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Laurel Halo

Laurel Halo

Quarantine

Hyperdub/ビート

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橋元優歩   Jul 02,2012 UP

 ポスト・ヒプナゴジックの平野を垂直に駆ける才女、閃光のローレル・ヘイロー。方法といいセンスといい、じつに鮮やかで凛々しい。ベース・ミュージックの知性やストイシズムがぶつかりあう〈ハイパーダブ〉のようなレーベルにおいて、まったく鮮烈な戦果をおさめている。

 デモを送ったところ〈ヒッポス・イン・タンクス〉よりも〈ハイパーダブ〉のほうが反応がよかったのだそうだが(『ele-king vol.6』竹内正太郎のインタヴュー記事参照)、どちらかといえば彼女の音は、ゲームスやジェイムス・フェラーロを擁し、チルウェイヴをへて瞑想化するインディ・ダンスの先端を掘削している前者に順接するから、この点〈ハイパーダブ〉は慧眼であった。ハイプ・ウィリアムスも両者にまたがる存在である。もちろん、ローレルも〈ヒッポス・イン・タンクス〉からは先に2枚のシングルをリリースしている。要するに、クラウド・ラップやトリルウェイヴのような、ビートを追求するシーンでさえも、多かれ少なかれチルウェイヴやヒプナゴジックという引力との綱引きのなかでスタイルを模索しているということだ。そして絶え間なく引き直されているその境界線上からこそ、刺激的な才能の輩出がつづいている。

 ローレル・ヘイローのおもしろさもこうした混淆にある。おもいきってメディテーショナルでミニマルなトラック、ドローニングな音世界からゆっくりとビートをもちあげていくトラック、あるいはその逆の展開。"イヤーズ"などを指して「ビートがないですね」などと本人に言おうものなら、「ビートはそこにあるわ」と果てしないビート問答に陥ってしまうだろう。アンビエントな音響構築とビート感覚との間にはそのくらいの緊張関係がある。おそらくはここが彼女の音楽のコアだ。つめたく硬質に、理知的に、ローレルは両者の間合いを詰める。それでいて理という馬脚をほとんどあらわさないように、ひと刷毛、エモーションによる彩色をほどこす。"ライト+スペース"のラヴェルを思わせるようなコーラス・ワーク、"ホロデイ"など、グリッチーなノイズや引き伸ばされたような環境音を背景に鋭く挿入されるヴォーカル・パート、"エアシック"や"ザウ"などミニマルなピアニズムの異化作用、いずれも得がたいが、彼女の声を使ったアウトプットに、そのもっとも強い発色がある。

 ポイントは歌がけっしてうまくないところだ。これはローレル・ヘイロー最大の萌えポイントでもあるが、同時に彼女の音が理知的であることの根本的な理由でもあるように思われる。はげしく加工され、断片がリフレインされ、それが巧妙に配置され、長いフレージングを歌いきるというようなことはない。ヘタというか、歌心というものから疎外されているというか、散文的な感性による韻文、運動が苦手な人間の運動......そうした不自由さとともに、それを客観して補うように、彼女の音楽は論理的なビルドアップをとげてきたのではないか。クラシックの教養や修養さえあるアーティストだが、この1点の可憐な欠如のために、より高い音楽性が引き寄せられているような印象があり、筆者にはそこもまた魅力に思われる。

 ファースト・アルバムのジャケットが会田誠とは豪華だが、ピッチフォークによるインタヴューを読むかぎり、この『切腹女子高生』(数パターンある彩色のうち2002年のものと思われる)が、血しぶきや内蔵のイメージでしか、あるいは殺人や少女という意味でしかとらえれられていないことをやや残念に思った。「殺人」ではなく「切腹」、「少女」ではなく「女子高生」なのだ。血しぶきの浮世絵のようなタッチや、若仲を思わせる格子のパターンの援用には、海外の人間とて日本へのエキゾチックなまなざしを向けるだろう。しかし制服やルーズソックスのニュアンス、彼女たちの笑みについてまでは伝わらなかったようだ。それには援交やまったり革命(宮台真司)といった概念までをカヴァーする必要があるだろうから。殺しによっていきいきとしているのではない。そんなことで生の意味やよろこびをえられると考えることが難しくなったから笑っているのだ。彼女らの背景にある成熟社会、日本。さらには戦後という時間を歪みとして意識し、引きずってきた国の両義的な果実としてのマンガ・アニメ的表象。浮世絵や若仲もそこではとても批評的な意味をおびている。ローレルには、これが作者が意図的に断片化してつなぎあわせた、ふるいコミックのようにみえたそうだ。そして、それはサンプリング・ミュージックが、対象のなかにもともと隠されていたかがやきを見つけ出す作業であることと似ている、とも述べている。よってこの作品の使用について深く考える必要はなさそうである。なんてクールなライオット・ガールたちなのかしら、といった程度なのかもしれない。

橋元優歩