「Nothing」と一致するもの

DBS presents “Spring Funky Bass”は今週末! - ele-king

 UKブラック・ミュージックのストリート部門で活躍するスウィンドルとロスカが今週末に来日する。
 グライムとジャズ、ソウル、ファンクを繋げたスウィンドルの果たした功績はやはり大きい。2012年のフロア・ヒットとなった“Do The Jazz”と、翌年のアルバム『Long Live The Jazz』では(ともにリリース元は〈Deep Medi Musik〉)、卓越した鍵盤のテクニックとメロディとリズムのセンスを見せた。
 ロスカはリンスFMの看板DJとしてだけではなく、プロデューサーとしても好調で、今年に入り〈Tectonic〉テクノ色が強くなった「Hyperion EP」をリリース。UKファンキーの可能性を押し広げていく姿勢がシーンをリードしている。ちなみに、彼がロンドンで主宰するパーティ〈Roska Presents〉には、本誌で取り上げたピンチやジョーカーたちも出演してきた。細分化が進むUKベース・シーンを繋げる存在としても、ロスカからまだまだ目が離せない。
 東京公演にはPart2Style Sound、Prettybwoy、Hyper Juiceといった日本のベース・シーンの第一線でプレイするメンツが出演する。

DBS presents " SPRING FUNKY BASS!!! "

3.21 (SAT) @ UNIT x SALOON
UNIT:
SWINDLE
ROSKA
PART2STYLE SOUND
DJ RS
HYPER JUICE

Live Painting:
The Spilt Ink

SALOON:
DJ DON
DJ MIYU
PRETTYBWOY
ZUKAROHI
ANDREW

open/start 23:30

adv.3,150 yen / door 3,500 yen

info. 03.5459.8630 UNIT
www.unit-tokyo.com
https://www.dbs-tokyo.com

<UNIT>
Za HOUSE BLD. 1-34-17 EBISU-NISHI, SHIBUYA-KU, TOKYO
tel.03-5459-8630
www.unit-tokyo.com

SWINDLE (Butterz / Deep Medi Musik / Brownswood, UK)
13年に"MALA IN CUBA LIVE"のキーボード奏者としてDBSで来日、単独DJセットでフロアーを狂喜させたスウィンドルはグライム/ダブステップ・シーンのマエストロ。幼少からピアノ等の楽器を習得、レゲエ、ジャズ、ソウルから影響を受ける。16才の頃からスタジオワークに着手し、インストゥルメンタルのMIX CDを制作。07年にグライムMCをフィーチャーした『THE 140 MIXTAPE』はトップ・ラジオDJから支持され、注目を集める。そしてSO SOLID CREWのASHER Dの傘下で数々のプロダクションを手掛けた後、09年に自己のSwindle Productionsからインストアルバム『CURRICULUM VITAE』を発表。その後もPlanet Mu、Rwina、Butterz等からUKG、グライム、ダブステップ、エレクトロニカ等を自在に行き交う個性的なトラックを連発、12年にはMALAのDeep Mediから"Do The Jazz"、"Forest Funk"を発表、ジャジーかつディープ&ファンキーなサウンドで評価を決定づける。そして13年の新作『LONG LIVE THE JAZZ』(Deep Medi)は話題を独占し、フュージョン界の巨匠、LONNIE LISTON SMITHとの共演、自身のライヴ・パフォーマンスも大反響を呼ぶ。最新シングル"Walter's Call"(deep medi/Brownswood)でジャズ/ファンク/ダブ・ベースの真骨頂を発揮したスウィンドル、必見の再来日!

ROSKA (Roska Kicks & Snares / Rinse, Tectonic, UK)
トライバルハウス、ディープハウス、UKガラージ等のエッセンスを重低音でハイブリッドしたベースミュージックの新機軸"UKファンキー" の革新者、ロスカ。08年に自己のRoska Kicks & Snaresから"Elevated Level EP"、"The Climate Change EP"をリリース。彼のトラックはSKREAM、ZINC、DIPLO、KODE9を始め錚々たるDJのサポートを受け、一躍脚光を浴びる。09年にはシーンを牽引するRinse FMのレジデントに抜擢され、そのフレッシュでロウなダブ音源でUKファンキーの台頭をリードする。10年にはRinse Recordingsと契約し、キラートラックとなった"Wonderful Day"、"Love 2 Nite"を収録したアルバム『ROSKA』をドロップ。BBC Radio 1のEssential Mixにも登場し、その存在を確固たるものとする。11年にSCUBAのHotflushからのEP、PINCHとの共作発表、Rinseのミックスの監修等を経て、12年は更なる飛躍を遂げ、Rinseからアルバム『ROSKA 2』を発表、ハウスを基調にグライム、ダブステップ、ガラージを独自のスタイルで昇華する。その後は世界各地でのDJ、ラジオショーで多忙を極める中、TectonicからPINCHとの共作"Shoulda Rolla"、Rinseから"Shocking EP"をリリースし、Roska の快進撃はとどまる事を知らない。Tectonicから先頃リリースされた最新作"Hyperion EP"では新境地も伺え、来日プレイの期待は高まるばかり!


Bob Dylan - ele-king

 クリント・イーストウッドと同い年、84歳のジャン=リュック・ゴダールによる3D映画『さらば、愛の言葉よ』を観て笑ってしまったのは僕だけではないはずだ。あるショットでカメラがパンすると、べつのショットがかぶさったままシークエンスが進行する……箇所で吹き出したのはつまり、「何これ?」という驚きと喜びによるものだった。誰もがこう思わずにいられない……「こんな3D映画観たことない」。半世紀前も新しい映画を撮っていたはずの映画の「神」が、ひとの予想を遥かに超えて奇抜に新しいことをやっているという事実はそれだけで心躍らされるものがある。その観たことのない奇妙なショットはしかし同時に、エイゼンシュタインのモンタージュを遠景で連想させる気もした。

 もう2本映画の話をしたい。ディランをモチーフとしたコーエン兄弟『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』とトッド・ヘインズ『アイム・ノット・ゼア』である。前者に関してももうオチを書いてしまってもいいだろうか? あれは、ディラン登場のほんの少し前の時代のフォーク・シンガーが「あばよ」と告げることで歴史上に小さな点を刻んで退場する映画で、結局のところそこで登場するディランそのひとの存在を逆照射して終わっていた。そして後者は、ディランの生きた時代をいったんバラし、別の人格として提示することでそのキャリアの振れ幅の広さを示していたが、その2本はどちらもボブ・ディランという巨大で、そして掴みどころのないミュージシャンの功績、存在、歴史的意義……といったものを、どうにかしてまとめようとしていたように思う。

 だが、この通算36枚めのアルバム『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』はどうだろう。功績をまとめるなんてどこ吹く風、誰もが予想できない内容だったのではないか……フランク・シナトラのレパートリーのカヴァー集というのは。「なぜ?」というのは前作『テンペスト』のシェイクスピアにも感じたことだが、本作ではそれが上回る。なぜディランだけが、いまなお誰よりも自由なのだろうか?

 21世紀、アメリカのインディ・ロック・ミュージックに心惹かれてきた僕のような人間にとって、それはボブ・ディランと出会い直し続けるような体験でもあった。とくにゼロ年代中盤ごろから次々に現れたアコースティック・ギターを握って弾き語るようなシンガーたちには、祖父のような存在としてのディランが重なって見えるような気がした。ディランがいたから、ディランがいるから俺たちが歌える、というような安心感を彼らは抱いているように見えた。だから僕は『アイム・ノット・ゼア』のサウンドトラックが大好きで、そこでディランの子どもたちや孫たちが父/祖父の歌を敬意と愛情をこめつつ歌っていることは、アメリカのもっとも美しい歴史の流れに思えたのだ。

 けれどもディラン本人はそうした若い世代からのエールもさらっと交わすように、自分の現在の立ち位置も無視するように、飄々と意表をついてみせる。祖父だなんて思うことは許さない。いや、許さないというのは言葉が合っていない……気にしない。関係ない。俺はやりたいことをやる。そんな感じだ。「なぜフランク・シナトラ?」というのは、たぶん僕たちがどれだけ考えても本当のところはわからない……もう50年ほど、そんな風にリスナーを煙に巻き続けてきたひとなのだから。

 けれども『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』はいたずらに聴き手を混乱させるアルバムではなく、それ以上に現在ボブ・ディランを聴くことの喜びを与えてくれる作品である。まず彼自身の深い声による心のこもった歌が聴け、そして一発録りだというラフだが熱のある演奏によって、ロックンロール以前の古い古いポップ・ミュージックが生々しいものとして眼前に立ちあがってくる。TMTが思わず「オカルト」と評するのも頷ける……誰もが忘れてしまったいにしえの魂がここで蘇っているからだ。「フランク・シナトラ レパートリー」で検索すればリストは出てくるだろうし、シャレたカフェでかかるようなスタンダードのカヴァー・ソングならどこでも聴けるだろうが、ここでは、そうしたものが葬ったものにこそ息が吹きかけられている。

 一貫してスロウでムーディーな曲調は最近では『モダン・タイムス』に収録された、いくつかの美しいバラッドを想起させる。たとえば“ワーキングマンズ・ブルーズ #”2”では労働者の生が歌われていたが、ここでは昔むかし大衆が共感したような、人びとの苦難と悲しみが歌われている。何度も聴いたはずの有名なシャンソン“枯葉”の情感にはあらためて引き込まれ、“フル・ムーン・アンド・エンプティ・アームズ”では歌詞のテーマとなっている戦争が生み出した孤独の情景を思い浮かべずにはいられない。ペダル・スティールの甘い響きはそれ自体、豊かではなかった時代のアメリカにおける人びとのささやかな喜びを浮かび上がらせるようだ。終曲となる“ザット・ラッキー・オールド・サン”はひときわ染み入るメロウさに包まれた歌で、そこではまたしても労働者の過酷な日々と、それゆえの祈りが捧げられている。

 ボブ・ディランはフランク・シナトラが歌った歌の向こう側に、その人びとを見ている。歴史に名前を刻むこともなく、生きて生きて生きて、死んでいった市井の人びとを。すべてが上書き更新されていく時代にあって、それは忘れ去られていたがゆえにある新鮮さを伴って響いているように聞こえる。僕たちは若きディランのいた60年代も70年代も本当に追体験することはけっして敵わないが、いまもディランの歌は僕たちが知らなかった風景を見せてくれる。

John Butcher - ele-king

 ジョン・ブッチャーは英国のサックス奏者であり、フリー・インプロヴァイザーである。むろん、そんな説明など、まったく無用だろう。数々の奏法を生み出し、演奏と聴覚の拡張をする彼の名は、われわれ音楽ファンの記憶に深く刻まれているのだから。
 彼こそデレク・ベイリー、エヴァン・パーカーなどのフリー・インプロヴィゼーションの第一世代と90年代以降の音響派シーンを結びつける最重要人物である。昨年にリリースされたロードリ・デイヴィスとの競演盤『ラウティング・リン』も記憶に新しい(クリス・ワトソンが録音を担当)。

 本盤は、そんなジョン・ブッチャーのサックス・ソロ・アルバムである。リリースは日本の〈ウチミズ・レコード〉からで、ジョン・ブッチャーの2013年日本ソロ・ツアーから大阪島之内教会と埼玉・深谷エッグファームでの演奏を収録している。曲は全3曲。それぞれ“Enrai”、“Uchimizu”、“Hamon”という日本語が付けられている。本盤に封入された横井一江のライナーによると、レーベル・オーナーである寺内久が提出した日本の季語などの「夏」を連想させる言葉の中から選んだ曲名だという(このライナーもさすがとしか言いようがない素晴らしいテクスト。本作の空気感を落ち着いた文体で描いている)。アルバムを聴くとわかるが、言葉の響きがそのまま音/音楽に繋がっているような印象なのである。
 録音はチューバ奏者である高岡大祐。高岡の録音は、ジョン・ブッチャーの音によって生まれるその場の空気の振動や空間性を見事に捉えている。フリー・インプロヴァイズの録音であり、同時に、民族音楽の現地録音を聴いているような生々しさや空間性を感じるのだ。

 アルバムに耳を澄ます。音の肌理をなぞるように聴く。音の奔流と空間に没入する。そして、その「間」にある深い沈黙も聴く。すると、ジョン・ブッチャーの生成する音の変化が、少しずつ聴こえてくる。最初は彼の肉体性と演奏が直結しているように聴こるはずだ。呼吸器官から口腔がサックスという装置によって拡張していくさまが手にとるようにわかるとでもいうべきか。ブレスですらも生々しく捉えられた録音がじつに見事である。さらに聴き込んでいくと、その録音は、より広い空間の響きを捉えているように思えてくる。音が生まれ出る空間を感じられれば、今度は、ジョン・ブッチャーの肉体と音は不意に離れていくだろう。旋律が生成したかと思えば、次の瞬間、音の素数へと分解され、結晶のように宙にひらひらと舞う。そうかと思えば、その結晶が、さらに強い意志で明確な音へとトランス・フォームし、予想もつかない新しい「音楽」が生まれ出る……。
 そう、このアルバムの聴取体験は、肉体/空間と音楽/音響の、ふたつの両極を「演奏」という音の線に乗って行き来する稀有な体験なのだ。私たち聴き手の「記憶」へと作用する音である。
 1曲め“Enrai”は、記憶の襞を解きほぐすかのように、深く震動する音の持続からはじまる。サウンドは変化し、その響きは、ときにひとつであり、ときにふたつに変化する。またあるときは地を這うように響き、あるときは軽やかに空を舞う。ジョン・ブッチャーの息吹を生々しく感じたかと思えば、まったく予想できない天空の音を生成していく。26分に及ぶ演奏は一瞬たりとも集中力を欠くことはない。なんという演奏か。なんという音か。そして、演奏の終わり近く、あたかも遠雷のように響く音の衝撃。
 アルバムの演奏に耳を澄ましていると、その音のタペストリーは、同時にサイレンスも深く際立たせていることにも気がつく。音と間。静寂と炸裂。息吹と咆哮。2曲め“Uchimizu”、3曲め“Hamon”と続けて聴くことで、われわれはジョン・ブッチャーがその瞬間に生み出す音と沈黙の連鎖を体感することになる。
 音と沈黙。それはまるで夏の日の記憶に刻まれた、突然の雷のように、私たちのノスタルジアを強く刺激する。英国人であるジョン・ブッチャーのフリー・インプロヴィゼーションによるサウンドが、なぜ私たちの記憶=ノスタルジアを刺激するのか。まったく不思議であるが、同時に、まったく不思議ではない。なぜなら響きは記憶に作用するからだ。メロディよりもリズムよりも、もっと深く、より繊細に、深層に。私たちの音の記憶は、響きのテクスチャーの中に幾層にも折り畳まれているものだ。音の記憶とは鮮明である。同時に曖昧でもある。多様で複雑ですらある。それは芳香=空気の記憶に似ている。つまり本作の演奏は香りのように記憶に作用するのだ。

 フリー・インプロヴィゼーションの技法のかぎりを尽くして、しかし、単なる技法を越え、天空を駆けるような、もしくは空気のような響きの「音楽」が奏でられている。彼のソロ・サックスの音もまた、ひとつの音であり、ふたつの音でもある。本盤においては、演奏者も聴き手も集中という軸を共有することで、より深い鎮静へと導かれるだろう。その響きの揺れと変化に聴覚を全開にすること。ジョン・ブッチャーの音響は、そのことを具体的に示す。そう、「ひとつ」の中に無限の千のプラトーが存在しているのだ。それはひとつの音の中(=複数の音の中に)に、繊細な多層性を聴き取る行為でもある。このサックス・ソロ・アルバムは、そんな豊かな音楽体験を約束してくれる素晴らしい作品だ。演奏、録音、アートワーク、ライナー、すべてにこだわりぬいた傑作である。

Run Dust - ele-king

 春の息吹が刻一刻とそのおとずれを著けくしている今日この頃、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。花の粉にヤラれてズビズバのメガハイでしょうか。それとも新歓コンパの学生やフレッシュ社会人の爽やさに反吐が出る? なんか毎年春が近づくたびにこんなことを言ってる気がしますが、公共スペースに溢れる爽やかさをヘッドフォンで遮断し、苦々しい思いに没入したいあなたにはコレがオススメ!

これまでグノド(Gnod)のメンバーによるレーベルである〈テスラ・テープス(Tesla Tapes)〉や〈オパール・テープス(Opal Tapes)〉など、カルトな人気を博すカセット・レーベルからのリリースが記憶に新しい、ニューヨーク在住のルーク・カルゾネッティによるラン・ダスト(Run Dust)の初ヴァイナル・アルバムが個人的にいまお気に入りのレーベルであるフランスの〈イン・パラディズム(in paradisum)〉よりリリースされる。

同曲のMVはほぼポルノなので埋め込めませんので悪しからず。

エロいあなたは直接バンドキャンプで観てください。トリッピン!


ライヴ・エレクトロニクス(電子楽器による生演奏)によって構成されるラン・ダストのサウンドはもちろんテクノのレコードとしてフロアで十分に通用するものではあるが、そのトラックのヴァリエーションの豊かさ、拘りのなさ、パンク極まるヴォーカルから想起させられる彼のバッググラウンドは確実にテクノではない。そういった意味では以前取り上げた〈トレンスマット〉のレーベル感覚に近い、ゼロ年代後半からのUSエクスペリメンタル・サウンドの旨味を捨てずに現代の電子音楽的感覚に見事に繋げている例だといえよう。

ライヴ未見であるので確実なことは言えないが、おそらくゴミのような機材をとんでもないアイデアを用いて使用し(これこそが僕がいままで見てきたUSアンダーグラウンドのアーティストの底力であると思っているのだが)、ステージを縦横無尽に走りながら叫ぶ退廃的なアクトを勝手に想像している。ノイズ/パワエレ、EBM、ミュージック・コンクレート、エクスペリメンタルをグシャグシャにして邪悪なテクノ、または暗黒ミニマル風に見事にまとめあげている。マスタリングはじつはUSローファイ・シーンの影の立役者でもあったジェイムス・プロトキンで隙無しだ。

Lightning Bolt - ele-king

 フロアにできたひとの渦の上をへろへろの男は笑いながら運ばれ端までいって落ちては立ちあがりまたひとの波にのまれにいった。ふつうモッシュピットといえば、ステージのハードな演奏にいてもたってもいれなくなった観客のおこす癇癪みたいなものだと相場は決まっておるが舞台上に演者の姿はない。かわりに数人のお客さんがぶらぶらしている。音の聞こえるほうに目を凝らすと人垣の向こうにマイクを仕込んだ蛍光グリーンの妙なマスクをかぶった男が歌いながらドラムを叩きのめし、脇にはコンパクト・エフェクターを前にステッカーをベタベタ貼ったベースを抱えこみ赤ん坊をあやしながら折檻するように弾く男がいる。

 私が何度か足を運んだチッペンデイルとギブソン、両ブライアンによる、ロードアイランド州プロヴィデンス、神の摂理を意味する米国いち小さな州の州都からやってきた米国いちさわがしいドラムンベース・デュオのライヴはおおよそこんなふうに進み、彼らは音盤よりもライヴで本領を発揮する連中だと評価はうなぎのぼり、まんざらでもなかったのかライトニング・ボルト、来日のたびに騒々しさはひきもきらない。ところがここには厄介な問題があった。音盤は録音物だということである。脱力めされるな、読者諸兄よ。レコードの誕生とともにはじまった、一瞬ごとに消えてはなくなる音楽と現物支給とのこのあたりまえのジレンマに私は彼らの本音は知らないが彼らほど悩まされたグループはいない。現在の録音技術をもってすれば彼らの曲であってもかなりのところまで再現可能だろう。ところが最新録音機材の分解能は渾然一体となった音の粒立ちは記録できてもライトニング・ボルトの帯電する空間感まではハードディスクでは捉えられない。デジタル・サイレンスはまったくの無音なのである。磁気テープが進化すればよかったのにと両ブライアンの嘆きが聞こえてくるようだ。そうなったからといって彼らの全部を録れるとはかぎらない。それに音楽のよしあしは音質とはなんら関係ない。70年代にパンクはその境地を拓きノーウェヴが80年代に補完し90年代のローファイが脱臼した。ライトニング・ボルトはその21世紀ヴァージョンであり、1999年のセルフ・タイトル作を皮切りに、2001年の『Ride The Sky』からきっちり2年刻みで出した『ワンダフル・レインボウ(Wonderful Rainbow)』、『ハイパーマジック・マウンテン(Hypermagic Mountain)』、やや間を置いた2009年の前作『アースリー・ディライツ(Earthly Delights)』まで、彼らは一貫してインディペンデントな音楽のやり口がインディ・ミュージックと呼ばれていない時代からの流浪の民でありつづけた。その意味でライトニング・ボルトはジャンクの血脈を継ぐオルタナの嫡子でありルインズの後輩であるとともにバズーカ・ジョーのライバルでありホワイト・ストライプスの朋輩であるだけでなくタッジオの年の離れた従兄弟でもある、かもしれない。

 『ファンタジー・エンパイア(Fantasy Empire)』でもその流れは途切れない。むかしとった杵柄をそう簡単に棄てられないということか? 否。ライトニング・ボルトはこのアルバムではじめてちゃんとしたスタジオでちゃんと録った。ちゃんとというのはこれまでがちゃんとしていなかったのではなく、音盤のもつ意味をより実体に適う方向に向けようと腐心したということだ。地元の古巣〈ロード〉を離れ、彼らは今回シカゴの老舗〈スリル・ジョッキー〉と手を組んだ。前作までと聴き較べると音質は各段に向上している。私は音楽と音質は関係ないと書いてしまいましたが、音がよくなってライトニング・ボルトのやっていることが具体的によくわかるようになったのはまるで巌となったサザレ石をひとつひとつたしかめるような、音塊の粒子に手でふれるのに似た聴き応えだった。チッペンデイルのフレーズの組み立てはつまびらかになり、ギブソンのエフェクター捌きが曲のキモであるのがよくわかる。録音のやり方が変わったからといって豪壮なオーケストレーションを施しているわけもなく、カブセは一部あるものの、それもあくまでもライヴでの再現を優先に考えている。ゆえに疾走感は減退することもなく、“ザ・メタル・イースト(The Metal East)”から“スノウ・ホワイト (& The 7 Dwarves Fans)”まで、つねにスピーディにときにダビーつまるところグランジーにライトニング・ボルトは帯電域を広げつづける。偽メタルやらモーターヘッド的なダーティなリフワークやら芸の細かさにもことかかない。日本盤は “ホエア・アー・ユア・キッズ(Where Are Your Kids?)”なるサイケデリックなボートラ入りなので、貪婪なリスナーはこちらをご所望いただきたい。

 ひとつ注意しなければならないのは、音量をあげすぎると家人にスピーカーが壊れたのかと訝られるということだ。それに隣人にも迷惑がかかる。また自宅ではダイヴもモッシュも禁止である。下にお住まいの方に迷惑かかる。戸建てないしは一階にお住まいなら問題ないが、それはいずれ実現するであろう彼らの次のライヴまでとっておくことにしましょう。祈再々々々来日。

interview with Zun Zun Egui - ele-king


Zun Zun Egui
Shackles Gift

RockPsychedelicExperimentalAfro Pop

Tower HMV Amazon iTunes

 熱い、といったら本人に笑われてしまったけれども、この数年来の「チル」だったり「コールド」だったり「ダーク」だったり「ミニマル」だったりといったムードのなかでは、ズン・ズン・エグイはあきらかに浮いている。個人的に思い出すのは2000年代の中盤のブルックリンだ。ギャング・ギャング・ダンスらの無国籍的エクスペリメンタルからヴァンパイア・ウィークエンドの繊細に濃度調整されたアフロ・ポップまで、あるいはダーティ・プロジェクターズの汎民族的でありつつも色濃い東欧趣味まで、USのど真ん中から放射線状にエネルギーを発していたトライバル志向、その無邪気で鷹揚とした実験主義──

 一聴するぶんにはその頃の記憶を呼び覚ます音だけれども、しかしズン・ズン・エグイは実際の多国籍バンドにして中心メンバーのクシャル・ガヤはモーリシャス出身、活動拠点はブリストルとロンドン、また実験ではなくポップが身上である。どこからきてどこへ向かうのか、というコアにあるベクトルが逆向きだ。出自を売りにするどころか、彼が大きく英米の音楽に影響され、またそれを愛してきたことは音にも明らか。そして、そうした志向にミュートされながらも浮かび上がってくる自らのオリジンについては隠すことなく祝福する。以下を読んでいただければよくわかるように、彼には音楽へのとても純真な情熱や、パンクへの精神的な傾注があって、それがまたうらやましいまでに輝かしく、彼らの音の上に表れ出ている。ガヤのバンドではないが、彼がリード・ヴォーカルを務めるメルト・ユアセルフ・ダウンもまたそうしたハイブリッドを体現する存在だといえるだろう。以下で「僕らをブリストルと結びつけないでくれ」というのは、土地やその音楽的な歴史性への違和感ではなく、そのハイブリッド性や多元性を力づよくうべなうものなのだと感じられる。

 ともかくも、ファック・ボタンズのアンドリュー・ハングをプロデューサーに迎え、前作に増して注目を集めるセカンド・アルバム『シャックルズ・ギフト』のリリースに際し、ガヤ氏に質問することができた。


■Zun Zun Egui / ズン・ズン・エグイ
ブリストルを拠点に活動する5人組。モーリシャス出身で、メルト・ユアセルフ・ダウン(Melt Yourself Down)のヴォーカルとしても知られるクシャル・ガヤ(Kushal Gaya、G/Vo)、日本人のヨシノ・シギハラ(Key)ら多国籍なメンバー構成を特徴としている。2011年にデビュー・アルバム『カタング』を、本年2月にセカンド・アルバム『シャックルズ・ギフト』を、いずれも〈ベラ・ユニオン〉からリリース。今作ではプロデュースをファック・ボタンズ(Fuck Buttons)のアンドリュー・ハング(Andrew Hung)、ミックスをチエリ・クルーズ(Eli Crews)が手掛ける。


僕は自分自身の中にある、いちばん原始的で、本能的で、すごく人間くさい部分、理性や身体的なものを超えたところにある自分自身のエッセンスとも言えるような何かとのつながりを失いたくないんだよ。

どの曲にも「You」への強い呼びかけを感じます。この「You」は同じひとつの対象ですか? そして、どのような存在なのですか? もしかしてあなた自身ですか?

クシャル・ガヤ(以下KG):うーん……「You」って言葉を何度も使った理由はたぶん……僕が歌詞を書くときは、自分自身も(その歌詞の中に)含まれたものにしたいんだと思う。たとえばアルバムの中の「I Want You to Know」で「You」って言っているのは、曲を聴いている誰かとダイレクトにつながりたいからだよ。っていうのも、あの曲では、僕らがいまもまだそれぞれのいちばん本能的でワイルドな部分を通してつながることができるっていう事実を、僕自身がとても重要視しているということ──そういう個人的な事実を、みんなに伝えたいって言っているんだ。
 個人的に、僕は自分自身の中にある、いちばん原始的で、本能的で、すごく人間くさい部分、理性や身体的なものを超えたところにある自分自身のエッセンスとも言えるような何かとのつながりを失いたくないんだよ。だからあの曲では、「これが僕の感じていることで、これを聴いているみんなにわかってほしい、関わってほしい」っていうことを言っている。だからそれが「You」って言葉を使った理由かな。この答えじゃ何を言っているのかよく伝わらないかもしれないけど……(笑)。

「You」という言葉によってある種の対話のようなものを生み出したいということでしょうか?

KG:そう、僕は対話のきっかけを作りたいと思っていることが多いんだ。「これが僕の感じていることだけど、君は何を感じる?」っていうふうにさ。

あなた方と同じブリストルの、ベースミュージック・シーンの重要人物のひとりピンチ(Pinch)は、一昨年〈Cold〉という名のレーベルを発足させました──

KG:ピンチは知っているよ! 個人的には知り合い程度だけど、彼の音楽はよく知っている。

これはそのまま「冷たい音楽」という意味ではありませんが、音楽の先端的なトレンドが「コールド」という名を掲げる一方で、あなたがたの「熱い」エネルギーは非常に珍しく感じられます。自分たちの音楽が熱いものでありたいという意志や意図はありますか?

KG:ははは、「熱い」か! そうだね、ブリストルってかなりダークなエネルギーがあって、あそこではいろいろなことが起きているけど、そこには間違いなくダークでダウナーな、どこか冷たい感じのエネルギーが感じられるんだ。だからある意味それに対する反応として、僕はそれとはまったくちがった、楽しげでハイテンションな音楽をやるようになった部分はあるのかもしれない。
 それに僕はもともと、落ち着くタイプの音楽じゃなく、エネルギッシュな音楽が好きで、音楽には生命感を感じさせたり覚醒させるようなものであってほしいんだ。僕は覚醒だったりとか、目覚めていること、知覚、現在を感じることとかにとても興味があるんだよ。だから、たぶんそのせいかもしれない。


ブリストルには間違いなくダークでダウナーな、どこか冷たい感じのエネルギーが感じられるんだ。だからある意味それに対する反応として、僕はそれとはまったくちがった、楽しげでハイテンションな音楽をやるようになった部分はあるのかもしれない。

BLK JKS(Black Jacks)というヨハネスブルグ出身のバンドがいますが、彼らもまたプログレッシヴ・ロックなど西洋的な音楽に比較される要素を強く持ちながら、アフリカ音楽のエネルギーを放出する人たちです。あなたの音楽にとって、アフリカというルーツは音楽の制作上どのくらい重要なものなのでしょう。

KG:僕自身アフリカ出身で、人生のうち18年をアフリカで過ごしたから、アフリカ音楽の影響っていうのは自然に出てくるものだと思う。それは僕が意識的に獲得したり、どこかに行って得たものではなくて、自分自身から生じてくるもので、それ自体が僕自身でもあるんだ。たとえばこのアルバムに入っている“Ruby”を例にすると、そこで使われているリズムの多くは、僕の育ったモーリシャスで結婚式や葬式で使うリズムなんだ。そういうリズムを持ってきて、別の何かを作り出しているのさ。そういうふうに、僕にとってそれはすごく自然なもので、作為的なものではないよ。

では、あなたのなかでのアフリカ音楽と西洋音楽との関係についても教えてください。

KG:えーっと、僕はこの世界は国とかの概念を超えるものだと思っているんだ。国や愛国心みたいな概念は死にゆくものだと思っている。過去には西洋のミュージシャンたちがアフリカ音楽に憧れのようなものを持って、それを彼らなりに解釈したものを作っていたけど、僕はその逆をやっているように感じるんだ。僕は西洋音楽を解釈しなおして、彼らの逆側から歌っている。
 それが一点と、もうひとつは、僕は長いこと英国に住んでいるけれど、英国は多文化の合流地点になっていて、人々は「英国的」の定義とは何か、ということについて疑問を持っている。そして「英国的」の定義や、この国の文化のアイデンティティはすっかり変化しつつあるんだ。ロンドンに来れば、それがロンドンのどのエリアであっても、そこにいる人々はそれぞれまったくちがう国から来ている。それってすごく美しいことで、ロンドンという町に多様性を与えているんだ。それこそがここでいろいろな文化が生まれている理由で、人々がここに来たがる理由になっている。そして西洋文化っていうのはここ100年以上の間、世界でいちばん影響力のある文化になっているから、誰もが間違いなくそこから影響を受けていると思う。

僕は長いこと英国に住んでいるけれど、英国は多文化の合流地点になっていて、人々は「英国的」の定義とは何か、ということについて疑問を持っている。

日本でだって、西洋のポップスや音楽は誰が頼まなくても自動的に入ってくるでしょ? だからそういう意味で、西洋音楽には誰もがつながっているんだ。それで、僕は自分のアーティスティックな役割……役割というか、必要に迫られて自然に生まれた反応は、その影響を自分なりのかたちで利用するっていうことだと思っている。なんだか質問にちゃんと答えていない気がするけど……。それに僕は個人的に西洋の音楽はとても好きだし、ヨーロッパの70年代、80年代、あるいは2000年代以降のパンク・ミュージックや80年代のハードコア、ノイズ・ミュージックからも影響を受けている。あとちなみに日本のノイズ・ミュージックからもね! ヨシノと日本の音楽をたくさん聴いたんだ、メルト・バナナやボアダムスとかさ。

たとえばデーモン・アルバーンはあなたとは逆の立場から西洋とアフリカの融合にアプローチしようとしているように見えますが、彼の音楽に対するシンパシーはありますか?

KG:英国にアフリカのミュージシャンたちを連れてきたりっていう、彼のやっていることの意図自体は良いものだと思うけど、同時に僕にはそこでアフリカの音楽が消毒されすぎているような感覚があるんだ。西洋に持ってこられたアフリカ音楽は、あまりにもきれいに衛生処理されてしまって、元々アフリカで演奏されていたときにはあったはずの生のエネルギーが失われてしまっているような気がする。まるでそれを西洋音楽として新しく、薄まったものにプロデュースし直しているみたいで、生々しくてワイルドなエネルギーや、深みが欠けてしまっている。デーモン・アルバーンのやっていること自体はいいことだし、ポジティヴな動きだと思うけど、その一方でそこで失われてしまっている音楽のエッセンスみたいなものがあるように思えるんだよ。こちらに持ってこられた音楽が、「ほら見て、ここにアフリカのミュージシャンたちと僕がいるよ!」みたいな感じで提示されたりとか……。

西洋に持ってこられたアフリカ音楽は、あまりにもきれいに衛生処理されてしまって、元々アフリカで演奏されていたときにはあったはずの生のエネルギーが失われてしまっているような気がする。

 アフリカの音楽を西洋に持ってきて人々に見せたいのなら、それはできるかぎり生の状態、本来の本物の状態に限りなく近いものであるべきだと思うんだ。だって、多くの場合、アフリカの音楽は、売られるためや多数の人に商業的に見せるためのものじゃなくて、儀式のためのものや、日常生活と密接に結び合わさったものであるはずなんだ。結婚式や葬式や、雨の神に雨乞いをしたり、豊穣の神に呼びかけるものだったりさ。もちろんアフリカにもポップ・ミュージックはあるけど、それらふたつの音楽はまったく性質の異なったものだよ。だから、そういう音楽をこっちに持ってきたときに失われてしまうものがあるし、また同時に西洋人のために綺麗に処理されてしまっている部分もあるように感じて、それがもったいないと思うんだ。

あなたがたはまた、混合的なエスニシティを持ったバンドでもありますね。楽曲制作においてはメンバーはそれぞれ自身のルーツを主張しますか?

KG:いや、あんまり……僕らそれぞれのバックグラウンドはあまり問題ではないよ。だって、僕らはもうそういうことをあまり意識したりしないからさ。僕らはただ人間として気が合うからいっしょにいて、それゆえに音楽をいっしょに作っているってだけだよ。たとえば僕が日本に行って、日本人の友達がたくさんできていっしょに音楽を作りはじめたとしたら、そこで「君は日本人だから、日本の音楽をやろうぜ!」「僕はモーリシャス人だから、モーリシャスの音楽を作るんだ!」とはならないと思うし。だから僕らはべつに……そもそもそういうことについて考えることすらないよ。ときどきそれぞれの出身を冗談の種にすることはあるけどさ。音楽を作ることに関していえば、すべては僕らの心から生まれてくるものなんだ。僕らはただ人間なだけで、国籍とかは関係がないんだよ。


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僕はブリストルに移ってきたときにはすでにもう自分自身のはっきりしたアイデンティティと意見を持っていたんだ。

ザ・ポップ・グループを意識することはありますか?

KG:いや、あんまり。よくその質問を訊かれるけど、唯一それに対して言えるのは、僕はブリストルに住んでいたけどザ・ポップ・グループは全然聴いていなかったんだ。バンド・メンバーのスティーヴは聴いていたみたいだけど。ブリストルに住んでいたっていうことで、人々は僕らをブリストルの他のバンドといっしょいっしょのカテゴリーに入れたがるけど、僕はブリストルに移ってきたときにはすでにもう自分自身のはっきりしたアイデンティティと意見を持っていたんだ。その前にはノッティンガムに住んでいたから、ノッティンガムのほうが僕にとってブリストルよりはるかに大きな影響を与えていると思うよ。とくにノッティンガムで出会った人たち、前のバンドのメンバーとかが僕にいまのパンク・ミュージックを教えてくれたしさ。たぶんいまのバンドの他のメンバーたちの方ほうが僕自身よりもブリストルから影響されているんじゃないかな。ザ・ポップ・グループは良いバンドだけど、そんなによく聴いたことがあるわけじゃないし、自分の音楽の形成期とかにはぜんぜん聴いていなかったよ。英国にいるのに、英国の音楽よりも日本の音楽の方がよっぽどよく聴いたよ。

ブリストルの風土やシーンはあなたたちにそう影響は与えていない?

KG:僕自身は6年くらいブリストルに住んでいたけど、いまはロンドンに住んでいるんだ。バンドの他のメンバーはいまもブリストルにいるけど。バンドを結成したのはブリストルだけど、その後、新しい経験をしたくてロンドンに移ったんだよ。ブリストルに住んでいたときは地元のショウに行ったりもしていたし、そこのシーンにけっこう関わっていたと言えるけど。
 ブリストルの音楽シーンはとても多様性があるんだ、すごくいいダンスミュージックもあるし、アヴァンギャルドなショウもたくさんやっているし。僕らはキュー・ジャンクションズ(Qu Junktions)っていうグループといっしょにいろいろやっていたんだけど、彼らはいろいろおもしろいイヴェントをやっていて、僕がいちばん最近行ったのはもう使われていない古い警察署の地下にある留置所で開催されたんだ。牢屋のひとつがバーになっていて、もうひとつの牢屋は座って落ち着けるようになっていて、ショウ自体もいちばん大きな牢屋でやっていた。たぶんそれが使われていた当時は、いろいろな人が精神的に苦痛を感じるような場所だったところをアートのために使って、楽しいおもしろいことをやるっていうのはとても不思議な感じがしたよ。そういうのは他のほとんどの国ではあまり起きないだろうしね。……でも、ひとつみんなにわかっていてほしいのは、僕らはブリストルという町から音楽的なきっかけや影響を与えられたことはほとんどないっていうことなんだ。たまたまそこに住んでいたってだけで、少なくとも音楽的には、ブリストルよりも外の音楽から影響を受けているよ。強いて言うなら、ブリストルではダブやレゲエのイヴェントに行くのが好きだったし、ダブやレゲエからの影響は受けているけれど……それよりも、僕らはまわりで起きていることとは独立して、自分たち自身の音楽をやってきているんだ。

メルト・ユアセルフ・ダウン(Melt Yourself Down)は市場的には「ジャズ」としてカテゴライズされましたが、あなたにとってズン・ズンとの差はどんなところにありますか?

KG:僕はあまりそのふたつを比較することはないよ。大きなちがいといえば、メルト・ユアセルフ・ダウンでは僕はズン・ズンでやるほど曲を書いていないし、メルト・ユアセルフ・ダウンのリーダーはポーラー・ベアでも演奏しているサクソフォニストのピートなんだ。精神性の部分ではどちらのバンドも似通っていると思うけど、使っている音楽的要素がちがうと思う。
 メルト・ユアセルフ・ダウンはよりダイレクトにヌビアの音楽からの影響を受けているんだ。ピートはそういう音楽に傾倒しているからさ。僕はピートが曲を書いた数ヶ月後にバンドに参加した。あと大きなちがいとしては、ズン・ズンにはサックスがなくて、メルト・ユアセルフ・ダウンにはギターがないってことかな(笑)。だからサウンド面では大きな差があるね。ショウの雰囲気もちがっていて、メルト・ユアセルフ・ダウンはワイルドでカタルシスのある、カラフルで凶暴な感じなんだ。ズン・ズンにもそういう面はあるけど、エネルギーを引き出しつつも、より慎重に考えられたソングライティングを目指したんだ。メルト・ユアセルフ・ダウンの作曲がズン・ズンより考えられていないって意味ではないから間違えないでほしいんだけど、今回はエネルギーを失わずに、できるかぎりソングライティングの部分に挑戦してみたかったんだ。だから根っこの精神的なものは同じでも、楽器がちがうからサウンドも異なったり、直接的に影響を受けているものも別かな。


僕にとってのパンクは、それが何であれ自分のやりたいことをやるってことなんだ。自分のいちばんワイルドな部分で、自分が誰で何をするべきかってことを感じるってことさ。

メルト・ユアセルフ・ダウンにはよりパンクを、ズン・ズン・エグイにはよりロック(ブルース)を感じます。

KG:メルト・ユアセルフ・ダウンはたしかに様式的にパンクの要素が強いし、ズン・ズンはロックだね。でも、どちらとも精神的にはパンクだよ。僕にとってのパンクは、それが何であれ自分のやりたいことをやるってことなんだ。着ている服や形式じゃなくて、「時代のカルチャーに疑問を呈しているか」ってこと──さっき言ったような自分のいちばんワイルドな部分で、自分が誰で何をするべきかってことを感じるってことさ。誰かに言われて何かをするんじゃなくて、純粋に自分がそれをやりたいと感じるからやるんだ。

パンクとロックで、あなたが重要だと思うバンドやアーティストを教えてください。

KG:僕にとって、ストゥージズを聴いていたことは重大な影響を及ぼしていると思うよ。それと、(キャプテン・)ビーフハート……、みんな彼をブルーズやロックだって言うけど、僕は彼はパンクだと思う。あとコンヴァージっていうバンドも前はよく聴いていた。あとフガジは僕にとって大きな存在だし、バッド・ブレインズやアット・ザ・ドライヴ・インも……それに日本のパンクもたくさん聴いたよ、ギター・ウルフとか。「♫ジェットジェネレーション〜」(歌い出す)すごくいいよね! メルト・バナナとか、あとボアダムスを観たときはぶっ飛んだよ、彼らは完全にパンクだね。他にはマストドンの初期の2枚のアルバムなんかもよく聴いたよ、みんな彼らのことをロック・バンドだと思っているけど、あれはパンクさ。
 正直、あんまり英国のパンクは聴いていない気がするな。でもノッティンガムに住んでいた頃、ジ・ウルヴズ・オブ・グリーフ(The Wolves of Grief)っていうバンドとローズ(Lords)っていうバンドがいて、彼らは僕にとってヨーロッパでのパンク精神との直接的なつながりっていう意味で重要だった。それとは別に、リーズ出身のBilge Pumpっていうバンドもいて、これら3つのバンドすべては僕自身直接の友人で、ギターのスタイルとかは彼らから学んだことが多いよ。だから英国のパンクっていう括りで言えば、彼らは僕にとって重要な存在だね。

曲作りの手順について教えてください。誰かが曲を書いて持ってくるのですか? セッションから生まれるのですか?

KG:曲によるけど、大抵コンセプトや基本となるアイデアを思いつくのは僕の役割なんだ。時には僕がハーモニックな動きやアレンジメントをふくめて曲のほとんどを書いて、それをバンドに持って行っていっしょに完成したトラックに仕上げていくこともあるし、中にはいちからみんなでいっしょに書いた曲もある。バンド全員に会う前に、いったんメンバーのスティーヴに会うことも多いよ。ふたりで2つや3つのちがう構成の間で固めたうえで、それをバンドに持っていって、「これとこれが候補の構成だから、それぞれ試してみよう」っていうふうにして、後から皆がそれぞれの要素を加えていったりするんだ。ときによっては僕がベースラインを書いたり、キーボードのラインを書いて、アダムやヨシノに「どう思う? 演奏してみてくれる?」って言うこともあるし。

(モーリシャスの音楽の起源について)彼らが自らの苦痛や奴隷状態を利用して音楽を作ったっていうのはとても興味深くて、刺激を受けたよ。文字通りインダストリアル・ミュージックの先駆けみたいなものだし、僕にとってはナイン・インチ・ネイルズやスロビング・グリッスルよりよっぽど暴力的だと感じた。

 ただ、今回のアルバムでは、そのプロセスは曲ごとにかなりちがっているんだ。たとえばいくつかの曲はドラムビーツからできて、ビートの上にそのまま歌をのせて、そこにギターやベースラインを加えてバンドに持って行って、メンバーたちに残りの空白を埋めてもらったり、マットや最近パーカッションを演奏することの多いヨシノにそのビートを覚えてもらったりする。
 今回のアルバムのいちばんはじめのアイデアは、僕らがモーリシャスに行ったときある人に会って、彼がモーリシャス音楽の起源について話してくれたことに由来するんだ。その話では、サトウキビ畑で奴隷が強制労働をさせられていたとき、奴隷の彼らはサトウキビの圧搾機の音を聞いて、そのサトウキビを潰す機械音のリズムを使って音楽を作りはじめたらしい。そういうふうに、彼らが自らの苦痛や奴隷状態を利用して音楽を作ったっていうのはとても興味深くて、刺激を受けたよ。ある意味、文字通りインダストリアル・ミュージックの先駆けみたいなものだし、僕にとってはインダストリアル・ミュージックよりはるかに暴力的で、ナイン・インチ・ネイルズやスロビング・グリッスルよりよっぽど暴力的だと感じた。炎天下の畑で鞭打たれながら、ほとんど食べ物も与えられずに何時間も無理矢理働かされるなんていう苦痛に満ちた状況のなかで、ギヴ・アップするんじゃなく、機械のたてるタカタタカタタカタ……っていうリズムを聞いて音楽を生み出すなんて驚異的だよね。そのアイデアが、アルバムのコンセプトにおける最初のインスピレーションになったんだ。

あなたは、ギタリストとシンガーとではよりどちらをアイデンティティとしてとらえていますか?

KG:うーん、わからないな、「ミュージシャン」じゃない(笑)? 僕はいくつかの楽器を演奏するし、リズミックなアイデアもよく僕の内から生まれてくるし、大抵の楽器は自分で弾き方を見つけることができるし……。まあでも、ギタリストとシンガーのふたつがメインで、両方が柱になっているよ。

アンドリュー・ハング(Andrew Hung)はあなたがたのエネルギーを歪めることなく放射させているように感じました。かといってサイケデリックさもまったく損ないません。彼をプロデューサーに立てたのはなぜでしょう? ファック・ボタンズへのシンパシーですか?

KG:僕らはファック・ボタンズといっしょにツアーしたんだけど……彼らの名前を日本語で何て訳すのか知らないけどさ、このあいだうっかりラジオでその名前を言っちゃって、ちょっとトラブルになったんだ(笑)。彼らとツアーをしたのはけっこう前で、それ以来長いこと会っていなかったんだけど、ロンドンでのショウで再会して、よもやま話をしているうちに、僕らのアルバムにプロデューサーが必要だってことが話にのぼった。僕ら自身が思いっきり滅茶苦茶やっているあいだ、全体を俯瞰して僕らをちゃんと軌道上にとどめてくれる誰かがさ。そしたら彼がその場ですぐに「じゃあ、僕が君たちのレコードをプロデュースするよ!」って言ってくれたんだ。そんなふうに簡単に決まったんだよ。個人的なレベルでも、彼と僕は自然に友だちになったし、彼とは通じ合うのがとても簡単で、レコーディングの前も彼とけっこう長い時間をいっしょに過ごして曲を全部通して見ていったりしたんだけど、彼はそれらの曲のパワーを褒めて、僕にアレンジメントのアドバイスをくれたりした。彼はプロデュースにとても興味があって、人っていうものや人と人とのつながり、互いに与え合う影響みたいなものに興味を持っているし、とても知的で、いろいろなものへの感覚が鋭いから、とてもいっしょに仕事をしやすかったよ。
 それと、付け加えておきたいのは、このアルバムでミキシングをしてくれたイーライ・クルーズも素晴らしい仕事をしてくれたんだ。彼はニューヨーク・シティでミックスをしてくれたんだけど、彼も今回僕らの音を引き出すうえでアンディ(Andrew Hung)と同じくらい重要な役割を果たしてくれた。あと、アンディについてもうひとつは、彼の音楽は僕らの音楽とはかなりちがうから、彼の意見をもらうのはエキサイティングだったよ。僕らはギター・バンドでまぁ普通の楽器を弾いているけど、彼はビデオゲームや道具を使ってエレクトロニック・ミュージックをやっているから、彼が僕らのやっていることをどういうふうに解釈するかっていうのは興味深かった。


僕はいまの音楽シーンには、「ベージュ色」をした音楽が多いように感じるんだ。

2000年代の半ばごろ、TV・オン・ザ・レディオ(TV on The RadioやDirty Projectors)、ヴァンパイア・ウィークエンド(Vampire Weekend)など、とくにブルックリンが象徴的でしたが、インディ・ロックではやはりさまざまな民俗性が参照されていました。2000年代の半ばごろ流行したもので、あなたが好んで聴いていた音楽を教えてください。

KG:その頃に流行っていたそういう音楽はあまり聴いていなかったよ、すでに僕も同じようなことをやっていたしさ。ただ彼らは有名になったけど、僕らはならなかっただけでさ(笑)。ダーティ・プロジェクターズ(Dirty Projectors)はまわりの人からよく話を聞いたからすこし聴いていたけど、でも彼らから影響とかは受けていないし。

いまのUKの音楽シーンについて、おもしろいところとつまらないと思うところを教えてください。

KG:はは、ちょっと物議を醸すような発言になっちゃうかもしれないけど……(笑)。僕はいまの音楽シーンには、「ベージュ色」をした音楽が多いように感じるんだ。ヒットチャートの上位に入るような曲はなんだか郊外っぽくて、うんざりさせられるものが多いよ。音楽が人々の心の中から生まれてきて、それが商品として売られているんじゃなくて、最初から商品として売られるために作り出された音楽のようなものが多すぎる。チャートを占めている音楽には、事前によく計画されたような感じのするものが多くて、チェックリストに沿ってすべての項目を満たすように作られたような感じで、アートとしての性質はほとんど失われつつあるんだ。少なくともメインストリームの音楽に関してはね。すごく計算された音楽が多いよ。
 最近出てきたあるアーティストは──名前を出すのは意地が悪いと思うからあえて言わないけど、彼女の音楽はとても落ち着くような音楽だけど、そのすべては彼女のイメージありきで売られている。彼女のイメージや身体性を中心にしていて、音楽はその副産物みたいな感じだよ。もしかしたら、それがこれから世界が向かう方向性なのかもしれないけど。僕もそういう方向性に向かうべきなのかもね(笑)!
 でもそれはメインストリームの話で、もっとアンダーグラウンドなところではいろいろ起きていて、たとえばケイト・テンペスト(Kate Tempest)はとてもおもしろいことをやっている。あとは……うーん、僕はあんまり英国の音楽に触れていないのかもしれないな。古い音楽とかはいろいろ聴くんだけど。あ、サム・リー(Sam Lee)っていうミュージシャンはもうすぐレコードを出すんだけど、彼はとてもいいフォーク・シンガーだよ。とても現代的なフォーク・ミュージックで、すごくおもしろいよ。
 うーんあとは……そうだ、最近買ったレコードを挙げてみよう。最近のはジョン・カーペンター(John Carpenter)の新しいレコードを買ったけど、そもそも彼はUKじゃないや。あとはハロー・スキニー(Hello Skinny)っていうUKのアーティストがいるけど、彼の音楽は大好きだよ。サンズ・オブ・ケメット(Sons Of Kemet)も。あとはリーズのカウタウン(Cowtown)もすごく好きだね。あとはエレクトロニック・ミュージックだと、キョーカ(Kyoka)っていう女性アーティストがいて、知ってる? 日本人なんだけど、ドイツに住んでるんだ……あれ、これじゃ質問の答えになってないね。質問はなんだったっけ? ああ、UKの音楽シーンについてか。いまのメインストリームの音楽にはあまり好きなものはないけど、もっと自分で聴いていまの音楽も学ぶべきかもしれないな。あ! そうだ、新しい音楽で好きなのを思い出した、ジュリア・ホルター(Julia Holter)は大好きだよ! 彼女はたしかアメリカのアーティストだけど……あとそうだ、UKのバンドでジ・インヴィジブル(The Invisible)がいた! 彼らがどんなにいいバンドか言うのを忘れていたよ。あとはポーラー・ベア(Polar Bear)はいいジャズ・バンドだね。それから、昨日は〈ラフ・トレード〉でファーザー・ジョン・ミスティ(father John Misty)のアコースティック・セットを観てきたよ、彼はすごくいいね。素晴らしい歌詞を書くよ。あともうひとつ、ザ・ウォーヴス(The Wharves)はロンドンの女性ばかりのバンドで、僕の好きなバンドだよ。これでけっこういい「僕の好きな最近の音楽リスト」ができたんじゃないかな(笑)。


アイデアからじゃなくて、強い感情から曲を生みたい。どうせアイデアは後から音楽を装飾するために出てくるから、自分の強烈な感情を音楽の形にして出したいんだよ。

これからどのような音楽を展開していきたいと考えていますか?

KG:さっきも言った、インダストリアル・ミュージックについてのアイデアをもっと掘り下げていきたいな。そしてより使う要素を少なくしていきたい。できるだけミニマルなものにしてみたいんだ。僕はもともとの性格で曲を書くときに書きすぎる傾向があるからさ。それがサウンド面での部分だけど、個人的には、僕が曲を書いているときは、自分の内側にあるとても強い感情にアクセスしたいんだ。アイデアからじゃなくて、強い感情から曲を生みたい。どうせアイデアは後から音楽を装飾するために出てくるから、自分の強烈な感情を音楽の形にして出したいんだよ。まだ今回のアルバムのツアーすらはじまっていないから、いまの時点で答えるのは難しい質問だけどね。でも正直もう次(のアルバム)について考えはじめているんだ。もう曲も書きはじめてて、3、4曲、自分で気に入っているデモもあるよ。アルバムに入るかどうかはわからないけどね!

NHK - ele-king

 音楽は世界の無意識だ。ポップ・ミュージックであっても、エクスペリメンタル・ミュージックであっても、それは変わらない。音楽がアートになりえるのは、その一点によってのみともいえる。
 この2015年初頭に、リチャード・シャルティエ主宰のサウンド・アート・レーベル〈ライン〉から発表された2作品は、そのことを強く再確認させるサウンド・アート・アルバムであった。NHK『プログラム』とコンラッド・エッカー『スリープウォーカーズ・イン・ア・コールド・サーカス』である。これらの作品もまた世界の混沌へのアジャスト/アゲインストを音によって実現しているのだ。ミニマル、コンクレート、ノイズ。そして不安定。光/黒。

 NHKはマツナガ・コウヘイとムネヒロ・トシオのユニットである。彼らはソロや複数の名義を駆使しつつ、膨大な量のリリースを行ってきた。このNHK名義でも、〈ラスター・ノートン〉〈パン〉〈インポータント・レコード〉などの世界有数のエクスペリメンタル・ミュージック・レーベルから複数のEPをリリースしている。しかし、意外なことにアルバムは、この〈ライン〉からのリリースが初だ。そもそも〈ラスター・ノートン〉ではなく〈ライン〉からのリリース、というのも注目に値する。意外といえば意外だが、当然といえば当然だ。なぜなら〈ライン〉は、2000年代を通じて、ロウワーケース、グリッチ、ドローンなど「ポスト・デジタル・ミュージック」を支えてきたレーベルである。そして本作は、いわば「ポスト」以降の「ポスト」、つまりは「ポスト・ポスト」を象徴する作品に仕上がっているのだ。じつに「らしい」ラインナップといえよう。
 本作のトラック名はすべて“Ch.”で統一され、匿名性を際立たせている(ユニット名がNHKに、アルバム名がプログラムなのだから、検索すると大変なことになる!)。また、NHK、プログラムなど、どこかTVのアナロジーのようにも感じる(私など本作を聴きながら放送終了後のTVをザッピングするような懐かしい気分すら引き寄せられた)。
 曲は、“Ch.1”から“Ch.10”までの全9トラックだ。曲名すらもグリッチを起こしている点に注目したい。ここにおいて抽象化された剥き出しのグリッチ・ノイズとビートは、純度100%の電子音響サウンドを実現している。静寂と炸裂の取り方が素晴らしく、カキンとした高音ノイズが耳にアディクトする。また、ビート/リズムにはどこかファンク・ミュージックのようなタメも感じる(アオキ・タカマサの音楽を思い出す)。いわば点滅する蛍光灯のようなデジタル・ノイズ・ファンク。しかし同時に、まるでコンセントの接触不良のように不安定なノイズ/音像の揺らぎを獲得しているのだ。そのバチバチと炸裂する電気の火花のような音は途轍もなく刺激的だ。すべての地盤が揺らいでいる感覚。地震のような感覚。ここに私は強い現代性を感じた。サウンド、コンポジション、リズム、ノイズ、揺らぎ、震動。現代のデジタル・ミュージックを聴くならこれである。あのショータヒラマの新作とともに耳に注入しよう。本作もまた現代の「ポスト・パンク」である。

 一方、コンラッド・エッカーはベルリンのサウンド・アーティストである。昨年に〈ジギタリス・レコーディングス〉からアルバム『アイル・フェアーズ・ザ・ランド』をリリースしており、本作は2作めにあたる。またLumisokea名義では、〈オパール・テープス〉からEPをリリースしている。
 NHKの剥き出しのグリッチ・デジタリズムとは対照的に、コンラッド・エッカーは、アナログ・シンセサイザーの淡い音響を複層的に用いることで、どこか現代音楽的なコンポジションを実現している。ときに雅楽のような瞬間もあり、「電子音楽にトランスレーションされた武満徹か?」と思ってしまったりもする。かと思えば霧のようなノイズの中にテクノ的なビートが融解しているようなトラックもあるなど、一筋縄ではいかない音楽性が魅力的だ。素材と素材が衝突し、より響きと運動が、まるでオブジェのように生成している。まさにモノクローム・サウンド・オブジェとでも形容したい作品である。
 どうやら、コンテンポラリー・ダンスのための音楽のようでもあり、そのためか肉体が通常の運動性から脱臼する音響的運動性を獲得している。また、どこかエリックMのサウンドとの類似性も感じる。ミュージック・コンクレート的なサウンド・スケープを、モジュラー・シンセの流行以降の感覚で新生させたような音だ。NHKの音が高音部分を強調したノイズであるのに対して、コンラッド・エッカーは中音域から低域を震動させるような太いノイズ/音響が魅力的だ。アナログ電子機械から発信される音の連鎖と震動とでもいうべきか。個人的には、このような音こそ西欧的な実験音楽の最先端という気もする。石造りの建築、教会の響きの遠い記憶。ミュージック・コンレクーティズム2015。本作は、インダストリアル・ミュージック・ムーヴメントにも合流している作品でもあり、現代的/最先端の電子音楽に共通する「ノイズのミュージック・コンクレート的な応用サウンド」とも言えよう。まさにモダン・ノイズ・コンクレート・ミュージック。

 そう、NHKはグリッチの最先端であり、コンラッド・エッカーはインダストリアルの最先端に位置する音楽なのだ。言い換えれば、NHKはポスト・モダンな状況にアディクトする音であり、コンラッド・エッカーは西欧的なモダニズム以降に存在する音なのである。デジタルの電子音とアナログの電子音という差異もある。その意味で両極の存在なのであるが、同時に、ミニマル、コンクレート、ノイズ、不安定、光/黒というキーワードによって共通もする音でもある。この2作は、たとえば、ヴァレリオ・トリコリのサウンドとも共通する。ちなみに、ヴァレリオ・トリコリがヴェルナー・ダーフェルデッカーとともにジョン・ケージの「ウィリアム・ミックス」のリアライズに挑んだ『ウィリアム・ミックス・エクステンテッド』はかなりの傑作だ。ケージ以降の環境を近年のモダン・ノイズ・コンクレーティズムで上書きしたような作品であり、時代を象徴する一作といえよう。

 ミニマル、コンクレート、ノイズ、不安定、光/黒によって成立するモダン・ノイズ・コンクレート・ミュージックは、ポスト・ポスト・デジタル・ミュージックである。ここにおいてデジタルとアナログの区分は消失する。これこそ新しい時代の新しい電子エクスペリメンタル・ミュージックなのである。新しい電子音楽は、人間が消失してしまう世界を表象する。あの電気の接触不良音も、あのアナログシンセのノイズも、人間が消失しても、そう、電源があるかぎり(それは限られた時間かもしれないが)継続する音のようだ。人のいない世界で鳴りつづけること。〈ライン〉の新作2作は、そんな時代の幕開けを象徴する作品である。
 かつて〈ライン〉はポスト・デジタル・ミュージックをキュレーションしてきた。だが、いまはポスト「以降」の世界に突入している。いわばポスト・ポスト・デジタル・ミュージックの領域が、ここにある。またも、2015年の電子音楽ベストの上位がすでに決まってしまったようなものだ。むろん、明日のことなど誰にもわからないが。

Mourn - ele-king

 カーラ・ペレス・ヴァスのヴォーカルに、ふとファースト・エイド・キットの姉妹を思い出す。彼女はラモーンズのTシャツを着ている女の子にしては意外な印象の歌をきかせてくれる。そう、ガレージーなスタイルが持つ固着したイメージを、その真ん中を行きながら吹き飛ばしていくシンガーだ。スペインのガレージ・バンド、モーンのヴォーカル、カーラ・ペレス・ヴァス。いでたちからすれば、ファースト・エイド・キット=北欧のフォーク姉妹との比較は妙かもしれないけれども、たとえば冒頭の“ユア・ブレイン・イズ・メイド・オブ・キャンディ”を聴いてみよう。おそれるもののない若さとみずみずしさ、のびやかな四肢をいっぱいに張り出したような力づよさがそのままに放射されているこの歌だけでも、二者をつなぐにじゅうぶんな相似性が宿っている。姉妹のうちの、とくにあの不敵で太いほうの喉の、ふてぶてしくも健康的な魅力に驚いた記憶がよみがえってくる。彼女らもまた森をゆくパンクである。何かに対して、いや、何もかもに対して怒っているようなそのチリチリとくすぶるエネルギーさえ、カーラや姉妹たちの無敵の若さの中ではめいっぱいに祝福される。

 モーンはスペインの4人組、みな10代という本当に若いバンドである。英米豪以外の……というかUK以外のヨーロッパのガレージ・ロックにはびっくりするほど古くさいものがごろごろと転がっていたりもするけれど、スペインは〈エレファント〉のように優れたギターポップ・レーベルが存在する土壌でもあり、モーンの音もまた、オーソドックスなスタイルのなかに英語圏マナーとは少し異なるニュアンスと背景をつけ加えているように見える。
 バンドの中心はジャケット写真のふたりで、ジャズ・ロドリゲス・ブエノとくだんのカーラ。ついついとヴォーカルの魅力を書き連ねてしまったが、楽曲制作については全曲ジャズとモーンのふたりの名がクレジットされている。拠って立つところが丁寧に考察・紹介されたライナーによれば、ジャズは父に教えてもらったPJハーヴェイをきっかけに、セバドーやスリーター・キニー、ニルヴァーナ、フガジ、スリントまで、ハードコアからいわゆるオルタナ、90年代のUSインディ・ロックを中心としてその音楽的なアイデンティティを育んだようだ。これはこのバンドのメカニズムを明かすほぼそのままの見取り図でもある。そしてほとんどの曲でヴォーカルをとるカーラには、なるほどPJハーヴェイといわれれば頷かざるをえないような勁(つよ)くて繊細な魅力もあり、かすかなふるえのなかにのぞく男勝りの気丈さにはジョニ・ミッチェルも聴き取りたくなる。美しい出会いだ。出会いのなかに、すでにわくわくするような音楽の予感がある。そして「あなたたちは新しい音楽を参照しないのか?」という問いがためらわれるほど、そこには自らが好んできた音楽への強い愛着と無邪気なあこがれとがのぞいている。

 さて、彼らをフックアップした〈キャプチャード・トラックス〉にも言及したい。その名は、先述の冒頭曲“ユア・ブレイン・イズ・メイド・オブ・キャンディ”において、カーラの歌に導かれて入ってくるギターの音をきけばカチリと符合し納得するものがあるだろう。チルウェイヴというOSをガレージというドライブで走らせたような……シューゲイジンなドリーム・ポップやエイティーズ・マナーなシンセ・ポップに「シットな」ガレージ・ロックを縫合しながら2010年前後のインディ・シーンを象徴した、このレーベルらしい音。しかし、方向はブレないながらも「あのときのレーベル」として彼らがゆっくりと忘れられていくようにも思われた現在、モーンはストレートにして急角度な彼らからのメッセージとして耳目を驚かせてくれる。たとえば2曲めに切り替わるときに、カーラの声もまた一気に表情を変え、わたしたちが知る〈キャプチャード〉とは異なるPJハーヴェイやグランジが立ち上がってくる。“マーシャル”などにも、ダイナソー・ジュニアからぺイヴメント、ソニックユースまで圧縮して押し込まれているような錯覚を覚える。ポストパンクやニューウェイヴ、あるいは80年代のUKインディにより軸足を置くかに感じられた、かのレーベルのセンスはいま、たとえばウォーペイントなどが抱える少し文学的な暗さ(他愛ないようでいて詩の文学性も高い)とともに90年代へとスライドして横すべりしながらも大らかな軌跡を描いている。マック・デマルコの評価がいよいよ高まったのに加え、こうした新しい発掘の矛先をさらに広範囲に向けていることに期待をいだく。このバンドに会っては、10曲20分そこらという短さがわざとらしく感じられず、モーン(哀悼する、弔う)といった名前がむしろ輝かしい。

ASHRA - ele-king

Moduleでの多国籍パーティ「Laguna Bass」でレジデントを務め、同時にトラック制作をスタート。14年NO/Visionist EPでIRMA recordsよりデビュー。09~2年間Jetset RecordsでのDJチャートを担当。6月位から新たにレギュラーパーティーやる予定です。徒然ここをチェック。
https://soundcloud.com/ashra-3
facebook.com/ashradj

3/16(月)TBA@Le Baron
4/25(土)TBA@Solfa
5/16(土)No Surface@ DJ BAR HIVE(小倉)

王道にDJで良くかけている/かけたいTOP10チャート

“ディレイ”対決は加速する! - ele-king

 オウガ・ユー・アスホールとマーク・マグワイヤ。ありそうでなかった貴重なライヴである。両者をつなぐキーワードはひとまずクラウトロック(そしてイヴェント・タイトルのとおり“ディレイ”)だと言えようが、エメラルズを離れたのちのマグワイヤの活動はよりパーソナルに、より自由に柔軟に展開をつづけているし、オウガ・ユー・アスホールも一枚ごとに音楽性を深めひとつところに留まる様子がない。ロックのイヴェントではまちがいなく最高峰のステージを堪能することができるだろう。めくるめくようなディレイ体験を期待したい。

 ということで、ele-kingでは大好きなふたつのアーティストたちの競演を祝福して、みなさんをライヴへご招待いたします。以下のガイドにしたがってご応募(ele-kingツイッターアカウントの該当ツイートをRT)ください!

■応募方法
※twitterサービスをご利用されている方を対象とする企画です

・ele-kingアカウントをフォローし、同アカウントによる本件についてのツイートをRTして下さい
・3月15日(日)24時を締切として、RTをしてくださった方から抽選で3名様をライヴにご招待いたします
・当選のご連絡はツイッターのDM機能を利用して行います。3月16日(月)にご連絡予定ですが、3月19日(木)までにご返信がない場合は無効とさせていただきますのでご注意ください。
・チケットの送付はありません(受付でお名前を頂戴いたします)ので、DMにてご住所をお知らせいただくようなやり取りはございません

本件についてのお問い合わせはele-king編集部までお願いいたします。
(※アーティストやレーベル、UNIT側ではご対応できません)

■"" DELAY 2015 ""
OGRE YOU ASSHOLE × Mark McGuire

オウガ・ユー・アスホール OGRE YOU ASSHOLE
マーク・マクガイヤ Mark McGuire


OGRE YOU ASSHOLE


Mark McGuire

日程:
2015年3月29日(日)
会場:代官山UNIT
開場:17:15 / 開演:18:00
料金:ALL STANDING \4,000(1ドリンク別)
主催:HOT STUFF PROMOTION / UNIT 企画・制作:Doobie / UNIT
協力:ele-king / root & blanch / Office ROPE
INFO:HOT STUFF PROMOTION/Doobie 03-5722-3022 https://doobie-web.com
UNIT https://www.unit-tokyo.com/
チケット:
主催者先行予約受付
1月21日(水)20:00~1月29日(木)23:59
受付URL:https://doobie-web.com
一般発売日:2015年2月7日(土)
●チケットぴあ 0570-02-9999 t.pia.jp Pコード:254-739
●ローソンチケット 0570-084-003 l-tike.com Lコード:79252
●イープラス eplus.jp
●GAN-BAN 03-3477-5701 ●diskunion各店 ●Jet Set Records


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