「Nothing」と一致するもの

 ジョン・グラントは、ゲイとして歌うことを少しも恐れていないシンガーだ。その痛み、喜び、孤独、愛を赤裸々にさらけ出し、HIVポジティヴであることも公表し、さらにはその心境をも歌っている。だから彼が日本に来ると聞いたとき、僕が会ってほしいと真っ先に思ったのが田亀源五郎氏だった。田亀氏こそ、日本でゲイとして表現することをもっとも恐れていないアーティストのひとりだからだ。ゲイ・エロティック・アートというのは、ゲイであるということを肯定する、その支えになるはずのものだ。形は違えども、両者の表現にはゲイとして生きることがたしかに刻まれている。
 そうして実現した対談は、想像していた以上に熱を帯びたものになった。ゲイ・カルチャーの現在をヴィヴィッドに伝えるものになったとも思う。僕は立ち会いながら真摯な対話に胸を打たれるばかりだった。

 そして、その貴重な出会いは思わぬ続報をもたらしてくれた。ジョン・グラントは今月のHOSTESS CLUB ALL-NIGHTERで再来日することが決まっているが、その際に田亀源五郎氏がイラストを手がけたジョン・グラントの日本限定Tシャツが発売されるそうだ。田亀源五郎のタッチがたしかに感じられるクールな仕上がり。率直に言って、大手アパレルが手がけたプライド・コレクション系のアイテムよりも、ひと癖もふた癖もある絶妙なものになっていると思う。両者のファンだけでなく、先日の対談で興味を持たれた方にもぜひチェックしていただきたい。

 フロリダのゲイ・クラブで起きた銃乱射事件の数日後、ジョンはコンサートでカイリー・ミノーグをゲストに迎えて“グレイシャー”を歌いあげた。対談でも話題になった曲だ。僕は田亀氏の『弟の夫』の連載を毎月読みながら、その曲の歌い出しのことを思い返す……「自分の人生を生きたいだけ 知る限りのいちばんいいやり方で」。そして『弟の夫』に目を戻すと、そこではゲイたちの「自分の人生」が丹念に描かれている。あらためて、この特別な出会いを祝いたいと思う。 (木津 毅)



屍体×埋葬=? - ele-king

 ゾンビー=屍体、ベリアル=埋葬というわけで、この10インチは墓場のダンスホール、この10年間のUKアンダーグラウンド・シーンにおいて、そのダークさ、そのアンダーグラウンドさでもって、先へ先へ行こうという態度によって、リスナーを魅了してきた2人のキーパーソンによる大注目の曲だ。ベース・ミュージックがどこに行くのかという点、そしてポスト国民投票/ブリグジットのアンダーグラウンド・ミュージックを聴くという点において、まったく興味深い。聴かなければならない1曲である。

 シカゴ・ゲットー・ハウス的な声ネタの反復とベース・ミュージックのもっとも精鋭的な響きとが溶接する。テクノと呼ぶにはダンスを欠いて、ベース・ミュージックと呼ぶにはビートはミニマリスティック。そしてそれは深く深く沈んでいく。BPM的にはクラブでかけられるが、動くのは腰ではなく頭だろう。ひとつ言えるのは、このきつい社会からこぼれ落ちた者たちの居場所を拡張するのは、たとえばこういう音楽だということ(ここまでやってもいいんだという意味で、はみ出すことを恐れないという意味で)。とにかく、まあ格好いい。UKのアンダーグラウンド・ダンス・ミュージック、動いてますねー。

 なお、この曲は9月初旬に〈ハイパーダブ〉からリリースされるゾンビーの4枚目のアルバム『Ultra』からの先行リリース曲。そのアルバムには、ダークスターやテクノ系のRezzett(トリロジー・テープスからの作品で知られる)も参加している。否応なしに期待は高まる。

坂本慎太郎 - ele-king

 世界は転機を迎えている、それは間違いない。日本は自分が望まなかった未来へと進んでいる。ただでさえ中年になるとマイナス志向になってしまうというのに、せめて清水エスパルスが毎回快勝してくれればいいのだがそういうわけにもいかず、現実は厳しいのう。

 『ナマで踊ろう』よりも反復するリズムをいっそう活かし、さらに空間的で艶めかしい音響をモノにした本作『できれば愛を』(の1曲目)を最初に聴いてぼくが真っ先に思ったのは、カンの『フロウ・モーション』だった。それはクラウトロックの王様が、ハワイアン/レゲエ/ディスコに接近した作品で、老練なゆるさがある。が、『できれば愛を』から見たら、『フロウ・モーション』でさえも、やかましい/うるさい/説明的で押しつけがましいな音楽かもしれない。
 これはまず音響的冒険であり、最高のダブ・ミキシングだ。テンポの遅いミニマルなドラムは魅力たっぷりで、そのリズムに絡まるベースがまた独特な間合いで、しかも絶妙にディレイがかけられている。この、あたかも無重力の別世界で生成しているかのようなドラム&ベース=グルーヴは、唯一無二の素晴らしさだ。舌を巻いてしまう。が、アルバムの脱力感は、いま現在のぼくの無気力さと紙一重でもある。その空しさは、後任も決まらないうちに編集部から姿をくらました橋元優歩さん(長い間お疲れ様でした~)が原因ではない、政治的な理由からだ。
 もっとも坂本慎太郎は、表面上は、『ナマで踊ろう』以上に社会問題に深入りすることはしなかった。「できれば愛を」という言葉は、例によって坂本節というか、ある意味ソツがなくカドが立つ言葉ではない。それは彼の一貫した美学でもある。『ナマで踊ろう』はある意味自ら掟を破った作品だったわけだが、今回は、音楽的には前作をアップデートさせながら、じつは言葉的にも引き続き絶望的な気持ちを代弁している。東京都知事選後のいま聴けば特別な意味を帯びてくるだろう。

自分のしたことが招いている
悲しいくらい俺は
恥ずかしいくらい俺は
さみしいくらい俺は
無力だ “超人大会”

 坂本慎太郎がニヒリスティックなのは、いまにはじまったことではない。彼にユーモアがあるのもわかる、それでも、すべてが馬鹿に見えてしまっている“マヌケだね”のような曲に、いまのぼくはどうしても乗れない、愛想笑いすらできない、本当に落ち込んでくるのだ。自分に余裕がないからだろうか。中年だからだろうか。自分が本当に無力でマヌケだかろうだか。いまはそんなふうに抽象的に、自分たちはダメだダメだダメだと繰り返することに意味があるのだろうか……いや、坂本慎太郎には意味があるのだろう。なにかそれなりに強い気持ちがなければこの作品は生まれない。だが、あまりにも現実がひどいせいだ、いまはその抽象性にぼくは違和感を覚える。

 ディスコというのは70年代の音楽であり、ソウルの発展型だ。2016年、ダンス・ミュージックはいまも動いている。カンはさまざまな世界の音楽にコネクトしようとしたし、『フロウ・モーション』にもその痕跡がある。今年のグランストンベリー・フェスティヴァルにおけるデイモン・アルバーンはシリアのオーケストラを招いて演奏した。それは、世界の転機にいる現在の、彼なりのひとつの回答だろう。もちろんそんなことだれもができるわけではないけれど、音楽にはまだできることがある。わかった! 年末号の紙エレキングの特集はこれでいこう。だったら、いまぼくたちに何ができるのか? ただ本当に無力でマヌケなだけなのか?

白川まり奈 妖怪繪物語 - ele-king

オカルト・SF・怪奇漫画界伝説の奇才・白川まり奈、驚愕の未発表作品を発掘! ここに刊行!!

『百鬼夜行絵巻』から鳥山石燕や
『稲生物怪録絵巻』を経て水木しげるに到る、
絵物語としての妖怪画の伝統を受け継ぐ偉業
―東雅夫(アンソロジスト、文芸評論家)

カバーは前面金箔押し+2色印刷
本文は6種類の紙を使い分けた、豪華特殊仕様!

没後15年以上経過する、このミステリアスな作家の作品のほぼすべて絶版。熱狂的なファンが血眼になって古書を探しているなか、未発表原稿が存在した。この「妖怪繪物語」は、白川まり奈が生前にライフワークとして取り組んでいた、幻の原稿である。ミントコンディションにて10数年眠っていた驚愕の内容が今明らかになる!! 解説はアンソロジストの東雅夫。妖怪研究家としての白川まり奈の魅力を解き明かす。

封入特典:
『侵略キノコ新聞』と題した投げ込み特別付録付き。マニア必読の知られざる白川まり奈の世界を紹介する。さらにここには、90年代にある雑誌に発表された、誰も読んだことのないであろう、超短編漫画作品を発掘し収録する!

■目次
第一話 鬼 
第二話 鉄鼠
第三話 九尾狐
第四話 付喪神
第五話 天狗の呪い
第六話 八人坊主ひとねぶり
第七話 輪入道
第八話 ムジナの祟り
第九話 河童

解説:東雅夫
未発表原稿との出会いから書籍化まで:古書ビビビ・馬場幸治



■著者プロフィール
白川まり奈(しらかわ・まりな)
一九四〇年長崎県生まれ。二〇〇〇年没。武蔵野美術大学を中退した後、漫画家、イラストレーターとして活動。オカルト系、SF系作品を曙出版、ひばり書房(二〇〇四年閉業)から多数発表。二〇一六年、現在多くの著作が絶版であるなか、幻の未発表原稿を発掘。今回、生前にライフワークとして取り組んでいたという幻の未発表原稿『妖怪絵ばなし』が『白川まり奈 妖怪繪物語』として書籍化される。

Blood Orange - ele-king

 このアルバムに収録された「撃たないで!」と叫ぶ声を何度か聴いた数日後、バトンルージュで黒人男性アルトン・スターリングが警官に銃殺されたニュースを聞いた。そしてそのすぐ後にはダラスの銃撃事件……。ブラッド・オレンジにとってBlack Lives Matterを象徴する一曲と言えば、昨年の7月に発表され、「肌」をモチーフにした11分にも及ぶ力作“ドゥ・ユー・シー・マイ・スキン・スルー・ザ・フレームス?”だが、それから約1年経ってもアメリカではひとが死に続けている。銃によって、そして人種の問題で。だから本作『フリータウン・サウンド』も、ケンドリック・ラマー『トゥ・ピンプ・ア・バタフライ』のように、ディアンジェロ『ブラック・メサイア』のように、あるいはビヨンセ『レモネード』のように……ブラック・カルチャーにまつわる時代を象徴するアルバムになってしまった。そしてここからは、とても甘い愛の歌が聞こえる。

 『フリータウン・サウンド』のフリータウンとは、シエラレオネ共和国の首都であり、現在ブラッド・オレンジと名乗るデヴ・ハインズの父の出身地である。ハインズは英国で移民の息子として育ち、あるときはニュー・レイヴ期直前のダンス・パンク・バンドのメンバーであり(テスト・アイシクルズ)、あるときはフォーク・サウンドに手を出していたが(ライトスピード・チャンピオン)、ニューヨークに居を移しブラッド・オレンジとしてR&Bに集中していくことになる。存在としても音楽的にも流浪であり続けたハインズは、自らのアイデンティティをその自由の街に見出した。であるから、自然と「自分はどこから来たのか?」というルーツの問題に取り組むこととなり、前作『キューピッド・デラックス』では母の出身地であるギニアに赴いていたが、本作でもそのテーマを深めようとしている。根本的にはパーソナルなアルバムである。が、そうして西アフリカからの移民であった父と母のことを考えたときに、現在の隣人であり友人であるアフリカン・アメリカンへのシンパシーを覚えるようになったのだろう。
 アシュリー・ヘイズがミッシー・エリオットに捧げる詩の朗読から始まるこのアルバムは、おもに3つの文化によって支えられている。まずはブラック・カルチャー、彼を育んだクィア・カルチャー、そしてフェミニズムだ。“オーガスティン”(アウグスティヌス。ある意味でアフリカ移民であり、ボブ・ディランの歌のモチーフでもある)の瑞々しく感傷的なヴィデオを見るとそれらが彼のなかでどこまでも溶け合っていることがわかる。すなわち、マイノリティであることはハインズにとって最大のアイデンティティであり、そもそもはアフリカン・アメリカンでもなく、ゲイでもなく、女でもない彼こそが、それらを誠実な共感によってここで繋ぎとめようとしているのだ。それはたとえばジャネール・モネイのような存在と緩やかに共振していると言えるかもしれない。ドキュメンタリー映画のサンプルやスポークン・ワードを差しこむなどしつつ、ブラック・カルチャーの多層性を浮かび上がらせんとする挑戦が見て取れる。

 けれども、たとえば2012年に自警団員にアフリカン・アメリカンの少年トレイボン・マーティンが射殺された事件に言及しているという“ハンズ・アップ”にしても、それはとても優しくて聴いているととろけそうなスウィートなR&Bとしてここに出現している。とびきり感傷的な。前作からの80年代R&Bという基本路線は変わらないものの、よりパーカッシヴに、よりソウルフルに、アレンジはより煌びやかになっている。エンプレス・オブことロレリー・ロドリゲスがコケティッシュな歌声を聞かせるバウンシーな“ベスト・オブ”。ズリ・マーリーが切なげに歌うジャジーなピアノ・バラッド“ラヴ・ヤ”。80年代風のシンセ・ファンクでクールな声をデボラ・ハリーが響かせる“E.V.P.”。カーリー・レイ・ジェプセンが囁くような発話を披露するシンセ・ポップの官能“ベター・ザン・ミー”。様々な女たちが入れ替わり立ち替わり登場し、このフェミニンな世界を作り上げている。プロデューサーでありながら、ダンサーたるハインズはその真ん中で歌って踊る。これが、僕がいま存在するストリートだとでも言わんばかりだ。
 ストリート……わたしたちがニューヨークを想像するときにたぶん思い描くであろう雑多な人間が交差する街角の風景が、このアルバムからは浮かび上がってくるようだ。ほかの街ではマイノリティとして疎外されてきた者たちの集まる場としてのストリート、そこではリズムに任せて誰もが踊っている。ジャズとファンクとヒップホップ、それらを緩やかに繋ぎとめるラヴ・ソングとしてのR&B。前作に比べて1曲1曲が断片的で、その分風景が次々に変わっていくような鮮やかさと動きがこのアルバムにはある。シリアスなテーマを持ちながらも、音の足取りが重くなる瞬間は一度もない。

 荒れ果てる時代に愛という言葉こそ虚しいという声もある。だからこそ愛を訴えることが必要なんだという意見もある。その両方に引っ張られる僕はだから、このアルバムの“ラヴ・ヤ”を聴く。「さあ、僕にきみを愛させて」……そこではそう繰り返される。何度も何度も。僕はある映画の「愛はあるのにそのはけ口がないんだ」という台詞をふと思い出すが、そんなに悲しいことはない。『フリータウン・サウンド』は、デヴ・ハインズが自身の出自をゆっくりと辿りつつ、いま起こっている悲劇を断片的に挿入し、しかしどこまでもひととひとと間に沸き起こる感情について歌うことで、分断された社会に愛することを思い出させようとするアルバムだ。それは逆説的に、いまの引き裂かれた状況を示しているのかもしれない。けれども、ここではたしかにたくさんの人間の息づかいが交わされている……それこそがわたしたちの喜びだと示すかのように。

 生まれて初めて、棄権しようと思った。都知事選のことだ。毎日失望が募る。
 されど都知事選。私は東京が好き。なんてぼーっと思う。で、あれ、私はなんで東京が好きなんだっけ? などと考え始めて思い出したことがある。
 都立高校の入学式のこと。まだ学校群制度が採用されていて、数校がグループとなった「群」を受験して、その中から抽選で合格する学校が決まるのだが、私は寄りによって、家からいちばん遠い学校に当たり、入学式の朝になっても高校進学はちっとも心弾む出来事ではなかったのだった。
 その入学式は、この10数年話題になってきた「荒れる成人式」なんてものではなかった。入学式なのに、新入生の登校前に数百人の上級生が講堂に既にいて、入場する新入生は「おめでとう!」の歓声とともに花吹雪で迎えられるのだ。さすが高校だなあなどとあっけにとられていうちに式次第は進み、校長が登壇する。すると、上級生たちは一段と盛り上がり、歓声や口笛は増し、紙テープが飛び交い始める。しわくちゃな顔の校長はその騒ぎが収まるのをニコニコと待ち、一通りの投げ物が落ち着くと、静かに話し始めた。詳しくは覚えていないが、その中にこんなくだりがあった──「君たちは今日から高校生です。この学校は東京都の税金で運営されています。君たち1人1人に、1年で90万円の税金が使われるのです。これは東京都の大人たちが、東京都の子供たちである君たちを育てるということです」
 15歳の私はなんだか分からないけれど、この話にとても感動したのだった。感動というか、なんだか自分が社会全体に歓迎されていると感じたのだ。金食い虫の厄介者としてではなく、「将来は恩返しを」などという交換条件もなく、ただ見知らぬ大人たちが「育てたい」とお金を出してくれる存在のように、先生は話してくれたのだ。電車とバスを使って通う、もう義務教育ではない高校生になった第1日目に、私は、上級生の紙吹雪ウェルカムだけでなく、東京都という広い世界の大人たちに歓迎してもらっていると感じられたのだ。そして、この学校の入学式にこんなにたくさんの上級生が勝手に出席し、校長の登壇に合わせて騒ぐ理由がよくわかった。みんなこの先生を愛していたのだ。
 この学校は、都立高校の中でも最も「自由な」学校だった。生徒手帳に記載されている校則はふたつ。その1、登校時には学校のバッジをつけること。そしてもうひとつが、校内では上履きを履くこと。他には何もない。服装はもちろん自由だし、髪型や化粧への干渉もない。1年の夏休み明けはすごいことになった。特に女子生徒の化粧やパーマ、服装もすごい。それでも教師たちは何も言わない。けれども二ヶ月も経つと、化粧が上達する者と飽きる者に分かれ、それなりに落ち着いてくる。(ちなみにそこでは、セーラー服は最もエロティックなコスチュームだったよ。)バイクで通う生徒もいた。遠足や修学旅行の行き先は生徒たちが決める。朝礼のようなものはなく、文化祭や体育祭への参加も自由。私はこの学校の校歌を知らない。入学式や卒業式でしか聞いたことがないから。それでも私はこの学校を懐かしく思い出す。時には、自慢気に人に話したりもする。
 しかしそれから時は過ぎ、1999年、国会は国旗国歌法を可決。そして石原慎太郎都政下、式典での国歌斉唱を拒んだ都立高校の教師たちが処分を受ける時代が始まった。あの「自由」な学校でもそりゃあひどいことがたくさん起きていた。さらに都立の養護学校で、先生たちが苦心して考案した、知的障害児たちへの性教育が都議会議員らによって破壊され、難関と言われる都立の中高一貫校では神話と歴史を混同した教科書が使われるようになった。

 もちろん30数年前の日本社会や教育がそんなにいいものってわけじゃなかったことも、そりゃあよく覚えてるよ。性差別にしても他の差別やハラスメントなどにしても、いろいろ考えたら今の方がずっといい。「自由」が何もかもを解決はしないことだって今では私も知っている。だけど、少なくとも高校生の私たちは、何をするにも自由の意味を考えることができていた。少なくともその高校の大人たちにはギリギリまでそれに口を出さずに見守る度量があった。私は、そこで、自由を信じるようになった。自由の途方もなさや自由がもたらす賢さを知った。失敗をも見守られる機会があれば、それを青年たちは学べると知ったのだ。

 思い出話はこのくらいにしよう。ともあれ今年の都知事選は左派リベラル層を失望させている。ようやく実現した「野党統一候補」には東京をどんな都市にしたいかというヴィジョンもプランも見えない。年齢や健康状態、引っ張り出されるスキャンダルよりも何よりも、彼に都政への夢や志があるのかと、幻滅は広がり、投票に行く気さえ失われていく選挙運動の終盤が始まった。
 とはいえ、自民党推薦候補や日本会議系候補に投票する気もしない。ここは鼻をつまんで息を止めてでも野党統候補に投票すべきなのか? かつて青島幸男に投票した汚点を省みて、私はまだ悩んでいる。
 いや、それ以前に、鳥越俊太郎、小池百合子、増田寛也という主要三候補の主張にはほとんど対立がないのはいったいどうしたことなのか? 主張する“ヴィジョン”が見えないのは鳥越俊太郎だけではない。
 
 そこで、3人のホームページで貧困に対する政策を探してみた。すると意外なことに、最も具体的で充実しているのは増田寛也だ。「子どもへの学習支援や食事の提供などを行う場所を創設する」「ひとり親世帯向け職業訓練の充実や保育料の無償化」とある。まあもともと健康保険や年金など、日本の福祉事業を作ってきたのは自民党政権なのだ。問題は、福祉政策の半分を担ってきた公共事業などでの利権が固定しすぎてきたことや、このところ、福祉各方面の切り捨てが加速していること、日本会議の影響力が強まるにつれなのか、国家主義や家族主義的な主張が台頭していることも、左派やリベラルには耐え難いことだろう。弱体化してきた町会や商店会など自民党支持基盤の再利用による地元共同体の強化を訴える小池百合子の政策にはそうした兆しがはっきりと見える。仕事のある女性や男性、すでに子供のいる人(か、その予定者)、“働ける”高齢者・障害者への施策はふんだんにあるが、「貧困」の二文字がそもそも1度もでてこない彼女のホームページに書かれた政策は、そういう意味では非常に一貫している。つまり、彼女の目には自立した個々の人間はいて、地縁が結ぶ古いタイプの共同体はあっても、そこからはみ出る人びとも含めて構成される「社会」という視点が一切ないのだ。まるで遅れてきたマーガレット・サッチャーそのものだ。
 
 そしてさて、“問題の”鳥越俊太郎。ホームページには「すべての子どもに学びの場を提供」「貧困・格差の是正に向けて若者への投資を増やす」「介護職の処遇改善」「特別養護老人ホームの確保」とあるが、とても抽象的で、方法も目標も見えてこない。
 東京のような大都市には、当然さまざまな土地から人がやってくる。農地も工場も持たない人や家族もいない人たちは、一寸法師の昔から、身一つで都市を目指してきた。都市にはそうした人たちが今日から暮らせる安価な宿があり、即日得られる賃仕事が転がっている。そこで拠点を得、なにかの仕事にありつけば、やがて出会いがあり、家族を作って暮らしていける。そういうたくさんの人生を丸ごと受け入れるのが、本来は都市という場所だ。今の東京は、そうした都市の機能をどんどん失っていることが問題なのだと私は思う。(「改革」と候補たちはいうが、私には彼らが、今の東京の何が問題で、どう改革していこうとしているのかが見えないのだが)
 たくさんの人がやってくれば、成功する人もいるし、しない人もいる。しない人の方がはるかに多い。そのような人たちのたくさんの多様な暮らしが存在することこそが、その場所を「都市にする」のだ。小池百合子の政策に一切出てこないその人たちがどう暮らせるか、が、いまの自民党政治に対抗する野党の主張のしどころではないのかと私は思う。つまり「社会」がなければ生きていけない人びとの問題だ。古い共同体式の抑圧なしに、その人たちの個人としての自由を守り、なおかつどんな「社会」を作っていくのかが、東京都には必要なヴィジョンなのではないんだろうか? 日本の左派は、ある意味ではソーシャルな政策を果たしてきた自民党に対抗するために、「リベラル」を押し出しすぎてしまったのだ、たぶん。鳥越俊太郎の主張がかくも抽象的で曖昧なのは、ソーシャルに対して臆病すぎるからじゃないか? 
 念のためだけれど、なぜ成功しなかった人びとを都市が養うことが重要なのか? それは例えばカナダの難民政策を考えてみるとわかる。シリア難民が最も行きたがるカナダは、なぜあんなにも難民に寛容なのか? もちろん人道主義もあるだろう。でもそれよりも重要なのは、多くの難民の中には知識人も金持ちも技術者もたくさんいるということを、彼らは知っているのだ。数千の貧しい難民を受け入れてなお有り余るほどに、社会を豊かにしてくれる人材が「来てくれる」のだ。そういう人たちに来てもらうには、門を開いておくしか方法がない。寛容な難民政策にはそんな打算だってあるんだ。
 東京も同じことだ。国内だけでなく、世界中から優秀な人、愉快な人たちに来て欲しいと望むなら、彼らがもしも失敗しても寛容に迎え入れてくれる街だと分かるように、門を開け続けなければならない。そしてそうした人たちが目指さないような場所は都市とは言えないのです。

Whitney - ele-king

 レイドバックしているのに「棘」がある。 ホイットニーのファースト・アルバム『ライト・アポン・ザ・レイク』を最初に聴いたとき、そう思った。ホイットニーといっても人名ではなくバンド名である。しかもその音楽性は、ザ・バンドのようだ、と書くと洒落か冗談みたいだが、たしかにそうなのだ。しかし真に重要な点は、ザ・バンド的70年代風のフォークロックなのにまったく懐古趣味的ではないという点にある。彼らの演奏や音楽には「いま」の空気が、あふれている。そしてそれは2016年現在の「いま」であって、最先端のモードであるとかないとかなどは関係がない。「いま」はいつの時代でも「いま」である。ついでにいえば、彼らが元スミス・ウエスタンズのドラマー、ジュリアン・エールリヒとギタリスト、マックス・カラセックであることも(それほど)は関係ない(と、あえていってしまいたい)。ホイットニーは、2016年の音楽であり、この夏に鳴り響くべき、いまのフォーク・ロックだ。じじつ、彼らの音楽にはそんな力がある。未聴の方は、まずは“ゴールデン・デイズ”を聴いてほしい。

 曲の、というよりサウンドに不思議な棘を感じないだろうか。70年代的な曲調・演奏なのにリラクシンする直前のなにか。この「棘」と「いま」を、「若さ」という言葉に置きかえてもいいだろう。が、しかし、それは同時代的な現象でしかない「若者」ではない。むしろ時代や歴史を超えても存在する普遍的な「若さ」に思える。そして「若さ」とは、たいてい傷を付けられているものだ。その「若さ」を、より音楽に近づけていえば、たとえばペイル・ファウンテンズなどの80年代ネオ・アコースティックな音楽のような「若さ」ともいえるだろう。かつて80年代のペイルはブリューゲルホーンとゼブンスのコードにのせてバート・バカラック調の曲を歌っていた。2016年のホイットニーはザ・バンドやコリン・ブランストーンのようになろうとしているのだろうか。

 むろん、だれもが知っているようにネオアコ的な「若さ」には、不思議な「老成」もつきまとうものだ。それは歴史が終わったという諦念によるものだろう。しかし、ホイットニーの彼らには「終わった歴史を生きている」という諦念は希薄に思える。現在は2016年なのであって、1983年ではない。1996年でもない。2004年でもない。進化・停滞するリニアな歴史はとうの昔に終焉をむかえた。フラット/平面的な時間軸に置かれた歴史をわれわれは生きはじめているのだ(80年代リヴァイヴァルが終わって次は90年代の番かと思いきや、1971年と1978年が混在し、1983年と1996年が同時にきている感覚。なぜか。たぶん、20世紀が終わったからだ。フォルダ的な、反復的な、リヴァイヴァルが無効になった)。

 では彼らの「棘」はどこにあるのか。音楽的な部分でいえば、肝はジュリアンのドラムにある。全体的にリラクシンな演奏だが、ドラムだけがやや前のめりで、まるで楔を打ち込むような演奏をしているからだ。“ゴールデン・デイズ”を聴けばわかるが、レイドバックした演奏の中に、まるで棘のように打ち込まれるドラムによって、ホイットニーは80年代ネオアコでも90年代のギタポでも00年代のインディでもない「2016年のいま」の音楽になっている。このドラムの「硬さ」が、70年代的レイドバック感覚の音楽に、ヒリヒリとした現在性を注入しているわけだ。ドラムが音楽に同時代性の輪郭線を与えている、とでもいうべきかもしれない。この「若さ」特有のヒリヒリした感覚、つまりは「棘」と「傷」が、もっとも全面化している曲が唯一のインスト曲“レッド・ムーン”ではないかと思う。この前のめりのドラムと、つたないジャズのようなホーンが胸をうつ。

 つぎに重要なエレメントはエレピの響きである。アルバム1曲めはエレピのイントロによる“ノー・ウーマン”ではじまるのだが、このコード感に、かすかに70年代中期のAOR/ディスコ感覚を聴きとることができるはず(彼らの世代でいえばダフトパンクの『ランダム・アクセス・メモリー』の存在が大きいのかもしれない)。その意味で、エレピが全面にフィーチャーされている“ポリー”の「ダンス・ミュージック感」は重要だ。この曲の存在によって、本作は70年代初期と後期をつなげているのだ。

 そしてなにより重要なのは、ドラマーであるジュリアンがヴォーカルをつとめている点にある。ライヴ映像を見れば一目瞭然だが、ドラムを中心としたステージ・フォーメーションとなっている。ザ・バンドやYMOなどの系譜を置くことは簡単だが(思わず高橋幸宏氏ならば本作をどう聴いたのかと知りたくなってしまったほどだ)、私はむしろヴォーカリストを中心とするロックバンドの形式に対して、カジュアルにノーを突き付けるパンク感覚ではないかと思った。そう、棘とは傷と反抗である。レイドバックした演奏に込められた傷と棘。だからこそ、アルバムのラスト曲にして、多幸感にあふれたカントリー調の“フォロウ”が胸に深く突き刺さるのだ。

 むろん、こんな理屈など彼らの音楽を前にするとどうでもよくなる。マックスのギターに、ジュリアンのコリン・ブランストーンを思わせる声と「棘」のようなジュリアンのドラム。そして、瀟洒なエレピ、ネオアコの記憶を想起するホーンなどなど、すべてが奇跡のように、「いま」の「インディ・ロック」として鳴っているからだ。ただ、この夏に聴けばいい。棘と反抗と、ポップ・ミュージックが醸す美しい瞬間のために。などと思って、ジャケに目をむけると美しい赤い薔薇のアートワークであった。薔薇と棘。ああ、まさに、と深く納得するほかはない。

YOUNG JUJU - ele-king

キャンディタウンの勢いは止まらない。今年2月にデビュー・アルバム『Soul Long』をリリースしたIOに引き続き、キャンディタウンの中心メンバーのひとりであり、BCDMGにも名を連ねるラッパー、ヤング・ジュジュがデビュー・アルバムのリリースを決定した。
キャンディタウンのメジャー・デビューも決定し、破竹の勢いを見せる彼らであるが、リーボックとのコラボレーションで話題となった“Get Light”において、フューチャーされていたヤング・ジュジュは、今もっとも注目されているラッパーの一人といっても過言ではないだろう。
先日リリースされた先行曲、“The Way”ではプロデュースにMASS-HOLE を起用し話題となったが、今回のアルバムには、IOやドニー・ジョイントといったキャンディタウン勢の参加はもちろん、フラッシュバックスのFEBB、jjjの参加も予定されているとのこと。日本語ラップ・シーンの注目株たちの邂逅をバックに、ヤング・ジュジュはいったいどのようなアルバムを生み出すのだろうか。激シブ、ドープな最新型クラシックを期待!


 友だちが最近、人生にちょっと疲れてインドに行って、見違えるほど変わって帰って来た。1ヶ月程度の旅行だったし、その間に運命的な何かがあった訳ではないから、本人はその自分の変化に、まだ気付いてはいない。

 「一人旅」というものに、若い頃は人生の革命が起こることを期待する。僕もそうだったし、今もその興奮を旅の前に抱くこともある。だけど、冷静になってこれまで関わって来た周りの人を見ると、旅の後に彼ほどの明らかな変化、というよりは変異を果たした友人を思い出すことができない。

 ウイルスと細菌は全く違うもので、大きさも1000倍ぐらい違うし、そもそもウイルスは「生物」ではない。細菌は細胞壁に囲われた身体を持っていて、その内部にいろいろな役割を与えられている器官を持っている。栄養さえあれば自己増殖もエネルギー産生もできるから「生物」とされる。それに対してウイルスは、生物の細胞ひとつひとつに含まれる体全体の設計図みたいなDNAやその情報運搬役のRNAのような遺伝子のみが、カプシドという殻に包まれた状態。だからウイルスは自己増殖ができない。必ず感染する相手(宿主)の細胞の機能が必要で、その中に入り込み、その宿主の設計図の中に自分を埋め込んで、宿主の細胞に自分を大量生産してもらう。自分だけでは子孫はおろかエネルギーさえ作れないので「非生物」とされている。つまり、ウイルスは生物の残骸の一部みたいなものと言えばイメージがつくかもしれない。

 ちなみに抗生物質というのは細胞壁を壊す薬だから、細菌にしか効かない。普通の人がかかる「風邪」の8割以上の原因がウイルスだとわかってから、人類の抗生物質の使用量は大きく減った。とはいえ、見切り発進も未だに多い。

 細胞の突然変異が起こる確率は、10万~100万回に1回の細胞分裂で起こる。その突然変異の細胞が様々なレベルで自然淘汰を受けて、その環境に適合した性質が残されて行くのが進化の原動力とされる。僕らの遺伝子は、絶えず宇宙からくる放射能(宇宙線)に晒され、日常生活で摂取する様々な物質によって傷つけられている。そういった遺伝子を変化させる原動力のひとつとして、ウイルスがある。地球史上、ウイルスは様々な生物の内部に入り込み、「他力」によって自己複製をしながら変化してきた。インフルエンザウイルスが毎年流行るのは、その変異があまりに早く、人間がその免疫を獲得しにくいからで、一度感染したら、治る頃にはすでに違うウイルスに変異していると言われている。時間の長短はあれ、無数のウイルスたちが、地球史上の中でかなり長い間、こうした営みを繰り返して、常に生物の突然変異と進化の礎を築いてきた。

 寒いと風邪をひく。というのは当たり前のことのように共有されていて、風邪っていうのは、外部からのウイルスや細菌の侵入がなければひかないものだと一般的には考えられている。だけど、僕は本当にそうなんだろうかと疑問を持っている。もちろんインフルエンザのようにそういう時もあるだろうけど、寝ていて体が冷えたその時に、いつもたまたま風邪の原因ウイルスとの接触があるというのは考えにくい。

 漢方治療をしていると、「気」を増幅させる「補気剤」の内服で、毎月風邪をひいていた人が、1年間一度も風邪をひかなかった。なんていうことが当たり前のようにある。おそらく「風邪」というものの多くは、常に風邪症状を生じさせるなんらかのウイルスが体内にいて、環境が変わるたびにそのバランスが崩れることによって症状が現れている。

 そもそも「風邪」という定義もすごく曖昧で、頭痛は「風邪」なのか、食欲低下は「風邪」なのか、抑うつ気分は風邪で不安は「風邪」じゃないのか。僕は極端な話、そういう症状のひとつひとつには体内のウイルスが相当な部分関与しているんだろうと思っている。

 僕は微生物学免疫学教室と東洋医学科に在籍していた時期があった。その二つの科の教授が同じ人で、エイズウイルス関連でNatureという科学雑誌にも何度か論文が掲載されている。僕の今の医学観はその人の影響を強く受けている。その教授が4月5月の診察になると、患者さんの舌や脈を診ながら「春は草花や虫が動き出すように、体内のウイルスも動き出すんだ」と言っていた。

 これが科学的に正しいかどうかはわからない。だけど、B型肝炎やC型肝炎のように、体内に慢性的に持続感染しているウイルスを持っている人は、4月5月にそれまで安定していた体調が悪くなることが多い。それに限らず、毎年同じ季節に体調が悪くなるという人は、まだ発見されていない何らかのウイルスの影響が大きいだろうと思っている。(おそらくこの世の中には、人類が同定することのできたウイルスより、まだ発見されていないウイルスの方が圧倒的に多い)

 人間は60兆個の細胞で構成されるが、その100倍以上とも、1000倍以上とも言われる細菌やウイルスというものでひとつの生命が構成されている。だから、寒いと風邪をひくというのも、そういった常に在中するウイルスが変化するのがひとつの要因だというのは、まんざら外れてもいないと思っている。

 インドに行って変わった友人は、帰国後に再会する前に、A型肝炎というインドの食物から感染するウイルスによって肝炎を発症して入院した。幸い彼はそのインド製のウイルスとの格闘に打ち勝って生き残った。A型の持続感染はほぼないと言われているが、少なくとも彼の体細胞の遺伝子には「インドのウイルス」、もっと言えば、「インド人が文化と共に育んで来たウイルス」が一時的ではあれ入ったのだ。それが彼の体内の無数のウイルスの中の一員として、微量ながら今も残っている可能性は低くはない。

 そう思って彼を見ると、日に焼けたせいかもあるけど、旅行前にあった少女漫画に出てくるような美しさが消え、インド人っぽく見えるようになった。そう思って話を聞くと、どうやったら金を稼げるか。という話が増えたようにも感じる。でも、確実に言えることは、彼は旅の前より明らかに、元気になった。

 人間は音楽に精神を動かされる。同じように、あるいはそれ以上に人間は、ウイルスに動かされている。

 そうこう言う僕も、インド旅行の最後にガンジス川の水を飲んで、随分と激しい下痢をした。僕の中にもガンジス川製のウイルスがたぶんいる。聖なる川ガンジスのウイルスは壮絶だった。僕も絶えずインドのウイルスに動かされているのかもしれない。

The Invisible - ele-king

 昨年のフローティング・ポインツの『エレーニア』にはいろいろなミュージシャンがフィーチャーされていて、ゾンガミン名義で活動する在英邦人のススム・ムカイ、メルト・ユアセルフ・ダウンやオウニー・シゴマ・バンドなどで演奏するトム・スキナーに混じり、ジ・インヴィジブルのレオ・テイラーがドラムで参加していた(ちなみに、彼は英国が誇るジャズ・シンガーのノーマ・ウィンストンの息子で、つまり父親は昨年他界したピアニストのジョン・テイラーである)。その後のツアーでもレオはバンド・メンバーとなっており、フローティング・ポインツのライヴ・サウンドには欠かせない存在のようだ。両者の間にいつ頃から交流が生まれたのかはわからないが、恐らくフローティング・ポインツが生楽器演奏を多く取り入れるようになった2010年あたりのことではないだろうか。2012年にはジ・インヴィジブルの“ウィングス”という曲をフローティング・ポインツがリミックスしていたのだが、この曲は彼らの2枚めのアルバム『リスパ』からのカットだった。だから、今回のジ・インヴィジブルの新作『ペイシェンス』はそれから4年ぶりのアルバムとなる。

 ジ・インヴィジブルはレオのほかに、ギターとヴォーカルのデイヴ・オクム、ベースとシンセのトム・ハーバートからなるUKのトリオだ。トム・ハーバートはポーラー・ベアというジャズ・バンドのメンバーでもあり、またデイヴとトム・スキナーといっしょにジェイド・フォックというユニットで活動していた。それぞれセッション・ミュージシャンとしても活動し、アデル、セント・ヴィンセント、グレース・ジョーンズ、ジェシー・ウェア、ベック、オノ・ヨーコ、ジャック・ディジョネット、マシュー・ハーバート、ルーツ・マヌーヴァ、ホット・チップ、ジェイミー・ウーン、ゾンガミンなどの演奏に参加する。ジ・インヴィジブルは音楽的にはインディ・ロックにカテゴライズされることが多く、レディオヘッドからジ・エックスエックス、フォー・テットにロケットナンバーナインなどを繋ぐ位置にあるバンドと言えるだろう。だから、フローティング・ポインツの音楽性にも共通するところがある。2009年にファースト・アルバム『ジ・インヴィジブル』をマシュー・ハーバートの〈アクシデンタル〉からリリースし、マーキュリー・プライズにもノミネートされた。2012年には〈ニンジャ・チューン〉に移籍して『リスパ』をリリース。この『リスパ』制作期間中にデイヴの母親が亡くなり、それを反映したメランコリックな要素が強いものだった。また、アコースティックなバンド・サウンドを軸としつつ、エレクトロニック・サウンドも取り入れたのがジ・インヴィジブルであるが、『リスパ』はそのエレクトロニックな要素がより増えていたように思う。一部で用いたアフリカ音楽のモチーフも新鮮だった。

 この新作『ペイシェンス』は、初めて外部からのゲストを交えたアルバムとなっている。フローティング・ポインツことサム・シェパードが『エレーニア』の返礼で参加し、デビュー時から演奏や作曲でサポートしてきたジェシー・ウェアもコーラスに加わる。ほかに新進シンガーとして注目を集めるロージー・ロウ(今年ファースト・アルバム『コントロール』を発表したばかり)、オルタナティヴなロック・シンガー&ギタリストのアンナ・カルヴィ、ニュージーランドのサイケ・ポップ系シンガー&ギタリストのコナン・モカシンが参加しているが、ロージー・ロウとアンナ・カルヴィもデイヴ・オクムがプロデュースをする間柄だ。そうしたゲストとのコラボにより、内省的な色が強かった『リスパ』に比べ、ずっと外に開かれたアルバムという印象が強い。もっと平たく言えば、彼らにしては「ポップ」なアルバムになっているのだ。ジェシー・ウェアが参加した“ソー・ウェル”などは、実際ジェシーのアルバムに入っていてもおかしくない曲だ。エレクトロニック色もより強くなり、“ベスト・オブ・ミー”のようなニューウェイヴ・ディスコ~アーリー・ハウス的な曲もある。“セイヴ・ユー”はじめ、ロージー・ロウが参加する“ディファレント”、アンナ・カルヴィ参加の“ラヴ・ミー・アゲイン”は、いままでの彼らにはあまり見られなかったファンク色が見られる。こうしたファンク色についてはディアンジェロの『ブラック・メサイア』からの影響が見られるが、デイヴはアルバム制作に先駆けてしばらくロサンゼルスに滞在し、そこでこうしたファンクからLAビート・シーンのサウンドをいろいろと吸収し、作曲を行っていったようだ。

 いままでの彼らの作品にはダークなイメージのものが多かったが、“ライフ・ダンサーズ”や“メモリーズ”には軽やかな浮遊感があり、コナン・モカシン参加の“K・タウン・サンセット”もコナンの持味のフワフワしたソフト・サイケ感が広がる。アルバム全体を通じて明るくてポジティヴなイメージが感じられるのは、やはりデイヴがLAで吸収した空気感と無縁ではないだろう。もちろん、ジ・インヴィジブルなので普通のポップ・アルバムというわけではなく、明るいといってもイギリス人特有の屈折感が消えることはないのだが、彼らの中で何か変わったことはたしかだろう。個人的にはブラインア・イーノとの3部作を経て、また新しいスタートを切った『スケアリー・モンスターズ』の頃のデヴィッド・ボウイに似た印象を持つアルバムだ。

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