Home > Interviews > interview with Squid - スクイッドの冒険心が爆発したサード・アルバム
2010年代末以降、注目を集めたUKインディ・ロック。その一翼を担ってきたバンドがスクイッドだ。同時期にデビューした他のバンドたちが転機を迎えるなか、3枚目をリリースした彼らが考えていることとは。
私自身は2010年代後半から隆盛を極めていったサウス・ロンドン周辺のインディ・シーンを筆頭としたUKバーニングに心底興奮し、その音楽の熱をリアルタイムで伝えようと活動したインディ・ロックDJだ。2018年にフォンテインズD.C.の “Hurricane Laughter” を初めてDJでかけたときに当時は認知度が低い中でも生まれたフロアの熱々とした反応は、これから凄いことが起きそうな予感を確信に変えてくれたが、そんな私にとっても、2021年は景色が大きく変わった特別な年だったように思う。頭角を現すアーティストの積極的な折衷性によりサウンド・ヴァリエーションが格段に増え、ポスト・パンクだけのシーンだと捉えることは完全にナンセンスとなり、この界隈の音楽にアクセスする人も多方面から増えたと実感したタイミングだ。そして、この年の希望の象徴として、並べて語られていたのがブラック・カントリー、ニュー・ロード、ブラック・ミディ、そしてスクイッドだ。この3組はもちろんそれぞれに特徴は違えど、ジャズやクラシック、民族音楽なども含めた積極的な折衷性という共通項を持ち、この年のチャート・アクションでも結果を残した。しかし、ブラック・カントリー、ニュー・ロードは2022年にフロントマンが脱退し、ブラック・ミディは2024年に解散した。それはひとつの転機のようにも感じられたが、しかしスクイッドは留まることのない創作意欲で、自由で実験的なアプローチを保ちながら、新たな音楽の地平を切り拓く。彼らは自身を「イギリスの音楽シーンの一部ではない」と語り、2021年のメンバーのままで進化を続けている。
そんなスクイッドが3rdアルバム『Cowards』を2025年2月にリリースした。1曲目の “Crispy Skin” を聴けば、眠りから目を開いた瞬間の、眩い太陽を猛烈に覚えるような「アカルイ」音の風景に出会う。これまでの2作品では、火薬庫を積んだ緻密な演奏がもたらす緊張感や迫力に圧倒されるような印象が強かったが、キーボードのアーサーが「前作よりもずっとカラフルで鮮やかなレコード」と説明するように、おとぎ話の世界にリスナーを迷い込ませるような物語性や幻想さをまとった印象が強いサウンドになったように感じる。それは、作品全編を通してストリングスが前面に出たことやローザ・ブルック、トニー・ニョク、クラリッサ・コネリーによるコーラスが加わったことも大きく影響していると思うが、ときに煌びやかでときに壮大でときにエキゾチックな彼らの新しい音がリスナーを心地よくその世界に迎え入れているようだ。一方で、この作品で歌われているテーマは「悪」だという。
「悪」とは、ときに境界が曖昧な言葉ともなる。今日の世界で起きている「正義」を大義名分とした暴力は言うまでもなく、身近なもの、自分自身についてはどうだろうか? 狂気に満ちた世界で、自分自身はどのように生きていけるのか。「アカルイ」音の中で繰り広げられる「悪」への考察。「何が人間を悪人たらしめるのか」という視点があったとギターのルイは言う。音楽版『ミッドサマー』とも言いたくなるほど、青空に包まれるような聴き心地の中で、人肉を日常的に食べる人間、友好的な殺人犯観光客、現代社会に紛れ込んだクロマニヨン人、14階の高層階から飛び降りるアンディ・ウォーホルのフォロワーなどに出会うだろう。ぜひ、短編小説を読み解くように、社会や自分自身の状況について当てはめるように聴くのをオススメしたい。
人間は、しばしば大きな悪の権化に囲まれているように理解されがちだけど、僕たちが面白いと感じたのは小さな悪という考え方なんだ。
■今作『Cowards』の作品テーマが「悪」ということで、全体的に人間の根源的な邪悪性であったり、悪なる心に抗えない虚しさや自分自身への憤りみたいなものが描かれた一貫性のある作品だと感じました。こうしたテーマでアルバムを制作しようとしたきっかけは何だったのでしょうか?
ルイス・ボアレス(Louis Borlase、以下LB):このアルバムでは、悪がスペクトラムであるというアイディアについて考えることに興味があったんだ。僕たちはいままで、場所に特化したようなレコードを作ってきたから。でも今回は、(悪がスペクトラムであるというアイディアを)興味深い視点だと感じた。人間、そして、何が人間を悪人たらしめるのか、そして悪人になるためにどのような決断を下さなければならないのかというアイディアが、面白い視点だと感じたんだ。悪をスペクトラムとして捉える考え方は興味深い。なぜなら、いまこの瞬間を生きるのに、日々の生活の中である程度の悪を経験することなしに生きることは不可能だからだ。人間は、しばしば大きな悪の権化に囲まれているように理解されがちだけど、僕たちが面白いと感じたのは小さな悪という考え方なんだ。そのほとんどは、オリー(・ジャッジ/ヴォーカル、ドラムス)や僕たちが読んだ本やフィクションを通して探求している。この種のストーリー・ラインを読むと、悩まされたり、しばしば緊張したり、不気味だったりするんだ。僕たちをうろたえさせるような何か、尻込みさせるような何か……人生で起こっていることは、僕たちが自分自身でそれを背負うか背負わないかのような形で、ただ何とかしてこれらに対処するということ。ある意味では、そのような悪に対して僕たちがつねに考えていたようなやり方で、対応していくということなんだ。
アーサー・レッドベター(Arthur Leadbetter、以下AL):それは重要なことだ。でも、このレコードを書きはじめるときに、何か意図して書きはじめたわけではないということも言っておきたい。内容やテーマや形式は、書いていく過程で明らかになっていくものだからね。
■いまアーサーが答えてくれたのと関連のある質問になりますが、そうしたテーマに反して、サウンドは全体的にポップさや優美さを感じました。サウンドについて、方向性として決めていたものは何かあったのでしょうか? 「悪」というテーマが先にあったのか? サウンドが先にあって、リリックを作っていく中でテーマが「悪」となったのか。
AL:何から最初に手をつけるかはをはっきりさせるのは、おそらく難しいことだと思う。僕たちは、特に議論をすることなく、わりと本能的に、ごく自然に、一緒に音楽を生み出していると言っていいと思う。顔を合わせて、アイディアを出し合って、音楽を創り上げるという作曲のプロセスを通して、誰が歌詞を担当したとしても、音楽と並行して歌詞を書くことで、そのふたつ(歌詞と音楽)が互いに影響し合うんだ。どちらが先ということはない。もちろん、ときにはどちらかが転換することもあるけど、それは自然なプロセスであり、定義づけることはできないんだ。
LB:(大いに同意する)そうだね。『Cowards』では、アルバム全体を通して歌詞のテーマをより深く理解することに僕たちはとても重きを置いていたように思う。たぶん無意識のうちに、音楽が歌詞の暗さや気難しさ、歌詞の意味するすべての要素にマッチしていないように感じていたんだと思う。その代わりに、前作よりもずっとカラフルで鮮やかなレコードを作るという、逆の方向に進んでいることに気づいたんだ。
■ “Crispy Skin” はカニバリズムについて歌った曲ということで、暴力に対する感覚の麻痺を示したような楽曲だと解釈しています。現在世界で起きている様々な暴力や戦争にも結び付いてきそうですが、この楽曲のテーマとなったアイディアはどこから生まれたのでしょうか?
LB:“Crispy Skin” は『Tender Is The Flesh』という小説〔編注:アルゼンチンの作家アグスティナ・バズテリカの代表作、2017年〕がもとになっているんだけど、その小説では、他の人間を食べて生きていくというカニバリズムが当たり前の、ディストピアの世界が描かれているんだ。この曲の歌詞の要素は、架空のインスピレーションのようなものだと思う。この曲は、無関心というアイディアと、悪に対してそれを非難したり反応したりしないことがいかに簡単なことかというアイディアを見ているようなものなんだ。自分の周りの悪行について、無関心でいることの方がずっと簡単だ、ということなんだけど、より広義な問題は、どうすればその地点に到達できるのか、人生の中で何が起きなければならないのか、その前にどのような意思決定プロセスを経なければならないのかということだ。僕たちは暴力に対して無感覚になっている。この曲は本に基づいてはいるんだけど、このテーマが歌詞のインスピレーションという点で、このアルバムのキーになっているんだ。
■8曲目の “Showtime!” について、途中瞑想的なムードがはじまったと思えば、ファミコンのようなゲーム・サウンドだったり、今作でキーになっているストリングスの音だったり、変わった音も含めていろんな音が入り混じり、転調して激しくフィナーレに向かっていく感じがこれぞスクイッドと言いたくなるような真骨頂さ、スクイッド的サウンドを凝縮させたような特に面白い楽曲だと思いました。この楽曲について、制作でのエピソードがあれば教えてください。
AL:曲の前半もしくは3分の1はすぐにでき上がった。この曲はマーゲイト(イギリス南東部の海辺の町)で書いたんだけど、それ以前に僕らが書いた他の曲とはまったくフィーリングが違っていた。僕たちは、この曲の急激な変化を実験しはじめたんだ。それは本当にスタジオでしか作れないものになった。どこで音楽がストップするのか。 テンポをコントロールするのはひとりだ 。僕たちは、プロデューサーがコントロールできるテンポ・クロックを使って、すべてライヴでやったんだけど、曲が進むにつれて、他の人を巻き込んでテンポをコントロールする必要があったんだ。そう、曲がシフトしていくとき、かなりはっきりしたバンドのグルーヴと曲が、突然、完全にバラバラになってしまうんだ。それまで演奏していた楽器、ティンパニがバラバラになり、テンポは完全に遅くなって、曲はまったく新しいものに進化する。これは僕たちが好んで使う手法で、多様な音楽的影響に対する僕たちの幅広い共通の魅力を反映していると思う。
僕らは、自分たちがシーンの一部だとはまったく思っていない。
■ポジ(Pozi)のローザ・ブルックが「additional voices」としてクレジットされていることに驚きました。他にも、トニー・ジョク(Tony Njoku)やクラリッサ・コネリーらがコーラス参加していますが、彼らの参加にはどういった経緯があったでしょうか?
LB:トニーとローザと出会ったのは、僕が “Cro-Magnon Man” の歌詞を書いていたときだったと思う。ヴァース・コーラスを取り入れた歌詞のアプローチを模索してみたかったんだ。 というのも、僕らのスタイルは、どこか物語的で、直線的だったから、いつもやっていることとは違うことをやってみたかった。 僕や他のバンド・メンバーが歌う代わりに、他の人間のコーラスを取り上げるというアイディアはとてもエキサイティングだと感じた。バッキング・ヴォーカリストたちを取り入れてそこを誇張させ、彼らにリードを取らせるんだ。トニーとローザはふたりとも僕たちの親友で、彼らが一緒に歌うとき、ふたりの声が異なる声質でもって全く違うヴォーカルの音色へと導き、ヘッドヴォイスで歌うファルセットのヴァージョンを探求することができるんだ。そして、この白人らしいアンドロジナス(androgynous)な声の語りというアイディアは、この曲にとてもふさわしいと感じた。ふたりのことを知っている僕たちにとっては、明らかだけど、レコードを聴いただけでは、誰が中心になって歌っているのか想像がつかない。そう、クリアに歌っているのは誰かを見分けるのは本当に難しいんだ。彼らが参加してくれたのは素晴らしかったし、この種のヴォーカル・マイクロ・アンサンブルのアイディアは、レコード全体でかなり多く使われているんだ。でもクラリッサの場合は、かなり違っていた。というのも、アントン(・ピアソン/ギター)がアルバム最後の曲 “Well Met” の前半の歌詞を書いていたんだけど、誰の声を使うべきなのか、正確にはわからなかった。何人かの人に相談して、アルバムに参加させるのにふさわしい声の持ち主を友人たちから推薦してもらっていたんだ。でも、誰かがクラリッサを推薦してくれて、やっと決まったんだ。僕たちはすでにクラリッサのアルバムの大ファンで、これはパーフェクトだった。クラリッサのヴォーカルは僕たち男性であるバンド・メンバーの誰の声よりもずっと低いから、ヴォーカルと性別を想定したある種のフリー・スライディング・スケールのようなものかな。でも、その上にトニーとローザの声が重なっているから、クラリッサのヴォーカルが強調されていて、本当に素晴らしかった。
■音源制作と比べるとライヴでは制約もあって、少し違うサウンドにもなってくるかと思います。私自身は過去2回の来日ライヴはどちらも鑑賞していて、非常に楽しませてもらいましたが、ライヴ演奏ではどういった意識をもっていますか?
AL:僕らのライヴ・パフォーマンスへのアプローチは、まず曲を覚えて、実際に演奏できるようにする。“Showtime!” について説明したような感じなんだけど、スタジオで使うテクニックには、ライヴではできないものがたくさんあるんだ。それはまず、曲との関係を再構築しようとすることなんだ。何年も前に作ったものをもう一度研究するんだ。今回の場合は曲を書いてからすでに2年が過ぎようとしている。つまり、古い友人、あるいは知っていたけれども疎遠になってしまった友人との友情を再構築するようなものだね。最初は、やらなきゃいけないことを目の前にしてかなり緊張するけど、曲が再びそこにあるとわかると、すべてがごく自然に感じられるし、実はあっという間なんだ。
通訳:たしかに、スクイッドのライヴでは、ステージであまりにも多くのことが起きていて、レコードを聴くのとはまた違った体験ができるのが醍醐味だと思います。まさにテクニックそのものですよね。
■昨年のラ・ルート・デュ・ロック(La Route du Rock、フランスのフェス)ではヴァイアグラ・ボーイズ(Viagra Boys)の “Sports” をカヴァーしていてびっくりしました。過去2回の来日公演ではカヴァー演奏はなかったと記憶していますが、そういったカヴァー演奏もたまにおこなっているのでしょうか?
LB:ヴァイアグラ・ボーイズはあのフェスティヴァルに出るはずだったんだけど、皆体調を崩してしまっていたんだ。前日に電話がかかってきて、フランスのラ・ルート・デュ・ロック・フェスティヴァルでヴァイアグラ・ボーイズの代役をやらないかって言われた。僕らはちょうど小規模ツアーからイギリスに帰国するところで、これはやるべきだと思った。僕らの最初のツアーは、ヴァイアグラ・ボーイズのツアーでのサポート・アクトだったからね。それに、ラ・ルート・デュ・ロックは素晴らしいフェスティヴァルだと知っていたし、僕らにとってはいいことでしかなかったから、即答でやるって言ったんだ。でもヴァイアグラ・ボーイズに会えなくてがっかりしている人も多いから、彼らの最も有名な曲をカヴァーしよう、そうすればちょっと面白いんじゃないかと思ったんだ。それで、うまくいくようなやり方を一生懸命考えたんだけど、実際にやってみたら、すごく面白くて、ちょっと馬鹿げた感じもよかった。
■スクイッドが様々なジャンルでの音楽的アイディアを高いレヴェルで実験的に次々と接続している様に、個人的にはレディオヘッドっぽさを感じるのですが、そうした比較は本人たちにとって妥当なものでしょうか?
LB:レディオヘッドとの関係はすべて大きなインスピレーションだと思う。バンド内でもレディオヘッドのアルバムに憧れを抱いている人もいれば、レディオヘッドの音楽性を高く評価している人もいる。 皆何らかの形で通ってきているし、その音楽性には感謝している。でも、それは大きなことではないんだ。もっと本質的なことだと思う。インストゥルメンタルを深く追求する手段みたいなものを、僕たちはしばしば共有しているといえるかな。
AL:(レディオヘッドから)影響を受けないのは難しいし、僕らのような音楽を書く上で、ある意味レディオヘッドと比較されないのも難しいと思う。僕はバンドとしてレディオヘッドを聴いたことはないけれど、『Amnesiac』──これがいちばん有名なアルバムではないよね?(とルイに確認する)──を聴いてみたりはしたよ。以前、レディオヘッドは驚異的なバンドで、芸術的なロック、実験的なロックの側面を持ちながら、少し親しみやすいものにしていると人びとが言うのを聞いたことがある。だから、その範囲内で何かをやることになれば、間違いなく彼らのやったことの借りを返すことになると思う。合ってるかな?
LB:うん、的を射ていると思う。レディオヘッドの影響を受けないのは難しい。90年代に登場した彼らは、素晴らしく新しいバンドだったと思う。実験的な試みをはじめただけでなく、トム・ヨークのゴージャスな歌声は、特に彼が物語を語り、あのような曲を書いているときは、恋に落ちないわけがない。でも、どちらかというと、その探求し続けようとする姿勢が、最大のインスピレーションなのかもしれない。彼らが『OK Computer』で達成した現状を受け入れることなく、制作を続行し、『Kid A』を作りあげたことは、とても大胆なことだと思う。それに、そこには影響を受けたものすべてが展示してあるんだ。それはバンドとして重要なことだと思う。
質問・序文:村田タケル(2025年2月20日)
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