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大森靖子

FolkIndie RockJ-Pop

大森靖子

魔法が使えないなら死にたい

PINK RECORDS

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竹内正太郎 Apr 24,2013 UP

 いまどき、これほどまでに音楽、音楽、音楽と、音楽そのものへの言及に執念を見せていることにまず、驚いた。『魔法が使えないなら死にたい』という捨てゼリフのような、児女のワガママのようなスローガン。だが、これを読んだだけでこの女性歌手が何者であるかがわかる、気がする。そして、ゼロ年代初頭に巨大なバズを引き起こした某ヒット作のパロディ、というかコラ画像のようなジャケット・アート、これを見ただけで彼女がいつくらいの時期にはちきれそうな実存不安と戦っていたかがわかる、気がする。

 彼女の歌は、歌い手のアイデンティティや性愛の問題に拘束されているようなイメージを漂わせつつ、実際はそうではない。例えば、"音楽を捨てよ、そして音楽へ"は、イントロでこだまさせた自らの声で「愛してるよ、愛してるよ、愛してるよ、愛してるよ、愛してるよ......」とメンヘラっぽさを装い、中盤のブレイクではわざわざ「悪口」のクレジットを割き、自分あてのどぎつい陰口を吹き込むが、その後の言葉の分裂的な移り変わりは、そこに飛びついたリスナーを翻弄するようで面白い。
 放射能、風営法、握手会といった検索タグめいた言葉をばら撒き(これはEP『PINK』にはなかった視点だ)、沸騰しない学校生活における人間関係の微妙な空気感をフラッシュバックさせ(初期の綿矢りさをリアルタイムで読んでいたのではないか)、さらにはポップ・ミュージックの現実的なコストと実際的な効力を冷静に見つめるような視線が、やみくもにタコ足配線されたかコードのように繋がり、複雑に絡み合っているのだ。
 それでも、この混乱(かく乱)ぶりそのものは必ずしも彼女の本質ではないはずだと、例えば"最終公演"を聴けばわかる。アコースティック・ギターと喉に強い負荷をかけながら、彼女は自分に巣食う空洞をめり込んでしまうほどに覗き込む。そこから聴き直す"音楽を捨てよ、そして音楽へ"の「音楽は魔法ではない」というシニカルな、そして脅迫的なリフレインは、むしろ「音楽を信じさせろ」と歌っているようにしか聞こえない。そう、誰のパロディでもない大森靖子がそこにいる。

 ところで『魔法が使えないなら死にたい』の前半部は、音楽的に言えばほぼオムニバスである。導入となる"KITTY'S BLUES"の丁寧なピアノ・アレンジは、是枝裕和の監督作品のバックグラウンドで流れていてもよさそうな端整なプロダクションで、「毎日は手作りだよね」というパンチ・ラインに痺れる"ハンドメイドホーム"は軽快なカントリー・ポップに仕上げた。"音楽を捨てよ、そして音楽へ"や、続く"新宿"もそうだが、これらの異様にお茶目で、児童ポップめいた打ち込みのアレンジは、言葉との非対称ぶりがグロテスクでさえある。この異質さは、椎名林檎を聴くときの相乗的な過剰さよりは、マジカル・パワー・マコの"フレッシュ・ベジタブル"を聴くときの居心地の悪さに似ている。
 これは捉え方によるが、アコースティック・バラード"背中のジッパー"以降のアルバム後半部で、彼女は装飾を捨て、普遍的なポップスの領域に接近する。基本は歌とギターの弾き語り。先達の名前を列挙したい人はすればいい。僕はそれよりも、ゲスト参加しているインディ音楽家の意外な面々に驚かされていよう。何もないところに集まるメンツではない。自撮り風のPVもおそらくはカモフラージュで、実質的な表題曲、"魔法が使えないなら"における捨て身の絶唱は、音楽に賭けたコストを金銭以外で回収できないのが悔しい、とでも言っているようじゃないか。

 プロフィールには1987年生まれとある。本作発売を記念したツアー・ファイナルのフライヤーを見て1986年生まれの僕が想起したのは、出会い系サイトの広告、あるいはゼロ年代初頭におけるインターネット・コミュニケーション――前略プロフやスター・ビーチ――の原体験だ。彼女は自傷さえをも望むように、ツイッターやフェイスブックには決して投稿されることのない、僕らの世代のそうした記憶の所在を臭わす。
 ギャルでもコンサバでもロハスでもなく――それでも何かしらのプレッシャーを感じながら女を生きさせられる自分。標準化されたモデルなんてないハズなのに、一様に「女の子」として見られてしまうことのストレス。友人がフェイスブックにアップする育児の写真を見てウンザリしない人間などいないだろう。ましてや「イイね!」ボタンが大量にプッシュされているのを見てしまっては......。それに「こじらせ女子」だなんて名前を付ければ、少しはラクになれるのだろうか?
 大森靖子は、決して自分を慰めない。どれほど過去が黒歴史にまみれていようが、この、たったいまをどう生きるか、そこだけに意識が行っている。そう、『魔法が使えないなら死にたい』はいま、もっとも往生際の悪いブルースだ。もちろん、これが気合の空回りで終わるか、処女作ゆえの潔癖の覚悟として振り返られるかは、彼女の今後を追いかけなければわからない。現時点で蛇足するなら、数年後、彼女は椎名林檎よりは七尾旅人に近い存在になっているんじゃないかと思った。取り急ぎいまは、この切実で、ある意味グロテスクな、こじらせ上等のマジカル・ミュージックをどうぞ。

竹内正太郎