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interview with COM.A

interview with COM.A

パンク・ミーツ・IDM!

──コーマ、インタヴュー

小林拓音    Jul 10,2020 UP

 いまの日本の音楽に決定的に欠けているのは、ようするに、パンクのマインドである。といってもそれは、たんに反抗的なポーズをとればいいということではなくて、多くのひとがスルーするだろう些細な矛盾や欺瞞に気づいたり、疑問を抱いたりできるかどうかということだ。コロナ騒ぎを筆頭に、2020年もこの半年だけでじつにさまざまな問題が発生しているわけだが、13年ぶりにリリースされたコーマのアルバムを聴いていると、そう強く思わざるをえない。

 80年代にメタルの洗礼を受け、90年代に〈Warp〉や〈Rephlex〉などのエレクトロニック・ミュージックを怒濤のごとく浴びて育ったコーマは、(ROM=PARI を経由しつつ)00年にUKの〈FatCat〉からデビューを飾っている。エイフェックス・ツインやオウテカの撒いた種が極東の地で見事に花開いた、その幸福な一例と言えるだろう。
 00年代のエレクトロニカは、一方で音響の洗練をつうじて「ただ気持ちいいだけ」の亜流も多く生み落としたが、他方コーマはというと、童心と悪意を正しく手なずけ、キッド606周辺とも共振しつつ、ユーモラスかつ獰猛なブレイクビーツで当時のシーンをかき乱していたように思う。そんなスタンスを持つIDMのアーティストは、今日においてもやはりなかなか見当たらない。
 であるがゆえに、まさにこのタイミングで彼が帰ってきたことは素直に喜ばしいことだと思う。みずからファースト・アルバムの『Dream and Hope』をおちょくった新作『Fuck Dream and Kill Hope』は、パンデミックやBLMで激しく時代が動いている現在だからこそ、強烈にわれわれの思考を揺さぶってくる(制作期間は3~4年に及ぶので、完全に偶然の一致なのだけど、この “引き” もまたコーマの才能かもしれない)。
 サウンド面で大いに成熟を聴かせながら、しかしけっしてパンクの精神を失わないIDMの異端児が、幼少期に受けた衝撃から親になった現在までを語りつくす。

なにをやっても結局ぜんぶ巨大なやつらの手のなかで踊らされてるだけじゃん、っていう気持ち……それに対するファックの気持ちはずっとあるよね。

緊急事態宣言中はどう過ごしていました?

コーマ:もちろんずっと家にいました。アルバムを出した後は、すぐまた新しい曲を、もっと暴力的な感じのをつくってましたね(笑)。あとは子どもと遊んだり。子どもたちがずっと家にいるから大変で。むかしから自宅勤務だけど、子どもがやっと幼稚園や小学校へ行くようになったと思ったら、またずっと家にいる状態になってしまった。

制作部屋はあるんですか?

コーマ:あります、ベッドルームが。レコード、CD、機材でごちゃごちゃになってるけど(笑)。友達とズーム飲み会をしたことがあったんだけど、「中学生の部屋みたい」って言われたくらいで(笑)。小学校のときに買ったカセットテープがいまだに置いてあったり。30年以上持っていることになる(笑)。ほとんどメタルのカセットテープで、ホワイトスネイク、ダンジグ、リヴィング・カラーとか。

ヘヴィメタルはいまでもよく聴く?

コーマ:メインでよく聴くわけではないけど、勝手に(ストリーミングの)おすすめに出てくるというか……

つまり聴いているということですね(笑)。

コーマ:ハハハ。ユーチューブとかでね。

懐かしくなって聴いてしまうというより、いまでもそもそもそういう音楽が好き?

コーマ:メタルに限らず、パンク、ソフトロック、プログレとかも好きなんだけど、やっぱりバンドが好きなのかなと思う。染みついちゃってるというか。小3か小4のときに、兄貴がメタリカの『Ride The Lightning』のカセットテープを借りてきたんです。それまでずっとエレクトーンをやっていたんだけど、ディズニーとか、70年代の映画音楽とかね。親の趣味みたいなやつ。レイ・パーカー・ジュニアがやった『ゴーストバスターズ』のファンクな曲とかは好きだったけど。初めてメタリカを聴いたときのことはいまでもよく覚えていて。完全に電撃が走ったという感じ。みんな一度はそういう経験があるよね。稲妻で撃たれたような感じというか。『Ride The lightning』はジャケに文字通り、思いっきり稲妻が出てて(笑)。スラッシュメタルやクロスオーヴァー・スラッシュが、いわゆるユース・カルチャーへの最初の入口だった。当時はアメリカに住んでいたので、日本から『BURRN!』をとりよせてたな。
中1になるとナパーム・デスが出てきて、中3くらいのときにミック・ハリスというナパーム・デスのドラマーと、ジョン・ゾーン&ビル・ラズウェルがペインキラーというバンドをやっていて、それもすっごい衝撃だった。『BURRN!』では2点とかだったんだけど(笑)、完全にギターだと思っていた音がサックスの音で。そこからミック・ハリスはダークなアンビエントをはじめたりして、「なんでナパーム・デスをやっていたひとがこういうのをやっているんだろう?」みたいな。そこからノイズ、フリー・ジャズ、インダストリアル、アンビエントに広がっていった。それで18歳のときに、エイフェックス・ツインの『Selected Ambient Works 85-92』に出会うことになる。人生でいちばん多感な時期のピークだよね(笑)。

なるほど、もうそれなりに音楽の知識がある歳になってエイフェックスに出会ったわけですね。

コーマ:もうこっちとしては評論家気どりなわけ(笑)。でもやっぱり初めて『Selected Ambient Works 85-92』を聴いたときはめちゃめちゃもっていかれたね。人生観を変えられた。

もっていかれたポイントはどのへんでした?

コーマ:音色もそうだし、メロディもそう。ファンタジー感もそうかな。ツイストされたファンタジー感というか。わかりやすいファンタジーではなくて、明らかに世間から切り離された感じというか。空想世界の広がり方。それにすごくいい感じのリヴァーブがかかっている。あれはいまだにコピーしようと思っても絶対につくれない音。

ぼくは完全に後追いですけど、初めて聴いたとき、あの音の悪さにはびっくりしましたね。でもそれが個性になっている。メロディラインを真似するひとはいるけど、あの感じはいまだにだれも出せていないと思う。

コーマ:それが電子音楽の不思議なところというか。やっぱり魔法がかかっているんだろうなと思う。それはエイフェックスに限らずだけど、魔法のかかった感じはあるもんね。

エイフェックスのベスト3はなんですか?

コーマ:やっぱり90年代のやつかな。『Selected Ambient Works 85–92』、とくに “Xtal” が1位とすると、2位が『Richard D. James Album』、3位が『...I Care Because You Do』かな。『Drukqs』以降はそんなにという感じ。

エイフェックスと出会って、じぶんでも音楽をやりたいと思った?

コーマ:いや、メタリカを初めて聴いた9歳のときに、俺は絶対に音楽で飯を食いたいと強く思ってね。俺の一生の仕事は音楽だと決めていた。ただ、『BURRN!』を読んでいると、ジャパメタもいろいろ出てくるんだけど、レザータイツに長髪っていうのが正直ぜんぜんかっこよく見えなかったのね(笑)。アメリカにいたからだと思うけど、東洋人がかっこつけようとしているのを見て、かなりキビしいなと。アジア人差別もあったからね。ブラック・ミュージックもそうだけど、東洋人が触れてはいけない部分がある感じがしたというか、それで電子音楽に行ったというのもある。

電子音楽にはある種の匿名性がありますもんね。記名性が比較的薄いというか。

コーマ:〈Skam〉のひととかがインタヴューのときに顔を隠したりしてたのにはすごい惚れた。日本人でも、グランジのちょい前の時期のスラッシュメタルのバンドにアウトレイジというのがいて。それは、初めて日本人でめちゃめちゃかっこいいと思った。 ファッションもちょっとスケーターっぽくて、いわゆるシンフォニックなメタルの格好ではなく、短パンにTシャツでアンスラックスみたいな。80年代にスケーターとスラッシュメタルがくっついて、スラッシャー文化が生まれてきていた。それがかっこいいなと思っているときに、アウトレイジが出てきた。でもそれ以外は、当時は、コンプレックスみたいなものがあって。たぶんアメリカにいたからだと思うけど、東洋人は白人と黒人には 、パワー勝負では勝てねえなという感覚があった。
でも、エイフェックスが出てきて、ケン・イシイさんが〈R&S〉と契約したのもそのころだけど、テクノを聴くようになったら、808とか909とか、ローランドにせよコルグにせよ、ヒップホップもハウスも機材がほとんど日本製じゃんということに気づいて、これは日本人はもっと誇りに思っていいことだと。そうして電子音楽にのめりこんでいった。
エイフェックスと出会うまえに、佐々木敦さんが UNKNOWNMIX というパーティをやっていて、それが高校生のころかな、四谷の P3 というハコでは山塚(アイ)さんと大友(良英)さんが一緒にやっていたり、そういうのを観にいっていた。あれはいまだに忘れられないね。もうこの世界しかないなって。それまでずっと体育会系で柔道をやったり、アメフトをやったりしたけど、一気に引きこもりになった。「引きこもり」というのもちょっと変かな、「アッパー系引きこもり」というか(笑)。打ち込みをはじめたのは94~95年ころだけど、そのあたりからネットも本格的になっていくでしょ。そのITムーヴメントとエイフェックス・ツインの両方が大きかった。あとオウテカもそうだね。〈Warp〉、〈Rephlex〉、〈Ninja Tune〉。それが18とか、19のころ。

羨ましいなあ。そのころのインターネットって希望に満ちていたと思うんですよね。

コーマ:当時パイレーツ系のホットラインというアプリがあって。そこにいろいろリリース前のプロモオンリーのMP3が置いてあったりして。そんななかでボーズ・オブ・カナダを見つけて、もうぶっ飛んで。CD、アナログが出たらすぐに買って。それが21歳くらいかな。多感な時期だね。ダムタイプとかがアカデミックなことをやっているのも好きだったけど、俺としては、あんまり小難しいことは言わないで、単純にネットのはじまりとかソフトウェアの発達をみんなで楽しもうよというか、「変な音ができたぜ、どうだおもしれーだろ」みたいな感覚で曲をつくっていた。そこがキッド606に共感できた部分。

キッド606とはいまでも連絡を取り合います?

コーマ:うん。近況を話したりするし、今回もアルバムを送った。

ROM=PARI のファーストが99年ですよね。

コーマ:でもつくっていたのは97年ころからなんだよね。ちなみに一応、俺は ROM=PARI のメンバーではないんだよ。コラボレイターという扱いで。

ROM=PARI はジョセフ(・ナッシング)さんの名義ということですか?

コーマ:そうそう(笑)。じつは ROM=PARI と同時期に、暗黒舞踏の音楽もつくってたんだよ。サンプラー買いたてくらいのころで、ノイズ・アンビエントみたいなサウンドだった。 BOX東中野(現ポレポレ東中野)というところがあって、90年代終わりごろって世紀末だったし、文化的にも退廃したものが多かった。そこで暗黒舞踏のひとと出会って、音楽をやらせてもらっていた。そんなふうに、じつは ROM=PARI のまえに背伸びしていた時期がある。あと、その少しまえには本名の “AGE” 名義でカセットテープもつくっていて、クララというノイズ系のレコード屋に卸したりとか。高3のときかな。当時ディスクユニオンに Hellchild や SxOxB とかのデスメタル系のひとたちがすごいカセットテープを置いていて、じぶんも〈パリペキン〉とかにテープを持っていってた。それで、ROM=PARI をやることになったあとも、ソロでもやっていこうと思って、3ヶ月に1枚くらいのペースでアルバムをつくっていた。合計4枚つくったかな。それを海外に送ってた。でも、ふつうにCD-Rを送っても絶対に聴いてもらえないと思ったから、バカでかいアクリル板を買ってきて、わざとアナログくらいのサイズに梱包して送って。目立つように(笑)。しかも、CD-Rをボルトとネジでとめてたから、工具を使ってそれを外さないと聴けないっていう(笑)。そしたら〈FatCat〉が返事をくれて。そこからキャリアがはじまった。

〈FatCat〉に反応してもらえたときはどんな気持ちでした?

コーマ:正直、受験に受かったときよりも嬉しかったよね(笑)。100倍くらい嬉しかった(笑)。連絡してくれた日が俺の誕生日だったから、めっちゃ嬉しくて(笑)。

タイミングによっては、〈FatCat〉がシガー・ロスを発掘するのよりもまえじゃないですか?

コーマ:まさにちょうどそのころ。シガー・ロスのサンプル盤を送ってきてくれた。嬉しかったな。

ポジティヴになった部分もあるけど、それまでのじぶんを構成していたネガティヴな性質も変わらない。楽観と悲観が、気持ち悪い感じで一緒になって今回のこのタイトルができたんじゃないかなと思う。

電子音楽に行くまえ、バンドは組まなかったんですか?

コーマ:バンドはもちろんやってた。高校生のときはふつうにザ・クラッシュとかビースティのコピー・バンドをやってた。5つくらいかけもちしてた時期もある。ジョン・ゾーンのコブラがすごく好きで。あと、〈Recommended〉ってレーベルがあって、佐々木敦さんがそれを啓蒙するイベントをやっていて、そこに遊びにいったときにSMをやっているひとたちがいて、仲良くなって。それで一軒家を借りきってSMのパーティみたいなのをやったり。ちょうど俺もサイキックTVとかスロッビング・グリッスルを聴きはじめたころだったから、ザ・テンプル・オブ・サイキック・ユースの儀式みたいなのやつは、じぶんたちでもやってみたいという(笑)。

ちなみに、〈Skam〉の面々ともお知り合いですよね。どのような経緯で知り合ったのでしょう?

コーマ:じつは〈FatCat〉にデモを送ったときに、〈Skam〉にも送ったんだけど、そのときは返事は来なかったんだよ。でも、〈Skam〉がやっていた海賊ラジオで、俺の音楽を流してくれていたみたいで。いまのコロナのタイミングでこういうこと言っていいのかわからないけど、当時は音楽でウイルスをばら撒いてやる、という気持ちだったんだよね。でもいまとなってはそんな夢も希望も崩れ(笑)。

まさに今回のアルバム・タイトルが『Fuck Dream and Kill Hope』ですね。

コーマ:これは……ひとつには、架空のカルトの経典みたいなイメージがあった。むかしからなぜかカルトに惹かれるところがあって。小学生のときに『ムー』を定期購読していたから、それも関係しているかもしれない。あと90年代はオウムの麻原の存在も大きかったけど、信者たちの修行の様子、とりわけヘッドギアがすごくインパクトがあって、なんともいえない恐怖とシュールさを感じた。00年代にはキリスト教原理主義者の狂い方に興味を持っていた時期もあって。
あと、ロスチャイルドとかロックフェラーとか、巨大な連中に牛耳られているんなら、なにをしても意味ねえじゃん、と思っちゃうところも今回のタイトルには入っているかな。「生きていてもしょうがなくね?」とまで言うとスーサイダルな感じになるけど(笑)、アイロニーはある。『ハンニバル』でも、とんでもない金持ちが世界を動かしていたし、キューブリックの『アイズ ワイド シャット』やリンチの『マルホランド・ドライブ』もそうだよね。そんなことを考えていると、なんか生きていることがばからしくなってきちゃう。なにをやっても結局ぜんぶ巨大なやつらの手のなかで踊らされてるだけじゃん、っていう気持ち……それに対するファックの気持ちはずっとあるよね。もちろん、陰謀論をがっつり信じているわけじゃなくて、エンターテインメントとして触れているんだけど。

取材・文:小林拓音(2020年7月10日)

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