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interview with Okada Takuro

interview with Okada Takuro

眠れぬ夜のために

──岡田拓郎、インタヴュー(ゲスト:増村和彦)

取材:野田努    写真:小原泰広   Nov 20,2017 UP

 はっぴいえんどリヴァイヴァルでまずいなと思うのは、なんだかんだ言って結局は、なんとなく叙情的で、なんとなく口当たりのいいフォーキーなポップスを肯定するしかないというどん詰まり感だ。ああそういえば、ソフトに死んでいく──と言ったのは誰だっけ?
 岡田拓郎(そして増村和彦)の内には、そうした極めて表層的なはっぴいえんどリヴァイヴァルへの違和感があり、後期森は生きているのライヴにおける超越的な一瞬は、バランスを崩しながら、なにかしら彼らが乗り越えようとしていることの情熱のひとかけらだったとぼくは思っている。


岡田拓郎
ノスタルジア

Hostess Entertainment

Folk RockpsychedelicIndie Rock

Amazon Tower HMV

 どう来るのかとずっと楽しみにしていたところ、しかしながら彼のソロ・アルバム『ノスタルジア』は、自らの内に燃えるそうしたもの、ある種の熱狂を抑制し、メロウで口当たりのいいポップスとしての体裁を保っている、表向きには……。彼のことだから、考えに考えに考え抜いた結果、いまはこれなのだろう。まあ、コーネリアスが象徴的だったように、はからずともメロウなこの2017年らしい作品となった言えるのかもしれない。
 26歳の青年の最初のソロ・アルバム『ノスタルジア』は、あさい夢に浸っているようだ。3曲目の“アモルフェ”のように。そして圧倒的に素晴らしい、7曲目の“手のひらの景色”のように。このアルバムにもっとも似合わないのがデジタル社会で、『ノスタルジア』は、その意味ではまさしくポスト・インターネットであり、楽曲は、かつてあった物思いに耽る時間を取り戻そうとしているかのようである。
 せっかくなので、増村和彦も呼んで取材をすることにした。ele-kingのコラムでもお馴染みの偏愛的読書家のこのドラマーは、いうまでもなく岡田の音楽的同盟者である。

もっとフォーマットを置き換えて現代的なものにしたいと思ったんですね。それは日本語のフォーク・ロックとして新しいものにしたい、ということなんですけど。

今回の作品が出来るのに時間がかかった理由、時間がかかった理由はたくさんあるとは思うんですが、それも今作の内容や方向性に関わるもっとも重要な理由とはなんですか? 

岡田:単純に時間がかかった理由としては、森は生きているのときと完全に違うことをする意識のひとつとして、「フォーク」というフォーマットの音楽を新しいものとして落とし込みたかったというのがあります。それは森(は生きている)のときみたいに60、70年代の音楽の文脈はもちろんあるけど、それを全面に出すわけではなくて、もっとフォーマットを置き換えて現代的なものにしたいと思ったんですね。それは日本語のフォーク・ロックとして新しいものにしたい、ということなんですけど。
 じゃあ、「新しいものってなんだ?」ってことになると難しい話ですけど、この2年間くらいの音楽の流れがすごく早すぎて、自分のなかで消化した途端に別のものになっているというか。これはUSに限った話かもしれないですけど、ボン・イヴェールを消化したと思ったら、次にフランク・オーシャンがいて、みたいな。いままでの森のときにやっていたのはいつの時代であろうと“自分が作っていた音楽”だったとは思うんですけど、今回はソロになって、90年代に生まれた自分が新しいフォークを作ろうと意識したときに、そこの流れを汲むのが困難な時代に対してどうアプローチしていくのか、というのがすごく難しかったし、時間がかかった大きな理由ですね。だから1ヶ月ごとにアルバムができ上がって、それを増村に送って「いいじゃん」と言われた途端にみんなが新譜をリリースして、そうすると途端に自分のアルバムが良くなく聴こえてきてしまう、だからそれをまた壊して曲をボツにするというのを繰り返していたんですけど、こんな作りかたをしていたらそりゃ2年はかかりますよね(笑)。

(一同笑)

いまの話を聴くと、まあ2年でよくできたなって話ですけど(笑)。そもそも岡田君がフォーク・ロックをやるというのが面白くて、何故なら岡田拓郎とはアンダーグラウンド・シーンでは名の通ったインプロヴァイザーでもあるんですよね。新世代のね。そうしたラディカルな自分をどのようにポップとバランスを取っているんでしょうか?

岡田:僕のなかですべての音楽の中心になっているのはギターという楽器であって、それこそインプロを好きになったものは、(デレク・)ベイリーを初めに聴いて、高柳昌行とかもいたけど、一番好きなのは秋山徹次さんやローレン・コナーズなんですよね。あとは杉本拓さんのギターを全面に出したメロディックな響きのアルバムがあるんですけど、そういう音楽ってギター特有の牧歌的な音の響きがして、それはフォーク的な音楽に繋がりやすいんですね。そういうものと自分が作っているエクスペリメンタルなフォークというのはそう遠くないものというか、近いものではあるのかなと思いますね。
 これは脱線ですが、レニー・トリスターノが49年にリー・コニッツやウォーン・マーシュとかと“Intuition”という、ビートも旋律もない、ちょっとイレギュラーなフリー・インプロヴィゼーションの走りのような曲を録音しているのですが、その後フリー・ジャズが栄えるまで時間が空きます。リー・コニッツがそれについいて「楽理の決め事が無いというのは、とても自由で刺激ではじめの2、3テイクは聴いた事がない音楽が飛び出すけれど、その後は、何回録音しても同じものに聴こえたから、再び和声と旋律のなかでのインプロヴィゼーションに戻った」みたいなことを言っていて。これが、すごく言っている意味がわかるというか、普通のポップスを聴く耳で聴けば、たぶんデレク・ベイリーもアート・リンゼイ、フレッド・フリスもどっちがどっちかなんてわかんないし、たぶんどっちだって良い(笑)。けど、そこにはそれぞれの違いがもちろんあるわけで、そういった観点はポップスを作るときは大切にしたいという意識はあります。「何を聴くか」ということはもちろん大切ですが、「どう聴くか」ということは、また違うことだと思っています。

増村くんはこのアルバムを最初に聴いたときどう思った? でも、プロセスを知っているからね! いま岡田くんが言ったように、作っては壊してを聴いていたんでしょう?

増村:そうですね。やっぱり時間がかかった理由は単純にそこでしかなくて(笑)。普通はあんまりないですよね。

率直な感想は?

岡田:はははは。

増村:率直な感想は、よくひとつのかたちにしたな、ですね。個人的にもすごく好きな作品になったんですけど、一番いいと思うのはプロセスで、プロセス自体が作品になっているようなところがある気がしていて。というのも例えばコンセプトとか、なにかを目指してそこに向けて作っていこうということではなくて、プロセスをやっている最中の火花が散る瞬間が格闘している姿自体が音楽や歌詞に反映されているんですよね。

格闘している……それは一緒に作っていたからわかるんだろうね。

増村:そうですね。でもその瞬間が作品として残って、絶妙なカオスのなかでひとつ均衡を保っているところになんとか作り上げた、という感じがある作品ってけっこう少ないと思うんですよ。(森は生きているの)『グッド・ナイト』なんかもプロセスが大事ではあったんですけど、僕の歌詞なんかはもう見えていたところがあって、それをどうしようかというプロセスだったんですね。『ノスタルジア』はプロセスの最中にスパークしている瞬間がかたちをなしているというか(笑)、そこはおもしろいと思いましたね。

岡田:でも『グッド・ナイト』は俺には見えていなかったから、それは地続きかもしれない(笑)。

増村:地続きかもしれないね(笑)。それで音楽的なところだと、その瞬間瞬間にやりたいことがあると思うんです。だけどそれをまた壊すじゃないですか(笑)。壊して今度はどうするかっていう連続のなかでやっていて、最終的に出来たものにはやっぱりその瞬間瞬間が刻み込まれているというか。そういう感じがいまの時代の現代という意味ではなくて、彼のなかでいましか出来なかった作品じゃないかなという気はしましたね。これは勝手な解釈だけど(笑)。

岡田:ありがとうございます(笑)!

いまベストなものを作ったと。

増村:そうですね。

「森は生きているとは違うものをやる」ということを言っていたけど、例えば“手のひらの景色”という曲は、森は生きているとそんなに切れていないと思うんだけど、森は生きているから岡田くんのソロへの流れはどういう感じだったの?バンド活動が終わって、すぐにソロに切り替えられた?

岡田:切り替えられていたし、でも実際は(森は生きているの)3枚目が作りたくてしょうがなかったです。一応『グッド・ナイト』が出てから1年くらいはずっとライヴに回って、5曲くらいは新曲があったんです。“手のひらの景色”はそのなかの1曲で、次のアルバムに入れようとしていた曲だったんですね。イントロはいまのアルバムに入っているかたちで固まっていたんですけど、ただAメロ、Bメロ、歌メロ、歌詞は森のライヴをやっているなかでも2、3回変わっていて、最終的な落としどころが見つからないままバンドが解散しました。3枚目を作りたいという意識がすごくあったなかで、ただ『グッド・ナイト』を作ったはいいけど次にどうすればいいかわからなくなるくらい、作っているあいだの体験が強烈過ぎました。それは僕と増村は一緒だったと思うし、あれができたあとに次になにをするかというのが見つからなかったのがバンドを続けるのが難しかった要員のひとつだったんですよね。どう(笑)?

増村:いや、そうだと思います。

森は生きているは難しいバンドじゃないですか。

増村:そうですか(笑)?

岡田:そんなことないですよ(笑)。

自分たちが理想とするものと、現実で自分たちが出しているものとのズレみたいなものに対してすごく意識的だったし、言葉はよくないかもしれないけどあまりにもナイーヴというかね。

増村:まあ、わかります(笑)。

「これでいいんじゃない?」という落としどころの共有って、森は生きているの場合はとくに難しかったんだろうなぁと。まあ、ふたりのなかでは意思疎通できていたんだろうけど。

岡田:『グッド・ナイト』は僕と増村の密な関係で作ったアルバムだったし、演奏とかみんなのアイデアでアルバムを作ったとはいえ、やっぱりどういう音楽を作るかというよりは、どうしてこの音楽を作ったかというところがポイントでした。明確に目に見えないものをどう捕まえるかという作業を常にしていたんですね。僕と増村で今後あるかどうかわからないくらい削りあった作業だった(笑)……だから作っているうちに、そこが共同体としてやっていくうえでの意識の差みたいなものに出てきてしまったのはありましたね。

増村:だからもう1回やろうとしたときに、そのままだと難しくなるんですよね。もう1回ふたりでなにかをするというには『グッド・ナイト』は一旦やりすぎた。サードを作るんだったらちょっとヘルプが欲しかったところもあるし、6人もいるから誰かが新しい曲を書いたらよかっただけの話だったのかもしれないし(笑)。

森は生きているは、すごく甘くてメロウな音楽をやっていたんだけど、その音楽の背後には、演奏の技術もそうなんだけど、あと、すごくいろんな音楽を聴き込んでいるなっていう、リスナーとしてのスキルみたいなものもあるでしょ。だから、その両方から思考に思考を重ねながら作っている感じがあって……、本当にもう1枚作ってほしいと思っていたよ。ファンはみんな思っていたと思うよ。

岡田:でもあのバンドを引っ張るのはすごく辛かったし、後期のザ・バンドでロビー・ロバートソンだけみんな悪者扱いで叩くじゃないですか。ロビーの気持ちがすごくよくわかった(笑)。こいつらをどうケツを蹴ればいいんだろうと思って、ひとりでどうにか引っ張るには自分が前に出るしかないから、ライヴで40分くらいギター・ソロを弾いたりしていたんですけど。そんなのやりたくないけど、でもそうしないと引っ張れなかったから、最後は辛くて辛くてしかたなかったですね。

増村:悪循環みたいなものはあったよね。

岡田:だからいろんな要因が混ざり混ざって、やっぱりこのバンドのかたちではできないからいったん解体しなければならないということになったんです。でも案外その切り替えは早くて、最後のツアーのときには、バンドかソロかでは迷ってはいたんですけど、次の録音でやりたいメンバーとやりとりをしていました(笑)。薄情だとは思うんですけど、ツアー最後の広島に向かう車のなかで「来週のリハどうしよう?」みたいな電話を平気でできちゃうタイプではあったんですけどね。実際に制作に入ると、壁があまりにも多すぎて、『ノスタルジア』を作っているときにそういうのを思い返して辛くなってくるみたいなことはありましたね。

なるほどねえ。

増村:ちょっと思い返しちゃったんだね(笑)。

取材:野田努(2017年11月20日)

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