「Nothing」と一致するもの

Sophie - ele-king

 UKガラージのコンテンポラリーな王道を再定義したディスクロージャーのブレイクをピークに、一連のUKベース・シーンのメインストリーム進出もそろそろ幕を引きそうな気配となっていますが、さて、文化系かつ進歩的ポップ・ミュージック愛好家のみなさま、果たして次はどこを拠り所にお過ごしでしょう。全世界のDQNを巻き込んで猛威を奮いつづけるEDMの圧倒的パワーを目の当たりにして、もはや行き場を失って呆然とする……なんて方がいらっしゃらないかと、余計な心配も募るわけです。ナードかつギークではあるけれど、根本的に苦悩のない僕みたいなタイプは、正直なところジェイムス・ブレイクが歌いはじめたあたりから脱線気味で、後のポスト・ダブステップ〜IDM再興にしても、脇道のインダストリアル、アンビエント、グライムにしても、どうにもシリアスな成分が多すぎて馴染めないと思ってきたわけです。

 そんな折、個人的にもえらくハマったのが、2014年から話題となっている〈PCミュージック〉というネット・レーベルを中心に盛り上がる、90’sレトロ・フューチャリスティックなエレクトロ・ポップ・ミュージック、俗称“バブルガム・ベース”です。その名の通り、風船ガムのようにカラフルで甘く刹那的(つまり俗っぽくキャッチーで安っぽい)ユーロ・ポップと、10年代のベース・ミュージックのマナーが意図された音楽ということで、かなり絶妙なタグ付けではないかと思います。

 A.G.クックの主宰するこの〈PCミュージック〉については過去に日本語のテキストもいくつか出ているので省略させてもらいますが、そのA.G.クックの盟友であり、シーンの象徴的アーティストであるソフィーが、ついにデビュー・アルバム『プロダクト』をリリースしました。

 2013年にグラスゴーのUKベース・ミュージック名門〈ナンバーズ〉からリリースしたセカンド・シングル『ビップ/エル(BIPP/ ELLE)』のヒットで注目を集めたソフィーは、サミュエル・ロングによるソロ・プロジェクト。当初は素性がよくわからず、アーティスト名と女性ヴォーカルを起用したサウンド、モデルと思われる女の子をつかったビジュアル・イメージを使用するために、女性アーティストと思っていた人が多かったよう(もちろん意図的な仕掛け)ですが、20代の男性アーティストです。

 古いWindows内蔵のFM音源(もしくはエミュレータなのかな?)を使用して制作されたと思われる、不協和で歪んだエレクトロ・サウンドと、異常にピッチを上げられ女性ヴォーカルの組み合わせで展開される彼のポップ・ミュージックは、とにかく記名性が高くキャッチー。つづく2014年のグリッチ・ヒップホップなシングル「レモネード」(※今年になって米マクドナルドのCMにも採用)も話題となり、前述のA.G.クックとのユニットQTで〈XL〉からリリースした「ヘイ・QT」のヒットを受けて、メインストリームのミュージック・シーンでも注目を集めました。ここからのスピード感は流石に10年代という展開。ディプロのフックアップを受けて、なんとマドンナのシングル曲“ビッチ・アイム・マドンナ(Feat. ニッキー・ミナージュ)”を共同プロデュース。さらにチャーリーXCXの次回作にもプロデューサーとして参加が決定しており、相当な変化球ながら、一躍売れっ子プロデューサーの仲間入りを果たしそうな勢いとなっています。また日本では、安室奈美恵の最新アルバム『_genic』に収録の“B Who I Want 2 B feat. HATSUNE MIKU”の楽曲プロデュースを手がけているというトピックも面白いですね。

 余談になってしまいますが、〈PCミュージック〉界隈のアーティストの嗜好性とサウンドの親和性から期待するに、久しぶりに日本と英米のポップ・カルチャーがリンクした盛り上がりの芽があるかもしれないですね。ソフィーやA.G.クックは、じつは〈マルチネ〉からリリースしているボーエン(bo en)やケロケロボニトのメンバーとは同じ芸術大学の友人同士だったようで、相当にコアなJポップ(とくに中田ヤスタカ周辺)マニアが集まっていたご様子。QTのコンセプトには明らかにPerfumeの影響があるだろうし、先日は〈PCミュージック〉のダックス・コンテンツがSekai No Owariをリミックスするなど、アーティスト同士の交流が急速に具体化してきている。ライアン・ヘムズワースやポーター・ロビンソン、スカイラー・スペンスあたりのポスト・インターネット世代のアーティストによる、Jポップ・カルチャーに対するポジティヴな評価というのは、日本側の視点からするとファンタジーではあるのだけれども、たしかにEDMのような圧倒的なマッチョイズムへの抵抗手段として、中田ヤスタカの方法論はパーフェクトに映るのかもしれない。「カワイイ」みたいなのがキーワードになるのは、HCFDM(ハッピーチャームフールダンスミュージック)のときといっしょだし、結局、日本人が得意なのはそこだよねと思います。


 さて、話を戻して、ソフィーのアルバム『プロダクト』。これまでにリリースされたシングルに収録された“レモネード”“ビップ”“ハード”“エル”に、新曲4曲を収録したシングル・コンピ的内容の作品ということで、正直なところ何か新味があるわけではないのだけれども、媚もない、これまでのサウンドとヴィジュアル・コンセプトが貫徹された内容。つまりエッジは充分すぎるほど効いている。ポップ・ナンバーとしては新曲“ジャスト・ライク・ウィ・ネヴァー・セッド・グッバイ”が彼の関連作の中でもトップクラスの好曲だけど、〈ナンバーズ〉からのリリースにふさわしい、ベース・ミュージックらしいグルーヴを成立させたヒップ・ハウス・チューン“Vyzee”も人気を呼びそうですね。

 ヴェイパーウェイヴの醸造したポスト・インターネット以降のシーンを震源地にしたアーティストが、現実のメインストリームのポップ・チャートまで侵食していく、いよいよそんなタームに入ってきたことを象徴する1枚として、2015年の重要作に推しておきたいと思います。

名曲“luck”や“feather”がアナログ盤に - ele-king

 もはや説明不要な存在だろうか。ベッドルーム・エレクトロニカのユニークな才能、サーフ(Serph)の代表曲がアナログ盤になるらしい。「なるらしい」というか、これはクラウドファンディングを利用した企画で、アナログ盤に「する」のはわれわれだ。
 プロジェクトの概要によれば、ファンに人気の高い、かつサーフ本人も代表曲と認める“feather”“luck” “circus” “missing”が収録され、これはサーフ自らがリアレンジ。2曲ずつ2枚の7インチというかたちでの制作となる模様だ。もちろん河野愛によるアートワークは今回も際立った幻想性と抒情性をたたえている。ダウンロードコードも封入。
 なんでもタダな昨今にあってはアナログ盤など贅沢品であることにはまちがいないが、そもそも音楽が贅沢品でなくてどうしよう? おカネの問題ではない、いくらだろうがタダだろうが、音楽が贅沢でわくわくさせるものであることを、こうした心のこもったパッケージは思い出させてくれる。

【Serph代表曲アナログレコード化プロジェクト】
■クラウドファンディング・プラットフォーム:CAMPFIRE
■プロジェクトURL: https://camp-fire.jp/projects/view/3839
■募集期間:2015年11月1日 ~12月15日(45日間)
■目標金額:750,000円

収録曲より

Serph - feather (overdrive version)

Serph - luck (darjeeling version)

■Serph / サーフ
東京在住の男性によるソロ・プロジェクト。
2009年7月にピアノと作曲を始めてわずか3年で完成させたアルバム『accidental tourist』を発表。以降、4枚のフルアルバムといくつかのミニアルバムをリリースしている。最新作は、2015年4月に発表した『Hyperion Suites』。
2014年1月には、自身初となるライブ・パフォーマンスを単独公演にて開催し、満員御礼のリキッドルームで見事に成功させた。
より先鋭的でダンスミュージックに特化した別プロジェクトReliqや、ボーカリストNozomiとのユニットN-qiaのトラックメーカーとしても活動している。
https://soundcloud.com/serph_official


 B.B.キング評伝の名著にしてブラック・ミュージック研究本の古典、35年を経ての初の翻訳刊行。

 彼はなぜ“ブルースの王者”なのか。彼を真のブルースマンたらしめたものの正体とは?
そして、14歳のときにミシシッピの農園で綿花の小作農をしていた孤児の少年が、いかようにして49歳にして世界的な名声を得ようとするまでに至ったのか──?

 ブルースの王様、B.B.キングの評伝の決定版がようやく日本で刊行される。1930年代のアメリカ南部の、まだジム・クロウ法(人種差別制度)が存在した時代においてブルースマンはどのような人生を歩み、そして音楽は研磨されていったのか……。


Myths Of The Far Future - ele-king

 12月15日、原宿のVACANTでアシッド・フォークのイヴェントが開催される。出演は、UKからGrimm Grimm(Koichi Yamanohaによる)。今年、〈ATP Recordings〉からデビュー・アルバム『Hazy Eyes Maybe』をリリースしたばかり。
 他に、マヒトゥ・ザ・ピーポー(GEZAN)とKohhei Matsuda(Bo Ningen)と、強力なラインナップ。映像はTakashi Watanabe。



追悼:水木しげる - ele-king

 熊野で語り草になっていることがある。80年代初めに行われた白虎舎の合宿で、正確には暗黒舞踏のオーディションのようなものであった。僕も実態はよく知らなかった。なにがどうしてどうなったのか僕はスタッフとして誘われ、軽い気持ちで車に乗った。熊野という場所にも興味はあった。

 体を動かすのは午後からで、午前中は様々な講師陣がいろんな話を聞かせてくれた。そのなかに水木しげるさんもいた。「騙されて連れてこられた」と後には語っていたそうだけど、水木さんは1週間に渡って滞在し、ほとんど毎晩のように僕たちスタッフにもいろんな話を聞かせてくれた。片腕がないことを、僕はその時まで知らなかった。『河童の三平』や『ゲゲゲの鬼太郎』は片手で描いていたのかと僕はショックを受けた。単純に片腕の重さがないわけだから、水木さんが歩くと上半身はバランスを取ろうとして大きく揺れる。水木さんは振り子のように歩いていた。大変だなー、大変なんだなーと僕は水木さんが視界に入るたびに思った。斜めに傾いたまま夕陽のなかに突っ立っていた水木さんの姿が僕は忘れられない。理由はわからないけれど、誰もいない廃校のグラウンドに水木さんはひとりでじーっと立っていた。

 午後の授業には水木さんも参加していた。塾生たちと一緒に体操をしたり、ハードな内容の時には遠巻きに眺めていたりした。スタッフは自主参加だったので、僕も気楽な気持ちで同じようにやっていた。5日目からは、しかし、それができなくなった。白虎舎の教官たちが塾生たちの髪を剃ろうといきなり滝壺で襲い掛かったのである。後で説明を聞くと、髪を剃られまいとして激しく抵抗した者を新メンバーとして加えたかったのだそうである。結論から言うと、その年は噂を聞いて前の晩に逃げ出した人たちと黙って剃られた人たちの2通りしかいなかった。つまり、スカウトしたい人はいなかったということになる。女性は皆、眉を剃られてしまった。

 次の日の午後も同じように体操などのメニューが消化されていった。しかし、残った人たちの気迫が違う。僕も水木さんもその場にいることが難しくなって早々に離脱してしまった。いても迷惑になるだけだと感じ取ったのである。そして、ヘルムートというドイツ人のフォトグラファーと3人でなぜか車座になって、今度は昼間から水木さんの妖怪話を聞くことになった。ところがドイツ人には何ひとつ日本の妖怪話が通じない。水木さんが「暗い森に入っていくと……」と語り始めればヘルムートが「それがどうしてコワいんですか?」、「打ち捨てられた傘がやがて妖怪となり……」と言うと、「なんで? なんでモノが妖怪に?」と、いちいち話の腰を追ってしまい、さすがの水木さんも匙を投げてしまった。どちらかというと話を盛るタイプなので、これはどうだ、これはどうだと、様々な角度から攻め入ったあげく、どうにもならないといった表情で水木さんは無言になってしまった。そして、1週間が過ぎて水木さんは東京へ帰っていった。合宿はその後も1週間近く続いた。

 東京に戻った僕は水木さんの『総員玉砕せよ!』を始め、戦記モノを読み漁った。戦地での話が印象深かったからである。水木マンガは妖怪マンガしか知らなかったので広がりとして新鮮だったということもある。水木さんが話してくれたのと同じ話もあったし、そうでない話もあった。とくに『総員玉砕せよ!』を読んだ時は、常日頃から感じていた日本的集団性が凝縮して告発されているように感じられ、就職活動すらしなかった僕には非常にリアリティをもって訴えかけてくるものがあった。昔のことを描いているだけとは思えなかったし、日本がもしも戦争になったら日本全体が水木さんが描いているような日本的集団性に隙間なく覆われてしまう。小学生の時から通知表に「協調性がない」と書き続けられた僕としては(あれはあれで傷つきますよね)、それを避けるためにも戦争には反対だと思うようになった(後に知ったことだけれど、『総員玉砕せよ!』は水木さんが原稿依頼を受けて描いた作品ではなかった。出版社を当てにせず使命感だけで描きあげたそうである)。

 水木さんにもう一度会える日が来るとは思わなかった。それは赤塚りえ子の次のひと言から始まった。「最近、水木プロも娘さんが社長になったんで、お互いにがんばろうと食事会を開いたんだ」と。ピーンと来た。その少し前にメタモルフォーゼで赤塚りえ子と手塚るみ子が初めて出会った場にもたまたま居合わせたので、子どもの頃に読んだマンガ家の娘が3人とも揃っているところを想像してしまったのである。企画を持ち込んだ朝日新聞の近藤記者も僕の話を最後までは聞いていなかった。あの企画は本当に早かった。『ゲゲゲの娘 レレレの娘 らららの娘』の編集がこうして始まり、赤塚不二夫の死を挟んで鼎談集は完成した。記憶違いでなければ、その本を見て水木さんは「ふ~ん」とだけ言ったそうである。

 『ゲゲゲの娘 レレレの娘 らららの娘』には3冊のスピン・オフがあり、『赤塚不二夫 裏1000ページ』『手塚治虫エロス1000ページ』と併せて『水木しげる 超1000ページ』というアンソロジーも僕は編集させていただいた。『ゲゲゲの娘 レレレの娘 らららの娘』を読むと、当たり前のことだけれど、等しく国民的なマンガ家の娘で、似たような年頃とはいえ、ぜんぜん違う性格だということがよくわかる(順に「父ちゃん、パパ、お父さま」と呼び方からして違う)。そして、それ以上に違いが出たのはアンソロジーの編集の仕方だった。大雑把に言えば、手塚さんと赤塚さんは父親の作品であろうとも批評的に接し、手塚さんは時代性を重視する編集者的な視点、赤塚さんは普遍性に重きを置くアーティスティックな感覚を持っている。彼女たちとの共同作業はそうした批評性を共有し、時には議論を戦わせることに醍醐味があった。これに対して水木姉妹は父親の作品に優劣があること、それ自体がわからないという。コンセプトを固めるまでは非常に精緻な議論を展開していたのに(あまりに厳格なので、途中で一度、編集を諦めようかとさえ思った)、商品のコンセプトが明確になると、そこから先は口を出さないから自由にやってくれというのである。あれとこれではどっちがいいかという相談もできなかった。

 『水木しげる 超1000ページ』のコンセプトは、あらゆる作風を網羅するというものであった。結論から言うとやはり全体のバランスを考えてしまうので網羅はできなかったものの、かなりな範囲までカヴァーでき、しかも、水木さんがかつて「ガロ」に東真一郎の名義で書いたエッセイを初収録することもできた。妖怪モノと戦記モノはほぼ読み漁っていた僕も本腰を入れて読み始めてみると、こんなものまで描いていたのかと、そのキャパシティには驚くべきものがあった。ハイチの独立運動を描いた歴史モノやフェミズムに対する微妙な回答、「ゴーマニズム宣言」の書評やメキシコでのドラッグ体験、リチャード・マシスン調もあれば、『デスノート』とまったく同じ話まであった。これらの作品を、しかも、水木さんは一度も締め切りに遅れたことがなく、描き続けたそうである。なぜか。仕事が来なくなったら、またビンボー暮らしに戻らなければいけなくなると思っていたからだそうである。

 普段から本屋で自分の本を見つけると何冊でも買ってきてしまうという水木さんは、『超1000ページ』もたいへん気に入っていただいたそうで、見本とは別に30セットも買っていただいた。その上、それからほどなくして帝国ホテルで行われた「米寿を祝う会」にもお招きいただき、25年ぶりに歩く姿を拝見することができた。一躍、時の人となった「ゲゲゲの女房」と手を取り合って2人で入場してきた刹那、同じといえば同じ、歳をとったといえば歳をとった水木さんがそこにいた。大勢の拍手に照れるでもなく、嬉しそうでもなく、かといって無表情でもなく、何か考え事をしているような表情だった。

 以前書いたことの繰り返しになってしまうけれど、米寿の会でとくに印象深かったのは、水木さんの人生を振り返るショート・ムーヴィを見終わった後、司会の荒俣宏さんにコメントを求められ、水木さんが「戦争のことしか思い出せない」としか言わなかったことと(場内、ちょっとシーンとしてしまいました)、そして、退場される時に、まだ山と残っていた食べ物の山を見て「どうしてこんなに食べ物が残っているんだ」というような表情でしばらくテーブルを見つめていたことである。水木さんのことなので「食べたいな」と考えていた可能性も捨てきれないところはあるものの、やはり、あの時の表情は現代の生活様式に対して、ちょっとした敵意のようなものを覗かせた瞬間のように僕には見えてしまった。この時の表情もあまり描写できない。

 『総員玉砕せよ!』は水木さんが戦地で経験したことをそのまま再現したもので、それはいわゆる直接的表現になるかと思うけれど、水木さんが戦争を通して抱いた死生観を作品に強く滲ませたものとしては、『河童の三平』が僕はダントツだと思う。生と死の境を歩き続ける三平の無力感は死に対して常に抗いながらも、人がそれほど死に対して強くなれないことも同時に表現し、生きるという価値観に親鸞が示したような逆説もない。それこそ人間はどこか漂うようにしか存在できないものとして扱われている。水木さんが常日頃は非常に楽観的な人であったことを思うと、そのギャップにはどうしても痛々しいものが含まれてしまう。三平のまわりにいるのは動物か、さもなければ空想上の存在ばかり。三平の味方をする人間はほとんどいない。

 戦争体験を後の世代に伝える「作家」のひとりが水木しげるであったことを僕たちはもっと深く感謝すべきなのだと思う。そして、そのユーモアに。合掌。

Future Brown - ele-king

 〈ハイパーダブ〉からのリリースでも知られるファティマ・アル・カディリ。LAのビート・ミュージック・デュオであるエングズングズのダニエル・ピニーダ&アスマ・マルーフ。シカゴ・ジュークの天才児Jクッシュ。この4人によるプロデューサー集団、フューチャー・ブラウンが来日する。今年の頭に〈ワープ〉よりリリースされたファースト・アルバムでは、グライム、ジューク、トラップ、ゲットー・ハウスなどが起こす鮮やかな音の化学反応が大きな話題を呼んだ。アルバムには多くのMCが参加していたように、今回の来日講演にはMCのローチ―が4人とともにステージに上がる。ファティマ・アル・カディリは去年も日本へやってきたが、フューチャー・ブラウンの来日は今回が初となる。スーパー・グループのセットを是非体感してほしい。


環太平洋電子音楽見本市 - ele-king

Day 1  語るべき音楽世界がまだある

Phew + Rokapenis
Black Zenith
Amplified Elephants
Philip Brophy
DJ Evil Penguin

文:松村正人 写真:伊藤さとみ / Satomi Ito

 コープス・ペイントの上半身裸の長髪の男が楽屋口からステージへ肉食獣のように歩み寄り壁際のドラムセットに就く。11月13、14日の2日間にわたって開催された「JOLT Touring Festival 2015」の初日はこうして幕を切った。


Philip Brophy

 メンバーはほかにいない、ドラム・ソロのようだ。やおら打ち込みの音が鳴る。ダンスミュージック的……だがどこか古びている。しかしまだはじまったばかり、意想外の展開があるかもしれない……がとくにない。1曲めを叩ききった。オーディエンスからまばらな拍手。説明もなく2曲め。似たような展開だが、ちょっと待て、よく聴くとこれはイエスの“燃える朝焼け”のリフか。ブラックメタルの恰好をした男が自作カラオケに合わせてドラムを叩く。しかもそれがブラックメタルとはそぐわない古典的プログレの、さらにいえば、超訳とでもいうべき、きわめて恣意的なトラック(基本的にメイン・リフをくりかえすだけ)というある種のコンセプチュアル・アートかもしれないが、伝わりづらい。学園祭のにおいがする。Xジャパンの恰好でTスクェアをカヴァーするような、そぐわないものを同居させる思いつきイッパツのパフォーマンス。私は嫌いでないどころか、学生時代はそういうことを喜々としてやった。ところが、そういうことをするとベクトルは内に向かう。楽屋オチというヤツだ。ああ3曲めはAC/DCの“サンダーストラット”か。私はその外しっぷりに色めきたつが、ほかのお客さんは遠くにいったような気がする。AC/DCに乗せ、〈スーパーデラックス〉がスタジアムになった瞬間である。

そのようにして、トップバッターのフィリップ・ブロフィのステージは終わった。つけくわえると、彼はカルト映画『ボディ・メルト(Body Melt)』の監督もつとめた才人で、パフォーマンスは毎回主旨を変えたコンセプチュアルなものになるのだという。そのことばにウソはなかった。

***


Amplified Elements

 微妙に温まった会場に次に登場したのはジ・アンプリファイド・エレンファンツ。今回は障がいをもつ男女、それぞれふたりがサンプラーやカオスパッド、タブレット端末を操作し、それをJOLT Inc.の創設者でもあるジェイムス・ハリックがサポートする、ソニックアート・グループ──と聞くと、日本のギャーテーズあるいは明日14日のフェスに出演する大友良英の音遊びの会などを思い出す。この2組はなりたちも音楽性を異にするが、前者は声ないし生楽器といった、比較的身体にちかい楽器をもちいているのが、エレファンツは電子楽器という、インターフェイスを介在する機材をもちいているのがユニーク。もちろん、上述のように彼らの使用機材は直感的に使用できるものが多いが、彼らはそれらの機材と戯れるように音を空中に放っていく。


 電子音楽のおもしろさは既存の楽器編成では実現できない音楽空間の生成だが、彼らの演奏は、既存のサウンド/アートの構図が、よくも悪くもその意味で先行する音楽的価値観を(意識せずとも)視野に収めがちなのにたいして、そもそもその前提に立っていないうえにメンバーの自由闊達な演奏の交錯は即興の理想のひとつにひらかれている、それはぎゃーテーズや音遊びの会にも通じるものだ。そのベクトルは聴取に向かうだけでなく、作品を作曲/構成するハリックの意図そのものにもむかい、音楽を時々刻々つくりかえる、緊張より融和を思わせるが、だからといってだれていない、非常に興味深いものだった。

***


Black Zenith

 エレファンツにつづくダーレン・ムーア、ブライアン・オライリーからなるシンガポールのデュオ、ブラック・ゼニスはアブストラクトな映像との相乗効果による無情にまでにハードコアな世界。回路がショートする衝撃音を構造化するような音響はノイズないしインダストリアルを想起させるところもあるが、会場全体をあたかもモジュラー・シンセのパッチに接続するかのような錯覚をおぼえさせる、力感あふれるものだった。それはトリをとつめたPhew+ロカペニスとは好対照で、Phewのアナログ・シンセ弾き語りとロカペニスの映像を対置した演奏はやわらかとかかたいとか、あるいは色彩ゆたかだとか逆にモノクロームだとか、印象論で語れるものからどんどん遠ざかっていく。



Phew + Rokapenis

 抽象的なだけではない。ときにメロディ(の断片のようなもの)も見え隠れするが、それらはたやすく像を結ばない。声は音の一部だが、意味もなさないこともなく、たとえば近日リリースの新作にも収録する“また会いましょう”の星雲のような電子音のカーテンがひるがえる向こうに垣間見えるとことばとたんに寓話めく、Phewはおそらく、かつてないほど独自な境地にいたりつつあり、詳しくは新作リリース時に稿をあらためることもあるだろうが、はからずも電子音楽の環太平洋見本市の感もあったこのたびの「JOLT TOURING FESTIVAL 2015」初日はともに語るべき音楽が世界にはまだまだあることを示唆するえがたい機会だった。また会いましょう。

[[SplitPage]]

Day2 即興音楽の構造化をめぐる3つのありよう

灰野敬二 + 大友良英
L?K?O + SIN:NED + 牧野貴
田中悠美子 + Mary Doumany
森重靖宗 + Cal Lyall
)-(U||!C|<
中山晃子 (alive painting)
DJ Evil Penguin

文:細田成嗣

 〈JOLT TOURING FESTIVAL 2015〉は、音響作家のジェイムス・ハリックが主宰するオーストラリアの団体〈JOLT〉が中心となって企画した、香港とマカオを巡るツアー・イヴェントの一環として行われた。ここ日本では、現在は東京在住のカナダ人アーティスト、キャル・ライアルが運営し、都内で継続的な無料イヴェントを手がけてきた〈Test Tone〉との共催というかたちになっている。〈JOLT〉は過去2012年と2014年にも日本でのフェスティヴァルを開催しているが、3年前のそれが日本の各都市を経巡りながら行われ、昨年は日本とイギリスとで開催されたのに対し、今回スポットが当てられたのは、近年そのオルタナティヴな音楽シーンへの注目度が高まりつつあるアジア圏だったと指摘することができるだろう。とはいえ、それはあくまでツアーの全体像から導き出されることであって、〈スーパーデラックス〉で行われたこのフェスティヴァルに、とくにアジア圏に対する目配せがあったとか、ましてやそれを代表するものだったというようなことはみられなかった。

 終始閑散としていた前日とはうってかわって、2日めは開場後も入り口の外まで人が並ぶほどの賑わいをみせていた。これから行われるライヴ演奏が、誰もが未だ体験していないものである以上、観客の人数が演奏の質をそのまま表しているわけではないことは言うまでもないが、そこにかけられた期待の大きさは推して知ることができる。おそらく7年ぶりに共演する灰野敬二と大友良英のデュオにとりわけ注目が集まったものと思われるが、全体が3部構成にプログラムされたこの日のイヴェントでは、まさに期待の中心が熱狂の頂点に達するようにして、圧巻のライヴをみせてくれた。同時にこの3部のプログラムは、即興音楽の構造化をめぐる3つのありようを、それぞれ提示していたようにも思う。まず第1部において、もっとも自発的な形態での構造化、すなわち、演奏家が演奏を始めることによって音楽が始まり、そこから演奏家が終わりを見出すことによって音楽が終わるという、即興演奏におけるスタンダードなありかたが示される。続く第2部では、演奏家の外部に設けられた開始と終了に対して、その中間をいかにして彩るかということに焦点が当てられることになる。そしてこのふたつのプログラムを受けて、第3部では、それらを止揚するような取り組みがなされていった。

***


Yumiko Tanaka + Mary Doumany

 最初に登場したのは義太夫三味線の田中悠美子とハープのメアリー・ダウマニーだった。ダウマニーがハープを打楽器的に扱いながら生み出すリズムにのせて、卓上に寝かせられた三味線を田中はときには叩き、ときには弾きながら応対していく。即興演奏に特徴的ともいえる、相手の出方をうかがいながら有機的に反応していくやりとりは緊張感溢れるものだった。ふと気づくと地響きのような低音が聴こえはじめ、ごく自然な流れで演奏に参加していたジェイムス・ハリックがピアノの内部奏法を行なっている。さらにキャル・ライアルと森重靖宗がそれぞれバンジョーとチェロをもって参加し、クインテットによる集団即興へ。



森重靖宗 + Cal Lyall + )-(U||!C|< + 中山晃子

 ハリックとダウマニーによる唸るようなヴォイスが、田中の義太夫節とあいまって、どこか「日本的」ともいうべきおどろおどろしさを生み出していく。演奏者の背後の壁には、ヴィジュアル・アーティストの中山晃子によるアライヴ・ペインティングが映し出されていて、その都度の演奏にイメージを付与していたのだが、手元に用意した極彩色の液体を、垂らしたり流したりしつつその場で絵画を描き、それを拡大して投射された映像は、演奏の「おどろおどろしさ」と共犯関係を結ぶようにもみえた。その後、田中とダウマニーのふたりが退場し、残されたトリオによる演奏になる。バンジョーによる音楽的な和音を響かせもするライアルの演奏と、舞踏家のような身のこなしでチェロから深い低音を紡ぎ出す森重、それに引きつづき唸り声をあげながら解体されたピアノ演奏を聴かせるハリックの3人が、デュオからはじまった音楽に終着点を見出していった。

***

 転換を挟んで行われた次の演奏は、ターンテーブル奏者のL?K?Oと香港出身の音楽家SIN:NEDによるデュオが、映画作家の牧野貴によって作成された/されつつある映像作品に対峙しながら聴覚的余白を埋めていくというものだった。このまえに行われた演奏を第1部とするなら、この第2部はそれと好対照をなすものだったといえる。演奏家とコミュニケートしながらその場で即興的にイメージを生成していった中山晃子のペインティングと比較するとき、牧野の映像は演奏に触発されて変化していくというよりも、あらかじめ定められた枠組みの中で、不確定的に散りばめられていったノイズが、偶発的なイメージを生成していくといったものだった。


L?K?O + SIN:NED + 牧野貴

 その内容も対照的で、滴り落ちる極彩色の液体がグロテスクかつ官能的に蠢いていた中山の映像に対し、高速度で明滅する宇宙的なイメージから生み出される牧野のそれは、まるで内的世界がテクノロジーの力を借りて視覚化されたもののようだ。演奏のほうも、第1部のそれがアコースティック楽器による丁々発止のやりとりだったのとは異なり、電子的なノイズが、共同して映像作品に対する音楽を生み出していくといったふうであり、サウンドの移り変わりも緩やかに変化していった。とりわけ印象的だったのは、ドローン/アンビエントな響きからはじまった演奏において、中途、ターンテーブルの演奏も行なっていたSIN:NEDが、そのトーンアームの先端を咥えて「吹奏」しはじめたことだ。

 それを契機とするように、演奏は轟音ノイズの海へと突入していった。まるで教会オルガンのような奥行きのある共鳴が聴こえたターンテーブルの「吹奏」は、しかしながら、むしろ呼吸する根源的な身体性が、電子回路によってつねにサウンドと断絶させられてしまうという事態を象徴していたように思う。第1部における演奏者の身体性は、ここでは機械的な操作性へと変わり、ライヴの枠を演者のそれぞれが推し広げていったパフォーマンスは、枠によって切り取られるべき演奏をどのように満たしていくかという問題へと移されていった。

***

 対照的なふたつのライヴを経て、灰野敬二と大友良英によるデュオがはじまった。2日間のフェスの大トリでもあるこの演奏は、まさに大円団というに相応しい圧倒的なもので、予定時間を大幅に超過して行われることとなった。灰野が歌唱する“イエスタディ”から幕を開けた演奏は、当然のことながらメロディがぐにゃりと変形したそれにビートルズの面影はなく、時折聞こえる、それもまた定かではないが、歌詞の部分的なフレーズによってそれがその曲なのだと判別できるもので、それに対して大友のギターは弦と金属の衝突による打楽器的ノイズで応戦していく。


灰野敬二 + 大友良英

 伴奏というよりも歌と拮抗するようにギターが向かい合う演奏だ。歌唱が終わると灰野はギターを手にとり、ギター同士によるノイズのデュオがはじまった。爆音の渦が観衆を包む。第1部でパフォーマンスを行っていた中山晃子が、ここでも演奏にイメージを付与していたのだが、一瞬だけ、灰野の背後に妖気が立ち昇るかのようなモヤモヤとした映像が投射されていた場面があった。だが「おどろおどろしさ」が、オーストラリア勢によるちょっとしたサービス精神のあらわれでもあったと思えば、ここにそれが出る幕はなく、そしてそのことを強調するかのようにして、中山はすぐさま別のイメージへと変化させていった。

 終了予定時刻を大きく過ぎてから、なんども大友が終わりの合図を出していたように思う。即興演奏において、その演奏を終了する場面は明確に定まっているものではないが、演奏しているとたしかにその時が訪れる、ということを、大友をはじめとした多くの即興演奏家はよく口にしている。そういった終了の契機がなんどもみられたように思う。だがそれも、灰野がつねに終わりを逸脱していくようにして拒みつづけ、演奏は継続していく。こうなってしまった以上、果たしてこの演奏は終わりを見出すことができるのかどうか、あるいはこのまま延々と続いていくのではないか……とまで思われた。だがしかし、それから暫く経ったあと、灰野がギターを置いてマイクを手にすると、大友もそれに合わせてギターを持ち直したのである。そして締めの一曲として「奇妙な果実」を歌いはじめたのだった。
 つまり、このデュオによる演奏は、はじめから終わりが定められていたのである。その瞬間、いままで見せていた「終わり」に対する逸脱が、ことごとく演奏の「中間」におけるパフォーマンスであったことに切り替わった。それは次の展開をその場で切り開いていく即興演奏に、あらかじめ「終わり」が設定されていることによって、より大胆に、かつどこまでも遠い地点を見せながら、「終わらない」演奏をなし得るように仕掛けた巧妙なトリックだったのである。

 これを第3部とするならば、すなわちパフォーマンスの枠をその場で構築していった第1部と、あらかじめ規定された枠のなかでパフォーマンスがなされた第2部を受けて、第3部では、始まりと終わりの行為が決められながら、むしろ決められていればこそ、その枠を自在に拡張し変化させることによって、予見不能な構造化をなしていったということができるだろう。個々別々に体験するだけでは捉えきれない原理のようなものが、ひとつの場所に複数並置されることで浮上する――フェス特有の異化作用が一層スリリングな展開をもたらした一夜だった。


Wolf Eyes - ele-king

 ネイト・ヤング、ジョン・オルソンにギタリストのジェイムス・バルジョーが加わり、3ピース編成の新生ウルフ・アイズとして発表した2013年の『ノー・アンサー/ローワー・フローア』に続く本作はなんとホワイト・ストライプスのジャック・ホワイトのレーベル、〈サードマン(Third Man Records)〉から。

 〈アメリカン・テープス(American Tapes)〉や〈ハンソン・レコーズ(Hanson Records)〉などのミシガン・ノイズ・(ノット・)ミュージック・シーンにおいて、つねにアイコン的存在でありつづけるウルフ・アイズ。アーロン・ディロウェイ、マイク・コネリー、ネイト・ヤングにジョン・オルソン、彼らがアメリカン・ノイズの歴史と言っても過言ではない。カタログ・ナンバーは999番で止まっているが、総リリース数は余裕で1000を超える──ディスコグスで見たら998番が11枚もある!──〈アメリカン・テープス〉を主宰するジョン・オルソンが近年声高に唱える「ノイズは死んだ。われわれはトリップメタルである」とはいったいどういうこっちゃ?

 90年代初頭に田野幸治氏のMSBRに触発され音楽活動とレーベルを開始したオルソンにとって、それらは単なるDIYに根ざした方法論でしかなかった。それは身の回りのガラクタで積み上げる壮大な実験であり、80年代のヨーロッパやフロリダのデスメタル等で盛んに行われたテープ・トレーディングのカルチャーと同様だ。しかしDIYゆえに生まれるミステリーとロマンがそこにはあった。多くの人間はたしかにそれらを「ノイズ」と捉えるかもしれないが、それらは極度に抽象化したロックであったり、フォークであったり、テクノであったり、音楽そのものであったのだろう。
 「誰でも作れるけども唯一の音楽、誰でも作れるが唯一の形。それはコミュニケーション・ツールだ」。ジャック・ホワイトもそういったカルチャーに熱心なファンの一人であり、今回のリリースに繋がったようだ。

 前作の『ノー・アンサー〜』から完全にジャムを止めてソングを奏でるようになったウルフ・アイズ。ネイトとオルソンによる超抽象ブルース・ユニットであるステア・ケース(Stare Case)にジェイムズが加わるような形でいまのウルフ・アイズは成り立っている。ジェイムズのリフを中心としたソング・ライティングの展開、またネイトとオルソンいわく、もはやドラッグや酒でハイになってジャムる年齢ではないことから、自然とコンポジションとメロディが際立つ本作は、なによりもミシガンや中西部のロックを強く感じさせる。オウサム・カラーからネガティヴ・アプローチ、果てはMC5からストゥージスまで……。

 オルソンが自称するトリップ・メタルには正確な定義はない。それは単に彼の美意識に共鳴するものであれば何でもいいわけである。それは過去数年間で多くのノイジシシャンがなんちゃってテクノをプレイすることへの皮肉とも捉えられるし、メディアとツールの発達から生じる現在のアマチュアリズムが、彼がこれまで愛してきた「誰でも作れるけども唯一の音楽、誰でも作れるが唯一の形というコミュニケーション・ツール」という「ノイズ」を殺したということかもしれない。アンダー・グラウンドDIYカルチャーに社会性を与えることはけっして悪いことではないし、ネットを通じて自分の自分による自分のための超一方通行の作品発表を行うことこそ今日的な方法論であることはわかっている。しかし僕はこのアルバムを聴きながらウルフ・アイズがこれまで築いてきた膨大なアナクロの山に思いを馳せている。

B.B.KING - ele-king

 それは、まるで公民権運動の時代に逆戻りしたような風景に見える。思い思いのメッセージを掲げたプラカードを抱えながら路上に集まる、ブラック・ピープル。「私たちを撃たないで」、路上の上では小さな子供やお母さんたちがスローガンを掲げている。2015年、新しいブラック・ムーヴメント、#BlackLivesMatterが拡大している(紙エレキング17号を参照)。
 こういう時代において、音楽はムーヴメントのサウンドトラックとなる。2015年はケンドリック・ラマーの『ピンプ・トゥ・バタフライ』がそれに選ばれた。久しぶりに圧倒的なインパクトで“黒さ”を見せつけたこの作品のなかには、こんなフレーズが出てくる。「40エーカーの土地とラバ1匹よこせ」「あぁ、アメリカよ、悪いビッチだな。俺たちがコットンを積んでリッチになったのに」

 南北戦争以降のアメリカの南部、奴隷制のなか綿畑で働く最下層の農民たち、ミシシッピ川周辺、そこにはアメリカのポピュラー・ミュージックにもっとも大きなインパクトを与えたエリアがある。今日我々が耳にしている音楽の大いなる基礎となったブルースなる音楽は、そもそも南部のスタイルである。グリール・マーカスの『ミステリー・トレイン』がロバート・ジョンスンからはじまるように、そこはすべての出発点と言ってもいい。
 2015年5月14日に他界したB.B.キングは、ミシシッピの孤児の小作農からブルース歌手となり、やがて白いアメリカ中間層にも支持されるようになった通用「ブルースの王様」である。
 この度、日暮泰文氏の監修のもと、ele-king booksから刊行することとなった『キング・オブ・ザ・ブルース登場-B.B.キング』は、1980年に本国アメリカで刊行されたブルース研究の古典の1冊である。社会学の観点から、アメリカ黒人史の観点から、そして音楽学の観点から、ブルースの王者を分析した名著で、ことにシェアクロッパー・システム(小作人制度)という、ブルースの背景のひとつであり、当時の農民たちを縛り付けていた制度に関する踏み込んだ研究がされている。ケンドリック・ラマーがジャケのなかで、ドル札を見せびらかす理由がよくわかるだろう。
 また、本書においてはブルースが、どのように白いアメリカのなかで受け入れられていったのも詳細に語られている。それはある意味もっとも白いフォーク・リヴァイヴァルと呼ばれるムーヴメントだったのだが、そのあたりの話も興味深い。
 もちろん、B.B.キングは白い黒いといった人種を超越した、まさにアメリカを代表するブルース歌手/ギタリストであり、エンターテイナーだった。この機会にどうぞ、振り返って見て欲しい。
 なお、当然原書にはない、著者、チャールズ・ソーヤーによる弔辞も掲載している。

チャールズ・ ソーヤー
染谷和美 (翻訳)
日暮泰文 (監修),
『キング・オブ・ザ・ブルース登場-B.B.キング 』
ele-king books
Amazon

New Order - ele-king

 先日お伝えした石野卓球によるニュー・オーダーのリミックス、詳細が明らかになった。
 その曲「Tutti Frutti - Takkyu Ishino Remix」は、もちろんピーター・サヴィルのデザイン、そしてMUTE品番が付けられ、デジタル配信で12月11日、アナログ(12インチ)は来年3月16日にリリース。デジタル配信、アナログともに本日より予約が開始。まさかこんな未来が待っていたとは……アナログ盤はすぐに売り切れるので、くれぐれもお早めに。

 ちなみに本リミックス音源は、ニュー・オーダーからの影響をテーマにした作品サイト「シンギュラリティ」にて、石野卓球セレクトの「インストゥルメンタル・トラック・ベスト10」と共に全世界に向けて公開されている。本サイトには、石野卓球と並んでロバート・スミス(ザ・キュアー)、ショーン・ライダー(ハッピー・マンデーズ)、アーヴィン・ウェルシュ(映画『トレインスポッティング』原作者)、ザ・ホラーズ、808 ステイト、ラ・ルー、インターポール、ホット・チップ等、錚々たるアーティストが作品を寄せている。


  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443 444 445 446 447 448 449 450 451 452 453 454 455 456 457 458 459 460 461 462 463 464 465 466 467 468 469 470 471 472 473 474 475 476 477 478 479 480 481 482 483 484 485 486 487 488 489 490 491 492 493 494 495 496 497 498 499 500 501 502 503 504 505 506 507 508 509 510 511 512 513 514 515 516 517 518 519 520 521 522 523 524 525 526 527 528 529 530 531 532 533 534 535 536 537 538 539 540 541 542 543 544 545 546 547 548 549 550 551 552 553 554 555 556 557 558 559 560 561 562 563 564 565 566 567 568 569 570 571 572 573 574 575 576 577 578 579 580 581 582 583 584 585 586 587 588 589 590 591 592 593 594 595 596 597 598 599 600 601 602 603 604 605 606 607 608 609 610 611 612 613 614 615 616 617 618 619 620 621 622 623 624 625 626 627 628 629 630 631 632 633 634 635 636 637 638 639 640 641 642 643 644 645 646 647 648 649 650 651 652 653 654 655 656 657 658 659 660 661 662 663 664 665 666 667 668 669 670 671 672 673 674 675 676 677 678 679 680 681 682 683 684 685 686 687 688 689 690 691 692 693 694 695 696 697 698 699 700 701 702 703 704 705 706 707 708 709 710 711 712 713 714 715 716 717 718 719 720 721 722 723 724 725 726 727 728 729 730 731 732 733 734 735 736 737 738 739 740 741 742 743 744 745 746 747 748 749 750 751 752 753 754 755 756 757 758 759 760 761 762 763 764 765 766 767 768 769 770 771 772 773 774 775 776 777 778 779 780 781 782 783 784 785 786 787 788 789 790 791 792 793 794 795 796 797 798 799 800 801 802 803 804 805 806 807 808 809 810 811 812 813 814 815 816 817 818 819 820 821 822 823 824 825 826 827 828 829 830 831 832 833 834 835 836 837 838 839 840 841 842 843 844 845 846 847 848 849 850 851 852 853 854 855 856 857 858 859 860 861 862 863 864 865 866 867 868 869 870 871 872 873 874 875 876 877 878 879 880 881 882 883 884 885 886 887 888 889 890 891 892 893 894 895 896 897 898 899 900 901 902 903 904 905 906 907 908 909 910 911 912 913 914 915 916 917 918 919 920 921 922 923 924 925 926 927 928 929 930 931 932 933 934 935 936 937 938 939 940 941 942 943 944 945 946 947 948 949 950 951 952 953 954 955 956 957 958 959 960 961 962 963 964 965 966 967 968 969 970 971 972