「Nothing」と一致するもの

 1月末、NYでは「史上最大の暴風雪に見舞われる」との警報があり、住民をあたふたさせた。地下鉄などの交通機関が止まり、食料調達も十分(スーパーマーケットに入るのに長い行列!)「危険なので、家にから出ないように」など住民に呼びかけ、万全で暴風雪に備えた。が、結局、史上最大ではなく、よくある雪の1日で終わった。
 みんなが悶々していた暴風雪警報が出た月曜日の夜、ほとんどのショーがキャンセルの中で、勇敢にもショーを行ったのがゾラ・ジーサス(https://www.zolajesus.com)だ。予定より早めに行われたショーの途中で、彼女は「ついてきて」、トロンボーン・プレイヤーを率い会場の外に出て、1曲「Nail」をアカペラで歌いだすなど、雪ならではのパフォーマンスを披露した。車も通らない、ガランとした雪のストリートにこだまする彼女の声と、それをあたたかく見守るオーディンス。大停電や台風の時といい、ニューヨーカーは災難時でも、エンターテインメントの心を忘れない。因みに、彼女はウィスコンシン出身、雪には慣れたものだったのかもしれない。
https://www.brooklynvegan.com/archives/2015/01/zola_jesus_perf.html



 暴風雪騒ぎから1週間経った今日2月2日も雪は降っていて、外はマイナス10度の世界。雪が降ろうが槍が降ろうがイベントは普通にある。昨日2月1日はスーパーボウル、フットボールの決勝戦。個人的に興味ないが、周りが盛り上がっているので、いやでも目に入ってくる。行き着けのバーに行くと、この日だけは大きいスクリーンを出し、みんなが大画面でスーパーボウルを鑑賞している。お客さんはもちろん、店員も仕事そっちのけで画面を熱く見守っている。点を入れなくても、何か好プレイ珍プレイをするたびに、「おーー!!!」や「ノーーー!!」や、「ぎゃーーー」などの奇声が飛び交うので、ドリンクもうかうかオーダー出来ない。一緒に行った友だちは、接戦の最後の5分は「もう心配で心配でしかたない!!!」と、私の手をぎゅっと握り、自分の事のようにハラハラドキドキしていた。
 結果、ニューイングランドのペイトリオッツが勝利(10年ぶり)。ルールがわからない著者にも、周りの気迫で好ゲームだったことが伝わってくる。
 スーパーボウルで注目されるのは、ハーフ・タイムショー。過去に、マドンナ(w/M.I.A.,ニッキー・ミナージュ)、ビヨンセ(w/ディスティニー・チャイルド)、ブルノ・マーズ(w/レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)などが出演しているが、今年はケイティ・ペリーとレニー・クラヴィッツ、ミッシー・エリオット。旬なのか、古いのかわからないラインナップだった。
 そういえば、テロリスト(?)に揺すられ、公開中止になりかけた、問題の映画『インタビュー』のなかで、主役のセス・ローガン(役名アラン)が、北朝鮮の最高指導者の金正恩の戦車に乗った時に、流れてきた曲を聴いて一言「あんた、ケイティ・ペリー聞いてるの?」。著者は、それで初めてケイティ・ペリーを知った。それだけ、彼女が「いま」の大衆音楽を表している。ハーフタイム・ショーの彼女も見事だった。レニー・クラヴィッツもミッシー・エリオットも貫禄抜群だったが、今年の顔はケイティ・ペリーで万場一致。

 ケイティ・ペリーは、メイクやポップなファッションが特徴で、一見今の時代どこにでもいるような女の子。歌がこの上なくうまいとか、ダンスが飛び抜けて上手とかではなく、格好を付けようとせず、素で勝負しているところが、同世代からの共感をかっているのだろう。下積みも長く、所詮ポップスなのだから流通しないと意味がないと、堂に入ったあきらめ感もあるし、彼女のキャラクターや世界観は、見る人を素直にハッピーにさせてくれる。プライヴェートもさらけ出し、ポップスターにも悩みはあるのよと、オーディエンスに近い感覚が現代のスーパースターのあり方なのだ。
 楽曲も親しみやすく耳に残り、カラオケに行ったらみんながシンガロングで歌いたくなるつぼを抑えている。ハーフタイムショーの1曲目に演奏した「ロアー」は聴いているとヴォリュームを上げたくなってしまう。映画で流れた「ファイア・ワークス」も、ヘリコプターを爆破するシーンに使われたが、周りの雰囲気を壊すことなく、シーンにぴったりとはまっていた。実際、彼女の曲は人の生活のなかに入って来ても邪魔しない。そこが現代的で彼女が支持されている理由なのだろう。

 ファイア・ワークスと言えば、スーパーボウルの1日前の1月31日に、ウィリアムスバーグの北の川沿いで大規模な火災があった。N11とケントアベニューの4F建ての貯蔵施設シティ・ストレッジから発炎し、200人以上の消防士が出動し、寒い中消火にあたった(制服に氷柱がしたたっていた)。一駅離れた著者の家の周りさえも灰が飛んできたり、こげた臭いが充満し、窓を開けることが出来ない。周辺の住人お店やレストランは、避難したり休店したり、暴風雪よりも大きい被害を被っている。完全鎮火には1週間ほどかかる見込みだそうだ。ドミノ・シュガー・ビルディングなど周辺ビル/コンドミニアムの契約書類が保管されていたのだが、無残にも焼かれてしまった。ここは、デス・バイ・オーディオやグラスランズなどの音楽会場を閉店に追いやった、ヴァイス・オフィスの真近くでもある。実はあまり報道されていないが同じ頃、グリーン・ポイントでも火災があったのだが、このふたつの火災の関係は? ウィリアムバーグの家賃高騰に対する嫌がらせだと言う噂も飛び交っているのだけれど……。

 スーパーボウルの日、誰もが家でピザやバッファローウィングを食べながらテレビを見ると思われたが、著者がスタジオをシェアしているバンドは「今日ショーがあるんだ」と雪のなか揚々と出て行った。雪+スーパーボウルという悪条件で「人は来るの~?」と思われたが、「友だちがたくさん来てくれた」とご機嫌に話してくれた。彼らは20代前半で、「スーパーボウルなんて、ピザしか食べない年寄りの見る物」と思っているらしい。
 彼らが演奏したのは、トラッシュ・バーという、ウィリアムスバーグの音楽会場。こちらも他の会場と同じく、リースが継続できず(家賃が4倍(!)になると言われたらしい)、3月の閉店が決まった。閉店後は、ブッシュウィックに移る予定らしいが、既にブッシュウィックはヒップスターの聖地、どうなることやら。
 また、元ウィリアムスバーグにあったガラパゴスという音楽会場は、ダンボで数年営業した後、来年ニューヨークを飛び出し、デトロイトに移ることを決めた。NYの小さなアパートメントと同じ値段で、デトロイトでは10,000スクエアフィートの湖つきの会場が手に入るらしい。ガラパゴスはウィリアムスバーグ時代は、ガラス張りの外から見える会場にある湖がトレードマークだった。ダンボに移った時点で、会場に湖なんて夢のまた夢と忘れられていたが、デトロイトで初心に戻るのだろう。ゴーストタウンと言われるデトロイトだが、そろそろ移住してもいいかもと思えるようになったのは新たな希望だ。アメリカの地方都市がこれからなるべき姿なのかもしれない。もちろんいまもNYは特別で、人が集まりたい場所であることは否定できない。が、ウィリアムスバーグの家賃問題は深刻極まりないし、火事も起こる(!)。地価問題と戦いながら、バンドは残されたところで演奏して行く。露出されなければ意味がないが、転がっているチャンスを、掴むことも可能な場所だから……。

スーパーボウル
https://www.nfl.com/superbowl/49
https://www.billboard.com/articles/events/super-bowl-2015/6458199/katy-perry-super-bowl-xlix-halftime-show-review

ウィリアムバーグの火事
https://bedfordandbowery.com/2015/01/photos-six-alarm-fire-on-williamsburg-waterfront/
https://bedfordandbowery.com/2015/02/photos-epic-warehouse-fire-enters-day-2-in-williamsburg/

トラッシュバー
https://www.thetrashbar.com

ガラパゴス
https://www.galapagosartspace.com

 さて、ブレイディみかこ氏による本作レヴューはご覧いただいているだろうか。いよいよこの週末から公開となる『ニック・ケイヴ/20,000デイズ・オン・アース』、ele-kingではご招待枠をいただいたので、観覧を決めかねていたかたへチケットをプレゼントいたします!

・2月8日(日)24:00を締切としてご応募下さった方から抽選で3組6名様に、2月10日(火)着で手配させていただきます
・チケットは新宿シネマカリテさんのみで有効です
・下記要綱にしたがってご応募ください

■ご応募方法
・件名を「ニック・ケイヴ チケットプレゼント応募」として、info@ele-king.netまでご応募ください(Eメールのみの受付となります)
・本文には「郵便番号/ご住所/お名前(代表者)/枚数」をお書きください
・当選された方には2月9日(月)中にチケットの発送と、「発送済み」のご連絡を差し上げます

※ご応募メールは抽選後破棄させていただき、個人情報につきましても本件以外の目的に使用させていただくことはございません。


映画情報:https://nickcave-movie.com/
新宿シネマカリテ:https://qualite.musashino-k.jp/
※本チケットプレゼントについてのお問い合わせは劇場では受付できません

Sam Lee & Friends - ele-king

 とくに21世紀に入ってからずいぶんたくさんの移民や難民を描いた映画を観ることになったが、紙版『ele-king vol.14』で三田さんと対談したときに気づいたのは自分のなかでエルマンノ・オルミの『楽園からの旅人』(2011)が尾を引いているということだった。映画ではイタリアのある街で取り壊されかかっている教会にアフリカ移民たちが逃げ込んで来る数日間が描かれていたが、すなわちその後日談はわからない。オルミは、未来も見えないまま流浪する運命にいる人びとがいまも現に存在するという当たり前の事実を提示した上で、その教会で繰り広げられる対話のなかでいくつかの宗教の対立と和解の可能性を示唆してみせていた。それは現在世界で起こっていることを考えると、より重くのしかかってくるようである……。

 「このナポレオンを巡るバラッドにおける、“イングランドとスコットランドの団結”と“ロシアでの戦争”というテーマは、今起きていることを予言していたかのようで、僕に強く訴えかけた。まるで歌ってくれと言わんばかりに。(中略)ここでは、英国のフォークソングと東欧の朗詠唱法が合流する接点を探索し、ロシアにある僕のルーツ、そして、時代と場所の感覚のタイムレスな対話を掘り下げている。」

 というのは、サム・リーのセカンド・アルバムとなる『ザ・フェイド・イン・タイム』収録曲“ボニー・バンチ・オブ・ローゼズ”に寄せられたリー本人の解説だが、それを読みながら、そして本作を聴きながら僕は『楽園からの旅人』の移民たちの顔を思い出していた。いや、サム・リーがあくまで英国トラヴェラーズの伝承歌のコレクターであることは承知しているし、イタリアの巨匠とは背景も立場もまったく異なるのだが、しかしさまよう人びとのなかに文学性や物語性を見出していることに共通のものを覚えたのである。
 そして、サム・リーの場合ここで本人が言うように「歌ってくれ」との啓示めいたものを感じている。彼は伝承歌がどうして「いま」歌わなければならないのか、ということに対して非常に雄弁だ。各曲の解説を惜しまず、また、その歌が「誰」から教えられたものか(すなわちルーツがどこにあるのか)を明示する姿勢は、リーの優れた研究者としての側面をよく示している。

 しかしながら、サム・リーは編集者として適材適所にひとを配置していくのではなく、あくまでも自分を歌の中心に置こうとする。いわば伝承歌にこめられた物語を自分に憑依させることでもう一度語り直そうとしているのだ。それは絶大な評価を受けたデビュー作『グラウンド・オブ・イッツ・オウン』から貫かれた態度だが、この2作めでは音響面において現代性を高めることに腐心しているように聞こえる。オープニング、“ブライン家のジョニー”がいきなりハイライトで、ミニマルに叩かれるパーカッションのリピートとそこで左右から飛んでくるシャープなブラスとエレクトロニクスの応酬は、実験的なエレクトロニカを聴く体験とそう遠くないものである。あるいは、“ボニー・バンチ・オブ・ローゼズ”における時空を歪ませるようなサンプリング使いと、妖艶に響く弦楽器と丸く響く打楽器のサイケデリア。かと思えば“グレゴリー卿”や“ウィリーO”では地鳴りのような弦の低音が鳴り響き、いっぽうで“愛しのモリー”ではホーリーなゴスペルが降り注ぐ。ルーツ音楽のモダナイズというとこの10年のトレンドとして繰り返されたフレーズだが、本作においてはその洗練の度合いがずば抜けている。ブライアン・イーノ界隈の人脈であるレオ・エイブラハムが関わっていることも大きいのだろう、たんに伝承を発掘するという「崇高さ」にあぐらをかかず、現在に通用する録音物に仕上げようという気迫が感じられるのである。
 そしてまた、若き日のマチュー・アマルリックのような青年の面影が抜けないサム・リーのジャケット写真からは想像もつかないほどの、彼の深い歌声が聴ける。曖昧な音階をしかし自在に行き来する“フェニックス島”での歌唱など、老ジプシー・シンガーによるものだと言われても信じてしまいそうだ。クロージングとなる“苔むした家”は陶酔的なほど美しくシンプルなピアノ・バラッドで、彼は確実にこの歌が生まれたというアイルランドの風景を見ている。研究だけでは飽き足らず、その歌が立ち上げる感情や肌触りを再現することへの情熱を惜しまないシンガーだ。

 そうだ、このアルバムに横溢するのは情熱である。サム・リーは現在、ブリテン諸島のものに限らずヨーロッパ大陸のジプシー音楽の収集にも取り組みはじめているという。だから場所を特定しない流浪者に想いを馳せるような音楽になっているのだろうし、現代における社会からの逸脱者、その感情を浮かび上がらせているのだろう。かつてのアーティスト志望のミドルクラスの青年は、前作でトラヴェラーズの伝承歌にたどりつき定住したのではなく、まさにライフワーク=流浪のスタートラインに立ったのだ。サム・リーの音楽は見落とされた現実に目を向けさせるような聡明さとともに、魔力的なまでにサイケデリックな引力を持ち合わせている。『ザ・フェイド・イン・タイム』とは逆説的なタイトルで、記憶が時間とともに薄れゆくとしても、感情は歌とともに蘇るのである。
 だからこの文章は、サム・リー本人による“フェニックス島”に寄せられた解説のなかの、力強い言葉で終えたいと思う。

 「この曲は物語性を失ってしまってはいるが、僕はずっと、文化の耐久力と、その人が受け継いだ文化的生得権として、支配的な社会の窮屈な生き方に束縛されずに独立した生活を送る権利を主張するというテーマゆえに、今まで生き延びたのだと信じてきた。それはジプシーとトラヴェラーたちが常時直面している試練であり、この問題について歌い、支持の意を表明することには価値がある。」

(引用は国内盤に寄せられたサム・リー本人の解説による)

Dub Syndicate - ele-king

 2014年はレゲエ・ファンにとって悲しみの1年だった。ホープトン・ルイス(歌手)、ジョン・ホルト(歌手)、フィリップ・スマート(ダブ・エンジニア/プロデューサー)、ウェイン・スミス(歌手)、バニー・ラグス(サード・ワールド)が死んで、スタイル・スコット(ドラマー)は10月に殺害された。58才だった。
 ジャマイカのスコットは、彼を巻き込んだ残忍な事件の前に、ダブ・シンジケートとして11年ぶりとなるオリジナル・アルバムの録音を終えていた。アルバムには、リー“スクラッチ”ペリー、U-ロイ、バニー・ウェラーといったレゲエの巨匠たちが参加した。ミキシングは、いままでのようにロンドンのエイドリアン・シャーウッドが担当した。こうして、2015年1月、ジャマイカの名ドラマーのひとり、スタイル・スコットの遺作はドイツのレーベルからリリースされた。

 スコットの死は、音楽のシーンにとって大きな喪失に違いないが、しかし彼の遺作は、そうした感傷をさっ引いたところにおいて、思いも寄らぬ悦びをもたらす傑作である。なんてことはない、相変わらぬレゲエ/ダブだ。が、「あれ、こんなに良かったっけ?」と、嬉しい驚きがあった。いちど聴いて、そしてもういちど聴いて、家にいるときに何度も繰り返し聴いている。ホント、気持ちが晴れ晴れとする。

 スタイル・スコットは、1970年代後半、クリエイション・レベルやルーツ・ラディックスといったバンドのドラマーとして頭角を表している。前者はルーツ・レゲエ・バンド、後者はダンスホール・スタイルへの橋渡し的なバンドだった。また、クリエイション・レベルがエイドリアン・シャーウッドと巡り会ったことで、スコットはザ・スリッツや〈ON-U〉レーベルと関わりを持つようになった。シャーウッドとスコットのふたりのパートナーシップは、1980年代の〈ON-U〉の音楽の骨格となった。ダブ・シンジケートもそのなかで生まれている。
 そんなわけで、スコットは、かたや〈Greensleeves〉で、かたや〈ON-U〉で、あるいはその他さまざまなレーベルの作品でドラムを叩いている。レゲエ・ファンであれ、パンクであれ、1970年代後半から1980年代前にかけてのスコットのドラミングを聴いてない者はいないだろう。

 ダブ・シンジケートの作品は、バンドがジャマイカで録音した素材を、ロンドンでシャーウッドがミックスしたものである。クリエイション・レベルの名作『スターシップ・アフリカ』(1980年)を聴けばわかるように、シャーウッドのダブ・ミキシングは、よりテクノロジカルなアプローチを具現化している。とくに初期は極端な電気処理を多用した。自家製のミキサーを使ったキング・タビーともポンコツを再利用したリー・ペリーとも違って、UKにはまともな機材があった。そうした環境面もこのプロジェクトの個性に結びついている。
 テクノ・ファンに〈ON-U〉好きが多いのは、エレクトロニックであることもさることながら、スコットが創出するリディムのミニマリズムが魅力的なグルーヴを有しているからだろう。オリジナル・アルバムとしては11年ぶりに録音された『ハード・フード』でも、彼のリディムは冴えに冴えている……いや、それどころではない。ひょっとしたら本作は、ダブ・シンジケートの数ある作品のなかでもベストなんじゃないかと思ってしまうほどの輝きがある。

 シャーウッドが情報量を削ぎ落としたストイックなミキシングに徹しているのが良い。ダブ・シンジケートのトレードマークである派手な電子効果音は、極力抑えられている。ときおり音響は揺らめくものの、基本的には心地良いリズムがたんたんと続いている。だだっ広い空間のなかを鼓動がこだまして、彼方で帚星が流れる。1曲目の、ほとんどドラム&ベースの展開を聴いたらファンは泣くかもしれないけれど、アルバムのなかに感傷的な要素はない。“Jah Wise”の透明な広がり、“Bless My Soul”の惚れ惚れとする美しさ、“Love Addis Ababa”の陶酔的な美しさ……などなど、「らしさ」は円熟の域に達している。好むと好まざるとに関わらず、人生は永遠にぶっ飛んではいられない。
 もっともスタイル・スコットその人の人生は、アルバムのタイトルが暗示するように「ハード(厳しい)」なものだったのだろう。しかし、僕がこの作品を推薦する理由は、この作品がハードだった彼の人生を反映しているからではない。むしろアルバムには、温かさ、優しさのようなものが滲み出ているからである。自分の内側から光が灯るように。

■5 classics of Dub Syndicate‎

The Dub Syndicate‎
The Pounding System (Ambience In Dub)

On-U Sound  1982

Dub Syndicate Featuring Bim Sherman & Akabu
Live At The T+C

On-U Sound  1993

Lee "Scratch" Perry & Dub Syndicate
Time Boom X De Devil Dead

On-U Sound  1987

Dub Syndicate
Stoned Immaculate

On-U Sound  1991

Dub Syndicate
Strike The Balance

On-U Sound  1989

interview with NRQ - ele-king

 インディ、ライヴハウス、なんでもいいけれども東京のシーンをみまわしたとき、ことベースにかぎれば、近年メキメキ頭角を現してきているのが服部将典であることに異論はあるまい。いや、べつにベースにかぎらなくともよいのであります。アコースティックと(NRQでは出番はないけれども)エレクトリックを弾きわけ、ピチカットにしろアルコ(弓)にせよ、ジャズを出自とするプレイヤーともちがう価値観を演奏に投影する服部の存在は、2010年代のロックなる分野を固定化したエンタメと歴史をひきうけたエクレクティシズムとに二分化するなら、まさに後者を体言するものではないか。『オールド・ゴースト・タウン』所収の“魚の午前”“余分な人”、『のーまんずらんど』の“合間のワルツ”に“春江”、このたびの『ワズ ヒア』の“ショーチャン”といった味わい深い楽曲の作曲者でもある服部将典と、牧野琢磨宅の2階でお話しした。

ギターにはソロがあるじゃないですか。その頃(ベースをはじめた高校生の頃)はそういうのがない、ひたすら同じ役割がつづく感じが居心地よかったんですね。


NRQ - ワズ ヒア
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服部さんは最初からベーシスト志望だったんですか?

服部:最初はエレクトーンで、それが小学生の頃。自発的に選んだ楽器はギターです。高校時代はイングヴェイ・マルムスティーンを聴いて早弾きの練習をしていました。

それは……意外ですね(笑)。

服部:そうですか?

ハードロックやへヴィメタルはだれしも通る道かもしれないですが。それってスキャロップ加工のストラトでハーモニックマイナー・スケールを弾きまくるみたいなのですよね?

服部:そうそう(苦笑)。あとはハロウィンとかクイーンとか。

総じていえるのは、メロディが強い音楽が好きだったということ?

服部:そうかもしれません。そのあとにパンテラの衝撃があって、メロディがないリズムだけの音楽を聴くようになったんです。

反動ですか? パンテラというと90年代なかばですね。

服部:高校生の頃だからそうです。そのときはまだベースを弾いていませんでした。弾きだしたのは高校3年ですから。バンド組むことになって、よくあるパターンですけど、ベーシストがいないから、やってといわれて、じゃあやろうかな、と。それでギターや鍵盤に戻ることなくいまにいたります。ギターにはソロがあるじゃないですか。その頃はそういうのがない、ひたすら同じ役割がつづく感じが居心地よかったんですね。

アコベをはじめたのは大学生になってから?

服部:大学4年ですね。

そんなに早いわけではないですよね。

服部:けっこう遅いと思います。

アコースティック・ベースはだれかに憧れてはじめたんですか?

服部:日本のハードコアにザ・ルーツというバンドがいて、最初はそのバンドに憧れてはじめたんですね。サイレント・アップライトでバチバチ、スラップするスタイルですね。

ジャズではないんですね。

服部:ぜんぜん。でも(アコースティック・ベースを)買うと、あいつ持ってんぞということで、そのころ軽音楽部に入っていたので、いろんなバンドで弾くようになったんですね。その軽音楽部にいた連中はいまも音楽活動をしていて、角田波健太はひとつ下でその代の人らがわりとしっかりオリジナルをつくってライヴハウスで活動していて、そのへんの人たちはいまでもいっしょにやったりしますね。

その頃は曲もつくってましたか?

服部:曲をつくるようになったのは東京に出てきてからです。たぶん最初につくったのは、僕は名古屋の芸大だったんですけど、その同窓生で映画をつくっている人に音楽をつけてほしいといわれたからなんです。その人とはそんなに親しくはなかったんですけど(笑)、仲介されてやることになった。曲なんかしっかりつくったことはなかったんですけど、まあやってみようかなって。曲といっても映画の音楽なので、断片的なフレーズというか雰囲気づくりみたいなものでしたけどね。

曲はベースでつくったんですか?

服部:ベースも使いつつ、家でタンバリンを重ねたり小物を寄せ集めたりしてつくりました。

最初が劇伴だったというのは考えようによっては象徴的ですね。

服部:そうかもしんないですね。

自我を解放するより、対象に寄り添う。

服部:それはずっとあるかもしれないですね。


(曲は)忘れた頃に、これはいいなくらいのものを引っ張ってくることが多いですね。そうやって自己対話をするというか時間のフィルターにかけないと怖いのかもしれない。僕は怖がりなんですよ。

NRQでは服部さんはアルバムごとに1~2曲提供されているじゃないですか? NRQに曲を書いているときも服部さんのなかにはNRQ像がしっかりあって、そのなかで曲をどうするかと考えるんですか?

服部:曲を僕は鼻歌でつくるんですよ。そこに適当にギターを重ねてみたり、でも元が鼻歌なので、それを歌っていたときは、だれとやるための音楽とは考えていないですよね。今回の“ショーチャン”はちょっと考えましたけどね。新曲が出そろったときに今回のアルバムはけっこうしっかりしているなと思って、バカみたいな曲をやりたいなと思って、その点は意識しました。

クレジットに「作曲」のほか「アレンジ=編曲」とあるのは、牧野くんによれば服部さんは総譜を書いてきた、ということでしたが。

服部:そうなんですかね(笑)?

自分のことじゃない(笑)。

服部:(笑)いままでは中尾さんや吉田くんに主メロ以外を譜面に書いてこう弾いて、とお願いするようなことはなかったので、試しにやってみたんです。それで「アレンジ」のクレジットがあると思うんですけど、「アレンジ」といっても全体像が頭のなかにあったというよりは後づけなんですよ。何回かライヴでやって、あくまでそれをふまえたものなんですね。それにギターについてはとくに指定もなかったんですよ。吉田くんも牧野くんもそういったやり方をすることがあるので、彼らの曲にも「アレンジ」とクレジットしてもいいと思うんですけどね。

曲はそれぞれ作曲者が主導権を持つということなんですね。

服部:いちおうそうなっています。それはミックスまでふくめてそうです。

私は服部さんの曲はアルバムのなかでいいアクセントになっていると思うんです。『のーまんずらんど』の三拍子の曲(“合間のワルツ”)や“春江”などはアルバムに多様性をもたせつつ、全体を〆ている。服部さんはそういう全体の流れというか、アルバムのなかでどういう曲がほしいかということを考えてつくるのかなと思っていました。

服部:後出しではあります。曲の断片はいろいろあるので、つくっている段階ではなにも考えていないんですが、どの断片を使おうか、NRQではこれがいいかなというのがだんだんわかってくるんですね。

断片のストックはいっぱいあるんですか?

服部:単に断片という意味ではいっぱいあります。それをパソコンにデータでとりこんだり、携帯に(鼻歌で)吹きこんだりしますね。ベースで弾いたのもあるんですけどね。それも楽器で弾いているだけで鼻歌みたいなものです。それらをたまに聴き返すんです。寝かせないと自分はダメなんですね。これできた、といってポンと出す自信はない。忘れた頃に、これはいいなくらいのものを引っ張ってくることが多いですね。そうやって自己対話をするというか時間のフィルターにかけないと怖いのかもしれない。僕は怖がりなんですよ。

人にどう捉えられるかということですか?

服部:それもありますし、自分の表現がどう評価されるかというのは不安ですよ。

服部さんはかなりいろんな方と共演されてきていますが、それでもそうなんですか?

服部:メチャメチャあります。ライヴ終わった後とか、毎回怖いですもん。

それだと音盤を出すには相当な決意が必要になる気がしますが。

服部:逆にそれがないのはバンドだからです。『オールド・ゴースト・タウン』はまだ個人が強い気がして、僕はいまだにあまり聴けないんです。自分の演奏に耳がいって、怖くて聴けない。『のーまんらずらんど』になるとそれが消えて、録音が終わってすぐにリスナーとして聴ける感じがあった。客観的に聴けるので、自分のなかでいいなという判断がついていて、どう評価されようが聴き手の問題でしかなくなるんです。

『ワズ ヒア』はどうでした?

服部:『のーまんずらんど』と同じでしたね。

今回は録音の関係で低音の出も強いですよね。各楽器が独立してベースも前に出てきた。あらためて、オーソドックスでありながらノートの選び方やフレーズのつくり方に服部さんならではのものがあると思いました。

服部:僕もそれなりに上手くなっているんじゃないかなと思うこともあるんですけど、ふとむかしの録音を聴くと想像より下手じゃないと思うこともあるんです(笑)。となるとあまり成長していないんじゃないかといううれしいのか悲しいのかわからなくなることもあるんですよ(笑)。

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僕は普通になるように勉強しているところもあるんです。普通になるというか、いちばん安定するところにベースの音を置きたいと思うんです。

服部さんはNRQはじめ、穂高亜希子さんエミ・マイヤーさん、多数のセッションに参加されていますが、そうやって勉強している意識は──

服部:もちろんあります。さっき松村さんにノートの選び方がおもしろいといっていただきましたけど、僕は普通になるように勉強しているところもあるんです。普通になるというか、いちばん安定するところにベースの音を置きたいと思うんです。それが足りない意識はずっとあるんです。音大を出ているわけじゃないし、理論的な下支えがあるわけではない。理屈じゃなくて反射的にいま鳴っている音にもっとも安定する場所に音を置けて、でもそのうえであえてこっちをやるんだというのをやりたい気持ちがあるんです。それもたぶん自分の演奏に感じる怖さとかぶる部分もあると思うんです。直感だけで自分はこうだとがんがん進んでいけるタフは僕にはちょっとない。

それはベースという楽器の役割と重なるものですか?

服部:そうですね(とやや留保するように)。

たとえば、エミ・マイヤーさんと永井聖一さんの『エミ・マイヤーと永井聖一』はJポップですよね。その場合、Jポップの枠内でもっとも安定するフレーズを探すということですか。

服部:あのアルバムのレコーディングはけっこう楽しかったんですよ。普段やらない、でもJポップってふだん何気なく耳にするじゃないですか。聴いていたけどやってこなかった音楽をできる楽しさ、というか、いわれてみれば、ちょっとしたコピー感覚みたいなものが、それがいいか悪いかはさておき、あったかもしれません。

アコベとエレベだと服部さんは自分はどちらの演奏者だと思いますか?

服部:いまはアコベですね。

このふたつはともにベースですが、じつはまったくちがう楽器だと思うんです。それを両立させるのはたいへんじゃないですか?

服部:たいへんです――けど考えないようにしています(笑)。たいへんだと思うとやりたくなくなっちゃう。流れでエレキ・ベースをまた弾くことになったので、再開した年はけっこう後悔していたんですよ。そう考え出すとどんどんネガティヴになっていっちゃって(笑)、どっちも放り出したくなったりもしたんですが、いまはどっちも楽しいし、あまり考えないようにしています。ウッド・ベースにはウッド・ベースならではの雰囲気があるじゃないですか?
 でもエレキ・ベースはものすごく剥き出しだと思うんです。エレキ・ベースには空気感がないぶんフレーズが問われる。そこがすごくおもしろくて、その経験がウッド・ベースにフィードバックされているところはあります。いまはそれが相乗効果になっていると思うんです。

服部さんのいまの当面の目標はありますか? NRQでの活動にかぎらず。

服部:自分の作品はつくりたいとは思いますね。純粋に自分の作品はまだ出したことがないので。

どういう形態でつくります?

服部:バンド形式ではないでしょうね。

ベース・ソロですか、バール・フィリップスみたいな?

服部:そういうのはたぶんできない(笑)。曲をいっぱいつくって、ひとりでできるのを選んでそれをちゃんとやりたいとは思います。

NRQのアルバムに採用している各人の曲数ってだいたい同じじゃないですか? 牧野くんがいちばん多くて、吉田さん服部さんの順ですよね。ルールでもあるんですか?

服部:そんなことはないですよ(笑)。がんばりしだいですけど(笑)。曲数を増やすとか、そういった作戦は僕のなかであまり練らないようにしているんですよ、あくまで流れのなかでやっていこうと思っています。


自分は芸大に行っていて最近はあまりないですけど、芸術やアートに対するアレルギーがあったんです。僕はアーティストより職人になりたい気持ちが強いんです。

いまは演劇の劇伴の仕事もやられているんですよね。

服部:さほど数があるわけじゃないですけどね。

新たに進出したい分野はありますか?

服部:仕事ということでいえば、もっとギャラがいい仕事をしたいとは思いますけど(笑)。

そんなナマナマしい話してんじゃないですよ(笑)。服部さんはどんな仕事でも断らない?

服部:基本的に断らないです。

職業意識ということですか?

服部:職人に対する憧れのようなものです。自分は芸大に行っていて、最近はあまりないですけど、芸術やアートに対するアレルギーがあったんです。僕はアーティストより職人になりたい気持ちが強いんです。

職人的なベーシストというだれを思い出しますか?

服部:僕のなかでは松永(孝義)さん、あとは渡辺等さん。

松永さんには影響は受けましたか?

服部:受けていると思います。どこがといわれるとわからないですけど。

松永さんも渡辺さんもタテヨコどちらも弾きますね。ああいうふうになりたいというより彼らの職人的な佇まいに憧れがある?

服部:そうです。

演奏者にはイノヴェーションへの憧れもあると思うんです。ベースだとジャコ・パストリアスのようになりたい人はいっぱいいると思うんです。服部さんにはそういった考えは?

服部:それはまったくないです。職人的にしっかり下支えして、そのうえで自分のやりたい小さい作品ができたらいいと思うんです。自分の作品は職人性とは関係のないものですね。まだつくっていないのでわからないですけど。

この3作、7年くらいNRQを続けて、中尾さんとのリズム隊はかなりこなれてきたと思いますが、そもそもNRQにはリズム隊という概念はあるのでしょうか?

服部:その考えはないかもしれないですね。全体のアンサンブルはありますけど、リズムと上物の関係性はないかもしれない。ほかのバンドでやるときは、けっこうドラムのバスドラを意識して合うように探っていくんですけど、NRQではそういった作業はしたことはないですね。いまいわれるまでまったく無意識だったんですが。

演奏するときはなにをいちばん聴いていますか? NRQの演奏の中心になっているものということですが。

服部:完全に牧野くんのギターだと思います。ギターはリズム、メロディ、ハーモニー全部の要素をもっていて全体の軸になっているということですね。牧野くんはギターでベースラインを弾くこともあるので、彼のギターとの兼ね合いは考えますね。

それでやりにくいとかやりやすいということも――

服部:いや、NRQはやりやすいです。でもあまり自由は感じない。ベースラインをきょうはちょっと変えてみようとか、そういう選択肢はNRQでは僕はあまり感じないです。思うに、牧野くんのギターには弾いていなくてもベースラインが決まってくる感じがするんです。吉田くんや中尾さんがどう考えているかはわかりませんし、曲にもよりますけど、僕にとってはわりと固定している気がします。

でもアルバムを追うごとに自由度は高まっている気もしますね。

服部:それは感じます。“日の戯れ”とかはとくにそうですよね。あと“門番のあらまし”は自分的には新しいというか3枚めならではだと思います。NRQのアンサンブル法があるわけじゃないですけど、それに則ってそこにラテンを加えてみたような、ちょっと余裕というか遊び心が出る余地ができた気がします。

その変化がNRQの成熟を物語っているのかもしれませんね。そのなかで私は服部さんの曲ももっと聴きたいので、次も楽しみにします。

服部:精進します(笑)。

interview with NRQ - ele-king

 前回の牧野琢磨を承けてのNRQリレー・インタヴュー、第二弾となる今回は二胡奏者、吉田悠樹に登場いただく。前野健太の諸作、穂高亜希子、ツジコノリコから昨年の友川カズキの『復讐バーボン』まで、意外なところに顔を出し、濃い色の歌手の歌によりそい、ときにその色の彩度と明度をきわだたせる吉田悠樹と、吉田悠樹の化身と見紛うばかりの彼の二胡はNRQでは伴奏者の軛を逃れたバンドの声そのものとしてのびのび歌っている。『ワズ ヒア』ではそれが新たな段階に入った、その理由を語る前に牧野くんに訊きそびれたNRQの歩みをさらいつつ、この異能の二胡奏者をかたちづくった音楽遍歴をたどってみよう。

中学くらいのときに、ハイスタ(ハイ・スタンダード)が出てきて、そこを入口にガーゼなどにたどりついたんです。


NRQ - ワズ ヒア
Pヴァイン

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吉田さんにはバンド・ヒストリーをうかがおうと思います。吉田さんは牧野くんとともにNRQのオリジナル・メンバーですが、牧野くんに訊くのもおもはゆいものがあるので。

吉田:(笑)松村さんと牧野さんはちかいですからね。うん、いいですよ。

牧野くんと最初に出会ったのはいつですか?

吉田:はじめて出会ったのは、普通にお客さんで観に行ったライヴですね。牧野さんはサボテンのサポートでギターを弾いていました。工藤冬里さんも出ていましたね。

サボテンが好きだったの?

吉田:その日にはじめて観て好きになりました。サボテンには後に2人時代のNRQの企画にも出てもらったりしました。

吉田さんっていま何歳だっけ?

吉田:32歳です。

音楽から想像するより若かったですね(笑)! もともとの音楽的な背景はどういったものですか?

吉田:パンク、ハードコアですね。

でもその頃はパンク、ハードコアの時代じゃないよね?

吉田:いや、中学くらいのときに、ハイスタ(ハイ・スタンダード)が出てきて、そこを入口にガーゼなどにたどりついたんです。

中学時代にハードコアだったんですね。しかしハイスタとガーゼの間にはいろいろありそうな気がしますが(笑)。

吉田:ありますよ、ヌンチャクとか、中学のときはいろんなライヴに通っていました。それがもう楽しみで楽しみで。

ジャップ・コアから熱心に音楽を聴きはじめた?

吉田:ガーゼ、レンチ、スライト・スラッパーズあたりで、これだ、と思ったんです。実家が東京なので新宿には出やすかったんですね。

〈アンティノック〉や〈ジャム〉ですね。

吉田:(歌舞伎町にあった頃の)〈リキッド・ルーム〉にもよく行っていました。あと好きだったのはスーパー・ジャンキー・モンキーですね。

“ばかばっか”ですね。懐かしい。

吉田:ちなみに『ワズ ヒア』に収録した“スロープ”はあぶらだこに由来しているんです。いわないとだれもわからないと思いますけど。

あぶらだこの何盤ですか?

吉田:『青盤』(1986年)に“スロープ”という曲があって、タイトルをお借りしました。

気づきませんでした(笑)。しかし吉田さんがそんなハードコアな青春を送ったとは存じあげませんでした。当時のライヴハウスは怖くありませんでしたか?

吉田:僕はぜんぜんそうは思わなかった。みなさん見た目は怖いけどやさしかったですよ。僕が中学生だったのもあったでしょうね。そこまで若いお客さんはほとんどいなかったので浮いてたと思います。


胡という楽器の音で激しさを表現しているつもりなんです。

そうなると自分で音楽やろうとなったとき、どういった選択になるんですか?

吉田:高校のときにバンドでギターを弾いていたんですけど行き詰まってギターじゃないなと思ったんです。かといって歌はヘタだったから歌うのもできない。それでいろいろと調べて考えたりしてDTM系にいくか、二胡みたいな民族楽器系にいくかの二者択一になったんです。

選択肢に二胡が入るくらい、ハードコアと並行してすでに民族音楽も聴いていたということですよね。

吉田:そうです。極端な音楽を聴いて一周して世界各地の音楽にたどりついたんですね。同じようにノイズからぐるっとまわって現代音楽を好きになったりもしていました。

極端な表現ということで同根だったんですね。

吉田:そうです。それで二胡をやりたいと漠然と思ってたときに、偶然にも大学の先輩に二胡をもらう機会があって。それでじゃあ二胡だなとなったんです。

思い立っても楽器を修得するには鍛錬が要りますよね。

吉田:その前にギターをやっていたのでわりとすぐにできたんですよね。

でもほら、二胡はギターより弦の数も少ないし、フレットもないじゃない?

吉田:でもそれくらいしかちがいはないんですよ。

しかも弓奏じゃないですか。

吉田:細かく話すと二胡をもらう少し前にモンゴルの馬頭琴を習って挫折したことがあったんです。馬頭琴は二胡とは似ているんですが弾き方がちがっていて、指の爪の生えぎわで弦を抑えるのがすごく痛くて。高校のとき、小西康陽さんのラジオ番組でホーミーを知って、興味があったので馬頭琴に挑戦したんですがそうそうに挫折しました。

最初に買ったレコードはなんですか?

吉田:たまの「さよなら人類」(笑)。

なるほど(笑)。

吉田:たまは子どももファンが多くて学校ですごい人気でした。後にたまの知久寿焼さんは「自分はパンクだ」って発言をしてたということを知って、やっぱり根源は「パンク」なのかもしれないです。夢はガーゼの〈消毒ギグ〉に出演することです(笑)。ハードコアを聴いていると、極端にうるさくて激しい音楽かもしれないけど、ガーゼには前向きな歌詞が多いんです。「家族を大事にしろ」みたいなまっとうなことを、その激しさで表現するのに感動しました。いま自分はそれを逆に実践しているというか、二胡という楽器の音で激しさを表現しているつもりなんです。


最初は僕の持っていた曲と牧野さんがひとりでやっていた曲におたがい音をつけあって、いま思えばそれはNRQの最小限の形態でした。

話は戻りますが、サボテンのライヴで牧野くんと面識ができたんですか?

吉田:直接の面識はそのときはなかったんですが、ギターがメチャクチャよかったのは憶えています。これはすごい、ちょっと頭がおかしい人なのかと思うくらい(笑)のキレのある演奏で衝撃でした。それでその後、〈円盤〉で僕が穂高(亜希子)さんと出たときに牧野さんのソロと対バンしたんです。サボテンでギターを弾いていたひとだとは思わなくて、気を抜いて〈円盤〉のCDの棚を物色していたら、アイラーの“ゴースト”を弾きだして「おっ、これは!」と思って釘づけになったんです。それですぐに話しかけた、それがファースト・コンタクトだと思う。

それは2007年? NRQの結成は2007年となっていますね。

吉田:たぶんその前の年だと思います。僕には当時やっていたパイカルというバンドがあって、それは編成的にはNRQとだいたい同じなんですけど、パイカルは学生時代の友人関係からはじまったバンドなのでやりたいことが先にあったバンドではなかった。だんだんメンバー間のやりたいことのズレが大きくなって、みんなが納得いくかたちで収まらず、CDも結局つくらなかった。バンドがそんな状態の頃に企画したライヴに、牧野さんソロと、服部(将典)さんとギターの青木隼人さん(NRQ『オールド・ゴースト・タウン』ではデザインを担当)のデュオ、その2組を誘ったんです。それはパイカルを2人に観てほしかったのもあったんですね。服部さんとはカナリヤという、ピアノの三浦陽子さんのバンドでいっしょにやっていました。

いまも継続していますね。

吉田:かなりマイペースですがつづいています。その後にあるライヴで牧野さんを誘って2人で演奏したのがすごくおもしろかった。しばらくしてもう一回デュオでやることになった頃にパイカルが解散して、そのことを伝えたら牧野さんが「じゃあ、いっしょにやろうよ」といってくれた。

デュオ編成ではなく、バンドにしようという思いはすでにあった?

吉田:そこまで話は詰めなかったですけど、バンドとしてやっていこうということで一致してはいたと思っています。

NRQのカラーは当然まだないですよね。

吉田:最初は僕の持っていた曲と牧野さんがひとりでやっていた曲におたがい音をつけあって、いま思えばそれはNRQの最小限の形態でした。でもそこにはとくに先行きどうしようというヴィジョンはありませんでした。ライヴの日程を決めて、それに向けてどうしようかと探っていった感じです。バンド名をつけたのはもっとあとですから。

命名者はどちらですか?

吉田:牧野さんです。ニュー・レジデンシャル・クウォーターズ(New Residential Quarters)、新興住宅地ですよね。僕は多摩ニュータウンだし(笑)。でも長くて覚えにくいので省略してNRQになりました。

牧野くんも八王子だし。

吉田:それでちょっと字面もいいし、ということですんなり決まり、その名義でライヴをやるようになったのが2007年。

服部くんが参加した経緯は?

吉田:バリトン・サックスの浦朋恵さんと僕と牧野さんでいっしょに演奏する機会があって、これは絶対ベースがあった方がいいと思って、服部さんを誘いました。ついでにNRQもやってよと音源を服部さんに送ったんです。それで3人で合わせたらもうバッチリで。服部さんとは歌ものも含めていろんなバンドにいっしょに参加していてすでに信頼してたんですけど、NRQではもっと密な感じでできるなと。
それでストリングス隊が3人集まったらドラムがほしくなって、〈円盤〉の田口(史人)さんに「これはドラムを入れるとしたらだれがいいと思いますか?」と訊いてみたら、サム・ベネットか中尾勘二といわたんですね。じつは中尾さんのことはちょっと念頭にあって、うーん、やっぱりそうか、と。そんなときに中尾さんが全バンドに出演する「中尾さん祭」というイヴェントを企画することになって、じゃあついでにNRQにも入ってくださいとお願いしたのが最初です。練習で4人ではじめてスタジオに入ったときにはもうすでに音ができあがっていました。それから中尾さんには最初はライヴのたびにそのつどゲストという感じでお願いしてたんですが、いつの間にか「もう正式メンバーですよね」って(笑)。

それに対して中尾さんはなんと?

吉田:「はぁ」と。(笑)まあ、NRQにノッてくれるという意味だと勝手に受けとりました(笑)。

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みんな作曲するのでいろんな視点が重なってるという点はこのバンドの強みだと思います。

吉田さんがNRQで書く曲は、牧野くんの曲とはちがう方向から全体を補完する役割を担っていますよね。“ピロシキ”“ボストーク”、今回の“スロープ”も牧野くんの書かなさそうな曲だと思うんですが、それは意識的ですか?

吉田:バンドとして次はこういう曲がほしいな
というのを自分なりにイメージしてつくることが多いです。たとえば自分がお客さんでライヴを見るとなると、僕は飽きっぽいので、支離滅裂なくらいの方が好きなんです。結果的に逆をいく感じになってるかもしれません。

俯瞰する視点ですね。

吉田:もちろん4人ともそれぞれそういう視点があると思うんですけど、みんな作曲するのでいろんな視点が重なってるという点はこのバンドの強みだと思います。

吉田さんはいろんな方と共演されていますが、その考えは一貫していますか?

吉田:だいたいいっしょです。でも歌手の伴奏をするのは楽器的にも、自分の技術的にもパターン化しがちなので、最近はあまりやり過ぎないようにしてます。もちろん伴奏は好きなのでもっとやりたい気持ちもあるんですが。またしばらくしたらいろいろとやりたくなるかもしれません。いまはNRQとソロが中心という感じです。ほかのバンドと較べてNRQは自分のバンドだという意識はありますね。4人なので100パーセントではないけど、この4人はバランスがすごくいい、坐りがいいと思うんです。

『ワズ ヒア』ではそれが2作めまでとはちがう段階に入った気がしますね。

吉田:ファーストはそれぞれの曲をもちよってコマを見せ合ったのが2作めでバンドっぽくなって、サードはそこからさらにもう一歩踏み込んでって感じですね。中尾さんのサックスと二胡がハモる曲も増えてきたし、もちろんギターとベースも含めてそれぞれの楽器の絡みでできることが広がってきた手応えはあります。

それはミュージシャンとしての熟達ですか?

吉田:バンドでライヴで地道に練っていった結果だと思います。

ライヴはどれくらいの頻度でやっていますか?

吉田:まちまち、なりゆきまかせです。多いときは月に3~4本あったかな。

牧野くんは音楽に費やせる時間が減ったから決断し、絞らなければならないといっていましたが、吉田さんはどうですか?

吉田:僕はいままでと同じで(音楽のために割ける)時間はむかしと変わらず……いや、むかしよりは減ってるかな。ちょっと前に結婚したのもあって生活のリズムは非常によくなったんだけど。ひとといっしょにやるのには単純に準備時間をとりにくくなったのはあります。そのぶんひとりでも準備できるソロのライヴが増えてる。

結婚したことで逆に演奏ではひとりになりたくて無意識にソロ演奏を志向するのかもね。

吉田:それはいま気づきました(笑)。たしかに前よりはひとりでの演奏もおもしろいと思えるようになってきました。スティーブ・レイシーとか林栄一さんとか独奏の演奏を聴くのは前から好きなんです。関島(岳郎)さんのソロもすごく好き。

関島さんのソロはチューバなんですか?

吉田:チューバだけでなくリコーダーやキーボードを駆使していておもしろいんですよ。

中尾さんと関島さんはコンポステラ~ストラーダですが、〈Off Note〉のようなレーベルの影響は吉田さんは大きいですか?

吉田:めちゃくちゃ大きいです。学生のときにトニー・ガトリフやエミール・クストリッツァの映画の音楽が好きで、国内で似たような音楽をやっているグループを探したんですね。シカラムータや渋さ知らズの流れで、ストラーダやコンポステラに出会ったのは大きかった。そこから沖縄民謡の大工哲弘さんも知りましたから。大工さんと中尾さん関島さんは〈Off Note〉でいっしょに何枚かアルバムをつくっていていまでもよく聴いてます。
伝統音楽とポップミュージックの融合っていうとなかなか難しいと思うんですけど、〈Off Note〉はどの作品も融合ってことも感じさせないくらい自然に聴かせるサウンドで。二胡で音楽をやるにあたってそのあたりはかなり影響を受けてると思います。

「歌」って声でメロディで歌うってことだけじゃなく、叫びで表現することもあるし、楽器で表現できるとも思うんです。

NRQのメンバーとしてミュージシャン吉田悠樹として、当面の目標をお聞かせください。

吉田:NRQ的にはまだまだいろいろできるというか。まだのび代はあるんじゃないかと。『ワズ ヒア』では、自分をふくめてこんなことができるのかって発見があったんです。まだいろんな展開はこれからあると思います。

今回吉田さんが作曲した“スロープ”のほかのもう1曲の曲名を“門番”とつけた理由はなんですか?

吉田:演劇を観た経験からです。〈サンプル〉という劇団があって、そのなかで門番という役が象徴的にあつかわれるのが印象にのこって、それをそのままつけたんですけど、理由らしい理由はとくにないです。

演劇はよく観ますか?

吉田:たまに観ます。サンプル、五反田団とか、飴屋(法水)さんもすごく好きです。

服部さんは劇伴をやられてますよね。吉田さんは演劇に音楽をつけたことはありますか?

吉田:五反田団と仲のよい怪談作家に吉田悠軌さんという僕と一字ちがいで同じ読みの方がいらして、吉田さんと怪談のライヴをやったことがあるくらいですね(笑)。

それは演劇を観にいくのは「物語」に接したいということですか?

吉田:うーん、どうなんだろう。音楽のライヴばっかだと飽きるので、たまには演劇をみたいというくらいで。でもそうやってたまに見る映画や演劇に新鮮に心が動かされて、アイデアを得ることが多いです。

いままでの話を総合すると吉田さんは知らないものにふれたい欲求が強そうですね。

吉田:自分に確固たるものがないからかもしれないですね。

そうなの?

吉田:あるとしたら、ハードコア魂じゃないですか。

(笑)パブリック・イメージにそぐわない決め台詞でしたね。

吉田:いや、ホントそうなんですよ(笑)。「歌」って声でメロディで歌うってことだけじゃなく、叫びで表現することもあるし、楽器で表現できるとも思うんです。

以前湯浅湾にゲストで出ていただいたとき、湯浅湾の大音量のなかでも吉田さんは自分の「歌」をちゃんと捕まえていましたものね。

吉田:あれはぶっつけでやらせてもらってすごく楽しかったです。歌があったら、その裏にもうひとつの歌があるというイメージがあって、それはぶっつけの方が上手くいくことが多い気がします。

対抗する旋律というか、そういうものが折重なって雑音になってもひとつひとつちゃんと存在しているのを吉田さんの二胡は表現しているといえますね。

吉田:ヴォーカルと楽器が対等というか、多少は旋律がぶつかっても、それでいいんじゃないかなと思うこともあります。NRQも4人それぞれ旋律が対抗して折り重なったりぶつかったりしても、全体で自然に聴けるみたいな感じでできたらいいなと思ってます。

ラストは中尾勘二氏!
近日公開予定、乞うご期待。

スワンズ/Swans - ele-king

 私は島崎藤村『破戒』の丑松のように机に手をついて告白したい気持ちに駆られている。
 わかっていなかったのだ。
 「新生スワンズ」なる文句を書きつけたのも一度や二度ではなかった。私自身、そのことばを納得して書いていたつもりだったし、あろうことか前回の二十数年ぶりの再来日公演を観てまでそんなことをいっていた気もするが、マイケル・ジラがスワンズのめざす音がどんなものか、今回のライヴを観るまでたぶん腑におちていなかった。情報はときに目を曇らせる。曇るといえば、ジラは前回のインタヴューで新作『To Be Kind』を「音の雲」に喩えていた。時々刻々変化する音の態様をジラは雲と呼び、私はその意味を忖度しながらも、まるで土手に寝転んだ父親が息子に空を指して、「ほらご覧、あの雲スワンズみたいだね」というように、ある種の形状を指してスワンズだと、つまり変化よりは不動性が主眼だった。ノーウェイヴ、インダストリアルないしはオルタナティヴの大立て者たるかつてのスワンズの陰々滅々たる音像の残像にひっぱられていたわけだが、それさえ本来は反復のもたらす変化をさしていたというのに。不思議である。もっとも当時といまでは反復の質はちがう。鈍重さはそのままに、ジャンクからロックへ鈍重の原料が変わった。ロックのコンボ・スタイルにペダル・スチール、ハンマー・ダルシマーやヴァイオリンといった各種小物を加えた編成の合奏からは濁りは濾過され音響はクリーンになりその分音量は倍加した、しかし耳を聾する音の壁ではない。舞台上のオレンジ・アンプの壁からPAを経由してO-EAST場内をみたす音はそれはそれはたいそうでかく、バースペースでグラスを傾けて小粋な会話を楽しむどころではなかった。しかしながら音の壁というより粗い目に織りあげた膜を幾重にも重ねたようにブ厚いそれの通気性は高い。この感じは前回公演にはなかった。いや私が気づかなかっただけなのかもしれない。前回と会場がちがったからハタと膝を打った。収容人数もちがえば(前回は400人の限定だった)天上も高い分、音の粗密がわかりやすい。もちろんエンジニアの腕にもよるのだろう。スワンズが『To Be Kind』以降、数枚のライヴ盤を出しているのはジラはスワンズのライヴ音響にひとつの完成をみた、と考えたのは『To Be Kind』所収の「A Little God In My Hands」のようなリズム隊とギター群がユニゾンしない曲のときで、ベースとドラムの刻む硬質のリフにつづき、ジラが悩ましげにワンコーラス歌い終えるとギター、ペダル・スチール、パーカッションがいっせいに雪崩れこむ。音は膨れあがり、場内を埋めつくしたお客さんの間を浸していくのだけれども、耳の焦点を変えながら音の階層を降りていくと、轟音の底でさきほどのリフレインが定期的に脈打つのがわかる。音が迫り来る。しかしほとんど解放的である。まったく自由である。しかしこれはフリージャズやフリーミュージックといったときの音楽の自由ではない。かつてケージがブランカの音楽に嗅ぎとった(といわれる)ファシズムの匂い、それを構造への意思と読み換えれば、ロックの形式を崩さないスワンズはブランカの側に立つ(歴史的にも音楽的にも)がしかし、一拍ごと一音ごとにたちあがる音はその前の音とまったくちがい新しい。ケージをアナーキーとみなすとき、そこに不確定の動態の謂いをこめているのだとしたらブランカのそれもまた静的な動態であり、逆に記号化し流通するアナーキーにこそダイナミズムは宿らない。ケージやベイリーは注意深くそれを回避し、ジラは彼らと同じ場所へ逆方向からにじりよる。建築の美を「凍った音楽」になぞらえることは音楽の反復不可能性の美を捨象しているがゆえに音楽は構造のみに収斂するものではない。

 むくつけき野郎どもが六人、舞台中央でうごめくさまは存分に威容だった。「荒野の六人」というよりペキンパー的な視角的要素ともあいまって、ノイズの配分はむかしよりすくないのにますます野卑に音はなってくる。むろんむかしのほうがもっとノイジーだった。アーバンでもあった、というと異論はあるだろうが、『Swans Are Dead』(1998年)で一度死ぬ前のスワンズが都市の喧噪を体現していたように、いまの彼らの体現するものを米国の広大な非都市部、もっといえばそれは自然だといってみるとそれは新生スワンズをスピリチュアルだといっているようにみえるかもしれないがそうではない。なにせジラは以前のインタヴューで新生スワンズの宗教性について訊ねた私の質問を言下に否定した――が、2010年以降の『My Father Will Guide Me Up A Rope To The Sky』や『The Seer』それに〈Young God〉なるレーベル名にいたるまで宗教性は微塵もないとでもいうのだろうか。もちろんインタヴューですべてをさらけださなければならない法はないし、それはとてもナイーヴなことだ。ジラは誤解を招くのをおそれたのかもしれないが、百歩譲ってそこには宗教的ニュアンスはないとしてもそれはあたかもコーマック・マッカーシーが『越境』でカラマーゾフの大審問官を借り受け、メキシコの辺境の教会に隠遁した人物に語らせたような不在のなにかに対する否定/神学ではあっただろう。そう考えると舞台の上の六人はペキンパーより『ブラッド・メリディアン』のインディアンの頭皮狩り隊のほうが似つかわしい。そしてマッカーシーが国境の南を失われたアメリカというより架空の無法地帯とみなしつづけたように、ジラはアメリカーナにルーツではなくアナーキーをみていた。それはノスタルジーとは無縁の世界であり、彼はデベンドラ・バンハートやアクロン/ファミリーの背後にすでにその光景をみていたのかもしれない。と思い、舞台中央のジラに目を向けると、ギターをさげたまま彼は両手をあげ、音を操るように手首をくねらせる。奄美で六調と呼ばれ沖縄ではカチャーシーというフリースタイル・ダンスの手の動きとよく似た動きである。それによくみるとジラは私の島の実家の裏に住むオバさんにどことなく似ている。ジラの身ぶりにしたがい音は巨大化する。そしてさらにうねりを増す。もし私に息子がいようものなら、渋谷円山町に突如湧きあがった目にはみえない音の雲を指してこういっていたことだろう。
 「ほらご覧、あれがスワンズだよ」(了)

Clap! Clap! - ele-king

北中正和
Feb 5, 2015

 このアルバムは笑い声やざわめきとウォーター・ドラムと思われるサウンドで幕を開ける。ウォーター・ドラムはアフリカで女性や子供たちが水仕事の息抜きや遊びで水を手ですくったり、叩いたりしてまるで太鼓のようなリズムを作り出すものだ。そのウォーター・ドラムらしき音にやがて、おだやかな年配の女声の歌のくりかえしが加わり、40秒あたりから合成されたリズムやシンセサイザーのアンビエントな音にバトンタッチされていく。

 説明不要かもしれないが、Clap! Clap! は、イタリアのジャズ・ミュージシャンアのクリスティアーノ・クリスチが、エキゾチックなエレクトロニック音楽をやるときのアーティスト名だ。彼はDigi G’Alessio名義でダブステップ的な作品も発表しており、この名前を見たら、イタリアの人気歌手Gigi D’Alessioを思い浮かべてにんまりする人もいるだろう。架空の島「ターイ・ベッバ」の神話世界へと聞き手を誘うこのアルバムのコンセプトも、そんな遊び心を感じさせる。音楽の骨格は、さまざまなリズムのエレクトロニックなダンス・ミュージックだが、そこに民俗音楽的な要素(主にアフリカの音楽)が巧みに組み合わせられている。

 たとえば3曲目ではギター中心のイントロに続いて、アフリカの親指ピアノの演奏や、地域不明の子供たちのコーラスが出てくる。男性のターイ・ベッバ語?のハナモゲラな語りも入る。この曲のリズムのいくつかのパートはアフリカかどこかの太鼓を参照したのだろう。13曲目のイントロのコーラスと太鼓はアフリカ風で、太鼓はナイジェリアのジュジュのビートの強弱を裏返したのだろう。しかしエレクトロニックな音の部分は複雑なリズム・チェンジをくりかえし、メイシオ・パーカーばりのサックスの断片がフィーチャーされる。16曲目や17曲目で聞こえるのは西アフリカの木琴バラフォンか、それともインドネシアのアンクルンやガムランを模しているのか……。

 目立つ例をいくつかあげたが、このアルバムでの民俗音楽的な要素の引用は、デイヴィッド・バーンやデーモン・アルバーンほどきまじめではなく、50年代のエキゾチカやハリウッド映画ほどフェイク感を強調しているわけでもない。過去のトライバル系の作品とくらべても、宙ぶらりんなおとぼけ感がこの人の個性だろう。いずれにせよここからアフリカ各地のハウス/エレクトロ系の音楽までは皮ひとつのちがいである。

北中正和

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高橋勇人
Feb 4, 2015

 「eclectic」という英単語を、『リーダーズ英和辞典 第3版』で引くと、「(多種な分野から)取捨選択する;折衷主義の, 折衷的な」という字義が出てくる。クラップ!クラップ!のディスコグス上のプロフィールを読んでいて、自分がつまずいた英単語は何を隠そうこの「eclectic」だ。「electric」ではない。今作『タイ・ベッバ』は間違いなく折衷的ダンス・ミュージックだろう。マイ・パンダ・シャル・フライの『トロピカル』と並び、非西洋の領域が産み出したリズムと都市の電子音楽の混入が産み出した2014年の音を彩る一例だ(かたやイタリアから、もう一方はスリランカ出身のロンドナーの手による作品ということにも一応留意)。

 もちろん、これまでにも多くのプロデューサーたちがワールド・ミュージック的なリズムや音色を取り入れてきた例は山ほどあり、『タイ・ベッバ』のリリースもとである〈ブラック・エイカー〉周辺のダブステップ、もしくはベース系のミュージシャンはその実験に早い段階から着手してきた。〈プラネットμ〉からリリースされたピンチの初期の名作“カッワーリー”は、トライバル・リズムをダブステップに持ち込むことによってスーフィーの神秘を体現しているという。それが2006年。以降、トライバルとダブステップの親和性は高まり、TMSVやキラワット、ガンツといったプロデューサーたちの黒魔術的なグルーヴへと結実していく。2012年にはマーラがキューバへ赴き現地のミュージシャンたちとセッションの末、『マーラ・イン・キューバ』がジャイルス・ピーターソンの〈ブロンズウッド〉から誕生……と、こうしてシーンを振り返ってみると、2000年代初期にUKで生まれた音楽がいかに初期段階から継続的に想像力を国境の外へ外へと向けていたかがわかる。

 というわけで、『タイ・ベッバ』における楽園を音で巡る旅自体は決してベース界隈にとって真新しいものというわけではなく、その旅の仕方こそが2014年にとっては画期的だった。冒頭の“ザ・ホーリー・ケイヴ”で浮かぶ水辺で遊ぶ子供たちのイメージのあと続くキック・リズムはフットワークのそれであり、中盤の“コンカラー”ではハーフステップ、ときにダンスホールなどなど。肝心のベースも単音で突き進むこともあれば、ウォブルだってする。この作品がソロで作られた事実を疑いたくなるほどの展開と越境具合だ。

 数え切れないほどのエスニックなサンプルとビートが飛び交う一方で、それらの最終的な受け皿となっているダンス・ミュージックの形式も相応にずば抜けて柔軟なものになっている。というかむしろ、複数の後者を折衷させる手腕に脱帽してしまった。ここに立ち現れる「ワールド・ミュージック」の意味する範囲は文字通り地球そのものだと言えるだろう。これほどまでの広がりが形式主義に陥りがちなベース・シーンで起こったことが何よりも事件だ。ジャケットが持つエスニック・ムードに惑わされてはいけない。これはリズムとジャンルをつなぐトリッキーなアルバムである。

高橋勇人

Africa Express - ele-king

 日本のファンは運がよかった。複数の動画投稿サイトで観るFKAツィッグスのステージは、スマホかなにかで撮った映像だということを差し引いても、何か特別なものには感じられなかった。むしろ“ウォーター・ミー”や“アワーズ”といった曲をライヴで再現できるのかなと僕は危惧していたぐらいである。しかし、彼女はブリッツ・アワード(イギリスのレコード大賞)に向けてショーの完成度を飛躍的に高めていた。これは、前日に行われたインタヴューで基本的にニコリともしなかったFKAツィッグスが、ほんの数回、笑顔を見せた話題のひとつである。2人のダンサーを配備した彼女のパフォーマンスは気迫に満ち、それ以前とは何もかもが違っていた。日本公演が行われたのはその4日後である。現時点で彼女の頂点ともいえる完成度が、日本ではフル・ステージで展開されたことは間違いない。最後から2番めに歌われた“トゥー・ウィークス”が1週間たってもまだ頭の中で牛のよだれのように波打っている。

 レコーディングされたマテリアルからもっとも掛け離れて聞こえたのは、そして、“ハイド”だった。最初は歌詞に沿ってエロティックなヴィデオがつくられた同曲は、後に、サウンドに合わせてメキシコのトゥルムで撮影し直されている。その意味がステージを観て、本当によくわかった。レコーディングされたもので聴くと、この曲はギターが前面に出ていて、いまひとつドラムに集中できない。これがリキッド・ルームのライヴでは(前から10列めの左よりにいたせいなのか)、ドラムがこちらに向かって叩きつけられるように響きっぱなしだった。非常にトランス効果を持ったドラミングである。通称『EP2』でもアルバムでも、ここまでエスニックなパーカッションがフィーチャーされた曲はない。“ハイド”のライヴ・ヴァージョンをもう一度、体験したい。ほかにも忘れがたい場面は多々あったけれど、家に戻って繰り返し“ハイド”を聴いても、この曲だけは時間が経つにつれ、ライヴ・ヴァージョンが遠のいていく気がした。

 ……と、目の前に『イン・C マリ』の文字があった。御茶ノ水のディスクユニオン・ジャズ館でワールド・ミュージックのコーナーを眺め倒し、もう帰ろうかと思ったときだった。デイモン・アルバーンがDRCミュージックやロケット・ジュース&ムーンとは別にはじめたアフリカ音楽のプロジェクトである。タイトル通り、フランスが軍事介入し、いまや泥沼状態と化しているマリの現地ミュージシャンとさまざまな民族楽器を使ってテリー・ライリーの『イン・C』50周年を祝った企画盤である。ラ・モンテ・ヤングを除けば、ミニマル・ミュージックの嚆矢だったとされる『イン・C』は本人も何度もリメイクし、現代音楽のみならず、アシッド・マザーズ・テンプルによるサイケデリック・ロック・ヴァージョンもつくられるなど汎用性の高いコンポジションといえる。それが、しかし、ここまでと思うほどアフリカ音楽にフィットし、エスニックなヴァージョンに生まれ変わるとは思わなかった。同傾向の感触を残す展開ではシャンハイ・フィルム・オーケストラのヴァージョン(『アンビエント・ディフィニティヴ』P.46)があり、ここでミックスに名前を貸しているブライアン・イーノも技術面で参加。昨年末、タイヨンダイ・ブラクストンやマシーンドラムなど22組とのコラボレイション・アルバム『21アゲイン』をリリースしたマウス・オン・マーズからアンディ・トマがミックス(とカリンバの演奏)に当たっている。

 オリジナルの『イン・C』にはないサウダージ感とでもいうのか。中盤からの展開が非常によく、楽譜的には忠実にやっているんだろうけれど、コラやデルタ・ハープといった民族楽器の音色がひたすらトランス感を強めていく。そして、清々しくも物悲しく演奏は41分弱で閉じられる(デーモン・アルバーンはメロディカとヴォーカル)。「ハイド」のライヴ・ヴァージョンによって火がつけられたものがここでは部分的に満たされたような気が。ちなみに先々週ぐらいにアップしたケイトリン・アウレリア・スミスもテリー・ライリーにインスパイアされた作品でデビューを果たしており、2013年にやたらとスティーヴ・ライヒの名前が挙がった気運とはまたちがったムードが来てるのかなとも思ったり。

C.R.A.C. - ele-king

 このところ安部政権の好戦的な態度ばかりを見せつけられているせいか、戦意も失せるふぬけた音楽とユーモア(ないしは平和的エスニック・ジョーク)に飢えている編集部に、代官山ユニットから熱いメールが……。
 以下、そのメールです。

2015年、東京に全く新しいパーティーが誕生する。

伝説のCLUB VENUSのオーガナイザー久保憲司、そしてShufflemasterとTASAKAという2人のDJたち。
彼らの共通点は、2013年以来東京の路上を侵食しようとした極右排外主義デモに対抗してきた対レイシスト行動集団、C.R.A.C.(Counter-Racist Action Collective)のメンバーだということだった。

デザイナー、写真家、ライター、ミュージシャン、アーティスト、建築家、など多岐にわたる才能を内包し、東京の路上文化に多大な影響を及ぼしてきたC.R.A.C.が、満を持してパーティ”CLUB CRAC”をオーガナイズする。

レジデントはDJ Shufflemaster、DJ TASAKA、そしてDJ NOBUの3人。第1回のゲストにはECD+ILLICIT TSUBOI、MC JOE、ATS、AKURYOといったヒップホップ勢に加え、東京ハードコア・シーンからはPAYBACK BOYSが盟友BUSHMINDと共に参戦。さらに狂気のノイズ・アーキテクトENDON、スクリューのAIWABEATZ、そしてC.R.A.C.のメンバーでロゴのデザイナーでもあるDJ=1-Drink(ex.キミドリ/ILLDOZER/JAYPEG)が、真夜中のUNITを反ファシスト闘争の最前線へと変える。

ビジュアル面では、最近ではほとんどVJパフォーマンスをやらないDOMMUNEの宇川直宏がC.R.A.C.のために重い腰を上げるほか、The RKP(a.k.a. rokapenis)、映画『堀川中立売』の監督・柴田剛など強力すぎる面々が、音楽、文化、政治、そして路上の思想が交錯する未曾有のパーティ体験をもたらしてくれるだろう。

あいつらが論文を書いていたとき、俺たちはピットでモッシュし、フロアでダンスしていた。ナイトクラブで培われた身体の知性が、2月7日、代官山UNITに結集する。

Strictly Antifascist.
Music is The Weapon of The Future.


CLUB CRAC

DATE & TIME: Feb 7th (sat), 2015
DOOR OPENS at: 23:00
VENUE: UNIT (https://www.unit-tokyo.com)
FEE: 2000 yen in adv / 2000 yen with Flyer / 2500 yen at door / 3800 yen with T-shirt
TICKET: https://peatix.com/event/68703(通常前売)
       https://peatix.com/event/69652(Tシャツつき/1月19日発売)

LIVE PERFORMANCES:
 ECD+ILLICIT TSUBOI
 PAYBACK BOYS
 ENDON
 MC JOE
 C.R.A.C. (ATS, AKURYO, G.R.)

DJs:
 DJ NOBU
 BUSHMIND
 DJ Shufflemaster
 DJ TASAKA
 1-Drink
 AIWABEATZ

VJs:
 Ukawa Naohiro from DOMMUNE
 The RKP a.k.a. Rokapenis
 Shibata Go

FOOD:
 True Parrot Feeding Service

https://crac.club


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