「Nothing」と一致するもの

Damon & Naomi - ele-king

 デーモン&ナオミのデーモン・クルコウスキーが運営する『イグザクト・チェンジ(Exact Change)』が発刊してきたフリーのジン(iTUNESのアプリで無料DLできる)がなかなかおもしろく、昨年は気がついたら読むようにしていた。『Exact Change』とは、最近ではルイ・アラゴンやアントナン・アルトーなど、デーモンとナオミが心酔するシュルレアリズムやダダイズムを中心とした作家を新装丁による復刊というスタイルで紹介している出版社。デーモンは自身の音楽活動との関連を補完する目的も兼ねてその出版社と同名のデジタル・フリー・ジンを発刊してきたようだが、決してコンテンツは多くないものの、これまでにステフィン・メリット(マグネティック・フィールズ!)やジュリア・ホルターらが執筆してきており、14号にはキム・ゴードンの詩やジム・オルークによるコラムや写真も掲載されていた。東京の風景を撮影したジムの写真などは彼の目線があくまで猥雑な風景を捉えていたりして、デーモン&ナオミと交友関係にあるそうした著名なアーティストもここでは自由に発信しているようでなかなか興味深い。

 さて、そのジンの同じ14号に掲載されていたのが、ナオミ・ヤンが制作した約30分のショート・フィルムと、彼女自身の作品解説。映像作品は30分ほどのサイレント・ムーヴィーだが、ちゃんと主演俳優(ノーマン・フォン・ホルツェンドルフ)を起用したもので、2011年12月にツアーでたずねたイタリアのタリンのヴェニューが古い映画館だったことからアイデアが思いつき、ナオミとその主演のノーマンのそれぞれの父親がともにここ数年の間に亡くなったことを一つのテーマに制作した、というようなことが綴られている。実際に見ると、もちろんセリフなどはなくストーリーもとくにあるわけではなく、バックでデーモン&ナオミによる凛々しく美しいアコースティック・ナンバーが淡々と流れていく、という具合。もともと映像を喚起させる余地を残した、音の空間への侵蝕を描いたような音作りがデーモン&ナオミの魅力ではあってきたが、こうして本人作のフィルムが重なり合うと、何かとサイケ・フォークと評される彼らのすべての作品に共通して秘められたテーマはじつはこの映画そのものだったのか! と気づかされる。

 そのショート・フィルム『フォーチュン(Fortune)』のために作られたアルバムが本作。というより、その映像のバックで流れている曲をそのままオーディオ作品としてパッケージ化したものと言っていいだろう。サントラというよりも、映像と一体になった音楽集と捉えるべきで、とりたててこれまでの彼らの作品と距離があるわけではない。1曲1曲は1分台から長くても5分程度の短めのものが11曲集められており、デーモンとナオミそれぞれのヴォーカル曲もあればインストもあり、そのインストがちょっとしたインタールードのようにもなり、音だけ聴いていても、脳裏が映像へ自然を誘われるような作りになっている。曲はすべて二人によるオリジナル。アコースティック・ギターは時に柔らかに、時にシャープにつまびかれ、エレクトリック・ピアノの瑞々しい音色が、二人の穏やかなハーモニーの中でノスタルジックな色彩を放つ。さらにはドラムのシンバルやブラシによる音のさざ波が遠い記憶を刺激し、最終的にフィルムの中にあった深い森の中で先祖(?)の写真をめくる場面、部屋の壁の肖像写真を見つめるシーンが見事に想起されていくという鮮やかな連動。そこでわれわれは気づくのだ。何かと“家族”を実感させる場面が多く登場するこのフィルムさながらに、そうした家族や仲間とのつながり、慈愛のようなものを過剰になることなくそっと刻み込んでいく作業。それこそが寡黙ながらもかたい絆で結ばれたカップルとして知られるデーモン&ナオミの一貫したテーマなのではないか、と。
 絆が結ばれたり切れたりする営みを、時の流れに逆らわないように受け入れていくかのような佇まい。サイレント・フィルム『フォーチュン』はそうした誰にでも訪れる日常をマジカルにデフォルメしたものでもある。そこに“幸運”“財産”という意味を持つタイトルを与えた彼らのヒューマニズムに、私は静かにノックアウトさせられてしまうのだ。

OG from Militant B - ele-king

港に帰ろう 2015.3.3

ヴァイナルゾンビでありながらお祭り男OG。レゲエのバイブスを放つボムを日々現場に投下。Militant Bでの活動の他、現在はラッパーRUMIのライブDJとしても活躍中。
今回のランキングは初のノンレゲエ、ノンレコードで送る、俺の家にある女性ボーカルCDたちを紹介。やっぱ歌ってる女って最高じゃん?なあ男ども!こうやって並べると自分は分かりやすいものが好きだし、結局男は女に支えてもらってばっかなんだなあと。女の子はイケてる女性を感じてほしいです。You Tubeでも良いし、アルバムgetしてランキングに挙げてる曲以外も聴いたら楽しさ倍増!無限大!そしてお洒落してパーティーにGO!!

3/3 吉祥寺ceeky "FORMATION"
3/6 札幌plastic theater "SOUND TRAP"
3/7 函館cocoa"MUSICALITY DEMANTA SPECIAL"
3/11 新宿open "PSYCHO RHYTHMIC"
3/14 吉祥寺warp "YougonnaPUFF?"
3/15 池袋bed "GRIND HOUSE"
3/20 吉祥寺cheeky
3/21 渋谷asia "IN TIME"
3/25 池袋bed "BED ANNIVERSARY"
3/27 吉祥寺cheeky "MELLOW FELLOW"
4/7 吉祥寺cheeky "FORMATION"
4/10 中野heavysick
4/11 渋谷roots
4/25 那覇loveb

Aphex Twin - ele-king

 だいぶ前にユーチューブで観たDJセットは“ウインドウリッカー”をクライマックスに配置したもので、スタートからBPMが遅く、いってみれば“ポリゴン・ウインドウ”をスローにしたような曲が前半の多くを占めていた。『ele-king vol.14』で予告されていた新作はその頃につくられたのではないかと思う曲が並べられ、これを聴いているとどうしても「ウインドウリッカー」が聴きたくなってくる。“ウインドウリッカー”が例の映像とセットで放っていた雰囲気とはまったく異なった曲に聴こえるのはいうまでもなく、かつて“ディジェリドゥー”が時代とともにどんどんちがう曲に聴こえていったことも併せて思い出されてくる(エイフェックス・ツインの初来日DJで、彼が“クォース”を何度もBPMを変えてプレイし、そのことごとくがすべて異なって聴こえたこともいまさらのように思い出した)。

 一方で、このEPには彼がミュージック・コンクレートを追求していた時期のなごりも強く反映されている。ヤニス・クセナキス『エレクトロ-アクースティック・ミュージック』(1970)を思わせるタイトルしかり、そうした種類の発想を随所で取り入れながら、あくまでもベースによってクラブ・ミュージックに着地点を見出していることも明らかだろう。さらにはいくつかのドラミングでワールド・ミュージックへの関心も露わにしている(偶然、そのように聞こえるだけかとも思ったけれど、エンディングでは明らかにマリの楽器バラフォンが一瞬だけサンプリングされている。『ele-king vol.14』のインタヴューでガンツがトルコ出身だということに過剰に反応していた理由がわかったというか)。ミュージック・コンクレートの追求は、少なくとも発表された音源を通じては一時期接近しただけで、ほどなくして離れたのかと思っていたけれど、彼の興味が持続していたことがわかり、これにワールド・ミュージックを掛け合わせてしまうというのは、やはり彼が時代の編集者として優れていることを示している(『サイロ』ライナーノーツ参照)。少なくともリリースのタイミングに関しては天才的な勘を発揮していると思う。

『サイロ』がリリースされた直後、リチャード・D・ジェイムズは「モジュラー・トラックス」と題されたアルバムをフリーで公開した(後に削除。リンクが切れてなければhttps://www.youtube.com/watch?v=0tnh9cbuRBEに転写されている)。また、このEPがリリースされた直後には「user48736353001」の名義で最初は59曲、1月30日の時点では110曲の未発表曲がアップされている。なかには“レッド・カルクス”や“AFXオリジナル・テーマ、さらにはルーク・ヴァイバートの曲を変名でリミックスして話題になった“スパイラル・ステアケース”など聞き捨てならない曲もけっこうあるし、正規盤のリリースと同時になんだかよくわからない名義を駆使して、ぐちゃぐちゃといろんな音源をリリースしまくった90年代の自己イメージが繰り返されていることは明らかだろう。リスナーとの距離感がいつもこの人はどうもおかしい。

 ランダムにアップされた「モジュラー・トラックス」や「user48736353001」との対比で聴くと、新たなEPが1枚の作品としてどれだけ入念にまとめあげられているかがよくわかる。『ポリゴン・ウインドウ』をビート・ダウンさせたものだと冒頭では書いたけれど、「ウインドウリッカー」から『ドラックス』に至る過程のなかで完成できなかったものがここではかたちになっているのではないだろうか。「Pt 2」と題された意味もここにあるような気がして仕方がない。

José González - ele-king

 どこにも属さないで、しかしどこにでもフィットする音楽。8年ぶりのアルバムだというのに、まるで平然と、どこか超然と変わらない演奏がはじまる。ホセ・ゴンザレスがギターをつま弾いてそっと差し出す旅情は、いとも簡単に目の前の風景に水彩で色をつけていくようだ。大きな音ではないが、だからこそ、いま隣で鳴っていることに安心させられる。

 じっさい、ソロ・アルバムとしては3作めとなる『ヴェスティジズ&クローズ』はシーンのトレンドはおろか世のなかの流れとはべつのところに存在している。エクスペリメンタルな志向を含んでいたフォーク・ロック・バンド、ジュニップとしての活動をひと段落させたゴンザレス個人のタイミングで、この弾き語りはふとはじめられたという感じだ。2004年のヒット作『ヴェニア』のときにはそのチルアウト志向というか、フォークトロニカなどとも緩やかに共振する感性があったし、インディ・ロック・シーンで非西洋音楽からの引用が急増することを予見してもいた。2007年の『イン・アワ・ネイチャー』の頃にはゴンザレスのそんなあり方はまさにインだったわけだが、いま彼の音楽の無国籍的な佇まいを見ていると、そもそもそうした物差しが必要でなかったことに気づく。アメリカーナの新解釈という側面も持っていたコンピレーション『ダーク・ワズ・ザ・ナイト』(2009年)において、ゴンザレスがザ・ブックスと風変わりなエレクトロニカ・ポップをやっていたことを思い出してもいいかもしれない。アルゼンチンをルーツに持つスウェーデン人というやや特殊な出自も関係しているだろうが、この2015年においていっそう、彼が特定の枠組みに押し込められることからさっと身をかわしていることが眩しい。

 ホセ・ゴンザレスの楽曲はべたっとした弾き語りでない南米音楽的なリズム感覚を擁していることが魅力だったが、このアルバムでもとくに“レット・イットキャリー・ユー”や“リーフ・オフ/ザ・ケイヴ”などに控えめながらもそうした躍動感を発見できる。だが本人が説明するようにここにはアメリカのフォーク・ロックの要素もあれば、アフリカ音楽からの影響もある。また、余韻たっぷりに響くギターのピッキングにはジョン・フェイヒィの名前を連想せずにはいられない。場所だけではなく時間もやすやすと行き来する。“アフターグロウ”ではそうした彼の音楽の多面性が発揮されており、ブルージーなリズムは重たくならずにごつごつとした手触りを伝えてくる。

 “リーフ・オフ/ザ・ケイヴ”のオフィシャル・ヴィデオはゴッドレス・チャーチ(神のいない教会)での集まりをイメージして作られたという。そこでは特定の宗教を持ち出さずに人びとが集い、歌い、そしてゴンザレスの「光に連れ出してもらうんだ」というスピリチュアルな言葉が繰り返される。それがあまりに自然な振る舞いであるために気づきにくいが、しかし彼はそのようにして何かに束縛されないことをかなり意識的に実践しているのではないか。「捨ててしまおう 重荷を捨ててしまうんだ/忘れてしまおう 我を忘れてしまうんだ(“レット・イット・キャリー・ユー”)」。根無し草として、あるいは旅人として、自我を世界に差し出してしまうこと。それは多くの人間が自分の居場所を守るのに躍起になっているこの時代においてあまりに無防備で、しかしだからこそ勇敢な姿勢に思える。だがゴンザレスはあくまで自然体だ。

 本作はまた、全曲オリジナルとなった彼の歌の魅力をあらためて噛みしめるアルバムにもなっている。「よりよい世界を夢見て 時間をかけて 家を建てる/僕らみんなの居場所を作り上げるんだ」と素朴だが尊い理想が告げられる“エヴリ・エイジ”の、名もない歌うたいがどこからかやってきて自然と歌いはじめたような穏やかな時間。あるいは、アルバムの終曲となる“オープン・ブック”はそのシンプルさゆえにメロディが際立つ彼のキャリアのなかでも屈指の名曲だ。「開かれた本のような気持ち」とは、ページを繰れば簡単に過去にも遡るゴンザレスの音楽の自由さを示しているだろう。我を忘れることは自分を見失うこととはちがう……自分ではないものの価値を信じることだ。そのとき、そこには新しい自分がいるだろう。そのメロウさを少しばかり増しながら、ゴンザレスはこんなふうにアルバムの幕を閉じる。「だけど記憶は残る/傷は同じように感じられないけれど/ページを1枚1枚埋めていく/ほかの太陽たちの温かさに包まれて」。

Steinbrüchel - ele-king

 シュタインブリュッヘル待望の新作だ。しかも〈12k〉から初のアルバムである。その音の線、音の粒、音の空間、音の環境。粉雪のような電子音響。雪の情景のようなランド・スケープ/サウンド・スケープ。それはマシンによって生成するもう一つの自然環境のように……。まったくもって素晴らしい。

 ラルフ・シュタインブリュッヘルは1969年生まれ、ドイツ出身・スイス在住のサウンド・アーティストである。その電子音響によるサウンド・パターンをレイヤーしていく作風は、2000年代初頭の電子音響/エレクトロニカの特徴をよく表している。私は彼をその時代を代表するサウンド・アーティストと思っていた。事実、シュタインブリュッヘルは、2000年代初頭に〈ライン〉〈カット〉〈アタック〉〈ルーム40〉〈アンド/OAR〉〈12k〉などの名だたる電子音響及びサウンド・アート・レーベルからアルバムやEPを多数、リリースをしていたのだから。

 まず、1996年に自主レーベル〈ストックヴェルク〉から最初のアルバム『ストックヴェルク』を発表する。つづいて2000年から2004年あたりにかけて自主レーベル〈シンクロン〉でおもにライヴ録音作品などを送り出す。2003年にリチャード・シャルティエのレーベル〈ライン〉から『キルカ』をリリースし、2006年に『ステージ』を発表する。2004年には、〈アタック〉からキム・カスコーン、ジェイソン・カーンらとの作品『ATAK004』をリリース。2005年には〈ルーム40〉からベン・フロスト、テイラー・デュプリー、オーレン・アンバーチ、角田俊也らと『オペーク』、〈12k〉からフランク・ブレットシュナイダーとの『ステイタス』、2006年には〈リスト〉から、ギュンター・ミュラーとの『パースペクティプス』をリリースしている。
 そして、2008年に〈12k〉からEP『ミット・オーネ』を発表する。折り重なる電子音の粒と線が、互いに無関係のまま運動の層をなしつつ、しかし、ひとつの音楽/音響として、結晶のように生成していく。「サウンド・パターンの多層レイヤー的配置による超ミニマルな音響作品」という2000年代エレクトロニカ/電子音響の特質を18分の中に凝縮しているのだ。これは傑作である(近年も2011年に〈ルーム40〉リリースの『ナロウ』をはじめ、〈クワイエット・デザイン〉や〈テープワーム〉などからCDやカセット作品を発表している)。

 また彼は、グラフィック・デザイナーでもあり(むしろそちらが「本職」だろう)、端正なミニマリズムをクライアント・ワークのデザインに見事に落とし込む優秀なアート・ディレクター/デザイナーだ。〈ビネ・ミュージック〉諸作品のアートワークを手がけており、こちらの作品も素晴らしいものだ。デザインに共通するテイストは、清潔なミニマリズム。それは彼の音楽作品にも共通するし、同時に、2000年代初頭の電子音響/エレクトロニカの空気にも共通するものである。モダン・グリッド・レイヤー・ミニマリズム。

 2000年代の電子音響は、そのような「新しいモダニズムを用いた環境音楽」であったと、いまならば思う。アートや建築などの概念を取り込みつつ、具体的な音響によってそれを示した。2000年代初期(以降)の電子音響/エレクトロニカが、サウンド・アートと密接な関係を取り結んでいた理由はそこにある。いわば、ブライアン・イーノの提唱したアンビエント・ミュージックという空間的/抽象的な概念を、テクノロジーとサウンドとデザインによって音響彫刻化し、録音、音盤を含めたサウンド・アートとして実現したのだ。
 そこにおいてラップトップなど、コンピューター上で音響を生成可能なテクノロジーが大きく貢献したのは間違いない。この時期以降、音響生成は、作曲からデザイン的なものへと変化を遂げた。ゆえにシュタインブリュッヘルがグラフィック・デザイナーであるというのも非常に納得できるのである。

 そして、これらが一定の成果を経た2000年代後半以降、すべてが溶け合うドローン/アンビエントへと変化したことは、(これもいまにして思えば)当然の変化でもあった。現在のインダストリアル・ムーヴメントもポスト・クラシカルの流行も、2000年代後半に起きたドローン/アンビエント・ムーヴメントの延長線上にある。モダンなレイヤー/グリッド性に対して、アンフォルメルな融解性への回帰でもあった。いわば「抑圧されたものの回帰」だ。ドローンやノイズへの感性はこの数年で多くのリスナーに深く浸透した。時代の無意識を象徴していたからだろう。
 以降、最先端の音楽/音響は、グリッチ、ノイズ、ドローン、グリッド、レイヤー、コンポジション、ミュージック・コンクレート、現代音楽、インプロヴィゼーション、デザイン、モダン、ポスト・モダン、アンチ・モダン、アンフォルメルなどを包括しつつ、芸術の歴史を高速にスキャンする傾向が強まる気がする。すでにその傾向は、〈パン〉などのリリース作品に表れつつある。

 そのような状況の中、私は、近過去であり、近年の電子音響作品の大きな転換点であった2000年代初頭の電子音響やエレクトロニカを総括してみるのも悪いことではないと思っていた。その矢先、シュタインブリュッヘルの新譜『パラレル・ランドスケープ』がリリースされたのである。『パラレル・ランドスケープ』は、EP『ミット・オーネ』のサウンド・パターン/レイヤーによるミニマリズムを引き継ぎつつも、微かで不確定なノイズ的な音響やドローンなども導入されており、2000年代後半の状況も経由して生まれたことは明白である。2000年代初頭な音響と、2010年代初頭的なサウンドの交錯。
 その緻密にして繊細なサウンドは、まさに真冬の電子音響、とでも形容したくなる出来栄えである。粉雪のように冷たい音の粒が、線が、清潔な音響空間の中で降ってくる感覚。徹底的にマシニックな音なのに、どこか不思議な情感もある。まるで深夜に降り積もる雪の結晶のようなサウンドなのだ。

 本作において、シュタインブリュッヘルの音は、近年の〈12k〉的なドローン/アンビエントを引き継ぎつつも、クールなマシンの叙情を交錯させている。ひとことでいえば、これまでより、かなり「音楽的」になっている。とはいえリズムやハーモニーなどの要素はほぼ皆無で、サウンドのレイヤーと運動性がより複雑かつ繊細になっているから、結果として音楽的に聴こえるのであろう。彼の手法はそう変わっていない。これが重要だ。つまり、マシニックなサウンド・パターンの方法論そのままに「音楽」が生成しているのだ(また、本作の元になった素材は、近年のライヴ・パフォーマンスで用いられてきたものらしいので、本作特有の「音楽的な柔らかさ」は、もしかすると目の前にいる聴衆の存在を意識したものだからかもしれない)。

 シュタインブリュッヘルは最近のインタヴューで「私にとって音楽とは、空間内における3次元オーディオベースの彫刻のようなものです」と語っているが、これは電子音響やエレクトロニカが、2000年代後半以降ドローン/アンビエント化し「過度に音楽化」していったときに消えてしまった環境論的な思考である。この作品は、デザインされた音のレイヤーの複雑なコンポジションによって、過度に音楽的にならずに一種のムードを生み出すことに成功しているのである。つまりサウンドのレイヤーによって「音楽」をデザインしているのだ。私には、何よりその点に、とても驚いた。

 本作はアートワークも素晴らしい。スリップケースの中に、CDとそれを収めるジャケットとともに、60ページに及ぶ冊子が封入されている。このブックレットは、テイラー・デュプリー撮影による冬の情景を捉えた美しい写真、ローレンス・イングリッシュのエッセイ、シュタインブリュッヘルによるミニマルなアートワークによって成り立っており、それらが糸によって製本されている。じつに丁寧に作られた本だ。このブックレットを手にしながら音を聴く経験は、もっとも原始的なサウンドインスタレーション体験ともいえよう。本作は「耳で聴く」ことのみならず、「手で触れる」ことを主題とした「サウンド・アート」だ。できる限りデータではなく、フィジカル盤を入手して聴くべきアルバムである。

Soichi Terada - ele-king

 ようやく、寺田創一のワークが世界中で評価される時代がやってきたようです。
 ここ6ヶ月で、寺田の旧作が3枚リリースされた。2014年末、イタリアのFabio Monesiによる“Do It Again”のリミックスを収録した「The Far East Transcripts」が〈Hhatri〉からリリースされると、今年に入って、Manabu Nagayamaとの共作「Low Tension」がUKの〈Utopian〉からリリースされました。私は、かねてから“Low Tension”を高く評価していたので、やっと再発されて、ものすごく嬉しい。
 そして、今回目玉となるのが、オランダの〈Rush Hour〉からリリースされた「Sounds from the far east」というコンピレーションです。

 寺田は日本人なのに、上記のプロジェクトはすべて海外からリリースされています。

 Far East Recording (FER)のアンダーグラウンド性は相当高いので、知らない方が多いのは仕方がないでしょう。
 FERは、1988年、寺田によって創始されました。アナログからCDへのシフトのピークタイムだったので、比較的にプレス代が低くなっていました。自分の曲をDJにプレイしてもらいたかったが、当時アナログレコードで落とさないとDJがプレイできなかったため、寺田はレーベル活動を始めたそうです。しかし、ディストリビューション先がなかった。当時のレコードショップは個人取引もやっていなかった。なので、自分のレコードを販売できなかった。
 そこで寺田は、その一部をいろいろなDJに直接あげたり、店にこっそりおいたり(いわゆる万置き)していました。
 いま現在、FERのレコードが非常にレアで、高価になっている原因のひとつです。

 本コンピに揃っている曲は、FERの初期音源(1988年から1995年まで)になります。寺田のプロダクションスタイルのひとつの大きいな特徴は、ベースの使い方です。あのころの彼の曲を聞くと、「寺田プロダクションだ!」と、ベースから判明できます。ベースが必ず曲の主要エレメントになっているのです。彼は、ドラムキックと同じように、ビートを刻んでくるスレーミングなベースを使います。“Low Tension”や“Hohai Beats”が良い例です。
 寺田は完全にサンプリングの子供です。彼がプロダクションに入ったきっかけもそうでした。友だちからLED ZEPPELINのレコードをもらい、それが気に入ったからサンプリングして、初めてリミックス作りました。今回のコンピにおいても、“Purple Haze”では、ジミ・ヘンドリックスをサンプルしています。“Saturday love Sunday”ではCherelle & Alexander O’Nealをサンプルしています。、Shinichiro Yokotaの横田“Shake yours”はI.C Love Affairの89年リミックスをサンプルします。
 とはいえ、サンプルの仕方も独特です。カットした分をほぼエディットせず、そのまま自分の曲に使います。あくまでその曲が好きだから、トリビュートする気持ちでそうしています。
 寺田はすごく素直でやさしい人です。自作について語ると、そのサンプルで使った曲への愛が伝わります。ピュアな気持ちがそうさせるのでしょう。
 そして、寺田のスタイルの大きいな特徴は、やはりディープとムーディーな雰囲気づくりです。パッと聞いて「あ! 90sハウスだね!」と思わせるキーズの使い方(“CPM”や“Voices from Beyond”)。Downtempoに近いビートを使った“Binary Rondo”も、パッドのカットでムーディーで懐かしい気持ちを体験させてくれます。

 結論を言いますね。このコンピを見逃したら大間違いです。寺田は日本のアンダーグラウンド・ハウス・シーンを創始した数の少ない人のひとりです。いまでもOMODAKAという名義の下で、まだアンダーグラウンドシーンで活動しています。ジニアス・プロデューサーであり、島田なみの“Sunshower”リミックスは、NYCのParadise GarageとLarry Levanにも影響を与えました。収録曲はすべてオリジナルではアナログ・レコードはとして存在していますが、人生で一度見たら奇跡だと思えるほどレアな盤です。
 今回のコンピは、寺田がプロデュースした、素晴らしい曲をVinylで手に入れる最高のチャンスだと思ったほうがいいでしょう。

シャムキャッツ - ele-king

 バス停にひとりの女の子が立っている。そこを通り過ぎるひとりの男。さりげないカットバックで挿入される「あの夏の夜のこと」は、しかし、ただ男の脳裏を甘美に照らすばかりで、誰にも引き取られずにやがて蒸発してしまう。女の子の頭の中を転がるのは、母親のことや(結婚を急かされでもしたのだろう)、保険といったどこまでも現実的な問題ばかりだ(月々の掛金が高いのかもしれない)。そう遠くない過去に、つかの間の恋人として人並みの青春を演じたはずのふたりは、その数年後を描いた“Girl At The Bus Stop”という曲の中でなんの物語も演じていない。それどころか、たったひとつの言葉を交換することにすら至らないのだ。
 そう、何人ものキャラクターを配置した群像劇の形式を採用しながらも、たとえばP.T.アンダーソン的な物語の結節点を少しも求めなかった前作『AFTER HOURS』の続編的EP、この『TAKE CARE』で、シャムキャッツはまたしても「何も起こらないこと」をボーイズ&ガールズの日々に宿命づけている。回りつづけるカメラが置かれているだけで、そこには街の外灯を数えるのがせいぜいの男だったり、「今日は話すようなことがなかった」ということを話そうと考えている女の子だったりが、たまたま写りこむに過ぎない。「まるでよくできたポップ・ソングのような」物語は、ここには用意されていない。にもかかわらず、ひとりのストーリーテラーが誕生した確信を覚えずにはいられない充実感がここには漂っている。

 思えば、小沢健二が「物語のはじまりには丁度いい季節になったろう/まるで全てが変わるように」と歌って以来、たとえばandymoriの小山田壮平が「物語が始まるかも知れないんだよ」と歌うに至るまで、物語の不在はこの国のポップ・シーンでも主たる主題のひとつだった。あるいは、マイク・スキナーやアレックス・ターナーのようなある種のシニシズムがポップに機能した背景にも、そのような同時代的な感性がなかったとは言えないだろうし、技法的なことで言えば、両者ともそこをヒップホップ的な饒舌さで補っていた点で必然的な一致を見ている。とすれば、ネオアコ的なポップスという立場(!)でそのマイクを引き取ろうとした夏目知幸の無防備さときたら、さしずめカサヴェテス的だったと言うべきだろう。
 たとえば、ひとりの主婦が夫の同僚たちを家に招いてご馳走(ただのスパゲッティ!)を振る舞うことで空回りするシーンや、いい歳の社会的地位もあるふたりの男が、ひとりの娼婦(さして美人でもない!)を取り合って子どものような喧嘩を演じるシーンが、J.カサヴェテスの手にかかれば一級の映画になってしまったように、夏目知幸というストーリーテラーにとって、物語の始まりにはバス停に女の子が立っていてさえすればそれでよいのだ。実際、その女の子はただ待っていたバスに乗り込むに過ぎないが、バス停に立っている女の子がここまで正しく語られたことはかつて一度もない。このとき、「語るべきストーリーなどあるのか?」という問題設定それ自体が、きわめて野暮で、無力で、不適切なものであったことを、僕たちは知るのである。

 とは言え、誤解される前に断わっておくが、『アメリカの影』に象徴されるビートニク的な/ビバップ的な/黎明期のロックンロール的な都会人のセンスを(仮に)カサヴェテスの本質とするのならば、シャムキャッツは少しもカサヴェテス的ではない。むしろ、東京産のインディーズ・ポップがもれなくシティ・ポップと呼ばれた過去数年の不自然な言論状況にあって、『AFTER HOURS』が提示したネオアコ・レトロスペクティヴの大らかさは、むしろ地方や郊外の緩慢な時間感覚に対応していたわけだし、シャムキャッツはシティ・ポップの文化圏から逃げるかのごとく、都会的な感性からもっとも遠い場所を目指していたバンドになっていたとさえ言えるだろう。
 それを「普遍性」と素朴に呼べたものかどうかはひとまず問わずにおくとして、シャムキャッツのシンガーどころかミュージシャンにすらならなかったかもしれない「もうひとりの、あり得たかもしれない夏目知幸」が、この『TAKE CARE』で「何も起こらない日常」を再び生きはじめたとき、いままさに僕たちの目の前で、サニーデイ・サービスにとっての「東京」が郊外的な何かに置き換えられたのだということに多くの人が気づいたにちがいない。単著・共著等のリリースがつづく磯部・九龍ペアの言葉を借りるのならば、なるほどシティ・ポップならぬサバービア・ポップと呼ぶべき音楽がここにある。それはあまりにも涼しい顔で現れ、僕たちの心の大事な部分に触れてしまう。

 少し喋りすぎただろうか。大枠の歌詞論だけで既定の文字数をすでに超過している関係もあり、大切な君を「先輩」だの「あの適当野郎」から守ろうとする銀杏BOYZ的主題(!!)を扱いながらも、性的なべたつきを完全に脱臭しきった“KISS”を聴いてもらえば、野暮な分析の言葉をこれ以上重ねる必要もないだろう。しかも、だとすれば、たかがポップ・ソングの歌詞のことを語らずにはいられないものをこのバンドが準備したということに他ならなず、僕は読者に謝るよりも前にその事実を子どものように喜ぶつもりだ。20代後半の音楽リスナーとしての筆者に言わせれば、「ようやく来た」といった感じである。
 しかし、筆者に批評家としての一面があるのならば、『TAKE CARE』は、『AFTER HOURS』のメロウな側面を強化したようなその甘美なムード作りと、よりソフトになった夏目のヴォーカルという点において、かえって感傷的な作品だといった誤解を招く恐れがあることを指摘しておきたい。“PM 5:00”や“KISS”といった往年のネオアコ・クラシックスのようなカラッとした(どちらかと言えば)アップテンポの曲が要所に配置されていながらもなお、“Girl At The Bus Stop”なり“Windless Day”なりが残すセンチメンタルな印象は簡単に拭えるものではない。もちろんそれは、これらの曲が、アンセムなき時代の小さなアンセムたる堂々の完成度を誇っているということでもあるのだが、しかし、本作の最大の魅力はやはり淡々としたシークエンスの緩やかな積み重ねにあることを未練がましく指摘しておきたいし、かと言ってそれが、バンドよりも夏目のソロ活動を増やしてしまうことに少しでもつながってしまうと言うのなら、シャムキャッツという普通のバンドが普通に存在してくれることのまったく普通ではない貴重さを知る立場として、決して称賛しすぎない程度のものに留めておくべきなのかもしれない。

Rhodri Davies - ele-king

 インプロヴァイズとは、音色を生み出すことだ。
 この1971年生まれの英国人のハープ演奏者/即興演奏家の音楽・演奏に耳を澄ましていると、そんな当たり前のことを改めて痛感する。ハープという即興演奏とは馴染みの薄い楽器を用いながらも、その特性を存分に駆使し、音の可能性を拡張している彼の演奏は、単に良い音とか綺麗な音というものではなくて、耳が弦の震動に触れるような存在感のある音を生み出しているのだ。

 ジョン・ブッチャー、デレク・ベイリー、エヴァン・パーカー、ディヴィッド・トゥープ、ジョン・ティルバリー、大友良英、石川高など、錚々たる音楽家/演奏家と競演を繰り広げてきたロードリ・デイヴィスは、すでに20年以上のキャリアを誇るベテラン・インプロヴァイザーである(ちなみに意外なところでは、大友良英、石川高氏らとともにカミヒ・カリィのライヴにも参加している。しかもそのコンサートの模様はDVDにもなっている)。
当然、参加レーベルも多岐に渡っており、近年は、英国の即興音楽レーベルとして人気の〈アナザー・ティンブレ(Another Timbre)〉から参加アルバムが多数リリースされている。
 昨年にリリースされた作品には、〈ふたり(ftarri)〉から発売されたジョン・ブッチャーとの4年ぶりの共演作『ラウティング・リン』がある。英国北部のノーサンバーランドにある「ラウティング・リン」で、大自然を背景にして演奏した音を、あのクリス・ワトソンが録音し、さらに2ヵ月後に、その録音をバックにデイヴィスとブッチャーがライヴで演奏したという驚愕のライヴ・レコーディング音響作品である。

 本作『ペドワル(Pedwar)』は、そんなロードリ・デイヴィスが2000年代に残した4作のソロ・アルバムを収めたクロニクル的なボックス・セットだ。リリースは英国の〈アルト・ヴァイナル〉から。ライナーをディヴィッド・トゥープが執筆している。
 ディスク1は、フリーインブロヴィゼーションの方法論と、ハープによる音響生成が見事に融合した2002年の『ターム(Trem)』 だ。スティーヴン・コーンフォードの作品もリリースしている〈コンフロント(Confront)〉から発表されたアルバムで、2000年代初頭の即興音楽の豊かさを感じられる一作である。つづくディスク2は、同じく〈コンフロント〉から『オーヴァー・シャドウズ(Over Shadows)』(2007)。e-bowを用いて制作されたというドローン作品である。
 ディスク3は、2012年に〈アルト・ヴァイナル〉からリリースされた『ウォインド・レスポンス(Wound Response)』。ロックでノイジーな驚愕のハープ・インプロヴァイズ・アルバムだ。ディスク4は、引き続き〈アルト・ヴァイナル〉から出た『アン・エアー・スウェプト・クリーン・オブ・オール・ディスタンス(An Air Swept Clean Of All Distance)』(2014)は、一転してオリエンタルな旋律とハープの素の音色が耳に心地良い即興作品であった。

 ハープでインプロヴァイズすること、その魅力が、この4枚のアルバムには凝縮している。ときに大胆にノイズのような音を発生するかと思いきや、ときに素の音でデレク・ベイリーのようなフリーな演奏を繰り広げ、ときにプリペアドされた音をジョン・ケージのように点描的に響かせる。ときにトニー・コントラッドのようなドローンを響かせたかと思えば、ときにオリエンタルともいえる優美な響きと旋律を自在に奏でる。この自由さ。
 そしてさらに聴き込むと、彼の音楽は自由なインプロヴァイズの中に、律儀なまでにリズム制御を行っていることも聴きとれてくる。勝手気ままな自由でなく、演奏というディシプリンを習得している優秀な演奏家だからこそ可能な「自由」なのだ。

 即興と作曲の差異は極めて曖昧だが、その瞬間に音による事件を生成し一瞬で駆け抜けていくことが即興で、フィックスを目指して推敲を重ねていくことを作曲だとすると、録音された即興のレコードを聴くことにどのような意味があるのだろうかと問い直す人も多いだろう。その瞬間の生成こそが即興の醍醐味ならば、レコードで繰り返し聴くことなど、そもそも矛盾ではないか、と。
 しかし自分は思う。だからこそ即興のレコードを聴くのだ。即興は速い。なぜなら、その瞬間の事件の生成なのだから。むろん、その速度に音楽のテンポとは関係ない。どんなに遅いテンポでも、即興はその瞬間に生成する瞬きなのだ。即興はそれゆえ事件と忘却を繰り返す。私たちは、その忘却の速度にはなかなか追いつかない。だからこそ録音によって、まるで即興の内部を顕微鏡で覗き込むように聴き込むのだ。そうして音を自分の耳と体に会得する。それはリスナーの欲望であり、だからこそジャズや即興音楽の録音作品を聴取する意味があるのではないか。

 ロードリ・デイヴィスの音楽/演奏は、そのような顕微鏡的な鑑賞にとても合っている(反対に、ただ流していてもいいのだが)。フリー、ノイズ、ドローン、旋律まで、さまざまなサウンドの魅力や音の独自性や個性が結晶しており、耳を惹きつける要素がたくさんあるからだ。
 このボックス・セットには、さまざまな音楽の歴史/エレメントが詰まっている。しかし堅苦しさは、まるでない。彼の即興演奏や音響生成に、顕微鏡的に耳を澄ますことは、とても豊穣な音楽的時間だ。カジュアルで、アメイジングで、ジョイフルでインテリジェントなインプロヴァイズ。これは2000年代の即興音楽の特徴をよく表しているように思えるし、本作を聴き直すことで2000年代から続く(音響派以降ともいえる)即興音楽の豊かさを感じることもできるだろう。本ボックスは、そんな彼の音楽を存分に楽しむことができる、まさに僥倖のようなセットなのである。

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 ブンブンサテライツの川島道行の脳腫瘍が最初に発覚したのは、1997年のことだった。僕が彼らに初めて(そして過去、唯一)取材したのは1998年で、欧米では〈R&S〉からの作品の評判が最高潮に達していた頃だった。
 それは『OUT LOUD』が出た年で、ビッグビートと呼ばれたロック的なカタルシスをダンス・ミュージックに取り入れた音楽がブームになったときだった。が、しかし、彼らはしばらくするとさらに加速して、いつの間にかブームを追い抜いてしまった。
 ダークなイメージだが、疾走感のあるビートがやって来て、そして目の前を駆け抜けていくようだった。姿は見えないが、音だけは残っている。「あまりにストレートにハッピーなものにはリアリティを感じない」と1998年の中野雅之は話しているが、実際の話、ブンブンサテライツは流行を追うことも、取り繕いも、みせかけの飾りも必要としない。

 『SHINE LIKE A BILLION SUNS』は、川島道行にとって3度の手術、4度目の再発を経てのアルバムとなる。宿命的だったとはいえ、ブンブンサテライツが「生と死」と向き合わなければならなかったという事実に、僕は正直うろたえてしまうのだが、逃れることはできない。これは生身の音楽なのだ。

川島くんの脳腫瘍っていうのは、積極的に話せば、音楽を作る上でのモチベーションというか、「なぜ音楽をやるのか?」と問いただされるキッカケにはなるんですよね。

久しぶりに聴かせていただき、ざっくり言うと、変わっていないとも思ったんですよね。聴いてて、「あ、ブンブンだ」って。でも、ヴォーカリゼーションは本当に変わりましたね。

川島道行(以下、川島):はい。

で、1曲目の“SHINE”が象徴的なんですけど、曲の途中から、4つ打ちが入るじゃないですか? 90年代的なエレクトロニック・ビートが入って来るんですけど、1998年のインタヴューを読み返すと、中野くんが音楽的なアイデンティティで葛藤しているんですよ。

中野雅之(以下、中野):あ、そうなんですか?

自分たちは、どこにも属していない。ロックでもテクノでもないみたいな。ヨーロッパをツアーしても自分の居場所がない気がするし、日本にいても居場所がない気がするし、っていうような。

中野:なるほど。

ノーマン・クックに評価されてすごく嬉しいんだけど、自分たちはビッグ・ビートだとは思えないし、みたいなね。でも今作の『SHINE LIKE A BILLION SUNS』を聴くと、ふたりのなかには「ブンブンサテライツ道」っていうのがあって、そこをそのままいったのかなって。過去の作品にはロック色が強いものもあるんですけど、大きくは変わらないというかね。

中野:90年代からだとCDバブルって時代があってとか、音楽産業という環境だけでもすごく変化は続いているので、その時々で何にフォーカスをして作っていくかとかは、音楽をやる上でなかなか切り離せないところがあって。それと、自分たちの人生とか境遇とかっていうものも、刻々と変化していくので、やっぱりそれに従って音楽を作っていたと思うんですよね。川島くんの脳腫瘍っていうのは、積極的に話せば、音楽を作る上でのモチベーションというか、「なぜ音楽をやるのか?」と問いただされるキッカケにはなるんですよね。

97年に腫瘍があることが発覚したんでしょう? ということは、ファースト・アルバムが〈R&S〉からが出たときにはそのことを知っているんですよね?

川島:はい。

ブンブンサテライツの内側でそんなことがあったなんて、本当になんと言っていいのか……。

川島:2013年に組んでいたツアーをキャンセルしなきゃいけないっていうことで、発表せざるをえないところがありました。

26ヶ所もの大規模なツアーを組んでいたら、しっかりと誠実に対応しなければならないもんね。

中野:そのときが一番こたえました。

言うか、言わないかというところで?

中野:それもそうですし、決めた予定にたくさんの人が関わっているので、そこで迷惑をかけることになるし。今まではそれが守れていたんですけど、とうとうそれが1回ゼロになってしまって、迷惑をかけてしまったりとか。たとえば、マネージメントとかライヴ制作会社とかが、けっこうな損失を出すことになるし、あとはやっぱりファンですよね。

逆に、いままで病気を公表しなかったのはなぜなんですか?

中野:そういうところで音楽を聴いてほしくなかったですね。

川島:うん。「それでも頑張っている」というのは、音楽の本質とは別のところで起きていることなので、聴く人には純粋に音楽として楽しんでもらって、何かメッセージを受け取ってもらいたいというのがありました。

なるほどね。でもやっぱり、音楽作品っていうのは作り手の人生とは切り離せないところがあると思うんですよね。ブンブンサテライツの創作活動にとっては、命であるとか、死であるとか、人生であるとか、ひとの一生であるとか。そういうようなものに直面せざるをえない問題じゃないですか。それをなぜ言いたくなかったんですか?

中野:なんだろう。セカンドの『UMBRA』(2001年)を出したときとかは苦しい感じがしましたね。それが2回目の再発のときでした。ファースト・アルバム(『OUT LOUD』)が日本もそうだし、いろんな国で受け入れられたところがあって、セカンド・アルバムに期待されることっていうのはその延長線上のもので。川島くんが音楽に向き合うモチベーションをどこに作るかって考えないといけないなと。歌う理由が必要だな、と思いました。川島くんの状態を見ながら音楽を作っていたら、とてもヘヴィなものになったんです。
 そういうものに対して、結局、自分も川島くんも嘘はつけなかったんだなって思います。フラストレーションとか反抗的な感覚を持った音楽を作る理由っていうのは、バンド内のことだけじゃなくても理由はたくさんあったので、ファーストからセカンドにかけてなぜそうなったのかを対外的に話すことにおいて、そんなには不自由しなかったというか。でも、何かを押し黙っているというのは、どこかで感覚的にはありました。

さっき川島くんは音楽とポイントがずれてしまうみたいなすごく冷静な話をしたと思うんですけど、たしかにひとりの個人の命をリスナーがどこまで共有するかっていうところもそうだし。だからやっぱり慎重にならざるえないですよね。話は変わるのですが、ブンブンサテライツってバンド名からすると、この名前にしたことに後悔はないですか?

中野:つけたのは自分ではないので、僕は後悔のしようがないんですけど(笑)。

川島:ハハハハ! 後悔がないかと聞かれれば、ないというのは嘘になりますけどね。自分はもっとロック・バンド然になることを想像していたので。でも後悔はそんなにはないです。

「ものすごくジグ・ジグ・スパトニックが好きなんですね?」とか訊かれたりしない?

川島:まぁ、言われたこともありますけど、それは昔のことで現在は自分たちの音楽があるので、いまはないです。

ジグ・ジグ・スパトニックというのは、これは良い意味で言いますけど、B級色物バンドじゃないですか? おふざけをやったバンドであるわけでしょう? そこからバンド名を引用したわけだからね。ていうか、最初はブンブンサテライツにも少なからずそういう部分があったの?

中野:僕が川島くんと音楽を作るようになったときには、既にその名前があったんです。もちろん、ジグ・ジグ・スパトニックも知っているし。ただ、そこから名前をとったとか、そういうことを僕はあまり気にかけることなく制作をしたので。川島くんのB級っぽいものに対しての……、なんだろう……。

愛情とかこだわり?

川島:ハハハハ。

中野:そうですね。フェティシズムというか、憧れみたいなものはあると思う。そこに憂いがあったり、ちょっと笑ってしったりというか。

川島:うん。そういうユーモアがあるもの魅かれたりね。

中野:それは理解していたんですけど、それは『タイムボカンシリーズ』とかの笑っていいのか、どうなのか、面白いのか、そうじゃないのか、というものでもずっとそうだったと思うし。だからそういうところは、僕と川島はルーツとまではいかないけど、違った感覚だったと思う。

川島くんは基本的にああいうナンセンスなものが好きだったの? 

川島:そうですね。映画にしても、音楽にしても、そういうエッセンスが含まれているものは好き。

ギターのサウンドの感触とかはインダストリアル・テイストのものが入っていて、80年代のニューウェイヴ的なセンスみたいなものは、お互いにずっとあるのかなって思うんです。バックボーン的にはそこにあるの?

中野:すごく意識はしていないけど、あります。若い頃は、バウハウスとか……

シスター・オブ・マーシーとか?

中野:そうですね。川島くんは?

川島:キリング・ジョークとか好きでしたね。

中野:その頃の音楽好きが注目していたものは聴いていたと思うし。エレクトロニックな要素が80年代はポップスのシーンにも出てきていたんで、自然に耳にしていました。80年代の終わりから90年代のハウスやテクノっていうのは、このバンドが形になる上で大きな影響ですけどね。あと、当時はヒップホップがサンプラーを使い出したときで、違うジャンルのものがサンプリングされて別の景色を見せるという、その流れでインストのヒップホップが流行っていたので。

そうだよね。ブンブンは、コールドカットにもリミックスを依頼していたもんね。

中野:そうですね。

初期の“ダブ・ミー・クレイジー”が、2012年のキング・ブリットのミックスに入っていたんだよね。

中野:へぇー。全然知らなかったです。

えー、1997年の曲がいまでもちゃんと通用しているって、すごいよね。長い間いろいろやっているし、テクノやヒップホップや、いろいろ実験してきたと思うんだけど、ブンブンの美学の根幹にあるものって何でしょうね? つねに立ち返るところみたいなものは?

中野:そういう問いに対して、リズム・スタイルだったりとか、音楽ジャンルだったりとか、答えられればいいのかもしれないけど、この間の3回目と4回目の脳腫瘍っていうふうに立て続けにあって厳しかったとき、で、そのときに何をやるのかってなったときに、音楽的なルーツとかが頭に浮かばないというか、川島くんの声をどうやって残していこうかなってことを考えていました。

なるほど。

中野:言葉とか、声とか、そういうものを残す。それで、それが伝わりやすいメロディとかハーモニーにする。だから、リズムというものを取っ払ってしまっても、成立するくらいのものにしたいなと思いました。だから、自分たちの戻るところっていうのが歌とかメロディとかだったりするんだなと。最初の頃はほぼインストだったりするんですけどね。
 知り合ってから20年以上一緒に音楽をやってきて、自分のなかでできていった人間関係とか、人生を共有していることになるじゃないですか。だからいま何をしたいか、そもそも音楽ができるのかできないのか、というところから制作がスタートしているので。

それは今作に限らずにってこと?

中野:いや、とくに今作はその思いが強かった。

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「それでも頑張っている」というのは、音楽の本質とは別のところで起きていることなので、聴く人には純粋に音楽として楽しんでもらって、何かメッセージを受け取ってもらいたいというのがありました。


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〈R&S〉時代のサウンドは、ヴォーカルというよりは全体でひとつのオーガニックな音を作っていたって感じだったよね。でも、途中からは、川島くんのヴォーカルが確立されていくじゃないですか。川島くんはヴォーカリストとして影響をうけたひとはいるんですか?

川島:そう考えると、あまり見当たらないんです。最初の方に立ち返ると、歌を歌いたいと思ったことは、バンドを始めたころはなかったんですよね。ただ、自分がやりたい音楽を実現していくためには仲間が必要だし、誰もそれを共有する人がいなかったんです。自分が楽器をベースからギターに変えて、歌も歌うようになったというなかで、もう一方ではダンス・ミュージックにも憧れがあったので、自分がその飛び道具的な存在としてバンドのなかに存在する音楽がやりたかった。なので、「こういうシンガーになりたい」という感じではなかったんです。「今、誰が好きですか?」と聞かれると……。好きなシンガーはたくさんいますけど、この人に影響を受けてっていうのはないかもしれないですね。

“JOYRIDE”の時代は声もサウンドの一部という感じで、中野くんが当時のハードディスクをいじり倒して作り出したブレイクビーツと、声とギターが絡み合った感じでしたよね。それ以前というか、本当に初期の頃は歌っていたんですか?

川島:歌っていましたね。

中野:歌モノの曲は多かったんじゃないかな。デモテープを作ったりして、ライヴハウスでやって、それを100円で売ったりしていたので。

僕の記憶だと、初めてみたのはイエローのクラブ・イベントだったと思うんですよね。

中野:あの頃は一番、インストのインプロビゼーションっぽいものとか、そういう形でライヴをやっていたんじゃなかったかな。それで、ブレイク・ビーツとか、そういうものに一番傾倒してた。

それ以前は?

中野:その前は学生時代ですね。

川島:ライヴハウスに出ていた頃は、たしかに歌モノが多かったですね。

中野:その頃はすでに、特定のジャンルというよりは、インダストリアルなテイストがあったり、ブレイクビーツだったり、ヒップホップの影響もあったりとか。そのへんはバンドをやっているってだけだったので、特定のジャンルの何かをやっているつもりはなかったです。

なるほどね。でもキリング・ジョークとかバウハウスを聴いていたひとが、ハウスはあるかもしれないけど、ヒップホップっていうと遠い感じがするから。

中野:そうですか?

川島:でも、90年代はパブリック・エネミーとかアンスラックスがいて、そういうミクスチャーなサウンドが刺激的だったし。

中野:あとはパブリック・イメージ・リミテッドのダブっぽい要素とか、いろんなクロスオーヴァーがあった時代だったから。それらは全部外国で起こったことじゃないですか? だから、現場の実態ってわからなくて音楽雑誌を読んで、レコード屋に行って。下北沢の〈スリッツ〉とか〈ズー〉とかに行くと、バレアリックというか、なんでもかけるっていう……

インディ・ロックとハウスをね。インダストリアルとかボディビートとか。

中野:そうですね。メタルよりのものと、エレクトロよりのものを分け隔てなく聴いていたというか。

ボディとかインダストリアルの影響は受けているでしょう?

中野:受けていると思います。川島くんはニッツァー・エブが好きだったんじゃなかったっけ?

川島:うん、好きだね。

ちょうど世代的にはそのへんが一番出てきたときというか。

中野:ちょうどそのときはこのバンドをやっていましたね。

ああ、ミート・ビート・マニフェストが好きだって言っていたもんね。歌詞は川島くんが書いているんだよね?

川島:はい。書いています。

歌詞の主題は、どのように考えていますか?

川島:僕の死生観といいますか。それと、その歌のメロディに自然と口をついて出てくる、フレージングとしての言葉というものがあるんです。それをストーリー仕立てにして、歌詞を書いていくんですけど、メッセージについては強く意識していないですね。そのメロディがちゃんと曲に沿って心地よく聴けるものであれば、それでよくて。メッセージを取り立てて意識して書いたことは、そんなにはないです。むしろ、そういうことをすると、おかしなことが起きるんですよね。

なるほど。中野くんはそこにどう絡むんですか?

中野:うーん。すごい喧嘩したこともあるんですよね。そういう境遇に甘ったれているような感じとか。

それは厳しすぎじゃないですか(笑)?

中野:なんというか、なんだかんだ言っても自分の足で生きていくしかないんで。こんなとこでしゃべれないくらいの口汚い言葉で罵倒したこともあるんですよ(笑)。やっぱり感情的になって。そういう話もたくさんしたし、やっぱり20年も経つとひとって変化も成長もするんですよね。なので、デビューした頃と今の川島くんはまったくの別人と言ってもいいくらい、いろんなことに揉まれることで磨かれていったところがあると思います。考え方とか、姿勢とか、生き方や死生観もそうだし。そのなかに、自分が音楽とどう向き合っていくのかっていうことも含まれているので、運命というか、そういうものを受け入れようと。僕は健康な体を持っているわけですけれども、あまりにも長い時間を共有してきたので、同じとは言わないですけど、痛みとか重みとかはだいぶ共有しているつもりではいるんですけど。

前作の『EMBRACE』は「抱擁」って意味じゃないですか? ブンブンサテライツはラウドでインダストリアルでダークで、海外ではときに「残忍なビート(ブルータ・ビート)」などと形容されたりもする音楽ですけど、タイトルに「抱擁」って言葉を持ってきたってことは何なんでしょうね?

川島:『EMBRACE』を作っていたときには、十何年も発症していなかったので、病気のことはほとんど忘れていたというか、ちょっと遠い存在になっていたんですよね。ただ、音楽が変わってきているということは体感して感じていたので、そのビートの強さがひとに与える印象やメッセージとか、それが与える包容力が僕たちの音のなかに色濃くではじめたので、そのタイトルは自然と出てきた感覚ですね。

十年以上も再発していなかったんだね。完全に治ったと思っていたということ?

川島:薬はずっと飲んでいなければいけない病気だったので、そのことに気をつけていれば、この先もしばらくはないだろうなって思ってましたね。

中野:震災後っていうものに対して、クリエイティヴにどう向き合っていけばいいのかを模索した時期を経て、できたのがそのアルバムでしたね。それだけがあの作品を作っているわけではないんですけど、もう一度、物作りをするっていうことや、音楽というアート・フォーム自体の役割とか、そういうものを考えないと前に進めない時期ではあったんです。僕たちはそのへんを器用に立ち回れないところがあって、たとえばチャリティ的なわかりやすい行動とかが得意ではなくて、じっくりと腰を据えて考える感じになったら、それはそれですごく重いことだったなっていう。その震災のタイミングと、僕たちのキャリア的なタイミングが重なって、ああいうアルバムができたんだと思います。

あのアルバムには、今作に通じるような4つ打ちを使っているんですけど、あのリズムは意識していますか?

中野:4つ打ちっていうのは、普遍的だからなんですよね。

でも、4つ打ち的なダンス・ミュージックを避けていた時期もあったんじゃないですか? もっとロック寄りだったというか。だからクラブ的なセンスが久しぶりに注がれたのかなって。リズムのところだけですけどね。

中野:リズムのところに関しては、それほど意識はしていないですね。あのアルバムあたりは、ビートのスタイルってトレンドで更新されていくもので、昔はそういうものにワクワクしながら12インチを買い漁って、みたいなことをしていたんですけど、『EMBRACE』のあたりからそういうものよりも、ギターやピアノ一本で歌えるものとかに頭がいっているんですよ。今回のアルバムではさっきも言ったように、どうやって川島くんの声と言葉を残していこうかなと。だから、より『EMBRACE』以上にそういう気持ちが強くなって、普遍的なメロディや古典的なコンポーズが中心になっているので、リズムはメロディを後押しするための一要素としてしか、捉えていないところがあるんじゃないですかね。

極論を言ってしまえば黒子みたいな?

中野:そうですね。だからその点に関してはデビュー当初と真逆というか。

98年のインタヴューでも、「どうしても自分たちはハッピーな音楽に対して抵抗があるんだ」みたいなことを言っているんですけど、やっぱその頃はもっとササクレだっていたってことなのかな?

中野:いや、そのへんは変わってないんですよね。ああいうビッグ・ビーチ・フェスティバルとかEDMの大きいイベントを見ていると、音楽が大事にされてないんじゃないかなっていう感覚になったりとか。もともと、音楽が社会に大きな影響力を持って、ひとびとのなかに革命を起こしていくことに直結していくような、イギリスのレイヴが持つ感覚にとても憧れていて。それはパンク・ミュージックともレベル・ミュージックと言えるんじゃないかとか、そういう部分が大きかったんです。だから、そうじゃない完全的な商業的なエンターテイメントになった音楽を見ると、どこか寂しい気持ちになるところはいまでもあるんですよ。

是非スリーフォード・モッズを聴いてください。パンクの感覚って、中野くんのなかではいまでもあると思いますか?

中野:表現の幅が出てきたと思うので、攻撃的であることだけが音楽を作るモチベーションではなくなってきていますね。漠然とした言い方になってしまいますが、音楽の役割として聴いている人に良いことを起こしたい。聴いた人に何か作用を残していきたいと思っているので。それは歌でもなんでもいいんですけど。ビートでも、ビートじゃなくても。聴覚で感じ取ったものが、心で変換されて心で何かを起こすような、そういうことが音楽では起こり得るから、それがあればいいなって思えていて。もう僕たちも40歳を過ぎて、ベテランのアーティストなんですけど、この間に身につけてきた表現の幅ってそれなりにあると思います。ただただ攻撃的な表現じゃなくても、いろんな伝え方があるんじゃないかと。

そういう意味では、川島くんのヴォーカリゼーションは、いままで一番ソウルフルに感じました。

川島:なんでですかね。

中野:僕はソウルフルというより、エゴがない声だと思いました。聴かせようという気持ちが強い歌というよりは、自然に出ている声というか。僕の印象はいわゆるシンガー然とした、きちんとテクニックも持っている歌い手というよりは、表現自体に対してあまり欲がない歌というか、まっすぐ歌うというか。僕はそれがヴォーカリストとして珍しいと思います。歌がうまい人ほど歌の抑揚とかをコントロールしながら歌うので、演歌だったらこぶしがあったりとか、オペラがあったりとかヴィブラートがあったりとか。そういうものをふんだんに使って、自分の歌っていうものを表現するなかで、その欲が川島くんから一切感じられないんです。

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その頃はすでに、特定のジャンルというよりは、インダストリアルなテイストがあったり、ブレイクビーツだったり、ヒップホップの影響もあったりとか。そのへんはバンドをやっているってだけだったので、特定のジャンルの何かをやっているつもりはなかったです。


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作る前から「今回はこれでいこう」というのはあったの?

中野:これも脳腫瘍の話と切り離せないところがあるんですけど、開頭手術をして、約1ヶ月入院していたのでツアーもキャセルになってしまって、これからどうやって生きていこうかなってぐらいに思っていたんです。もちろん、まわりでサポートしてくれている人たちは、無事に手術が終って復帰して、アルバムの制作とかライヴ活動をやっていこうよとなっているけれども、僕は退院して出てくるのを待っている間は、それはやってみないとわからないなと思っていて。もちろんポジティヴに考えているけれども、やっぱり手術後の状態というのは過去の経験として知っているので。まずはリハビリから始めるんですよ。そのリハビリのための曲というか、入院中に僕がメロディから何から書いてしまって、退院してすぐ僕の家のスタジオに来てもらってすぐに歌ってもらったんですけど、それが“SHINE”なんです。それがソウルというか……

ジャンルというよりはね。

中野:そうですね。メンタリティの上でのものというか。そういったものを僕は深く感じ取りましたね。川島くんは意識もまだはっきりしていなくて、まだぼーっとしている状態で歌っていて。で、何に感動したのか理由も明確に言えないくらいにその声を聴いてハッとさせられたんです。こういう歌を残していくのはいいなと思ったけど、それは大変な作業になるだろうなと。

なるほどね。意識とか集中力はやはり大変なんですか?

川島:そうですね。入院生活自体が社会から切り離されたところで行なわれているので、どこかに出てくると馴染めない感覚をもっていたりとかはするんですよね。でも、スタジオに行ったのは退院して3日目ぐらいだったので、そういった意味では自分の様子を窺うというか、自分は大丈夫なのかなということもありますし。様子を窺っているような、馴染めない感覚というか、ぼーっとしている感覚があったんですよね。

反射神経的な部分とか?

中野:川島くんは本人だから、あんまりわからない部分もあるんじゃない?

川島:まぁ、そうだね。

中野:僕は長年、川島くんという人をずーっと見続けているんで、脳腫瘍に限らずに考え方とか、単純に身体能力の衰えとか、いろいろな変化を見てきているし。それで退院直後にレコーディングをはじめたときの川島くんの様子っていうのは、いろんなことがすごく不自由だけど、それでも音楽をやるんだなと思って、すごいことだなと。そのときに完全にヴォーカリストとプロデューサーという関係になっちゃって、トラックメイカーとかそういう感覚はなかったですね。その佇まいだとかを見て、これはどうやって人に伝えていこうかな、というところで考えるようになって。なので、アルバムの制作を始めたときは痛々しいところは痛々しかったです。

川島くん本人はどんな気持ちを持って、このアルバムに臨んだんですか?

川島:とにかくやりたいことはこれなんだ、っていうことは入院中に思っていたので、退院したらこれまで以上のいい音楽を作って成長していきたいなと。何がいい音楽なのかはっきりとしていませんでしたけどね。振り返ると、人生をアーティストとして生きてきたところがあって、それをこれからも続けていこうと退院してきたので、すごく大変な時期もありましたけど、そのことについてあまり迷いはありませんでしたね。

今作は病気のことをファンに公表したあとの作品ですし、とくに伝えたいことってたぶんあったと思うんですけど、それは何なんですかね?

川島:完成させること自体と、佇まいですよね。言葉ではっきりとした「これ」と言える集約されたものではないと思いますけど、病気のことを知った上で、その命の強さというか……

中野:たぶん、そこは意識していないんじゃない?

川島:うん、していないけどね。

中野:まず毎日の生活の中に、自分たちが音楽を続けられるかどうかっていうのがテーマのひとつにありました。人に音楽を聴いてもらう上で何を与えていきたいのかっていうのは、自分の病気と切り離したところで考えているところがあるんじゃない?

川島:うん、そうだね。ただ、諦めないということは格闘家のような姿勢だと思うんですけど、音楽は音楽として美しかったり、高揚感を与えたりとかっていう様々な感情レベルで繋がっていきたいという志は、今でも持っていますけどね。

中野:自分がデビューするときとか、20代で音楽を作っているときとかって、40代になった自分のバンドが続いているイメージって全くなかったです。

夢中だったと?

中野:そういう将来的設計みたいなことは音楽を作る人ってないんじゃないの?

たぶんないよね(笑)。

中野:そのとき、そのときでけっこう精一杯で、そういう私小説的にアルバム単位で音楽を残したり、曲単位で残していったり、それをやり遂げていって、ちょっと先の未来に対してのイメージとかやりたいことのモチベーションが見えてきて……。
 要は何も考えてなかったんですけど、自分たちの考え方とか、生き方とか、そういうものが変化していくことと、音楽的な変化をイコールで考えていて、エンターテイメントとして演じる音楽ではないと思っているところで、作品を作っているんです。だから最初の方で言われた「ブンブンサテライツというバンド名に後悔したことはないんですか?」っていう質問なんですが、たしかにもう似つかわしくはないかもしれないんですけど、たとえば、山田太郎は生まれてから、ものすごく悪い不良少年を経て、すごく立派な大人になるまでずっと山田太郎じゃないですか? まぁ、それでいいのかなって。

川島:ハハハハ。

生と死は、非日常的なことではなく、ものすごく日常的なことでもあるからね。誰もが平等に、それを迎えるものだから。普遍的で、実は日常的なテーマでもあるんだよね。

中野:それはもう、生まれてきた全員に共通して平等に与えられた死という機会で、それまでの時間が長いか短いか話しなので。だから、普遍的なテーマだと思うし、その生に対する執着も当然テーマになりえるし。

そういう生と死といった大きなテーマを思いながら、音楽性を何か変えようとはしなかった? たとえばアンビエント・タッチを取り入れるとか。

中野:自然とできたアルバムではあるので……

やっぱりビートが入らなければという話?

中野:うーん、あまり考えないですね。

川島:むしろビートは入っていないと嫌だなと思っていた。

中野:そういう手法を入れると、僕の感覚だと、あまりにも演出めいている感じがしちゃいますね。やっぱり、いつも通りの川島道行がいることが大事で、その背景としてのトラックやアレンジとかっていうのは、バランスの感覚としか言えないところがしますけど……。

自分たちのなかで、ブンブンサテライツはこうじゃなきゃいけないっていうのはあるんですか?

中野:うーん、言葉でできる部分ではないですけど、日常的に音を出すということはやっているから、そのなかでの取捨選択というのはあると思います。たとえば、10個の音がどんなバランスで組合わさるかっていうときに、そこに長年かけて出てきているアイデンティティみたいなものは、存在しているかもしれないです。

そのアイデンティティというのは、言葉では言うのは難しいんですか?

中野:そうですね。アンビエントみたいなものと言っても、自分が好きなテイストのものと、そうでもないものっていうのが明確にあるんですけど、言葉で説明しきることっていうのは難しいんだよね。

先日、砂原良徳に取材で会ったら、「バンドっていいよ」って言ってたんだけど、ふたり組という単位で続けていることに関しては、どうですか?

中野:これは全然音楽的な話ではないですけど、縁としか言えないところがあるのかなって。たとえば、オービタルとかだったら兄弟としてやっていたとしても、音楽を作るのが難しくなることもあるわけじゃん? 僕と川島くんは家族でもなんでもないんですけど、ここまで続けてきて摩擦っていうものはあるし、違う人間が同じ部屋で作業して何もかもが同意だけで進むことは、ほとんどないわけですね。それで諦めないとか嫌気がささないとか、それはひとが変われば諦めややめるタイミングも早くやってくるのかもしれない。たまたま、巡り会った人と人との縁っていうところもひとつにはあると思うし。2人で音楽を作るってことはハードなんですよ。3人と4人とやるのと比べてもね。

1対1だからね。

中野:妥協というものが存在しないというか、議論するんだったらどっちかがどっちかをねじ伏せるか、もしくは深く納得するとか。

やっぱり議論はいつも起こるの?

中野:はい、制作中に起きます。

とくにこういうところで議論にあるってことはある?

川島:表現方法とかだよね?

中野:そうだね。あとは、リリックのことでも。

川島:内容のとこではないよね。

中野:音楽的のスムーズさとか、伝えることの情報量とか整理とか。やっぱり思いが強いときっていうのは、音楽的じゃない表現方法で情報量が多いから、それだとやっぱり伝わらないというのがあって。あとは歌唱方法ですかね。

なるほど。どちらかと言えば、中野くんが注文をするというか。

川島:そうですね。ディレクションを受けますね。

中野:納得しながら進まないと、そういう声も出てこないので。

川島くんから中野くんに「いや、このトラックはもうちょっとピッチを下げて欲しい」とかって言ったりしないの?

川島:そんなに激しくはないんじゃないかな? だいたい僕が出せる良いところの声を理解して、キー設定なりをしているので、僕がそれに対してもうちょっと低くないとってことはあまりないですね。

でも、お互いにいまでも意見をぶつけ合ってやるってことは、すごく健康的な関係性だよね。

中野:完全にお互いの役割分担ができていて、メールとかサーバーのやり取りだけで済むような感じは一切ないですね。

いまは、そうやってデータのやり取りができちゃう時代だから。

中野:顔を付き合わせて話して、実際に音を出してやるっていうふうにやっていかないとバンドでは全然進まないですね。

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僕と川島くんは家族でもなんでもないんですけど、ここまで続けてきて摩擦っていうものはあるし、違う人間が同じ部屋で作業して何もかもが同意だけで進むことは、ほとんどないわけですね。2人で音楽を作るってことはハードなんですよ。3人や4人でやるのと比べてもね。


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いまとりあえず一番やりたいことってなんですか? ライヴ?

川島:ツアーですね。

中野:けっこうな期間、ちゃんとツアーをやれていないですからね。小さいツアーは、クアトロとか、東京、大阪、名古屋、仙台とかはの規模では去年やって、これができたからいよいよ本格的に、っていう思いはあったんですけど。そこで再発しちゃったから、全国ツアーはキャンセルしました。ツアーはやっぱり顔が見えるのでライフワークのひとつだと考えていて、それができていないから実現したいなと。

オフのときとかに自分の気持ちが癒されるような音楽ってあります?

川島:音楽でですか?

あまり聴かない?

中野:音楽を休みの時間に聴くってことをしなくなった。

川島:そうだね。しなくなった。

中野:休みは静かに過ごしますね。音楽を聴くときってスイッチが入る気持ちになるんで。それこそ、アンビエントとかドローンとかを四六時中部屋で流しておくようなこととかは、やっぱりないね。なんでだろうね?

川島:なんでだろう。聴いたら反能を……

中野:そうだ。音楽に対してセンシティヴ過ぎてしまって、疲れてしまう(笑)。

なるほど(笑)。音楽のことばかり考えてしまう?

川島:オフにならないっていう(笑)。

中野:自分たちが音楽を作る時点ですり減らしてしまう、というところがあるんです。やっぱり、絶対に歳なんだよね。

ハハハハ。

川島:そうなのかな。

中野:これは年齢だと思う。

それはどうかはわからないですけどね。ちなみに、音楽以外でやりたいことって何ですか?

中野:僕はないんですよね(笑)。

ないの(笑)? それはマズいね(笑)。ワーカホリックだよ。

中野:川島くんはないの? 旅とか?

川島:あんまりないね。細美武士くんとかは旅をしたくなるって言っていたけど。「自分が音楽を作っている途中で病気にかかったら、きっと旅に出ると思います」って言ってました。で、彼はアルバムを作ると実際に旅に出るんだけど、俺はそういうのはないなと。

中野:ちょっと変わってはいるんだと思う。よく聞かれるんですよ。「休みの日は何をしているんですか?」とか。まともに答えられたことがないね。「ずっと布団のなかにいます」とかね(笑)。

川島:そうそう(笑)。

ハハハハ。

中野:でも、本当にここ10年くらいでインプットに仕方が変わったというか、音楽を作るモチベーションも昔とは全然違うところからきているから。自分たちの内側からくるところに重心があって、前は外からの情報に対してのリアクションとか、ガキっぽかったので反抗的なところからスタートすることもあったと思うんです。そうすると、クラブへ行ってとか、レコード屋に行ってとか、海賊ラジオをずっとつけておくとか、そういうことで日常を過ごして、制作に入ったときにそれを一気に集約するような感じだったのが、今は静かに過ごして、自分たちから何が出てくるのかっていうことに耳を傾けているような感じですね。

いまは情報過多な時代というかね。

中野:それはこういうメディアを作っていても思いますか?

ある日目が覚めて、「いま自分は何年代にいるんだろう?」って思うくらいに世の中は変わったじゃないですか? ブンブンがデビューしたころに比べると。いろんな意味でね。とくにインターネットというものが普及してから、世界は大きく変わったと思うので。逆に、若い世代で情報を積極的に閉じようとするミュージシャンもいるくらいだからね。だから、ブンブンがそうなったのは年齢じゃないかもしれないよ。

中野:でもテレビとかは、アンテナの線を抜いちゃったりとか。でも、インターネットを見ているから一緒なんですけどね(笑)。本当にそれは思うところがあります。

川島くん、いま何か言いたそうだったね?

川島:あっ、大丈夫です。

アルバムを聴いてくださいと?

川島:はい。アルバムを聴いてください(笑)。

ありがとうございました。

川島&中野:ありがとうございました。


kukangendai - ele-king

 日本のシーンにおいて、若く、音響的な冒険心を持ったバンドといえば、goat(新作が素晴らしい)とともに、HEADZの2トップをはっている空間現代がいる。鮮やかな沈黙、躍動する静けさを創出した、2012年の『空間現代2』が本当に評価されるにはもう少し時間がかかるのかもしれないけれど、彼らはすでにリミックス・シリーズを通して新しいところに向かっているようだ。
 このシリーズでは、すでにマーク・フェル(SND)、中原昌也(ヘア・スタイリスティックス)、ZS、蓮沼執太といったそうそうたるアーティストがリミックスを手がけているが、その最新版は、IDM/エレクトロニカの大物、Ovalことマーカス・ポップによるもの。AFX復活のこの時期にマーカス・ポップのリミックスが聴けるのは喜ばしいことだ。あなたの耳に、心地良い刺激をもたらすだろう。
 ※この希有なバンドを未体験の方は、3/22日曜日、落合Soupのワンマン・ライヴに行くこと。

ElectronicaExperimental

空間現代
dareka (Oval remix)──[空間現代 Monthly Remixes]

UNKNOWNMIX 36 / HEADZ 203

https://itunes.apple.com/album/id969897878/
https://itunes.apple.com/jp/album/id969897878/

https://kkgrmx.tumblr.com/oval


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