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♯12:ロバータ・フラックの歌

♯12:ロバータ・フラックの歌

野田 努 Mar 15,2025 UP

 書かなければならないと思い、彼女が亡くなってもう3週間が過ぎようとしている。ロバータ・フラックのすべてを聴いているわけではないし、彼女について書く以上は“歌”について、 “愛” について書くことになる。果たして自分にそれができるのだろうか……。できなくても書くべきだろう、と自己問答。フラックは去る2月24日に他界した。ぼくには、彼女のカタログのなかに特別な感情を抱いている曲がある。素晴らしい曲で、歌人を気取って言えば、その歌、こよなるべし、だ。シンプルだが重厚で、エレガントだが突き刺さるものがあり、激しさを秘めた静的な緊張感において並外れている。まさに歌の勝利、ラヴ・ソングというものの奥深さだと思う。
 その歌“The First Time Ever I Saw Your Face”の、“愛は面影の中に”という歌謡曲めいた邦題は適切とは思えない。フラックのデビュー・アルバム『ファースト・テイク』(1969年)に収録され、3年後に大ヒットとなったこの曲(クリント・イーストウッドの最初の監督作品に使われた)は、ユアン・マッコールという、1960年代の英国の第二次フォーク・リヴァイヴァルの土台が形成される過程において重要な働きをした人物が1957年にアメリカのフォーク歌手、ペギー・シーガーのために書いた曲である。
 聴きくらべればわかるように、マンチェスター出身の筋金入りのマルクス主義者、その政治活動ゆえに当局から監視までされたイギリス人が書いて若いアメリカの白人女性が歌った曲を、フラックは彼女のなりの解釈において、ほとんど哲学的解釈も可能なタイムレスなポップ・ソングにしている。
 テンポが落とされたフラックの“The First Time Ever I Saw Your Face”では、最初に耳にこびりつくのは「The first time〜(初めて/最初に)」という伸ばされた音符で歌われるこの言葉だ。フラックはこの曲のなかの「初めてあなたの顔を見た」「初めてあなたの口にキスをした」「初めてあなたと横になった」と、いくつもの「初めて」をさりげなく印象づけながら歌を進行させている。あるミュージシャンはこの曲を聴いて「愛が爆発するのを感じた」と語っているが(*)、それでは不充分だ。この美しい曲から「愛の爆発」を感じるのはわかる。が、しかし「初めて」が強調されている点において、同時にこの曲には「死のはじまり」も暗示されている。なぜなら、「初めて」の世界が太陽が昇るほど強烈であるのなら、その後に連なる「初めて」ではない二回目以降の世界は色あせてしまうことになるからだ。“The First Time Ever I Saw Your Face”から広がる崇高なロマンティシズムにおける避けがたい悲しみは、そのパラドックスにあるのではないだろうか。
 それが愛の本質かどうかは、ぼくにはわからない。ただ少なくともこの曲においては、「暗闇と果てしない空に、月と星はあなたがくれた贈りもの」と歌うときのフラックが、「暗闇に(to the drak)」という箇所を印象づけているように、はじまりの太陽はいつか暗闇に戻されてしまうのだ。

 はじまりの強度が特別であるということは、ゆえにその後の強度は落ちていくと、それを前提に話を続けてみよう。人生をロマンティックに生きるには、そのリスクも引き受けようとするか、さもなければ、なるべく失敗のないと思われる人生を選ぶか、人はどちらを選択するのだろう。失敗の確率が少ない、予測可能な人生を楽しむために必要なものは消費文化である。
 フラックは、最初はアメリカの黒人ゴスペル・フォーク・デュオ、ジョー&エディによる1963年のカヴァー( 曲名は“The First Time” )で同曲を知り、1962年に初めてレコード化されたペギー・シーガーのヴァージョンはあとから知った。この曲は、ほかにも多くのカヴァー──ロマン主義文学で自らの人生を締めたマリアンヌ・フェイスフルからジャマイカのマーシャ・グリフィス、ピーター・ポール&マリー、はてや王様エルヴィスまで──があるのだから、やはり歌いたくなるメロディであり歌詞なのだろう。曲を作ったマッコールは写真で見るとなかなか洒脱な男だが、彼が自分の人生を消費文化とは無縁な、いや、消費文化を全否定しながら、しかし酒をかっくらっては人びとと一緒に歌を歌い、政治と音楽と恋に生きた人物である。そのことを思えば、“The First Time Ever I Saw Your Face”という歌にも、言葉は簡素だがマッコールにとっての生きることの意味が込められていたのではないかと、そんな見立ても許されよう。

 ユアン・マッコールには本名があり、ジェイムズ・ミラーという。なぜ改名したのかと言えば、第二次大戦中、彼はイギリス軍から脱走し、身を隠したからである。スコットランド人で社会主義者の両親をもつマッコールの、育ちはマンチェスターのサルフォード。ジョイ・ディヴィジョンやハッピー・マンデーズのメンバーの出身地としても知られるかの地は、労働者階級の町でもある。1915年に生まれ、14歳で学校を中退したマッコールの教養は、そのほとんどすべてがマンチュスター中央図書館に通って独学で得たものだった。若くして左翼活動に奔走し、最初は演劇によって表現活動をはじめた彼は、それから民衆の音楽=フォーク・ミュージックにも熱意を抱くようになる。
 周知のように、20世紀の初頭、セシル・シャープがイギリスの田舎に口承されてきたフォーク・ソング(民謡)を収集し、研究し、発表したことが、フォーク・ミュージック復興運動リヴァイヴァルをうながした最大の要因である。権威や制度のなかで保存されてきた音楽ではない、民衆のなかで歌い、踊り、伝承されてきた民謡に価値を見出すことは、資本主義や産業革命に疑念を抱き、田舎の文化を賞揚することでもあり、政治的には左派だった。じっさいシャープは、19世紀末のウィリアム・モリスのケンブリッジ大学での講義を受けたひとりである。
 しかしながら、シャープにはじまるフォーク復興運動にはじっさいの民衆とは離れたエリート主義的な側面があった。また、1930年代になると、民俗や農村に英国のアイデンティティを求める動きは保守的な右派との繋がりを見せはじめていく。したがって、「これじゃあまずい」と文化闘争に発展するのも当たり前で、フォーク・ミュージックとは文化エリートの許可なしに歌い踊る、文字通りの「people’s music」であるべきだと主張する新しい解釈が第二次大戦前に顕在化するのだった。当時の若いマルクス主義たちがフォーク・ミュージックと合流するのはこの機運においてであって、ユアン・マッコールはその代表的なひとりだった。
 マッコールにとってフォーク・ソング(民謡)とは、「人びとの音楽(people’s music)」である以上、農村だけのものではない。工場や鉱山、鉄道などでも歌われる歌=インダストリアル・ソングもフォーク・ソングである。マッコールはそれらにも耳を傾け、収集し、自らも “左翼のための” 歌を作った。ちなみに、ある鉱山労働者から教えられ、マッコールが記録し、本にまとめ、そして有名になった歌のひとつに“スカボロー・フェア”がある。また、マッコールが作った“ダーティ・オールド・タウン”はポーグスを通じて、日本でもお馴染みだ。英国では、“マンチェスター・ランブラー”という歌もよく知られているマッコール作のひとつで、これは平日身を削る思いで働く労働者たちが、日曜日には(ブルジュワジーが暮らす)田園地帯にピクニックに行って楽しむという、階級闘争めいた内容をウィットに描いた歌だ。ほんと、イギリスって国の大衆文化の良き部分は、マッコールがこの曲を書いた1930年代から、いや、それ以前から基本的なところは変わっていない。

 ユアン・マッコールは、活動家としてはハードな人生を歩んだかもしれないが、演劇もやって放送作家もやって、多くのインダストリアル・フォークを収集し、自らも多くの曲を書いたディレッタントで、そして恋多きロマンティストでもあった。20歳年下のペギー・シーガーとは、彼女が1956年に渡英した際に出会っている。アメリカに帰国後、ペギーから彼女が出演するラジオ番組のために至急曲を作って欲しいと言われたマッコールは、共産党員だった過去からアメリカに入国できないため、電話を通じて作ったばかりの“The First Time Ever I Saw Your Face”を彼女に伝授したのだった。
 話は少し逸れるが、ピート・シーガーという、アメリカにおけるフォーク・リヴァイヴァルの起爆剤にして抗議運動とフォークを結びつけたプロテスト・ソングの先駆者を異母兄弟に持つペギー・シーガーとマッコールとの繋がりは、英国内において、社会的抗議音楽としてのフォークに再配置しようとする風潮と無関係ではない。
 アメリカに、アラン・ローマックスという民謡収集家/民俗学者がいた。広く言えば、かつてセシル・シャープが渡米してアパラチア山脈を調査し、フォーク・ソング(民謡)を収集したことの継承者のひとりになるのだろうが、ローマックスは、これまた筋金入りの共産主義者で、デルタ・ブルースをはじめ、都会の「生きた伝承」=ナイトライフ・ブルースから刑務所で歌われている歌、貧しい黒人家庭や酒場に積まれたアセテート盤にも着目した。そんな人物が、1940年代にはすでに影響力のあったピート・シーガーと合流したことで、フォークないしはブルースに抗議行動や急進的な政治との接点が誘発される(***)
 赤狩りのリストに名前が記載されたアラン・ローマックスが渡英したのは、マッカーシズムが台頭した1950年だった。それから8年にも及んだ滞在期間中、ローマックスはおとなしく過ごしていたわけではない。「イギリスのフォーク・リヴァイヴァルを燃え上がらせたエネルギーの雷のような人物」(***)と形容されるほど、アンダーグラウンド・シーンに深く関わり、マッコールとも交流を深めている。ペギー・シーガーを英国に呼んだのは、言うまでもなくこのアラン・ローマックスだった。

 ロバータ・フラックのもっとも有名な曲に“ Killing Me Softly with His Song”がある。おそらくは片思いの歌であり、また、歌というものの感情的な威力を歌った、言うなれば歌についての歌でもある。この壮大なバラードは、1996年にフージーズが取り上げし、ローリン・ヒルが歌い、大ヒットしたことが引き金となって、よくよくネオソウルの基礎を築いたと言われているが、そもそもこれはフラックのハイブリッド志向が導いたものだろう。彼女は、ブラック・パワーの時代に黒人の土着性だけに囚われず、クラシックからブロードウェイ・ミュージカルの要素まで取り入れている。そもそもオペラ歌手になりたくてハワード大学を卒業したフラックだった。夢は挫折し、教職につきながら副業としてナイトクラブで演奏するようになった彼女は、大学時代に学んだクラシックの技法を自分の演奏に活かした。
 またフラックは、“The First Time Ever I Saw Your Face”に限らずほかにも白人のロック/ポップスをカヴァーしている。ボブ・ディランの“Just Like a Woman”は女性アーティストとしては初のカヴァーだったし、ジミー・ウェッブの“What You Gotta Do”、サイモン&ガーファンクルの“明日に架ける橋(Bridge over Troubled Water)”、キャロル・キング作曲の“Will You Love Me Tomorrow”……、それからビージーズの“To Love Somebody”まで歌っている。そのすべてが原曲にはないニュアンスを込めた、彼女の解釈による歌となっているのだけれど、ぼくとしてはレナード・コーエンの“Suzanne”をライヴ・アルバムの締めとして歌ったことが興味深い。コージー・ファニ・トゥッティをも魅了し、ニーナ・シモンのカヴァーでも知られるこの曲は、なかば幻想的かつ宗教的な歌詞で、ひとを愛することのトランスグレッシヴな状態を表現していると言えるような不思議な曲である。
 フラックはニーナ・シモンと違って、ラングストン・ヒューズやジェイムズ・ボールドウィン、ストークリー・カーマイケル、そしてロレイン・ハンスベリー(ブロードウェイのヒット作を手がけた初の黒人女性作家)のような公民権運動/ブラック・アート/ブラック・パワーの渦中にいたような傑出した人物との出会いはなかったかもしれないが、ユージン・マクダニエルズのような公民権運動に影響を受けた気骨ある黒人作曲家のレパートリー──“Reverend Lee”や“Feel Like Makin' Love”、そして完璧なプロテスト・ソング“Compared To What”など──を歌っている。名作『クワイエット・ファイア』においては、あのスリーヴのアフロヘアの写真そのものが政治的表明になっている。フラックは、ゴスペルから来たアレサ・フランクリンの超強力な歌唱力や、のちにニック・ケイヴから「神のよう存在」とまで言われたニーナ・シモンの憤怒を内包したヴォーカリゼーションのまえでは、ある向きからは「ムード音楽」なるレッテルを貼られてしまうほどソフトに思われたかもしれないが、黒人といえばジャズ・シンガーかR&Bシンガーと思われた時代のフラックの雑食性は、フュージョン的なるもののヴォーカル版というか、分類を拒むという意味では未来的だった。フラックとのデュオでも有名な、彼女と同じくハワード大学でクラシックを学んだダニー・ハサウェイもブラック・アート/ブラック・パワーの精神に共鳴しながら西欧音楽も研究し、自作にその要素を取り入れたミュージシャンだった。同時代のデトロイトではファンカデリックがブラック・サイケデリック・ロックを更新し、アフロ・フューチャーへと向かっている。ローリン・ヒルばかりか、エリカ・バドゥや最近ではソランジュのなかにもフラックからの影響を見ることができるとしたら、やはり彼女は進んでいたのだろう。2020年にはジェイムズ・ブレイクも“The First Time Ever I Saw Your Face”をカヴァーしているが、手本としたのはフラックのヴァージョンだと思われる。

 だが、重要なのはそこではないのだ。カニエ・ウェストだってフラックの曲をサンプリングしているのだからフラックはいまでも有効である、などという軽口を叩きたくはない。「ソウル・ミュージックとは、人間として、自分の人生は他人の手に委ねられているという紛れもない事実に対する、アメリカが生み出した最高の脚本に他ならない」と言った人がいる(**)。咀嚼すれば、生きるための脆弱性を前向き変換する力。共生の感覚。なるほど、その意味はぼくにも理解できるし、ある時代までのブラック・ミュージックにおけるラヴ・ソングの意味を理解するうえでは、納得のいく説明だ。その文脈において、フラックはマッコールの曲をソウル化している。いや、マッコールの原曲がそもそもソウル化されていたのかもしれない。
 数年前、『クワイエット・ファイア』と『チャプター・トゥー』の50周年版が配信でリリースされて、前者にはボーナストラックとしてビートルズの“Here, There, And Everywhere”のジャズ解釈と言えるような当時のカヴァーが収録されていた(ビートルズのカヴァー集『Let It Be Roberta』には同曲の1972年のライヴ演奏がアルバムの最後に収録されている)。ドラマティックな歌唱を特徴とする彼女がこの曲においてもっとも強烈に歌うのは、原曲ではポールがたんたんと歌っている「love never dies」というフレーズである。それを歌うときのフラックは激しく、一瞬ではあるが、反逆的である。
 ロバータ・フラックは「愛は歌だ」と語っている(*)。歌が愛ではなく、愛が歌……か。わかるようでいてわからない。が、わかるような気がする、ロバータ・フラックを聴いている限りは。

(*)
Remembering Roberta Flack: The Virtuoso
https://www.npr.org/2020/02/10/804370981/roberta-flack-the-virtuoso

(**)
Emily J. Lordi, Donny Hathaway Live, Bloomsbury, 2016, p39

(***)
Rob Young, Electric Eden Unearthing Britain’s Visionary Music, Faber and Faber, 2010, p113~p146

※ちなみにペギー・シーガーのヴァージョンも素晴らしい。このYouTubeの画像に出てくるヒゲの男がユアン・マッコールである。ペギーとマッコールは、初めて知り合った1956年から80年代にかけて、40枚ほどの共作アルバムを発表している(そのなかにはもっとも初期の、1960年に作られた反核ソングも含まれている。また、ペギーの方は60年代にフェミニズム運動のアンセムをいくつも書いている)。なお、ペギー・シーガーは、87歳になった2023年にも“The First Time Ever I Saw Your Face”を「愛と喪失の曲」として歌っている。これもまた素晴らしいヴァージョンだ。しかもこのヴァージョンは、それこそ「初めて(The first time)」と歌って終わっているのである。

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