「Nothing」と一致するもの

パーソナルなの? 地球規模なの? - ele-king

 ミステリー・ジェッツ……あのミステリー・ジェッツだ。「テムズ・ビート」なんて呼ばれて親しまれたあの頃から時が止まっているひとは驚いてしまうかもしれない。コンスタントにリリースをつづけてきた彼らだが、1月に発売される新作『カーヴ・オブ・ジ・アース(Curve of the Earth)』ではスケールを増しているどころではない。その一端を先行シングルのヴィデオにて確認することができるだろう。彼らがフォーカスする生命の神秘とは──?

UKロックの異端児ミステリー・ジェッツが先行シングル「Telomere」のビデオを公開!
ミステリー・ジェッツ結成史上、最高傑作『カーヴ・オブ・ジ・アース』は来年1月15日発売!

今作ビデオはUNKLE「Hold My Hand」やフォクシーズ「Youth」を手掛けたジェームズ・コープマンが監督を務めています。今作ビデオでは生物の染色体の末端を保護する役目を担い、細胞老化に影響を与えるTelomere(テロメア)という生命の神秘をテーマを女性ダンサーとボーカル/ギターであるブレイン・ハリソンが泥に塗れながらエモーショナルに歌い上げている。

シングル「Telomere」に関して、作曲を担当したボーカルのブレイン・ハリソンがコメントを寄せている。「昨年の冬にスタジオを離れて、テムズ川に停泊するボートの上で1週間滞在していたんだ。携帯電話も通じない、TVもない場所で幾つかの本を持ち込んでた。そうした中、「全ての苦境や栄光は僕らの血の中に流れ生きている」というミラン・クンデラの祖先に関する本の中の文章に出会ったんだ。Telomere(テロメア)は僕らのDNAの末端にあるキャップ状のもので染色体を保護している。まるで靴ひもの先端の部分の様にね。 そして、それらは染色体の秘密を保持させ、究極の永続性を得る為のものだ。僕はこういった決して理解できない生命と死という共依存関係にあるアイディアが好きなんだ。ヘンリーと僕がこのような表現主義のアプローチで歌詞を書いのは今回初めてになるね。これは僕らのリスナーが点と点を繋ぐ事ができる良い機会になると感じたし、同様に映像作家にこの曲のビデオを依頼する時にこのアイディアを使ってもらう事にしたんだ」。

Mystery Jets - Telomere

ミステリー・ジェッツ史上最もパーソナルで完成された最高傑作と呼び声も高い彼らの最新アルバム『カーヴ・オブ・ジ・アース』。先月に開催されたHostess Club Weekenderにて新作アルバムの楽曲を最初から最後まで演奏するというスペシャルセットを披露、未公開の楽曲をライブで初体験でき日本のファンも大いに盛り上がりました。バンド本人達もライブ後に「日本のオーディエンスは最高だよ。未だ聞いた事の無い音源なのに楽しんで受け入れてくれたようだったね。」と手ごたえを感じていました。

2012年にリリースされた『ラッドランズ』以来3年振りとなる最新作『カーヴ・オブ・ジ・アース』は2013年夏と2015年夏の2回に分け ロンドンにてレコーディングされた。ボーカリストであるブレイン・ハリソンが行ったテムズ川河口に ある隔離された小屋でのセッションに加え、東ロンドンにあるボタン工場跡地に自らのスタジオを建てアルバムを完成させた。プロデュースは共にスタジオを建てた、マシュー・スウェイツの手助けを受け、バンド・メンバーであるブレイン・ハリソン、ヘンリー・ハリソン、ウィリアム・リース、ドラマーであるカピル・トレヴェディ、そして新規加入のベーシスト、ジャック・フラナガンの全員で制作されており、ミステリー・ジェッツ史上最もパーソナルで完成された最高傑作と言えるだろう。

■新作情報

アーティスト名:Mystery Jets(ミステリー・ジェッツ)
タイトル: Curve of the Earth(カーヴ・オブ・ジ・アース)
海外発売日:2016/1/15(金)
レーベル:Caroline / HOSTESS
品番:HSU-10058

【トラックリスト】
1. Telomere
2. Bombay Blue
3. Bubblegum
4. Midnight’s Mirrior
5. 1985
6. Blood Red Balloon
7. Taken by The Tide
8. Saturine
9. The End Up
10. Spiralling (日本盤ボーナストラック)
11. Kickass (日本盤ボーナストラック)
※日本盤はボーナス・トラック2曲、歌詞対訳、ライナーノーツ付
新曲「Telomere」iTunes配信スタート&アルバム予約受付中!

■バイオグラフィ
ブレイン・ハリソン、ウィリアム・リース、カピル・トレヴェディ、ジャック・フラナガン、ヘンリー・ハリソンからなるUK出身ロック・バンド。2006年にはフジロックにて初来日。80's、プログレッシヴ・ロック、サイケデリック・ロックと全ての良いとこ取りをしたようなキャッチーなサウンドでここ日本でも高い人気を誇る。2010年6月には名門レーベル〈ラフ・トレード〉移籍後初となるサード・アルバム『セロトニン』をリリース。そして12年4月、オリジナル・メンバーであるカイが脱退するも通算4作目となるアルバム『ラッドランズ』をリリースしHostess Club Weekenderで来日。15年11月、新メンバー、ジャック・フラナガンを迎え入れ5枚めのニュー・アルバム『カーヴ・オブ・ジ・アース』を2016年1月15日にリリース予定。2015年11月にHostess Club Weekenderにて3年ぶりの来日を果たした。

Ssaliva - ele-king

 インターネットはデジタル・ナルシスの生成空間だ。とくにSNS以降のインターネットは、他人と自分の関係性から境界が液状化し、融解し、消えかけていく場所といえる。ここでは愛は憎しみに簡単に反転するし、他人へのうっすらとした嫌悪は、いわば自己嫌悪の否認である。
 このデジタル・ナルシス的な鏡像関係は、新しい環境と「風景」を生み、われわれ人類の新しい「内面」を生み出している。ほとんど無現に増殖/液状化していく新しい「内面」の誕生である。その意味で、インターネット以降の世界を生きるわたしたちは、それ以前の人類からすると増殖する他人と自我の融合を抑えきれない「ミュータント」なのかもしれない。となれば「ポスト・インターネット」とは「液状化し増殖するわたし自身」が大前提となった時代の呼称となるだろうか。
 たとえば、アルカとジェシー・カンダの音楽とアートワークなどは、そのように増殖する自己(「ミュータント化するわたし」)を象徴的=批評的に表象している。だからこそ時代を象徴する作家なのだろうし、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーも同様である。ダニエル・ロパティンは20世紀のジャンクをかき集め、そこに一種の「わたしの死(=幽霊)」を見出していく。彼は、コピーと模倣で増殖するデジタル・ナルシスの「死」を見据え、わたしたち/彼らのゴースト・アトモスフィアを形成していくのだ。

 ベルギーの電子音楽家サリヴァ=フランソワ・ブランジェもまた、そんなデジタル・ナルシス=ポスト・インターネット時代/世代の音を生み出すエクスペリメンタルな電子音楽家のように思えた。彼はこれまでも同郷ベルギーの〈ヴェレック(Vlek)〉や、マシュー・デイヴィッド主宰の〈リーヴィング(Leaving)〉などから、ヴェイパー・ウェイヴ以降特有のロウな質感を持った融解的なエクスペリメンタル・テクノ/電子音楽をリリースしており、すでに一部の通人からは注目を集めていた人物である(カップ・ケイヴ名義としても活動)。そして2015年には、同じくベルギーの〈エクスター〉(Ekster)から本作をリリースしたわけだが、本作によって彼の評価はさらに決定的なものになるのではないか。なぜならこの新作もまたOPNやアルカの新作などと同じように、ポスト・インターネット的でありポストモダン的でありデジタル・ナルシス的であり、つまりは2015年的としか言いようがない作品なのだから。

 1曲め“サンポ”における電子のカーテンが開くような、冷たくも不安定なトラックから一気に引き込まれる。つづく2曲め“オーヴァーランド”や5曲め“ステイブス”の融解したビート、断続的で乾いたノイズ、淡いコード感、3曲め“エクストラ・スペース”、4曲め“ドリーム・ダイヴ”のグリッチ・アンビエントとでも形容したい質感など、どれもまったく素晴らしい。以降、どのトラックもミニマルな電子音、グリッチ・ノイズ、空気のようなアンビエンス、融解したリズム、クリスタルなシンセサウンド、それと相反するロウな質感が交錯し、優雅でシュールレアリズムの雰囲気に満ちた「いま」の電子音楽が展開する。オリジナル盤ラスト曲“フュギュア”など、不安定なシンセサイザーによって奏でられる優美な賛美歌のようである(この「優美さ」はフランソワ・ブランジェの最大の個性とも思える)。ポスト・インターネット時代のデジタル宗教曲?

 そして本作の音楽性を見事に表現しているのがアートワークではないかと思う。透明な氷のような、水のような、ガラス細工のような顔のオブジェが向かい合ったこのアートワークは、ポスト・インターネット的なデジタル・ナルシスと、モノ的・ゴースト的な感覚が横溢するいまの時代の美意識を、その音楽とともに見事に表象している(インターネットとは、いうならば自分自身の鏡だ)。本作もまたOPNやアルカなどと同じく「音楽であって音楽ではない/ポスト・インターネット時代特有のサウンド・オブジェ」なのである。まさに2015年を象徴するアルバムといえよう。

interview with Dornik - ele-king

 それは秘密の歌だった……それがドーニクの甘くとろけるラヴ・ソングのはじまりだった、ということである。ツアー・ドラマーとして活動していた彼の歌を発見したのはそのフロントにいたジェシー・ウェアーで、彼女の後押しがなければシンガーとして活動する気はなかったという。だから彼のデビュー・アルバムにあるのは野心からはほど遠いベッドルームのイノセンスであり、それはプリンスやマイケル・ジャクソンの物真似からはじまったものだったとしても、彼の内面のもっとも柔らかい部分に忠実なものだ。


Dornik

R&B

Tower HMV Amazon iTunes

 ドーニクのチルなR&B、スウィートなソウルとファンクは近年の傾向を思えば、やや遅れてやってきたという印象もなくもないが、そのぶん、チル&B、あるいはオルタナR&Bと呼ばれたもののひとつの到達点にいるとも言える。ドラマーとはいえ組まれるリズムはいたってシンプルで、ファルセット・ヴォイスとコーラスが徹底して中心に置かれている。そこに寄り添っていくシンセ・サウンドはバーのカクテルに反射するライティングのようにきらびやかで、どこか現実離れしている。そしてそこで歌われるのはたいてい、「彼女」や「きみ」の前に屈するばかりのか弱い男、敗者としてのラヴ・ソングである。近年のメール・シンガーによるR&Bが提示した現代性とは恋の敗者であることの快楽であり、そしてドーニクの歌はその純粋さゆえに、その心地よさに溺れることへの抵抗が一切ない。「強く強く強く みんな強くありつづけよう」と繰り返す“ストロング”は見事な反語である。

 ドーニクはもう脚光を浴びて、フロントマンとしてステージに立っている。作風は外の世界を意識したものに変わっていくだろうし、それに合わせてサウンドも歌詞のテーマも変わっていくと思われる。だからこのデビュー作『ドーニク』は、彼にとってもリスナーにとっても永遠に不可侵な領域として残ることになるだろう。

野心はなかったよ。あくまで趣味だったから。でも、こっそり思ったことはある、かな。僕が歌ったらひとはどう思うだろうか、って。

デビュー・アルバム『ドーニク』は堂々たるシンガー・アルバムになっていますね。

ドーニク(以下D):ははは。

フロントマンになろうという意志がなかったとは思えないくらいですが、アルバムを作る以前から歌うことが好きではあったのですか?

D:うん、やっぱり、好きだからやったんだと思うよ。それまでは趣味のようなものではあったけど、楽しんではいた。

基本、ひとりで歌っていたということですが。

D:そう。たまに思うよ、いまこれが楽しいと思うのは、みんながチヤホヤしてくれるからなのかな、とか(笑)。あんまり自信がなかったからね、他にひとがいいと思ってくれるかどうか。否定される場合だってある得るわけで……(笑)。でも……うん、趣味でやってたことだし、音楽を作るのは大好きだけど、フロントマンになることはべつに考えてなかった。

最初はドラマーだったあなたに、シンガーになるという希望や野心はあったんでしょうか。

D:野心はなかったよ。あくまで趣味だったから。でも、こっそり思ったことはある、かな。僕が歌ったらひとはどう思うだろうか、って。従兄弟の前で歌うと「よう、おまえ、歌うべきだよ!」って言われたし、そう言えば、従姉妹のひとりからは「あんた、いつか歌うことになるわよ」って言われたことがあるんだ。でも、そのときは「ない、ない」って……、じつはむかついて「歌うもんか! 僕はドラムでいく!」って抵抗したくらいでね(笑)。でも、彼女の言うとおりになったね。

歌はどうでしたか。同じように自由に自分を表現できると感じましたか。

D:もちろん! というのも、前から頭の中にアイデアがあったから、それを放出するって感覚だったんだ。ドラムのグルーヴとか、コードも頭にあったし、メロディなんかも外に出していくっていう感じで……。うん、これも間違いなく自分を表現するひとつの方法だよ。解放って感じ。自分自身を解放するように表現して、レコーディングして、そしたらそれをみんなが気に入ってくれるというオマケがついてきた(笑)。

歌いはじめるにあたってお手本にしたシンガーはいますか。

D:マイケル・ジャクソンとか……、つまり影響された人ってことだよね?

そうですね。

D:うん、マイケル・ジャクソン、プリンス、マキシ・プリースト……レゲエのアーティストだけど彼の音楽が大好きなんだ。子どもの頃、彼の音楽もずいぶん聴いて育った。あとはディアンジェロとか。うん、でもマイケル・ジャクソンとプリンス、だな。いや、マイケル・ジャクソンとプリンスとマキシ・プリーストかな……。

(通訳):マキシ・プリーストの名前はいままで出なかったですね(笑)。

D:そうだね(笑)。彼も大好きなシンガーで、あのヴォーカルはすごく好き。レゲエ的な背景の一部に彼がいる。

レコードに合わせて歌ったりしていたんですか?

D:うーん……うん。たぶん、ね。自分のベッドルームで、だけど(笑)。自分の部屋で。それにしても、マキシ・プリーストのことをすっかり忘れてたなあ。彼の大ファンなのに。うん、あとはマイケル・ジャクソンとプリンス。

僕はいつも「もっと早く生まれたかったなあ」って言ってた。そうしたら最高の音楽に囲まれていられたのに。

マイケル・ジャクソンやプリンスが超ビッグだった80年代は、振り返るときらびやかなイメージがあるんですが、あなたは80年代生まれでしたっけ?

D:1990年生まれだよ。だから80年代は生まれる前……というか、2日違いで80年代に間に合わなかった(笑)。誕生日が1月2日だからね。

(通訳):80年代を丸々見逃してしまったわけですね(笑)。

D:うん、僕は時代としては90年代の人、だね。

そんな未体験のあなたから見た80年代のイメージって、どんな感じですか。

D:同じだよ。ライトがピカピカしてる感じ。ギラギラしてて……っていうのが僕の80年代のイメージ。だからマイケル・ジャクソンとプリンスが、80年代という時代そのものだよね。すごく……(笑)、ファンキーで、直球で。

(通訳):あなたのご両親の時代、ですね。

D:そう、ふたりとも実際に体験してる。僕はマイケル・ジャクソンのビデオやプリンスのビデオを観て雰囲気を掴んでいた、という感じかな。僕はいつも「もっと早く生まれたかったなあ」って言ってた。そうしたら最高の音楽に囲まれていられたのに。いまも素晴らしい音楽はいっぱいあるけどさ。でも……結局、物事は繰り返すからね。「歴史は繰り返す」って言うから。

いまグレイトだと思う音楽は?

D:ジ・インターネット。彼らの大ファンなんだ。すごくいい。本当に素晴らしい。ジャングルも驚異的なアーティストだ。あとはケンドリック・ラマー。ディアンジェロも復活したね。復讐の復活劇(笑)、すごいアーティストだよ。マジで尊敬してる。

最近の男性シンガーソングライターにはR&Bに寄る傾向が見られて、トレンドになっているという声もありますが、あなたはどう思いますか。

D:うーん、あるね、たぶん。R&B系の曲は多いし、そういうのが戻ってきてる感じはする。ミゲルとかフランク・オーシャンあたりのことを言ってるんだと思うけど……。それがいまのムードらしい。いいことだよ。

あなたの曲では弱さや情けなさも率直にさらけ出されているように思えますが――

D:あはは。

これはあなたの生の感情がダイレクトに反映されたもの?

D:そうさ。あのときの僕の立ち位置だ。個人的な体験や、他の人の体験や……うん、男女問わず自分を表現できる時代、それを生きるあの年齢の人間ならではのね(笑)。

(このアルバムに反映されているのは、)あのときの僕の立ち位置だ。個人的な体験や、他の人の体験や……うん、男女問わず自分を表現できる時代、それを生きるあの年齢の人間ならではのね(笑)。

ラヴ・ソング?

D:うん、そうだね、ラヴ・ソング。若い10代の……いや、10代の終わりに書いた曲。次のアルバムでは、もっと主張したいことがある。

近年は男性シンガーが自身のフェミニンさを出すことを恐れなくなったし、あなたもそのひとりだと感じます。

D:うん(笑)。

あなたにとって、音楽にフェミニンさは必要なものですか?

D:そうなんだろうね。トレンドもあるし。

(通訳):いっぽうでは女性たちがもっとこう……

D:そう、独立してる(笑)。

それはラヴ・ソングの一種のマナーとして強調されたものなのでしょうか? それともあなたの一面?

D:ほんの一面だよ。いまの僕はまた別の場所にいる。

(通訳):そう?

D:うん、いまはいる場所がちがうんだ。

(通訳):どこにいる?

D:うーん、いまにわかるよ。すぐにわかる。

(通訳):つまり、もう次の作品に取りかかっているということ?

D:いくつかアイデアはあるんだ。まだきちんとまとめる時間を持てないんだけど、ちょっと声をメモっておいたり、インストで思いついたのを書き留めたりしはじめてる。ホテルの部屋でやったりしてるよ。ジェシー(・ウェア)とのツアー中はよくやってた。ショウが終わるとバスに乗り込んで、ベッドがこう、段々に重なっているところでアイデアをまとめたり。

(通訳):そういうツアーだったんですね! ああいうバス、何ていうんでしたっけ……。

D:ベッドが段々になってるやつ、ね。そこに小さなキーボードを持ちこんで、インストのアイデアを練ったりしてた。メロディとかも。だから、いくつか寝かせてあるやつがあるんだ。完成を待ってるアイデアが。でも、ファースト・アルバムはそういう意味で完成させるのが大変だった。なんか、昔に逆戻りするみたいな感じでさ。時間を遡って昔のアイデアを完成させるより、自分ではつねに先に進んでいたいんで、なんかヘンな感じだった。でも、もうすぐ新しいのを作れるから。

やりかたに正解はなくて、とはいっても、たいていリズムが最初に出てくるのはたしかだね。ドラムが最初、ってことになるのかな。

さて、そもそもがドラマーということで、リズムはこうあるべき、というような信念から音楽がスタートするんでしょうか。そこから曲を書いていく?

D:うーん、やりかたに正解はなくて、とはいっても、たいていリズムが最初に出てくるのはたしかだね。ドラムが最初、ってことになるのかな。でも、コードが頭にある場合もあるから、それに合わせてドラムを作っていくこともあるし、何が先であってもアリなんだ。正しいやり方、というのはない。ドラマーだ、というのは間違いなく影響してると思うけど。

このアルバムではシンプルなリズムでチルアウトな志向を強くしているように感じます。

D:うん、意味はわかる気がする。コード進行なんかは、いわゆるチルアウトしたスムースな感じだから。

それは意識的に?

D:いや、単純にあの時の自分の気分。それが表れただけだよ。僕はあらためて「よし、今日はこういう音楽を作るぞ」なんて考えたことないし、何であれその時に自分が感じているものが表に出てくるって感じなんで、「スムースでチルな感じのを作ろう」と思ったわけではまったくない。

(通訳):つまり、フィーリングのままにトラックをまず作って、リリックはその後なんですね。雰囲気に合わせて、ということですか?

D:うん、そういうこと。

(通訳):じゃあ、歌詞に女性的な面が表出したとしたら音楽に原因がある?

D:そのとおり。音楽に合わせたんだ。音作りやコード進行や、頭の中にあったメロディが、ああいう歌詞を導き出したんだと思う。そうじゃない曲もあったけど、そういう曲はわりと新しめで、アルバムにはフィットしない気がしたんだ。きっかけになったのが“サムシング・アバウト・ユー”っていう、かなり古い曲だろ?

(通訳):あれはどれくらい前の曲?

D:うーん、あれは4年前かな? ……うん、そう、ちょうど4年前だ、書いたのが2011年だから。その後に書いた新しめの曲は、あれとは収まりが悪かったんだよね。だからわざわざ昔にさかのぼって“ストロング”あたりを仕上げて使うことになったんだ。あれも同じ頃の曲だから。そんなわけで、使わずに取ってあるやつがまだあるから、これから完成させてやらないと。もっと最近のアイデアを使っていきたいし。あのアルバムは、自分ではもうずいぶん昔みたいに感じてるんだよね。次にいく準備は万端だ。

ところで、リズム面でもっとも大切にしていることは何ですか。

D:あんまり頭では考えてないんだよね……。

(通訳):ドラム録りから入るんですよね。

D:そうだね、まずはドラムを録るけど、場合によってはコードから入れて、ドラムは後ってこともあるよ。自分ではドラムを最初に入れておく方が好きで、その後にコード……とやっていく方が、その逆よりもやりやすい。コードが先にあると、ドラム・パターンにそのつじつまを合わせるのが大変だったりするから。まあ、どっちのやり方でもイケるし、実際、どっちもアリなんだけど……うん、やっぱり自然と出てくるのは僕の場合、ドラムみたいだね。

(通訳):パーカッション類も自分で?

D:うん、パーカッションもいくつかやるし、ドラム・キットと、あとは鍵盤を少々。キーボードは僕のメインの楽器じゃないから技術的には大したことないし、耳で覚えたんで、「こうしたい」というのが頭の中で鳴っていて、それを何とか鍵盤に移し替えるというやり方。譜面は読めない。ぜんぶ耳なんだ。頭の中で鳴っているのをそのまんま外に出そうとしてるだけ。

そうだなあ……いま、この瞬間に聴くとしたら『サイン・オブ・ザ・タイムス』だろうな。大好きなアルバムだ。

あなたはこのアルバムを「サマー・アルバム」だと説明していますね。

D:うん。誰かに「どんなアルバムですか?」って訊かれて、夏のアルバムだと思うって答えた記憶がある。

(通訳):いまもそう思う?

D:そうだね。それこそチルアウトした、夏のバーベキューって感じのヴァイブがあるんじゃない? フィーリングとして、ね。あるいは……いや、どうだろう、ちがうかな。季節を問わず聴いてもらっていいんだけど、僕にとってはやっぱり夏かな。ドライヴしながら、とか。僕が作りながら感じていたのはそれだから。僕の頭にあったイメージ、というか。ああいう夏の、チルアウトした……チルアウトした感じ。

(通訳):では次は冬のアルバム、ですかね(笑)。

D:かもね。まさに! 夏のアルバムにならないことはたしかだよ。

では、難しい質問です。もっとも好きなプリンスのアルバムは何でしょう?

D:まいったなあ、難しいよ、好きなのがいっぱいあって。ええと……1枚選らばなきゃいけないの? そうだなあ……いま、この瞬間に聴くとしたら『サイン・オブ・ザ・タイムス』だろうな。大好きなアルバムだ。でも、そのときによるんだ。うん、いま、最初に聴くとしたらそれ。

(通訳):あのアルバムの、どういうところが好きですか?

D:ファンキーなところ。めっちゃファンキー。中でも“ハウスクエイク”が好きなんだ。

もっとチャレンジして、とにかく上達したい。できるかぎりの道具を使いこなしてミュージシャンとして、アーティストとして成長していきたい。

プリンスは独りで何でもやってしまう人ですが、あなたもその方向を目指したい?

D:うん、もちろん! ああいうところを目指して成長していきたい。うん、やっぱりそうだよね。僕はひとをあてにするのが好きじゃないし、できることなら自分でね。だから、そのときの必要に応じてやっていけたら、ということだね。共同作業に対してもオープンに構えていたいし。でも、それは意図的にではなく、「この人といっしょにやらなくちゃ」っていうのではなくてフィーリングが合えば、ということ。こっちがオープンに構えているところにフィーリングのピッタリくる話があればいっしょにやるし、そうじゃなければ……ね(笑)。

(通訳):それはそれでいい、と。

D:うん。

現時点でミュージシャンとしてチャレンジしてみたいことはありますか。

D:挑戦してみたいこと……うん、すべてにおいてベターになること。ドラム・プレイもそうだし。実際、ドラムをプレイできないのは寂しいしね。ピアノももっと上手くなりたいし、ギターもね。ギターも独学でやってるんだ。そういうのにもっとチャレンジして、とにかく上達したい。できるかぎりの道具を使いこなしてミュージシャンとして、アーティストとして成長していきたい。

ピアノで曲を書くこともあるんですか。

D:たまに、ね。まだそんなにだけど、たまに書くよ。コードとかメロディはギターでも書いてみたいし、そのへんがチャレンジってことになるんだろうな。それに楽器が変わるとちがう書き方に繋がったりするんで、曲作りのまったく新しい世界が開けると思う。だから、自分にできるかぎりのことを学んでいきたい。それがチャレンジだね。

(通訳):可能性は天井知らず、と(笑)。質問に戻りまして、リズムでとくに惹かれるタイプのリズムってありますか。レゲエ、アフリカン、とエスニックなリズムにも親しんできたようですが。

D:僕は4つ打ちが好き。4つ打ちにハズレは無い。いい感じに鳴ってるドラムで4つ打ちっていうのが、いちばんハードなグルーヴだ。あれはたまらない! ハードって、プレイするのが難しいって意味のハードじゃないよ。とにかくパワフルだって意味のハードで、あれには踊りたい気分にさせられる。なんといってもグルーヴィだ。J・ディラ、とかさ。僕はJ・ディラの大ファンなんだ。彼のグルーヴは信じられない! どうかしてるよ。あと、クエスト・ラヴとかね。ああいうリズム……、シンプルに聴こえるけどじつは簡単じゃないし、普通の人がやれば普通になるけど、彼らがやるとじつに個性的で、ちょっとモタってたり走ってたり……ああもう、なんか説明できないよ! 要はフィーリング。フィーリングなんだよね。うん、ああいうのがまとめて大好きなんだ。

Elijah & Skilliam - ele-king

 ロンドンを拠点にグライム・シーンを牽引するイライジャ&スキリアム。現在のロンドンは家賃の上昇などの問題で、シーンを支えたクラブやレコード店がどんどん姿を消している。2年前に閉店してしまったクラブ、ケーブルはイライジャとスキリアムが運営するレーベル〈バターズ〉がパーティを開催していた場所だった。そんな状況であってもグライムのパーティは終わることなく、DJやプロデューサーたちはラジオやツアー、リリースをとおして人々に喜びを与え続けている。イライジャとスキリアムがいるのはその最前線だ。先日、イギリスの「ファクト」が制作した〈バターズ〉のドキュメンタリーからは、現在のシーンの空気感がひしひしと伝わってくる。
 今回、イライジャ&スキリアムは去年に続き2度目の来日となり、12月11日に東京、28日に名古屋、大晦日31日に大阪の順での公演を予定している。ハイパージュースやプリティボーイらが東京公演に出演し、名古屋ではダブル・クラッパーズ、大阪ではセスといった気鋭のプロデューサー/DJたちがイライジャ&スキリアムと共演する。明日12月10日にふたりはドミューンにも出演するので、是非チェックしてほしい。ツアーの情報は以下のとおり。

【東京】
DBS presents
Elijah & Skilliam Japan Tour2015

日時:
2015.12.11(Fri)
OPEN/START 23:00

場所:
TOKYO CIRCUS

料金:
ADV:2,500yen/DOOR:3,000yen

出演:
Elijah & Skilliam (Butterz,UK)
with.
HyperJuice
Prettybwoy
Sakana

《1st Floor》
HELKTRAM
DIMNESS
maidable
Chocola B

Ticket outlets:
https://peatix.com/event/127181

info:
TOKYO CIRCUS:TEL/03-6419-7520
https://circus-tokyo.jp/

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【名古屋】
GOODWEATHER #43 ELIJAH & SKILLIAM

日時:
2015.12.28(Mon)
OPEN/START 22:00

会場:
CLUB JB’S

料金:
ADV/ 2,500yen DOOR/ 3,000yen

出演:
GUEST : Elijah & Skilliam
dj noonkoon feat. Loki Normal Person
NOUSLESS feat, AGO
DJ UJI feat. BRAVOO
Double Clapperz
MOMO

Photographer: JUN YOKOYAMA

info:
https://www.facebook.com/events/1634818833446707/

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【大阪】
CIRCUS COUNTDOWN 2015 to 2016
ELIJAH&SKILLIAM

日時:
2015.12.31(Thu)
OPEN 20:00

料金:
DOOR/ 2,015yen

出演:
CE$
SATINKO
TUTTLE
m◎m◎
BIGTED
Keita Kawakami
D.J.Fulltono

Photo Exhibition Jun Yokoyama

info:
https://circus-osaka.com/events/circus-countdown-2015-to-2016/


ELIJAH & SKILLIAM (Butterz, UK)

UK発祥グライムの新時代を牽引するレーベル/アーティスト・コレクティブ、Butterzを主宰するELIJAH & SKILLIAM。
イーストロンドン出身のELIJAHとSKILLIAMは05年、郊外のハートフォードシャーの大学で出会い、グライム好きから意気投合し、学内でのラジオやブログを始め、08年にGRIMEFORUMを立ち上げる。同年にグライムのDJを探していたRinse FMに認められ、レギュラー番組を始め、知名度を確立。10年に自分達のレーベル、Butterzを設立し、TERROR DANJAHの"Bipolar"でリリースを開始した。11年にはRinse RecordingsからELIJAH & SKILLIAM名義のmix CD『Rinse:17』を発表、グライムの新時代を提示する。その後もButterzはROYAL T、SWINDLE、CHAMPION等の新鋭を手掛け、インストゥルメンタルによるグライムのニューウェイヴを全面に打ち出し、シーンに台頭。その後、ロンドンのトップ・ヴェニュー、Fabricでのレギュラーを務め、同ヴェニューが主宰するCD『FABRICLIVE 75』に初めてのグライム・アクトとしてMIXがリリースされる。今やButterzが提示する新世代のベースミュージックは世界を席巻している!
https://elijahandskilliam.com/
https://butterzisthelabel.tumblr.com/


Jamie Woon - ele-king

 ジェイムス・ブレイクはファースト・アルバム、続いて『オーヴァーグロウン』を発表する中、それ以前のシングル群で見せていたダブステップの世界から、シンガー・ソングライターとしての色合いを深めていった。ジェイミー・ウーンも同じような立ち位置のアーティストで、ともに親がロックやフォーク畑のミュージシャンという共通点もある。ジェイムス・ブレイクがキーボードを弾いて歌うのに対し、ジェイミー・ウーンはギターの弾き語りだ。もともとソウル系のシンガー・ソングライターを出発点とするジェイミーだが、ブリアルやラマダンマンらダブステップの人脈から、母親の出身地であるスコットランドのハドソン・モホークとも交流を持ち、彼らをリミキサーに迎えている。2011年にリリースされたファースト・アルバム『ミラーライティング』は、ブリアルや母親のメイ・マッケンナなどを交えて制作され、シンガー・ソングライターとしての側面とポスト・ダブステップ的なサウンド・プロダクションが結び付き、ジェイムス・ブレイクやサブトラクトのファーストと並んでこの年を代表する傑作だった。それからかなり間隔が空いてのセカンド・アルバムが『メーキング・タイム』だ。

 今回はリリース元がディスクロージャーやジェシー・ウェアなどをリリースする〈PMR〉なので、『メーキング・タイム』よりさらにダンス色、ポップ色が強まり、ややもすればジェイミーの持味が薄れてしまうのではとも懸念したが、そうした心配は必要なかった。むしろ前作でのブリアルのサウンド・プロダクションがなくなったぶん、ジェイミーのシンガー・ソングライター面によりスポットが当たっている。彼の歌とソング・ライティングだが、“メッセージ”“ムーヴメント”“デディケーション”などに顕著なように、マーヴィン・ゲイやリオン・ウェア・マナーとでも言うべきソウルフルなテイストが増している。“シャープネス”はミルトン・ライトとかティミー・トーマスあたりのマイアミ・ソウルを彷彿とさせる。“セレブレーション”はゲスト参加のウィリー・メイソンによるしわがれた歌をフィーチャーし、カントリー調の味わいを持つ作品に仕上がっている。“スキン”での自身のコーラスの多重録音はドゥーワップを基とするものだろう。

 ジェイミーはディアンジェロやアッシャーなど1990年代のR&Bが好きで音楽をはじめたので、そのルーツにあるこうした1960年代から70年代にかけてのアメリカのソウルへと向かうのは理解ができる。でも、アメリカの黒人文化の象徴であるソウルとはちがう肌触りもあり、あくまで抑制のきいた歌や演奏が、ジェイムス・ブレイク同様にイギリスのシンガー・ソングライターたるゆえんではないだろうか。そうしたUKらしさは内省的な“ラメント”やフォーキーな“フォーギヴン”“リトル・ワンダー”に表れており、ニック・ドレイクやジョン・マーティンから、ルイス・テイラーなどUKのシンガー・ソングライターの系譜を思い浮かべさせる。“サンダー”のようにポップさを持ちながら、どこか屈折した味わいも英国ならではだ。

 『トレインスポッティング』や『スラム・ドッグ・ミリオネア』のダニー・ボイルが監督した新作映画『スティーヴ・ジョブズ』をロンドンで観た。脚本は、『ソーシャル・ネットワーク』『マネーボール』のアーロン・ソーキン。ソーキンお得意の、しゃべりまくる個性的な登場人物たちの言葉の応酬でドラマを展開する奇妙なセリフ劇である。ダニー・ボイルだし、iTunesやiPodを発明したジョブズを主人公にした映画なのだから、音楽的なのかと思ったら、まったくそんなことはない。皆が知ってるジョブズの功績、iPhoneやiTunes、iPadなどは影も形もないし、U2のボノみたいなミュージシャンが彼の素晴らしさを讃えるわけでもない。ただ、ジョブズのカリスマ性を炙りだすのに、彼にとってのステージ、“発表会”という場とその舞台裏にフォーカスしたという意味では、十分にライヴ的な映画とは言えるかも。

 批評家のウケは極上だったこの映画、あまりにコアなところを狙いすぎたのか、すでに公開された海外各国での興行成績はふるわなかったようだ。さて、電気グルーヴの映画のレヴューをするのに、なぜこんなに長々と別の映画のことを書いたかというと、異端の存在でありながら26年も続いてきた“電気グルーヴの歴史”を総括する映画なんてものこそが、こういう罠に簡単にはまりそうだからだ。だってあの卓球と瀧が、ストレートな回顧ものを撮らせるわけがないと思うじゃない。監督もテレビ/映像業界でサブカルのご意見番的に有名で、なおかつかなりの電気ファンを自認する大根仁だというし。それこそ、ファンのオタク度を測るようなレア映像や特殊なシーンばかりをつなげたり、主だったできごとはすでに皆当然知っているものとして省いてしまったりネタとして処理するというような作りだってありえたと思う。もしくは、ダニー・ボイルのジョブズ映画に倣うなら、野村ツアー以前(つまり、『Vitamin』以前)のライヴ3回のバックステージでの様子や会話を捉えた楽屋裏映像だけで構成しちゃう、みたいなことも。
 いや、そういう“マニアの皆さん大歓喜”な映像がまったく入ってないというわけではないんだけど、この映画がすげーまっとうに作られていることに最初はちょっと面食らって、でもどんどん自分もその映像の一部になっていくような感覚を得て、最後には「うわ〜、電気グルーヴってやっぱりものすごい存在だわ。この人たちとこんなに長い歴史の時間を共有できてホント良かった」みたいな感慨を抱いた。仕事で電気に関わったようなひとたちはもちろん、劇場にこの作品を見に行こうと思っちゃうようなひとも皆、それぞれの思い出のフラッシュバックとともに、そういう感覚に包まれるんじゃないかと思う。

 初めて世に出るという89年8月の大阪でのデビュー・ライヴの映像から、ほぼ時系列にそって電気グルーヴの歴史をなぞりつつ、国内外の17人の関係者の証言を随所に折り込むことで、内と外から電気グルーヴとは何か? をすげーまっとうに炙りだす。昨年の〈Fuji Rock Festival ‘14〉グリーンステージでのライヴは、今回の映画で主要なステージのフッテージとしてたくさん使われているんだけど、WOWOWで放送された同時期のソロ・ライヴの様子を収録した番組を見た人だったら、類似性と大きな違いに気付くはず。〈塗糞祭〉のライヴでは、CMJKや砂原良徳、DJ TASAKA、スチャダラパーといったゲスト陣にインタヴューして、やはり電気グルーヴのことを語らせていた。今回も同じようなメンツが話している。でも、やっぱり今回の方が取材に時間をかけているだろうし、楽屋コメントよりもずっと冷静に、いきなり内臓に切り込んでくるみたいな鋭さが見られる。もっと重要なのは、(僕らはよく知ってるけど)普段はほとんど表にでてこない、マネージャーの道下さん、元所属レーベル社長の中山さん、リキッドルームの山根さん、ROCKIN’ON JAPANの山崎さんといったひとたちが喋っていることだ。油断しているとすぐ足下をすくわれ毒を盛られるという、いたずら好きで辛辣で、斜に構えたイメージの電気グルーヴではなく、ある意味ものすごい愛されキャラとしての電気の本質が彼らの証言によってだんだんと見えてくるのが、いい。
 歴史的な映像の大半は、VHSテープに残っていたようなざらざらのローレゾ映像なわけで、新撮のインタヴューや最新のライヴのきれいな映像は、否応なく目立ってしまう。そんな風に暗闇のでかいスクリーンに旧知の連中の顔が大写しになって次々出てくると、「うわぁみんな老けたなぁ」と思うのは当たり前だ。でも、不思議なことに映画が進むにしたがって、どんどんその老けたおっさんたちが、卓球と瀧だけじゃなくて、彼らと一緒に歴史を作ったきたCMJKやまりんやTASAKAたちみんなが、超かっこいいじゃんという印象に変わってくる。いやいや、ほんと、マジだって。そういう効果をしっかりだすために、今現在リアルにかっこいいしルックスだけでモテそうな関係者一番の若手、agraphこと牛尾くんを出さなかったじゃないかなとか勘ぐりたくなるくらい。

 もっとディテールのこと(特にKAGAMIへの言及のことなんか)を本当は話したいんだけど、まだ公開前だし、それはこれから観る皆さんの楽しみをスポイルしちゃうと思うので、やめておきます。どっかのパーティーのバー・カウンターとかで、誰かと語りあいたいわ。
 でも、実はこの映画の一番のターゲットって、電気グルーヴのことをあまりよく知らない人じゃないかなとも思うんだよね。テレビや映画に瀧が出てるの見て「へぇ、この人ミュージシャンなんだ」って興味持ったり、偶然フェスでライヴを体験してとか、そういう入り口でいきなりこの映画観たら、最高だろうなぁ。僕も、自分の子供がもう少し大きくなったら絶対これ見せようと思ったし!

追悼:原節子 - ele-king

 原節子の訃報が筆者の暮らすイギリスにも伝わってきた。ああ……と切ない思いに駆られたので、訃報に関するネットのコメント欄をチェックしたりイギリス人にこの話をしてみたところ「まだ生きてたんですか!」の驚きが多く、知人については原節子と言うよりも「OZU」を持ち出しておぼろげに「ああ、あの女優……?」、そして「……何歳だったの?」と続く反応だった。

 それもそうだろう。1963年の女優業引退後は公の場やパブリシティ/取材を退け続け、ガルボ以上に私生活は謎に包まれていた女優さんだ。原節子を初めて見たのも、そういえば出演映画ではなかった。小学生の頃、「麗しの名女優写真集」みたいなグラビア本の新聞広告で、ディートリッヒ、バーグマン、ヘップバーン号等に混じって原節子号があるのを見かけたのがきっかけ。筆者が『東京物語』で実際に彼女が動きしゃべるところを観るのは、その10数年後の話である。

 それによっぽどのシネフィルを除き、著名監督ならまだしも外国俳優の名前まで細かく覚えている人は少ない。筆者の知る、比較的日本に興味があって日本産映画も多少は観ているイギリス人の中でも、名前だけで即通じるのは「三船」と「たけし」くらいだ。黒澤映画のダイナミズムやスケール、北野武の日本的なヴァイオレンス描写の方が、海外では遥かに共感しやすいカリスマとエキゾチックなインパクトを生むのだろう。

 ダイナミズム、スケール、ヴァイオレンス、カリスマ、エキゾチズム。こうした単語群ほど、小津安二郎と原節子のもっとも実り多きコラボレーションとされる「紀子三部作」──トポロジーや家族構成・人物設定にこそ若干違いがあるものの出演俳優や登場人物の名前にだぶりが多いこの3作品は、同じ家族の物語を少しずつテーマを変え変奏したフィルム・サイクルと言っていい──こと『晩春』(1949年)、『麦秋』(51年)、『東京物語』(53年)と隔たりのある言葉もないかもしれない

 カメラはほとんど動かないし、場面の多くは様式化された屋内撮影。暴力にいたるたかぶった感情や衝突に欠けた中流家庭のストーリーであり、現代劇なだけにサムライも十二単も出る幕は無い。親たちこそ和服に純日本家屋なノリだが、対照的に戦後世代は洋装で闊歩し、丸の内のビル街はニューヨークのように屹立し、ショートケーキを食べる贅沢もある。一方で畳の間に籐椅子があったり寝るのはやっぱりお布団だったりするのだが、谷崎潤一郎『陰影礼賛』の仄かに照らす日本ではなく、電灯がくっきり捉えた和洋折衷の日本が広がっている。

 スマートに整えられたプチ・ブル〜小市民(この3作における稼ぎ頭/家長的な男性はいずれも学者・教授・町医者といったホワイトカラー系)の世界を「都会的」「洗練された」と評する声も分かるし、原節子に対する印象を親に訊ねたところ、返ってきたのは「モダン」の言い換えと言える「バタくさい女優さん」だった。目鼻が大きくはっきりした彼女の顔立ちはなるほど華やかかつオープンで、スレンダーな体躯にも関わらず外国女優のようなヴォリューム感が漂い、低めな声に静かなヴァイタリティとある種の厳かさが宿る。『東京物語』で言えば杉村春子の柿にスイカのタネをくっつけたような和な顔とも、あごが未発達な少女顔の香川京子とも異なる、「大人の女性」。色んな意味で日本離れ、いや俗世離れした美人である。

 貧相さとは無縁なそんな彼女の気品とは、たとえば『安城家の舞踏会』、『白痴』といった作品──それぞれチェーホフ、ドストエフスキーが下敷きになっている──で演じた、零落しながらも気高さを内に秘めた女性の役回りに結びつくことにもなったのだろう(後者は長たらしい上に舞台劇と自然派とドイツ表現主義とがごっちゃになったようなアンバランスなメロドラマながら、小津作品でのそれとはまったく違う原節子のエキセントリックですらあるファム・ファタル演技が見もの。主役4人の中でももっとも磁力が強い)。だが小津のこの3作は、ロシア文学を通して社会の変化や無情さ、階級差といった大きなテーマを描き出すのではなく、ごくフラットな世界に閉じている。

 先にも書いたように、物語の中心になる家庭はいずれも裕福ではないものの並みのちょい上レベルで、登場人物たちはまっとうに働き生きている。出征したまま帰らぬ人となった次男という形で戦争が悲しい影を落とすのを除けば、円満な家族。『麦秋』と『東京物語』で職業婦人を演じている原節子は、その中で自立した新たな女性のイメージ=進歩の象徴/憧れを体現している、と言えるだろう。だが、そんな原節子=紀子を旧社会型の足枷が引っ張ることでストーリーは進んでいく。『晩春』と『麦秋』での紀子は婚期を逃したまま親と暮らしている娘という役どころで(『麦秋』ではご丁寧に「紀子ちゃん、28歳かね」とだめ押しされる場面がある)、親はもちろん親戚や周囲もやきもきしている。英語のイディオムに「Elephant in the room(部屋の中の象)」というのがあるけれど、これは大きく明白なぶん、厄介なので逆に誰もが口を閉ざしておざなりにしがちな問題=腫れ物という意味で、嫁がない紀子さんはいわば一家の「象」ということになる。

 『晩春』は笠置衆演じる父との父子家庭のひとり娘なので、「私がお嫁に行ったらお父さんはどうなる?」の遠慮が未婚の遠因になっている。『麦秋』の紀子がなぜ行き遅れているかは曖昧だが、東京で秘書としてきびきび働く彼女は独身の気軽さ×親元で暮らす安心感を共にエンジョイしていて、暢気。とはいえ「女盛りの別嬪さんが勿体なくも独身」という状況はミステリアスに映るのか、『晩春』での父:周吉と娘:紀子の関係にエレクトラ・コンプレックスを指摘する人間もいれば(父に再婚話が持ち上がり、紀子は「不潔だ」と不快感を示す場面もある)、『麦秋』紀子が戦死した兄の友人(妻を亡くした子持ち男性)と結婚するという展開に、ブラコンを持ち出す者もいるだろう。

 そうしたフロイト/ユング型の分析もどこかしら当たっているのだろうとは思う。が、うーん、単純に女の視点から言わせてもらえば、紀子の在り方に自分はコンプレックスを感じない。むしろ共感する。自分がたまたま実際の紀子(=父親とふたり暮らし、あるいは両親と同居している同世代の女性)を知っているからかもしれないし、『麦秋』に登場する既婚族VS未婚族女性の笑えるやりとりの場面を観ていて、友人の多くが未婚族側に当てはまるなぁ、と感じたのもある。彼女たちは結婚や制度を避けているわけではないし、良い相手に出会わないんだから仕方ないわよね〜という調子で、いずれも「適齢期を逃した」型の悲壮感に欠けている。60年前以上に作られた映画のキャラクターなのに、「紀子さん」は今の自分の周りに結構いっぱいいるのだ(逆に、近い世代の男性で「離婚した子持ち」が多いのは面白い。これはイギリス人の話なので安易に日本人と較べることはできないかもしれないが&円満な夫婦やカップルもたくさん知ってますけども)。

 今の日本の状況が実際どうかは知らないが、晩婚傾向は続いているのだろう。自分が若い頃ですら「25歳までに人並みに結婚を」という雰囲気がジョン・カーペンターの霧のように迫ってくるのは無視しにくかったし(結局、無視したけど)、1950年代なら、未婚女性に対するプレッシャーはもっと大きかったはず。ゆえに紀子は縁談をもちかけられ、説得され、最終的には嫁ぐことになるのだが、家族や周囲をすったもんださせた割に、肝心の見合い相手の顔はおろか見合いの場面すら画面に登場しないんだから笑ってしまう。小津映画ではオープニングから話が始まっていたり、細かな事情説明抜きで何かが起きた「その後」や「余波」に場面が変化しているというのは多いが、クライマックスとも言える交際〜男女の駆け引きの具体的な描写なしで紀子は結婚を決意し、『晩春』では文金高島田姿で涙の別れになり、『麦秋』では家族で記念写真を撮影し、その次には夫の赴任先の秋田に引っ越した後……という流れになる。

 紀子のこの一見唐突な決断を、海外の評は「彼女は親に対する義理から結婚に踏み切る」とし、保守的な古い因習に屈した若い世代という図で説明をつけたりしている。なるほど、ロマンスの欠如は彼らには不可解なのだろう。しかし『晩春』紀子は父の「俺のことは心配しなくていいから」の言葉に励まされて新たな世界へ踏み出す決心をするし、『麦秋』紀子は近過ぎて気づかなかった旧友の魅力に目覚め、あっさり結婚を承諾する。それは、自分の目にはちょっと曲がっていて水をせき止めていた樋が、添え木や軽い修繕でまっすぐになり、再びちゃんと水を流すようになったヘルシーな光景……と映る。ジャンプしさえばなんとかなる。おそらくどちらの紀子も、良妻賢母としてちゃんと幸せになるのだ。

 そんなイメージが浮かぶのは、原節子が醸し出す賢さや安定感ゆえではないかと思う。『麦秋』の中で、旧友と結婚し秋田に転居することになった紀子に対し、独身の友人は「あなたはお金持ちと結婚して優雅なマダムになると思っていたんだけど?」という旨の(残念まじりな)意外さを口走る。これは映画を観ている側も同じで、美人スターが白いセーター姿で飼い犬と別荘でくつろいでいる図の方が、彼女が田んぼに立つ姿より遥かに想像しやすい。だが紀子/原節子の穏やかに達観した微笑は、幸せは与えられるものではなく自ら探し出し作り出すもの、と知る者の智慧を感じさせる。言い換えれば、紀子は誰と結婚しても充足できる=パートナーで規定される必要のない、揺るがない「個」を持つ女性ということ。その精神的なゆとりゆえに婚期に対する焦りが薄いのも分かるし、見合い相手の男性が透明人間なままでも違和感はない。『麦秋』と『東京物語』の間に発表された笑劇作品『お茶漬けの味』は、愛のない見合い結婚に不満を隠さない高飛車な妻がふとしたきっかけで地味な夫の空気のような存在感に頼っていた自らに気づき、「夫婦ってお茶漬けの味なのね★」とちゃっかり理解し心を改める……という内容だが、紀子というキャラはお茶漬けの味の良さと大事さを悟っている。大丈夫な人、なのだ。

 この達観あるいは大丈夫な自足ぶりが、しかし突き詰まって孤独にスライドしているのが『東京物語』の紀子だ。ここでの紀子は主役の平山家の娘ではなく、戦死した次男の未亡人、すなわち義理の娘という設定。はるばる上京してきた夫の両親との再会を喜び、実の子たちに邪険にされる老夫婦を自らの親のようにいたわる、天使のような女性である。子供たちの薄情さを際立たせるための対照的な役どころというのもあるとはいえ、他人に優しくするのが苦手な日本人とは思えない非現実的なキャラも、そもそも浮世離れした原節子が演じると疑念なしにすんなり受け入れられるんだから面白い。

 とはいえやっぱり紀子で、「息子のことは忘れて、気兼ねせずお嫁に行って」と、ここでも笠置衆と東山千栄子に気を揉まれている。まだ若いんだし将来を考えてください、その方が我々も心苦しい思いをせずに済むのじゃ、と諭される。こうした情深いやり取りを経て物語は悲しい結末に向かっていくのだが、果たして紀子は老夫婦の願いどおり再婚/再生に踏み出すのか? と考えてみるに、自分にその図は浮かばない。彼女のラスト・シーンは汽車の中=旅立ちであり、時計という小道具の示唆する「時の刻みの再開」も含めてポジティヴな終わりと言える。だのに原節子が最後に浮かべる表情はモナ・リザのそれのように微妙で、野球選手のように遠くに向いている。

 『東京物語』の紀子は会社勤めをしながら、亡き夫と暮らしたアパートで今も暮らしている。炊事場やトイレも共同とつましく、老夫婦をもてなすのに什器を隣人から借りる場面からも、友人づき合いが少ない静かな生活ぶりが窺える。だが彼女自身が「気楽でいい」と語るように、少なくとも紀子はこの小さな部屋の「主」であり、老夫婦の大人になった子供たちの抱える気詰まりや遠慮──長男の子供は祖父母の滞在で勉強部屋を明け渡すのに不服を唱えるし、転がり込んだ親の処遇に困る次女は夫に対する引け目が我慢できない様子――はない。「操を守る未亡人」という古風な佇まいながら、紀子の方がよっぽどしがらみから解放されている。

 その気楽さに流され、なんとか日々を乗り切っていくうち、気がつけば夫の死から8年も経っていた……というのはリアリティがある。かつ、紀子は実は夫を忘れている日も多くなっていて、と同時に何かが起きるのを待っている女心や孤独に慣れることへの獏とした不安も正直に打ち明ける。仕事に生きるキャリアウーマンとして意地を張ったり強がっているわけではく、案外と生活が性に合ってしまったのだろう。そんな風に猶予している自らを「ずるいんです」と彼女が自責するのは、結婚・出産といった一般的な「女性の幸福」双六の存在は承知しつつも、ひとりでいる自由に気づいた後ろめたさがあるからではないか?と思う。

 親子の情が薄い兄や姉を身勝手だと非難する年若い末娘:京子に対し、紀子は子供が親から離れて行くのは当たり前だから仕方ない、となだめる。今は子である京子にも親の番が回ってきて、同じような経験をするだろう=人生はサイクルという含みがあるわけだが、紀子自身はそのサイクルから外れている。これらの映画で娘の嫁入りは「かたづける」とも表現されるが、箪笥か何かのようにかたづいていない。冗談まじりに「歳はとらないことにしている」と話すこの人は、さりげなくオルタナなのだ。

 そんな風に順番がなく、かすがいを持たない生き方は浮草のようで寂しくもある。時にメランコリックな表情も浮かぶし、老夫婦に注ぐ気遣いにしても、夫と彼女を繋ぐ最後のよすがである彼らにすがりたい気持ちが彼女に残っているのを感じさせる。だが、その夫がロング・ショットの遺影としてしか登場しないように(またも透明人間!)、あるいは平山家も分散していくように、人間はいつかひとりになっていく。そうなる前に家族の種子を飛ばし絆を残していく人もいれば、逆に孤独に向かって準備を進める人もいる、ということ。前者を実りのある立派な人、後者を世捨て人だの変わりものと看做す社会傾向は強いが、「人生はいやなことばかり」とあっさり微笑み生きている紀子に、自分は気品こそ感じるが欠如感は抱かない。

 原節子を形容する有名なフレーズに「永遠の処女」というのがある。昔は「気持ち悪いなあ、こんなの、当人は迷惑だろう」としか思えなかった。生きる伝説/孤高の理想なんぞになってしまったら、逆にその人間は孤独が募るだろうから。ただ、キス・シーンや水着姿を断り続け、スター・システムから逸脱し沈黙のまま95歳で世を去った原節子と、三部作を通して幸福の鋳型をやんわりと、しかし自らの意志で少しずつ退けていった紀子とは重なる。そう思えば、彼女が生涯独身だった点も少なからず影響しているであろう「永遠の処女」なる奇妙なイメージも、個の生き方を守り通した=精神の強さという意味合いで考えれば、あながち間違ってはいないのかもしれない。

 『東京物語』の後も原節子は小津安二郎の映画に出演しており、「その後の紀子」とでも言うべき妻や母親役を演じている。『青い山脈』他、代表作は他にもある。だが、納得できないことはやらない、流されない女優だった原節子がそのストイックな芯をスクリーンに焼き付けたと言える紀子というキャラクターに、自分は映画の「夢」に留まらないリアルな人間の手応えを感じる。それは、とても珍しいことだ

万助橋わたる(井の頭レンジャーズ) - ele-king

知られざるミニマル音楽

Tracey Thorn - ele-king

 机の上のPCの裏側にはCDが積んであり、一番上にはジュリア・ホルターの新作が置かれている。彼女のアルバムはつねに良いが今作はとりわけて評判が良い。早くレヴューしなくては……。いや、その前に、ビーチ・ハウスの新作のレヴューが、かれこれ2カ月ほど書きかけのままになっている。読みか返してみると酷い原稿で、いまさら「ドリーム・ポップ」というジャンル用語を、意味もわからずに持ち出している音楽ライターへの憎悪に満ちている。ジャンル用語は、おおおそコンテキストにおいて有効であるということが、いまだわからない連中への……。いや、いくら業務に忙殺されていたとはいえ、これはよくない。ビーチ・ハウスの新作のレヴューで重要なポイントは、メジャーで失敗した彼らがインディーに戻って、あの名作『ティーン・ドリーム』に匹敵する作品を作れるかどうかにある。
 今年ラフトレードのNY店でいちばん売れたのはビーチ・ハウスだというが、それというのも誰もがいまだに『ティーン・ドリーム』並みの作品を期待しているからだろう。もちろんヴィクトリアの声の魅力も重要だ。ニコ直系の低めの声で、線の細いガーリーな声とは反対の、中性的で、太めの声。トレイシー・ソーンもその手の声の歌手だが、ソーンにあってヴィクトリアにない要素はダスティ・スプリングフィールドだ。ソウル・ミュージックというコンセプトはビーチ・ハウスにはないが、ソーンにはある。

 トレイシー・ソーンは、年齢的にはぼくより1歳上で(つまり、現在53歳)、ぼくは彼女の最初のソロ・アルバム『ア・ディスタント・ショア』をリアルタイムで買って、聞いている。ネオアコ(当時はネオフォークなどとも呼ばれていていた)なるジャンルの契機となった1枚だ。パンク以後の、ディストーションを効かせたギター・サウンドばかりで埋め尽くされていた時代に、アコースティック・ギター1本で歌うというただそれだけのことが、あり得ないほど新鮮で、あり得ないほど強いインパクトを持ち得たのである。
 ヴェルヴェット・アンダーグラウドの“ファム・ファタール”のカヴァーを聴きたいというのが買った理由だったけれど、それから数年後に出たエヴリシング・バット・ザ・ガールに混入されていたのはヴェルヴェッツではなくジャズやサンバだった。それはパンク以後のやかましいだけのディストーション・サウンドと違って、いささか高級品に思えた。その高級感はややもすれば80年代的で、貧しい若者の魂を救済するものとは思えなかった。“ルック・オブ・ラヴ”をお洒落だと思えるには、ぼくにはもう2~3年は必要だった。
 そういうわけで長いあいだ、ぼくはトレイシー・ソーンの声とは微妙な距離を保っていたわけだが、あながちこれはぼくの個人的経験に過ぎないというわけではない。あの時代、『ア・ディスタント・ショア』から『エデン』にかけてリスナー層は変わった。調査したわけではないが、考えてもみて欲しい。後者のなかに“パンク”を見いだすのは、困難だ。マッシヴ・アタックが教えてくれるまでは。そう、彼らがセカンド・アルバムでソーンを起用したことで、多くのリスナーは彼女の過去の作品を聴き直している。それほど“プロテクション”はパーフェクトな曲だった。『エデン』から10年後の1994年のことだ。

 それは、トレイシー・ソーンという歌手を物語っているかもしれない。その頃ダンス・カルチャーを我がモノとしてポップスターへと昇ったビョークは、キュートで、エキセントリックだった。ソーンは、充分に魅力的な低い声を有しながらも、グラビアを飾るようなタイプではなかった。また、彼女の曲の多くはメランコリックで、人生を伸び伸びと冒険しているビョークに比べると、なんとも内気に見える。彼女が舞台恐怖症であることも充分にうなずけるほどに。
 しかし“プロテクション”は、見事に逆手を取った。ガーリーではなくメランコリック、内気で、低い彼女の声は、マッシヴ・アタックのトラックにおいて魂を揺さぶる声となった。荒涼とした音像から聴こえる「シェルター(避難所)を必要としている少女がいる」という歌い出しは、何度聴いても感動する。

 本作はトレイシー・ソーンのコンピレーション・アルバム、CDで2枚組、全34曲が収録されている。1982年の『ア・ディスタント・ショア』の1曲目も収録されているし、もちろん“プロテクション”も入っている。最近やったというケイト・ブッシュのカヴァーをはじめ、ザ・XXやヴァンパイア・ウィークエンドやスフィアン・スティーヴンスなどのカヴァーもある。ぼくの世代には思い出深いワーキング・ウィークでの客演もあれば、90年代に活躍したドラムンベースのプロデューサー、アダム・Fのトラック、テクノ・プロデューサー、ティエフシュワルツので歌った曲もある。エヴリシング・ザ・バット・ガール以外の曲での客演もの、ソロ活動からのセレクションだ。厳密にベスト盤とは呼べないが、とてもありがたい編集盤だ。だいたい彼女の声は、12月というこの季節にはぴったりの声である。寂しいが、しかし温かい音楽。シンディ・ローパーの“タイム・アフター・タイム”とエルヴィス・コステロの“アリソン”のカヴァーが収録されていたら、満点だった。

 アルバムのライナーで本人も少し触れているが、トレイシー・ソーン作品で人気があるのは、マリン・ガールズ時代の2枚のアルバム、『ア・ディスタント・ショア』、エヴリシング・ザ・バット・ガールの最初の2枚だ。個人的に思い入れがあるのは『ア・ディスタント・ショア』とEBTGの最初のEP、それから「Each & Every One」と「When All's Well」という2枚の12インチ・シングル。いま挙げた12インチはともにアルバムの1曲目を飾っている曲だが、このおよそ30年ものあいだいつ聴いてもワクワクするし、吹雪の夜に恋人と一緒にいるような、ロマンティックな気持ちになる曲だ。「Plain Sailing」や「When All's Well」のジャケットに印刷された恋人のいる風景の写真は、10代も後半にもなれば誰もが憧れる世界だろう。

 トレイシー・ソーンの声は、ダスティ・スプリングフィールドの声がそうであるように、風化されなかった。結局のところ、ぼくもこうして、ずっと聴いていることになる。「自分のファンは年寄りだから……」というようなことをガーディアンの記事で話していた彼女だが、それはこの拙文の通り事実で、しかし年寄りだけが聴くにはもったいないほど魅力がある。“ルック・オブ・ラヴ”が年寄りの音楽ではないのと同じ意味で。
 バラードが得意なソーンであるが、90年代以降のEBTGがそうであるように、彼女はクラブ・ミュージックにアプローチしている。この時期は、ネオアコどころかほとんどの曲がエレクトロニック、ダンス・ミュージックなのである。彼女の自伝のタイトルは『Bedsit Disco Queen』というが、ベッドシットとは台所付きのベッドルームのことで、内気でありながら外向的なダンス・ミュージックを好む彼女の作品の性格を、あるいはその繊細な感じをうまく言い表している。本作を聴けばそれがよくわかる。踊るということが、まずは心が満ちていなければ空しい行為に過ぎないことを。

札幌のギター・ポッパーたち - ele-king

 日本のインディ・シーンが見えないところで地殻変動をはじめているかもしれない。このアルバムを聴いてそう思った。
 欧米ではあたりまえのように、過去を掘り起こし参照しながら新しいバンドが登場してくる。パンクにせよ、ギター・ポップにせよそのフィールドにいるなら知らなければいけない数多くの名盤の上に新作が連なってゆく。それがまたオーディエンスにフィードバックされながらシーンが形成され、受け継がれてゆく。

 日本で継続的なシーンが生まれてきづらいのはそのあたりに理由があるとつねづね思ってきた。しかしいま、地方のローカルなコミュニティから飛び出してくる20代前半のバンドはそのサウンドも活動のスタンスも、これまでとはちがった価値観を持っている。

 札幌を拠点に活動するTHE SLEEPING AIDES AND RAZORBLADESは、僕が深く関わっているレーベル〈KiliKiliVIlla〉から今年アルバムを出したNOT WONKに多大な影響を与えている。どちらのバンドにも共通しているのは貪欲なまでに音楽を追求する姿勢だ。彼らは自分が生まれる前の音楽でもほんとによく知っている。70年代のパンク、80年代のギター・ポップ、90年代のUK/USそれぞれのインディ・シーン、僕らレーベルのスタッフとバンドが集まると、いつもそんな話ばかりしている。それがほんとに楽しいのだ。30歳ちかい年齢差があるにもかかわらず。

 90年代生まれの彼らが60年代から90年代まで、それこそT・レックスからプライマル・スクリームまで楽しみながら引用、カヴァーしている様子からは音楽好きのあるべき正しい姿を感じる。このアルバムを聴くと世界各地のローカルなインディ・バンドから、ギター・ポップ、パンク、ニュー・ウェイヴまでを連想させる、きっと彼らは毎日音楽の話ばかりしているにちがいない。
 そうやって自分たちが愛してきた名曲、名盤をオーディエンスに伝えようとしている。いやもしかしたら彼ら自身がわかってくれるオーディエンスを見つけようとしているのかもしれない。まるでニッキー・サドゥンのようなヴォーカルの歌声から筆者が勝手に想像しただけなんだが。

 景気の低迷も音楽業界の構造の変化も、彼らにとっては当たり前の日常として、ロックを聴きはじめたときからあったものだし、むしろどうでもいい人たちがまったく入ってこない歓迎すべき状況なのかもしれない。彼らのようなバンドが自分たちのできること、やりたいことを工夫しながら実現していくことがひとつのアティチュードの表明でもあるはずだ。

 特筆すべきは、このアルバムの取り扱いは全国の専門店だけでなく個人で商品を仕入れてライヴ会場や友人関係に販売する個人ディストロとネット・ショップが販売の中心となっている。こういうかたちでシーンに参加することも可能だし、それが地域のコミュニティの活性化にもなり、また各地に散らばるコミュニティを結び少しずつ広がってゆく現象が起きているのだ。音楽を配信とYoutubeでしか聴かない人にはけっして届かないだろうが、ロックやパンクに特別な夢を見ている人は自分でたどりついてほしい。このアルバムを見つけた人同士は絶対に話が合うはずだから。

 アナログ盤にちゃんとプレスされたCDが封入されて税込で2,000円! 世界を広げてくれるかもしれない買い物としては安いはずだ。

(与田太郎)

THE SLEEPING AIDES AND RAZORBLADES
FAVORITE SYNTHETIC

DEBAUCH MOOD
品番:BEBAUCH-009
https://debauchmood.blogspot.jp

THE SLEEPING AIDES&RAZORBLADES
/ MY STRANGE HEADACHE


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