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Sun Ra Arkestra

Cosmic News PaperJoyful NoiseSpace OrchestraSuper-Sonic Jazz

Sun Ra Arkestra

Swirling

Strut/Art Yard

小川充野田 努   Nov 13,2020 UP
E王
12

野田努

私の音楽に耳を傾けてくれれば、
人びとはエネルギーを得る。
彼らは家に帰り、
おそらく15年くらい経ってから言うだろう、
「15年前に公園で聴いたあの音楽は素晴らしかった」と。*
サン・ラー (1991)

 これは特別なアルバムだ。理由はふたつある。まず、アーケストラがサン・ラーの死後、20年以上の年月を経て発表する新録のアルバムであるということ。もうひとつは、それを “いま” 発表することの意味。で、しかし、ほかにもうひとつある。『Swirling』は半世紀以上も演奏を続けてきたアーケストラが一回しかできないことをここでやっているという意味においても特別なのだ。

 アーケストラは、自らをサン・ラーと名乗った音楽家であり、思想家でも詩人でもあった人物のバンドの名称である。名前はエジプトの神ラーの箱船(Ra's ark)から取られている。サン・ラーいわく「Arkestraには、最初と最後に “ra” がある。Ra は Ar または Ra と書かれ、“Arkestra” の両端は同じ母音、最初と最後が等しい……音声的に均衡がとれている」(1988)*
 それは1950年代のシカゴ──サウスサイドだけでもジャズ・クラブが75もあった街──で誕生した。

私の音楽のなかではたくさんの小さなメロディーが流れている。まるで音の海のように、海は現れ、戻っていき、うねる。*

 アーケストラはただのバンドではなかった。多くの場合ジャズ・バンドのメンバーは演奏(仕事)においての顔合わせであって、日常での友人関係は持たなかった。が、サン・ラーにとってミュージシャンたちは友であり、バンドはコミュニティだった。アーケストラはサン・ラーという父親が統合するいわば家族であり、学校だった。そこには規律(disciple)があり、ジャズの世界では異例と言えるほどの道徳が要請された。故ジョン・ギルモア(tr)も「サン・ラーとは生徒と教師の関係だ」と言っているが、まあ、大学時代は教職を考えていたサン・ラーは人に教えるのが好きだったろうし、思想を共有することはアーケストラによって最大の任務でもあった。

 ちなみに、アーケストラにおいては、物事には集団で向かうものだった。たとえば演奏中に誰かが間違えたとき、ほかのみんなも間違えれば、それは間違いではなくなる、解決とはこうして共同でおこなうもの、団結して成し遂げるものだった。ホワイト・パンサー党の党首であり MC5 のマネージャーだったジョン・シンクレアが「60年代を生き続けている存在」と呼んだのも、もちろん大いなる否定者であるサン・ラーの態度ゆえなのだろうが、コミュニティ(共同体)へのこだわりにもその一因があるのだろう。
 しかしながら、1914年生まれのサン・ラーは1960年代にはすでに50過ぎである。だから、多くの人が知るところの名曲 “Space Is The Place” の頃はほぼ60。ディスコのリズムを取り入れた “Disco 3000” のときは60代半ば、スリーマイル初頭の原発事故に触発された「Nuclear War」をポストパンク時代に出したときはほぼ70歳だ。

 本作『Swirling』を仕切っているマーシャル・アレンは今年で96歳。アーケストラのオーボエ/アルトサックス奏者、バンドの諸作で聴けるエキゾチックなメロディはたいていアレンのオーボエだったりする。彼はシカゴ時代の1958年にメンバー入りし、以来、ずっとアーケストラとして活動しているが、コミュニティの存命においてもアレンは欠かせない人物だった。
 60年代初頭、アーケストラはシカゴからNYへと移動したが(そこでアミリ・バラカのブラック・アート・ムーヴメントにも合流した)、家賃の高騰とリハーサルにおける騒音問題によって、1968年にはNYを出ていかざるをえない状況になっていた。引っ越しはしかも、決して容易なことではなかった。なにせ、複数の中核メンバーを受け入れ、なおかつ大人数での日々のリハーサル場所を確保しなければならない。
 そんな彼らに救いの手を差し伸べたのが、フィラデルフィアのモートン・ストリートに不動産を持っていたマーシャル・アレンの父親だった。かくしてサン・ラーご一行は長屋のようなところにおさまり、結局、そこがアーケストラにとっての最終的な拠点となった。もちろん本作『Swirling』も同地でリハーサルがなされている。

 アーケストラにとってのリハーサルは、演奏技術を磨くということだけが目的ではなかった。そこはサン・ラーが “宇宙哲学” を語る、いわば講義の場でもあった。ときにそれは何時間にもわたることがあったというが、アーケストラにとって重要なのは、世界を変えるために音楽を利用することだった。「明日のイメージを描くために、すべてをジャズに見せかけた」とジョン・F・スウェッドは評伝『Space Is The Place』のなかで表現しているが、実際1958年に彼らの自主レーベル〈サターン〉からは2枚目としてリリースされた『Jazz In Silhouette』のスリーヴにはこう記されている。「これはジャズに見せかけたシルエット、イメージ、そして明日の予想である」
 リハーサル時におけるサン・ラーの話は、あまりにも多岐に及んだという。歴史学、言語学、占星術、天文学、人智学、数秘学、それから冗談とジャズ話……。彼は弁舌家としても有名なのだ。

 また、サン・ラーはメンバーひとりひとりのために譜面を書いたが、往々にして、譜面には通常の音域外の音が指示されていたという。先日、アーケストラをカヴァーストーリーとして掲載した『Wire』誌10月号では、扉の写真にマーシャル・アレンがぶあつく重ねられた譜面を見ている場面を使っているが、それらぼろぼろの年季の入った紙切れたちこそサン・ラーが書いた譜面である。彼がメンバーそれぞれのパートのために書いた譜面はじつに細部にまでしっかり記述されていたが、しかし演奏がはじまると決して譜面通りにはいかないのがアーケストラだった。かつてサン・ラーはメンバーにこう指導したことがある。「君が “知らない” ことのすべてを演奏せよ(Play all the things you don't know!)」*
 たとえばマーシャル・アレンの場合は、アーケストラに入ったことによって、サックスを使っての吠え、叫び、鳥の歌などを会得したのである。

 そう、本作を読み解くヒントは、サン・ラーの人生とその人物像にある。なのでもう少しおさらいしておこう。そもそも彼は第一次世界大戦がはじまる年に生まれている。日本はまだ大正時代である。
 1920年代の(やがてサン・ラーを名乗ることになる)ハーマン・ブラントは成績優秀な優等生だった。1930年代のハーマンは、それに輪をかけての読書家だった。大恐慌時代に黒人が読書家であることはじつに異例のことで、人種隔離された図書館で黒人が本を借りるには、裏口から黒人職員を呼んで本を取ってきてもらうしかなかったという。
 ハーマン~サン・ラーの読書には、確固たる目的があった。それは西欧文明と聖書の欠点を探るためであり、自分とはいったいどこから来たのかを知るためだった。
 そのため彼は古代文明に着目した。ギリシャ哲学やピタゴラス教団、神秘主義に惹かれた彼はグノーシス派にも向かった。ブラヴァツキー(シュタイナーに影響を与えた人)の人知学に傾倒したこともある。また、エジプトの秘密を知るべく、英語以外の言語で書かれた書物も辞書を引きながら読んだというから、ちょっとした素人学者だ。シカゴ時代は、彼の家に来た誰もが壁を隠すほどその床に積み重ねられた本の量を見て驚くほどだったが、彼が古代アフリカにおける文明を知るに至ったことは、サン・ラーの哲学と音楽にとって大きな収穫となった。
 サン・ラーは自分の信念を曲げない人でもあった。1940年代の第二次大戦中は、身体の障害を理由に兵役拒否を続けた。また、収監されてもなお反論することができるほどの知性を彼はすでに持ち得てもいた。軍の幹部が、よく教育された黒人知識人だと感心したというほどに。
 戦後、貧困な黒人たちのあいだで支持者を拡大していたネーション・オブ・イスラムには、関心は示したものの決して賛同はしなかった。あれだけ “黒さ” にこだわり、白い文化に頼らず自律することを目標としながら、しかしサン・ラーにとって白人だけが悪魔ではなかったし、分離主義を望んでもいなかった。彼はつねに、(特定の人種ではなく)人類に対する否定的な意見を述べていたのだから。それにまあ、ありていに言って彼はマッチョな人間ではなかった。サン・ラーはこうも言っている。「私はリーダーでも、哲学者でも、宗教人でもない。ただ、人間を変えることのできる何かを示したいだけだ」*

私の音楽はいつもうねっている。それは人びとの頭の上に行き、一部の人びとを洗い流し、再活性化し、彼らを通り抜け、宇宙へと戻っていき、再び彼らの元にやって来る。*

 たしかに『Swirling (渦巻く)』はうねっている。まずは女性メンバーのタラ・ミドルトン(vln)が、1970年代初頭から歌い継がれ、かつては故ジューン・タイソン(アーケストラ全盛期の女性メンバー)も歌ったサン・ラーの詩をいままた歌う。

衛星たちは回転している
よき日々が壊れている
銀河たちは待っている
惑星地球が目覚めるのを
私たちはこの歌を勇敢な明日のために歌う
私たちはこの歌を悲しみを廃止するために歌う
 “Satellites Are Spinning” (1971 / 2020)

 小さな渦が集合するコズミック・ジャズの “Lights On A Satellite” が続く。そこから “Seductive Fantasy” までの展開は、晩年にサン・ラーが喩えたように、アーケストラのメンバーひとりひとりが宇宙ニュースを記事にしている「宇宙新聞(Cosmic News Paper)」である。
 “Seductive Fantasy” は1979年の『On Jupiter』に収録されているが、同曲が新鮮なアレンジによって演奏されているように、ほかにも “Angels And Demons At Play” や “Rocket Number Nine” といったお馴染みの曲がみごとに甦っている。批評家のグレッグ・テイトは、「アーケストラの面々は、6つのディケイドに渡って展開されたサン・ラーのコンセプトがいまも魅力的であることを充分わかっている」と評しているが、たしかに彼ら・彼女らはサン・ラーの遺産に新たな生命を吹き込んでいるのだ。
 演奏はおおらかで、総じて祝福めいている。実験性には遊び心があり、アレンの電子音にはユーモアがある。サン・ラーの代わりに鍵盤を操っているファリド・バロンの演奏はまったく生き生きとしているし。つーか、この長老たちときたら……

 マーシャル・アレン作曲による表題曲 “Swirling” はスウィング・ジャズだが、これはアヴァンギャルド全盛の60年代~70年代に敢えてスウィングをやったサン・ラーに捧げているのかもしれない。笑ってしまうというか、なるほどというか、ある意味「らしい」と思えるのは、ロックンロール/リズム&ブルースまで披露しているところだ。
 サン・ラーといえば、いまや「アフロ・フューチャリズム」の古典となっているが、20世紀の初頭に生まれ、黒人文化人として世界大戦も経験しながら活動してきた彼を「アフロ・モダニズムの人」と評する向きもある。彼はたしかに、バンドのメンバーから猛反発をくらってもディスコを取り入れるほどの柔軟性のある人だったし、50年代にいくら批評家たちからぞんざいな扱いを受けようとも実験(電子音、短いソロや反復)もメッセージ(あるいは詩)も宇宙服(白人文化の象徴であるスーツの拒絶)も止めなかったが、サン・ラーがもっとも好きだったのはトラディショナルなビッグバンド・ジャズだったと言われている。ことにブルースであれば、同じフレーズを繰り返さずに延々と弾いていられたそうだ。スピリチュアルな人だったのだろうが、世俗的な音楽もずいぶんと愛していた。サン・ラーのそんな側面も今回の新録盤にはよく出ている。
 だが、そうした嗜好性とは別のところで、彼は「音楽は人間世界以前に存在し、人間がいなくても存在し続けることができた」と真剣に考えてもいた。そして、音楽が人間世界以前に存在するのであれば、音楽とは宇宙のものだ。その宇宙の音をこそ、彼とアーケストラはひたすら探求し続けていたのだ。つまり、トラディショナルなジャズと未来志向とのブレンド。

 1993年1月に卒中で倒れ、それでもライヴ・ツアーを続行したサン・ラーも、いよいよ自らの最期を覚悟したとき、アーケストラの面々にこう言ったという。「この世界は甘やかされた子どもたちによって作られている。狂った熊たちの世界だ。自分の思うところを外に向かって伝えよ。私はもうおまえたちにできる限りの情報を与えた。あとはおまえたち次第だ」*
 その成果がこのアルバム、門下生たちが力を振り絞って録音した『Swirling』というわけだ。サン・ラーが生まれてこのかた100年以上も経った21世紀のいま、こんな作品が聴けるなんて幸せこのうえないことで、アーケストラはこの音楽が超越的であることを身をもって証明しているわけだが、悠長なことを言ってもいられない。コロナ、BLM、そして分断された社会と……、ジ・アーケストラがサン・ラーの哲学をふたたび外に向けて伝えるなら、いましかないのだろう。世界を変えるために音楽をやるなんてことがとてもじゃないけど言えなくなったいま、怒りと、しかし喜びに満ちた宇宙の音楽をやるのは15年後では遅い、いまなのだ。

自分が間違っているとわかっているということをわかっている、
ということを知ったら、君はどうするのかい?
音楽と向き合って
宇宙の歌を聴かなければならない
The Sun Ra Arkestra “Face The Music” (1991)

したがって私は話したのだった
そして今後は星々に書かれる
 『Swirling』のブックレットより

* 引用は、ジョン・F・スウェッド著『サン・ラー伝(原題:Space Is The Place)』(湯浅恵子訳)より

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