ele-king Powerd by DOMMUNE

MOST READ

  1. interview with Keiji Haino 灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第2回
  2. Beyoncé - Cowboy Carter | ビヨンセ
  3. Columns ♯5:いまブルース・スプリングスティーンを聴く
  4. interview with Keiji Haino 灰野敬二 インタヴュー抜粋シリーズ 第1回  | 「エレクトリック・ピュアランドと水谷孝」そして「ダムハウス」について
  5. 壊れかけのテープレコーダーズ - 楽園から遠く離れて | HALF-BROKEN TAPERECORDS
  6. interview with Martin Terefe (London Brew) 『ビッチェズ・ブリュー』50周年を祝福するセッション | シャバカ・ハッチングス、ヌバイア・ガルシアら12名による白熱の再解釈
  7. Brian Eno, Holger Czukay & J. Peter Schwalm ──ブライアン・イーノ、ホルガー・シューカイ、J・ペーター・シュヴァルムによるコラボ音源がCD化
  8. interview with Mount Kimbie ロック・バンドになったマウント・キンビーが踏み出す新たな一歩
  9. Bingo Fury - Bats Feet For A Widow | ビンゴ・フューリー
  10. tofubeats ──ハウスに振り切ったEP「NOBODY」がリリース
  11. 三田 格
  12. Beyoncé - Renaissance
  13. Jlin - Akoma | ジェイリン
  14. HAINO KEIJI & THE HARDY ROCKS - きみはぼくの めの「前」にいるのか すぐ「隣」にいるのか
  15. 『成功したオタク』 -
  16. まだ名前のない、日本のポスト・クラウド・ラップの現在地 -
  17. KRM & KMRU ──ザ・バグことケヴィン・リチャード・マーティンとカマルの共作が登場
  18. Beyoncé - Lemonade
  19. Politics なぜブラック・ライヴズ・マターを批判するのか?
  20. R.I.P. Damo Suzuki 追悼:ダモ鈴木

Home >  Reviews >  Album Reviews > Oval- Popp

Oval

GlitchIDM

Oval

Popp

Uovooo/HEADZ

Tower Amazon

デンシノオト松村正人   Nov 04,2016 UP
12

(デンシノオト)

 ある音楽を、音楽として聴かないこと。その行き着く先は、音楽の統合性が失調した世界だと思うのだが、ノイズや音響などの聴き手は、常にその境界線上を生きているともいえる。エクスペリメンタルなのは音楽ではなく、聴いている人間の方なのだ。となれば、ある音をノイジーと感じる理由は、何に起因しているのか。曲調か。音量か。音質か。音色か。レイヤーか。人間か。聴取する側の解像度の問題か。

 聴取のとき、音楽(の全体像)の解像度を一気に落とすと、音楽は壊れてしまう。試しに、身近な音楽を再生し、そのメロディでもビートでも、なんでも良いが、音楽的な要素に、まったく入り込まないで聴いてほしい。それはすでに音楽ではないはずだ。反対に聴取の解像度を上げると、ある部分がズームアップされ、その音楽は別の音楽に変わる。90年代末期から00年代にかけてのエレクトロニカや電子音響は、聴き手の聴取のレイヤー/解像度を上げたことが革命的だったわけだが、では、もう一度、聴き手の聴取の解像度を急激に下げてしまうと、われわれの聴覚/感覚はどうなるのか。たとえば轟音もある意味、聴き手の解像度を下げる作曲・演奏・発音行為だが、その「中」に没入することで、解像度はもう一度回復する。逆にいえば、解像度が低いまま、音を浴び続けると心身に不調をきたす。つまり、解像度の遠近法が回復しないと人間は崩壊する。

 そこでオヴァルの新作『ポップ』(「Popp」と書く)である。本作が凄まじいのは「ポップになった」とか、「クラブ・トラック」というだけでなく、確実にそれらの音楽でありつつも、「音楽」の解像度が低いまま展開していく点にある。アルバム冒頭の“ai”は、オヴァル特有の非周期的なループを聴きとれるが、実体化した「音楽」は分断され、声=ヴォーカルも分断され、圧縮された音質のようなポップの断片がレイヤーされていく。通常、非周期的なループは、音楽の情報量が上がるはずだが、本作のポップ化したオヴァルの凄まじさは、多量な音響・音楽情報が圧縮されたまま、つまりは「貧しい音楽」のまま、非周期的な構造を展開している点にある。しかも「ポップ」な音楽として聴取「できてしまう」。これは解像度を下げつつ、音へのアディクションを生むという意味で「狂気」の音楽といえよう(ブラックメタル的? オヴァルとバーズムの近似性について……)。

 なぜ、こんなことが可能になったのか。オヴァルは、2003年に発表された豊田恵里子とのユニット、ソー『ソー』以降、「声」と「音楽」への求心力を強めていく。2010年代の「復帰」以降の活動は、ソーでの試みを「オヴァルとして実体化させていくための実験・実践」であったといえる。たとえば、ブラジルの音楽家とコラボレーションをおこなった『Calidostópia!』(2013)、ヴォーカルを全面的に起用した『Voa』(2013)においては、ヴォーカルと電子音楽の融合を実験・実践していたし、2010年の復帰作『オー』や2012年の『オヴァルDNA』においては、生楽器による非周期性=ループを導入し、90年代の自身のグリッチ・ループ・サウンドを「音楽」として実体化させていった。しかし、「ヴォーカル」と「楽器」という彼の繊細な音楽家としての側面が、いかにもオヴァル的な非周期的ループの「貧しい」魅力を削いでいたことも事実である。だが、新作『ポップ』は違う。ループする音楽の対象を「R&B」や「EDM」的という、「あえて」の表層的なグルーヴを起用し、自身の本来の特性である「貧しい音楽」へと、つまりはオーガニックからケミカルへと舵を切っているのだ。その意味で、本作こそオヴァルの「復帰作」にふさわしいアルバムである。

 「聴取の解像度をアップデートして中毒性を上げる」のが2010年代初頭までのトレンドとするなら(情報量アップの知性)、「解像度を下げて中毒性を生む」(だらしない狂気へ)が2010年代中盤以降のモードになるのではないか。その最初の兆候が、このオヴァルの『ポップ』に思えてならない(むろん、マーカス・ポップは、90年代から本質的にはずっと同じだ)。2010年代後半は、「狂気への恐怖」がアウトになって、くわえて「狂気への誘惑」もアウトになって、「だらしなく狂気に行き着く」人間の時代になる。オヴァルの新作は、そんな「新しい人間」像をうまく表象している。統合性が失調する(音楽の)時代の始まり。いや、そもそも「90年代以降グリッチ・ミュージック」とはそのような音楽ではなかったか。貧しく痩せ細ったエラーが、それでいて、フレッシュであること。ここにおいて音楽の統合性はバラバラに分解してしまいそうになっている。廃墟の音楽。

 そう、グリッチとは、廃墟のなかに刹那に消えていく無数の天使たちの残骸/残滓なのだ。となれば、マーカス・ポップとは統合性が失調した時代の音楽を生む「新しい天使」であろうか。「新しい天使」による新しい「非=人間」のための音楽? それが『ポップ』なのだ。

デンシノオト

Next > 松村正人

●ライヴ情報 OVAL Live in Japan 2016

12月20日(火)
渋谷 TSUTAYA O-nest

12月22日(木)
京都 METRO

12

RELATED