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Columns

高橋幸宏 音楽の歴史

高橋幸宏 音楽の歴史

吉村栄一 Jan 18,2023 UP

 高橋幸宏は1952年6月6日、東京で生まれた。父は会社経営をしており、自宅は200坪の敷地に建ち(もともとは天皇の運転手が建てた家だそうだ)、軽井沢には別荘を持っていた。
 後に音楽プロデューサーとなる兄に感化され、早くから音楽に親しみ、小学生のときにはドラムを始めている。このドラムという楽器を選んだ理由にはドラムの練習ができるほど広い家に住む子がなかなかいないからだったと後年明かしている。
 中学生のときにはユーミンが参加することもあったバンドを組み、高校生のときにはもうセッション・ミュージシャンの仕事を始めていたのだから早熟と言うほかないだろう。ドラムのうまい高校生がいるという噂を聞きつけて大学生だった細野晴臣が会いに来たのも高橋幸宏の高校時代のこと。大学に入るとガロに一時在籍するなど、すでにプロのミュージシャンとしての道も歩き始めていた。
 そんな高橋幸宏の転機となったのは、旧知の加藤和彦にサディスティック・ミカ・バンドへ勧誘されたことだろう。1972年のことだ。ここから、アーティストとしての高橋幸宏の人生が本格的にスタートした。
 本稿ではサディスティック・ミカ・バンド以降、波乱の、そして充実したアーティスト活動を辿り、そのときどきに残した名作を紹介していきたい。決して “ライディーン” だけの人ではなかったことがよくわかるはずだ。

サディスティック・ミカ・バンド『黒船』(1974)

 サディスティック・ミカ・バンドの2作目。英国で発売されたファースト・アルバムを聴いた英国人プロデューサーのクリス・トーマスがバンドに興味を持ち、プロデュースを申し入れた。当時ピンク・フロイドとの仕事で有名だったが、トーマスはそれまでビートルズやプロコム・ハルム、ロキシー・ミュージックといった高橋幸宏のルーツとなるアーティストを手がけていただけに、まさに運命の出会いでもあった。このアルバムでは高橋幸宏の楽曲は採用されていないが、やがてサディステック・ミカ・バンドでドラマーとしてだけではなく、作曲者としての才能も開花していくことになる。同バンドは1975年に英国でロキシー・ミュージックのツアーの前座を務め、観客として観に来ていた後のジャパンのスティーヴ・ジャンセンが高橋幸宏のドラミングに大きく影響されたというのは有名な逸話。日本のロックの歴史に残る名盤でもある。

 サディスティック・ミカ・バンドが1975年に解散したあとは、高橋幸宏はフュージョン・バンドのサディスティックスに在籍しつつ、セッション・ミュージシャンとしての活動を続けるが、1978年に細野晴臣からイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)に勧誘される。と同時に、坂本龍一をコ・プロデューサーとして初のソロ・アルバムも制作。

高橋ユキヒロ『サラヴァ!』(1978)

 直後のYMOやそれ以前のバンドのキャリアとはまたちがう、フレンチ・ポップやボサノヴァなど落ち着いた世界を提示したソロとしてのデビュー・アルバム。同時期にソロ・デビューを果たした坂本龍一のオーケストレーション、アレンジが耳を惹く。とても26歳の若者の作品とは思えないが、本人としてはヴォーカルの一部に不満を持っていたとのことで、2018年にヴォーカルのみを新録した『サラヴァ! サラヴァ!』を発表している。40年の時を経たシンガーとしての円熟が際立ったが、この若さあふれるオリジナルもやはりいい。

イエロー・マジック・オーケストラ『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』(1979)

 YMOのセカンド・アルバム。本作の収録の “ライディーン” は当時シングルで大ヒットしたにとどまらず、21世紀に至るまでCM曲、パチンコのBGM、携帯電話の着信音、はたまたプロ野球での応援曲などさまざまなシーンで流れる日本の風景の音となった。その “ライディーン” だけでなく、YMOのニューウェイヴ化を加速したアルバム・タイトル曲もYMOの歴史にとって重要な作品となった。

イエロー・マジック・オーケストラ『BGM』(1981)

 大ヒットして時代のアイコンとして消費されることに疲れたYMOが素となって脱ポップを行った一枚。TR-808とプロフェット5をメインの楽器とし、それまでのわかりやすいテクノポップとは一線を画すアルバムに。そんななかで高橋幸宏単独作の “バレエ” 、細野晴臣との共作曲 “キュー” にはデカダンなロマンティシズムが滲む高橋幸宏らしい楽曲に。神経症となっていた苦しみも見せる “カムフラージュ” も重要な作品だろう。

高橋幸宏『ニウ・ロマンティック』(1981)

  “ロマン神経症” という副題(邦題)もついたソロとしては3作目のアルバム。本作とYMOの『BGM』、鈴木慶一とのユニットのザ・ビートニクスの『出口主義』と1981年に発表された高橋幸宏の関連3作はどれも傑作で、この時期の創作に対する巨大なモチベーションには畏怖するほかはない。収録曲の “ドリップ・ドライ・アイズ” はもともとサンディーへの提供曲だが、ここでセルフ・カヴァー。デニス・ボヴェルは同曲を聴いて世界最高のダブ・ポップ・ソングだと驚愕したと後にインタビューで話している。

 YMO散開後、改めてソロ・アーティストとして歩んでいった高橋幸宏。その作品からはYMO時代のわかりやすい過激さや先進性は見えにくくなっていったが、そのぶん楽曲のよさが浮き彫りにもなっていった。

高橋幸宏『EGO』(1988)

 YMO散開後5年という節目の年にリリースされた9枚目のソロ・アルバム。親しい知己の死やさまざまな重圧を感じながら制作されたこのアルバムでは、冒頭のサイケデリックなビートルズ・カヴァー “トゥモロー・ネヴァー・ノウズ” や鈴木慶一作詞の “レフト・バンク” など重い曲の印象が強いが、高橋幸宏がキャリアを通して定期的に作っていったエレクトロ・ファンク曲の “エロティック” や80年代末シンセ・ポップのお手本のような “ルック・オブ・ラヴ” など隠れた名曲も配置されたバランスのよい中期の重要作。細野晴臣、坂本龍一、クリス・モズデルといったYMO人脈の恒常的な参加もここで一区切りつくことになる。

高橋幸宏『Heart of Hurt』(1993)

 高橋幸宏のソロとしてのキャリアを総括するセルフ・カヴァー・アルバム。デビュー作の “サラヴァ!” からJ-POPの最前線で奮闘した近作まで、アコースティックな響きで再構築。 “蜉蝣” には大貫妙子が、 “ドリップ・ドライ・アイズ” にはサンディーがゲスト・ヴォーカルで参加している。高橋幸宏の楽曲のよさとヴォーカリストとしての魅力を再確認するには最適の1枚。

高橋幸宏『ザ・ディアレスト・フール』(1999)

 1997年に立ち上げた自身のレーベル、コンシピオからの1枚。1990年代を通して続いたJ-POP的な立ち位置からはずれ、テクノや打ち込みの音楽への回帰が鮮明になってくる。収録曲の約半数が鈴木慶一とのザ・ビートニクスとしての共作だが、他の曲ではスティーヴ・ジャンセン、砂原良徳、元ストーン・ローゼズのギタリスト、アジズ・イブラヒムなども参加。21世紀の高橋幸宏の音楽の予告アルバムのような趣きもある。

 21世紀に入ると、高橋幸宏はソロ・アーティストとしての活動と並行して、ザ・ビートニクス、サディスティック・ミカ・バンド、YMO(さまざまな名義で)といったかつてのバンドの再始動とともに、若いアーティストたちとの新バンドの結成も行った。

スケッチ・ショウ『Loop Hole』(2003)

 細野晴臣とのユニットのセカンド・アルバム。デビュー作の『オーディオ・スポンジ』(2002)がエレクトロニカとポップ・ソングの折衷のアルバムで、それはそれで魅力があったのだが、エレクトロニカ、電子音楽に舵を振り切った本作がやはり映える。前作に続き坂本龍一が参加して後のYMOの再再結成へと繋がっていく一枚。小山田圭吾も参加して重要な役割を果たしている。

高橋幸宏『ブルー・ムーン・ブルー』(2006)

 スケッチ・ショウなどの課外活動が多かったため、6年半ぶりのリリースとなったひさしぶりのソロ・アルバム。21世紀以降のエレクトロニカ、電子音楽路線と、高橋幸宏ならではのロマンティックな作風が自然と融合した21世紀の高橋幸宏を代表する1枚となった。ブライアン・イーノ&ジョン・ケイルのカヴァー “レイ・マイ・ラヴ” のほか、80年代の名曲の再構築 “スティル・ウォーキング・トゥ・ザ・ビート” 、メルツのアルベルト・クンゼやハー・スペース・ホリディのマーク・ビアンキをゲストに迎えての曲など聴きどころが多い。

pupa 『Dreaming Pupa』(2010)

 高野寛、原田知世、高田漣、堀江博久、ゴンドウトモヒコとのバンドの2作目。まだどこか手探りの感があったファースト・アルバムにくらべて、多くのライヴをこなした後だけにそれぞれの個性が有機的に絡み合い、バンドとしてのその後が楽しみだったが高橋幸宏の死去によって活動が途絶えたまま本作がラスト・アルバムに。

高橋幸宏『Life Anew』(2013)

 ソロとしてのラスト・アルバムということになるが、実態としてはジェームズ・イハ、高桑圭、堀江博久、ゴンドウトモヒコとの新バンド、イン・フェイズのアルバムとなっている。高橋幸宏のルーツである60〜70年代のロック・サウンドに回帰した1枚。本作の制作前に自身の音楽ルーツを紹介する半自伝本『心に訊く音楽、心に効く音楽』(PHP新書)を上梓しており、この時期の高橋幸宏のモードがそちらに振れたということだろう。以降、ソロでの活動もその路線を踏襲していくことになった。

METAFIVE『Meta』(2016)

 ソロとは一線を画した最後のバンド活動がMETAFIVEだった。テイ・トウワ、小山田圭吾、砂原良徳、ゴンドウトモヒコ、LEO今井というそれぞれソロとしてのキャリアを確立していたアーティストたちによる、いわばエレクトロニック・スーパー・バンド、スーパー・セッション。以前から親交を重ねてきた間柄だけにこのファースト・アルバムからバンドとしての一体感は完成しており、ライヴ活動も盛んに行った。エレクトロ・ファンクの冒頭曲 “Don’t Move” から怒涛。

ザ・ビートニクス『Exitentialist A Xie Xie』(2018)

 1981年から断続的に活動してきた鈴木慶一とのユニットの最後のアルバム。pupaやMETAFIVEが幻となってしまったその先を見たかったという思いを抱かせるのに対して、本作は、本人たちにそのつもりはなかったはずだが、いま聴くと長年の活動を見事に完結させた作品とも思える。ニール・ヤングのカヴァー作品など同世代のふたりのルーツであるオールド・スクールのロック作品からユニットのデビュー作からここまでのさまざまな音楽的変遷がそこここに現れている。アルバムのラスト曲 “シェー・シェー・シェー・DA・DA・DA” は赤塚不二夫原作のアニメ “おそ松さん” の主題歌で、TRIOに影響を受けた明るく楽しいニューウェイヴ・ダンス・ポップ。ライヴではコミカルなフリ付きで演奏された。2018年の高橋幸宏の誕生パーティではDJがかけたこの曲に合わせて高橋幸宏と鈴木慶一がフリ付きで踊り、一般のファンも大勢いた会場内が熱く盛り上がったことをいまでも思い出す。

 ここに挙げたアルバム以外にも、高橋幸宏作品はどれもおもしろい。J-POPの本道をいくような作品も、椎名誠映画のサントラや山本耀司のショーのためのインストゥルメンタル・アルバムにも意外な魅力がある。プロデューサーとして手がけた多くの名作も忘れがたい。いつか機会があればそれらも紹介したい。
 幸宏さん、たくさんの素敵な音楽をありがとうございました!

Profile

吉村栄一(よしむら・えいいち)
1966年福井県生まれ。マドラ出版『広告批評』編集者を経てフリーのライター、編集者に。これまでの著書には『評伝デヴィッド・ボウイ』(DU BOOKS)』、『YMO 1978-2043』(KADOKAWA)など。2023年2月に『坂本龍一 音楽の歴史』(小学館)を刊行。

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