「Nothing」と一致するもの

坂本龍一の1998年の『BTTB』が20周年記念盤としてリイシューされた。音楽遺産を現代的な解釈で甦らせたこの作品を聴くこと、彼の原点をいまいちど考察すること、昨年の『async』〜『REMODELS』と来て2018年の現在『BTTB』を聴くことは、わたしたちの視野を新しく広げるだろう。

爪を秘めてあえて穏やかに仕上げる

文:北中正和

 ピアノ・ソロのアルバムはクラシックにはいくらでもある。ジャズにもたくさんある。家庭名曲集その他の名前で有名無名の人が弾いているアルバムも昔から少なくない。80年代にはニューエイジ・ミュージックという名前の音楽も出てきた。近年はジャズ、クラシック、ポップス、アンビエントを横断するようなピアノ・ソロ・アルバムも増えている。
 20年前にこのピアノ・アルバムを作ることになったとき、坂本龍一の脳裏にはどんな思いが去来したのだろうか。著書『音楽は自由にする』の中で彼は、90年代のはじめごろから兆しはあった、『1996』というピアノ・トリオ・アルバムや『ディスコード』というオーケストラ曲を作った流れがあって、「自分の原点であるピアノ音楽を中心にしたアルバム」につながっていった、と語っている。『BTTB』はバック・トゥ・ザ・ベイシックの頭文字である。
 セッション・ミュージシャンとしてポップスの世界に足を踏み入れ、フュージョンのKYLYNやテクノ・ポップのYMOの時期を経てソロやコラボでも多彩な音楽を作ってきた彼は、その前は東京芸大の作曲科でいわゆる現代音楽の世界にいてジャズやロックにも興味を持っていた。さらにその前の少年時代はクラシックのピアノのお稽古もしていた。そんなふうに20世紀以前のさまざまな音楽を吸収してきた彼が「原点」という言葉をどこまで限定して使っているのかわからないが、少年時代に出会ったバッハやドビュッシーから現代音楽まで、あるいは部分的にはジャズまでを含むと推測しておこう。
 ピアノは18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパの産業革命の工業技術の進展とともに改良されてきた楽器で、ピアノの名曲として親しまれているクラシックの多くはその時期に作られている。20世紀のピアノ曲は技法の工夫と共にその先へ進んできた。
 20世紀末にピアノのアルバムを思い立ったとき、彼がそうしたピアノの歴史を想起しなかったとは考えにくい。彼にかぎらず、ピアノのアルバムを作るということは、本人が意識するにせよしないにせよ、また、好むと好まざるとにかかわらず、そんなピアノの歴史を受け継いで上書きすることを意味する。
 『BTTB』はエリック・サティに刺激を受けたと思われる“オパス”からはじまる。サティは生前は同時代のドビュッシーやラヴェルほどには評価されなかったが、20世紀後半に楽譜の発掘やレコーディングが続いた。ミニマル・ミュージックやアンビエントの先駆者という側面からクラシック・ファンにとどまらない人気もある。サティの影は“ローレンツ&ワトソン”にも見られる。19世紀末から20世紀初頭にかけて活動したサティの音楽の要素を20世紀末に置き、新しい要素と組み合わせてみるという楽しい遊びだ。
 ピアノの弦に響きを変える工夫を加えたプリペアド・ピアノを使った“プレリュード”や“ソナタ”は、当然、そのパイオニアである20世紀中期の現代音楽の巨人ジョン・ケージへのトリビュートだ。それに加えて、インドネシアのバリ島のガムランや、ガムラン的な音楽に取り組んだ西洋の作曲家たちへのオマージュも含まれているのかもしれない。いずれにせよ、プリペアド・ピアノをどのように演奏しているのか、どれくらいダビングしたのか、興味をかきたてられずにはいられない複雑なリズムや響きだ。この2曲から、水中マイクで録音した“ウエタックス”へと続くくだりは、このアルバムの中で最も現代音楽的に聞こえる部分だ。
 フランス語で歌を意味し、日本ではフランスの流行歌を指す言葉をタイトルにした“シャンソン”は転調の美しい小品。この曲をはじめ、ゆったりとした“ディスタント・エコー”、印象派的な“ソナチネ”、ロマン派的な“インテルメッツォ”などはこのアルバムの抒情的な側面を担っている。
 ふたつの“コラール”はタイトルからして賛美歌を意識して作られたのだろう。クラシックでは古い時代に栄えた様式だが、ここでは現代的に聞こえるのがおもしろい。カリブ海のドミニカ共和国で生まれ、サルサ・ダンスのチーク・タイムに愛用されるラテン歌謡の分野をタイトルにした“バチャータ”は、左手のリズムにわずかにラテン色が感じられるが、なぜこのタイトルにしたのだろう。娘の美雨のために作った“アクア”はJポップ的なキャッチーなメロディだ。
 こうして久しぶりに『BTTB』を聞き直してみると、曲ごとに多彩な音楽遺産を振り返りながら新しい要素を加えたアルバムであることがよくわかる。それだけ作曲の腕も試されるわけだが、自然な演奏を聞いていると、悩み抜いた印象はない。ポップスの制約から離れて彼はこのアルバムに楽しんで取り組んだのではないだろうか。現代音楽的な作品は、いくらでも鋭利だったり、衝撃的だったりすることが可能で、彼にもそういう作品があるが、ここでは爪を秘めてあえて穏やかに仕上げてある。バランス感覚のよさがよくわかるアルバムでもあると思う。


ピアノの前で

文:平井玄

 半世紀もたてば、思い出は朧になる。
 月に龍と書いてオボロ。俱利迦羅紋紋(くりからもんもん)のタトゥーが眼に浮かぶようだ。月夜に龍が舞う彫りとくれば舞台は女の背だろう。藤堂明保によれば、月は霞みを表す文字の形、龍の方はロウという音韻を示すという。50年、18000回の夜が過ぎる間にその月光の記憶は遠くかすんでいく。現在のビッグバン宇宙論からすれば、人ひとりの生きる時空は砂の粒より儚い。
 それでもこう言っておこう。天空を跳ぶ龍の艶かしい肢体がその一瞬を際だたせる──と。

 「青い月の光を浴びながら 私は砂の中に〜」と黒板に書かれていた。それもくっきりと。
 新宿御苑の緑に面した都立高校と区立中学校が背中合わせに並んでいる。薄いコンクリートの塀一枚を隔てた中学校の2階の窓からは高校の教室が覗ける。中学1年生がそこから見たのはどうやら音楽の階段教室らしい。
 「愛のかたみをみんなうずめて泣いたの ひとりきりで〜」
 誰がやったのか。「砂に消えた涙」の歌詞すべてが書き写されていた。1965年の初夏だったと思う。戦後まだ20年。大正期の白壁にくすぶる黒煙の痕。戦争を生き延びた旧制高校の校舎に似合わない色っぽい歌詞。楷書で綴るチョークの跡が鮮烈だった。まるで篠田正浩のアートシアター映画だ。「砂に消えた涙」は1964年5月にイタリアの歌手ミーナがリリースし、12月には漣健児の訳詞で弘田三枝子がカヴァーした曲。というより、漣は彼女が歌うことをイメージして書いた。13歳の脳髄には弘田三枝子自身の歌として濃密に刻み込まれている。
 「あなたが私にくれた愛の手紙 恋の日記」。カンツォーネというよりメローなR&B。低く歌いだされた声はワンフレーズごとに裏返り、地声と裏声の縫い目はまるでリストカットの傷痕。今カヴァーを聴けば、竹内まりやの囁きも矢沢永吉のゴスペル風もそれぞれにいい。それでも弘田三枝子のあの跳ねるような痛々しさは、1965年の何かだったと思う。
 それから3年後に同じ階段教室で、高校2年生の坂本龍一はある歌曲のコンサートを開く。アルノルト・シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」である。教室の使用許可など取っていないだろう。勝手に東京藝術大学声楽科の女子学生を呼んだ挑戦的なライヴだ。西洋近代音楽の素養など何もない1年生の私は、そのトンガリぶりに感じて教室の隅に座る。この時の衝撃、その訳のわからなさを今も考えている。これは『愛と憎しみの新宿』(ちくま新書)に少し書いた。1969年だったか、そこはオボロ。としても7月の山下洋輔トリオによる早稲田大学バリケード・ライヴのころである。──月夜に龍一が舞う。

 『BTTB』のリマスタリング盤を聴いて想うのはこの経験だ。電子楽器やさまざまなユニット、あるいはネット上で多くの音の実験、化合や交雑を重ねてきた。しかし彼の基底にあるのは端正なピアノの音である。
 今回それを強く感じた。back to the basicというのだからそれも当然だろう。そのbaseが彼の場合かなりアノマリーなのである。すべての作品のいたるところで、何かしら「解決を拒む」ような静かな異例性に満ちている。14の“Aqua”を聴くと、かえってリスナーは讃美歌のような清冽な高揚感を感じてしまうだろう。この曲だけがシンプルなメジャーコードで始まり「ヒーリング的、ニューエイジ系」といわれる由縁だ。それでも割り切れない残余が聞こえてくる。
 昨年、アエラ誌で久しぶりに彼と話をした。その最初に出たのは阿部薫のことである。「なんでそんな完全4度が弾けるんだ!」と、いきなり演奏中にマウスピースを外して阿部は言い放ったという。Bags’ Grooveにおけるマイルスとモンクの喧嘩セッションみたいなエピソードだが、これは事実である。私はその声を聞いていない。しかし1975年ごろのそういう空気は充分に吸い込んでいた。古典的な楽理書で「溶け合う」完全協和音程とされるような音感を、阿部の体は激しく拒む。憎んでいたと言っていいだろう。私もそうだから感染するのである。
 ところがロマネスク時代に対位法が発達すると、4度は不協和音とされるようになった。5度と違い「解決を必要とする」不安定さを残しているからだ。音の近代物理学をめぐる古のテーマだ。したがって最低音との関係で3度をめざして解決が図られる。それができない4度の使用は厳格対位法では完全に禁止された。坂本龍一のピアノはそういうところに踏み込んでいく。決して解決できない領域を彷徨うように。“Aqua”ではそれがよく出ているが、9“Chanson”や15“Energy Flow”にも気配を感じる。

 シェーンベルクに「別の惑星の空気を感じる」というバーンスタインは同時に「12音技法にも隠された調性がある」という。ジョン・ゾーンが「月に憑かれたピエロ」を演奏した「Chimeras」を論じるアレクサンダー・ラインハルトはむしろ「伝統的な調性への回帰」という。ところが無調から12音への狭間で創られたこの曲には、シュプレヒシュティンメという「語り歌」が介入してくる。この声のざわめきが聴く者に感覚の放浪を促すのである。こういうヴォイスの萌芽はドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」に生まれたという。ドビュッシーは坂本龍一の肌になじんだ作曲家なのである。いま思えば、あの音楽教室で演奏された曲はこういう流れの中にあった。
 「解決するな」。唇から血を流す阿部薫の問いかけに、ピアノを前にした坂本龍一は長い時間をかけて応えようとしたのではないか。青い月の光を浴びながら、私は道化師になって弘田三枝子を、阿部薫を想い出す。そして坂本龍一のピアノを聴いて、我々の時代が砂の中に深く埋めた問いを掘り出そうとするのである。


『async』〜『REMODELS』そして『BTTB』というこの流れ

文:野田努

 昨年の『async』〜『async - REMODELS』と来て、今回の『BTTB』再発というのは、ひとつの流れになっている。それはスタイルやジャンルの問題ではなく、内的な一貫性からくる流れのように思える。
 ぼくは“solari”という曲が好きだし、『REMODELS』では“LIFE, LIFE”のアンディ・ストットによるリミックス(remodel)・ヴァージョンが好きだし、なぜかというと昨年からずっとBBCのラジオではなんども再生されているからなのだが、しかしこと『async』は曲単位であれこれいうような作品ではないこともわかっているつもりだ。

 曲によってさまざまなアプローチを見せている『async』は、表面的には優しく見せながら荒涼としていて、抽象的でありながら忘れがたい作品だ。破壊的かもしれないが、それは計算されたものでも政治的主張を果たすものでもなく、逃避でもない。推測で言えば、それは本当に、自分の運命に決意している音楽かもしれないと思う。そしてそれは、露骨な商業主義など眼中にない作品だ。曲の短さも、とりとめのなさも、ありきたりの耽溺を寄せ付けないでいる。とらえどころがないというのに強烈な作品。
 ある意味では孤独なアルバムと言える『async』がそして『REMODELS』となり、(コーネリアスと空間現代を除いては)インストゥルメンタル音楽の気鋭の追求者たち(主にエレクトロニック・ミュージックのシーンにおいて活躍している)によって再構築されたことは、いかなる自発的な芸術表現もアクチュアルに機能するという意味において時代から逃れらないということであり、リミックス盤という媒介によって坂本龍一の創出した旋律の数々はさらにまた多層に拡散したということもである。
 高度に専門化されたクラシック音楽出身の坂本龍一だが、おもにぼくのように体系的な音楽学を知らない感覚的なリスナーが多くを占めるポップ・フィールドで活躍してきている。そして、ときとして発せられる無防備なきわめて情熱的な政治的発言や行動において、日本のポップ・フィールドでは浮いてしまっている。坂本龍一のなかには、音楽がそれ自体として自立しない、社会から切り離されて自己充足的に存在するものではないという感覚が一貫してあるのだろう。音楽に自閉していればこと足りると思っているほとんどの日本のミュージシャンとはそこが決定的に違うし、それは彼が困難な立場を引き受けているということでもである。『BTTB』リリース当時の背後状況に関しては、後藤繁雄さんによる散文詩的ドキュメンタリー『skmt 坂本龍一とは誰か』に詳しい。それはそうとして、最初に書いたようにぼくは『BTTB』を『async』〜『async - REMODELS』という流れで聴いている。

 坂本龍一の原点回帰作として知られる『BTTB』は、クラシカルな曲からガムランやプリペアド・ピアノなど多彩な試みが聴けるものの、わかるひとにしかわからないというアルバムではない。好きなことを好きなようにやったイノセントな作品なのだろうけれど、『async』より口当たりが良いアルバムで、いろんな局面での再生可能な万能薬だ。ピアニストのアルバムであり、また同時に『BTTB』から数年後にエレクトロニカ/IDMからも派生するモダン・クラシカルなる名称のサブジャンルの先駆けと位置づけることもできる。敷居が高く習練を要するクラシック音楽と素人の逆襲とも言えるエレクトロニック・ミュージックのシーンとの回路。サティ風の悲哀を帯びた調べの“Opus”のような曲は彼の内面と決して明るくなれない社会の見通しとどこかでリンクしているのだろうし、しかもそれは、ポスト・モダニズム的なんでもありの修羅場とは微妙に距離を置きながら、アンチ・ミュージックめいた側面を擁するエレクトロニカ/IDMとも接続している。なんとも自由奔放な、おおらかな円環が描かれているようだ。
 それはラヴェルでもドビュッシーでもサティでもなく、コーネリアス・カーデューでもない。世代を超えて成り立つ音の連なりのなかに、坂本龍一にしか描けない円環が見える。音楽は境界線を越えることができるということをぼくたちは知っている。内的な作品であっても、外側に大きく広がる。今年はモダン・クラシカルの起点となったマックス・リヒターの『The Blue Notebooks』(2004年作)がこちらは15周年ということでグラムフォンからジェイリンのリミックス入りで再発されたし、ローレル・ヘイローの新作においてもクラシック音楽との結合術が見て取れたから言うわけではないけれど、『BTTB』はいまこそ聴く必要があるアルバムだ。『async』から『REMODELS』へと漂泊したぼくたちが着地する場所=日々の営みとして、これほど温かく、心休まる穏やかなところはほかにないのだから。


坂本龍一 「energy flow」


Directed by Neo s. Sora and Albert Tholen
Produced by Zakkubalan
zakkubalan.com
goodbabyfilms.com

The ROCKSTEADY BOOK - ele-king

 ロックステディというのはジャマイカの音楽のひとつで、1968年あたりから1969年あたりまで、スカからレゲエに移行するあいだのおよそ3年のあいだに流行ったスタイルを呼んでいる。スカよりもテンポを落として、美しく、ラヴリーで親しみやすいメロディがそこに加わる。その甘いサウンドの数々は、歴史のほんのわずかな期間に生まれた奇跡的なユートピアに思えて仕方がない。
 この度リットー・ミュージックから刊行される石井“EC”志津男さん監修による『The ROCKSTEADY BOOK』は、世界で初めてのロックステディ本だ。ディスク紹介もあり、識者やマニアの話もあり、主要ミュージシャンのインタヴューも掲載されている。入手しやすい基本的なアルバム作品ももちろん紹介されている。ある時代までのジャマイカの音楽は7インチが中心だったので、レゲエにハマるひとはこの恐ろしい7インチ道に入っていくわけだが、本書にはロックステディの7インチ(のオリジナル盤)がたくさん紹介されている。当時にしか出せない音響もさることながら、そしてレーベルやジャケットの雑な印刷の感じやいまでは再現不可能な色合いもまた良いんだよな~。
 ロックステディの魅力を知っているひとにはこれ以上の説明は不要だろうけれど、まだロックステディと出会っていないひとこそぜひトライして欲しい。メロウな音楽が好きなひとはマストだ。この世にはこんなにラヴリーな、奇跡のような音楽があることを知って、ちょっとぐらいは生活が明るくなって、嬉しくなると思いますよ。

監修:石井“EC”志津男
The ROCKSTEADY BOOK (ザ・ロックステディ・ブック)
リットー・ミュージック
Amazon

Brainfeeder X - ele-king

 こんにちは。ロス・フロム・フレンズにドリアン・コンセプトにブランドン・コールマンにルイス・コールにジョージア・アン・マルドロウにと、最近〈Brainfeeder〉関係のお知らせが続いていますが、ついに決定的なニュースが舞い込んできました。設立10周年ということでここ数ヶ月さまざまなアクションを起こしてきた同レーベルが、アニヴァーサリー・コンピレーションをリリースします。詳細は下記をご確認いただきたく思いますが、錚々たる面子が参加しています。CDは2枚組で、ディスク1はこれまでの〈Brainfeeder〉の作品から選りすぐったレーベルの歴史を紐解くような内容、そしてディスク2は新曲や蔵出し音源を詰め込んだレアトラック集となっています。現在、そのディスク1からフライング・ロータスによるブランドン・コールマンのリミックスが先行公開中です。リリースは11月16日。しっかりお財布をマネージしておきましょう。

BRAINFEEDER 10周年記念コンピレーション・アルバムが登場!
フライング・ロータスやサンダーキャットなどの初出し音源が22曲!
レア曲も満載!
全36曲を収録し、豪華パッケージで11月16日(金)リリース!
フライング・ロータスによるブランドン・コールマンのリミックスが解禁!

設立10周年を迎え、怒涛のリリースラッシュ、ソニックマニアでのステージまるごとジャック、売り切れグッズ続出のポップアップショップなど、凄まじい勢いを見せているフライング・ロータス主宰レーベル〈Brainfeeder〉が、輝かしい10年の歴史の集大成としてコアなファンはもちろん、すべての音楽ファンを魅了する超豪華コンピレーションのリリースを発表! レーベルの歴史を彩る代表曲に加え、フライング・ロータスやサンダーキャットなど初出し音源が実に22曲! さらに初めて公式リリースされるレア曲も加えた必聴コンピ『Brainfeeder X』は11月16日(金)リリース! 今回の発表に合わせて、フライング・ロータスによるブランドン・コールマンのリミックスが解禁された。

Brandon Coleman - Walk Free (Flying Lotus Remix)
https://www.youtube.com/watch?v=VhkoMyG1v2c

ジャズ、ヒップホップ、ファンク、ソウル、ハウス、アンビエント、テクノ、フットワーク……あらゆるスタイルのDNAを再編成し、類まれな審美眼を持って、真のグッド・ミュージックを送り出し続けてきた〈Brainfeeder〉。時代が時代なら、サン・ラとも契約を果たしただろうし、アリス・コルトレーンの神秘的かつ霊妙な魂を宿した唯一無二のレーベルと言っても過言ではないだろう。ジョージ・クリントンは、そのほとんどの作品を〈Casablanca Records〉から発表しているが、〈Brainfeeder〉との契約は、ファンクの神にとっても至極当然の展開として、幅広い音楽ファンが喜びをもって支持した。そしてこれは〈Brainfeeder〉以外のレーベルでは全くもって想像できないことである。

LAに端を発したビート・ミュージック・シーンの勃興の中で産声をあげた〈Brainfeeder〉の世に放つ作品には、レディオヘッドからJ・ディラ、エイフェックス・ツイン、DJシャドウ、ボーズ・オブ・カナダ、ドクター・ドレー、ジョン・コルトレーンとその妻のアリス・コルトレーン、ポーティスヘッドなどからの影響が見受けられつつ、そこには必ず刺激的な革新性が存在している。

代表曲を中心に過去〜現在をまとめたDISC 1
ディスク1は、サンダーキャットやテイラー・マクファーリンといった新世代ジャズのキーマン達、先鋭的ヒップホップで注目を集めたジェレマイア・ジェイ、ベース・ミュージックにテクノやハウスを融合させたオランダ人プロデューサー、マーティン、フットワーク/ジュークの最高峰レーベル〈TEKLIFE〉のクルー、DJペイパル、そしてレーベル設立当初からフライング・ロータスと共にビート・ミュージック・シーンを盛り上げたティーブスやデイデラス、トキモンスタら、ジャンルやバックグラウンドを問わず、秀でた才能を発掘し、世に送り出してきたレーベルの懐の深さが味わえる。サンダーキャットの人気曲“Friend Zone”のロス・フロム・フレンズによるリミックスや、フライング・ロータスによるブランドン・コールマンのリミックスもディスク1の最後に聴くことができる。

DISC 2には初出し音源やレア曲が満載!
ディスク2は、フライング・ロータスもプロデューサーとして参加し、バッドバッドノットグッドをゲストに迎えたサンダーキャットの新曲“King of the Hill”が冒頭を飾る。ラパラックス、ロス・フロム・フレンズ、ドリアン・コンセプト、ジョージア・アン・マルドロウら新曲も数多く収録される他、フライング・ロータスとサンダーキャット、シャバズ・パラセズから成るウォークが、ジョージ・クリントンをフィーチャーして発表した“The Lavishments of Light Looking”が初めての公式リリースという形で収録され、先日ついに日本でも公開され話題を呼んだ、フライング・ロータス初長編映画『KUSO』のサウンドトラックからは、バスドライバーをフィーチャーした“Ain't No Coming Back”など、フライング・ロータス関連のレア曲も収録。またPBDY(ピーボディ)、ミゲル・アトウッド・ファーガソン、リトル・スネイク、テイラー・グレイヴスら、これまでもレーベルに貢献しつつ、今後リリース作品が期待される注目アーティストもここで紹介されている。参加アーティストの一人、ストレンジループは、今現在フライング・ロータスの革新的なライヴ・パフォーマンスのヴィジュアルを担当している知る人ぞ知る存在。そしてロカスト・トイボックス名義でフィーチャーされているデヴィッド・ファースは、俳優、声優、映画監督、ビデオアーティストなど、様々な顔を持ち、フライング・ロータスとはミュージックビデオや映画『KUSO』でもコラボレートしている鬼才だ。

全フォーマット、趣向を凝らしたパッケージ
今作のアートワークは、〈Brainfeeder〉の印象的なオリジナル・ロゴを手がけたチャールズ・ムンカが担当。4枚組LPボックスセットは、ディスク一枚一枚がデザインの異なるインナースリーヴに収納され、10周年記念ロゴが型抜きされたハードケース入り。国内盤CDは、解説書が封入され、数量限定の初回盤は、LPボックスセットのデザインを踏襲した特殊スリーヴケース付きの豪華仕様となっている。なお輸入盤CDのフロントジャケットは、4種類のカラー展開で発売される。

〈Brainfeeder〉の輝かしい功績と“今”、そして未来を詰め込んだ超豪華コンピレーション・アルバム『Brainfeeder X』は11月16日(金)世界同時リリース! 今作は、〈Brainfeeder〉10周年キャンペーン対象商品となり、国内盤CDには、初回盤、通常盤ともに10周年記念ロゴ・ステッカー(3種ランダム)が封入される。

label: BRAINFEEDER / BEAT RECORDS
artist: Various Artists
title: Brainfeeder X

限定国内盤2CD BRC-586LTD ¥2,800+税
特殊スリーヴケース付き/解説書封入

通常国内盤2CD BRC-586 ¥2,500+税
解説書封入

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9868

[TRACKLISTING]

DISC 01
01. Teebs - Why Like This?
02. Jeremiah Jae - $easons
03. Lapalux - Without You (feat. Kerry Leatham)
04. Iglooghost - Bug Thief
05. TOKiMONSTA - Fallen Arches
06. Miguel Baptista Benedict - Phemy
07. Matthewdavid - Group Tea (feat. Flying Lotus)
08. Martyn - Masks
09. Mr. Oizo - Ham
10. Daedelus - Order Of The Golden Dawn
11. Jameszoo - Flake
12. Taylor McFerrin - Place In My Heart (feat. RYAT)
13. MONO/POLY - Needs Deodorant
14. Thundercat - Them Changes
15. DJ Paypal - Slim Trak VIP
16. Thundercat - Friend Zone (Ross from Friends Remix)
17. Brandon Coleman - Walk Free (Flying Lotus Remix)

DISC 02
01. Thundercat - King of the Hill (feat. BADBADNOTGOOD)
02. Lapalux - Opilio
03. Ross from Friends - Squaz
04. Georgia Anne Muldrow - Myrrh Song
05. Dorian Concept - Eigendynamik
06. Louis Cole - Thinking
07. Iglooghost - Yellow Gum
08. WOKE - The Lavishments of Light Looking (feat. George Clinton)
09. PBDY - Bring Me Down (feat. Salami Rose Joe Louis)
10. Jeremiah Jae - Black Salt
11. Flying Lotus - Ain't No Coming Back (feat. BUSDRIVER)
12. Miguel Atwood-Ferguson - Kazaru
13. Taylor Graves - Goku
14. Little Snake - Delusions
15. Strangeloop - Beautiful Undertow
16. MONO/POLY - Funkzilla (feat. Seven Davis Jr)
17. Teebs - Birthday Beat
18. Moiré - Lisbon
19. Locust Toybox - Otravine

--------------------------------------------

〈Brainfeeder〉10周年キャンペーン実施中

CAMPAIGN 1
対象商品お買い上げで、〈Brainfeeder〉10周年記念ロゴ・ステッカー(3種ランダム/商品に封入)をプレゼント!
CAMPAIGN 2
対象商品3枚お買い上げで、応募すると〈Brainfeeder〉10周年記念特製マグカップもしくはオリジナル・Tシャツが必ず貰える!

応募方法:
対象商品の帯に記載されている応募マークを3枚集めて、必要事項をご記入の上、官製ハガキにて応募〆切日までにご応募ください。

キャンペーン対象商品

キャンペーン詳細はこちら↓
https://www.beatink.com/user_data/brainfeederx.php

--------------------------------------------

『Brainfeeder X』にもフィーチャーされているハイパー・マルチスペック・アーティスト、ルイス・コールが12月に来日!

TOKYO: 2018/12/13 (THU) @WWW X
OPEN 19:00 / START 19:30

KYOTO: 2018/12/14 (FRI) @METRO
OPEN 18:30 / START 19:00

前売 ¥5,800(税込)
別途1ドリンク代 / ※未就学児童入場不可

チケット詳細

[東京公演]
イープラス
●ローソンチケット 0570-084-003 (Lコード:74741)
チケットぴあ 0570-02-9999
Beatink
Clubberia
iFLYER

INFORMATION: BEATINK 03-5768-1277 / www.beatink.com

[京都公演]
イープラス
●ローソン (Lコード:56266)
ぴあ

INFORMATION:METRO 075-752-2787 / info@metro.ne.jp

Aphex Twin - ele-king

 物価の高いロンドンはともかく、イギリスの田園風景はいつかまた見たいという思いがある。昔、何回か逍遙した。短絡的に思えるかもしれないが、美しい森や小川があり、羊が鳴いているあの景色のなかにいると、『原子心母』や『聖なる館』から『チルアウト』や『セレクティッド・アンビエント・ワークス 85-92』がより深く理解できたような気になれるのだ。そしてじっさい、そういう時代でもあった。
 いまから遡ることおよそ25年前の1993年の初夏のこと。当時定期購読していた『NME』というイギリスの音楽紙の広告に、コーンウォールで開催される野外レイヴの告知を見つけた。ヘッドライナーはエイフェックス・ツイン。これは行かねばならない。そう思ったぼくを含めた6人ほどは、大韓航空に乗ってソウル経由でロンドンに向かった。待っていたのはドタキャンの知らせだったが、こんなリスキーな海外弾丸ツアーをさせてしまうほど、その時代の「コーンウォール」「野外レイヴ」「エイフェックス・ツイン」という記号にはたいへんな吸引力があった。(そもそもレイヴ・カルチャーとは、パッケージ化されたものではなく、ゆえにユートピアであり、ゆえにいろんな意味でリスキーだったのだ)

 〈Warp〉が派手な宣伝を仕掛けて、鳴り物入りでリリースされた「Collapse EP」のアートワークには、コーンウォールのグウェナップピットと呼ばれる18世紀に建てられた円形劇場がデザインされている。そして劇場は崩れている。Collapse=崩壊。これまでRDJ(リチャード・D・ジェイムス)の作品にはコーンウォールの地名が18引用されているそうだ。それらの言葉から喚起されるであろうイメージが持てないほとんどの日本人リスナーにはお手上げの話だが、コーンウォールはRDJにおいて良きモノとしてあることは間違いないだろう。
 とはいえ、「Collapse EP」は『セレクティッド・アンビエント・ワークス 85-92』や“ガール/ボーイ・ソング”のような惜しみない牧歌性が行き渡った作品ではない。ぱっと聴いたところではドラムの音が印象的で、ときおりベースも唸りをあげるのだが、しかし全体的につかみどころがなく、より無意味な音響がこれでもかと展開されているようだ。その無意味さをもってどこまでリスナーを惹きつけられるのかという作品に思える。
 エイフェックス・ツインの新作をいま聴いてあらためてすごいと思うのは、まずはその音色があまたあるエレクトロニック・ミュージックのどれとも違っていることだ。それがIDM風の複雑な打ち込みの音楽であっても、だいたいどれもほかと似たようなイクイップメント(ソフトウェアやプラグイン)で制作されているので、まあ、テクノロジーを使っているつもりがそれに支配されているという風にも見えるし、実験的という名の没個性的な曲が量産されがちだったりする。そこへいくとRDJはずば抜けてほかと違っている。日本版には解説として、佐々木渉さんによる使用機材の分析が詳しく記されているが、読むとなるほどなと思う。なぜいまこれを? なぜこんな使い勝手の悪いものを? という機材を織り交ぜながら、RDJはクラフトワークとは違ったアプローチによる“テクノ”を追求している。

 さて、1曲目の“T69 Collapse”は感触的には『サイロ』の延長にあり、“アナログ・バブルバス”時代のメロディもわずかににおわせてもいるが、ジャングルを崩したようなリズムを使って曲はファンキーに展開する。転調してからのドラミングは笑いながら作ったのだろうか……、ちなみにT69は第二次大戦中に製造された戦車の名前だそうだ(RDJは戦車好きで有名)。
 続く“1st 44”ではさらにギャグを強調している風に聴こえる。意味不明な声や叫びはRDJ作品ではお馴染みではあるが、この曲のラテンを崩したようなパーカッションと鼓笛隊のようなドラミングとのへんてこりんなコンビネーションはなかなか面白い。“MT1 t29r2”は乱雑な展開のエレクトロ風の曲で、ここでのドラムのプログラミングもまあ面白いといえば面白い。4曲目の“Abundance10edit [2 R8's, FZ20m & A 909]”を聴いていると、ぼくは1993年の初夏にコーンウォールに行きそびれた代わりにロンドンのクラブで聴いたRDJのDJを思い出す(過去にも何度か書いたことがあるけれど、そのときはほとんど客はおらず、閑散としたフロアではビョークとその女友だちだけが踊っていた)。そのときの彼はとにかくひたすら、骨組みだけのシカゴ・ハウスをかけていた。20年後にはフットワークとして世界に知られることになる音楽の原型のようなトラックたちだ。洗煉される前の粗暴なダンス・ミュージックたち。“Abundance10edit [2 R8's, FZ20m & A 909]”にはその燃え尽きたような、抜け殻のようなリズムがある。

 1992年、ポリゴン・ウィンドウを出したばかりのRDJにロンドンにいた知人を介して取材したときに、「セカンド・サマー・オブ・ラヴのときあなたは何をしていたんですか?」と訊いたら、「夏は大好きだ」と彼は答えた。夏は好きだ──質問をはぐらかしたその言葉をぼくはRDJについて考えるときに忘れたことがない。「Collapse EP」の無意味さは、この音楽がダンス・ミュージックであることを裏付けているのかもしれない。コーンウォールの円形劇場は、レイヴ会場のようにも見える。最後の“Pthex”だって、そう、ダンス・ミュージックだ。が、ただ、いったいどうやってこれで踊ればいいのかぼくにはわからない。まあ、そういう曲はRDJには多いのだが、しかし、社会から完璧なまでに隔絶されたような音楽をやっていたRDJでさえも社会の行方を案じる今日この頃において、このノるにノれないダンス・ミュージック集と“崩壊”という強い言葉を表題に用いた裏にはなにかもっと別の理由があるのではないかと勘ぐってしまうのだ。

The Lemon Twigs - ele-king

 「ロック・オペラ」は、これまでの長い間、「良心的な」音楽ファンから「最もオルタナティヴでない」もののひとつと目されてきた。
 この形態の発端となったザ・フーの『トミー』(69年)(萌芽としてはその前々作にあたる『ア・クイック・ワン』(66年)収録の組曲“ア・クイック・ワン ホワイル・ヒーズ・アウェイ”を端緒とする)は、ビートルズが打ち出したコンセプト・アルバムという概念を最大増幅させたものであり、元をただすならば、それまでのシングル~EPメディア中心のリリース形態に反駁するという(ヒップな)企図があったわけだが、コンセプト・アルバムの一般化とともに、そのコンセプト・アルバム性を拡大貫徹しようとした「ロック・オペラ」という形態が、却って大作主義的仰々しさの化身として弾劾されるようになっていく。
 ザ・フーやキンクスといったバンドが手がけた本格的かつ先駆的なものから、デヴィッド・ボウイ、トッド・ラングレン、ウィングス、クイーンなど、要素としての歌劇性を取り入れたアルバムまで広範囲に「ロック・オペラ」の要素と成果を見出すことができるが、しかしながら、元来「ロック・オペラ」に胚胎された大作主義的な心性それ自体が暴走/繚乱するようにして後には形式主義的な傾向が主たる流れになっていってしまったのだ。いつしか「ロック・オペラ」の主たる担い手は、必然的に、いわゆるプログレッシヴ・ロックと呼ばれる音楽を演奏する一団、例えばジェストロ・タル、ピンク・フロイド、ジェネシスなど、あるいはハードロック~ヘヴィ・メタルと呼ばれる音楽を演奏する一団、例えばクイーンズライクやドリームシアターといった者たちに受け継がれていったのだった。これでは控えめに見ても「オルタナティヴ」な状況とは言えない。

 ロック・バンド:ザ・レモン・ツイッグスは、周知の通り非常に若い(二十歳そこそこ)ブライアンとマイケルのダダリオ兄弟による音楽活動時の別名である。70年代から活動するミュージシャンのロニー・ダダリオを父に持ち、かつて女優活動をおこなっていたというスーザン・ホールの間に生まれた彼らは、その所与の文化資本力を天真爛漫に見せつけた2016年のファースト・アルバム『ドゥ・ハリウッド』で、世の者たちに少なくない衝撃を与えた。その衝撃の主な内容は「今の時代にこんな〈まっとうなロック〉を素晴らしい完成度で実現する若者がいるなんて!」という、懐古主義傾向を普段恥じらいながらもどうしても「あの頃」のパッションに懐かしむ/憧れる、年寄り/若者たちからの感嘆だった。昨年のフジロック・フェスティバルでのライヴ・パフォーマンスに浴すことのできた私も、やはりその感嘆を強くもったひとりだ。しかしながら昨今では、この種の感嘆は、その懐古風の音楽自体の批評性を議論するという地平の前に、旺盛な持続力に欠けることも、感嘆をしているその人自身も気づいてしまっているのだ。だからこそ、その感嘆のエンジンに給油をしてくれるようだったEP「ブラザーズ・オブ・デストラクション」に一応満足しつつも、つづいて来るべきセカンド・アルバムがどんな内容になるかを(お節介ながら少し心配しながら)期待していた。

 まさか、この30数年前に(批評的地平からは)葬り去られたはずの、大作主義の権化たるあの「ロック・オペラ」に彼らが挑戦するなんて、という喫驚とともに、なんとなく得心もしてしまったのだが、その実、本作『ゴー・トゥ・スクール』は期待以上に素晴らしいアルバムだ。
 コンセプト、意匠としては従来の「ロック・オペラ」に蓄積された成果をもちろんながら踏襲し、ロック・ミュージック黄金期に充満していたエネルギーを(複写的手法を用いるときに生じる熱量の減退という問題を巧みに避けながら)存分に発散している。次々とものすごいスピード感で去来する音楽要素の入り乱れは、これまでに増してスリリングで、耳を通り過ぎるその要素を書き出すなら、ローリング・ストーンズ、ビッグ・スター(唯一生存するオリジナル・メンバーであるジョディ・スティーブンスが実際に録音へ参加している!)、キンクス、トッド・ラングレン(実際に録音へ参加している!)~ユートピア、ポール・マッカートニー、ヴァン・ダイク・パークス、ニルソン、アラン・パーソンズ・プロジェクト、ミートローフ、ルー・リード、デヴィッド・ボウイ、セイラー、10cc、続く続く続く……という感じで、まさにレファレンスの洪水という印象を抱かせる。しかしながら、これまでにあったような、ガレージでダッド・ロック(お父さん世代のロック)に戯れるような内向性が薄らぎ、それよりもむしろ、聴衆と観客を予め想定したような強固な作品外郭を感じさせるものになっている。また重要なのは、曲から曲へと、あるいは曲内で矢継ぎ早に要素が用いられ、こね合わされ、昇華され、吹き飛ばされていく、その異様な加速感であろう。くるくると出し物が入れ替わるミュージック・ホールでの風景のように、様々なクリシェ的音色が飛び、過ぎ去っていく。この加速的快感は、昨今注目されるようなシンギュラリティに至ろうとする破壊的な加速主義的な心性では決してなく、むしろかつての未来派的=(男児好きのする)流線型主義のようなものに親和性のあるものなのではないだろうか。速くて、大きくて、鮮やかで、甘くて、パワフルでポップなものが大好きな兄弟が、めちゃくちゃ楽しそうに音楽で遊んでいる。それもとても綿密に。
 だから、このアルバムは、ティーニーボッパーな世界への反抗として無理をしてしかめ面をしてみせたような(だから今古びてしまったように思われる)かつての「ロック・オペラ」とは決定的に異なっている。むしろティーニーボッパー的心性を極めて制御的に(けれど異常に素早く)再構築した、「ロック・オペラ〈的〉パワー・ポップ」であると言えよう。成長しつつある知性と肉体は、かならずしも難解なテクストの構築に向かわなくても良いのだ。ジュヴナイルの完成度を高めるために向かってもいいじゃないか。すくなくとも、ロックっていうのは最初そういう音楽だったはずなのだし。

 純真な心を持つ(自らを人間だと思いこんでいる)チンパンジーのシェーンが主人公となるトラジディは、その切なさと寄る辺なさにおいて非常な輝きを発揮しているが、アウトサイダーが周囲との軋轢と相克に苦悶するという『トミー』~『ジギー・スターダスト』~『ザ・ウォール』と続く伝統を踏まえながらも、それらかつての作品群に見られるような、社会への湿り気のあるアンチヒーロー的懐疑/呪詛といったものがない。学校に放火するような野放図な行動も描かれるが、むしろここにあるのは、繰り返し(ときにコピーを重ねすぎて異様な形で)描かれてきた、郊外のアメリカン・ユース・カルチャーに取り付く気の抜けたソフト・ドリンクのように不気味に甘いゴシカルな気配である。
 描かれる風景がどんなに破滅的だろうと(シェーンが憧れの女子生徒から性の慰みものにされ打ちひしがれる場面など、とてもショッキングだ)、愛の救済と承認(「もしも愛があれば違っていたのに」という形だろうと)が意外なほどまでの素直さによって称揚されることに見て取れるのは、かつての「ロック・オペラ」が(無意識にでも)不器用に主題に取り入れていた自己とそれ以外の対峙と不安という大上段のテーマ性とは異なる、あくまで私的で、同時に、ある意味で未成熟な地平だろう。そして、それでいいのだと思う。いやむしろ、そうあってくれてよかった。ダダリオ兄弟が今こうやって(古色蒼然とした)「ロック・オペラ」という形を無邪気に担ぎ出したのは、彼らがどんなにかつての黄金期ロック・ミュージックの伝統を吸収していようと、逆説的に彼らの歴史意識がロックの歴史から断絶した存在であることを言い表しているし、また、その断絶は彼らの瑞々しさと若々しさを純粋に我々に提示してくれるための「才能の囲い」の役割もしばらくは果たしてくれるだろうから。
 次もまた、「ロック・オペラ」を墓場から引きずり出したように、ロックの亡霊、例えば「ブルース・ロック」あたりに挑戦してもらいたいものである。それはきっとまたしても好ましい成果になるだろう。


Alex Zhang Hungtai - ele-king

 ここは自分のいるべき場所ではない。人生のある段階において、そう感じたことのある人は多いだろう。思春期なんてたいがいそういうもんだと思うし、何かの役に立つことを叩き込まれる学校や何かの役に立たなければ存在価値を認められない会社なんかにいたら、そう感じないことのほうが少ないくらいだろう。
 とはいえその感覚が生きているあいだずっと絶え間なく続くという人も、さすがにそれほど多くないのではないだろうか。かくいう僕自身も、ふだんどこにいても「ここは自分のいるべき場所ではない」と強く感じてしまう質なのだけれど、それでも自室で布団にくるまって眠りに落ちているときだけは、そこが自分の居場所だと実感することができる。だから、何年ものあいだずっと疎外感を味わい続けるというのがどういう状況なのか想像するのはなかなか難しい。しかも、それがたんなる主観の問題ではなくて、きわめて歴史的・政治的な事情に起因するものだとしたら?

 2011年の『Badlands』で一躍脚光を浴び、ロウファイ・リヴァイヴァルとリンクする形で浮上してきたダーティ・ビーチズことアレックス・チャン・ハンタイ。当時のインタヴューが『ele-king vol.03』に掲載されているが、そこで彼はダーティ・ビーチズの音楽のレファランスとしてゴスペルやブルーズ、50年代のロックンロールとともに、アラン・ヴェガやアート・リンゼイ、ヴィンセント・ギャロなどの名を挙げている。それらの音楽が彼のルーツの一部であることは偽らざる真実なのだろう。
 けれども彼はその後『Water Park OST』(2013年)などでアンビエントの要素を取り入れていき、ダーティ・ビーチズ最終作となった『Stateless』(2014年)ではロカビリーやポストパンクの遺産を放棄、サックスとドローンの共存という斬新なアイディアを試みている。その手法は昨年のラヴ・テーマのアルバムにおいてさらに探究されることになるが、そうした彼の音楽的変容は、どうも彼自身のアイデンティティの問題と深く関わっていたようだ。

 本名のアレックス・チャン・ハンタイ名義で送り出された新作『Divine Weight』がおもしろいのはまず、それが〈NON〉からリリースされている点である。台北に生まれ、幼くしてトロントへ移住、10代をホノルルで過ごし、00年代にはモントリオールへ、その後リスボンに引っ越し、最近はLAで暮らしているという彼の移動の歴史そのものが、なるほどたしかに〈NON〉のコンセプトたる「ディアスポラ」と親しみのあるものだと言うことはできる。とはいえ各地を転々とする音楽家は他にもたくさんいるのだから、ただそれだけの理由で〈NON〉が彼を迎え入れたのだとは考えにくい。というか、そもそも彼はなぜ「ダーティ・ビーチズ」という成功したエイリアスを葬り去り、本名で活動することを選択したのだろう?

 今年6月に公開された『FADER』のインタヴューで彼は、「アレックス・チャン・ハンタイ(Alex Zhang Hungtai)」という名前それ自体が中国の政治的な分裂を体現していると語っている。「張」というファミリー・ネームは、それがまったく同じものであるにもかかわらず、中国では「Zhang」と、台湾では「Chang」と、香港では「Cheung」と綴られるのだそうだ。他方で「Hungtai」は台湾のスペルだが、同様に「Hongtai」とも「Heungtai」とも綴られうるだろう、と。つまり「チャン・ハンタイ」という名には中国と台湾の対立の歴史が組み込まれているわけで、そこにさらに「アレックス」という西洋の名が加わるのだから事態は複雑である。

 そのようなアイデンティティの混乱を抱える彼の新作には、「ここは自分のいるべき場所ではない」という感覚が充満している。本作に収められた曲たちはどれも部分においてティム・ヘッカーを想起させるが、その音響はヘッカーより寂寥としており、濁度も高い。美しくも不穏な冒頭の“Pierrot”は、『Stateless』や『Love Theme』で試みられていたサックス・ドローンの最新型だ。ジャズのコードやサックスらしい音色までをも捨て去ったその孤高のサウンドは、声楽を取り入れた“Matrimony”を経由して、“This Is Not My Country”でひとつの頂点へと達する。何より曲名がすべてを物語っている。飽和する無場所性。
 続く“Yaumatei”は、彼が香港の油麻地(ヤウマテイ)で暮らしていたときにそのネオン街の喧騒に圧倒され、自分自身が根絶されているように感じた経験が元になっているのだという。興味深いことに件の『FADER』のインタヴューにおいて彼は、その油麻地を生者と死者がともに徘徊する街として描写し、その様を永劫回帰の概念と結び付けてもいる。そのようなアレックス・チャン・ハンタイの見立てはチーノ・アモービの「横断的固体化」とも共鳴するだろうし(『ele-king vol.22』参照)、そういう視座を彼ないし彼の歩んできた人生が持ちうるという、まさにその可能性こそが彼と〈NON〉との出会いを用意したのではないか――。そうした示唆を振りまきながら本作は、ホドロフスキーからインスパイアされたという長尺のパイプオルガン・ドローンへとたどり着いて、厳かに幕を下ろす。まるで、けっして実現されることのない救済を索めているかのように。

 先述の『ele-king vol.03』のインタヴューにおいて彼は、かつて自身のプロジェクトに「ダーティ・ビーチズ」なる名を与えた理由を明かしている。曰く、「モントリオールの友人たちのバンド、ポストカーズ(Postcards)の歌詞が由来です。シンガーがギリシャからの移民で、ビーチに佇む、自分でも特定できない実在しない国から疎外されていると感じている男の話だったんです」。つまり、「ここは自分のいるべき場所ではない」という感覚それ自体はドローンへと舵を切るまえから彼のなかで渦巻いていたということであり、そんな彼がダーティ・ビーチズ最終作を「ステイトレス=無国籍」と名付け、軸足をインディ・ロックから実験音楽へと移し変えたのは、ロウファイやロックの手法ではその無場所性をじゅうぶんに表現できないと考えたからではないだろうか。彼によるそのようなフォーマットの変更こそが、2010年代という時代のなかで起きた何がしかの変化を告げ知らせている、そんな気がしてならない。


interview with Orbital - ele-king

音楽の核……つまり作家でいう声……はつねに自分の中にあるもので、俺が14歳のとき、初めて作曲をしたときから現在に至って存在するものだ。それは人間の核のようなものであり、変わらないものだ。


Orbital
Monsters Exist

ACP Recordings / Pヴァイン

Techno

Deluxe Edition
Amazon Tower HMV iTunes

Standard Edition
Amazon Tower HMV iTunes

 もはや習性というのか、オーソドックスなテクノやハウスのシングルも日に10から20枚は試聴してしまう。RAが毎月集計しているベスト50もイントロぐらいは聴いている。コンピレーションもバリバリ聴いている。この夏のお気に入りはDJコーツェ“Hawaiian Soldier”やバンボウノウ“Dernier Metro”、あるいはデイヴ・アジュ“They Sleep We Love”やトマ・カミ“Sharp Tool In The Shed”などだった。テル“Cool Bananas”のベース・ラインが頭から離れず、あまりの暑さでバカになったのかと思う日もあった。
 古くからの読者がいるとしたら少しは驚いてもらえるのではないかと思うのだけれど、〈ハートハウス〉や〈ストリクトリー・リズム〉、〈リリーフ〉や〈トレザー〉の新作まで聴いている。というより、ここ数年はその辺りの音を聴いていてもまったく違和感がないといった方がいいだろうか。ごく最近、リリースされた例で言えば『Future Sounds Of Jazz』の「Vol. 14」に〈ニュー・グルーヴ〉から91年にリリースされたベイジル・ハードハウス“Breezin’”が紛れ込んでいたり、ハーバート「Part Two」や「Part Three」がリプレスされ、ペギー・グーが“At Night”をリミックスし、そもそも〈ムードミュージック〉のコンピレーション・タイトルが「バック・トゥ・ザ・フューチャー」である。ぜんぜん進歩がないというか、大して違いがないなら、どうせだったら懐かしい曲を聴いちゃうぞと思うこともしばしば。テクノやハウスの新曲にはそれぐらい新鮮味が薄い。90%以上がただの焼き直しだし、ヴァリエイションの域を出ない。そう思って、ある種の充実感を求めてクラシックばかり聴き出すと、いつのまにか80年代も通り越してピンク・レディーまで聴いているので、過去というのは実に恐ろしい。しかも再発見などというファクターも潜んでいたりするので実にややこしい。皆さんはどうやって過去から逃れているのでしょうか。
 オービタルのクラシックも強力である。正直言ってデビュー当初から現在に至るまで、そんなに難しいことや抜きん出たことをやってきた人たちだとは思わないんだけれど、にもかかわらずオービタルやアンダーワールドが国民的バンドとしてイギリスの音楽界にしっかりと君臨しているということは、その単純さがイギリスの国民性だとかウサギの穴だとかにピッタリとハマってしまったからだと考えるしかないだろう。僕はアメリカの音楽ではドライすぎるし、日本の音楽はウェット過ぎると感じるタイプなので、その中間あたりを狙ってくるイギリスの音楽が最も肌には合っている。“Chime”や“Belfast”、“Lush”やゴールデン・ガールズ名義の“Kinetic”は飽きないし、嫌いになりようがないというか。
 オービタルは2002年に解散し、2009年に活動再開、さらに2014年にまた解散するなど、まったくもって安定感がないけれど、この10年ぐらいはおそらく弟のポール・ハートノルだけが曲をつくり、兄のフィル・ハートノルはライヴを手伝っているだけというスタンスに見える。なので、6年ぶりとなる新作の『Monsters Exist』もポール・ハートノルがインタヴューに応じてくれた。


俺がやっていることは、初期のロックンロールの人たちがやっていたことと大して変わらないと思う。バディ・ホリーの“Peggy Sue”を聴いても、俺は同じことをやっていると思う。

イギリスは学校教育でDJのやり方を教え始めましたけれど、オリジナル・レイヴ世代としてはどう思われます? 政府としては外貨を稼ぐ手段として肯定したということだと思いましたけれど。

ポール・ハートノル(Paul Hartnoll、以下ポール):それは知らなかったな! DJもスキルのひとつだ。それを学ぶのは良いことなんじゃないか? レイヴ・カルチャーを取り巻く状況は30年前、ひどいものだった。政府が実際に何を考えて、そういう教育を始めたのか分からないが、おそらく政府で働いているやつの多くが昔はレイヴァーだったんだと思うよ。だからレイヴ・カルチャーはイギリスに浸透しているし、レイヴ・カルチャーはいまとなってはイギリスの一部だと言えると思う。

同様にイギリスでは建築法が変わり、これから建設される建物の中では大きな音を出してもDJやオーガナイザーが罪に問われることはなく、建築業者が罪に問われることになりました。今年はフェンタニルのせいでイギリスの野外フェスはすべて中止のようですけれど、基本的にはここまでレイヴ・カルチャーが肯定されるということについてはどう思いますか? クリミナル・ジャスティス・ビルに違和感を表明していたあなたたちとしては。

ポール:建築法について詳しいことは分からないが、この国の騒音に対する対応は、俺が知っているなかでも最悪だと思う。俺が訪れたことのある他の国では、どこでもサウンドシステムやPA関係の法律が、イギリスのものよりずっと優れている。イギリスの騒音規制や時間規制は不自由なものばかりだ。特にPAの音に関しては非常に制限が厳しい。バカげた話だよ。俺が行く他の国の多くが、騒音に関してはイギリスよりも良い法律が設定されている。

青木:それは他のヨーロッパの国ということですか? それとも一般的に海外の方がイギリスよりも音を出しやすいと?

ポール:海外全般だね。イギリスのように音に関してヒドい制限がある国はあまり聞いたことがないよ。

2年前のウクライナやハンガリーなどレイヴを取り巻く状況はイギリス以外のヨーロッパでは非常に厳しいものがありますが……

ポール:断っておくが俺はプロモーターでもないし、他の国に住んでいるわけでもない。だからレイヴをやれる状況についてはよく知らない。だが、オフィシャルなクラブやフェスティバルに関して言うと、イギリスは厳し過ぎる騒音の制限のせいで、自由にやらせてもらえないことが多い。俺がいままで行ったことのある国でのクラブやフェスティバルの方が、騒音の制限がないから、ずっと良い音が出せる。他の国でレイヴをやるのがどれだけ大変かというのは、俺ははっきりとは言えないが、ちゃんとした音響を組める場合には、他の国でやる方がずっと良い音が出せることは確か。

マット・ドライハースト(Mat Dryhurst)やアムニージア・スキャナー(Amnesia Scanner)などブロック・チェーンがレイヴ・カルチャーを初期衝動に揺り戻すと考えているプロデューサーもいますが、オービタルとしてはレイヴはどのような方向に向かうべきだとお考えですか?

ポール:ビットコインがどうやってレイヴ・カルチャーを変えることができるんだい?

青木:匿名の番号を招待状として人々に渡し、その番号からレイヴの場所などの情報を入手できるという仕組みだそうです。

ポール:つまり、違法レイヴへの招待状をブロック・チェーンで送るということだな?

青木:そうです。ですからプロモーターの情報も匿名のままで、招待状を受け取った人しかレイヴには行けないということです。

ポール:それは考えたな! 80年代後半にやっていたやり方よりも、そっちの方が良いな。昔は、どこかのガレージから、特定の時間に、秘密の電話番号にかけなくてはいけない、とかそんなだった。レイヴが、どんな方向に向かうべきかは分からない。俺は一度もレイヴを企画したことがない。それは他のやつの仕事だ。俺じゃなくてプロモーターの仕事だ。俺は演奏する方だ。それにオービタルとして、俺たちは毎回、機材を持って参加する。だから、ステージや機材の設置や解体があるから、違法レイヴでは演奏ができない。何千ポンドもする機材を持って違法レイヴに出るにはリスクが大き過ぎる。だから俺たちは違法レイヴには出たことがない。過去に、若い頃、違法レイヴでDJをしたことならあるよ。でもいまはそういうことはやっていない。フェスティバルなどの出演に力を入れている。

オービタルがいま鳴らすべきだと思うサウンドはあなたの内面から湧いてくるものですか、それとも外部からの刺激に対するリアクション?

ポール:トリッキーな話だが、両方だと思うね。音楽は内面から湧いてくるものだ。音楽の核……つまり作家でいう声……はつねに自分の中にあるもので、俺が14歳のとき、初めて作曲をしたときから現在に至って存在するものだ。作曲のスキルは上達していると思う。話すのと同じで、自分の表現したいこと、つまり声を、音楽にして表すというスキルだ。そのスキルは時間をかけて徐々にうまくなっていく。その一方で、音楽のスタイルは、外部からの影響が大きいと思う。テレビドラマの音楽やダンス・ミュージックなど、他の人の音楽を聴いて、「これは良いな。俺もこういうのをやってみよう」と思う。それが外部から影響されたスタイルだ。だが奥にある、自分が発する声で、感情的なもの、そして、どうやってコードをまとめるか、というのはあまり変わらない。それは人間の核のようなものであり、変わらないものだ。外部から得るスタイルは、人間が着る服のようなもの。服を着て、その服で1年を過ごす。そして服を着替える。服には移り変わりがある。スタイルにも移り変わりがある。それは、他の人のスタイルと交換可能だから楽しい部分だ。だが実際の声の部分に関しては、もしラッキーなら、人々は君の声を好きでい続けてくれるだろう、という程度。俺は音楽を30年間書いてきた。オービタルの声をみんながまだ好きでいてくれるということは、俺にとって幸運なことだと思う。

ユーチューブで、この春に行われた「The Biggest Weekend Belfast 2018」を観ましたが、新曲の“Tiny Foldable Cities”から“Satan”に続くところなど新旧の曲が完全にシームレスで繋がっていました。時間の隔たりにはなんの違和感も感じていないという感じですか?

ポール:感じないね。さっき話したことと繋がるけど、スタイルには移り変わりがある。スタイルは30年で変わったけど、その変化は繰り返している。現在の音楽には80年代の音楽の影響が非常に強い。ネットフリックスの最新映画を観たときも、設定は現在なんだが、音楽は80年代のティーン映画『プリティ・イン・ピンク』でかかっているようなものだった。いまでもそういうのが人気なんだ。音楽とスタイルは流行を繰り返す。デカい車輪のようなものだ。車輪は泥を走り、その途中で様々なものを拾って行く。そして新しい技術などが生まれる。俺たちは、短時間で作曲された曲“Tiny Foldable Cities”をかけ、次に古い曲である“Satan”をかけた。だが“Satan”は数年前、俺が曲を少し改良したんだ。だから新しいフレーヴァーが加えられている。曲は同じだ。つまり同じ声だ。だがスタイルが変わった。だが面白いことに、俺が改良するときに選んだスタイルは80年代中盤から後半にかけてのスタイルだった。だから“Satan”は過去のスタイルを加えることによって、新しくなり、いま、オシャレと言われている音へと前進したことになる。そんなことになるなんてクレイジーだろ? ライヴのセットを考えるとき、俺たちには30年分の音楽から選択する。だから曲と曲を繋げたときにうまく繋がる曲を選ぶようにする。そこからつくり上げていく。とにかく、スタイルは移り変わっていくものだ。スタイルで遊ぶのはとても楽しいことだと思うが、音楽の本質、奥にある声というものが何なのかということを考えて、ライヴのセットを組む必要がある。あのセットでは“Satan”をあそこに持ってきたことでうまくいったと思う。“Tiny Foldable Cities”はソフトでメロディックな曲だから、その後は、テンションを上げる必要があった。だからうまくいったと思う。

『Monsters Exist』の音作りはむしろ90年代を念頭に置いていると思ったんですが、90年代と現在で最も似ているところと、まったく異なっていると思うところは何ですか。

ポール:面白いね。俺たちは90年代の音に影響を受けて今回のアルバムを作ったとは思わない。だが無意識にその影響はあるのかもしれない。アルバムをミキシングしたのはスティーブ・ダブと言う、ケミカル・ブラザーズのアルバムのプロデュースやミックスをしている人だ。彼も俺たちと同じくらいの業界経験を持つ、オールドスクールな人だ。俺たちと彼には90年代というルーツが共通してある。それが自然に音楽に反映されたのかもしれない。それは意識していなかったことだ。意識したのは、音楽がそうでなくても、プロダクションに関しては踊れる感じにするということだったね。それで、質問の後半部分は何て言っていたんだっけ?

青木:90年代と現在で最も似ているところと、まったく異なっていると思うところは何ですか。

ポール:いまの技術は90年代のものとまったく異なっているね。エレクトロニック音楽に関しては特に、やりたいことが簡単にできるようになった。デジタルレコーディングが可能になってからは、ロック音楽も同様だと思う。90年代頃からデジタル技術が出始めていたけど、まだテープに録音するのが主流だった。それは制作過程の早い段階で物事を決定しなくてはいけないということだった。いまは何も決めなくて良い。アルバムをリリースするギリギリ前まで変更が可能だ。そういうことが簡単にできるようになった。いまは、自分を律するということを知らなくてはいけない。どの時点で作品が完成したかを見極めるのは、作曲家やプロデューサーやエンジニアにとって、何よりも偉大なスキルだと俺は思っている。アイデアがあってそれを、この地点から、あの地点へと持っていく。そして、あの地点へ持っていったらそれは完成だ。その途中で考えが変わることも、もちろんあるだろうが、この地点からあの地点へ行き、それを達成したから、このアイデアは良しとして完成とする。そして次に進む。それが大事だと思う。その方が音楽のアイデンティティも上手く保つことができると思う。アイデアをずっと練り回していたり変え続けたりしているのは危険だ。パレットで色を混ぜているのと同じで、ずっとやっていると最終的には茶色くなって終わる。せっかく綺麗な色が作れるというのに。

青木:では90年代と現在で最も似ているところは何でしょうか?

ポール:何だろう……音楽はほぼ同じだと思う。昔から変わっていない。音楽はトライブが基本となっているものだ。クラシックを含まない、フォーク音楽のことだけどね。ここで言うフォーク音楽にはロックもダンス・ミュージックも含まれる。楽譜を書いてつくる音楽ではなくて、耳を使って作曲するような音楽。クラシックではなくて、民芸としての音楽。そういう音楽はあまり変わっていないと思う。俺がやっていることは、初期のロックンロールの人たちがやっていたことと大して変わらないと思う。バディ・ホリーの“Peggy Sue”を聴いても、俺は同じことをやっていると思う。俺は歌ってはいないし、そのやり方も全然違うけど、ノリの良いリズムに響きの良いメロディが被さっている。あまり複雑でもないし長くもない。同じ感じだろ? だから音楽はあまり変わっていないと思う。技術は変わったよ。制作をするのがずっと簡単になった。だが簡単になったのはまやかしで、誰もが音楽をつくれると思ったら、それは違う。ギターを誰にでも渡すことはできるが、全員がギターを弾けるというわけじゃない。スタジオや技術に関しても同様だ。スタジオで作業できても、自分が達成したいヴィジョンがなくては、スタジオで混乱するだけだ。ヴィジョンを達成するということが本当のスキルだと思っている。そういう意味では、音楽自体はまったく変わっていない。

[[SplitPage]]

俺にとって「Monsters Exist」というのは「この先、洪水注意」と書いてある道路表示のような、注意警告だ。中世の古い地図を見ていて、この先にはドラゴンやモンスターがいるから、その絵が描いてある、そんなイメージ。

タイトルにある「Monsters」と聞いて僕が最初に想像したのは、例の「GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)」というやつでした。ジョージ・グライダー(George Gilder)は最近の著作『ライフ・アフター・グーグル』でビーグ・データを解析するというビジネスモデルは終わると予言しています。シンギュラリティも起きないと。ちょっと楽観的かなと思いますが、「GAFA」とあなた方の「Monsters」観はズレますか?

ポール:ズレてはいないと思うよ。俺はその企業のことは全然考えていなかったけどね。俺にとっての「Monsters」は政治家やいじめっ子だ。だが確かに、いま挙げた4大企業も「Monsters」として捉えることができるね。俺にとって「Monsters Exist」というのは「この先、洪水注意」と書いてある道路表示のような、注意警告だ。中世の古い地図を見ていて、この先にはドラゴンやモンスターがいるから、その絵が描いてある、そんなイメージ。「モンスターはいるから気をつけなくちゃいけない。剣と盾を持って自分を守らなきゃいけない」。そんなメタファーだ。個人的に俺はモンスターが誰であるかということは言わないようにしている。「ドナルド・トランプはバカ者だ」というタイトルのアルバムを出すこともできるが、そんなことをしてもトランプ支持者を怒らすだけだ。「Monsters Exist」というタイトルのアルバムを出せば、トランプ支持者でも「そうだ、俺もグーグルは嫌いだ」と納得してくれる。人に鏡を向けているようなものだ。「君にとってのモンスターは誰だ?」と。君にとってのモンスターが誰であるか考えてほしい。君は「GAFA」を思いついて、それはそれで結構なことだ。アルバムを聴くとき、そのモンスターたちについて考えてほしい。それが君の聴き方であり、そうすることによってアルバムは君のモンスターについて語るだろう。そういう聴き方をしてもらいたい。

オービタルが紡ぎ出すメロディは古くは中世のジョン・ダウランドに通じる英国調というか、どことなく無常観が内包されていると感じますが、この世界の可能性をどこかで諦めているという感覚があるんでしょうか? 『Snivilisation』(94)などはその感覚が怒りとして出てきたのかなと。

ポール:その作曲家は知らないな。むしろレイフ・ヴォーン・ウィリアムズのような音が入っていると俺は勝手に思っているけれど。だがそれもフォーク音楽が大好きだということが共通していると思う。イギリスの古いものからの影響は多い。70年代のテレビ音楽や、BBCのラジオフォニックワークショップ(『IDMディフィニティヴ』P37参照)でかかっていた音楽などが、オービタルの音楽に反映されている。それらの音楽にはフォークな感じがあり、オールドイングリッシュな感じがしていたから。俺はフォーク音楽もよく聴く。その影響も俺たちの音楽に出ていると思う。俺は昔から中世っぽい音や、フォーク音楽が好きだった。レコーダーやパイプオルガンの音など、当時のインストラメンテーションが好きだ。管楽器のサウンドは魅力的だと思う。オーケストラの管楽器セクションも昔から好きだ。だからそういう時代や音の影響は確かにある。君が言ったジョン・ダウランドもイギリスの典型的な作曲家なら、彼の影響もオービタルの音楽に反映されていると思う。ジョン・ダウランドという名前だな? メモして後で調べてみよう。確かにオービタルの音楽には英国調な、フォークロア的な要素が含まれていると思う。そしてこのアルバムには怒りも含まれている。『Snivilisation』ではパンクロックやインダストリアル・ファンクのダークな過去に迫った作品だった。〈ファクトリー・レコード〉など、エレクトロニック音楽のムーディーな一面に対する俺たちの愛情を表現したアルバムだった。

ちなみにゴージャスな音作りは全体に楽しい響きがまさっていて、タイトルが示すような危機感はあまり喚起されませんでした。そういう聴き方じゃダメなんですよね?

ポール:そんなことないよ。どんな聴き方をしてもいいんだ。このアルバムには、ニヤリとしてしまうようなサウンドは確かにある。元々は怒りのこもったアルバムを作ろうという話をしていた。政治的にもこの世の中は怒りであふれている。その一方で、その混乱から逃避できるようなものをつくりたいという気持ちもあった。そのふたつの意図のちょうど真ん中くらいに着地できたと思う。タイトルは『Monsters Exist』で、アルバム・アートもそれらしいイメージが描かれている。だがモンスターが誰であるかということは明確にしていない。俺にとっては、現代のサウンドトラックみたいなものだ。映画音楽やテレビ音楽を手がけるアプローチと一緒で、現代の状況に合った音楽を作るような感じで今回のアルバムをつくった。だから恐ろしい部分もあるし、爆笑してしまう部分もある。この時勢において、イギリスがEUを脱退したのは、狂気の沙汰としか言いようがない。政治家やブレグジット支持者は何をやりたいのかまったく分かっていない。いや、彼らは、古き良きイギリス帝国に戻ろうとしていたんだ。それは本当にバカげたことだ。イギリスがどれだけ保守的でちっぽけな諸島だということが分かるだろう。“Hoo Hoo Ha Ha”や“P.H.U.K.”などの曲はアッパーで楽しい曲だけどそこには歪みもある。ピエロが乗っている車や、車輪がいまにも取れそうなジェットコースターのような歪みがある。「わーい! ジェットコースターだ! でも本当に死ぬかもしれない!」そんな感じ。そこには奇妙にひねくれた感じがある。それが現在のヒステリックなイギリスを表している。イギリス国民は、ブレグジットという崖っぷちへ喜び勇んで走っている。だが、その先はどうしたら良いのか誰も分からない。本当に話にならないよ! 俺はヨーロッパに行くと、「俺はブレグジットを支持しなかった。あれとは一切関係ない」と、まずみんなに謝らないといけないから本当に恥ずかしいよ。とにかく、アルバムは現状を表現したサウンドトラックだ。そこには“Monsters Exist”や”The Raid”などダークな雰囲気の曲もあれば、最後には大学教授であるブライアン・コックスが深い真理を語っている曲もある。現在の世界の状況やそれに対する忠告が含まれている。“Vision OnE”は「これは一体何を意味するんだ?」という感じもあるし、英国調のフォークっぽい感じもある。“Vision OnE”は比較的今回のアルバム制作段階の初期にできた曲だ。「何が起こっているの? 俺たちは何をやっているんだ?」という警告がなされている。

『Monsters Exist』を聴いてもしょうがないと思う人は誰かいますか? ロシア叩きに忙しいテリーザ・メイを除いて。

ポール:テリーザ・メイが聴いたら、少しは彼女の役に立つんじゃないかな? いや、むしろ鏡を見て自分に聞いてほしい。「私はブレグジットを実現した間抜けとして歴史に残って良いのだろうか?」と。それは冗談で、すべての人がアルバムを聴くべきだ。そしてすべての人がアルバムを買ってくれたら嬉しい。

ちなみに10日ほど前、フランス政府が環境問題に取り組む気がないことに反発してフランスのユロ環境相が電撃辞任しました。こういう政治家は信用できますか?

ポール:この政治家については知らないから、いま、君が言ったことに対するコメントしかできないけど、それは正しいことをしている人のような気がする。政治家がそういう形で辞任するときは、信条があってそうすることが多い。最近の政治家は、政治家としての仕事をする人よりも、キャリア志向で政治家をやっている人が多い。政治家なら状況が良くなっても悪くなっても自分の信条を貫くべきだ。権力を保とうとするゲームをしているやつらが多すぎる。だからそのフランスの政治家には、正しいことをやろうという姿勢が感じられる。そういう人がたくさん政治に参加してくれたら良いと思う。

今回、ゲストで参加しているのは物理学者のブライアン・コックスだけですか?

ポール:そうだ。彼の、人生を肯定する「何をやってもOK!」という内容のスピーチを最後に入れた。彼のテレビ番組が大好きで、彼に連絡を取り、最終的に、俺が話してもらいたかったそのままのことを話してくれたから最高だったよ。彼と話し合って、最近、彼が読んだ本からの結論部分を彼が読んでくれた。そしてそれを持ち帰り、素敵な曲になるようにまとめた。

ちなみに前作『Wonky』でレディ・レッサー(Lady Leshurr)を起用したのはなぜですか? グライム嫌いにも届いてしまう彼女の才能はすごいですよね。

ポール:彼女は素晴らしいよ。友人を介して彼女を知ることになった。俺たちは女性のラッパーを探していたんだ。彼女の名前が挙がったから、“Lego”という彼女の曲を聴いて「彼女は最高だ! 俺たちにぴったりだ!」と思った。まさに俺たちが求めていた人材だった。何年か前、BBCの「アーバン・プロームス(URBAN PROMS)」というテレビ番組に出演していたときも出演者の中で圧倒的に彼女が上手かったよ。

君にとってのモンスターが誰であるか考えてほしい。アルバムを聴くとき、そのモンスターたちについて考えてほしい。それが君の聴き方であり、そうすることによってアルバムは君のモンスターについて語るだろう。

若手で気に入っているのはネイサン・フェイクだとか。ほかに若手のプロデューサーでひとり、同世代のプロデューサーでひとり、それぞれ気になる人を挙げて下さい。

ポール:同世代のプロデューサーで好きな人と若い世代のプロデューサーだね。同世代だと俺はエイフェックス・ツインの音楽をいまでも楽しんでいる。彼は本当に笑わせてくれるよ。ミステリアスに見せているペルソナも好きだし、彼の音楽はいつも興味深い。彼の音楽のすべてが好きというわけではないけれど、興味はそそられる。彼は最高だよ。新鮮味を失っていない。あとは誰かな? 若い世代だとネイサン・フェイクと同世代でジョン・ホプキンスが好きだ。そんなに若くもないけど、俺にとっては若い世代だ(笑)。彼はつねにダンス・ミュージックやエレクトロニック音楽の構成が何であるかという限界に挑戦していると思う。だから彼には興味がある。“Emerald Rush”という最近の彼の曲は素晴らしい。とても面白い曲で、この曲を聴くと、「これはどうやってつくっているんだ?」と気になる。エレクトロニックな音で、俺に「これはどうやるんだろう?」と疑問に思わせることができるというのは良いことだ。

ローレル・ヘイローがゴールデン・ガールズ名義の“Kinetic”を『Minutes From Mirage』でミックスしていて、ちょっと驚きました。最近、あなた方の曲を若手が使って、その使い方などで驚かされたというようなことはありますか?

ポール:ないね(笑)。

青木:あるでしょう!

ポール:“Belfast”がミックスされたのをどこかで聴いたけど、それももう8年くらい昔のことだ。俺は最近はもう踊りに行ったりしない。フェスティバルやレイヴには行くけど出演者として行く。これはあまり言いたくないけど、50歳になった俺はもうあまりレイヴしなくなってしまったんだ。クラブにも行かない。嫌いなわけじゃないけど、もう興味がなくなってしまった。俺には子どもが3人いる。彼らと家でホラー映画を見ている方が楽しい。だがフェスティバルやレイヴに行くときは会場を歩き回り、どんなイベントなのか自分でも体験するようにしている。最近のイベントがどんな感じかを見るのは楽しいし興味深い。俺も実はどこかで最近、ゴールデン・ガールズがかかっているのを聴いたんだ。どこだったかな? 嫌だな、思い出せない。どこかでかかっていて、この曲がまだかかっているなんて面白いなと思った記憶がある。“Kinetic”は変な曲で、あの感じがずっと続く。

さらに新作から離れてしまいますが、個人的にはニコラス・ウィンディング・レフンの『Pusher』でサウンドトラックを手掛けたことも驚きでした。あれはどんな経緯で手掛けることになったのでしょう。

ポール:昔からの友人でロル・ハモンドという奴がいて、彼はドラム・クラブというバンドをやって、ドラム・クラブというクラブもロンドンで経営していた。

行ったことあります。地下鉄の廃線にあったクラブですね。

ポール:そう。彼が『Pusher』の音楽監督をやっていて、俺たちに合う仕事だと思ったらしい。彼が連絡をくれて「やらないか?」と聞いたとき、俺たちはちょうど『Wonky』をミキシングしているところだったから「時間がない」と答えた。だが、彼から再び連絡が入り、「頼むからやってくれよ!」と言われたので、それならオービタルとしてやることにして、フィルにも参加してもらうことになった。『Wonky』のアルバムをミキシングしにロンドンに通う電車の中で、サウンドトラックの作曲のスケッチをすべて完成させ、アルバムをミキシングしている傍ら、サウンドトラックの作曲を進めた。サウンドトラックのスケッチを数週間で完成させ、『Wonky』のミキシングが終了した後、2週間かけてサウンドトラックをミキシングして完成させた。すごく楽しい企画だったし、参加できたことは光栄だったよ。

最後の質問です。あと何回ぐらい解散する予定ですか?

ポール:数週間後には解散する予定だよ。それは冗談で、もう解散はしないと思う。俺たちは約束をしたんだ。どんな馬鹿げた事情や理由があっても、バンドは解散させないと。バンドはこの先ずっと続ける。それが俺たちの計画だ。

青木:ありがとうございました! 日本に来るのを楽しみにしています!

ポール:ありがとう! 日本には来年の夏まで行く予定がないんだけど、もっと早く行きたいからそれが実現できるようにプッシュしているんだ。いまはライヴで忙しいから詳しくはまだ分からないけど、早くまた日本に行きたいよ!

青木:お待ちしています!


Georgia Anne Muldrow - ele-king

 怒濤の〈Brainfeeder〉祭り、続きます。かつて〈Stones Throw〉からデビュー・アルバムを発表し、マッドリブとのコラボや、エリカ・バドゥ、モス・デフ、ディーゴらの作品への客演で知られるLAのシンガーソングライター/マルチインストゥルメンタリストのジョージア・アン・マルドロウが〈Brainfeeder〉と契約、同レーベルより最新作をリリースします。国内盤CDとデジタルは10月26日に先行発売(輸入盤CD&LPは11月2日発売)。なお、10月24日発売予定の『別冊ele-king』には、彼女のインタヴューが掲載されます。そちらも合わせてご期待ください。

Georgia Anne Muldrow

現代のニーナ・シモンとも称される才媛、ジョージア・アン・マルドロウ、
フライング・ロータスをエグゼクティブ・プロデューサーに迎え、
設立10周年を迎えた〈Brainfeeder〉から待望の最新アルバムを発表!
アルバムから先行配信曲“Aerosol”が解禁!

彼女は本当に素晴らしいよ。ロバータ・フラックやニーナ・シモン、エラ・フィッツジェラルドを彷彿とさせる。特別な存在だよ。 - Mos Def
これからは彼女の時代だ。 - Ali Shaheed Muhammad(A TRIBE CALLED QUEST)

今年設立10周年を迎え、夏にはソニックマニアでステージをまるごとジャックしたアニバーサリー・イベントを大盛況のうちに終え、ますます勢いを増すフライング・ロータス主宰レーベル〈Brainfeeder〉。ロス・フロム・フレンズ、ドリアン・コンセプト、ルイス・コール、ブランドン・コールマンと怒涛のアルバム・リリース攻勢が続く中、フライング・ロータス自らがエグゼクティブ・プロデューサーを務めたジョージア・アン・マルドロウの〈Brainfeeder〉移籍第一弾アルバムが発売決定。

ケンドリック・ラマー、エリカ・バドゥ、ATCQ、ブラッド・オレンジ、マッドリブ、ビラル、ロバート・グラスパーら名だたるアーティストが支持する現代のニーナ・シモンとも称されるジョージア・アン・マルドロウにとって3年ぶりのオリジナル・アルバムとなる本作は、大半の楽曲を引き続き自らがプロデュースを行い、ピッチフォークでベスト・ニュー・トラックを獲得した先行シングルにしてタイトル曲“Overload”を含む4曲では、50セントからスヌープ・ドッグ、TDEやOFWGKTA諸作などを手がけてきた西海岸屈指のプロデューサー・デュオ、マイク&キーズ、共同エグゼクティブ・プロデューサーとしてフライング・ロータスに加え、アロー・ブラック、公私ともにパートナーであるダッドリー・パーキンスが参加した力作となっている。

アルバムからは2枚目となるシングル「Aerosol」が9月14日に公開。オランダ人ヒップホップ・プロデューサーのムーズを迎え、回顧的なリリックが映えるスローモー・ファンクを披露している。

Georgia Anne Muldrow - 'Aerosol'
https://youtu.be/nqGOU6d5pLA

「アルバム『Overload』は抑制の中での実験なの。私は、世界中の才能あるアーティストたちの力を借りて、できるだけ明瞭に自分自身を何らかの形に押し込めている。ライブはその解釈を実験する場になる。そこで私と(私のバンドである)ザ・ライチャスは、押し込めたその内容を楽しげな騒音に解放する。この二つのエネルギーがずっと私の中でバランスを取ろうとせめぎ合っていた。生まれたときから……あるいは何かをレコーディングしたいと思ったそのときから。そして、忍耐と規律と忠誠のおかげで、どこが力を入れるベストなポイントなのか、少しずつ明らかになってきた」

と本人が語る通り、彼女の偉大なキャリアにおいてもターニングポイントとなるであろうニュー・アルバム『Overload』は〈Brainfeeder〉より国内盤CDとデジタルが10月26日(金)に先行リリース(輸入盤CD/LPは11月2日発売)。国内盤CD歌詞対訳、解説書が封入され、ボーナストラックが追加収録される。またiTunes Storeでアルバムを予約すると、公開中の“Aerosol”、“Overload (feat. Shana Jenson & Dudley Perkins)”がいち早くダウンロードできる。

また、今回のリリースは〈Brainfeeder〉10周年キャンペーン対象商品となっている。


Brainfeeder10周年キャンペーン実施中

CAMPAIGN 1
対象商品お買い上げで、〈Brainfeeder〉10周年記念ロゴ・ステッカー(3種ランダム/商品に封入)をプレゼント!
CAMPAIGN 2
対象商品3枚お買い上げで、応募すると〈Brainfeeder〉10周年記念特製マグカップもしくはオリジナル・Tシャツが必ず貰える!

応募方法:
対象商品の帯に記載されている応募マークを3枚集めて、必要事項をご記入の上、官製ハガキにて応募〆切日までにご応募ください。

キャンペーン詳細はこちら↓
https://www.beatink.com/user_data/brainfeederx.php

label: BRAINFEEDER / BEAT RECORDS
artist: Georgia Anne Muldrow
title: Overload

国内盤CD BRC-583 ¥2,400+税
ボーナストラック追加収録 / 解説・歌詞対訳冊子封入

BEATINK.COM:
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=9857
Amazon: https://amzn.asia/d/eGBLizI
Tower Records: https://bit.ly/2xhrPvp
iTunes:https://apple.co/2Qo7axs
Apple Music:https://apple.co/2N6pJbz

Swamp Dogg - ele-king

 これはぶち飛んだ。この4月にリリースされたマウス・オン・マース『ディメンジョナル・ピープル』には数多のゲストがフィーチャーされ、そのなかでもスワンプ・ドッグがクレジットされていたことにはかなり驚き、その経緯についてヤン・ヴァーナーにも訊いてみたばかりだった(「エレキング」22号参照)。それだけのことでスワンプ・ドッグの新作を聴いてみようと思った。いや、それだけではない。タイトルに「オート・チューン」と入っていたことが決め手だった。『愛と喪失とオート・チューン』。どんなタイトルだろうか。スワンプ・ドッグことジェリー・ウイリアムズ・ジュニアは今年77歳になるヴァージニア州のブルースマン。これが、そう、オート・チューンで声を変形させ、ブルースやソウルを歌いまくっている。“I'll Pretend”ではボン・イヴェールことジャスティン・ヴァーノンまで従えている。サイケデリックである。細かいギターのカッティングではじまり、シンセ・ベースに導かれた”$$$ Huntin’”などはもはやエレクトロだし、アルバート・キングがモダン・ブルースで、ファンタスティック・ネグリートがコンテンポラリー・ブルースなら、『愛と喪失とオート・チューン』はそれこそフューチャー・ブルースというしかない。ほとんどフィードバック・ノイズだけでソウル・ナンバーを歌い上げる”Sex With Your Ex”やブレイクビーツでがっしりとしたリズムを刻む“She's All Mind All Mind”も素晴らしい。

(全曲試聴可)
https://www.npr.org/2018/08/30/641286054/first-listen-swamp-dogg-love-loss-and-auto-tune

 プロデューサーはまさかマウス・オン・マースじゃないだろうなと思ったらライアン・オルスンという人で、どうやらボン・イヴェール周辺の人らしい(よく知らない)。カニエ・ウエストの『808s&ハートブレイク』など最近の音楽はオート・チューンだらけだなあと感じていたスワンプ・ドッグはどうやらオルソンに自分の曲を好きにいじらせたらしく、言ってみればギル・スコット・ヘロンのラスト・アルバムをジェイミー・XXがリミックスして『ウイ・アー・ニュー・ヒア』(11)として生まれ変わらせたのと同じ経過をたどったものだと想像できる。元々、サイケデリックな表現を核としてきた人なので、そのようにして曲が変形していくことにはこれといった抵抗もなかったのだろう。出来上がったサウンドを聴いて「驚いちゃったね、もう(I was knocked out by what I heard. I couldn't believe it was me. It's some of the greatest and outrageous music I've ever heard come out of the Swamp Dogg.)」みたいな発言をしている。『ウイ・アー・ニュー・ヒア』と大きな違いがあるとすれば作者名にオルスンの名前は入れず、自分の名前だけがクレジットされているところだろう。リリース元のホームページでは「スワンプ・ドッグは国宝だから」とまで言い放っていて。

 「1977年にローリング・ストーンズはいらない」と歌ったクラッシュの歌詞をまともに受け取り、阿木譲の『ロック・マガジン』で紹介されていたディスコやニューウェイヴばかり聴いていた僕は1986年にロンドンで忌野清志郎と知り合い、彼の音楽に打ちのめされたことで一種のアイデンティティー崩壊を起こしてしまった。それまで否定していたオールド・ロックに感動してしまったのだから、これはもう大変なショックで、価値観が揺らいだままどうすることもできず、どっちも好きなのが自分だと思えるまでに1年間も悩んでしまった。いまから思うと、よくもそんなことで世界の終わりでも来たかのように悩み続けられたなとも思うけれど、あの時期の自分に聴かせてやりたいと思うアルバムが『愛と喪失とオート・チューン』です。驚いただろうな、オレ~。それともまったく意味がわからなかっただろうか。

 それにしても、ジョン・ハッセルといい、ジョージ・クリントンといい、今年は70代がどうかしてますよね。山根会長とか。

Animal Collective - ele-king

 アニマル・コレクティヴの逃避主義を考えるとき、彼らが浮上した00年代前半のアメリカの空気を思い出す必要がある。高いビルに飛行機が突っこみ、国内世論は内向きになり、大量破壊兵器という理由をでっち上げて戦争の準備を進めていた不穏さのさなかで、たとえばブライト・アイズのように曇りのない目で、古くからのフォーク・サウンドとまっすぐな反抗心から社会に立ち向かう若者もいた。だが、そうではなく、「フリー」の冠をつけたやたらに音響化されたフォーク・ミュージックを鳴らす若者たちもいっぽうではいて、彼らは彼らなりに荒んだ世のなかへの抵抗を試みていたのかもしれない。同じように曇りのない目で……『キャンプファイア・ソングス』、『ヒア・カムズ・ジ・インディアン』、そして『サング・トンズ』といったアルバムからは、こことは違う世界をいつもとは違う感覚で体験したいという欲求が聞こえる。リヴァーブやディレイを多用する彼らの茫漠とした音は、違う世界に行ってみたいと願っていたたくさんの子どもたちを実際に引き連れてヒプナゴジックと呼ばれたそれなりに大きな潮流を生み出し、そして、00年代後半に向けてポップへと化していく。
 彼らのモチーフが動物や自然に向かうのも当然だった。なぜならサイケデリアは幻覚剤に頼らなくても、そもそも自然のなかに息づいている。動物の身体の模様や植物の色彩、あるいはそれらが鳴らす音自体が生み出すトリップ。それは明確な意見を強要してくる息苦しい社会をしばらくの間忘れさせてくれたのだろう。

『タンジェリン・リーフ』はアニマル・コレクティヴにとって2作目のオーディオヴィジュアル・アルバムで、海洋学者とミュージシャンからなる「アート・サイエンス・デュオ」であるコーラル・モーフォロジックとのコラボレーションだ。音だけでも聴けるが、そもそも映像とともに観ないと意味を成さない作品である。50分以上にわたって、神秘的な光を反射する珊瑚礁の揺らめきとエレクトロニック・アンビエントに浸ることとなる。
 リスボン在住のため参加していないパンダ・ベアを除く、それ以外の3人ではじめて作られたアルバムでもある。ということは自然と力点はエイヴィー・テアに置かれることとなっており、近年のアニマル・コレクティヴの作品群(『センティピード・ヘルツ』~『ペインティング・ウィズ』)よりもエイヴィー・テアのソロ作『ユーカリプタス』からの連続性が強い。敢えてアニコレで言えば『メリウェザー・ポスト・パヴィリオン』期のエレクトロニック・サウンドが基調になっていて、細かく配置された電子音効果がぐるぐると聴き手を取り囲むように回っているが、当然『メリウェザー~』のポップさは完全に融解している。それにビートがクリアだったここ数作とは明らかにモードが異なっており、音こそフリー・フォークではないが、フィーリングとしては『キャンプファイア・ソングス』の1曲めを飾る10分の“Queen in My Pictures”を引き伸ばしたものだと言えばいいだろうか、アニコレのもういっぽうを特徴づけるパーカッシヴな高揚感はなく、ひたすら瞑想的な時間が続く。導入、水に潜っていくようなくぐもった音響が演出されるとゆっくりと下降していくようにヘヴィなドローンとなり、20分を過ぎた辺りで拍子がズレていき強力な酩酊が聴覚を覆いつくす。エイヴィー・テアは英語で何か歌っているようだが、その意味が剥ぎ取られるように長音とリヴァーブで響きのなかに消えていく。
 それにしても、音に囲まれながら映像をじっと見ているとこんな生きものが地球にいるのかと、ファンタジー世界を描いているのではないかという気分になってくる。様々な色でゆらゆらと波打つ触手はまあまあグロテスクだが、70年代の前衛ダンスのように妖しげで美しいとも感じる。ある意味とてもエロティックだし……幾何学的な構成を取る画面にあっても、どこか生々しいのだ。そして終盤、40分を過ぎたころからスペーシーな音がやってくるとそこが果たして海のなかなのか宇宙なのかもわからなくなってくる。この体験をしている人間は、気がつくと知らない場所にいる。幻想的で、感覚だけが支配する場所に。
 ここから喚起されるのは、圧倒的にその「知らない、わからない」という認識である。ここに映されている奇妙な生き物たちがそもそも何なのかわからない。この音響体験で何を得られるのかも知らない。だがそれでいい。何も判断しなくてもいい。ただ浸ればいい……。ポップの欠如という点で批判的なレヴューもいくつか目にしたが、それは“My Girls”を期待しているからであって、彼らの本質を理解していない態度だろう。『タンジェリン・リーフ』はあまりにもアニマル・コレクティヴらしい作品である。

 このコラボレーションは2010年頃から続いている両者の交流の結果であり、今年こうしてまとまった形で発表されたのは偶然にすぎない、が、このような純度の高い逃避がいまこそ求められているのではないかとどうしても思ってしまう。たとえば同様に00年代のブルックリンを彩ったギャング・ギャング・ダンスの久しぶりの新作『カズアシタ』は、社会の混乱を目にしつつも、だからこそニューエイジの陶酔とメディテーションに向かった。アニマル・コレクティヴはあり方としては基本的にずっと同じだったわけだが、「ピッチフォークが一番推すインディ・バンド」などではなくなったいまだからこそ、再びそのコアを露にし始めている気もする。
 アメリカはいっそう荒れている。そのなかで音楽は……この秋で言えば、僕はボン・イヴェールとザ・ナショナルによるプロジェクトであるビッグ・レッド・マシーンのコミュニティ主義に相変わらず心を打たれている。彼らの理想主義、シェアという感覚は、近年アメリカで顕在化し始めたという社会主義者を自称する若者たちの存在と呼応しているだろう。だが、その立派さをどこか手放したくなるときがあるのも事実だ。「知らない、わからない」と無責任に言ってしまいたい瞬間が。立派なことをひとつも言えない子どもたちもいるだろう。『タンジェリン・リーフ』はそんな弱々しさを柔らかく包みこみ、疲れた者たちを海のなかへと連れていく。光や音と戯れているうち、そこは宇宙かもしれないし、意識のなかかもしれない。


  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 64 65 66 67 68 69 70 71 72 73 74 75 76 77 78 79 80 81 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 167 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208 209 210 211 212 213 214 215 216 217 218 219 220 221 222 223 224 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248 249 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260 261 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273 274 275 276 277 278 279 280 281 282 283 284 285 286 287 288 289 290 291 292 293 294 295 296 297 298 299 300 301 302 303 304 305 306 307 308 309 310 311 312 313 314 315 316 317 318 319 320 321 322 323 324 325 326 327 328 329 330 331 332 333 334 335 336 337 338 339 340 341 342 343 344 345 346 347 348 349 350 351 352 353 354 355 356 357 358 359 360 361 362 363 364 365 366 367 368 369 370 371 372 373 374 375 376 377 378 379 380 381 382 383 384 385 386 387 388 389 390 391 392 393 394 395 396 397 398 399 400 401 402 403 404 405 406 407 408 409 410 411 412 413 414 415 416 417 418 419 420 421 422 423 424 425 426 427 428 429 430 431 432 433 434 435 436 437 438 439 440 441 442 443 444 445 446 447 448 449 450 451 452 453 454 455 456 457 458 459 460 461 462 463 464 465 466 467 468 469 470 471 472 473 474 475 476 477 478 479 480 481 482 483 484 485 486 487 488 489 490 491 492 493 494 495 496 497 498 499 500 501 502 503 504 505 506 507 508 509 510 511 512 513 514 515 516 517 518 519 520 521 522 523 524 525 526 527 528 529 530 531 532 533 534 535 536 537 538 539 540 541 542 543 544 545 546 547 548 549 550 551 552 553 554 555 556 557 558 559 560 561 562 563 564 565 566 567 568 569 570 571 572 573 574 575 576 577 578 579 580 581 582 583 584 585 586 587 588 589 590 591 592 593 594 595 596 597 598 599 600 601 602 603 604 605 606 607 608 609 610 611 612 613 614 615 616 617 618 619 620 621 622 623 624 625 626 627 628 629 630 631 632 633 634 635 636 637 638 639 640 641 642 643 644 645 646 647 648 649 650 651 652 653 654 655 656 657 658 659 660 661 662 663 664 665 666 667 668 669 670 671 672 673 674 675 676 677 678 679 680 681 682 683 684 685 686 687 688 689 690 691 692 693 694 695 696 697 698 699 700 701 702 703 704 705 706 707 708 709 710 711 712 713 714 715 716 717 718 719 720 721 722 723 724 725 726 727 728 729 730 731 732 733 734 735 736 737 738 739 740 741 742 743 744 745 746 747 748 749 750 751 752 753 754 755 756 757 758 759 760 761 762 763 764 765 766 767 768 769 770 771 772 773 774 775 776 777 778 779 780 781 782 783 784 785 786 787 788 789 790 791 792 793 794 795 796 797 798 799 800 801 802 803 804 805 806 807 808 809 810 811 812 813 814 815 816 817 818 819 820 821 822 823 824 825 826 827 828 829 830 831 832 833 834 835 836 837 838 839 840 841 842 843 844 845 846 847 848 849 850 851 852 853 854 855 856 857 858 859 860 861 862 863 864 865 866 867 868 869 870 871 872 873 874 875 876 877 878 879 880 881 882 883 884 885 886 887 888 889 890 891 892 893 894 895 896 897 898 899 900 901 902 903 904 905 906 907 908 909 910 911 912 913 914 915 916 917 918 919 920 921 922 923 924 925 926 927 928 929 930 931 932 933 934 935 936 937 938 939 940 941 942 943 944 945 946 947 948 949 950 951 952 953 954 955 956 957 958 959 960 961 962 963 964 965 966 967 968 969 970 971 972