「Nothing」と一致するもの

 はっきり言って今年は当たり年です。とくに、いままでは日本で観られなかったヨーロッパの映画作家の作品が続々入ってきていて、しかも水準の高いものばかり。だからそれらを映画館で体感することは僕たちにとって幸福でしかなく、連休はあの暗闇のなかで旅をしましょう……ということで、公開中の作品と公開予定の作品を。

■EDEN/エデン

監督 / ミア・ハンセン=ラヴ
出演 / フェリックス・ド・ジヴリ、ポーリーヌ・エチエンヌ、ヴァンサン・マケーニュ 他
配給 / ミモザフィルムズ
2014年 フランス
新宿シネマカリテ、立川シネマシティ ほかにて、全国公開中。
© 2014 CG CINEMA – FRANCE 2 CINEMA – BLUE FILM PROD – YUNDAL FILMS

▼Side A 野田努
 映画のオープニングが最高。初めてクラブ・カルチャーを体験した青年は、お店が終わり人がいなくなったフロアにひとり残って、レコードを仕舞っているDJに歩み寄る。青年は、彼にとってその晩もっとも印象に残った曲が何という曲だったのかをDJに問う。DJはその曲のジャケを青年に見せる。画面に大きく写されるその美しいスリーヴ。そして曲がかかり、タイトルが出てオープニングがはじまる……。
 その曲名をここで明かしてしまうと見る楽しみが半減するので言わないでおくけれど、しかし、90年代初頭のクラブ・カルチャーを体験している人がこれを見たら、まず泣くだろう。ハウス/テクノの名盤中の名盤、「エデン」というタイトルに相応しい曲だが、ぼくはまさかのこのオープニングに涙した。クラブ・カルチャーが好きな人は、最初の30分のためだけにこの映画を見ても損はない。
 オープニングの次は、主人公の青年が親に嘘をついてウェアハウス・パーティに出かけるところだ。そこも時代をうまく描写している。いわゆるレイヴのシーンだが、かかっている曲はジ・オーブの“ラヴィング・ユー”と、まあ、わかっている選曲だ。
 そして時代は進み、90年代のクラブ黄金時代が描かれる。映画のなかでは、その時代その時代のアンダーグラウンドのヒット曲が流れてる。90年代以降のクラブ・ミュージックを聴いていた人は、クレジットを見なくてもほとんどの曲名がわかるだろう。
 ダフト・パンクの“ダ・ファンク”がかかるところも良い。あの曲は、当時は誰もが狂喜した完璧なアンダーグラウンド・ヒットで、多くのクラブ・ミュージック好きの耳をパリに向けさせる契機となった1曲だ。

 とはいえ、この映画は「フレンチ・タッチ」を描いているものではないし、パリのクラブ・カルチャー史を描いているものでもない(ロラン・ガルニエもDJディープも出てこない)。語られているのは、クラブ・カルチャーに心奪われDJとなったひとりの人間の、およそ20年の人生だ。
 90年代はよかった。が、移りゆく季節のなかで物事は思うようにはいかなくなっていく。時代に歓迎されたセンスも、時代が更新されるなかでズレていく。当たり前のことだ。ターンテーブルはCDJへと、そしてPCへと変わる……。

 残念なのは、この映画がDJカルチャー/ダンス・カルチャーのラジカルなところにはまったく無頓着な点だ。初期のクラブ・カルチャーの、未知の世界に繫がる扉を開けてしまったかのような興奮よりも、恋人との世知辛い別れや金銭的な現実が前景化されていくわけだが、実際のクラブ・カルチャーに関わっている多くの人たちはもっとタフに生きている……し、じつは現実にはもっとおもしろい話がいっぱいあるのだよ(長生きしたら、書いたる!)。
 せっかくこれだけの素晴らしいオープニングを作ったのだから、もったいなかったというか、話をもっと膨らませてもよかったのに……。まあ、それでも最初の30分は最高だけど。そう、オープニングですべてを許そう。

 これは自慢だが、ぼくは映画の舞台となったシャンゼリゼ通りのリスペクトに当時行ったことがある。DJはジェフ・ミルズとディミトリ・フロム・パリスだった。最高のメンツだ。行って、朝までそこにいて──外国のクラブであのときほど女性から声をかけられたことはなかったので、「俺はパリならいけるのかも!」と思っていたら、友人からパリではこれが当たり前だと言われた。主人公もぼくのように大勘違いをしたのだろう──、まあ、とにかくリスペクトではずいぶん気をよくして、最後のひとりとしてそこを出た。通りから細い路地に入ると、いっしょに行ったフランス人は「ここがジャン=ポール・ベルモンドが『勝手にしやがれ』で倒れた場所だよ」と教えてくれた。(野田努)

▼Side B 木津毅

 オリヴィエ・アサイヤス一派であるミア・ハンセン=ラヴの映画では、残酷なほどにあっけなく過ぎていく時間がつねに描かれていた。ミアの兄であるスヴェンがDJとして経験したことがもとになっている本作では、90年代前半からのパリ、フレンチ・タッチ・シーンがその勃興から描かれる……のだが、「シーン」以上にここで映されるのは時間の経過そのものである。つまり、ガラージに夢中だった大学生がDJとなり、音楽仲間たちとパーティを開き、ドラッグをやっていくつかの恋をして、そして……それらをひとつひとつ失っていくまでを。おそらくこの映画の観客が期待するような、ポップ史に刻まれるドラマティックな出来事はここではほとんど起こっていない。だが、ハンセン=ラヴ監督の『あの夏の子どもたち』(2009)において映画プロデューサーの自殺がすべてのその横を通り過ぎていく人びとの人生を少しずつ変えたように、重ね続けられるパーティの夜は主人公たちとその恋人たち、友人たち、仲間たち……の人生を動かしていく。それは「栄光と挫折」なんて華やかなものではけっしてなく、ディスコとハウスの名曲が連投される横で、ちょっとした、しかし取り返しのつかない失敗ばかりが積み重なっていく。
 映画のなかでダフト・パンクはほんの少しだけ実名で登場するのだけれど、きわめて象徴的な存在としてそこにいる。彼らが巨大になっていくいっぽうでポール(=スヴェン)の人生からはありとあらゆるもの――人間関係だけでなく、音楽への情熱や未来への眼差しといったことも含めて――が退場していき、そして彼自身も「そこ」からの撤退を余儀なくされる。だからこれはフレンチ・タッチ版『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』(https://www.ele-king.net/review/film/003843/)だが、余韻は本作のほうがはるかに切ない。
それでもこの映画を観た僕たちは知っている……彼らがたしかにそこにいたことを。『あの夏の子どもたち』で流れた“ケ・セラ・セラ”に涙したように、エンド・クレジットのパーティの映像には目頭が熱くなる。だって僕たちもまた、その夜が二度と戻らないことを身を持って知っているのだから。 (木津毅)

予告編



■夫婦の危機

監督 / ナンニ・モレッティ
出演 / シルヴィオ・オルランド、マルゲリータ・ブイ 他
配給 / パンドラ
2006年 イタリア
下高井戸シネマにて、特集上映〈Viva! イタリア! Vol.2〉中の一作として公開中。また、全国順次公開。

 イタリア映画祭で上映されたきり、この映画が日本に入ってこないことをナンニ・モレッティ・ファンの僕はずっと怒っていた。が、この2015年の日本でこの映画がようやく正式上映されることに何か宿命めいたものを感じてしまう……なぜなら本作は、ベルルスコーニ政権下、イタリアの政治の危機に向き合って撮られた映画だからだ。原題は『カイマーノ』――強欲を暗示する「ワニ」のことだ。僕が今年日本で観るべき映画は何かを問われれば、絶対に本作を挙げるだろう。

 とはいえ、この映画は単純なベルルスコーニ批判の映画ではなく、きわめて複雑な構造を取っている。まず、主人公は冷え切った夫婦関係に頭を悩ませ、また財政的にも窮地に陥っているB級映画のプロデューサー。そんな彼のもとに若い女性からある脚本『カイマーノ』が持ち込まれるのだが、斜め読みして企画を進めたら、なんてこった、ヒットなんてしそうもないベルルスコーニ批判の映画ではないか……。そもそも彼は「政治的な人間」ではない。だが気がついたときは映画制作は始まっている。何もかもうまくいかない――夫婦仲は悪化するいっぽうで、息子のサッカーの試合の応援にも行けない、映画の資金は集まらない、肝心のベルルスコーニ役は見つからないし、お土産のジェラートを買うことすらままならない。だが映画制作は動き出している。こんな映画を撮ったからって、経済も政治も生活も、何が解決するわけではない。だが、もう映画を作ることでしか何も始まらない。もう映画からは逃げられない。
 本作は政治映画であると同時にコメディでありメロドラマであり、それに映画と映画制作への愛の告白である。ナンニ・モレッティはとくに90年代の作品においてエッセイ的に「映画とともに生きる」ことを体現していたが、本作においてそれは徹底したテーゼになっている。映画は主人公ブルーノにとって仕事であり生活であり、悩みのタネであり災厄であり希望そのものでもある。自身の監督作に(それこそウディ・アレンのように)よく主演するモレッティが「今回はチョイ役だなー」と思っていたら、詳しくは書かないが、ラストで彼が映画そのものをすべて背負ってしまう様には感動を通り越して完全に打ちのめされてしまった。監督の映画作家として負った責任の重さがそこにはあり、と同時にこの映画が素晴らしいのは、撮影現場で叫ばれる「アクション!」を聞く瞬間を待つ喜びに満ちているからだ。意味があるか、勝てるかなんてわかりっこない。だけど、この映画でモレッティと向き合った僕たちは、とにかくやるしかないのだ。 (木津毅)

予告編(〈Viva! イタリア! Vol.2〉)


■わたしに会うまでの1600キロ

監督 / ジャン=マルク・ヴァレ
出演 / リース・ウィザースプーン、ローラ・ダーン 他
配給 / 20世紀フォックス映画
2014年 アメリカ
全国公開中。
©2014 Twentieth Century Fox

 女はひとりで南はメキシコ国境から北はカナダの国境まで約1000マイル歩くというバカな旅をしている。くじけそうになった瞬間に歌を口ずさみつつ、ひとり呟く。「ねえブルース、いっしょに歌って」……すると、そこにブルース・スプリングスティーンの“タファー・ザン・ザ・レスト”がほんの数秒重なってくる。いいシーンだ。いいシーンだし、音楽好きなら身に覚えのある光景だろう。
 本作はシェリル・ストレイドによる〈パシフィック・クレスト・トレイル〉の踏破体験の映画化であり、シングルマザーの母を喪い悲しみに暮れるあまりヘロインと行きずりのファックに溺れていた彼女が自分に向き合った旅を描いている。であれば、(邦題にあるような)自分探しの旅の映画だと思われがちだろうが、原題が『Wild』であることからもわかるように、それよりも「荒野」に出ることで「野性」を取り戻しつつ荷物を減らすことについて語られている。冒頭、立ち上がれないほどの荷物を背負っていた彼女は自身の記憶とともに旅をし、いくつかの出会いを通じて、少しばかり身軽になるだろう。
 過去の記憶がシームレスにフラッシュバックする映像はヴァレ監督らしい繊細な演出だが、そこでポップ・ミュージックが次々に流されるのもポイントだろう。とくにローラ・ダーン演じる母親との思い出はいつもサイモン&ガーファンクルの“コンドルは飛んでいく”とともにあり、だから気がつけば過酷な旅の道程でそのフォークロアのポップ・ヴァージョンが大音量で流れている。iPhoneではなく、記憶から音楽が流れ出す旅についての映画。観終えたら爆音でサイモン&ガーファンクルを聴きたくなる。それから荒野に旅立ってもいいだろう。 (木津毅)

予告編



■アメリカン・ドリーマー 理想の代償

監督 / J・C・チャンダー
出演 / オスカー・アイザック、ジェシカ・チャステイン 他
配給 / ギャガ
2015年 アメリカ
10月1日(木)より、TOHOシネマズ シャンテ 他にて全国公開。
© 2014 PM/IN Finance. LLC.

 70年代のニューヨークを描いた優れたギャング映画の空気を彷彿とさせつつ、本作は1981年のニューヨークを舞台として『もっとも暴力的な年』とのタイトルを持っている。つまり、燃料業界で成り上がることを夢見た男の物語でありながら主役は「その年のニューヨーク」に他ならず、フレームの外で起こっていること――「時代」そのもの――に翻弄され、あがき続ける人間たちのドラマである。監督は1971年生まれの気鋭J・C・チャンダーで、だからリアルというよりは彼が憧憬した街の荒涼さが画面に充満している。実際にはドンパチやるギャング抗争映画ではなく、30日間の期限のなか資金を集めるために奔走するという大変地味な話なのだが、それでもグラフィティだらけの電車のなかで追跡劇があったりとどうにもスリリングだ。
 『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』で浮上したオスカー・アイザックの弱々しい発話が印象的で、貪欲に成功を追いながらもそのこと自体に疲弊しているようにも見える。その両義性がアメリカということなのだろう。 (木津毅)

予告編


HOLY (NO MORE DREAM) - ele-king

~HR/HM 狂熱のVISUAL SHOCK 10選~

PiL - ele-king

「PiLの新譜はスリーフォード・モッズみたい」
と言ったのは野田さんだが、わたしはこうお答えしたい。
「違います。PiLのがキュートです」

            *****

 前作以上にポップな仕上がりで、時にアンセミックだったり、ちょっぴりおセンチだったり、キャッチーなメロディーが頭の中をぐるぐる回って出て行かなくなる。“The One” はT-Rexみたいだし、‟Spice of Choice”のコーラスはもしかしてボウイを意識した? みたいな感じもあって、カラフルなジュークボックスのような仕上がりだ。そういえば前作の『This is PiL』が出た頃、BBCラジオでライドンがDJを務めたことがあって、番組でもT-Rexもかけて大好きとか言ってたしなー。パッツィー・クラインとか、ジム・リーブスとか、ペトゥラ・クラークとかガンガンかけてたし、50年代後半から60年代にかけてのポップスの影響ってのは、パンクやポストパンク世代のミュージシャンには大きくて、子供の頃に聴いた音楽だけにソングライティングの基盤になっているというのはよく言われる点だけれど、ライドンも、実はモリッシーに勝るとも劣らないぐらい古い歌謡曲が好きだったんだなーということをしみじみ感じるアルバムだ(と言っても、もちろんそれはPiLのレベルで、ということなんでいきなりポッピー&ハッピーなアルバムを期待されても違うが)

            *****

 昨年出たモリッシーのアルバムは「世界平和なんて知ったこっちゃないだろう」というタイトルだったが、ライドンは「世界にいま必要なもの」だ。
 移民は欧州をめざして前代未聞の数で大移動しているし、キャメロン首相はシリアでドローン飛ばして英国人ジハーディストを殺してるし、いったいこの怒涛の如き世界に、いま必要なものって何なんですか、先生。と、思いながらその言葉に耳を傾けてみる。

 便所がまたぶっ壊れた
 修理したばっかだぞ
 また配管工を呼ばなきゃ
 そしてまた、そしてまた
 そしてまた、そしてまた
 そしてまた、そしてまた‟Double Trouble”

 お前の言うことはボロックス
 それはすべてボロックス
 お前のファッキン・ボロックス
 ナンセンス お前のボロックス
 ボロックスにうんこを二つ
 人間なんてボロックス

 世界にいま必要なのは
 も一つファック・オフ“Shoom”


 先生はどうやらふざけておられるようだ。(ボロックス連発の歌を聞いた9歳の息子とその友人が床にひっくり返って笑っている)

            *****

 『UNCUT』という中年向けロック雑誌に出ていたインタヴューでライドンはこんなことを言っていた。
 「PiLは端的に言えば音楽じゃない。継続的な創造活動を入れるポットだ。そして俺が探究しているのは自分の内面。自己解剖っていうか」

 ロックとかパンクとかいうジャンルが様式重視型の芸術の一形態になるにつれ、それが+αの力を持っていた時代にパイオニアとして活躍したおっさんたちの近況を見ていると、年を取るとすぐ「劣化した」と言われて誰もがアンチエイジングにしゃかりきになるこの時代、ロックであるということは、即ち反骨するということは、「老いを晒す」ことではないか。それ以外にロックなんて、もうないんじゃないか。
 と思うことがあるんだけれども、ライドンが「自分を解剖する行為」と言っている音楽はまさにそのことのようだ。

 ジャケットに使われているライドン画伯の絵で、「What the World Needs Nowxxx(キスキスキス、とxが3つも入っているというキュートさだぞ)」の文字の真下に立っている彼の自画像が、右手に地球を下げ、左手にPiLのシンボルマークを掲げていることから察して、世界にいま必要なものはPiLだ。ということなのだろう。
 で、現時点でのPiLが世界にオファーしているのがユーモアとかわいらしさだとすれば、それは例えばジェレミー・コービンの薔薇とそれほど離れたものでもないかもしれない。
 だってキュートな画伯はこんなことも仰っておられるのだからxxx

 グローバル・ヴィレッジじゃなくて
 一つの地球
 ちっぽけで哀れな無数のヴィレッジが
 21世紀のサヴァイヴァル法を学んでるんじゃなくて
 第三次世界大戦は目前
 どうやら人間はヒューマニティーが大嫌いみたいだから

 おお我らに憐れみを
 俺らは次の世紀に達することができるのか?         “Corporate”

Zomby - ele-king

 UKのアンダーグラウンド・シーンを担う孤高のアーティスト、ゾンビが〈XLレコーディングス〉と契約し、来月2枚のEPをリリースすることが発表された。彼は〈ハイパーダブ〉や〈ランプ・レコーディングス〉といった日本でも馴染みが深いレーベルからもリリースを重ねており、これまでに2枚のアルバムを〈4AD〉からリリースしていた。
 直近のリリースは〈ビッグ・ダダ〉からのもので、ゾンビがついにワイリーと組んだ“ステップ2001”。
EPタイトルは「Let’s Jam EP1」と「Let’s Jam EP2」。トラック・リストは以下の通りで、リリース日は10月5日を予定している。

Tracklist
Let's Jam EP1
01. Surf 1
02. Surf 2
03. Slime
04. Acid Surf

Let's Jam EP2
01. Neon
02. Bloom
03. Peroxide
04. Xenon

Via RA
<https://www.residentadvisor.net/news.aspx?id=31339>


Clap! Clap! - ele-king

 Clap! Clap!すなわち拍手!拍手!は、手拍子の人力ダンスではない。この洒落っけのあるアートワークが匂わすように、アフロ、ジューク、ベースなどなど、好き勝手にモダンなダンス・ビートを混合して、胸が高まるエキゾティックな体験を1枚のアルバムを通して実現させた。快適な砂漠旅行なんて、誰が想像できる?
 その華麗なるデビュー・アルバム『TAYI BEBBA』は2014年でもっとも重要なアルバムの1枚に数えられるわけだが、日本でもロングセラーになった。そのClap! Clap!がついに来日する。共演者は、妖しいサイケデリック・ハウスを展開するブラジリアンDJ Thomash。そして、ボアダムスのEYヨ。

root & branch / FRUE presents
“It's a Jungle in Here“

11.7 SAT @ 代官山 UNIT / SALOON
Live: Clap! Clap! (Black Acre - Italy)
DJs: EYヨ (BOREDOMS)
Thomash (Voodoohop - São Paulo)
and more to be announced!!
Open/ Start 23:30
¥3,500 (Advance)
Information: 03-5459-8630 (UNIT)
https://www.unit-tokyo.com/

Ticket Outlets: PIA (277-030), LAWSON (76761), e+ (eplus.jp), diskunion CLUB MUSIC SHOP (渋谷, 新宿, 下北沢), diskunion 吉祥寺, TECHNIQUE, JET SET TOKYO, DISC SHOP ZERO, clubberia, RA Japan, UNIT
* 9/26 から上記プレイガイド、チケット取扱レコード店及びサイトにて一般発売。

Clap! Clap!
クラップ!クラップ!は、ディジ・ガレッシオやL/S/Dなど多数の名義で活躍するイタリア人プロデューサー/DJ、クリスティアーノ・クリッシが、アフリカ大陸の民族音楽への探究とサンプリングに主眼を置いてスタートさせたプロジェクト。様々な古いサンプリングソースを自在に融合し、そして極めてパーカッシヴに鳴らすことによって実に個性的なサウンドを確立している。彼は伝統的なアフリカのリズムをドラムマシーンやシンセといった現代の手法を通じて再生することにおいて類稀なる才能を持っており、その音楽体験におけるキーワードは「フューチャー・ルーツ/フューチャー・リズム」。クラップ!クラップ!の使命は、トライバルな熱気と躍動感に満ちていながらも、伝統的サウンドの優美さと本質を決して失わないダンス・ミュージックを提示することである。

EYヨ

コンテンポラリーアーティスト。80年中期より、主にパフォーマンスアートの流れからロックグループフォーマットのBOREDOMSをオーガナイズ。SONIC YOUTHのサポートツアーからスタートし、以後海外での活動が多く、初期のJUNK MUSICやAVANT JAZZよりの表現から、さらに包括的、根源的な表現へと変化。現在10人程のドラマーやギターによる編成になっている。ボアドラムのプロジェクトを2007/7/7にNYで77台のドラムセットによりスタート、以後毎年、'08年88台、'11年111台、'13年91台、複数のドラムセットにより、各国で行う。アート関係のコラボレーションやエキシビジョン、画集刊行も各国で多数おこなってきており、ジャケット制作もBECKをはじめ多数。DJは90年中期よりスタート。当時のNU HOUSEやETHNO BEAT, DISCO EDIT, JUNKなACID HOUSE, EXIOTICなGOA TECに影響を受けおり、それらを高速ハイブリッド濃縮したMIX-CDをDJ光光光の名儀でリリースしている。それを含め現在までに6枚のMIX-CDとLIFT BOYS名儀で2枚のCD、5枚のアナログをリリースしている。

Thomash(Voodoohop)

ブラジルはサンパウロにおいて毎回数千人を集めるアンダーグラウンドDiYパーティ『VOODOOHOP』。Thomashはその首謀者であり、DJ、トラックメイカー。異常に遅いスローテクノ、国籍不明の民族音楽、トロピカルサイケデリア、レインボーカラーのシンセサウンド、ラテンのリズム、ダブ、アシッドロックにディープハウス等を比類無いセンスでミックスし、ディープサイケデリックな呪術感を持ちつつ、全てを優しく包み込む太陽のようなオーガニックダンスグルーブ。現在はサンパウロを中心に活動しているが、出身はドイツのケルン。古くはCANなどの多くのクラウトロックを産み、近年はKompaktのお膝元として、60年代から常に革新的な音楽を生み出してきた街で生まれ育った。そのジャーマンブラジリアンのルーツ、ヨーロッパの前衛エレクトロニックダンスミュージックの感性と、ブラジルの南国快楽主義的な空気感が混じり合った、まだ生まれたばかりの不思議なダンスミュージック。2014年3月にカナダのMulti CultiからリリースされたファーストEPは、その名も『Camdomble』。ブラジルの黒人系民間信仰宗教の名前であり『神をまつるダンス』という意味を持つ。地球の裏側、ダンス大国ブラジルの意識を"一歩先"に進めた、Thomashの再来日!

<CLAP! CLAP! 大阪公演>
11.6 FRI @ 大阪 心斎橋 CIRCUS
Open/ Start 23:00-
¥2,500 (Advance)
INFORMATION: 06-6241-3822 (CIRCUS)
https://circus-osaka.com/
* Clap! Clap! 以外の出演者は東京公演とは異なります。


OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 ライヴ盤だが、歓声はない。そういえば、トーフビーツはライヴ盤でもないのにそれを最初に持ってきていたが、OYAときたら、その真逆。ライヴ盤であるのに関わらず、熱狂を、あたかも隠蔽するかのようだ。このライヴ演奏の録音物は、現場で聴いている印象とはずいぶん違って聴こえる。
 冒頭の曲“ROPE meditation ver.”は、ライヴでは、わりとピッチが速く、クラウス・ディンガー的な、つまりノリの良いミニマル・ビートを基調に演奏される曲であり、フロアの温度を上げる曲だが、しかしどうだろう、この静かなはじまり、この地味なはじまり、渋いはじまり、ある意味寂しいはじまり、言ってしまえば孤独な姿……は。
 それはこのバンドが望んだ姿でもる。
 72〜73年ぐらいのクラスター/クラフトワーク/ノイから2015年のOYAは繫がっている。時間軸を突き抜けて、この素晴らしいアートワークが暗示するように、暗い宇宙の惑星へと着陸したのだ。
 “見えないルール”もライヴでは踊りやすい曲だ。本作においてもそのグルーヴは伝わるが、出戸学の歌詞からは、やはりどうしても「醒め」を感じないわけにはいかない。性格的なものもあるのだろうが、しかし、まあ熱いとは言えない。そして、「醒め」こそがOYAであることはいまさら言うまでもないだろう。醒めながらにして燃える……
 OYAのライヴは、いくら気持ちが高揚して、いくらフロアが沸騰しても連帯感などは、まあ生まれない。みんな勝手に盛り上がれと。そう、勝手に、だ。泣けるくらいに空しい“夜の船”……。

 このライヴ盤は、彼らにとってはひとつの節目なのだろうが、ある意味2015年を象徴しているのかもしれない。音楽に関して言えば、わりとおとなしかったこの1年。若いDJも相変わらず昔のハウスを探している。ジェイミー・XXのソロ・アルバムも、バック・トゥ・ベーシックなこの時代の産物だ。かつての高波もいまや穏やかに岸辺へと達して、ぼくたちも恐る恐るそこに近づく必要はない。
 
 だからなのだろうか、このライヴ盤では出戸学の歌がフィーチャーされているように感じる。クラウトロックは最終的に「言葉」よりも「音」だったが、OYAは「歌」も「音」もどちらも聴かせたいのだろう。ならばその「歌」は、彼らの新しいアドヴェンチャーにおいてどのような意味を持つのだろうか。
 それを知るのは楽しみでもあり、ちょっと恐くもあり……本当に、どこに向かうんだろうなぁ。とりあえずいまは、アルバムの最後から2曲目の“ROPE long ver.”の、そう、現代に生まれた“星空のドライヴ”と敢えて言おう、この曲のどこまでも目の前に広がる未知の景色にワクワクしていればいい。大丈夫、着陸したロケットにはキミも乗っている。だが、ロケットがこの先どこに向かうのかは、まだ誰にもわからない。

Low - ele-king

 音が震えている。ズン、ズン、ズン……と重いキックの上にザリ、ザリ……とザラつくノイズが重なっていく。オープニング・トラック“ジェントル”をほんの数秒聴くだけで、たとえば簡素に枯れ木が描かれているだけのジャケットにそれ以上付け加えるものがまったくないほど完成されているように、ロウというバンドの美学に引き込まれる。「ロウ」というのはコンセプトだ。低く、深く、もっと下のほうへ……。できるかぎり少ない音と言葉の数で、“ジェントル”は聴き手を甘美に沈みこませる――「こんな風に終わらなくてもいい/でもこれが俺たちの居場所」。

 ポストロックというタームがいま再浮上しているのと同じように、スロー・コア、サッド・コアという言葉もチラチラ耳にするようになった。昨年インディ系のロック・メディアが、サッド・コアの源流のひとつレッド・ハウス・ペインターズのマーク・コズレックのプロジェクトであるサン・キル・ムーンをこぞって評価していたこともそうだが、どうも90年代後半からミレニアム前後の音が熱いようだ。リヴァイヴァルの周期が巡ってきたこともあるだろうが、時代の要請もそこにはあるように思える。スフィアン・スティーヴンスがあの寂しげなアルバムを出したように、いまのアメリカではアッパーなものが空々しく響く時期なのだろうか。もちろん、ロウはこの20年間とくに大きなブランクもなく作品の発表を続けてきたバンドであり、彼ら自身はトレンドに左右されることはなかった。が、その間にギャラクシー500のプロデューサーであるクレイマー、スティーヴ・アルビニ、デイヴ・フリッドマンとUSインディのキーマンたちをバックに据えることで、音のボキャブラリーを増やしつつうまく自分たちをアップグレードして生き残り続けてきたイメージがある。

 前作『ジ・インヴィジブル・ウェイ』ではウィルコのジェフ・トゥイーディをプロデューサーに迎え、そして通算11作めとなる本作『ワンズ・アンド・シクシズ』ではボン・イヴェールのジャスティン・ヴァーノン周辺のプロデューサーであるBJバートンをフックアップしている。アルバムはジャスティンがウィスコンシンに所有するスタジオ〈エイプリル・ベース〉で録音され、そんなこともあって僕が今夏行ったジャスティン主宰のフェスティヴァル〈オークレア〉にも出演していた。ヴォルケーノ・クワイアでジャスティンがペレと組んだことからもわかるように彼は90年代末からゼロ年代なかば頃のUSインディを地道に支えたバンドを現在フックアップしており、ロウもその動きにうまく合流したということだ。

 ただ、サン・キル・ムーンの『ベンジ』がその私小説的な語り口で具象的に悲しみを抽出しているのとは対照的に、『ワンズ・アンド・シクシズ』は描く情景はとことん抽象的だ。いくつかのリレーションシップの齟齬が生み出す掴みどころのない憂うつや倦怠感が、慎重に選び抜かれた音の組み合わせとともに綴られていく。組み合わせ……つまりバンドがその長いキャリアのなかで通過してきた音がきわめて巧妙なやり口で曲に合わせてピックアップされている。浮遊感のあるシンセを漂わせ、アコースティックの柔らかな響きとエレクトロニクスの固い響きを使い分け、透明感のあるウィスパー・ヴォイスとコーラスの底でノイズが地を這う……。明度と彩度は抑えられているが、だからこそ時間をかけてじっくりと染み入って来る叙情がここにはある。“ノー・コンプレンデ”でミミ・パーカーの流麗な歌とあまりにヘヴィな低音が重なるとき、そこには取り返しのないかないほど深いメランコリーが立ち現れ、穏やかなメロディを持つどこかホーリーな響きを持つ“スパニッシュ・トランスレイション”ではアコースティック・サウンドとシンセが天上の響きを演出する。ビーチ・ボーイズのコーラスが降りてくる“ノー・エンド”や“ホワット・パート・オブ・ミー”のようにキャッチーで生き生きとしたポップ・ソングがアルバムのなかではフレッシュに聞こえるが、彼方にノイズがざわめく様はとてもデリケートなバランスを醸している。

 9分51秒に渡って激しさと静寂を行き来する“ランドスライド”はまさにロウの本領だが、そこに流れる時間は危険なほどに甘く、快楽的だ。ロウというバンドにおいて、スロー・コアのスローとは実際のテンポのことではなく身体を麻痺させる媚薬のことであり、サッド・コアのサッドとは喜怒哀楽の哀に収まりきらない心地よさや温かさを含んだものである。それは彼らとわたしたちの、秘めごとのような美の戯れとしてそっと差し出されている。

第1回:「借りパク」は鳴り止まないっ - ele-king

借りパク:

借りパクとは、人から借りた物をそのまま自分の物にすること。
借りパクとは「借りてぱくる」「借りた物をぱくる」の略である。「ぱくる」の意味のひとつに「盗む」がある。要するに借りパクとは人から借りた物を盗ってしまうことである。ただし、万引きや泥棒のように始めから盗ることを前提にしていることは少なく、借りたことを忘れ、結果的に私物になった(主にマンガなど安価な物の貸し借りに見られる)、当初は返すつもりであったが返せなくなった(主に金銭の貸し借りに見られる)といったものが多い。貸した側が忘れていることも多い。また、エリアによっては借りパチともいう。(引用元:インターネットサイト「日本語俗語辞書」)

 僕はよく引っ越しをする。ここ20年で数えたところ計9回。そして毎回荷造り荷解きのたびに、段ボールに詰まった本やCD、VHSやDVDなどを眺めながら、幾ばくか作業の手を止めて、その文化的な財が誘う記憶の旅へと出向いてしまうのだ。とりわけ長きに渡って残っているのはCDで(それは僕がミュージシャンであり、かつ1979年生まれという世代的理由も含めて)、思わずコンポに入れて流してみたり、忘れられた名曲を発見してはiTunesにせっせと入れたりして、ついに片付けはまるではかどらない状態になってしまうのだが。

 中でも、当時の記憶がとりわけ鮮やかに蘇ってくるのは、人から借りているCD。もっと正確に言うと、借りたまま半ば自分の物として存在してしまっている……すなわち「借りパク」したCDだ。これまで引っ越しや進学、転職などを機に、友人や先輩、かつての恋人から数多くのCDを借りパクし(その数およそ50枚。ごめんなさい)、また同時に同じくらいの品々を借りパクされてしまったり。程度の差こそあれ、このような経験は音楽ファンの多くがお持ちではないだろうか。

 そして思い出すだけでもあれやこれや。ハードロックから渋谷系、ニューウェイヴからテクノ、映画音楽や歌謡曲などなど、洋・邦楽、ジャンルもそれなりに多岐に渡り、ひとつひとつに「ああ、あの時そう言えばあいつに返しそびれたな……」と、その時代時代にお付き合いのあった大切な人の顔を思い出すのである。そんなほろ苦い思い出とともに耳元にじんわりと立ち籠めてくる素晴らしい名曲の数々。

 手始めに一枚、紹介しよう。


(注:手書きポップに書かれているイニシャル「W.A」とは僕のこと。このポップを書いた2012年当時は33歳だったか現在はもう少し歳をとっている。以後すべて同。)

 あれは確か大学一回生の時。僕は家庭教師のアルバイトをしていて、大阪南部に住む高校3年生の女子生徒Sの家まで毎週原チャリで通っていたのだ。Sは長身のスラリとした女の子でちょっと人見知り。っていうか、今思えば歳も2つしか(僕は浪人して大学入ったから)離れてなかったのだから、こっちもなんだか妙に緊張して教えていたなぁ。当時、爆発ツイストパーマをかけていた僕の髪を見ながら、毎回半笑いでお出迎えしてくれたお母さんの存在もあわせてよく覚えている。

 そんなSともちょっとずつコミュニケーションが取れてきて、英語と現代文の授業の合間に入る休憩時間に、お母さんが出してくれたカルピスとパンケーキを食べながら、最近聴いている音楽の話をしたっけ。そこで、彼女の机の上に置かれていたのがこのUAの記念すべきファーストアルバム『11』だ。どうやらこのCDを学園祭でかけながらダンスをしたとのこと。UAのファッションにも関心があったそうで、当時の雑誌のインタヴュー記事なども熱心に見せてくれた。もちろんUAの名前は知っていたがちゃんと聴いたことがなかった僕は、彼女に薦められるがままに「じゃあ、すぐに返すからね」と言って借りて帰ったのだ。

 その後、受験勉強は佳境に差し掛かりほとんど無駄話することなく試験当日へ。無事、第一志望の大学に合格してくれたのでよかったものの、そのまま契約も終わって会うことがなくなってしまって……。彼女も僕に感謝の気持ちがあったのか、わざわざ「返して」って言い出しにくかったのかもしれない(まぁ、完全に僕が悪んだけどね)。あるいは、単純に貸していたことを忘れていたのかかも(そんな都合のいいことはありえないか)。後日、シングルカットの「リズム」を聴きながら、“今、返せないのは そう永遠のリズム〜♫”、だなんてどうしょうもない替え歌を歌って、そのCDの供養に代えたのであった。

みなさんの“借りパク”音楽大募集!

 さてさて。僕は、常日頃から音楽は人々のプライヴェートな記憶をパッケージングするメディアとして大変優れているものだと感じてきた。J-POPひとつをとっても、たとえば、
「ああ、スピッツの“スパイダー”を聴くと、高校の時に付き合っていた彼女のこと思い出すわー」
とか、
「モーニング娘。の“ラブマシーン”を聴くと、日本の未来を考えて受験勉強してたあの頃を思い出すわー……」
とかとか。

 中でも、「その人の所有物を預かってしまっている」状態であり、現物がまさに目の前にある(場合によっては歌詞カードに生々しい手紙が入ってたり)「借りパク音楽」は、その時代ごとの「人との関係性」を一層明確に思い出させるものとして、より具体的にその人との記憶を強く想起させるメディアになっているのではないかと、僕は思ったわけだ。そしてなおかつ「返せなかった」ということはそれなりの理由があるわけで(例えば元恋愛関係だから気まずい/相手が引っ越ししてしまい消息不明/兄弟だからいつでも返せると思ってそのまま/他界した/喧嘩別れした友人だから、などなど)、その悔恨の感情が、一層その記憶の想起へと加担し、「いまあの人は元気にしているのだろうか……!?」と想いを馳せることとなるのだ。

 読者の皆さんから「っていうか、ごちゃごちゃ言ってないで早く返してやれよ!」とお叱りの言葉が聞こえてこなくもないのだが……。しかし、僕は閃いてしまった。どうせいまさら返せないのだ。だったらその「借りパク音楽」を有効活用しようと。すなわち、「借りパク音楽」ゆえに到達できる記憶の旅へとさまざまな人たちを誘い、もちろん反省の気持ちも綯い交ぜにしながら、新しい音楽の楽しみ方へと昇華させてやろうじゃないかと。

 そんなわけでこの連載では、僕が借りパクしてきたCDと、知人友人をたどって取材してきたさまざまな音楽ファンが借りパクしてきたCDとを一挙に紹介してゆく。音楽性や音楽史や音楽理論とはまったくもって関係のない、個々人の極私的な記憶をベースにした、少しヘンテコで楽しい音楽の楽しみ方を提供しつつ、読者の皆さんもおそらく一枚はお持ちであろう(CDラックを綿密に確認してみてほしい!)「借りパク音楽」への関心を引き出し、追憶の旅へと誘おうではないか。

■借りパク音楽大募集!

この連載では、ぜひ皆さまの「借りパク音楽」をご紹介いただき、ともにその記憶を旅し、音を偲び、前を向いて反省していきたいと思っております。
 ぜひ下記フォームよりあなたの一枚をお寄せください。限りはございますが、連載内にてご紹介し、ささやかながらコメントとともにその供養をさせていただきます。

interview with ERA - ele-king

 僕は2013年に『街のものがたり』というインタヴュー集をまとめた。僕はこの本でステレオタイプではないラッパー像を提示したかった。ラッパーといえば、不良で、社会から隔絶されて、虐げられて……。ではなくて、自分の身近にいる普通の青年が歌うラップを紹介したかったのだ。不良のラップも大好きだけど、市井の青年たちの感性から生まれた言葉は、僕にとって説得力がある。なぜなら僕自身が何者でもない、街の景色の一部のような人間だからだ。


Era - Life is Movie
HOW LOW

Hip Hop

Tower HMV Amazon

 その『街のものがたり』にも登場してもらったERAが、今年7月に約3年ぶりのアルバム『LIFE IS MOVIE』をリリースした。これまでのERAのイメージといえば、都市を「しゃらり」と疾走する、軽やかでスタイリッシュな姿だった。しかし本作の彼は泥臭い。「決まった仕事もdropして / lifeをうまく積み上げられない / 何度も見たはずなのに / そっから先が上手くやれない」と彼は歌う。このラインはERAの暮らしの中から自然と出てきた言葉だという。僕はこのラインに2015年の「街のものがたり」を感じた。

 なぜ『LIFE IS MOVIE』という作品を世に送り出したのか、それを訊きに僕は久しぶりに彼に会いに行った。

■ERA / エラ
2011年にアルバム『3Words My World』でデビュー。ラディカルなトラックとリリカルな歌詞が話題となり、さまざまなシーンで絶賛された。2012年からは自身のレーベル〈How Low〉を主宰。同年セカンド・アルバム『JEWELS』をリリースし、さまざまな客演参加等を経て、2015年、3枚めとなる『LIFE IS MOVIE』を発表した。

今までとは違うことを

今回のアルバムは自宅で制作されたんですか?

ERA:そうです。

2012年に発表された前作『JEWELS』から約3年ですね。

ERA:同じ年の12月にIDEALというユニットの作品を出したんで、本当はその後にソロでアルバムを出したかったんです。あのときは、自分のレーベル〈HOWLOW〉を立ち上げたり、tofubeatsさんに“夢の中まで”という曲でフィーチャリンしてもらったり、すごくいい流れがあって。だからそこに合わせてアルバムを完成させたかったんですけどね。

制作が滞った理由は?

ERA:トラックが思うように集まらなくて。あとやる気はあったんですけど、僕自身のマインドが本格的に制作する感じじゃなかったんだと思います。

どういうことでしょう?

ERA:自分のレーベルからアルバムを出すのがけっこう大変だったんです。やることが多くて。アルバムをレコーディングしながら、リリースの仕方を考えなきゃいけなかったりとか。最終的にWDsoundsに宣伝を手伝ってもらったんですが、それが決まったときは正直かなり気が楽になりました。アルバムの制作もようやく本腰を入れられるようになったというか。やっぱりひとりではあれもこれもできないです。そもそもジャケットからして、夏に出すアルバムぽくないですよね。

あはは。でも今作はリリース時期こそ夏ですが、“サマーアルバム”という感じではないですよね。

ERA:そうですね。

『JEWELS』はとてもダークなアルバムでしたが、今回は一転して明るい作品ですね。希望に満ちてるというか。

ERA:『JEWELS』ってそんなに暗いアルバムだったかなあ? 僕としてはそんなイメージはないんだけど、すごくいろんな人から言われるんでそうなんだろうな(笑)。

ERAさんは「リリックにはいろんな意味が込められてる」とインタヴューとかで発言をされていたので、“Planet Life”の「もし拳銃があれば」とか、そういうインパクトの強いラインを聴くとリスナーはどうしても勘ぐってしまうんですよ(笑)。

ERA:『JEWELS』はすごくストイックに制作した作品なんです。そのせいで、あの頃の自分はいろんなことに対してナーバスになっていました。“Planet Life”の「もし拳銃があれば」というフレーズは、そういう中から生まれた言葉で本当に深い意味はないんですよ。

今回の制作はあまりナーバスにならなかったんですね。

ERA:はい。あと、このアルバムではちがうことをやりたかったんですよ。『3Words My World』と『JEWELS』に関しては、自分の言葉が一辺倒だと思うところがあって。表現の幅みたいなものを見せたかったんです。「ひとつの事柄を歌っていても言葉にはいろんな意味を持たせる」っていうのも今回はあまりありません。

「LIFEの中の4小節 / 実際それで全部だから」と歌っていますしね。

ERA:はい。『LIFE IS MOVIE』は『3Words My World』『JEWELS』の延長線上にあるけど微妙にちがうことを歌ってます。この微妙にちがうというのがすごく重要なんです。たくさんある引き出しの中から、いままでとはちがう部分を見せてる感じですね。


ソウル感のあるリリック

なるほど。たしかに、いままでの作品では“I’m Talkin’”の「back againしたってことは少しは変われたってことさ」みたいなフレーズは出てきませんよね。

ERA:「自分のリアルな生活感を歌いたい」という思いがアルバムを作りはじめの頃からぼんやりとあって。“I’m Talking”とかは、まさに僕のリアルな部分が出てる曲。ソウル感っていうか。

“ソウル感”とは?

ERA:経済的困窮の中から生まれるハングリーさみたいなものです。USヒップホップのリリックにはよくあるけど、日本でこの“ソウル感”を出せる人はあまりいないと思う。今回のアルバムは、それを見せることでオリジナリティが出せたかなと、うっすら感じています。とはいえ、自分もアメリカの人たちほど困窮しているわけじゃないけど(笑)。

その意味では“I’m Talkin’”には生々しいほどのソウル感が出ています。

ERA:自分はパートタイム的な仕事をやってるんですけど、まあ続かなくて。辞めて次の仕事を探しては、その職場の上司とぶつかったり。そんなことの繰り返しで、本当にうまくいかないなあって感じでしたね。

あの歌詞はすごく2015年の日本を感じさせるものだと思います。すごく貧しいわけではないけど、未来を感じさせてくれない感じというか。そんな状況で「lifeをうまく積み上げられない」と焦ったりしませんか?

ERA:焦りよりかは、「自分はなんでうまくいかないんだろう」って思いのほうが強かったですね。

失意、みたいな。

ERA:そうですね。

先ほど「ちがうことをやりたかった」と話していましたが、今回のようなリリックを書くことにしたのはなぜですか? ちがう表現はほかにたくさんありますよね?

ERA:今回みたいなことを歌うと思うことが、自分をより良くすることなのかなって。

どういうことでしょうか?

ERA:作品を作りながら自分が自分に救われてたようなところがあって。アルバム作りっていうのは、歌詞を声に出して歌うことで少しずつ進んでいくわけですが、その過程を経るごとに自分が少し復活するような感覚があったんですよ。

もしかして“I'm talkin'”の「病んだ俺にはmedicineが必要」というのは、そうやって作品を作ることだったんですか?

ERA:そうです。


自分が聴いて気分が上がるような作品

先日テレビで映画監督の細田守さんのドキュメンタリーをやっていて、そこで彼は「映画を作るとか観るとかっていうことは、“世界に希望を持ってますよ”ってことを表明するような行為でさ、(現実は)そうでないにも関わらずね。そのときの自分は幸せじゃないかもしんないけども“人生は幸せなものかもしんない”ってことを大声で言ってるようなもんなんだよ。それは幸せじゃない人だからこそ、それを作ったり言ったりする権利があるってことだよ」と話されていたんです。

ERA:自分がこのアルバムを作っていたとき、暗い音楽は聴いてませんでしたね。入り込みすぎちゃって聴けないというか。むしろ明るい音楽を聴いて力づけられてましたね。そういう感覚が当時の自分にフィットしてたんです。そこは意識してたかもしれません。あんまり暗い感じというよりは、自分が聴いて気分が上がるような、そういう作品にしたいという気持ちがありました。

『LIFE IS MOVIE』というタイトルはどのように決まったんですか?

ERA:アルバム制作の半ばから終わりにかけてくらいなんで、けっこう遅いです。今回の作品で、いちばん最初にできた曲が“Left, Right”なんですけど、その段階ではアルバムの全貌はまだぜんぜん見えてなくて。具体的に何かのきっかけで決まったというよりは、制作の中で徐々に固まっていったような感覚かな。

タイトル・トラックの“Life Is Movie”ができあがったのも後半ですか?

ERA:はい。“Daylight”とかも最後のほうです。アルバムのタイトルが決まってからは、そこに寄せて歌詞を書いたり、曲順を決めたりしました。

1曲めのタイトルがいきなり“Endroll Creator”なのですごく驚きました。映画なのに、最初からエンドロールの話かよって(笑)。

ERA:たしかにそうですね(笑)。じつはこれ、もらったトラックに付けられてた仮タイトルをそのまま使いました。響きもカッコイイし。けっこうそういうの多いんですよね。

トラックの仮タイトルにインスパイアされてリリックを書きはじめるラッパーの人、多いみたいですね。

ERA:うん。この曲はまさにそのパターンです。

今回は客演にDown North Campの面々が参加していますね。

ERA:フィーチャリングのラッパーについては、Down North Campとかそういうところはとくに意識してなくて、自分がカッコいいと思う人たちに声をかけました。

今回はERAさんが所属するグループ・D.U.O.のOIさんが参加していませんね。

ERA:そうですね。スキットとかで参加してもらおうと思ったんですけど、うまくハマる曲がなかったんですよね。いっしょにやりたかったんですけど。


映画の最後

曲順はどのように決めましたか?

ERA:かなり考えましたね。最初はぜんぜんちがう曲順で“Life Is Movie”が最後の曲だったりもしたんです。じつはこのアルバムには、ゆるいストーリーが設定されてて。あの曲のサビで歌っている「クラッシュする交差点~」というのは、ストーリーのラスト・シーンなんです。主人公が車に轢かれて死んじゃう。

なんで主人公は死んでしまったんですか?

ERA:事故っす(笑)。

いや、そういうことじゃなくて(笑)。

ERA:映画の最後ってそういう感じじゃないですか。

突然起こった理不尽な悲劇、みたいな。でもそれのほうが逆にリアリテイがあるかも。

ERA:まあストーリーはザックリとした感じなんですけどね(笑)。

ちなみに“Life Is Movie”の最後のライン「Peaceすぎたら~」はどういう意味なんですか?

ERA:これはストーリーとは別個で自分自身のことですね。2014年の夏に“Soda Flavor”という、今回のアルバムにも入れた曲を配信でリリースしたんですが、この頃はパーティ感を出そうとしてたんですよ。でもそこにこだわりすぎると、曲が弱くなっちゃうというか、自分に嘘をつきすぎてる感じがしたんですよ。

自分のキャラに合わないことを無理してやっても仕方がない、と。

ERA:そういうことです。

ラストの“Daylight”はすごく明るい曲ですね。

ERA:ストーリーとしては“Life Is Movie”がラストなんですが、アルバムとしては“Daylight”で終わるのがすごく美しい感じがしたので、この並びにしました。たまにエンドロールの後に5分くらいおまけが付いている映画があるじゃないですか? この曲はそんな感じですね。

では、仮にERAさんが映画が撮るとしたら、どんな作品がいいですか?

ERA:高校生くらいのやつが学校に通いながらラップするような青春ものがいいですね。そういうのは昔からやってみたいと思ってます。たぶんやれないと思うけど(笑)。

なるほど。それを聞くとやはりERAさんの中には一貫した美意識があるように感じられます。『3Words My World』や『JEWELS』で表現された街の描写は映画のワン・シーンみたいでした。ラリー・クラークの“Kids”みたいな。

ERA:ああー、そんな感じかもしれない。

では最後に好きな映画は?

ERA:いろいろありますけど、普通に『2001年宇宙の旅』とかですかね。あと自分がラップはじめるモチベーションが高まったという意味では『ハッスル&フロウ』は外せないです。あの映画、主人公たちのやる気がハンパないんですよ(笑)。あのハングリーさはすごく上がりましたね。

NORIKIYO - ele-king

 アーティストにはそれぞれ個性がある。これまで日本人のラップに興味を持ったことがない人に、筆者が日本人のラップの取材をしている話をすると、「いま一番かっこいいラッパーは誰か」みたいなことをよく訊かれる。つまり、誰から聴けばいいかと。
 答えは、その度に違う。ファースト・インパクトで好みとのズレを感じてしまうと、それ以上聴かなくなってしまうかもしれない。それは小さくても(その場ではたった1人の話でも)大きい損失だと考えているので、けっこう真剣に考える。入口でおもしろいと感じてもらえれば、もっといろいろ聴いてみたいと思うのが人間というものだろう。
 ここ何年は、よくNORIKIYOの名を口にしている。ではNORIKIYOのどのアルバムを聴けばいいのかと訊かれたら、筆者は迷わず「ネクストワン」、つまり筆者もまだ聴いていない(筆者の知っている段階ではNORIKIYO本人すら聴いてない)次のアルバムだ答えるだろう。これはほとんど確信であり、またこれこそが筆者が人に「NORIKIYOを聴いてほしい」と勧めるゆえんでもある。NORIKIYOは常に次の作品こそが最高傑作だと予感させてくれる。
 とはいえ、現実には次の作品を聴くことはできない。では、いまNORIKIYOのどの作品を推薦すべきかと言えば、リリースされたばかりの『実験的断片集』ということになる。タイトルからわかる通り、本作はあくまでNORIKIYOの“断片”であり、彼名義のソロ・アルバムではない。コンセプト・アルバムといったほうが近いだろう。それでもNORIKIYOの「らしさ」が十分に詰まったこの新作を“断片”としてリリースすることに、やはりというかむしろというか、アーティストNORIKIYOの「らしさ」を感じてしまう。

 NORIKIYOの音楽の魅力を裏で支えるのは、何よりその切実さでありアーティストとしての誠実さだ。これは充実した彼の活動の裏にも(実は)切実さが潜んでいるのだという意味ではないし、もちろん誠実だから素晴らしいわけでもない。一生懸命作ったから評価されるべきなんてことを信じているアーティストがいたら、そんなに興ざめな話はないだろう。そうではなく、たとえ傑作と評価される作品を生み出しても現状に安住できない、難儀ともいえる切実さこそがNORIKIYOの音楽を高みに向かわせる原動力とでも言えばいいか。もっとも本物のアーティストとは往々にしてそういうものだろうし、難儀だから制作を楽しんでないということでは、もちろんないわけだが。
 野蛮なストリートのスラングや皮肉や毒の効いた巧みな言い回しは、言うまでもなくNORIKIYOの音楽の魅力だ。だが、NORIKIYOにとってそれはデフォルトで、それを上手くやるのも、もっと上手くなるのも「ラッパーだったら当たり前」の範疇なのである。そこから「より高みを目指したい」という志向を抑えられない姿勢こそが、むしろ彼の本質である。これは「彼は内面ではこう考えている」といったメンタリティーに限った話ではなく、他のラッパーがあまり扱ってこなかったようなトピックの多彩さなどにも立ち現れてくる。

 「ほらThinkaboutit どこに向かってるのみんなThinkaboutit/何に蓋してるの いま胸/そこに?(ハテナ) とめどねぇ/それの答え探すよ俺もね」

 “夕暮れと珈琲”でNORIKIYOはこうラップする。インタヴュー中、彼と小難しい話をしたことはないのだが、例えば我々が生きていく上で、当たり前に突きつけられる現実的な矛盾というものがある。矛盾をいちいち問うことは、「現実に準拠してない」と言われたり「青臭い」と言われたりするわけだが、それでも「政治屋がなんと宣おうが爆弾は人を殺すものでしかないだろ?」という問いはまっとうなはずだ。表現者はガザを忘れるべきでないというのは暴論だろうか? なにも大仰な話でなくてもいい。例えば、PCやスマホの画面から離れられない現実は正しいのか? 
 NORIKIYO(https://www.ele-king.net/review/joint/002418/)のリリックはミクロからマクロまで素朴な問いをあらためて突きつけてくるものだ。そしてそれらの問いは、“私たち”のものでもある。ラップは基本的に一人称の音楽だが、NORIKIYOはすでにその外に出ている。掘り下げると止めどがないので、ひと言にとどめるが、NORIKIYOの「俺」はもはや一人称に収まっていない。だからこそ彼の言葉は日本人のラップ・ファンには新鮮で、同時にジャンルを問わず幅広い音楽ファンの耳に響くのだろう。蛇足だが、それはNORIKIYOの戦略ではない。あえていえば、難儀な切実さが、やがて彼をそこに運んだのだ。

 以前、NORIKIYOをインタヴューしたとき、彼は忌野清志郎や甲本ヒロトの名を挙げ、彼らに「ロックの」や「パンクの」という枕詞は必要ない。自分もそうなりたいと話していた。今度の『実験的断片集』のジャケットは、いうまでもなく“ジョン・レノンセンス”(『イマジン』)であり、4thアルバム『花水木』には“ジョン・レノンに会いたい”や“Dear 20 Century Boy〜花水木〜”という楽曲が収録されている。清志郎はたくさんのラヴソングを歌い、ときに大麻についても歌ったが、社会からも目を背けなかった。レノンはいうに及ばず。NORIKIYOの根底にはある種のロックやフォークがあり、直接的にか間接的にか、それが彼のラップに自然な形で影響を与えているようにも思える。

         *********

 もともと『実験的断片集』は、神奈川中のラッパー/プロデューサーを一堂に会したド派手なアルバムを目論んでいたとのことだが、とある事情でそれが頓挫し、自主レーベルの〈諭吉レコーズ〉から出すことになった。予算的な限界もあり、「神奈川の2割いってないくらい」とはNORIKIYO自身の談だが、これは作品を卑下しているわけではない。むしろ、このラフなやり方で(さしたる打ち合わせをせずに、フックを入れて、各々バースを書いてとサクッとしたレコーディング)でも、ここまでできるという自信を含んだ言葉で、実際、フッド神奈川の充実をプレゼンする内容だ。
 「普段から遊んでない人と曲を作るのは苦手だが、今回はあまり遊んでいない人と作った」(NORIKIYO)
 これが「実験的」の意味。とはいえ、サイプレス上野、SALU、T.O.P、ダイナリー・デルタ・フォースの面々、WATTa.k.a.ヨッテルブッテルと参加アーティストの顔ぶれは実験的というにはいかにも楽しげな人選である。あるいは実験的だから楽しめるのか。
 本作の収録楽曲は、ほとんどが前作『如雨露』(前半の話に戻るとこれが現時点のNORIKIYO名義の最新アルバムで、半分以上がラブソングで占められている「異色」の内容だ。未聴の方は今作と合わせて是非聴いて頂きたい)製作時にはあった曲だという。ちなみに、今回新たにレックしたという「あの女–良はタチンボ〜待ちぼうけPart.2〜」は、山仁の2006年のアルバム『愛(LOVE)』収録「女–良」へのオマージュ的な楽曲だとか。ここで山仁というラッパーについての説明は省くが、こういった形でも神奈川のアーティストへのレップが生きている。これもまたNORIKIYOのらしさである。
 いまもっとも精力的に活動しているラッパー、NORIKIYOによる『実験的断片集』。このアルバムタイトルの意味を考えながら、おそらく傑作になるであろうネクストワンを待ちたい。

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