「Nothing」と一致するもの

vol.80:今年は中古レコード店が熱い - ele-king

 ここ数年ヴァイナル・レコード市場が熱いと言われている。とくに2016年、自分をハッピーにしてくれる何かがあると言うことを覚えておいて欲しい。毎日の生活に忙しいのはわかるが、週に1回でも、レコード店に足を伸ばしてみるのはどうだろう。人間らしい喜びと、価値ある消費者経験が待っているかもしれない。
 ラフ・トレードアーバン・アウト・フィッターズも、新譜から定番まで、新しいレコードを扱っている。カフェやバーにレコードが置いてあるのはもちろん、人気ホテルのエースホテルには客室に1台ずつレコードプレイヤーが置いてあり、スタッフが選択したレコードがプレイできるようになっている。レコードは、人びとの生活のアクセサリーとなった。

 中古レコード市場はどうだろう。マンハッタンにはたくさんの中古レコード屋があったが、一部を除き、いつの間にか消えた。レコードはどこに行ったのだろう……。2016年、中古レコード・ビジネスを世界的に考える男がいる。マイク・スニパー、キャプチャード・トラックスのオーナー、無類のレコード好き。
 以前、キャプチャード・トラックスの5周年フェスをレポートしたが/、あれからすでに3年経ったいまも、キャプチャード・トラックスの挑戦は拡大している。
 2008年に、アカデミー・レコードで働いていたスニパーが、地下で始めたレコード・レーベル、キャプチャード・トラックス。何度かオフィスを移動し、2013年にグリーンポイントにレコード・ストアを構えている。やがてオフィスはブシュウィックに移動。そこでは、キャプチャード・トラックスの傘下に生まれた新しいレーベルの集合体、オムニアン・ミュージック・グループ(OMG)が運営されている。目的は、OMGの様な大規模な構造から利益が受けられる革新的レーベルや、新しい別個のレーベルを探すと同時に、既存レコード(ボディダブル、ファンタジーメモリー)やキャプチャード・トラックスのパートナーシップ(フライング・ナン)を発展させることである。
 OMGファミリーには、シアトルのカップル・スケート、ニューヨークのスクオール・シング他、OMG傘下にできた新レーベルのシンダーリン、再発レーベルのマニファクチャード・レコーディングス、イタリアンズ・ドウ・イット・ベター、トラブルマン・アンリミテッドのマイク・シモネッティが運営するダンス・ミュージック・レコードレーベルの2MRレコーズ、パーフェクト・プッシーのメガデスが運営するブルックリンのレコード・レーベル、出版社のホナー・プレスがある。
 そのすべてを統括するのがスニパーだ。彼は仕事をしている以外は、レコード・ハントしている、というくらい中古レコード好きだ。田舎のガレージセール、誰かの地下コレクション、バケーションの間にレコード・ハントなど、「中毒みたいなものだよ」とスニパーは言うが、元アカデミー・レコーズの店員である彼の個人コレクションは、驚くほどの量と質を誇る。
 その中毒をフィードするために、と言うわけでもないが、キャプチャード・トラックス・ストアでも中古レコードの売り買いはやっているが、彼が考える新しい中古レコード・ビジネスは世界規模。フォート・グリーンのサイドマン・レコーズを共同経営。それはヒップな床屋内にある。「サイドマン・レコーズは、会社のアウトポストとして考えて、僕らの店だけでなく、アメリカ中、世界中のお店のライフ・スタイルのストックとしてレコードの売り買いが出来るように、会社を発展させようと思っている」

 サウス・ポートランド・アベニューにあるサイドマン・レコーズは小さい。スタイリッシュな男子のためのパーソンズ・オブ・インタレストという床屋内にオープンし、10,000個ぐらいのアルバムをストックする。パーソンズ・オブ・インタレストのウィリアムバーグ店はパーラーコーヒーと提携、フォート・グリーン店ではすでにカフェ・グランピーと提携していたが、サイドマン・レコーズのオープンの話を聞いてレコード店と床屋の組み合わせも悪くない、と思ったらしい。
 スニパーとサイドマン・レコーズのダミアン・グレイフとロブ・ゲディスは古くからの友だちで、18年前にはニュージャージーにある伝説のプリンセトン・レコード・エクスチェンジで一緒に働いていたこともある。いわゆる中古レコード・オタク仲間だ。
 共同経営にしたのは、単純にスニパーひとりではすべてできないからだ。お店はレコード好きな、スタッフに任せ、ふたりはレコード・ハントに出かける。彼らが見つけた価値ある珍しいレコードは、サイドマンやキャプチャード・トラックスだけでなく、世界中のお店に並ぶことになる。
 「ロブとダミアンは中古レコードのことになると熱いんだ。1日中あらゆるところでオタクなことを話し、コレクションを集めたりできる。ぼくにはそんな時間がないから」とスニパー。ロブが、主に大きなヴァンを運転して、今日収穫したものを、ドンドン、フェイスブックに載せていく。
 スニパーが世界の中古レコードのアイディアを思いついたのは、アメリカの中古レコードをお店にストックするのは難しいと、ニュージーランドのレコード・ストアと話しているときだった。
 「通り過ぎるには、難しすぎるし、ヴァイナルの復活もひとつの決め手だった」
 中古レコードのビジネスは別のゲーム。エキサイティングだが、ストックするのが難しい。
「新しいレコードを求めてお店に入ったときは、何があるかは予想ができる。レコードXが欲しくて、そこにあるとお店に入ったときにわかる。でも中古レコードは、インターネット前の不思議なポータル買い物経験が出来る。宇宙規模のね」
 ひとつのコンピュータ・スクリーンが、この惑星にある、購入可能な物体の詳細をリストしてくれる。ほとんどがバルク状態で入手可能である。中古レコード屋に行くことは、燃料を蓄えた宝探しの心を保有し続ける、数少ない消費者経験のひとつである。「中古レコード店に入ったら、壁にかかっているレコードは何だ? 新しく入ったコーナーはどこだ、カウンターの向こうで誰かがプレイしているのは何だ? いままで聞いたことないといくらでも訊けるし、すべてがクールだ」


Sideman record's sound track


@ Sideman records


@ Sideman records


@ Sideman records

photo:Via bk mag

 オーナーとして、中古レコードの方が利益率が良いことも魅力だ。新品は返品できない。中古なら、小売店は30パーセントしか利益はないが、リスクは少ない。
 「例えばミッドウエストの田舎の屋根裏部屋にある、誰かの見捨てられたレコード・コレクションが、ペニーに値するかもしれない。誰かのゴミは誰かの宝でもある。経済的にも環境にもいいし、面白いショッピング経験ができるし、やり遂げる感が良いんだよね」
 サイドマンはまだ初期段階で、ただいま、スニパー・チームはニューヨーク近辺から他の土地でもレコードを集めるのに大忙し。ヴァイナルも売って、新しいヴァラエティに富んだ物も売りたいと、例えばストランドのようなお店を例えに使う。
 スニパーのもうひとつの大きなヴィジョンは、中古レコード店をクリントン・ヒル、フォート・グリーン地域に持ってくること。3年ほど前、この地域に住んでいたスニパーは、グリーンポイントと違って、中古レコード店がないことにがっかりしていた。
 「ニューヨーカーにとって、週末に中古レコード屋に行く事は、ファーマーズマーケットやコーヒーを買ったりするのと同じ事。一種の儀式だよ。例え、カジュアルなレコード・バイヤーでもね。」

 数ヶ月前、ブシュウィックのバーに行ったときに、DJブースの隣にレコードの箱がいくつか置いてあり、そこにたくさんの若者がフラッシュライトを片手に、群がっているのを見た。聞くと、毎週水曜はサイドマン・レコーズ・ナイトがあり、レコードを販売しているのだった。ほとんどのレコードが1ドル。「これが好きだったら、これ聞いてみなよ」とダミアンと話しながら、レコード箱を漁るのは楽しいし、お酒も入り、勢いでまとめ買いする人もいる。そのときお店はまだオープン前だったが、このときも目を輝かせ、「もうすぐレコード店をオープンするんだ。絶対気にいるから遊びに来てね」と言った。

 そして、ついにオープンしたサイドマン・レコーズ。中古レコード市場が新たな展開をするかもしれない2016年。自分のニーズを考えるとビジネスに行き着くという例。好きなことをやり続けるとこうなったと、彼らの冒険はまだ続く。

Captured tracks
195 Calyer St
Brooklyn, NY 11222
12 pm-8 pm

Sideman records
88 s Portland Ave
Brooklyn, NY 11217
11 am-8 pm

Dexter Story - ele-king

 フライング・ロータスにはじまり、とくに最近はカマシ・ワシントン、サンダーキャット、ブランドン・コールマンらジャズ系ミュージシャンの活躍もあり、活況を呈するロサンゼルスの音楽シーン。そもそもこうしたLAシーンが2000年代に形成されていく上で、重要な働きをなしたのがカルロス・ニーニョ率いるジャズ集団のビルド・アン・アークである。最初はカマシ・ワシントンのようなスピリチュアル・ジャズにはじまり、次第にフォークトロニカ的な方向へ向かっていったのだが、そうした音楽性を左右するキーマン的存在がヴァイオリンをはじめとしたマルチ演奏家/作・編曲家のミゲル・アトウッド=ファーガソンで、彼はいまも前述したアーティストたちの作品に参加し、その辣腕ぶりを発揮している。ビルド・アン・アークは他にも多くの才能を輩出したが、ドラマーのデクスター・ストーリーもそのひとり。2000年代半ばの彼は並行してカルロス・ニーニョといっしょにライフ・フォース・トリオというユニットもやっていたが、それはもう少しエレクトロニカ~ヒップホップ寄りのもので、LAのビート・シーンとジャズ・シーンを繋ぐ先駆的存在と言えるだろう。

 デクスター・ストーリーはドラムだけでなく、ピアノ、ギター、ベースなどあらゆる楽器を演奏するマルチ・ミュージシャンであり、作曲、編曲、指揮、音楽監督、プロデュースと何でもこなす才人だ。そのあたりはミゲル・アトウッド=ファーガソンにも通じるが、そもそもLAにはこうしたマルチな人間がひしめきあっている。そして、デクスター・ストーリーがその才を発揮したのが2012年のファースト・ソロ作『シーズンズ』だった。カルロス・ニーニョと共同制作したこのアルバムは、ドワイト・トリブルなどビルド・アン・アーク人脈から、ジメッタ・ローズ、エリック・リコらさまざまなシンガーも参加し、印象としてはビルド・アン・アークがソウル寄りになったピースフルなフュージョン・アルバムだった。そうした中にマリンバやパーカッションなどを多用したアフロ~カリビアンなモチーフも多く見られ、スピリチュアル・ジャズから初期アース・ウィンド・アンド・ファイアあたりに通じる面も見せていた。

 それから3年ぶりの新作『ウォンデム』は、レーベルをUKの〈サウンドウェイ〉に移籍してのリリースである(ちなみにビルド・アン・アークの諸作と『シーズンズ』はオランダのキンドレッド・スピリッツからだった)。〈サウンドウェイ〉といえば、クラブ・サウンドの中でも本格派ワールド・ミュージックに特化したレーベルとして名高い。従って『ウォンデム』も一気に民族指数が高まっており、根底では西欧音楽が基盤となっていた『シーズンズ』とはかなり趣も異なっている。エリトリア、スーダン、ソマリア、ケニアなど東アフリカ諸国の音楽にインスパイアされているが、とくにその中でも顕著なのがエチオピアのジャズからの影響だ。エチオピアン・ジャズを世界に広めた最大の貢献者はムラトゥ・アスタトゥケだが、近年はLAを拠点に演奏活動を行っており、モチーラの『タイムレス』企画をはじめミゲル・アトウッド=ファーガソンらLA勢との共演も行っている。おそらくそうしたところからデクスター・ストーリーも直接的に感化されたと推測される。なお、参加ミュージシャンはミゲル・アトウッド=ファーガソン、マーク・ド・クライヴ=ロー、ニア・アンドリュースなどLA人脈から、スーダン出身の女性シンガー・ソングライターのアルサラー(フランス人トラックメイカーのドュブリュイとのコラボが有名)など。

 アルサラーが歌う“ウィズアウト・アン・アドレス”はエキゾ・グルーヴという言葉がピッタリで、近年の世界的な規模での辺境音楽の盛り上がりを示す好例だ。“ザマール”“ア・ニュー・デイ”“チャンガムカ”は、民族的モチーフをうまくフュージョンやファンク的な方向へもっていったナンバー。“イースタン・プレイヤー”は沖縄民謡に通じるような感もあり、まさに音楽の越境を体現するような1曲。“モワ”にも古代中国風の旋律が流れる。“サバ”は典型的なエチオ・ジャズで、一方“ビー・マイ・ハベシャ”や“ラリベラ”はサイケなテイスト。LAと言えばサイケ発祥の地でもあるので、デクスター・ストーリーにもそうした血は流れているのだろう。“シデット・エスケメッシュ”もエチオ・ジャズなのだが、心なしかサイケと隣接した味わいを感じさせる。そうした観点で聴くと、“メルカト・スター”などはタイのサイケ・ロックあたりに連なる曲ではないだろうか。そういえば、かつてムラトゥ・アスタトゥケはマルコム・カット率いるヒーリオセントリックスと共演したことがあるが、そこでエチオ・ジャズとサイケデリック・ファンクの融合が試みられていた。『ウォンデム』の随所からもそれに通じるサウンドが見出せることだろう。LAはストーンズ・スロー/ナウ・アゲインのイーゴンを筆頭に、民族音楽やサイケにも強い人が多い。本作はデクスター・ストーリーのアルバムではあるが、もっと広い目で見ればLAシーンの幅広さ、奥深さを象徴する作品と言えよう。

2014年に公開されたイギリス映画『パレードへようこそ』(日本での公開は2015年)。その主人公であるLesbians and Gays Support the Miners(LGSM)の活動を紹介する写真展が開催される。撮影はフォトグラファーの横山純によって行われた。横山氏は2014年8月から一年間イギリスに滞在し、現地の抗議運動やグライムアーティストを撮影。その写真はイギリスの音楽媒体『FACT』の年間ベストフォトにも選出された。写真展は2016年1月13日から25日にかけて、大阪のコミュニティースペースdistaで開催される。

以下、開催中の写真展の様子。

日程:
2016年1月13日〜25日
17:00〜22:30
火曜日休

会場:
コミュニティースペースdista
大阪市北区堂山町17-5 巽ビル4F
https://www.dista.be/access/

入場無料

1980年代のイギリスで生まれたLGSMは、2014年のイギリス映画『パレードへようこそ』公開後、にわかにLGBT(性的マイノリティ)コミュニティやアクティビストの世界を越えて「LGBTのヒーロー」の一つとして数えられるようになりました。

サッチャー政権はストライキを行う炭鉱労働者に対して弾圧を行い、労働者の生活は逼迫していきました。ロンドンで活動するLGBTの活動家たちは「かれらはおれたちと同じようにサッチャーにいじめられている。なにかできることはないか?」と、自分たちが置かれている状況に炭鉱労働者の姿を重ねあわせ、労働者や組合をサポートするために「Lesbians and Gays Support the Miners」というグループを作り、活動を始めました。地道なLGSMの活動は徐々に炭鉱の街の人たちの信頼を得て理解者を増やし、音楽やダンスで絆を深め、最終的にその運動はイギリス全土を巻き込んだ民衆の運動になりました。

それから30年が経った今もLGSMのメンバーたちは今年のロンドンプライドパレードで、警察や保守層から弾圧や妨害を受けていたソウルクイアパレードへの連帯を表明しただけではなく、イギリス中のプライドパレードや労働者たちのお祭りなどでバナーを持って行進しました。イスタンブールのプライドパレードにおける弾圧に対するトルコ大使館前の抗議でも、東ロンドンにおける公営団地からの住民立ち退きに抗議するデモでも、LGSMのバナーとメンバーたちを見つけることが出来ました。

LGSMは今でも「誰かのために立ち上がる」ことを忘れず、古びれることなく、変わりゆく社会環境の中で、闘争の最前線に立ち続けています。
虹のもとで、連帯こそ力であると信じて。
その、かれらの姿を見に来て下さい。


interview with Alixkun - ele-king


Various Artists
ハウスOnce Upon A Time In Japan... by Brawther & Alixkun

Les Disques Mystiques/Jazzy Couscous

House

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 外から日本をどう見るかなんて、人の勝手なんだけど、アイドルと通勤ラッシュの構図こそを日本だとしたがる海外メディアの報道写真には多少腹が立つ。せめてポップ・カルチャーぐらいは……と思っても、『ブレードランナー』イメージを劣化再生産させたヴィジュアルがヴェイパーウェイヴではお約束になっていたり。キッチュな頽廃というのか、とりあえずsamuraiよりはマシか……と思ってみたり。ま、よく言えば、ミステリアスなんだろうな。
 一時期は、加速するグローバリゼーションによって世界は均一化する……などと言われたりもしたが、ダンス・ミュージックを聴いていると、世界はひとが思っている以上にアメリカナイズされていないことがわかる。たとえばUKグライムは、いくら彼らがUSラップに憧れていたとしてもUSラップにはならない。強固なまでの「らしさ」すなわち個性ってものがある。エスニシティも独創性も感じる。北欧でも、東欧でも、南欧でも、どこの土地にも、消せないにおいがあるのだろう。
 おもに80年代末から90年代にかけて、欧米の影響を受けて、日本でもハウス・ミュージックが制作されている。当時のぼくには、その多くは一生懸命にNYを追っているようにしか見えなかった。だったらNYハウスを聴けばいいじゃんと思っていた。
 ところが、である。ブラウザー(昨年、初のアルバム『Endless』をリリースしたパリのディープ・ハウスDJ)とアリックスクン(日本在住のフランス人DJ)の耳には、当時のいくつかからは、NYハウスとは違う、日本らしさとも言える特徴を持つ「ハウス」が聴こえた。つまり、日本人がNYに憧れてやったことが、結局のところ、はからずとも日本らしさを醸し出していたと。
 それは「和」の感覚があるとか、伝統的だとか、そんな嘘くさいことではない。プロダクションの繊細さも日本らしさだろうし、とくにメロディの作りには個性が出るだろう。少し考えてみれば、ジャズでもロックでもそうであるように、当たり前のことなのだけれど……、電子機材のプログラミングで作られるハウス・ミュージックにおいても「日本」が浮き出てしまうことにいちばん驚いているのは、作った日本人かもしれない。
 そしてふたりのフランス人は、数年前から、日本のハウス・ミュージックを──当時は数百円で買えたが、いまではン千円に値上がった──漁り続けている。その研究と長きにわたってのディグの成果が、アナログ盤4枚組のコンピレーション『ハウスOnce Upon A Time In Japan... 』となって、昨年の11月末にリリースされた。国際的なトレンドになりつつある「ハウス」を本格的に紹介するものとして、海外では話題になっている。
 以下は、昨年の12月にアリックスクンと渋谷でランチを取りながら対話した記録である。

根本の部分はアメリカなんですけど、そこに日本的なレイヤーが被さってジャパニーズ・サウンドになるんですね。だから、ハウスやディープ・ハウス、ソウル・ジャズとかヒップホップは、日本人が作ったものではないんですけど、そこに自分のヴァイブを入れて日本の音楽になっている。そこにぼくは魅力を感じますね。

コンピレーションの完成おめでとうございます。

アリックスクン(Alixkun、以下A):ありがとうございます。

何年くらいかかったの? 

A:作ろうと決断してから1年半から2年ぐらいかかったと思います。でもコンピレーションを作ろうというアイディアは前からありました。最初はドキュメンタリー(映画)といっしょにリリースしたかったので、コンピレーションの方はなかなか先に進まなかったんですね。ドキュメンタリーは制作に時間がかかるとわかっていたので、そちらを優先的に進めていたんです。

具体的にはいつから動きはじめたの?

A:ジャザデリック(Jazzadelic)の永山学さんと食事したときに、彼がけっこうプッシュしてくれたからじょじょに動き出しました。それが2014年の春ぐらいだったと思います。でもその段階ではドキュメンタリーの方を進行させたかったんですね。ただ秋ぐらいに〈ラッシュ・アワー〉が寺田創一さんのコンピを企画しているのを知って、ぼくらも動かなきゃマズいなと焦りだしました。ジャパニーズ・ハウスの盛り上がりに乗っかって、ぼくたちがコンピを作ったというイメージがついてしまうのは嫌だった。だから積極的にコンピを進めることにしたんです。それからぼくは「この曲を入れたい」というメールをいろんなひとに送りはじめました。

アリックスクンは、もう前からジャパニーズ・ハウスに興味を持っていたもんね。

A:最初に興味を持ったのは2009年くらいですかね。ブラウザー(Brawther)と繋がったのは2010年。面白いことに、ぼくらはYouTubeで繋がった。彼が自分のYouTubeのチャンネルにジャパニーズ・ハウスのプロデューサーが関わった曲をあげていたんですね。それを見つけてぼくが「いいね」を押したら、彼がぼくのページにきて、そこにあげていたピチカート・ファイヴのテイ・トウワさんのリミックスを見て、彼が「お前、この曲知ってんの?」とコメントをくれました。

こうやってコンピレーションを作ってみて、あらためてジャパニーズ・ハウスの魅力とはなんだと思いますか?

A:音のクオリティが高いことは魅力のひとつですね。

それは音質ということ?

A:そうです。ぼくはジャパニーズ・ハウスだけじゃなくて、70年代の歌謡曲以降の日本のソウル、ジャズ、ポップ、ヒップホップに興味がありました。そこにある大きな共通点は、アメリカやヨーロッパからインスパイアされていることです。でも単にコピーするだけじゃなくて、日本のトラディショナルな楽器を入れたり、日本語で歌っていたりする。あと日本を思い出させるようなメロディがあるんですね。根本の部分はアメリカなんですけど、そこに日本的なレイヤーが被さってジャパニーズ・サウンドになるんですね。だから、ハウスやディープ・ハウス、ソウル・ジャズとかヒップホップは、日本人が作ったものではないんですけど、そこに自分のヴァイブを入れて日本の音楽になっている。そこにぼくは魅力を感じますね。
 ぼくはヨーロッパ出身ですが、ヨーロッパで作られたものにはフランスっぽいとかイギリスっぽいとかって、あんまりない気がするんですね。フレンチタッチとかUKガレージとか、そういう区分はありますよ。ただ、それらがフランスやイギリスを思い出させるかというと、ぼくはそうではないと思います。ジャパニーズ・ハウスのすべてが日本のことを思い出させるわけではないですが、多くの曲にはその要素があります。

たぶん、日本人のプロデューサーはそういうことを意識せずに、ニューヨークのプロデューサーに近づけようと作っていただけだと思うけどね。

A:ぼくもそう思いますよ。ドキュメンタリーを作ったら、アメリカに好きなプロデューサーがいたからハウスを作りはじめたってひとが多かったんですね。日本っぽく作りたかったとか、ジャパニーズ・ハウスとして認められたかったとかっていうのは、全然思っていなかったんですよね。

で、コンピの1曲目は、タイニー・パンクス(T.P.O.)の“Punk Inc. (Hiroshi's Dub)”で、これは日本でも当時から人気の高いなんだけど、この曲の日本っぽさって何よ?

A:正直に言いますと、この曲にはあんまり日本っぽさはないと思います(笑)。このなかでいちばん日本を感じる曲は寺田さんの曲、“Sawauchi Jinku (Terada mix)"ですね。もちろん金沢明子の影響もあります。あとはGWMの“Deep Loop(edit)”、ヴィオレッツ(Violets)の“Sunset”という曲からもかなり感じる。
 このコンピレーションは、ぼくとブラウザーのもっとも好きなジャパニーズ・ハウスを集めたわけではないんです。もしそういう意図で作っていたら、同じアーティストで2、3曲は入れていたと思いますね。でもいろんなアーティストを紹介しなければならなかったので、そこのバランスをとりました。15曲くらいのコンピレーションを作るのに、アーティストが5人しか入っていなかったら、もったいないなと思って。それよりも、いろんなアーティストを紹介して、そこからみんなが自分でディグってほしいんです。

日本で同じようなことを日本人がやろうとすると、交流関係のしがらみとかが入ってきちゃうだろうけど、『ハウス』は、アリックスクンやブラウザーみたいな業界とはいっさい関係のないひとが外から見て選曲している。そこがこのコンピレーションのユニークなところだよね。

A:ぼくらはドキュメンタリーを先に作ろうとしていたので、このコンピレーションに入っているほとんどのアーティストにはインタヴューをしていたんですね。だからもう関係があったんです。例えば、寺田さんとはすごく仲が良くなったんですけど、だから寺田さんの曲をたくさん入れましょうということではなくて、ジャパニーズ・ハウスのシーンを紹介するためにコンピレーションを作りたかった。だから特定のアーティストに寄らずに、できるだけ客観的に選曲しました。

そういう意味ではとても画期的なコンピレーションになったと思います。日本人が選んだら、エクスタシー・ボーイズは入っていなかったんじゃないかな(笑)。

A:そうですか(笑)。それはどうしてですか? 全然知られていないから?

いや、彼らも当時はかなり有名だったよ。ぼくは一度、天宮志狼さんに大阪でインタヴューをしたことがあるんだけど、ぶっ飛んだひとだったなぁ。

A:ぼくとブラウザーもいろいろディグってみましたが、エクスタシー・ボーイズには、ぼくらもついていけない曲がたくさんありました(笑)。でも、この曲は素晴らしかったから入れることにしたんです。

そういうところが良いよね。だって、他にはYPFにもよくたどり着いたなと思ったよ(笑)。これも日本人なら絶対に行かないな。どうやって知ったの? 

A:〈Balance〉からトーキョー・オフショア・プロジェクト(Tokyo Offshore Project)がリリースしたシングルから知りました。それでいろいろ調べたら、このリミックスを見つけたんです。

YPFをやっていた清水さんとは一緒にデトロイトへ行ったことがあるんですよ。

A:そうなんですか! YPFの連絡先を知らなかったので、トーキョー・オフショア・プロジェクトのメンバーに聞いてみたんですが、彼らも連絡先を知らなかった。だから結局連絡が取れなかったんです。

この記事を読んで連絡をくれたら嬉しいね。

A:記事を読んだりして、この企画を知ったら是非連絡してきて欲しいです(笑)。

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ブラウザーはもっとすごいんですよ。彼は日本語を話せないし、日本にいないのに、すごい時間をかけてネットで翻訳ツールを使いながら日本語ページを調べています。インターネットのアーカイヴを調べたり、シャットダウンされたページとかを掘り出したり(笑)。あとヤフー・オークションを使って名前を検索して、いままで見たこともないレコードにたどり着いて、買ってみてたり。

俺も全然知らない曲ばかりで、アリックスクンとブラウザーのオタクっぷりに感服しました(笑)。アリックスクンは、わざわざ立川、埼玉、千葉の中古レコード屋まで探しにいってるもんね。

A:ブラウザーはもっとすごいんですよ。彼は日本語を話せないし、日本にいないのに、すごい時間をかけてネットで翻訳ツールを使いながら日本語ページを調べています。インターネットのアーカイヴを調べたり、シャットダウンされたページとかを掘り出したり(笑)。あとヤフー・オークションを使って名前を検索して、いままで見たこともないレコードにたどり着いて、買ってみてたり。
 (浪曲師の)国本武春の“Home (6 a.m. mix)”が入っていますが、このコンピレーションのレヴューが海外で出たとき、「われわれがまだ知らなかった曲をタケハル・クニモトが提供している」と書かれていたんですが、実はこのミックスをしたのは福富(幸宏)さんなんですね(笑)。国本さんの原曲とは全然違ってて、これは完全に福富さんワークだから面白いと思った(笑)。クレジットにはそうやって書いてあるんですけどね。
 あと、ジャザデリックの “I Got A Rhythm (1991 original mix)”ってパール・ジョーイ(Pal Joey)の曲なんですよね。でも本当はジャザデリックの曲。彼らが作ったプロモ盤をパール・ジョーイが聴いて、ビューティフル・ピープル(Beautiful People)で作ることになった。でもこのミックスはそのプロモ盤にしか入っていないんですね。しかもそのプロモ盤は50枚くらいしかない(笑)。

それはどこで手に入れたの?

A:もともとはそのレコードが存在していることを知らなかったんですが、永山さんをインタヴューしたときにプロモ盤を作ったことを教えてくれたんです。それで探しはじめました。みんなこのレコードをビューティフル・ピープルのプロモ盤だと思っているんですよ。でもそれは違って、本当はジャザデリックのプロモ盤なんですね。このレコードはオークションで買ったんですが、その出品者のひともパール・ジョーイのプロモ盤と書いていて、全然高くなかった。テクストにも書いているんだけど、たまにインディ・ジョーンズみたいな気持ちになりますよね(笑)。忘れられた宝を掘り出すみたいな。

はははは。ジャザデリックはどういうひとたちなの?

A:ジャザデリックは永山さんと森(俊彦)さんのユニットで、ニューヨークのDJスマッシュの〈ニュー・ブリード〉なんかと関わっていました。

このコンピレーションを作っていて、一番大変だったことは? やっぱりライセンスの連絡とか? 日本では著作権が厳しいから、入れたくても入れられなかった曲があったと思うんだよね。

A:ピチカート・ファイヴの曲も検討していたんだけど、著作権のせいで諦めることになりました。

大阪のベテランDJ、紀平くんがプロデュースを手掛けた曲もあるんだよね。

A:そう、そのフェイク(Fake)の曲も、あるいは、カツヤさんの曲もレコードでしかなくて、情報がとても少なかったから、プロデューサーを探すところからはじめました。例えば、カツヤさんについてはレコード屋のテクニークのスタッフに尋ねてみたら知っていて、繋げてくれたんですね。いまカツヤさんはベルリンに住んでいます。YPFの場合はさっきも言ったように、探してみたんですが見つからず……。

ホント、労作ですね。これも時代というか、でも、日本で音楽を作っているひとたちに自信を与えるものにもなっていると思うな。

A:ありがとうございます。意図としては曲のクオリティが大事だったんだけど、それに加えていろんなアーティスト、あまり知られていない曲も紹介したかったというのがあるんですね。たしかにT.P.O.の“Hiroshi's Dub”はすごく有名なんだけど、それとは反対にすごくマイナーな曲も入っているんじゃないかな。あと福富さんも入っているし、マイナーなアーティストも入っているから、幅広い内容になったと思います。

リリース後のリアクションについても教えてください。

A:いまのところ、とくにヨーロッパにおいてはかなり良いリアクションが返ってきています。

どこか特定の国がすごいっていうのはある?

A:全体的にヨーロッパでは良く受け取られていますね。いまディープ・ハウスのリヴァイヴァルがいちばん熱いのはヨーロッパですからね。「知らなかった曲を紹介してくれてありがとう」という気持ちでみんな評価してくれているんです。15曲が全部ヒット曲かというとそうではない。でもそれはぼくらも認めている。

もちろん、ヒットしてないと思うよ(笑)。あのね、本場志向っていうか、当時のハウスのリスナーもNY産しか認めないみたいなところがあったし、デトロイトだってB級扱いだったから、ましてや日本産となると……。柱になったレーベルもなかったしね。

A:寺田さんのレコードも少なかったんですよ。自分のレーベルがあったけれど、当時はあまり知られていなかった。

寺田さんは当時の印象では、ものすごくメディアに露出していたから、有名人って印象だったんだけど、それでも苦戦していたんだね。ところで、アルバムのインナーの日本語はアリックスクンが書いたの?

A:最初はぼくが書いて、友だちの日本語ネイティヴに直してもらいました。

ちょっと日本語が間違っているんだよね。

A:そうなんですよ(笑)。ぼくが書いた日本語を見てくれたひとが原文を生かそうとしたから、場合によっては文章が変かもしれません。

はははは。でも、最後に書いてある「House is the feeling」っていう言葉がすごく良いね。感じることで、国籍がどこであろうと、わかる。

A:そうそう、本当にそういうこと。ハウスって、感じることだから。

コンピレーションを作っていて、当時の日本のハウス・シーンは見えてきたの? 見えてはこないでしょう(笑)?

A:先ほど野田さんが言っていたように、当時このひとたちはヒットしていませんでした。小さいレベルで2、3曲作ってそれっきりというアーティストも多く、けっして大きなシーンではなかったようですね。アメリカの影響がデカすぎて、国内シーンは生き残れなかったというかビッグにはなれなかった。あと、アメリカのカッコよさへの憧れもあったんじゃないかな。

全員がそうじゃなかったけど、概してものすごくあったね。ただ、いまでは信じられない話だけど、当時の日本のミキシングの知識では、メーターがレッドゾーンにいったら音が歪んで悪くなるからっていうことで、EQなんかも適度に調整されてしまって、作った人の意図とは別のとこで、ペラペラの音になっているのが多いんだよ。そこは、今回リマスターをしてある程度音をそろえているよね。

A:難しいですね……。リマスターはしています。でも、半分以上は元のマスターを貰えたんだけど、残りはヴァイナルから音を落としました。でもどんなにきれいに落としても、いろんなノイズが残ってしまうから、あとはブラウザーがきれいに仕上げてくれたんです。


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アルバムのジャケットのデザインがすごく良いと思ったんだけど、これは?

A:もともとはぼくたちが好きな日本のアーティストに声をかけたかったんだけど、3人くらいに依頼したらタイミングが合わなかったり、興味がなかったりで、実現しませんでした。そこでイギリスのアーティストに頼んだんですよ。ヴィクトリア・トッピング(Victoria Topping)というひとです。ぼく、本当はコラージュがあんまり好きじゃないんですよ(笑)。でもこのコンピレーションで一番大事なのは音楽だから、コラージュについてはブラウザーと多少喧嘩しました(笑)。ブラウザーはデザインを気に入っていたし、期限もあったからジャケットはお任せして、ぼくの趣味に合わなくてもしようがないと割り切りました。でもリアクションを見ると、みんなジャケットを評価しているから、自分のテイストを犠牲にしてよかったです(笑)。

浮世絵って、江戸幕府からは監視されていたぐらい、実は、ものすごくエロティシズムを含んだ大衆文化なんだよね。たぶんこの絵は、花魁といって、まあ、当時の人気の娼婦ですね。だからその意味で、まさにハウス・ミュージック的なんだよ。

A:そうなんだ(笑)。それは日本人にしか理解できないことですね(笑)。

David Bowie - ele-king

 これはジャズではない。では何か? ただの痛みだ。

 たしかに先行曲ともいえる“スー”は、新世代ジャズ・ラージアンサンブルで知られるマリア・シュナイダーとのコラボレーションが話題になった。アルバム曲には、管楽器にダニー・マッキャスリン、鍵盤にジェイソン・リンドナー、ベースにティム・ルフェーベル、ドラムにマーク・ジュリアナら新世代のジャズ・ミュージシャンを起用している。彼らがアルバム全編にわたって活躍をしており、とくにジュリアナのドラミングの凄まじさは誰しもが驚愕するだろう。だが、それにも関わらず本作はジャズではない。彼らであればいとも簡単に演奏できてしまうであろうジャズ的な和声やリズムを半ば拘束的ともいえるほど禁じているからだ。

 では本作はロックなのだろうか。たしかにときにシンプルな3コードに収まりもするボウイのソングライティングはロック的即物性を兼ね備えてはいる。だが、 ボウイは(少なくともメロディ・和声面での構造では)ビートルズの影響をまったく受けていないように思える。これは60年代以降のロック・ミュージシャンとしては、ルー・リードと並び極めて異例である。

 それでは、そもそもボウイの音楽は何なのだろうか。もともとはアマチュアのジャズのサックスプレイヤーであり、60年代にロック・ミュージシャンとしてデビューをした彼は何者なのだろうか。簡単にいえば、彼は「デヴィッド・ボウイの音楽」を「演じてきた」特異点のような存在なのだろう。むろん、彼の「演技性」と「肉体性」と「ペルソナ」の問題など、ロックの本を紐解けばどこにでも書いているし、そもそもボウイのファンならば当たり前すぎることだ。いまさら語っていいとも思えない。

 私がここでもっとも重要視したいのは2点だ。より正確には後者のひとつだ。まずひとつ。ボウイのソングライティングは、黒人音楽と白人のポピュラー・ミュージックのキマイラのようであり、それは20世紀という時代のモダニズムの象徴である点。そして、もう1点。彼の音楽はロックにテクスチャーの感覚を導入したという点である。もっともそれは彼一代限りのものでない。スコット・ウォーカーからボウイが受け継ぎ、デヴィッド・シルヴィアンに受け継がれていった感覚でもある。
 
 わかりやすい例として有名な『ロウ』を上げよう。ブライアン・イーノも参加したというこの傑作は、イーノ特有のアンビエンス/アンビエント感覚を大胆に導入し、アルバム後半(B面)のインスト曲によって、ボウイはそのテクスチャー感覚を前面化させる。淡い音色によるシンセサイザーの持続音が一定のムードを生成し、そこにリズムやサウンドが絡み合う。このB面のアトモスフィアこそ、後の電子音響からエレクトロニカなどに、たとえば、カールステン・ニコライやクリスチャン・フェネス、インダストリアル/テクノのザ・ストレンジャーまで受け継がれていく感覚でもある。

 そして本作『★』は、そんなボウイのテクスチャー感覚が久しぶりに、それこそ『ロウ』以来、前面化した傑作とはいえないか。コード進行など楽曲の変化は曖昧で、聴き手は掴みきれない曲のテクスチャーを撫でるように聴くことになる。名うてのジャズ・ミュージシャンたちは、ボウイのテクスチャー感覚を生成するために召還されたといっても過言ではないだろう。なぜか。ボウイが欲したのは、彼らジャズ・ミュージシャンの演奏情報量の豊富さであり、それをある一定のトーンに制御することで生まれるムードではなかったか。
 事実、本作において、彼らは意識的にロックの即物性に「拘束」されている。あの複雑なリズムを分割できるマーク・ジュリアナですら、8ビートのリズムを叩いているのだ。しかしそれでも彼らの持っている演奏情報量の複雑さが「漏れでてしまう」。正確に、拘束的にバッキングに徹するなかで、ときにドラムのリズムが、サックスのフレーズが、ベースラインが、ジャズ的な複雑さをもらしてしまう。そこに拘束とから生まれる官能によって、この『★』の音楽に生まれているように聴こえる。本作は非常にマゾヒティックな官能に満ちたアルバムなのだ。
 10分に渡る“★”にせよ、先行曲のリミックス曲“スー”にせよ、まるでジョイ・ディヴィジョンのようなイントロの“ラザルス”にせよ、ジャズ・ミュージシャンに「ロックを演奏させる」拘束を見事に成功している。そこから生まれる拘束の官能性は、本作の色気を象徴しているといっていい。マーク・ジュリアナのビートは複雑なリズムと単純なニュー・ウェイヴ的な8ビートを往復しながら、彼のソロ・アルバムや他の参加作品とは異質の「色気」を放っている。

 では、なぜこのようなコンポジションが可能になったのか。私見だが「拘束の響き」の基調として、本作のどの楽曲にも、(たとえ聴こえていなくとも)ひとつのの持続音が流れているように思えならないのだ。聴いてみればわかるが、管楽器もシンセサイザーもロングトーンを奏でており、ギターのコードのカッティングよりも、そのロングトーンが楽曲の中心であり、ムードを形作っていることがわかるだろう。
 この感覚こそがあの『ロウ』に近いものであり、本作がときに『ロウ』以来の傑作と呼ばれるゆえんに思える。そして、ボウイのヴォーカル・ラインは、そのロングトーンのひとつの変奏として象徴的に響いているのだ。拘束。解放。生(本作は音楽家の受難と解放そのものように聴こえるし、その意味では非常に「西洋音楽」的だ)。
 このロングトーンの感覚は、果たして彼がサックス・プレイヤーであったことに由来するのだろうか。この傑作『★』を繰り返し聴くにつけ、肉体が奏でるロングトーンの揺らぎと拘束こそが、彼の音楽の官能性の根源だったのではないかと思えてならないのだ。
 だからこそ、その拘束が外されたかのように(偽装する?)、最終2曲、“ドラー・デイズ”と“アイ・キャント・ギブ・エブリシング”のメロディは、単なるポップというだけではない死の不穏さを称えているようにすら聴こえてくる。そう、「生」の拘束以降の世界に響く、死後のポップ・ミュージックのように……。

   ***

 ここまで書いたところで、公式サイト、フェイスブック、ツイッターの公式アカウントがこのようなアナウンスをリリースした。本文は、彼の「死」を知る直前に書きあげた記録として「あえて」修正せずに提出させて頂いた。「死」のフィルターを通していないレヴューであるが、確実に「死」の影を感じていたことも事実である……。そこが芸術の力でもあると思う。

January 10 2016 - David Bowie died peacefully today surrounded by his family after a courageous 18 month battle with cancer. While many of you will share in this loss, we ask that you respect the family’s privacy during their time of grief.

https://www.davidbowie.com/news/january-10-2016-55521

RIP David Bowie - ele-king

英国に止まない雨が降った朝文:ブレイディみかこ

 ある雑誌の企画で「いま一番聴いている5曲」という調査に参加することになり、アンケート用紙に記入してメールした後、酒を飲みながらボウイの新譜を聴いていた。
 「いま一番聴いている5曲」の中にも、『Blackstar』収録の” 'Tis a Pity She Was a Whore”を入れた。過去と現在の音をカクテルにしてぐいぐいかき混ぜながら、確かに前進していると思える力強さがある。みたいなことをアンケートには書いておいた。
 そして新譜を聴きながらわたしは眠った。
 が、朝5時に目が覚めてしまった。
 まるで天上から誰かが巨大なバケツで水をぶちまけているかのような雨が降っていたからだ。雨の音で目が覚めるというのはそうある話ではない。こんな怒涛のような雨が降り続いたら、うちのような安普請の家は破れるんじゃないかと本気で思った。妙に真っ暗で、異様なほどけたたましい雨の降る早朝だった。

 しばらく経つと電話が鳴った。時計を見ると6時を少し回っている。受話器を取るとダンプを運転中の連合いだった。
「ボウイが死んだ」
「は? ボウイって誰?」
そんな変な名前の友人が連合いにいたっけ?と思った。最近やけに死ぬ人が多いので、また誰か逝ったのかと思ったのだ。
「ボウイだよ、デヴィッド・ボウイ」
と言って、連合いは電話口で”Space Oddity”を歌いだした。
「えっ」
と驚いて「いつ?」と訊くと
「いまラジオで言っている。公式発表だって」
と連合いが言った。
 頭がぼんやりしていた。意味もなく、いまUKで連合いのように“Space Oddity”を歌っている人が何人いるのだろうと思った。

 以前も書いたことがあるが、わたしはボウイのファンではない。そもそもロックスタアの逆張りとして登場したジョニー・ロットンを生涯の師と定めた女である。だから彼の音楽も「まあ一通り」的な聴き方をした程度だし、同世代の女性たちのように麗しのボウイ様に憧れた思い出もない。
 寧ろ、彼の音楽に本格的に何かを感じ始めたのは前作の『The Next Day』からである。
アンチエイジングにしゃかりきになっているロックスタアたちへの逆張りを、誰よりもロックスタアだったボウイが始めたように感じたからだ。
 彼は老いることそのものをロックにしようとしていると思った。
 絶対にロックにはなり得ないものをロックにしようとする果敢さと、その方法論の聡明さにわたしは打たれた。だからこそ、2013年以降は
「いま一番ロックなのはボウイだ」
と酒の席で言い続けてきたのだ。

 権力を倒せだの俺は反逆者だの戦争反対だのセックスしてえだの、そういう言葉がロックという様式芸能の中の、まるで歌舞伎の「絶景かな、絶景かな」みたいな文句になり、スーパーのロック売り場に行儀よく並べられて販売されているときに、ボウイは「老齢化」という先進国の誰もがまだしっかり目を見開いて直視することができないホラーな真実を、ひとり目を逸らさずに見据えている。そんな気がしたのである。

 しかもまたボウイときたら、それをクールに行うことができた。
 新譜収録の〝Lazarus”のPVの死相漂うボウイの格好良さはどうだろう。
 プロデューサーのトニー・ヴィスコンティは「彼の死は、彼の人生と何ら変わりなかった。それはアートワークだった」と語っているが、ボウイは自らの死期を知っていて、別れの挨拶として新譜を作ったという。リリースのタイミングも何もかも、すべてが綿密に計画されたものだった。
 思えば2年前。クール。というある世代まではどんなものより大事だったコンセプトを復権させるためにボウイは戻って来たのではなかったか。
 そのコンセプトというか美意識がずぶずぶといい加減に溶け出してから、世の中はずいぶんと醜悪で愚かしい場所になってしまったから。
 ボウイのクールとは、邦訳すれば矜持のことだった。

 ざあざあ止まない雨の中を、子供を学校に送って行った。
 息子のクラスメートの母親が、高校生の長男がショックを受けていると言っていた。
「彼にとって、なんてひどい朝なんでしょう。起きて一番最初に耳にしたのが、自分が知ったばかりの、大好きになったばかりのヒーローが亡くなったというニュースだなんて」
そう彼女は言った。
 ああそう言えば、日本に送ったアンケート用紙のボウイに関する記述を過去形に訂正しなくては。と思った。
 ざあざあ止まない雨が降る空は、明るいわけでも暗いわけでもなく、幽玄なまでに真っ白だった。

文:ブレイディみかこ

RIP Paul Bley - ele-king

 弁護士にしてエスペランティスト、バーナード・ストルツマンが1964年にたちあげたESP-Disk――ESPはエスペラント語の頭文字に由来――はオーネットとセシル・テイラーが拓いたフリージャズの耕地からの最初のまとまった収穫といえるもので、ビル・ディクソンがしかけたジャズの十月革命とともに、60年代なかばのニューヨークはフリージャズの夢に浮かされることになるが、ESPの66年あたりに俗に「顔ジャケ」と呼ばれるアルバムがかたまっているのを読者のみなさんはおそらくご存じあるまい。というのも、俗もなにも、そう呼んでいるのは私だけだからであるが、目くじらを立てずにもうしばらくおつきあいいただくとして、カタログ番号1021を皮切りに1026のヘンリー・グライムス・トリオ『The Call』(1026)までをひとかたまりに、番号とんで、チャールズ・テイラー『Ensemble』(1029)、ノア・ハワード・カルテット(1031)とサニー・マレーの『s/t』(1032)もこの括りにはいる。パティ・ウォーターズの『Sings』(1025)は王道顔ジャケだが、1055番の『Collage Tour』のカヴァー写真の影になった眼窩によく見るとうっすら目玉がすけているに気づいたときは、夜中だったもんでさすがにギョッとしました。ジャケの呆けた笑みと、低温で燃焼するようなヴォーカリゼーションをジュゼッピ・ローガンのフルートが煽るこのアルバムを私は顔ジャケの横綱に推挙したい。それに対抗できるのは、洞穴のような狂気を思わせるフランク・ライト・トリオ(1023)のジャケットしかないと思うのだが、こっちはいくらか「顔負け」した典型的なフリージャズ――なに? 典型的なフリージャズ? ジャズの枠組みを外すことを目するフリージャズに様式を認めるこの形容は、ジャズの即興を問うなかで何度も蒸しかえされた命題でもあり、いまもって正解はない。しかも時代がくだるごとにアーカイヴが膨らめば、あらたな即興の可能性はそれと反比例して縮減する。もちろんこれは単純化した数字の話にすぎないし、当時を現在の観点で論ずる誤謬もあるにしても、ジャズの前衛から欧州の即興者を中継し音響の文脈のウラに貼りつき、隙あらば前景化したがるこのテーマに私たちは何度もたちかえってきた。ベイリーであれ間章であれ、実践であれ批評であれ、原理に降りるには意思の力は欠かせない。私はその厳しさが内在させる美しさを否定する気は毛頭ないが、形式に内容を充填することで、さらに上位の形式を、普遍の域までとはいわないまでも、高めたがるものもいなくはない。

 ポール・ブレイはジャズで、ジャズという様式そのものを問いつづけることでそれをおこなった数少ないミュージシャンだった、と私は思うのである。

 ESPの「顔ジャケ」シリーズはカタログ番号1021、彼の精悍な顔つきを大写しにした『Closer』(66年)を嚆矢とする。もっともブレイはその前に『Barrage』(1008 / 65年)をESPにのこした。リリース前年に吹きこんだこのアルバムはミルフォード・グレイヴスとエディ・ゴメスのリズムにデューイ・ジョンソン(tp)と、ちょうどニューヨークに出張っていたサン・ラーのアーケストラからマーシャル・アレン(as)の二管を加えた布陣で、カーラ・ブレイのオリジナルを演奏しているのだが、曲も音もオーソドックスなフリージャズの域を出ていない。それが翌年録音の『Closer』では曲の尺はこの手のものにしては極端に短く、作曲者の意図に沿い、ときにそれを超えるところまで音楽をいかに飛躍させるか、アドリブはそのためのスプリングボードとなっている。と書くと、あたかも即興を軽視したようだが、1932年、カナダのモントリオールに生まれたブレイがビバップを知悉したピアニストとして――チャーリー・パーカーとの共演歴もある――当地のシーンを牽引し、ミンガス、マックス・ローチとデビュー作でわたりあったように、ブレイのプレイは巨人たちにひけをとるものではなかった。おしむらくは、生来の耳と手と頭のよさが身体性の突出をさまたげたところはなくはなかった。とくにフリージャズという情動の発露の側面のある方法ではポール・ブレイは異質だった。怒りもなければ抒情に流れすぎない、アイラーのような楽天もなければ、セシル・テイラーの鋭さともちがう、ビル・エヴァンスの系譜に連なるかもしれないが、彼のピアノは彼よりも、ただ音楽をあらわす。それはひとえに音楽への、ひいては他者を感受する力がもたらすものであり、ポール・ブレイは生涯をかけてそれを貫いた。

 余談になるが、いや余談ではないのだが、60年代なかごろ、ポールの盟友にして伴侶だったカーラ・ブレイは『Closer』をリリースしてほどなく、彼のもとを去り、ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラのマイケル・マントラーと暮らしはじめる。ロバート・ワイアットの『Cuckooland』(2003年)でも名前を見かけたカレン・マントラーはふたりの娘で、かわりにポール・ブレイは60年代初頭よりしばしば共演したゲイリー・ピーコックの妻であり、ジャズ・コンポーザーであるアネット・ピーコックと親密になり、アネットはゲイリーのものからポールにはしった。ポールとゲイリーはこのこともあって一時疎遠になったが、60年代後半にふたたび合流し、ブレイのたちあげたImprovising Artists Inc.から発表した『Virtuosi』(67年)ではアネット作の「Butterfly」と「Gary」の2曲をレコードの両面たっぷりに吹きこんでいる。後者は(元)夫の名前をとったのだろう。その抑制と解放はECMの作風をさきがけているが、私は逸話にことかかないジャズ史のなかでもこのエピソードに長年興味をそそられてきた。ゲスの極みといわれても仕方ないが、対話に比せられるジャズという演奏形態において、演奏者同士、あるいは作者とプレイヤーは音で対話するとき、そこに一瞬でも私情の過ぎることはなかったのか。イアン・マキューアンが長篇に仕立て、フランソワ・オゾンあたりがやおらメガホンをとりそうな、音楽家たちのこみいったロマンを、しかし音楽以上に一意に直截にあらわす方法は地球上にありえない、とポールは確信していた。そのためにもまず音という抽象物の背後にある作曲者と共演者のすべてに、その厚みにこそ耳を澄まさなければならない。推論というよりほとんど妄想だが、そうでなければ、100を超える多彩な作品とジャズ史を通観するような共演者にめぐまれるわけがない。ところが十日ばかり前、彼はたえることのなかったリリースをいったんきりあげることにした。ECMがリリースした『Open, To Love』の続々編ともいえる一昨年の『Play Blue (Oslo Concert)』をもって、その感受する力をそそぎつづけた音楽活動に終止符を打った。私はねぎらいのことばをかけられるほど熱心なリスナーではなかったかもしれないが、それでも、針を落とせば、ポール・ブレイのすべてに耳を傾けることができる。(了)

interview with Tortoise - ele-king

 彼らが新作を録り終えた情報はつかまえていた。「別冊ele-king」のポストロック号をやっていたときだったので数ヶ月前になるが、おあつらえむきの特集なのにリリースの都合でとりあげられなかったのはいかにも口惜しい。爾来このアルバムは何度も聴いた。冒頭の表題曲のニュース番組を思わせるジングルめいたイントロにつづくトータス節ともいえるリズムの提示、アンサンブルは複雑さよりスペースを求め、打鍵楽器の記名性はこれまでより鳴りをひそめシンセサイザーがムードを演出するこのアルバムは『イッツ・オール・アラウンド・ユー』『ビーコンズ・オブ・アンセスターシップ』の、つまり『TNT』以後の傾向雄の延長線上にあるのはあきらかだが、前作から7年の時間の経過は彼らの、リロイ・ジョーンズいうところの「変わりゆく──」いや、よそう。それより『ザ・カタストロフィスト』にはミシェル・レリスの書名「成熟の年齢」をかぶせたくなるやわらかさとかすかな官能をおぼえる。90年代、私たちはそれをまさにテクノロジーの、つまりポストロックのかもすものとして聴いたが、20年を経て、それがトータスの唯名性だったことにおそまきながら気づきつつある。

 ジョン・マッケンタイア、ジョン・ヘーンドン、ダン・ビットニー、ダグラス・マッカム、ジェフ・パーカー──5人を代表してギタリスト、ジェフ・パーカーにお答えいただいた。

■トータス・Tortoise
1990年に結成されたシカゴのバンド。ダン・ビットニー、ジョン・ハーンドン、ダグラス・マッコームズ、ジョン・マッケンタイア、ジェフ・パーカーの5人からなる、音響的なアプローチを持ったインストゥルメンタル・バンドであり、「シカゴ音響派」等の呼称によって、当時の前衛音楽シーンを象徴・牽引した。のちに「ポストロック」という言葉の誕生、発展、拡散とともにさらに認知度を上げ、多彩な試みをつづけている。今年1月リリースの『ザ・カタストロフィスト』で7作めのアルバムを数えることとなった。

シカゴ市のための組曲に入れるべく、メンバーそれぞれが1曲ずつ作曲したんだ。


TORTOISE
The Catastrophist

Thrill Jockey / Pヴァイン

Post RockIndieElectronic

Tower HMV Amazon

『ザ・カタストロフィスト』はおよそ7年ぶり7枚めのアルバムですが、これまでのどのアルバムより、作品の間隔が空いた理由について教えてください。

作品の間隔が通常より空いてしまったのにはいくつか理由があるんだ。ひとつはメンバーのうち2人がLAに住んでいて、みんながいっしょに集まることのできる機会を見つけるのが難しくなったこと。もうひとつはそれぞれ別のプロジェクトが忙しかったこと。自分はフリーのジャズ・ミュージシャンとして、ジョン・マッケンタイアはエンジニアやプロデューサー業、マッコームズはブロークバックやイレヴンス・ドリーム・デイで、等々。

『ザ・カタストロフィスト』に着手したきかっけについて教えてください。またいつごろはじまり、終わったのはいつですか。

新しい楽曲には『ビーコンズ・オブ・アンセスターシップ(Beacons Of Ancestorship)』のツアーが終わってからすぐ取り掛かりはじめていたんだ。シカゴ市から新しい作品を依頼されて、シカゴの即興音楽コミュニティのアーティストとコラボレートして組曲を制作した。そのときの楽曲が今作に収録されている曲の元になっているんだ。

本作の制作上のプロセスでいままでと変化したところはありますか。各自がアイデアをもちより、編集的に構築したのか、セッションでつくっていったのか、あえていうならどちらの比重が高かったですか。

今回はあなたの言う両方のプロセスを組み合わせたものだった。メンバーがそれぞれアイディアを持ってきて、それからグループとしてそれを新しいものへと発展させていったんだ。『ザ・カタストロフィスト』は『イッツ・オール・アラウンド・ユー(It’s All Around You)』のスタジオをベースにした制作プロセスにより近いものなんだ。『ビーコンズ~』はライヴや実際の演奏をもとにしたものだよ。

先行シングル“Gesceap”はメロディとリズムを効果的に交錯させた、長さを感じさせないすぐれた楽曲だと思いました。たとえばこの曲を例にとり、完成にいたるまでのプロセスを教えてください

前の質問で言った、シカゴ市のための組曲に入れるべく、メンバーそれぞれが1曲ずつ作曲したんだ。“Gesceap”はジョン・マッケンタイアが作った曲で、彼はテリー・ライリーの“In C”のような感覚をよりトータス的な文脈で表現しようとしていた。アルバムに収録されたバージョンになるまでにかなり多くの回数作り直している。曲の構造はできるだけ単純化して、録音にはたくさんの楽器が重ねられているんだ。

自分たちはまだ「アルバム」を作っているんだ。

『ザ・カタストロフィスト』は多様性に富んだ、しかしとてもまとまりのあるアルバムだと思いました。断片的なアイデアの折衷というより、曲ごとの自律性を重視したつくりになっていると感じました。この意見についてどう思われますか

自分たちはまだ「アルバム」を作っているんだ。偉大な作品というのはリスナーがさまざまなムードや感情を経験することができるものだと思う。同時にグループとしての自分たちの広範な音楽的な興味を反映したものでもあるよ。

サウンド面では、『ザ・カタストロフィスト』は『イッツ・オール・アラウンド・ユー』、『ビーコンズ・オブ・アンセスターシップ』よりエアー感が強いと思いました。今回のアルバムではトータルな音をどのようなイメージに仕上げようと意図したのですか。

今作に関して自分たちは絶対にオープン・サウンドを取り入れようと考えていた。それぞれの楽器のまわりにたくさんのスペースがあるようなサウンドだよ。

音づくりの面で、スタジオの機材およびメンバーの使用機材で、これまでと本作とで顕著なちがいがあれば教えてください。

知っているかもしれないけど、ジョン・マッケンタイアは彼のSoma EMSを15年あった場所から別の場所へと引っ越したんだ。『ザ・カタストロフィスト』はほとんど、もともとあった場所で録音されたんだけど、いくつかは新しい場所でも録音して、ミックスもそこで行われた。

『スタンダーズ(Standards)』以降、初期トータスの代名詞でもあったヴィブラフォン、マリンバの代わりにシンセがアンサンブルを牽引するようになりました。この変化は意図的なものでしたか?

そうだね。自分たちの音楽をより拡張する必要を感じて、シンセサイザーでの実験をよりたくさんするようになったんだ。

“ホット・コーヒー”は『イッツ・オール・アラウンド・ユー』時のアイデアをリサイクルした楽曲だということですが、収録を見送った楽曲を次作以降でとりあげることはままあることなのでしょうか? もしかしたら、トータスの楽曲のためのアイデアのストックはかなりの数にのぼるのでしょうか。

アルバムをリリースするごとにたくさんの「残り物」が出るんだけど、それらはしばしばシングルやコンピレーションとしてリリースしている。時折、それらに立ち返って何か新しいものを作るインスピレーションをもらったりすることもあるんだ。

“ロック・オン”は素晴らしい曲だしメンバーみんなが聴いて育ったんだ。当時としてはとてもユニークな曲だった。

デイヴィッド・エセックスの“ロック・オン”をカヴァーした理由を教えてください。またこの曲にトッド・リットマンを起用したのはなぜですか。

“ロック・オン”は素晴らしい曲だしメンバーみんなが聴いて育ったんだ。当時としてはとてもユニークな曲だった。かなりおもしろいミニマル・サウンドが加えられていたり、ロックンロールについての歌なのにギターが使われていなかったりね。自分たちはみんな長い間トッド・リットマンのファンであり友人で、彼の起用は自然な選択だった。

『ザ・カタストロフィスト』には“ロック・オン”以外にもヨ・ラ・テンゴのジョージア・ハブリーの歌う“ヨンダー・ブルー”を収録しています。なぜヴォーカル曲を2曲も収録したのですか? またこの曲はアシッド・サイケともいいたくなる曲調ですが、この曲の生まれた背景を教えてください

次回作にはヴォーカル曲をいくつか入れようと事前に考えていて、しかも自分たちはトッドと同じように、ヨ・ラ・テンゴのジョージアの曲を敬愛している。“ヨンダー・ブルー”は、曲は先にできていて、ジョージアに興味があるか音源を送ったんだ。そうしたら彼女のヴォーカルと歌詞が付いて戻ってきたんだけど、それを聴いてまったく吹き飛ばされてしまったよ。

ポストロックなることばについては、語ることもあまりないかもしれませんが、日本ではこの20年前にとりざたされたことばに今年復権の兆しがありました。こと日本だけの現象かもしれませんが、かつてトータスの代名詞ともなったこの言葉をもう一度もちだすのだすとしたら、どこに可能性を見出せばよいと思いますか。

新しい可能性というのは僕たちのイマジネーションのなかにあるんだ。可能性に限界はないよ。

今回〈Pヴァイン〉から、過去作品がすべて紙ジャケットで再発されます(それも先の質問と無関係ではありません)が、旧作のなかで現在、もっとも気に入っている作品を一枚あげてください。

すべてのアルバムが好きだけど、今日の1枚を選ぶとすれば『イッツ・オール・アラウンド・ユー』かな。

新作をライヴセットにかけるとしたら、ヴォーカル曲含め、ライヴ用のアレンジが必要になると思いますが、どのようにするおつもりですか。ライヴとスタジオワーク、トータスにとって比重が高いのはどちらですか。

どちらのケースもたくさんの作業を必要とする。よくスタジオで曲を作ってアルバムを完成させてから、ライヴでそれをどう演奏するか考えなければならないこともあるよ。それにもたくさんの時間とクリエイティヴィティを要する。

自分のやることはすべてトータスに反映されるし、トータスとしてやることはその他すべてのことへと還元されるんだ。

それにしても、私は『ザ・カタストロフィスト』はトータスの新局面をあらわす野心的な作品だと思ったのですが、なぜ「Catastrophe」を文字ったタイトルなのでしょう

アルバムのタイトルはジョン・ハーンドンが彼の読んでいた本から思いついたんだ。自分はその本を読んでないんだけど、いまの政治状況や環境のことを含めた日々の生活のことを考えると、興味深いし良いタイトルだと思った。

カヴァーアートには90年代のエイフェックス・ツインのような露悪的な意図をこめていますか? ちがうのであれば、その真意を教えてください

このジャケットは何年か前に撮った写真を使ってメンバーの顔を合成したものなんだ。自分たちの顔をジャケ写にするならこの方法しかないだろうと話していて、ご覧の通りになった。

90年代から2000年代初頭にかけて、トータスはシカゴおよび、インディ・ミュージックのある種の結節点と、すくなくともリスナーである私たちは見なしていました。現在のUSインディおよびシカゴのシーンでトータスはどこに位置づけられると自己評価なさいますか。

トータスはある特定の時代にシカゴのインディ・ミュージック・シーンを代表する存在だったと思う。メンバーはそれぞれさまざまな形でそのシーンに参加していて、それが自分たちの生み出す音楽に反映されていた。いまでは違ったシーンがあるし、自分たちの前の時代もまたそうであったように、すべてはつねに変化していくんだ。

トータスが、現在の5人、不動のメンバーになってから短くない時間が経ちました。ほかのプロジェクトでの活動も多いみなさんにとってトータスというバンドはどのような意味をもちますか。

僕たちは偶然にも同じ時に同じ場所にいた良き友人であり、気の合う仲間なんだ。自分にとってトータスはいつもアイディアを試す場所であり、アーティストとして成長する場所でもある。自分のやることはすべてトータスに反映されるし、トータスとしてやることはその他すべてのことへと還元されるんだ。

トータス約7年ぶりの新譜を祝し、本インタヴューにつづき、第2弾となる特集をお届けいたします!

ブリッジ・オブ・スパイ - ele-king

 大晦日は紅白歌合戦ではなく、テレビで放映していた『ジュラシック・パーク』3部作を観ながら年を越した。いま観ても大変に気合いの入ったショットの連続で、スティーヴン・スピルバーグというひとが20代のときに撮った『激突!』(71)の頃から「おもしろい映画」に身を捧げつづけている、少なくともそうあろうとしつづけていることがわかる。新作『ブリッジ・オブ・スパイ』はスピルバーグのフィルモグラフィにおける「地味なほうの」作品だと見なされているが、冒頭、再現される50年代のニューヨークを舞台にほとんど台詞に頼らない追跡劇がスリリングに立ち上がるとき、やはりここには「映画」が生き生きと呼吸していると感じることができる。たしかにここで描かれている実話をもとにした物語は大変地味なものだ。が、監督作としては前作にあたる『リンカーン』(12)でもあの地味な物語を一種の冒険活劇のように見せていたように、娯楽性を脇にしっかりと抱えることを忘れていないのである。コーエン兄弟の脚本も巧みだったのだろうが、それ以上に本作には巨匠監督の意地のようなものが滾っている。

 時代は冷戦下。トム・ハンクスが演じる主人公のドノヴァンは保険法を得意とするいち弁護士だったが、アメリカで捕まったソ連のスパイを弁護し、やがてソ連と東ドイツで捕まったアメリカ人たちとの交換を交渉する重要な責務を負わされることになる。すなわちドノヴァンは前半では法を守り、後半では人命を守る使命を負うのだが、本作においては彼が守っているのはアメリカにおける理想主義なのだと強調される。ドノヴァンは法が守るのは追いつめられた人間であると主張し、そしてまた、見捨てられそうな人間の命を諦めないのである。ただそのことを貫くために、ここでは辛抱強い対話ばかりが描かれる。

 いま世界で起こっていることを思えば、辛抱強い対話など「おもしろくない」と考えるムードがとめどなく広がっているのは事実だろう。だからこそ、映画青年でありつづけたスピルバーグはこの物語を「映画」にすることにこだわるのだ。タイトルにあるように映画のハイライトとなる舞台が橋であるのは多くのスパイ映画からの継承であるし、また、そこで繰り広げられる「やあ、ジム! 元気かい?」というシンプルな会話、そして、ふたりの人間がすれ違うというもっともシンプルなアクションこそを、感動のピークへと設定している。劇中では「不屈」という言葉が何度か告げられるが、不屈のものとしての理想主義と不屈のものとしての娯楽がそこでは折り重なり、不可分のものとして縫いつけられる。米大統領選の報道を見ていると、そこでトランプの醜悪な言動ばかりが取り上げらるのはそれが「おもしろい」からだというひとたちがいるが、だからこそ『ブリッジ・オブ・スパイ』はそんな世のなかに対して「おもしろさ」を懸けて闘っているのである。

***

 リドリー・スコットの新作SF大作『オデッセイ』(原題は『Martian』)も人命救出もので、マット・デイモン演じる火星に取り残された植物学者がどうにかサヴァイヴし、また、彼を助けようとするスタッフたちの奮闘が描かれる。のだが、悲愴感がいっさいなく、彼の命を救うことに対して終始前向きで存外に清々しい一本になっている。『プロメテウス』のどんよりした感じはなんだったのだろうかと思えるほどだ。マット・デイモンはへこたれず、クルー・チームは義理堅く、地球のスタッフたちは救助のために最善を尽くしつづけようとする。しかもなぜかディスコ・ヒットがかかりつづけるのである。ドナ・サマーの“ホット・スタッフ”がかかったときは何の映画を観ていたのか忘れそうになったし、グロリア・ゲイナーのゲイ・ディスコ・アンセム“恋のサバイバル”が流れたときには歌いそうになってしまった。かと思えばデヴィッド・ボウイ“スターマン”がなかなか気のきいたタイミングで流されたりもする。

 興味深いのは通常こういった映画では必ずいるマット・デイモンを待っている恋人や家族といった特別なひとが、ここでは描かれていないということだ。彼の救助はみんなで待ち望む公共のものであり、死よりはるかに難しい「生存」があっさりと……「アイ・ウィル・サヴァーイヴ♪」とノリノリで選択される。荒れる国際情勢のなか人命救助こそシリアスな題材のはずだが、この空気の読まなさはちょっと気持ちいい。



『ブリッジ・オブ・スパイ』予告編



『オデッセイ』予告編

 十代は懐がさびしいので湯水のごとく音楽に金を使うわけにはいかない。いきおい、ただで聴けるラジオがことのほか大切になる。彼とのつきあいは短くない。年端のいかないころにさかのぼるので、幼なじみ同然、長じて友人、ほとんど恋人。とはいえ、性交するわけではないので親友くらいで手を打ちたいが、友だちのだれよりもいっしょにすごす時間は長かった。中学にはいるころにはいくらか距離ができて、好きな番組を選んで聴くようになった。NHK FMのバラカンさんや渋谷陽一氏、同じ時間帯のヒット曲のリミックス中心の番組(DJは失念)と、日曜夜の「現代の音楽」は欠かさずエアチェックした。テーマ曲であるヴェーベルン編曲のバッハ「6声のリチェルカーレ」につづき、上浪渡さんの「現代の音楽です」のナレーションが入ると、寝床のなかで居住まいを正したものだ。60分テープに録音しつつ耳を傾けながら気づいた朝のこともしばしば、私にとってブルーマンデーの足音を告げるのは「笑点」でも「サザエさん」でもなく(そもそもテレビがなかった)、ヴェーベルンのバッハだった。
 テープを聴きかえし、インデックスをつくるのは翌週の課題である。多くの作曲家の名前と曲をこの番組で知った。武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」をはじめて聴いたのもこの番組だし、諸井誠、湯浅譲二、松平頼則、伊福部昭等々、日本の作曲家が印象に残っているのは、記憶の捏造かあるいは文化振興の意図からそうなっていたのかもしれないが、ケージ、メシアン、ナイマンもこの番組で知ったし、ノーノの「ガルシア・ロルカの墓碑銘」のガルシア・ロルカが聴きとれず、二十代までそのナゾが解明しなかった面目ない経験もしたが、現代音楽ないし前衛と呼ばれた(録音物としての)20世紀音楽は私にとって、ロック、ジャズやポップ・ソングなしいそのリミックス(クラブミュージック)と同列の刺激的な響きのひとつだった。その発見はなににもかえがたい、(音の)世界の広さに戦くことであり、音楽は学校で学ぶ音楽がすべてではないとほのめかすばかりか、音に不協和の関係など存在しないと(なかばあやまった)考えに開眼するきっかけだった。そこから、自作テープの編集が高じてのテープ・コラージュやカセットデッキの倍速ダビング機能の誤用、レコード・プレイヤーの回転数の意図的なとりちがえ、ラジオ、無線といった放送の音質そのものを音楽的に聴くハンドメイドの聴覚実験まではひと跨ぎである。私をふくむ健全な男女のだれもがそんなことにかまけたのが20世紀であり、いくつもの戦争に縁どられたこの20世紀を俯瞰し、二次大戦の前後でそれを劃する象徴として、音楽史──ここでいうそれは西洋音楽のそれであるが──にあらわれるのがピエール・ブーレーズである。
 1925年、仏モブリゾンに生まれたブーレーズはパリの高等音楽院でメシアンらに学ぶも中退、終戦の年、二十歳を迎えた彼は「12のノタシオン」を書きあげている。この短い断章めいたピアノ曲は名刺代わりともいえるもので、後にオーケストラ用に編曲され巨大化するこの作品をきっかけにブーレーズは20世紀音楽の重要作を江湖に問いはじめる。「婚礼の顔」「ピアノ・ソナタ第2番」「構造Ⅰ」、「ル・マルトー・サン・メートル(主のない槌)」──シェーンベルクの十二音技法を補足するとともに進化させたトータル・セリー(総音列)はものの本によく出てくるので、耳なじみの方も多いと存ずるが、平均律内の1オクターヴ内の半音をふくむ十二の音を平等かつ過不足なく用い完全な調和を目す十二音技法では満足できない、音価や強弱などのニュアンスまでパラメーター化し統治するのがトータル・セリーであり(乱暴な要約だが)、ブーレーズは自身の、というより20世紀のピアノ曲を代表する作品のひとつである「ピアノ・ソナタ第2番」(1948年)でシェーンベルクとの訣別を目した、とみずから語るように、その先に踏み出していく──のだが、私は思うのだが、「ピアノ・ソナタ第2番」にコーダにドイツ語の音名による「BACH」のアナグラムがあらわれるのとおなじく、シェーンベルクが最初の大機規模な十二音技法の作品「管弦楽のための変奏曲作品31」(1926〜28年)の基本音列の最後に「HCAB」つまりバッハの逆行形を置いたように、ブーレーズのいう訣別とは鏡像的な結びつきを意味するのではないか。ともに作曲家で指揮者であり教育者であるふたりは20世紀を前後に分かつ境界線上で対峙する(シェーンベルクが死んだのは1951年だ)だけでなく、音楽史上最大の巨人バッハを影に日向に志向し思考することで、前衛は古典との偏差のかぎりでの前衛であると彼(ら)はいいたがっている(「現代の音楽」のテーマがシェーンベルクの弟子であるヴェーベルンが編曲したバッハであるのも暗示的である)。本稿ではナイマンの著書『実験音楽』にならって、前衛と実験とを区別しているが、ブーレーズにはたとえば、ケージの偶然性を「管理する」など、完璧主義者の側面があり、その厳密さは旧作の改訂につながり、ダルムシュタットなどでの後進とのかかわりでは導きの光となり、マーラーやヴェーベルンのすべての交響曲の録音をのこした卓抜なタクト捌きにも実を結んだ(いまは指揮者のほうのファンが多いと思う)。行政官としても、IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)の初代所長となり、リアルタイムでの音響処理できる高速コンピュータ「4X」の開発が、みなさんご存じの「Max(Max/MSP)」につながった経緯もある。「レポン」や「...explosante-fixe...」はいまや超然としたところがかえって古きよき時代を思わせ牧歌的だが、ブーレーズがいなければ、リチャード・D・ジェームスはミュージシャンになれなかったもしれないしIDMは流産したかもしれない。フロリアン・ヘッカーは「ele-king」Vol.7のインタヴューで、音楽の複雑さを例証するにあたり、ブーレーズとクセナキスを対比している。さらにポピュラー音楽とのかかわりつけくわえると、1976年に創設した現代音楽の室内オーケストラ、アンサンブル・アンテルコンタンポランを率い、フランク・ザッパの筆になる「パーフェクト・ストレンジャー」を振ったのは84年。ヴァレーズ、ストラヴィンスキーとともに「ル・マルトー・サン・メートル」をフェイヴァリットにあげるザッパの、当時の現代音楽の水準でいえば時代がかかった、しかし生粋の現代音楽の作家にないユーモアをひきだしたブーレーズの手腕には、ザッパ・ファン、ロック・ファンのみならず、タイヨンダイ・ブラクストンも目をみはるにちがいない。
 ことほどさように、広範な視野と豊富な語彙、音楽史の弁証法を信じながら古典あるいは西欧の美学の風合いを失わないたたずまいは20世紀音楽の最後の巨星と呼ぶにふさわしい。そのブーレーズが歿した。今後おそらく彼のように多面的に音楽を体現する作曲家はあらわれまい。ファーニホウやラッヘンマンがそうなれるとは思わない。ミニマル、ポスト・ミニマルの方々はどうだろうか。それとも、そもそも私たちはそのようなひとの必要ない時代に生きているのか。20世紀がまた遠のいた? そうかもしれない。ところが遠のけば遠のくほど道のりを踏みしめる楽しみは増さないともかぎらない。ブーレーズはその道の向こうにかすかに見える指標のようなものだ。それはこの平坦な時代に隆起した山のように見えなくもないし、行けども行けどもたどりつけない城のようなものでないとはだれもいいきれない。(了)


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