「Nothing」と一致するもの

interview with Mystery Jets - ele-king


Mystery Jets
Curve Of The Earth

Caroline / ホステス

Indie Rock

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 ミステリー・ジェッツというこのロンドンのバンドのことは、「テムズ・ビート」という呼称とセットで記憶している方が多いにちがいない。彼らの最初のアルバム『メイキング・デンス(Making Dens)』がリリースされてからもう10年にもなろうとしているが、テムズ・ビートこそは、人々が「ヨウガクの国内盤」を普通に買っていた最後の時代を華やがせたバズ・ワードのひとつであり、彼らのアルバムはそこに象徴的な彩りを与えるものでもあった。そういった呼び名はメディア主導のカテゴライズに過ぎず、本人たちにそれを牽引するというようなつもりもなかったと言われるかもしれないけれど、そこに前後してモッズのやんちゃにアイリッシュ・フォークの牧歌性、UKトラッドを何度めかの新鮮さで甦らせたバンドがいくつも矢継ぎ早に見つけだされたことはたしかで、少しエキセントリックな佇まいの中にサイケの系譜ものぞかせたミステリー・ジェッツもまた、ロックをリヴァイヴァルとしてしか知らない2000年代の耳に共感と興奮を与えてくれた。ほかにもその頃は「ニューレイヴ」とか「ニュー・エキセントリック」とか、UKのロックは元気だったし、そうした言葉を泡沫のように生み出し伝えるメディアも元気だったことが、ひとかたまりで思い出される。

 そこで、つづいてリリースされたエロール・アルカンのプロデュースになるセカンド『トゥエンティ・ワン』(2008)までは聴いて、あとはどうなったか知らない、という方も正直なところいらっしゃるのではないだろうか。あのときはただ時代の息吹を聴き、祭を楽しんでいたのであって、とくにミステリー・ジェッツそのものを聴いていたのではなかった、というような──ポップ・ミュージックのそれもまたダイナミックでおもしろいところだから、その酷薄な享受のしかたを責めないでいただきたいと思うが、しかしそうであればこそ、ほとんどが一時で姿を消していったそれらバンド群において、後々もリリースをつづけて10年にもなろうというミステリー・ジェッツには、「何かがあった」ということになる。時が移り、状況が変わり、騒がしい情報に影響されることもなく聴いた『カーヴ・オブ・ジ・アース』は、優しく懐かしかった。当時が懐かしいというのではなくて、もっと普遍的な、親しく温かみのある感覚。地球のモチーフにしたジャケットにスケール感のある冒頭曲“テロメア”からは気宇壮大なテーマを、また『ホール・アース・カタログ』をコンセプトに据えスチュアート・ブランドとの対話が下敷きにあったというエピソードからはサブ・カルチャーと未来についてのヴィジョンの提示があるのかと先走って想像してしまうが、“ボンベイ・ブルー”から先こそがこのアルバムだと言いたい。それはここで語られているように、むしろ若き日の父、若き先人たちのイノセンスへの共感というべきパーソナルでかつ普遍的な感覚に端を発し、そのために多くのひとの感情に優しく響く音になっているように思われる。
 この「普遍」というところへと、彼らは一枚ごとにバンドとして全力を傾けるべきテーマを掲げながら、こつこつと進んできたのではないか。ウィリアム・リースの言葉からさらに推量れば、それは時代から自由になって、内側から出てくる自分たちの記憶やルーツが自然と溶けだしたようなものなのかもしれない。リヴァイヴァルやリファレンスという「わざわざ」の意図なくそれはUKのポップスであり、穏やかで優美な、薄曇りのサイケデリック・ロックだ。“サタナイン”が美しい。
 昨年11月の〈ホステス・クラブ・ウィークエンダー〉明け、質問に答えてくれたのはウィリアム・リースとカピル・トレヴェディだ。

ミステリー・ジェッツ / Mystery Jets
2004年にブレイン・ハリソン、ウィリアム・リース、カイ・フィッシュ、カピル・トレヴェディが結成した4人編成バンド。2006年にファースト・アルバム『メイキング・デンス』をリリースし、「テムズ・ビート」の象徴として世界的な評価を浴びる。セカンド『トゥエンティ・ワン』につづき、2010年には名門〈ラフ・トレード〉移籍後初となるサード『セロトニン』を発表。2012年にオリジナル・メンバーであるカイが脱退するも通算4作めとなる『ラッドランズ』を作り上げ、2015年には新メンバー、ジャック・フラナガンを迎え入れ5枚めのニュー・アルバム『カーヴ・オブ・ジ・アース』を完成させた。

過去を研究することがいちばん大きかったと思う。それにはロンドンに戻らなければならなかったんだよ。(ウィリアム・リース)

今作の背景にはアメリカーナの研究があるということですが、どんなものを聴いていらっしゃいました? あるいは、それは音楽にかぎらない探求だったのでしょうか?

ウィリアム・リース(以下ウィリアム):今回のアルバムにはあまりそういうところはないかもしれないな。

そうなのですか? それはごめんなさい。では、前作のお話をうかがっても?

ウィリアム:あのときはすごく新鮮な体験だった。テキサスに行って、スタジオをつくって、音楽を生んで、レコーディングする──それは僕たちがずっとやりたかったことなんだ。夢でもあった。とくにアメリカ大陸から生まれてきた音楽を愛してきた身としては、すごくやりたかったことなんだよ。でも、この作品にはその痕跡はあるかもしれないけど、具体的にどんな影響があるかというと、明確には言えないな。音楽的な影響というよりは、もっと本質的な意味で、その体験を経たことによって今作では過去を振り返らなければならないということに気づいたんだ。それで、若い頃に聴いていた音楽をたくさん聴き返して、ロンドンに戻って、かつてそれを聴いていた場所でもういちど音楽をつくってみた。……そうだね、過去を研究することがいちばん大きかったと思う。それにはロンドンに戻らなければならなかったんだよ。

なるほど。アメリカというものにぶつかって、あらためて見えてきた英国について教えてください。

ウィリアム:そういうふうに自分で考えたことはなかったけど、たしかに感じられるものはあったような気がする。おもしろいもので、アメリカ文化という、自分とはぜんぜんちがうものに触れて──「これじゃない」というものに触れて、はじめて人は自分を意識できるのかもしれないね。そういうところはあったかもしれない。ただ、作品について言えば、“『ラッドランズ(Radlands)』パート2”をつくることはできなかった。それに自分たち自身をそのまま表す作品にしなきゃいけないということはわかっていた。『ラッドランズ』は架空のキャラクターを設定して生まれた作品だったけど、今回はもっとパーソナルな作品だ。それがイギリス的かどうかということになると自分にはわからないし、そこはもう自分にとっては重要なことではないんだ。
 むしろ、それはファースト(『メイキング・デンズ(Making Dens)』)でやったことかもしれない。あれは、曲名からしてもものすごくイギリスっぽいものだったと思うよ。シド・バレットだったりキンクスだったり、自分たちの好きなアーティストたちを意識していたし、自分たちもその系譜に並びたいと思っていたんだ。でもいまは「国」というレベルではないところで自分たちのアイデンティティを持ちたいと考えているかな。もちろん、聴いてくれた人がこの作品をイギリス的だと思ってくれたとするなら、それはどんなとこなんだろう? って興味深いよ。

いまは「国」というレベルではないところで自分たちのアイデンティティを持ちたいと考えているかな。(ウィリアム)

カピル・トレヴェディ(以下カピル):どこでレコーディングをしてどういうことをやるかというのは、ひとつ前の作品の反動も大きいよね。3作めのときは、とても大きくて洗練されたスタジオで録ったから、次はアメリカの田舎の家をスタジオにしてみようと思ったし、そうするとその次(今作)はもういちどロンドン──自分たちが育ったところでやってみようということになる。それが自分たちにとっての新しいチャレンジってことだよね。

なるほど、よくわかりました。「テムズ川のほとりの小屋で録音された」と聞くと、どうしてもつい原点や精神的な拠り所を求めての録音だったのかなと想像してしまって。必ずしもそういうわけではないんですね。

ウィリアム:ロンドンという意味でのルーツではなくて、もっとパーソナルなルーツに戻るべきだと思った、ということかな。この10年間、自分たちがバンドでやってきたこと、それから人間として変化してきたこと──恋愛だったり人との関係だったりね──を振り返らなければならない時期だったのかもしれない。実際にバンドもひとつのチャプターが終わって次の分かれ道に突き当たったようなところがあって、そういう意味でもいったんホームに戻るということが重要だったんだ。
 もっと現実的なことを言えば、家族や友だち、ロンドンに戻っていっしょにいなきゃいけない人たちもいた。そんな事情もありながら、そういうことも全部が曲に反映されていったのは不思議なものだよね。パーソナルだというのはそういうことかな。

『ホール・アース・カタログ』っていうのは、あの時代にはたしかに生きていたイノセンスや楽観性を表現しようとしたものだと思うんだ

ええ、なるほど。一方で資料などを拝見すると今回はスチュアート・ブランドとの対話やコミュニケーションが今作の大きなインスピレーションになっているという紹介もあります。そのあたりはどんなことがきっかけで、どのようなやりとりになったのでしょうか?

ウィリアム:今日はいくつものメディアから『ホール・アース・カタログ』についての質問を受けたんだ。そのたびに新しく答えを発見するような気がする。いま思ったのは、やっぱり『ホール・アース・カタログ』っていうのは、あの時代にはたしかに生きていたイノセンスや楽観性を表現しようとしたものだと思うんだ──60年代という時代の持っていた、ね? 僕たちのパーソナルな視点から言えば、かつてブレイン(・ハリソン)のお父さんのヘンリーもバンドのメンバーだったんだけど、彼は『ホール・アース・カタログ』をリアルタイムで知って感じていた人間なんだよ。だから僕たちにとっては過去といまがつながるような感動があったかな。当時の若い男の人たちはそのオプティミズムやイノセンスを表現していたわけだけど、それはかたちは異なれど僕たちも表現していることなんだ。本質は同じなんだよ。それに『ホール・アース・カタログ』はインターネットの先駆けみたいなものでもある。インターネットにおいてもっともポジティヴな部分は人をつなごうとするところ、点と点をつないでコミュニケーションを生むところだよね。それは過去といまがつながるということでもあるし、ヘンリーと僕らがつながるというパーソナルなことでもある。

その「イノセンス」や「楽観性」というのは、本来、音楽がもっともたやすく体現しうるものでもあると思うんですね。でも世の中が複雑きわまりなくなっていくものだから、いまの音楽はますます多大な情報量を含みこんで表現しなければいけなくなっているようにも思われます。そういう、一種息苦しい状況の中で、音楽が提案できるものが何かという、その答えが今作にあると考えていいですか?

カピル:まず、オプティミスティックなものがいちばん強く聴こえるのは、それがちゃんと意識されたものである場合だと思う。実際に絶好調なときにオプティミスティックな曲を書くよりも、たとえばすごく苦しい状況にあったりしても──自分の楽観的な部分が脅かされるような状況であってもなお楽観的であろうとするときに、その表現は強いものになるんだ。

まず、オプティミスティックなものがいちばん強く聴こえるのは、それがちゃんと意識されたものである場合だと思う。(カピル・トレヴェディ)

ウィリアム:たとえばいまパリはテロを受けて大変な状況を迎えているよね(取材は2015年11月に行われた)。そんなときに、ただバカみたいに楽観性を振りかざして曲を生むことなんてできないと思う。だからこの作品もオプティミスティックに聴こえたとしても現実的なことを表現しているつもりなんだ。曲というのはひとつのプロセスであって、そこで提示してあるものは自分たちの苦しかったり不安だったりする経験でもあるんだけど、それにただ打ちひしがれてしまうのではないという部分を表現したいというか──どうやってそれを赦すか、とか、どうやってそれと折り合いをつけるか、それでも前に進むにはどうしたらいいか、とかね。
 ビートルズとかキンクスの曲を聴くと、いまの時代にはないナイーヴさみたいなものを感じる。僕はその時代を生きたわけじゃないからわからないけれども、そういうことにはちゃんと理由があったはずだし、何かいまとはちがう明るさみたいなものもあったんだと思うんだ。ただ、いまという時代はいろんなところであまりにいろんなことが起きているけれども、そこにちゃんとした原因や理由みたいなものが見出しにくいというか。なんでそうなったのか? そうしたことがごちゃごちゃになってグレーに見える。いまの音楽にはそのエッジが表れていると思うし、自分たちの作品にもそれは表れているんじゃないかと思うよ。ある意味で、明るいだけではなくてビタースウィートなものにね。今作はそういう意味でのオプティミズムを持っていたかもしれない。

ビートルズとかキンクスの曲を聴くと、いまの時代にはないナイーヴさみたいなものを感じる。(ウィリアム)

60年代という時代が抱いていた理想と、いまの時代が抱けるものとの差のなかで、楽観性ということのポジティヴな意味を考えているわけですよね。……すごく思索的なバンドなんだなあとあらためて驚いているのですが、でもあえてお訊ねすると、そういうことへの回答を音楽で行う必要はないじゃないですか? きっとキャリアを重ねていくなかで取り組むテーマや音楽観も大きくなっているのではないかと思うのですが、そのなかでいま自分たちの目指すべき音楽のかたちをどんなふうに考えていますか?

ウィリアム:それはなかなか答えにくいな。音楽はある明確な何かを表現しようと思ってつくるものじゃないからね。それは自分が生きてきたことの結果として生まれるもので、たしかにタイトルなりコンセプトなりがついてひとつの製品として作品ができあがっているように見えるかもしれないけど、音楽そのものはそれそのものだけを表現している──極端に言えば、曲のほうからやってくるものなんだ。だからこそ、生まれてきたときはぜんぜん複雑なものではないし、実際に複雑にも聴こえないと思う。つくるのにものすごく努力したり考えたりはするけどね。それをインスピレーションと呼ぶ人もいるけれど、曲をこれだというかたちにするのはコンセプトじゃないんだよ。

DUBKASM - ele-king

 ブリストルを拠点に活動するDJストライダとディジステップによるレゲエ/ダブのデュオ、ダブカズムが2月に来日ツアーを行う。2013年に発表された“ヴィクトリー”は、ダブ界の重鎮ジャー・シャカやダブステップのパイオニア、マーラにもプレイされ、多くの人々に愛されるアンセムとなった。去年リリースされたマーラによるリミックス・バージョンも、発売後すぐにソールド・アウトになるほどの人気ぶりだ。

Victory - Dubkasm (Mala Remix)

 世界各地域において独自のシーンを持つサウンドシステム文化において、グローバルな広がりはもちろんのこと、現地のミュージシャン同士の繋がりを見るだけでも心が踊るものだ。テクノ・シーンでも評価される〈リヴィティ・サウンド〉のペヴァラリスト、ダブステップやグライムのシーンで活躍するカーン&ニーク、スミス&マイティとして多くのクラシックを生み出したロブ・スミス。日本でも馴染み深い彼らは、各々が少しずつ異なったフィールドに身を置いているものの、ブリストルというひとつの街のなかで実に有機的な関係性を築いている。

 そのなかで重要な役割を果たしているのがダブカズムのふたりだ。ブリストルにみずからのスタジオを構え、自分たちのプロダクションに専念するだけではなく、他のプロデューサーたちとも積極的にコラボレーションを続ける彼らは、ブリストルのハートのような存在なのかもしれない。2014年に発表された“マイ・ミュージック”の音楽とビデオで描かれるのは、ブリストル、ひいては他の街のミュージシャンたちとダブカズムの繋がりだ。テクノロジーの発達により、個人作業の可能性がどこまで拡張される現在。そんな時代においても、素晴らしい音楽は人々が交差する「場所」からやってくることを、彼らは思い出させてくれる。

 ツアーは2月5日からはじまり、東京、京都、福岡、相模原、札幌の5都市をダブカズムが巡る。東京公演ではロブ・スミスことRSDもプレイする予定だ。近くの会場でブリストルのハートを心して聴こう。

'My Music' - Dubkasm meets Solo Banton (Feat. Buggsy)

Dubkasm( from Bristol, UK)

DJ StrydaとDigistepは、15才の頃に地元ブリストルで体験したJah Shakaのセッションで人生を変えられ、サウンドシステム文化に没入していく。以降、20年以上に渡りトラック制作/ライヴ&DJ/ラジオ番組などでシーンに関わり続けている。そのトラックはJah Shaka、Aba Shantiらのセッションでも常連で、昨年リリースの「Victory」はここ日本でもアンセムと化している。09年に発表したアルバム『Tranform I』は高い評価を受け、全編を地元の盟友ダブステッパーたちがリミックスしたアルバムも大きな話題となった。最近ではMalaやPinch、Gorgon Soundらとの交流も盛んで、ダブをキーにした幅広いシーンから厚い信頼を獲得している。2016年2月、BS0の第2弾として待望の初来日を果たす。


Diggs Duke - ele-king

 どこかつかみどころがない、というのがディグス・デュークの印象だ。これはネガティヴな批評ではなく、褒め言葉である(デヴィッド・ボウイがまさしくそんな存在だった)。まず、どのジャンルのアーティストかと尋ねられると困ってしまう。CDショップなどではR&Bやネオ・ソウルのコーナーに置かれることもあるようだが、これにはどうも違和感を覚える。むしろ、一般的なネオ・ソウルからするとずいぶんと逸脱したサウンドだ(同じことはハイエイタス・カイヨーテにも言える)。たしかにソウル・ミュージックの下地はあるが、同様にジャズの割合も強く、他にもポップス、フォーク、ロック、AORとかの要素もあるし、恐らくクラシックの影響も受けているのだろう。昨年リリースされた作品の中で、個人的に近いものを感じたのはモッキーとジェイミー・ウーンのアルバムだ。それぞれ今のメインストリームの音楽の流れからは外れ、○○風、○○的と安易に形容できないアルバムで、それはすなわち掴みどころがないということでもあった。しかし、そんなカテゴライズできないところ、比較対象を持たないことこそがアーティストとしての個性というわけだ。

 ディグス・デュークの本作『オファリング・フォー・アンクシャス』は2013年末の発表で、今回あらためて再リリースされる。インディアナ州ゲーリー出身で、現在はワシントンDCを拠点に活動する彼は、キーボード、ギター、ベース、ドラム、パーカッション、サックス、トランペットなど、あらゆる楽器を演奏するマルチ・プレーヤーにしてシンガー・ソングライターだ。作曲面ではスティーヴィー・ワンダー(とくに『シークレット・ライフ』あたり)やビートルズ、スティーリー・ダン、ダニー・ハサウェイなどの影響も伺えるが、ハービー・ハンコックに捧げた作品集も出すなどジャズの演奏にも通じている。2011年からbandcamp経由で作品を発表し、EPの『グラヴィティ』や『ブラック・ゴールド』などが耳の早いリスナーたちの間で注目を集めていく。2012年にEPの『マス・エクソダス』を発表し、その収録曲“ナイン・ウィニング・ワイヴズ”はジャイルス・ピーターソンのコンピ『ブラウンズウッド・バブラーズ』に取り上げられた。それをきっかけに〈ブラウンズウッド〉と契約を結び、ファースト・アルバムの『オファリング・フォー・アンクシャス』をリリースしたという流れだ。『オファリング・フォー・アンクシャス』は『マス・エクソダス』をベースに、サンダーキャットのカヴァー“イズ・イット・ラヴ”など既発曲と新曲を交えた構成だ。その後も〈ブラウンズウッド〉からは『ジ・アッパー・ハンド・アンド・アザー・グランド・イルージョンズ』というEPを出し、2015年より自身のレーベルの〈フォローイング・イズ・リーディング〉を設立。2015年の末には新しいアルバム『シヴィル・サーカス』を発表している。

 『オファリング・フォー・アンクシャス』は基本的に打ち込みのビートによるものだが、それを補う豊富な楽器群を盛り込み、感触としてはアナログなサウンドだ。ゲスト・ミュージシャンは必要最小限で、ほぼ独りで多重録音している。民族音楽的なモチーフをジャズ・ロックに織り込んだ“ハーシュ・ワーズ・ウィズ・ジ・オラクル”、アフロ・キューバン調のエキゾティックな“ライオンズ・フィースト”、レトロなオルガン/ピアノとハンド・クラップによるビートが不思議なムードを作り出す“スウィート・ライク・シーヴズ”と、冒頭でも述べたようにUSのネオ・ソウル的なサウンドとは一線を画す世界が広がる。ディグス・デュークはアメリカの黒人アーティストだが、どこか無国籍な味わいを感じさせる折衷的なサウンドだ。“サムシング・イン・マイ・ソウル”と“コーズ・アイ・ラヴ・ユー”は比較的ネオ・ソウル寄りの作品で、“マス・エクソダス”のビートはJ・ディラ的なヒップホップ感覚を有しているが、そうした中でも“マス・エクソダス”のコーラスが一瞬見せる聖歌風の和声や後半のメロディ展開などは風変わりで、どうもひと筋縄ではいかない。“クレイジー・ライク・ア・フォックス”でのスキャット・コーラスも印象的で、ラウンジ・ミュージックとソフト・ロックが出会ったような感覚を抱かせる。“イズ・イット・ラヴ”における弦楽器、木管楽器のアレンジなどにもそうした非黒人的というかヨーロッパ的なセンスは顕著で、そこがクラシック的な味わいを感じさせるところかもしれない。“ボーン・フロム・ユー”や“ナイン・ウィニング・ワイヴズ”でもオーボエやクラリネットなど木管楽器の音色が印象的で、彼の作品に温かみや柔らかさ、ぬくもりが感じられるのは、こうした楽器使いによるところも大きい。さりげなく高度で新しいこともやっているが、アナログでヒューマンな味わいがあり、時流などに流されることなく独自に育んできた、それがディグス・デュークの音楽だろう。

interview with Jehnny(SAVAGES) - ele-king


Savage
Adore Life

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 勇敢なるサヴェージズのセカンド・アルバム『アドーア・ライフ』が出る。4人の女性によるこのバンドは、全員見た目も黒でビシッと決まって格好良く、グラマラスで、いまでもロックが娯楽以上の大きな意味を持つ音楽だと思っている、という点において説得力を持っているバンドのひとつだ。彼女たちはときに好戦的で、ストイックで、そして音楽には強く訴えるものがある。何を?
 ロックの歌詞というのは、通常、言ってる内容と、見ている視点のあり方との関係によって評価される。そう、こいつはどの位置から物事を見ているのか(ブレイディみかこなら、地ベタ)。スリーフォード・モッズのみすぼらしさは、彼らの見ている場所、視点のありかを表している。つまり、パブで飲んだくれているうだつの上がらない老若男女を受け入れているし、彼らはきっとわずか1行で社会を描写できる。あるいは、ディアハンターは、社会のアウトサイダーの気持ちをいまでもすくい上げる役割を果たしている。ブラッドフォード・コックスが芸能界入りすることもなければ、社会に馴染めないはぐれ者たちとの親近感を失うことはないだろう。それはかつてロックと呼ばれた音楽の大前提だ。
 そこへいくとサヴェージズはどうだろう。彼女たちの音楽は本当にシンプルだ。難しいことをやっているわけではないし、ある意味、基本に戻っているとも言える。いわゆる大衆音楽と呼ばれるものとは一線を画していた頃の、ロックが耳障りの良い“ソフト”に転向する前の、あるいはパンクの時代の、攻撃的でやかましくハードだった頃のロック。ぼくが思い出したのは、ひとつ挙げると、パティ・スミスのセカンド・アルバムだった。
 だが、サヴェージズの歌詞に物語や文学性はない。ただ実直に言いたいことを簡潔に言っているように思えるし、今回のアルバムで、曲調がパティ・スミスっぽいと感じてしまった“ADORE”という曲も言葉は直球で、意訳すれば、いくら人生で暗いことがおきても、なんだかんだと「私は人生が愛おしい、人生を敬愛している」と繰り返される。
 新作は“愛”のアルバムである。
 それでは以下、ジェニー・べス(Vo)への電話取材の模様をどうぞ。

サヴェージズは決して政治的なことを取り扱うバンドじゃない。よく、人間は環境の……社会や政治的環境の産物だ、みたいな言われ方をするけれど、私は案外、人間性が先にあって環境や社会や政治が生まれていくんじゃないか、って思ったり。私が自然体で歌っていることが私を取り巻く環境や、ひいてはもっと大きな社会的な環境になっていく……ってことになるんじゃないかしら

まずはインタヴュアーからの感想ですが、「重たくて美しいアルバム」とのこと。重たい、というのは、聴き応えがある、という意味で、つまりはすぐには理解しきれないかもしれないし、もしかしたらカジュアルには楽しめないタイプのアルバムなのかもしれない……。

ジェニー:わぉ。まず、美しい、というのは、ありがとう。そして、ただ美しいんじゃなくて重たい、というのも嬉しい。悪い意味の重たさじゃなくて、前向きにいろいろと考えたことが詰まっているという意味での重たさは、たしかにあるかも。でも、すごく自由に楽しんで作れたアルバムなのよ。別に思いつめて重たくなっちゃったわけじゃない(笑)。今回、レコーディング中もそれぞれのパートをバラバラに取り組んでいたから、みんな、やりたいことをとことん追求できたのよね。それは私の歌や歌詞にも言えることなんで、うん、思い切りやれたアルバムなのはたしかよ。

その結果、愛が題材になったんですか。

ジェニー:結果的に、ね。

それがいまのあなたの書きたいことだった?

ジェニー:そういうことになるわね。うん、そうだと思う。というか、前から自分の中にはあった題材だけど、最初のアルバムでは書くのをあえて避けていたんで。あの時はバンドとして他に表明しておくべきことがいっぱいある気がしていたから、ラヴ・ソングを書くよりは、自分たちがこういうバンドなんだ! ってことを訴えるような、こういうバンドがいまもここに存在しているんだ! って叫ぶような曲に専念していたの。それを経て、今回はまた違った面を見せたいと思った、っていうのはあるかも。意識してラヴ・ソングをフィーチャーしたつもりはないんだけど。

それは、あなた個人の変化でもあり、バンドの変化でもあり……

ジェニー:うん、そういうこと。愛って普遍的なテーマだから、常にそこにあるわ。何も、このアルバムに向けて急に書き始めたわけじゃない。ただ、自信とか経験とか、制作中の自由な雰囲気とかに後押しされて解放されたテーマってことだと思う。

最近のヨーロッパの社会的・政治的な空気を見ていると、もしかすると「愛」といっても個人的なものではなく、もっと大きな「愛」なのかなとも思えるのですが。

ジェニー:パーソナルでもあり、ソーシャルでもあり、でもポリティカルではないわね。サヴェージズは決して政治的なことを取り扱うバンドじゃない。ただ、思うんだけど、人間と社会や政治の関係って、どっちが先なのかな。よく、人間は環境の……社会や政治的環境の産物だ、みたいな言われ方をするけれど、私は案外、人間性が先にあって環境や社会や政治が生まれていくんじゃないか、って思ったり。それでいくと、私は決して社会や政治で起こっていることを歌にはしないけど、逆に私が自然体で歌っていることが私を取り巻く環境や、ひいてはもっと大きな社会的な環境になっていく……ってことになるんじゃないかしら。わかる? 人間……っていうか、アーティストはとくにそうだと思うんだけど、まわりから影響される部分は当然あるにしろ、あくまで発信は自分、なのよね。少なくとも私が、自分の感覚や感情よりも周囲の状況のことを優先して書くことはあり得ない。アーティストとしての私は自分が環境なんだと思う。

あぁ、なんか素敵な表現。

ジェニー:あはは。

すごく内側を見つめる作業。

ジェニー:そう。

前作に比べると、怒りはおさまっているような印象も受けます。

ジェニー:あぁ、たしかに剥きだしには怒っていないかも。でも、まったく怒っていないわけじゃないわ。腹の立つことが無くなったわけじゃないから(笑)。でも、なんかこう、怒りも咀嚼できるようになった、ってことなのかな。

世の中には、1st アルバムの頃以上に怒りが満ちているようにも感じますが。

ジェニー:たしかに。でも、それをそのまんま映し出すのが私たちではない、というのがさっきの話なわけ。ね?

世の中に愛が足りないから愛の歌を、というわけではない(笑)。

ジェニー:違う、違う(笑)。

例えば“Adore”という曲も愛を歌っていて、いままでのサヴェージズとはちょっと路線の違うエモーションを感じるという声もあります。ジャンルでいったらソウル・ミュージックのような。

ジェニー:わぉ。それ、私は褒め言葉として受け取っておくわ。

バラードでこそないけれど。

ジェニー:うん。わかる。セクシー、かも(笑)。ソウル・ミュージックって、私にはそういうイメージ。私はヒップホップ的な音の作り方が大好きだから、そういう音楽もよく聴いてはいるわ。サヴェージズがそうやって音を作ることはないけど、ドラマーのフェイが音楽性豊かなドラマーだっていうのが私達の強みになってると思う。リズムを刻むだけじゃなくて、曲の感情を伝えてくれるのよね、彼女のドラミングは。

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スリーフォード・モッズは大好きよ。共演もしたし。ディスマランドで共演したの。えぇと、あれは……バンクシーか! バンクシーのディスマランドで一緒にやったわ。


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Adore Life

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このアルバムの雰囲気を「スピリチュアル」と表現したら当たってますか?

ジェニー:あぁ……うん、そうね、ラヴというよりはソウルだし、それよりもスピリットかもね。あとセクシャリティ。これは前から言っていることだけど、セクシャリティは私にとって最大のテーマでもある。セックスって本当の自分でいられる、一番安心できる場所なのよ、私にとっては。それをすごく感じさせてくれる展示会が去年、パリであって…えぇと……あ~、名前を忘れちゃった(苦笑)、フランス人の女性アーティストの作品群だったんだけど、あんなふうに自分のセクシャリティを表現できるというのは素敵だなぁと思って。なんなんだろう、表立って語ることをタブー視されるエリアだけど…、いや、だから、なのかな、私が取り組んでみたいと思うのは。つまり、そこまで解放されて初めて真に自由になれると思っている、というか。セックスは安心できる場所。Sex is safe!……って、なんか力説しちゃったけど(笑)。

(笑)、スピリットと同義語なのかどうか、私にはよくわからないけど。

ジェニー:スピリチュアルであることが高尚でセクシャリティが低俗、みたいな分け方は絶対に違う。

うん……。

ジェニー:解放、という点では同義語なんじゃないかな。

つまり、愛を歌うようになったことも含めて、このアルバムには解放されたサヴェージズがいる、と。

ジェニー:そういう言い方はできるわね。別に、前のアルバムで私たちが制約されていた、というわけではないけど、気持ちの上でもミュージシャンシップ的にも色んなことができる余裕ができたんだと思う。

歌詞の上でも?

ジェニー:うん、さっきも言ったように、今回はパート毎に作業だったから、早くやらなくちゃ、とか、メンバーを待たせてるから、とかいう心配をすることもなく、自分のやることにじっくり専念することができたの。私の出番は最後だから、みんなが作ってきたものを聴いてかなり驚かされたわ。わぁ、こんなことができるんだ、みんな! って。刺激されて私の歌もより思い切った表現になった、というのはありそう。詞はいつも書き溜めているものの中から曲に相応しいのを選んで仕上げていったんだけど、ファーストの頃よりもお互いのことがよくわかって、遠慮のない仲になっているから気持ち良く歌えた歌詞もあると思う。

バンド内からの刺激。

ジェニー:そういうこと。

外からの刺激、ということでは、その展示会や、他に何かありましたか。

ジェニー:本はよく読むわ。とくにギタリストのジェマ・トンプソンとは、面白い本を読むと郵便で送って交換したりしてる。この前はふたりでゲーテの『ファウスト』にはまって……というか、その前に映画版にはまったんだけど(笑)、原作は16世紀……だっけ?(編注:ファウストが実在したのは16世紀で、ゲーテが書いたのは19世紀) 映画はロシア制作で、ちょっと前のやつ。知ってる? あれを観ちゃったの(笑)。すごく美しい映像だけど、うわぁ、勘弁して……っていう場面もいくつかあって、観て良かったような、観たくなかったような……

それこそ美しくて重たい、という感じでしょうか。

ジェニー:そう、そう! それで思い出したけど、あの映画のラストシーンを観ながら思ったのよ、これは自分たちのアルバムで表現してみたい世界観だ、って。いままで忘れてたくらいだから、そのまま実践したとはとても言えないけど(笑)、でも、どこか深層心理に残っていたのかも。

ゲーテの『ファウスト』ですよね。

ジェニー:そう、ドイツのヒーロー(笑)。

アルバムを締めくくる“This is What You Get”、“Mechanics”あたりの曲は痛みを伴いますね。こういう終わり方にしたかった理由があるんでしょうか?

ジェニー:“Mechanics”は、ある意味、未来に目を向けている曲よ。少なくとも私はそう思ってる。愛というものを……そうね、愛の可能性、というか……、この愛を本当に自由にしてあげた場合、将来的にどういうものになるか、という可能性を歌っているつもり。恋に落ちるにしても、恋から落ちこぼれるにしても、何の縛りもなく自由に、心のままに身を任せていたらどうなるか……という、うん、だから、いまはまだここにないもの、存在していないものを歌っている。わかる(笑)? 想像の世界、ってことね。だからこそ、あの曲でレコードの幕を下ろすことが重要だったの。未来に向けて開かれた扉、という意味で。

あぁ、なるほど。そこまで読み取れるか、は英語力も関わってくるかな……。

ジェニー:あはは、でも、それはフランス人が相手でも同じよ。ただ。サヴェージズの曲は言葉を理解しなくても伝わるものがあると私は思ってる。音楽そのものやサウンドが、何かしら意味を伝えてるはずだから。あるいは意味の感覚、というか…、だから、歌詞で私が言おうとしている意味そのものじゃなくてもいいの。どの曲も……必ずしも歌詞に書かれている意味で捉えてくれなくてもかまわないし、その人の感覚で楽しんでもらえるのがいちばんいい。それが可能な曲であることがだいじだと思ってる。

時間が迫ってきたので、最後にシンプルな質問をいくつか。まず、あなたはブラッドフォード・コックスが好きですよね。

ジェニー:うん! 大好き!

では、スリーフォード・モッズは?

ジェニー:あははっ! 大好きよ。共演もしたし。ディスマランドで共演したの。えぇと、あれは……バンクシーか! バンクシーのディスマランドで一緒にやったわ。

次に、あなたが思わず口ずさみたくなるようなポップ・ソング、メロディのある曲、というと何でしょうか。

ジェニー:う~ん……新しいので?

新しくても古くても、どこの国のものでも。

ジェニー:わあ……いっくらでもあるんだけど、ちょっと待ってね、コレっていうのを考えてみるから……

OK。

ジェニー:そうだなぁ、ポップ・アーティストってことでいうとマイケル・ジャクソンが私の子供の頃の一番好きなアーティストで、10代の頃は本当にマイケル・ジャクソンに入れ込んでたから、彼の曲が思い浮かぶんだけど……、あ、そういえば、実はビヨンセのこの前のレコードがけっこう気に入ってるのよね、私。

へえ……。

ジェニー:かなり衝撃だったわ、自分がビヨンセのレコードを気に入るなんて(笑)。

(笑)

ジェニー:あはは。でも、たぶんプロダクションなのよね、私が惹かれたのは。曲そのものっていうよりも、一部の曲の音の作り方とか響きとか……、あと、けっこうアンダーグラウンドまで掘って音を作ってる感じはすごくいいと思った。あ! 新しいところでは FKAツイッグスはすごく好き。彼女は存在がポップ・アーティスト! って感じがする。ヘンだけど、そこがいいのよね。ポップなのに極端にヘン。そういうの、私は大好きなの。メインストリームだと、そんなところかなあ……って、全然ポップ・ソングじゃないし、歌えないわね(笑)。

interview with Courtney Barnett - ele-king


Courtney Barnett
Sometimes I Sit and Think, and Sometimes I Just Sit

Marathon Artists/トラフィック

Indie Rock

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 いや、すいません、申し訳ないっす、web ele-kingのレヴュー原稿もたまにしか書けないほど、昨年ぼくは本作りに時間を費やしていまして、このコートニー・バーネットの取材なんか10月31日ですよ。前日にリキッドルームでライヴがあって、その翌日土曜日の朝11時、と手帳に書いてある。
 周知のように、彼女のデビュー・アルバム『サムタイムス・アイ・シット・アンド・シンク、サムタイムス・アイ・ジャスト・シット(ときに座って考えて、そしてまさに座る』は、時代のトレンドとはまるっきり離れているのに関わらず、たくさんのメディアが2015年の年間ベスト・アルバムの1枚に選んでいる(もちろん紙エレキングでも選んだ)。最近ではグラミー賞の新最優秀新人賞にもノミネートされて、アルバムの評価の高さをあらためて印象づけている。

 ロックはスーパースターとともに終わるのではない。簡潔にまとめてみよう。彼女の音楽にはふたつの点において素晴らしい。ギター・ロック音楽としてのソングライティングのうまさ、もうひとつは言葉の素晴らしさだ。
 彼女の歌には、昔ならボブ・ディランやヴェルヴェッツの曲で歌われるような魅惑的な人物が登場し、わずか1行の言葉でしょーもない人生の切ないものを言い表す。だいたい、どの曲のどの歌詞のどの部分でもそうなのだ。アルバムのなかに、なにか特別なトピックがあるわけではない。だが、彼女の曲で描かれる日常のすべての瞬間は,とても大事なものになる。物語があり、わずか言葉の密度は濃く、具象的でありながら、多数の人間の思いを集めてしまう。

 ロック/ショー・ビジネスの世界の最悪なところは、成功すると一般社会ではありえないほど過保護な扱いをうけることにある。まあ、売れもしないのに過保護にされているロック・ミュージシャンも少なくはないよな。で、さて、彼女への取材だが、初来日で大盛り上がりだったライヴの翌日、しかも午前中だし、場所は観光客で賑わう渋谷だし、ああ、眠たいだろうなぁ、機嫌が悪かったら嫌だなぁ……などと案じていたのだけれど、これがまた、ステージで見た彼女と同じように虚勢をはることもなく、コートニー・バーネットは実にさっぱりとした顔で、渋谷の喫茶店にぼくらよりも先に着いていたのです。
 ライヴも良かったし、取材に駆けつけたぼくと小原がますます彼女のファンになったことは言うまでもない。

昔から男女関係とか車について歌ってるようなポップ・ミュージックには全然興味なかった。自分が好きなミュージシャンはもっと深いところに響くものを歌っているように思えたし、私はそういう歌に考えさせられてきた。それが正しい理解であるかどうかは抜きにしてね。

さっぱりとした表情で安心しました。あなたはツアー中で、ライヴの翌日で、しかもこんな早くの取材だから疲れているかなと思ってちょっと心配していたんです。

コートニー・バネット(Courtney Barnett、以下CB):ははは(笑)。ちょっと早かったけど全然大丈夫。

ライヴをやって、3時くらいまで飲んで、そして朝早くに取材を受ける方もいるので(笑)。

CB:前だったら飲んできてたかもね(笑)。

体は強い方なんですか?

CB:この2年間はずっとツアーをしてたから、体力と精神的な面の自分の限界がわかったというか。必要なときはゆっくり休むようにしてるかな。

昨日のライヴもすごくよかったんですけど、このアルバム(『Sometimes I Sit and Think, and Sometimes I just Sit』)は2015年聴いたなかでも大好きなアルバムなんです。まず、このタイトルとジャケットがすごくいいですよね。あなたの音楽はグルーヴィーで踊れる音楽でもあると思うんですが、それとは対照的に「座って考えて」というタイトルで、ジャケットには椅子の絵が描かれています。

CB:このアルバムの多く毎日つけている日記にインスピレーションも受けてるんだけど、そういうのを書いてるときって日常についてじっくり考えることができる。だから私の日常を反映した内容になっていると思うな。それから、なんていうかなぁ。自分と向き合って作ったから、瞑想的な感じ(笑)? そういうフィーリングが強いかも。曲を書くときは集中するために都会を出て、田舎へ行ったりすることもあるな。私のライヴはエネルギッシュだけど、それとは反対に歌ってること内省的だったりする。こんな感じで、私はそういう対象的なものが混在しているのが好き。

あなたが音楽に夢中になった理由を教えてもらえますか?

CB:音楽にハマったのは10歳のときで、そのときから私はギターをはじめた。そういうピュアなときって、取り憑かれたように練習するでしょ? だから弾き方もどんどん上手くなっていって、曲を覚えるのが単純に楽しかった。それから曲を書くようになるんだけど、それが自分のコミュニケーション手段になると気づけたのは大きかったと思う。普段は言葉で言えない気持ちとか考えを音楽なら伝えられるわけだもん。時間が経つにつれて、自分の歌から何かを感じ取ってくれるひとも増えてきて、これって超ポジティヴなことだなって気づいた。えと、ちゃんと説明できてるかわからないけど(笑)。

10歳のとき、最初はアコースティック・ギター?

CB:うん。はじめは家族の知り合いがアコギを貸してくれたんだけど、ボロくてチューニングがすぐズレちゃうやつだった(笑)。でも私は本気で練習したかったから、親に頼んで新しいのを誕生日に買ってもらったのよ。

いまのポップ・ミュージックって、シンセであったりとか、エレクトロニクスが入っているのがほとんどです。しかし、昨日のライヴやアルバムも、あなたは昔ながらのギター・サウンドに拘っています。それはなぜですか?

CB:昔、実家で親がクラシックとかジャズを聴いていて、私はニール・ヤングとかを聴いてた。だから、あんまりエレクトロ系とかメジャーなポップ・ソングにハマったことがないのよね。だからそれは関係あるんじゃないかな。あと楽器が少ない生な音とライヴ感があるものが大好き。そういう音楽には曲を作ったひとのエネルギーが込められているような感じがしない? そこにはスタジオを歩く足音が聞こえてきそうな臨場感があるからすっごくワクワクする。

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ポップ・ミュージックが人気である時間ってほんの一瞬だし、そこにはお金と広告がすごく絡んでる。それとは反対に、自分にいまでも響く音楽は年代を問わずにつねに新しく聴こえる。だから、ロックや本物の音楽はいまでも時間を超越することができるんじゃないのかな。


Courtney Barnett
Sometimes I Sit and Think, and Sometimes I Just Sit

Marathon Artists/トラフィック

Indie Rock

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目標にしていたミュージシャンは誰ですか?

CB:うーん、自分が小さかったときにお兄ちゃんがジミ・ヘンドリクス(注:本来ならロックの最初のスーパースターになるべく男だったが、人種的偏見がそれを阻んだとも言われる)とかニルヴァーナとか聴かせてくれたな。私、左利きでギターも左なんだけど、彼らもそうだからインスパイアされたのかも(笑)。PJハーヴェイやパティ・スミス、トーキング・ヘッズ、テレヴィジョン……、絞りきれないけどそういう人たちがお気に入りよ。

小原(カメラマン)はニルヴァーナだと言って、僕はヴェルヴェット・アンダーグラウンドの『ローデッド』みたいなアルバムだと思ったんですけど、どっちの感想が言われて嬉しいですか?

CB:へー、そうなんだ(笑)。うーん、両方かな。私はいろんなタイプの音楽に影響を受けてきたから、ヴェルヴェッツもグランジも好き。自分の音楽にはそのふたつの要素が入っているんじゃないかな。そうやって聴いてくれるひとによって、違う要素を見つけてくれるのは楽しいし、すごく嬉しい。

言葉を喋るような歌い方はどこから来ているんですか?

CB:自分で曲を作りはじめたとき、ギターを弾きながら自分の日記を読み上げてメロディをつけてたんだけど、そのときに自分のスタイルができたと思う。それに私は自分のことをいいシンガーだと思ってなかったから、歌と喋りの中間っていう歌い方はすごく心地よかった(笑)。そうすれば緊張もしないし、自分の言いいたいこともはっきりと言えたのは大きかったな。

おしゃべり好きだったから、ああいう歌い方になったのか、あるいは喋れないんだけどギターを持つと喋れるようになるのか、どっちなんでしょうか?

CB:うーん……。私はそんなに喋る方じゃないかなぁ。すくなくとも普段はね(笑)。子どものときに私があまりにも喋らないものだから、親がすごく心配してたのを覚えてる(笑)。でも自分の内側に思いはあったから、それをアウトプットする方法として音楽が私にはあるって感じかな。

ちなみに理想とする歌詞は誰のものですか?

CB:うーん、答えられないかも。それぞれにいいものがあるからな……。

じゃあもしカヴァーをやるとしたら誰を選びますか?

CB:レモンヘッズとかはカヴァーしたことある。うーん、その質問の答えもすぐには思い浮かばないな(笑)。

ギタリストとしてインスパイアーされたアーティストはいるんですか?

CB:さっきも出てきたけど、ジミ・ヘンドリクスだと思う。サウンド的にはニール・ヤング&クレイジー・ホースが好き。最近だとスティーヴン・マルクマスとか。

ピックを使わずに指でずっと弾いてきたんですか?

CB:うん、ずっとそうやって弾いてきた。弾き語りをはじめたときから、あんまりピックの音が好きじゃなくってね。あとピックよりも指で弾いた方がリズムにもノりやすかった。

子どもの頃になりたかったものって、ほかに何かありましたか?

CB:いろいろあったな(笑)。当時から音楽に興味があったけど、漫画家になりたかったし、動物が好きだから動物園でも働いてみたかった。あとプロのテニス選手(笑)。

えー。では、あなたの生まれ育った場所を比喩的な言葉を使って説明してもらえますか?

CB:生まれたのはタスマニアで、育ったのはシドニー。具体的でもいい? ビーチやサーフィンが有名で、私が子どもだったときは、水辺や茂みをみんなで走り回ってた。

なんか、すごくのびのびとした少女時代を過ごしてるじゃないですか! さっきあなたが挙げたロック・ミュージシャンたちは、心のどこかに屈折感があるでしょ?

CB:そういえばそうかもね。でも私の家はすごくハッピーだった(笑)。

ではあなたは、あなたの好きな音楽のどういうところに共感を覚えるんですか? あるいは彼らの何があなたに突き刺さったんでしょうか?

CB:小さいときに歌詞の内容を完ぺきに理解していたわけじゃなくて、音楽から伝わってくるエネルギーに惹かれたというかな……。自分が歌詞を書くようになってから聴き方も変わってきたから、どう影響を受けてきたのかは断定できない。でもたしかなのは、昔から男女関係とか車について歌ってるようなポップ・ミュージックには全然興味なかった。自分が好きなミュージシャンはもっと深いところに響くものを歌っているように思えたし、私はそういう歌に考えさせられてきた。それが正しい理解であるかどうかは抜きにしてね。

その影響がこのジャケットに描かれている椅子に象徴されるようなことなんでしょうかね。

CB:タイトルとジャケットにそれが反映されているのは間違いないよね。それから、時間をかけて物事を別の角度から観察してみることのメタファーに、そのふたつはなっているつもり。

では最後の質問です。ロックにはそれなりの歴史があって、いろいろな偉大なミュージシャンや多くの傑作が生まれてきました。いまこの時代でもしロックという音楽が機能するとしたら、どのような機能があると思いますか? いまでも往年のクラシック・ロックは人気がありますが、あなたのような新しい世代のロックは過去の名盤よりも軽視されがちなところがあるように思ういますので。

CB:そうだなぁ……。機能というか、音楽のよさっていうものは、それがどう良いのかによって判断されるべきでしょう? クラシック・アルバムには人気のものもあるし、忘れ去られるものがあるし、出てから10年後に人気になるものもある。そういう音楽、つまり本物の音楽って、いまのポップ・ミュージックと比べることはできないものだと思う。だっていまのポップ・ミュージックが人気である時間ってほんの一瞬だし、そこにはお金と広告がすごく絡んでる。それとは反対に、自分にいまでも響く音楽は年代を問わずにつねに新しく聴こえる。だから、軽くてつまんないポップと違って、ロックや本物の音楽はいまでも時間を超越することができるんじゃないのかな。

Millie & Andrea - ele-king

  現代のエレクトリック・ミュージックを代表するレーベルのひとつ、UKの〈モダン・ラヴ〉に所属するアンディ・ストットとデムダイク・ステアのマイルズ・ウィテカーによるプロジェクト、ミリー&アンドレアの来日公演が決定した。
2014年のアルバム『ドロップ・ザ・ヴァウェルズ』はインダストリアルかつ、ふたりのジャングルのバックグラウンドもかいま見える傑作。そのリリース後にアンディとデムダイクは来日ツアーも行ったものの、ミリー&アンドレアとしてステージに上がることはなかった。
この約2年の間にも数々のリリースでシーンを沸かせてきたふたりが、今回の来日でどのようなライヴ・セットを披露するのかに期待しよう。東京公演にはヤジとハルカによるツイン・ピークスや、国内でのライヴは久しぶりのエナ、独自のテクノ/ノイズ観を探求するコバらが出演。

root & branch presents UBIK
Millie & Andrea

日程:2016年2月26日金曜日
会場:東京 代官山 UNIT
時間:Open/ Start 23:30
出演:
Millie & Andrea (Modern Love, UK) Live
Twin Peaks (Future Terror, Black Smoker) 3 Hours Set
ENA (7even, Samurai Horo) Live
Koba (form.)
料金:¥3,500 (Advance) 1.23 sat on SALE!!
Information: 03-5459-8630 (UNIT)
https://www.unit-tokyo.com/
Ticket Outlets:
PIA (287-002), LAWSON (70967), e+ (eplus.jp), diskunion CLUB MUSIC SHOP (渋谷, 新宿, 下北沢), diskunion 吉祥寺, TECHNIQUE, JET SET TOKYO, DISC SHOP ZERO, clubberia, RA Japan, UNIT

【Millie & Andrea 大阪公演】
日程:2016年2月27日土曜日
会場:大阪 心斎橋 CIRCUS
出演:Millie & Andrea (Modren Love, UK)
more acts to be announced!!
時間:Open/ Start 23:00
料金:¥2,500 (Advance), ¥3,000 (Door)
Information: 06-6241-3822 (CIRCUS)
Ticket: https://peatix.com/event/141308


Millie & Andrea (Modern Love, UK)


2008年に結成されたMILLIE & ANDREAは、MODERN LOVE傘下のヴァイナル・レーベルDAPHNEからハンドメイド仕様ヴァイナルを2008年から2010年の間にゲリラ的に限定リリースして、カルトな話題を集めた。作品をリリースする度にその評価を拡大させ続けているANDY STOTTは、2014年11月にリリースした『Faith In Strangers』でポスト・インダストリアル・ブームを凌駕する充実度と多面性を以て圧倒的存在感を示した。MILES WHITTAKERは、DEMDIKE STAREで幽玄的なインダストリアル・サウンドの美学を追究、多くのリスナー層に訴求するその普遍性を兼ね備えた作品は世界中で賞賛されている。2014年初頭、500枚限定ヴァイナルでリリースされ即日完売となった最新ベースサウンド~トラップに挑んだ作品「Stage 2」で更なる注目を集めた。同年4月には満を持してアルバム『Drop The Vowels』をリリースした。制作に2年の歳月を掛けたこのアルバムは、彼等の飽くなきビートの追求が結実した傑作として、ダブ~ミニマル~ベースミュージック~インダストリアルを通過した孤高のストリート・ベース・サウンドの金字塔として大きな話題となった。多忙な個々の活動の為、中々実現しなかったMILLIE & ANDREAとしての超レアなライヴ・セット、お見逃しのない様に!

ENA (7even, Samurai Horo)

Drum & Bassから派生した独自な音楽の評価が高く、ジャンルを問わないTop DJからのサポートを受け、Resident AdvisorのPodcastに自身の曲を中心としたMixを提供。多数のレーベルからリリースを重ねると同時に、楽曲のクオリティの高さからミキシング/マスタリングの評価も高く、様々な作品にエンジニアリングでも参加。7even Recordings, Samurai Horoなどヨーロッパを中心に多数の作品をリリース。
https://ena-1.flavors.me/

Twin Peaks (Future Terror, Black Smoker)

Black Smoker RecordsのYaziとFuture TerrorのHarukaの友情に基づいたコンビ。様々な手法、機材を導入したそのセットはDJとライブのハイブリッド。それぞれの音楽的な背景を活かしてはいるが、どちらのDJともかけ離れた世界観を提示。

Koba (form.)

線の細いキック、マシンノイズが混じったハードウェア産ベースライン、硬質なハイハット、ダブルアクションのスネア。徹底したマテリアルの配置と、その裏側から大きくうねり次第に厚みを増していくグルーヴに抱き合わせた「緊張感」と「高揚感」を投げ込むDJ / Producer。「温度」に固執した楽曲の選定は、ミニマルミュージックの根底に在る「変化に伴うリズムの層と層の浮き沈み」を簡潔に提示し、そこにオリジナルの素材を組み込む事で確立するサウンドTechno / Dubの解釈を広義に着地させる。2010年より、音楽行為において「演奏」に到達するまでの着想を様々な媒体でコミュニケートする極建設的DJレーベル「form. (フォーム)」を展開。翌2011年には、レーベル初のリリースとなるMIX CD「Thought to Describe」を発表。自身のダブプロダクトを再認識する為のライブレコーディングをコンポジットした。現在は「form.」の企画・運営と、「SOLISTA」にてレジデントDJを勤める。
www.soundcloud.com/koba-form

A Guide For The Catastrophist - ele-king

 トータスによる約7年ぶり7作めのニュー・アルバム『ザ・カタストロフィスト』。多様な音楽性を折衷し、ひとつの時代を築きつつ20年にわたって飽くことなき実験を繰り返してきたバンドによる新作──ヨ・ラ・テンゴのジョージア・ハブリーが歌い、デヴィッド・エセックスのカヴァーまで登場する本作を“読み解く”ために聴いておきたいアルバムを約10枚ご紹介。

Tortoise - Tortoise (Thrill Jockey 1994)


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 記念すべきファースト・アルバム。「亀」というロックバンドらしからぬ名を冠した彼らの歩みはここからはじまった。ジョン・マッケンタイアの出自であるハードコアやダグ・マッカムな叙情的なメロディが生々しくも未分化まま、乾いた熱量と共に封じ込められている。ポストパンク的ともいえるダビーな処理や電子音への耽溺に加え、サウンドのポスト・プロダクション的実験も行われており、90年代のポスト・ロックの鼓動が聴こえてくる。(D)

Tortoise - Millions Now Living Will Never Die (Thrill Jockey 1996)


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 トータスの名を一気に広めることになった傑作セカンド。ポスト・プロダクション志向はさらに強まり、演奏と編集、編集と作曲の境界をスムーズに遡行/移行しながら、90年代のポスト・ロックの基本形を完成させた。ジャーマン・ロックや電子音楽の影響を臆さずに導入し、90年代中期のDJモード=リスナー主義的な雰囲気も象徴している。乾いたギターの音色や旋律に、グランジ以降を「生き延びてしまった」ロックの叙情性を感じる。(D)

Tortoise - A Digest Compendium Of The Tortoise's World (Tokuma Japan Communications 1996)


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 ファースト・アルバム収録曲や95年リリースのリミックス盤、さらには初期7インチ盤などを収録したコンピレーションアルバム。ジャズ、ヒップホップ、テクノ、音響派、電子音楽、映画音楽など多種多様な音楽のショウケースといった趣で、いま聴きなおすとバンドの試行錯誤が刻印されているのがわかる。傑作セカンド・アルバムへと繋がっていくエレメントをはっきりと聴き取ることができる。スティーヴ・アルビニのリミックス曲も注目。(D)

Tortoise - TNT (Thrill Jockey 1998)


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 トータス初期の歩みの集大成にして彼らの代表作。ハードディスク・レコーディングを大幅に導入し、編集と作曲の境界はさらに滑らかに。シカゴ音響派の代表格といわれる彼らだが、この作品においてストラクチャー志向にモード・チェンジしている点は重要なポイントに思える。ジャズ的なものに接近しているのは本アルバムでジェフ・パーカーが正式メンバーになった影響大か。印象的なアートワークはメンバーのジョン・エルドンの落書き。(D)

Tortoise - Standards (Thrill Jockey 2001)


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 トータス史上、もっとも過激で、もっとも過剰で、もっとも怒りに満ちているアルバム。『TNT』的洗練への反動か、穏やかなムードをあえて破壊するようなノイジーなサウンドが展開されている。1曲め“Sensca”のエレクトリック・ギターはジミヘンの霊が乗り移ったかのようだし、ドラミングはハードコアの亡霊のよう。機材もハードディスク編集からアナログ機材へと回帰し、その太い音像が魅力的だ。過渡期故の過剰な魅力が本作にはある。(D)

Tortoise - It's All Around You (Thrill Jockey 2004)


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 前作が「破壊」とするなら、本作は「再生」だろうか。リラクシンなムードが漂う中、緻密に再構成させるサウンドは『TNT』を想像させるが、前作の過剰なポスト・プロダクションを経由したそのサウンドは、トータス史上、最大級に洗練されており、ストラクチャー志向であった『TNT』よりも、サウンド志向の強いアルバムともいえる。本作においてトータスは初めて演奏と音響の融合に成功したといえるのではないか。声の導入もバンド初。(D)

Tortoise - Beacons Of Ancestorship (Thrill Jockey - 2009)


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 『イッツ・オール・アラウンド・ユー』から5年を経て発表された6枚めのアルバム(06年にボニー・プリンス・ビリーとの競演作を発表していたが)。前作がサウンドなら本作は演奏に焦点を当てたアルバムか。あるい『スタンダーズ』に内包していた過激さの再認識か。プログレッシヴ・ロックを彷彿させる叙情的でダイナミックな演奏はロック・バンド・トータスの面目躍如といった趣。以降、7年間、オリジナル・アルバムのリリースは途絶える。(D)

Various - CHICAGO 2018... It's Gonna Change (Clearspot 2000)


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 独人ジャーナリスト主導で、現地コーディネーターにジム・オルークと〈スリル・ジョッキー〉のベッティナを立てたオムニバス。『Eureka』と『Insignificance』の狭間にいたジム、ポスト『TNT』としての『Standards』を世に問うたばかりのトータスはもちろん、サム・プレコップ、ケン・ヴァンダーマーク、アイソトープ217など2枚組にぎっしり18組。バンディ・K・ブラウンやプルマン、トー2000など、往時を偲ばせるメンツもふくめ、(はからずも?)90年代オルタナ~ポストロック~音響万博の趣だが、過渡期ならではの多様性はいまもってまぶしい。表題は「2018年――シカゴは変わっているだろう」の意。しかし予言の年を迎える前にシーンは激変した。(松)

Terry Riley - In C (Columbia Masterworks - 1968)


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 ジェフ・パーカーによれば「Gesceap」は「In C」を参照したとのことだが、同じライリーの「Rainbow In Curved Air」(69年)のラーガ的モードも彷彿させる。「In C」はミニマル・ミュージックの代表作のひとつで、すべてハ長調の短い53個のフレーズをモジュールに見立て、その反復と連動が楽曲を構造化する、ミニマル・ミュージックの代表曲だけあって、ロック畑にも無数に援用(ときに誤用)されてきたが、トータスはミニマルの解釈と更新において頭ひとつ抜けているようだ。(松)

David Essex - Rock On (CBS 1973)


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 英国のポップ・シンガーの、タイトル曲がビルボードでもヒットしたデビュー作。73年のUKといえば、ボウイは前年の『ジギー・スターダスト』で押しも押されもしない☆となり、ゲイリー・グリッターがチャートを席巻する、グラム全盛の潮流を見越したふしは冒頭の“Lamplight(邦題:魔法のランプ)”にうかがえるが、アメリカン・オールディーズやシングルB面のバラード“On And On”など、音楽性は幅広く、なかでも“Rock On”はつづく“Ocean Girl”と併せ、レゲエ~カリブ音楽の影響大で、幼少期のトータスの面々をとらえたのもむべなるかな。エントロピーが高まる世相のなかで、その引き算の戦略が新鮮かつセクシーだったのだろう、エセックスはのちに俳優業でそれをふるうことになる。(松)

George Lewis - Voyager (Avant 1993)


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 ジェフ・パーカーのいうシカゴの即興コミュニティとコラボレートした作品とはどのようなものか。発言ではうかがい知れなかったので妄想で、このようなものだったんじゃなかろうかと導き出したのがこちら。アンソニー・ブラクストンと並ぶAACM──ジェフ・パーカーもその一員──の論客であるトロンボニスト、ルイスによる自作即興対応ソフトウェア「Voyager」とのマンマシーン・インプロヴィゼーション集。発表当時は、アカデミシャンだけあって、気宇壮大なこころみのわりにDX7的な音色のダサさに耳がいって仕方なかったが、あらためて聴くとなかなかどうして味わい深い。シンクラヴィアと同じ寝かしどきの問題か、数日前ブーレーズを聴き直したせいか?(松)

Yo La Tengo - Fade (Matador 2013)


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 ホーボーケンの守り刀にしてUSインディの要石、ヨ・ラ・テンゴのスタジオ作13枚めのプロデュースは20年来の旧友ジョン・マッケンタイア。不変のスタンスはそのままに、しかし3年前の『Popular Songs』以上に濃縮した曲ごとの旨味をジョンマケのツボを押さえた音づくりがひきたてる。ほんのりサイケかつアシッドな風味はジョージアがヴォーカルをとった“Yonder Blue”に3年越しにフィードバックしていくかのよう。ジェフ・パーカーが2曲めで弦アレンジを担当。ロブ・マズレクらの参加も色どりを添えている。(松)

Chicago Underground Duo - Locus (Northern Spy 2014)


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 そのロブとチャド・テイラーによるシカゴ・アンダーグラウンドのデュオ名義は7作目にあたる最新作で電子音と即興によるこれまでの鋭角的な作風から新世代のジャズを念頭に置いたそれに舵を切った。ボウイの遺作への参加でときのひとになっ(てしまっ)たマーク・ジュリアナのように、抽象と抑制より具体と饒舌を前に、エチオピアン・ジャズやらIDMやらをおりこみながら『ザ・カタストロフィスト』に通ずる音色でコンパクトかつグルーヴィに攻める、なんと巧みで聡明なひとたちであることか。(松)

『カタストロフィスト』のかたわらに - ele-king

 10年、いや15年前まではマニアックな音盤を手に入れるなら、幸運を祈るか大枚をはたくしかなかった。発掘音源であれ再発であれ、純粋な新作であっても、極端にリスナーのすくない音盤はリリースされた瞬間から残部僅少で、しかるべき筋にあたるか足で稼ぐしかない。電子音楽や実験音楽、アングラなジャズ、ロック、異形のポップ、カルトスターたちの奇盤、珍盤、廃盤、海賊盤はよくないけども、売り切れは彼らとの永遠の別れを意味し、買おうにも刷り部数が3桁以内なら、プレス工場から好事家の棚に直行するようなものであり、あとはディーラーとコレクターの独壇場、ビギナーにとっては焼け野原である。音楽が骨董あつかいされることへの呪いにちかい批判は本稿後半でおこなうとして、そのまえに、私は本媒体がたちあがって日もあさいころだから、4、5数年前になるが、コラムでフルクサスについて連続して書いたとき、次はヘンリー・フリントかワルテル・マルケッティにしよと思った。思ったまま、放置してしまったのはひとえに私の不徳のいたすところだが、そもそもそう考えたのは、彼らはこの手のひとにしては比較的まとまった数の作品があったからである。

「2004年2月26日、63歳のヴァイオリニストで、作曲家、哲学者、作家のヘンリー・フリントが珍しくラジオ番組に出演した。それは、ラジオ番組の司会者で、詩人、そしてオンライン・アーカイヴのサイトUbuWebの創設者のケニー・G(スムースジャズのスターではない方の)——本名ケネス・ゴールドスミス——のゲスト出演者としてだった」

 デイヴィッド・グラブスは著書『レコードは風景をだいなしにする ジョン・ケージと録音物たち』の「はじめに」「序章」につづく第1章「ラジオから流れるヘンリー・フリント」をこのように書きおこす。本文はつづけて、この放送を聞き逃したとしても、ご心配にはおよびません。というのも、番組の音源はそこで流した曲のリストとともにUbuWebに3時間におよぶMP3ファイルとしてアップしてあるからだ、とつづく。グラブスにしたがってUbuWebのフリントのページを開くと、いちばん下に番組の音源がのこっており、クリックすると老境にさしかかったフリントの声がいまも聴ける、いつでも聴ける。来年でも再来年も、再来年のつぎをどういうかは知らないが、そこでも、UbuWebが存在し、全面的なコンテンツの見直しでもないかぎり未来永劫聴くことができる。

 つくづくいい時代になった。私だけでなくだれもがそう思うにちがいない。喫茶店や会議室で、ウィットに富んだ会話を交わしながら知らない名称やトピックをPCやスマホで検索する輩にはなおのことそうだろう。もっとも、ひとがしゃべっているときに画面を見るのはおよしなさい。
 ところがこれには注意が必要だ。あなたのいま聴いているフリントのインタヴュー音源はすでに十年前の出来事イベントなのである。
 グラブスは録音物が宿命的に帯びる反復聴取とそこに積もる時間の経過、交換可能な商品としての録音物、それと録音の差異、ひいては音を録る行為そのもの、フィジカルからデジタルにいたるメディア(媒体)の変遷史およびそれが録音物にあたえた(る)影響を、彼のはじめての本で丹念にたどっていく。伴奏者はジョン・ケージ。ケージをめぐる本は地球上に無数にあるが、彼の音楽が内在的に必然的にはらむ問題の系を更新するともにあらたに提起する野心的なとりくみで本書はとりわけ重要である。

 まず、レコードからデジタルへメディアがきりかわり、よりハイファイに音楽を聴く環境が整ったことをグラブスは評価する、これには目をみはった。というのも、私たちはアナログとデジタルではアナログに軍配をあげるのが粋な通人と考えがちだからである。むろん私もその一派で、長年レコードの音のまろやかさと芯の太さこそ音楽を聴く悦びと思い生きていた。グラブスの問題提起を要約するとこうなる。モートン・フェルドマンのような「まばらで抑制的な」しかも長時間およぶ楽曲を再生するには、収録時間が長く原理的にノイズのない再生環境が適している。そのほうが作曲者の意図──を汲んだ演奏者の意図──によりちかい。私たちはフェルドマンをメタリカなみの音量で聴くこともできるし逆もまたしかり。リスナー主導型の聴取スタイルはレコードを歴史と作者の思惑から切り離し、個々人の用途に奉仕する方向へうながしたが、音楽の誕生当時の狙いを精確に再現するには分解能やSN比も視野に入れるべきではないか。「Play Loud」の但し書きのあるレコードはいっぱいあっても「Play Quiet」と書き添えたものはほとんどみない。これはつまり、レコードを聴くとはいうまでもなく「集中的聴取」であるからか、あるいは、音楽は音のおりなす美学であるため、無音ないし微音、雑音は音楽にあたらない。どうも後者である気がしてならない。でなければ、代々木オフサイト、ヴァンデルヴァイサー楽派が21世紀に存在感を示した理由がない。グラブスは本書でおもに20世紀音楽を論じているが、音響以後の2000年代の傾向は1950年代(「4分33秒」の初演は1952年、チュードアの手になる)に端を発し、60年代を通じてテクノロジーとの相関で避けて通れないものになったと言外ににじませている。
 音楽と音はおなじなのかちがうのか、ちがうならどうちがうのか。
 ケージのたてた沈黙の問いを二項対立で解こうとするからおかしなことになる。おなじく音楽と音を峻別し、それぞれに個別にあたるのも無効である。前者を社会学者的(な広く浅い)知見、後者を専門家的(狭く深い)それとするなら、結局どちらも無難にならざるをえない。『別冊ele-king』第4号での岸野雄一の「ケージの理論はケージにしか使えない(中略)ケージの理論を援用して実現された音楽も、ケージの理論を援用して他の音楽を繙こうとした批評も、面白いと思ったものはひとつもない」という発言の行間にはおそらくそのような問題意識が横たわっている。ケージでもベンヤミンでもマクルーハンでもリオタールでもいい、彼らのことばのキャッチーなところだけとりだして見出しでわかった気にならないことだ。そもそもわかるとはなにがわかるのか。わかるとは思考停止のいいかえにすぎないのではないか。私たちは引用を相田みつをめいた手ごろな箴言ととらえるのではなく、自身の文脈にムリに沿わせるのではなく、そこにできた外部の嵌入する裂け目ととらえなければ断片はたやすく情報に堕す。音楽と音も似た関係にあり、両者の截然と区別できず、不断に嵌入し合う状態をケージは作曲であらためて耳に聞こえるものにしたかったのではないか。たとえ沈黙の側についたにしても、沈黙の底から躁がしさが沸きあがってくる、と古井由吉が書きそうな耳のありかた。ケージは鈴木大拙からそれをうけとり、おそらく折衷的なやりかたで彼の作曲の方法の一部とした。

 そんなある日、私はレコード屋でアルバイトしていると午前中で人気のない店内にひとりの女性客があらわれた。レジに立ち慣れると、お客さんがなにを求めやってきたか、年恰好、立ち居ふるまいでわかるようになるのは不思議である。私はああこの妙齢の女性は購入された商品に不備があったんだな、と直感した。眉間のシワがけわしい。案の定、妙齢の女性は陳列棚のCDに目もくれず一直線に私のほうへ歩み寄ってこういった。
「不良品なので交換してください」といって妙齢の女性はCDをさしだした。もうしおくれたが、これは90年代なかごろの話です。Jポップの呼称が定着し猫の杓子もCDを買った音楽業界の方々の夢の時代のことだ。
 わかりました、と私はいった。確認します。といっても、ご覧にとおり、店内にはバイトの私以外、だれもいない。社員と先輩バイトは客がいないのをいいことにウラで一服しているのだろう。音楽に携わる人間はスロースターターなのだ。レジを空けるわけにもいかない。仕方なく私は店内放送用のプレイヤーにCDをいれた。どういった不備でしょうか、と私は訊いた。ノイズが聞こえるんです、と妙齢の女性は答えた。何曲めですか。1曲めです。
 わかりました。かけてみると、ヒップホップに影響を受けたミドルテンポのファンキーなトラックがかっこいいディーヴァもののJポップ(どうしてもだれのCDだったか思い出せない)、90年代はこういった音楽がハシカのごとくはやったが、私と妙齢の女性はそのグルーヴに身じろぎもしない。ありましたでしょ、と妙齢の女性はいう。私はまったくわからない。もう一度頭からかける。30秒も経たず、妙齢の女性はやっぱりありましたね、という。Aメロから先にいけない。何度かけても聞こえるんですよ、と妙齢の女性がぷりぷりするぶん、私はへどもどする。ハードコアやノイズの聴きすぎで耳がバカになったのだろうか、と焦った。もうしわけありませんが、ノイズが聞こえた時点で教えていただけますか、と私はお願いした。3度めにかけるやいなや妙齢の女性は天上のスピーカーを指さした。ここです! その仕草に、私は仏陀が生まれてすぐ天を指して「天上天下唯我独尊」といった姿をかさねてひれふしそうになった。
 ──いわれてみればたしかにそうだ。ノイズである。レコードの針音のサンプリングが数秒間。CDなのにあたかもターンテーブルでかけているような錯覚、というより記号が喚起するものを狙ったプロデュース・ワークであるが、彼女はそれをノイズととらえた。私は彼女に、これはこれこれこういった意図の音楽上の演出なのでほかの商品にもかならずはいっています、と説明しおひきとり願ったが、内心おどろいた。そしてそのおどろきの意味するところは『レコードは風景をだいなしにする』を読むと前と後ではちがったものになった。彼女はCDというノイズのない媒体の特性を前景化し、私は音楽をいわゆる文脈で聴いた。テクノロジーと音楽の歴史がそこで交錯する。どちらが上か下ではない。

 ケージの著書『サイレンス』所収の「無についてのレクチャー」の最後にこうある。「テキサス出身の/女性は言った/テキサスには/音楽がない/テキサスに音楽が/ない理由は/テキサスにレコードがあるから/テキサスにレコードをなくそう/そうすればみんな歌いだす」これは『レコードは風景をだいなしにする』の第5章「テキサスからレコードをなくせ」冒頭に引用されている(引用は同書より)。以上の文の前にケージは以下の文を置いた。

 「中国の青銅製品/なんていいんだろう/だがこの美しい品々は/他人が/作ったものであり/所有欲を/かき立てがちだが/私は自分が何も/所有していないのを/知っている/レコード収集/それは音楽ではない/蓄音機/は楽器ではなく/ひとつの/ものである/ものは別のものにつながるが/楽器は/無に/つながっている(中略)それに/LPレコード/ですら/ものなのだ」(ジョン・ケージ『サイレンス』水声社/p222〜22 引用にあたり約物を省き、アキと改行を「/」であらわした)

 のちにケージみずから「Indeterminacy(不確定性)」にももちいたこの一文がこの本の通奏低音になっていることは火をみるよりあきらかである。くりかえしになるが、グラブスはレコードによる音楽の反復聴取、所有と共有、さらに音楽を録ることそのものに彼の思考は遡行する。レコードと磁気テープ(ハードディスクといいかえてもいい)の差異、プリントと写真機のちがい、あるいはバルトいうところの「プンクトゥム」、映像とそこに映るもの──他分野との類比にはさらにつっこんだ考察も必要だろう(とくにラカンを掠めるのは感心しない)が、リュク・フェラーリ、ベイリーとAMMとコーネリアス・カーデューなどなど、すでに半世紀とはいわないまでもそれほど前の先達の作品から今日的な問題を剔出する語り口は闊達で鋭く、ユーモアも忘れない(荘子の無用の用のくだりなど、わが身につまされました)。グラブスが研究者であるとともに類い稀な音楽家であることの裏書きではあるが、となると、彼が音楽家として身を立てた90年代、とくにポスロック〜音響の季節以後にこれらの問題はさらにどのような変遷を経て現在にいたるのか、彼の考えを読んでみたくなるのは人情というものだろう。それまで、私たちは本書を読み、そこに登場する作品を聴き考える猶予ができる。さいわいなことに専門店で清水の舞台から飛び降りなくともそれらの音楽にふれるためのトバ口に立てるのが21世紀だと、グラブスもいっている。それほどこの本は現在的であり、くりかえすが、きわめて野心的なこころみである。

追記:
と書いたところで、デイヴィッド・グラブスさんが来日されると知りました。やったね! 彼のCDと本を片手にかけつけましょう!


Tortoise - ele-king

 まずジャケットがいい。それはいまのトータスが、トータス以上でも以下でもないことを簡潔に言い当てる合成写真であり、そこには「ポストロックのオリジネイター」なる称賛あるいはレッテルをゆるりと剥がしてしまう絶妙な脱力感と余裕が漂っている。前作からの6年半のブランクの間に僕が何度か観たライヴでも同様で、メンバー5人が楽器を入れ変えつつハイレベルなアンサンブルを構築していく様はもはやたんなる前提であって、方法論自体は少なくともその場では大した問題ではなく、その瞬間に立ち上がる総体としてのトータスこそがすべてだというような説得力があった。何らかのメッセージもわかりやすいカタルシスもないが、ただ音が――緻密なアンサンブルの「結論」ばかりがおもしろいのである。

 ただ、トータスのライヴを観るたびに笑ってしまうのは、『スタンダーズ』収録の“セネカ”をメンバーがステージ前方に並んで手拍子を煽るのだが(いやべつに煽ってないのかもしれないが)、そのリズムが難しくて観客が即座にはついていけない瞬間である。何度か繰り返すうちに手拍子は揃っていくのだが、そうしたパフォーマンス、言い換えれば彼らなりの「サービス」がある種の複雑さだった時期はたぶんにあって、とくにリズムの実験とテクノロジーのより入り組んだ内面化に取り組んでいたゼロ年代のトータスないしはポストロックを、その受容において必要以上に敷居の高いものにしていたようにも思う。たとえばバトルスのようなバンドがゼロ年代後半にその「高度さ」を称賛されはじめたときにこそ、ユーモアを前面に出したことを思い出してもいいかもしれない。そして、トータスのそもそもの魅力とはけっして高度さだけではなかったはずだ。

 結果的には6年半のブランクがいい熟成期間となったのだろうか、『ザ・カタストロフィスト』にはトータスによるトータスに対する気負いはほとんど聞こえてこない。わたしたちはここで襟を正してポストロックをありがたがらなくてもいい。すんなりとジャズの要素が流れ出してくるタイトル・トラックのオープニングからして『TNT』の時代にワープすることができるし、リズムもずいぶんシンプルだ。もちろんバンドの20年に渡る音の冒険の成果はここで繊細に折り重なっているのだろうが、そうしたものがすっと奥に引っ込むような懐の深さがあって、たとえば“ザ・クリアリング・フィルズ”を聴くとミニマルなリズムのなかに奇妙な立体感を持ったダブ処理が聞こえてくるのだが、それ以上に時間間隔と平衡感覚が攪乱されるような陶酔感が心地いい。シンセやギターが柔らかな叙情を醸すメロディ、素朴にも思えるほどすっと流れていくドラミング。先行シングルの“ゲシープ”には彼ららしいクラウトロックに影響された緩やかなグルーヴ感覚があるし、ミニマルと彼らの重要な出自のひとつであるハードコアが奇妙に出会う“シェイク・ハンズ・ウィズ・デンジャー”の理知的な獰猛さにも痺れる。
 2曲のヴォーカル・トラックも現在のバンドの軽やかな姿勢が表れているのだろう。デイヴィッド・エセックス“ロック・オン”のカヴァーにおける思いがけないファンクと色気、そしてヨ・ラ・テンゴのジョージア・ハブレイがマイクを取る“ヤンダー・ブルー”のメロウなチルアウト……。メランコリックなラスト2曲へとアルバムが向かうときには、ただただそこに流れる緩やかな時間に身を任せることができる。

 すなわちそれこそがトータスらしさだと言えるだろう。トータスはおよそロックが持っていた大仰な意味性を解体したが、トータスそのものに強い意味、ある種の信仰を与えられつつあったいまだからこそ、それ自体を知的に異化してみせている。90年代のトータスを聴くときのように、リラックスしてここに何の物語性を見出さなくてもいい。ややこしい方程式を手放してもいい。トータスの音の結論にこそ没入することのできる、20年越しの見事な解がここにはある。

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