「Nothing」と一致するもの

パソコン音楽クラブ - ele-king

 パソコン音楽クラブ、情報デスクVIRTUALではないしMacintosh Plusでもない。新手のヴェイパーウェイヴではない。前期YMOや80年代エレ・ポップの現代解釈版。ダフト・パンクからの影響もあるんじゃないのかな。しかし、不思議と懐古主義的には聴こえない。トーフビーツから教えてもらった関西の若手有力株。ようやくCD買ったでぇ~。
 はじまりはベッドルーム。ストリートにありがちな人間関係の面倒くさいしがらみはない。オンライン文化の暗闇(アイロニー、シニシズム、憎しみ、悪意)だってスイッチをオフにすればいいだけ。お、可愛い犬もいるんだね。

 パソコン音楽クラブはトーフビーツのフォロワーではない。水曜日のカンパネラの強力なライヴァルというわけでもない。そもそもこの音楽は力んでいない。気取ってはいるが、まわりを意識しているようには思えない。“OLDNEWTOWN”は、トーフビーツの“NEWTOWN”へのアンサーではないのだろう。同じメランコリーでも出し方がまったく違う。前者は、軽い。後者が重たいわけではないのだけれど、パソコン音楽クラブのメランコリーはさっと通り過ぎていく、跡形も残さずに。あ、いま通った? という感じで、ちょっと清々しい。
 ジャケットのアートワークは、「水星」へのオマージュにも受け取れるし、ジェントリフィケーション時代の申し子である自らを表しているのかもしれない。記憶だけがカラフルな、この殺伐としながらも恍惚な風景。好むと好まざるとに関わらず、ぼくたちが暮らしているお馴染みの世界。ザ・スリッツの“NEWTOWN”から39年、NEWTOWNというNEWではない街。
 ぼくもRX17持ってました。リアルタイムで。ダサい音なんだよね、これが。とはいえ、パソコン音楽クラブは「昨日」の音ではない。だからといって「明日」の音でもない。いくぶん感傷的だが、これは「現在」の音なのだ。“Inner Blue”で歌われるようにそれは「終わらない夜」、つまり、ただただ陶酔したいという願い。“Beyond”という最後の曲は夢の時間のはじまりだ。そう、チルウェイヴであれチル&Bであれ、ミニマルであれアンビエントであれ、アンダーグラウンドであれオーヴァーグラウンドであれ、これこそ今日のポップの奔流に通底するもの。パソコン音楽クラブ、今後の活躍が楽しみ。
 

interview with Yo La Tengo - ele-king

ストリートで行進している人びと、落胆している人びと、怯えている人びと。美しい風景とは真逆なんだ。

 暴動が起きている。静かに。それはあのチャイルディッシュな元実業家がいちばん「偉い」立場に座っているアメリカ合衆国はもちろんのこと、ここ日本でも、どこであろうとそういえるだろう。しかしその暴動は主に、例えばワッツ暴動や西成暴動のように怒号や流血を伴ったものではない(そういった暴動ももちろん起こるであろうことを否定しているわけではない)。おそらくいま起こっているそれは主に、内面における暴動である。
 我々はいま、どのような形にせよ、後期資本主義体制下における効率主義と各種マネージメント思想の跋扈により心身の疲弊に絶え間なく晒され、(俗流の理解では最後の聖域とされてきた)「内面」までもが徐々にその戦いの場に供出させられるようになっている。しかも明確に指弾できる誰かにそうさせられているわけでなく、主には我々自らがすすんで、だ。「やり甲斐」は労働の場における新たな付与価値となり、それが収奪されることで個々の内面は切り崩されていく。また、「思想」は分類され、マーケティングされ、その結果として再び商品化(特定の“クラスタ”向けに調味)され外から内面へとやってきて、思想の顔をして内面を牛耳る、といったように。
 こうした趨勢を好ましいと思う人はあまりいないと思うが、悔しいことに、こうした趨勢には火炎瓶の投擲では対抗することが難しい。なぜなら倒すべき「敵」が内面化してしまっているから。

 1971年、躍動する肉体を鼓舞するようなそれまでのロック調ファンクをかなぐり捨て、スライ&ファミリー・ストーンとその首領スライ・ストーンが、『There's A Riot Going On』(邦題:『暴動』)というタイトルの暗く内省的な作品で愛と平和の時代の終焉をあぶり出したことと、ヨ・ラ・テンゴという尊敬を集めるベテラン・オルタナティヴ・ロック・バンドが同名のタイトルを据えたアルバムをこの2018年にリリースをしたということに、何かロマンチックな関連性を見出さないでいられる音楽ファンはいないだろう。事実、以下のジェイムズ・マクニューに対するインタヴューでは明言が避けられているにせよ、その関連は認められているし、別のインタヴューで彼らは「なぜこのタイトルにしたかは皆それぞれに考えてほしい」とも言っている。

 おそらく本作はバンド史上もっとも儚げで、しとしととした、そして類まれに美しいアルバムだ。最大のアイドルであるヴェルヴェット・アンダーグラウンド由来のギター・ロックを基軸に、ディープなリスナーとしてつねに様々な音楽を吸収し、茫漠としたサイケデリック風景を呼び込むグルーミーな音像、そして極めてメロウな旋律と詩情が融合した世界を作り続けてきた彼らは、世界中に熱心なファンをたくさん生んできた。つねに身近な題材や内面を描いてきた彼らは、もしかするといま、各種のせめぎ合いの場が我々の内面にまで伸長していることを、敏感に察知しているのかもしれない。美しい音楽へと耽溺し、エスケープすることは誰にも止める権利はないし、ときにそうすべきときもあるだろう。けれど、エスケープする先たる我々の内面そのものが何者かによって(それにも増して我々自身によって)侵食/破壊されているのだとしたら。その侵食の脅威にハッと気づかせてくれ、我々を立ち上がらせるのは、このように美しく鎮かなヨ・ラ・テンゴの音楽こそが得意とするところなのかもしれないし、内面で起こりつつある「暴動」を静かに焚き付けてくれるのかもしれない。

 その真摯さゆえなのだろう、相変わらず質問をはぐらかそうとしているように見えるジェイムズ(ライターとしては困ってしまうが、ファンとしては妙に嬉しくもある……)だが、要するに彼はこう言いたいのではないか。「全ては君の解釈さ。解釈するその内面の自由を大事に」
すべての解釈をいたずらに肯定するのではなく、解釈が成り立つ場として、我々の内面を慈しむこと。来る3年ぶりの来日ツアーで、彼らがいまどんな演奏を我々の内面に届けてくれるか、とても楽しみだ。

※ 以下の電話インタヴューは、アルバム発売時におこなわれたものです。

音楽学校に行ったり、ミュージシャンになるためにプロからの教育を受けなくても、経験でそれができるようになったのはすごくありがたいことだったし、良い気分だった。

最新作『There's A Riot Going On』は、みなさんのこれまでのディスコグラフィーのなかでももっとも美しい作品の一枚だと思いました。今作のオフィシャル・インタヴューで、アルバムがリリースされるまでの「待つ時期」は辛い、とおっしゃっていましたが、それから開放されて、いまどんな心持ちでしょうか? 

ジェイムズ・マクニュー(James McNew、以下JM):ははは(笑)。でき上がってからリリースされるまでの期間は、なんとも言えない時間なんだ。皆が聴けるようになるまで、ただ待って、待って、待ちまくる。その期間は緊迫の毎日だから、アルバムがリリースされていまは本当にハッピーだし、ホッとしているよ。日本にも行けるしね。日本は好きだから、また訪日できるのが待ちきれないよ。

本作はみなさんの作品のなかでも、楽曲もサウンドもとりわけジェントルでメロウな印象を受けました。そのようなモードになったのはなぜなのでしょう?

JM:それは意識してそうなったわけではないから、僕たちに理由はわからない。あと、僕たち自身はあまりジェントルでメロウな作品とは感じていないんだ。レコーディングも緊張感に溢れていてまったくメロウではなかったし(笑)。アメリカでライヴをしたんだけど、ライヴ自体もすごく緊張感があった。だから、僕にとってはまったくリラックスの要素はなくて、どちらかと言えば張り詰めた感じのアルバムなんだ(笑)。

皆さんのレコードからは、ありし日の美しくも儚い情景がふと浮かんでくるような、記憶や風景を喚起させる力を感じます(そして今作ではその感覚をより強く感じます)。あなたたち自身でも、曲作りをおこなっている際や演奏している際に、そういった感覚を覚えることはありますか?

JM:それも、君がそれを感じるとすれば、たまたまそういった音楽になったということだと思う。前回のアルバムを除いては、僕らはアルバムの音楽の方向性を初めからわかっていたことがないんだよ。コンセプトを考えたことがなくてね。だから、今回もコンセプトはない。自分たちが特にそれを感じることはないけれど、君がそう感じてくれたなら僕らはハッピーだよ。リリースされたいま、音楽はリスナーのものだし、自分たちの音楽が人に何かを感じさせることができているなんて本当に嬉しい。でも、僕たちはそういう風景は感じないんだ(笑)。というのも、僕らがアルバムで歌っている内容は、そう言った風景とはまったく逆のものだからね。ストリートで行進している人びと、落胆している人びと、怯えている人びと。美しい風景とは真逆なんだ。

今回は元々サウンドトラック作品の制作がきっかけとなり、その流れでオリジナル・アルバムの制作へ入っていたっと伺いました。劇伴音楽の特徵たる「映像とともにある音楽」、そのような意識は今作にも受け継がれていると思いますか?

JM:この質問に答えるのは難しいな。自分たちの周りにあるものすべてが受け継がれているからイエスとも言えるし、かといってそれがどう受け継がれているのかは自分たちにもわからない(笑)。自分たちのライフすべてがインスピレーションだからね。でも、サウンドトラックのプロジェクトの流れでアルバム制作がはじまったのは事実。あれがうまく行ったからアルバム制作につながったとはいえるね。作業と曲作りがテンポよく進んだんだ。すごく良い勢いがついているところでムーヴィーのプロジェクトが終わってしまったから、ムーヴィーなしで自分たち自身のためだけの作品を作りはじめたんだよ。

今回のアルバムに限らず、映像のための音楽を作る経験から何か得たことはありますか?

JM:ムーヴィー用の音楽のために、2004年から徐々にニュージャージーにあるリハーサル場所みたいなところで作業してきて、そのときは、エンジニアもプロデューサーも雇わず、ずっと自分たちだけだったんだ。そこには小さなレコーディングのセットアップなんかがあるんだけど、徐々にその場所での作業が上手くなっていったし、そこでの居心地が良くなっていった。自分たちの楽器も全部そこにあるしね。そういう面では、そこで自分たちだけで作業するようになったのはムーヴィーの経験からだから、それがいちばん大きな影響かもしれない。自分たちだけでも作品が作れるということを、その経験から学んだんだ。30年以上の活動のなかで、まったく新しいやり方で作品ができたときはすごくエキサイティングだったよ。新しい経験だったし、自分たちがやりたいだけミスをすることができたし、すごくスリルがあって自由だった。それを感じることができるようになったのは、ムーヴィーのプロジェクトの経験を通してだね。

いまのインディ・ロック・シーンは、すごく良い状態だと思うね。良いバンドがいないとか、勢いが落ちてきていると言われてもいるけれど、自分が好きな音楽、バンドというのは、探し続けている限り必ず見つかると思うんだ。

前作『Fade』ではジョン・マッケンタイアがプロデュースを担当していました。今作はバンド自身のセルフ・プロデュース作です。「プロデュース」という言葉の定義はときに曖昧でもあるかと思うのですが、あなたたちにとって「レコードをプロデュースする」とはどういったことなのでしょうか?

JM:すごく自然。僕たちはプロデューサーでもエンジニアでもないけれど、何年もかけて、素晴らしいプロデューサーやエンジニアと一緒に作業してきて、多くを学んできた。ロジャー・ムジュノーやジョン・マッケンタイアたちは、僕たちに多くを教えてくれたんだ。今回も、わからないことがあったときはメールで教えてもらったりしたし(笑)。音楽学校に行ったり、ミュージシャンになるためにプロからの教育を受けなくても、経験でそれができるようになったのはすごくありがたいことだったし、良い気分だった。自分の頭のなかにあるアイディアをそのまま、かつどうにか表に出すというのは、直感的でもあったね。

今作は、スライ&ザ・ファミリーストーンの『暴動』(71年作)と同名であることが話題となっています。ご自身たちで思う、あのアルバムと今作の共通点と、また相違点は何だと思いますか?

JM:それは僕らにはわからない。自分たちとそのタイトルとの繋がり方と、スライとそのタイトルとの繋がり方は違うんじゃないかな。でも、感情的に、スピリチュアル的に何かコネクションがあるんじゃないかとは感じているよ。

音楽および社会的な面において、1971年と2018年に何か象徴的な共通点と、また異なった点があるとすれば、どんなことだと思いますか?

JM:どうだろう(笑)。もっと変わってくれていたらと思うけど、問題はまだまだ残っていて、その問題の数々は全然変わっていないと思う。解消されつつある部分もあるかもしれないけれど、状況は同じなんじゃないかな。

このような時代だからこそ声高にプロテストを叫ぶ流れもあるなかで、本作ではむしろ何気ない日々を慈しみ、それを丁寧に伝えようとするような印象を抱ききました。いまこの時代において、そうしたパーソナルなことを歌い続けていくことの意義というものがあるならば、どういったことだと思いますか?

JM:僕自身は、そこに違いは感じない。皆、自分が言いたいことを表現しているのは同じで、表現の仕方が違うだけだと思うよ。例えば(初期の)ボブ・ディランのようなやり方もあるし、僕自身はボブ・ディランも好きだし、表現方法や音楽との繋がり方に選択肢がたくさんあって、皆がそれぞれに混乱や自分たちの周りにあるものを表現しているんだと思う。

オルタナティヴ・ロックがシーンに登場してから長い年月が経ちました。80年代からつねにシーンの一線で活動を続けてきたみなさんの目からみて、現在のインディ・ロックのシーンの状況はどのように映りますか?

JM:すごく良いと思う。素晴らしい若いバンドがたくさんいるし、長年活動していて、いまだに、そしてさらに力強い音楽を作り続けているバンドもまだたくさんいる。それらのバンドが共存しているいまのインディ・ロック・シーンは、すごく良い状態だと思うね。僕自身が好きな音楽が溢れている。良いバンドがいないとか、勢いが落ちてきていると言われてもいるけれど、自分が好きな音楽、バンドというのは、探し続けている限り必ず見つかると思うんだ。

みなさんとも深い交流のある坂本慎太郎さんですが、みなさんの催促も届いたのか、ついに昨年からライヴ活動を再開しました。今回のツアーでも10/11の東京追加公演では対バン共演をされますね。彼との出会いによって与えられた影響というのは、今作にもどこかへ表れていたりするのでしょうか?

JM:彼がライヴ活動を再開して、僕は心から嬉しい。でも、面白い質問だけど、僕には彼との出会いの影響がどう反映されているかはわからない。彼の音楽は大好きだし、彼らと一緒に演奏ができたのは素晴らしい経験だった。すごくマジカルな瞬間だったし、坂本さんとは良い友情を築けているんだ。彼がまた音楽を作りはじめてライヴ活動をはじめたことが、本当に嬉しいよ。

ずっと自分たちのレコードもアナログでリリースし続けているから、あまり復権という感覚はないね。僕らにとって、レコードというものはすごく自然な存在なんだ。

交流のある坂本慎太郎さんやコーネリアスといったアーティスト以外に、近頃注目している、もしくはお好きな日本のアーティストがいれば教えてください。

JM:たくさんいすぎて、誰からはじめればいいか……日本のサイケデリック、エクスペリメンタル音楽、70年代の音楽がとくに好きなんだけど、はっぴいえんどは好きだね。あとは、細野晴臣、ボアダムス。彼らの音楽にはどれも独特のソウルがあって、彼らのような音楽はこの世にふたつとない。ヨ・ラ・テンゴは彼らからとてつもなく影響を受けているし、彼らは、僕たちがこれからも絶えることなくインスピレーションを受け続けるアーティストたちだね。

ここ日本でも、この10年ほどでインディ・シーンが成熟してきつつあり、あなたたちのように長い年月にわたって質の高い作品をリリースし続け、ライヴもおこない続けているバンドに対しリスペクトを持っている若いアーティストたちも多くいます。「バンドを続けていくこと」にはどんな喜びがあるのか、また続けていくにあたってのコツはなんでしょうか?

JM:わからないな(笑)。じつは、僕はあまりそれを考えたことがない。バンドを続けるということを意識していないんだ。僕らは、お互い3人が出会ったことがただただラッキーだと思っているし、自然に作業していくなかで達成感が感じられることを皆で続けているだけ。何がコツかはわからないけど、若いバンドの皆が自然体で自分たちの作りたい音楽を作り続けていってくれることを願っているよ(笑)。

ヘヴィな音楽リスナーでもあるみなさんに伺います。ここ日本でも現役バンドが新作をアナログ盤でリリースしたり、過去の埋もれた作品がヴァイナルでリイシューされたりすることが定着しつつあります。みなさん、レコード蒐集は続けていますか? また、データ~サブスクリプション配信時代におけるこうしたレコード文化の復権についてどんな思いを持っていますか?

JM:もちろん、レコードはいまだに集めている。自分たちは昔からずっとヴァイナルを買っているし、1993年からずっと自分たちのレコードもアナログでリリースし続けているから、あまり復権という感覚はないね。僕らにとって、レコードというものはすごく自然な存在なんだ。でも、ウォークマンやカセットプレイヤーを持ち歩いていた時代を考えると、iPodがやはり素晴らしいとも思う。移動中はよくCDボックスを持ち歩いてなくしたりもしていたけど(笑)、iPodだと、何千もの音楽をあんな小さいもののなかにすべて納めて持ち運ぶことができる。まさにミラクルだよ。

最近購入して、これは日本のファンにもぜひオススメしたい! という音楽作品(新譜旧譜問わず)があれば教えてください。

JM:ニューヨークのバンドで 75 Dollar Bill というバンドがいるんだけど、彼らの作品はオススメ。そのバンドはたまに2人だったり、たまに8人だったりするんだけれど、インストゥルメンタル音楽で、サウンドが本当に美しいんだ。彼らのような音楽は他にないと思う。すごく壮大な音楽だからぜひチェックしてみて。誰もが気にいると思うよ。

National Sawdust にておこなわれた Pitchfork Live の映像がアップされていますが、今後、今作の楽曲がライヴ演奏されていくにしたがい、本作収録曲たちはバンドにとってどんな存在になっていきそうでしょうか?

JM:まだツアーをはじめて2週間だからわからない。これから時間をかけてわかっていくんだろうね。これまで演奏した感じでは、すごく自然に感じているし、本当に楽しい。セットに新しい感情やサウンドが加わるのは、やはりエキサイティングだね。アルバムがリリースされ、みんなの前で演奏されていくことで、曲は成長し、変化していく。いまは、生まれたばかりの子どもを見守っている親みたいな感覚だな(笑)。

ありがとうございました。来日公演楽しみにしています!

JM:ありがとう! 僕たちも日本に行くのを楽しみにしているよ。

OGRE YOU ASSHOLE - ele-king

 OGRE YOU ASSHOLEが9月17日、東京・日比谷野外大音楽堂にて初のワンマン・ライヴを開催した。サウンド・エンジニアに佐々木幸生、サウンド・エフェクトには中村宗一郎(THE SOUND OF PEACE MUSIC STUDIO)というお馴染みのふたりを迎え、今回は複数のスピーカーを用いた「クアドラフォニック・サウンドシステム」を導入しての公演となった。

  • OGRE YOU ASSHOLE
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 この日は朝からよく晴れ、思わず「オウガ日和!」とツイートしてしまうくらいの陽気だったのだが、昼過ぎから徐々に雲行きが怪しくなっていた。このところ、夕方になるとゲリラ豪雨も頻繁に勃発していたため、いざというときのためウィンドブレーカーをカバンに突っ込み野音へと向かう。今日は、サラウンド音響を存分に楽しむため、佐々木と中村が待機するPAブース付近で観ることに。定刻を20分ほど過ぎて、メンバー4人がステージに現れたときにはすでに上空に重たい雨雲が垂れ込めていた。

 まずはメンバー全員がアナログシンセに向かい、電子ノイズを思い思いに発信していく。それがステージ左右のスピーカーと、会場後方に設置された2台のスピーカーをグルグルと行き来する。その立体的なサウンドスケープに驚いていると、2011年のアルバム『homely』から“ロープ”で本編がスタートした。馬渕啓(Gt)による、宙を切り裂くようなファズギターが響き渡り、極限まで削ぎ落としたミニマルな勝浦隆嗣(Dr)と清水隆史(Ba)のリズム隊がそれを支える。続いてセルフ・タイトルのファースト・アルバムから“タニシ”を演奏した後、現時点では最新アルバムの『ハンドルを放す前に』から“頭の体操”。掴みどころのないコード進行の上で、まるで人を食ったような出戸学(Vo、Gt)の歌声が揺らめく。

 さらに、ダンサンブルな“ヘッドライト”、ピクシーズの“Here Comes Your Man”を彷彿とさせるオルタナ・ポップ・チューン“バランス”、3拍子の名曲“バックシート”と、旧作からの楽曲を披露。その間にも雨は降ったり止んだりを繰り返していたのだが、“ひとり乗り”を演奏する頃にはいよいよ本降りに。しかしほとんどのオーディエンスは、手早く雨具を取り出し動じることなくライヴに集中している。さすが。

 筆者ももちろんウィンドブレーカーを羽織ったが、強まる一方の雨のせいでチノパンはあっという間にぐしょ濡れ。関係者エリアは見る見るうちに人びとが退散していき、気づけば周りに誰もいなくなっていた。雨除けのフードを被ったものの、これだと四方八方に音が広がる「クアドラフォニック・サウンドシステム」の威力を100パーセントは楽しめない。そう思ってときおりフードを脱いでみるものの、ものすごい勢いで雨に打たれてすぐに被り直す。

 “ムダがないって素晴らしい”や、“素敵な予感”が演奏される頃には、雷鳴が響き渡るほどの土砂降りに。もはやサラウンド効果を体感することは諦め、フードを被ったまま滝のような雨に打たれて踊り狂っていた。“素敵な予感”では、オリジナル・ヴァージョンからオルタナティヴ・ヴァージョンへといつの間にか移り変わり、そのアブストラクトな音像が雨で乱反射する照明と混じり合う。豪雨によって周囲から遮断され、そんな幻想的な光景に没入し反復するリズムに身体を委ねているうちに、意識は完全にトランス状態となっていた。

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 ライヴはいよいよ終盤へ。トライバルなドラミングに出戸と馬渕のギターが絡み合う“フラッグ”は、引きずるようなテンポで焦らしに焦らし、出戸のシャウトと共にリズムがガラッと変わる。その瞬間、目の前の光景がグニャリと歪むような感覚に襲われた。後半、ヘヴィな展開ではまるで豪雨までも操っているかのように会場の空気を支配していく。その証拠に、“見えないルール” “ワイパー”で本編が終了する頃には、雨も野音から遠ざかっていたのだった。

 アンコールに登場した出戸が、「雨、やみましたね……。僕らが演奏しているときだけ降っていてすみません」と挨拶すると、会場から大きな笑いが起きた。そのまま“ロープ”のロング・ヴァージョンと、9月7日に配信リリースされた新曲“動物的/人間的”を演奏。平成最後の夏を名残惜しむような楽曲で、この日の公演は全て終了した。

 アンコール含め、新旧バランスよく並べた全16曲。これまでのオウガのキャリアを総括するようなこの日のライヴは、決して忘れられない体験となった。

HOLGER CZUKAY - ele-king

 ホルガー・シューカイ(80年代の日本の一部のファンのあいだではその知性と容姿ゆえにホルガー博士とも呼ばれていた)のソロ作品8タイトルがリイシューされる。

 それはつまりこういうこと。
 みんながそこは自由だと思っていた。ギターもLSDもみんな揃っていたから。が、しかし、その外側にはもっと広大な自由があることに気が付いているひとたちもいた。たとえ未熟であっても、いや、むしろ未熟だからこそ自由であることにもそのひとたちは気が付いていたし、いずれにせよ、その広大な自由を選んだ。これが俗にいうところのクラウトロックというもので、70年代前半のドイツのロックが70年代末から80年代初頭のポストパンクと同期したのも、お互いロックの外側の自由に貪欲だったからだった。ホルガー・シューカイはその中心人物のひとりである。
 それは最初から英米中心主義に意を唱えるモノでもあった。サンプリング・ミュージックの先駆的作品と言われる1969年の『カナクシス5』にはベトナムの民謡がミックスされているし、1979年のもっとも有名な人気作『ムーヴィーズ』に収録されたもっともヒットした曲“ペルシアン・ラヴ”にはイランの歌謡曲がカットインされている。ジョン・ハッセルとイーノの『第四世界』やトーキング・ヘッズの『リメイン・イン・ライト』あるいはイーノとバーンの『マイ・ライフ・イン・ブッシュ・オブ・ゴースト』のような作品は、ホルガー博士の(CAN時代の作品もふくめて)存在なくして語れない。
 周知のように、ホルガー・シューカイは、シュトックハウゼンの生徒だった。つまりは、厳密な理論と思想のうえから生まれた電子音楽の父のもとで学んでいる。が、彼はその厳密さを絶対的な自由に変換してしまった。マイルス・デイヴィスのジャズ・ロックとヨーロッパの前衛音楽とのあいだに回路を見つけてしまったし、そして明白な意味において「明日」の音楽を創造した。それは眉間にしわを寄せながら聴くような音楽ではない。基本的に、微笑みの音楽。
 CANやクラフトワークが古くならないように、ホルガー・シューカイが古くならないのはそういうわけだ。いま時代はようやく、かれらが出かけていった「外側の自由」に気が付いて、それをグローバル・ビートなどと呼んだりしている。
 ホルガー・シューカイ、ぜひ聴いて欲しい。

(※今回の再発、2種類のポスター・かレンダーやポストカードの特典があります。どうせなら、お店で買って特典もらってください。詳しくは→https://p-vine.jp/news/20180919-190000

●9月28日発売

PCD-24762

TECHNICAL SPACE COMPOSER'S CREW (aka Holger Czukay & Rolf Dammers) / Canaxis 5
1969年作品
このアルバムは80年代~90年代は聴くのが大変でした。82年にジャケ違いで再発されたもので聴いていたし、オリジナル盤は見たことがなかったです。エレクトロニック・ミュージックにおける重要作。

PCD-24763

HOLGER CZUKAY / Movies
1979年作品
“おー、神様、我らにお金をもっとください”というのが1曲目。ジャンルの境目を消していく、ユーモラスな音楽旅行の傑作。

PCD-24764

HOLGER CZUKAY / On The Way To The Peak Of Normal
1981年作品
ポストパンクとリンクしながらも離れていくナンセンス・ポップ・ロック・ダダイズム。

PCD-24765

HOLGER CZUKAY, JAH WOBBLE, JAKI LIEBEZEIT / Full Circle
1982年作品
まったく古びない(というかそのお手本のような)エディットが冴えている、ダビー・ダンス・トラックの“How Much Are They?”を聴くために買ってもソンしない。

●10月10日発売

PCD-24775

HOLGER CZUKAY / Der Osten Ist Rot
1984年作品
「東は赤」というタイトルで、つまり“東方紅”という中国の国歌で、作中にサンプリングされている。支離滅裂な作品だが、“フォト・ソング”は素晴らしい名曲。

PCD-24776

HOLGER CZUKAY / Rome Remains Rome
1987年作品
「ローマはローマのまま」。教会の聖歌や教皇の言葉のサンプリングをはじめ、“Sudentenland”でもそのサンプル技は冴える。“Hit Hit Flop Flop”のようなお馴染みのギャグも炸裂。

PCD-24777

HOLGER CZUKAY / Moving Pictures
1993年作品
過小評価されがちだがまるで晩年のフェリーニの映画を観ているような気持ちになれる佳作。年季が入ったコラージュとダウンテンポの“All Night Long”が最高。

PCD-24778

HOLGER CZUKAY / Radio Wave Surfer
1991年作品(ライヴ・アルバム)

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黙ってピアノを弾いてくれ - ele-king

 諸説あるので手頃なところでまとめてしまうと人類は直立歩行をするようになって両手が自由になり、さらに肉食によって脳の容積が倍=現在の大きさになったという。「手」や「脳」が人類にもたらしたものは計り知れない。そう、フェイクニュースを流したり、過剰融資や人身売買は人類にしかできないことである。『キャプテン・アメリカ』や『ブレードランナー2049』といったSF映画を観ていると、人類のさらなる進化はいまだに身体改造というイメージが強いのかなと思うけれど、僕は人類にさらなる進化があるとしたら座ったまま特に運動をしなくても身体能力が衰えることがない種が突然変異で現れることだと思う。筋肉は使わなくても維持されるし、有酸素運動も必要ない。直立歩行時代の人類をホモ・エレクトスと呼ぶなら、ホモ・セデレの出現である(セデレはラテン語で「座る」)。これにはきっと現生人類はかなわない。全滅するだろう。

 多くの人はしかし、まだ立ち上がらなければ、生きていくことはできない。そして、ラップを始めるのである。チリー・ゴンザレス(以下、ゴンゾ)もそうだった。僕は彼が〈キティ・ヨー〉からデビュー・アルバム『Gonzales Uber Alles』を2000年にリリースするまでその存在を知らなかった。当たり前である。彼はカナダのアンダーグラウンドで蠢いていたのである。ゴンゾのドキュメンタリー映画は彼が無名時代にその衝動を持て余し、カナダのクラブでラップをがなり立てるシーンをまずはたっぷりと見せる。体格がいいので、まずはそれだけで迫力がある。何かしていなければ死んでしまうとばかりに彼は音楽に没頭している。ゴンゾはバンドを結成することにし、集まったメンバーはファイスト、モッキー、そしてピーチズだった。そう、ピーチズがまたとんでもなかった。ゴンゾもピーチズもセクシーを通り越して、ICBMでも打ち込むような勢いでラップをまくし立てる。彼らはそのままベルリンに殴り込みをかけ、あっという間に人々の注目を集めてしまう。当時を思い返してピーチズとゴンゾが互いについて回想し合うシーンが面白い。ゴンゾもピーチズも相手の迫力に勇気付けられて、自分も前に進むことができたと語り出す。卵と鶏みたいな関係なのである。それにしてもよく映像が残っているなと思う場面も多い。

 ゴンゾの暴走は政治に及び、さらに舞台をパリに移しても静まらない。次から次へとユニークなエピソードが飛び出すので、ネタバレはここまで。彼は想像以上に荒くれで、かつてセルジュ・ゲンズブールが「大衆」の嫌がることをやればやるほど愛されていった過程をゴンゾがものの見事に踏襲していることもよくわかる。社会に収まりきれない人を音楽家と呼び、大衆がそれを愛するという国民性がフランスにはあり、日本にはあんまり見当たらないのかなあと思うばかりである。ゴンゾはそして、「パンクではもうダメなんだ」と彼がそれまでがむしゃらにやってきたことに終止符を打ってしまう。彼はマイクを捨ててピアノの前に「座る」。進化したのである(ウソ)。ピアノの天才だと自惚れていたゴンゾがクラシックの簡単な譜面を弾くこともできないといって打ちひしがれてしまうシーンも見応えがあった。彼は自分が思う通りにピアノが弾けるまで練習の毎日を繰り返す。その挙句にできたのが『Solo Piano』(04)であった。あの作品に至るまでに、これだけの葛藤があったとは思わなかった。『Solo Piano』が成功してから、彼はまた「パンク」に戻り、ドキュメンタリーの後半では新たな暴走を展開し始める。彼がステージに立つと何をやり出すかわからない。その緊張感はスクリーン越しにもびしびし伝わってきた。ゴンゾが監督のフィリップ・ジェディックに出した条件はひとつ、ドキュメンタリー映画にもかかわらず「プライヴェートはなし」だったという。

(編集部注)チリー・ゴンザレスのアルバム『Solo Piano』シリーズの最終章『Solo Piano III』は〈ビート〉より絶賛発売中です。

Octavian - ele-king

 UKのラッパー、オクテヴィアン(Octavian)が期待の最新のミックステープ『SPACEMAN』をリリースした。鼻歌のようなギャングスタ・ラップ、ジェイムス・ブレイクやボン・イヴェールから影響を受けたという空間的なダンス・ミュージック、その「型にはまらない」スタイルにすぐに虜になった。

 オクテヴィアンは南ロンドン出身のラッパー。アデルらを輩出した名門の音楽学校ブリットスクールに奨学生として入学したものの退学し、ホームレスになったときもあったという。昨年頃から彼のキャリアが変わり始めた。オクテヴィアンのシングル“Party Here”がドレイクの目にとまり、彼がオクテヴィアンのヴァースを歌うインスタ ストーリーをアップしたからだ。

 ドレイクのフックアップで話題になると、ルイ・ヴィトンのメンズファッションのディレクターを務めるヴァージル•アブローがルイ・ヴィトンの2019年SSコレクションのランウェイにも抜擢。メジャー契約も掴み、いまファッション界からも注目されるヒップなラッパーのひとりとなった。

 満を持してリリースされた『SPACEMAN』はメロディックなビートの上で紡がれるオクテヴィアンの「リヴェンジ」のストーリーだ。

もし俺が銃を買ったら、お前の顔にぶっ放してやる
逃げる道はどこにもない、ギャングもおまえを見捨てる、
お前に安全な場所はない “Revenge”
あのニガはファックだ
あのニガはうけつけねぇ
あのニガをぶっ潰してやる
一発はケツに、一発は口に、
もう一発はあいつらの仲間に
 “Break That”

 ヴァイオレントな歌詞はUKラップの十八番でもあるが、彼のメロディックなラップと歌詞の内容は不思議なバランスを保っている。不敵な笑みを浮かべるオクテヴィアンの姿が頭に浮かぶ。

 先月、オクテヴィアンがイタリアのブランド Stone Island の東京店のオープニング・パーティに初来日・ライヴを披露した。オクテヴィアンはビターなサウンドとダンスビートを柔らかに乗りこなしつつ、時折自身もリズムを身体で刻む。ライヴの中盤、DJからの「フロアにモッシュピットを作らせろ」という指示にも従わず、淡々と曲を披露していく。「モッシュすること」はいまのUS・UKのラップのライヴの定番となっているが、おきまりのライヴはやらないようだ。それでも、最後にムラ・マサの客演曲“Move Me”のビートが流れると、前列では自然とモッシュが起こった。

俺がお金を積み上げるところを見るだろ
あいつらだって俺を見てる、
あいつらだって俺みたくなれたのにな

あいつらはファミリーを待ってる
俺に逆らうことだってできない
だって、俺はリアルなドンダダ
俺やブラザーに近づくこともできない
そう、近づくことだってできないんだ
Mura Masa “Move Me feat. Octavian”

 型にはまったスタイルから遠く離れて、軽やかにラップの可能性を追求しているようだ。その様子は自由でエキサイティングだ。

C.E present - ele-king

 クラバー御用達のファッション・ブランド、C.Eが海外フェス級のラインナップで、東京と京都でパーティを開催する。
 2018年10月26日金曜日に代官山のUNITに出演するのは、ここ数年においても最高のDJでありつつづけているBen UFOをはじめ、Powder、Kassem Mosse(カッセム・モッセ)、Will Bankhead(ウィル・バンクヘッド)、Low Jack(ロー・ジャック)、E.L.M.S.(エルムス)の6名。これだけのメンツがひと晩に集結することは、ロンドンでもまずない。ポスト・ダブステップ以降のテクノ系ではいちばん活きのいい連中が揃ったと言える。
 翌日27日土曜日には、京都のWEST HARLEMでもパーティを開催。こちらは、Ben UFO、Kassem Mosse、Will Bankhead、Low Jackが出演。この4人だけでもそうとうなもの。
 ありがとう、C.E。絶対に遊びに行くよ!

C.E present
BEN UFO
POWDER
KASSEM MOSSE
WILL BANKHEAD
LOW JACK
E.L.M.S.

Friday 26 Oct 2018(2018年10月26日金曜日)
Open/Start: 11:00 PM
Venue: UNIT, Tokyo www.unit-tokyo.com
Advance \2,000 / Door \2,500
Tickets available from Resident Advisor / Clubberia / e+

Over 20's Only. Photo I.D. Required.

C.E present
BEN UFO
KASSEM MOSSE
WILL BANKHEAD
LOW JACK

Saturday 27 Oct 2018(2018年10月27日土曜日)
Open/Start: 11:00 PM
Venue: West Harlem, Kyoto westharlemkyoto.com
Advance \1,500 / Door \2,000
Tickets available from Resident Advisor / Clubberia / e+

Over 20's Only. Photo I.D. Required.

Omma - ele-king

「置き勉」についての議論がバカらしい。小学生のランドセルが重すぎて学校に教科書などを「置いていく」か、そうすると家に帰って宿題をやらなくなるといった議論がこの半年ほど沸騰し、9月に入ってようやく文科省が「置き勉」を認めたというやつである。僕は小6の時に右大腿骨膿腫の手術をして、以後、重いものを持ってはいけないと医者に言われたので、教科書はすべてバラして学校に持っていった。バラした教科書をバインダーで閉じられるように穴を開けられる機械を父親が探してくれたので、白紙のルーズリーフとその日の授業に必要なページだけを一冊のバインダーに閉じて、学校の行き帰りはそれだけで済ませていた。軽かった。しかも次の日の授業で必要な部分を前の晩に揃えるので、それだけで簡単な予習にもなった。授業中に「30ページ戻って」とか言われるとお手上げではあったけれど、それほど困った記憶はないし、そういうところは教師が授業内でフォローすればいいだけの話である。これは40年以上も前の話で、なのに教科書の重さはこの40年で1.8倍にもなっているという。平均が6キロで、14キロになった例も報告されているという。

 ということで、今年、もっとも「軽い」と感じたロシアのシンセ・ポップを2点。
 オマことオルガ・マキシモヴァ(Olga Maximova)によるデビュー作はロンドンの〈コースタル・ヘイズ〉からリリースされた。テルやバディ・ラヴといったバリアリック・ハウスをリリースしてきたレーベルで、どこを取ってもノンビリとした曲で構成された『Teplo』は緊張感のかけらもなく、ふわふわとしたダウンテンポがさらさらと続く(「Teplo」というのは、しかし、熱という意味らしい)。“サムライ”などという曲もあるけれど、これがまた可愛らしくてズッこけます。チコちゃんに叱られてもボーッと生きていたいときには最適のサウンドトラックでしょう。世界を正しい場所に導こうという人で世の中はあふれかえっている。なので、一歩足を動かすだけでどっと疲れてしまうことばかりですが、これはほんとにリラックスできる。ちゃんと逃がしてくれるエスケープ・ミュージック。

 フローレンス・アンド・ザ・マシーンに対するロシアからのアンサーとか言われたインディ・バンド、ナージャ(naadya)でギターを弾いていたり、ロシア語でナラの木を意味する実験的なシューゲイザー・ポップのバンドでも活動していたというマリア・テリエヴァはもう少し複雑な音楽性に挑んでいて、モートン・サボトニクしか使いこなせないとされるヴィンテージ・シンセサイザー=ブクラを駆使して、トランペットやサックスの音などを重ね、これもフラジャイルで可愛らしい音楽世界へといざなってくれる。これまたアーサー・ラッセル・ミーツ・クレプスキュールというのか、ネオアコ版ミュジーク・コンクレートというのか、それらしいクリシェを挟み込みつつ、アカデミックな着地点には絶対に向かわないところがよろしいかと(エンディングだけは少し重厚さが漂う)。最近では映画『ノクターナル・アニマルズ』で知られるファッション・デザイナー、トム・フォードのためにコマーシャル・ミュージックを手がけたり、サファイア・スロウと共にリンスFMでこの4月に「ビート・ブーケット」と題されたDJショーを展開したりと、頭角を表すのも時間の問題かも。

 それにしてもまったく力が入らない。このまま死ぬまでダラダラしていたいな~。重いものを背負って歩くのは小学生だけにして。

Blawan - ele-king

 かつてポスト・ダブステップと括られていたプロデューサーたちがどんどんテクノのほうへとスタイルを移行して久しい。2010年に〈Hessle Audio〉から登場したブラワンもそうした元ベース系/現在テクノ系を代表するひとり。今年は、行松陽介も絶賛したアルバム『Wet Will Always Dry』をリリース、やばいほどハマりにハマっているテクノ・サウンドを披露したばかりだ。
 そのブラウン、11月9日にVENTで開催されるElephantに出演。これは行くしかないでしょう。

Marc Ribot - ele-king

 ケンドリック・ラマーのカリスマティックなステージには痺れたし、ボブ・ディランの静かで豊かなバンド演奏にも嘆息した。だが今年のフジロック、僕がもっとも感動したのはマーク・リーボウのセラミック・ドッグだった。フィールド・オブ・ヘヴンのピースフルなムードを切り裂くように尖ったギター・サウンドの応酬で繰り広げられるポスト・パンキッシュなバンド演奏と、そこに獰猛に交配されるキューバ音楽とフリージャズによる熱さ・冷たさ。弛緩したところがひとつもない、限界までヤスリで砥いだように鋭く美しい音で、一切の躊躇もなく叩きつけられる暴君あるいは愚かな権力者に向けた「Why are you still here?」。ほとんど身がすくむ想いだった。僕はポリティカル・ソングにはユーモアがあったほうがいい、ほとんどふざけるぐらいでちょうどいいと思っている人間だが、そのまっすぐな怒りにはひれ伏すしかなかった。その日は奇しくも、マイノリティに対して差別的な発言をした国会議員に対しての抗議デモが東京でおこなわれていた日で、「なんで、お前は、まだ、ここに、いるんだ?」――その言葉が、そこに届くことを祈らずにはいられなかった。
 ただ圧倒されていると、終盤、ほとんど喋らなかったリーボウが「これはcivil rights movementに捧げられた歌だ」とポツリと言って、それまでとまったく異なるトーンのギターを演奏し始めた。アコースティックな響きのソウル・カヴァー――1966年にレコーディングされた“We'll Never Turn Back”だ。それまで一切なかった甘いメロディがゆっくりとその場を満たしていく。「civil rights movement」だから60年代後半の公民権運動を指す意味でリーボウは使ったのだろうが、僕は最初、勝手に「市民運動に捧げられた歌だ」と解釈してしまった。先述のデモに対していくらか感傷的になっていたせいかもしれない、が、その優しい調べはすべての市民運動に捧げられているように聴こえたのだ。

 『ソングス・オブ・レジスタンス 1942 - 2018』はリーボウが2016年ごろから始めたプロテスト・ソング集のプロジェクトであり、ダイレクトなアンチ・トランプという意味ではセラミック・ドッグの『ワイアーユー・スティル・ヒア?』からの連作である。様々な時代の様々な地域のプロテスト・ソングを蒐集しアレンジし、また、オリジナルの楽曲も並列することでマーク・リーボウ流の現代プロテスト・アルバムとなった。リーボウいわく、「勝利を収めたすべての運動には、歌があった」。
 アルバムはトラディショナルの“We Are Soldiers in the Army”のカヴァーから始まり、フリージャズ的な無調を導入することで紛れもないマーク・リーボウの音楽として立ち上げてしまう。続く“Bella Ciao (Goodbye Beautiful)”はイタリア内戦の際に作られのちに反ファシズムの歌となったフォークロアだが、トム・ウェイツのドスの効いた声が乗ることで一気にアメリカへと空間を超えるようだ。とりわけ面白いのは「ドナルド・トランプ、お前に言ってるんだよ!」の語りのあとに急に軽快なラテンのリズムが入ってくる“Rata de dos Patas”だ。原曲はメキシコの革命家に歌われていたプロテスト・ソングだが、それがアメリカ人俳優のオーヘン・コーネリアスのラップが挿入されることで現代アメリカにも通じるものとして奏で直されるのである……それも、陽気な、踊り出したくなるようなリズムで。ミシェル・ンデゲオチェロが物悲しい歌を聴かせるフォーク・ナンバー“The Militant Ecologist (based on Fischia II Vento)”は、これも元々はイタリアのパルチザンに歌われていたものだが、地球温暖化を食い止めようとする女性の視点にアレンジしたそうだ。過去のレジスタンス――抵抗の記憶を、それはそれは多彩なアンサンブルで、現代の闘いのために召喚するのだ。
 また、かなりソリッドな内容だった『ワイアーユー・スティル・ヒア?』とは異なり、大幅に叙情が入っているのも本作の魅力だ。偽キューバ人たちでの経験を生かしたラテンの風、フォーク、ソウルのエモーションが、リーボウを通過したものとして鳴らされる。サム・アミドンとフェイ・ヴィクターが参加した“How To Walk In Freedom”はストリングスとフルートが美しいフォーク・ナンバーとして始まり、やがてパーカッションの連打によって情熱的なラテン・ダンスへと姿を変えていく。このアルバムには怒りがあるが、怒り以外の感情――悲しみ、慈しみ、優しさ、不屈さ、勇敢さ、それに連帯の喜びといったものが、世界中に散らばった歌たちの助けを借りて表現されている。
 『超プロテスト・ミュージック』を読んだときにも思ったし、最近さることから猛烈な怒りを覚えたときにも痛感したことだが、プロテスト・ソングには怒り以外の感情を掬うこともまた必要なのだろう。怒りを純粋な状態で吐き出したからこそ、リーボウは現在「抵抗」の叙情を鳴らしているのではないか。アルバムのラストは件のソウル・チューン“We'll Never Turn Back”だ。リーボウが本作でもっとも鳴らしたかったのはこの温かさなのだと僕には思える。そこでは虐げられてきた人びとの記憶を慈しむようにギターが余韻たっぷりに響き、柔らかく声が重ねられている。
 「だけど、わたしたちは引き返さない。わたしたちみんなが自由になるまでは。わたしたちが平等を手にするまでは」――。

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