![]() tha BOSS IN THE NAME OF HIPHOP THA BLUE HERB RECORDINGS |
北海道・札幌をリプレゼントするTHA BLUE HERBのラッパー、tha BOSSが全国から敬愛するビートメイカー、ラッパーを招き、初のソロアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP』を完成させた。
BOSSといえば常にO.N.Oと二人三脚で作られるTHA BLUE HERBの音源のイメージが強いが、本作はトラックメイカー陣にPUNPEEの名があったり、客演陣にYOU THE ROCK★の名があったりと、かなり外に開かれた内容になっている。
BOSS自身このインタヴューで、参加アーティストに寄り添って作ったと話しているように、このアルバムは18年前にマイク稼業を始めたひとりのMCのユナイトの賜物だ。トピックもシンプルで、聴き手を選ぶ類のものではない。
とはいえ、もちろんBOSS“節”は健在で、さらに磨きがかかったといってもいいほどだ。tha BOSS名義のソロ作品ゆえ、彼の純度が増したのだともいえるし、デビュー当時の攻撃性は鳴りを潜め、作品そのものの深みが増したともいえるだろう。
この“節”に関しては作品を聴いていただく他ないが、『IN THE NAME OF HIPHOP』=“ヒップホップの名のもとに”というアルバム・タイトルは、この作品を実によく表している。「ユナイト」や「純度」や「深み」の意味を象徴し、よく伝えている。インタヴュー時間はジャスト30分、雑談はなし。一気呵成に訊きたいことを聞いた。
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ファーストの頃は自分の居場所を作るために命を張って勝負をかけるという意味では、俺にとってその時代の俺のヒップホップは、俺に力をくれたし、その大 義っていうものを信じて生きてきた。けど、それと同時にヒップホップはユナイトする音楽、人と人を繋げる音楽という側面もあって、18年後にやっとここに 辿り着けたよね。
■このアルバムに関しては、昨年末に制作を発表して、そこから1年を待たずに、この高密度なアルバムが完成されたわけですが、そこに至るまでの経緯から伺いたいです。
tha BOSS:そうだね。まずは1997年からマイク稼業をはじめて、今日まで18年か、その間に出会った人と曲を作ってみたいっていうのがまずはじめにあって。現場でいつか曲を作ろうよっていう話をしていた人たちもたくさんいたし。でも、それだけじゃなくて、やっぱり自分がそんなにまだ、なんていうんだろう……たとえ現場ですれ違う程度の人でも、この人のビートに乗せてみたいだとか、いろんなスタッフも含めて、ヒップホップに詳しい人は俺の周りにたくさんいるから、みんなとも話して、一緒にやりたいと思った人に声をかせさせてもらった感じだね。
■いまのお話の住み分けをもう少し具体的に伺いたいです。
tha BOSS:DJ KRUSHさんとかDJ YASとかDJ KAZZ-K、INGENIOUS DJ MAKINOとかは俺にとっては昔からの知り合い。Olive Oilもそうだし。 NAGMATICとかPENTAX.B.FとかPUNPEEやHIMUKIとかは、なんていうのか、今回は俺の方から一線を越えてオファーした人たちだね。
■HIMUKIのビート(2“I PAY BACK”)は凄かったですね。この曲を聴いた瞬間、このアルバムの意味というか、アルバム全体が持つ高揚感みたいなものが駆け抜けた気がしました。
tha BOSS:HIMUKIのトラックは一番最初にレコーディングした曲なんだよね。今年の2月にレコーディングを始めたんだけど、、それが実はこの曲。聴けばわかるけど、俺的にも、力も入ってるし。弾みをつけたかったという気持ちを感じられるというか。すごい、なんかねぇ……HIMUKIとの曲が最初で良かったなと思う。
■全国どこのヒップホップのアーティストも、最初は地元のトラックメイカーだったり自分たちでビートを作ったりするわけですが、ことTHA BLUE HERBに関しては最新作に至るまでですし、O.N.Oさんとの結びつきが強いですよね。THA BLUE HERBとはO.N.Oさんでもあるわけで。
tha BOSS:そうそう。まさにその通り。
■だから、これだけまとまった楽曲群を他の人と作るというのは、BOSSさんにとって、かなり新しい体験だったと思いますし、発見もあったと思いますが、その辺はいかがですか?
tha BOSS:うん。それ(体験や発見)はたくさんあったよ。なんていうかな……基本的にその……O.N.Oとのやり取りという意味では、俺的にはある意味『TOTAL』で頂点を極めた感覚があったんだよね。『TOTAL』というアルバムの細部に渡るまでに、いまも崩れずに傷つけられずに、汚れずに、いまだに全曲ピシッと成立している世界というのは、俺にとってはある意味パーフェクトで。あれを作り終わったあとには、しばらくあれを乗り越える作品を作るというのは、ちょっともう……ってくらい、俺たちは『TOTAL』でデカい山を登ってきたんだ。
だからやっぱり、そのTHA BLUE HERBの次作の前に、ソロ・アルバムを作ってみたいなと思って、今回こういう、たくさんの人たちとやらせてもらったんだけど、みんな育ってきた環境も使ってる機材も年齢も違うからね。ひとりひとりと、メールなり電話なり、作業なりをずっとしていくと……O.N.Oと俺の場合は、THA BLUE HERBというひとつの人格を最初から最後まで成長の過程として共有してるわけだけどさ、今度のは15曲、特典のセロリ(Mr.BEATS a.k.a. DJ CELORY)くんを含めて16曲、2曲提供してくれたのがふたりだから、つまり14人との制作だったんだ。1対1が×14人分あって、それがみんな違うから、ずっとひとりのビートメイカーとやってきた人間からすると、それはやっぱり全然違うよね。
でも、そこを本気で誠実に向き合うことで……対決して音楽を作るというよりは、せっかくこういう人たちとやるんだし……ハーモニー……調和した音楽を作るというか、その人と一緒に最高の曲を創りたいというか……そういう気持ちが強いからね。その人それぞれの違いに寄っていくと、自分も自分の中になかった感情であり、手法であり、声の質であり、言葉遣いでありが14人分出てきたよね。だから新鮮で楽しかったよ。
■トラックメイカーとの顔合わせ(食い合わせ)の話で言えば、もうひとり、やっぱりPUNPEEさんが面白かったのですが、PUNPEEさんいかがでしたか?
tha BOSS:PUNPEEも最高だったよ。PUNPEEと一緒にやるのも俺にとっては結構挑戦だった。今回参加してくれているのは、みんな、今すごいと言われてる人たちで。でも実際外から見てるだけではわからないし、一緒に作ってみないとわからないから誘ってみたんだけど、本当だね。みんながすごいと言うには、ちゃんとした理由があるっていうのは、仕事をするとわかるよね。
PUNPEEはずっと一緒に、お互いに意見を出し合ってスタジオで作ったんだ。そこはみんな同じで、遠慮なしに「ここはこうして欲しいし、こうした方がいい」と言い合って作ったけど、そういう意味じゃPUNPEEは、1回か2回現場で会って、そこから俺がオファーして実現したんだけど、キャリアのことは知っていてもお互いのことを知っているわけじゃなかった。俺の性格とか人間に関しては付き合いは深いわけじゃないところで、スタジオに入ったけど、相当PUNPEEも切り込んでくるし、俺も逆にそれ待ちだったからね。PUNPEEに俺を操縦して欲しいという感覚が強かったし、ビートメイカーとプロデューサーの違いという意味でも、PUNPEEはどっちかというとプロデューサー。ラップもできるし、アレンジもできるし、ミックスもできるし、ビートも作れるっていうマルチでそれぞれがすべてハイクオリティな人間だから。PUNPEEのリクエストは、こっちも耳を傾けたし楽しかったね。
■PUNPEEさんは、すごい俊敏な印象があります。
tha BOSS:そうだね。俊敏だね。メロウだしね。言葉にすると誤解を招くかもしれないけど、PUNPEEが持ってるポップさって、逆にTHA BLUE HERBではなかなか接近できない世界なんだけど、今回は挑戦してみたいと思ったんだよね。ポップなフィーリングっていうか。ポップにもいろいろあるんだろうけど、PUNPEEのトラックは今回の中ではすごい開かれているというか。この曲が、ここの9曲目にあるかないかで、随分印象が違うからね。一緒にやれて本当に良かったよ。
■そうですね。元々のTHA BLUE HERBという存在は、ポップという言葉が多様な意味を持つものであるにせよ、それでもポップという語と結びつく存在ではなかったですし。今回のインタヴューにあたって、ファースト・アルバムをあらためて聴いたんですけど、“孤憤”とか(単刀直入にいえば、BOSSが「業界」じみたMCやメディアをdisった曲)を聴いて、あのアルバムからはじまったのかと思うと、やっぱり今回のアルバムの広がり、そういった多様性には奇跡のようなものを感じてしまいます。
tha BOSS:俺もそう思うよ。このタイトル自体もそうなんだけど、ヒップホップがあったからやっぱりここまで来れたと思うよね。ファーストの頃は自分の居場所を作るために命を張って勝負をかけるという意味では、俺にとってその時代の俺のヒップホップは、俺に力をくれたし、その大義っていうものを信じて生きてきた。けど、それと同時にヒップホップはユナイトする音楽、人と人を繋げる音楽という側面もあって、18年後にやっとここに辿り着けたよね。
俺の……なんて言うんだろう……俺のTHA BLUE HERBのファーストの頃のアティチュードからの変化に、もしかしたらクエスチョンの人もいるのかもしれないけど、俺は俺の思ったままに生きてるだけなんだよね。俺は俺のこの道で良かったと思う。ヒップホップを長くやってきて、走り続けてきてよかったと思った。こういうオチがあるんだったら、うん、最初に中指立てたことも、そして変化を否定せずに続けてきて良かったなと思ったね。
■ただ、ファーストの言葉はたしかに中指も立っていましたが、あのアルバムで確実に「草冠に音と言葉(THA BLUE HERBのロゴ)」の旗も全国に立ちましたし。たんなるネガティヴ・メッセージでは全然なかったですよね。そういう力を持った音楽だった。
tha BOSS:なんで俺がその……中指を立てたかっていうと、自分の居場所が欲しかったのと、日本中のヒップホッパーに対して、ただたんに俺と俺らのヒップホップ、俺らの街、俺がずっと住んでいる札幌という街を認めさせたかったんだよ。それだけのためにずっと中指を立てていたから、認めてくれた人に対しては、さらにそこからツバを吐くような真似は俺はしないし。認めてくれたら逆に相手のことも知ろうとするっていうのが人としての礼儀というか、それが俺にとってのヒップホップのマナーだから。そこを経たあとは……ここに集まった人たちは……みんな友だちだしね。それもヒップホップだよなぁと思う。お互い認め合ったら、なんていうのかな……曲を作ろうよっていう風に14人分帰結したっていうのは、ヒップホップ好きなら当たり前のことだよねと思う。
田我流はね……田我流はもうある意味俺がファンだから。いつか一緒にやりたいっていう、なんて言うの、初めて会ってからずっとだけど……田我流は本当に凄い。やりたいラッパーはもっとたくさんいたんだけど、でも、そういう意味では、この世代では田我流だったね。
■今度はフィーチャリングについて伺いたいのですが、それこそ、こうして完成した作品、結実したものを聴けば、これもまた必然だとは思えるのですが、それでも、すごいバランスだと思います。このメンツはたんなる計算では絶対にありえないと思いますし、BUPPON(ブッポン)さんとYUKSTA-ILL(ユークスタイル)さんの楽曲(4“HELL’S BELLS”)ひとつとっても、2人とも昨日今日はじまったMCではないとはいえ、フレッシュでした。
tha BOSS:俺のラップ稼業の中では三重に行けば必ずYUKSTA-ILLとリンクしてたし、BUPPONも何度も俺らを山口に呼んでくれたし。東京のラッパー、山口のラッパー、三重のラッパーは俺にとってはみんな同じ、札幌以外のラッパーだから。そういう中で普通に同じラインで見たら、このふたりは本当に昔から俺のことをサポートしてくれた……なんていうのかな……超大切な友だちっていうか。ふたりに関しては昔から本当に俺のことを励まして受け入れて世話してくれてる人たち。いつか一緒に曲を作りたいと思ってた。だからYUKSTA-ILLもBUPPONも若いけど、俺にとっては友人だし、若い奴にチャンスを……なんてことはまったく思ってない。俺はただ昔からの友だちとマイクリレーをしたかっただけだね。
■たしかに、ふたりともソリッドなヴァースをカマしていますね。ソリッドなヴァースをカマしているといえば、もうひとり、札幌のELIAS(エリアス)。この楽曲(6“S.A.P.P.O.R.A.W.”)がまたトンデモなくタイトで……。
tha BOSS:ELIASに関しては……本当に札幌という街で、B.I.G. JOEと俺のふたりがいて……、次は誰だって言えば、ELIASだというのはずっと言われ続けてきて。それは札幌のアンダーグランドでは常識なんだけど。昔から札幌のアンダーグラウンドの最前線にいる。そういう意味では、本当にラッパーとして、大きな世界に出て行くためにやらなきゃいけないことは、これまでずっとやってきている人間だから。フックアップとかではなくて、ELIASに関してはこれが何かのいいきっかけになればいいなと思ってる。YUKSTA-ILLとBUPPONと同じくELIASもアンダーグランドヒップホップの世界では常識なんだけど、まだまだその広がっていく余地がたくさんあるアーティストだと思ってるよ。3人とも違うし、すごいおもしろいし格好良いよね。ELIASは本当ソリッドだよ。
■田我流(5“WORD…LIVE”)は前の3人とはまったく違う色合いで……もう……凄いですよね。
tha BOSS:田我流はね……田我流はもうある意味俺がファンだから。いつか一緒にやりたいっていう、なんて言うの、初めて会ってからずっとだけど……田我流は本当に凄い。やりたいラッパーはもっとたくさんいたんだけど、でも、そういう意味では、この世代では田我流だったね。
20代、30代、40代……と、見える視線によって、ヒップホップというのは変化していくわけで。20代のヒップホップを否定する気もないし、格好良い音源も多い。でも、俺らみたいな40代のヒップホップにも価値があると思ってやってるから。
■はい(笑)。そして、このアルバムのひとつの白眉だと思います、YOU THE ROCK★を招いての“44YEARS OLD”、トラックはDJ YAS。先ほども触れたファーストのときの東京dis、業界disというのは、具体的に言えば、対「さんピンキャンプ」的な……と言っていいと思うんです。「さんピン」が象徴したものというか。YOU THE ROCK★さんはその象徴の中の、さらに最たるキャラクターといってもいいラッパーですから、本当に驚いたし、感動もしました。これがまた凄いヴァースで……。なので、YOU THE ROCK★さんに関しては、おふたりの出会いから、この曲に行き着く流れまで伺いたいです。
tha BOSS:YOU THE ROCK★と俺がここで一緒に曲をやるっていうのは、いまの子たちにはなんのことやらって感じかもしれないけど、あの時代、90年代の後半からのヒップホップ、THA BLUE HERBの最初からを知っていた人にしてみれば、これぞ奇跡みたいな。俺は彼をdisったし、彼はこの街(東京)でボスのひとりだったから、俺以外の人間からもいろんな攻撃に晒されたし、そこで頑張ってやってて、いま2015年になって……。
俺はお手手つないで仲良くじゃなかったから、YOU THE ROCK★とかのことをどかして、居場所を作ってきたという気持ちも強くて。そうは言っても、同じ齢というのもあったし、YOU THE ROCK★は俺のことを受け入れてくれてはいたし、この18年の間にも同じ現場でちょいちょいは会ってたんだよね。まあ乾杯して楽しんで話したりとかって、そういうときは別に一杯飲むとかそんなレベルだったけど、そんなことが3年に一度とかのスパンで続いてて。俺もYOU THE ROCK★という人間をだんだん知ってきてたし、今回のタイミングで、ラッパーで誰を誘いたいかって、一番最初が彼だったんだよね。
曲がりなりにも、俺自身がYOU THE ROCK★という人間を削って上がってきた人間だったから、今度は俺がひとつ、ちゃんと落とし前を付けなきゃいけないと思ってた。他人が介入して「ボスとユーちゃん一緒に曲やんなよ」「俺の曲でユナイトしなよ」という話じゃなくて、仕掛けた俺がその場所を作って、彼に来てもらって、「で、今何を歌うんだ?」っていう場所を俺が作りたかったんだ。それで俺が今年、彼に連絡して、中目黒の居酒屋でふたりでがっつり飲んで、そこはもう超ガチだったね。俺も超ガチだったし、あいつも超ガチだった。2、3時間、はたから見たら口喧嘩してるんじゃないかっていうテンションでずっと話して、俺は「俺はおまえを削ってここまで上がってきた。ここでおまえも一発ライムかまして、俺の曲を聴いてくれてるお客さんたちを俺から奪うつもりでやれや」って言って。彼も「やってやるよこの野郎」みたいな感じになって。それで曲を作った。それで、ビートメイカーはDJ YASで、3人とも44歳だから“44YEARS OLD”っていう曲にしようって。
あいつも本当にいろいろあったし、俺もあったけど、たぶんYOU THE ROCK★をひとつの、わかりやすいハイプなキャラクター、陽気なピエロみたいなやつという認識で終わってるやつもいたと思うし、彼も意識的か無意識的にかは俺は知らないけど、それを自分のキャラとしてやってた時期もあった。ただ、その後の……あいつの人生で起きたこと、あいつがそれを乗り越えてきたこと、孤独だとか、そういうことっていうのは、まだあいつは語ってないし。でも、俺は語られるべきだと思ったんだよね。それはこれからの若いラッパーたちにとっても、俺とか彼とかみたいな人間がどういう感じで、もう一度、ここでユナイトするのか。YOU THE ROCK★がいままで乗り越えてきたことについてのリリックは残されるべきだと思ったという感じだね。
■僕は音源についての取材やインタヴューをするとき、基本的にいつも資料をいっさい読まずに音源から聴くようにしているんですよ。それはまずまったく先入観抜きに楽しみたいと思ってのことなのですが、だからどういうアルバムかまったく考えもせずに聴いていたら、YOU THE ROCK★の声が耳に入ってきて、もうびっくりしました。「ええ!?」って。
tha BOSS:「俺にもあるぜBOSS」って入ってきたでしょ(笑)。間違いない。でも、やっぱり、さっきの話じゃないけど、さんピン時代とか……そういう時代にヒップホップを聴いてた人、いまはKOHHとかの時代だからさ、が、その時代に聴いてたいま30代後半とかの人が、どこで何をしているのかって考えると……それは人それぞれだけど、でも、そういう人たちにもまだやってるぜっていうか、そういうメッセージを投げかけたかったんだよね。20代、30代、40代……と、見える視線によって、ヒップホップというのは変化していくわけで。20代のヒップホップを否定する気もないし、格好良い音源も多い。でも、俺らみたいな40代のヒップホップにも価値があると思ってやってるから。しかも歌っていくのは、その20代の子たちに向けたラップというよりは、自分の目線で歌う、自然と自分の同じ年代の曲になっていくわけで、そういう時代にいた人たちに、俺とYOU THE ROCK★がやってるぜっていう。もう一度クラブに来いとは言わないけど、「もう一回俺らのヒップホップを聴いてみないか?」みたいな。彼を誘った時点で、そういうメッセージがあるよね。彼もすごいさらけ出してリリック書いて、俺のオファーをシリアスに重く受け止めてくれたから、やっぱり誘ってよかったなと思う。
■客演に関して、もうひとり。同じく札幌のB.I.G. JOE(6“WE WERE,WE ARE”)。これは顔合わせのおもしろさという次元の話ではなく、ヴァースのクオリティーが圧倒的でした。
tha BOSS:B.I.G. JOEのヴァースは……神がかってたね。本当に……それこそB.I.G. JOEは俺がラップやる前からの付き合いだから、20年以上の付き合いになるけど。この人と同じ街でラップをやり続けて、こうやってお互い、いまもこうして一緒にレコーディングできているのは素晴らしいことだよね。本当にもう……神がかったバースを残してくれて感謝してる。
■今度はアルバムで扱われるトラックについても少し伺いたいのですが、これまで歌われたことのない、BOSSさんの幼少期の光景が歌われたり(“REMEMBER IN LAST DECEMBER”)もしています。こういったことも、僕には少し不思議な気がしました。
tha BOSS:THA BLUE HERBではそこまでいけないからね。自分のパーソナリティーまでは曲にならないから、そういうとこもやっぱり違うよね。書いてるトピックが。
■それってなんでなんですかね。要するにお互い何もかも知り尽くしているO.N.Oさんのビートではなく、初めてのトラックメイカーたちとの中で、そういうトピックが出てくるというのは……
tha BOSS:それはそうだよ。O.N.Oとだからというわけではなくて、THA BLUE HERBとしてやってるわけだから。THA BLUE HERBにはTHA BLUE HERBっていう人格があるんだよ。97年に「SHOCK-SHINEの乱」から始まったTHA BLUE HERBって存在があって、それは97年に産まれた存在で、そこから成長して、のし上がっていくわけだよ。でも、これに関しては俺だからね。俺は97年にマイク稼業を始めたけど、そこが俺の始まりではないっていうか。そこの違いはやっぱりあるよね。
■ああ、なるほど。そう伺うと、それもそうですね。ちなみに、このアルバムのライヴはやるんですか?
tha BOSS:やる。THA BLUE HERBで12月からリリースツアーを始めるよ。THA BLUE HERBの曲たちの中に、この曲が入っていく。そういうことになるよ……。今言ったTHA BLUE HERBの世界観と俺個人の世界観が違うという中で、それがライヴの中でどう混ざっていくのかが楽しみなところだよね。
■では、時間が迫ってきたのでシメたいと思います。『IN THE NAME OF HIPHOP』、ヒップホップの名のもとに……というのは、このアルバムのタイトルとして、いかにもふさわしいと思いました。先ほども曲名に挙がりました“SHOCK-SHINEの乱”ではじまったTHA BLUE HERB。そのMCのBOSSさんが、いまこうして全国のビートメイカー、ラッパーとユナイトして、1枚のヒップホップアルバムを作り上げたという……これは制作当初からのコンセプトだったのですか?
tha BOSS:だんだん途中からそう思い始めていったんだよね。アルバム制作中も俺はこのパソコンでずっと仕事をしていたんだけど(インタヴュー前もBOSS氏はノートパソコンに向かって仕事しており、すぐ前にパソコンがあった)、作業の終盤に入ってくると、その受信トレイに入ってくる名前がさ……KRUSHさん、PUNPEE、grooveman Spot、YAS、YOU THE ROCK★、BUPPON、B.I.G. JOE……って、いろんな人と同時にやり取りしてたからさ。うわ~、この並びすげぇなと思って。本当にヒップホップの名のもとにとしか言いようがないなと思ったんだ。
■ありがとうございました!
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北海道・札幌をリプレゼントするTHA BLUE HERBのラッパー、tha BOSSが、初のソロアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP』をリリースした。これまでにもコラボ経験のあるDJ KRUSH、DJ YASといった顔触れから、PUNPEEやHIMUKIといったまったく新しいメンツ、客演には田我流やYOU THE ROCK★など、全国のビートメイカー、ラッパーを招いた画期的な作品である。
THA BLUE HERBについてはいまさら説明されなくてもよく知っているという方は、ぜひこの画期的なアルバムを手にとり、これをいま聴けることの喜びを共有したい。
だが、最近になってTHA BLUE HERBを聴き始めた(tha BOSSを知った)という方は、tha BOSSが今度のソロ作品を出すまでの経緯を把握すれば、このアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP』をより楽しめることがあるように思うので、以下に少し書いてみたい。
18年前に始まったTHA BLUE HERBが世に放ったファースト・アルバム『STILLING STILL DREAMING』(1998)は、リリース当時から熱烈な賛否を持って迎えられた。
これはBOSS THE MC(その頃はこう名乗っていた。以下BOSS)とビートメイカーのO.N.Oの2人の「シンプルな音と言葉」による、東京中心のヒップホップシーンへのほとんど宣戦布告といってもいい1枚だった。たしかにその頃のBOSSの言葉は、ファースト・アルバムを一聴すればわかるように、かなり攻撃的である。ヒップホップでのdisは具体的であるほど意味を持つものだから、攻撃の対象は聴いていても明らかだったし、当時のBOSSのリリックはほのめかしという類のものではなかった。
そうである以上、そこに賛否の「否」が生まれるのは必然である。ヒップホップもショービジネスであり、そのdisがTHA BLUE HERBの名を広く流布したひとつの大きな要素と考えれば、そこにはBOSSの戦略めいたものもあったのかもしれない。だが、それはやはりプロレスでいうストロング・スタイルのようなショー的なものではなく、極端な話生きるか死ぬかの類の、もっと切迫したものであった。
「北から陽が昇ることに慣れてないお前達は俺達の存在そのものにまだ戸惑っているんだろう?」
“ONCE UPON A LAIF IN SAPPORO”におけるBOSSのこの挑発的な言葉は、それを象徴しているだろう。だが、同時にこういった挑発が生む「否」と「賛」は表裏の関係にある。
初期のTHA BLUE HERBに対する「賛」には、列島の「北」から下すべてに中指を立てるようなリリックが一役も二役も買っているといっていい。まだ無名のハングリーな新人が、優遇された有力な相手を叩きのめすのがカタルシスであるのは言うまでもない。言わば、強烈なカウンターによるノックアウト劇。それが初期のTHA BLUE HERBの賛否の「賛」にはあった。
ここに書いた「強烈なカウンターによるノックアウト劇」の意味はシンプルで、北海道の無名のTHA BLUE HERBの記念すべきファースト・アルバム『STILLING STILL DREAMING』は売れたのだ。そのヒットは、彼らが地方でくすぶっているB-BOYのハートを鷲掴んだだけでなく、それまで日本人のラップを聴かなかったリスナーまでをも一気に取り込んだゆえでもあった。
筆者は当時からヒップホップや日本人のラップを聴いていたし、アーティストによってはライヴを見たこともあったが、クラブに日常的に顔を出すというタイプではなかった(結局、いまもほとんど変わっていないのだが)。レディオヘッドやベックやアンダーワールドを聴きながら日本人のラップにも興味津々な、ただ自分にフィットするレベル・ミュージックに出会いたいという願望を抑えられない、つまり、どこにでもいる至極普通の学生だった。BOSSの言葉やTHA BLUE HERBの音楽が取り込み光を当てたひとつにあるのは、パーティのノリが苦手で(楽しみ方を知らないだけなのだが)、鬱屈した煮え切らない日常の中で自分のためのレベル・ミュージックを探す筆者のような人間だったと思う。
上に引用したリリックにある「北」という語が、北海道・札幌を拠点に活動する彼らのフッドを指すのはいうまでもないわけだが、それはまた「魂の極北」といったときに使われる、ある種の極限的状況を彷彿させる機能も果たしていた。同アルバムの収録曲の“STOICIZM”というタイトルや、THA BLUE HERBファンが好きな曲の1位、2位にランクするだろうクラシックス“BOSSIZM”の「焦点の合わぬ目はそのまま明け方、氷点下の証言台に立つ」といったリリックは、すべて「極北」に含まれる“北”という語が象徴するものと響き合っている。
THA BLUE HERB初期のこうしたBOSSの言葉群は、自身に本質的な変革を導くには、まずその(つまり自分自身の)極北で孤独を知ることだという普遍的な訴えであり、その訴えの場として北海道はふさわしい詩的フィールドだったと言っていいかもしれない。
言うまでもないことだが、THA BLUE HERBの音楽がB-BOY以外のリスナーを取り込んだことを語るためには、ビートメイカーのO.N.Oの存在も不可欠である。これはTHA BLUE HERBの音楽の前提だ。つまりTHA BLUE HERBは=BOSSだが、まったく同じ強度で=O.N.Oでもある。それは最新アルバム『TOTAL』まで微塵も揺らがないTHA BLUE HERBの不文律だ。
THA BLUE HERBでO.N.Oが鳴らすビートは圧倒的なドープなヒップホップであり、日本でこんなにソウルフルな音を鳴らすビートメイカーが他にいるだろうかと思わせるものだが、同時に彼の描き出す、たぶんな静謐を含んだ高揚や荒涼は、たとえばアイス・ランドのロックバンド、sigur rósが作り出す美しい奥行きを持った音像を筆者には彷彿させる。
これは個人的な見解だが、O.N.Oは演奏家というより建築家に近い。O.N.Oが打ち出すビートは、機能美と前衛、未来的な遺跡とでもいった一見矛盾を孕みながら、だが確かにそれは圧倒的な存在感を持って目の前にあるのだという、ある種の印象的な現代建築を思わせるのである。BOSSのリリック同様、O.N.Oのビートの完成度と中毒性があまりに高いからこそ、ヒップホップのファンに限らずTHA BLUE HERBの音楽は幅広く聴かれているのである。
BOSSの言葉はセカンド・アルバム『Sell Our Soul』でまた別のベクトルへの深化へ向かうのだが、それでもいまだ挑発的であり、彼らの孤独な進軍は続いていた。
「はっきり言って同業者がつくった曲はつまらん。さぁこれでまた敵さんが増えてくれるかな?」
“STILL STANDING IN THE BOG”でBOSSがラップする、このワンラインをとってもそれは明らかだろう。この時点で曲のタイトル通り、彼らはまだ泥濘(BOG)に立っているわけだ。
THA BLUE HERBはこうしてふたりだけで他を寄せつけぬスタンスではじまり、連帯を拒み、孤独こそ美学と信じるヘッズを数多く培養していた。筆者は信者という表現を好きではないし正確と思わないのだが、THA BLUE HERBがそういう語られ方をするアーティストであったことは否定できない。そうしたヘッズにとって、THA BLUE HERBのすべての音源、BOSSのヴァースはすべて貴重であり、リアルであり真実だった。
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3rdアルバム『LIFE STORY』(2007)はTHA BLUE HERBのターニングポイントとなる作品だ。
「今回は策は立てない 水面に硬い石を投げるだけさ 伝わる波紋が辿る場所は果てない 音楽の力に全て任せた」
「今や俺等とは君を含めた四人だ」(“The Alert”)
「勝ちたい負けない ただそれだけじゃ レースを生き残る事は諦めな」(“Hip Hop番外地”)
上に引用したリリックにあるように、ここにもはや策(つまり戦略)はないし、具体的な敵が祭り上げられているわけでもない。そうかと言って日和ったり客演が参加しているわけではないし、全国的に認知されて評価を勝ち得たという王者や勝者の余裕が歌われているわけでもない(収録楽曲“Motivation”に〜挑戦者のマナー噛み付いたら放さず〜というリリックがある)。
そうではなく『LIFE STORY』において、O.N.OのビートとBOSSの言葉、THA BLUE HERBの音楽はシンプルに、さらに純化されたのだ。そして「音楽の力に全て任せた」というリリックを証明するように、このアルバムを引っさげTHA BLUE HERBの音楽は、BOSSとDJ DYEの1MC1DJという形で全国を旅する。その模様は仙台から宮崎までのツアーの行程を収めた“STRAIGHT DAYS/ AUTUMN BRIGHTNESS TOUR '08”(2009)、また2010年の春以降の(北海道の北見から沖縄の辺野古の米軍基地の境界ギリギリまでの)ツアーの模様を収録した“PHASE 3.9”というふたつのDVD作品で確認できる。
ひとりのMCとひとりのビートメイカーで作られた音楽を持って、1MC1DJで全国を回る。最小限の構成で作られるTHA BLUE HERBの音楽だが、膨大な数のオーディエンスの前で(なんせ野外フェスまで含む日本全国のツアーだ)膨大な言葉を吐くことで、その残響は否が応でもTHA BLUE HERBの言葉を変質させていく(これは日本刀を鍛えるのに似ている気がする)。その変質を文章で説明するのは難しいが、上のふたつの映像作品はその変質の過程が見て取れることでも興味深いものだ。
実に3年半におよぶツアーを終え、THA BLUE HERBは新たなアルバムの制作に入る。来たるべきアルバムは長いツアーで言葉を鍛え上げ、そして言霊の力、重さ、怖さを誰よりも熟知したBOSSというMCが、2011年3月11日を経て書き上げたものでもある。その4thアルバムに、彼らは『TOTAL』(2012年)と名付けるのだ。
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駆け足でTHA BLUE HERBの4thアルバムまでの流れを見てきたが、今では以前よりBOSSのヴァースは身近に聴ける(我々はTHA BLUE HERBのツアーに行くことができる)ようになったし、映像作品も増えた。もちろん時を経るごとに、BOSSが客演で参加した楽曲も増えていった。THA BLUE HERBが始まって18年と考えれば、そのとき生まれた子供が高校を卒業する年である。そう考えれば、人が成長するように、アーティストが変化するのも当たり前のことだ。しかし、それでも、THA BLUE HERBが初めて他のアーティストを自分たちのブースに迎え入れるのは、昨年2014年の般若との楽曲“NEW YEAR'S DAY”において。まだわずかに1年前のことなのである。そして2014年12月26日、東京・恵比寿のリキッドルームにて、tha BOSSと般若による1MC1DJ同士によるショウケース「ONEMIC」が開催され、この夜のステージでBOSSは全国のビートメイカーを招き、ソロアルバムを制作すると発表したのだ。
そう考えれば、tha BOSSのソロアルバムが決して一朝一夕に生まれたものではないことがわかるだろう。
THA BLUE HERBは=BOSSだが、まったく同じ強度で=O.N.Oで、それはTHA BLUE HERBの不文律だと前述した(今ではDJ DYEも然りだろう)。この不文律にはいまもいささかの揺らぎも感じない。だが、同時に、「誰彼構わず中指を立てていた」(これは今度のアルバムでBOSS自身が言っていた言葉だ)BOSSが、今では魅力的なアーティストであればユナイトすることを疑いなく知っている。またごく自然な欲求として、BOSSとコラボして欲しいと思うような魅力的なアーティストが日本に数多いることも知っている。
tha BOSSの初のソロアルバム『IN THE NAME OF HIPHOP』は、タイトル通り“ヒップホップの名の下に”18年の歳月をかけて、北海道は札幌のTHA BLUE HERBから広がった美しい波紋なのである。
(山田文大)