くようになったときと比べたら、現在はより多くのひとがシーンに注目しているのはたしかだ。僕は初期からシーンを追っていたから、当時を思い出してちょっとノスタルジアを感じるよ(笑)。ダニー・ウィードとかジョン・E・キャッシュとか懐かしい!

〈フェイド・トゥ・マインド〉と〈ナイト・スラッグス〉のロゴ・デザインはあなたが担当されたとのことですが、それらはポスト・インターネット世代のストリート感を象徴するデザインだと思います。

BB:おお! 僕も部分的にはそう思うかな。現在ってもう完全にコンピュータの時代だけど、僕がネットをはじめたときっていまほどユビキタスって感じではなかった。インターネットが発達する前後の境目が僕の世代なんだ。だから、僕よりちょっと年下のひとたちにも違和感を覚えるときがある。


グラフィティという意味でなら言うべきことはあるね。じつは僕はグラフィティをやっていたことがあるんだ。

初めて自分のパソコンを手に入れたのはいつなんですか?

BB:1999年くらいかな。でもそれは1.0世代のコンピューターだった。SNSも何もなくて、いまとはまったく違ったものだったな。マイスペース、フェイスブックもなければツイッターもなかった。

あなたのデザインを見ていると、いまはストリートがネットのなかにある気がするんですよ。ストリートというものはご自身のなかで重要なものなんですか?

BB:ストリートは広い意味だけど、具体的に言うと?

グラフィックのようなものから、自分たちだけの遊び場という意味です。

BB:グラフィティという意味でなら言うべきことはあるね。じつは僕はグラフィティをやっていたことがあるんだ。そのことをほとんど誰も知らないんじゃないかな。だから初期の〈ナイト・スラッグス〉のロゴもグラフィティ的なタイポグラフィの影響がある。だけど僕はもともと印字や文字列が好きなんだ。僕にはそういったデザインのバックグラウンドがあるからね。ストリート的なものが自分のデザインに関係しているだろうけど、それが直接的なのか間接的なのかはわからないんだ。

もし2014年の現在に〈ナイト・スラッグス〉をスタートさせていたとしたら、デザインは同じものになっていたでしょうか?

BB:判断するのは難しいけど、たぶん同じものになっていたと思う。僕たちはいろいろ経験を積んできたから、もちろん違ったデザインをする可能性もあるよ。でも僕はひとつのことに執着するタイプなんだ。いろんなものに毎日手を出すひともいるけれど、僕はそうじゃないかな。最初からそのマインドはずっと変わっていない。


僕たちは現在にいるから、そこから目を背けてしまったら偽っていることになると思うんだ。

もうひとつデザイン的な意味で言うと、近未来的な要素も〈ナイト・スラッグス〉にとっては特徴的だと思います。80年代へのオマージュのようにも見えますね。この数年来、そうしたリヴァイヴァルもありましたが、今度は時代が90年代へ向かっていると思います。90年代カルチャーで思い入れが強いものはありますか?

BB:その質問に答える前にいくつか付け加えることがあるな。僕は80年代に生まれて90年代に育ったから、そのあたりの文化に影響されているかもね。だけど、僕が音楽とアートワークをデザインするときは、自分の置かれていた環境を参照したりはしないよ。そのふたつがいかに上手く結びつくかをつねにチョイスしているから、創作のプロセスに取り入れるものは現在かもしれないし場合によっては過去かもしれない。
 2010年は本格的に〈ナイト・スラッグス〉をはじめた年なんだけど、当時のアートワークは80年代の初期にパナソニックが発表した「グライダー」(ロバート・エイブル・アンド・アソシエイツ制作)というヴィデオに影響を受けている。デザインを考えているときのリサーチをしている段階で見つけたんだよね。そこから僕たちのデザインは変わっていったけど、もとにはこの作品がある。



 これはかなり初期のCGによる作品で、シンプルだけど温かみがあるデザインが好きだ。全部デジタルだけど、ある種のソウルを感じない? これ以上細部にこだわったら、このテクスチャーは出ないだろうね。たしかに80年代を象徴するような作品だと思うけど、単純にこのヴィデオが持つフィーリングに惹かれたんだ。

未来を描いているようだけど、映像の主体が機械ではなく紙というところがおもしろいですね。

BB:そうなんだよ! 全部がデジタルなんだけど、冷たさは感じられないんだ。

そういう嗜好をお持ちなのは、アナログ的なものへの興味があるからですか?

BB:アナログのプロセスは大好きだ。現在ではかなり珍しいものになってしまったけど、大事にしていることのひとつだね。機材もアナログのものが多い。でも、それと同時にデジタルとアナログの組み合わせにも可能性を感じているんだ。仮にすべてアナログのみでプロダクションをしてしまったら、レトロ過ぎる仕上がりになってしまう。それだけはどうしても避けたい。だって僕たちは現在にいるから、そこから目を背けてしまったら偽っていることになると思うんだ。もちろん、現在だってアナログのみで作られた作品もたくさんあって、インスパイアされるようなものもあるけれど、同時におもしろくないものも多い。
 大事なのは最良の結果を導き出すことだよね。アナログの利点は暖かくて、人間味があって、操作の面でオープンであることだと思う。対してデジタルはプロセスが簡潔で音がクリーンだ。たとえば、建築って建てられた時代によって当時の技術が反映される。そしてなおかつ建築のプロセスでアナログ、つまり人力が使われないことはない。そういった感じで自分たちは現在のテクノロジーをアナログの手法を取り入れながら音楽で表現したいという気持ちがある。

『グライダー』を見てからいまの話をきくと、新作EP「ユア・カリズマティック・セルフ」は、まるであなたのトラックが部屋で、ケレラの歌が紙飛行機だというふうにも感じられます。

BB:その解釈はおもしろいね。じつは今回のEPのプロダクションではアナログの音源をかなりたくさん使っている。それを最終的にデジタルで処理するんだけど、それが僕のスタイルなんだよ。

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「ファンキー」って言葉は自慢するときによく使われるんだ。そして、ファンクは滑らかなソウルへの反抗でもあったわけだからね。

このEPでおもしろいところは他にもあって、たとえば“ファンキエスト”という曲があります。「ファンキエスト」は「ファンキー」の最上級ですが、この曲はファンクネスからむしろファンクを削ぎ落して残ったものという感じがするんです。

BB:なるほど。スタイル的にはファンクじゃなくてグライムだしね。

どうして“ファンキエスト”という名前なんでしょうか?

BB:「ファンキー」って言葉は自慢するときによく使われるんだ。「俺が最高でもっともファンキーだ!」とか、「5分後、俺が最高にファンキーになってやるぜ」とかね(笑)。
 そうやって「ファンキー」は人間味とかを意味することもあるけれど、同時に堅くて尖っているものを指したりもする。たとえばファンクのスラップ・ベースも尖った音だよね。ファンクは滑らかなソウルへの反抗でもあったわけだからね。この曲のサウンド面で意識したのは、スタイルとしてのファンクではなくて、そういったフィーリング的なものだね。もともとそういう表現が好きで、それをテーマに作ってみた。

そういった堅さや尖ったイメージというものが、あなたのスタイルや〈ナイト・スラッグス〉にはあると思います。ファンクからファンクを削ぎ落していったようにも見えるけれど、いまおっしゃった意味でもっとも「ファンク」なんだというのが逆説的でおもしろいです。

BB:ファンクの定義を何とするかでファンク・ミュージックは大きく変わってくる。でも、自分にとってファンクとはいろんなものが集まってできたものなんだ。抽象的というのとは少し違うんだけど、多様な要素を取り込むという意味では自分がやっていることに繋がるものがある。それと同時にグライムというものが自分にとっては本当に大事な要素だったから、サウンドはぶれていないんだ。

あなたは過去にもグライムの素晴らしい曲をリリースしていますし、オールド・スクールのグライムにも精通しています。“サイロ・パス”という曲ではディジー・ラスカルの“ゴー”をサンプリングしていますよね。少し前ですが、2012年のロンドン・オリンピックの開会式にはディジー・ラスカルが登場しました。あなたはそれをどのように見ていたのでしょう?

BB:ディジー・ラスカルはもはや人間国宝みたいなものだからね。彼のファースト・アルバムはゲットーでの暮らしについてのものだった。最近の曲では、彼はふたつの選択で迷う自分についてラップをしたりする。「俺はゲットーに戻るべきか、それとも夢を追うべきか」みたいにね。いまとなっては、ディジーはグライムを超越する存在になった。ファッションに夢中になり過ぎていたこともあったけど、最近はまた昔のスタイルに戻りつつある。その一方で彼はポップ・スターなわけだ。彼のロール・モデルはすごいと思うよ。オルタナティヴであると同時に国宝級に大きな存在であるわけだからね。セレブの世界にだって彼はいける。オリンピックの開会式への出演はまさにそんなディジー・ラスカルの両義性を象徴していると思う。


ディジー・ラスカルはもはや人間国宝みたいなものだからね。彼のロール・モデルはすごいと思うよ。オルタナティヴであると同時に国宝級に大きな存在であるわけだからね。

ブリストルのカーン&ニークは〈バンドゥール〉を立ち上げて、グライムのリリースをレコードしています。彼らは現在もダブプレートを切っていますが、その活動についてどう思いますか?

BB:昔は僕もダブプレートを切っていたんだけど、値段が高くなってしまったからもうやらなくなった。それに、どんなメディアを使おうが自分の音楽には関係ないと思う。自分はCDJも使うから、ダブプレートの音がいいのはわかるけど、そこにこだわる必要はないんだよ。もちろん、いまもダブプレートを切っているひとたちを尊敬しているけどね。

ちなみに、グライムにはMCも重要な要素ですが、どうしてあなたはMCをやろうと思わなかったんですか?

BB:プロダクションの面に関しては自分はいけると思ったけど、MCの才能が僕にはなかったからね(笑)。

最近のダンス・ミュージックの傾向として、たとえばテセラらスペシャル・リクエストのようにジャングルやレイヴの要素を積極的に取り入れる動きがあります。このような流れのなかで、あなたはどうしてジャングルをやらないんでしょうか?

BB:単純に自分のバックグラウンドにジャングルがないんだよ。それに僕は起こったことをフォローするタイプの人間じゃないから、無理にトレンドを追うことはしない。

あなたにとってジャングルとグライムは何が違いますか?

BB:自分が15歳くらいのときにグライムをリアルタイムで体感できたことは大きな差になっているね。ジャングルには間に合わなかったからさ。取り巻く文化もぜんぜん違うよね。ジャングルはドラムンベースになって文化的な意味で「終わり」を迎えた。グライムはガラージから発展したものだけど、当時はそれが単なる移行ではなくて新しい文化が芽生えたように思えたんだよ。
 音楽そのものにしてみても、グライムはテクノのフォーマットにとても似ている。メロディとノン・メロディや、音楽的なものと非音楽的なものの境を行きできる点とかね。ジャングルだってもちろんそうだけど、なぜか自分にはピンとこなくてね。それに対してグライムは自分にとってとても響く存在だったんだ。


ジャングルはドラムンベースになって文化的な意味で「終わり」を迎えた。グライムはガラージから発展したものだけど、当時はそれが単なる移行ではなくて新しい文化が芽生えたように思えたんだよ。

〈ナイト・スラッグス〉は今年で6周年を迎えて、最初の領域からだいぶ広がって世界的な規模で動いていると思います。もともとの形──小さなパーティというレベルに戻したいという思いはありますか?

BB:戻りたくはない。たしかに前よりも多くの場所でDJするようになった。今度はツアーで南アフリカへ初めて行くんだ(笑)。でも自分の活動は同じものが長く連続しているだけだよ。僕はそれに関してかなり前向きに考えている。レーベルを6年やってきたけど、ジャンルについてもあんまり考えてこなかったな。つねにフィーリングを大事にしてきたからね。そういった姿勢は少なくとも僕の立場から見ると変わっていない。

パーティのような、集まりであったり現場であったりというところに原点があるわけではないんでしょうか?

BB:現在はスタジオにいる時間のほうが長いから、パーティの現場へ行く時間は前よりは減ったかな。最初の2年くらいは、音楽を作っている仲間の作品の発表場所として現場を重視していたけど、2008年くらいから曲をリリースできるようになった。活動の領域が変わったのはそこからだね。

作品をリリースしていくことがレーベルの大きな目的だったんですか?

BB:そういうわけでもなかったよ。最初はリリースするものが何もなかったからね。DJをはじめて曲を作る前から、僕は音楽のコレクターだった。だからレーベルを立ち上げて曲をリリースするのは夢ではあったよ。それがいまではできている。でも、「いまみたいになりたい!」と昔から強く思っていたわけでもない。当時の自分のまわりにいた音楽仲間に恵まれていて、彼らと何かやってみたいと思っただけなんだよ。

この質問は日本のファンのためにも整理しておこうと思うんですが、〈ナイト・スラッグス〉と〈フェイド・トゥ・マインド〉の関係はどういったものなんですか?

BB:オーケー! 〈ナイト・スラッグス〉のあとにできたのが〈フェイド・トゥ・マインド〉で姉妹レーベルにあたる。たまにぶつかることもあるけど、家族のケンカみたいなものだよ。だから双子ではなくて兄弟なんだ(笑)。クルーそれぞれがユニークなアイディアをもっているからね。〈フェード・トゥ・マインド〉はアメリカ的なものを、〈ナイト・スラッグス〉はロンドンの側面を体現していて、それぞれのアイデンティティがある。でも通じるものがあるからコラボレーションもするんだ。

ロンドンとアメリカの関係を作りたかったという意図はあるんですか?

BB:そうじゃないよ。〈フェイド・トゥ・マインド〉はキングダムが自発的にはじめたレーベルだからね。彼がレーベルをはじめるときに、僕はロゴのデザインを頼まれたんだけど、「そうしたらレーベルは〈ナイト・スラッグス〉みたいになっちゃうよ?」って言ったんだ。するとキングダムは「それでいいじゃん!」って快く答えた。そこからいまのような関係に発展したんだ。ちがう場所に尊敬できる相手がいることは、自分に夢がかなったような気分だな。


彼がレーベルをはじめるときに、僕はロゴのデザインを頼まれたんだけど、「そうしたらレーベルは〈ナイト・スラッグス〉みたいになっちゃうよ?」って言ったんだ。するとキングダムは「それでいいじゃん!」って快く答えた。

今日は〈テックライフ〉のTシャツを着ていますが、この会場はラシャドが東京でプレイした最初で最後の会場です。彼とフットワークについて意見があれば教えてください。

BB:彼は音楽的に多くのものを残した。80年代のシカゴ・ハウスのときからフットワークのシーンにはすごい才能を持ったプロデューサーがたくさんいるけど、ラシャドはそれを世界に広める役割、つまり大使のような存在だったね。彼はフットワーク以外のジャンルのプロデューサーと交流してメッセージを広めていた。

リンスFMでP.O.L.スタイルとともにラシャドの追悼セットをしていましたが、誰のアイディアだったのでしょうか?

BB:その日は僕がリンスでプレイする予定で、ポール(P.O.L.スタイル)が僕のゲストだった。前日のラシャドの訃報が届いたんだけど、そのときのムードがかなり緊迫したものだったから、なんとかしなきゃなと思ったんだ。だからいろんな種類の音楽をかけて追悼することにしたんだ。あれは正しい選択だったと思っているよ。ラジオでかけたことがない曲もたくさんかけて、世界中のリスナーと共有できたしね。

ファッションが昔ほど音楽カルチャーを引っ張らなくなりましたが、たとえばファッション、あるいはヴィジュアル表現へのこだわりはありますか?

BB:たしかにそのとおりだね。いま世界では文化が単一化していて、どこに行っても似たような格好のひとが増えた。ファッションに音楽が入る余地がなくなってきているように思える。
 僕の場合、ファッションと音楽って必ずしも結びつくものではないんだ。スケートボードにはまったときに、ヴィデオをみたりしてヒップホップとパンクが結びついていることに影響されたりはしたけどね。
 〈ナイト・スラッグス〉のヴィジュアルに関しては音楽のアイディアやフィーリングをもとにしている。ファッションについてはあんまり考えてはいないけど、いつかできたらいいな。

〈ナイト・スラッグス〉はひとつのスタイルを提示してきました。そして、その中心にはあなたがいましたね。2020年までにあなたが提示していくもののなかに何を期待できるでしょう?

BB:難しい質問がきたね(笑)。いまと同じ価値観を保ちつづけているかぎりは同じことをやっていくと思う。いまのスタンスでまだまだできることは多いと思うんだ。音楽的にはより多くの要素を取り入れてみたい。アートをより経験的なものにするアイディアも出てるんだよ。たとえばアートワークと音楽にしてみても、インスタレーションみたいな形で表現することだっておもしろそうだよね。こんな感じで可能性はたくさんはあるけど、自分がいままでやってきたことを続けていくよ。


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Deerhoof - ele-king

「あー残念」というタフさ木津毅

 「オー、バマー」と、このアルバムの最終曲のタイトルを口にしてみるときの、この脱力感をどう消化すればいいのだろう。たしかに6年ほど前、この言葉はもっと威勢よく、熱狂とともに短く「オバマ!」と発音されていたはずだ。だが、バンドの顔であるサトミ・マツザキ本人の手による対訳には、“Oh Bummer”の横に日本語で「あー残念」とはっきりと書いてある。あー残念……。結局軍需産業から逃れられない政府の下で暮らしていたら、こう言いたくなる気持ちもわからないではない。これがちょっとしたシャレであったとしても、いま、「オー、バマー」と言うことのアンビヴァレントな感覚は簡単に冗談で済まされないところもある(『安倍ンジャーズ』という風刺画を描くのとはわけが違う)。「オバマ!」とかつて大きく叫んだひとほど、先が見えづらい時代だ。

 ディアフーフは新譜が出るたびに「こんな音だったっけ?」と思わせる、独自の訛りを持ちつつもさりげなく新しい語彙を挿しこみ続けてきたバンドだが、それは彼女らがどんなトレンド=熱狂にも大きくは与してこなかったことが関係しているのだろう。サウンドの同時代性とは関係のないところで、あくまでマイペースに、外界とは異なる時空の流れで冒険を繰り広げるのがディアフーフの飄々としたサヴァイヴであった。前々作『ディアフーフvsイーヴィル』というタイトルそのものが、そうした自分たちのあり方の宣誓のように聞こえたものだ。

 結成20年となりますます結束が固くなっているであろうバンドの新作『ラ・イスラ・ボニータ』はそして、おそろしくソリッドな音が張り巡らされているように聞こえる。鉄線のように固く同時に肌をこするようにざらついたエレキ、タイトでキビキビとしたリズム、単刀直入に垂直に入ってくる各パート。チャイルドライクと形容され続けてきたサトミ・マツザキの声は変わらずチャーミングだが甘えた響きはなく、ときおり驚くほどドライに放たれている。攻撃的で、ミニマルかつエキセントリックで、怒りすら感じられる。バトルスの『グロス・ドロップ』とザ・フレーミング・リップス『エンブリオニック』の合いの子、ソニック・ユースとESGとボアダムスが集まって繰り広げるパーティ……。これまでもディアフーフはノイジーで獰猛だったが、その野性が極めて冷静に、かつダイレクトに放出されたアルバムである。

 アメリカに対して、いや、「アメリカで暮らすこと」に対して辛辣な視線が向けられている歌詞も相まって、その攻撃性が鋭く感じられるのかもしれない。“ドゥーム”(この曲名は「破滅」と訳されている)では「東海岸でどう暮らしたい? 西海岸でどう暮らしたい? 真ん中でどう暮らしたい?」と問いかけながら、オチで「それとも貯金してオランダかスカンジナビアにいく?」と明かせば結局そこに大した差はないという諦念が漂っているし、流行の移り変わりに言及していると思われる“ラスト・ファッド”の「悲しみのドル札で壁を覆いつくすんだ」という言葉も示唆的だ。アルバムでも一、二を争うスラッシーさのノイズ・トラック“イグジット・オンリー”では、「訪問ありがとう/いますぐ出て行ってくれ」と現在のアメリカの排他的なあり方を皮肉っているように聞こえる。直接的にポリティカルな言葉はなくとも、サトミ・マツザキの異邦人としての視点とバンドのアイロニカルな知性とが交錯し、たっぷりと含みが込められている。

 しかしながら、それでも『ラ・イスラ・ボニータ』は愉しいアルバムだ。先述した“ドゥーム”で「拒絶」を意味する「deny」が「ディナ、ハハイ」とサトミ・マツザキの独特のリズム感で発せられるとき、そこにはディアフーフ的、としか言いようのない脱臼感のあるダンスが生まれている。“ビッグ・ハウス・ワルツ”では「ディアフーフが君にカオスをプレゼントしたい」と叫ばれ、ヘヴィなギターが降り注ぐ。「耳をあそばせよう/解き放て/感じて/盛り上がろう」。

 現在の日本での息苦しさとアメリカでの暮らしづらさは単純に比べられるものではないだろうが、それでも「あー残念」と言いながら混沌とノイズを積極的に楽しもうとするディアフーフのサウンドには、ビリビリとした刺激を感じずにはいられない。この20年を生き抜いてきたディアフーフのタフさとはつまり何なのか、が明快に差し出されていて気持ちいい。

文:木津毅

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カオスをプレゼントしよう橋元優歩

  女子高生が「っょぃ」と小さい文字でツイートしていたりするけれども、近年のサトミ・マツザキとディアフーフに抱くのもちょうどこの「っょぃ」という感じである。通常の表記を意外な方向へと外すこの「小さい文字表現」からは、吃音に似た、発音不可能なことからくるインパクトや、あるいはどこか常軌を逸したような雰囲気が立ち上がってくるけれども、それがちょうど未知にして測りがたい性質をもった存在としての女子高生に重なって、ちょっとした恐れをかきたてる。結成20年、ティーンから遥か遠い年齢のディアフーフを「っょぃ」感じるのは、サトミ・マツザキのヴォーカル・パフォーマンスによるところも大きいけれども、それ以上に彼らがまだスタンスにおいても方法においてもそうした測りがたさを残しているからだ。

 前作『ブレイクアップ・ソング』(2012)から2年、〈ポリヴァイナル〉移籍後3作めにして通算で12作めにもなろうか(どう数えていいのか、資料・媒体によって混乱がある)、2000年代のUSインディ・ロックを牽引してきた重要バンドのひとつ、ディアフーフの新作フル・アルバムがリリースされた。グランジを経由したノイズ・ロック/アート・ロックというフォームや、エクスペリメンタルでエキセントリックな雰囲気は変わらず芯となってその音の中に埋もれているけれども、とてもフレッシュな、そしてとても反抗的でやんちゃな印象を残す作品になっている。ぜったいに思いどおりにはなってやらない──それはリスナーや業界が求めるディアフーフ像にはまらないといったケチなレベルの話ではなくて、もっと、世界や、世界の理や、時間、歴史といったものへ逆らうような、とびきり少年くさいやんちゃさだ。「ディアフーフが君にカオスをプレゼントしたい」(“ビッグ・ハウス・ワルツ”)とアルバム中盤においてあらためてなされる宣言には、そうした傲岸さがなんともクールに表れている。

 あの曲ではファンキーでダンサブルなリズムが印象的だが、やがてガーンガーンと鳴りつづけるノーウェイヴ・マナーなギターの上で拡声器でわめくようにマツザキの演説がはじまり、グレッグ・ソーニアのドラミングが騒々しく焦燥をあおるように追従していくところに最大の盛り上がりがある。「レディース・アンド・ジェントルメン」からはじまるくだんの宣言はこの部分で不気味になされる。しかしそれでいてどこかしらユーモアがあり、爽快だ。この感覚こそはディアフーフならではのもの。今作も全編にわたって明確に現アメリカ社会への批評が打ち出されているけれども、彼らの側からの社会への応答は、「カオスをプレゼント」することなのだ。そう、「周波数を合わせるのはぼくたちの義務じゃない」(“タイニー・バブルズ”)。まるで音楽と自分たちに何ができて何ができないかということを身体的に知っているかのような回答である。外から飛んできたカオスをそのまま打ち返す、あるいはディアフーフ・オリジナルのカオスをそこに打ってぶつける。それはかつて『ディアフーフ vs. イーヴィル』リリースの際に、「イーヴィルとは何か?」という問いに対して「これはゴジラ対キングギドラのようなものだ」と返答をくれたのと似ているなと思う。あからさまな社会風刺だけれどもふざけてもいる。真面目な事柄に対してふざけるなんてけしからん、批判には行動を伴わなければいけない、というような圧力にもまるで屈しない。彼らの「ふざけ」かたにはエクスキューズがない。そして信念と反抗がある。っょぃ。

 そもそもロブ・フィスクの個人プロジェクトとしてスタートしたこのバンドは、彼の早々とした脱退もあり、メンバーの入れ替わりも幾度か経て、初期からその存在意義や性格を大きく変えている。『レヴェリ』(2002)以降に各タイトルに対する注目や評価も跳ね上がり、いまに直結するようなディアフーフの輪郭を見ることができるが、いまはじめて彼らに触れる人からすればそれすら過去のことに過ぎないかもしれない。同様に90年代半ばのベイエリアのパンク・バンドといったイメージや、あるいは〈キル・ロック・スターズ〉の背後に広がる90年代オリンピアのインディ・シーン、ライオット・ガール・ムーヴメントといったものとの関連性もすでに薄く感じられるだろう。

 ディアフーフは本当にフレッシュだ。インディ・ロックというフィールドにドラスティックな変化をもたらしたというのとはちがって、つねに「周波数を合わせるのはぼくたちの義務じゃない」の精神で自分たちの遊びをつづけてきた。それが結果としてインディ史にひとつの道標を立てたこともあるだろうけれども、基本的にはスタンスの強靭な自由さがフォームのフレッシュさを生んできた、単独的で異分子的な存在だと思う。『ラ・イスラ・ボニータ』はその意味でも20年を記念し、しかも1曲ごとに別の充実をみせるアルバムではないだろうか。プロデューサーのニック・シルヴェスターは「ピッチフォーク」誌の寄稿者としても知られる〈ゴッドモード・レコーズ〉の主宰者。〈ポリヴァイナル〉移籍後はセルフ・プロデュースにこだわっていたようにも見えるバンドだが、評論気質のプロデューサーを迎えているのもおもしろい。

My Panda Shall Fly - ele-king

「ハッピーバースデイ、ニーナちゃん!」という宇川直宏の掛け声でニーナ・クラヴィッツのDJがはじまる。10月だけ秋葉原の〈3331〉で開催されているDOMMUNEは、家から歩いていこうと思えば行ける距離なので、買い物のついでに足が向けられる。先日もそんな調子で軽くフロアを覗いてから家に帰ってふと思った。いつの間にか英米だけではなくロシアだとかアルゼンチンのDJを気軽に見ることができるようになっていると。90年代の初めはドイツのダンス・カルチャーだって遠くに感じられたのに。

 今年に入ってからもようやくデビュー・アルバムをリリースしたモー・カラーズがモーリタニア、同じくアーカがヴェネズエラときて、ラッカー(Lakker)のリミックスに惹かれて興味を持ったスレン・セネヴィラトニ(Suren Seneviratne)もスリランカ出身だという(96年からロンドン在)。ラッカーが起用されていたEP『プッシュ』はモウ’リンとの共作だったので、どこからどこまでが彼の作風なのかは推し量ることができなかった上に、そもそも回転数がよくわからなかったので、〈サウンドウェイ〉からとなったセカンド・アルバム『トロピカル』が僕にとっては明確な導入部である。〈サウンドウェイ〉は〈オネス ト・ジョン〉をじりじりと追いかけているようなレーベルで、アンゴラのバティーダ(Batida)やコロンビアのメリディアン・ブラザーズなどクラブ・カルチャーとの境界線をなし崩しにするリリースが増えつつあり、どこか気取った〈プロジェクト・ムーンサークル〉からリリースされた『プッシュ』とはイメージが結びつかず、むしろ、そんなにもワールド寄りなのかと驚いたぐらいである。しかし、実際には、これはNYでレコーディングされたエスニック・ポップであった。同じくスリランカのMIAがクゥドロやバイレ・ファンキなど世界のリズムに目配せをしていたようなものとはまったく異なり、都会的な洗練に覆い尽くされていたのである。

 と、それで価値がなくなってしまうわけではない。僕には『トロピカル』がトーキング・ヘッズ『リメイン・イン・ライト』(1980)のソフィスティケイティッドされた後日談に聴こえ、フェイクの金字塔として輝けるその地位を補強するものに思えて仕方がない。かつて、トーキング・ヘッズは都会から足が抜けなくなったルー・リードとは対照的に、都会にいながらリモート的にどこへでも移動し、トポスからはかけ離れたポップの構造を生み出すことに成功した。まさに「you may find yourself in another part of the world」(「Once In A Lifetime」)である。「ノー・ニュークス」をモジッただけとはいえ、『ノー・ニュー・ヨーク』(1978)とはよく言ったものだけれど、自分がその場にいないという感覚は故郷喪失者たちによるロックン・ロールからヴェイパーウェイヴまで、ポップには必然的に伴ってきた要素ともいえる。アフリカ・バンバータしかり、マスターズ・アット・ワークしかり。ラプチャーやLCDサウンドシステムが『イエス・ニュー・ヨーク』(2003)を掲げた時期はハテナだけれど、現在ならOPNがそのフロント・ラインに立ち返ったといえるだろうか。

 途上国から出てきたミュージシャンには2タイプある。過剰に祖国やその文化圏を思い出す叙情型と、まったくのデラシネと化してしまう叙事型である。「僕のパンダが空を飛ぶ」とは上手くつけたもので、土地との結びつきをなくし、架空の世界に飛翔する契機がまずは言葉によって与えられる。それこそこの世界にパンダを私有している人間など存在しないし、それがさらに空を飛んでしまうとはファンタジーもいいところだし、それで「トロピカル」とくれば、トーキング・ヘッズを上回るフェイクが繰り広げられたところでまったくおかしくはない。そういえばアーサー・C・クラークは『スリランカから世界を眺めて』(1977)で同国を地上の楽園にたとえていたなー。

♪Letting the days go by~ (“Once In A Lifetime”)

Chim↑Pomに捧げる! - ele-king

 「三田さんは僕の音楽をいつも全否定するんですよ。だからプロデュースをお願いしようと思って!」「あはははは!」というやりとりののちに、制作者たちによるライナーを眺めて2度爆笑した。いや、黒笑というべきだろうか。三田格のブラック・ジョークが炸裂した名ライナー(しかもご丁寧に英訳されていて3度黒爆笑だ)も必見の、why sheep? 11年ぶりのサード・フル・アルバム『REAL TIMES』が〈U/M/A/A〉からリリースされた。

 ジャケットとなる作品は、きわどく社会への問題提起をつづけるアート集団Chim↑Pomによるものだが、3.11以前から彼らにジャケットを依頼することは決まっていたそうだ。震災は予定外の出来事だったが、その直後にChim↑Pomによって現地で制作された作品とその展示「Real Times」から大きく感銘を受けたwhy sheep? は、本作を『REAL TIMES -dedicated to Chim↑Pom-』として完成させた。ゲストにもUA、EYE(ボアダムス)、Cuizinier(TTC)など豪華な顔ぶれがそろう。また、ブックレットには渋谷駅にて撮影された写真も使用されている。

Chim↑Pomによるアートワーク
Red Card
2011 ©Chim↑Pom
Courtesy of MUJIN-TO Production, Tokyo

Why Sheep?
Real Times -dedicated to Chim↑Pom-

U/M/A/A

2014年10月8日(水)発売
UMA-1044 / 価格2,500円(税込)

Tower Amazon

■収録トラック
1.Rue Pierre Leroux
2.Radiation #1
3.11th (Away From The Borders, Close To The Borderless) feat.EYE
4.Somewhere At Christmas
5.Radiation #2
6.Grum Sai Grum
7.On My Answering Machine
8.relativisme extrême
9.Mandarake feat.Cuizinier(TTC)
10.Empathy feat.UA -PUSH-
11. Sênga (Empathy Reprise)

■プロフィール
Why Sheep? (内田学)
細野晴臣のレコーディング・アシスタント等を経て、WHY SHEEP? 名義でM.O.O.D(Moodman主宰)より1996年伝説的なファースト・アルバムをリリース。国内外のメディアで大きな反響を呼ぶ。その後アジア、ヨーロッパを中⼼に世界各国を放浪。7年間の沈黙の後、2ndアルバム『The Myth And i』が日・欧・米と世界発売される。数々のリミックスや映画等のサントラ、プロデュース等を手がけると同時にサマーソニック等、国内外での公演を精⼒的にこなす。2007年には、⾳を禅の作庭術になぞらえたサウンド・アートプロジェクト“枯⼭⽔サラウンディング”を⽴ち上げクリエイティヴ・ディレクターを務める。東急多摩川線全駅を使った多摩川アートラインプロジェクトでの作品「八水響」などが有名である。2010年には故マイケル・ジャクソンの伝記『マイケル・ジャクソン・レジェンド』(チャス・ニッキー=バーデン著)の監修も手掛け、初版1万部が予約のみで完売する。3.11以降、アーティスト集団Chim↑Pomの映像作品"気合い100連発"にリミキサーとして参画し、トークイベント"Rm311"を開始する等、⾳楽活動の領域を超えて勢⼒的に活動し、2014年秋、集⼤成ともいえる3rdアルバム「Real Times」をリリースする。

■Chim↑Pom の『Real Times』展とは
2011年5月20日-25⽇に無⼈島プロダクションで開催した芸術実⾏犯「Chim↑Pom」の個展。
2011年3月11日の東日本大震災と福島第一原発での事故を受けて制作された作品群。巨大な現実を前にアートの無⼒が語られ、多くの展覧会が⾃粛された中、Chim↑Pomは現地に赴いて作品を制作。また、渋谷駅に永久設置されている、日本の被爆/被曝のクロニクルとも言える巨大壁画「明日の神話」に福島原発の事故の絵をゲリラで付けたし社会的事件を引き起こした。それらの作品で構成された「Real Times」展は、日本における震災・原発事故への代表的なレスポンスとして、国内のみならず海外でも大きく報道された。
https://chimpom.jp


Lee Gamble - ele-king

 2014年、インダストリアル/テクノは変貌を遂げつつある。そのルーツのひとつといえる90年代テクノへの回帰が表面化しているのだ。たとえば本年にリリースされたマイルス・ウィッテカー(デムダイク・ステア)とアンドレア(=アンディ・ストット)によるミリー&アンドレア『ドロップ・ザ・ボウルズ』はインダストリアル/テクノを経由し、ドラムン・ベースへと変化してみせたし、レイモンド・カービー・プレセンツ・V/Vm『ザ・デス・オブ・レイブ (ア・パーティアルフラッシュバック)』は90年代テクノの亡霊を融解してみせる。むろん単純な回帰ではない。いわばテクノの機能性を変えている、といっていい。

 今回紹介するベルリンの実験音楽レーベル〈パン〉からリリースされたロンドンのアーティスト、リー・ギャンブルの新作『コッチ』も同様に(奇妙なかたちで/しかし必然的に)90年代的なテクノへと回帰している。『コッチ』のトラックは「躍らせる」という快楽構造にノイズを混入し、一瞬機能不全にさせるとかと思いきやリスナーの聴覚に、さらなる音の快楽(ノイズなど)を注入し、天地(ビートの重力性とノイズの天上性)をひっくり返す。これはリー・ギャンブルだけの個性ではなく、アンディ・ストットやデムダイク・ステア、ザ・ストレンジャー(=レイモンド・カービー)、ルーシーなどのインダストリアル・テクノにおける大きな特徴でもあり、彼らは「テクノイズ彫刻」とでも形容したいトラックを生み出している(インダストリアル/テクノは、ピエール・シェフェールが生みだしたミュージック・コンクレートの最新型だ)。

 いや、もともとリー・ギャンブルは、フランスの実験音楽レーベル〈エントラクト〉からリリースしたレビューEP『80mm O!I!O (Part 1)』(2006)や、ファーストアルバム『ジョイン・エクステンションズ』(2009)の頃からノイズを駆使したテクノ彫刻のような音響作品を作ってこなかったか、そして、ベルリンの音響レーベル〈パン〉からリリースした『ディヴァージョンズ 1994-1996』(2012)、『ダッチ・トゥヴァッシャー・プルームス』(2012)などは、ノイズ電子音楽からジャングルやミニマル・テクノをまったく独自の手つきでミックスしたような作品ではなかったか、そして本作は、そのテクノイズ彫刻のような音響に、テクノ(=アンビエント)へのルーツ・バックが次第に表面化した結果ともいえるのではないか、という疑問もあるだろう。

 だが、同時代の変化はすべて偶然のように思えながら、兆候=無意識の共有によって同時生成していくものだ。兆候とはモードであり、モードとは無意識の表象である。先のミリー&アンドレアやレイモンド・カービーらと同じ時代の無意識をリー・ギャンブルも共有している以上、彼もまた90年代へと回帰しつつ、まさに「現代的」としかいいようがないサウンドを生み出しているのだ。

 では、何が「現代的」なのか。まずは「ノイズの構築的使用方法」だ。本来、ノイズは誤使用・誤作用を積極的に構築するものなので構築性よりも操作性を重視しているものだが、インダストリアル/テクノは、90年代末期からのグリッチ・ムーブメントによるデジタル・エラーの活用をテクノ・ミュージックに導入したという側面もある。グリッチはデジタル・エラーによって偶然に生み出されるものだが、それを構築的にトラック化していくのである(カールステン・ニコライはその手腕が実に見事だ)。『コッチ』もまたノイズを構造的に用いている。

 次に「低音とリヴァーブの彫刻的作用」。霞んだ霧のように響く低音/リヴァーブは、音楽の残滓ともいえる存在だが、本作の音響彫刻において重要な要素だ。本作のキックは前作以上に強調されて深く響き渡る(アンディ・ストットも残響の彫刻ともいえるトラックを生みだしている)。

 そして最後に、「だらしなさ=崩壊的な感覚の生成による時間の混乱的作用」である。この「だらしなさ」は極めて2010年代的だ。テクノをベースにしながら、ビートは次第に希薄化し、構造も宙に浮く。その結果、躍らせるだけの機能性から遠く離れ、まるで空気に蠢く音の運動のように、トラックたちは変化していくのだ。たとえキックですらも、それはビートというよりは、楔のように音響空間に打ち込まれている。アルバムが進行するにつれ規則性と非規則性の領域が曖昧になる。

 硬質で鋭い音響が運動する1曲め“アンタイトルド・リヴァージョン”から、楔のようなキックのテクノ・トラックである2曲め“モーター・システム”を経て、3曲め“ユー・コンクリート”から時間感覚を狂っていく。中でも10曲め“ユーディー・ライツ・オーヴァートッテナム”は、聴き手の潜在意識へと問いかけてくるような不穏なダーク・アンビエントだ。ビートもサウンドも、すべてが不穏であり、そのノイズの向こうに打楽器のようなピアノが幻聴のように鳴る。12曲め“オルニ-ミミック”では壊れたガラスのような電子音の蠢きに、鼓動のようなキックが加わるだろう。14曲め“フラットランド”では霞んだ音色のダーク・アンビエントを聴かせてくれる。これらのアンビエントなトラックの合間には、ストレンジなテクノ・トラックが鳴り響き、聴き手の時間の感覚を狂わせていくのだ。まるで歪んだ迷路に迷い込んだような感覚である。テクノが内部崩壊していくような「だらしなさ」の生成。

 この「だらしなさ=崩壊していく」感覚こそ、2010年代的なモダニズムと私は思う。いっけんルーツ・バックとも思える90年代テクノへの参照が、しかし現代的な無意識を写しだす鏡のように作用しているのだ。不安な未来。不穏な現実。終末以降のどうしようもない現実の姿。複雑化する情報・工学社会・インターネットの闇。人間の浅はかさ。退化。不穏。不安。畏れ。崩壊。そんななし崩し的に「だらしなく崩壊していく」世界=現在の中で、『コッチ』を含めインダストリアル/テクノは、「だらしなさ」の感覚を(90年代的なフォームに接近しつつ)、「美と快楽」へと進化=変換させていく。それゆえ過酷ないまを生きる人間にとって最高の処方箋にもなりうるのだ。崩壊の感覚を美へとトランスフォームさせるのだから。このリー・ギャンブル『コッチ』は、その最新の成果といえよう。内部崩壊していくテクノ・ミュージックの奇妙な美しさと刺激を聴き尽くしたい。そして、『コッチ』に続いて〈パン〉よりリリースさえるオブジェクト『フラットランド』、〈モダン・ラブ〉から発表されるアンディ・ストットの新作『フェイス・イン・ストレンジャーズ』なども、絶望的な現実を美学的に変えていくビターな香水のように、私たちの心と体に深く作用していくだろう。今年も終わり迎えつつあるいまだからこそ、2014年の「現在」がようやく見えてきたように思える。

interview with Interpol - ele-king


Interpol
El Pintor

Matador / ホステス

Indie RockPost-Punk

Tower HMV Amazon

 ニューヨークを代表するバンド、インターポールのデビュー・アルバム『ターン・オン・ザ・ブライト・ライツ』が各メディアから絶賛され、時のアルバムとなったのが2002年。ロックンロール・リヴァイヴァルにポスト・パンク・リヴァイヴァルと、「リヴァイヴァル」からはじまったインディ・シーンのモードに先鞭をつけた作品のひとつだ。いまだにいわゆるバンド・サウンドというと、このころ出てきたアーティストたちの音の射程を抜け出せないところがあるというか、彼らはそもそも使い古した型である音楽のいちスタイルの、その半永久的な強度をもった部分だけを摘出してやすりをかけて、無限のリサイクルに耐えるものに鍛えたというようなところがあるから、フランツ・フェルディナンドにしろ、ザ・ストロークスにしろ、そうした作品の数々が途切れることなく後続を生むのは理屈にたがわない。2000年代を生きつづけてきた『ターン・オン・ザ・ブライト・ライツ』は、当初「ジョイ・ディヴィジョンのような」と形容されまくったが、ジョイ・ディヴィジョンのようなバンド、あるいはジョイ・ディヴィジョンに影響を受けたバンドなら、その一点においてはもっと秀でた存在が他にももっといるだろう。しかし、インターポール以降の「そういった」バンドは、「インターポールのような」バンドである可能性も高い。彼らがやったこととは、おそらくそういうことではないかと思う。

 そして、だからこそデビューから10何年を経たいまも、前線を走るというわけではないけれども彼らは良質なポップ・ミュージックとして息を継いでいける。インディ・バンドのようなたたずまいを崩さずに、メジャーな市場においてアルバム5枚と多くのシングルをリリースし、2000回を超えるというショーをこなし、メンバーによってはソロ活動なども並行して行いながら年齢を重ねてきたインターポールに、今作『エル・ピントール』について訊ねた。答えてくれたのはドラマーのサミュエル・フォガリーノ。グレッグ・ドルディに代わってデビュー作の頃からインターポールのサウンドを支えてきたメンバーだ。今作からはベースのカルロス・D脱退にともなって3ピースでの制作となったが、前作のツアーから参加している、ザ・シークレット・マシーンズのブランドン・カーティスや、ポップ職人、ロジャー・マニング・ジュニア、またアントニー・アンド・ザ・ジョンソンズなどにも参加するマルチ・インストゥルメンタリスト、ロブ・ムースなどさまざまなゲストを迎えており、音としてはむしろリッチに仕上がっている。

 また、本文に入る前に、彼らが当時のニューヨークを代表するバンドとはいえ、その人気に火をつけたのがUKのポップ・シーンだったことを付言しておきたい。それは最初のシングル(「Fukd I.D. #3」、2003年)がスコットランドの名門〈ケミカル・アンダーグラウンド〉からリリースされていることにも顕著で、2001年には早々とジョン・ピール・セッションにも登場している。ギャング・ギャング・ダンスやブラック・ダイスのブルックリンとは異なるニューヨークの重要バンドとして、UKを刺激するロック・バンドだったということは、彼らを説明する上では外しがたい点だろう。

■Interpol / インターポール
1997年ニューヨークにて結成。2002年に〈マタドール〉よりデビュー・アルバム『ターン・オン・ザ・ブライト・ライツ』を発表。同年を代表するアルバムとして注目を浴び、大きなセールスを記録した。2007年のサード・アルバム『アワー・ラヴ・トゥ・アドマイヤー』(キャピトル)は、全米チャート第4位、全英チャート第2位。そして2014年、2010年の『インターポール』以来約4年ぶり通算5作めとなるスタジオ・アルバム『エル・ピントール』を発表。


ニューヨーク、あの街のエネルギーに駆り立てられるんだ。

むかしからUKのアーティストと比較されることが多いと思います。いまさらながらにポストパンクという文脈と比較することは控えますが、実際のところ、UKのバンドと錯覚するような音の系譜にはあるかと思います。実際のところ、そのあたりのルーツをどのように考えておられますか?

Sam Fogarino(以下SF):俺には正直何とも言えないな……。人が何を感じるかは自分たちにはコントロールできないし。ロック・ミュージック、つまりギターが基本となっている音楽をやる中で、自分たちのアイデンティティを見つけようとしているのが俺たち。他のバンドもそれをやっていて、その中でいろいろな比較やカテゴライズがされているんだろうけど。自分たちのロックンロールを探求する、最初の時点ではそれが自分たちが音楽を作る理由だった。曲を作っているアーティストやバンドはみなそうだと思う。それでも人と比較されてしまうのは仕方のないこと。俺たちが気にしているのは、誰であれ俺たちの音楽を気に入ってくれる人がいるということ。俺たちは、自分たちがやりたいことをやっているだけなんだ。

NYという場所から音楽を発することを意識しますか?

SF:どうだろうね。もちろん、NYに繋がる強いアイデンティティは持っていると思う。でも、やれと言われればどこでも音楽はできるよ。ニューヨークでの生活が長いから、思い出がたくさんあって曲にしやすいだけなんだ。長い時間を過ごしてるから、自分たちの一部みたいになってしまっていて(笑)。俺はもうニューヨークに住んでさえいないんだけどね。いまは南部、ジョージアに住んでるんだ。でもバンドのベースはニューヨークだから、しょっちゅうニューヨークにいるけどね。あと、あの街のエネルギーも関係あると思う。あのエネルギーに駆り立てられるんだ。でも、いつか他の国でレコードを作るのもおもしろいかもしれないね。

文化的に非常に強い発信力を持った地域でもありますよね。そのカルチャーを引っ張るというような意識があったりしますか?

SF:あるかもね。その責任を負いたいとまでは思わないけど(笑)。でも同時に、ここまで自分たちと強く結びついているっていうのもすごくいいことだと思う。軽くは考えてない。名誉だと思ってるよ。

“NYC”のニューヨークから10年ほど経ちますが、もっとも大きな変化だと感じられるのはどのようなものでしょう?

SF:実際には12年なんだ。時間が経つのは早いな。たくさんのことが変わらずそのままだと思うけど、やっぱり人生の中で前より経験を積んでいるから、いろいろなことがベターになってる。自分たちのやることすべてがね。もっと自信がついているし、ちゃんと考えて活動できるようになってる。若い頃って、多くのことが偶然起こってるって感じだった。だけどいまは、やりたいと思うことがちゃんと計画してできるようになったんだ。さまざまな場所を旅して、パフォーマンスを続けてきたから。計2000公演もやればベターになるよな(笑)。自然の流れや偶然に任せるんじゃなくて、もっと自分たちでいろいろと操れるようになってきたんだ。

デビューの頃から、みずみずしさよりは達観したような物腰があったかと思うのですが、歳を重ねたこととバンドが生み出す音とはどのように影響しあったと思いますか?

SF:歳を重ねると、自分の周りのものや人生がそこまでミステリアスではなくなってくる。いろいろなことがより簡単になってくるんだ。自分を苛立たせていたものがそれほど気にならなくなったり。音楽も、それ以外のこともそうだね。

ファンも年齢を重ねていると思いますが?

SF:ファンの年齢層は広いよ。ステージからは、18歳から50歳くらいのファンが見える。すごく幅広いんだ。

なるほど。では、いまだからこそ、『エル・ピントール』だからこそ表現できたと思うところはどのようなところでしょうか?

SF:各レコードが、書いているそのときを反映していると思う。そのときの自分たちと強く関連しているんだ。活動をつづけていくにつれファンの年齢層も広がって、自分たちも経験を積んできた。だから、いまの俺たちはより人に語りかけることができるようになってきたと思う。より説得力が増してきたというか。あと、共感もしやすくなっていると思う。そうだな、説得力よりも共感という言葉のほうが適切かも。そこは歳をとることのプラスな部分だね(笑)。

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いまの俺たちはより人に語りかけることができるようになってきたと思う。より説得力が増してきたというか。あと、共感もしやすくなっていると思う。そうだな、説得力よりも共感という言葉のほうが適切かも。

このアルバムを通じてどのようなことを伝えたかったのでしょう?

SF:最初の時点では、メッセージを込めるというよりは、自分たちが作りたいレコードを作っていたんだ。より直接的な、ポイントをダイレクトに突いた作品を作りたかった。ありがたいことに、リスナーもそれを聴きたがっていたからうまくいったんだ。大切なのは、自分たちが作りたいものを、自分たちの手で作るということだと思う。それがあればこそ、自分の正直さや誠実さを伝えることができるんだと思うから。「俺たちが作った作品が聴きたい」それがみんなが求めていることだしね。

今作もミックスがアラン・モウルダーということですが、前作よりさらにフィットするようになったのではないでしょうか? 楽曲もそうですが、落ち着いていて、かつどことなくセクシーな感触の音だと感じました。

SF:だよね。彼は最高なんだ。君の意見には俺も賛成。たしかに前作よりはフィットしていると思う。俺たちが、前よりベターなアルバムを書いたからね(笑)。元は大事だから。

はは(笑)。元がよくなったのももちろんですが、彼自身の作業がより自分たちの作品にフィットするようになってきたとは感じますか?

SF:そうだね。彼は俺たちのことをより理解しているし、俺たちが何を求めているかもわかってる。あと、今回は彼とすごく親しいエンジニアといっしょにレコーディングしたんだ。だから、以前よりもさらにチームワークといった感じだった。みんながお互いを知っていたからね。それもよかったんだと思う。

10年前にやっておけばよかったと思えるようなことはありますか? 音楽においてもそうしたことがあれば教えてください。

SF:ノー(笑)。なるだけ過去は振り返らないようにしてるから。前進しようと心がけてるんだ。いまを大事にすることもね。10年前の自分のよくなかったところは、過去を振り返って、ああしなければよかった、こうしなければよかったのかも、と考えていたこと。いま自分が置かれている瞬間のことは気にかけずにね。それではバンドはベターにならないのに。いま与えられているものが自分が持っているすべてなんだから、やっぱりそこにフォーカスするのが大事なんじゃないかな。いま自分がやっていることだけを気にかけるっていうのが、後悔を避けるいちばんの方法だと思うよ。

毎度、ゲストとのよい緊張関係のなかでアルバムがつくられていますが、ロジャー・マニング・ジュニアやロブ・ムースとの仕事はいかがでしたか?

SF:誰だって? 彼らのことは知らないんだけど……(笑)。

本当に? 知らないですか(笑)? ロジャー・マニング・ジュニアとロブ・ムース。

SF:からかっているんじゃなくて、本当にわからない(笑)。彼ら、アルバムで何をやったかわかる?

楽器で参加したと思うのですが……。

SF:あー! やっとわかったよ。俺は彼らに会ってさえいないんだ。彼らは主にポールとダニエルと作業してたから。自分のパートの作業が終わったあと、俺は現場に残らず、あとの作業は彼らに任せてたからね。だから知らなかった(笑)。でもいい仕事はしてくれたと思う。完成した作品にはすごく満足してるんだ。この質問はポールに聞いて(笑)。

そうなんですね。ではブランドン・カーティスさんについてなんですが、彼はバンドの音にサイケデリックな奥行きを加えていると感じます。3人体制となったことで音をしぼっていく方向もあったのではないかと思いますが、今後のバンドの向かう音としてはどのようなイメージをもっていらっしゃいますか?

SF:どうだろうね。自分たちでもわからない。いまのレコードから将来どう進んでいくかはまだ見えてないんだ。でもきっと、来年のツアーでいろいろ見えてくると思う。何かいいアイディアが思いつくんじゃないかな。でもそれまでは無理に捜そうとせずに、見つかるまで待っていようと思う。ブランドン・カーティスはインターポールにとってアシッドなんだ。欠かせない人物だね。

3人体制になってからサウンドは変わったと思いますか?

SF:やっぱりダイレクトになったと思う。より核心を突いたサウンドに戻ったと思うね。

音楽の作り手として、まだ見ぬ新しいフォームを見つけだしたいと思いますか? また、最近そうした新しい音楽のかたちが生み出されていると感じたアーティストや作品はありますか?

SF:最近はあまりそういった作品は聴いてないな。そういう作品が自分で聴きたいからと思って見つかるものでないように、そういうのはやっぱり見つけるものではなくて、自然と生まれるもの、見つかるものだと思う。気を張っていては生まれないものなんじゃないかな。だからいずれ見つかるかもしれない。それがいつになるかはわからないけど(笑)。見つかればいいな。

曲作りでは、あらかじめアイディアを持って取り組んだりはしない方ですか?

SF:ダニエルが最初のアイディアをまずたくさん書くから、ちょっとした構成はあるよ。でもそこからお互いにアイディアを乗せていくから、その共同作業からいろいろと新しいものが生まれてくるんだ。プロセスの途中でどんどん変化していくんだよ。

プレイすることの喜びと、曲が人々に浸透し愛されることの喜びとではどちらのほうが大きいですか?

SF:おもしろい質問だね(笑)。そのふたつを分けることはできないよ。どちらも重要だから。でも人を自分の音楽でハッピーにするには、演奏している上で自分自身がハッピーであることが前提だと思う。だから、自分自身の喜びがまず最初にくるかな。そこに人がついてくるんだと思うから。

どんなときに、自分の音楽が人々に愛されているなと実感しますか?

SF:よくわからないけど、あるときふと自然にそういう瞬間がくるんだよね。でも、俺はあまり自分が愛されているという考え方はしないようにしてるんだ。そういう考えを持っていないほうが、それを感じたときにいいサプライズになるからね。世界の人々が俺たちの音楽を聴きたがっていること、ライヴを楽しみにしてくれていることを感じられる瞬間が。そういう状況は、当たり前と思うには最高すぎる。つねに控えめでいることが大切だと思うね。

 すっかりと定着したインディ・ロックのライヴ・イヴェント、〈Hostess Club
Weekender〉。次回は来年2月21日(土)と22日(日)の2日間にわたって行われる模様で、ヘッドライナーには新譜のリリースを控えたベル・アンド・セバスチャン、そして第一弾のラインナップにはセイント・ヴィンセント、カリブー、チューン・ヤーズ、リアル・エステイト、ハウ・トゥ・ドレス・ウェルの名が見える。これははっきり言って当たり回!
 毎度良質なインディ・ロックを高密度で味わわせてくれるイヴェントだけれども、ビッグでありながらいまだ瑞々しく前線を走る、あるいはシャープなままポップ・フィールドにその存在を刻み付けている面々が揃っている。
 続報を期待しながらチケットの発売を待ちたい。

■Hostess Club Weekender

出演:BELLE AND SEBASTIAN / ST.VINCENT / CARIBOU / TUNE-YARDS / REAL
ESTATE / HOW TO DRESS WELL and more…!

日程:2015年2月21日(土)& 22日(日)

場所: 新木場スタジオコースト

オフィシャルサイト: www.ynos.tv/hostessclub

※2日通し券先行販売は11月8日(土)から!
チケット他詳細、後日発表!

出演アーティストプレイリストはこちら:
https://www.youtube.com/playlist?list=PLVFVd1


■セイント・ヴィンセントの単独公演も決定!
日程:
2015年2月19日(木)梅田クラブクアトロ
2015年2月20日(金)渋谷クラブクアトロ

単独公演詳細はこちら:
https://www.creativeman.co.jp/artist/2015/02stvincent/

チケット販売は11月8日(土)から!

Cut Hands - ele-king

 ウィリアム・ベネットのカット・ハンズ(Cut Hands)の新譜、リージス(Regis)ことカール・オコナーとエインシェント・メソッズ(Ancient Methods)の二人によるウガンダン・メソッズ(Ugandan Methods)と、ドミニク・フェルノーことプリュリエント(Prurient)によるコラボレーション盤が届いた。現在のインダストリアル・リヴァイヴァルの発端となった連中の新譜を聴きながらムーヴメントを改めて振り返るのもいいかもしれない。

 まず、最初から薄々感づいていたのだけれども、このカット・ハンズの新譜、『フェスティヴァル・オブ・デッド(Festival of the Dead)』は例のごとく概出の曲がガンガン収録されていている。これ、そもそもダブルLPにしなくても入ったでしょ。

「勘弁してくださいよベネさ〜ん……4曲も被ってるじゃないスか〜」
「いや〜ローンの支払いがヤバくてさ〜、そこをなんとかしてよ! ね!」

 みたいなやりとりがレーベルと彼の間にあったかは知らんけども。
とりあえず、これが果たして本当に“待望のスタジオ・フル・ダブルLP!”なのかどうか、この人の音作りとサンプリングのヴァリエーションの少なさは措いといたとしても、相変わらずカット・ハンズのトラックは心地いい。ポスト・コロニアル的世界観を構築するかのようなパーカッションによるポリリズム、粗い電子音と音響処理によるいつものサウンドのワッショイ系トラックは相変わらず健在ではあるが、『地獄の黙示録』のパトロール・ボートがメコン川を上っていくようなメロウなトラック群に強いて言えば前作よりも深みがある。ディヴァイン・ホースメン的なお馴染みのイラストレーションも相変わらずカワイイ。
 そもそも劇的な進化をこのオッサンに求めるべきなのかどうか。ホワイトハウス→カット・ハンズは明らかに新たな音楽的境地ではあるのだが、そういえばホワイトハウスの音源はどれもかなり金太郎飴なサウンドだし、カット・ハンズもそうってことなのかしら? あ、でも金太郎飴を切ってる光景ってカット・ハンズっぽいよね。

 そして前回のレヴューでコキおろしてしまったウガンダンメソッズが、スタジオで綿密に作り上げたトラックに、プリュリエントがそのスタジオの便所で叫んだりウィスパーしたりしてるような『ダイアル・B・フォー・ビューティー(Dial B For Beatuty)』。この場をかりて深くお詫び致します。僕、これとても好きです。
 過去のウガンダン・メソッズの音源と同じく、昨今の雰囲気系インダストリアルとは一線を画すトラックの秀逸なコンポジションはハード・ミニマルにおける長年の歴戦を充分に感じさせるものであるし、安直にフィルターに頼らない展開や、限定的なエフェクト処理による徹底的に乾いた音作りは既存のテクノに寄らない姿勢すら感じさせる。毎度この合体ユニットの細かいこだわりを貫き通す制作には、感服いたします。

interview with Photodisco - ele-king


Photodisco
SKYLOVE

Pヴァイン

ElectronicDream Pop

Tower HMV Amazon iTunes

 子どもの頃、ずっと空を見上げていたあの時間はどこへ行ったのだろう? フォトディスコの3年ぶりのセカンド・アルバムとなるその名も『SKYLOVE』は、その時間をじつに自然なやり方で取り戻す。メロウで清潔で、そして無邪気にドリーミーなフォトディスコらしいメロディが豊かに色づいている本作は、はっきりと「空」をコンセプトとして掲げることで、彼が描こうとしているものが何かを簡潔に示している。ここでフォトディスコが映し出す空は、都市生活者がふと見上げるビルの谷間の空であり、幼い頃虹がかかっているのを発見してはしゃいで指さした記憶のなかの空であり、あるいはどこまでも広がる想像上の宇宙としての空でもある。

 日本におけるチルウェイヴとしてベッドルーム・ポップ愛好者から人気を集めたフォトディスコだが、海外のチルウェイヴがサウンド的に分散していったこの3年という期間を経て、より純粋な意味でエレクトロニカに近づいたように聞こえる。
 “Rainfall”における雨の音のフィールド・レコーディング、あるいは“Endless Love”の透明感のある音使いにはかつてフォークトロニカと呼ばれた感性が息づいているし、アコースティック・ギターの柔らかなリフレインと多重録音によるコーラスの重なりが光を乱反射させる“虹”は、彼のなかの眩い叙情性が溢れだすかのようである。ビビオやフォー・テットといったエレクトロニカ勢、あるいはノサッジ・シングやバスといったLAビート・シーン周辺のトラック・メイカーの現在とも緩やかにリンクしつつ、しかし日本的な色づけも忘れてはいない。“夕暮れ”ではポップスに対する野望を滲ませ、あるいは以下のインタヴューで本人も発言しているようにビートでの挑戦も見受けられる本作ではあるが、描き出す風景やムードはこれまで彼が育ててきたものをより純化させているように感じられる。
 移り行く季節や時間に不意に自分自身が溶け込んでいく瞬間や、過ぎ去った記憶が不意に蘇るような感覚。その甘美さこそが、フォトディスコのポップ・ミュージックとしての強度である。寝ていても醒めていてもいい、夢見心地でいることは、音楽がもたらす豊穣な時間であることを『SKYLOVE』は証明している。

■Photodisco / フォトディスコ
ギターを軸に、シンセ、環境音などをDAW上でミックスする東京在住の音楽家。作曲、演奏、録音、映像などすべて一人で制作している。2009年に本名義での楽曲制作をはじめ、2010年に自主盤としてそれまでのコンピレーションを、翌2011年には〈Pヴァイン〉よりファースト・フル『言葉の泡』をリリース。シネマティックな音像、ベッドルーム・マナーな楽曲群は“和製チルウェイヴ”として注目を集めた。その後〈アンチコン〉のビートメイカー、Bathsの来日公演に出演するほか、オムニバス作品などへも参加、さまざまなメディアで自身の楽曲が使用されるようになる。本年10月にはセカンド・アルバム『SKYLOVE』が発表された。


ガンダムとかって、宇宙のことも「そら」って言うじゃないですか。そういうのを描きたいなって思ったんですよ。

ファースト・アルバム『言葉の泡』からほぼ丸3年なんですけど、最近だと3年ってけっこう――。

PHOTODISCO(以下、PD):長いですよね(笑)。

ネット時代の体感では(笑)。この3年間ってどんな時間でしたか?

PD:自主で出したりもしたんですよ。

そうですよね、カセットで。

PD:はい、アナログ媒体に興味があったのでカセット出そうかなと。あとは……曲をけっこう作ってたんですけど。

曲はずっと作ってたんですか?

PD:作曲はずっとやってましたね。曲は溜まってたんですけど、ただ、これだっていうのがあまりできなかったので。今年に入ってやっと形ができてきたんですよね。

それはコンセプトが見えてきたという?

PD:いや、コンセプトの前ですね。曲が沸々と上がってきまして、じゃあアルバム出そうかっていうことで、じゃあコンセプトを考えようっていうことで。ただコンセプトを考えはじめたときから曲作りのスピードが速くなりました。僕は与えられたほうがけっこう作れる人間なんだなあって。

それまでによく聴いていた音楽ってありました?

PD:そうですね、いちばん聴いてたのは……トロ・イ・モワとかウォッシュト・アウトとかもそうですし。チルウェイヴ勢とか、デイデラスとかフライング・ロータスとかのLAビート周辺だったりとか。ティーブスであるとか。

じゃあチルウェイヴ・その後っていうのは丹念に追ってらしたんですね。

PD:はい、リスナーとして追ってましたね。

どういうふうに見てました? ポスト・チルウェイヴというか、チルウェイヴ第一世代のその後の展開というか。

PD:みんなバンド・サウンドに行きましたけど……彼らって結局バンドに憧れてたキッズたちなんだなって。バンドしても解散したりするし、意志の疎通がうまくいかないとかで曲が生まれないとか(笑)、音楽活動として思い通りに動かないじゃないですか。だけど根っこはロック・リスナーだと思うんですよね。それで成功してからバンド形態になってやってるんじゃないかなと。

たしかに。彼らの場合はライヴをやらないといけないっていうのもありますしね。そんななかで、フォトディスコとしてもバンド・サウンドに惹かれたりすることはそんなにはなかったんですか?

PD:やっぱり惹かれますよね。

ああ、そうなんですか。

PD:惹かれますけど、やっぱり自分の脳内でできた音楽が世に出るってことが僕にとっていちばん大切なことなので。やっぱりひとりでやったほうがいいかなと。

前作のときに「チルウェイヴを勉強した」ってお話されてたんですけど、やっぱりチルウェイヴがおもしろかったんですね。

PD:おもしろかったですね。

でも実際、どうでした? フォトディスコって和製チルウェイヴって紹介がすごくされましたけど、違和感とか抵抗感とかはなかったんですか? 

PD:それがまったくないんですよね。実際にはすごく大きな流れだったのに、なぜかちょっと否定的に言われましたよね。僕はそう呼んでいただけるんならそれはそれでいいって感じです。


エモのひとたちってある時期、だんだんフォークトロニカ風になるんですよね。

なるほど。今回、新作を聴かせていただいて、僕はチルウェイヴよりもエレクトロニカであるとか、10年ぐらい前フォークトロニカって呼ばれたものをすごく思い出したんですよね。そもそもフォトディスコのなかで、エレクトロニカみたいなものって好きなテイストとしてあるんですか?

PD:ありますね。昔エモって言われたひとたち――ゲット・アップ・キッズとか。で、エモのひとたちってある時期、だんだんフォークトロニカ風になるんですよね。ポストロックも結びつくし。そういうのも聴いてたんで、影響を受けてるところもあるのかなって。

ああ、なるほど。僕が84年生まれでウォッシュト・アウトと同い年なんですけど、ちょうどエレクトロニカあたりが記憶としてあるんですよね。その時代を思い出すというか。フォー・テットなんかもお好きですか?

PD:好きですね。

なんとなく、ウォッシュト・アウトがセカンド・アルバムでフォー・テットを勉強したって話とどことなくリンクするところがあるのではないかと思って。

PD:へー、そうなんですか。それおもしろいですね。

今回のアルバムで、いわゆるチルウェイヴと呼ばれる音と離れようと意識したっていうのはありますか?

PD:ありますね、やっぱり。僕はチルウェイヴっていうのは精神論だと思うので、それはずっとありつづけることだと思うんですけど。ただ音色的にチルウェイヴ的なものっていうのが広がり過ぎたかなって思ったので、そこはカブらないようにしようっていう意識で。

その音色的なもの、あるいはサウンド的な方向性ってどう位置づけてらっしゃったんですか?

PD:前回はビートがけっこう単調だったんで、今回はビートをいじろうかなと。そこをすごく意識しましたね。

じゃあ、けっこういろいろ試してみてっていう。

PD:そうですね。その前にノイズとかっぽいものをひとりでむっちゃ作ってたんですよ。でも、自分が気持ちいいだけで(笑)。ひとに聴かせると「ノイズは深く追求しているひとがめちゃくちゃいるからそこに無理に入らないほうがいいよ」って感じで言われまして。

そういう意味では、自分が気持ちいいってところはポイントではなくなってるんですか?

PD:いや、それは大前提としてあります。10曲とも自分にとっての「ザ・ベスト!」みたいな感じです(笑)。

いちばん最初に出来た曲ってどれなんですか?

PD:1曲めの“Skylab”ですね。これは頭にもってきたかったので。

そうなんですか。まさにこの曲について訊こうと思ってたんですけど、このロウビットな音色っていうのは、ベッドルーム・ポップなんだということをあらためて表明するように聞こえたんですがいかがでしょう。

PD:いやあ、ほんとに機材環境がやばいというか(笑)、安い環境なので。いま自分ができることを前提に作ってるんです。

録音の環境は変わってない?

PD:変わってないですね、ぜんぜん。

ほんとに機材環境がやばいというか(笑)、安い環境なので。いま自分ができることを前提に作ってるんです。

この曲のタイトルは後につけたんですか?

PD:これは後ですね。コンセプトが「SKYLOVE」なので、そのコンセプトとよく似た曲タイトルを作ろうと思ったので。

なるほど。じゃあそのコンセプトについてなんですけど、どのようにできたものなんですか?

PD:今回は空がテーマなんですけど。僕ずっとアニメも好きなんですけど、ガンダムとかって、宇宙のことも「そら」って言うじゃないですか。そういうのを描きたいなって思ったんですよ。空ってすごくロマンティックじゃないですか。宇宙もそうですし、空を見上げるのもそうですし。あと僕、海のなかも空だって思うんですよ。そういったアルバムを作りたいなと思ってタイトルをつけましたね。

その空っていうのは風景としての空なのか、記憶のなかの空なのか、ジャケットにあるようにSF的な空なのか――。

PD:それはもうすべてですね。僕の記憶のなかにある空とか、絵やイラストで見る空とか、ありますよね。それをすべていっしょにしたアルバムですね。

空がもともとお好きだったんですか?

PD:そうですね。写真を撮るのがもともと好きなんですけど、ひとを撮らずにずっと空ばっかり撮ってるんですよね。雲とか(笑)。今回トレーラーを作ったんですけど、あれも僕が空を撮って作ったんですよ。



その、空がお好きな理由って自己分析できますか?

PD:うーん……逃げたいんじゃないですか(笑)。逃避的な精神があるかもしれないですね。

なるほど。僕の場合は、空がコンセプトだとお聞きして、空見なくなったなーと思ったんですよね。子どもの頃はよく見てたのに。っていうことを踏まえると、空ってすごくフォトディスコっぽいコンセプトだなと思ったのと、あと風景や自然に興味が向かうっていうのも非常にエレクトロニカ的だなと思いましたね。
 フォトディスコの音楽って、これまでも風景からインスピレーションを受けたものが多かったですよね。このアルバムでも風景からインスピレーションを受けたと思われるタイトルの曲――“Rainfall”、“虹”、“夕暮れ”がありますけど、すべてヴォーカル・トラックになってますよね。今回ヴォーカルを入れようと思った理由はなんでしょう?

PD:それは……ヴォーカル曲があったほうが食いつきがいいんじゃないかなと(笑)。

とくに“夕暮れ”なんかはJポップ的なものに対する欲望も感じるというか。

PD:そうですね、もうJポップですよね。

そこに参照点はあったんですか?

PD:それは僕のバックグラウンドでしょうね。オルタナティヴ・ロックとか、日本のインディ・ロックに憧れてた時代を描写するような曲なんじゃないでしょうかねえ。

それはご自身の思春期的なものなんですか?

PD:そうですね。

なんでですかね、子どものときって空見ますよね。学校から帰るとき暇なのかわからないですけど。

“夕暮れ”はかなりヴォーカルを生で聴かせてますけど、“Rainfall”はヴォーカルにエフェクトかけてますよね。これはどうしてなんですか?

PD:ほんとは歌ってたんですけど、キーがもうちょっと高いほうがいいなと思ったんですよね。で、僕のヴォーカルじゃ合わないなと。それで声をめちゃくちゃ高くしたらああなって、これでアリだなと思って。

これはフィールド・レコーディングもあって、前作の手法を踏襲しつつっていう曲ですね。あと“虹”はヴォーカルを多重録音してますね。

PD:これは音質がすごく粗くて、ミックスのひとにもちょっと笑われたぐらいで(笑)。

これはどうやってできた曲なんですか?

PD:このなかでアコギがメインで作った曲ってなかったんですよね。で、1曲ぐらいアコギがメインの曲が欲しいなと思って作った曲ですね。

この「虹」っていうのは、本当に風景としてある虹なのか、あるいは概念としての虹なんでしょうか。

PD:これも記憶ですね。虹ってそんなに見ないじゃないですか。たまにツイッターとかで誰かが写したものとか、そういうものでしか見れなくて。だけど幼い頃、小学校の帰りなんかでよく見ませんでした?

たしかに。

PD:なんでですかね、子どものときって空見ますよね。学校から帰るとき暇なのかわからないですけど。そういう描写を思い浮かべて。自分で水を撒いて作ろうとしたんですけど、それは無理でした(笑)。

(笑)虹もお好きなんですね。

PD:虹も好きですね。

記憶のなかの虹だとしたら、ちょっとノスタルジックな意味合いもある?

PD:そうですね。そんなにいい思い出があるわけではないとは思うんですけど。

あそこで繰り返している言葉っていうのは――。

PD:「虹」って思い浮かんだ瞬間に言葉が出てきました。

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たとえば怒りみたいなものをテーマにして作っちゃうと結局、自分では聴けないんですよね。自分がいちばんのリスナーなので、聴いてるとそのときの自分の怒りが蘇っちゃうんですよ。


Photodisco
SKYLOVE

Pヴァイン

ElectronicDream Pop

Tower HMV Amazon iTunes

あと“夕暮れ”を聴いてて思ったんですけど、やっぱりフォトディスコのなかでスーパーカーって大きいんですね。

PD:僕のなかでは大きいですね。

中村弘二さんのニャントラなんかも?

PD:そうですね、聴いてましたけど、でもバンドに思い入れがありますね。

へえー。僕も同世代なんですごく記憶にあるんですけど、スーパーカーが『Futurama』から『HIGHVISION』でエレクトロニック化したときってどうでした?

PD:僕は受け入れましたね。スーパーカーってアルバムごとにサウンドが変わるじゃないですか。ああいうのがいいなって思いますね。やりたいことをやってるんだろうなって。

フォトディスコって、その時期のスーパーカー的なエレクトロニカ感っていうのもあるように思えるんですけど、そこはあんまり意識されてなかったですか?

PD:ぜんぜん意識はしてなかったんですけど、僕のなかで根強くあるのかもしれないですね。

じゃあ逆に、リアルタイムで共感するトラック・メイカーっていますか?

PD:僕ティーブスはすごくいいなと思いますね。サンプラーだけで曲作ってるらしいんですけど、そのSP404SXってサンプラー僕も持ってるやつで。よくあれだけで曲作れるなあって。僕一回試したんですけど、作れないんですよね。そこはすごく尊敬します。とてもシンプルなスタイルなんですね。「ボールは友だち」みたいな感じでサンプラーと遊んでいて……。ビートの打ち込み方もすごくカッコいいし。

なるほど。あと先ほどLAビート周辺っておっしゃってましたけど、僕は彼らとも近い感性を感じるんですよ。ライヴで共演されたバスだったり、ノサッジ・シングだったり。フォトディスコが彼らと共通するのって、メロウな感覚なのかなと思うんですけど、どうしてそういうものが出てくるんだと思いますか? たとえば怒りや嘆きみたいな、激しい感情じゃなく。

PD:そうですね……たとえば怒りみたいなものをテーマにして作っちゃうと結局、自分では聴けないんですよね。自分がいちばんのリスナーなので、聴いてるとそのときの自分の怒りが蘇っちゃうんですよ。そんなの僕としては蘇らせたくないんですよ。自分が作る曲は日々感動したものをパッケージングしたいなと、そう思って作ってるんですよね。やっぱり僕が聴いていて気持ちいいものがいいなと(笑)。そういう感覚はありますね。

そういうところも含めての、今回のタイトルに「LOVE」が入っているのかなという気もしますが、けっこう思いきりましたよね。

PD:思い切りましたね(笑)。

これはどうして出てきた言葉なんですか?

PD:いや、「SKYLOVE」って言葉が出てきたときは恥ずかしいとも何とも思ってなくて、単純に「空が好きだな」って感じで。造語っぽい感じで2単語が続いてるんですけど、あとはアポロのスカイラブ計画とちょっとかけてるっていうのもありますね。

ああ、そこで宇宙的な意味もちょっとあるんですね。そういうちょっとSF的な世界観って反映された曲ってありますか?

PD:1曲めの“Skylab”の中盤あたりのぐちゃぐちゃっとしたアンビエントなんかはちょっとあるかもしれないですね。あと“Space Debris”って曲は隕石とかがぶつかり合うようなイメージで作った曲です。ちょっとジャズっぽい要素があって。ほんとはすごくメロディアスな曲だったんですけど、ちょっとダサいなと思って(笑)。で、自分の曲を4トラックのMTRに突っ込んで、ちょっとホワイト・ノイズを乗せて、またPCに乗せて、それを切り刻んでサンプリングしたらなぜかジャズっぽくなって(笑)。


これ作ってるとき、めちゃくちゃエイフェックス・ツインを聴いてたんですよ。

へえー、すごく実験した曲なんですね。とくに終盤が冒険したトラックが多いですよね。

PD:そうですね、後半あたりから自分のこれまでのカラーにないものになってきてます。次のアルバムに繋げたいという意思表示が入ってます。

ラストのタイトル・トラックである“Skylove”なんかはドラムンベース的なリズムで。

PD:ああ、これはエイフェックス・ツインをかなり意識したので(笑)。

おお!(笑) タイムリーな。

PD:これ作ってるとき、めちゃくちゃエイフェックス・ツインを聴いてたんですよ。

それは新譜の話が出る前ですから、偶然ですよね。

PD:これ作ってるとき、たまたますごく聴いてて。

エイフェックス・ツインはもともとお好きなんですか?

PD:好きですね。

どういうところが好きですか?

PD:エイフェックス・ツインはそうですね……生き方とか。

あ、いきなりそっちなんですね(笑)。

PD:いや、もちろん音もですけど。ガチのテクノっていうより、このひともロック的な感性もあるんじゃないかなあっていうところが僕は好きですね。

この曲ができたのはかなり終盤ですか?

PD:最後ですね。これは絶対いい曲を作ってやろうという意気込みで作りました。

“Tokyo Blue”っていうのはまさに東京の空ってことですか?

PD:そうですね、臨海方面というか、お台場方面を意識して作ったんですけど(笑)。

SF的な空であったり、リアルな空が混在してるのがおもしろいですよね。

PD:そうですね、リアルな空もありますね。

じゃあ、タイトルについてももうちょっとお訊きしたいんですけど、「LOVE」っていう言葉をタイトルに入れるのは、ちょっとためらわなかったですか?

PD:ああー……ダサく響くっていう?(笑)

いやいや、ダサいっていうより、誤解を生みやすい言葉だとも思うんですよね。狭い意味だと、それこそJポップ的な恋愛の意味にも捉えられかねない。

PD:まあでも、僕のなかでは、「LOVE」っていうと、二次元になっちゃうんですよね(笑)。アニメでカップルが宇宙見てる感じっていうのが、僕のなかで『SKYLOVE』ですね。

抽象的な概念として。

PD:そうですね。そう言われてみると、思い切ってますね。

まずこの絵、地球じゃないじゃないですか。それから、すべて揃っているところ。雲もあるし虹もあるし、地球もあるし海もありますから。

このアートワークはどういう風にできたんですか?

PD:コンセプトが決まって、自分でイラストレーターを選びたいなと思ったんですよ。でも制作期間がもうなかったので、これはもうpixivしかないと思って(笑)。pixivで宇宙とか空とかキーワード検索を入れて、しらみつぶしに自分の気に入る絵をずっと見てたんですよ。そしたらこのmochaさんが引っかかって、すごくいい絵を描かれるなと思って、ぜひこの絵にしてもらいたいなと。あと僕の頭のなかの映像とすごくリンクしていて。

どういうところに惹かれましたか?

PD:まずこれ、地球じゃないじゃないですか。そういうちょっとアニメっぽいところと、あとはすべて揃っているところ。雲もあるし虹もあるし、地球もあるし海もありますから。まさにこのテーマに合ってるんじゃないかなと思ったんですよ。

アニメは昔からお好きなんですか?

PD:昔から好きですね。

最近は何がよかったですか?

PD:最近は……『ばらかもん』とか(笑)。知ってます?

知ってますよ(笑)。

PD:あとは『月刊少女 野崎くん』にハマってましたね。おもしろかったです。

あ、そこはSFには行かないんですね?

PD:いや、SFも観ますけど、今期僕が好きだったのはそのふたつかなと。『Free!(Free! -Eternal Summer-)』とか。

今期っていうのがさすがですね(笑)。そういうアニメをいくつも見ている生活が、今回アルバムに反映されたところはあります?

PD:どうですかねえ……。あ、でも『残響のテロル』の菅野よう子さんも本当に素敵だったので。そういう感じも出てますかね……いや、出てないか(笑)。

(笑)まあ、後半いろんな音楽的要素が入ってくるあたりは遠からずかもしれないですね。

PD:そうですね、やっぱり刺激的な音楽は作っていきたいと思ってますし。

アニメの話が出たところで、ひとが作る映像に使われたいっていうのはありますか?

PD:もうめちゃくちゃありますね。

それはどうしてですか?

PD:自分の音楽でカッコいい映像を流してほしいんですよね。コラボレーションっていうかはわからないですけど、それが合わさったときに、さらに曲が引き立つんじゃないかなと思って。使ってもらいたいなといつも思ってます。

ご自身も映像を昔作られてたという話で。

PD:そうですね。そういう学校に行ってました。


この前アルバムをおじいちゃんに渡したら、「いやー寝れるわー!」って(笑)。

今後曲に合わせて映像作りたいなって思われたりはしないですか?

PD:とりあえずいま、『SKYLOVE』の曲に合わせてPVを作ってるんですよ。トレーラーとは別に。

ああ、そうなんですか。

PD:空ばっかり一眼レフで写して、素材はできてるんで。落ち着いたら作りたいと思います。

それぜひ観たいですね。そういった映像喚起的ところもエレクトロニカ的というか……いま、海外でEDMに対抗するものとしてエレクトロニカの存在感が増していますよね。日本も案外EDM的な土壌が広がっているので(笑)、フォトディスコがオルタナティヴとしていてくれるのは心強いと思いますよ。

PD:テレビCMとかからもEDMが聴こえてきますもんね。そうですね、カウンターになればいいですけどね(笑)。

バスとライヴをされてましたけど、今後ライヴはしていきたいと思われますか?

PD:そうですね、やっぱり勉強になるんですよね。ライヴってすごく発見の場だと僕は思ってるので、できれば飛び込みたいなというのはありますね。

そこで映像を使うライヴが、僕はフォトディスコにピッタリなんじゃないかなって思います。

PD:映像を作れる友だちを作らないといけない(笑)。すべてひとりでやっちゃってるんで。

ではそろそろ最後の質問なんですが、『SKYLOVE』はどういうときに聴いてほしいアルバムですか?

PD:東京だったら電車のなかで聴いてもらったり、帰り道に缶ビール飲みながら聴いていただけたらと。

生活のなかに溶け込んでいるイメージですよね。

PD:僕はだいたい、夜の静かなときに聴いてほしい感じはあります。この前アルバムをおじいちゃんに渡したら、「いやー寝れるわー!」って(笑)。

(笑)

PD:親にも渡したんだけど、寝る前に聴いてるって。兄貴も寝る前に聴いてるって言ってました(笑)。寝る前に聴く音楽なのかなって。

いいじゃないですか、入眠ポップ。ボーズ・オブ・カナダみたいで。

PD:なるほど(笑)。

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