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ジャズとアンビエントの境界で

ジャズとアンビエントの境界で

──ロンドンの新星ナラ・シネフロ、即完したデビュー作が再プレス&CD化

小川充 Jan 21,2022 UP

 最近のジャズ界の潮流を見て思うのは、アンビエントやチルアウト、もしくはニューエイジやヒーリング・ミュージック、メディテーション・ミュージック、音楽療法(セラピー)といった概念を取り入れたり、そうしたテイストや要素を感じさせるアーティストが増えていることだ。イスラエル出身のリジョイサーことユヴァル・ハヴキンはじめ、アメリカのジョン・キャロル・カービー、イギリスのキンカジューなどがそれにあたり、イギリスではアルファ・ミストイシュマエル・アンサンブルなどがそうした方向性の作品を作ることがある。楽曲単位で見ればほかにもいろいろなアーティストからアンビエントなどの要素を読み取ることができるし、昨年リリースされたファラオ・サンダースとフローティング・ポインツのコラボもこうした一例に上げられるだろう。

 しかしながらこうした試みを以前にもおこなっていたアーティストはいて、シネマティック・オーケストラはその最たる例であるし、その名もズバリのアンビエント・ジャズ・アンサンブルというグループもあった。カルロス・ニーニョは現在まで一貫してアンビエントなジャズを追求している。もっと遡れば、アリス・コルトレーンや一時期のポール・ホーンなどは大きくアンビエントやニューエイジの世界に入り込んでいったし、マリオン・ブラウンはエリック・サティに傾倒し、ハロルド・バッドの作品を演奏したこともある。演奏という側面を見れば、ビル・エヴァンスやキース・ジャレットのピアノにアンビエントの世界観を感じることもできる。瞑想的なスピリチュアル・ジャズは一種のメディテーション・ミュージックである。つまり、ジャズとアンビエントの融合は決して新しい潮流というわけではなく、そもそも現代音楽やフリー・ジャズが発生した時点で存在していたものである。ただし、ここにきてこうした方向性が再び見直され、それに取り組むアーティストが増えていることは興味深いことである。

 ナラ・シネフロもこうしたジャズとアンビエントの境界線にいるアーティストのひとりだ。ナラは現在はロンドンを拠点に活動するが、祖先をたどるとカリブ系のベルギー人で、マルティニークにルーツがあるという。フランスの海外県のひとつであるマルティニークは、ジャズの分野でもいろいろ優れたミュージシャンを生んでいて、彼らの演奏は独特のラテン風味を有しているところが特徴だ(もっとも、ナラ自身はそうした自分のルーツはあまり意識していないと思うが)。音楽好きの家に生まれ、幼少の頃から身近に音楽があり、ピアノやヴァイオリンなどの楽器に自然と触れていった。高校でジャズの理論や楽譜などを学んだが、基本的にはそうした楽理に則った音楽教育には馴染めず、耳や心で感じたままに演奏をしていくほうが性に合っていたそうだ。

 そして、彼女の音楽性を形成する上で重要な要素として、幼い頃より自然界の音が身近にあったことが挙げられる。子供の頃はベルギーのソワーニュの森でよく遊んでいたという彼女によると、「音楽好きの家庭だったから、生まれた時から常に音楽に囲まれて育ってきた。家の中にはCDも楽器も沢山あって、それを自然に吸収していたの。(中略)もう一つ私の周りにあったのは鳥の声。家の近くには森があって、鳥たちが会話をする鳴き声をずっと聴いて育ったの。私には、鳥の鳴き声の中に美しいメロディとリズムが聴こえる。庭に出るといつもそれが聴こえてきて、刺激を受けていた。鳥の声を聴くと、ホームにいると感じるのよね」(オフィシャル・インタヴューより。以下同)。アンビエントを環境音楽と捉えるなら、自然界にある音、日常の生活音などがもっとも身近な音となるのだが、そうした動物や鳥、虫たちの鳴き声が後の彼女のアンビエントな音楽性に結びついていったと考えても不思議ではないだろう。

 ナラは18歳のころから本格的に作曲をはじめ、22歳のときに作曲、制作、演奏、エンジニアリング、録音、ミキシングを全て自身でおこない、9か月間の制作期間を経て完成させたのが『スペース1.8』である。このアルバムでナラはモジュラー・シンセサイザーの他、ペダル・ハープも演奏している。ピアニスト及びオルガン奏者であり、ハープ奏者でもあり、そこにシンセサイザーを交えて音楽制作をおこなっていたアリス・コルトレーンを想起させるスタイルである。特に今回はシンセを用いたことが彼女にとって大きな鍵となっている。

今回のアルバムが一番影響を受けているのはシンセ。今までずっと使ってみたかったけど買えなくて、今回始めて手に入れたの。使い方を自分で考えたり、新しい発見が沢山あって楽しかったから、あまり他からの影響やインスピレーションは必要なかったのよね。シンセという特定のものを使ってどこまでディープにいけるか、一つのものを使ってどこまで広がりを持たせることができるかが自分の中で大きかった。何時間もシンセを触れることが嬉しかったのよね。

 アルバムはそうした彼女の独演や孤独な創作作業と、同時に友人のミュージシャンたちとのコラボやセッションを融合してできている。参加するのはヌバイア・ガルシア、シャーリー・テテ、エディ・ヒック、ジェイムズ・モリソン、ジェイク・ロングなど、いわゆるサウス・ロンドンのジャズ・シーンで知られる面々だ。ナラはサウス・ロンドンのジャズ・ライヴ・コレクティヴとして名を馳せるスティーム・ダウンのメンバーとして活動していたことがあり、そうした中で繋がりが生まれたミュージシャンたちである。こうしたミュージシャンたちが参加し、ナラ自身がカリブの血を引くとなると、サウス・ロンドン・ジャズに頻繁に見られる土着性の強いアフロ・ジャズ、カリビアン・ジャズ的なモチーフを想像しがちだが、『スペース1.8』に関してはそうしたアフロ・リズムやブラック・ジャズ色が前面に出た作品ではない。アフリカ音楽の要素があるとしても、それは瞑想性や牧歌性といった部分でのことで、むしろ一般的なサウス・ロンドン・ジャズ・シーンとは切り離して見るべきだろう。それよりもナラ・シネフロというアーティストの個性や作家性が強く表れた作品である。

 『スペース1.8』の収録曲は全て “スペース” という単語が付けられ、その1番から8番までの合計8曲が収められる。「アルバムを作っている時に、各トラックがそれぞれ一つの空間のように感じたの。異なった季節とか、昼とか夜とか。全ての曲が、それぞれの時間や世界、場所、フィーリングを持っていた。だから、トラックを “ルーム” と呼び始めたの。(中略)曲を空間だと考えることで、自分に自由が与えられた感じがした。(中略)スペースというのは、宇宙じゃなくて空間を意味するスペースなのよ」。具体的な単語による曲名はときに聴く前にリスナーに先入観を与えてしまい、結果的に自由な感受性を阻害することがある。抽象的な空間という “スペース” を使った理由はそこにあり、現代音楽や環境音楽の作曲家が用いる題名と同じような意味合いを持つ。

 アルバムは周波数の違いが人間の身体に与える影響にナラが魅力を感じたことからはじまったという。ナラはサウンド・エンジニアとしてキャリアを積んでいたこともあり、音の周波数に強い興味を持っていた。そして日頃の研究を通じ、錬金術的な音の力を探求するために様々な波長に調整した層をモジュラー・シンセによっていくつも重ねている。また、モジュラー・シンセやハープを演奏することは、彼女自身にとっても深いセラピー的な効果をもたらしているという。「シンセサイザーとハープが出す音のほうが優しく感じられるの。過ぎたるは及ばざるがごとしと言うし、人間ならではの不完全さがたくさんあるから」。音響心理学だけではなく、ナラの興味は物理学にも及んでいる。ペルセウス座銀河団のブラックホールから発せられる周波数という、人間が聴くことができる範囲をはるかに超える音についても学び、そうした概念を『スペース1.8』に取り入れている。

 音楽セラピーということについてさらに掘り下げると、ナラは20代の初めの頃に腫瘍を克服したという体験があり、そうした闘病生活から得られたものが『スペース1.8』の制作にも反映されているそうだ。シネフロ自身の言葉で言うと、このアルバムが見つめるのは、彼女が “傷を金へと変えたこと”、つまり、錬金術的プロセスであり、人生を変える力を持つサウンドの実験的探求だ。「アルバムのレコーディングには強い薬効があって、そのときに私の身体が必要としているものなの。身体の内的な働きにいっそう焦点を当てるようになったし、自分を治療するような音世界を作るようになったわ」。

 アルバムにはフィールド・レコーディングによる素材も盛り込まれており、そのひとつが鳥の鳴き声である。「鳥は私の最初の教師だった──鳥たちが呼んだり、応えたりする鳴き声や、その音程とリズミカルなフレージングが」とナラは言う。幼少期のベルギーのソワーニュの森や、彼女の祖先が住んでいたマルティニーク島のセント=ジョセフ、ブーリキにある緑豊かな山の尾根を、こうした鳥の鳴き声によって表現したのが “スペース1” である。こうした自然の中で遊んでいた記憶が『スペース1.8』の随所に見られ、それは彼女の音楽に対する姿勢にも表われている。つまり、音をいろいろいじって遊び、変化させて楽しむこと。モジュラー・シンセによる音の実験はまさにそれで、エディ・ヒック、ドウェイン・キルヴィングトンとの3時間に及ぶ即興セッションを切り取って短くした “スペース3” である。彼女はこの自由で制約のないセッションを心から楽しみ、ルールのない作品を作った。

 幼い頃の学校での音楽授業に対してナラはこう述べる。「音楽教育って何を教えるかとか、教え方が決まっているじゃない? 私はそれがあまり好きじゃないのよね。聴いて学習するのではなく、読んで学ばないといけない音楽は私にとっては窮屈。ヴァイオリンを習った2年間でそれを感じて、楽譜はもう読みたくないなと思った。脳じゃなくて、ハートや耳で音楽を勉強したいという気持ちが強くなったの」。そうした昔の自分といまの自分を比べて語る。

私は5歳から音楽をプレイしているんだけど、その時から変わってないことを祈る(笑)。私はいつも、あの頃のピュアな部分を取り戻そうとしているの。物事を判断しすぎたり考えすぎることなく、ルールもなかったあの頃。何が良いとか悪いとかはなく、フィーリングが全てだった。そうやって音楽を作るのはいつだって楽しかった。でも、音楽を勉強することでその情報を吸収しすぎちゃって(笑)。前はすごく純粋だったのに、音の決まりや譜面への収め方を知ってしまうと、それにとらわれるようになる。先生にダメだと言われて、なんでダメなの? と思ったこともよくあった。だから、知識を取り入れ過ぎてしまってもダメなのよね。今は、自分が学んできたことをそれにとらわれ過ぎずに自由に使って音楽を作りたい。知識をツールとして使っていけたらいいなと思う。5歳の時が自分のベストだったと思うの(笑)。ハートでサウンドをプレイしていたから。スキルや学習は、それに圧力をかけちゃうのよね

 『スペース1.8』はナラが心の赴くまま、自身を自由に開放して作ったアルバムである。

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Profile

小川充 小川充/Mitsuru Ogawa
輸入レコード・ショップのバイヤーを経た後、ジャズとクラブ・ミュージックを中心とした音楽ライターとして雑誌のコラムやインタヴュー記事、CDのライナーノート などを執筆。著書に『JAZZ NEXT STANDARD』、同シリーズの『スピリチュアル・ジャズ』『ハード・バップ&モード』『フュージョン/クロスオーヴァー』、『クラブ・ミュージック名盤400』(以上、リットー・ミュージック社刊)がある。『ESSENTIAL BLUE – Modern Luxury』(Blue Note)、『Shapes Japan: Sun』(Tru Thoughts / Beat)、『King of JP Jazz』(Wax Poetics / King)、『Jazz Next Beat / Transition』(Ultra Vybe)などコンピの監修、USENの『I-35 CLUB JAZZ』チャンネルの選曲も手掛ける。2015年5月には1980年代から現代にいたるまでのクラブ・ジャズの軌跡を追った総カタログ、『CLUB JAZZ definitive 1984 - 2015』をele-king booksから刊行。

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