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RIP

R.I.P.妹尾隆一郎

R.I.P.妹尾隆一郎

ありがとう妹尾隆一郎

文:鷲巣功  写真:鈴木敏也 Feb 05,2018 UP

 ありがとう妹尾隆一郎

 鷲巣功です。また訃報がらみの記事で恐縮。自ら「ウィーピング・ハープ」と名乗り、ブルーズを基本にしたハーモニカ演奏で知られた妹尾隆一郎が、昨年12月に亡くなっていた。昨年は体調を崩し幾つか公演を中止している。11月に復活の実演を高円寺次郎吉で行い、その時は絶好調。来年は行けるな、と誰にも思わせたばかりの出来事だ。あまりにも急で突然で、状況が分からなかった人たちも多い事だろう。

 妹尾「ウィーピング・ハープ」隆一郎は、2017年12月17日22時10分に大阪の淀川キリスト教病院で亡くなった。直接の原因は胃癌と腸閉塞。68歳だった。全国紙にも死亡記事が掲載され、わたし自身もその存在の大きさを改めて認識した。
 ハーモニカは、小型で真鍮のリードを息で震わせて音を出す、おそらく音程モノとしては最も単純な構造を持つ楽器だ。昔は小学校音楽の実技必須項目として、誰もが半強制的に持たされた筈で、この国ではマンドリンと並んで哀愁だとか侘しさの表現だけを任され、職員室公認の健全な側面ばかりが強調されていた。
 妹尾隆一郎の使いこなしたのはその中でも更に小型で、掌に入ってしまう大きさの十穴(テン・ホールズ)、二十音しか持たない。横から見ると立琴の形をしているので、「ハープ」とも呼ばれている。ドイツ、ホーナー社の、商品名ブルーズ・ハープが定番だ。
 素の音色にとても表情があるから、高度な技術がなくても雰囲気は演出できる。実際のところボブ・ディランもジョン・レノンもミック・ジャガーも、ただ吹いたり吸ったりしていただけに等しい。余談ながら、ジョンはカントリー歌手のデルバート・マクリントンから、この楽器を教わったという。だから……。
 ほんの少しだけ文字通り囓った事のある私は、初歩段階の「口を窄めて息の量を加減して、ブルーノートを搾り出す」ところで挫折した。ポルタメント的に音を移動させる「ベンド」など、とてもとても。それからするとポール・バタフィールドは宇宙人だった。その後リル・ヲルターや2代目サニー・ボーイ・ウイリアムスン他を知って、北米大陸には宇宙人が大勢いる事が分かった。
 そのハーモニカで、日本人も銀河体系を創り出す事が出来る証明をしたのが、妹尾隆一郎だ。後に世界的な競技会の優勝者をこの国から何人も輩出した事は、この楽器がわたし達の民俗性に合っていたという事になる。名手リー・オスカーの後釜としてヲーに参加したのも日本人だったし、シカーゴには今も何人もの邦人ブルーズ・ハーピストが住み着いていると言う。彼らが世界に飛び出す切っ掛けを築いたのも、「ウィーピング・ハープ」隆一郎なのだ。彼の前には誰もこんな風にブルーズを吹き鳴らした男はいない。

 わたしが初めて妹尾隆一郎を観たのはローラー・コースターという自分のグループを率いていた時だ。六本木にある洒落て高級で高価な衣料品店がズラリと入っているロアビルの集客催事の余興に、なんとブルーズ・バンドが呼ばれたのだ。1975年の秋、土曜日の夕方だっただろうか。誰かに穴を空けられてのトラ出演だったのかも知れない。わたしはそこの脇の東洋英和女学院の坂を降りたスウェーデン・センターの前にあったキョーフの零細音楽事務所に出入りしていたので毎日六本木をうろついていて、貼り紙かなんかで彼らの名前を見つけたのだろう。正面入口右側に設えられた舞台の最前列で、開演前から待った。隆一郎は、その頃この国のブルーズ演奏家が誰でもそうだったように、腰のあたりまで髪を伸ばしていて、他の楽団構成員共々うす汚い印象だった。
 ただ音楽は別格。それまで観たこの国のブルーズ系演奏集団の中でピカ一だった。当時メムバとして参加していた吾妻光良のリズムがとても秀逸で、付点ビートに気持ち良く乗せられた。隆一郎は、もちろん文句なし。ハーモニカは言うまでもないが、唄が良かった。気負いのない自然体で、外苑東通りを歩くブルーズに全く興味のない通行人を前に、とても嬉しそうに唄っていた。
 「この人は歌を分ってるなあ」。わたしはその説得力にシビレた。礼儀作法を弁えた洒脱な司会進行、唄いながら何気なくキメる仕草も、本当にカッコ良かった。妹尾隆一郎に対するわたしの印象は、最後までこの時と変わっていない。
 16歳の時に京都で偶然耳にしたエルモ・ジェイムズで、すっかり人生が変わってしまった者として、当時この国でブルーズに真剣に取り組んでいる人間たちは本来同胞だった筈だが、正直言って彼らの集団には、なかなか馴染めなかった。愚かな自負があったのかも知れない。田舎者の引け目も災いしていたのだろう。 
 そんな中で妹尾隆一郎は、いつ会っても気持ちよく話してもらえる、有り難い存在だった。酒を一滴も呑まない男だったので、一緒になった時は常に半分以上酩酊状態だったわたしを、どう見ていたかは分らない。それでもいつも普通に接してくれた。とても嬉しかった。思い出すと暖かな感触が蘇る。
 ここに彼の談話記事がある。「音楽全書 創刊号 特集ブルースの世界」(海潮社刊)に収録された4頁に亘るもので、1976年の取材だろう。ここには隆一郎最愛の音楽、ブルーズに対する、ある種の距離を置いた所感が示されていて、とても興味深い。わたしは発売当時に読んでいなかったものだ。以下引用する。

 ほんとあらゆる楽器のパワーというのは、やっぱり歌に反応するわけで、例えばヴォーカルが「アイ・ラヴ・ユー」と歌ったら、ギターがこうテケテケテケってやるわけやろ。これはね、「おい、言え(鷲巣注:それが何やねん、教えろや)」って言うとるのと同じや。そういう感覚が日本人はまだわからへんと思うんやけど。(中略)やっぱり趣味の音楽やかて、お互いに研究する中で高めて行くという方向でやって行きたいな思うんやけど、そうはなかなか行かへんね。
 (中略)あと日本語でブルースが出来るか出来へんかという問題は、まだ解答がないんや。ま、俺個人は出来へんと思う。(中略)日本語で歌うと言うのはやね、作り事の、贋もんの歌詞やないと歌えへんと思うんや。自分の体験から出て来た日本語の歌詞やったら、自分にとってヘヴィすぎると思うんや。(中略)そこで考えてみると、向こうでブルースを演奏している人も、きっと、そういう自分らのあまりに身近過ぎること、例えば迫害されたこととか、共有出来そうもない苦しみだとかを、歌にしにくいと思う。(中略)それで俺は日本語で原体験は歌わん訳や。借り物の英語やから、自分にとっても借り物だから、それで歌えると思うんや。

 見事な見識だ。隆一郎は、何より実演者である。故に切羽詰まった現場での感覚作用を分析して、「本物」黒人たちの心理を想像している。1976年の時点で、ここまでの知性を以てブルーズに接していた人間は、日本に居なかったのではないか。
 この取材から40年以上、ずっと唄い吹き続けた隆一郎のブルーズ音楽に対する姿勢は、変わる事がなかったようにも思える。同じ記事に出て来る次の言葉で要約されるだろう。

 まあ、俺はブルースは趣味に徹底せなあかんと思っているわけやけどね。(中略)俺は、趣味のブルースを徹底的にやって行く。

 妹尾隆一郎は、戦後生まれの日本人がこの国でブルーズに取り組む現実と限界を冷静に認識し、達観と共にその世界を泳ぎ続けたのだ。
 この談話取材は「最後に一つ」と断りを入れた上で、次のように締められた。

 俺が思うには、ブルースちゅうのはウンコとかね、屁とかゲップみたいなものなんね。こうボッと出てくるちゅうかね。それはやっぱり皆にわかって欲しいと思う。

 分りますか、これ。わたし自身も、まだ深淵までは掴めていないけれど、「そうかも知れない」と、共感できる思いは歳と共に厚く重なりつつある。
 今もブルース・ザ・ブッチャーで唄い続ける永井「ホトケ」隆が、京都のディスコに毎晩出ていた時に妹尾隆一郎が突然現れ、「ボーン・イン・シカーゴ」を一発キメて周囲を圧倒したという。その夜からホトケはハーモニカ演奏を封印したそうだ。
 わたしは初めて聞いた時に、「あ、この人はヲルターだ」、と確信した。ところが、一番好きなのは、ポール・バタフィールドで、それもLP『ファザーズ・アンド・サンズ』が、何より気に入っていたという。これは名作で、昨今巷に溢れ返る「トリビュート盤」の中で、唯一の成功例だ。
 元々はベイス奏者だったという。ポール・マカートニのリパトゥワを全部唄って弾ける卓越した技で知られていたそうだ。大いに意外だが、世間ではベイス奏者というのは本当に音楽が好きな人間だと言われている。例えばヴォーカルはモテたい軽薄男、ギターはイキがりたいお調子者、という俗説の延長でしかないが、妹尾隆一郎のベイス演奏、一度聞きたかった。

 慕い続ける人間達が集まって、感謝の会を催すことになった。詳細は以下の通り。大勢の方々にぜひご参加願いたい。

   こちらががウェブサイト表紙。

https://bluesisalright.wixsite.com/thanks-senoh
ツイッターはここ。
https://twitter.com/thanks_senoh
そしてフェイスブック。
https://www.facebook.com/thanks.senoh/
直接のメイルはこちらにどうぞ
thanks.senoh@gmail.com

 まだ内容は未定の部分も多く、五月雨式の発表となります。これらの頁で、詳細をご確認下さい。

追記:聞くならデビュー作の『メッシン・アラウンド』。数え切れないほどの録音を残したが、殆どがセッション・プレイヤーとしての部分的な参加で、1枚全編妹尾隆一郎という盤は少ない。これは1976年にLP、その後2回CD化されている。現在は廃盤状態。中古市場ではかなり高価。当時東京に居た日本人のブルーズ愛好家が全員集合。制作担当者も含めて、未だ踏み込んだ事のない世界での暗中模索が伝わって来る。隆一郎のブルーズへの理解が作品としての完成度を高めていて、今回のわたしの拙文もこれを聞いてもらえればお分かり頂ける筈だ。
 以上。

文:鷲巣功  写真:鈴木敏也

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