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interview with Yoh Ohyama

interview with Yoh Ohyama

プログレからゲーム音楽へ

──作曲家・大山曜の足跡

取材:糸田屯+田中 “hally” 治久    Nov 04,2020 UP

現代のプログレってプログレ・メタルが主流で、いわばドリーム・シアター系列のすごく巧い人たちも数多くいるわけですが、それは真似はできないですし、そういう人たちとは違うなというのをいつも思いますね。

2回目のライヴでは、桜庭統さんの DEJA-VU と対バンをされていますね。

大山:桜庭さんとは、当時はレーベルメイトのような感じで仲良くさせてもらっていました。その後すっかり大物になられて、最近はお会いしていませんが、「竜星のヴァルニール」(2018)では桜庭さんと ZIZZ STUDIO が一緒に音楽をやらせていただいたりもして。

桜庭さんが楽曲を手がけた「アイルロード」(1992/メガCD)という作品では、音楽録音がフォノジェニック・スタジオでした。

大山:ああ、そういうこともあったかもしれません。これは僕がエンジニアをしていますね。桜庭さんがここで録らせて欲しいと相談に来たと思うんです。DEJA-VU をやっていた頃。彼はまだ学生で、フォノジェニックに手伝いにきたこともあったんですよ。

アストゥーリアス結成当時にデモ・テープを制作しておられますね。あれは市販もされたのでしょうか?

大山:そうです。ファースト・ライヴをやったときに一本いくらかで売って。売上はみなさんへのギャラに回したような気がします。音のほうはいま聴くとお恥ずかしいですね。

後の作風にはない、プログレハードっぽい曲もあったりして新鮮でした。

大山:当時作っていた曲を色々入れていたんだと思います。

デモテープには「ミネルバトンサーガ」や「ディガンの魔石」の楽曲、それに、後に「シルヴァ・サーガ」に使われる曲なども入っていますね。順序としては、ゲーム用に作った曲をアストゥーリアスに持ってきたのか、それともその逆か、どちらになりのでしょうか?

大山:まずゲームの音楽として作って、気に入ったものをアストゥーリアスで使わせていただいたという形です。フレーズを使わせていただいたりもしていますね。アストゥーリアスでの作曲とゲームでの作曲は、僕のなかですごく似ているところがあるんです。特にRPGの世界観とは通じるものがあるんですよね。湖のシーンや森のシーン、そういったもののために作るというお題があると、すごくイマジネーションが湧いてきて、自分でもお気に入りのメロディがたくさんできたんです。これはぜひ使わせてほしいと(ゲーム制作サイドに)言って、入れさせていただいたと思います。

ゲームのために作曲する場合、まず何かしら資料が来るわけですよね。

大山:当時はペラ1枚くらいの紙資料しかいただいていなくて。少しは絵もあったと思いますけど、基本的には「湖のシーンです」というような文章が三つぐらいあるだけで、それを見て曲をどんどん作っていくという。これはいまでもそうなんですけど、ゲームとほぼ同時進行で作っているので、制作途中にゲーム画面を見ることはほとんどありません。画面をみるのはほとんど最後ですね。もっとも僕自身はゲームが下手で、「獣神ローガス」も最初の面どまりだったんですけどね。

しっかり画面と合致しているかどうかは、終わってみるまで自分ではわからない。

大山:逆にいえば、こちらの思う通りに作って、それが気に入っていただけたからよかったというところですね。気に入ってもらえると、若かったので調子づいちゃって、じゃあ次はもっと気に入ってもらおうと、楽しく前向きに作らせていただいたのを覚えています。

当時はあまりリテイクなどもない感じだったのでしょうか。

大山:いまと比べるとだいぶ少ないかもしれません(笑)。昔はシーンの指定などもいまほど細かくありませんでしたし、アーテックさんもあまり発注した経験がなく、お互い手探りだったなかででき上がったものを気に入っていただいたので。ただ、「ガデュリン」のサントラはいま聴くとすごく短いなと思いますね。あれっ? もうこれで終わり? みたいな。当時はデータサイズの問題があったのかもしれません。

アーテック作品では「サイコソニック」という名義を使っておられましたが、あれはバンド名か何かでしょうか?

大山:津田さんがフォノジェニック・スタジオを会社登録するときに、音楽スタジオ以外の業務はサイコソニックという株式会社名にしたんです。それでサイコソニックとフォノジェニックを使い分けていたんだと思います。どちらも一緒なんです。

サイコソニックからシリウスAというユニットのアルバムが出たりもしていました。

大山:僕はお手伝いしただけだったのであまり記憶にないのですけど、ありましたね。津田さんが手がけてCDになっていましたね。ああ、そういえば津田さんのバンドで「Phonogenix」というのがありましたね。

1988年に岡野玲子原作コミック『ファンシィダンス』のイメージ・アルバムで『雲遊歌舞』というのが出ているのですが、そこに Phonogenix 名義の楽曲が1曲ありますね。手塚眞さんがプロデュースされていて、メンツがかなり豪華なんですよね。

大山:これ面白いですよね。サエキけんぞうさんとかも入っていて。ライヴをやった記憶もありますね。

Phonogenix の活動はどのような感じだったのでしょうか。

大山:津田さんと花本(彰。新月メンバー)さんが中心で、バンドとしてレコードを出していた他に、手塚眞さんと仲が良かったこともあって、そちらからお仕事をいただいたりとかしていましたね。そんなにしょっちゅうライヴをやったり制作をしたりということはなかったかと思います。依頼があればチームでやっていました。

アストゥーリアスで3枚のアルバムを発表しておられますが、その後しばらく休眠期間に入っておられます。

大山:アルバムがあまり売れなくて、〈キングレコード〉との契約期間も終わり、それでいじけて9年間休んでいたというところです。

1996年ごろに、Soul Bossa Trio のアルバムに参加しておられましたね。

大山:はい。(東京パノラマ)マンボボーイズの方ですよね。マニュピレートで参加させていただきました。スタジワーク中心で。この頃は呼ばれればどこへでも行って、ということが多かったですね。ゲーム音楽を再び作るようになったのは、ZIZZ STUDIO がはじまったあたりからですね。色々と依頼をいただいて再び作るようになりました。

ZIZZ STUDIO が初参加したニトロプラス作品「Phantom -PHANTOM OF INFERNO-」が2000年ですね。大山さんが ZIZZ STUDIO に参加することになった経緯は?

大山:僕は1994年ごろにフォノジェニック・スタジオを辞めていて、磯江くんもその後に辞めているんですが、彼がゲーム音楽業界を開拓していって、ニトロプラスさんとお付き合いができて、それで手伝ってくれないかみたいな話が来たのが「Phantom」あたりからだったと思います。いまは社員ですが、当時はお手伝いだけだったんです。磯江くんがいなければゲーム音楽の世界とは交流がなかったですね。ZIZZ STUDIO と出会えたことを感謝しています。

ニトロプラスさんという先鋭的なメーカーとのタッグで、ZIZZ STUDIO の存在感はより強まったように思います。

大山:そうみたいですね。当時新進メーカーだったニトロさんは、すごく音楽に力を入れている会社で、とことんやってくれと言われて。BGMを打ち込みだけで済ませてしまうところも多かったなかで、とにかく全部に生楽器を入れてくれと。そんなに予算がなかったので、自宅でギターやベースを弾いたりして。それでニトロさんやお客さんに喜んでいただいたのが、いまにつながっている感じがします。

とても低予算とは思わせない、高密度な音だったと思います。

大山:実際のところは、採算度外視でやっていたようです(笑)。弊スタジオが現在の場所に移転したのは7~8年前なんですけど、それ以前は磯江くんの自宅でした。いまこの場所で使っている2畳の防音ブースが、当時は古ぼけた一軒家にありまして、そこで何でも録っていましたね。いまは下の階にフォーリズムを録れる広いスタジオがあって、このブースではたまに歌を録ったりするくらいですが、2000年ごろはこれがフル稼働していました。何かというとこれで録って、生楽器を使っているぞというのを売りにして、ZIZZ STUDIO は頑張っていたのだと思います。

アコースティック・アストゥーリアスの結成もその流れですよね。生楽器のアコースティック編成でのバンドというのが、素晴らしいなと思いました。

大山:ZIZZ の仕事で、ヴァイオリン、クラリネット、ピアノの方々と知り合いまして、それでチームを組んだんです。最初はお願いしてやってもらっていたんですけど、やがてうまく息が合ってきたという感じですね。とにかく生楽器を売りにしている会社ですので、ここにいると色んなミュージシャンとの出会いがあります。

1980年代のアストゥーリアス結成時のプログレ観と、2000年以降のエレクトリック・アストゥーリアスの結成以後とでは、プログレ観は変わりましたか?

大山:だいぶ変わったと思います。多重録音でもやってはいますけど、基本的に4~5人編成の生演奏ですから、それだけしかパートがないという構造的な違いもありますし、実際にライヴでやると緊張感もありますし。海外にもけっこう行かせていただきまして、反応を見るにつけ、変わったバンドなんだなというのは実感しますね。現代では「ロック・バンドの人たちによるプログレ」が多いと思いますが、うちのメンバーはそうじゃないので、そこも変わっていますね。そういう人たちが作る音というのが出てくるんだろうなと思います。

アコースティック・アストゥーリアスも他にない感じですよね。

大山:ああいう形でプログレをやろうとはなかなか思わないですよね(笑)。海外のお客さんはビックリしていましたね。なんだこれはという感じで。現代のプログレってプログレ・メタルが主流で、いわばドリーム・シアター系列のすごく巧い人たちも数多くいるわけですが、それは真似はできないですし、そういう人たちとは違うなというのをいつも思いますね。

いまはなんでもヴァーチャルで出せるようになりましたが、やっぱりアナログ・シンセが使っていて楽しいですね。

ゲーム音楽のなかでプログレをやるということについてはどう思っておられますでしょうか? ゲーム業界には隠れプログレ・ファンが多いような気がします。

大山:ゲーム音楽はそれを避けては通れない感じがありますね。

そのなかでもキース・エマーソンの影響はかなり大きいのではないかと思います。大山さんもその影響を受けたものを作られていますよね。

大山:はい。もちろん僕も大好きですね。いまやゲーム音楽だけじゃなく、NHK大河ドラマの「平清盛」に “タルカス” が使われたりもして、昔だと考えられない状況ですよね。いま思えば90年代は冬の時代で、これは裏話ですけど、当時は仕事のときに「普段プログレをやっています」とは言いにくい空気もすごくあったんですよ。2000年代からは、ゲームとのつながりでプログレが認められてきたというところもありますよね。

ゲーム音楽ってジャンル的になんでもありというところがあるので、それで受け入れる人も増えてきているのではないかと思います。

大山:クラシックとかジャズとか、いろんな素養が必要になってくるので、普通のロック・バンドの人ではちょっと対応できないのがゲーム音楽というか。プログレあがりの人がみんなこっちに流れてきますね(笑)。

近年は、プログレ・フェス《PROG FLIGHT》にも携わっておられますよね。

大山:主催の栗原務さん(Lu7)に頼まれて、企画のお手伝いをさせていただいている感じですね。栗原さんと僕とで好きなプログレが違うので、互いの意見をすり合わせて出演バンドを決めたりしています。今年はちょっとできないですけど。

空港のなかにある会場もいいですよね。

大山:ありがとうございます。250人のキャパですけど、第1回(2017年)をやるときに「お客さんを満員にできるかな?」という相談を受けて、難波弘之さんを呼んだりしたんですよ。満員になってよかったです。あの規模で席が埋まるのは素晴らしいですね。90年代には考えられなかったです。老若男女、若い人も増えていますね。

ゲーム音楽経由でプログレを知る若い人は増えていると思います。最後に、お好きなシンセサイザーはなんでしょうか?

大山:一通り使っていましたけど、Roland の SUPER JUPITER とか、あれはいまでも持っていますね。いまはなんでもヴァーチャルで出せるようになりましたが、やっぱりアナログ・シンセが使っていて楽しいですね。

ありがとうございました!

取材:糸田屯+田中 “hally” 治久(2020年11月04日)

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Profile

田中 “hally” 治久 田中 “hally” 治久
ゲーム史/ゲーム音楽史研究家。2001年にライター活動を開始し、ゲーム音楽のルーツ研究に先鞭をつける。またチップチューンという言葉と概念を日本にもたらし、それを専門とする作編曲家としても活動する。主著/監修に『チップチューンのすべて』『ゲーム音楽ディスクガイド』『インディ・ゲーム名作選』『インディ・ゲーム新世紀ディープ・ガイド』『ゲーム音楽家インタヴュー集』など。

Profile

糸田 屯 (いとだ・とん)
ライター/ゲーム音楽ディガー。執筆参加『ゲーム音楽ディスクガイド』『ゲーム音楽ディスクガイド2』(ele-king books)、『新蒸気波要点ガイド ヴェイパーウェイヴ・アーカイブス2009-2019』『ニューエイジ・ミュージック・ディスクガイド』(DU BOOKS)。「ミステリマガジン」(早川書房)にてコラム「ミステリ・ディスク道を往く」連載中。

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