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ジョン・ウィック:パラベラム

ジョン・ウィック:パラベラム

監督:チャド・スタエルスキ
出演:キアヌ・リーブス/ハル・ベリー/イアン・マクシェーン/ローレンス・フィッシュバーン/アンジェリカ・ヒューストン
 
原題:JOHN WICK:CHAPTER3 PARABELLUM(2019/アメリカ)
配給:ポニーキャニオン
R, TM & c 2019 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.
10月4日(金)TOHOシネマズ日比谷他全国ロードショー
http://johnwick.jp/

三田格   Oct 08,2019 UP
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 何年か後にはオタクの山ができていそうな映画である。いや、もうすでにできているかな。その山に登らず、どこに山があるのかだけを考えたい。山の一部をなしているのは『燃えよドラゴン』で、「鏡の部屋」って『ローマの休日』が起源かなーなどとも言い放ってはみたいけれど、返り討ちに会うのが関の山なので、黙って『徹子の部屋』でも観ていよう。今日のゲストは高嶋ちさ子かな……

 シリーズ3作目なので、これまでのあらましを多少は述べないといけないだろう。ニューヨーク中にいる殺し屋がジョン・ウィック(キアヌ・リーヴス)を狙い、果たして彼らの手をすり抜けてアメリカから脱出できるのか……というところで『チャプター2』(17)は終わってしまい、そこからいきなり『パラベラム』は始まるし。こんなTVドラマのように続く映画もないぜとは思うものの、観てよかったなーと思うから『ジョン・ウィック』シリーズは侮れない。「ミレニアム」とか「メン・イン・ブラック」も全部観ちゃったけどさ。

 ジョン・ウィックは恋人を失い、彼女の死後に形見として子犬が届く。ガソリン・スタンドでガンをつけてきたチンピラたちがジョン・ウィックの家を襲い、犬を殺し、彼の愛車フォード・マスタングを奪っていく。殺し屋稼業から足を洗っていたジョン・ウィックは復讐のためにやむなくカム・バック。チンピラは実はロシアン・マフィアを牛耳るボスの息子で、ジョン・ウィックとロシアン・マフィアは全面戦争に突入していく。ハリウッドが遠ざかりつつあった暴力表現がこれでもかとテンコ盛りになっているだけでなく、復讐というモチーフや鬱蒼とした音楽の被せ方、そしてフィルターをかけっぱなしにした映像など、1作目は明らかに韓国ノワールの影響を感じさせる。ここ数年、ハリウッドの代わりにヴァイオレンスで客足を引きつけた韓国映画やスペイン映画が「ジョン・ウィック」シリーズの演出に大幅に取り入れられている。そこがまずは魅力。

 フォード・マスタングを取り戻すところから『チャプター2』は始まる。ジョン・ウィックが所属する組織には手厚い厚生施設が整い、ソムリエと呼ばれる武器調達係がいたりと、世界規模で行動がしやすくなっている代わりに「誓印」と呼ばれる「貸し・借り」のシステムが絶対の条件となっており(ほかにもヘンなルールがいっぱいあってこれがまた実に楽しい)、ジョン・ウィックはサンティアーノ・ダントニオの依頼によって「主席連合」の次期代表に就任する予定のジアナ・ダントニオを暗殺しなければならなくなる。そして、ジョン・ウィックはローマに飛ぶ――

 とにかく暴力、暴力、暴力である。「パラベラム」というのは銃のことらしい。韓国映画『アシュラ』(16)はいくらなんでも人が死に過ぎると思ったけれど、これはそれ以上。ただし、毎回のようにクラブで銃撃戦があるにもかかわらず、一般の人には絶対に当たらず、関係者しか死なない。『パラベラム』ではそれがエスカレートして駅の構内や電車のなかでも撃ち合うのに通勤客はそれに気づかず、普通に歩いているだけだったり。ほとんどギャグである。暴力映画が好きな人には可視化されているけれど、観たくない人には見えないと、R指定という倫理コードそのものが映像化されているよう。

 目の前にジョン・ウィックが現れたことで、ジアナ・ダントニオは死期を悟り、自らバスタブのなかで手首を切る。ジョン・ウィックは死体に弾を撃ち込み、ローマから脱出する。ジアナ・ダントニオの暗殺依頼がバレると「主席連合」の時期代表に就任できないと判断したサンティアーノ・ダントニオは口封じのためにジョン・ウィックに700万ドルの賞金をかけ、ニューヨーク中の殺し屋に始末させようとする。次から次へと殺し屋がジョン・ウィックを襲う――

『チャプター2』から『パラベラム』にかけて持続するテーマは、日本の忍者ものでいう「抜け忍」である。一度は組織から抜けることのできたジョン・ウィックが再度、組織から抜けるためにカイロへ飛び、砂漠のどこかにいるという組織のリーダーに会いに行くことが『パラベラム』の主要ストーリーをなしている。そのためにジョン・ウィックが様々なコネクションの助けを求め、その過程で「貸し・借り」が清算されたり、さらに増えたりする。そして、よくもまあ、これだけ新しいアイディアが思いつくよなと思うほど斬新なアクション・シーンが薄いストーリーの隙間をぎっしりと埋めていく。半端ではない量のガラスを割り、犬が走り、馬が走り、ビルから落ちても助かっている。そう、「ジョン・ウィック」シリーズのプロデューサーとディレクターは『マトリックス』(99)でスタントマンを務めていたデヴィッド・リーチとチャド・スタエルスキなのである。2人は『マトリックス』からインターネットや仮想空間というアイディアをすべて捨て去り、アクション・シーンだけで新たな世界観をつくりあげた。それどころではない。「ジョン・ウィック」シリーズにはインターネットを思わせる電子機器はまったく登場せず、電話は交換台で繋がれ、報酬は金貨でやりとりされている。最も驚いたのはジョン・ウィックに力を貸すバワリー・キング(ローレンス・フィッシュバーン)はインターネットより早いといって伝書鳩で情報を集めている(そんなバカな!)。キアヌ・リーヴスとローレンス・フィッシュバーンはちなみに『マトリックス』ではネオとモーフィアスを演じた救世主コンビ(大事なモノを本のなかに隠すというアイディアも持ち越されている)。

『マトリックス』はよくできた作品だった。インターネットの影響を、それが地球を覆い尽くす前に予見し、可能な限り悪い想像を巡らせたという意味ではなかなかのものであった。いま観ると『マトリックス』は陰謀論に取り憑かれたネット中毒者がくだらない正義感を振りかざして悦に入っているようにしか観えなかったりもするけれど、公開当時は、みんな、来るべき未来像として真剣に観ていたのである。しかし、そうした部分は時間の経過が古びさせたというか、過剰な思い込みは勝手に剥がれ落ちたというか、自然と真剣に観るようなものではなくなっていったのに対し、むしろリーチ&スタエルスキが問題にしたのはネット時代における身体性の定義であった。『マトリックス』にはインターネットに未来を感じていた者にとって、ある種のユートピアが描かれている場面も多く、たとえばネオは体を1ミリも動かさず、あらゆる格闘技を耳からの情報だけで身につけてしまう。そして、ストーリーのなかでは実際に優れた格闘家として振る舞い、『マトリックス』はある意味、アクション映画として成功した作品となった。ところが、本当に鍛えた体ではないために、空中に浮くときの筋肉の動きだとか、どこにも力が入っていない状態で無理な姿勢になったりと、いわば子どもが人形で遊んでいるようなぺらぺらの身体性しか画面には映し出されない。それこそ幽霊のような動きだし、アクションとしての説得力はないけれど、フリークスとしては面白いというような。『マトリックス』でスタントマンを務めていたリーチ&スタエルスキがそれに納得するはずはなかった。

 松本人志は格闘ゲームをやっていて、実際の自分がそんなに強いわけではないことに疑問を持ってジムで体を鍛えるようになったという。『マトリックス』から『ジョン・ウィック』に起きた変化もそれと同じことだろう。キアヌ・リーヴスが撮影の4ヶ月前から体づくりに取り組み、『パラベラム』では車に跳ねられるシーン以外はすべて自分でこなしたという撮影エピソードが売りになるのもインターネットによって萎縮した身体性やギーク・カルチャーが全般的に売りにならなくなってきたことを明瞭に表している(僕が最も感心したのは『パラベラム』のクライマックスは格闘シーンが長過ぎてジョン・ウィックの身体が疲れを表現していたところ)。いまから思えば三池崇史監督『クローズZERO』(07)とかギャレス・エヴァンス監督『ザ・レイド』(11)とか、最初から最後まで殴り合いしかない映画がなぜか面白かったのは、インターネットの普及によって劣化していた身体性が早くも氾濫を起こしていたからなのだろう。それを『マトリックス』を完全否定するというかたちで「ジョン・ウィック」シリーズが似たようなキャストで世界観ごと覆してしまったのである。「ジョン・ウィック」シリーズに与えられた設定も完全にファンタジーというか、マンガのような世界観なので、その対称性は歴然である。

 

『ジョン・ウィック:パラベラム』予告編

三田格