「Nothing」と一致するもの

たった一人のパンク・ロック - ele-king

 最初に結論を──Kazuma Kubota のノイズは人間讃歌である。
 本稿はその命題から始められ、その命題に向かって終えられる。

 Kazuma Kubota。日本のハーシュノイズ作家。
 フィールド・レコーディングとアンビエント・サウンド、具体音とカットアップ・ノイズを、高度に・複雑に・立体的に──繊細な織物のように──、高い解像度で組み上げたスタイルを築き上げたその作家は、ノイズ音楽シーンに新たな地平を切り拓き、東西南北・老若男女問わず、多くのノイズ作家に影響を与え続けている。
 たとえば──伝説的ノイズ・ミュージシャンと言って過言ではないであろう──非常階段/INCAPACITANTS の美川俊治は、Kazuma Kubota の作品集『Two of a kind』に次のような言葉を寄せて絶賛している。
「Kazuma Kubota、この名前は覚えておいた方が良い。年寄りが跳梁跋扈する日本のノイズを、この男はいずれ背負って立つことになるのだから。理由? この作品を聴きなさい。それで分からないようなら、自分を諦めることだ」

 カット・アップによる切断。アンビエントによる縫合。音によって切り刻まれ混ぜ合わされるのは時空を把握する認識そのものであり、つまるところそれは、歴史そのものである。
 ぱっくりと切り開かれた傷口。そこから覗く時間と空間。飛び交う断片が再接続されたあとで浮かび上がる、全く新たなノイズの地平。そこでは徹底して人間の物語が奏でられている。都市の喧騒、秋の散歩道、冷たい料理を囲む何気ない雑談。ささやきと咆哮、呼吸──言葉以前の音──それらの音の数々は、意味を持たない端的な雑音=ノイズであり、記号の外にある非‐記号であり、認識されず、理解されないままに、見過ごされ忘れられていく日々の泡である。

 うつろいゆく雑音。
 そう、雑音は果てなくうつろい続けてゆく。

 Kazuma Kubota は、それらの雑音=ノイズを拾い上げ、無関係だったはずの音と音の間に連関を見出し、繋ぎ、磨き、大量のエフェクターによって加工し、スピーカーを通して再生し、名もなき雑音に名を与える。そうすることで彼は、顧みられないまま失われた、しかしかつてはたしかに存在したはずの風景を、音と音の間に現出させる。──1月30日。週末、駅前で待ち合わせ。秋の朝を歩く。枯葉が敷き詰められた道。息が白くなり始めている。音楽を聴いている。たくさんの時間が混在する。思い出が混濁する。自分がわからなくなる。わけもなく涙が溢れる。その場にうずくまる。「January thirty」と「A Sense of Loss」。音楽を聴いている。無数の音の粒子が、世界をふたたびかたどりはじめる。物語が、私に生きることをふたたび働きかける。私は立ち上がり、ふたたび歩きはじめる。都市の喧騒、秋の散歩道、今ここにある風景。

 全ての人間は物語によって世界に触れる。
 全ての人間は物語によってのみ世界に触れることができる。
 物語とは、人間の情緒に訴求することで情報を効率的に伝達する情報伝達形式ではない。
 物語とは、人間の情緒に訴求することで情報の外にある世界の広がりを想起させる表現形式である。

 これまで、多くのノイズ作家は物語を否定し、物語性を拒否し、自身の作品に物語性が混入することに抵抗してきた。物語という表現形式は人間の持つ認識機能の特性にあまりにも近しいがゆえに、情緒に訴え共感を呼び起こし安易に連帯をもたらす危険なものであり、世俗的で卑小で恥ずべきものである──ノイズに限らず現代の表象文化においてはそうした主張が知的なものだとされてきた。そして、そうした思想の傾向は今なお強く、むしろ深化し過激化しつつあるように思われる。

 たとえば、自身もノイズ演奏を行う哲学者のレイ・ブラシエは、雑音=ノイズも含め、人間の認識領域外にある「他なるもの/多なるもの」の生の実在を認め肯定し、彼らについての思索を展開する。ブラシエは、地球上から人間がいなくなり、「他なるもの/多なるもの」のみが残された「人類絶滅後の世界」において、いかに存在は在り続けるのかと考える。人類はいない、それでも宇宙はあり、人類がもはや認識することのない世界のなか、認識されえない存在は、どのようにして存在を続けているのかと。
 それはこう言い換えることもできる。存在を存在足らしめるものは人間などではなく、仮に「人類の絶滅」が訪れたとしても、作者とも聴者とも関係のない場所で、音楽は鳴り続けるのだと。そうした思想の背景には、根本的な人間性への否定が横たわっている。そして、多くのノイズ作家/ノイズ作品が体現する思想もまた、ブラシエの論理と同様の構造を持っている。人の介在を問わず、それ自体で立つノイズと呼ばれる音楽は、過剰な──完全な──人間性の否定へと繋がる危険性を孕んでいるのだ。

 一方で、Kazuma Kubota はそうではない。私はそう思う。
 Kazuma Kubota のノイズには、今ここに生きる人間の物語がある。Kazuma Kubota のノイズは、徹底して、あなたや私や彼や彼女など、今目の前に生きている人間に捧げられている。Kazuma Kubota は、そうした自身の音楽性について、インタビューで次のように語っている。
「僕は作品を作る上で映像的なストーリー性と、自身の感情を表現することが重要だと考えています。僕はハーシュノイズを単に暴力的な表現として使用するのではなく、もっと深い感情の爆発のピークを切り取ったイメージとして使用しています。アンビエントは悲しみ、孤独、喪失感、憂鬱、等の現実の生活の中で感じる、行き場の無い感情を表現する為に使用しています」

 Kazuma Kubota のノイズは人間の生活の中にあり、人間の感情を写し取り、人間に徹底的に寄り添うようにして鳴らされている。
 ノイズでありながら人間を肯定すること──それは、幸福も不幸も、快楽も苦痛も、自由も不自由も含め、あらゆる人間の生活を「既に在るもの」としてとらえ、人間の限界を引き受け、その上で肯定しようとする、絶妙なバランス感覚が必要とされる取り組みである。そして Kazuma Kubota は、そうした高度なアクロバットを成し遂げ、今なお成し遂げ続けている。そのようにして Kazuma Kubota のノイズは、人間讃歌として、私たち人類に向けて、まっすぐに奏でられ続けている。

 最後に一つ、私的な思い出について話したい。

 私が Kazuma Kubota の存在を知ったのは2013年のことだった。
 私は当時、大学を卒業して会社員になったばかりで、右も左もわからないまま、右へ行ったり左へ行ったりを繰り返していた。私は社会の中で混乱していた。私は疲れていた。もう何ヶ月も、月間の労働時間は400時間を超えていた。かつては映画を観ることや小説を読むことが好きだった。その頃には映画を観ることや小説を読むことはできなくなっていた。けれども幸いなことに、音楽を聴くことはできた。聴くのは決まってノイズだった。──ノイズを聴くと、自分が失われていくような感覚を覚えることがある。自分自身がノイズを構成する一つの粒子になっていくような感覚を覚えることがある。私はその感覚が好きだった。

 そうした日々の中で、私は Kazuma Kubota のノイズを聴いた。それは不思議な感覚だった。新しいと思ったが、新しいだけでもないと思った。そこには妙な懐かしさがあった。奇妙な音楽だと思った。それはたしかにノイズだったが、そこにあるのはノイズだけではなかった。そこには、記憶の中に堆積していたハーモニーやメロディの数々が鳴っていた。私は私の思い出を思い出していた。私は思い出の中を彷徨していた。そのとき私は、私が十代だった頃に聴いた、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインやコールター・オブ・ザ・ディーパーズ、シガー・ロスにレディオヘッド、エイフェックス・ツインや七尾旅人を思い出していた。──いや、白状しよう、私の記憶はさらに過去へと遡り、私は小学生の頃に聴いた X JAPAN やブルーハーツすら思い出していた。
 それはなぜか。そこには何があったか。私はここで最初の文に立ち返る。「Kazuma Kubota のノイズは人間讃歌である」。──そう、結論はこうだ。そこには非‐人間に捧げられた、非‐意味の塊としてのノイズだけでなく、人間に捧げられた、意味の塊としての物語があったのだ。

「ノイズ・ミュージックは、たった一人でもできるパンク・ロックだ」と Kazuma Kubota は言った。
 たとえばそれがそうだとして、パンク・ロックが自分と他人の間に生まれる軋みを表した音楽だとすれば、ノイズとはまさにその字義通り、自他の間隙に生まれる〈軋み〉そのものではないだろうか。
 そう。軋みはここで鳴っている。いつものことだ。
 軋みはつねにすでにここにあり、そもそも自分と他人は隔てられているのだが、多くの音楽は隙間を満たすことで隔たりを隠そうとするその一方で、ノイズは、隔たりを隠そうとしないどころか軋みを浮き彫りにしさえする。ノイズは、私たちは一人ぼっちなのだと指し示し、そうであっても音楽の中で、一人ぼっちの私はこの上なく自由なのだと教える。

 Kazuma Kubota によって構成された新たなノイズ音楽=〈たった一人のパンク・ロック〉──フィールド・レコーディングとアンビエント・サウンド、具体音とカットアップ・ノイズ。「January thirty」と「A Sense of Loss」。都市の喧騒、秋の散歩道、今ここにある風景──それはたしかに一人ぼっちの音楽だが、一人ぼっちであるがゆえに、かつてブルーハーツが歌ったパンク・ロック=人間讃歌のような、優しさと愛に満ちた、現代の人間の物語が可能となっている。私はそんな風に考えている。

 人間は永遠に一人ぼっちだが、それは絶望ではない。
 kazuma Kubota が鳴らすノイズ──たった一人のパンク・ロックが、私にそれを教えてくれたのだ。


新世代の先進的リスナーを中心に幅広い注目と支持を集める Post Harsh Noise の旗手 “Kazuma Kubota” の現在廃盤となっている代表作品をCD化し6月3日(水) 2タイトル同時リリース!

さらに昇華したカットアップ・ノイズの復興を告げる基本資料。クボタの鋭く研ぎ澄まされた作品はどれも、多くのアーティストがその生涯をかけても生み出せないほどのアクションやアイデアに満ちている。 ──William Hutson (clipping. / SUB-POP)
真面目で甘酸っぱい音楽/ 音。フィルムや小説の短編集に近い感触。今後どうなっていくか聴いてみたいと思わせる作品でした。 ──朝生愛

タイトル:A Sense of Loss (ア・センス・オブ・ロス)
形態:CD (スリーヴケース+ジュエルケース+8Pブックレット)
品番:OOO-35
小売価格:2000 円+税
JANコード:4526180518259

トラックリスト:
1. Ghost
2. Memories
3. Sleep
4. Regret
 Total 25:16

タイトル:January Thirty + Uneasiness (ジャニュアリー・サーティー・プラス・アンイージネス)
形態:CD (スリーヴケース+ジュエルケース+8Pブックレット)
品番:OOO-36
小売価格:2000円+税
JANコード:4526180518266

トラックリスト:
1. January Thirty
2. Uneasiness
 Total 29:35

◆本年初頭の RUSSIAN CIRCL ES (US / Sargent House) 来日公演で共演を務めUKの〈OPAL TAPES〉からもリリースする等、新世代の先進的リスナーを中心に幅広い注目と支持を集める Post Harsh Noise の旗手 Kazuma Kubota の現在廃盤となっている代表作品をCD化し2タイトル同時リリース!
◆OOO-35 は2010年に米国のレーベル〈Pitchphase〉から限定リリースされたオリジナルEP。日常を思わせるフィールド・レコーディングや感傷的なドローン/アンビエントと切り込まれるカットアップ・ノイズのコントラストが単なるノイズ・ミュージックを越えた唯一無比のドラマを生み出す傑作。さらに本来収録される筈であった1曲を追加、晴れての完全版仕様となっている。
◆OOO-36 は2012年にイタリアのレーベル〈A Dear Girl Called Wendy〉から限定リリースされたワンサイドLP と、2009年に20部(!)限定でセルフリリースしたEPを1枚のCDにコンパイル。断続と反復を多用したブレイク感溢れる冷たくも激しいハーシュノイズと穏やかなアンビエントの狭間を揺らぎながら突き進んで行く “January Thirty”、雨音のフィールド・レコーディングとギターのアルペジオから幕を開け従前のノイズ観を独自の美意識で更新した意欲作 “Uneasiness”。ともに新時代のノイズ・ミュージックの発展性を示した
重要な内容だ。
◆本再発にあたってはリマスタリングエンジニアに SUMAC, ISIS, CAVE-IN 等のポストメタルの名盤から映画音楽まで幅広く手がける名匠 James Plotkin を起用。スリーヴケースに保護されたジャケットには Kubota 本人による撮りおろしの風景写真が収録された8Pフルカラーブックレットを同梱、Kazuma Kubota 独自の世界観を視覚面からも表象している。
◆国際シーンで人気を獲得し既に各地にフォロワーをも生み出している新たなるノイズ・フォーマットの提唱者として注目すべき作家の隠されたマスターピース、いまここに初の正規流通!

Pharoah Sanders - ele-king

 COVID-19によって以前のようにライヴに行くことができないときは、ライヴ・アルバムを楽しむに限るということで、今回はジャズ・サックス奏者のファラオ・サンダースのライヴ・アルバムを紹介したい。
 1960年代から活動するジョン・コルトレーン世代のジャズ・ミュージシャンでは、去る3月にマッコイ・タイナーが亡くなってしまったが、ファラオ・サンダースはいまなお現役のリヴィング・レジェンドのひとりである。同じくコルトレーン門下出身のアーチー・シェップが、最近はダム・ザ・ファッジマンクとコラボ・アルバムを出してなかなか面白い内容となっているのだが、ファラオの場合は2010年代以降もロブ・マズレクやマウリツィオ・タナカらによる実験集団のシカゴ/サンパウロ・アンダーグラウンドと共演するなど、意欲的な取り組みも見せている。日本公演も継続的に行っていて、東京JAZZやモントルー・ジャズ・フェスティヴァル・イン・ジャパンなどにも出演している。

 そんなファラオ・サンダースの公式ライヴ・アルバムでは、1971年にニューヨークのザ・イーストで録音した『ライヴ・アット・ザ・イースト』(1972年、〈インパルス〉よりリリース)、ロサンゼルスとサンタ・クルーズのカリフォルニア公演を収めた『ライヴ・・・』(1982年、〈テレサ〉よりリリース)などが知られるところだ。意外に少ない印象なのだが、『ライヴ・・・』では彼の代表曲のひとつである“ユーヴ・ゴット・トゥ・ハヴ・フリーダム”を聴くことができるなど、ファラオ・ファン、ジャズ・ファンから人気が高い。
 『ライヴ・アット・ザ・イースト』は1970年代初頭のフリー・ジャズ全盛期の混沌とした演奏、『ライヴ・・・』は1980年代になってカリフォルニアへ移住し、心機一転した明るさを感じさせるネオ・バップ演奏と、それぞれの時代の特徴が表われたような演奏となっていて、当然ながら参加メンバーも大きく異なっている。そして、年代的にはそのちょうど中間にあたる1975年の未発表ライヴ音源が、このたび発掘された。
 発掘したのは〈トランスヴェルサルス・ディスク〉というフランスのレーベルで、フィリップ・グラスからエンニオ・モリコーネまで、主に未発表のライヴ音源やサントラなどを扱っているところだ。フィリップ・サルドやフランソワ・ド・ルーベなどフランスの作曲家の作品が多いのだが、フィリップ・グラスもファラオ・サンダースも1975年のパリ公演の音源を蔵出ししている。

 この『ライヴ・イン・パリ』には、1975年11月17日にフランス国営ラジオ局の大ホールで行われた演奏が収められている。演奏メンバーはファラオ・サンダース(テナー・サックス)以下、ダニー・ミクソン(ピアノ、オルガン)、カルヴィン・ヒル(ダブル・ベース)、グレッグ・バンディ(ドラムス)というカルテット編成。
 この前の作品は1974年録音の『ラヴ・イン・アス・オール』で、〈インパルス〉最終作となっている。次の作品は〈インディア・ナヴィゲーション〉からリリースした1976年録音の『ファラオ』で、ファラオにとって『ライヴ・イン・パリ』はちょうどこの空白の2年間を埋める貴重な音源と言えるだろう。
 演奏家としては35歳と脂がのってきたころだが、〈インパルス〉との契約が終わり次を模索していた時代だ。カルヴィン・ヒルは〈インパルス〉時代の『ヴィレッジ・オブ・ザ・ファラオズ』(1973年)、『エレヴェイション』(1973年)などに参加していて、一方グレッグ・バンディは『ファラオ』で演奏している。
 ファラオのバンドのピアニストは、ロニー・リストン・スミス、ジョー・ボナー、ジョン・ヒックスなど歴代の名手が務めてきたが、1975年は〈ストラタ・イースト〉でのピアノ・クワイアへの参加でも知られるダニー・ミクソンが演奏している。バンドもちょうど新旧メンバーが入れ替わる狭間の過渡期であったようだ。〈インパルス〉時代はパーカッションなど鳴り物や多数のホーン奏者が参加し、ヴォイスも交えながら集団即興を展開する場面が多かったが、それからするとワンホーンの本作はすっきりとコンパクトに整理した録音と言える。

 収録曲はファラオ最大の代表曲である“ザ・クリエイター・ハズ・ア・マスター・プラン”(1969年の『カーマ』収録で、レオン・トーマスとの共作)、『ラヴ・イン・アス・オール』や『ウィズダム・スルー・ミュージック』(1973年)に収録された人気曲“ラヴ・イズ・エヴリホエア”、後年『ラヴ・ウィル・ファインド・ア・ウェイ』(1978年)でも演奏している“ラヴ・イズ・ヒア”のパート1と2、コルトレーンも『ソウルトレーン』(1958年)や『ライヴ・アット・バードランド』(1964年)で演奏するスタンダードのバラード曲“アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー”、そして“フェアウェル・チューン”の全6曲。
 “フェアウェル・チューン”は1971年の『ゼンビ』の表題曲の別ヴァージョンと言える曲だ。演奏形態はフリー色は影を潜め、モードやポスト・バップ中心としたオーセンティックなスタイルとなっている。“ラヴ・イズ・ヒア”に見られるようにファラオのサックスはメロディアスさが目立っているが、そうした旋律が印象に残る楽曲をこの公演では選んでいるようだ。そして、時折彼のトレードマークと言える咆哮のようなフラビオ奏法も随所で披露する。
 同曲のパート2にも見られるように、ダニー・ミクソンの美しいピアノとのコンビネーションも素晴らしく、後の〈テレサ〉時代のジョン・ヒックスとの名コンビぶりを予見させるところもあり、中間では土着的なヴォイスを交えた即興パートも見せてくれる。
 印象的なベース・ラインが循環するモーダルな“フェアウェル・チューン”は、ゆったりとした中から次第にアップ・テンポで飛ばしていく展開が見事だ。非常にライヴ感の溢れる演奏で、エモーションが高まるにつれてヴォイス・パフォーマンスも飛び出す。

 “ザ・クリエイター・ハズ・ア・マスター・プラン”も、スタジオ録音などと比べてテンポ・アップした演奏となっていて、ダニー・ミクソンのピアノも非常にリズミカルである。ダニーのテイストが影響しているのだろうか、『ライヴ・イン・パリ』はファラオのアルバムの中でもソウルフルな持ち味が出ていると言えよう。ただ、この“ザ・クリエイター・ハズ・ア・マスター・プラン”は中間では突如として不穏なフリー・インプロヴィゼイションへと突入し、ファラオのもう一面も見せてくれる。フリーキーなパートでダニーはオルガンへと持ち替え、ファラオのサックスと共にコズミックなムードを演出している。
 最後はお寺の鐘のような音色で締めくくられる。1990年代のファラオはバラード奏者として新境地を見せるのだが、“アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー”はそんな姿を先取りしたかのような演奏。実際に1991年の『ウェルカム・トゥ・ラヴ』でも再演していて、このアルバムも偶然かフランス録音だった。そして“ラヴ・イズ・ヒア”に始まって、ライヴの締め括りは“ラヴ・イズ・エヴリホエア”。ファラオらしいメッセージ性に富む曲順で、シャウトするヴォーカルとコール&レスポンスのバック・コーラスが楽しめる。
 前半のファラオはサックスを吹かずにヴォーカルのみに徹しているが、そのぶんダニー・ミクソンのピアノとグレッグ・バンディのドラムスが引っ張っている。そしてファラオのサックスが入ってからのラストへ向けての盛り上がりは物凄く、観客の歓声や拍手がそれを物語る。

 なお、アルバム・ジャケットのファラオの写真は、衣装やたたずまい、眼差しなどはカマシ・ワシントンそっくりであり、いかにカマシがファラオの影響を受けているかがわかるだろう。現在のカマシのファン、彼の作品を聴いてジャズに興味を持った人には是非とも聴いてもらいたアルバムだ。

編集部より - ele-king

 周知のように、いまアメリカ全土では、ミネアポリスでジョージ・フロイドが白人の警察官から暴行を受け死亡した事件をきっかけに、人種差別に反対する抗議運動が広がっている。このプロテストを支持する意味で、音楽業界全体が活動休止する「black out Tuseday」が本日起きている。
 まず、エレキング編集部に入って来ている情報を整理しながら、どう考えているかを明らかにしておきたい。コロナ騒ぎが起きる前から、たとえばロサンジェルス在住のニール・オリヴィエラ(デトロイト・エスカレーター・カンパニー名義で知られる)から、すでに冷酷な格差社会が広がっており、いつ暴動が起きてもおかしくないテンションがあるという話は2か月前に聞いていた。また、これはアメリカの他の都市にも言えることだが、黒人が多く住んでいる地区にはスーパーも数少ない上にマクドナルドの方が安上がりなので、どうしても食生活に偏りが出てしまう。結果肥満、高血圧など病気がちになってしまう。(コロナに感染して死亡してしまうケースの多さの一因であろう)
 そもそも、今回引き金となったジョージ・フロイド事件以前にも、たとえば、ジョージア州でジョギングをしていた黒人が近所の白人親子に射殺された事件(父親が元警察官で地元政治家などと懇意だったため、数か月後にヴィデオが発覚してやっと逮捕された)。NYセントラルパークで犬を放し飼いにしていることを黒人に注意された白人女性が(命の危険を感じると)嘘をついて警察を呼んだ事件。マイアミでは自分の子供を殺した母親が黒人2人組に襲われて息子を誘拐されたと嘘をついた事件。ホームレスに渡す物資をトラックで整理していた医者が警察に問いただされて銃をつきつけられた事件などなど、このところ人種差別にまつわる事件が相次いでいた。
 そして、こうした一連の人種差別事件が頻発している背景にトランプ政権があることは疑いようがない(メキシコ人しかり中国人しかり)。彼の人種差別を肯定するかのような公言もあって、このような事態が加速しているように思えるのは我々だけではないだろう。日本でもつい先日クルド人男性が警察の暴力を受けたばかりであり、他人事ではない。
 もっとも、相変わらずニュース番組にも問題がある。ジェフ・ミルズのアクシス・レーベルによれば、抗議デモは広くは平和的なのに、しかしTVは暴力的な場面だけにフォーカスし、反復しているとのこと。また、キング牧師暗殺以来の外出禁止令という言い方も少々大げさであり、コロナウイルスにおける外出禁止の勧告と同じくらいのものだという。まだ、いまのところは。(もし、万が一、トランプが軍隊を出すようなことがあればどうなるかわかったもんじゃない)
 いずれにせよ、いま大きなことが起きている。エレキングとしては現地でこの抗議デモに参加している人物のインタヴューを近々載せようと思っています。ひとりは、ベテランの詩人にして活動家のジェシカ・ケア・ムーア。昨日、彼女がデトロイトのコミュニティでやったスピーチも見たが、まったく暴力的なものではなかった。なるべく早く載せられるようにしますので、しばしお待ち下さい。(野田+小林)

追記:亡くなったジョージ・フロイドは、ビッグ・フロイド名義でDJスクリューの作品に参加していたラッパーでもあった。DJスクリューの「チョップド&スクリュード」という手法は、のちにヴェイパーウェイヴにまで影響を与えることになる。

Okada Takuro + duenn - ele-king

 岡田拓郎とダエンによる本作は極めて重要な達成を示している。アンビエント・ミュージックがミニマルなポップ・ミュージックであることを明快にプレゼンテーションしているのだ。
 アルバムには全16曲が収録されている。岡田とダエンがディスカッションのすえに導き出したコンセプトはふたつ。ひとつはアンビエントは「都市の音楽」ということ。もうひとつはメロディをダエンが担当すること。特に後者には驚かざるをえない。なんといってもダエンは「メロディのない」ドローン・アーティストとして国内有数の存在だからだ。メルツバウやニャントラとの3RENSAとしての活動も活発である。
 対して待望の新作アルバム・リリースがアナウンスされている岡田は現代随一のポップ・ミュージック・アーティストであり、その音楽性はポップスからアンビエントまで幅広い。その2人がいわば立場を逆転して創作・作曲したわけだ。しかもどうやらダエンは、はじめて「メロディ」を作曲したらしい。そのうえ「GarageBand」というもっともポピュラー(というか誰にでも使える)なソフトで作曲したのだという。
 こうしてダエンによって生みだされたメロディたちは、子守唄のように素朴で、記憶の琴線をやさしく刺激するやさしさに満ちている。岡田は「プロデューザー」という役割に徹することで、ダエンのメロディをつぶさに観察し、2020年の「環境音楽」として構築していく。その手腕は流石だ。サウンドはやわらかなカーテンのようにゆらぎ、都市の満ちる光のようにふりそそぐ。このアルバム、完成には2年の月日を必要としたらしい。それゆえかまるできずひとつない工芸品のようなサウンドに仕上がっている。聴いているうちに思わずため息すらでてしまうほどに。
 しかもどの曲も1分強という短さなのだ。この短さは意図されたものだろう。短さゆえにまた聴きたくなる。それによりサウンドが永遠に続くような感覚を得ることができる。じじつ、YouTube盤では三時間に及ぶバージョンとなっており、本作における短さと長さが永遠というテーゼによって合わせ鏡のようにつながっていることが分かる。
 最初に聴いた印象は、吉村弘、芦川聡、廣瀬豊、尾島由郎などの80年代日本環境音楽を継承しているのでないか、ということだった。じっさいアルバム名の「都市計画」は、パブリックな空間において環境と共に鳴る音楽を実践するという80年代型環境音楽の思想をつながるように思えたし、メロディがサウンドの中に融解していくさまは尾島由郎によって東京・青山の複合文化施設スパイラルのために制作された環境音楽『Une Collection des Chainons』シリーズに近いとも感じられた。もしくはエリック・サティが電子音楽化したようなサウンドのようにも。
 同時に新しい時代の、新しい都市を生きる人のための、新しいポップ・ミュージックを提案する音楽にも思えた。ポップ・ミュージックとは反復聴取により都市と生活に浸透していく音楽だ。その意味では本作は、都市生活の中に静かに反復し溶け込んでいくフラグメンツとしてポップ・ミュージックといえないか。もちろん、歌声はないし、当然、歌詞もない。ビートもない。いわゆる「アンビエント」音楽のフォームである。しかし断続的に生成し反復する「メロディ」は、ある意味で、ドローン主体の音楽よりも日々の都市生活に中に空気のように自然に溶け込んでいく。
 インターネットとリアルを往復する現代を生きるわれわれは常に短い断片的な時間を生きている。それゆえ短い曲が自然に生成変化を繰り返すアルバム構造は、日々の生活をシームレスに彩ってくれるはず。じじつ本作は「物語」ではなく、「空気」のような音楽を目指しているという。パブリックな空間に流れていても、環境に溶け込みつつ、静かに都市生活を彩ることになるだろう。
 反復と聴取。環境と浸透。本作『都市計画(Urban Planing)』は、20世紀中期・後期の録音作品によるアンビエント/環境音楽の思想を継承しつつも、21世紀のインターネット以降の断続的な時間が流れる都市/生活にアジャストするために、イーノ以降のアンビエント/環境音楽がポップ・ミュージックの一形態であったことも示唆するような作品になっている。そこに中心になっているのがドローン作家がはじめて作曲したメロディなのだ。都市、メロディ、空気。このみっつのコンセプトのもと、本アルバムはそんな都市に舞う透明な霧のようなアトモスフィアを発している。
 ぜひともサブスクで最新のポップ・ミュージック(そこにはロックもヒップホップも含まれる)を聴くように、本作を折に触れて再生してほしい。断続的/断片的な時間が不意に融解し、安心と快楽を得られることができるだろう。今、この時代を生きる現代人に必要な音がここにはある。そう、本作はあらゆるアンビエントがそうであるように、新しい時代の、新しい都市を生きる人のためのポップ・ミュージックだ。

Primitive World - ele-king

 コロナ・ショックが起きるまで最も的確な未来像を描いていたフィクションはTVドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』(2011〜2019)だと思っていた。ポピュリスム政治と移動の自由、商人たちが政治的に独立した要塞都市で暮らし、荒野をさまよう主人公たちの姿が新自由主義によって再帰した「万人の万人における闘争」と重なって見えたことも大きかった。実際にはイギリスの南北格差を復讐劇の骨子とし、フェミニズムの機運を商業的なタームに取り込んだことがバカ当りの要因だったのだろうけれど、あまりにもマーケティングの手の平の上で転がされている気がしてしまい、「シーズン5」までで観るのはやめてしまった(なので、デナリス・ターガリエンがどうなったのかいまだに気になっている)。『ゲーム・オブ・スローンズ』で描かれたヴィジョンはコロナ・ショックが移動の自由に制限をかけたことで一気に揺らぎ、女性指導者の優位が示されたことでファンタジー性も薄くなった(日本では在宅勤務が増えることで日本的集団制に変化の兆しがあるかもしれない)。ハンガリーやブラジルのように独裁政治が際立った国もあったけれど、多くの国では社会主義的な政策がとられ、同じディストピアを構想するにしても、これからは『ゲーム・オブ・スローンズ』が示したものとは異なるムードを模索するようになるだろう。最初に『ゲーム・オブ・スローンズ』を勧めてくれたのはLAに住むフェミニストの友人で、彼女は「セックス・シーンが多すぎる」と留保をつけ、作品的には「あまりにソープ・オペラなんだけど」と苦笑まじりではあった。しかし、『悪徳の栄え』や『結晶世界』、『愛の嵐』や『獲物の分け前』など官能性に裏打ちされたアナーキズムの傑作は数多く存在する。『ラスト、コーション』、『LOVE 3D』、“Je T'aime“、“好き好き大好き”、『マダムとお遊戯』、『先生の白い嘘』……なかでもロレンス・ダレル『アレクサンドリア四重奏』は松岡正剛が「恋愛一揆」と評するほど、その筋では古典として名が通っている。コロナ・ショックが『ゲーム・オブ・スローンズ』から奪ったものはむしろそうした「ソープ・オペラ」の背徳性だったのかもしれない。エスカイア誌が選ぶ「最も官能的なセックスシーン」では「シーズン3 第5話」で行われたジョン・スノウ(童貞)のオーラル・セックスが堂々の1位を獲得している(7位と8位に入った『マッドメン』と10位と11位に入った『アウトランダー』も確かにすごかった)。

 プリミティヴ・ワールドことサム・ウィリスのセカンド・アルバムはロレンス・ダレルが『アレクサンドリア四重奏』から約10年後に発表した『アフロディテの反逆』を題材にしている。現在では入手困難なので詳細はわからないけれど、パリの五月革命にインスパイアされた政治的な要素の強い風刺小説とされ、多国籍企業やメンタル・ヘルスに焦点を当てたものらしい。主人公の妻イオランテは死んでロボットとして生まれ変わり、それが自壊してしまうまでのお話。思想的にはニーチェの影響が色濃いという。“イオランテが踊る(Ioanthe Dances)”、”理想が凝縮した肉体(Flesh Made From Compressed Ideals)”、”皮膚は鉛を混ぜた石膏(Skins Plastered With White Lead)”と確かに曲のタイトルは小説に沿っている。“墓の間にキアシクロゴモクムシ(Harpalus Among The Tombs)”とかはよくわからないけれど……はっきりとわかるのはサウンドがあまりにもカッコいいということ。オープニングは神経症的なグリッチ・ミニマルで、同じくグリッチで再構成されたUKファンキーと続き、これだけで軽くDJプリードやサム・ビンガは超えてしまった。なんというケレン味。ブレイクダンスの新世紀が視覚化されたよう。タラタラとした“Into The Heart Of Our Perplexities”で焦らしたあげく“Skins Plastered With White Lead”ではディーゴを意識したらしきブロークン・ビーツをアルヴァ・ノト風に仕上げたジャズ・ドラム。

 リズム・オデッセイは後半も続き、最後を飾る”The Foetus Of A Love Song”では無機質なドローンへなだれ込み、ディストピアの余韻を存分に染み込ませる。使用した機材は前作『White On White』(駄作です)とまったく同じだそうだけれど、出来上がったものは何もかもが異なっていて、同じ人物がつくり出したサウンドだとは思えない。2010年にベッドルーム・ポップのアレシオ・ナタリツィアと組んだウォールズで独〈コンパクト〉からデビューし、3枚のアルバム(とダフニー・オーラムの音源を再構成したアルバム)をリリース。ナタリツィアはノット・ウェイヴィングなどの名義で多様なソロ活動を行い、ジム・オルークやパウウェルらとジョイント・アルバムをリリースしたり、ジェイ・グラス・ダブと新たにユニットを結成するなど2010年代の才能として加速度をつけていたなか(ドナルド・トランプのスピーチを延々とサンプリングした”Tremendous​”はタイトル通り実に途方もない)、一方のサム・ウィリスには目立った動きがなかったものの、ここへ来て一気に逆転という感じでしょうか。むしろノット・ウェイヴィングがトランスやアシッド・ハウスに回帰しつつあるいま、ウィリスの先見性は異様に目立っている。当たり前のことだけれど、人の才能というのはわからない。サム・ウィリスとアレシオ・ナタリツィアがもう一度、タッグを組んだら、そして、どんな作品をつくるんだろう。

スチャダラパー - ele-king

 デビューからちょうど30周年を迎えたスチャダラパーによる、13作目となるフル・アルバム『シン・スチャダラ大作戦』。このタイトルは、彼らのデビュー・アルバムである『スチャダラ大作戦』の現代版アップデートとも読み取れるわけでもあるが、30年間、いい意味で全く変わらないスタイルを貫いてきた彼らのスタンスそのものが反映された作品にもなっている。
 本作の目玉のひとつとなっているのが、“スチャダラパーからのライムスター”名義にて先行でシングル・リリースもされたRHYMESTERとの初のコラボレーションによる“Forever Young”だ。年代的にもキャリアの長さ的にもほぼ同じこの二組であるが、両者の歩んできた道はまったく異なる。『スチャダラ大作戦』リリースの時点ですでにサブカル界のニュースターであったスチャダパラーと、スチャダラパーから約3年遅れでリリースされたデビュー・アルバムを今では(半ば冗談だが)自ら封印しているRHYMESTER。いずれも、当時の日本のヒップホップ・シーンを牽引していたインディ・レーベルである〈ファイル・レコード〉からのデビューというのも何とも不思議な縁を感じるが、以降、スチャダラパーはスチャダラパーであり続け、かたやRHYMESTERは常に試行錯誤を繰り返して切磋琢磨し、成長し続けていく。時を経て、いまでは日本のヒップホップ・シーンを代表するベテラン・アーティストとなった二組の待望の初共演曲。Illsict Tsuboiがプロデュースを手がけ、生楽器もフィーチャしたファンクネス溢れるトラックと4MCとのコンビネーションが生み出した“Forever Young”は、彼らがこれまで約30年にわたって表現してきたヒップホップのまさに王道中の王道。若手や中堅のアーティストは決して真似することのできない、味わい深い1曲に仕上がっている。こんな曲が、2020年のいま聴けるなんて、彼らと同世代である筆者にとっても、実に感慨深い。
 なお、今回のアルバムのメイン・プロデューサーは当然、これまでの作品と同様にスチャダラパーのDJであるSHINCOが担当している。SHINCOの作るサウンドは現在進行形の最先端のヒップホップとも当然異なるが、しかし、その時代時代に合わせて常にアップデートが繰り返されきた。とくに1999年リリースの『FUN-KEY LP』辺りで、スチャダラパーのサウンド面での基本型というものが作り上げられたように思うのだが、その型をずっとキープしたまま、その軸となる部分は全くブレない。その上での着実なアップデートによって、スチャダラパーの変わらないスタイルというものが、常に新鮮なままキープされている。それは実はBOSEとANIという2人のラップに関しても同様なのかもしれないが、『スチャダラ大作戦』にも収録された“スチャダラパーのテーマ”を引用した“イントロダクシン”から“シン・スチャダラパーのテーマ”へ至るド頭の流れの時点で、格好良さから面白さ、全てを含んだ彼らの普遍的なアーティストしての魅力が溢れている。
 日本に限らず、世界を見渡しても彼らのようなヒップホップ・グループはおそらく他に存在しないであろうし、今後もそう簡単には現れることはないだろう。30周年を超えてもなお輝き続ける彼らが、今後さらにどんな活動を繰り広げてくれるのか楽しみでならない。

The Soft Pink Truth - ele-king

 これは怒りの作品だ。マトモスの片割れ、ドリュー・ダニエルによるプロジェクト、ザ・ソフト・ピンク・トゥルースが『Am I Free to Go?』なるカヴァー・アルバムをリリースしている。コンセプトは明確で、ドゥームやディスチャージなど、クラストコアのカヴァー集。
 ドリューによれば、最近〈Thrill Jockey〉からリリースされたばかりの新作『Shall We Go On Sinning So That Grace May Increase?』と同時期に制作されたもので、現在の資本主義的な生活世界における政治的悲惨さ──ドナルド・トランプ、(巨大グローバル企業の)アマゾン、人種差別的とりしまり(警察)、気候変動、パンデミック──をめぐって湧きあがってきた、みずからの感情と向き合ったアルバムだそう。
 経費を除いたすべての収益は、ファシズムに抗議する世界じゅうの人びとを法的に支援するファンド「国際反ファシスト法的防御基金(the International Anti-Fascist Legal Defence Fund)」へと寄付される。

artist: The Soft Pink Truth
title: Am I Free To Go?
release date: 27 May, 2020

tracklist:
01.Hellish View (Disclose cover)
02.Fuck Nazi Sympathy (Aus-Rotten cover)
03.Multinationella Mördare (Totalitär cover)
04.Police Bastard (Doom cover)
05.Profithysteri (Skitsystem cover)
06.Respect the Earth (Crude SS cover)
07.Cybergod (Nausea cover)
08.Death Earth (Gloom cover)
09.Space Formerly Occupied by An Amebix Cover But Fuck That Guy for Being a Holocaust Denier
10.Protest and Survive (Discharge cover)

bandcamp

interview with Darkstar - ele-king

 ダークスターのデビュー曲“エイディーの彼女はコンピュータ(Aidy's Girl Is A Computer)”は、クラフトワークでは表現できない領域で鳴っている。パソコンの前に長時間座りながら時間を過ごしている、現代の快楽と孤独。いや、孤独など感じさせはしない。画面の向こう側には、刺激的な世界が無限に広がっているのだから快楽である。この、果てしない快楽。
 感染に恐怖し、動きが制限された世界では、彼らの新しいアルバムはほどよいサウンドトラックだ。ダークスターの1stアルバム『ノース』を、「2008年の経済破綻以降に偏在している胸騒ぎの感覚をはっきりと伝えている」と評したのはマーク・フィッシャーだが、それに倣えば今作は2020年のパンデミックにおける胸騒ぎにリンクしていると言えるだろう。
 作った当人たちによれば、再開発されるロンドンが契機となっているそうで、なるほど忘失されゆくものへの切なさは本作『シビック・ジャムス』に通底している感覚なのだろう。もしCOVID-19がなかったら、オリンピックに向けてそれまでなかば破壊的に再開発が進められていた東京にも当てはまるテーマでもあった。が、“市民の窮地”なる意味のタイトルを冠したこのアルバムは、集まることが制限されたいまの世界においても響き合っている。
 ダークスターはその名の通り暗い星であり続けけているが、とくに今作においては、アトモスフェリックでアンビエントなフィーリングが前面に出ている。1曲目の“森(Forest)”は、豊かな自然が循環する美しいそれではない。迷い込んだら戻れない、深くて視界の悪い森だ。アルバム中もっとも魅力的な曲である“Jam”には2ステップのリズムがひび割れたサウンドとしてあるが、それは以前のようには踊れなくなったダンスホールへと続いているようだ。“1001”は一聴するとキャッチーなメロディが聴こえるのだが、時空間がねじ曲げられたかのようなミキシングが施された背後には、奇妙な音やテープの逆回転めいた声が散りばめられている。
 ダークスターのメロディスでメロウな特性は、ダブステップを通過したシガー・ロスか、さもなければロバート・ワイアットだ。“Tuseday”のような力強いダンス・ビートを擁する曲もあるが、すべては彼らのモジュラーシンセによるくぐもった音色と輪郭がぼやけた歌声による独特のムードへと向かっていく。
 灰色……これはダークスターをひと言で説明するときによく使われる言葉で、マーク・フィッシャーは『ノース』を『アナザー・グリーン・ワールド』ではなく『アナザー・グレイ・ワールド』だと説明しているが、音楽性の豊さえで言えば『シビック・ジャムス』こそがそう喩えるに相応しいメリハリのある内容で、曲作りもより繊細さ、精密さを増している。これまでのなかでもベストな出来だろう。が、しかしもっともこの重要なのは、この作品が失われたレイヴ・カルチャーに取って代わるスペースに捧げられているという点だ。電話取材には、ジェイムス・ヤングが答えてくれた。

ある空間を作り出したいと思っていた。その空間というのは、再開発でめまぐるしく変化していくロンドンという都市で、うんザりしたり窮屈さを感じて生活していくなかで、心地よさを感じられるスペースのことだ。

まずは素晴らしいアルバムをありがとうござまいす。とても気に入っています。

JY:こちらこそ、そう言ってくれてありがとう。

いま住んでいるのはウェスト・ヨークシャー?

JY:いまはロンドンに戻っていて、ウェスト・ヨークシャーには住んでいないんだ。ウェスト・ヨークシャーは自然がたくさんあって、すごく田舎で、人里離れた場所。必要最低限のものしかないから、気が散ることなく作業に集中できるんだ。

通訳:また住みたいと思います?

JY:恋しくはあるけど、いま住みたいとは思わない。訪ねるには良い場所だけど、いまはまだ身を置く場所ではないな。

通訳:ロンドンはここ数年で変わりましたが、いまも住みたい魅力的な場所なのでしょうか?

JY:たしかに住みにくくはなっているけど、やっぱり好きな街であることは変わらない。いろいろ大変だけどね。

前作から5年という時間が空いた理由を教えて下さい。あらためて自分たちの方向性について考える時間が必要だったのでしょうか?

JY:いや、アルバム以外のダークスターのプロジェクトで忙しかっただけだよ。エイデン(・ホエイリー)も個人的にいろいろ忙しかったし。5年の間に何も活動をしていなかったわけじゃないんだ。他の活動が落ち着いてからアルバム制作を始めて、かかったのはだいたい2年くらい。

通訳:次の方向性が定まるのに時間がかかったり、何か考える時間が必要だったりはしなかった?

JY:それはなかった。アルバムを制作する度に次にどんなものを作りたいかは見えてくるし、それをどう形にしていくかをつかむまでに時間がかかることもあるけど、行き詰まったり、自然の流れに逆らって何かをしようとしたりはしないね。

アルバムは、いまのこの状況になる前に制作されたものだと思いますが、この未曾有の非常事態にとてもしっくり来るうに思いました。ダンス・ミュージックがベースにある音楽ですが、孤立してもいるようなニュアンスもサウンドにはありますよね?

JY:そうだね。5年分の出来事や考えが反映されているからそうなったんだと思う。その間にいろいろなことが起こったぶん、それらすべての側面が映し出されているから。俺たちの曲には、自分たちが考えていること、感じていること、さまざまな経験が自然に出てくるからね。

サウンド的には、アンビエントでありダンスでもあります。こうしたアンビヴァレンスはどうして生まれたのでしょうか?

JY:今回のアルバムでは、ある空間を作り出したいと思っていた。再開発でめまぐるしく変化していくロンドンという都市で、うんザりしたり窮屈さを感じて生活していくなか、心地よさを感じられるスペースを探しだす。そうすることで、生活のバランスをとるんだ。そのスーペスを音で作り出していく過程でアンビエンスな部分ができあがり、いくつかのトラックも、それにあわせて自然にアンビエントなサウンドを持つようになったんだと思う。意識的なものではないよ。

通訳:逆に、今回意識的にやったことはありますか?

JY:聴きやすいサウンドにすることと、ローなサウンドにすること。あとは、さっき話した空間を作り出すためにダンス・ミュージックを作りたくなった。でもそれは、初期のダークスターのサウンドに戻るという回顧ではなくて、いまロンドンからダンスフロアという空間が再開発によって減らされているという現状のなかで、いまの自分たちでそのフィーリングを作り出す音楽を作り出したかったという意味。現在のダークスターとして昔作っていたようなダンスのフィーリングを持ったサウンドを作ったらどんな音になるか、の試みだったんだ。

自分たちが感じることを曲にしていくうちに、アルバムの内容は、ここ数年のロンドンのカオスが反映されたものになっていった。

今作もまたポリティカルな作品ですが、ダークスターならでのムードはどこから来るんでしょうか? あなたがたの内面から来るのか、それともこの世界から来るものなのか

JY:それは、自分たちのなかから自然に出てくるものとしか言いようがない。試したいことをいろいろ新しく試しながらも、自分たちの考え、自分たちが好むサウンドというものは変わらないからね。ダークスターのサウンドはそれを基盤に作られているし、その基盤は変わらない。そのムードはそこから生まれているんじゃないかな。

アルバム・タイトル『Civic Jams』について教えて下さい。

JY:自分たちが感じることを曲にしていくうちに、アルバムの内容は、ここ数年のロンドンのカオスが反映されたものになっていった。自分たちがロンドンという都市で生活しているなかで目にしてきたもの、感じてきたもの、経験してきたものごと。それを捉え、まとめた言葉がこのタイトルだと思って『Civic Jam』にしたんだ。

通訳:ダークスターのアルバム・タイトルは、毎回場所を表す言葉が入っていますよね。場所を入れるのは重要?

JY:そうだね。自分たちのまわりのことが曲になるから、自分たちがいる場所がかならずアルバムの内容になる。俺たちは普段の生活、周りの出来事以外にインスパイアされて曲を書くことはほとんどどないんだ。

ダークスターの音楽において歌詞は重要ですか? 

JY:これはよく訊かれる質問だね。もちろん重要でもあるけれど、感情を表現をするために歌詞に重点を置いたり頼っているわけではなく、その重要さはサウンドと同じ。サウンドでも、表現したいことの内容は同じくらい伝えられると思う。だから、歌詞で表現しているのは、さっき話したサウンドで表現しようとしていたことと同じなんだ。混乱のなかで自分たちが心地よさを感じられる、楽な気持ちになれる空間。いま起こっている現実と、その変化のなかで人びとが本当に求めている価値やコミュニティとの間でとっていくバランスだね。

批評家のマーク・フィッシャーはダークスターについて良いことを書かれていますが、彼の文章からインスパイアされたことはありますか?

JY:読んだ。全部は読んでいないけど、インスパイアされたことはあると思う。彼の文章は、自分たちがアルバムで何をしたかったのかをうまくまとめ、説明してくれていた。アルバムが何を映し出しているかをそれを読むことで自分たちの視点とは違う角度から再確認ができて、次に作りたいものが見えてきた、というのはあるかもしれない。

ダークスターとレイヴ・カルチャーとの結びつきについて教えて下さい。とくに今作において、レイヴ・カルチャーはどのようにリンクしているのでしょうか?

JY:ロンドンとレイヴ・カルチャーは切っても切り離せない。ダークスターの基盤はロンドンだ。レイヴ・カルチャーでクラブに行ったことから刺激を受けて音楽を作りはじめ、現在に至っている。そういう面でもちろんサウンド面においても影響も受けているし、レイヴ・カルチャーはダークスター・サウンドの基盤であり、ルーツであるといえるね。

最後の質問です。コロナウイルスによって、この先、音楽の質は変わると思いますか?

JY:それは俺たちにはわからない。いまはとりあえず、何かを作るときだと思う。それはいまの状況に関係なく、できることだ。いつそれをリリースしたりパフォーマンスできるようになるかが自分たちにわからないだけであって、いまは座ってじっとそれを待ちながら、そのときがきたら披露できるものを作り出す時期だと思うね。

Ralph - ele-king

 昨年ファーストEP「REASON」を発表し、今年2月に公開された “Selfish” で注目を集めたラッパーの Ralph、グライムなどからの影響を独自に咀嚼する彼が、さらなる新曲 “Back Seat” を本日リリースしている。プロデュースは引き続き Double Clapperz が担当! 不安を煽るストリングスがラップを呼び込む冒頭からしてもう最高にクールです。同曲を収録した最新EP「BLACK BANDANA」は6月10日に発売。

[6月12日追記]
 ついにリリースされた Ralph のEP「BLACK BANDANA」より、表題曲のMVが公開されている。監督は Hideki Amemiya で、MURVSAKI プロデュースによるドリル・サウンドを引き立てるクールな映像に仕上がっている。チェック!

「JapanViral 50」に楽曲がランクインするなど、いま注目のラッパー Ralph が新作EPから先行シングル “Back Seat” をリリース。

ファーストEP「REASON」のリリースでその地位を確固たるものにし、2020年2月リリースのシングル “Selfish” は Spotify で「JapanViral 50」のプレイリストにランクインするなど、その勢いは衰えを知らない新鋭ラッパー、Ralph。本作は6月に発売が予定されている新作EP「BLACK BANDANA」からの先行シングル。

グライムやベースミュージックシーンにおいて、世界的に活躍するプロデューサー/DJユニットの Double Clapperz が手がけるタイトなビートに、Ralph の代名詞であるリアルなリリックと巧みなフローが展開されている。

6月10日にリリースが予定されているEPは “Selfish” “Back Seat” を含む5曲で構成されており、いまの Ralph を象徴する作品になること間違いない。2020年最も注目を集めている若手ラッパーの第二章が、このシングルから始まる。

リリース情報
アーティスト:Ralph
タイトル:Back Seat
リリース日:2020年5月27日

各種配信サービスにてリリース
https://linkco.re/TAauh36b

Ralph/ラッパー

2017年に SoundCloud で発表された “斜に構える” で注目を集めたことをきっかけに、アーティスト活動を開始。2018年には dBridge&Kabuki とのスプリットEP「Dark Hero」をレコード限定でリリースし、即完売。ファーストEP「REASON」のリリースでその地位を確固たるものにし、2020年2月リリースのシングル “Selfish” は Spotify で「JapanViral 50」のプレイリストにランクインするなど、その勢いは衰えを知らない。
卓越したラップスキルと自身のバックボーンから生まれるリアルなリリックが高く評価され、ヘッズの信頼も厚い Ralph。いま東京で2020年の活動が最も期待されている若手ラッパーの1人と言える。

Twitter:https://twitter.com/ralph_ganesh
Instagram:https://www.instagram.com/ralph_ganesh/

Play For SCOOL - ele-king

 緊急事態宣言が解除されたからといって、ライヴハウスやイベントスペースがすぐに元通りになるわけではない。現在営業自粛中の三鷹のスペース、これまで演劇やダンス、音楽や展示など様々なアートを発信してきた SCOOL もやはり苦境に立たされている。
 そんな SCOOL を支援するためのコンピレーション・アルバムが、本日リリースされている。田中淳一郎とコルネリ、そして SCOOL の店長でもある土屋光の3人によって提案された企画で、SCOOL ゆかりのアーティストたちが勢ぞろいしている。
 先日アルバムをリリースしたばかりの yukifurukawa の新曲など、ほとんどが未発表曲で占められており、いくつかはこの5月に SCOOL で録音されたばかりだという。音楽家ではないアーティストの手による楽曲も収録されており、未知のサウンドに触れる絶好の機会でもある。フィジカル盤CD-Rは税込2,000円+送料180円、デジタル盤は1,500円(1曲150円)にて販売中です。

コンピレーション・アルバム
『Play For SCOOL』

田中淳一郎(のっぽのグーニー / ju sei)、コルネリ、土屋光(SCOOL)が中心となり、SCOOL のコンピレーション・アルバムを作りました!

新型コロナウイルスは終息に向かっているようにも見えますが、わたしたちの生きる楽しみや糧を与えてくれるインディペンデントな場所は、根本から揺るがされるような打撃を受け、それぞれの場所で運営の方向性を模索している状況です。
例に漏れず SCOOL も予定していたイベントの延期/中止を余儀なくされており、収入が無く厳しい運営状態が続いています。緊急事態宣言が解除されても、すぐに以前と同様にイベントを行うことは困難で、まだまだ先の見えない状態です。

そこで SCOOL が存続していくことを願い、ゆかりのあるユニークなアーティストの方々に参加していただき『Play For SCOOL』と題したコンピレーション・アルバムを制作しました。
収録された楽曲はほぼ録り下ろしの新作音源で、SCOOL らしいバラエティにとんだ充実した内容になったと思います!
このアルバムの売り上げは SCOOL の今後の活動に役立てていきます。ぜひお聴きいただき、ふたたび人々が自然に集まれるようになったとき、SCOOL になにか面白いことを探しに来てください!

田中淳一郎(のっぽのグーニー / ju sei)
コルネリ
土屋光(SCOOL / HEADZ)

『Play For SCOOL』

01. 神村恵 「待機」
02. 服部峻 「学校の外の世界」
03. 鈴木健太 「ねざめ」
04. yukifurukawa 「きっと」
05. 七里圭 「Paris, Berlin」
06. ダニエル・クオン 「radio freebies」
07. 滝沢朋恵 「ノーアンサーソング」
08. MARK 「Dear マティス」
09. Sawawo (Pot-pourri) 「コミック」
10. 土屋光 「Amplifying SCOOL」
11. のっぽのグーニー feat. sei
12. BELLE BOUTIQUE (荒木優光) 「PATTERN – CARDBOARDBOX(excerpt)」
13. グルパリ 「macaroni salad」
14. ジョンのサン 「細まりフォーエバー」
15. コルネリ 「空色の歯ぶらし」
16. よだまりえ 「綺麗なものを見たの」

produce: のっぽのグーニー、コルネリ、土屋光(SCOOL)
mastering: のっぽのグーニー
design: コルネリ

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