Home > Columns > Special Conversation- 伊藤ガビン×タナカカツキ
僕自身は60手前になっても全然しっかりもしてないし。きっとこのまま高齢者になっていくんだろうな……という感じがしている(笑)。 ——タナカカツキ
魂が抜けたと誤解されちゃうから(笑)。でもまあ、きっと我々はもっと年をとったらそういうギャグをすごくやるよね。死んだふりみたいな。 ——伊藤ガビン
還暦を前に、なんで心はこんなにふざけたがっているのかな?
カツキ:僕は、この本を読んで私も老いについて話したいと思ったんですよね。今58歳で還暦が目の前なんです。ガビンさんも書いていましたけどそれぐらいの年齢っていわゆる前期高齢者の一歩手前じゃないですか。なのに、なんで心はこんなにふざけたがっているのかな? と思うんですよ(笑)。昔、思い描いていた還暦の姿はもうちょっとちゃんとしていたはずなのに。見た目と同じくらい心も成熟すると思っていたんですけど。ちゃんとおじいちゃんみたいな気持ちになるんだろうなって。でも現実は全然なってないですよね。
ガビン:なってないですか?
カツキ:だって、おじいちゃんになるとふざけたいと思わないじゃないですか。いや、「思わないだろう」と思っていたんですよ。そもそもおじいちゃんで、ふざけている人をあんまり見てきてこなかったし。でも僕自身は60手前になっても全然しっかりもしてないし。きっとこのまま高齢者になっていくんだろうな……という感じがしている(笑)。
ガビン:その話でいうと、数日前、親に会いに行ったんですよね。もうかなり認知症が進んでいるから、僕のことをギリギリわかっているかどうかって感じなんだけど。「一緒に写真撮ろうや」って言って。あとで、ふたりで自撮りした写真を見たらベロだしてふざけた顔をして映っていた。
カツキ:最後はふざけだけが残るんだ。
ガビン:そうなんですよ。ギャグも言っていましたし。その前に会ったときはもう少ししっかりしていて、「仕事は何してるの」「大学の先生をやってるよ」「大学校の先生か、そこで強盗の仕方でも教えてるのか?」って会話があったり。だから人間は、脳が老化して認知機能が低下してもギリギリまでふざけるんだと思って。
カツキ:ふざけている人は老人になってもそこはあんまり変わんないぞ、ってことですよね。そこは聞いておきたかったな。
ガビン:でもやっぱり、全体的にタガが緩んでくるから、いままで自分で倫理的に抑制していた部分が抑制できなくなってきたりするでしょ。そういうのは恐いですけどね。ちなみにカツキさんは理想とする死のイメージはあるんですか?
カツキ:僕が気になるのはそのとき医療がどうなのかな? って話ですね。
ガビン:あーなるほど。我々はまだ、老衰までにはちょっとあるもんね。この先は安楽死の議論が進んでもうちょっと整備されそうな気もするし。
カツキ:これからは人口統計的にみても死を迎える人数が多くなるし、葬式のバリエーションのような「死のデザイン」も増えてくると思うんです。で、じゃあ自分がどういう風に最後を迎えたいかでいうと、自分が知らない間に死んでいたぐらいがいいなとは思う。ただ、一方でちゃんと死ねるのかな? って。だって、遠くない未来ではアバターみたいな自分の身代わりの出てきそうじゃないですか、「ただ肉体が死んだだけでしょ」みたいな感じで。だから死んだ後も、まるでまだ生きているかのようにアバター版の自分がZoomで喋ることもできそうだなって思うんですよね。そうなったときに、今とは「死」の概念がだいぶ変わっているとは思う。だから理想の死については、テクノロジーによりますね。現実的な話でいうと、モルヒネをいっぱい打ってくれるならそれはちょっと試してみたいと思います(笑)。
ガビン:僕の場合はカツキさんとはまた違って、どっちかというと死を迎える前段階が気になります。自分がかなりヨボヨボになっても、妻はピンピンしていると思うんです。そうなると妻に自分の介護をさせたくはないので、いっそのことホームに入りたい。ただ、気になるのがそうしたときにインターネットはどこの段階で捨てるのかな? ってこと。
カツキ:インターネット問題だ。
ガビン:そう。これはまだ書けていない原稿だけど、細馬宏通さんとかと話していたときに「サブスク老人」っていう言葉が出たんです。たとえば仕事や家、ものなどいろいろ手放したとしても、Spotifyだけあったら音楽は無限に聴けるじゃないですか。だから年金でサーヴィスを継続できると思うんですよね。この先、Wi-Fiさえあればどこでも、お金を使わなくても無限に音楽とか映画が享受できる環境が来るじゃないですか。とすると、え、老人になったらなったで忙しいで! っていう(笑)。
カツキ:仕事を辞めた後も確実に使うしね。
ガビン:そもそも仕事以前に、成人したと同時にインターネットを使い始めているぐらいの感覚があるから。当時はパソコン通信でしたけど。これを手放す時は来るのかな? だとしたらそれって一体いつなんだ? というのは気になる。たとえば80代とかになって、サブスクリプションは使っているはずだけど、はたしてインターネットでコミュニケーションをどれぐらいできているかってのは気になるかな。というのも既に他界している方の話なんですけど、一時期知り合い(当時80代)がFacebook上でどんどん新しいアカウントを作っては僕をフォローしてくるということがあって。たぶん、どれが自分のアカウントなのかわけがわからなくなって新しいアカウントを作っちゃうみたいな。
カツキ:次々作るんだ(笑)。
ガビン:こっちはスパムなのかどうかもわかんないし、うわーってなりますよね。で、家族はきっと心配になりますよね。だからどこかのタイミングでインターネットとのつながりを遮断するってことが起きるのかなと思って。それが外部による遮断なのか自主的返納なのかは気になりますよね。
カツキ:インターネットの返納。
ガビン:スマホに関しては本で書きましたけど(「らくらくホンを買う日を想像する」に収録)、第三者に取り上げてもらわないと危険だなとは思っています。だから、それをいつまでどんな感じでやるのか? 最近はカツキさんとそんなにおしゃべりをできていないですけど、これからはたまにつないでね。おしゃべりができたらと思っていますけど。
カツキ:うん、まだインターネットの返納はせずに。ガビンさんの話を受けて、これから我々が老境に入っていく上でやりたいことは……やっぱり老人ホームを作ることなのかもしれない。
ガビン:独身の友達も多いしね。
カツキ:我々の周りには、ホームを運営できるスキルを持っている人たちもいっぱいいるじゃないですか。それこそ温浴施設を作ることもできるし。おいしい料理があって自分がやりたいことができる環境があって……と考えたら、いまある施設で満足できる場所がないんですよ。だから、いっそのこと我々でホームを作るのかなと思うんですよね。一時滞在もできて楽しかったら家に帰らなくてもいいし、好きなだけ居られるし。仕事を辞めて老境に入り体が衰えても、最後はめちゃめちゃ面白い放課後がずっと続く、みたいな。
ガビン:そうなるとお金をどうにかしなきゃ(笑)。面白ホームに入るお金も必要だね。
カツキ:やっぱり誰でも入れるわけじゃなくて、そのホームに入るためには面白くないとダメですよね。ガビンさんはもう無料でしょう(笑)。
ガビン:無料でいいんですか(笑)。
カツキ:やっぱりサーヴィスできる人は、基本無料ですよ。
ガビン:炎がついた球のジャグリングとかする可能性あるし。
カツキ:あれ老人でやったらダメなんでしょ。
ガビン:魂が抜けたと誤解されちゃうから(笑)。でもまあ、きっと我々はもっと年をとったらそういうギャグをすごくやるよね。死んだふりみたいな。
カツキ:絶対にやるでしょ。点滴でオレンジジュースを飲むとか(笑)。 だからやっぱり、ふざけ続けてふざけたまま亡くなるみたいなのもいいけど、まずは生きているうちに、ここに天国(面白ホーム)をつくる。で、天国を作っておいて、逝ったかどうかがもうわかんないの(笑)。
ガビン:死んでも生きていてもどっちも天国に行ける。どっちも一緒っていう。それはたしかに理想的ですね。
カツキ:そう思うと、やっぱり老いって奥深いですね。はじめての老いの後編として、老いへ抗う編もありそう。
ガビン:そう、抗い編はやりたいなと思っています。年とって、「抗えるところ」と「抗えないところ」が明らかになってきていて。たとえば筋肉はけっこう抗えるけれど、そんなに簡単には付かないぞ、とか。知り合いで走りはじめた人は「考え方がめっちゃヤンキーみたいになってきました!」とか言っていて(笑)。
カツキ:筋肉脳になっちゃうってことですかね。
ガビン:そこも興味あるかな。自分はそうはなりたくないなと思いつつも、身体を鍛えているうちに筋肉脳になっていくかどうかみたいなところもすごく興味ありますね。あと、肛門括約筋はどれぐらいキュッとできるんや! みたいな。尿もれに対する抗いとかって興味ないですか?
カツキ:肛門のまわりも筋肉ですからね。たしかに老いへどう抗うのか、抗ったときの観察も面白そう。そもそも、僕は老いを観察すること自体が一種の抗いだと思うんですよ。だって老いを敵とみなしているわけでしょう。昔、私が年齢を上にサバ読んでいたかのように、老いを観ることによって相手をまずしっかり観るということになってるのかなって。
ガビン:あー。ぼくはもう単純にびっくりしてるだけなんですけどね、「あれ?」「え、いまこれ?」っていうことの連続だから。でもまあ、自分に起きていることがなんなのかっていうのは知ろうとはしていますね。
カツキ:完全に抗うことってできないので、基本負けは認めつつも、ランダムにやってくるこの老いをどこまで冷静に見つめられるかなって。急に「こんなん知らんかったわー」っていうよりは、だいぶスロープがなだらかになる。
ガビン:だからこの本は、老いの予習にはいいと思うんですよね。たとえ今読んでピンときてなくても、いつか「あ、あれ? ガビンが言っていたのはこれかぁ」みたいな。本の中で白内障とか緑内障とかの話もちょっと書いたけど(「老いの初心者として、はじめての老眼」に収録)、ほぼみんな発症するものって多いみたいで。手術でだいぶ見え方は改善することができるみたいですけどね。
カツキ:今回は老いに対しての向き合い方で、次は「抗い編」をやるとなると、私的には楽しみですね。
ガビン:まあ大変なのと、時間がかかるんですよね。やりだしてから結果が出るまで。
カツキ:でも、結果は出なくともなにをするかの選択でもすごく面白いと思う。
ガビン:ですかねー。
カツキ:人にとっての抗う方法も違うだろうと思うんですよね。だからガビンさんが老いに抗うために、「これだ!」っていうものを選択するまでの話や道具だったり、向き合い方も検討しがいがいっぱいあるので。そこは広がっているなと思いますけどね。
ガビン:そうですね、続けたいです。
カツキ:続けないと「はじめての老い」も売れないですからね(笑)。「このシリーズなんか続いているな」っていうので読もうと思いますし。
ガビン:シーズン2ね。気長に待っていてください。
(構成:児玉志穂)
タナカカツキ 1966年、大阪府生まれ。85年に小学館『週刊ビッグコミックスピリッツ』誌にて新人漫画賞を受賞し、マンガ家デビュー。89年、初のマンガ単行本 『逆光の頃』を刊行。主な著書に『オッス!トン子ちゃん』、『サ道』シリーズ、天久聖一との共著『バカドリル』シリーズなどがある。また、カプセルトイ「コップのフチ子」の企画・原案も手がけるほか、水槽内に水草や流木、石などをレイアウトして楽しむ「水草水槽」の第一人者。近著に『はじめてのウィスキング』がある。『はじめての老い』note版の題字を担当し、書籍では帯の推薦コメントを担当。
伊藤ガビン
編集者/京都精華大学メディア表現学部教授
1963年 神奈川県生まれ。学生時代に(株)アスキーの発行するパソコン誌LOGiNにライター/編集者として参加する。1993年にボストーク社を仲間たちと起業。編集的手法を使い、書籍、雑誌のほか、映像、webサイト、広告キャンペーンのディレクション、展覧会のプロデュース、ゲーム制作などを行う。またデザインチームNNNNYをいすたえこなどと組織し、デザインや映像ディレクションなどを行う。主な仕事に「あたらしいたましい」MV(□□□)のディレクション、Redbull Music Academy 2014のPRキャンペーンのクリエイティブディレクションなどがある。また個人としては、201年9あいちトリエンナーレや、2021年東京ビエンナーレなどにインスタレーション作品を発表するなど、現代美術家としても活動。編著書に、『魔窟ちゃん訪問』(アスペクト)、『パラッパラッパー公式ガイドブック』(ソニー・マガジンズ)など。現在は京都に在住し、京都精華大学の「メディア表現学部」で新しい表現について、研究・指導している。近年のテーマに自身の「老い」があり、国立長寿医療研究センター『あたまとからだを元気にするMCIハンドブック』の編集ディレクション、日本科学未来館の常設展示「老いパーク」に関わるなど活動範囲を広げている。