「Nothing」と一致するもの

interview with Albino Sound - ele-king


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 それはどこで鳴っている?
 それは25年前なら、ウェアハウスや小さなクラブだった。それは30年前ならベッドルームだった。それは35年前ならライヴハウスだったかもしれない。ま、インターネットの共同体でないことはたしかだろう。
 で、それはどこで鳴っているんですか?
 アルビノ・サウンドはしばし考える。
 「……現実と明らかに乖離しているもの」と彼は重たい口を開く。
 なんですか、それは? ファンタジー?
 「ファンタジーとも違いますね。やっぱり現実が剥離しているというか。剥がされて浮いている1枚、みたいな」
 それをファンタジーというのでは?
 「それがファンタジーになる場合もあるし、もっとものすごい虚構というか彼岸みたいなというか……説明が難しいんですけど、僕は剥離感と呼んでいます」

ぼくがいろんな音楽を聴き出した10代の頃は、東京のシーンって完成されていたんですよね。で、そういうところに変な違和感があったんです。外から耳に入ってくるものと、生きている近くで起きていることの状況があまりにも違い過ぎていて、その間の隙間だったり不在感が自分の音楽のルーツになるんだと思います。

 東京で生まれ、横浜で育った彼は、10代のときにポストロック、レディオヘッド、そしてクラークやボーズ・オブ・カナダの世界にどっぷりはまっていた。深夜のTVから流れるエレクトロニカに耽り、そして学校で音楽の話題を共有できる友人もなく、ただ黙々と聴いていた……という。
 そして、17才の時の2004年の『スタジオ・ヴォイス』の特集に人生を狂わされる(松村正人が知ったら喜ぶだろう)。彼は、カンを知り、アーサー・ラッセルを知った。この頃は、ちょうど紙ジャケ再発が盛んな時期だったこともあって、ひと昔前なら聴くことさえ難しかったそれらの音源との距離は縮まっていた。

「とにかくアーサー・ラッセルにハマって、『ワールド・オブ・エコー』(1986年)がとくに好きになりました。ポストパンクにいったりとか、それこそニューエイジ・ステッパーズやディス・ヒートに夢中になって、最終的にクラウトロックにたどり着きました。ぼくはもともとは、クラブ・ミュージックではないんです。ひとりでギターを使ってドローンとかアンビエントとかをやっていたんですね」

「思春期の頃は、ポスト・カルチャーが蔓延していたというか、なんでも“ポスト”がつく世のなかだった。結局はエレクトロニカという言葉もそうですし……」
 いわゆる細分化ですね。
「そうです」 
 苛立ちを覚えましたか?
「世代的に虚無感が支配していたので、ロスト感で生きていたところはあります(笑)」

  話は逸れるけれど、アーサー・ラッセルの再評価は、この細分化の初期段階のときはじまっている。ぼくは、90年代末のUKで起きた再評価によって彼のことを知るが、彼の再発がレコ屋に出はじまめのが2003年以降である。
 ラッセルとは、ジャンル音楽家であることを拒んだ何でも屋で、つまり、シーンが分断されていても越境的な個によって回路は生まれ得ることを証明した人物とも言える。松村正人がディスコで踊ることはない。しかし、ラッセルは踊ってしまった。

 もっとも、ぼくが若い頃はシンプルに出来ていた。ロックのスター崇拝の文化やホワイティー一辺倒な世界観への違和感がそのままクラブ・カルチャーへの情熱に転換されたと言っても良い。好きなのは音楽、主役はリスナー。高い金払ってスターを崇めるくらいなら自分たちでやれ。その実践の場がクラブだったので、たとえどんなに実験をやっても、重箱の隅ばかりを見せびらかすマニアによる支配はなかったし、ふだん出会うことのない人たちが出会うことができた。重要なことは、踊れるか、ないしは何かを感じさせてくれるか、ないしは、いままで感じたことのない感情に直面させてくれるのか、そのいずれかだろう。
 細分化後の世界のつまらなさとは、周辺だけで完結してしまうところであり、周辺小宇宙群を突破するダイナミズムが、いまのマージナルな文化にもあって欲しいとぼくは思うのだが、レッドブルを何杯飲んでも無理だろう。が、アルビノ・サウンドは、そのヒントは「カンとクラスターにある」と主張する。そうか、クラウトロックか……。

 彼が打ち込みの音楽をやる契機となったのは、マウント・キンビーだという。マウント・キンビーは、ダブステップ以降のクラブ・サウンドにIDMを折衷したことで、一世を風靡した連中である。ぼくも彼らが出てきたときは興奮した。

「とくにライヴにやられました。ライヴでは彼らは歌うけど、その歌が下手じゃないですか(笑)? 完璧じゃないけど、彼らが向き合うなかで出てくるエモさに、がっちりと掴まれてしまいました。ぼくは彼らのエモなところに感動したんです。ああいうインディ・ロック的なユース感はマウント・キンビーにありますよね。“メイビーズ”とか。曲によりけりですけどね。あとはあの疾走感ですかね。とにかく、マウント・キンビーと出会うまで、家でひたすらパン・ソニックを聴いているような生活だったので(笑)」

「彼らはクラブ・ミュージックがやりたかったわけではなかっただろうし。おそらくですけど、ソフトの値段が下がって、ライヴをどうやるかを考えた結果、ああなったんだと思います。結果、ドラマーを後から入れていましたし。自分が音楽からすっぽり抜けていたときにあれが来たから、すごく新鮮な音楽に感じたのかもせれません」

 「ぼくがいろんな音楽を聴き出した10代の頃は、東京のシーンって完成されていたんですよね。で、そういうところに変な違和感があったんです。外から耳に入ってくるものと、生きている近くで起きていることの状況があまりにも違い過ぎていて、その間の隙間だったり不在感が自分の音楽のルーツになるんだと思います。都市的な孤独だったりとか、言いようのない感情だったり。そこにも隙間がありました。それは音楽にも反映されていると思います」

  彼の音楽が鳴っているところは、ここだ。
 いわゆる既存のクラブにも100%感情移入できないし、汗だくのライヴハウスにも、そしてインターネット共同体にも、どこにも行く場所がない人たちの場所を確保すること。ここからは、NHKコーヘイからカリブー、ローレル・ヘイローからリー・バノンにいたるまでの、あるいはゴートからドリーム・プッシャーにいたるまでの一種の共通の感覚を引き出せる。
 かつて商業主義にがんじがらめになったテクノは、エレクトロニカというジャンル名のもとで別の潮流となった──まあ、悲しい細分化の走りでもある──ことと、どこか似ているが、しかしこの新しいエレクトロニック・ミュージックの潮流は、どこにでもアクセスできるし、拒んでいないという点では、ニュアンスが違っている。
 アルビノ・サウンドのデビュー・アルバム『クラウド・スポーツ』は、自分たちの居場所を探している人たちの、今日的な折衷主義の成果とも言える。ここには、いままで書いてきたような彼の影響、エレクトロニカ、ポストロック、そしてシカゴのジュークの影響まである。

 なにしろ彼は、そう、あのリキッドルームのタイムアウト・カフェでふだんはフライパンを握っているのである。

「ぼくはあの場所で、基本的に鍋を振りながらいろいろな音楽を聴いている」と彼は言う。「見ているだけなので、ものすごく客観的にそこを見ていられたのは大きいです」
 隣には太郎さんがいて、とくにエイプリルさんがDJしているし(笑)?
「ミニマルやってるひともジュークやってる人もいるし、ヒップホップをやっている人もいる。〈ブラックスモーカー〉は毎年ブラック・ギャラリーをやってらっしゃるし、ロスアプソンのTシャツ市もある。素晴らしい環境です(笑)」
 この素晴らしい環境が、アルビノ・サウンドの作品にどれほど関わっているのかはわからないが、少なくとも、彼はフライパンを持ちながら日々アンダーグラウンドな音楽を意識せずとも吸収しているのである。

子供の頃はテレビで流れるJポップぐらいしか聴いていなかったんですよ。で、初めて〈ワープ〉系のような音楽を聴いたときに、『嘘をつかれていたんだ』と思ったんです。自分がいままで聴いていたものは嘘だったと

 驚くべきことに、彼がエレクトロニック・ミュージックを作りはじめたのは、去年の3月からだ。つまり、2014年から2015年に作られているこのアルバムは、長年家に籠もって作り続けきた人の作品ではない。それが、人に聴かせたらあれよあれという間に好意的に受け止められて、いまこうして作品が出ることになったというわけだ。「数年前まではパソコンすらまともに使えなかった」と彼は笑いながら話す。

「人間的に群れるのも好きなほうじゃなんです。たとえば、本を読むと文字から音を想像できるじゃないですか? ぼくが好きなのはそれです。すごい国語的な感覚で音楽を作っている自覚はあります。だから自分らしさを出すものとして、言語的な作り方があるんだと思います」

 彼は自分の音楽をこのように分析する。

「あと、曲作りはじめたときに、映像ディレクターをやっている仲が良い友だちがいて、いっしょに仕事をするようになったんです。その頃のぼくは全然パソコンが使えないのに、そういう依頼がいきなり来た。で、いざいやってみたら、映像と音楽のグリッドって全然違うんですよね。たとえば『顔が横を向くから音楽はこう変わってほしい』とかは、小節単位で起きることじゃないので、それが面白かった。音楽的な判断じゃなくて、映像的な判断が自分に加わると、どんな変化をしても整合性を保てるし、これはこれで面白いというのが、今回のアルバムには反映されています」

「彼(=石田悠介)が去年自主制作で映画(=Holy Disaster)を作ったんですけど、そのサントラを自分とボー・ニンゲンのギターのコーヘイ君といっしょにやったんですけど」

 ちなみに、高校の先輩にはボー・ニンゲンのヴォーカリスト、そしてネオ・トーキョー・ベースのメンバーもいたという。

「ボー・ニンゲンのギターのコーヘイ君といっしょに『なんかやろうぜ』と世間話をしていたら、たまたま僕が(スティーヴ・)アルビニ・サウンドを言い間違えてアルビノ・サウンドと言ったら、それはなかなか面白い名前だと。それで去年レッドブルに応募するときのための名義を考えていたら、これでいいだろうと。どういう音楽か想像つきづらいのも面白いなと思いました」

 「子供の頃はテレビで流れるJポップぐらいしか聴いていなかったんですよ。で、初めて〈ワープ〉系のような音楽を聴いたときに、『嘘をつかれていたんだ』と思ったんです。自分がいままで聴いていたものは嘘だったと」

  こういう感動は、ぼくもよくわかる。中学生のとき、初めてクラフトワークを聴いたとき、この世界にはこんな音楽があるのかと心の底から驚き、興奮した。これだけ音数が少なく、すべてが反復なのに、これほどまでに聴いていて気持ちがいい。そして、その回路が開けた自分自身にも嬉しかった。いったいこれは何なのか? そう思うたびにワクワクした。意味もなく。

「だから自分が音楽を聴いて、想像力だったりとか、感情の喚起と言ったら変かもしれないですが、いまの音楽も昔の音楽も自分にとってはそういうものだったので、それをリスナーに感じて欲しい。音楽を聴くことで、音楽以上の何かを感じてもらえれば嬉しいんです」

 そんなわけで、確実にいま、新しいエレクトロニック・ミュージックが混ざりながら、ぼんやりとだが新しいシーンが形成されつつある。アルビノ・サウンドもその一員だ。

第34回:This Is England 2015 - ele-king

 『The Stone Roses:Made of Stone』日本公開用パンフのためにシェーン・メドウズにインタヴューしたとき、「わたしは『This Is England』シリーズの大ファンです。『This Is England 90』はどうなってるんですか」などという素人くさい質問をぶつけてしまったことが含羞のトラウマとなり、『This Is England 90』には複雑な想いがあった。が、あれから早くも2年の月日が流れ、わたしは自宅の居間でイカの燻製を食いながら当該作を見ていた。
(このシリーズの歴史を説明するとそれだけで連載原稿が終わってしまうので、ここではすっ飛ばす。知りたい人は拙著『アナキズム・イン・ザ・UK』のP136からP145とか、あるいはネット検索すれば日本語でもそれなりの量の情報は手に入るし、こういう映像もある)


             *******


 『This Is England 90』は、チャンネル4で4回終了(最終回だけ長編の1時間半)のドラマとして放送された。ストーリー展開は『This Is England 86』に似ている。サブカル色濃厚、時代ジョーク満載の1回目で視聴者を大笑いさせつつノスタルジックな気持ちにさせ、2回目までそれを引っ張り、3回目でいきなりダークな方向へ走りはじめて、4回目はずっしりへヴィ。という、メドウズ進行の王道だ。

 わたしが前述の質問をしたとき、メドウズは「90年は俺のストーン・ローゼスへの愛が最高潮に達していた年だったから、そうしたことが何らかの形で『This Is England 90』にも出て来る」
 と答えたが、たしかにローゼスは主人公たちの物語の壁紙として梶井基次郎の檸檬のように黄色いアシッドな光を放っている。(ウディが『Fool’s Gold』のイントロを歌うシーンは今シリーズのハイライトだ)


 『This Is England 88』の最後で復縁したウディとロルの間には2人目の子供が生まれているし(1人目はウディの子供ではなく、ミルキーの子供だった)、ロルや妹のケリー、友人のトレヴは給食のおばちゃんとして働いていて、専業主夫になったウディやミルキー、カレッジをやめたショーンらのために子供たちの給食を職場からくすねているという、相変わらず底辺っぷりの著しい元ギャングたちの姿で本シリーズははじまる。

 1990年はマーガレット・サッチャーが首相官邸を去った年だ。
 それはわたしがけしからんフーテンの東洋人の姉ちゃんとしてロンドンで遊んでいた年でもあり、周囲にいた(やはりけしからん)若者たちが、サッチャーが官邸を去る日の模様をテレビ中継で眺めながら、「私はこの官邸に入った時よりもこの国を明らかに良い状態にして去ることができることに大きな喜びを感じています」というスピーチを聞いて、「私はこの国を無職のアル中とジャンキーの国にして去ることができることに大きな喜びを感じています。おほほほほほほ」とおちょくっていたことをよく覚えているので、メドウズがあの時のサッチャーの映像を『This Is England 90』の冒頭に持ってきた理由はよくわかる。

 「サッチャーを倒せ」「サッチャーはやめろ」と日本の現在の首相ばりに嫌われていたサッチャーは90年に退任した。ほなら労働者階級の若者たちも幸福になればいいじゃないか。が、彼らは全然ハッピーにならない。むしろ、不幸はより深く、ダークに進行して行く。
 ロルの妹のケリーは、ドラッグに嵌って野外パーティで輪姦される。さらに父親を殺したのは本当は姉のロルだったと知って家出し、ヘロインに手を出してジャンキー男たちのドラッグ窟に寝泊まりするようになる。
 一方、ロルの父親殺害の罪を被って刑務所に入っていたコンボの出所が間近に迫り、ロルとウディが彼の身柄を引き取るつもりだと知って、ミルキーは激怒する。黒人の彼には右翼思想に走っていた白人のコンボに暴行されて死にかけた過去があるからだ。「レイシストと俺の黒人の娘を一緒に暮らさせるわけにはいかない」と憤然と言うミルキーに、「お前だって俺の最愛の女を妊娠させたじゃないか。出産に立ち会ってたらお前の(黒人の)赤ん坊が出て来たんだぞ。それでも俺はお前を許したじゃないか。コンボを許せ」とウディは言うが、ミルキーの気持ちは変わらない。
 コンボは刑務所でキリスト教の信仰に目覚め、改心して子羊のような人間に生まれ変わっている。しかしミルキーは出所してきた彼に大変なことをしてしまう。
 というストーリーの本作は、1作目の映画版に話が回帰する形で終了する。
 一方でロルとウディがついに結婚するというおめでたい大団円もあり、ミルキーがコンボに復讐するというのも大団円っちゃあ大団円だが、こちらは真っ暗で後味が悪い。
 結婚式の披露宴にはケリーも戻って来て、みんなが幸福そうに酔って踊っている姿と、ひとり別室でむせび泣いているミルキーの姿とのコントラストで最終回は終わる。ふたつの全く異質な大団円を描いて終わったようなものだ。なんとなくそれはふたつの異なる中心点を起点にして描いた楕円形のようでもあり、おお。またこれは花田清輝的な。と思った。
それはサッチャーがいなくなっても幸福な国にはならなかった英国を体現するようで辛辣だが、同時にそれでもそこで生きてゆく人びとを見つめる温かいまなざしでもある。


               *******


 以前、うちの息子の親友の家に行ったときのことである。
 うちの息子の親友はアフリカ系黒人少年であり、その父親は「黒人の恵比須さんみたいな顔で笑うユースワーカー」としてわたしのブログに以前から登場しており、拙著『ザ・レフト』のコートニー・パイン編のインスピレーションにもなった。
 彼には4人の息子がおり、長男はもうティーンエイジャーなのだが、うちの息子を彼らの家に迎えに行った折、長男の友人たちが遊びに来ていた。で、十代の黒人少年たちはソファに座ってゲームに興じていたわけだが、恵比須さんの長男がこんなことを言っていた。
 「いやあいつはバカっしょ。しかも赤毛。しかもレイシスト。粋がって『ニガー』とか言いやがるから、俺は言ってやったね。『ふん。女も知らねえくせに。ファッキン不細工なファッキン童貞野郎』って」
 「おー、言ったれ、言ったれ」みたいな感じで2人の友人は笑っている。
 と、エプロン姿でパンを焼いていた恵比須顔の父ちゃんが、いきおい長男の方に近づいて行って、ばしこーんと後ろ頭を叩いた。
 「痛えー、何すんだよー」
 と抗議する長男にエプロン姿の恵比須は言った。
 「どうしてそんなファッキンばかたれなことを言ったんだ」
 「だってあいつファッキン・レイシストなんだよ」
 「そういうことを言ってはいけない」
 「ふん、あんなアホにはヒューマンライツは適用されない。あいつは最低の糞野郎だ」
 「俺はPCの問題を言ってるんじゃない。レイシストに同情しろなんて言ってないし、糞野郎は糞野郎だ」
 血気盛んな十代の黒人少年たちの前に仁王立ちしたブラック恵比須は言った。
 「だが、俺たちの主張を正当にするために、俺たちはそんなことを言ってはいけないのだ」
 
 きっと彼は黒人のユースワーカーとして何人もの黒人のティーンにそう言って来たんだろう。ロンドン暴動の発端となったトテナムで長く働いたという彼の言葉にはベテランの重みがあった。少年たちはおとなしく食卓について父ちゃんが焼いたコーンブレッドを食べ始めた。
 わたしと息子もタッパーにコーンブレッドを詰めてもらって持って帰った。ブラック恵比須は竿と鯛を持たせたくなるぐらいにこにこしてエプロン姿で手を振っていた。

                *******

 元右翼のコンボが黒人のミルキーの指図で殺されたことを暗示するような『This Is England 90』のラストシーンを見ながら、ブラック恵比須とミルキーは同じぐらいの年齢だと思った。
 1990年はもう四半世紀も前になったのだ。児童への性的虐待や近親相姦や殺人やレイプやドラッグ依存症は、まあ人間が生きてりゃそういうこともあるさー、お前らがんばれよ。と登場人物たちに乗り越えさせているメドウズが、レイシズムだけはそう簡単に乗り越えられない業の深いものとして最後に浮き立たせている。
 この認識を持って、この諦念に立脚して、それでもこの国の人たちはレイシズムに向き合ってきた。というか、向き合うことを余儀なくされてきたのだ。これは四半世紀経ったいま、移民・難民の問題として再び浮上している。
 ここに来て本作を見る者は、これは2015年のイングランドの話だと気づくのである。
 


 おまけ。もう一つの『This Is England 90』
(マーガレット・サッチャーVS ジェレミー・コービン。これも25年前だが、2015年の話でもある)

霜月、楕円の音体験を - ele-king

 福岡で地道にして実験的なリリース活動を続けるカセット(だけでもないけれども)・レーベル、〈Duenn(ダエン)〉。そのカタログにはMerzbowからNyantoraまで、chihei hatakeyamaやHakobuneといったエレクトロニカの前線や、食品まつりにMadeggやあらべぇ、shotahiramaなど、2010年代のエレクトロニック・ミュージックの俊英も細やかに名を連ねる。

 さてその〈Duenn〉によるレーベル・ショーケースとも言うべきイヴェントが、11月、東京にて開催されるようだ。新譜が本当に心待ちにされるPhewにIkue Moriという見逃せない掛け算を筆頭に、なんとも豪華な面々が「×」で登場する。

 このイヴェント〈extokyo〉では前売予約者に貴重な音源特典もある。〈Duenn〉へのフレンドシップの下、テイラー・デュプリー(〈12K〉)が撮り下ろした写真に1分の音を付けるというルールで、Markusu popp a.k.a Oval、Taylor Deupree、Merzbow、Nyantora、勝井祐二(ROVO)など計31組のアーティストが楽曲を提供、「V.A one plus pne」と題されたコンピレーション・アルバムである。先着順で一定数に達したら終了とのこと、ご予約を急がれたい。

 そして、前日にはこれまたスペシャルな6組による前夜祭ライヴが〈vacant〉で開催。先日Open Reel Ensembleを“卒業”したてのMother Terecoの名も見える。日にまたがりアーティストを交差し、楕円の音楽体験を。

■2015.11.24(Tue.)


Duenn presents
ex tokyo at WWW

福岡のカセットテープレーベル「Duenn」が「ちょっと実験的な音楽会」というコンセプトで不定期開催しているレーベル自主イヴェント。

これまでに浅野忠信、中原昌也、イクエモリ、Ovalら国内外のアーティストを招聘し2015年5月にはくるり岸田繁のドローンライブセットの企画が話題になった。

今回レーベルショーケースとして初の東京公演を11月24日に渋谷WWWで開催する。

イベントテーマは「trial and error 」。

OPEN / START:
18:30 / 19:00

ADV./DOOR:
¥4,500 / ¥5,500 (税込 / ドリンク代別 / オールスタンディング)

LINE UP:

【area01】
Ikue Mori+Phew
Taylor Deupree+FourColor+MARCUS FISCHER
mito+agraph
NYANTORA+Duenn
Hair Stylistics+空間現代
Photodisco+中山晃子

【area02】
akiko kiyama
shotahirama
chihei hatakeyama
YPY
SHE TALKS SILENCE

TICKET:
プレイガイド発売:8/2(日) チケットぴあ[272-776] / ローソンチケット[70762] / e+

詳細 https://www-shibuya.jp/schedule/1511/006322.html

■2015.11.23(Mon)

Duenn presents
echo(エコー) at vacant

福岡のカセットレーベルduennが「少し実験的な音楽会」というコンセプトで、毎回国内外の先鋭的なアーティストを招聘し開催しているレーベル自主イベントexperimental program ex。今回はレーベルショーケースとして初の東京公演が決定し、前夜祭をVACANTにて開催。

OPEN / START:
14:00 / 14:00

ADV. / DOOR:
¥2,500 / ¥3,000(+ 1drink)

LINE UP:
Ikue Mori
フルカワミキ
Akiko Kiyama
ハチスノイト
Mother Tereco
Duenn

TICKET:
https://duenn.thebase.in/

■レーベル公式サイト
https://duenn.thebase.in/


 みなさん、いかがお過ごしでしょうか? 
 連載が開始した9月内に早くも数件、借りパク音楽エピソードをいただきました。読者の皆さん、ありがとうございます!! ご紹介の前に、まずはアサダワタルの借りパク音楽全集より、渾身の作をお届けして参りたいと思います。

 さて! 本日ご紹介するのはこちら。


(注:手書きポップに書かれているイニシャル「W.A」とは僕のこと。このポップを書いた2012年当時は33歳だったが現在はもう少し歳をとっている。以後すべて同。)

 僕は、南大阪の某ニュータウンで育ち、なかなかのヤンキー養成中学に通っていたのですが。中一のときに引っ越ししてきて中二でいっしょのクラスになった守屋くん(たぶん、この字。ひょっとして守谷かな?)は、一見大人しく、人見知りの激しい朴訥とした少年だったんだけど、実はものすごく音楽好きで熱い男でして。洋邦問わず、最新のポップ・チューンに詳しかった彼のミュージック・リソースは、関西屈指のFM局「FM802」。いわゆる月一の「ヘビーローテーション」で流れる曲はもちろんのこと、当時夜22時から放送されていた『ミュージックガンボ』という番組をこよなく愛していた彼。曜日ごとにさまざまなミュージシャンがパーソナリティを担当するこの番組を欠かさず聴きながら、「金曜のちわきまゆみってじつは芸歴長いよね」とか「日曜のKANと槙原は本当はあんまり仲がよくないんじゃないか」とかそんな痴話話も交えて、いろいろと音楽を聴き合っていたのだった。

 そして、そんな彼がもっとも愛していたのが、当時水曜日のパーソナリティを担当していた谷村有美嬢。昼休みに放送部のクラスメイトに頼み込んで、名曲『一番大好きだった』を流してもらうようネゴしたり、近所のCD屋で不要になった有美嬢のポスターをもらってくるなど、精力的なファン活動を遺憾なく発揮してきた彼から、「アサダも絶対好きになるから、有美聴いてや。な!?」と言われて、アルバム『Docile』を借りることに。そして、僕もまんまとはまってしまい、毎朝目覚めはアルバム1曲め「ありふれた朝」からスタートし、昼休みはダビングしたカセットをウォークマンに入れて3曲め「たいくつな午後」を聴くというお決まりコースを確立。(いま思えば、なんとも「終わりなき日常」感漂う気だるいタイトルの曲たち……)。すっかり有美の内面(わかりもしないのに)にまで惚れ込んでしまったのだった。

 そうこうしているうちに、徐々に守屋くんはヤンキーの友だちに囲まれはじめ、ある日気づけばすっかり「ちょいヤン」(ちょっとだけヤンキーにかぶれた、質(たち)の悪い状態のこと)へ。そして、僕に向かって「おい! お前さ、いつまで有美のCD持ってんねん! ええ加減返せや!」って言われたので、なんだかカチンと来て、「お前も、俺のE-ZEE BAND持ったままやんけ!」ってやりあって、そのまま返せず終いに……。

 それから十年近くたった2002年、有美嬢が当時Appleの社長だった原田泳幸と結婚するという話を聞いて仰天。「じつは有美ちゃん、年齢サバ読んでた?」って話にもなってW仰天。そして思い出したわこのCD。守屋、ごめんな。キミはちゃんとE-ZEE BANDのCD、返してくれたのにね。


Illust:うまの

パクラーのみなさまからのお便り

お名前:バッドアップル
性別:女性
年齢:34

借りパクした作品:
Guns N' Roses / Use Your Illusion I(1991)

借りパクした背景、その作品にまつわる思い出など:

アサダワタルさん、はじめまして。
15年ほど前になります。大学1年生の頃、学校にはまだ親しい友人もおらず、語学の授業で顔を合わせる人たちとのあいだにかろうじて薄い縁がありました。その中のひとりが貸してくれたのがGuns N' Rosesの『Use Your Illusion I』です。私は洋楽を聴きはじめで、「音楽を知ってる」という感じのその子と仲良くしようと思いました。ただ、当時はレディオヘッドがいちばん知的なバンドだと思っていたので、ガンズを聴くというその子に対して意味不明ながら優越感を抱いていました。彼氏の趣味かなぁみたいな……(相手も女性です)。その後すぐに試験期間と夏休みに入ってしまい、お互いにサークルの仲間もできたりして、自然とつきあいが消滅しました。それでなんとなく返すタイミングを見失ってしまったのですが、いまから思えば、それは「べつにガンズは返さなくてもいっか」みたいなありえない傲慢や若さのせいだったようにも思います。

借りパク相手への一言メッセージ:
本当に傲慢でした。いまではガンズを聴けるようになり、“November Rain”のPVで泣けるようになりました。いまなら語れます! ご結婚とかされてますか。いまでも音楽聴いてますか!

※文字表記等は一部編集部にて変更させていただいております


Guns N' Roses ?/ Use Your Illusion I (1991)


アサダからのエール

バッドアップルさん、お手紙ありがとうございます!! いやぁ、僕と完全同世代の方ですね。

僕も『Use Your Illusion』のワンとツーともどもよく聴いてましたよ。僕の場合は姉貴がハードロック好きで、いつも隣の部屋からガンズやらデフレパードやらヨーロッパやらがガンガン聴こえてきて勝手に拝借してた(借りパクはしませんでした)……という思い出がありますね。そして、何よりも『Use Your Illusion』については、『T2(ターミネーター2)』でサラ・コナーの息子役ジョンが、不良少年とつるんでバイクぶっ放しているところで、爆音で“ユー・クッド・ビー・マイン”が流れるシーン、あれめっちゃ覚えてますよ。僕らの世代はガンズが洋楽を聴くきっかけって人、けっこう多いんじゃないかな。

で! 何よりも……、おっしゃっているその「優越感」。それって中2くらいで芽生えて大学1回生くらいでピークを迎える「私だけがほんとにいい音楽知ってるんだよ」っていうあの捻くれた自意識ですよね。それってこじらせると大人になってもけっこうその空気感が出ちゃうんですよねー苦笑。その昔『PATi PATi』(雑誌)で渋谷系の某アーティストがBY-SEXUALのメンバーが髪の毛立てるのに数時間かけるって話を思いっきり小馬鹿にしながらニヤニヤ話しているのを読んだ記憶がありますが……。それとともに、女性の場合(もちろん男性の場合もあるんですが)「明らかに彼氏の影響だろ!」ってことがけっこうあるんでしょうかね。付き合う相手によって急にゴスロリになったり、急にリネン系になったりする方がいるように、音楽的な影響を明らかに恋人から受け取っているなぁと思われる現象を見れば、なんだか余計に優越感を抱いて、こっちもさらにイヤな奴になってしまうというバッド・サイクルに……。

もちろんタイミング問題もあったとはいえ、その感覚が「べつにガンズ“は”返さなくてもいっか」に繋がったというのはまさにそういった謎の傲慢さが煮えたぎった若気の至り! でも、大丈夫です。まだブックオフに売らなかっただけましだと自分を鼓舞しながら、相手に償いの思いを馳せましょう。
“November Rain”。たしかにもうすぐ11月ですね。


■借りパク音楽大募集!

この連載では、ぜひ皆さまの「借りパク音楽」をご紹介いただき、ともにその記憶を旅し、音を偲び、前を向いて反省していきたいと思っております。
 ぜひ下記フォームよりあなたの一枚をお寄せください。限りはございますが、連載内にてご紹介し、ささやかながらコメントとともにその供養をさせていただきます。

interview with !!! - ele-king


!!!
As If [ボーナストラック1曲収録 / 国内盤]

Warp/ビート

Indie RockTechnoFunkPost-Punk

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 「きみの自由」──!!!は“フリーダム! ‘15”と題したトラックで、それがいまも生きているのか、聴き手たるあなたに問いかける。俺のではない、きみの自由の話だよ……!!!がそう言うとき、’15の混乱した日本に生きるわたしたちはそれをリアルな重みのある言葉として受け止めずにはいられない。だが、それは座って考え込ませるためではなく、踊るための音楽として表現される。

 ニューヨークのDIYなクラブの危機に瀕してダンスの自由を訴えた“ミー・アンド・ジュリアーニ〜”が2003年。その素朴で率直な反抗心は、日本でのその後の風営法問題に際して有効な参照点ともなった。ただ、そのときの!!!の音はもっとカオティックでギトギトしていた……2007年の『ミス・テイクス』は、その時代のバンドのピークとしてとぐろを巻いたファンク・パーティの様相を示した一作だった。
 かの街の政治が変わったように、!!!も変わった。プロダクションにおいてクラブ・ミュージックをより吸収し、高音、中音、低音と音域を整頓することによってずいぶん洗練されたサウンドを聞かせるようになったのだ。新作『アズ・イフ』ではその成果が存分に発揮されていて、ビートやサウンドの構成などはクラブ・ミュージックの手法を取るものを多くしつつも、もっともポップスとしての機能性を高めたアルバムだと言える。メロディアスでキャッチー。“エヴリー・リトル・ビット・カウンツ”のような清涼感のあるギター・ポップもあれば、“ルーシー・マングージー”のようなウォームなファンク・ポップもある。10年前くらいのバンドの脂ぎった佇まいを思えば、ほとんど別のバンドのようなきらびやかさを湛えるようになっている。彼らの歩みは、アンダーグラウンドのハードコア・パンク・バンドがクラブ・ミュージックとディスコ、R&Bを取り入れることで華やかさやセクシーさを手にしていくものだった。

 だがいっぽうで、!!!は何も変わっていない……そう思わされるアルバムでもある。かつて“パードン・マイ・フリーダム”と言ったように、ここでも自由――リバティではなく、フリーダムだ――への問いを繰り返す。それは政治についてであり、愛についてであり、音楽についてであり、魂の開放についてでもある。そのためにパンクの反抗とディスコの享楽をつなぎ、ダンスの快楽を求めてやまない。 !!!の徴がたしかに刻まれたラスト・トラック、ハイ・テンポでダーティなディスコ・パンクのタイトルは“アイ・フィール・ソー・フリー”である。きみがダンスに忘我するとき、きみはたしかに自由なのだと……!!!はいまも、全力で証明しようとする。


インタヴューに答えてくれたヴォーカルのニック。最高の男。

アルバムを作っている大部分の時間を、テクノやダンス・ミュージックを聴いていたからだと思う。それがおもな影響となったんだ。そういうのを聴いていて、もしかしたらなかには俺たちが10年前くらいに作った音楽に影響されたものもあるかもしれないと思ったしね。

新作『アズ・イフ』聴きました。 !!!史上、もっともきらびやかでセクシーなアルバムになったかと思うのですが、バンドの手ごたえはどうですか?

ニック・オファー:アルバムを完成させた後は、完成したことが信じられない気分だ。新しいアルバムを作る前は、この先がどうなるかわからない、2年後にどんなサウンドになるのか全くわからない状態。まるで、山のふもとに立って山を見上げているけれど、その頂上は雲に隠れて見えないように。だから、頂上にやっと立てたとき――アルバムが完成したときは最高の気分だよ。

とくにアルバム前半や、後半でも“ファンク(アイ・ゴット・ディス)”に顕著ですが、本作はテクノの方法論で組み立てられたトラックが目立ちます。その直接的な要因は何でしょう?

ニック:アルバムを作っている大部分の時間を、テクノやダンス・ミュージックを聴いていたからだと思う。それがおもな影響となったんだ。そういうのを聴いていて、もしかしたらなかには俺たちが10年前くらいに作った音楽に影響されたものもあるかもしれないと思ったしね。音楽の系列を辿っていくと俺たちが現時点でそういうものに影響を受けるのは自然なことだと思う。それに、テクノやダンス・ミュージックを聴いているとワクワクするからという単純な理由もある。テクノやダンス・ミュージックにおける変化を俺たちの音楽にも応用したらエキサイティングなものになるんじゃないかと思った。

前作『スリラー』ではジム・イーノをプロデュースに迎え、プロダクションの洗練を進めた作品でしたが、本作もサウンドが非常に整頓されています。ほぼセルフ・プロデュースだったそうですが、本作におけるサウンド・プロダクションのポイントはどこにありましたか?

ニック:今回は俺たちと、パトリック・フォードでプロデュースのほとんどをやった。それはまったく偶然で、他にやってくれる人がいなかったから。プロダクションに関しては、かなり手探りでやったというか、自分たちができることをやってみたり、いろいろなアイデアを投げ合ったりした。そして荒削り(raw)な感じにしようとしたんだ。俺たちは、「パンク」なバンドとして期待されている。しかし実際のところ、俺たちは「パンク」というスタイルの音楽にはあまり興味がない。だけどテクニックや手法を荒削りなものにすることによって、パンクな雰囲気やパンクなサウンドができるかと思った。そして90年代初期のハウスのような、パンクで荒削りなものが作れるかと思った。今回もジム・イーノがプロダクションを手掛けてくれた曲はいくつかあって、彼からはたくさんのことを学んだよ。パトリック・フォードからもたくさんのことを学んだ。いろいろな要素をこのアルバムに混ぜ込んでみた。手法にこだわるのではなく、直感的に作っていった。

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壮大な質問だね。こっちはまだ朝早いんだぜ(笑)。俺たちにとって自由とは何か? 俺にとって、自由とはオープンな態度でその瞬間に反応していること。俺が求める自由は、自分の前に障害がなく、すべての可能性が開けているということさ。


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As If [ボーナストラック1曲収録 / 国内盤]

Warp/ビート

Indie RockTechnoFunkPost-Punk

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“ミー・アンド・ジュリアーニ〜”から12年経ちました。ビル・デブラシオ市長のことはどう評価していますか?

ニック:ジュリアーニよりはマシなんじゃない?(笑) 今後どうなるかってところだね。でもあまりニューヨークの政治には注目していない。ニューヨークに住んでいるから、多少はするけれど、ジュリアーニのときの方が注目していた。彼はクラブを処理しようとしていたから、個人的に傷つけられた感じだった。ビルはまだ俺たちを個人的に傷つけたわけじゃないから大丈夫。

じっさい、現在のニューヨークの街はどうなのでしょうか? 変わったこと、変わらないこと、それぞれ印象的なものはありますか?

ニック:変わったのは、街全体が裕福になってきたから、お金のことを気にする人が昔より多くなったことだね。そうなると予測していなかったことが起きてしまう。たとえば、アンダーグラウンドのクラブの多くが閉鎖されていってしまった。そういう光景を見るのはつらい。でも大都会だから、面白いことをやっている人はまだまだたくさんいる。ニューヨークだぜ。そう簡単におとなしくなるような街じゃない。これからおとなしくなっちゃうのかもしれないけど、まだそうじゃないはずさ。

あなたから見て、!!!はニューヨークの精神のどのような部分を象徴しているバンドだと思いますか?

ニック:ニューヨークのダンス・ミュージックや、ニューヨークの実験的音楽のシーンの系列に俺たちも組み込まれていると思う。ニューヨーク・ポップの枠でもそうかもしれない。俺たちはニューヨークの音楽の歴史が大好きだったからここに移ってきた。ニューヨークに移住した瞬間から、俺たちもその歴史の一部になった。俺たちもニューヨークの音楽の歴史にひとつの章として刻まれることになり、自分たちのニューヨーク・ストーリーが作られたと思う。

!!!は一貫して、自由――「フリーダム」をテーマにしてきました。あらためて訊かせてください。あなたたちにとって、自由とは何でしょう?

ニック:壮大な質問だね。こっち(取材先のUK)はまだ朝早いんだぜ(笑)。俺たちにとって自由とは何か? 俺にとって、自由とはオープンな態度でその瞬間に反応していること。俺が求める自由は、自分の前に障害がなく、すべての可能性が開けているということさ。同じことを俺はアルバムでも求めている。これは、政治レベルという概念からダンスフロアにいる自分というシンプルな概念まで当てはまる。ダンスフロアで好きなことをやり、自分を思いっきり表現する。他人のことは気にせず、自由であることに没頭する。俺はいつも、その状態に自分を持っていくようにしている。その瞬間だけを気にするように。

わたしがおもしろいなと思うのは、本作の“フリーダム! ‘15”でもそうですが、自由をテーマとするあなたたちの楽曲はリスナーへの問いかけになっていることが多いことなんです。なぜそうした、聴き手に問いかけるスタイルが多く登場するのだと思いますか?

ニック:俺たちのバンドがパフォーマンス重視だからかもしれない。俺たちのパフォーマンスのやり方は、観客をダンスさせるパフォーマンスだ。観客を引き込みたい。常に観客に訴えて、観客を引き込もうとする。だから、俺たちの曲でも観客に問いかけているのが自然だと思う。

『アズ・イフ』というのも不思議なタイトルです。もしこれがリスナーへの謎かけのひとつだったとするならば、それを解くヒントを教えてくれませんか。

ニック:シンプルでちょっと漠然としたタイトルにしたかった。「As If」というのはカリフォルニアでよく使われる表現なんだ。アメリカでは、生意気な感じで「As if(なんてね)」って言うんだ。それも良いと思ったし、「As if」というのは可能性を示している表現だから良いと思った。ある曲は、俺たちが60年代のモータウンのバンドだったらという前提で作った。またある曲は、俺たちが90年代のハウス・レコードだったら、とか。そういう仮定という可能性を示しているタイトルをつけた。今回はいろいろなスタイルを試したアルバムだったからそういうタイトルが合うと思った。

“ルーシー・マングージー”は温かいコーラスが印象的な緩やかで心地いいファンク・ナンバーですが、!!!の新境地だと感じました。このルーシーというのは……マングース?

ニック:(笑)いや、「ルーシー・マングージー」というのはビートの雰囲気を表した表現さ。曲のキャラクターを表すのに良い表現だと思ったんだ。この曲はプリンスの『サイン・オブ・ザ・タイムズ』時代の曲と同じタイプのものだ。たしかに、温かくて遊び心がある感じにしたかったしね。そういう感じの曲にこのタイトルは合っていると思った。でも、マングースに遭遇したことはない(笑)。

そしてアルバムは、ワイルドなダンス・トラック“アイ・フィール・ソー・フリー”で幕を閉じます。この曲でアルバムを終えようと思った理由は?

ニック:そこ以外に入れるところがなかったから(笑)。最近は、ライヴのセットをこの曲で閉めているからという理由もある。アルバムの最初か最後にしか入らない曲だ。9分の曲でアルバムを始めるのも変だと思ったから最後の曲にした。俺は気に入っている。アルバムを完全な体験としてまとめてくれていると思う。9分間もあるから一種の旅だよね。最後にある曲だから毎回聴かなくてもいいしな。「聴く」って行為は一つのイベントだからね。他の曲はポップ曲のように聴き流せるけどね。

俺たちは、政治的な曲を毎回書いているわけじゃない。自分たち独自の意見があってそれを伝えたいときだけ政治的な曲を作る。「人種差別は良くない」という内容の曲は作らない。そんなの当たり前だから。独自の視点から、なぜ人種差別がよくないのかという意見があれば、そういう曲を作ってもいいと思う。

わたしは!!!というバンドは、アルバムごとにリスナーにメッセージを伝えてきたと思っています。あなたが、この『アズ・イフ』というアルバムを通して伝えたいこと、ストーリーというのはどういったものだと思いますか?

ニック:このアルバムのために曲を40曲書いた。そのなかからレコーディングしたのは20曲。さらにそのなかから、バンド・メンバーやその仲間たちが投票で好きなものを11曲選んだ。その40曲から物語を生み出そうとするのは難しい。だけど、うんと遠く離れた視点からアルバムを見ると、何かしらこの作品を結びつけているものが見えて来る。それは強さや、自由を求めてやまないという強い姿勢なんだ。

テクノに限らず、クラブ・ミュージックからの参照が多いと思いますが、いまあなたたちが評価しているクラブ・ミュージックには、たとえばどんなものがありますか?

ニック:ちょっと携帯を見てみる。ダンス・ミュージックはアーティストでも、この1曲しか好きじゃないというのが多いから難しいんだよな。 俺たちが好きなのは、クロード・ヴォンストローク、ニーナ・クラヴィツ、モーブ・D、スーパーフルー、ジョン・タラボット、リカルド・ヴィラロボス……たくさんいるよ。

R&Bやヒップホップはどうですか? ファンクといえば、ケンドリック・ラマーに共感するところはありますか?

ニック:ああ、もちろん。俺たちは最近のR&Bやヒップホップをよく聴いている。バンドの歴史において、俺たちはいつもラジオでかかっているものに注目している。俺はドレイクやカニエ、ヴィンス・ステイプルズの大ファンだし、ケンドリック・ラマーの最近のアルバムも史上最高傑作のうちのひとつだと思うよ。

当初あなたたちはディスコ・パンクと呼ばれていましたが、もはやその要素だけでは説明できなくなってきました。ただあなたからすると、いま、あなたたちのことをディスコ・パンク・バンドだと呼ぶことは、どの程度納得できるものですか? もしできないとしたら、もっともしっくり来る呼び方はどういったものでしょうか?

ニック:ディスコ・パンクと呼んでくれて結構だと思う。俺たちのベースにあるのはそういう要素だから。ただ、俺たちと2005年のディスコ・パンクの概念そのものをいっしょにされるとちょっと困る。俺たちの音楽によって、ディスコ・パンクというジャンルが広がり、より拡大されたものになったら嬉しい。バンドというものは、最初みなジャンルというレッテルを貼られ、そのレッテルを貼られた箱に押し込まれてしまうけど、バンドがしなければいけないのは、その箱を押し上げてより大きなものを見つけ出すことだ。

!!!はダンスを最重要とするバンドだと理解した上での質問ですが、今後ダンス・ミュージック以外のアルバムを作ることはあると思いますか?

ニック:わからないね。おそらく次のアルバムではないだろうな。俺はいまでもダンス・ミュージックに魅了されているから、他のスタイルのアルバムを作るという挑戦もたしかに面白そうではあるんだけれど、俺はやっぱりグルーヴのあるものに惹かれるんだ。

!!!は日本でもライヴがきっかけで人気が高まりました。10月の来日公演はとても楽しみにしています。いま、あなたたちにとってライヴで最も重要なことは何ですか?

ニック:ライヴの最初から最後まで、新鮮で驚きがあるようにすること。ライヴ中のエネルギーに関しては問題ないと思うし、曲もたくさんある。だから最初から最後までエキサイティングなテンションを保てるようなフルな体験ができるようになればいいと思っているよ。

いま日本は政治的に非常に混乱した状況を迎えています。音楽が政治に対してアプローチできることがあるとすれば、どんなことがあるとあなたは思いますか?

ニック:偽りのない表現をして、他の誰にもできないような表現の仕方をすることだと思う。たとえばケンドリック・ラマーのアルバムでも、あれは本や映画としてでは成り立たない。音楽的な体験を存分に味わうものとして作られた作品だ。彼のアルバムを聴くと、非常にユニークな体験ができる。そういう作品は良い政治的主張になると思う。もちろんこれはほんの一例で、他にも反対運動の曲や政治的なものがたくさんある。でもそこに、ユニークな視点と正直な意見や希望が込められていることが必要だ。オリジナルでなければならないと思う。だから俺たちは、政治的な曲を毎回書いているわけじゃない。自分たち独自の意見があってそれを伝えたいときだけ政治的な曲を作る。「人種差別は良くない」という内容の曲は作らない。そんなの当たり前だから。独自の視点から、なぜ人種差別がよくないのかという意見があれば、そういう曲を作ってもいいと思う。


! ! ! (チック・チック・チック) 追加公演
2015.10.09.FRI @ LIQUIDROOM

!!!
GUESTS:
KINDNESS (DJ SET)
YOUR SONG IS GOOD
KZA / Dorian / Carpainter / tomad
and !!! DJs

OPEN/START 23:30 前売¥6,000 当日¥6,500

French Fries - ele-king

 フレンチ・フライズはパリを拠点に、世界中のリスナーを驚かせてきた。彼が2010年に〈ヤングガンズ〉から発表したEP「アルマ」はボク・ボクからベンUFOに至るまで、多くのDJたちを魅了してきている。その後もジョイ・オービソンやピアソン・サウンドといったダブステップ以降の流れと共鳴しながら、数々の良質なシングルを発表してきた。去年リリースされたファースト・アルバム『ケプラー』は現在のシーンを象徴するような、テクノ・オリエンテッドのベース・ミュージックを披露。現在23歳の異才である。
今回、まさにいま觀てみたいアーティストの来日が実現する。東京公演は10月11日。ブロークン・ヘイズやDJ RSといった東京の先鋭的なアーティストから、先日リンスFMに出演したトレッキー・トラックスらも出演する。

French Fries Asian Tour in Tokyo
supported by PEAK

日時:
10/11(SUN)
@WOMB

料金:
OPEN 23:00 DOOR: ¥3500 with FLYER: ¥3000
ADV: ¥2800

出演
MAIN FLOOR (2F) :
French Fries (Clekclekboom / from Paris)

BROKEN HAZE
DJ RS
BASHOO (#peak_tokyo)
and more

VIP LOUNGE (4F) "Re:ception" :
Keisuke Matsuoka (Re:ception)
and more

MIDDLE LOUNGE (3F) "VOID x TREKKIE TRAX" :
Azel (VOID)
Gyto (VOID)
Shortie (VOID)
Tum (VOID)
andrew (TREKKIE TRAX)
Carpainter (TREKKIE TRAX)
Julian Castle

WOMB LOUNGE (1F) "PEAK" :
Sunda
MARSHALL
Zwei Raketen
KDZ
Null-A (em)
uj (C.R.A.C.K)
Masashi Kikuchi
mnz × maeda (VENVELLA)


French Fries (Clekclekboom / from Paris)
Valentino Canzani aka French Fries のストーリーは、1975年に彼の両親が当時の独裁的な政治から逃れるためウルグアイよりアルゼンチンに亡命し、パリへ行き着いた場面から始まる。彼の父親である Pajaro Canzani はウルグアイのマルチ演奏者として、そして自身のグループ “Los Jaivas” のプロデューサーとしてスーパースター的な地位を築いていた。パリに辿り着くと、ドラムや様々な種類のパーカッションを備えたスタジオを再建したが、これがのちに Valentino や彼の妹のリズムセンス、レコーディング技術を幼い頃から習熟させるきっかけとなった。
2010年には、French Fries として自身初の EP “Arma” を若きペルシア人が運営するレーベル Youngunz よりリリース。この経験は、Adrien Creuse (aka Mr Boo) や Jonathan Chaoul と共に自身のレーベル ClekClekBoom を創設するにあたってインスパイアを与えることとなった。この最初のEPにはサウスアメリカの音楽からヒントを得た ”Senta” が収録されていたが、そのミニマルかつパーカッシブなゲットートラックは、アンダーグラウンドで支持を得ながら、Girl Unit や Bok Bok、Hot Natured、Ben UFO、Justin Martin らをはじめ様々なアーティストから賞賛を得た
2014年6月には、現状の四つ打ちベースのダンスミュージックに独自のミニマルなベースサウンドとアンビエントなアルペジオ、乾いたビートを落とし込んだ一曲 “Shift” がModeselektor のコンピレーションアルバム “Modeselektion Vol.3” に収録された。本トラックは Jimmy Edgar によって BBC Radio 1 Esseantial Mix のハイライトとして使用され、世界に紹介された。今年1月にリリースされた ClekClekBoom の二作目のコンピレーション “PARIS CLUB MUSIC 2” には、同レーベルから厳選されたトラックをはじめエクスクルーシブなトラックも集められ、French Fries - “Got It” が収録された。9月には Jimmy Edgar 主宰レーベル Ultramajic より Bambounou とのコラボレーショントラック “What’s Up Evan” がリリースされた。
2015年には Len Faki による “Journey To Kepler” のリミックスがリリースされたほか、”Various Cuts #1” EP には NSDOS との楽曲が収録、RBMA のために制作された Bambounou とのコラボレーション曲、Paris Club Music の第三弾も、リリースを目前に控えている。
https://soundcloud.com/mrfrenchfries
https://www.facebook.com/lefrenchfries


KOHH - ele-king

 KOHHのミックステープ・シリーズ『YELLOW T△PE』のパート3。すべての曲が、瞬間ごとに更新されていく、からっからに乾いた初期衝動の連続。聴きながら何度も爆笑した。実際、これを最初から最後まで吹き出さずに聴き終える人って、たぶんいないんじゃないか。
 アメリカ滞在を経たKOHHのボキャブラリはますます直感的。谷川俊太郎とジョン・ライドンのマッシュアップじみた、ストレートな言語感覚だ。日々のフラストレーションも幸福感も、夏休みの絵日記みたいな素直さで次々に殴り描きされていく。MOMAの現代アートとコンビニの前にたむろするヤンキーの落書きが並べられ、ジョアン・ミロの絵画と『世紀末リーダー伝たけし』が楽しげに衝突し、パリのシャトレ座とソウルの路上、ハーレムの喧噪とサウス・シカゴのビル風がグチャグチャに混ざりあって、北区王子の団地に吸い込まれる。アメリカ発のグローバル・カルチャーのカンバスに、日本の土着的な祝祭感覚がカラフルに塗りたくられ、絵の具まみれのKOHHが大きな笑い声を響かせている。
 ポップとアヴァンギャルドのめまぐるしいミックス。即興的なひらめきをフリースタイルでパックした、異文化ブリコラージュのドキュメント。才能あるアーティストが本気で遊んでいる現場を目撃することほど、感動的でスリリングなことはない。これはマジでとんでもない実験作だ。

 本作でも1曲目にぶちこまれた“IT G MA” が、いまのKOHHを取り巻くすべての状況の発端だ。今年の元旦、明らかにUSのマーケットを意識して無料配信で放たれたこの曲は、日韓の新鋭アーティスト5人が、とくに平和や国際親善を歌うわけでもなく、ギンギンに尖ったトラックのうえそれぞれの母国語で暴れまくる怪作だ。歴史問題をめぐって衝突の絶えない両国のアーティストの共作タイトルが「イッチマ(韓国語:忘れるな)」。憶測を呼ぶタイトルとは裏腹に、金やドラッグ、セルフ・ボースティングといったラップ・クリシェがえんえんと続いたかと思えば、最後に登場するKOHHはラスト・ヴァースで「過去の話すんのダサいから昔のこと忘れちゃったらいい」とキックする。さらにはその曲がUSで「エイジアン・トラップ」として爆発的にヒットし、おそらくは韓国語と日本語の区別もつかないであろうアメリカのオーディエンスがクラブで「IT G MA!!」と合唱するにいたっては……これだけでも文化現象として完全にイカれてる。それに本作でも告白されるKOHHの出自も考えあわせれば、どこか感慨深いことでもある。
 そして、なによりサイコーなのは、やってる本人たちがその錯綜する文化的コンテクストにあまり自覚的でないところだ。ようは当日その場に集まったメンツで、本能のおもむくままにクールであろうとした結果が、この怪物的なオリジナリティだったということ。コデインやグリルズといった現在のUSラップの様式美を換骨奪胎して、アジア人の身体性を動物的にデフォルメする表現は、日本や韓国はもちろん、アメリカのシーンにとっても新鮮だったようだ。

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 とにかくクールでフレッシュなものをつくる、というシンプルな創作本能は、このミクステ全体にもつらぬかれている。収録曲されたほとんどは、この1年でリリースされた海外勢とのものを含む客演、そして半分ほどはビートジャックのチューン。ミックステープということで、やはり目を引くのは後者だ。
 目立つものをさらっておくと、DRAKEの”6 GOD”にのせて日常のストレスをアートに昇華させる”全部余裕”、FETTY WAPの”TRAP QUEEN”を若干むりやりぎみに日本語に置き換えた”周り全部がいい”、 KANYE WESTの“ALL DAY”の直球カヴァー”毎日だな”、””AYO”のCHRIS BROWNのコーラスとTYGAのラップを一人二役でこなす”IIKO”、BIG SEANの”I DON’T FUCK WITH YOU”のフロウを忠実になぞる”どうでもいい”あたりか。どれもオリジナリティ幻想を吹き飛ばす、徹底したフロウのトレースぶりだ。
 こうしたフロウの模倣は、これまでの『YELLOW T△PE』シリーズでも試みられてきた手法で、リリックの内容も、原曲のキーワードが絶妙なズレとともに踏襲されている。ビートジャックそのものはミクステ・カルチャーとしてはとくに珍しくないものの、KOHHの場合、それが異言語間の翻訳として表現されるところに強みがある。USのシーンから盗みとられた最新のスタイルが、逐一日本語に置き換えられることで、日本語によるラップの文法そのものが書き換えられ、やがて独自のフロウが生み出されていく。同時に、英語と微妙に音を重ねられた異言語のライミングは、日本語をまったく理解しない海外のリスナーにも、新鮮な驚きをもたらすだろう。結果としてこのフロウをめぐる冒険は、単なるトレンドの翻訳を超えた、重要な音楽的実験になっている。そのアウトプットは、最終曲“MOMA”などのオリジナル曲の異彩のクオリティをみても明らかだ。

 コピーライトをガン無視して大胆不敵に他人のアートを奪い尽くし、カスタムした盗品を売りさばいて金や名声を手に入れる。その行為が、創作上の突然変異を生み、音楽的なイノベーションにさえつながる。マルセル・デュシャンがモナリザのコピーにヒゲを描き足し、自分の作品として発表したのと同じメンタリティで、KOHHはこのワールドワイドな文化的侵犯行為を楽しんでいる。ネット社会がどうとか複製技術がどうとか議論したがる賢しらな連中を置き去りにする、やったもの勝ちの美学。『YELLOW T△PE』シリーズは、形態としては国内流通のフィジカルCDだとしても、実質的にはUSを中心としたグローバルなミクステ・シーンの勢力圏で製作されている。ラフなミックスと音質は、この音楽が密輸入品であることの証だ。ファーガソンの暴動でドサクサにまぎれて商品を盗み出していく暴徒にも似た野蛮さが、このミクステにはみなぎっている。

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 著作権の冒涜、アートの略奪、創造的な万引……どう呼んでもいいけれど、こうした音楽的な海賊行為は、ミックステープというメディアの本質でもある。1980年代にDJの小遣い稼ぎ的な副業として隆盛したミクステ・カルチャーは、いつしかラッパーやDJたちの重要なプロモーションのインフラに変化し、2000年代以降には、インターネットでの無料配信を基本とする壮大な音楽の実験場となった。カセット・テープから電子データにかたちを変えても、ミックステープは著作権にかんしてグレーゾーンを歩むことで、有名無名のアーティストの創造性の源泉であり続けている。
 現在プラットホームとなっているいくつかのUSのサイトには、すでに金やキャリアを手にしたビッグ・ネームからまったくの新人によるものまで、無数の作品が毎日のように無料でアップロードされる。その状況がアーティストにとって天国か地獄かはわからないが、適者生存(SUVIVAL OF THE FITTEST)を信条とするラッパーたちがやるべきことははっきりしている。過酷な生存競争であり、共喰いだ。ミクステというメディアはいまや、ラップのクリエーション面でのイノベーションの最前線となっていると言っても過言ではない。
 興味深いのは、こうしたインターネット上の開放的なバトルフィールドの出現が、これまでアメリカの巨大音楽産業を中心に動いてきたラップ・ゲームを、より脱中心的で、グローバルなものへと変質させつつあることだ。“IT G MA”のヒットをきっかけにUSシーンに攻勢をかけているKIETH APEなどの韓国勢が典型だけれど、日本や韓国といったアジア地域は、グローバルなミクステ・シーンにおいて、魅力的なフロンティアとして浮上している。
 いまや非英語圏出身のラッパーにとって、母国語によるラップはハンディキャップではない。というか本来、地元のチンピラが目の前の相手をぶっ飛ばす/自分たちがぶっ飛ぶためにヤバい音を鳴らしたら、それが勢いあまって地球の裏側まで届いてしまった、っていうのがこのカルチャーの醍醐味だったわけで、JAY-ZだってA$APだってケンドリックだって、ようはそういうことだ。よそゆきの不自然なアティチュードでつくられたラップなんてなんの魅力もない。すくなくともラップ/ヒップホップにかんしては、非英語圏のアーティストが全編英語詞の作品でアメリカのマーケットに乗り込む時代は終わりつつある。

 たとえば、限定で先行シングル・カットされた、オール日本語の“結局地元”。本人たちがどこまで計算しているのかは不明だけれど、そのミュージック・ヴィデオで、東京郊外北区王子のモノクロの風景が、“PARIS”の夜のパリの路上と接続されていることは、とても象徴的だ。仕事帰りの普段着、スカジャンと和彫りの刺青、エミリンや違法薬物の影……。商品としての洗練からはほど遠い、こうしたアンダークラス的な記号は、いったんグローバルなコンテクストに置かれたとたん、アジア産のラップ/ヒップホップならではの、エキゾティックな魅力を発揮する。サウス・シカゴの鬼才DJ YOUNG CHOPのビートでハーレムのJ $TASHとマイクリレーする“HOOD RICH”も同様だが、やはりこの日本版のゲットー・ファビュラス的なリアリティは、巨大な消費空間としての渋谷や六本木といった場所からはけして生まれないだろう。
 どうせ広告代理店あがりのどっかのインテリが、ひと昔前なら「下流」だとか、最近なら「マイルド・ヤンキー」だとか、ガラパゴス的なマーケティング用語で解説してわかったつもりになるんだろう。そんなものまったく無意味だ。ここには、ケニー・ディクソン・ジュニアが「デトロイトの毎日をもがくリアルなニガーはただ生き、そして食って、息をしている」と呟くときと同じなにかが、たしかに存在している。
 思えば、シリーズ前作のラスト・ナンバーでは、凍てつくようなスクリュード・ヴォイスで母親の生活保護と薬物中毒がカミング・アウトされ、KOHHはそこで「LIFE IS A BITCH/I DON’T GIVE A SHIT /哀しくないでしょ?/普通の話」そうラップしていた。そのKOHHが、本作では「人生最高」と何度となく繰り返している。絶えまなくスタイルを変化させ続けるKOHHに核心があるとすれば、生まれ育った北区王子に対する愛情なのだ。へたをすれば浪花節にもなりかねないその感動や感傷を、きわどいアート表現として提示できるところに、KOHHのアーティストとしての非凡なセンスはある。

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 すぐれたポップはつねに、すぐれたアヴァンギャルドでもある。先鋭的なポップ・ミュージックは、社会に共有されたクールさのハードルを軽々と飛び越えるだけでなく、クールさの基準そのものを前衛的に更新していく。「ナシをアリにする」の言葉通り、破天荒な実験が繰り広げられる本作は、標準化されたポップに飼い馴らされた耳にノイズを呼びこみ、新たな地平を切りひらくものだ。その実験の成果は、すでに告知も出ているサード・アルバムに結実しているんだろう。
 とりあえずこれは、世界中から密輸入したパーツで組み立てられた、現時点での日本製の最高級品。『L.H.O.O.Q.』の刺青をいれた芸術的な泥棒が、真似するんじゃなくて奪いとってきた戦利品だ。オリンピック・エンブレムの盗作問題でお偉いさんがたが右往左往するのを尻目に、21世紀平成日本のアートの最先端は、今日も路上でふてぶてしく危険な遊びを楽しんでいる。アートの略奪。文化の簒奪。リーガルとイリーガルのはざまで、共喰いを繰り返して突然変異するハイブリッド。指をくわえて傍観している場合じゃない。いますぐこの略奪に参加しろ。

ファンク・ブームの再来か? - ele-king

 昨年秋にジョージ・クリントンの自伝本『Brothas Be, Yo Like George, Ain't That Funkin' Kinda Hard On You?』と、33年ぶりのファンカデリック名義となる3枚組新作『First Ya Gotta Shake The Gate』が相次いで発表されたこともあって、今年4月に行なわれたジョージ・クリントン&パーラメント/ファンカデリックの2年ぶりの来日公演は、タワーレコード渋谷店で行なわれたジョージのサイン会ともども大盛況で、Pファンクが毎年のように来日していた90年代の盛り上がりを彷彿させた。さらに今年はJBの伝記映画『ジェームス・ブラウン~最高の魂を持つ男』と、スライのドキュメンタリー映画『スライ・ストーン~ドゥー・ユー・カムバック?』も日本公開されるに至って、もしやこれはレア・グルーヴやサンプリング・ソースに端を発する90年代のファンク・ブームを知らない若い世代を巻き込んで、予期せぬファンク・ブームの再来か? と人知れずザワついた。その後、メイシオ・パーカーの安定の来日公演を挟んで、ZAPPの新作『Evolution』が発表されることを知り調べていたら、コン・ファンク・シャンの新作『More Than Love』も春にリリースされていたことがわかり、喜び勇んでまとめて購入した次第。


Con Funk Shun
More Than Love

Shanachie

Funk

Amazon

 コン・ファンク・シャンは、69年にヴァレーホで結成されたプロジェクト・ソウルを前身とし、その後、メンフィスへ移ってソウル・チルドレンのバック・バンドを経て、70年代後半から80年代半ばにかけて何曲ものヒットを飛ばした老舗バンド。彼らのライヴを初めて見たのは、90年代半ばに日比谷野音で2~3度、催されたファンクのフェスティヴァル“Let's Groove”だった。強者ファンク・バンドが揃ったラインナップのなかでは、軽快でポップな持ち味の彼らはやや見劣りがしたのでさして期待していなかったところ、その軽快なポップさこそが妙に快調で、いたく楽しんだのを覚えている。00年代以降も、一時期コットン・クラブに数年連続でやって来て、変わらず楽しいショーを展開してくれたので、ツアーはそれなりに続けていたのだろうが、新作を出すのはたぶん20年ぶりくらいだ。
 『More Than Love』のクレジットを見ると、初期からの中心メンバーであるマイケル・クーパー(vo, g)とフェルトン・パイレーツ(vo, tb)、日本公演にも一緒に来ておりジャケット内側の写真にも姿を確認できるエリック・ヤング(b。最近の再発で知ったが元レイディアンス)やKC・クレイトン(keys)などをはじめ、各楽器にはドゥウェイン・ウィギンス(g)、近年はダズ・バンドに籍を置く元プレジャーのマーロン・マクレイン(g)を含む複数のミュージシャン名が記載されている。つまり厳密に言うと、ツアー・メンバーによるバンドとしての録音ではないということだ。なるほど聴いてみると、マイケルとフェルトン、ふたりのシンガーのアルバムという感触で、ファンク・バンドのアルバムを期待していた我が身の欲求を最も満たしてくれたのは、サックス・ソロを軸としたラストのインスト小品“Nite~Liters”だったという、なかなかの肩透かし。だがアーバンなミディアム・テンポも、ちょっとしたファンクも、例によって優れたポップ・センスを備えた佳曲揃いで、ライヴ同様、妙に快調なのである。ということはコン・ファンク・シャンの持ち味は保たれているわけだし、これはこれで全く文句はない。カーティス・メイフィールドの“Move On Up”を今ごろカヴァーしちゃうという、年配オヤジならではのズレた感じも憎めず、ニコニコしながら何度も聴いている。なおタイトル曲には「アイシテル」という日本語が出てくる。


Zapp
Evolution

Troutman Music Group

Funk

Amazon

 ZAPPはご存知のとおり、チューブを加えてうにうに歌うトーク・ボックスの名手でありギターの名手にして、比類なきエンタテイナーでもあったロジャーが率いた、オハイオ州デイトンのトラウトマン兄弟を中心としたファンク・バンドだ。だが99年にマネージメントに従事していた兄のラリーがロジャーを射殺して本人も自殺。このような形でリーダーを失ったZAPPは当然ながら存続の危機に陥ったが、残されたメンバーは根強いファンからの応援に一念発起し、そのままのメンバーで活動を再開、03年には『Back By Popular Demand』も発表した。
ミュージシャンとしてもエンタテイナーとしても天才だったロジャーの穴を埋めることは誰にもできないにせよ、弟のレスター(ds)とテリー(keys, vo)が中心となって、かつてのロジャーの大きな役割をメンバー全員で分担して補い合いながら、変わらず楽しいファンク・ショーを展開する姿は誠実で立派だ。ZAPPの日本での人気はとりわけ高く、活動再開後も頻繁に来日公演を行なっており、近年はレスター(ds)の息子でマルチ・プレイヤーのトーマスらも加わって、ロジャーはいないがロジャーがいないだけ、そんなふうに思わせるショーを続けている。
そしてZAPPは今年も8月のサマー・ソニック出演およびビルボード・ライヴでの単独公演で来日し、12年ぶりの8曲入りの新作『Evolution』は、それに合わせるようなタイミングで発表された。幕開けは、まさかの日本語の女声アナウンスによる本作の紹介で、ということは本作はまず第一に、日本公演の会場での販売を目的に制作されたのかもしれない。他に『ZAPP III』の収録曲“Heartbreaker”のライヴ録音(時期や場所の詳細は不明)や2曲の古い録音もあるので、新曲は4曲だ。そのうち、ZAPPのデビューに尽力したブーツィー・コリンズがヴォーカルで参加した“Make It Funky”と、レスターが日本やフランスを含め、各地のファンへの感謝を述べるお礼ソング“Thank You”の2曲には、共作者として“R. Troutman”というクレジットがあるが、これは生前のロジャーが関わって作られた曲というよりは、ソロ作も出している甥っ子のルーファスとか息子のロジャー二世とか、他のトラウトマン家の人間と考えるべきだろう。レスターとトーマスの親子作の“Summer Breeze”は、おそらくトーマスのサックス・ソロをフィーチャーしたフュージョン寄りのスウィートなスロー、そして一番、従来のZAPPぽいファンクは、レスターとバート・トーマスが共作した“Moving”。バートはライヴではテリーとともにトーク・ボックスも操るマルチ・プレイヤーで、現在のZAPPには欠かせない存在だ。
残るは先に「古い録音」と書いた2曲だが、これは“Lil” Roger and His Fabulous Vel's名義による66年の録音という秘蔵音源。ロジャーが15歳の年で、ことによったらジャケットの写真はその当時のものかもしれない。左端のロジャー、ドラムスのレスター、ともにツヤツヤの少年だ。右端はここにこうして一緒に写っているのだからテリーかとも思ったが、ロジャー、レスターより年下には見えないので兄のひとりだろうか。まだトーク・ボックスは導入されていないため、ブルースのカヴァーではロジャーが自分の声で歌っており、今となってはこれはとても珍しいことだ。ギター・ソロが始まると、すぐにフェイド・アウトしてしまうのが残念だが、明らかにたどたどしいのでロジャーのソロではなかった可能性もある。最後の1曲はトラウトマン姓の3人による共作で、まるでヴェンチャーズの曲のようなインスト。ヴェンチャーズが米国でヒットを出していたのは60年代前半だから、トラウトマン家も愛聴していたということか。ノリノリのキーボード・ソロが続くので、きっとこれはロジャーなのだろう。

 そんなわけでこの2組の新作を聴いて改めて思ったことは、ヴェテラン・ファンク・バンドが息長く活動を続けていくにあたって、日本のファンク・ファンの存在は、思っているより彼らの支えになっているんじゃないかということだ。以前は大好きなミュージシャンが年をとって、歌う声がヨレたり、楽器を演奏する指がもつれたりする姿を見るのは、あまり好きではなかったが、自分が40代になった頃からは、何でもいいから元気で長く続けてほしいし、その姿を見続けたいと思うようになった。だからもし日本のファンが彼らを支える一助になっているのならファン冥利に尽きるし、さらに言えば、日本にはいつファンク・ブームが巻き起こってもおかしくない土壌があるということでもあり、なんだかいろいろと嬉しい。

interview with D.A.N. - ele-king


D.A.N.
EP

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D.A.N.
POOL

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 「D」の文字だけがあしらわれたジャケットは、この3ピース──D.A.N.の矜持と美意識をミニマルに表現している。東京を拠点として活動するそれぞれまだ二十歳そこそこの彼らは、ポーティスヘッドといえば『サード』からの記憶がリアルタイム。あきらかに本作「EP」のジャケットからは『サード』やトリップホップ的なものへの共感が見てとられるが、あのベタ塗りのビリジアンをぼんやりとした靄の奥に沈めたのは、彼らと、たとえばウォーペイントとを結ぶ2010年代のフィーリングだ。
 甘やかな倦怠とサイケデリア、同時に清潔でひんやりとした空気をまとったプロダクション、芯に燃えるような音楽的情熱。……倦怠が微弱な幸福感と見まちがわれるような、クールで起伏の少ない現代的感情の奥に、凍ったり燃えたりするための燃料源が音楽のかたちをして揺れている。ひたすら反復しながら、しかしそれによってトランシーな高まりを期待するのでもない“Ghana”などを聴いていると、現代の純潔とはここにあるのだとさえ言いたくなってしまう。

 よく聴くとすべて日本語で、詞は押し付けられることなく、しかし引くこともなく耳裏に流れ込んでくる。ことさらヨウガクともホウガクとも感じることなく、たとえば〈キャプチャード・トラックス〉や〈4AD〉の新譜を聴くように聴けて、かつ「東京インディ」というひとつの現代性の表象をリアルに感じとることもできる。なるほど世界標準とはこういうことなのだと思わせられる──それはまずよそ様ではなく自分たちのリアルへの感性の高さを条件として、表現として外のシーンへと開かれている。〈コズ・ミー・ペイン〉の感動から、さらに時計の針は進んでいる。

 前置きばかり長くなってしまったが、東京を拠点として、いままさにインディ・シーンを静かに騒がせようとしているこの3人組の音と言葉を聴いていただきたい。時代性についての言及が多くなってしまったが、音のトレンドも汲みながら、スタイリッシュな佇まいも強く持ちながら、しかし根本にあるのは本当にウォーペイントに比較すべきオーソドックスなギター・バンドの魅力でもある。あまり考えず構えず、何度も何度も再生ボタンを押せる作品だ。これがデビューEPということになるが、ウォッシュト・アウトの「ライフ・オブ・レジャー」しかり、ある意味ではすでにフル・アルバムに等しい価値と象徴性を持っていると言えるかもしれない。これをリリースしてしまったことが、彼らの壁になりませんように──。

■D.A.N / ダン
東京出身、21歳の3人組。メンバーはDaigo Sakuragi(Vocal,guitar,synth)、Jinya Ichikawa(Bass)、Teru Kawakami(Drum)。ライヴ活動を通じて注目を集め、2015年には〈フジ・ロック・フェスティバル〉の《Rookie A Go Go》に出演するなど活躍の幅を広げている。同年7月には、自身らの自主レーベル《Super Shy Without Beer》通称《SSWB》を立ち上げ、Yogee New Waves、never young beachを手掛けるBAYON PRODUCTIONのバックアップの下、初の公式音源『EP』をリリースした。9月には配信限定でファースト・シングル「POOL」も発表されている。

僕は前からトリップホップが好きで聴いていたんです。(市川)

ジャケットをもらって最初に思ったのが、「うわーポーティスヘッドだなー」っていう(笑)。みなさん的に、いまポーティスヘッドなんですか? それとも3人の音楽体験の深いところにあるものなんですか?

川上輝(以下、川上):ジャケに関しては、音楽的なところとはあんまり関係ないかもしれないですね。

でも何がしかの影響はある?

川上:影響はありますね。ありますけど、ジャケに関してはヴィジュアルでもう、かっこいいなと思いました。

桜木大悟(以下、桜木):どういうジャケットが好きか、って話し合ったときに、サード(ポーティスヘッド『サード』、2008年)がすごくいいなと。

市川仁也(以下、市川):最初に店頭に並んだときにインパクトがあって、かつシンプルなのがいいって思ったんです。ポーティスヘッドの「P」って書いてある『サード』はその点でずっと頭に残っていて、「こういうのもいいんじゃない?」って案を出して、そこからより膨らんでいって。

ジャケットってひとつの勝負をするところでもあるじゃないですか? そこに自分たちを主張したくてたまらないってもののはずなのに、「Dだけ?」みたいな。ある意味では最強の主張かもしれないですけどね。メッセージとかスタンスを感じるいいジャケだなと思いました。
話を戻しますと、ポーティスヘッドって、いま来てる感じなんですか? それとももっとパーソナルなものです?

市川:僕は前からトリップホップが好きで聴いていたんですけど。

桜木:僕も仁也の影響で意識して聴くようになったんですけど、それはわりと最近。聴き直してますね。

川上:僕もです。

リアルタイムじゃないですよね?

桜木:ぜんぜんちがいますね。僕らが生まれたくらい。

ちょうど2、3号前の『ele-king』で、ブリストル特集をやったんですよ。ベースミュージックなんかを中心に、リヴァイヴァルのタイミングではあると思います。そういう時代感がどこかにあったりでもなく?

桜木:自然とじゃないですかね。音楽から抜けるというか、そういう流れとはまたちがうのが好きなんじゃないかみたいな。作曲をしているときにふと出てきて、「うわぁ、めっちゃこれじゃん!」みたいな。

市川:「いま何がやりたいんだろう? 自分たちがどんな音楽を作りたいんだろう?」って模索していたときに、「あっ、これ」みたいにビビっときて。まんまこれをやろうってやったわけじゃないんですけど。

川上:やっと理解できるようになったっていうところはあるかもしれない。まじめに音楽をやってきて、行き詰まって、「俺は何をやりたいんだろう?」って思っていたとき、そういうのを聴いたら「かっこいいじゃん」ってちゃんと認識できるようになったと思います。

ある程度やっていたんだけど、「これじゃないかもしれない……、この音楽をやる意味は何なんだろう?」みたいな。(川上)

そんなに若いのに、もうすでに行き詰まりがあったと(笑)。私は、なんとなく自分と同じ世代なのかなという感覚で聴いていたんですけど、実際は皆さんとひとまわりも歳が離れているんですよね。しかも結成は去年でしょう? 同級生的な感じですか?

市川:僕と大悟が小学生からの同級生で。僕らはバンドを高1くらいからはじめて、そのときに輝と知り合ったんです。僕と輝はバンドを別で組んでいたんですよ。

川上:彼らの幼なじみで高校からはじめたバンドがふたつあって、その片方に仁也がいて、そのバンドのドラムが抜けて、たまたまそのとき僕が出会って入って、高校から大2くらいまでそのバンドをずっとやっていたんです。
でも、ある程度やっていたんだけど、「これじゃないかもしれない……、この音楽をやる意味は何なんだろう?」みたいな。

市川:先がないというか。

川上:奇をてらうことにバンドで徹していたというか……。

たしかにそれは行き詰まりっぽいですね(笑)。ひとの名前を借りるのは嫌かもしれないですけど、だいたいどんな音楽をやっていたんですか?

桜木:ニューウェーヴでした。完全に。ポスト・パンク……ギャング・オブ・フォーとか。

奇抜な格好をして冷蔵庫をぶっ壊したりとか?

市川:それはないです(笑)。フリクションっぽいのとかやっていましたね。

桜木:あとはナンバー・ガールとかザゼン・ボーイズとか。

川上:高校生のとき、ナンバガはみんなめちゃくちゃ聴いていた。

桜木:僕らの青春です。

ポスト・パンクって、2000年代はじめに盛大なリヴァイヴァルがあったわけで、たしかに皆さんから遠い存在でもないかもしれないですね。しかるに桜木さんのバンドはどうなんですか?

桜木:もともとアジアン・カンフー・ジェネレーションとか、エルレ・ガーデンとかそういうのが好きで、中学生のときに音楽をはじめました。高校生のときもそのままの流れで、日本語ロックっていうのかな。そういうのをずっとやってました。

曲もずっと作っていたんですか?

桜木:そうですね。くるりとかそういうのをマネしながら、やっていました。

なるほど。D.A.Nはミニマルとも謳われていたりしますけど、そこにギターがすごく色を乗せるじゃないですか? エモーションというか、情緒というか。そのへんの感覚というのはきっと桜木さんなんですね。

桜木:はい。

いざこの体制になったのは去年ということですか?

桜木:はい。去年の夏ごろだったような気がするんですけど。

そうするとみんなで同じ方向を見ていたというよりは、もう少し偶然的にいまの音楽ができあがっていると。

川上:前にやっていたバンドが2年くらい前に同じタイミングで解散したんです。「このメンバーでやる意味」とかそういうことを考えてましたね。

けっこう考えますね。

川上:この音をこいつが出してるみたいな。そのあたりの信頼関係が揺らいでいたというか。「こいつが出している意味があるのか?」とかって考えていたから。それで話し合って解散して、1年くらいひとりでやったりとか、他のバンドで活動したりもしてました。そういう考える時期があって。それで大3くらいに、結局バンドをやりたいってなったんです。そしたら6人くらい集まったんですよ。

市川:去年の1月とかですね。

川上:そこでまた直面したのが、やっぱり音が多すぎるってことで(笑)。いままでとはまったくちがう面白いことをやりたかったから──ドラムがふたりいたりとか。

桜木:当時はツイン・ドラムが流行っていたんです(笑)。パーカッシヴなものを作りたいという意味でツイン・ドラムだったんですけど。ポーティスヘッドとかもいるじゃないですか? レディオヘッドもそうだし。トクマル・シューゴさんも普通にドラムを叩いてましたから、それに影響されて「いいんじゃない?」みたいな。

音楽をずっとやっていきたいって気持ちがあるからこそ、話し合いが何回もあったと思います。「自信を持っていいものを作るには、お前とじゃない。他のやり方が合っているんじゃないのか?」みたいなのを。(川上)

なるほど。いろんな試行錯誤があったと。

川上:がっつりふたりともドラマーだったから、音がぶつかり合いまくって(笑)。お互いすごく気を使わないといけないというか、どこまでやっていいかわからないので……。それを考えている時点で前といっしょだな、みたいな。その時点でもう自由にのびのびと創造できないというか。そんなこんなで3ヶ月くらい曲ができなくて。それが去年の1月から4月くらいにかけてですね。もう、ずっと「どうする?」って話し合って。

桜木:いわゆる産みの苦しみとは別で、幼なじみだったので変な情とかもあったし。抜けていった3人のうちふたりも小学校からの同級生で、「何かちがうな」と思ってもはっきり言えないんですよね。言えないわけじゃないんですけど、情が介入していたというか……。

6人もいれば、なんというか、それはもう社会ですもんね。サステナブルなものにするのは難しいですよね。

川上:それで踏み切って、7月に「もうさすがに決めよう!」ってデッカい話し合いがあって。

その話し合いのエピソードもそうですけど、けっこうコンセプトをカチッと固めてるバンドだなって感じまして。一瞬、「なんとなくやってます」とか「意味とかないです」みたいな、そういう態度がこのアンビエントでダウナーな音楽性のうしろにはあるのかなと感じるんですけど、実際すごく決められている。
たとえば資料の文言──「このドライな3人で、無駄のない柔軟な活動を目指す」とか(笑)。

川上:それ僕が書きました(笑)。

「いつの時代でも聴ける、ジャパニーズ・ミニマル・メロウを追求することをテーマにする」とか。

川上:それっぽく書いたんですよ(笑)。

いやいや、そういうのって「べつに何も考えてないですよ」って言うのもアーティストのひとつの態度じゃないですか? それに対して、このゴリっと考えてる感じが新鮮だったというか。コンセプチュアルなバンドなのかなと思ったんですけどね。

桜木:これに関して言えば、野心が全面に出てます。

すごくいいことなんじゃないですか。ロックなんてけっこう伝統的にみんなうつむいてたし、インタヴューなんて「はっ?」みたいなところがありましたけども。でも、ギラギラしてないのにしている感じが(笑)。

川上:音楽をずっとやっていきたいって気持ちがあるからこそ、話し合いが何回もあったと思います。「自信を持っていいものを作るには、お前とじゃない。他のやり方が合っているんじゃないのか?」みたいなのを、みんなうすうす感じていて、3人になる前に、それをはっきりと言おうという話し合いが最後にありました。本当に食っていきたいって思っていたので。

そういう意味での野心ですか。ちょっと意地悪な質問をあえてすると、皆さんが本当に「ドライで無駄のない柔軟」なひとたちだとすれば、そう言わないと思うんですよね。これはそうでありたいという意思であって、実際は逆というか、ぜんぜんちがうみたいな意識があったりします?

桜木:ものすごく熱いです、自分。

ゴチャゴチャしてたりとか、あったかい音楽とか大好きですけど、自分たちが音楽をする上での美意識っていうのをひとつ決めてやっているんです。(桜木)

ぜんぜん冷たくないんだ(笑)。

市川:6人のときの苦い経験があったので、ドライに、本当にいいものを作るために、同じ方法論でやるために、という意識というか。

川上:そう言っておいたほうがいいと思うんですよ。その謳い文句を。本当にそう思うし。

それは自分たちにとって?

川上:外からの見え方とかそういうものを考えると。

なるほど、戦略的な部分でもある。……なんか、ロック・ヒーローとかってどっちかというと「ウエットで無駄が多くてガチガチに凝り固まっている」ものだったりするじゃないですか(笑)。そういうのは自分たちのクールとはちがう感じなんですかね?

川上:その譬えから考えると、本来の姿はそうであるけど、言っているのはそれ(ドライで柔軟で無駄がない)だったらよくないですか?

あー、ギャップがある方が?

川上:それが逆だとなんか……

「熱い」と言っているのに「冷たい」みたいなやつよりもってことですか(笑)?

川上:そうですね。それが逆だとなんか変じゃないですか。

桜木:ゴチャゴチャしてたりとか、あったかい音楽とか大好きですけど、自分たちが音楽をする上での美意識っていうのをひとつ決めてやっているんです。

川上:かなり幅広く書いているつもりですね。

音楽的な部分以外でも?

市川:ジャンルをまたぐっていうだけじゃなくて、姿勢もというか。こういう姿勢も持っているというのを出して。音楽というのはそのときの趣味もありますし、変わっていくものだとは思うんですけど。

あとは「スーパー・シャイ」みたいなことも標榜されていますけれども(笑)。「あ、シャイであることっていまはカッコいいんだ!」みたいなことを感じましたね。

桜木:それは、この缶バッチ(「Super Shy」と書かれたバッジ)からとったんですよ。

あ、そうなんですか? どれどれ……そのまんまじゃないですか!

桜木:これ古着屋さんに置いてあったやつで。

えー。でもグッときましたよ。自分たちを「スーパー・シャイ」だと思います?

川上:それは何も考えないで決めたので、突っ込まれてもって感じですね(笑)。

本当ですか? シューゲイズとかって、あのクツ見つめる感は、シャイっていうんじゃなくて、コミュニケーションをシャットダウンする感じじゃないですか。けど、シャイであるならば繋がれる可能性がある……ビールを飲んだりとかすれば(笑)。そういう、拒絶じゃない熱さみたいなものはどこかに感じます。

桜木:ただ、ビールというものは、いろんな言葉に置き換えられると思うんです。音楽もそうだし、何かのきっかけとかアクションだけで「スーパー・シャイ」から解き放たれるというか。

ペダルを踏むみたいな感じで。

桜木:僕はそういうふうに解釈していますけど、そんなに深い意味はないですよ。後付けですから(笑)。

いやいや。そうだったとしても、つい深読みたくなるのは、音楽にそれだけの厚みがあるってことだと思いますけどね。それに、それぞれのコンセプトも提起的ですよ。いろいろ語りたくなってしまう。

どこかしらウォー・ペイントだったり、ポーティスヘッドだったりジ・XXだったりとかに似ているもの出てきた、みたいなことはあります。でもそれは、「これはカッコいいよね」って出てきたものが、結果的に似てたって感じですね。(市川)

さて、好きなバンドにウォー・ペイントの名も挙がってましたけど、すごくそれも感じますね。

桜木:ウォー・ペイント大好きっす。

川上:超好き。ちょうどいいところをホント突くんですよね。

めっちゃくちゃわかります。でも不思議じゃないですか? ウォー・ペイントって日本でそこまでは盛り上がっていなかったし。

市川:僕らホント好きですよ。一時期ずっと聴いていました。

川上:「自分たちと同じじゃないか」って勝手に思ってます。

私もすごく好きなんですけど、D.A.N.はめちゃくちゃウォー・ペイントだと思いました。

川上:ウォー・ペイントが日本人だったらぜったいに話が合うと思います(笑)。

日本にはD.A.Nがいるからウォー・ペイントはいいか、というくらい、似たものを感じますね。ウォー・ペイントって、なんの時代性も象徴していないというか。ひたすらいいバンドなんですよ。だから真似するときに「チル・ウェイヴです」、「フットワークです」とかならマネしやすいですけど、「ウォー・ペイント」ですっていうのは難しい。本当に好きなんだなと思いましたね。

川上:ウォー・ペイントを特別に意識しているとかはとくにないですね。「これだ!」という感じに決めていることはないというか、決められたくはないというか。何にでも溶け込むものでありたいので。

市川:曲を作っているときでも「これよくない?」ってなって作っていくと、そこにどこかしらウォー・ペイントだったり、ポーティスヘッドだったりジ・XXだったりとかに似ているもの出てきた、みたいなことはあります。でもそれは、「これはカッコいいよね」って出てきたものが、結果的に似てたって感じですね。

きっと彼女たちもそういうモチヴェーションなんだろうなって思うんですよね。うしろにジョン・フルシアンテがいたりするじゃないですか? ああいうちょっとしたギターのテーマみたいなものが、ときどき聴こえる感じとか──「冷たいけど熱い」みたいなところも似てるかなと思うんですけどね。
自分たちのなかの「熱さ」についてもうちょっと聴きたいんですけど、どのへんだと思いますか?

川上:精神的な部分だけど熱さはありますよ。僕はサッカー選手をとてもリスペクトしているので。すごく学ぶことが多いです。

えっ、そうなんですか!

川上:姿勢についてとか、「音楽をやっているひとたちはみんな見習った方がいいんじゃないか」って思います。やっぱり彼らはつねにサヴァイヴァルなので。

そうですよね。チームの戦いという意味ではなくて個人のという意味ですか?

川上:はい。チームとかはバンド全体のことになってきますよね。いろんな部分で似ていると感じるので、僕は音楽とサッカーがイコールだなと思っています(笑)。本気でそう思ってます。

市川:僕は自分がいいと思えるものを作るっていうところです。そこをとにかく追求していきたいし、そこができないならやっていても意味がないし。……音楽が本当に好きなんで。そこだけは絶対に曲げたくないというか。まずいいものを作るっていうところです。

川上:お互いをリスペクトしながら高め合える3人でやっているのがこの音楽ですから。そこはつねに基本ですよね。

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メンバーの中の想像を超えたいんです。ベースだったらベースで。(市川)


D.A.N.
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バンドのなかでそれぞれご自身が何かいいものを作るっていうときに、具体的な行動としてはどういうことになります?

市川:ケミストリーを見せるというわけじゃないですけど、3人が集まって、いいところが出て、それがかけ合わさったときに、想像もできなかったようなものができて──それをいろんなひとに聴いてもらいたい。そのためにメンバーの中の想像を超えたいんです。ベースだったらベースで。最初大悟がひとりでデモを作るんですけど、そのときに大悟が想像しうるベースを弾いても意味がないというか……。そこの想像を超えて、かついいものじゃなきゃダメだと思っているし。でもつねにそこで納得できないというか、ずっと追求しながら作っています。

めっちゃうねりますよね、ベース。冷たいなかの熱さって言ったときに、あのうねりは熱さの要因のひとつかなって思いますね。あの感じは、自分の好きな音楽が出てきている感じですか?

川上:そうですね。個々のパートは自分で考えてます。だから本当に3人で曲を作っていると思います。

桜木:いちばん重要なのは歌ですね。

歌を最初に持ってくるんですか?

桜木:曲によるんですけど、基本は歌だと思ってます。

そこは信念がありそうですね。熱いところっていう質問についてはどうですか?

桜木:熱いところが僕はわからなくて。

川上:すべてに情熱を注いでいる気持ちはあるので、どこがどうっていうのはないかな。

桜木:でも、じつは僕は自分のことをめちゃくちゃ冷たいと思っていて。

パーソナリティがってことですか?

桜木:そうです。

安直に評価するわけではないですけど、さっきおっしゃっていた昔好きだったというバンドは、どちらかというと熱い気もしますね。それは自分の冷たさが逆に呼び寄せるようなものだったんですかね?

桜木:うーん、熱さ……、難しいですね。

たとえばドリーム・ポップだと、ベッドルームなんかがその背景になっていたりしますよね。でも、対するにこのアー写なんかは、すごくストリート感があります(※冬の涸れたプールで撮影されたもの)。

D.A.N. - POOL

でも、ストリートじゃなくて「そうかぁ、プールかぁ」と思って。ここにはすべてがある、ってくらいいい写真だと思いました。……で、これだって冬っぽさとプールっていう冷たいものの掛け合わせなのに、やっぱり先ほどからのお話も実際の音も、ただ冷たいっていうんじゃ説明できない熱を感じるんですよね。

音について言えば、削ったり、引き算したりっていう考え方なんですよ。(川上)

川上:音について言えば、削ったり、引き算したりっていう考え方なんですよ。ひとつひとつ音が重なっていく感じは熱さかもしれないですけど。エモさとか。ひとつひとつ音が増えていって、じりじり上げていく感じは。

桜木:アンサンブルが感情のコードというか重なりというか、それで自分の内面が高まったりするから。

川上:そこから音がひとつだけになるところとかも、繊細なものだというか……、ひとつひとつの音に意味があるかどうかを突き詰めてやっているので。

桜木:冷たさとか熱さというよりも、どちらかというと静と動という気がする。静と動と緩急、緊張と緩和とか、そっちな気がする。

すごく心象風景というか世界があるバンドだなって思うんですね。すごくファンキーな部分もあったりしながらも、黒さというものとは別ものというか。それもウォー・ペイントと共通するかもしれないですね。あの感じが好きで……。ボディが先にあるような音楽っていうよりも、なんか精神みたいなものに触れて美しいなって思う感じ。
それぞれがそれぞれのパートに責任を持っているというお話でしたが、持って来るのがメロディなんですか?

桜木:はい。自分です。

そのデモを聴きながら、自分がどうアプローチするかを決めるんですか?

市川:はい。

完成したデモを示すわけじゃないってことですね?

桜木:僕はぜんぜんそういうのが作れなくて、曖昧な状態で渡すことが多いです。

そうするとこの3人だからこそ、意味のある繋がりのなかで音ができていくということですね。

川上:バンドってそうじゃないですか。

──ということをさんざん感じたんですね。

川上:本当に感じました。全部指示していたら3人の意味がないのでね。

やっぱりひとりひとりがすごく独立した表現者なんですよ。(桜木)

なるほど。D.A.N.って、バンドというべきかユニットというべきかわからないんですけど、ひとりのアーティストのような不思議な感触があるんですよね。バンドで3ピースっていうと、それぞれの役割も決まっていれば音楽のフォームまで想像できそうな感じですけど、そこがすごくアメーバ状ですよね。

桜木:やっぱりひとりひとりがすごく独立した表現者なんですよ。自分が全部曲を作ってデモを投げても、自分でどうアクトするかだと思うから、こういうふうに演じてくださいって与えたところで、自分が持っていたイメージとちがうものが出てくる。それがおもしろいと思えるふたりなんですよ。

川上:指示してやってもらいたいんなら、スタジオ・ミュージシャンを呼んでシンガー・ソングライターとしてやればいいだけの話で。

桜木:あと、いまサポートで入っている小林うてなも、自分が尊敬できるひとです。

たとえば2曲めなんて、それこそリズム・トラックが曲のメインだとも言えるじゃないですか? ああいうのは川上さん的に、何を投げられて何を打ち返したものなんですか?

川上:感覚的に打ち返しているだけですね。

桜木:“ナウ・イッツ・ダーク”は弾き語りで作ったんですよ。

川上:歌はかなりフォークだったんですけど、すごく変わりましたね。リズムの最初の「ドッツカ」は、僕がこうしたいってあれをずっとやってて、つまんないなってなって、じゃあ途中から変えようっていう感じです。後半でBPMが上がるんですけど。あそこに繋げるための間のところはかなり悩みました。「ドンツクツクツクタン」が出てくるまでだいぶかかりましたね。まぁ、でも全部僕が出てくるまで何も言うこともなく、あーだこーだ「これはちがうな」みたいな。でも、ふっと「あっ、それだ!」っていうのが来る。それが来るまで、ずっとスタジオに入るまでです。

「ドンツクツクツクタン」が出てくるまでだいぶかかりましたね。(川上)

桜木:僕らの曲作りって、量だと思っていて、とにかくたくさん出して、やる。そうすると自分が想像できなかったものがふっと出てくるタイミングがあったりとか、「これなんじゃないか?」みたいな。

川上:質がいいものをやるには量を出すしかない。

あ、ほらまた出た。熱さっていうか、体育会系ではぜったいないのに、体育会系思想が出てきた。……こだわってすみません!

市川:おもしろいのが、たとえば僕が曲を作っているときに、輝のドラムだったり、大悟のギターだったり、自分のベースだったり、曲の展開で「あっ、絶対にいまのだ」ってなってると、ふたりも同じことを思っていたりとか。

川上:でもひとりでもダメだったら通らないですけどね。

市川:いま作っているやつもかなり時間がかかってます。

なるほど。フォークを解体するっていうのは、ひとつの本質的な特徴なのかもしれないですね。たとえば、よく比較されるYogee New Wavesとかって、やっぱりフォークのスタイルって一応しっかりとあるわけじゃないですか。でも、なんかそういうふうに日本語が乗っているわけじゃない。かと言って、どうでもいいですってわけでもなくて、ちゃんと日本語がきこえる。
そういうことって、先にあるものを崩すところから生まれてくるのかなって感じもしましたね。

市川:大悟が持って来た曲のイメージとかを、みんなでまずはバラバラに解体して、それから再構築。

川上:けっこう曖昧だから、やりながら固まってくるみたいな。みんなで徐々に同じ方向に向いて来るみたいな感じですよね。性格も出ているでしょうね。パッと出してじっくり考えるみたいな。いろんなパターンも試すし、そういうのをやっているからこそ、予想だにしない展開も生まれると思います。

市川:セッションとかして、「いまの感じいいじゃん」ってなったときも、いったん大悟が家に持ち帰って曲に対するイメージみたいなものをつけて、またスタジオに持って来てみんなで聴いて。

川上:そこからまた考えるけどね(笑)。

市川:で、またそれを崩して、組み立てて。

川上:そうやってみんなが考えているって気持ちがあるんですよ。3人で戦っている感じがあって、俺だけで戦っているって感じはないですね。

3人で戦っている感じがあって、俺だけで戦っているって感じはないですね。(川上)

バンドだから、ひとつにはアンサンブルっていう戦い方があると思うんですけど、皆さんにはもうちょっと、曲とかコンセプトっていう戦い方を感じますね。

川上:技術だけあってもぜんぜんよくないじゃんっていうのもたくさんあるし、そういう問題じゃないと思うから。

桜木:技術に関しては、それは手段だから。それよりは目的が最優先で。

そのあたりは、ミュージシャンシップというよりは、もっとアーティスト性みたいなものを感じさせるバンドだなって思います。
せっかくいま歌詞の話も出てきたので、お訊ねするんですが、「ジャパニーズ・ミニマル・メロウ」と謳っていますけど、ここで「ジャパニーズ」ってわざわざ言うのって、みなさんにとって大事なことなんですか?

川上:「ミニマル・メロウ」をオウガ(・ユー・アスホール)さんが先に言っていまして、「先に言われた!」っていうのが僕たちの中にあったんです。

桜木:まさに僕らのもやもやを簡単に形にしてくれたと思って。

川上:「作品のインフォメーションを作るから何か送って」って言われて、僕たちは「ジャパニーズってつけるか」って思って。まぁ、日本語で歌っていることは意識していると思います。

もともと僕は、D.A.N.をはじめる前からずっと、海外でライヴをしたいとか生活をしたいとか、世界規模で音楽をやりたいと思っていたんですよ。(桜木)

1曲めとかはクラウトロックっぽい反復性はありますよね。どちらもイメージ的に近くはないですが、共通性があるのかもしれないですね。……しかし、「先に言われた感」があったと。

桜木:すごく悔しかった。

なるほど(笑)。皆さんの音楽って、とくに邦楽って感じでも洋楽って感じでもなくて、すごく自然に海外の音楽を聴いてきた経験が溶け込んできたものだなって感じるんですよ。だから、なんでそういう言い方をわざわざするんだろうなって。ということは「ジャパニーズ」ってことにこだわりがあるのかなと、ちょっと思ったんです。

桜木:もともと僕は、D.A.N.をはじめる前からずっと、海外でライヴをしたいとか生活をしたいとか、世界規模で音楽をやりたいと思っていたんですよ。YMOとかもリスペクトして。自分のその日本人っていうアイデンティティがなければ、どんなに海外志向なサウンドを出したところで外国人からしてみたら、「そんなのいくらでもあるじゃん?」って思われちゃうというか。

シニカル。でも、そうですね。

川上:だからこそ、日本人としてのっていうところを大事にしたい。

桜木:たぶん、日本人が無理に歌う英詞って、あっちのひとにしたらすごく気持ち悪いと思うんですよね。だったら素直に日本語で歌った方がおもしろいじゃんって思う。

ある意味ではすごくイエロー・モンキーであるということを、自覚し過ぎるくらいしてるんですかね。

市川:表現的にも、英語と日本語どっちが喋れるといったら日本語だと思って。だったら日本語で表現した方がより伝わりやすいし、自分が思っている表現ができる。

川上:自分たちも意味を感じながらできるし。

自分の歌詞はサウンドがいちばん大事で。(桜木)

D.A.N.をパッと聴いたときに、いかにも英語で歌っていそうな感じじゃないですか? そんなことありません?

桜木:もともと僕は英語で歌っていたんです。

そうなんですか。その詩は誰が?

桜木:自分でデタラメな英語を書いていたんですよ。それがすごく恥ずかしかったというか、自分は何をやっているんだってなりました。これじゃ意味ないって。

といって、意味とかメッセージ性を押し出すものかといえば、ぜんぜんそういうフォーク性もないしね。

桜木:自分の歌詞はサウンドがいちばん大事で。言葉の響きだったりとか、イントネーションとかリズムとか、サウンドに寄り添う形で。それがいちばん重要なんですけど。あとは耳に入ってきたときに、おもしろいワードだったりとか、そういうものを意識してます。ただ、歌詞に関しては自分はまだ冒険中というか。

歌詞ではないですけど、1曲めはギンズバーグを引用していますよね。あれはビートニクへの何かしら思いがあるんですか?

桜木:僕はYoutubeで見ていてサンプリングしたんですけど、あれはリズムがおもしろかった。だからなんとなくサンプラーに入れてて、スタジオでセッションしているときに、適当に流したらおもしろかったから使った。

川上:あの曲は最初にビートができてギターが乗って、「あたまに(リーディングを)入れたらおもしろいんじゃん?」ってなって流して。

桜木:ちょっとポエトリー・ラップみたいなのもおもしろいなと思って。ビートと言葉の揺らぎがいいと思ったから。

市川:あのことばの意味を出したいというよりは、言葉のフローじゃないですけど、流れがいいねってなって、決まっただけなんです。だから、わざわざ意味として主張したいものはないですね。

なるほど、あれはビートなんですね。ビートニクというより(笑)。チェコかどっかのライヴ音源みたいですけど、わたしもあの詩をぜんぜん知らなくて、でも「ガーナ」って曲名でしょう? これって何なんだろうと思って(笑)。

川上:「ガーナってどうよ?」って言ったら「いいじゃん。響きおもしろいね」みたいになって(笑)。

桜木:曲名はあだ名なんです。

川上:曲名はみんなでぽっと決めますね。

なんかすごくコンセプチュアルなのに、そこはすごい感覚的っていう(笑)。いいですね。

川上:僕はアフリカといえばガーナだと思ったので。

市川:“ガーナ”の音は土着的だし、「ガーナっぽいね」って言ってたらガーナになりました(笑)。

カンみたいなのがありつつ、ガーナで、チェコでビートニクみたいな(笑)。

桜木:ガーナって言っている前はバスキアって言っていたんですよ。それで、「バスキアってタイトルは恥ずかしい」と(笑)。

あはは!

川上:セッションの終わりくらいに、バスキアって呼ぶのが恥ずかしくて、仮でガーナって呼んでいたらガーナになった(笑)。

人生、楽しいですけどね。(市川)

その柔構造がいいですね。個人的には、曲がメッセージを発しているとお説教を受けているみたいな気持ちになっちゃうので、いやぁ、なんて心地よい詰まりすぎない音楽なんだろうって、D.A.N.にはすごく思うんですよね。そういうひとたちなんでしょうね。

川上:そうだと思います。

世代で括る気はないんですけど、一応ゆとりと言われているひとたちよりもちょい下ですよね。

桜木:がっつりゆとりです。

川上:さとり世代って言われているんだよね(笑)。

市川:人生、楽しいですけどね。

日本がこのあと右肩上がりになることなんて絶対にないってわかっているんだけど、最初からそういうところに生まれたからわりとハッピー、みたいなね。

桜木:そういう意味か。なるほど。

川上:「恵まれてる国だから」みたいなとこですよね。

そうそう。私もそういう雰囲気はすごくわかるので、なるほどなと思うんですけど。
さて、このバンドにおけるソウルってところも訊きたかったんですけど、ヴォーカルとかもソウルフルに思えて、じつはあれは黒いって感じじゃないですよね。むしろトム・ヨークとかね、あのファルセットはそういう感じがするんですけど。なんか原点にファンキーなものとかソウルなものとかあるんですか?

川上:いろいろ好きなんですけどね。

桜木:ファルセットですか?

新しいR&Bの流れとかもあるじゃないですか?

桜木:うん。それはものすごく影響を受けてます。

なるほど。

川上:ディアンジェロの歌い方とかね。

音楽はどこで買っているんですか?

桜木:友だちのパソコンからデータでもらっているかな(笑)。

川上:彼はけっこう掘ってる。

レコード屋さんとか行きますか?

桜木:僕がわりとふたりに流していることが多いかな。下北沢のオトノマドってレコード屋さんとかですね。

どういうものが置いてあるんですか?

川上:「見たことねぇ!」みたいなのばかりでおもしろい。

桜木:フォークとかもあるし、ソウルやファンクもあるし。フュージョンとかジャズとか、ブリストルとか。あとエレクトロとかアンビエントもあるし。クラウトの実験的なものだったりとか。中古もあるし、新品もあるし。

市川:セレクトショップみたいなね。

桜木:そことかはわりと見たりしていますね。あとは友だちに「最近何を聴いてんの?」って聴いたりとか、そういうのですね。

なるほど。やっぱり根本はインディ・リスナーなわけですね。そしてそういうところに、D.A.N.も置かれる音だと思いますよ。アルバムも楽しみにしています。

TETSUJI TANAKA - ele-king

TETSUJI TANAKA / "LIQUID FUNK HISTORY SET" CHART 15選

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