Home > Columns > Dennis Bovell- UKレゲエの巨匠、デニス・ボーヴェルを再訪する
UKレゲエにおけるイノヴェイター、デニス・ボーヴェル。ジャマイカと同じく、旧イギリス植民地、西インド諸島の西の端にある珊瑚礁の島、バルバトスにて1953年に生まれ、1965年に家族の移住とともに12歳のときに彼はサウス・ロンドンの地に降り立った。いわゆる非ジャマイカのカリブ系の「ウィンドラッシュ世代」であり、デニスが音楽を手がけた、UKブラックの若者とサウンドシステム・カルチャーを描いた映画『バビロン』の主人公たちとほぼ同じか、もしくは少しだけ上の世代と言えるだろう。1971年にバンド、マトゥンビを結成し、来英するジャマイカン・アーティストやディージェイのバックを務めつつ、自らの楽曲も発表、UKレゲエの礎を作っていくことになるのだが、もうひとつ彼の重要な活動の場としてサウンドシステムの運営があった。今回、本稿のテーマとなる、〈Warp〉傘下の〈Diciples〉からリリースされる、彼の1976年から1980年の作品をまとめた『Sufferer Sounds』は、彼が運営していたJah Sufferer Soundsystemからとられている(「Sufferer」とは植民地・人種主義の文字通り「受難者」として、ジャマイカのゲットーの人びとが自らを呼ぶ言い方だ)。
彼は1970年代初頭よりJah Suffererを運営しつつ、マトゥンビとは別にさまざまな音源制作も手がけていく。まずは自身が活動するサウンドシステムの “スペシャル” の需要がありつつ、彼の場合、1970年代の後半に関わったマテリアルの数々を考えると、それだけに留まらない猛烈な創作意欲が垣間見られる。その原動力のひとつに、「UKのレゲエ」を地元UKのシーンに認めさせるというものがあったようだ。当時のUKのサウンドシステムで重宝されていたのは「本場」ジャマイカのレゲエであって、彼らが欲しがっていたのはジャマイカの名プロデューサーたちがUKに持ち込むダブプレート(未発表、もしくは特別な別ミックスのテスト・プレス盤、ないしはそのマスター・テープ)だった。こうした状況のなかで、彼はさまざまなサウンドを試し、ダブ・ミックスの技を、そしてさまざまな音楽に対するアイディアを磨き、当時シーンに自分たちの力量を認めさせていった。そのなかのひとつにラヴァーズ・ロック・レゲエ=ミリタントなレベル・ミュージックではなく、ラヴ・ソング中心のポップな流行歌としてのレゲエもあると言えるだろう。
また彼の通り名とも言えるブラックベアード、4thストリート・オーケストラや『Sufferer Sounds』にも収録されているアフリカン・ストーンなど、匿名性の高い名義を使い、場合によってはあえて海外でプレスし逆輸入、ジャマイカ盤のようにいわゆるドーナッツ盤(センターホールがラージホールになっている)にするために、わざわざカッティング・マシンで穴まであけて、あたかもジャマイカのアーティスト、盤であるかのように偽装までしていた。また彼は基本的にはベーシストとして知られているが、じつはギター、ドラム、キーボードを操るマルチ・インストルメンタリストでもあって、レコーディング・エンジニアとして多重録音で楽曲を制作、さらにそれをダブ・ミックス、ときにはそうしてできた音源を、自身のシステムでその晩にプレイするためにダブプレートのカッティングすらした。おそらくセッション・ミュージシャン費を浮かせたい意図もあったとは思うが、演奏のニュアンスからアレンジからコントロールする狙いもあったのではないだろうか。
本国ジャマイカのダブ音源は基本的に歌入りのオリジナル・ヴァージョンの、演奏家の意志がほぼ介在しないリミックス・ヴァージョンであったが、デニスの場合は、純然たるダブ・ヴァージョンのためのレコーディングもおこなっていた。アレンジからダブ・ミックスありきで作られることもあったのではないだろうか、そこからまさに特別な、キラーなダブが生まれたことは想像に容易い。ちなみに、こうした『Sufferer Sounds』で見られるデニスの仕事のなかから、ダブの手法が極まった作品として、1980年の2枚のダブ・アルバムをあげておこう。UKで初めてダブ・アルバムを流通させたウィンストン・エドワーズ(ジョー・ギブスのいとこ)のレーベルからリリースされた、オーソドックスなレゲエのリズムながら手数の多いダブ・エフェクトが楽しめる『Winston Edwards & Blackbeard At 10 Downing Street - Dub Conference』と、さまざまな音響的な仕掛けや演奏も含めて、単なるダブ・アルバムから一歩踏み込んでダブを表現として昇華させた『I Wah Dub』の2枚だ。
ロイド・ブラッドリー『ベース・カルチャー』に掲載されているインタヴュー(「16 : 俺たちのルーツ」収録)によれば、デニスはある種のフォーマット化されたジャマイカのリズム(バニー・リーのフライング・シンバル~ロッカーズ・スタイル、スライ&ロビーによるステッパーなど)をはねのけるUK独自のリズムの創出を目指しもした。そのひとつが、その後、ラヴァーズ・ロック・レゲエの代名詞ともなるジャネット・ケイの “Silly Games” のリズム・デリヴァーだという。アスワドのアンガス・ゲイをドラマーとして起用し、ハイハットとスネアがエレガントに進む、デニス言うところの「スティックラー(こちょこちょくすぐる)・リズム」(上記インタヴューにて発言)は、たしかに大きくジャマイカのリズムを変えるまではいかなかったが、UK生まれの独特のレゲエのスタイルとしてのラヴァーズ・ロック・レゲエの最大のヒット曲となり、代表曲となった(『Sufferer Sounds』には、アンガスのジェントルなタッチのドラムも堪能できる未発表のダブ “Game Of Dubs” が収録されている)。
1970年代のこうした彼のサウンドに対するトータル・プロデュースとアンダーグラウンド・サウンドシステム・シーンの実験は、演奏が人力である点を除けば、そのまま現在のダブステップ・アーティストがDAWでやっていることとあまり大差がないことがわかるだろう。『Sufferer Sounds』は、まさにこうした地下の先鋭的な音楽の実験のドキュメンタリーとなっている(デニス本人が語っているライナーノーツも必読だ)。1970年末になるとこうしたサウンドの実験とその手腕が、LKJとの共闘などUKレゲエ・シーンの重要作を経て、ジャンル外の人びとにも注目され、ザ・スリッツやザ・ポップ・グループ、さらには坂本龍一の作品などを手がけることになり、国際的な評価にもつながっていく。
そういえば、デニス・ボーヴェルのコンピが〈Disciples〉からというのは以外な感覚もしたが、レゲエ史というよりも、ダブをひとつ、現在につづくエレクトロニック・ミュージックの手法とすれば、つまりUKのアンダーグラウンドに存在したある種のエレクトロニック・ミュージックの埋もれていた重要な実験であり、そう考えればこれまでのレーベルの方向性とも合致すると合点がいく。