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Nicolas Jaar

AmbientExperimentalPost-Punk

Nicolas Jaar

Sirens

Other People/ビート

Tower Amazon

デンシノオト小川充木津 毅   Nov 11,2016 UP
E王
123

 これは異郷の都市を彷徨する者の音楽ではないか。たしかにエレクトロニックな音楽である。しかし、見知らぬ都市/土地、その夜の最中を彷徨する感覚が濃厚に漂っているのだ。それは異邦人の記憶や体験ともいえよう。そう、ここでは、いくつもの都市や土地の記憶が、つまりは異郷と望郷の記憶がレイヤーされるように、音楽もまたふたつ以上のエレメントが交差している。むろん、このようなエクレクティックな感覚は、ニューヨークで生まれ、チリで育ったニコラス・ジャーにとっては当然のものかもしれない。ふたつの記憶。その分断。過去。現在。その音楽化。
 ゆえに彼の音楽は、ある「捉えにくさ」を持っている。それはときに折衷的といわれもする。この6年ぶりのソロアルバムでも、そのエクレクティックな音楽性は健在であった(ダークサイドなどでは、むしろ希薄)。いや、さらに研ぎ澄まされているというべきか。このふたつの記憶が、浸食するわけでも、並列されるわけでもなく、レイヤーのように重なる感覚。

 アルバムを聴いて、トラックのベーシックとなっているのは、彼の詩情豊かなピアノではないかと想像した。じっさい、乾いたロマンティズムを放つピアノは、彼のトレードマークといえなくもない。そこにノイズやビート、彼自身によるヴォーカルが分断するようにコンポジションされていく。本作では初のポスト・パンク的なトラックも収録されているが、それですらもピアノやノイズの層が、交錯する記憶のように、楽曲のなかに侵食してくるのだ。まるで記憶Aが記憶Bに浸食するように。
 つまり、楽曲じたいが断章の集積のような音楽なのだ。1曲め“キリング・タイム”に随所な傾向だが、“ザ・ガヴァナー”や“スリー・サイズ・オブ・ナザレス”などのポスト・パンク的なヴォーカル・トラックもまたフラグメンツ的な構成を聴き取ることができる。コンセプトとフラグメンツ。やはりそれは記憶の再構成のようなものかもしれない。その断章から楽曲を、ひいてはアルバムという構成物を組成すること。これはコラージュ的では「ない」点が何より重要だろう。コラージュは異質なものを接続する。対してフラグメンツは並列され、重ねられ、互いに浸食し、新しい構造体を生む。

 その結果として、本作は、ある物語、世界観、統一的なムードを伝える「コンセプト・アルバム」のような様相を示す。ジャーは、2011年のファースト・アルバム『スペース・イズ・オンリー・ノイズ』以降、ソ連の映画作家セルゲイ・パラジャーノフの『ざくろの色』(1968)にインスピレーションを受けて制作された『ポミグラニット』(2015)、EPシリーズ『ニンフス』などの、フリー・ダウンロードでいくつかの作品を発表してきたが、本作が正式なアルバムとしてフィジカル・リリースされた理由は、この統一的な世界観の存在(を見出したこと)が大きいのではないか(もっとも『ポミグラニット』『ニンフス』『セイレーンズ』は3部作ともいわれている。じじつ、曲単位ではサウンドの共通項も多く聴きとることができる)。
 この「コンセプト・アルバム」的な構成は、近年の世界的な潮流ではないか。たとえばフランク・オーシャンの新作もまた、入口と出口が用意された体験/鑑賞型のコンセプト・アルバム的な構成であった。それにしても配信の時代になり、アルバムという概念が消失し、曲単位での消費がメインになるのかと思いきや、サブスクリプション以降、むしろアルバムというコンセプトが復権してきているのは興味深い現象だ。際限なき自由は、むしろ制限という表現を求めるのだろうか。そもそもアートとはリミテッド(限定的)なものだったといえる。

 本作もまた、入口と出口が用意された「コンセプト・アルバム」でもある。記憶の分断がミックスされていくような1曲め“キリング・タイム”から、ジャーとリスナーの都市の彷徨が始まるのだ。ときにアラン・ヴェガが骨組みだけになったかのようなエレクトロニック亡霊ロック“ザ・ガヴァナー”を演奏するクラブに迷い込み、ときに分断されたミニマル/エクスペリンタルな室内楽的な“リーヴス”に耳を澄まし、ときにレゲエ、ジャズ的なアンサンブルな“ノー”が街の雑踏から聴こえてきたかと思えば、またもインダストリーな“スリー・サイズ・オブ・ナザレス”が鳴り響く、怪しげなクラブへと迷い込む。そして、思うはずだ。この「異郷」の地で、「自分は、いま、どこにいるのだろうか/なぜ、ここにいるのだろうか」と。そんな唐突な宙吊り感覚が表面化し、パラグアイのハープ奏者セルジオ・クエヴァスの60年代の楽曲を引用したエレクトロニック・ラウンジ“ヒストリー・レッスン”が、映画のエンディング・テーマのように鳴り響き、アルバムは唐突に終わる。まるでデヴィッド・リンチ映画のエンディングのような見事な幕切れでだ。日本盤は2曲めにボーナストラック“ワイルドフラワーズ” が収録されていることも話題だが、これがまったく違和感がない。どうやらジャー本人の指示らしいが、ある意味、海外盤より曲構成が自然に感じられた。これをもって「完成版」といっても良いのではないか。

 本アルバムに漂うムードを、ひとことでたとえるならアート・リンゼイの詩情とアラン・ヴェガのアート/パンクイズムだろう。異郷と故郷。現在と望郷。追憶と抵抗。そのふたつが常に入れ替わり、重なり、交わり、そして途切れる。つまりは一夜の都市(NY?)を彷徨するかのようなアルバムだ。まさに傑作である。

デンシノオト

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