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Interviews

interview with Levon Vinent

interview with Levon Vinent

大統領もホームレスも、そして君も同じハウスを聴く

──レヴォン・ヴィンセント、インタヴュー

取材・文:髙橋勇人    Dec 26,2016 UP

 バラク・オバマのアメリカにおける歴史。そこには、彼がフランキー・ナックルズの訃報を受け、偉大なるDJの家族へ哀悼の意を表する手紙を送った瞬間が刻まれている。この8年間、もしかしたら落胆しか感じなかった人びとの方が多かったのかもしれないが、アンダーグラウンドの祝祭的象徴であるハウスを聴く大統領の出現を予期できた者が10年前にどれだけいただろう。このインタヴューに出てくるアンディ・ウォーホルのかの有名なコーク(コーラ)に関するコメントは、資本主義がもたらす均一化への鋭いクリティークだ。大統領も街角のホームレスも、そして君も同じコークを飲む。ウォーホルのTシャツにレヴォン・ヴィンセントが袖を通す理由、それはこの言葉への共感に他ならない、と僕は勝手に確信している(詳細は本文を読まれたい)。
 90年代前半、グラフィティ・ペインター、スケーター、スコッターがひしめいていたニューヨークのマンハッタン。そのダンスミュージックの中心地でジョー・クラウゼルやシカゴのロン・トレントがセンセーションを巻き起こしていたとき、ティーンエイジャーのヴィンセントはDJとしての実力をめきめきと伸ばしていた。監視カメラの導入やルドルフ・ジュリアーニ市政が牙を剥き、街の表情が豹変してしまったときも、男はニューヨークを離れることはなかった。しかし、DJができる場所の数は激減し、マンハッタンのクラブ・カルチャーには冬が訪れた。このタイミングで彼は大学で作曲を学ぶ道を選択する。そして、その音のレンズはダンスフロアからジャズ、古代ギリシア、現代音楽へと視野を広げていくことになるのだ。
 シーンに戻ってきた2002年、自身初のレーベル〈More Music NY〉を始動させたヴィンセントにとって全てが順風満帆に動いていたわけではない。彼が注目を集めるのは2008年の〈Novel Sound〉と〈Deconstruct Music〉まで待たなければいけないのだが、そこからの跳躍がすごかった。ニューヨークの伝統とエレクトロニック・ミュージックの歴史が混在する、ディスクリートかつ深淵なミニマリズムと卓越したメロディ・センス。その斬新なサウンドは、同じく東海岸出身のジャス・エド、DJ QU、フレッドP、ジョーイ・アンダーソンらとともに世界のフロアをわかせた。UKのぺヴァラリストやピアソン・サウンドらによってヴィンセントのトラックがプレイされたとき、別の世界を知ったダブステップ世代の若者だっている。2010年に彼はベルリンへ移住し、そのシーンのトップDJであるマルセル・デットマンとも作品を発表した。


Levon Vincent
Novel Sound/Pヴァイン

HouseTechno

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Levon Vincent - Rarities
Pヴァイン

HouseTechno

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 徹底したインディペンデント・スピリットに裏打ちされたその活動も忘れてはいけない。友人のレコード職人と制作する毎回数枚しかレコード店に現れないシングル。“The Media Is The Message”や “Reves/Cost”など何かを物語るラベル上にスタンプされた曲名。デジタル時代における音楽メディアのあり方も、ヴィンセントは提示し続ける。2015年にフリー・ダウンロードと4枚組の12インチでリリースされたファースト・アルバムが多くの音楽サイトに絶賛されたことも記憶に新しい。2016年には日本限定コンピレーション『Rarities』もリリースされた。
 2016年10月、DJのためロンドンを訪れたレヴォン・ヴィンセントに僕は話を聞く機会を得た。そのとき、閉鎖していたロンドンの名門クラブであるファブリックの運営再開は霧の中で、不動産王はまだ候補席に鎮座していて、デヴィッド・マンキューソは存命だった。一寸先の未来は闇どころかブラックホールである今日、アンダーグラウンドのパイオニアは何を思い作曲し、音楽をどう捉え、それを取り巻く状況について何を思うのか。以下お届けするのはその記録である。場所はイースト・ロンドン、ショーディッチのカフェ。待ち合わせのホテルのロビーに僕が到着したとき、ヴィンセントの手元には活動家マヤ・アンジェロウの自伝『歌え、翔べない鳥たちよ』があった。

毎週新しい技術が生まれて学ぶことがたくさるある。というよりも、人は学ぶことを止めることができないだろう。60年代の現代音楽家のアルヴィン・ルシエールは脳波から音楽を作り出したけど、頭にUSBケーブルを繋いで作曲をする時代が本当に来るのかもしれない。

あなたのDJキャリアのスタートは16歳と、かなり早いですよね。

LV:ああ、92、93年頃の話だね。その頃、俺は地元でDJとしてそれなりに成功していた。だけど94年にジュリアーニがニューヨーク市長に当選すると、法律が改正されてDJの活動がかなり制限されてしまった。日本のクラブの状況と似たものかもしれない。

ジュリアーニ市政下におけるゼロ・トレランスなどの一連の「治安回復政策」ですね(注:警察官を増員し、犯罪取り締まりの強化、ホームレス排除、クラブの摘発などを行った)。

LV:あの法律によって、ニューヨークの多くのクラブDJたちが職を失ったんだ。俺は活動できる場所を求めて寿司レストランなんかでもプレイしていたな。まともにクラブでDJができる機会はそれから10年はなかったんだよ。

そこであなたは大学へ戻り、2002年の卒業と同時にレーベル〈More Music NY〉をはじめ、ダンスミュージックのシーンへ戻ってきたわけですね。

LV:その通り。大学では西洋音楽を中心に古代ギリシアから順に学んだよ。インドや中東の調性、そしてもちろんアフリカのリズムも。でも、主に勉強していたのは西洋のクラシックとアメリカのジャズ。その頃までにはダンスミュージックを作っていたんだけど、大学へ通い始めて、俺は制作から一旦離れたんだ。音楽そのものに強く惹かれていたら、もっと深く学ぼうと思ったというわけさ。
 その後はじめたレーベルは失敗に終わってしまったんだけどね(苦笑)。あの時期はMP3が台頭してきた時期で、レコード文化はかなり廃れてしまっていた。個人的にはMP3の扱いもそのフォーマットも、いままでそれが正しいと思ったことはない。ビートポートが登場して、ネット上でのダンス・ミュージックの配信が普及したのはそのすぐあとの出来事(2004年)。でもそんな状況下、多くの人びとがレコードの良さに着目するようになり、2008年頃から現在に至るレコード・リヴァイヴァルの流れが生まれたんだ。

あなた個人としては、そのリヴァイヴァルをどのように捉えていますか?

LV:とても肯定的に思っているよ。俺の両親はかなりレコード集めにシリアスだった。レコードに自分の名前を書いて、お互い別々の棚で保存していたくらいだ。そういう環境で育てば、そりゃレコードが好きになる。このトレンドが誰かに仕組まれているんじゃないかと思うこともあるが、これに限っては悪いことではないんじゃないかな。俺たちのコミュニティはMP3が全盛期だった時でも、レコードというメディアでアイディアを出し続けて、リヴァイヴァルを先導する力の一部になれたんだ。

レコード・ストア・デイ(以下、RSD)などの催しに合わせて、メジャー・レーベルがレコード工場のスケジュールを抑えてしまい、インディペンデントで活動するプロデューサーたちの制作が遅れてしまう事態も、リヴァイヴァルのなかで起きています。

LV:その問題には毎年悩まされているから、RSDには関わっていないしまったく支持もしていない。最初は素晴らしいアイディアだと思ったよ。RSDがはじまった当初、俺はレコード店で働いていて、とくに最初の2回はかなり真面目にプロモーションにも協力していた。でも、やはりイベントはビジネス優先の考えが強くてね。アーティストがインディペンデントに自律しようとする流れを、大きな企業が資本化してしまい、彼らの活動が変わってしまった面もある。
 欧米で春はレコードを出すベストな時期なんだけど、大手レコード会社は春を狙って、ザ・キュアやデペッシュ・モードのようなアーティストの再発盤を発売するから、インディペンデントで活動する俺みたいなミュージシャンは、その時期にレコードを作ることができない。夏は温度の影響もあって、多くのレコード工場は機械を稼働できないから、制作時期も限られているっていうのにさ。本当にたまったもんじゃない。レコードを制作するのに大体2ヶ月はかかるんだけど、メジャー会社のせいで1年のうち3ヶ月は自由に制作ができないんだ。9月も発売には良い時期だ。でもその時期に合わせることすらも難しい状況だね。ときには1作品をプレスするのに半年かかることもあるくらいで、作品のプロモーションのスケジューリングにも影響が出てくる。でもそういうトラブルも引っくるめて、俺はレコードで作品を発表することが大好きだ。昔から慣れ親しんできたフォーマットに自分の名前が載るのは、やはり特別な思いがする。

2015年にあなたはキャリア初のアルバム『Levon Vincent』をリリースしました。楽曲制作からデザインに至る行程を含めた制作期間はどのくらいかかったんですか?

LV:正確な時間は、この場では検討がつかないな。デザインは友人のヴィジュアル・アーティストのトマス・バーニック(Thomas Bernik)との共同制作なんだけど、レコードのラベル部分はサザビーズ(Sotheby’s;世界最高のオークション会社)のカタログや、日本の家具雑誌なんかを参照していて、その収集には5年は費やしてきたと思う。レコードのラベルは1枚1枚異なっていて、同じものは存在しないんだけど、この技術を応用したのは俺が初めてなんじゃないかな。業者との連携によって成し遂げることができたのさ。それから24時間ラベルを作り続けられる技術も使って、3000枚のレコードに貼り付けた。大多数はデザインを印刷会社に送って、約2ヶ月後にラベルが出来上がってレコードに貼り付けるんだけど、俺はその過程のすべてに携わったわけだ。
 近年のレコードの制作過程におけるイノヴェーションはそんなに多くはない。60年代に完成した古典的な技術がいまも引き継がれているからね。だからその点に着目すれば、進むべき進路は見出せるわけだ。でもそれを理解している業界人はあまり多くないように思う。そこを上手くやれたのいは、トマスによるところが大きいね。最初のレーベルの時から彼と仕事をしているから、もう長い付き合いだ。彼は奥さんとふたりレコード制作会社で働いていて、俺は彼らの最初のクライアントといったところかな。ふたりはよき友人でもあり、とても感謝している。

いまの話を聞いていて思い出すが、マーシャル・マクルーハンの言葉、「メディアはメッセージである(The media is the message)」です。あなたは2009年に発表した自身の曲名に同じ言葉を選びました。

LV:あの曲を出した時のメッセージは、音楽のフォーマットに関してのものだ。当時はいまほどレコードが人気を取り戻していたわけではなかったからね。だからその言葉を選んだんだけど、それももう数年前。いまは曲の配信でMP3を使うことだってある。もっと言えば俺はもうクラブでレコードをプレイしなくなったんだ。

昨日のDJを見ていてそれは思いました。僕が以前あなたのプレイを東京で見たのは2014年のことですが、あのときはレコードをプレイしていました。データでDJをするようになった経緯は何ですか?

LV:最近になってMCカートリッジを使うようになってね。ほら、MC型って扱いに気を使うだろう? 音質は素晴らしいけれど、下手にスピンは絶対にできない。良いプリアンプも手に入れたから、それらを組み合わせてレコードの曲をデータにしてクラブで使用するようになった。クラブでオルトフォンの針を使うよりも音質が格段にアップしたね。それから、80年代や90年代に比べるとクラブの音量がかなり大きくなってきているのも理由のひとつだ。ひとつのクラブが収容できる人数も多くなって、踊る余地もないほどのスペースに人びとが立たされることだってある。つまり、そういった環境で生まれる特有の音の反響があって、それはレコードのプレイにマッチしないんだ。

ではそういう状況でCDJを使う理由とは何ですか?

LV:もちろんDJたちのレコードに対する情熱は変わらないよ。レコードを買わない週はないし、リリースもやめることはない。プレイの面のことを考えての選択というだけのことだ。現場でドリンクをこぼされたり、移動中にレコードをなくしたりする心配もないしね。
 データは極力使いたくなかったから長年頭を抱えていたんだけど、ハイレゾの主流化と、最近のパイオニアの機材の進歩によって、俺もデータに切り替えることにした。最新のCDJは機能、音質、どれを取っても素晴らしいと思う。もちろん、データを閲覧するときにパスコードの制限をつけて、曲が盗まれるのを防ぐ機能とかは必要だと感じる。あと、CDJのキューボタンは、アカイMPCのパッドと同じくらい押しやすくなってもいいだろうね。

たしかにドラムマシンのようなCDJの使い方をするDJも増えてきています。MPCには思い入れがあるんですか?

LV:俺は世代的にMPCと育ったようなものだよ。最近はパイオニアがルーパーを出したけど、あのサンプリング機能もすごい。アカイが主流だった時代に、まさかパイオニアがサンプラー市場に進出するなんて思いもしなかった!

科学技術と音楽機材は手をつないでいるかのように、共に進歩してきました。あなたはこの関係をどう捉えていますか?

LV:子供の頃からデジタル機材には憧れがあってさ(笑)。初めてサンプラーを知ったのはファブ・ファイブ・フレディのインタヴューを読んだときだ。彼もニューヨークの地元のレジェンドでね。それで小さい頃、母親と一緒にマンハッタンの楽器屋に行ったわけだ。「ママ、お願い。僕、あのマシーンで本当に音楽を作りたいんだ!」という具合に。でも当時、サンプラーは10000ドルもしたんだよ。もちろん、買うことなんてできなかった。でもいまは数百ドルでパソコンが買えて、サンプラーも手に入る。すごい時代になったもんだ。
 クラシックの例を見てみよう。クラヴィアが普及しはじめたとき、バッハはすべての演奏者の基準となる調律を作り、それによって音楽を紙に書き、ポストで遠く離れた人へ送れるようになった。これは革新的なことだろう? それから人々が音楽を書くことがブームになって、モーツァルトなど職業音楽家だけではなくて、一般の趣味人だって曲をかけるようになった。これは現代と同じ状況だ。
 現在、1週間にリリースされるレコードの枚数なんて多すぎて検討もつかない。ひどい音楽が山のようにある一方で、素晴らしい音楽も多くある。これだけ音楽テクノロジーが発達した現在、誰でも音楽家になれると言っても過言じゃないかもね。ミュージシャンになるのにこれ以上適した時代なんて想像もできないよ。毎週新しい技術が生まれて学ぶことがたくさるある。というよりも、人は学ぶことを止めることができないだろう。60年代の現代音楽家のアルヴィン・ルシエールは脳波から音楽を作り出したけど、頭にUSBケーブルを繋いで作曲をする時代が本当に来るのかもしれない。

その昔、エイフェックス・ツインは、遠くない未来において「コンピュータが音楽作曲を作るようになっている」と言いました。コンピュータが全自動で音楽を作るという考えに、あなたは賛成しますか?

LV:音楽技術の発達という意味では賛成だけど、それってジェネラティヴ・ミュージック(注:プログラムに合わせてコンピュータが自律的に音楽を作ること)のことかな? だとしたら、プログラムを作ったプログラマーが作曲家ということになるから、話がちょっと変わってくるように思える。特定の法則に則って作曲をするのは、それこそ前衛音楽家が目指したことで、最終的に完成する曲が既存のいわゆる音楽とかけ離れることはしばしある。ジョン・ケージが良い例だ。ある種のジェネラティヴ・ミュージックは身の回りで発生した音から音楽を作り出すけれど、無音のなかで発生する音が「音楽」になるケージの『4分33秒』と共通する面もある。その意味では、何十年も前からあるアイディアが、違った形で広まりつつあると考えた方が適当なのかもしれないね。
 人間が演奏をやめてしまうことは残念に思うね。楽器と人間の間には会話があってそこに喜びが生まれる。こういった関係性は1回限りの重要なものだ。クラブにおけるサウンドシステムと人間の関係も同じで、低音を感じることに意味がある。だから、そういった意味で演奏は消えないでほしい。

取材・文:髙橋勇人(2016年12月26日)

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