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RIP

RIP Holger Czukay

RIP Holger Czukay

野田努、松村正人野田努、松村正人 Sep 07,2017 UP

松村正人

 90年代はじめ、当時住んでいた仙台の夏のあまりの夏らしくなさ――私は夏はアスファルトに陽炎がたつくらいじゃないと夏じゃないと思っている、島の人間なので――にいてもたってもおられず、メールスのジャズ祭に行ったきり向こうに住みついてしまった叔母をたよって渡独したのは二十歳になったばかりのころ。ドイツといってもチューリッヒ近郊の叔母の家にいつまでも厄介になっているわけにもいかず、ドイツの東のほうから東欧に向かい、西におりかえし英国に向かう途中ケルンにたちよったのはここがホルガー・シューカイの町だからである。ところが駅前で数名にシューカイの自宅の場所をたずねたがラチがあかない。だれだそれ、というのがたいがいで、ひとのよさそうなオバさんはもうしわけなさそうにしているし、私よりすこし年嵩の青年はドイツならおまえ、スコーピオンズだろと「ロック・ライク・ハリケーン」を眼前で歌われる始末。スコーピオンズはファーストはコニー・プランクのプロデュースだから嫌いじゃないですが、そのコニー・プランクの仲間のカンというバンドのひとなのです、といっても伝わらない。当時の私はダモさんくらい髪が長かったのであるいは向こうが気づいてくれるかとも思ったが甘かった。宿なしらしき老婆には、どこから来たと問われ、ヤーパンだと答えたら、日本のせいで戦争に敗けたと狂ったようになじられ、駅から離れた人気のない路地の坊主頭の若者の集団にも訪ねてみたが要領をえない。いま考えるとあいつらネオナチだったろうね。

 私は大聖堂もみずに失意のうちにケルンを去り、四半世紀(!)前のこととて記憶は遠いが、たしかベルギーのどっかから黒人の乗船率が異様に高いフェリーで、野田さんがほめていたマッシヴ・アタックの町ブリストルに渡ったはずだが、ことほどさようにカンは当時の私にとってなにがしかのものだったのである。
 それはいまでも変わっていない。おそらく死ぬまで変わらないどころか、前々々世や来々々世とかいう戯言を私は信じないが、そのようなものがあったとしてもそうだろう。

 カンのなかの音楽の鮮度は保たれている。流動的だが凝結し個人のものであれ歴史に属するものであれ、あらゆる時間を横切り大気をくぐりぬけ耳朶を打つ。ときにプログレッシヴ・ロックやサイケデリック・ロック、のちにユーロ・ロック、いまはクラウト・ロックにひとは彼らを分類するが、ポピュラー・ミュージックと民族(民俗)音楽と即興音楽と電子音楽をカットアップしモンタージュするカンはつまるところカンなのだ。その先頭に立っていたのはホルガー・シューカイそのひとにほかならない。たわわな口髭といくらか生え際が後退したホルガー・シューカイのイメージは近影でこそ痩せ細っていたものの、68年の結成時からほとんど変わらない。シュトックハウゼンの元に学んだこの男はデビュー当時すでに三十路だった。分別のある大人だったが音楽は野蛮だった。同門のイルミン・シュミット(Key)とドラムのヤキ・リーベツァイトはシューカイと同年配でギターのミヒャエル・カローリは10歳下、そこにヴォーカルとして黒人のマルコム・ムーニーが加わり、だれもが知る最初のカンができあがる。69年のファースト『モンスター・ムーヴィー』の白眉は「Yoo Doo Right」だが、空間に燎火のように延焼するカンのスタイルはすでに完成している。ヤキの非西欧的な律動とミヒャエルの音色とフレージング、イルミンのサウンドは波のようである、おのおのが特異なパーツをシューカイの反復するベースが粘っこく接着する。このトラックはセッションの抜粋を編集したもので、ホルガー・シューカイといったとき、世評ではのちにヤキやミヒャエルなどに較べ、ソロ作につながる編集(プロデューサー)的観点を功績として強調するきらいがあるが、演奏家としての比類なさにも目を向けなければならない。八分音符を弾きつづける、オクターブをくりかえす――ただそれだけのフレーズがサイケデリックな空間をつくりディスコの暗喩となり、ループするフレーズの一部を欠落させダブ化させる、単純な法則だがきわめて呪術的でありそれがなければ、『タゴマゴ』や『フューチャー・デイズ』といった傑作もなりたたなかっただろう。私はくりかえすが、カンとはつまるところその総体である磁場の謂いなのだ。ダモ鈴木在籍時(私は『タゴマゴ』が初カンだが、いまでも「Oh Yeah」が日本語歌詞なるパートを聴くと、そのヴィジョンが幻出する)はむろん、後期のジャンル音楽の擬態と変調はそれまでの求心力が希薄なぶん異質さが浮遊している。その後のシューカイのソロはバンドの集団性を離れ、いかに方法をポップに純化するかを試みた階梯であり、ワールド・ミュージックとクラブ・ミュージックの折衷があたりまえな現在の若い耳により親しみやすいだろう。

 カンに失敗は存在しない。以前取材したさいイルミン・シュミットはそのようなことをいっていたが(『アウト・オブ・リーチ』はどうなんだという意見もあるでしょうが)、カンがカンであるかぎりそれは真実であり、おそらくそのような姿勢だけが都市のなかに未開の地を拓く。
 幾多の作品をのこしホルガー・シューカイは世を去った。ヤキ・リーベツァイトを喪った年にシューカイも逝った。享年79歳。地元紙によれば、ケルン近郊のヴァイラースヴィストにある以前は映画館だったカンのオリジナルのスタジオで亡くなっているところを発見されたという。25年前、私がたどりつけなかった場所だった。(了)

野田努、松村正人

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